中村 龍平(なかむら りゅうへい、1916年〈大正5年〉5月… 中村 龍平(なかむら りゅうへい、1916年〈大正5年〉5月20日 - 2008年〈平成20年〉3月29日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。陸軍士官学校卒業(第49期)、陸軍大学校卒業(第56期)。第10代陸上幕僚長、第7代統合幕僚会議議長。 滋賀県出身。農業組合長・中村忠治郎の長男として生まれる。水口中学校(現:滋賀県立水口高等学校)を卒業し、陸士予科を経て陸士本科へ進んだ。1937年(昭和12年)陸士本科(第49期)卒業。1942年(昭和17年)陸大卒業(恩賜組)。関東軍参謀、大本営陸軍部参謀等を務め、陸軍少佐で終戦を迎える。その後、公職追放となる。 1952年(昭和27年)7月、警察予備隊に入隊。
大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年… 大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。 1914年5月20日、福島県西白河郡三神村(現:矢吹町)にて住職の長男として生まれる。幼名「清男」。1921年、石川郡澤田小学校に入学。1924年、父母と別れ、祖母のもとで暮らすこととなる。同時に、三神尋常小学校(現:矢吹町立三神小学校)に転校。1927年、私立石川中学校(現:学校法人石川高等学校)に入学、「徳海」と改名。1932年、石川中学校卒業。同時に、川端康成らの文学に憧れて上京。日本大学法文学部芸術学専攻で川端康成らから指導を受ける。1934年、日本大学法文学部芸術学専攻を卒業。1935年、郷里に戻り、福島民友に小説を連載する。
前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年〈大正3年〉5月20… 前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年〈大正3年〉5月20日 - 1995年〈平成7年〉2月24日)は、日本の水泳選手、日本初のオリンピック女子金メダリスト(1936年 ベルリンオリンピック)。位階は従四位勲三等、栄典は瑞宝章、紫綬褒章、文化功労者。和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身、結婚後は兵藤 秀子(ひょうどう ひでこ)として活動。戸籍名は「兵藤 ヒデ子」。橋本市名誉市民。 1914年(大正3年)和歌山県伊都郡橋本町で豆腐屋を営む家に生まれ、紀ノ川で泳ぎを覚える。尋常小学校5年生のとき女子50メートル (m) 平泳ぎで学童新記録を出し、高等小学校2年生のとき汎太平洋女子オリンピックに出場し100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝した。
具 興南(ク・フンナム、朝鮮語: 구흥남/具興南、1914年… 具 興南(ク・フンナム、朝鮮語: 구흥남/具興南、1914年5月20日 - 1966年12月27日発見)は、大韓民国の教員、公務員、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は綾州具氏(綾城具氏)。 日本統治時代の全羅南道和順郡生まれ、現在のソウル特別市西大門区出身。平壌崇実中学校、早稲田大学英文科卒。 ソウル公立農業学校の教員、交通部総務課長、ソウル大学校予科講師を経て、釜山に移り韓国通運の社長を務めた。外資モータープール協会会長を経て、1954年の第3代総選挙では自由党の候補として和順郡選挙区から国会議員に当選し、1958年の第4代総選挙でも同様に当選した。任期中の1956年に国会復興委員長を務め、和順郡綾州面一帯の干ばつを解消するために同郡寒泉面に貯水池の建設を主導した。
佐々木 直吉(ささき なおきち、1913年(大正2年)5月2… 佐々木 直吉(ささき なおきち、1913年(大正2年)5月20日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。真珠湾攻撃において「甲標的」(特殊潜航艇)搭乗員として戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍特務少尉。 島根県出身。出産前からの心臓病で直吉の出産4日目に死亡、7歳で父を失っている。酒屋、農業、石見焼製造を営む叔父夫婦に育てられ、小学校高等科を卒業。金物商や材木商に見習いとして勤めたが、短期間で帰郷。海軍を志望し、2度目の受験で合格。1932年(昭和7年)呉海兵団に入団した。 駆逐艦「薄雲」、「蔦」、「磯波」乗組の艦隊勤務のほか、潜水学校、水雷学校高等科を修了している。
