原 暉之(はら てるゆき、1942年9月30日 - )は、日… 原 暉之(はら てるゆき、1942年9月30日 - )は、日本の歴史学者。北海道大学名誉教授。専門はロシア極東史。 著書『ウラジオストク物語』で1999年度アジア・太平洋賞特別賞を受賞。
9月30日生まれ:306人
原 暉之(はら てるゆき、1942年9月30日 - )は、日… 原 暉之(はら てるゆき、1942年9月30日 - )は、日本の歴史学者。北海道大学名誉教授。専門はロシア極東史。 著書『ウラジオストク物語』で1999年度アジア・太平洋賞特別賞を受賞。
神保 国男(じんぼ くにお、1942年(昭和17年)9月30… 神保 国男(じんぼ くにお、1942年(昭和17年)9月30日 - )は、日本の元政治家、弁護士。前埼玉県戸田市長(5期)、元埼玉県議会議員(3期)。 埼玉県戸田市に生まれる。戸田市立戸田第二小学校、戸田市立戸田中学校、蕨高等学校、法政大学法学部卒業。 1967年(昭和42年)に司法試験に合格し、その後神保法律事務所を開設する。埼玉弁護士会副会長などを歴任する。 1987年(昭和62年)より埼玉県議会議員に3期連続当選(自由民主党)。1998年(平成10年)より戸田市長に5期連続当選。 2018年(平成30年)3月の任期満了により退任。 2018年(平成30年)県庁通り法律事務所勤務。 2022年、旭日中綬章受章。
船田 宗男(ふなだ むねお、1942年9月30日 - )は、… 船田 宗男(ふなだ むねお、1942年9月30日 - )は、フジテレビ元・解説委員長。群馬県中之条町出身。1967年早稲田大学第一文学部卒業後、フジテレビ入社。一貫して報道畑。首相官邸、自民党、外務省等の記者クラブに在籍し、キャップを歴任。その後、報道局政経部長、報道局報道センター室長等を経て、1994年に解説委員長に就任。役員待遇解説委員主幹を経て、2001年から行革断行評議会委員に就任。 大学では雄弁会に所属。同郷の小渕恵三第84代内閣総理大臣と友好関係につながり、小渕の選挙のたびに応援に駆けつけるほどの濃密な人間関係を築き、また、地元の県議や有権者とのパイプ役としても活躍した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
大井 道夫(おおい みちお、1941年9月30日 - )は、… 大井 道夫(おおい みちお、1941年9月30日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)、高校野球指導者で、元日本文理高等学校(新潟)野球部監督。 栃木県出身。栃木県立宇都宮工業高等学校、早稲田大学第二商学部卒。 宇都宮工の左腕エースとして活躍。2年生時の1958年夏の甲子園県予選決勝に進むが、作新学院に敗退。翌1959年夏は北関東大会決勝で前橋高に延長15回サヨナラ勝ち、夏の甲子園出場を決める。大会では順調に勝ち進み、準決勝は東北高の嶺岸征男(後に大毎)、波山次郎(後に大洋)との投手戦となるが、延長10回2-1でサヨナラ勝ち。決勝では西条高のエース金子哲夫(後に阪神)と投げ合い、延長15回の末2-8で敗れ準優勝にとどまった。
安武 史郎(やすたけ しろう、1941年9月30日 - )は… 安武 史郎(やすたけ しろう、1941年9月30日 - )は日本の実業家。日商岩井代表取締役社長や、同社代表取締役会長、アステラス製薬取締役等を務めた。 福岡県出身。1964年九州大学経済学部卒業、日商(のちの日商岩井)入社。1988年車輌交通システム部長。1992年ソウル支店長。1994年建設・都市開発本部長。1996年取締役建設・都市開発本部長に昇格。1997年取締役機械・情報産業部門長補佐(大阪機械本部担当)兼本社ビル建設室長。1998年常務取締役機械第一部門長。1999年から代表取締役社長を務めた。2009年代表取締役会長、アステラス製薬取締役。
田中 秀征(たなか しゅうせい、1940年〈昭和15年〉9月… 田中 秀征(たなか しゅうせい、1940年〈昭和15年〉9月30日 - )は、日本の政治家。福山大学経済学部客員教授。 衆議院議員(3期)、経済企画庁長官(第52代)、内閣総理大臣特別補佐(細川内閣)、新党さきがけ代表代行、学習院大学法学部特別客員教授等を歴任した。 1990年代前半の新党ブームの火付け役の一つ、新党さきがけの理論的指導者であった。 長野県更級郡篠ノ井町(現:長野市篠ノ井)生まれ。 早稲田大学第4代総長の田中穂積は一族にあたるという。長野県長野高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。哲学、歴史、経済、法律を一通り学びたいと考えていたが、ウィンストン・チャーチル、石橋湛山、吉田茂、緒方竹虎に関心を抱いていたことから、まず歴史から学ぼうと考え、東大在学中は林健太郎ゼミに所属し、近代ヨーロッパ政治史を専攻、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの「危機の20年」が最大の関心事だった。
