伊藤 完二(いとう かんじ、1897年〈明治30年〉4月16… 伊藤 完二(いとう かんじ、1897年〈明治30年〉4月16日 - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚。屏東市尹。 伊藤和一郎の次男として大分県速見郡杵築町(現:杵築市)に生まれる。1925年(大正14年)京都帝国大学法科大学を卒業し、翌年6月、台湾総督府に出仕する。同府法務課課員、秘書課課員を経て、1928年(昭和3年)9月に高雄州警務課長に就任。 ついで、台湾警察官司、同獄司、練習所主席教官を経て、1931年(昭和6年)5月に地方理事官に進み、台北州に赴任する。同州内務部地方課長兼官房文書課長を経て、1932年(昭和7年)4月に新竹州新竹郡守に転じ、翌年の1933年(昭和8年)12月、屏東市尹に就任した。
佐々木 道雄(ささき みちお、1897年4月16日 - 19… 佐々木 道雄(ささき みちお、1897年4月16日 - 1996年2月2日)は、日本の経営学者。 三重県出身。三高を経て1920年東京帝国大学経済学部卒。同大助手となり、同年経済学士を取得、1923年より助教授、1925年ベルリン高等商業学校留学。 1951年「アメリカのFinancial Mathematics」で東京大学経済学博士。明治大学商学部教授。1969年定年、名誉教授、和光大学教授を務めた。98歳まで生きた。
由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年… 由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年1月27日)は、日本の牧師、讃美歌作家。日本の讃美歌の発展の中心的な役割を果たし、賛美歌「きよしこの夜」の訳者として知られる。パスカルの研究家で「パンセ」を翻訳した。教育者・郷土史研究者足立正の次男。 鳥取県西伯郡上道村(現境港市)に足立正の次男として生まれ、生後間もなく由木虎松の養子になる。 養父虎松の宣教活動のために、鹿児島、神戸、対馬などに転居する。養父の影響を受けてクリスチャンになり、神戸二中時代に洗礼を受ける。洗礼を受けてすぐの中学3年の時、すでに最初の賛美歌を作った。1914年、死の危険に直面して献身を決意する。関西学院高等学部文科(関西学院大学文学部の前身)で聖書学と神学を専攻する。
野口 喜一(のぐち きいち、1895年(明治28年)4月16… 野口 喜一(のぐち きいち、1895年(明治28年)4月16日 - 1957年(昭和32年)4月2日)は、昭和時代の政治家。実業家。地主。衆議院議員。 神奈川県橘樹郡川崎町南河原(川崎市幸区南河原を経て現幸区駅前本町)の素封家の家に生まれる。1922年(大正11年)3月、明治大学法科を卒業。1924年(大正13年)市制施行直後の川崎市の学務委員に推され、1926年(大正15年)市青年団御幸分会長、1928年(昭和3年)県社会委員となった。 同年9月、川崎市会議員に当選。参事会員となった。さらに1932年(昭和7年)6月より神奈川県会議員に2期当選し、参事会員にも選ばれた。 1937年(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙では神奈川県第2区から出馬し当選。
留岡 幸男(とめおか ゆきお、1894年4月16日 - 19… 留岡 幸男(とめおか ゆきお、1894年4月16日 - 1981年5月3日)は、日本の内務官僚、実業家。官選秋田県知事、警視総監、北海道庁長官。 岡山県高梁市出身。社会事業家・牧師、留岡幸助の三男として生まれる。早稲田中学、第二高等学校を経て、1919年7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、兵庫県属となり内務部地方課に配属。以後、兵庫県加東郡長、石川県理事官兼警察部工場課長、同県視学官、京都府内務部庶務課長、栃木県書記官・学務部長、香川県書記官・警察部長、千葉県書記官・学務部長、新潟県書記官・警察部長、神奈川書記官・警察部長、警視庁警務部長、北海道庁部長・総務部長などを歴任。
藤野 恵(ふじの めぐむ、1894年(明治27年)4月16日… 藤野 恵(ふじの めぐむ、1894年(明治27年)4月16日 - 1949年(昭和24年)10月9日)は、日本の内務・文部官僚。官選県知事、文部次官。 広島県出身。藤野玖三の四男として生まれる。広島県立福山中学校、第六高等学校を卒業。1919年7月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し群馬県属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格。 1920年10月、群馬県多野郡長に就任。以後、静岡県理事官・内務部社会課長兼調査課長、臨時震災救護事務局事務官、内務省社会局事務官、兼社会局書記官・社会部福利課長、同部保護課長などを歴任。 1935年1月、香川県知事に就任。 1936年6月、文部省実業学務局長に転じ、さらに同普通学務局長を務めた。
