丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日… 丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日 - 2023年〈令和5年〉6月23日)は、日本の銀行家。元山形銀行頭取。 山形県山形市出身。福島経済専門学校(のち福島大学経済学部、現在の同大学人文社会学群経済経営学類)卒業後、両羽銀行(現在の山形銀行)入行。 1993年(平成5年)、8年あまり頭取を務めた三浦新の後任として昇格する。これは戦後初めて、創業家である三浦家、長谷川家以外での頭取就任となった。 2005年(平成17年)には在任12年を迎えたこと、じゅうだん会による新システムも稼動となったことから、長谷川吉茂専務に大政奉還し顧問に退いた。その堅実な経営手腕には定評があった。
上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 … 上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 - )は、日本の建築学者・建築家・都市環境空間デザイナー。専門は、都市計画・比較文明論。学位は、工学博士(京都大学・1971年)。 滋賀県彦根市出身(出生地は大阪府。里帰り出産後の生育地は、引き揚げまで満洲の奉天市、北支の濰縣(中国語版)、青島市。)。京都大学助教授・大阪大学教授・京都精華大学教授を経て、京都精華大学名誉教授。上田篤都市建築研究所主宰。 専門は主に建築工学であり、主な作品に「橋の博物館」「大阪万国博覧会お祭り広場」「旭川市平和通買物公園」などがある。 しかしながら、建築分野で評価を受ける反面、近年は古典分野の執筆活動を展開している。
鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月1… 鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月12日 - )は日本の実業家、鹿島建設取締役相談役。工学博士(東京大学)。東京都出身。
井上 聰(いのうえ さとし、1930年(昭和5年)8月12日… 井上 聰(いのうえ さとし、1930年(昭和5年)8月12日 - )は、日本のヴァイオリニスト。徳島文理大学名誉教授。武蔵野音楽大学音楽学部卒業。徳島県徳島市出身。 1956年(昭和31年)、武蔵野音楽大学音楽学部卒業。大学卒業後、同年に徳島大学学芸学部講師に就任。 1966年(昭和41年)、徳島女子短期大学(現在の徳島文理大学短期大学部)助教授に就任。1972年(昭和47年)、徳島文理大学音楽学部学部長に就任。 また、これまでに徳島県文化協会理事・日本弦楽指導者協会徳島支部長などを歴任。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
湯浅 譲二(ゆあさ じょうじ、1929年8月12日 - 20… 湯浅 譲二(ゆあさ じょうじ、1929年8月12日 - 2024年7月21日)は、日本の現代音楽の作曲家。 1929年、福島県郡山市にて開業医、寿泉堂病院(現:寿泉堂綜合病院)二代目院長湯浅大太郎(医学博士)の次男として生まれる。芸術愛好家だった父の影響で幼時より音楽に親しむ。郡山市金透尋常小学校の3年生頃からブラスバンドに入り、トランペットを担当した。 旧制福島県立安積中学校を卒業したのち上京し、慶應義塾大学医学部に進む。当時は外科医志望であり作曲は趣味として行うつもりだったが東京で日本の現代音楽の状況を知るうちに「このぐらいなら自分でもできる」と思うようになり1951年、「10年間は面倒みてやるから」との父親の合意のもとに医学部教養課程を中退して作曲の道に進む。
尾藤 三柳(びとう さんりゅう、1929年8月12日 - 2… 尾藤 三柳(びとう さんりゅう、1929年8月12日 - 2016年10月19日)は、川柳作家。父は川柳作家の尾藤三笠、子も川柳作家の尾藤一泉。 東京生まれ。本名・源一。学習院大学文学部卒業。前田雀郎に師事。丹雀会同人などを経て、1975年から「川柳公論」主宰。1988年から2009年までよみうり時事川柳(読売新聞東京本社・北海道支社・北陸支社・中部支社)の選者を務めたほか、サラリーマン川柳(第一生命主催)や新聞、雑誌、放送、公募川柳選者も務めた。その他、日本川柳ペンクラブ理事長、全日本川柳協会相談役、川柳学会名誉会長などを歴任した。 2016年10月19日、肺水腫のため死去。87歳没。
小松 健男(こまつ たけお、1929年8月12日 - 202… 小松 健男(こまつ たけお、1929年8月12日 - 2022年1月28日)は、日本の経営者。ロイヤルホテル社長を務めた。長野県松本市出身。 1954年に東京大学教養学部教養学科を卒業し、同年に住友銀行に入行。1978年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1984年4月に専務を経て、1988年6月から1993年11月までにロイヤルホテル社長を務めた。1998年5月から2002年4月までに関西棋院理事長を務めた。 2022年1月28日、死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
