舞原 俊憲(まいはら としのり、1942年6月15日 - )… 舞原 俊憲(まいはら としのり、1942年6月15日 - )は、日本の天文学者・宇宙物理学者。京都大学名誉教授。専門は赤外線天文学。 岡山県出身。1965年京都大学理学部物理学科を卒業、1970年京都大学大学院理学研究科博士課程を修了。大学院時代は奥田治之に師事した。京大理学部物理学科宇宙線研究室助教授を経て、1999年京大大学院理学研究科宇宙物理学教室教授に就任。趣味は囲碁。 舞原の天文学者としての業績を記念してエレノア・ヘリンによって発見された小惑星に舞原の名が付けられた。舞原の名が付いた小惑星については(5877) Toshimaiharaを参照。 舞原の専門分野は天体物理学、とりわけ赤外線天文学だが、その中でも特に以下の分野の研究に力を注いでいる。
種市 一正(たねいち かずまさ、1941年(昭和16年)6月… 種市 一正(たねいち かずまさ、1941年(昭和16年)6月15日 - )は、日本の政治家。元青森県三沢市長(3期)。 青森県三沢市出身。1960年(昭和35年)3月、青森県立三本木農業高等学校卒業。卒業と同時に当時防衛庁長官の職にあった赤城宗徳(旧茨城3区)の書生となる。茨城県の養豚・椎茸栽培を学ぶ。1979年(昭和54年)2月、青森農業協同組合青年部協議会の委員長に就任。 2002年(平成16年)7月25日、全国農業協同組合連合会(JA全農)経営管理委員会の副会長に就任。2004年(平成18年)7月29日、同経営管理委員会の会長に就任。 2005年(平成19年)7月29日、全農秋田県本部などのコメ不正取引問題にかかる責任をとって、JA全農会長を辞任。
水谷 正史(みずたに まさし、1941年6月15日 - 20… 水谷 正史(みずたに まさし、1941年6月15日 - 2008年4月10日)は、日本の実業家。株式会社メタルワン初代代表取締役社長。 1965年、上智大学外国語学部卒業。同年、日商岩井(現・双日)株式会社に入社。1993年に同社鉄鋼貿易部長、1994年に同社取締役、1998年に同社常務取締役に就任。2003年に三菱商事株式会社と日商岩井株式会社の鉄鋼製品事業部門の統合により設立された株式会社メタルワンの初代代表取締役社長に就任。COOを兼任。2008年4月10日、膵臓癌のため死去。66歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
黒田 能弘(くろだ よしひろ、1940年6月15日 - )は… 黒田 能弘(くろだ よしひろ、1940年6月15日 - )は、日本の元プロ野球選手。北海道北見市生まれ。 北見北斗高卒業後の1959年に読売ジャイアンツ入団。2年目の1960年に初登板を果たすが、公式戦出場はその1試合に留まり、1961年オフに自由契約となる。1962年は同じく巨人を自由契約となった義原武敏とともに近鉄でに移籍するが、出場機会はなく、同年引退。 引退後はプロゴルファーに転向。1986年の北海道オープンに出場している。後に定山渓カントリークラブ(現:札幌南ゴルフクラブ駒丘コース)に勤務した。
伊賀 健一(いが けんいち、1940年6月15日 - )は、… 伊賀 健一(いが けんいち、1940年6月15日 - )は、日本の工学者。工学博士。広島県呉市出身。東京科学大学栄誉教授・旧名東京工業大学18代学長。文化功労者 1940年、広島県呉市出身。広島大学附属高等学校を経て、東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。大学4年次に末松安晴研究室で光・量子エレクトロニクスの研究に入門。東京工業大学教授、電子情報通信学会会長、日本学術振興会理事を歴任。 2007年より2012年まで東京工業大学学長。高速データ通信の信号源等に応用されている面発光レーザー(VCSEL)生みの親。高速光ファイバー通信網などインターネットやデータセンターの光配線への基礎技術、コンピューターマウス、レーザープリンターのレーザー光源などに展開される光エレクトロニクスの基礎を築いた。