宮崎 勝太郎(みやざき かつたろう、1892年〈明治25年〉… 宮崎 勝太郎(みやざき かつたろう、1892年〈明治25年〉4月16日 - 1946年〈昭和21年〉7月12日)は、日本の外交官。駐ルーマニア公使。 愛媛県松山市出身。1916年(大正5年)、高等文官試験と外交官及領事官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。農商務省商工局、同臨時産業調査局に勤務した後、外務事務官に転じ、政務局第三課に勤務。さらにイギリス大使館三等書記官、同二等書記官、外務書記官・欧米局第一課長、フランス大使館一等書記官、イギリス大使館一等書記官、トルコ大使館参事官を歴任した。1939年(昭和14年)、駐ルーマニア公使に就任し、翌年に退官した。
佐々木 すぐる(ささき すぐる、本名:佐々木 英、1892年… 佐々木 すぐる(ささき すぐる、本名:佐々木 英、1892年〈明治25年〉4月16日 - 1966年〈昭和41年〉1月13日)は、日本の作曲家。兵庫県高砂市出身。童謡をはじめとする2000曲もの楽曲を作曲し、中でも「月の沙漠」「お山の杉の子」が有名。三男の佐々木行綱は元童謡歌手、声楽家(バス)、音楽評論家、元山形大学教授。 兵庫県印南郡阿弥陀村魚橋(現・高砂市阿弥陀町魚橋)出身。元は士族であり、父親が郡役所に勤務する家庭に育つ。幼い頃に近所の住人から笛を貸してもらったことで、音楽に興味を抱く。しかし、家庭が貧しかったことから学費のことを考え、音楽学校ではなく姫路師範学校(現在の神戸大学の前身の一つ)へと進学。
黒沢 富次郎(くろさわ とみじろう、1891年〈明治24年〉… 黒沢 富次郎(くろさわ とみじろう、1891年〈明治24年〉4月16日 - 1972年〈昭和47年〉8月29日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。 長野県南佐久郡穂積村(現・佐久穂町大字穂積)の醤油製造業・黒沢陸之助(通称:丸ト)の長男として生まれる。野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)を卒業後、家業の醤油醸造業を継ぐ。地元の商工会長、消防組頭を経て、佐久製材社長や長野県消防協会長、佐久通運社長、長野電鉄監査役、同取締役を歴任した。 1946年(昭和21年)12月16日より1年間貴族院議員を務め、貴族院廃止後の1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙に長野県第2区から日本自由党公認で出馬したが落選した。
島津 久基(しまづ ひさもと、1891年(明治24年)4月1… 島津 久基(しまづ ひさもと、1891年(明治24年)4月16日 - 1949年(昭和24年)4月8日)は、国文学者。東洋大学教授、東京大学教授、文学博士。 生家は島津氏分家・花岡島津家。鹿児島県鹿児島市の天文館通りにあった花岡島津屋敷で生まれ育つ。鹿児島県立第一鹿児島中学校(旧制)を経て、第七高等学校造士館(旧制)に進み、1913年に卒業。1916年東京帝国大学文科大学を卒業。東大在学中、芳賀矢一の知遇を受ける。また、成績優秀のため、卒業時に恩賜銀時計を受ける。大学院に入り勉学を続ける。 1919年日本大学講師となり、同年第一高等学校(旧制)教授となった。1922年、母校の東京帝国大学助教授となったが、1924年に病気のため休職し1926年に退職。
長尾 新九郎(ながお しんくろう、1891年(明治24年)4… 長尾 新九郎(ながお しんくろう、1891年(明治24年)4月16日 - 1968年(昭和43年)5月15日)は、日本の政治家。徳島市長。明治大学政治経済学部卒業。 旧名東郡加茂名村(現在の徳島市庄町)で生まれた。 徳島農業高等学校、明治大学政治経済学部卒業。明治大学では弁論部に同郷の後輩三木武夫を勧誘し、以後も支援する。 1934年、徳島市役所に勤務、佐古青果市場理事長に就任。 1951年に徳島市長に就任し1958年まで2期を務める。一坂俊太郎以来、戦後初めて2期以上、市長を務めた。1967年、日本ポルトガル親善とモラエス翁顕彰の功によりポルトガル国徳島駐在名誉領事に任じられた。 1968年(昭和43年)5月15日、77歳で没する。