槙田 家和(まきた いえかず、1929年8月12日 - 20… 槙田 家和(まきた いえかず、1929年8月12日 - 2014年4月30日)は、日本の経営者、銀行家。八千代銀行頭取を務めた。 東京都出身。1953年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に八千代信用金庫(のちの八千代銀行)に入社。1977年5月に理事に就任し、1978年5月に常務、1988年5月に専務、1991年に副頭取を経て、1994年4月には頭取に就任。1999年6月には相談役に退いた。 2014年4月30日、死去。84歳没。
飯野 徹雄(いいの てつお、1928年8月12日 - 200… 飯野 徹雄(いいの てつお、1928年8月12日 - 2008年2月22日)は、日本の遺伝学者、ふくろう研究家。東京大学名誉教授。 東京府生まれ。1951年東京大学理学部植物学科卒業、1962年理学博士。国立遺伝学研究所研究員、微生物遺伝部部長を経て、1971年東京大学理学部教授。小石川植物園園長等を務める。1989年定年退官、東京大学名誉教授。同年より,早稲田大学人間科学部教授,1998年退職。 久美子夫人と共にふくろうに関する資料を蒐集し、自宅に「ふくろうギャラリー」を開設。1962年日本遺伝学会賞受賞。1991年紫綬褒章受勲。
松谷 健二(まつたに けんじ、1928年8月12日 - 19… 松谷 健二(まつたに けんじ、1928年8月12日 - 1998年2月9日)は、日本のドイツ文学研究家、翻訳家、作家。元山形大学教授。 1928年、東京市(現大田区)に生まれ、幼少年時代をここで過ごす。東京外国語大学を経て1953年に東北大学文学部ドイツ文学科卒業。 1959年、初出版は『文学における彼岸表現の研究』内の論文「北歐の彼岸表象」。 1971年、「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズの第1巻『スターダスト計画』が刊行される。1974年に山形大学を退職。 1998年、肝硬変のため山形県の病院で死去。享年69。
岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 20… 岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 2024年6月25日)は、日本の農水官僚、政治家。元参議院議員(3期)。北海道開発庁長官(第64代)、沖縄開発庁長官(第33代)を務めた。 神奈川県横浜市出身。旧制横浜一中(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)、二高、東京大学農学部卒業。 1948年に農林省(現在の農林水産省)に入省。農林省構造改善局設計課長、構造改善局建設部長、構造改善局次長などを務め、1979年に農林省を退職。 ほかに、科学技術政務次官、参議院農林水産委員長、参議院内閣委員長、参議院教育改革・スポーツ振興特別委員会副委員長、参議院総合政策委員会委員、グリーン・ツーリズム議員懇談会会長、全国土地改良事業団連合会理事などの要職を歴任した。
小泉 博(、1926年〈大正15年〉8月12日 - 2015… 小泉 博(、1926年〈大正15年〉8月12日 - 2015年〈平成27年〉5月31日)は、日本の俳優、司会者。本名は小泉 汪(読み同じ)。神奈川県鎌倉市出身。身長173センチメートル、体重72キログラム、血液型はA型。趣味はゴルフ。 政治家の小泉策太郎の八男として生まれる。兄に日本画家の小泉淳作がいる。 11歳で父と死別し、慶應義塾高等学校を経て1943年、慶應義塾大学経済学部に入学。昭和23年(1948年)に卒業、NHK第20期アナウンサーとして入局。この進路選択については、「日本を農業と軽工業の国に変革させる、という当時のアメリカGHQの発表に対する不安感があった」とコメントしている。 NHK入局後、昭和25年(1950年)ごろに大分放送局に配属される。
鷲見 友好(すみ ともよし、1926年8月12日 - 199… 鷲見 友好(すみ ともよし、1926年8月12日 - 1997年6月25日)は、日本の政治経済学者。法政大学名誉教授。軍事費、日米関係などを研究した。 岐阜県美濃市出身。1960年法政大学大学院博士課程単位取得、1961年法政大学短期大学部講師、法政大学社会学部助教授、教授、法政大学短期大学部学長、1996年定年退任、名誉教授。
