柳澤 美晴(やなぎさわ みはる、1978年12月31日 - … 柳澤 美晴(やなぎさわ みはる、1978年12月31日 - )は、歌人。北海道旭川市出身。 北海道教育大学旭川校卒業。「学校で児童がほっとできる場をつくりたい」と養護教諭を志し、臨時採用の養護教諭として札幌、小樽、苫前などを転々とする。その後、本採用となり、小学校の養護教諭として勤務。 大学在学中に和歌の講義に熱中し、大学4年生で作歌を始める。2001年に未来短歌会に入会。岡井隆、加藤治郎に師事。2006年に作品「モノローグ」で未来賞を受賞。同年、作品「WATERFALL」で49回短歌研究新人賞次席。2008年に作品「硝子のモビール」で第19回歌壇賞受賞。第一歌集『一匙(ひとさじ)の海』で2011年に第12回現代短歌新人賞および第26回北海道新聞短歌賞(当時最年少受賞)を、2012年に第56回現代歌人協会賞をそれぞれ受賞。
岡 しのぶ(おか しのぶ、1976年(昭和51年)12月28… 岡 しのぶ(おか しのぶ、1976年(昭和51年)12月28日 - )は、女流歌人。 北海道恵庭市出身。中学3年の時に旭川市に移住し、旭川工業高等専門学校2年の時から短歌を作り始める。デビューするや、早熟な女流歌人として大きく評価を得た。卒業後は札幌テレビ放送に入社し、「岡しのぶの明日への伝言板」というラジオ番組のパーソナリティも担当していた。 その後結婚出産などで執筆活動から離れていたが、後に徳長しのぶに名を改め「塔」短歌会に所属して活動した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
樋口 智子(ひぐち さとこ、1976年2月18日 - )は、… 樋口 智子(ひぐち さとこ、1976年2月18日 - )は、歌人、視能訓練士。北海道岩見沢市出身、札幌市在住。 北海道ハイテクノロジー専門学校在学中の1997年に作歌を始める。北海道新聞の「日曜文芸」に投稿を始め、松川洋子に師事。同じ選歌欄に投稿していた田村元、雪舟えまらと知り合う。 1999年、歌誌「りとむ」に入会。2006年に作品「夕暮れを呼ぶ」で第17回歌壇賞を受賞。2009年、第1歌集「つきさっぷ」で第15回日本歌人クラブ新人賞、第24回北海道新聞短歌賞佳作をそれぞれ受賞。柳澤美晴や山田航らとともに札幌の短歌勉強会「アークの会」に参加している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中家 菜津子(なかいえ なつこ、1975年- )は、日本の歌… 中家 菜津子(なかいえ なつこ、1975年- )は、日本の歌人、詩人。歌誌「未来」会員。 短歌と詩を組み合わせた作風、以前は短歌と詩とで筆名を分け、夏嶋真子を使っていた。加藤治郎が指導する「未来」の選歌欄「彗星集」に柳澤美晴、野口あや子、佐藤羽美、天道なお、杉森多佳子、小坂井大輔、戸田響子らと参加していた。2016年には、杉森多佳子らとニューアトランティスopera欄への投稿となっている。2013年に、佐藤真夏が企画している詩誌「あるところに」に寄稿している。2014年には亜久津歩、草間小鳥子、黒崎立体とともに「詩」+αのフリーペーパー『CMYK』を創刊した。野村喜和夫が主宰する「喜和堂」にも寄稿している。
雪舟 えま(ゆきふね えま、1974年10月7日 - )は、… 雪舟 えま(ゆきふね えま、1974年10月7日 - )は、日本の小説家、歌人。北海道札幌市生まれ。 藤女子大学文学部国文学科卒。大学在学中に小林恭二『短歌パラダイス』を読んで作歌を始め、北海道新聞の松川洋子選歌欄に投稿する。 1997年10月号から2013年9月号まで歌誌「かばん」に所属。 2001年刊行の穂村弘の歌集 『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の「まみ」のモデルとなる。 2011年、歌集『たんぽるぽる』刊行。同年よりバンド、スリリングサーティー(声:雪舟えま ギター:フジワラサトシ キーボード:ホソマリ)で活動。 2012年、小説『タラチネ・ドリーム・マイン』刊行。