今井 哲夫(いまい てつお、1912年(明治45年)5月20… 今井 哲夫(いまい てつお、1912年(明治45年)5月20日 - 1987年(昭和62年)12月27日)は、日本の政治家。新潟県柏崎市長を2期8年(1979年 - 1987年)務めた。 青年期には陸上競技選手(長距離走)として活躍し、慶應義塾大学在学中に箱根駅伝に出走したほか、3000メートル障害で当時の日本記録を更新した。1936年ベルリンオリンピックに3000メートル障害で出場。 新潟県刈羽郡比角村(現在は柏崎市の一部)出身。1922年(大正11年)、比角尋常高等小学校(現在の柏崎市立比角小学校)5年生の際に、新潟県少年オリンピック大会での総合優勝に貢献する。旧制新潟県立柏崎中学校(現在の新潟県立柏崎高等学校)に進学、近県中学校競技大会で4種目優勝を果たした。
斎藤 良輔(さいとう りょうすけ、1911年〈明治44年〉5… 斎藤 良輔(さいとう りょうすけ、1911年〈明治44年〉5月20日 - 1996年〈平成8年〉11月27日)は、日本の玩具研究家、新聞記者。 群馬県伊勢崎市生まれ。旧制太田中学校を経て、1935年(昭和10年)に早稲田大学文学部英文科を卒業。 1936年(昭和11年)朝日新聞社に入社。社会部に勤務する。編集出版局、応召でジャワに渡る[要出典]。1954年(昭和29年)からは『週刊朝日』副編集長を務めた。1966年(昭和41年)定年退職し、朝日新聞社客員となる。 1970年(昭和45年)より女子聖学院短期大学の講師を勤める。 1996年(平成8年)心不全により死去。 弟は芸能音楽評論家の斎藤茂(1922年 - )。
古川 太郎(ふるかわ たろう、1911年(明治44年)5月2… 古川 太郎(ふるかわ たろう、1911年(明治44年)5月20日 - 1964年(昭和39年)7月4日)は、栃木県大田原市生まれの箏曲演奏家・作曲家である。宮城道雄の高弟。代表作として、「富嶽三十六景」「箏八重奏曲」「地蔵浄土」「平調子」「足をはづされた客車」などがある。 古川太郎の門下生に、尺八家・作曲家として高名な船川利夫がいる。
荻原 克巳(おぎわら かつみ、1911年(明治44年)5月2… 荻原 克巳(おぎわら かつみ、1911年(明治44年)5月20日 - 2008年(平成20年)1月31日)は、日本の政治家。長野県飯山市長。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)で、荻原善蔵、こま の長男して生まれた。1928年(昭和3年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業1947年(昭和22年)4月、同郡柳原村長となり1期在任。1951年(昭和26年)4月、長野県議会議員となり、1955年(昭和30年)には副議長を務めた。 1958年(昭和33年)飯山市長選挙に当選し1期務めた。在任中は豪雪対策、小中学校の統廃合、スキー場観光の振興などに尽力した。その他、旭町農業協同組合長、長野県信連や共済連の各理事長、長野県植物防疫協会会長を務めた。
大隈 信幸(おおくま のぶゆき、1910年5月20日 - 2… 大隈 信幸(おおくま のぶゆき、1910年5月20日 - 2004年2月28日)は、日本の政治家、外交官、華族(侯爵)。 貴族院議員、参議院議員(1期)、コロンビア駐箚特命全権大使、ガーナ駐箚特命全権大使などを歴任した。 東京帝国大学の経済学部に入学し、1935年に卒業した。1947年、父である大隈信常の死去にともない、爵位を襲爵し侯爵となった。 1947年2月に貴族院議員に就任したが、日本国憲法施行により貴族院が廃止されたため、3か月弱で貴族院議員としての地位を失った。また、同年4月に行われた第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、当選を果たした。参議院では民主クラブに所属した。任期満了まで2か月あまりを残し、1953年4月に議員を辞職した。
岡田 豊日(おかだ とよひ、1910年(明治43年)5月20… 岡田 豊日(おかだ とよひ、1910年(明治43年)5月20日 - 2000年(平成12年)1月27日)は、日本の昆虫学者。東京都立大学名誉教授、日本昆虫学会名誉会員、日本動物分類学会名誉会員。 日本のショウジョウバエ科昆虫の分類学的研究を進めたことで知られる。父は英文学者の岡田哲蔵、息子は地質学者の岡田昭明。 1910年5月20日、東京府麻布区笄町(現:東京都港区麻布)に生まれた。 1933年、東京帝国大学(現:東京大学)理学部動物学科に進学。丘英通に師事し、双翅目昆虫の形態学を研究。卒業後東京市水道局、日本大学第三中学校教諭を経て、東京帝国大学農学部の副手に着任。 第二次世界大戦時に台北に移り、台北帝国大学医学部助手、台湾省立衛生試験所顧問を歴任しながら研究活動を行った。