鈴木 貞敏(すずき ていびん / さだとし、1925年〈大正… 鈴木 貞敏(すずき ていびん / さだとし、1925年〈大正14年〉8月12日 - 2009年〈平成21年〉10月24日)は、日本の警察官僚、政治家。第11代警察庁長官、参議院議員(2期、自由民主党)。位階は従三位。勲等は勲二等。 山形県寒河江市生まれ。両親は昭和の頭に満州に渡り、地元にとどまる。 山形県立寒河江中学校(18期)を経て、東京帝国大学に進学するも数日で学徒出陣し、前橋陸軍予備士官学校に入学(砲兵第2中隊第4区隊)。1945年6月に卒業後、独立山砲第12連隊に配属され間もなく終戦を迎えた。 戦後復学し、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業。 同年4月、国家地方警察に入る。
林 陸朗(はやし ろくろう、1925年8月12日 - 201… 林 陸朗(はやし ろくろう、1925年8月12日 - 2017年2月17日)は、日本の歴史学者。國學院大學文学部名誉教授。文学博士。専門分野は日本古代史。 富山県富山市出身。1949年に國學院大學文学部史学科を卒業、同年助手。1965年から同専任講師、1966年から助教授、1969年から教授。同大学文学部長、大学院委員長、1991年国学院短期大学長を歴任。1996年定年退職、名誉教授。 1970年国学院大学にて「上代政治社会の研究」で文学博士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
沖 外夫(おき そとお、1925年(大正14年)8月12日 … 沖 外夫(おき そとお、1925年(大正14年)8月12日 - 1986年(昭和61年)6月28日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 富山県高岡市で生まれた。1945年(昭和20年)興亜工学院を卒業した。 1960年(昭和35年)三協アルミニウム工業(現三協立山)が設立し常務取締役に就任。以後、専務取締役、副社長を経て、1979年(昭和54年)代表取締役社長に就任。その他、日本サッシ協会理事長、日本カーテンウォール工業会会長、富山県経営者協会常任理事、通商産業省産業構造審議会委員、富山県人事委員会委員、三協工機代表取締役社長、アルケン工業代表取締役社長、富山軽金属工業取締役、富山県経済同友会常任幹事などを務めた。
白髪 一雄(しらが かずお、1924年8月12日 - 200… 白髪 一雄(しらが かずお、1924年8月12日 - 2008年4月8日)は、日本の抽象画家。
猪股 静弥(いのまた しずや、1924年(大正13年)8月1… 猪股 静弥(いのまた しずや、1924年(大正13年)8月12日 - 2009年(平成21年)9月8日)は日本の文学研究者、歌人。帝塚山短期大学名誉教授、専門は上代文学(万葉集)、寧楽短歌会代表。 1924年(大正13年)8月12日、大分県香々地町に生まれる。18歳の頃にアララギに入会し、土屋文明に師事する。1951年(昭和26年)に法政大学文学部国文学科を卒業し、奈良市立一条高校に勤務する。その後、愛知女子短期大学講師を経て、帝塚山短期大学教授に就任し、退職後、名誉教授となる。2009年(平成21年)9月8日に死去、85歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 200… 野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 2009年4月21日)は、日本の西洋史学者。専門は西洋中世社会経済史。早稲田大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。1951年早稲田大学文学部西洋史学科卒業。1954年早稲田大学大学院文学研究科史学修士課程修了。ドイツなどヨーロッパ中世社会経済史が専門。1988年、「ドイツ中世農村史の研究」により文学博士の学位を授与。 早大文学部専任講師、助教授をへて、教授。早稲田大学史学会会長、日本歴史学協会監事、社会経済史学会理事・顧問等を歴任。1995年定年、同大学名誉教授となる。2002年、勲三等瑞宝章を受章。
畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - … 畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - 2013年8月7日)は、日本の政治家・詩人。秋田県北秋田郡下大野村村長(1期)、同郡合川町町長(10期)を歴任した。 1924年8月、下大野村で8人きょうだいの4男として生まれるが、次兄・長姉以外は夭折した。3歳の時に母が脳卒中で倒れ半身不随になり、また小学校入学前後に祖父を亡くし、また父も脳卒中に倒れる。 木戸石尋常小学校を卒業後、1939年に鷹巣農林学校林業科(後の秋田県立鷹巣農林高等学校、現秋田県立秋田北鷹高等学校)に入学するが、ほどなくして肺結核を患い、1940年に中退する。 療養中の1941年には月刊詩誌『詩叢』(しそう)を主宰(~1943年)。