君島 清吉(きみじま せいきち、1889年(明治22年)4月… 君島 清吉(きみじま せいきち、1889年(明治22年)4月16日 - 1966年(昭和41年)1月11日)は、日本の内務官僚。官選県知事。 栃木県下都賀郡栃木町(現栃木市)出身。君島寅吉の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1917年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し奈良県工場監督官補となる。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。 以後、奈良県警視、国勢院書記官、内務省社会局事務官、同書記官、同労働部労務課長、兼同部労政課長などを歴任。 1931年12月、茨城県知事に就任。1932年6月、香川県知事に転任。県下の治安と県民の生活安定に尽力。1933年6月、宮崎県知事に転任。
君島 一郎(きみじま いちろう、1887年〈明治20年〉4月… 君島 一郎(きみじま いちろう、1887年〈明治20年〉4月16日 - 1975年〈昭和50年〉4月25日)は、日本の銀行家、野球研究者。元朝鮮銀行副総裁。叔父に九州帝国大学(現・九州大学)元教授である君島武男がいる。 1887年4月16日、栃木県生まれ。栃木県塩谷郡塩原町(現・那須塩原市)の君島五郎の長男。君島家は塩原温泉草分けの旧家で、代々「明賀屋」と称し、温泉宿業を営んでいる。 1905年3月、栃木中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)卒業。旧制第一高等学校へと進学する。第一高等学校では野球部に所属し、2年先輩であった中野武二の後継者として、1907年から1908年までの2年間二塁手を務めた。
君島 一郎(きみじま いちろう、1887年(明治20年)4月… 君島 一郎(きみじま いちろう、1887年(明治20年)4月16日 - 1975年(昭和50年)4月25日)は、日本の銀行家、野球研究者。元朝鮮銀行副総裁。
前田 鼎(まえだ かなえ、1886年(明治19年)4月16日… 前田 鼎(まえだ かなえ、1886年(明治19年)4月16日 - 1961年(昭和36年)7月2日)は、医学者、京都帝国大学医学部長・名誉教授。第三高等学校長も務めた。 前田鼎は、1886年(明治19年)4月16日に滋賀県高島郡大溝村(現滋賀県高島市)の前田文良の三男として生まれた。前田家は代々大溝藩殿医を務めた。滋賀県立第2中学校(滋賀県立膳所高等学校)から1907年(明治40年)第三高等学校第三部を、また1911年(明治44年)京都帝国大学医科大学を卒業した。 卒業後荒木寅三郎教授に師事し医化学教室へ入室、同年12月には助手に任ぜられ、1915年(大正4年)6月荒木教授の京都帝国大学総長就任に伴い助教授に昇任した。
落合 慶四郎(おちあい けいしろう、1886年(明治19年)… 落合 慶四郎(おちあい けいしろう、1886年(明治19年)4月16日 - 1965年(昭和40年)3月12日)は、日本の内務官僚。徳島県知事、東京市第一助役、宇都宮市長、福井市長。 島根県神門郡、のちの簸川郡朝山村(現出雲市)出身。落合亀四郎の二男として生まれる。1910年、日本大学大学部法律学科を卒業。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年、内務省に入り徳島県属となる。 以後、徳島県理事官、鳥取県東伯郡長、山梨県理事官、大分県警察部長、三重県警察部長、長野県警察部長、群馬県書記官・内務部長、秋田県書記官・内務部長、石川県書記官・内務部長、愛知県書記官・警察部長、神奈川県内務部長などを歴任。
富安 風生(とみやす ふうせい、1885年(明治18年)4月… 富安 風生(とみやす ふうせい、1885年(明治18年)4月16日 - 1979年(昭和54年)2月22日)は、日本の俳人。本名は謙次。高浜虚子に師事。逓信省に勤めながら俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。愛知県出身。 愛知県八名郡金沢村(現在の豊川市金沢町辺り)生まれ。豊橋町立豊橋尋常中学時習館、第一高等学校、東京帝国大学法科大学卒業。卒業後は逓信省に入り、のち逓信次官。1912年に平塚の杏雲堂で療養。 俳句をはじめたのは遅く、1918年、34歳のとき福岡貯金支局に支局長として赴任した時期に吉岡禅寺洞の手引きを受けたことに始まる。翌年に福岡に来た高浜虚子に接し、「ホトトギス」に投句。同年に本省に転勤。
古宇田 晶(こうだ あきら、1882年(明治15年)4月16… 古宇田 晶(こうだ あきら、1882年(明治15年)4月16日 - 1939年(昭和14年)11月13日)は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選宮崎県知事。 東京府出身。古宇田義鼎の四男として生まれた。第三高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。農商務省に入省し山林局に配属。1909年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 その後、内務省に転じ宮城県事務官となる。以後、新潟県理事官、兵庫県理事官、岩手県警察部長、宮崎県警察部長、静岡県警察部長、愛知県警察部長、北海道庁土木部長などを歴任。 1927年5月、田中義一内閣により宮崎県知事に任じられた。普通選挙による初の県議選において、選挙違反に問われ大迫元繁宮崎市長と共に逮捕された。