国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2… 国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2002年以前)は、日本の経営学者。 山口県柳井市生まれ。1934年東京商科大学卒業。増地庸治郎の指導を受けた。1940年東京外国語学校教授、1952年旧・東京都立大学教授、1961年東北大学経済学部教授、1961年「収支分岐点」で東北大学経済学博士。1974年定年退官、名誉教授、専修大学教授。81年退職。
菅 寿子(すが ひさこ、1909年〈明治42年〉5月20日 … 菅 寿子(すが ひさこ、1909年〈明治42年〉5月20日 - 1994年〈平成6年〉12月3日)は、日本の福祉活動家、社会事業家。神奈川県厚木市の社会福祉法人・紅梅会の元理事長、紅梅会で女性の知的障害者(精神薄弱者)を対象とする入所施設である紅梅学園の創立者、元園長。「女子精薄者の母」「女性知的障害者の母」と呼ばれる。夫は小説家・編集者の菅忠雄。東京市下谷区(後の東京都台東区)龍泉寺町出身、私立佐藤高等女学校(現・女子美術大学付属高等学校)卒業。旧姓は鶴田。 炭問屋の7人兄弟の長女として誕生。重度の知的障害者の末弟が滋賀の知的障害児施設である近江学園に引き取られ、同学園の女子部を目にしていたことが、後の人生に大きく影響を及ぼした。
中谷 泰(なかたに やすし/なかたに たい、1909年5月2… 中谷 泰(なかたに やすし/なかたに たい、1909年5月20日 - 1993年5月31日)は、三重県松阪市出身の画家。東京藝術大学教授。 戦前、新文展で特選。春陽会会員となる。絵本画家のいわさきちひろに油絵を指導したことでも知られる。本名は中谷泰一(なかたにたいいち)。 戦後は、日本美術会の書記長を務めた美術評論家の水沢澄夫に誘われ、同会に入会。春陽会や、日本アンデバンダン展(日本美術会主催)、平和美術展(美術家平和会議主催)にも作品を出品した。その後、日本美術会代表、東京藝術大学美術学部教授、財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長、日本美術会附属美術研究所「民美」所長を歴任した。 戦前から挿絵も手がけ、坪田譲治の名作児童文学『善太と三平』(童話春秋社、1940年)の挿絵を皮切りに、戦後のNHKのラジオドラマ番組「光を掲げた人々」をもとにした「光を掲げた人々」シリーズ全12巻(光の友社、1954年)の多くで挿絵を担当。
小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年〈明治41年〉5… 小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年〈明治41年〉5月20日 - 1977年〈昭和52年〉12月7日)は、日本の通信技術者、通信工学者、電気工学者、電子工学者。工学博士。松下電器産業東京研究所所長、松下電器産業中央研究所所長、株式会社松下電器東京研究所取締役社長、松下技研株式会社取締役社長。東北大学名誉教授、テレビジョン学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡茨曽根村茨曽根(現 新潟市南区茨曽根)出身。1925年(大正14年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1928年(昭和3年)3月に新潟高等学校を卒業、1931年(昭和6年)3月に東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。 1931年(昭和6年)5月に日本放送協会に入局、日本放送協会仙台放送局に配属、日本放送協会本部技術局に異動、送信用の大出力真空管を開発、日本放送協会東京大電力放送所を設計、π型回路の簡易な設計法を発表した。
下島 連(しもじま むらじ、1908年5月20日 - 198… 下島 連(しもじま むらじ、1908年5月20日 - 1986年10月18日)は、日本の英文学者、翻訳家。亜細亜大学教授。芥川龍之介の主治医であった下島勲の甥(後に養子)。 長野県上伊那郡中沢村(現・駒ヶ根市)出身。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1932年、京都帝国大学文学部英文科を卒業し、同年東京帝国大学英文科大学院に入学するが、翌年中途退学。その後すぐに文芸春秋社に入社。『文芸日本』誌の編集長を経て、1955年から1967年にかけて『アメリカーナ』誌(後に『日米フォーラム』誌に改題)の編集長を務める。 1967年、亜細亜大学に非常勤講師に就任。1971年より同学教養部教授。