横井正美(よこい まさみ、1922年8月12日 - 2000… 横井正美(よこい まさみ、1922年8月12日 - 2000年2月11日)は日本の大蔵官僚。国税庁次長、大阪万博記念協会理事長などを務めた。 香川県出身。京都帝国大学法学部卒業。京都大学大学院を中退し、1948年9月 大蔵省入省。給与局第四課配属。1949年6月 主計局共済課。1950年4月 横浜税関監視部。1951年6月 米国出張(留学)(〜1953年3月)。1953年5月 徳山税務署長。1954年7月 造幣局総務部総務課長。その後は主税局税関部、管財局総務課、理財局証券部、証券局などで課長補佐として勤務。1964年7月 東京税関総務部長。1969年8月:東京国税局総務部長。1971年6月 国税庁長官官房総務課長。
松本 昇三(まつもと しょうぞう 1921年8月12日 - … 松本 昇三(まつもと しょうぞう 1921年8月12日 - 1996年9月4日)は朝日放送元プロデューサー。 「お笑いの昇ちゃん」と言われるほど演芸、お笑い番組を多数手がけた。 大阪松屋町筋の生まれ、子供のころ母に連れられ近所にあった松竹館という寄席に漫才や落語を見に行ったことで興味を持つようになる。 慶應義塾大学法学部に入学、学生時代も四谷の下宿先から大学に通わず近所にあった喜よしという寄席に足繁く通った。 1946年に大学卒業、卒業後も就職せずに大阪戎橋松竹の楽屋に出入りし芸人らと交友を持つようになる。 1951年、戎橋松竹をラジオ中継していた朝日放送に学芸部員として入社、寄席の中継番組などを携わる。
小川 岩雄(おがわ いわお、1921年8月12日 - 200… 小川 岩雄(おがわ いわお、1921年8月12日 - 2006年6月13日)は、日本の物理学者(核物理学)。理学博士(1962年)。立教大学名誉教授。電気工学者の小川一清は父。 東京都生まれ。1943年、東京帝国大学理学部物理学科卒業。1962年 理学博士。学位論文:「グリッド電離箱による核反応の角度分布の新しい測定法 」。 海軍兵学校教官、東京大学助教授、立教大学理学部物理学科教授を経て、立教大学名誉教授。 湯川秀樹の甥にあたる。 海軍兵学校教官時に江田島で広島への原爆投下を目撃、核物理学者の使命として反核兵器を貫く。 湯川秀樹、朝永振一郎とともに第1回パグウォッシュ会議に参加。それ以降十数度にわたり同会議へ参加。
梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 198… 梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 1980年12月21日)は、日本のフランス文学者、劇作家、小説家、随筆家。本名は梅田晃(あきら)。慶應義塾大学大学院修了。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。パイプや万年筆などの収集家としても知られる。梅田望夫、梅田みかは子。 1920年(大正9年)、東京府東京市四谷区(現東京都新宿区)愛住町の暗闇坂で、ロシア貿易会社を営んでいた父・梅田潔と文学者の母・玲子の間に、6人兄弟の末子として生まれる。当時の梅田家の家風であった、ヨーロッパ的な生活習慣の中で育ち、1926年(大正15年)、慶應義塾幼稚舎入舎。以後18年間大学院まで慶應の一貫教育を受ける。
鈴木 隆(すずき たかし、1919年8月12日 - 1998… 鈴木 隆(すずき たかし、1919年8月12日 - 1998年1月25日)は、日本の児童文学作家。 岡山県生まれ。旧制岡山中学校から会津の旧制喜多方中学校に転校。早稲田大学文学部卒。 早大童話会経由で坪田譲治に師事して童話作家となる。1966年に刊行した自伝的長編『けんかえれじい』が鈴木清順によって映画化され、この作で有名になる。
土山 牧羔(つちやま ぼっこう、1919年8月12日 - 2… 土山 牧羔(つちやま ぼっこう、1919年8月12日 - 2013年1月28日)は、日本の教育者である。 1919年(大正8年)大阪府で出生。大阪府立住吉中学校卒業後、アメリカ合衆国へ渡りグリーンビル大学哲学教育学科、1945年(昭和20年)にプリンストン神学大学大学院進学、修士課程を修了。1946年(昭和21年)にシアトルパシフィック大学専任講師を勤めた後に帰国。1948年(昭和23年)に大阪キリスト教学院教授、1952年(昭和27年)大阪キリスト教短期大学学長、1965年(昭和40年)近畿大学講師、1966年(昭和41年)大阪薫英女子短期大学講師などを歴任。 1971年4月1日 社会福祉法人愛の園こひつじ保育園を大阪府堺市にて創立。