小堀 紀久生(こぼり きくお、1940年6月15日 - 20… 小堀 紀久生(こぼり きくお、1940年6月15日 - 2003年11月17日)は、日本の行政官。元人事院事務総長。石川県金沢市出身。 金沢大学法文学部卒業。人事院事務総局給与第三課長、人事院給与局長等を経て、1997年1月16日より人事院事務総長(~1998年12月26日まで)。退官後は社団法人日本人事管理協会理事長を務めたが、2003年11月17日、腎臓癌のため東京都内の病院にて死去。享年63。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加納 喜光(かのう よしみつ、1940年6月15日 - 20… 加納 喜光(かのう よしみつ、1940年6月15日 - 2025年10月24日)は、日本の言語学者。茨城大学名誉教授。 1940年に鹿児島県に生まれる。東京大学文学部中国哲学科を卒業。同大学院をへて、茨城大学助教授、教授を務めた。中国文化論の担任であった。2006年に定年退官、名誉教授となった。 藤堂明保の学説を引き継ぎ、中国思想、中国文学、中国博物学などについて研究を行っている。字源分類方式を生み出し、多くの著書を著し、講演活動なども行っている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 202… 野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 2022年9月18日)は、日本の作曲家。東京藝術大学名誉教授。 三重県津市に生まれる。高校時代、放送委員としてさまざまなクラシック音楽のレコードに触れたことがきっかけとなって作曲家になることを決意し、独学でピアノ練習や交響曲などの作曲を試みる傍ら、1959年、池内友次郎の許を訪ねて本格的に作曲理論の勉強を開始する。1964年、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、1967年、東京藝術大学大学院修了。池内友次郎、矢代秋雄、島岡譲に師事。在学中の1963年、日本音楽コンクール第1位。 類いまれな和声感や構造性、真髄を捉えた旋律は国内外からも非常に高く評価され頻繁に演奏されている。
鈴木 重令(すずき しげよし、1940年(昭和15年)6月1… 鈴木 重令(すずき しげよし、1940年(昭和15年)6月15日 - 2007年(平成19年)5月1日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。青森県三沢市長。 青森県上北郡三沢村(現在の三沢市)に生まれる。日本大学法学部を経て、同大大学院法学研究科公法学を修了する。柴田女子高等学校教諭、東北女子大学専任講師、同大学助教授兼学務課長を経て、1976年(昭和51年)三沢市議会議員に当選。1979年(昭和54年)より青森県議会議員を務め、1987年(昭和62年)三沢市長に就任した。 任期中の2007年(平成19年)5月1日、肺炎と消化管出血のため三沢市内の病院で死去、66歳。死没日をもって旭日中綬章追贈、従四位に叙される。
清元 登子(きよもと たかこ 、1939年6月15日 - 2… 清元 登子(きよもと たかこ 、1939年6月15日 - 2017年9月16日)は、熊本県熊本市出身の日本の女子プロゴルファー、ゴルフ指導者、元日本女子プロゴルフ協会会長である。 24歳で初めてゴルフクラブを握り、始めておよそ2年後の1965年の「日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」において初出場で3位となる。 1968年に行われた第1回「TBS女子オープン」(後の日本女子オープンゴルフ選手権競技)ではベストアマチュアになった。1969年、1972年、1973年に「日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」で優勝。 1973年の「トヨトミレディス」において、アマチュアとして史上初めてのツアー優勝を果たす。
伊東 四朗(いとう しろう、本名: 伊藤 輝男、1937年〈… 伊東 四朗(いとう しろう、本名: 伊藤 輝男、1937年〈昭和12年〉6月15日 - )は、日本のコメディアン、俳優、タレント、テレビ司会者。日本喜劇人協会相談役。オルテ企画所属。東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)出身。血液型はO型。5人きょうだい(兄2人、姉1人、妹1人)の三男。 兄は教育評論家の伊藤竹三。息子は俳優・タレントの伊東孝明。 1937年6月15日、東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東)にて、服地商の子として生まれる。父親は静岡県榛原郡相良町(現在の牧之原市)、母親は同県掛川市の出身。男、女、男、男、女の5人きょうだいの上から4番目の三男が伊東。戦時中は母親の実家のある掛川市に疎開した。