上條 静光(かみじょう せいこう、1908年(明治41年)5… 上條 静光(かみじょう せいこう、1908年(明治41年)5月20日 - 2007年(平成19年)4月24日)は、日本画家。東京に生まれる。本名:上條健吉(かみじょう けんきち)。 現在の東京都荒川区日暮里の商家に生まれる。父方の本家は江戸、現在の中央区日本橋の油問屋・桝屋の屋号で商いをする油問屋であった。母は石川県輪島市の出身で輪島塗頭領、木下家の長女。健吉が三歳の時に父が亡くなる。1915年(大正4年)第二日暮里尋常小学校入学、1921年(大正10年)卒業し、東京府私立順天中学校入学、在学中より画家を志す。1923年(大正12年)関東大震災、1925年(大正14年)日暮里の大火で生家を焼失する。
綾曻 竹藏(あやのぼり たけぞう、1908年5月20日 - … 綾曻 竹藏(あやのぼり たけぞう、1908年5月20日 - 1969年7月14日)は、宮城県仙台市青葉区出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は大場 竹藏(おおば たけぞう)。最高位は西関脇。 1908年5月20日に宮城県仙台市青葉区で生まれる。当初は、日中を仙台の税務署で勤務しながら過ごして夜は学校に通って勉強する生活(現在で言えば定時制)を送っていたが、ある日近所の好角家から体格を見出されたことで千賀ノ浦部屋へ入門、1925年1月場所で初土俵を踏んだ。 1928年に部屋ごと出羽海部屋へ移籍してからは、当時角界一の強豪とも言われていた出羽海部屋の関取から激しい稽古を受けて成長し、1931年5月場所において双葉山定次と共に新十両昇進を果たした。
江沢譲爾(江澤譲爾、えざわ じょうじ、1907年5月20日 … 江沢譲爾(江澤譲爾、えざわ じょうじ、1907年5月20日 - 1975年1月23日)は、日本の地理学者。専門は経済地理学。学位は、経済学博士(一橋大学・論文博士・1955年)。経済地理学会初代会長。江澤譲爾とも表記される。
渡辺 文蔵(わたなべ ぶんぞう、1907年5月20日 - 2… 渡辺 文蔵(わたなべ ぶんぞう、1907年5月20日 - 2002年11月4日)は日本の実業家。味の素社長を1973年から8年務めた。敬虔なクリスチャンとしても知られ東京女子大学理事長などを務めた。食品産業功労賞。
谷 一郎(たに いちろう、1907年5月20日 - 1990… 谷 一郎(たに いちろう、1907年5月20日 - 1990年5月28日)は、日本の流体力学者。
谷 一郎(たに いちろう、1907年5月20日 - 1990… 谷 一郎(たに いちろう、1907年5月20日 - 1990年5月28日)は、日本の流体力学者。 東京府生まれ。1924年府立一中卒。1927年旧制一高卒。1930年東京帝国大学工学部航空学科卒。1943年「層流境界層ニ関スル研究」で工学博士の学位を取得。 東京帝国大学工学部講師から、1933-1944年航空研究所兼務、1942年第二工学部助教授。その間、特攻兵器「桜花」開発のため、木村秀政助教授の風洞実験用の木型設計を基に空気力学の実験に携わる(桜花 (航空機)#歴史参照)。 1951年東京大学生産技術研究所助教授、1952年東大理工学研究所教授、1958年東大航空研究所教授、1964年東大宇宙航空研究所教授、68年定年退官、名誉教授。
太田 和彦(おおた かずひこ、1905年5月20日 - 19… 太田 和彦(おおた かずひこ、1905年5月20日 - 1984年7月5日)は、日本の文部官僚、図書館情報学者。図書館短期大学(現・筑波大学情報学群知識情報・図書館学類)学長を務めた。 長野県飯田市出身。旧制長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、旧制第一高等学校を経て、京都帝国大学文学部哲学科卒業。文部省(現・文部科学省)入省。教科書調査官を務めた。 旧制浪速高等学校教授、群馬大学教授、獨協大学文学部教授を歴任し、1969年図書館短期大学(のちの図書館情報大学を経て、現・筑波大学情報学群知識情報・図書館学類)学長に就任。時代に即した文献情報学科の新設、筑波移転に伴う四年制大学昇格(図書館情報大学)の基礎固めに尽力した。
熊谷 義雄(くまがい よしお、1905年5月20日 - 19… 熊谷 義雄(くまがい よしお、1905年5月20日 - 1994年1月4日)は、日本の政治家、自由民主党衆議院議員(5期)。三木派。デーリー東北新聞社取締役。親族に八戸市長の熊谷雄一がいる。 1905年、岩手県下閉伊郡普代村に生まれる。1917年、普代村立堀内小学校を卒業する。1929年、明治大学を卒業。卒業後は八戸魚市場専務を経て、戦後は大洋水産を創立し、社長となり、大洋石油、大洋水産工業、八戸製函、八戸ガス各社長、八戸商工会議所会頭に就任する。ほか、中央魚類、丸美屋、八戸通運、八戸臨海倉庫、青森県製釘、青森放送各取締役、八戸市総合振興対策審議会長を歴任した。 1963年、第30回衆議院議員総選挙において青森1区から自由民主党公認で立候補して初当選する。
