古関 彰一(こせき しょういち、1943年7月18日 - )… 古関 彰一(こせき しょういち、1943年7月18日 - )は、日本の法学者。専門は憲法史。獨協大学名誉教授。前和光学園理事長。 東京都生まれ。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。和光大学経済学部教授などを経て、1991年から獨協大学法学部教授。2015年10月より和光学園理事長に就任。2022年2月末まで務める。1989年、『新憲法の誕生』で第7回吉野作造賞を受賞。
岡村 晃(おかむら あきら、1943年7月18日 - )は、… 岡村 晃(おかむら あきら、1943年7月18日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(内野手)。 桃山学院高校では外野手、関西大学へ進学し三塁手に転向。関西六大学野球リーグでは1962年春季リーグで優勝を経験。同年の秋季リーグからレギュラーとして活躍。翌1963年秋季リーグでも首位に立つが、「西川事件」により優勝取り消し、1964年春季リーグ出場辞退の処分を受ける。同年の秋季リーグでは8打席連続安打のリーグ新記録を作る。4年生時には主将を任された。リーグ通算68試合出場、227打数58安打、打率.256、2本塁打。 1965年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから6位指名を受けるも拒否し、社会人野球の河合楽器へ入社。
関本 郁夫(せきもと いくお、1942年7月18日 - )は… 関本 郁夫(せきもと いくお、1942年7月18日 - )は、日本の脚本家・映画監督。京都府京都市出身。日本映画監督協会会員。日本画家の木村了子は長女。 京都の工務店の長男に生まれる。家では工務店の後継にするつもりだったが、本人は継ぐのを嫌ったという。 京都市立伏見工業高等学校建築科を卒業後1961年、東映京都撮影所製作部美術課に入社。美術課では本人が嫌だったという大工仕事ばかりで異動を希望し、製作部に異動、製作事務を担当。そこで多くの台本に目を通すうち「これなら自分にも書けそう」と思って脚本を書き始め、その脚本を当時京都撮影所所長だった岡田茂に読んでもらっていたという。 その後京都撮影所では映画業界斜陽化のこともあって、助監督を大量にNET(現・テレビ朝日)に出向させた影響で助監督不足になり、その穴埋めのような形で演出部に転属し、1973年に監督デビュー。
玉置 勝彦(たまおき かつひこ、1942年7月18日 - )… 玉置 勝彦(たまおき かつひこ、1942年7月18日 - )は、日本の経営者。和歌山県出身。 1966年に大阪大学法学部を卒業し、同年に住友銀行に入行。1992年6月に取締役を就任。2003年4月にSMBCフレンド証券社長に就任。2009年4月から顧問を務めた。
田中 圭治郎(たなか けいじろう、1942年7月18日- )… 田中 圭治郎(たなか けいじろう、1942年7月18日- )は、日本の教育学者、佛教大学嘱託教授。 大阪市生まれ。1967年京都大学教育学部卒、1971年同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。1999年「教育における文化的多元主義の研究」で京大博士(教育学)。大谷大学短期大学部講師、助教授、教授、1988年佛教大学教育学部教授、2001年学部長、2013年定年退任、嘱託教授。
小島 明(こじま あきら、1942年(昭和17年)7月18日… 小島 明(こじま あきら、1942年(昭和17年)7月18日 - )は、日本のジャーナリスト、国際経済学者。日本経済新聞社専務取締役、日本経済研究センター会長、慶応義塾大学商学研究科教授などを務めた。 神奈川県横浜市生まれ。1965年早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒、日本経済新聞社入社 編集局外報部(現国際部)。1969-1970年ブリティッシュ・カウンシル・スカラーとして英マンチェスター大学を卒業。1972年経済部記者、1978-1982年ニューヨーク特派員・支局長、1982年経済部編集委員兼論説委員、1992年編集局次長兼国際第一部長、1994年論説副主幹、1997年取締役・論説主幹、慶応義塾大学商学研究科教授を兼ねる。
三代目 三遊亭 歌奴(1941年7月18日 - 2004年4… 三代目 三遊亭 歌奴(1941年7月18日 - 2004年4月6日)は、落語家。本名∶平田 昭宏。出囃子∶『梅の栄』。 東京都立一橋高等学校卒業。 1959年5月、二代目三遊亭歌奴に入門。前座名は「どん栗」。 1963年5月に柳家小きんと共に二ツ目昇進、「歌雀」に改名。 1973年9月に林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、柳家さん弥、金原亭桂太と共に真打昇進。1975年5月に大師匠・師匠が名乗った名跡である三遊亭歌奴を三代目として襲名。 2004年4月6日、肝臓がんのため死去。62歳没。