渡辺 茂(わたなべ しげる、1918年〈大正7年〉8月12日… 渡辺 茂(わたなべ しげる、1918年〈大正7年〉8月12日 - 1992年〈平成4年〉3月10日)は、日本のシステム工学者。 兵庫県姫路市出身。1941年(昭和16年)、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業する。海軍に入り、技術大尉で終戦を迎える。東京大学工学部に復帰し、1947年(昭和22年)に助教授となる。1950年(昭和25年)、「歯車に関する研究」で東京大学工学博士。1953年(昭和28年)、東京大学工学部教授となる。1979年(昭和54年)、定年退官し名誉教授となり、同年、東京都立工科短期大学学長となる。 コンピューターの工学と社会への適用で新分野をひらいた。1983年(昭和58年)、世界コミュニケーション年で功労者として内閣総理大臣個人表彰を受ける。
石水 幸安(いしみず ゆきやす、1917年8月12日 - 1… 石水 幸安(いしみず ゆきやす、1917年8月12日 - 1985年2月16日)は、日本の実業家。石屋製菓創業者。父の石水亀一の三男。祖父は石水八郎。八郎は1899年(明治32年)愛媛県宇摩郡関川村(現四国中央市)から、屯田兵として先に移住していた兄の石水七之助を頼って移住。 北海道雨竜郡一已村(現深川市一已町)生まれ。東亜商業学校(現東亜学園高等学校)卒業。戦前は南満州鉄道株式会社に勤務した。戦後、妻の郷里の広島を経て、北海道に引き揚げる。1947年澱粉加工業を始め、後に駄菓子・生菓子の製造に従事。 1967年より高級菓子製造に路線を転換し、長男・勲の協力も得て1971年最初のヒット作「シェルター」を世に出す。
島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日… 島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日 - 2000年(平成12年)3月21日)は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授。1940年代から中国近世・近代思想史の研究を続け、その後の日本の研究を牽引した。 1917年、広島県三次市で生まれた。広島高等師範学校附属中学校(現:広島大学附属中学校・高等学校)、広島県立三次中学校(現:広島県立三次高等学校)、中華民国青島日本中学校を経て、1938年に第三高等学校文科丙類を卒業した。京都帝国大学文学部史学科で学び、1941年に卒業。 卒業後は長野県立野沢高等女学校(現:長野県野沢南高等学校)に勤務。1943年、東方文化研究所(現:京都大学人文科学研究所)助手に採用された。
川田 泰代(かわた やすよ、1916年8月12日 - 200… 川田 泰代(かわた やすよ、1916年8月12日 - 2001年5月5日)は、日本のジャーナリスト、平和運動家。『婦人画報』の編集者、編集長として活動した後、フリーランスの著述業に転じ、アムネスティ・インターナショナルの活動に参画し、もっぱら東アジアの政治犯、いわゆる「良心の囚人」の救援活動に携わった。 大阪府大阪市に生まれる。 1937年に東京女子大学を卒業して『婦人画報』の編集者となるが、1939年に退社して、結婚し、3児の母となる。 戦後、離婚して、1950年に『婦人画報』に復帰し、後に編集長となる。 1960年にはオーストリアで開催された第2回世界ジャーナリスト会議に参加した。またこの前後には、さらに中国、ソビエト連邦、東ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアといった当時の東側諸国から招待を受けて歴訪する。
柴立 芳文(しばたて / しばたての[要検証 – ノート] … 柴立 芳文(しばたて / しばたての[要検証 – ノート] よしふみ、1915年(大正4年)8月12日 - 1975年(昭和50年)8月5日)は、昭和期の日本の農林業指導者、政治家。参議院議員(1期)、鹿児島県議会議長。 息子も県議会議長を務めた柴立鉄彦(7期)。孫も 現 県議会議員 柴立鉄平(1期)。 鹿児島県肝属郡大根占村神川(現錦江町)に生まれ、同郡田代村(現:錦江町)の柴立家の養子となる。鹿屋中学校(現鹿児島県立鹿屋高等学校)を経て、鹿児島高等農林学校林学科を卒業した。王子製紙に入社して終戦を迎えた。 故郷に引揚げ、1947年(昭和22年)田代村議会議員に選出され同議長も務めた。1951年(昭和26年)鹿児島県議会議員に選出され5期在任し、同副議長(2期)、同議長(2期)も務めた。
久山 康(くやま やすし、1915年(大正4年)8月12日 … 久山 康(くやま やすし、1915年(大正4年)8月12日 - 1994年(平成6年)12月30日)は、日本の哲学者、プロテスタントの宗教学者。 岡山県津山市生まれ。1941年京都帝国大学文学部哲学科卒、1942年聖和女子大学教授、1946年関西学院大学予科教授、1949年関西学院大学文学部専任講師、1951年助教授、1957年教授、1962年同国際日本研究所理事長、1969年関西学院理事、1974年理事長・院長。1989年退任、関西学院大学名誉教授。1982 - 1988年キリスト教学校教育同盟理事長。1990年勲二等旭日重光章受勲。 長男・久山敦 (1947 - ) は植物学者・咲くやこの花館館長。