門脇 厚司(かどわき あつし、1940年9月30日 - )は… 門脇 厚司(かどわき あつし、1940年9月30日 - )は、日本の教育学者。専門は教育社会学。筑波大学名誉教授、ラボ言語教育総合研究所代表、日本教師教育学会会長、元茨城県つくば市教育長。
飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年〈昭和15年〉… 飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年〈昭和15年〉9月30日 - 2023年〈令和5年〉8月15日)は、日本の指揮者。 満洲国・新京生まれ。父は裁判官の飯守重任、兄はロゴデザイナーの飯守恪太郎。文部大臣、最高裁判所長官を歴任した田中耕太郎は伯父。母方の祖父母に日向輝武、林きむ子。 桐朋学園大学指揮科卒業。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中にミトロプーロス国際指揮者コンクールに入賞。のちにカラヤン国際指揮者コンクールに入賞。 ドイツでの活動が長くバイロイト音楽祭の音楽助手をつとめる。またマンハイム、レーゲンスブルクなど各地の歌劇場で活動をする。ドイツでの活動を継続出来るよう朝比奈隆が一度助けてくれたという逸話がある。
上田 博(うえだ ひろし、1940年9月30日 - 2018… 上田 博(うえだ ひろし、1940年9月30日 - 2018年11月11日)は、日本の日本近代文学研究者。学位は、博士(文学)(立命館大学・論文博士・1996年)(学位論文「石川啄木<抒情と思想>」)。立命館大学名誉教授。国際啄木学会元会長。明治文芸講演会主宰。歌誌「ポトナム」同人。国崎望久太郎・和田繁二郎に師事。大阪府出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森田 孟(もりた たけし、1939年9月30日 - )は、日… 森田 孟(もりた たけし、1939年9月30日 - )は、日本の英文学者、歌人、筑波大学名誉教授。 専攻はアメリカ文学。ウィリアム・フォークナー、ナサニエル・ホーソーン、ハーマン・メルヴィル、マーク・トウェインなど。マリアン・ムーア、フレデリック・ゴダード・タッカーマンの詩業を全訳。また、近藤芳美に師事する歌人でもあり、「未来」同人、「双峰会」主宰。 日本統治時代の台湾台北市生まれ。1962年東京教育大学英文科卒、1966年同大学院博士課程中退、大東文化大学講師、名古屋大学教養部助教授、1976年筑波大学助教授、教授、2003年定年退官、名誉教授、成城大学教授。2010年退職。
依田 郁子(よだ いくこ、1938年9月30日 - 1983… 依田 郁子(よだ いくこ、1938年9月30日 - 1983年10月14日)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走・ハードル競走。女子80mハードルの元日本記録保持者で、1964年東京オリンピック日本代表として同種目で入賞を果たした。 長野県小県郡丸子町(現・上田市)出身。長野県上田染谷丘高等学校卒業。結婚後の姓名は宮丸 郁子(みやまる いくこ)。 中学3年生のとき肋膜炎と肺炎にかかり上田染谷丘高校の受験に失敗、同校の定時制に入るが翌1955年に再受験して全日制に入学した。同校は当時バスケットボールの強豪で身体能力を見込まれた依田はバスケット部の勧誘を受けるも、「私は個人主義だからバスケは向かない」と陸上部に入部する。
石塚勲(いしづかいさお、1936年〈昭和11年〉9月30日 … 石塚勲(いしづかいさお、1936年〈昭和11年〉9月30日 - )は、日本の航空自衛官。第21代航空幕僚長。防大3期。 秋田県出身。1959年(昭和34年)3月、防衛大学校卒業(第3期)、航空自衛隊入隊(1等空曹)。 1970年(昭和45年)7月、3等空佐。1974年(昭和49年)7月、2等空佐。 1978年(昭和53年)7月、1等空佐。1981年(昭和56年)2月、自衛隊埼玉地方連絡部長。1983年(昭和58年)3月16日、航空幕僚監部防衛部運用課長。1984年(昭和59年)3月16日、航空幕僚監部防衛部防衛課長。 同年7月2日、空将補に昇任。1985年(昭和60年)3月1日、航空幕僚監部人事教育部副部長。