田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 -… 田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 - 没年不明 )は、北海道札幌市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は羽賀 弘道(はが ひろみち)。173cm、85kg。最高位は東十両18枚目。得意技は右四つ、寄り。 北海道札幌北高等学校では陸上競技で活躍して3年生で円盤投げや砲丸投げの記録を作り、その評判を聞いた立浪部屋の世話人中ノ島が訪ねて来て勧誘し、北光山と名乗って土地相撲で活躍した父は入門を承諾した。自身は小学校時代から絵画と漫画描きに熱中しており、それを活かせる商業デザイナーを志望していたが、相撲は嫌いではなかったので高校3年生で中途退学して入門した。1954年9月場所に初土俵。
長坂 信夫(ながさか のぶお、1936年6月15日 -)は日… 長坂 信夫(ながさか のぶお、1936年6月15日 -)は日本の歯科医師、歯学者。朝日大学顧問、元朝日大学学長、広島大学名誉教授、元広島大学歯学部長。元日本小児歯科学会理事長。 1962年、大阪歯科大学卒業。以後、愛知学院大学小児歯科助教授を経て、1977年岐阜歯科大学小児歯科学教授に就任。以後、1979年に広島大学教授、1997年広島大学歯学部長、2000年に朝日大学副学長、2001年に朝日大学学長に就任。
深見 弾(ふかみ だん / ただし、1936年6月15日 -… 深見 弾(ふかみ だん / ただし、1936年6月15日 - 1992年7月28日)は、ロシア・東欧SFの翻訳家、研究家。 ストルガツキー兄弟(ロシア)やスタニスワフ・レム(ポーランド)など、多くの作品を日本語に翻訳した。また、逆に日本の作品をロシア・東欧に紹介することにも取り組んだ(矢野徹によるとレーニン図書館へ資料を送るため毎月1万円以上を使っていたという)。日本ペンクラブ、日本SF作家クラブ、日本推理作家協会、各会員。 主な訳書に『収容所惑星』、『ストーカー』、『そろそろ登れカタツムリ』(以上ストルガツキー)、『泰平ヨンの航星日誌』、『ロボット物語』、『宇宙飛行士ピルクス物語』(以上レム)などがある。
片岡 宏雄(かたおか ひろお、1936年6月15日 - 20… 片岡 宏雄(かたおか ひろお、1936年6月15日 - 2021年12月6日)は、大阪府出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ。 ヤクルトスワローズ元取締役編成部長。 浪華商業高校では捕手として甲子園に3回出場。2年生時の1953年、エース中下悟(法大 - 日本石油)を擁し第25回選抜高等学校野球大会決勝に進むが、加藤昌利のいた洲本高に敗れ準優勝。同年夏の第35回全国高等学校野球選手権大会では準々決勝に進むが、この大会準優勝の土佐高に敗退。翌1954年の第26回選抜高等学校野球大会は藤田徳男(全鐘紡)とバッテリーを組み、1回戦は中京商のエース中山俊丈を攻略して辛勝。しかし2回戦では藤田と飯田長姫高の光沢毅との投げ合いとなり、0-1で完封負けを喫した。
加地 健太郎(かぢ けんたろう、1935年6月15日 - )… 加地 健太郎(かぢ けんたろう、1935年6月15日 - )は、東京府(現・東京都)出身の俳優。劇団俳優座第8期生、劇団民藝、田中事務所を経て、東京俳優生活協同組合に所属。本名:清水 重男。血液型はA型。 松本染升は義父にあたる。東京都立千歳高等学校卒業。早稲田大学第一文学部哲学科を中退、早大時代には雄弁会に所属しており青木幹雄と同期であり親友でもある。 シャンソン歌手の仲代圭吾は高校の同級生で親友。圭吾の兄である仲代達矢から『七人の侍』の撮影現場の話を聞き、興味を持ったことが俳優になったきっかけのひとつとされる。 劇団民藝と劇団俳優座の入所試験を受け、ともに合格していたが、仲代達矢がいることもあり俳優座の養成所に入所。
横手 文雄(よこて ふみを、1935年6月15日 - 202… 横手 文雄(よこて ふみを、1935年6月15日 - 2021年4月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 鹿児島県国分市(現在の霧島市)で出生。近江高等学校卒業。1962年全国繊維産業労働組合同盟(ゼンセン同盟)愛知支部入り、1970年静岡支部次長、1971年福井支部長を経て1976年、第34回衆議院議員総選挙で福井県全県区から民社党公認で初出馬も落選、1979年、第35回衆議院議員総選挙で初当選し連続3期つとめた。 1986年春、撚糸工連事件で民社党を離党。在宅起訴された。同年の第38回衆議院議員総選挙には無所属で出馬したが落選した(なお、横手の離党記者会見に同席した大内啓伍も現職の書記長ながら、横手の事件の影響を受ける形で落選した)。