山辺 健太郎(やまべ けんたろう、1905年5月20日 - … 山辺 健太郎(やまべ けんたろう、1905年5月20日 - 1977年4月16日)は、日本の歴史家、労働運動家。太平洋戦争後は日本共産党に所属した時期がある。「山健」の愛称で知られた。 ※脚注のないものは『社会主義運動半生記』[要ページ番号]より。 東京府本郷区(現・東京都文京区)に生まれる。1907年、別府に移る。別府市立北尋常小学校(のちに別府市立北小学校となり、2009年に別府市立別府中央小学校に統合)を卒業する。 1918年春、京城府(現・ソウル特別市)に移る。1919年1月に帰国し、4月から丸善大阪支店の見習店員となる。 1920年暮、大阪の白鹿足袋工場に入る。1921年5月、大阪の第1回メーデーに参加。
星名 秦(ほしな しん、1904年 5月20日 - 1984… 星名 秦(ほしな しん、1904年 5月20日 - 1984年9月26日)は、日本の元ラグビー選手で指導者。京都大学ラグビー部出身。元同志社大学工学部長、元同大学学長。
石田 和外(いしだ かずと、1903年5月20日 - 197… 石田 和外(いしだ かずと、1903年5月20日 - 1979年5月9日)は、日本の裁判官(第5代最高裁判所長官)、剣道家(第2代全日本剣道連盟会長、一刀正伝無刀流第5代宗家)、「英霊にこたえる会」初代会長、「元号法制化実現国民会議」初代議長。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。 福井県福井市生まれ。父は福井県庁職員。祖父の石田磊は福井商工会議所初代会頭、第九十二国立銀行頭取、福井市議会議長であった。 福井中学校在学中、父が46歳で他界し、一家で上京。錦城中学校を卒業し、1920年(大正9年)、旧制第一高等学校に進学。 東京帝国大学法学部を卒業する。 卒業後は司法省に入省。最高裁判所長官を務め、1973年5月定年退官。
福井 勇(ふくい いさむ、1903年5月20日 - 2006… 福井 勇(ふくい いさむ、1903年5月20日 - 2006年8月14日)は、日本の昭和期の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。現在の経世会の祖先にあたる周山会の一味だった。 愛知県蒲郡市出身。浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)を卒業後、商工省に入省。官僚生活を経て1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から日本自由党公認で出馬したが落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙に民主自由党公認で出馬し初当選した。保守合同後は自民党に所属し、通算当選6回。文部・運輸政務次官などを歴任した。1973年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。1975年からは参議院議員を1期務めた。
梶浦 正之(かじわら まさゆき、1903年(明治36年)5月… 梶浦 正之(かじわら まさゆき、1903年(明治36年)5月20日 - 1966年(昭和41年)12月12日)は日本の詩人。 愛知県海部郡佐織町勝幡(現・愛西市)に生まれる。1930年(昭和5年)に法政大学経済学部を卒業する。 早くから雅趣溢れる象徴詩を『明星』、『日本詩人』、『詩聖』などに発表し、1921年(大正10年)に『飢え悩む群れ』を刊行し、1925年(大正14年)に刊行した『鳶色の月』によって詩壇に確固たる地位を得た。その後、1935年(昭和10年)代に入ると新現実派を主唱し、詩誌『詩文学研究』を発行する。
田辺 晃(田邊 晃、たなべ あきら、1903年〈明治36年〉… 田辺 晃(田邊 晃、たなべ あきら、1903年〈明治36年〉5月20日 - 没年不明)は、日本の地主・実業家。神奈川県多額納税者。東土地合名会社代表社員。早稲田大学評議員。 神奈川県横浜市中区中村町、田辺郷左衛門の三男、あるいは四男。1925年、早稲田大学専門部法律科卒業。1936年、家督を相続。貸地業を営む。1938年、蒙疆連合委員会の招聘に応じ渡蒙し、蒙古聯合自治政府嘱託となる。 趣味は自然科学研究、音楽、読書、旅行。宗教は真言宗。住所は神奈川県横浜市中区中村町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大矢崎 信哉(おおやざき しんや / のぶや、1903年5月… 大矢崎 信哉(おおやざき しんや / のぶや、1903年5月20日 - 没年不明)は、大正・昭和時代の大相撲力士。峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋→花籠部屋所属。本名は木越 信哉。最高位は十両2枚目。 秋田県北秋田郡田代町(現大館市)出身。1920年5月初土俵を踏む。1925年1月十両に昇進。番付を上げ、1926年1月には西十両2枚目まで進んだが、この場所で負け越してからは番付を下げ、1927年1月に幕下に落ちた。1927年10月再十両、この場所と翌場所も負け越し、再び幕下に落ちた。1928年5月に十両復帰。連続6場所務めた後、1930年1月幕下に落ち、同年10月に廃業した。 甥は伊勢ヶ濱部屋の元十両力士の大矢崎武男。