久村 種樹(ひさむら たねき、1882年4月16日 - 19… 久村 種樹(ひさむら たねき、1882年4月16日 - 1967年4月26日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍中将。陸軍科学研究所長、陸軍技術本部長を歴任。戦後、東洋高圧工業(現・三井化学)社長。 滋賀県出身。近江西大路藩(蒲生郡日野町)出身の教育家久村静弥の長男として生れる。陸軍幼年学校(13期)を経て、1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校14期卒業(砲兵科)。翌年6月、砲兵少尉に任官し東京湾要塞砲兵連隊付となる。1908年(明治41年)12月、陸軍砲工学校高等科(14期)を優等で卒業。1909年(明治42年)9月、砲工学校員外学生となり東京帝国大学工学部火薬学科に入学。1912年(明治45年)7月、東京帝国大学を卒業し大阪火薬工廠宇治火薬製造所付となる。
朝比奈 泰彦(あさひな やすひこ、1881年〈明治14年〉4… 朝比奈 泰彦(あさひな やすひこ、1881年〈明治14年〉4月16日 - 1975年〈昭和50年〉6月30日)は、日本の薬学者、薬化学者。東京大学名誉教授。薬学博士。帝国学士院会員、文化勲章受章者。 東京市本所区(現・東京都墨田区)生まれ。東京府士族・朝比奈和四郎の長男。旧制府立一中、旧制第一高校を経て、東京帝国大学医科大学薬学科卒業。大学院に入り助手となる。 1909年、ヨーロッパに渡り、リヒャルト・ヴィルシュテッター、エミール・フィッシャーに師事する。1910年、薬学博士の学位取得。1912年、東京帝国大学助教授、1918年、教授。 1923年、「漢薬成分の化学的研究」で帝国学士院恩賜賞、1943年、文化勲章受章。
永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年〈明治14年〉… 永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年〈明治14年〉4月16日 - 1944年〈昭和19年〉12月4日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の政党政治家。憲政会・立憲民政党所属。大日本育英会(現:日本学生支援機構)創立者。族籍は東京府士族(旧加賀藩士)。 石川県金沢の貧しい小学教員の家庭に生まれる。石川県士族・永井登の長男。 新堅町尋常小学校、長町高等小学校を経て旧制石川県尋常中学(現:石川県立金沢泉丘高等学校)に入学するも喧嘩が原因で中退し、1897年(明治30年)に同志社尋常中学校3学年に編入するもストライキを起こして中退。関西学院普通学部を経て1905年(明治38年)に早稲田大学大学部政治経済学科を卒業する。
沢田 豊丈(さわだ とよたけ、1881年(明治14年)4月1… 沢田 豊丈(さわだ とよたけ、1881年(明治14年)4月16日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。 岡山県久米郡里方村(現:久米南町)に国塩与三郎の二男として生まれ、岡山県会議員の沢田正泰の養子となった。妻は正泰の四女。赤坂高等尋常小学校、旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、第三高等学校を経て、1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。山形県事務官、朝鮮総督府書記官、同道事務官、監察官、慶尚南道知事、慶尚北道知事を歴任した。 退官後は、東洋拓殖株式会社理事、朝鮮電気興業株式会社取締役、朝鮮電力株式会社監査役などを務めた。
後藤 朝太郎(ごとう あさたろう、1881年〈明治14年〉4… 後藤 朝太郎(ごとう あさたろう、1881年〈明治14年〉4月16日 - 1945年〈昭和20年〉8月9日)は、日本の明治時代後期から昭和時代前期の言語学者。東京帝国大学講師。日本大学教授。号は「石農」。「支那通」として知られた。 愛媛県に生まれた。広島県人・後藤榮太郎の二男。1903年(明治36年)、第五高等学校大学予科第一部(文科)を卒業。1907年(明治40年)、東京帝国大学文科大学言語学科を卒業。同年の卒業生には言語学者の金田一京助がいた。 著述業を営み、文部省、台湾総督府、朝鮮総督府嘱託。東京帝国大学、東京高等造園学校各講師、日本大学教授、日本庭園協会、東京家庭学院各理事、日本文明協会、東洋協会各評議員などをつとめた。