香月 義人(かつき よしと、1915年〈大正4年〉8月12日… 香月 義人(かつき よしと、1915年〈大正4年〉8月12日 - 1991年〈平成3年〉8月1日)は、日本の経営者。佐賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 佐賀県出身。1941年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年4月に日本興業銀行に入行。1965年11月に取締役、1969年11月に常務を経て、1973年5月には佐賀銀行頭取に就任。1980年5月に会長に就任。 1980年11月に藍綬褒章を受章し、1985年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1991年8月1日 急性心不全のために死去。75歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
伊村 光(いむら ひかり、1914年8月12日 - 1996… 伊村 光(いむら ひかり、1914年8月12日 - 1996年10月15日)は、日本の銀行家。山口銀行頭取を務めた。 山口県出身。1935年に山口高等商業学校を卒業し、同年に百十銀行に入行。1944年3月に山口銀行に転じ、1960年4月に取締役、1967年4月に常務、1970年4月に専務を経て、1974年5月には頭取に就任。1992年6月から会長を務めた。 1983年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1996年10月15日呼吸不全のために死去。82歳没。
竹中 信常(たけなか しんじょう、1913年(大正2年)8月… 竹中 信常(たけなか しんじょう、1913年(大正2年)8月12日 - 1992年(平成4年)6月11日)は、宗教学者。大正大学教授。専門は宗教心理学、宗教儀礼の研究。 東京生まれ。1936年 大正大学宗教学科を卒業後、1960年『比較宗教学より見たる儀礼の理論と様態』により文学博士(大正大学)。東京大学、淑徳大学、佛教大学講師を経て大正大学教授となる。大正大学宗教学研究室主任、日本宗教学会常務理事、浄土宗総合研究所長等を歴任。
花村 奨(はなむら すすむ、1911年8月12日 - 199… 花村 奨(はなむら すすむ、1911年8月12日 - 1992年10月31日)は、日本の詩人、作家。別名・土岐愛作。 岐阜県大垣市生まれ。東洋大学東洋文学科卒。岐阜県土岐市で小学校教師を務め、詩集を刊行する。1939年「首途」でサンデー毎日大衆文芸選外佳作、直木賞候補。「美しき首途」として映画化される。ほか『雑草夫人』も1940年映画化。宝文館に入社し、『令女界』『若草』を編集。長谷川伸、土師清二に師事し、新鷹会会員。戦後は花村の名で子供読物、歴史小説を書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山田 勇(やまだ いさむ、1909年8月12日 - 1986… 山田 勇(やまだ いさむ、1909年8月12日 - 1986年4月26日)は、日本の経済学者・統計学者。学位は、経済学博士(一橋大学・1961年)。1973年一橋大学名誉教授。1975年日本統計学会会長。国民経済計算、産業連関分析など計量経済学分野の研究で知られる。著書に『経済通論』・『産業連関の理論と計測』など、論文多数。訳書にW.J.ボーモル『経済動学序説』(共訳)・J.E.ミード『経済成長の理論』(監訳)など。 名古屋大学の北川一雄教授とともに名古屋高等商業学校が産んだ逸材の双璧とされた。指導学生に山澤逸平(一橋大学名誉教授)、島久代(千葉大学名誉教授)など。
玉山 勇(たまやま いさむ、1908年8月12日 - 198… 玉山 勇(たまやま いさむ、1908年8月12日 - 1989年4月28日)は、福島大学学長、元・経済史・経営史専攻の教授。岩手県紫波郡紫波町出身。 明治学院から神戸商業大学に進み1936年に卒業し関西学院高等部の教師となる。1940年東北学院大学教授、1950年福島大学経済学部教授、1958年福島大学経済学部部長を経て、1973年10月15日学長に就任。翌1974年12月4日退任。 日本生産性東北地方本部理事、東北経済開発センター(現在の東北活性化研究センター)理事、福島県中小企業診断協会会長なども歴任した。 1989年4月28日午後5時に内臓疾患の為、福島県立医科大学附属病院で死去。享年80歳。