得本 輝人(とくもと てるひと、1941年7月18日 - 2… 得本 輝人(とくもと てるひと、1941年7月18日 - 2009年4月5日)は、昭和から平成時代の労働運動家。 鹿児島県大島郡喜界町(喜界島)出身。1965年に京都大学経済学部を卒業し、同年トヨタ自動車工業(1982年トヨタ自動車)に入社。1969年トヨタ労組執行委員。1976年自動車総連事務局長。1985年全民労協副議長。1986年全トヨタ労連中央執行委員長、1986年9月自動車総連会長(1998年まで)、金属労協副議長。1987年民間連合初代副会長。1989年連合初代副会長。1990年金属労協議長(2000年まで)。 財団法人中部産業・労働政策研究会(中部産政研)初代副理事長、同理事、政治改革推進協議会(民間政治臨調)会長代理、全国労働組合生産性会議(全労生)副議長、同議長、財団法人国際労働財団(JILAF)理事長(2000年から2004年)、国家公務員倫理審査会委員(2002年から2007年)も務めた。
和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は… 和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は、日本の画家、俳優、声優、歌手。本名は和田 一壮(わだ かずお)。東京都出身。日本漫画家協会会員。
加藤 奐(かとう かん、1939年7月18日 - )は、日本… 加藤 奐(かとう かん、1939年7月18日 - )は、日本の実業家。京王電鉄第9代社長。 東京都出身。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部商学科卒業後、1962年京王帝都電鉄(現・京王電鉄)入社。経理部長を経て、1993年常務取締役。1998年京王プラザホテル社長に就任。2002年京王電鉄副社長。2003年社長。2009年会長。2015年相談役。2015年旭日重光章受章。
近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は… 近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は、日本の経済学者。専門は、日本企業のグローバルマーケティングの研究。博士(経済学)。京都大学名誉教授。マーケティング史学会名誉会員。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、香川大学経済学部経済学科卒業。京都大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程修了。 1989年(平成元年)「成立期マーケティングの研究」で学位修得(京都大学 経済学博士)。 研究は、主に3つに分かれる。第1にマーケティング発祥の地アメリカにおける成立期のマーケティングの研究を通じて、マーケティングの本質に迫ろうという研究。第2に国際マーケティング研究において、日本の家電企業の対米輸出マーケティングに関する歴史的研究。
青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 20… 青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 2011年7月9日)は、日本のグラフィックデザイナー。
高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 -… 高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の物理学者。専門は核化学。理学博士(東京大学)。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。 父は開業医。幼少時の仇名は「ジンザ」でエスペラントに関心を持っていた。 宮沢賢治文学を愛好した。群馬大学学芸学部附属小・中学校時代の同級生には、日本銀行で要職を務めたあとOECD経済総局長、ついでOECD副事務総長に栄進した重原久美春、SF作家の豊田有恒、がいる。 『高木仁三郎著作集』(全12巻)など多数の著書を七つ森書館より刊行。同社の中里英章社長(当時)は高木に師事した。 政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク・原子力資料情報室を設立して代表を務めた。