小椋 進(おぐら すすむ、1936年9月30日 - )は日本… 小椋 進(おぐら すすむ、1936年9月30日 - )は日本の地方公務員。横浜市助役。 北海道大学工学部卒業。1961年 横浜市入庁。 企画調整局企画部企画課長、企画財政局企画調整室長、企画財政局理事兼企画調整室長などのポストを務め、1990年6月 金沢区長。1993年5月12日 企画財政局長。1994年7月 財政局長。1995年6月1日 横浜市助役。1999年3月 清水利光を後任に助役を退任。 2003年10月21日から神奈川県公安委員会委員となる(〜2006年10月20日)。 2012年4月29日 瑞宝中綬章を受章。
山本 義司(やまもと よしじ、1934年9月30日 - 20… 山本 義司(やまもと よしじ、1934年9月30日 - 2004年8月24日)は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
西本 鶏介(にしもと けいすけ、1934年9月30日 - )… 西本 鶏介(にしもと けいすけ、1934年9月30日 - )は、日本の児童文学作家、児童文学評論家。昭和女子大学名誉教授。 日本児童文学者協会、日本児童文学学会、日本文芸家協会、日本児童文芸家協会に所属。坪田譲治文学賞選考委員。 奈良県高市郡(現大和高田市)に県庁職員の長男として生まれる。年少時に児童文学者の中川正文の子ども会に参加する。 1958年國學院大學文学部日本文学科卒業。大学三年の時に、句集『薔薇と母』を刊行する。俳号を鶏介とする。卒業後、医学系出版社に務めるが、文学への志を捨てきれず、山本和夫らの「トナカイ村」に参加する。 1988年昭和女子大学文学部教授、2003年人間文化学部教授、2004年名誉教授、2005年退職。
小野 正一(おの しょういち、1933年9月30日 - 20… 小野 正一(おの しょういち、1933年9月30日 - 2003年3月19日)は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(投手)。 日本プロ野球 (NPB) で通算184勝155敗の成績を残し、NPB歴代13位(2021年終了時点)の通算2244奪三振を記録した、球史に名を残す速球投手。妻は元大映女優の仁木多鶴子。 実家が材木屋で、子どもの頃から30㎏から40㎏にもなる材木を担いでいたという。磐城高校では、1950年秋季東北大会県予選準決勝に進むが川俣高校に敗退。卒業後は社会人野球の常磐炭鉱(清峰伸銅)に入団。監督の谷口五郎から、背が高く的が大きいため内野手が投げやすいだろうと判断されて、当初は一塁手を務める。
石川 英輔(いしかわ えいすけ、1933年9月30日 -)は… 石川 英輔(いしかわ えいすけ、1933年9月30日 -)は、日本のSF作家で、江戸文化、写真、印刷技術を扱う。 京都府京都市出身で、東京都立石神井高等学校を卒業し、国際基督教大学と東京都立大学理学部を中退した。 SFファングループ「宇宙塵」に1957年の創設来参加する。1961年にミカ製版を設立して社長となり、1976年にカラー写真製版技術の研究で日本印刷学会第一回技術賞となる。 SF同人誌「宇宙塵」に連載した西遊記のSFパロディ「SF西遊記」を、1976年に講談社から単行本として刊行して作家となり、以後は一連の中国古典小説のSFパロディ・シリーズを手がける。 1979年に「大江戸神仙伝」で現代人がタイムスリップする「時代劇の江戸とは異なる、リアルな江戸社会」を描写すると、シリーズ化される。
古田 昌幸(ふるた まさゆき、1933年9月30日 - 19… 古田 昌幸(ふるた まさゆき、1933年9月30日 - 1999年7月30日)は、熊本県熊本市出身の野球選手(内野手)・監督。
斎藤 明(さいとう あきら、1933年(昭和8年)9月30日… 斎藤 明(さいとう あきら、1933年(昭和8年)9月30日 - 2013年(平成25年)6月13日)は日本の実業家。毎日新聞社代表取締役社長・会長を歴任した。
岩田 禎夫(いわた さだお、1933年〈昭和8年〉9月30日… 岩田 禎夫(いわた さだお、1933年〈昭和8年〉9月30日 - 2016年(平成28年)10月26日)は日本のゴルフ評論家。キャスト・プラス所属。 神奈川県出身。神奈川県立湘南高等学校を経て、上智大学文学部新聞学科を卒業後、報知新聞社に入社し、報知新聞(現題名・スポーツ報知)のゴルフ記者として活動。アマチュアゴルファーとしても知られた鍋島直泰の「ゴルフは狭い日本だけじゃないよ。もっとグローバルなもんだよ」との言葉に触発され海外ツアーの取材にも取り組み、1970年に報知新聞社を退職。PGAツアー、LPGAツアー、JGTOツアーなど、世界のゴルフツアーを精力的に取材するゴルフ評論家として活動を行った。