筒井 竹雄(つつい たけお、1902年〈明治35年〉5月20… 筒井 竹雄(つつい たけお、1902年〈明治35年〉5月20日 - 1968年〈昭和43年〉9月15日)は、日本の朝鮮総督府官僚、陸上自衛官。初代陸上幕僚長。 和歌山県出身。筒井熊吉の長男として生まれる。和歌山中学、第五高等学校を経て、東京帝国大学に入学。1925年(大正14年)11月、高等試験行政科試験に合格。1927年(昭和2年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 1927年(昭和2年)4月、拓務省に入省し、朝鮮総督府属となり内務局に配属。以後、専売局属、咸鏡南道地方課長、京畿道学務課長、咸鏡北道警察部長、警務局図書課長、内務局地方課長などを歴任し、終戦時は黄海道知事であった。たまたま京城に出張中であったが、総督府からソ連軍の情報を得て急遽、任地に戻った。
島 芳夫(しま よしお、1902年5月20日 - 1985年… 島 芳夫(しま よしお、1902年5月20日 - 1985年11月)は、日本の倫理学者、京都大学名誉教授。 福井県生まれ。1926年京都帝国大学文学部哲学科卒。1936年、同助教授、京大教授、1966年、定年退官、大谷大学教授。文学博士。
副島 民雄(そえじま たみお、1902年5月20日 - 19… 副島 民雄(そえじま たみお、1902年5月20日 - 1975年7月10日)は、日本の哲学者、歌人。妻・百合子は太田秀穂の長女。 佐賀県出身。1927年東京帝国大学文学部哲学科卒。1962年「プラトンの後期における生成について」で京都大学文学博士。熊本大学教授、1963年九州大学文学部教授。1967年定年退官、お茶の水女子大学教授、日本ルーテル神学大学教授を務めた。古代ギリシア哲学専門で、『水甕』所属で短歌を詠んだ。
島 秀雄(しま ひでお、1901年(明治34年)5月20日 … 島 秀雄(しま ひでお、1901年(明治34年)5月20日 - 1998年(平成10年)3月18日)は、昭和初期 - 中期の鉄道技術者。元日本国有鉄道(国鉄)技師長(1955年 - 1963年)。宇宙開発事業団(NASDA)初代理事長(1969年 - 1977年)。大阪府出身。島安次郎の子。 「デゴイチ」の愛称で知られる貨物用蒸気機関車D51形の設計に関与。また新幹線計画では、国鉄総裁の十河信二や新幹線総局長の大石重成らと共にその実現に大きく貢献し、「新幹線の生みの親」と称される。国鉄退職後は、宇宙開発事業団でロケット開発にも携わった。 1969年(昭和44年)に英国機械学会のジェームズ・ワット賞を日本人として初めて受賞。
横山 清松(よこやま きよまつ、1900年 <明治33年> … 横山 清松(よこやま きよまつ、1900年 <明治33年> 5月20日 - 1980年 <昭和55年> 2月21日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。宮崎県出身。位階は従四位。 1923年に長崎高等商業学校本科を卒業し、1925年に郡是製絲 (のちのグンゼ) に入社。1952年1月に取締役、1955年2月に常務、1960年1月に専務を経て、1965年10月には社長に就任。1970年1月には会長に就任。 1970年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1980年2月21日閉塞性黄旦のために死去。79歳没。死没日付をもって正八位から従四位に進階した。
賀谷 與吉 / 与吉(かや よきち、1899年(明治32年)… 賀谷 與吉 / 与吉(かや よきち、1899年(明治32年)5月20日 - 1945年(昭和20年)6月25日)は、日本の陸軍軍人。生前の最終階級は中佐(戦死後、特進により少将)。沖縄戦において第62師団歩兵第63旅団独立歩兵第12大隊(通称:賀谷支隊)を率いた事跡で知られる。 山口県佐波郡牟礼村(現・防府市)生まれ。広島幼年学校を卒業。陸軍士官学校第33期生。1942年6月26日第3軍第1国境守備隊第4地区隊長。1944年1月13日第62師団独立歩兵第12大隊長。同年8月、沖縄県中頭郡北中城村の島袋地区で陣地構築に携わる。 1945年(昭和20年)4月1日、アイスバーグ作戦により嘉手納海岸に上陸した第7師団、第96師団を相手に独立歩兵第12大隊(総員1,233名)で4日間の遅滞戦闘を行い、日本軍が待ち構える嘉数陣地まで米軍を誘導することに成功した。
