鳩山 幸(はとやま みゆき、1943年〈昭和18年〉6月28… 鳩山 幸(はとやま みゆき、1943年〈昭和18年〉6月28日 - )は、第93代内閣総理大臣鳩山由紀夫の妻。 夫の由紀夫が理事長を務める東アジア共同体研究所の評議員。元宝塚歌劇団星組の娘役。自身をライフコーディネーター(ライフスタイルの伝導師)と呼んでいる。息子は国民民主党所属衆議院議員の鳩山紀一郎。 中華民国(現:中華人民共和国)の上海にて、アメリカの市民権をもつ楠瀬幸雄、秀子夫妻の二女として生まれる。1944年、戦況の悪化から母と一緒に日本に疎開し、高知県で生活を始める。その後、神戸市に引越し、神戸海星女子学院に編入した。学生時代のあだ名は、変わり者を意味する「black sheep(黒い羊)」。
伊藤 勝康(いとう かつやす、1943年6月28日 - )は… 伊藤 勝康(いとう かつやす、1943年6月28日 - )は日本の実業家、公認会計士。リゾートトラスト株式会社創業者、同社代表取締役社長。
千田 啓介 (せんだ けいすけ、1943年6月28日 - )… 千田 啓介 (せんだ けいすけ、1943年6月28日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは遊撃手。
作道 烝(さくどう すすむ、1943年6月28日 - )は、… 作道 烝(さくどう すすむ、1943年6月28日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)。
新井 茂子(あらい しげこ、1943年6月28日 - )は、… 新井 茂子(あらい しげこ、1943年6月28日 - )は、日本の元女優。夫は俳優の中田博久。 東京都千代田区麹町出身。東京都立九段高等学校卒業。テアトル・ド・ポッシュに所属していた。 1958年、東映ニューフェイスの第5期に合格。合格当時の年齢が14歳であったことから、翌年、第6期として東映に入社。同期には千葉真一・亀石征一郎・太地喜和子・真山知子・茅島成美・都築克子らがいる。 1960年、映画『殴りつける十代』でデビュー。以後、『飛ばせ特急便 深夜の脱獄者』(1961年)、『殺人鬼の誘惑』(1963年)、『十七才のこの胸に』(1964年)など、主に現代劇に多数出演する。 その後、東映を離れてフリーとなり、テレビドラマを中心に活動する。
秋山 義昭(あきやま よしあき、1942年6月28日 - 2… 秋山 義昭(あきやま よしあき、1942年6月28日 - 2011年1月10日)は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1989年)。小樽商科大学名誉教授、同大学元学長。北海道出身。 行政救済法に関する分野を研究。特に国家の過失と責任を対象としている
トミー 関(トミー せき、1942年6月28日 - )は、日… トミー 関(トミー せき、1942年6月28日 - )は、日本の男性声優、俳優。テアトル・エコー所属。本名:大関 富也()。旧芸名:関 富也()。東京都港区麻布出生。蟹座。血液型はA型。東京都立武蔵丘高等学校卒。 学生時は板橋区立板橋第一小学校、板橋区立板橋第三中学校、東京都立武蔵丘高等学校に通学。 高校卒業後、1961年に劇団NBKに入団。その後、喜劇役者を目指して、1963年に劇団テアトル・エコーに移籍した。 特撮テレビドラマ『仮面ライダー』では、再生怪人で比較的セリフの多い役を担当することが多かった。声質から倉口佳三と混同されることもある。
大前 繁雄(おおまえ しげお、1942年6月28日 - )は… 大前 繁雄(おおまえ しげお、1942年6月28日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。兵庫県尼崎市出身。
土井 正三(どい しょうぞう、1942年6月28日 - 20… 土井 正三(どい しょうぞう、1942年6月28日 - 2009年9月25日)は、プロ野球選手(内野手)・監督、野球解説者。兵庫県出身。