松嶋 市平(まつしま いっぺい、1935年6月15日 -没年… 松嶋 市平(まつしま いっぺい、1935年6月15日 -没年不明 )は、東京都西多摩郡奥多摩町出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は松島 市平(まつしま いっぺい)。173cm、112kg。最高位は西十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 1953年5月場所に初土俵。初土俵から1度も負け越すことなく1957年5月場所に立武蔵の四股名で十両昇進するも4勝11敗と大きく負け越し、翌9月場所に幕下陥落。幕下陥落後もしばらく低迷していたが、1959年9月場所に幕下優勝を果たすと、1959年11月場所に松嶋の四股名で十両に復帰した。復帰した場所では11勝4敗の好成績を挙げた。その後は十両中位で相撲を取ることがほとんどであり、1961年7月場所に再度幕下へ陥落。
平松 慎吾(ひらまつ しんご、1934年6月15日 - 20… 平松 慎吾(ひらまつ しんご、1934年6月15日 - 2022年1月23日)は、日本の男性俳優。本名は石井 政治 福岡県出身。福岡県立嘉穂高等学校卒業。 劇団同人会、劇団葦、劇団東芸を経て、劇団NLTに所属。 2022年1月23日、誤嚥性肺炎で死去。87歳没。 妻は声優の信澤三惠子。
三井 康平(みつい こうへい、1934年6月15日 - )は… 三井 康平(みつい こうへい、1934年6月15日 - )は、日本の経営者。クボタ社長を務めた。兵庫県出身。 1957年に大阪大学経済学部経済学科を卒業し、同年に久保田鉄工に入社。 1982年7月に資材部長に就任し、教育部長、人事部長、取締役、常務、専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。1999年に水道用ダクタイル鋳鉄管の不当カルテル事件により、社長を辞任。
野見山 昭彦(のみやま あきひこ、1934年6月15日 - … 野見山 昭彦(のみやま あきひこ、1934年6月15日 - )は、日本の実業家。ジャパンエナジー代表取締役会長兼社長や、新日鉱ホールディングス代表取締役社長、同社代表取締役会長などを歴任した。 福岡県出身。1957年東京大学法学部卒業、日本鉱業入社。石油事業本部管理室長を経て、1984年取締役石油事業本部副本部長に昇格。1989年常務取締役。1992年日鉱共石常務取締役企画本部長。1993年ジャパンエナジー常務取締役企画本部長。1994年同社専務取締役東京支店長。1996年同社代表取締役社長。 2000年からジャパンエナジー代表取締役会長兼社長及び鹿島石油代表取締役社長を務め、日鉱金属、日鉱マテリアルズとの経営統合にあたった。
糸井哲夫(いとい てつお、1933年(昭和8年)6月15日 … 糸井哲夫(いとい てつお、1933年(昭和8年)6月15日 - )とは、栃木県芳賀郡益子町と栃木市の「益子焼」の陶芸家であり版画家である。 初期には彫刻を制作し、時には詩作も嗜んだ。 郷土である栃木市の自然や町並みを題材に版画を制作し、また「益子百態」や「益子百窯」、そして「益子真景図」などの、「民藝の町・益子」の風景や益子焼に従事する人々を題材とした版画作品で知られる。 そして2024年(令和6年)現在、「益子陶器市」の公式ポスターや公式サイトの意匠として糸井の版画作品が用いられている。 1933年(昭和8年)6月15日、栃木県栃木市日ノ出町に生まれる。 栃木県立栃木高等学校を卒業後、1950年(昭和25年)に、栃木市出身の版画家であり彫刻家であった、戦前は「日本プロレタリア美術家同盟」で活動し、後に益子焼の陶芸家となる村田元と交流があった、当時益子に在住していた鈴木賢二に師事し、益子町に移住、というよりは布団だけを持ち込んで益子の鈴木の家に居候をし、鈴木の下で彫刻や版画、そして陶芸を学び、創作活動を始める。
田中 雍和(たなか やすかず、1933年6月15日 - )は… 田中 雍和(たなか やすかず、1933年6月15日 - )は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 広島一中(のち学制改革により鯉城高校、現国泰寺高校)の2年先輩に福原黎三、3年先輩に重松良典がいる。 中大クラブ(中央大学サッカー部の現役、OBで構成されたチーム)の一員として長沼健、内野正雄、丸山義行らと共に1956年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)準優勝に貢献した。 日本代表としては1955年1月の東南アジア遠征で代表に初招集され、同月11日のビルマ体協選抜戦で国際Aマッチデビューを飾った。その年、国際Aマッチ4試合に出場した。