五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30… 五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。 第二次世界大戦での日本の敗戦に伴い少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビューした。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。 1932年、教員の松延信蔵とカシエの長男として福岡県八女郡上妻村に生まれる。
小野田 隆(おのだ たかし、1932年 <昭和7年> 9月3… 小野田 隆(おのだ たかし、1932年 <昭和7年> 9月30日 - 2018年 <平成30年> 4月30日)は、日本の経営者。住友海上火災保険社長を務めた。位階は従四位。 神奈川県出身。1955年に東京大学法学部私法学科を卒業し、同年に住友海上火災保険(現在の三井住友海上火災保険)に入社。1983年7月に取締役に就任し、1985年2月に常務、1988年6月に専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、1990年10月には社長に昇格。1998年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 2012年4月に旭日重光章を受章。 2018年4月30日に心不全のために死去。85歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
佐藤 純一(さとう じゅんいち、1931年9月30日 - )… 佐藤 純一(さとう じゅんいち、1931年9月30日 - )は、日本のロシア語学者、東京大学名誉教授、東京都出身。
蛭川 久康(ひるかわ ひさやす、1931年9月30日 - )… 蛭川 久康(ひるかわ ひさやす、1931年9月30日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。武蔵大学名誉教授。 東京府豊多摩郡戸塚町(現・東京都新宿区高田馬場)生まれ。1954年東京大学教養学部イギリス分科卒業。中学、高校教諭をへて、1965年玉川大学教養部専任講師、1966年助教授、1969年武蔵大学助教授、1973年教授、1997年定年となり特任教授。 現代英国小説、特にアイリス・マードックの研究で知られる。ほかに英国文化史が専門。
中 寒二(なか かんじ、1930年9月30日 - 2003年… 中 寒二(なか かんじ、1930年9月30日 - 2003年11月16日)は、日本の詩人。 本名・中村福治。青森県八戸市出身。15、6歳の頃から詩作を始める。八戸市立商業高等学校(現青森県立八戸商業高等学校)卒業後、美術の教員免許を取得して八戸市内の中学校で教職に就き、1950年詩誌『北方人間』を創刊。1968年から詩誌『表現派』主宰。1971年「尻取り遊び」で第12回晩翠賞受賞。1982-98年青森県詩人連盟会長を務めた。1983年青森県文芸協会賞、1999年青森県芸術文化功労賞受賞。
泊 懋(とまり つとむ、1930年9月30日 - )は、日本… 泊 懋(とまり つとむ、1930年9月30日 - )は、日本の実業家。元・東映アニメーション株式会社代表取締役社長、元・東映株式会社副社長、元・一般社団法人日本動画協会顧問。 東京都新宿区出身。1955年、慶應義塾大学文学部卒業後、東映入社、自ら希望し東映東京撮影所助監督部に配属された。初仕事は1956年、高倉健のデビュー作『電光空手打ち』でのカチンコ係。過酷な撮影現場にたちまち身体を壊して1年余りで本社計画本部に異動。映倫審査係に配属され、2年後本社企画本部芸文課(脚本課)に異動して、ここで捨てかけられていた『謀反』(『十七人の忍者』)を読み、映画化を進言。これが「東映集団抗争時代劇」を生む切っ掛けとなった。
石田 保昭(いしだ もりあき、1930年9月30日 -201… 石田 保昭(いしだ もりあき、1930年9月30日 -2018年5月18日 )は、日本のインド史学者。 東京大学教養学部講師として東洋史を講義していたが病気療養のため辞職。 千葉市生まれ。陸軍幼年学校で学ぶ。1953年東京大学文学部東洋史学科卒。1958年 - 1961年、インド政府外国語学校教官としてニューデリーに滞在。 帰国後著した『インドで暮らす』は「ユニークなルポルタージュであり、実証という水準においてスメドレーの中国ルポルタージュに優るとも劣らず、ありきたりのインド紹介論とは全く趣を事にしている」と中村平治が評している。 イスラム学者の板垣雄三とは小学校からの同級生。 父は陸軍中将石田保忠。