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年(明治12年)4月16… 斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年(明治12年)4月16日 - 1953年(昭和28年)7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。長女の斎藤史は同じく歌人。 長野県北安曇郡七貴村(後の安曇野市)に旧松本藩士・三宅政明の四男として生まれる。既に帰農していたため、士族籍ではなく平民籍であった。貧しかったため幼少期には丁稚奉公に出されている。旧制松本中学(後の長野県松本深志高等学校)を経て1901年に陸軍士官学校(12期)を卒業。歩兵少尉に任官した。同期に杉山元、小磯國昭、香椎浩平らがいる。旧制中学時代に医師で漢学者の斎藤順の養子となった。 1903年中尉に昇進し、1904年に勃発した日露戦争に従軍。
井上 秀二(いのうえ ひでじ、1876年(明治9年)4月16… 井上 秀二(いのうえ ひでじ、1876年(明治9年)4月16日 - 1943年(昭和18年)4月4日)は、日本の土木技術者。 井上成美海軍大将の実兄。井上秀二の家族関係については、井上成美#親族を参照。 宮城県仙台に生まれる。宮城県尋常師範学校附属小学校、宮城県尋常中学校、第二高等学校を経て京都帝国大学理工科大学土木工学科に進み、1900年(明治33年)に卒業(京都帝大土木工学科 第1期生)。成績優秀で恩賜の銀時計を受けた。 京都帝大を卒業した直後に母校の助教授を短期間務めた後は、教職・研究職に就かず、内務省などの中央官庁の官吏にもならず、「求められればどこにでも行く」フリーランス的な土木技術者として生涯を送った。
土屋 岩保(つちや いわほ、1874年(明治7年)4月16日… 土屋 岩保(つちや いわほ、1874年(明治7年)4月16日 – 1928年(昭和3年)8月22日)は、日本の衆議院議員(新正倶楽部)。内科医。 山梨県東八代郡祝村(現在の甲州市)で土屋順周の次男として生まれる。1901年(明治34年)、東京帝国大学医科大学を卒業し、同大学の助手となった。1907年(明治40年)より1909年(明治42年)までドイツに留学し、ハレ大学、ベルリン大学で学んだ。1911年(明治44年)、医学博士号を授与。同年、侍医に任命され、皇太子(後の大正天皇)の診察にあたった。 1921年(大正10年)、侍医を辞して医院を開業し、その傍ら日本住血吸虫症の研究にあたった。その後、赤坂区医師会長を務めた。
渡辺 錠太郎(わたなべ じょうたろう、1874年〈明治7年〉… 渡辺 錠太郎(わたなべ じょうたろう、1874年〈明治7年〉4月16日 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の陸軍軍人。陸士8期・陸大17期首席。最終階級は陸軍大将。位階勲等は 従二位勲一等功五級。 1874年(明治7年)、愛知県小牧町(現:小牧市)に生まれる。煙草商である和田武右衛門の長男であったが、19歳の時に、同県岩倉町(現:岩倉市)の母親の実家である農業・渡辺庄兵衛の養子となった。貧窮のために小学校を中退せざるを得なかった。満20歳となった1894年(明治27年)4月に徴兵検査を受けて甲種合格し、同年8月、陸軍士官学校の召募試験に合格し、陸士8期を卒業して陸軍歩兵将校となった。
羽入 三郎(はにゅう さぶろう、1873年(明治6年)4月1… 羽入 三郎(はにゅう さぶろう、1873年(明治6年)4月16日 - 1944年(昭和19年)2月23日)は、大日本帝国陸軍軍人。政治家。最終階級は陸軍少将。功四級。 兵庫県多紀郡出身。鳳鳴義塾(現・兵庫県立篠山鳳鳴高等学校)を経て、1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業。歩兵第6連隊附となり、日露戦争に出征。 戦後、名古屋陸軍幼年学校生徒監、近衛歩兵第2連隊大隊長を歴任。ついで、1917年(大正6年)8月に釧路連隊区司令官、1919年(大正8年)7月に陸軍歩兵大佐を経て、1920年(大正9年)8月に歩兵第58連隊長(第13師団、歩兵第26旅団)に補されシベリア出兵に従軍。その後、1923年(大正12年)8月に陸軍少将に昇進と同時に待命。
東川 徳治(ひがしかわ とくじ、明治3年3月16日(1870… 東川 徳治(ひがしかわ とくじ、明治3年3月16日(1870年4月16日) - 1938年(昭和13年))は戦前日本の中国法制史学者。臨時台湾旧慣調査会補助委員、法政大学講師、東北帝国大学附属図書館事務嘱託。大町桂月と親交があった。 明治3年(1870年)3月16日土佐国(高知県)に生まれた。1881年(明治14年)小学校を卒業して佐川村に移り、佐川中学分校に入学した。1883年(明治16年)廃校後、伊藤蘭林・山本迂斎に漢学を学んだ。1886年(明治19年)高知に出て、奥宮暁峰・松下武重に経学を学んだ。 1888年(明治21年)大坂に出て、梅清処塾で山本梅崖に古文辞学・英学・数学を学び、1889年(明治22年)塾長となった。