高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、… 高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、日本の作曲家・音楽家。兵庫県出身、東京都在住。アニメ・TVドラマなどの主題歌を手がけている。
伴 有雄(ばん ありお、1933年6月15日 - 1985年… 伴 有雄(ばん ありお、1933年6月15日 - 1985年7月20日 )は、日本の指揮者。 福岡県筑後市出身。慶應義塾高等学校から慶應義塾大学文学部に進学。大学では音楽学を専攻し、合唱団の指揮も手掛ける。その後、デトモルトの北西ドイツ音楽院を経てウィーン国立音楽大学指揮科でハンス・スワロフスキーに師事して卒業。帰国後、日本フィルハーモニー交響楽団などを指揮、在京オーケストラへの客演を中心にドイツ・オーストリア音楽の分野を中心に活動。 1980年に、ニューフィルハーモニーオーケストラ(現:千葉交響楽団)を立ち上げた。 その後は各地のオーケストラの指揮をし、晩年に習志野フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者として活動中、演奏会当日に脳内出血で死去。
松本 善登(まつもと よしと、1933年6月15日 - 19… 松本 善登(まつもと よしと、1933年6月15日 - 1981年12月14日)は、島根県安濃郡大田町(現・大田市)出身の元騎手。シンザンの引退レースとなった第10回有馬記念を制し、1970年代最後の東京優駿ではカツラノハイセイコで勝利。ファンや関係者からは「善さん」と呼ばれ、親しまれていた。 息子の松本一孝は現在、栗東・庄野靖志厩舎の調教助手。 少年時代には体が弱かったために「牛乳を飲んで大きくなれれば」という思いで、近くにあった新堀牧場に牧夫として入った。しかし同牧場は馬の牧場であり、思惑通りには行かなかったが、牧場で働くうちに馬の乗り方を覚え、また体が小さかったこともあって騎手になることを勧められる。
宮崎 惇(みやざき つとむ、1933年6月15日 - 198… 宮崎 惇(みやざき つとむ、1933年6月15日 - 1981年11月16日)は、日本の小説家、SF作家、漫画原作者。ジュブナイルSFなどに作品を残した。日本文藝家協会、日本推理作家協会会員。 長野県小諸市出身。1957年、日本最初のSF同人誌『宇宙塵』に参加。後に編集委員も務める。60年代以降は商業誌にも進出し、SFや時代劇などのジャンルで作品を発表した他、「聖マッスル」(作画:ふくしま政美)などの漫画原作も手がけた。1981年に顎下腺ガンのため48歳で亡くなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 20… 稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 2000年10月15日)は、広島県三次市出身の高校野球指導者、監督。 三次中学校(現在の三次高校)卒業後、大蔵省中国財務局に入局するが2年で退職し、石本秀一の書生となって2年間野球を学ぶ。1968年春から1970年春にかけて2年間、大東文化大学硬式野球部の2代目監督に就任。これは、初代監督の岡田悦哉が広島東洋カープ二軍バッテリーコーチに就任したためだった。広島工業高校コーチを経て1976年、創部まもない東京の創価高校監督に就任。小野和義を擁して1983年夏の甲子園に同校を初出場に導いた。その後、神奈川の桐光学園監督を経て1989年、創立8年目の埼玉の花咲徳栄高校に招かれ監督就任。
中江 陽三(なかえ ようぞう、1932年6月15日 - )は… 中江 陽三(なかえ ようぞう、1932年6月15日 - )は、元NHKアナウンサー。現在はフリー。
八木 健(やぎ たけし、1932年6月15日 - )は、日本… 八木 健(やぎ たけし、1932年6月15日 - )は、日本の経営者。アキレス社長、会長を務めた。 東京都出身。1956年に慶應義塾大学文学部を卒業し、同年に興国化学工業(のちのアキレス)に入社。 1982年1月に取締役に就任し、1983年1月に常務、1987年1月に専務を経て、1995年11月に副社長に就任し、1997年1月には社長に昇格。2002年6月から2004年6月までに会長を務めた。 1999年11月に藍綬褒章を受章。