福富 達(ふくとみ とおる、1930年〈昭和5年〉9月30日… 福富 達(ふくとみ とおる、1930年〈昭和5年〉9月30日 - )は、東京都出身の記者、ニュースキャスター。本名同じ。 1951年、早稲田大学政経学部在学中に読売新聞社入社。最初は横浜支局配属となって警察回りからキャリアをスタート。大学の方は引き続き聴講生として在籍した後、1952年6月に卒業。その後東京本社へ移籍し政治部記者として活躍、首相官邸記者クラブのキャップを務める。政治部長昇進を目前とした1974年春に読売新聞社を退社し、系列の日本テレビ放送網に移籍。「NNN JUST NEWS」のメインキャスター、「久米宏のTVスクランブル」コメンテーターなどを務めた後、解説委員に。副委員長、委員長、委員主幹を担当した。
鷹司 和子(たかつかさ かずこ、1929年〈昭和4年〉9月3… 鷹司 和子(たかつかさ かずこ、1929年〈昭和4年〉9月30日 - 1989年〈平成元年〉5月26日)は、日本の元皇族。鷹司平通の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、和子内親王(かずこないしんのう)。諱は和子、御称号は孝宮。お印は白菊であった。伊勢神宮祭主(1974年 - 1988年)。昭和天皇と香淳皇后の第3皇女子。第125代天皇・明仁(上皇)と常陸宮正仁親王は弟、第126代天皇・徳仁(今上天皇)と秋篠宮文仁親王は甥にあたる。 1929年(昭和4年)9月30日午前6時16分、宮中において昭和天皇と香淳皇后の第3皇女子として誕生。御七夜の10月6日午前9時に浴場の儀、午前11時に命名の儀が執り行われ「孝宮和子」と命名された。
永谷 博(ながたに ひろし、1929年(昭和4年)9月30日… 永谷 博(ながたに ひろし、1929年(昭和4年)9月30日 - 2011年(平成23年)5月26日)は、日本の実業家。元永谷園会長。 1929年(昭和4年)9月30日、東京府に生まれる。1952年(昭和27年)に法政大学経済学部を卒業し、大和証券に入社する。 1955年(昭和30年)、永谷園本舗に入社し、1958年(昭和33年)に取締役工場長、1962年(昭和37年)に常務、1974年(昭和49年)に専務を経て、1990年(平成2年)に社長に就任する。 1992年(平成4年)に社名を現社名「永谷園」に変更し、1996年(平成8年)に副会長に就任、のち会長、相談役に就任する。 2011年(平成23年)5月26日に死去、81歳。
須田 勝勇(すだ かつとし、1928年9月30日 - 201… 須田 勝勇(すだ かつとし、1928年9月30日 - 2018年/2019年)は日本の政治家。木更津市長(2期)。 千葉県君津郡清川村(現在の木更津市)に生まれる。望陀農学校卒業。家業の農業に従事する。戦後は青年団に入り、連合青年団体育部長。このほか清川農協青年部長、消防第三分団長などを務めた。清見台土地区画整理組合理事長、清見台貸家組合理事長、清見台賃貸住宅管理組合会長、千葉県土地区画整理組合連合会会長、全国土地区画整理組合連合会理事長に就任。木更津市内では国立木更津工業高等専門学校の誘致に尽力し、清見台幼稚園理事長となった。 1975年、千葉県議会議員選挙に自由民主党から出馬して初当選、以後4選。
五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月… 五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月30日 - 2000年(平成12年)1月3日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道留萌市長。留萌市名誉市民。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 留萌市出身。旧制留萌中学校を経て、明治大学商学部を卒業。 1951年(昭和26年)北海道庁に入り、留萌支庁総務課勤務を経て、1969年(昭和44年)留萌市役所に転じた。企画室長、産業港湾部長、総務部長を経て、1983年(昭和58年)助役に就任。1984年(昭和59年)7月、退任。 留萌商工会議所専務理事を経て、1986年(昭和61年)の留萌市長選に市民党として出馬し、当選。1994年(平成6年)まで2期8年間市長を務めた。