照ノ海 十二(てるのうみ じゅうじ、1937年7月18日 -… 照ノ海 十二(てるのうみ じゅうじ、1937年7月18日 - 没年不明 )は、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 十二(すずき じゅうじ)。現在の秋田県横手市出身。174cm、96kg。最高位は西十両17枚目。得意技は左四つ、寄り。 平鹿町立浅舞中学校(現在は横手市立平鹿中学校へ統合)で相撲を始めたが、平鹿郡大会で負けたので一時的に止め、野球部に転向した。ポジションは一塁手を務めた。秋田県立大曲農業高等学校に進学してからは相撲を再開し、2年生の時には青年相撲で優勝し、北海道巡業から帰る途中で立ち寄っていた5代伊勢ヶ濱から照國杯を貰った時に素質を見出されて入門した。ある年の巡業先で預かった酒を宿に忘れ、発車寸前の汽車から慌てて飛び降り、酒を取りに戻った。
阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月1… 阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月18日 - )は、日本の官僚、政治家、実業家。 大分県竹田市出身。かつて中国管区警察局長や参議院議員、清和大学法学部教授。ZENTA株式会社保安顧問、 アルゼ株式会社(現ユニバーサルエンターテインメント)代表取締役社長などを歴任した。 2019年まで全国道路標識・標示業協会顧問。
平林 伊三郎(ひらばやし いさお、1937年7月18日 - … 平林 伊三郎(ひらばやし いさお、1937年7月18日 - 2025年5月17日)は、日本の政治家。元長野県安曇野市長(1期)。元穂高町長(3期)。 長野県南安曇郡穂高町生まれ。早稲田大学法学部卒業。1994年に穂高町長に初当選し、3期を務める。平成の大合併においては、同郡豊科町、堀金村・三郷村および東筑摩郡明科町との合併を推進し、人口約10万人の安曇野市を実現し、初代市長を務めた。 2014年4月の春の叙勲で旭日小綬章を受章する。 旧陸軍中将の平林盛人は父。日系アメリカ人社会学者のゴードン・ヒラバヤシは親戚にあたる。 2025年5月17日午前9時14分、安曇野市内の病院で死去した。87歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
高井 研一郎(たかい けんいちろう、1937年7月18日 -… 高井 研一郎(たかい けんいちろう、1937年7月18日 - 2016年11月14日)は、日本の漫画家。 長崎県佐世保市出身。父が上海租界で書店を開いていたため、上海で育つ。 帰国後、『漫画少年』に投稿し、石森章太郎や赤塚不二夫と知り合う。松本晟(後の松本零士)と共に東日本漫画研究会の九州支部を結成。定時制高校卒業後は赤塚たちに誘われてトキワ荘に入居する約束をしていたが、上京してみると高井が入ろうとしていた部屋に水野英子が入居しており、トキワ荘には入れなかった。 手塚治虫のアシスタントを経て、1956年『少女』掲載の「リコちゃん」でデビュー。1960年代後半から1980年代前半まではフジオ・プロの客分扱いで赤塚不二夫の仕事を手伝いつつ、青年誌を中心にナンセンス漫画を描いていた。
細矢 治夫(ほそや はるお、1936年7月18日 - )は、… 細矢 治夫(ほそや はるお、1936年7月18日 - )は、日本の化学者。お茶の水女子大学名誉教授。理学博士。専門は数理化学、理論化学、情報化学。神奈川県鎌倉市出身。 化学構造のグラフ表現(分子グラフ)に関するトポロジカル・インデックスという用語の提唱者、その一つである細矢インデックス (Hosoya Index) の発案者として知られる。
中谷 比佐子(なかたに ひさこ、1936年7月18日 - )… 中谷 比佐子(なかたに ひさこ、1936年7月18日 - )は日本の和装研究家、エッセイスト。大分県大分市出身。 大分県立大分上野丘高等学校を経て共立女子大学文芸学部卒業。女性雑誌『女性自身』『二人自身』の編集記者を経て、株式会社 秋櫻舎(こすもすしゃ)設立。きもの季刊誌『きもの秋櫻』発行。婦人雑誌等にきものの記事を執筆。東京都新宿区在住。
藤田 栄一(藤田 榮一、ふじた えいいち、1936年7月18… 藤田 栄一(藤田 榮一、ふじた えいいち、1936年7月18日 - )は、日本の英文学者、ビジネス英語教育者。 大阪府大阪市出身。1959年大阪府立大学経済学部卒、藤田鉄工所入社。1963年早川電機工業(シャープ)貿易部入社、大阪市立大学文学部英文科卒。1965年神戸大学大学院修士課程修了。1969年関西外国語大学専任講師となる。1972年助教授。1990年神戸女学院大学短期大学教授、神戸学院大学教授。専攻分野、英米文学(特にヘンリー・ジェイムズ)、英米文化、国際ビジネス、国際交渉・説得、国際普及学。