林 芳男(はやし よしお、1932年〈昭和7年〉6月15日 … 林 芳男(はやし よしお、1932年〈昭和7年〉6月15日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道滝川市長(3期)。 砂川市出身。北海道大学農学部卒業。北海道日高支庁(現・日高振興局)長、林務部次長、林務部長を歴任した。1991年(平成3年)自民、社会、公明、民社の各党の推薦を受けて滝川市長選挙に立候補し、無投票で当選した。1995年(平成7年)にも当選した。 1999年(平成11年)の市長選は共産党推薦の新人との争いになったが、自民、民主、公明、自由の各党の推薦を受け立候補し、3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 2003年(平成15年)4月26日に引退。
永井 憲一(ながい けんいち、1931年〈昭和6年〉6月15… 永井 憲一(ながい けんいち、1931年〈昭和6年〉6月15日 - 2024年〈令和6年〉10月10日)は、日本の法学者。専門は憲法・教育法。学位は、法学博士(早稲田大学・1978年)(学位論文「教育法学の目的と任務」)。法政大学名誉教授。日本スポーツ学会代表理事、子どもの人権連代表理事。 1931年、群馬県群馬郡車郷村(箕郷町を経て現・高崎市)生まれ。群馬県立高崎中学校を経て、1953年早稲田大学法学部卒業。1956年、同大学院修士課程修了。 1956年玉川大学文学部講師。1961年立正大学経済学部助教授、1966年同教授。1979年法政大学教授。2002年、定年退職、法政大学名誉教授、国士舘大学大学院法学研究科客員教授、愛知学院大学大学院法学研究科教授。
津坂 治男(つさか はるお、1931年6月15日 - 201… 津坂 治男(つさか はるお、1931年6月15日 - 2019年9月22日)は、日本の詩人、伝記作家。 三重県生まれ。伊賀上野の儒者・津坂東陽の子孫。東洋大学国文科卒。1976年、詩集『石の歌』で小熊秀雄賞を受賞。津坂東陽、本居宣長門下の文人などの伝記も書いた。
平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 20… 平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は、日本の日本画家、教育者。位階は従三位。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、東京芸術大学美術学部学部長、東京藝術大学学長(第6・8代)、財団法人文化財保護振興財団理事長、日本育英会会長、財団法人日本美術院理事長、東京国立博物館特任館長などを歴任した。 広島県出身の日本画家、教育者である。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京芸術大学学長などを務めた。文化功労者として顕彰され、のちに文化勲章を受章した。広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民などの称号を授与されている。
菅井 基裕(すがい もとひろ、1929年6月15日 - 20… 菅井 基裕(すがい もとひろ、1929年6月15日 - 2022年6月9日)は、日本の実業家。阪急電鉄(現阪急阪神ホールディングス)代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 兵庫県出身。関西学院高等部を経て、1953年に関西学院大学経済学部卒業。同年に京阪神急行電鉄(現阪急阪神ホールディングス)入社。1983年6月に取締役に昇格。1986年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年6月には副社長に就任した。 1993年から阪急電鉄代表取締役社長を務めた。社長在任時には、1995年の阪神・淡路大震災で被災した神戸線などの路線の復旧の陣頭の指揮を執り、流通事業の参入などを行い、従来の鉄道事業に依存したビジネスモデルの脱却を図った。
村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月1… 村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月15日 - )は、日本の洋画家。石川県金沢市出身。