泉洋 辰夫(いずみなだ たつお、1928年9月30日 - 没… 泉洋 辰夫(いずみなだ たつお、1928年9月30日 - 没年不明 )は、大阪府泉佐野市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山形 辰夫(やまがた たつお)。最高位は西前頭6枚目(1959年7月場所)。現役時代の体格は176cm、103kg。得意手は左四つ、寄り、突っ張り、押し、下手捻り。 1949年、21歳で時津風部屋に入門。同年10月場所で初土俵を踏んだ。この場所、番付外と新序で好成績を残した為、翌年1月場所では序ノ口を飛び越していきなり序二段に付いた。 因みに当初の四股名は、本名でもある「山形」であった。 1953年1月場所、番付に付いてから僅か3年、所要11場所で十両に昇進。1954年5月場所で、新入幕を果たした。
石橋 エータロー(いしばし エータロー、1927年〈昭和2年… 石橋 エータロー(いしばし エータロー、1927年〈昭和2年〉9月30日 - 1994年〈平成6年〉6月22日)は、元ハナ肇とクレージーキャッツメンバー(ピアニスト)で料理研究家。 本名は石橋 英市(通称・瑛市)。石橋 暎太郎と表記していた時期もある。愛称はエーちゃん。 画家青木繁の息子で音楽家の福田蘭童の息子として、東京新橋に生まれ、3歳まで大井町に育つ。母千代は日陰町(現・港区新橋二丁目)で土木建築・人夫請負業を営む資産家石橋伊勢松家の8人兄弟の5番目として生まれた。 エータローが3歳のときに、父の蘭童が映画撮影のために出かけたロケーション先で女優川崎弘子を強姦するという事件を起こした。蘭童は責任を取って、エータローの母と別れて川崎と再婚。
星野 哲郎(ほしの てつろう、本名:有近 哲郎(ありちか て… 星野 哲郎(ほしの てつろう、本名:有近 哲郎(ありちか てつろう)、1925年9月30日 - 2010年11月15日)は、日本の作詞家であり、戦後歌謡界を代表する作詞家の一人。各所で「星野哲朗」という表記がされることがあるが、「哲郎」が正しい表記。「有田めぐむ」「阿里あさみ」など、数多くのペンネームが存在する。また『銀河鉄道999』の主人公である星野鉄郎と同音異字の同姓同名であることがよく知られているが、この関係から『銀河鉄道999』ファンの中にも漢字表記を混同している者が多く、星野の名前である『哲郎』あるいは『哲朗』と誤認識・誤表記するファンが絶えない。 山口県大島郡森野村(後に東和町→現・周防大島町)出身で、東京都小金井市に在住していた。
成瀬 昌彦(なるせ まさひこ、1924年9月30日 - 19… 成瀬 昌彦(なるせ まさひこ、1924年9月30日 - 1997年11月)は、日本の俳優、演出家。本名同じ。織田プロに所属していた。 東京市(現:東京都文京区)出身。日本大学専門部芸術科(現:日本大学藝術学部)卒業。劇団青年座初代座長。映画やテレビドラマにも数多く出演し、個性的な存在感を見せた。 1940年代から俳優座系の移動演劇団「芙蓉隊」に参加し、戦後も劇団俳優座に加わるが、創作演劇の上演を目指すべく1954年に脱退。森塚敏、山岡久乃、東恵美子、初井言榮ら有志と創作劇団「青年座」を立ち上げ、初代の座長として同劇団の礎を築く。彼らが育んだ青年座は後に大勢の人材を輩出し、今や日本を代表する大劇団となっている。
広瀬 正(ひろせ ただし、1924年9月30日 - 1972… 広瀬 正(ひろせ ただし、1924年9月30日 - 1972年3月9日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、ジャズ・サックス奏者、クラシックカーモデル製作者。 時間をテーマにしたSF作品を多く残し、「時に憑かれた作家」とも呼ばれる。本名は広瀬 祥吉(ひろせ しょうきち)。 東京市京橋区(現在の東京都中央区)に生まれる。 1942年 - 日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)建築科に入学。1952年 - ジャズバンド「広瀬正とスカイトーンズ」を結成。1960年 - 「広瀬正とスカイトーンズ」、借金のため解散。 1961年 - デビュー作『殺そうとした』が『宝石』臨時増刊号に掲載される。また同年、同人誌『宇宙塵』に参加。
志村 ふくみ(しむら ふくみ、1924年(大正13年)9月3… 志村 ふくみ(しむら ふくみ、1924年(大正13年)9月30日 - )は、日本の染織家、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)、随筆家。 草木染めの糸を使用した紬織の作品で知られる。 滋賀県近江八幡市生まれ。1942年(昭和17年)文化学院卒業。文化学院の1学年上級には女優の高峰秀子がいた。 31歳のとき、若い頃に柳宗悦の民芸運動に共鳴し、織物を習っていた母・小野豊の影響で織物を始める。 1957年(昭和32年)の第4回日本伝統工芸展に初出品で入選し、その後第5回で奨励賞、第6回・第8回で文化財保護委員会委員長賞、第7回で朝日新聞社賞と4度の受賞を重ね、特待者となった。随筆の名手としても知られ『一色一生』で第10回(1983年度)大佛次郎賞を受賞している。