飯野 四郎(いいの しろう、1936年7月18日 - 200… 飯野 四郎(いいの しろう、1936年7月18日 - 2008年9月2日)は、日本の医学者、医師。医学博士。専門は、肝臓病学。日本「ウイルス性肝炎治療の父」と呼ばれる。 福岡県出身。1964年東京大学医学部卒業。1992年聖マリアンナ医科大学教授。インターフェロン治療の先駆者で、長く勤務した東京都杉並区の清川病院玄関の「インターフェロン治療発祥の地」の碑が立つ。 2002年に提起された薬害C型肝炎訴訟で原告側を支援し、結果、国と製薬会社の責任を認めた大阪地裁判決となった。2008年、膵臓癌のため72歳で死去。
久保 晴生(くぼ はるお、1936年7月18日 - )は、日… 久保 晴生(くぼ はるお、1936年7月18日 - )は、日本テレビ放送網の元アナウンサー、日テレ学院スーパーバイザー。旧・満洲奉天市出身。愛称は、晴さん。 早稲田大学卒業後、1960年、日本テレビにアナウンサーとして入社。同期は久能靖らがいる。 元NHKでフリーアナウンサーの久保純子は長女。 バラエティ・中継担当番組・その他 金原二郎1969年以前-1982以後 / 赤木孝男1985前後 / 久保晴生1987-1990 / 今井昌彦1990-1992 / 長浜幸郎1992-1993 / 舛方勝宏1993-1997.5 / 石川牧子1997.6-2001.6 / 倉増吉継2001.5-2003.5 / 笹尾光2003.6-? / 福田泰久?-2007.3 / 大澤雅彦2007.4-2010.6 / 鷹西美佳2010.7-2010.11 / 木村優子2010.12-2014.5 / 鈴木雅人2014.6-2015.5 / 村山喜彦2015.6-2019.5/伊東修2019.6-2022.6/今井田彩2022.7-
巽 悟朗(たつみ ごろう、1935年7月18日 - 2003… 巽 悟朗(たつみ ごろう、1935年7月18日 - 2003年12月23日)は、元大阪証券取引所社長、光世証券創業者。北浜の風雲児の異名を取った。 大阪市船場生まれ。同志社高等学校、同志社大学経済学部卒。アメリカンフットボール選手や応援団長を経験。卒業後、山源証券(後のヤマゲン証券、現・マディソン証券)に入社。1961年、25歳にして光世証券を創業、一代で東証一部上場企業に育て上げた。 2000年、大阪証券取引所理事長に就任。2001年、大阪証券取引所初代社長に就任。ナスダック・ジャパン市場(現・新ジャスダック市場)を創設。 長男である大介は現・光世証券社長。
中村 大成(なかむら たいせい、1935年7月18日 - 2… 中村 大成(なかむら たいせい、1935年7月18日 - 2013年5月11日)は、大阪府出身のプロ野球選手(投手)。 大阪府立泉陽高等学校から1953年に南海ホークスへ入団。同年の日本シリーズでは第2戦で先発したが読売ジャイアンツに敗れた。これが高卒新人投手として初めての日本シリーズ先発だった。 1955年は23勝4敗、防御率2.13(リーグ3位)の好成績をあげる。特に8月から閉幕まで11連勝するなど、後半は抜群の活躍で南海のリーグ優勝に貢献。パ・リーグの最高勝率、ベストナイン、最優秀投手に選ばれた。また、同年の日本シリーズでは全7試合中の6試合に登板、勝ち星は挙げられなかったが、防御率0.72と好投した。
白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )… 白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )は日本画家、教育者。本名は圭介(けいすけ) 。 福島県常葉町生まれ。東京藝術大学日本画科卒・専攻科修了。青郁会、鎌倉会所属。前田青邨、平山郁夫、須田珙中に師事。日本美術院院友。魚と人との関係のテーマの作品多数、その他ヨーロッパ風景画等。昭和49年、高松塚古墳復刻プロジェクトに携わる(白虎担当)農林水産省分室会議室、長官室、ウズベキスタン・日本人材開発センター等に飾られている。
望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 201… 望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 2016年8月25日)は、日本の俳人。神奈川県横浜市南区高砂町生まれ。在家得度、法名は、「徹心明道」(みょうどう)。 神奈川県横浜市南区高砂町に生まれる。10歳(小学校4年生)の頃、同区伏見町に転居。横浜市立共進中学校を卒業後、1950年(昭和25年)、横浜市立横浜商業高等学校普通科に入学、同期には、写真家の南信一郎等がいる。 1959年(昭和34年)、結婚を機に、横浜市南区庚台(かのえだい)に転居、ついの住居とする。隣家に、演出家でアニメーターの板野一郎が小中学生時代住んでいた。生粋の横浜子(はまっこ)である。 1948年(昭和23年)、中学の国語の時間で初めて俳句を習い、「横浜の焼跡かなし夏の草」の一句稿が国語教師に激賞され、『少年新聞』の俳句欄では第一席を占めた。