緒方 安雄(おがた やすお、1898年(明治31年)5月20… 緒方 安雄(おがた やすお、1898年(明治31年)5月20日 - 1989年(平成元年)5月22日)は、日本の小児科医。山王病院名誉院長 曾祖父は緒方洪庵。緒方惟準の二男・銈次郎の長男として大阪府に生まれる。母方の祖父は三浦安。弟は緒方富雄。叔父に緒方章と緒方知三郎。五世祖父に佐藤泰然。旧制大阪府立天王寺中学校、旧制第三高等学校を経て、1924年東京帝国大学医学部卒業。1932年「鐵症の実験的研究」で東京帝大医学博士。1937年東宮侍医となり、今上天皇の幼時まで担当医となる。山王病院院長を経て名誉院長。
乙女川 定吉(おとめがわ さだきち、1897年5月20日 -… 乙女川 定吉(おとめがわ さだきち、1897年5月20日 - 没年不明)は、大正・昭和時代の大相撲力士。浦風部屋所属。本名は宮城 定吉。最高位は十両6枚目。 秋田県秋田市出身。浦風部屋に入門し、1914年1月、初土俵を踏む。1925年1月、「羽後錦」の四股名で十両に昇進したが、2勝4敗と負け越し、幕下に落ちた。「乙女川」に改名後の1928年1月再十両。同年5月、10月と5勝6敗に終わり、再び幕下に落ち、1929年3月に廃業した。
園池 公功(そのいけ きんなる、1896年〈明治29年〉5月… 園池 公功(そのいけ きんなる、1896年〈明治29年〉5月20日 - 1972年〈昭和47年〉2月15日)は日本の演出家。 子爵園池実康(さねやす)の次男。母は正親町春香(権大納言正親町実徳の娘、伯爵正親町実正の妹)。作家・園池公致の実弟。 東京府出身。京都帝国大学卒業。1922年、帝国劇場入社。文芸部で演出を担当。のち松竹や東宝に勤務。 1932年、革命後のソヴィエトを視察。 戦後は女子美術大学の理事を務めた。
中村 庸一郎(なかむら よういちろう、1896年〈明治29年… 中村 庸一郎(なかむら よういちろう、1896年〈明治29年〉5月20日 - 1983年(昭和58年)11月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。位階は正四位。 漢学者・中村時中の長男に生まれ、専修大学経済学部を卒業。1942年の第21回衆議院議員総選挙に千葉3区から翼賛政治体制協議会推薦で立候補し、初当選。翼賛選挙の推薦候補だったため戦後に公職追放された。追放解除後は改進党公認で1952年の第25回衆議院議員総選挙に立候補し当選、政界に返り咲いた。日東交通の合併設立に尽力し社長に就任。また大日本セロファンや桜ゴムなど20数社の役員、千葉銀行の監査役などを務めていた。 改進党・日本民主党・自由民主党内では大麻唯男ら旧立憲民政党系右派の政治家が結集した大麻派に属し、大麻の死後、宮沢胤勇・野田武夫・小泉純也・浜野清吾・真鍋儀十・山本粂吉ら他の大麻派のメンバーとともに岸派に合流。
中戸川 吉二(なかとがわ きちじ、1896年(明治29年)5… 中戸川 吉二(なかとがわ きちじ、1896年(明治29年)5月20日-1942年(昭和17年)11月19日)は、北海道釧路区(現釧路市)生まれの小説家。 農場を営む素封家の次男として生まれる。幼少時に上京し、西片の誠之小学校(現文京区立誠之小学校)に通う。明治大学中退。釧路在住を経て、里見弴に師事。1923年(大正12年)雑誌「随筆」を創刊。代表作に「イボタの虫」、「兄弟とピストル泥棒」がある。1921年、里見の許に来ていた吉田富枝と恋仲になり、その処遇をめぐって里見と関係が悪化、富枝と結婚するが、その経緯を小説『北村十吉』として、里見は「おせつかい」として書いた。牧野信一の才能を評価し、牧野らとともに雑誌「随筆」を発刊。
中山 理々(なかやま りり、1895年5月20日 - 198… 中山 理々(なかやま りり、1895年5月20日 - 1981年7月27日)は、東京都出身の日本の宗教家・実業家。浄土真宗東本願寺派法善寺住職。東京大学文学部哲学科卒業。 国際派の仏教人として知られ、世界平和の推進に尽力。日本仏教鑚仰会理事長、世界宗教者平和会議日本委員会常務理事、ガンジー平和連盟理事長、東京博善社社長、仏教タイムス社長、真宗大谷派宗議会議員などの要職を歴任した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山本 晴介(やまもと はるすけ、1893年〈明治26年〉5月… 山本 晴介(やまもと はるすけ、1893年〈明治26年〉5月20日 - 1978年〈昭和53年〉12月25日)は、日本の武道家。段位は全日本剣道連盟居合道範士九段、剣道教士七段。流派は無双直伝英信流。 高知県香美郡赤岡町須留田で生まれる。香南八ヵ町村組合立城山高等小学校卒業後、唐箕作りの大工修行をしながら大日本武徳会赤岡支所及び高知支部で川崎善三郎らに剣道を学ぶ。1917年(大正6年)、大江正路に入門し、無双直伝英信流居合術を学ぶ。1922年(大正11年)4月、上京し、岩倉鉄道学校3年生に編入するも、同年8月に退学、帰郷する。 土陽新聞通信員兼高知農学校の剣道及び生理衛生科教師となる。1939年(昭和14年)、京都で開かれた全国青年剣道大会に高知農学校剣道部員を引率し、350校の中で準優勝に導いた。