山内 壮夫(やまうち たけお、1907年(明治40年)8月1… 山内 壮夫(やまうち たけお、1907年(明治40年)8月12日 - 1975年(昭和50年)4月11日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。郷里である北海道をはじめ、日本各地に多くの野外彫刻が設置されている。
小田切 新太郎(おだぎり しんたろう、1907年8月12日 … 小田切 新太郎(おだぎり しんたろう、1907年8月12日 - 1997年4月17日)は、日本の経営者。信越化学工業社長、会長を務めた。長野県上高井郡須坂町(現・須坂市)出身。 旧制長野中学(現・長野県長野高等学校)を経て、1932年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に信越化学工業に入社。 1948年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1971年7月に副社長に就任し、1974年7月に業界不況の状況で社長に就任する。 経理・財務担当常務時代は、数字を綺麗に書くこと、判子は伝票に書かれている内容をよく見て、グッと力を入れてまっすぐ縦に押すこと、ソロバンで加減乗除の計算ができるようにすることを経理担当に厳命、管理部門の強い権限を変革して販売、製造、研究各部門に権限を振り分けた。
淡谷 のり子(あわや のりこ、1907年8月12日 - 19… 淡谷 のり子(あわや のりこ、1907年8月12日 - 1999年9月22日)は、青森県青森市出身の女性歌手。
村上 実(旧字体表記:村上 實、むらかみ みのる、1906年… 村上 実(旧字体表記:村上 實、むらかみ みのる、1906年8月12日 - 1999年5月4日)は、兵庫県出身のプロ野球監督、実業家。 小学校時代の友人に、関西大学野球部監督、大阪タイガース二軍監督などを歴任する森田忠勇がいる。旧制天王寺中学で三塁手を務める。 慶應義塾大学野球部マネージャを経て、1932年にに阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス・阪急電鉄)に入社する。1936年にはプロ野球球団阪急軍の創設に尽力する。球団代表に就任して25年間球団経営に携わった。 1937年には、秋季シーズンの監督を務める。初代阪急軍の監督である三宅大輔がこのシーズンも指揮を執るはずであったが、三宅の一切の妥協を許さぬ厳格な姿勢が選手達からの猛反発を受けてしまい、三宅は解任に追い込まれたために4試合目からの途中就任であった。
田井 真孫(たい しんそん、1903年8月12日 - 197… 田井 真孫(たい しんそん、1903年8月12日 - 1973年2月19日)は、日本のジャーナリスト、コラムニスト。 東京生まれ。法政大学経済学部卒。報知新聞などの記者を七年務める。1941年法政大学教授になるが、大日本言論報国会などで活動し、戦後公職追放となる。野村胡堂に師事し捕物作家クラブ幹事長を7年、「日本教育新聞」編集局長を一年務めた。「日本海事新聞」にコラム「うきぶくろ」を連載。大衆文学研究会会員。劇作家、脚本家の田井洋子は妹。時代考証家の田井友季子は妻。
柴野 安三郎 (しばの やすさぶろう、1903年 <明治36… 柴野 安三郎 (しばの やすさぶろう、1903年 <明治36年> 8月12日 - 1995年 <平成7年> 1月5日)は、北海道の実業家。北海道交通株式会社代表取締役社長。位階は正五位。 1903年、新潟県刈羽郡荒浜村(現・柏崎市)の漁民安二郎の三男として生まれる。荒浜尋常高等小学校を卒業後、1917年に柏崎の西川鉄工所に就職する。1923年、舞鶴海兵団に徴兵となる。その後、横須賀の海軍機関学校に学び、戦艦「長門」の乗組員となる。1926年、北海道の小樽の佐藤鉄工所に旋盤工として就職する。そこでは工場長に抜擢されるが労働争議に参加し、拘留される経験も持つ。1929年、阿部自動車の運転手となる。 1931年、小樽でタクシー会社の「稲穂タクシー」を自ら創業する。
孫 永寿(ソン・ヨンス、朝鮮語: 손영수/孫永壽、1902年… 孫 永寿(ソン・ヨンス、朝鮮語: 손영수/孫永壽、1902年8月12日または1905年 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家、実業家。初代河東郡郡守、第4代馬山市長、第4・5代釜山市長、第4代韓国国会議員を歴任した。 慶尚南道釜山出身、本籍地は密陽。東莱高等普通学校、京城法学専門学校、九州帝国大学(現・九州大学)法学部卒。1945年10月24日から1946年2月1日までは初代河東郡守、1947年11月5日から1949年6月20日までは第4代馬山市長、1952年5月8日から1954年7月9日までは第4・5代釜山市長を歴任した。特に4代目市長の在任中の1953年11月27日に発生した釜山大火災により同年12月11日に辞任したものの、その後はまた市長に選ばれ、12月17日より5代目市長となった。