村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月1… 村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月15日 - 2018年(平成30年)7月14日)は、日本の洋画家。石川県金沢市出身。 2013年(平成25年)に石川県立美術館で開催された『村田省蔵展 -画業60年の歩み-』では「卓抜な描写力と師・小絲に鍛えられた深い色彩を両輪」「美しい自然を賛美して描くものと、近景をクローズアップし、自己の感興や思いを述べるものとがある」「多彩かつ濃厚な色彩と緊密な構図は村田様式」 と評されている。 1929年(昭和4年)6月15日、石川県金沢市にて生糸問屋を営む生家の五男として生まれる。1942年(昭和17年)、石川県立金沢第二中学校へ入学。1944年(昭和19年)海軍飛行予科練習生として滋賀航空隊に入隊する。
石井 永子(いしい ひさこ、1929年(昭和4年)6月15日… 石井 永子(いしい ひさこ、1929年(昭和4年)6月15日 - 2009年(平成21年)4月23日)は、日本のピアニスト。鳴門教育大学名誉教授。元徳島県教育委員会委員長。徳島西ロータリークラブ会長。 東京芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業。徳島県徳島市出身。妹は徳島文理大学教授である上田和子。 1953年(昭和28年)に東京芸術大学音楽学部ピアノ専攻を卒業。徳島県で初めて東京芸術大学を卒業した人物である。卒業後は徳島大学教育学部教授、鳴門教育大学教授を歴任。1995年(平成7年)に鳴門教育大学教授を定年退職し名誉教授となる。 1997年(平成9年)8月に徳島県教育委員会委員に就任。その後、2000年(平成12年)9月から2001年(平成13年)8月まで徳島県教育委員会委員長。
金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 -… 金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 - 2009年3月31日)は、日本の俳優。本名は同じ。1970年頃までは異体字で表記された金田竜之介名義の作品もある。血液型はA型。三男は俳優の金田拓三。過去の出演作品については、金田 龍之介権利継承者である満里子夫人から、オフィス天童に委任されている。
原田 孝一(はらだ こういち、1928年6月15日 - )は… 原田 孝一(はらだ こういち、1928年6月15日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
小室 金之助(こむろ きんのすけ、1928年6月15日 - … 小室 金之助(こむろ きんのすけ、1928年6月15日 - 2015年8月23日)は、法学者、弁護士、創価大学名誉教授。
恩田 貢(おんだ みつぐ、1927年6月15日 - 2003… 恩田 貢(おんだ みつぐ、1927年6月15日 - 2003年1月31日)は、日本のジャーナリスト。ジャーナリストの恩田将葉は長男。
滝沢 健児(たきざわ けんじ、1927年〈昭和2年〉6月15… 滝沢 健児(たきざわ けんじ、1927年〈昭和2年〉6月15日 - 2013年〈平成25年〉5月2日)は、日本の建築家。 1927年、長野県更埴市(現千曲市)出身。早稲田大学大学院修了後、吉阪隆正主宰のU研究室の創設メンバーとして1954年から1964年まで在籍。この時期に関わった代表作に「浦邸」(『吉阪隆正の方法 浦邸1956』斉藤祐子編著、住まい学大系064:住まいの図書館出版局、1994に詳しい)がある。ほかに、「ヴィラ・クゥクゥ」、「富山市立呉羽中学校旧校舎」、「大学セミナー・ハウス」などを担当した。 1965年に自身の建築設計事務所を開設、更埴市庁舎などを設計している。国士舘大学教授も務めた。
萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006… 萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、日本のアイヌ文化研究者、政治家。アイヌ文化、アイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。アイヌ初の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。 息子の萱野志朗は、萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、世界先住民族ネットワーク・AINU代表、FMピパウシ運営者、世界先住民族サミット2008の実行委員会最高責任者。 1926年、 北海道沙流郡平取町二風谷に生まれた。当時、アイヌ語を自在に操れる話者は少なくなっていたが、アイヌ語を母語とする祖母テカッテに育てられたため、2つの言語を母語として身につけた。青年期はアイヌであることから逃避するために出稼ぎに出て、炭焼きや測量士などで生計を立てる。