橋口 信助(はしぐち しんすけ、1870年4月16日 - 1… 橋口 信助(はしぐち しんすけ、1870年4月16日 - 1928年2月16日)は、日本の実業家である。住宅メーカーである「あめりか屋」の創業者。 1870年4月16日(明治3年3月16日)、宮崎県南那珂郡飫肥町大字板敷で、橋口善吉と妻・トメの間に生まれる。1885年(明治18年)9月に東京商業学校に入学するも、半年後の1886年(明治19年)2月に中退し、郷里に戻り父を助けて鉱山業に従事する。橋口は石炭採掘業のほか、木材伐採業などにも手を出していたようであるが、いずれも失敗し、義理の従兄弟にあたる小村寿太郎を頼り、再び上京する。明治20年代に、妻・マツと結婚する。マツとの間には4人の子どもを設けた。
川上 眉山(かわかみ びざん、1869年4月16日(明治2年… 川上 眉山(かわかみ びざん、1869年4月16日(明治2年3月5日)- 1908年(明治41年)6月15日)は、明治時代の小説家。大阪生まれ。本名亮、別号に煙波山人。
福井 菊三郎(ふくい きくさぶろう、1866年4月16日(慶… 福井 菊三郎(ふくい きくさぶろう、1866年4月16日(慶應2年3月2日)- 1946年(昭和21年)) は、日本の実業家。戦前三井財閥の幹部で、三井合名常務理事や、東神倉庫会長、パリ講和会議代表顧問等を務めた。陶磁器収集家としての著書もある。 江戸で中村萬吉の五男として生まれる。1881年福井家の先代むめの養子となる。1883年、商法講習所(現一橋大学)卒業後、18歳で三井物産に入る。同級生に小室三吉元三井同族会理事などがいた。 在学中の成績は良くなかったが、村長や地主に落ち着いた同級生たちを尻目に小室とともに出世頭となり、三井物産シンガポール支配人、三井物産香港支店長、三井物産営業部長、三井物産大阪支店長、三井物産ニューヨーク支店長、三井物産取締役兼東神倉庫取締役を経て、1910年三井物産常務取締役。
金沢 種次郎(金澤、かなざわ たねじろう、1866年4月16… 金沢 種次郎(金澤、かなざわ たねじろう、1866年4月16日(慶応2年3月2日)- 1925年(大正14年)10月18日)は、明治から大正期の実業家・政治家。衆議院議員。旧姓・伊沢。 阿波国板野郡中喜来浦(徳島県板野郡松茂村字中喜来を経て現松茂町中喜来)で、伊沢壮太郎の三男として生まれる。小学校卒業後、徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)に進んだ。私塾で漢学も修めた。1886年(明治19年)大阪に出て先代・金沢仁兵衛と出会い、その勧めで同家の肥料商に従事。1887年(明治20年)徴兵され衛生部員として広島衛戍病院、野砲兵第5連隊(広島)で勤務し、1889年(明治22年)帰休兵となり除隊した。その後上京して、1892年(明治25年)7月、東京専門学校(現早稲田大学)で英法及経済財政学を修めて卒業し、さらに同年8月、明治法律学校(現明治大学)の三カ年全課程試験に合格し仏蘭西派法律及政治科を卒業した。
水町 袈裟六(みずまち けさろく、1864年4月16日〈元治… 水町 袈裟六(みずまち けさろく、1864年4月16日〈元治元年3月11日〉- 1934年〈昭和9年〉7月10日)は、日本の官僚。大蔵次官、英仏駐在財務官、日本銀行副総裁、会計検査院長、枢密顧問官を歴任。横浜正金銀行頭取。法政大学総長。 佐賀藩士水町邦実の次男として生まれる。水町家は佐賀藩の重臣の家系。佐賀変則中学校、大学予備門を経て、1891年(明治24年)に帝国大学法科大学(現東京大学法学部)を卒業後、同年大蔵省(現在の財務省)に入省。 理財局長、大蔵次官、1908年(明治41年)から英仏駐在財務官を歴任する。1911年(明治44年)に大蔵省を退官して日本銀行副総裁に就任した(1919年まで)。
尼子 忠蔵(あまこ ちゅうぞう、1861年4月16日(文久元… 尼子 忠蔵(あまこ ちゅうぞう、1861年4月16日(文久元年3月7日) - 没年不明)は、日本の政治家(広島市会議員)、商人(醤油商)、醤油醸造家、実業家。第六十六銀行、尾道貯蓄銀行各取締役。(旧)広島銀行、中国紡績各監査役。広島桟橋監査役、同取締役。族籍は広島県平民。 広島県平民・尼子英次郎の長男。家は代々醤油醸造を業とし、「茶屋」と称する。漢学を学び、後に普通教育を受けた。商業に従事した。1881年、家督を相続した。銀行、会社の重役であった。第六十六銀行取締役兼広島支店長を務めた。 広島市胡町・恵美須神社の境内は、もと32坪2合9勺だったが、1909年6月、忠蔵が付近の地積42坪6合2勺を寄付したので74坪9合1勺となった。