諸澤 英道(もろさわ ひでみち、1942年6月28日 - )… 諸澤 英道(もろさわ ひでみち、1942年6月28日 - )は、日本の刑事学者。専門は被害者学、犯罪学、刑事学、刑事政策学、少年法制。日本における被害者学の中心的な人物。常磐大学で理事長を務めた。 茨城県水戸市出身。諸澤正道(1923 - 2003、文部事務次官、常盤大学理事長)の甥。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1966年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1971年同大学大学院法学研究科博士課程満期退学。 1994年常磐大学人間科学研究科教授、学長、理事長。日本被害者学会理事(設立時の事務局長)。(財)アジア刑政財団学術評議員。全国被害者支援ネットワーク顧問。全国犯罪被害者の会顧問。いばらき被害者支援センター顧問。
中原 茂明(なかはら しげあき、1941年6月28日 - )… 中原 茂明(なかはら しげあき、1941年6月28日 - )は日本の実業家。トクヤマ代表取締役社長や、同社取締役会長、塩ビ工業・環境協会会長、日本ソーダ工業会会長などを務めた。 東京都出身。東京都立豊多摩高等学校を経て、1966年一橋大学商学部卒業、徳山曹達(現トクヤマ)入社、計数課配属。東京支店調査課、ソーダ薬品営業企画課、化学品営業企画課を経て、1970年東京支店購買課課長代理。1972年総合企画室主席。1988年IRIS本部主席兼広報室主席。1989年広報室長兼IRIS本部部長。1991年化成品企画グループリーダー兼IRIS本部部長。1995年取締役化成品事業部長。2000年常務取締役化成品事業部長、各支店管掌。
上 久雄(かみ ひさお、1941年6月28日 - )は、広島… 上 久雄(かみ ひさお、1941年6月28日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(DF、MF)・監督。 広島市立国泰寺中学校を経て、広島山陽高校では渡部英麿監督の指導を受けた。卒業後は寺西忠成監督に誘われ、1960年に八幡製鉄サッカー部へ入部。身体能力に優れ、ハードタックルと空中戦に強さを発揮。渡辺正・宮本輝紀らと共に主力選手として活躍し、ストッパーとして相手チームのエースのマークを任され、1966年と1967年には2年連続で「年間優秀11人賞」に選出される。日本代表では主にハーフバックとして活躍し、東京五輪では代表初のベスト8進出に貢献。メキシコシティ五輪は予選こそレギュラーとして出場したが、本戦では登録メンバーから外れた。
平沢 豊満(ひらさわ とよみつ、1941年6月28日 - )… 平沢 豊満(ひらさわ とよみつ、1941年6月28日 - )は、日本の政治家。元長野県箕輪町長(3期)。ローカル・マニフェスト推進首長連盟町村長代表。旭日双光章受章。
八木忠栄(やぎ ちゅうえい、1941年6月28日- )は、日… 八木忠栄(やぎ ちゅうえい、1941年6月28日- )は、日本の詩人。 新潟県見附市田井町出身。新潟県立長岡高等学校、日本大学芸術学部卒業。「むむ」「新日本詩人」「悪徒」「炎」「ぎゃあ」などの同人をへて、1962年詩集「きんにくの唄」を発表。1965-69年「現代詩手帖」編集長を務めたのち73年から個人詩誌「いちばん寒い場所」を創刊。2004年の「雲の縁側」で現代詩花椿賞、2015年「雪、おんおん」で詩歌文学館賞、現代詩人賞受賞。2011年日本現代詩人会会長。スタジオ200、銀座セゾン劇場総支配人をへて、セゾン文化財団常務理事。落語に関する著作もある。新潟日報読者文芸選者。
海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1… 海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1997年7月5日)は、茨城県龍ケ崎市出身で小野川部屋(のち出羽海部屋)に所属した大相撲力士。本名は入井 勇(いりい いさむ)。最高位は東関脇(1968年1月場所)。現役時代の体格は172cm、120kg。得意手は左四つ、寄り、蹴手繰り、蹴返し、突き落とし。 中学校卒業後に角界入りし、1956年5月場所、小野川部屋から初土俵を踏んだ。最初は本名でもある「入井」の名で番付に付いたが、当時日本で人気が高かった元力士のプロレスラー・力道山にあやかろうとして、「海力山(かいりきざん)」という四股名を考え、日本相撲協会に改名届を出した。ところが、実際に発表された1957年1月場所の番付表には、なぜか「海乃山」と記されていた。