岡藤 五郎(おかふじ ごろう、1924年9月30日 - 19… 岡藤 五郎(おかふじ ごろう、1924年9月30日 - 1978年7月20日)は、日本の古生物学者。山口県美祢市伊佐町出身。 秋吉台の哺乳動物の化石研究、大嶺炭田の三畳紀の植物化石、秋吉台の洞穴動物の研究等を行う。ニホンオオツノシカなど哺乳類を中心に化石約20万点を採集し、その多くは美祢市歴史民俗資料館等に保存されている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
下河辺 淳(しもこうべ あつし、1923年9月30日 - 2… 下河辺 淳(しもこうべ あつし、1923年9月30日 - 2016年8月13日)は、日本の都市計画家、建設官僚。国土事務次官を歴任。工学博士。日本上流文化圏研究所理事長。 日本の国土計画立案に多く関与し、また各種団体の要職を務め、その影響力を指して「御大」と呼ばれた。 1923年9月30日に下河辺収の長男として東京府東京市(現在の東京都)で生まれた。旧制水戸中学校、旧制水戸高校を経て、1947年、東京大学第一工学部建築学科卒業。在学中に終戦を迎えたため高山英華の下で戦災復興都市計画に参画し、卒業後戦災復興院技術研究所勤務。その後建設省入省。1952年に経済審議庁計画部勤務。1957年、建設省に復帰、計画局勤務。
隆 慶一郎(りゅう けいいちろう、1923年〈大正12年〉9… 隆 慶一郎(りゅう けいいちろう、1923年〈大正12年〉9月30日 - 1989年〈平成元年〉11月4日)は、日本の脚本家、小説家(時代小説作家)。本名は池田 一朗(いけだ いちろう)。本名で脚本、隆慶一郎のペンネームで小説を執筆していた。 東京市赤坂区生まれ。旧制同志社中学、第三高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒。 戦時中は学徒出陣で出征、陸軍士官として中国大陸を転戦した。この時期に陣中に持って行った『葉隠』が、作家として『死ぬことと見つけたり』を書くきっかけとなった。終戦後、復学して1948年 東京大学卒業、大学時代に師事していた小林秀雄が参画していた創元社(のちの東京創元社)に入社する。
吉本 晴彦(よしもと はるひこ、1923年(大正12年)9月… 吉本 晴彦(よしもと はるひこ、1923年(大正12年)9月30日 - 2017年(平成29年)5月30日)は、日本の実業家。元大阪マルビル会長。「大日本どケチ教」の教祖。 大阪・梅田の大地主の家に生まれ、祖父彦太郎に「どケチ道」を仕込まれた。学徒動員された経験を持ち、中国で終戦を迎えた。復員後に不動産業を始めた。1946年(昭和26年)、同志社大学経済学部卒業と同時に不動産事業を興し、吉本土地建物株式会社社長に就任。 1970年(昭和45年)、自分の半生に基づいてケチを勧めた著書「どケチ人生」がベストセラーになり、1973年に「大日本どケチ教」を設立して教祖に就任した。元サントリー副会長の鳥井道夫、森下仁丹社長だった森下泰とともに「大阪の三ケチ」と呼ばれた。
大洲 秋登(おおす あきと、1922年9月30日 - 200… 大洲 秋登(おおす あきと、1922年9月30日 - 2008年6月17日)は、日本の詩人。「VOUクラブ」所属、「びわの実学校」同人。赤い鳥文学賞受賞。 1922年(大正11年)、広島県安芸津町(東広島市)に生まれる。広島県立忠海中学校を経て、早稲田大学文学部独文科卒業。大学の先輩で児童文学者の前川康男と親交があった。郷里の広島で、洋品店や教材販売業を営みながら、詩作をつづける。1949年から北園克衛主宰の「VOUクラブ」に所属し、雑誌『VOU』などに前衛的な詩を寄稿。1959年、詩集『密着した時間』を出版。その後、坪田譲治創刊の童話雑誌『びわの実学校』を中心に「少年詩」を寄稿し、それらを集めて詩集を出版。
伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 20… 伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 2021年10月2日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授。日経・経済図書文化賞受賞。 神奈川県出身。横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)塩野谷九十九ゼミ出身。東京商科大学(現一橋大学)卒、1950年一橋大学経済研究所アメリカ経済研究部門で、都留重人教授や小原敬士教授の下で助手に就任。1966年「アメリカの金融政策 その論争点の分析」で経済学博士(一橋大学)。一橋大学経済研究所教授を経て、1974-1976年一橋大学経済研究所所長、1986年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授、成城大学教授を務めた。 1998年勲三等旭日中綬章受章。
岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年… 岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年12月14日)は、日本の経済学者。経済学博士(九州大学)。大分県大分郡庄内町(現由布市)出身。 1939年に大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)、1941年に大分高等商業学校を卒業。 1943年、学徒として出陣。翌年、大日本帝国海軍海軍対潜学校卒業。1945年には海軍中尉となるが、終戦で復員。 1946年、九州帝国大学法文学部経済学科を卒業。翌年、九州大学経済学部助手となる。1952年、武蔵大学経済学部専任講師。1953年に同助教授、1958年に教授。1961年、同学生部長。 1966年11月、九州大学にて「戦後日本の関税政策」で経済学博士号を取得。
木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年… 木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年2月17日)は、日本の政治史学者。 埼玉県春日部市生まれ。1944年早稲田大学文学部史学科卒業。学徒出陣で入隊、復員後は早稲田大学高等学院教諭をへて、68年早稲田大学社会科学部教授。75-83年社会科学研究所長。91年定年退任、名誉教授。
岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年… 岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手。
正木 智海(まさき ちかい、1917年(大正6年)9月30日… 正木 智海(まさき ちかい、1917年(大正6年)9月30日 - 1991年12月8日)は、日本の洋画家。広島県大竹市生まれ(実家:智海山西念寺)。 福岡県八幡中学校卒業、広島県宮島駅に勤務しながら、野口弥太郎に師事を仰ぐ。 1934年、第2回西日本美術展に最年少17歳(当時)で入選。 1937年、広島県美術展入選。 1938年6月4日、中支派遣井上剛部隊として渡支。その後、華中鉄道会社営業課宣伝に勤務。 この時期、彫刻家石井鶴三、日本画家小杉放庵、田中青坪の知遇を得ると同時に、1936年以来に独立美術展への出品を続ける。 1940年、第11回独立美術展に西日本地区としては最年少(当時)で入選を果たす。
飯島 淳秀(いいじま よしひで、1913年9月30日 - 1… 飯島 淳秀(いいじま よしひで、1913年9月30日 - 1996年)は、日本の英文学者、翻訳家。駒澤大学名誉教授。 京城生まれ。福岡、大阪、朝鮮と転々とし、11歳で関節炎のため左脚を切断、義足となる。 1937年立教大学英文学科卒。立教中学校教員、1946年立教大学予科講師、1947年予科教授、1949年立教大学助教授、1955年教授、1970年定年、駒澤大学教授。 英米文学の翻訳のほか、児童文学も多数翻訳する。1961年、飯島が共訳した『アラビアン・ナイト』が含まれる講談社『世界童話文学全集』が産経児童出版文化賞を受賞。(飯島淳秀先生略年表『英米文学』90年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
谷口 澄夫(たにぐち すみお、 1913年9月30日- 20… 谷口 澄夫(たにぐち すみお、 1913年9月30日- 2001年1月15日)は、日本の歴史学者・教育者。 岡山県牛窓町(現・瀬戸内市)に生まれる。1940年に広島文理科大学を卒業。1949年岡山大学教育学部助教授、1953年同教授となる。岡山藩の研究で大きな成果を残した。 1969年には前学長の退任を受け学長代行(学長事務取扱)に選ばれ、同年岡山大学の第7代学長となる。学園紛争期の難局を乗り切った。退任し名誉教授。後の1978年には、新たに開学した兵庫教育大学の初代学長に迎えられる。1986年まで同大学学長を務めた後、倉敷芸術科学大学学長、就実女子大学学長を歴任。その他、数々の教育・文化関連団体の要職に就いた。