三枝 博音(さいぐさ ひろと、1892年〈明治25年〉5月2… 三枝 博音(さいぐさ ひろと、1892年〈明治25年〉5月20日 - 1963年〈昭和38年〉11月9日)は、日本の哲学者。 思想史・科学史・技術史についての研究も多い。 広島県山県郡本地村(現・北広島町)出身。生家は浄土真宗の寺院・浄専坊。第四仏教中学(現・崇徳高等学校)を経て、東京帝国大学文学部哲学科に進む。在学中1年間の兵役体験から、社会的なものへ傾倒しマルクス主義に没頭した。 1922年大学卒業後は同郷で、医学史の大家・富士川游に師事。東洋大学、立正大学、法政大学などで教職に就いた。1928年、無神論運動を起こす。1931年半年間ドイツに留学、世界観の変革に多大な影響を受けた。1932年に戸坂潤らとともに唯物論研究会の創立に参加。
羽生 操(はぶ みさお、男性、1891年5月20日 - 19… 羽生 操(はぶ みさお、男性、1891年5月20日 - 1976年8月21日)は、日本の作家、翻訳家。 鹿児島県種子島の西之表松畠出身。1905年3月榕城尋常高等小学校高等科3年修了。1910年3月第一鹿児島中学校卒業。同年5月から翌年7月まで国上小学校や榕城小学校の代用教員を務める。1911年9月には第七高等学校造士館に入るが、病気で中退し、郷里に戻って静養。 1918年上京し、同年博文館に入社して雑誌編集者を務め、1921年5月退社。1922年4月から1924年3月まで日本女子高等学院教授(国文学担当)。1928年10月から1933年7月まで萬朝報特派員として西欧を、1935年12月以降商工省貿易局編纂図書資料調査のため香港・東南アジア・ハワイ・北米を回る。
安住 悦太郎(あずみ えつたろう、1891年〈明治24年〉5… 安住 悦太郎(あずみ えつたろう、1891年〈明治24年〉5月20日 - 没年不明)は、日本の商人(薬種貿易商)、実業家。族籍は大阪府平民。 鳥取県八頭郡那岐村大字奥本(現・智頭町)出身。安住瀧蔵の二男。叔父・安住伊三郎の養子となる。1913年、第三高等学校卒業。1916年、京都帝国大学法科大学卒業。 薬種貿易商で、殺虫剤製造業及び輸出業を営む。安住大薬房社長・同常務取締役・同専務取締役、安住産業会長・同取締役、タイ国名誉副領事などをつとめる。 宗教は真言宗。趣味は釣魚、長唄。大阪市在籍で、住所は大阪府豊能郡箕面半町(現・箕面市)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
柿沼 太郎(かきぬま たろう、1891年(明治24年)5月2… 柿沼 太郎(かきぬま たろう、1891年(明治24年)5月20日 - 1967年(昭和42年)12月22日)は、日本の音楽評論家。 東京出身。本名・柿沼市太郎。早稲田大学文学部英文科卒、中央音楽院に学び、天谷秀に師事。1924年、雑誌『音楽新潮』主幹になり、1942年まで勤めた。その後音楽評論家としてクラシック音楽についての著作や翻訳を多くなした。
杉浦 武雄(すぎうら たけお、1890年(明治23年)5月2… 杉浦 武雄(すぎうら たけお、1890年(明治23年)5月20日 - 1963年(昭和38年)9月12日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。位階は正四位、勲等は勲二等。
堤 隆(つつみ のぼる、1890年(明治23年)5月20日 … 堤 隆(つつみ のぼる、1890年(明治23年)5月20日 - 1947年(昭和22年)2月22日)は、大正から昭和前期の教育者、政治家。衆議院議員。旧姓・黒川。 滋賀県神崎郡、のちの永源寺町甲津畑(現・東近江市甲津畑町)で、浄土真宗大谷派浄源寺住職・黒川霊瑞、マサノの三男(兄2人妹2人)として生まれた。甲津畑尋常高等小学校、滋賀師範学校を経て、1914年(大正3年)広島高等師範学校を卒業し、さらに1917年(大正6年)京都帝国大学文科大学哲学科を卒業した。京大入学の際に、滋賀県長浜の医師・堤泰造、コトの末娘(兄2人姉2人)千代と結婚し婿養子となる。養母コトは父方の伯母で、千代は従姉妹である。 小学校訓導を務めた後、1918年(大正7年)2月、新洋丸でハワイに渡航し在ヒロ市日本人ハイスクール校長に就任した。