葉山 夏樹(はやま なつき、1939年6月28日 - )は、… 葉山 夏樹(はやま なつき、1939年6月28日 - )は、日本の実業家。田辺三菱製薬(現・田辺ファーマ)株式会社の初代代表取締役社長や、日本製薬工業協会副会長を務めた。
岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は… 岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、学習院女子短期大学文科英語専攻卒業。 1962年(昭和37年)に大蔵省職員の岡下昌浩と結婚。1989年(平成元年)に夫が大蔵省を退職し、政治活動を始めると、秘書として夫を支える。昌浩は、1990年(平成2年)の総選挙には無所属で、1993年(平成5年)および1996年(平成8年)の総選挙には自由民主党から出馬するがいずれも落選。その後、1998年(平成10年)に昌浩が急逝する。 2000年(平成12年)の総選挙に、岡下は夫の地盤を引き継ぎ、大阪17区から自民党公認で出馬し初当選。
片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月… 片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。キャッチコピーは『地球人・未来人・片上公人』 神戸市出身。神戸大学経済学部卒業。神戸市職員、創価学会の地元役員、聖教新聞記者などを経て1986年の第14回参議院議員通常選挙に兵庫県選挙区より公明党公認で出馬し、当選。1992年の選挙で再選を果たす。 1995年秋、女性秘書に対するセクハラで告訴される。1995年11月16日には自民党、日本社会党、新党さきがけ、日本共産党の全女性議員22人が事実関係の調査と片上議員の議員辞職を求める超党派の声明を出した。22日には、自民党の石井道子、南野知惠子、社会党の千葉景子、日下部禧代子、大脇雅子、栗原君子、さきがけの堂本暁子、共産党の吉川春子、阿部幸代が参院議長に対して「多くの女性の憤りや疑問に答えるためにも速やかな事実の解明を求める」との申し入れ書を手渡した。
佐野 洋子(さの ようこ、1938年〈昭和13年〉6月28日… 佐野 洋子(さの ようこ、1938年〈昭和13年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉11月5日)は、日本の絵本作家、エッセイスト。 代表作として、絵本『100万回生きたねこ』(1977年)。エッセイ、児童文学、脚本、小説、海外絵本の翻訳も手がけた。 1938年、満鉄調査部勤務の父利一、母シズの間に、長女(7人きょうだいの第二子)として北京で生まれる。幼少期を北京で過ごし、1945年(7歳)に大連に転居して小学校に入学、同地で日本の敗戦を迎える。1947年(9歳)に一家は山梨県に引き揚げ、当初は父方伯父のもとに身を寄せた。 1942年に三弟(生後33日)、1947年の引き揚げ後に四弟(4歳)を亡くし、1948年(10歳)には大好きであった兄(11歳)を亡くしている。
小林 俊一(こばやし しゅんいち、1938年6月28日 - … 小林 俊一(こばやし しゅんいち、1938年6月28日 - )は、日本の物理学者、理学博士。理化学研究所理事長を務めた。 奈良県出身。1962年に大阪大学理学部物理学科を経て、1967年に大阪大学院理学部物理学専攻博士課程修了。 1967年4月に大阪大学基礎工学部助手に就任し、1968年11月には東京大学理学部助手に就任し、講師、助教授、教授を経て、1993年4月に理学部部長に就任し、1997年4月には副学長に就任。1998年8月から2003年4月までに理化学研究所理事長を務め、2004年4月に東京農業大学監事を経て、2006年4月に秋田県立大学理事長兼学長に就任。 2018年11月に瑞宝中綬章を受章。
西原 親(にしはら ちかし、1938年(昭和13年)6月28… 西原 親(にしはら ちかし、1938年(昭和13年)6月28日 - 2018年(平成30年)12月27日)は、日本の政治家。位階は従四位。 福岡県みやま市長(3期)、福岡県議会議員(5期)。 1961年(昭和36年)3月、九州大学経済学部卒業。同年4月、江商株式会社(現・兼松株式会社)に就職。1981年(昭和56年)4月から2007年(平成19年)3月まで福岡地方裁判所調停委員を務めた。 1983年(昭和58年)4月の福岡県議会議員選挙に初当選。2003年(平成15年)の県議選において、当時定数2だった山門郡選挙区で自民党公認の候補者に僅差で敗れた。県議時代は全国農政連に所属した。 2007年(平成19年)1月29日、瀬高町・山川町・高田町が合併し、みやま市が誕生。