中村 正三郎(なかむら しょうざぶろう、1934年〈昭和9年… 中村 正三郎(なかむら しょうざぶろう、1934年〈昭和9年〉7月18日 - 2023年〈令和5年〉9月1日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は旭日大綬章。衆議院議員(9期)、環境庁長官、法務大臣といった閣僚ポストのほか、衆議院大蔵委員長、自民党財政部会長、大蔵政務次官を2度経験するなど大蔵・財政族議員でもある。 千葉県安房郡三芳村(現・南房総市)出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、富士製鐵(現・日本製鉄)に勤務。1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙で初当選。清和政策研究会に所属し副会長まで務めた。以後2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙まで9回連続当選。 1984年、第2次中曽根第1次改造内閣で大蔵政務次官に就任。
沢田 秀男(澤田、さわだ ひでお、1933年(昭和8年)7月… 沢田 秀男(澤田、さわだ ひでお、1933年(昭和8年)7月18日 - )は、日本の政治家。神奈川県横須賀市の元市長(3期)。旭日中綬章。 神奈川県座間市生まれ。神奈川県立湘南高等学校を経て、東京大学法学部卒。1957年自治庁(のち自治省、現・総務省)に入る。広島市助役、自治省総務課長、国土庁審議官、同地方振興局長などを歴任し、1988年横須賀市助役となる。1993年横須賀市長に当選。3期務める。 市長在職中の1996年に「よこすか情報フロンティアプラン」を策定し、入札制度改革を断行。条件付き一般競争入札を導入した。さらに指名入札を全廃し、業者に指名条件として与えていた格付けを廃し、経営や技術力の客観的事項だけを見る経営審査事項総合評点を参加条件とし、過去の業績など行政側の主観的評価を一切含めない、「行政の恣意」を入札の場から排除した。
白鳥 あかね(しらとり あかね、1932年7月18日 - 2… 白鳥 あかね(しらとり あかね、1932年7月18日 - 2024年9月14日)は、日本の映画スクリプター、脚本家。新藤兼人の『狼』に見習いスクリプターとして参加し、同年日活に入社した。神代辰巳の多くの作品に関わり、最近は篠原哲雄ら若手の監督とも組んでいる。現在は日本映画学校の講師他、KAWASAKIしんゆり映画祭の実行委員長も務める。 東京府生まれ。疎開先の京都から府立第三高等女学校に戻り、新制都立駒場高校を卒業した。その後早稲田大学仏文科へ。 1955年父・神崎清の知り合いだった新藤兼人の近代映画協会で記録見習いを始め、日活に入社。1956年『狙われた男』で一本立ち。1972年『隠し妻』で脚本家としてもデビューする。
小池 和男(こいけ かずお、1932年7月18日- )は、日… 小池 和男(こいけ かずお、1932年7月18日- )は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。労働経済学専攻。経済学博士(東京大学、1963年)(学位論文「日本の賃金交渉 -産業別レベルにおける賃金決定機構-」)。新潟県出身。
山本 信吉(やまもと のぶよし、1932年7月18日-201… 山本 信吉(やまもと のぶよし、1932年7月18日-2014年2月27日)は、日本史学者、奈良国立博物館名誉館長。 1932年、神道学者・山本信哉の子として東京で生れた。國學院大學文学部史学科で学び、1956年に卒業。同大学大学院日本史学専攻に進み、1961年に博士課程を単位取得退学。 1960年より文化財保護委員会事務局美術工芸課書跡調査係に勤務。文化庁文化財保護部主任文化財調査官、美術工芸課長、文化財鑑査官、奈良国立博物館長を務めた。奈良国立博物館長退任後に同館名誉館長。2009年、学位論文『摂関政治史論考』を東京大学に提出して文学博士号を取得。2014年に死去。
太田 和夫(おおた かずお、1931年(昭和6年)7月18日… 太田 和夫(おおた かずお、1931年(昭和6年)7月18日 - 2010年(平成22年)7月20日)は、日本の医師。東京女子医科大学名誉教授、元日本移植学会理事長、元日本透析医学会理事長である。 旧制成蹊高等学校(24期)を経て、1957年3月に東京大学医学部医学科を卒業。1958年6月に東京大学第2外科に入局する。 1970年1月、東京女子医科大学理論外科助手、同年10月に講師、1972年2月に助教授を経て、1973年1月に東京女子医科大学人工腎臓センター教授に就任。1979年4月に東京女子医科大学腎臓病総合医療センター外科教授、同センター副部長、1983年4月所長を歴任した。