相賀 徹夫(おうが / おおが てつお、1925年〈大正14… 相賀 徹夫(おうが / おおが てつお、1925年〈大正14年〉6月15日 - 2008年〈平成20年〉12月21日)は、日本の実業家。小学館第2代社長、株式会社集英社初代会長、日本書籍出版協会理事長、日本雑誌協会理事長。昭和から平成までの54年間にわたって社長(1938年 - 1992年)を務めた小学館中興の祖。 小学館の初代社長相賀武夫とその妻ナヲの長男として東京に生まれる。1938年、父の死去に伴い13歳で社長職を継いだ。 成蹊小学校、旧制成蹊高等学校(文科甲類)卒業後、東京帝国大学文学部宗教学科で和辻哲郎に師事。在学中、1945年に小学館を株式会社へ改組。1947年に大学を中退して家業に専念する。
西村 清則(にしむら きよのり、1924年〈大正13年〉6月… 西村 清則(にしむら きよのり、1924年〈大正13年〉6月15日 - 2003年〈平成15年〉2月5日)は、日本の政治家、実業家、教育者。鳥取県議会議員(日本社会党)。米子友好貿易代表取締役。日本中国友好協会鳥取県西部支部長。 鳥取県西伯郡夜見村上谷(現・米子市夜見町)に生まれる。武則の長男。米子中学校(現・米子東高校)を卒業、鳥取師範学校に入学。1945年、広島に野砲兵として入隊、6月に甲種幹部候補生として高知に行き、原爆の被災を免れる。 終戦後帰郷し、富益国民学校に勤務する。教員組合運動が盛んとなり、竹中栄、安田貞栄(のちの境港市長)らと共に運動に参加する。1947年に弓ヶ浜中学校に、1949年に美保中学校に、1954年に米子一中に転勤する。
川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 20… 川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 2019年1月16日)は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1942年、福岡県中学修猷館を経て、1948年、京都大学法学部を卒業し日本発送電に入社。 1951年、電気事業再編により九州電力に引き継がれ、1975年5月経理部長、1979年6月取締役東京支社長、1983年6月取締役常務を経て、1987年6月代表取締役副社長に就任。1991年から1995年にかけて九電産業・九電運輸の各社長、1993年から1996年にかけて福岡タワー社長を務める。 1998年福岡証券取引所理事長に就任。2004年5月に退任する。
笹山 幸俊(ささやま かずとし、1924年〈大正13年〉6月… 笹山 幸俊(ささやま かずとし、1924年〈大正13年〉6月15日 - 2011年〈平成23年〉12月10日) は、日本の政治家、土木技術者。位階は正四位。勲等は勲一等。 神戸市都市計画局長、神戸市助役、神戸市長などを歴任した。 神戸市役所にて都市計画局次長や都市計画局計画部長、都市計画局長を歴任し、1981年12月に神戸市助役に就任した。1989年、市役所内の派閥を大きく二分した熾烈な神戸市長選挙では、同じく神戸市助役だった宮岡寿雄を破り初当選を果たし、以後、3期12年間に渡って神戸市長を務めた。 市長在任中に発生した兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災で神戸市は大きな被害を受けたため、その復興に尽力した。
富岡 素敬(、1924年〈大正13年〉6月15日 - 201… 富岡 素敬(、1924年〈大正13年〉6月15日 - 2011年〈平成23年〉12月20日)は、日本の特撮映画撮影監督。東京都出身。 1947年(昭和22年)、青山学院大学経済学部を卒業し真持映画に入社。16ミリフィルムの技術現像を研究。 1948年(昭和23年)、東横映画に入社。撮影助手を務める。 1950年(昭和25年)、円谷特殊技術研究所に所属。 1954年(昭和29年)、東宝撮影所の撮影助手として入社。映画『ゴジラ』の撮影に参加する。 1961年(昭和36年)、『モスラ』で特殊撮影係に就任。 1966年(昭和41年)、特撮映画のメインカメラマンとなる。 1976年(昭和51年)、東宝映像美術を退社。
天野 和夫(あまの かずお、1923年6月15日 - 200… 天野 和夫(あまの かずお、1923年6月15日 - 2000年3月23日)は、日本の法学者。立命館大学名誉教授。学校法人立命館総長・立命館大学学長。父はタイムレコーダーなどの発明家でアマノ創業者の天野修一。東京都出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。