伊藤 瞭介(いとう りょうすけ、1938年6月28日 - )… 伊藤 瞭介(いとう りょうすけ、1938年6月28日 - )は、日本の実業家。1997年に風力発電メーカーであるゼファーを設立、小型風力発電施設では日本一のシェアを誇る企業に成長させた。
大久保 司(おおくぼ まもる、1937年6月28日 - 20… 大久保 司(おおくぼ まもる、1937年6月28日 - 2023年7月16日)は、日本の政治家。元茨城県結城郡八千代町長(5期)、元八千代町議会議員。 茨城県生まれ。茨城県立下妻第一高等学校卒業。農協理事や八千代町議会議員などを歴任。 1999年(平成11年)、第12代八千代町長に初当選。2月9日、町長に就任。 2014年(平成26年)8月24日、八千代町松本の温泉施設で開かれた歌謡ショーに招待された際、千葉県在住の女性客に近付き、服の上から胸をつかんだ。2015年(平成27年)4月5日、同施設での別の歌謡ショーでゲストの演歌歌手の三城ゆり子が歌った後、ステージに上がり、財布から1万円札を取り出すと、三城の着物の胸を両手で押し広げ、のぞき込んでから札を押し入れた。
國松 孝次(くにまつ たかじ、1937年6月28日 - )は… 國松 孝次(くにまつ たかじ、1937年6月28日 - )は、日本の元警察官僚、警察庁長官。静岡県浜松市出身。
野口 武彦(のぐち たけひこ、1937年6月28日 - 20… 野口 武彦(のぐち たけひこ、1937年6月28日 - 2024年6月9日)は、日本の文芸評論家、国文学者、思想史家、作家。神戸大学名誉教授。 東京府出身。1956年、東京都立戸山高等学校卒業。1962年、早稲田大学第一文学部卒業。その後、東京大学文学部卒業、東京大学大学院博士課程中退。 神戸大学大学院人文学研究科・文学部助教授、教授を経て、2002年に定年退官、名誉教授。ハーバード大学客員研究員、プリンストン大学客員教授を務める。 1973年に『谷崎潤一郎論』で亀井勝一郎賞、1980年に『江戸の歴史家』でサントリー学芸賞、1986年に『「源氏物語」を江戸から読む』で芸術選奨文部大臣賞、1992年に『江戸の兵学思想』で和辻哲郎文化賞、2003年に『幕末気分』で読売文学賞を受賞。
安藤 順三(あんどう じゅんぞう、1935年6月28日 - … 安藤 順三(あんどう じゅんぞう、1935年6月28日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。
小島 又雄(こじま またお、1935年6月28日 - 201… 小島 又雄(こじま またお、1935年6月28日 - 2015年6月4日)は、日本の実業家。住友金属工業社長を務めた。 東京都出身。1954年 東京大学教育学部附属高等学校(現在の東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に住友金属工業に入社。 経理部長、支配人、取締役、常務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1996年6月から2000年6月までに社長を務め、2000年6月から2001年6月までに会長を務めた。社長在任時には、住友シチックスとの合併やシームレスパイプの設備更新などの事業拡大に取り組んだ。 1999年5月から2001年5月までに関西経済連合会副会長を務め、住友特殊金属取締役も務めた。
佐藤 勇(さとう いさむ、1935年6月28日 - 2019… 佐藤 勇(さとう いさむ、1935年6月28日 - 2019年5月23日)は、日本の物理学者。高エネルギー粒子加速器の専門家。大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、日本大学教授を歴任し、電子、陽電子の線形加速器の開発研究ならびに建設に多くの業績を残した。 1960 – 1966年 東北大学 東北大学北垣敏男教授のもとで、素粒子物理学の研究とその実験的研究のための高エネルギー加速器の開発、デザインについて薫陶を受けた。当時、素粒子物理学の研究に使える高エネルギー加速器は、欧米が先進的であり、日本では、東京大学原子核研究所の750MeV電子シンクロトロンのみであった。