折原 久左ヱ門(おりはら きゅうざえもん、1931年7月18… 折原 久左ヱ門(おりはら きゅうざえもん、1931年7月18日 - 2022年2月1日)は、日本の金工家、金属造形作家。北海道教育大学名誉教授。日本芸術院賞受賞者。 山形県南村山郡南沼原村(現・山形市南沼原)に生まれる。山形師範学校予科を経て東京教育大学に入学し、講師として来ていた芳武茂介から鉄板の絞りや鍛金技法を学んだ。1955年に東京教育大学を卒業し、福島大学助手、ついで北海道学芸大学岩見沢分校助手、北海道学芸大学函館分校助教授を経て、1974年に、北海道教育大学(元・北海道学芸大学)の教授となった。 1956年の第12回日展に「鉄花器」が初入選した。その後、日展や全道展、日本現代工芸美術展などに出品を重ねた。
中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月1… 中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月18日 - 1997年(平成9年)7月8日)は、昭和期のシャンソン歌手、女優。 本名は室 美紗緒(旧姓は中原)。 叔父に画家の中原淳一、義理の叔母に女優で元タカラジェンヌの葦原邦子がいる。長男は映画監督・映像プロデューサーの室希太郎。妹の夫はミステリ作家の渡辺剣次。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒業。 代表曲は、「パリのお嬢さん」、「フルフル」、「私の心はバイオリン」、「河は呼んでいる」、「バス通り裏」、「夜は恋人」などがある。
福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - … 福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - 没年不明 )は、長崎県諫早市川床町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 幸雄(ふくだ ゆきお)。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭4枚目(1961年7月場所)。現役時代の体格は181cm、94kg。 少年時代は大変な悪童として地元でもよく知られ、諫早農業高校を濡れ衣の暴力事件絡みで中退後は、福岡市でトヨタ自動車の見習工として働いていた。だが、ほどなく退職。 その後、「相撲取りになってはどうか」と、父の知人から出羽海部屋付きの待乳山親方(元関脇・両國)を紹介された。 1949年春、上京して出羽海部屋に入門し、同年5月場所で初土俵。
矢島 稔(やじま みのる、1930年7月18日 - 2022… 矢島 稔(やじま みのる、1930年7月18日 - 2022年4月26日)は、日本の昆虫学者。群馬県立ぐんま昆虫の森名誉園長。 東京府豊多摩郡野方町[要出典](現東京都中野区)出身。1949年、日本昆虫学会主催のコンクールで論文が入賞、昆虫学者の道に進むことを決意する。旧制市立東京第三中学校(東京都立文京高等学校)を経て、1957年、東京学芸大学学芸学部1部乙類理科を卒業、同年豊島園昆虫館の創設に携わる。 上野動物園水族館館長を経て、1987年より多摩動物公園園長。園長を1990年に定年退職した翌年、長年の動物園事業に対する功労として文部大臣表彰を受ける。1997年、財団法人東京動物園協会理事長。
村上 哲見(むらかみ てつみ、1930年7月18日 - 20… 村上 哲見(むらかみ てつみ、1930年7月18日 - 2022年3月12日)は、古典中国文学者。文学博士(京都大学・論文博士・1974年)。東北大学名誉教授。専攻は唐代から宋代にかけての詩人たちの研究。 中国・大連生まれ。愛媛県松山市出身。1953年京都大学文学部中国文学科卒業。 京都学芸大学講師、助教授、東北大学教養部助教授、教授、1975年奈良女子大学文学部教授、85年東北大学文学部教授、1994年定年退官、名誉教授、奥羽大学教授、1999年近畿福祉大学教授、2007年退職。 1972年日本中国学会賞、1974年「北宋詞研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。2009年「宋詞に関する研究」により日本学士院賞恩賜賞受賞。
栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023… 栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023年5月5日)は、日本のフランス文学者、美術評論家、作家、翻訳家。駒沢女子大学日本文化研究所名誉所長。 フランス象徴主義の詩人・ロートレアモン伯爵の作品を日本で初めて全訳し、レフ・トロツキーの翻訳も行った。また詩人でもあり、戯曲も書いた。多彩な創作、評論活動を展開し、仏教、寺院建築、美術等に関する日本文化論の著書を多く発表した。 東京生まれ、満洲出身。父は栗田健男。 1947年、東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業。1953年、東京大学文学部仏文科卒業。1955年、同大学院修士課程修了。1960年より文筆活動に入る。 1962年、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校で、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一、森秀人らとともに、講師をつとめる。
山岸 章(やまぎし あきら、1929年(昭和4年)7月18日… 山岸 章(やまぎし あきら、1929年(昭和4年)7月18日 - 2016年(平成28年)4月10日)は、日本の労働運動家。従三位。勲一等瑞宝章受章。 日本労働組合総連合会初代会長、国際郵便電信電話労働組合連盟(PTTI)会長、情報通信産業労働組合連合会委員長、全国電気通信労働組合(全電通)委員長を歴任した。 大阪市出身。行商人の子として生まれる。父親は仕事が長続きせず職を転々としており、さらに病気を患ったため、幼少期は貧しい生活を送った。啓発第二小学校を経て旧制大阪中学に進学するも、1944年(昭和19年)4月に母の実家へと疎開。同地の旧制豊岡中学に転校した。在学中の9月に海軍甲種予科練習生に志願(甲種14期生)し、防府海軍通信学校を経て1945年(昭和20年)4月15日に宇佐の第九三一海軍航空隊に配属された。
檜垣 俊幸(ひがき としゆき、1928年7月18日 - )は… 檜垣 俊幸(ひがき としゆき、1928年7月18日 - )は、日本の実業家。今治造船のグループ社主。 1928年7月18日に造船業を営む檜垣正一の3男として誕生した。1943年3月に今治市立近見尋常高等小学校高等科を卒業後、今治造船に入社。今治造船は父親の檜垣正一の経営していた造船会社などが合併して誕生した造船会社であった。 戦後の1945年には今治造船を退社して檜垣造船有限会社を設立していたが、1955年に愛媛汽船の赤尾柳吉らと共に休業に陥っていた今治造船を再スタートさせた。1959年2月には今治造船の全株式を檜垣家が取得。以後、今治造船の専務取締役、副社長、代表取締役社長、代表取締役会長などを歴任し、2017年4月にグループ社主に就任。
福岡 悟郎(ふくおか ごろう、1928年7月18日 - 20… 福岡 悟郎(ふくおか ごろう、1928年7月18日 - 2004年3月23日)は、日本の経営者。共同印刷社長を務めた。 佐賀県出身。1951年に東京大学経済学部を卒業し、同年に第一銀行に入行。1978年12月に第一勧業銀行取締役に就任し、1982年5月に常務を経て、1984年8月に共同印刷副社長に就任し、1988年6月には社長に昇格。1996年6月に取締相談役に就任し、1998年6月には相談役に就任。 2004年3月23日肺癌のために死去。75歳没。
葉治 英哉(はじ えいさい、1928年7月18日 - 201… 葉治 英哉(はじ えいさい、1928年7月18日 - 2016年2月29日)は、日本の小説家。本名は奥山英一(おくやま えいいち)。 青森県出身。八戸市在住。青森師範学校中退。 法政大学文学部日本文学科卒業。1957年「農婦トヨ」で第1回東奥小説賞(佳作2席)受賞。1989年「戊辰牛方参陣記」で第37回地上文学賞受賞。1994年「(またぎ)物見隊顛末」で第1回松本清張賞受賞(「またぎ」は「犭+又」) 。 2016年2月29日死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
伊東 雋祐(いとう しゅんすけ、1927年7月18日 - 2… 伊東 雋祐(いとう しゅんすけ、1927年7月18日 - 2006年6月9日)は、日本のろう教育者。ろう者の権利獲得、手話通訳の普及に尽力した。京都府福知山市出身。息子は合唱指揮者・作詩家の伊東恵司。 京都師範学校、立命館大学文学部日本文学科卒業。大学卒業後の1949年、京都府立聾学校に勤務(1988年まで)。ろう教育の現場でろう者と関わる中で、手話通訳運動の普及、指導に尽力した。 1968年6月、福島県で行われた第一回全国手話通訳者会議において、ろうあ者の権利を守ることを立脚点とした「手話通訳論」を提唱した。1974年6月、全国手話通訳問題研究会の結成にあわせ、同研究会の初代運営委員長に就任。