浅尾 長慶(あさお ながよし、安政6年3月14日(1859年… 浅尾 長慶(あさお ながよし、安政6年3月14日(1859年4月16日) - 大正15年(1926年)7月17日)は、衆議院議員、山梨県の名望家。 山梨英和女学校の設立者の1人。甲府教会の教会員。 甲斐国山梨郡中小河原村(山梨県西山梨郡住吉村を経て現甲府市中小河原町)に父「長右衛門(長栄)」、母「世以」の長男として生まれる。明治11年(1878年)に同志とともに甲府緑町に英学義塾を開設し英学の普及を図った。明治15年(1882年)には野口英夫、三枝七内らとともに立憲保守党を結成し山梨県内の民権派に対抗した。明治18年(1885年)12月から明治25年(1892年)まで山梨県会議員を務めた後、明治25年(1892年)2月の第2回衆議院議員総選挙に山梨県第一区(甲府市、西山梨郡、中巨摩郡、北巨摩郡)から立候補し衆議院議員に当選。
鐸木 三郎兵衛(すずき さぶろうべえ、1858年4月16日(… 鐸木 三郎兵衛(すずき さぶろうべえ、1858年4月16日(安政5年3月3日) - 1931年3月8日)は、明治時代の政治家。福島町(現福島市)町長、名誉市長、福島県会議員、衆議院議員(立憲政友会)などを歴任。私財を投じて水道敷設事業や明治14年の福島大火(約1800戸焼失)の復興、福島市の駅前開発などに尽力した。また、福島県庁を郡山市に移転させるという動きがあった際には、福島市の代表として上京し陳情、移転を阻止した。再三の衆議院議員立候補要請を断り続け、晩年は廃寺を買い取って隠居。馬巌(ばがん)という俳号を持ち、風流に興じる一面も持っていた。 鐸木三郎兵衛は安政5年3月3日(1858年4月16日)、宮城県刈田郡白石本郷桜小路(現白石市)の金谷武功の次男・金谷正足として生まれた。
内田 正敏(うちだ まさとし、1851年4月16日(嘉永4年… 内田 正敏(うちだ まさとし、1851年4月16日(嘉永4年3月15日)- 1922年(大正11年)5月11日)は、明治・大正期の日本の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍中将。爵位は男爵。貴族院男爵議員。 1851年(嘉永4年)高知城下築屋敷(現在の高知市)で内田茂助の子に生まれた。若くして東京遊学。1868年(明治元年)[西暦年要検証]北村重頼の砲隊に属し東征軍に従う。1871年(明治4年)8月、海軍兵学寮入学。1876年(明治9年)9月、海軍少尉補任官。「雷電丸」「金剛」乗組を経て、1878年(明治11年)7月、海軍少尉に任官。1881年(明治14年)11月、海軍兵学校(3期)を卒業した。
首藤 陸三(すどう りくぞう、嘉永4年3月15日(1851年… 首藤 陸三(すどう りくぞう、嘉永4年3月15日(1851年4月16日) - 大正13年(1924年)5月31日)は、日本の衆議院議員(立憲改進党→進歩党→憲政党→憲政本党→立憲同志会)。 陸奥国登米郡登米町(現在の宮城県登米市)出身。1868年(明治元年)、東京に出て、尺振八の共立学舎で英学を学んだ。1872年(明治5年)、新潟県の英語教授となり、翌年から小倉県育徳学校教授に就任した。1875年(明治8年)、大蔵省翻訳課に出仕し、1877年(明治10年)には東京府書籍館に転じた。翌年より宮城県属になり、学務課長心得と仙台師範学校校長を兼ねた。1880年(明治13年)に官を辞した後は、宮城県会議員に当選し、副議長に選出された。
遠山 正和(とうやま まさかず、1851年4月16日(嘉永4… 遠山 正和(とうやま まさかず、1851年4月16日(嘉永4年3月15日)- 1907年(明治40年)11月8日)は、明治期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員、香川県会議長、丸亀市会議長。 讃岐国那珂郡、のちの香川県丸亀市で、里正の家に生まれる。経史を修めた。 1873年(明治6年)香川県六大区一小区副小区長兼学務取締に就任。自由民権運動に加わった。1879年(明治12年)愛媛県会議員に選出された。1882年(明治15年)代言人(弁護士)となる。同年、自由党大会で警官と衝突して投獄された。1888年(明治21年)香川県が再置され、その後、香川県会議員に選出され、同常置委員も務めた。1894年(明治27年)4月、香川県会議長に就任し1895年(明治28年)10月まで在任した。
志波 三九郎(しば さんくろう、1850年4月16日〈嘉永3… 志波 三九郎(しば さんくろう、1850年4月16日〈嘉永3年3月5日〉 - 1903年〈明治36年〉6月29日)は、日本の政治家。衆議院議員、県知事、長崎県会議長。心形刀流免許皆伝。 肥前国高来郡神代村(現:長崎県雲仙市)で神代鍋島家家臣・中島如幼の三男として生まれ、志波丈之助の養子となる。佐賀藩校・弘道館などで学び、また剣術の修行にも精進した。 1879年、長崎県会議員に選出され、後に県会議長となる。1894年3月、第3回衆議院議員総選挙に長崎県第三区で自由党から出馬し当選。1898年3月の第5回総選挙まで連続3回の当選を果した。 1898年6月、第1次大隈内閣が成立し、翌月、石川県知事に登用された。