杭迫柏樹(くいせこ はくじゅ、本名:杭迫晴司(くいせこ せい… 杭迫柏樹(くいせこ はくじゅ、本名:杭迫晴司(くいせこ せいじ)、1934年6月28日 - )は京都在住の日本の書道家。王羲之書法を基礎として、宋代(尺牘)・空海(灌頂記)の書を研鑽し、独自の世界を展開している。
鈴木 敬介(すずき けいすけ、1934年(昭和9年)6月28… 鈴木 敬介(すずき けいすけ、1934年(昭和9年)6月28日 - 2011年(平成23年)8月22日)は、日本のオペラ演出家。 東京出身。慶應義塾大学在学中から演出や振付、舞台監督の経験を積んだという。オペラとの関わりの記録の初出は1961年(昭和36年)藤原歌劇団靑年グループ第15回公演、ラモー室内楽団・青年グループ提携公演イイノホールでのロルフ・リーバーマン作曲『女房学校』舞台監督である。1962年にも、東京労音2・3月例会 文京公会堂・東京文化会館大ホールでのマスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』レオンカバッロ『道化師』舞台監督を務めている。1963年(昭和38年)に日生劇場に入社。
松田 晃演(まつだ あきのぶ、1933年6月28日 - 20… 松田 晃演(まつだ あきのぶ、1933年6月28日 - 2021年1月17日)は、日本のクラシックギター奏者。アンドレス・セゴビアの高弟である。旧名は松田二朗。 アントニオ・デ・トーレス作のギターを使用してコンサート活動、CD制作などを行っていた。 兵庫県姫路市に生まれる。13歳からギターを始め、最初は自宅の隣の正覚寺の住職・藤井紫朗からギターを教わる。神戸大学経済学部を卒業後、1957年に月刊ギター専門誌「ギターの友」新人音楽賞を受賞。 1959年、演奏のため訪日したアンドレス・セゴビアを歓迎する食事会の時の歓迎演奏でセゴビアに認められ弟子となり、翌年渡欧する。アンドレス・セゴビア、アリリオ・ディアスによる2回の夏期講習を受ける。
阿部 齊(あべ ひとし、1933年6月28日 - 2004年… 阿部 齊(あべ ひとし、1933年6月28日 - 2004年9月12日)は、日本の政治学者。専門は、政治学、アメリカ政治。放送大学名誉教授。アメリカ学会会長。東京都出身。 1957年東京大学法学部卒業。東京大学大学院社会科学研究科博士課程修了(法学博士)。東京大学で辻清明に師事。 1964年から成蹊大学。その後成蹊大学法学部教授、筑波大学社会科学系教授、放送大学教養学部教授を歴任。1996年から1998年までアメリカ学会会長、2001年から2004年まで放送大学附属図書館長。2004年3月に放送大学を定年退職。同年アメリカ学会名誉会員。同年脳出血のため松戸市の病院で死去。 アメリカ政治、日本の地方自治研究を主な研究対象とした論文、著作を発表。
沢崎 浩平(さわさき こうへい、1933年6月28日 - 1… 沢崎 浩平(さわさき こうへい、1933年6月28日 - 1988年1月8日)は、フランス文学者。ロラン・バルトの翻訳で知られる。 1933年、東京都生まれ。1957年、東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院に進み、同大学博士課程を1966年に修了。卒業後は母校の東京都立大学仏文科助教授となり、後に教授。 1988年1月2日、同日未明に死去したロシア文学者であった夫人の沢崎洋子の葬儀の打ち合わせ中に倒れ、そのまま死去。享年54歳。前年11月に助教授の足立和浩が46歳で急死した直後のことで、相次ぐ俊秀の死に都立大仏文科は衝撃に襲われた。 仏文科助手を務めていた内田樹は沢崎について、「温厚な方であったが、同時にたいへん篤学の人でもあった」と評している。
佐々木 たづ(ささき たず、1932年〈昭和7年〉6月28日… 佐々木 たづ(ささき たず、1932年〈昭和7年〉6月28日 - 1998年〈平成10年〉4月3日)は、日本の児童文学作家。 童話集『白い帽子の丘』で厚生大臣児童福祉文化賞、『ロバータ さあ歩きましょう』で日本エッセイスト・クラブ賞、『わたし日記を書いたの』で野間児童文芸賞推奨作品賞を受賞している。 東京都出身。本名は佐々木多津。 1950年(昭和25年)、東京都立駒場高等学校在学中の18歳のときに突然片目を失明する。手術をするも回復せず、やむなく高校を中退する。その後緑内障と診断され、手術によって眼圧は抑えられたものの、1953年(昭和28年)には両目の視力を完全に失う。失明後は英語と点字とタイプライターを学習し、横浜竹の丸の訓盲院という眼の不自由な子供のための施設で1年間過ごす。
吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 - 20… 吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 - 2002年11月28日)は、日本の詩人。 劇団四季で主役を演じたがすぐに退団。詩作に転じ、第一詩集『幼年連祷』(1964年)で室生犀星詩人賞、『オンディーヌ』(1972年)と『昼顔』(1973年)で高見順賞受賞。さめた感性で愛をうたう。「歴程」同人。 東京・四谷生まれ。四人兄妹の末っ子。兄姉の影響で幼い頃から萩原朔太郎や北原白秋の詩に親しむ。東京都立第十高等女学校(のちに東京都立豊島高等学校に改称)時代には演劇・映画に熱中(演劇部の同級生に女優の荻昱子、朗読家の幸田弘子、二年後輩に宝田明がいた)。また国語教師の詩人那珂太郎の奨めで校内文芸誌『果樹園』に詩作「考へ方」「星」ほか3篇を発表した。
高山 晟(たかやま あきら、1932年6月28日 - 199… 高山 晟(たかやま あきら、1932年6月28日 - 1996年1月2日)は、日本の経済学者。南イリノイ大学ヴァンデヴィア経済学冠教授。専門は国際貿易論。 1932年に横浜市に生まれる。1957年に国際基督教大学を卒業する。その後、ロチェスター大学に留学し、1962年にPh.D.を取得する。帰国後、1964年に一橋大学からも博士学位を取得している。その後、国際基督教大学、マンチェスター大学にそれぞれ2年在籍し、パーデュー大学には1966年から1980年までの14年間、テキサスA&M大学には1972年から1982年までの10年間在籍した。その後京都大学で2年間教鞭をとり、1983年に着任した南イリノイ大学が最後の勤務校となった。
井上 博道(いのうえ はくどう、1931年6月28日 - 2… 井上 博道(いのうえ はくどう、1931年6月28日 - 2012年12月12日)は、日本の写真家。産経新聞のカメラマンを経て、フリーに。大和路の世界をライフワークにしていた。
伊藤 邦幸(いとう くにゆき、1931年6月28日 - 19… 伊藤 邦幸(いとう くにゆき、1931年6月28日 - 1993年8月8日)は、日本の医師。 広島県出身。1955年東京大学文学部倫理学科卒、1957年同大学院修士課程修了、1963年京都大学大学院基督教学博士課程満期退学。1960-61年南極探検隊に参加。1963-67年京大医学部学生。1963年医師黄聡美と結婚。1968年医師免許、日本キリスト教海外医療協力隊としてネパールへ医師として派遣。インドで生活。以後数次、インド、ネパールへ出張。妻・伊藤聡美(そうび、1937-86)。
海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 200… 海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 2000年10月30日)は、日本の経済官僚、エコノミスト。経済企画庁で物価局長、国民生活局長、総合計画局長、経済企画審議官等を歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡市立高等学校を経て、1957年一橋大学経済学部経済学科卒業後、経済企画庁入庁。計画局計画第一課に配属され、大来佐武郎(計画局長)、大田亮一(計画第一課長)の部下として働く。後に当時の課員であった宮崎勇(経済企画庁長官)、新藤稔(国際証券顧問)らとともに「大田会」と称して、毎年忘年会を開くようになる。 1962年から64年までスタンフォード大学留学。1970年から1971年まで第3次佐藤内閣の佐藤一郎経済企画庁長官事務秘書官を務めた。