佐々木 史朗(ささき しろう、1926年(大正15年)7月1… 佐々木 史朗(ささき しろう、1926年(大正15年)7月18日 - 2003年(平成15年)4月22日)は、日本の裁判官、弁護士。札幌高等裁判所長官、福岡高等裁判所長官。1996年勲二等旭日重光章受章。 裁判官を退官したのちは弁護士になり、1994年のゼネコン汚職事件で逮捕・起訴された清山信二元鹿島建設副社長の弁護人を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
大原 義治(おおはら よしはる、1925年〈大正14年〉7月… 大原 義治(おおはら よしはる、1925年〈大正14年〉7月18日 - 1989年〈平成元年〉12月2日)は、日本の政治家。兵庫県三木市長(6期)。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 兵庫県出身。兵庫県立農学校(現・兵庫県立農業高等学校)卒。美嚢郡志染村(現・三木市)議会議員、三木市議会議員を経て、1967年三木市長に当選する。市長を6期務め、1989年在職中に死去。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
能見 正比古(のみ まさひこ、1925年7月18日 - 19… 能見 正比古(のみ まさひこ、1925年7月18日 - 1981年10月30日)は、日本の作家、編集者、放送作家。血液型と気質・性格を関連づける「血液型人間学」に関する著作で知られ、1970年代以降の日本における血液型性格分類の普及に影響を与えた。相撲、落語、スポーツなどに関する著作もある。 東京大学工学部電気工学科を卒業し、同大学法学部政治学科を中退した。三木鶏郎文芸部に入り、放送作家としてラジオの脚本やコントを執筆した。その後、学習研究社に勤務し、百科事典編集長などを務めた。相撲にも関心を持ち、『相撲部屋物語』『横綱物語』などを刊行した。1981年10月30日に死去した。 1971年に『血液型でわかる相性』を刊行した。
草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。
西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2… 西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2007年5月6日)は、日本の国文学者・国語学者。皇學館大学元学長。 奈良県桜井市出身。生家は談山神社の社家であった。 1942年に奈良県立奈良中学校を卒業。1944年に神宮皇學館大學予科修了、神宮皇學館大學古典科専攻入学と同時に陸軍特別幹部候補生となる。1946年に神宮皇學館大學が廃学となったので、京都帝国大學文学部転入学。澤瀉久孝に師事。1949年に卒業後、京都大学大学院入学、近畿大学附属高等学校教諭となる。 1952年に帝塚山学院短期大学講師、1954年に京都大学大学院退学、帝塚山学院短期大学助教授。1962年に皇學館大学教授。1994年に皇學館大学学長、「古事記の研究」で博士(文学)(京都大学)の学位を取得。
北村 甫(きたむら はじめ、1923年7月18日 - 200… 北村 甫(きたむら はじめ、1923年7月18日 - 2003年12月16日)は、日本のチベット学者。戦後のチベット学を牽引した。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所長。名誉教授。東洋文庫理事長。日本チベット学会会長。麗澤大学学長。 静岡県立静岡中学校を経て、1942年9月、静岡高等学校 (旧制)文科丙類卒業。同年10月、東京帝国大学文学部言語学科に入学。しかし時局の悪化にともない1943年12月、学徒動員により名古屋・中部第13部隊に入営。1945年9月、復員。 同年10月、東京帝国大学文学部言語学科に復学。1948年3月、東京大学文学部言語学科卒業(卒業論文は「五體清文鑑における滿州字の表す西藏語の音韻について」)。
森嶋 通夫(もりしま みちお、1923年7月18日 - 20… 森嶋 通夫(もりしま みちお、1923年7月18日 - 2004年7月13日)は、日本の経済学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授、同校サー・ジョン・ヒックス教授、大阪大学名誉教授。イギリス学士院会員。大阪府出身。 1923年に大阪市に生まれるが幼少期は神戸に在住し、1936年に神戸市の本山第一小学校を卒業する。七年制の旧制浪速高等学校を卒業後、1942年10月に京都帝国大学経済学部に進学する。大学在学中の1943年、学徒出陣により、20歳で徴兵される。1943年12月大日本帝国海軍に入隊し、海軍通信学校を出た後、長崎の大村航空隊へ配属。暗号解読を担当する少尉として赴任した。大村航空隊では、通信将校として、数多くの特攻隊との通信、沖縄に向かった戦艦大和との通信、沖縄戦の通信などを担当した。