岡田 宗司(おかだ そうじ、1902年〈明治35年〉8月12… 岡田 宗司(おかだ そうじ、1902年〈明治35年〉8月12日 - 1975年〈昭和50年〉7月8日)は日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。東京市神田区出身。 旧制開成中学、旧制松本高校文科乙類、東京帝国大学経済学部卒業。東京帝大在学中は「東大新人会」の主要メンバーとして活躍。戦前、労農の同人として参加し人民戦線事件で検挙。釈放後に南洋経済研究所に入り経済関係の著述を『科学主義工業』などに寄稿していた。 戦後、日本社会党結成に参加、1947年の第1回参院選に全国区から出馬し初当選する。1948年に政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。一貫して左派に属し、社会党再統一後に党参議院議員会長・党国際局長を歴任。
和爾 俊二郎(わに しゅんじろう、1902年(明治35年)8… 和爾 俊二郎(わに しゅんじろう、1902年(明治35年)8月12日 - 1968年(昭和43年)7月12日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員、大阪市助役。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 愛媛県周桑郡小松町(現西条市小松町)で生まれる。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部を卒業した。 大阪市役所に入り、大阪市書記、同理事、教育部長、民生局長などを歴任。この間に入隊して陸軍工兵曹長となった。1951年(昭和26年)大阪市助役に就任し3期在任した。第2室戸台風被害の救助活動に尽力し、大阪市会から感謝決議を受けた。 1963年(昭和38年)4月の大阪市長選挙に自由民主党推薦で出馬したが落選。
山岸 巳代蔵(やまぎし みよぞう、1901年〈明治34年〉8… 山岸 巳代蔵(やまぎし みよぞう、1901年〈明治34年〉8月12日 - 1961年〈昭和36年〉5月4日)は、昭和時代の農業家。幸福会ヤマギシ会の創始者。 滋賀県蒲生郡老蘇村大字東老蘇(現・近江八幡市)にて生まれ、1922年より養鶏を中心に農業を始める。1950年にジェーン台風が日本を襲った際、山岸の田地が無事だったことが注目され、以後講演活動を始める。 1952年、山岸会を創立する。これが、「幸福会ヤマギシ会」の始まりである。1954年、『山岸式養鶏法・農業養鶏編(前編)』を、名古屋の中禽社より出版する。1958年3月には、三重県阿山郡伊賀町(現・伊賀市)にて「ヤマギシズム生活実践場春日山実験地」が実現するが、1959年7月に山岸会は不法監禁容疑で警察の強制捜査を受け、山岸会幹部9名が逮捕され、代表の山岸にも逮捕状が出された。
柴田 等(しばた ひとし、1899年8月12日 - 1974… 柴田 等(しばた ひとし、1899年8月12日 - 1974年2月17日)は、昭和期の農林官僚。戦後、千葉県知事となる。宮崎県出身。 1928年(昭和3年)、京都帝国大学農学部から農林省に入る。戦時中は大東亜省に出向してハノイ・サイゴンの両総領事を務める。戦後は物価庁に移った。 日本国憲法が施行された1947年(昭和22年)、旧知であった千葉県の元県議会議長・川口為之助が初代民選県知事となると、農業再建を掲げる川口の依頼で千葉県副知事となった。ところが、3年後の1950年(昭和25年)に川口が突如知事を辞任すると、国民民主党・日本社会党両党の支援を受けて県知事に初当選して以後3期務めた。だが、県議会の大半を抑えた自由党を野党にした事から県政運営に苦慮してきたが、当時は保守・革新両陣営ともに離合集散の時代が続き、県議会でもこれに中立な立場を取る立場を取る無所属会派「千葉クラブ」の台頭もあり、不安定ながらも知事の地位を維持してきた。
三好 康之(みよし やすゆき、1898年(明治31年)8月1… 三好 康之(みよし やすゆき、1898年(明治31年)8月12日 - 1989年(平成元年)11月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 広島県出身。広島地裁判事・三好康親の息子として生まれる。広島高等師範学校附属中学校(現広島大学附属中学校・高等学校)卒業を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第42連隊付となる。1922年(大正11年)12月、歩兵中尉に昇進。1923年(大正12年)2月から10月まで、陸軍航空学校で操縦学生として学んだ。1923年11月、飛行第3大隊付となる。1925年(大正14年)5月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官し飛行第3連隊付となる。