古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2… 古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2011年8月22日)は、国営競馬、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。神奈川県横浜市出身。父は騎手の古山喜三郎。 1950年に騎手デビュー。早くより頭角を現し、1950年代から1960年代にかけて第一線の騎手として活動、「戦後派ナンバーワン」との評を取り、コマツヒカリで東京優駿(日本ダービー)に優勝したほか、「走る精密器械」と呼ばれたタカオー、「怪物」タケシバオーといった名馬の主戦騎手を務めた。騎手通算は4409戦619勝、うち八大競走5勝を含む重賞24勝。 1970年より調教師に転身し、美浦トレーニングセンターに所属。2000年の引退までに数々の重賞勝利馬を手掛けた。
鈴木 宣明(すずき のぶあき、1929年6月28日 - 20… 鈴木 宣明(すずき のぶあき、1929年6月28日 - 2014年9月21日)は、日本の神学者。 福島県会津出身。上智大学文学部卒、同大学院哲学研究科・神学研究科修了。1948年イエズス会に入る。1968年から1970年ミュンヘン大学に学ぶ。上智大学文学部助教授、教授、2000年定年退任、名誉教授、仙台白百合女子大学カトリック研究所所長。イエズス会司祭。1992年「中世ドイツ神秘霊性」で上智大学博士(史学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
和田 昭允(わだ あきよし、1929年(昭和4年)6月28日… 和田 昭允(わだ あきよし、1929年(昭和4年)6月28日 - )は、日本の生物物理学者。東京大学名誉教授。 理化学研究所名誉研究員。お茶の水女子大学名誉学友。紫綬褒章・勲二等瑞宝章受章。 現在:横浜サイエンスフロンティア高等学校スーパーアドバイザー。学校法人順正学園理事、伊藤科学振興会理事、グルー・バンクロフト基金評議員、かずさDNA研究所評議員、ロッテ財団評議員。[いつ?] 東京府赤坂生まれ。和田小六・春子の長男、木戸孝允の義理の曾孫、山尾庸三の曾孫、吉川重吉の孫、木戸幸一の甥、都留重人の義弟。妻・幸子(さちこ 1937年(昭和12年)7月21日 - 2014年(平成26年)5月2日、76歳没)は元・延岡藩主内藤政挙の孫。
白鳥 信一(しらとり しんいち、1928年6月28日 - 2… 白鳥 信一(しらとり しんいち、1928年6月28日 - 2001年8月22日)は日本の映画監督である。妻はスクリプターの白鳥あかね。 1928年6月28日、東京市本郷区に生まれる。仙台第一中学校、第二高等学校を経て1952年、東京大学文学部国文科を卒業。1954年、制作を再開した日活撮影所助監督部に入り、再開第一作『国定忠治』にサード助監督としてつく。以後、川島雄三、井上梅次、堀池清、西河克己の下で働く。とくに西河克己監督作品には『伊豆の踊子』『赤い蕾と白い花』など多数つき『何処へ』では挿入歌「こいちや節」の作詞まで手掛けた。1966年からは日活製作のテレビドラマを多数演出。この間、日活がロマンポルノに路線を転向したため、劇場映画の監督デビューは1973年の『団地妻 女の匂い』となった。
謝 国権(しゃ こくけん、1925年6月28日 - 2003… 謝 国権(しゃ こくけん、1925年6月28日 - 2003年11月12日)は、日本の医師(産婦人科)。日本医科大学医学博士。著書『性生活の知恵』で知られ、奈良林祥、ドクトル・チエコと並ぶ日本の性医学評論のパイオニアとして活動した。日本赤十字社本部産院(現在の日本赤十字社医療センター産科)産婦人科医局長在任当時、同書がベストセラー(100万部)となった。元・謝国権診療所所長。 1925年(大正14年)6月28日、東京府(現在の東京都)に、台湾出身の詩人・謝溪秋(1892年 - 1959年)の三男として生まれる。 1959年(昭和34年)、「新生児の核黄疸に関する研究」で日本医科大学医学博士。 1960年(昭和35年)、『性生活の知恵』を執筆・発表し、ミリオンセラーとなる。
上村 光司(かみむら こうじ、1925年6月28日 - 20… 上村 光司(かみむら こうじ、1925年6月28日 - 2019年12月17日)は、日本の経営者。新潟日報社社長を務めた。新潟県出身。 1946年に東京帝国大学法学部政治学科を中退し、同年に新潟日報社に入社。1980年に取締役に就任し、1984年に常務、1990年1月に専務を経て、1992年1月には社長に就任。1994年12月に相談役に就任。 第四銀行非常勤監査役も務めた。 2019年12月17日脳出血のために死去。94歳没。