渡辺 兵四郎(渡邉、わたなべ ひょうしろう、1846年4月1… 渡辺 兵四郎(渡邉、わたなべ ひょうしろう、1846年4月16日(弘化3年3月21日) - 1932年(昭和7年)5月11日)は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員、小樽区長。初名・佐助。 出羽国能代港(現秋田県能代市)で渡辺甚四郎の二男として生まれる。12歳まで能代の商家で奉公し、万延元年(1860年)家出して小樽に渡り、山田兵蔵家の店員として勤め、主人からの信頼を得てその一字をもらい受けて兵四郎と改名。1877年に独立し荒物商を営む。 また漁業経営にも乗り出し、ニシン漁網の改良を行い、漁業組合、水産組合を創設して、小樽郡漁業組合頭取、小樽外六郡漁業組合連合会長、小樽水産組合長など務め、北海道水産界の振興に貢献した。
四海波 静太夫(しかいなみ せいだゆう、1836年4月16日… 四海波 静太夫(しかいなみ せいだゆう、1836年4月16日(天保7年3月1日) - 1883年(明治16年)11月1日)は、伊勢国員弁郡(現在の三重県いなべ市員弁町大泉)出身で境川部屋、宮城野部屋、再度境川部屋に所属した力士。本名は水谷 清八。2代鏡山。身長体重不明。最高位は東前頭2枚目。 1859年11月境川部屋に入門し、故郷の大泉を四股名にしたが、伊勢ノ濱大五郎に改名。期待をされて盛岡藩の抱えになった。1871年4月、34歳で入幕。宮城野部屋に転籍して荒馬大五郎に改める(宮城野の婿になった為)。その後巡業中の女性問題から破門、同時に離縁され、四海波に改名して古巣に復帰。幕内上位を保っていたが三役昇進はならず、1879年6月限りで引退し鏡山を襲名。
ニノキノコスター(4月16日 - )は、日本の劇作家、演出家… ニノキノコスター(4月16日 - )は、日本の劇作家、演出家。オレンヂスタ所属。 小劇場の俳優が落語をやる会"小名古屋落語会"「ナゴヤはいゆう寄席」席亭、日本劇作家協会 東海支部員。 愛知県豊田市出身。名古屋学芸大学メディア造形学部 映像メディア学科 一期生。 5歳~15歳まで「豊田シティバレエ団」にてクラシックバレエを習う。 愛知県立豊田西高等学校在学時に演劇と出会い、名古屋大学劇団新生で俳優、作・演出、制作、宣伝美術として活動。 2004年3月に名古屋学生劇団協会(NGK)事務局メンバーとしてNGKプロデュースvol.2 『彼女の愛した百鬼夜行』に出演。作・演出の竹内佑(デス電所)の元で、名古屋大阪二都市公演を行う。
佐々木 由香(ささき ゆか、4月16日 - )は日本の女性声… 佐々木 由香(ささき ゆか、4月16日 - )は日本の女性声優・歌手。茨城県出身。ブルー・ミュージックエンタテインメント所属。
杉原 愛(すぎはら あい、4月16日 - )は、ラジオ沖縄 … 杉原 愛(すぎはら あい、4月16日 - )は、ラジオ沖縄 (ROK) のアナウンサー。 広島県福山市出身。旧広島市民球場には福山から何度も通い、ヒーローインタビューをするアナウンサーに憧れた。広島県立福山誠之館高等学校を経て、立教大学卒業。大学在学時にはボイスワークス運営のアナウンススクールに通っていた。またその一環で、むさしのFMで放送の『ランチタイムボックス』に出演していた。 大学を卒業後、ラジオ沖縄に入社。ワイド番組のMCを担当するだけでなく、沖縄県内のスポーツ関連番組のMCや、おきなわマラソン、全国高等学校野球選手権大会沖縄県大会決勝の各実況も担当するなど幅広いジャンルで番組に出演。現在では、スポーツ実況をメインに担当した宮田隆太郎元アナウンサーが総務部に異動しアナウンサー職を離れたため、後を継ぐ形でキングスコートサイドライブの実況を担当するようになる。
妃白 ゆあ(ひしろ ゆあ、4月16日 - )は、日本の女優。… 妃白 ゆあ(ひしろ ゆあ、4月16日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団星組の娘役。 滋賀県、能登川中学校出身。身長160cm。愛称は「ゆあ」、「ユアユア」。 2004年4月、宝塚音楽学校入学。 2006年3月、宝塚歌劇団に92期生として入団。入団時の成績は13番。宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」で初舞台。その後、星組に配属。 2016年6月19日、「こうもり/THE ENTERTAINER!」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。