佐橋 薫(さはし かおる、1925年(大正14年)6月28日… 佐橋 薫(さはし かおる、1925年(大正14年)6月28日 - 2015年(平成27年)4月28日)は、日本の政治家、実業家。愛知県小牧市長(4期)、愛知県議会議員(5期)。 愛知県小牧市生まれ。小学校3年生のとき、養鶏業を営んでいた父親を亡くす。新聞配達やおけ製造職人見習いなどを経て、1952年(昭和27年)6月、味岡木毛合資会社(現・佐橋工業株式会社)を設立した。愛知県青年団協議会の会長時代に青年会館建設に奔走。これがきっかけで政治の道に入り、1959年(昭和34年)の愛知県議会議員選挙に無所属で立候補するが次点で落選。1963年(昭和38年)4月、県議選に自民党公認で立候補し初当選。同年中京大学専科を中退。
有島 重武(ありしま しげたけ、1924年〈大正13年〉6月… 有島 重武(ありしま しげたけ、1924年〈大正13年〉6月28日 - 2006年〈平成18年〉1月19日)は、日本の政治家。衆議院議員を8期務めた。 東京都出身。有島行郎の二男。1948年、慶應義塾大学工学部機械工学科を卒業する。創価学会理事、民主音楽協会理事を務める。1963年発表の学会歌「世界広布の歌」を作曲。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に、東京6区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降、連続8期)。 1984年、公明党会計監査委員に就任する。 1986年12月、公明党大会において、公明党中央統制委員に就任する。 1989年、明電工事件の疑惑による矢野絢也の公明党委員長退任にともない、公明党中央統制委員を退任する。
石丸 俊彦(いしまる としひこ、1924年6月28日 - 2… 石丸 俊彦(いしまる としひこ、1924年6月28日 - 2007年4月1日)は、日本の裁判官、法学者。専門は刑事法。元東京高等裁判所総括判事。元早稲田大学法学部客員教授。 16歳で陸軍予科士官学校に入学する。 1944年、陸軍士官学校を卒業し、歩兵部隊の少尉に任ぜられ、ビルマの戦地に送られる。敗北で撤退の後、帰国して本土決戦要員に任じられた状態で日本の敗戦を迎えた。当時の上官は敗戦が決まった後、「諸君らは生きて、この国を立て直して欲しい」と言い残して割腹自決したという。 1951年、早稲田大学法学部(旧制)を卒業、同年司法修習生となる。1953年に判事補に任官した。 以降、裁判官として福岡地方裁判所、東京地方裁判所、最高裁判所調査官、司法研修所教官、裁判所書記官研修所長、佐賀地方裁判所所長等を歴任した。
杉村 新(すぎむら あらた、1923年6月28日 - 202… 杉村 新(すぎむら あらた、1923年6月28日 - 2025年3月1日)は、日本の地震学・地球物理学者。火山フロント(火山前線)の概念を初めて導入した人物で、上田誠也とともに弧状列島の火山、地震、テクトニクス研究を進めた。 東京府に生まれる。父は東京文理科大学学長の杉村欣次郎。祖父は外交官の杉村濬。伯父も外交官の杉村陽太郎[要出典]。 旧制静岡高等学校を経て、東京帝国大学理学部地質学科に進学、1947年に卒業した。同年、東京大学助手となる。 1961年、「日本及びその附近における地球物理学的岩石学的諸現象の帯状配列」で理学博士の学位を東京大学より取得する。 1974年に神戸大学理学部教授となる。
二階堂 副包(にかいどう ふくかね、1923年6月28日 -… 二階堂 副包(にかいどう ふくかね、1923年6月28日 - 2001年8月23日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。専攻は数理経済学。理学博士(東京大学、1961年)。 東京府生まれ。工業専門学校卒業後、東京物理学校を経て、旧制高等学校出身者以外にも門戸を開いていた東北帝国大学理学部数学科に入学した。ところが太平洋戦争末期に徴兵で東京の連隊に入隊し、首都防衛のための高射砲部隊に配属され、仙台に戻ることが困難となった。そのため日本の降伏後は、新たに旧制高等学校出身者以外にも門戸を開いた東京大学理学部数学科を卒業。 卒業後は大蔵省に入省するも、数カ月で退官し高等学校教員に転じ、のち母校東京理科大学から招かれて大学教員となった。