長嶋 有(ながしま ゆう、男性、1972年9月30日 - )… 長嶋 有(ながしま ゆう、男性、1972年9月30日 - )は日本の小説家、漫画家、俳人、コラムニストである。漫画やテレビゲームに造詣が深く、ブルボン小林(ブルボンこばやし)名義で漫画・ゲームの批評、コラムの執筆も行っている。サブカルチャーの教養をベースにした純文学作家と評される。 埼玉県草加市生まれ。幼少期に両親が別れ、母の故郷である北海道へと移り、登別市や室蘭市で育つ。登別市立幌別西小学校、室蘭市立港南中学校(1年後輩に安田顕)、北海道室蘭清水丘高等学校普通科を経て、東洋大学2部文学部国文学科を卒業。 少年時代には漫画やライトノベルを好んで読んでいたが、図書局に所属していた高校時代に高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』を読んで文学の自由さを知る。
松木 秀(まつき しゅう、1972年1月14日 - )は、歌… 松木 秀(まつき しゅう、1972年1月14日 - )は、歌人、川柳作家。北海道登別市出身・在住。 北海道室蘭栄高等学校、札幌学院大学法学部卒業。1996年に川柳、1997年に短歌をはじめる。1998年に歌誌「短歌人」および川柳誌「川柳さっぽろ」に入会。2001年、「川柳展望」に入会および第46回短歌人新人賞を受賞。2006年、第1歌集『5メートルほどの果てしなさ』で第50回現代歌人協会賞を受賞。2019年、第4歌集『色の濃い川』で第34回北海道新聞短歌賞佳作。川柳の影響を受けたシニカルで風刺的な作風。 第1歌集の『5メートルほどの果てしなさ』は加藤治郎のプロデュースにより設立されたオンデマンド印刷形式の歌集専門レーベル「歌葉」からの出版であり、同レーベルの歌集として初めて現代歌人協会賞を受けた。
せきしろ(1970年11月3日 - )は、北海道常呂郡訓子府… せきしろ(1970年11月3日 - )は、北海道常呂郡訓子府町生まれの男性作家、自由律俳句俳人、コラムニスト。北海道北見北斗高等学校卒業、福島大学中退。ASH&Dコーポレーション所属。 少年時代はラジオとテレビが好きであった。中学3年生頃からGAUZEなどハードコア・パンクバンドに夢中になり、高校時代は「傷害致死」という名前のバンドを組んでいた。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのクハラカズユキは同じ高校の1年先輩であり、文化祭でそれぞれバンドをしていた。渡辺真也は同級生だったという。 21歳で福島大学教育学部に入学するが、テレビゲームに熱中しすぎた結果、朝に起きられなくなって必須の教育実習をすっぽかしてしまい、すべてを投げ出して山形県の温泉宿で住み込みのアルバイトを始める[要出典]。
田中 綾(たなか あや、1970年2月11日 - )は、日本… 田中 綾(たなか あや、1970年2月11日 - )は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。北海学園大学人文学部教授。博士(文学)(北海学園大学)。 専門は日本近現代文学(特に詩歌史)。研究テーマは、昭和の戦時下とGHQ占領期における言論統制と短歌。特に逗子八郎研究。 北海道札幌市出身。北海道札幌平岸高等学校、北海道大学文学部言語学専攻卒業。福島泰樹の短歌絶叫ライブに触れて現代短歌を始め、1991年の第8回早稲田文学新人賞に短歌「人間呼格」で佳作に選ばれる。フリーライターを経て、1995年に「アジアにおける戦争と短歌 -近・現代思想を手がかりに」で第13回現代短歌評論賞受賞。その後、菱川善夫に師事して短歌批評を学び、北海学園大学大学院文学研究科の1期生として修士課程を修了。
穂村 弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日… 穂村 弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日本の歌人。歌誌「かばん」所属。 加藤治郎、荻原裕幸とともに1990年代の「ニューウェーブ短歌」運動を推進した、現代短歌を代表する歌人の一人。批評家、エッセイスト、絵本の翻訳家としても活動している。 第一歌集『シンジケート』(1990年)が反響を呼ぶ。ほかの歌集に『ドライ ドライ アイス』(1992年)、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(2001年)など。 北海道札幌市に長男(ひとりっ子)として生まれる。父親は鉱山技師で、夕張市の炭鉱に勤務した後、建設会社に勤務した。両親はともに北海道出身(父親は北見市出身、母親は東京都生まれの北見市育ち)。
鈴木 牛後(すずき ぎゅうご、1961年8月30日 - ) … 鈴木 牛後(すずき ぎゅうご、1961年8月30日 - ) は、俳人。北海道小樽市生まれ。
櫂 未知子(かい みちこ、1960年9月3日 - )は、日本… 櫂 未知子(かい みちこ、1960年9月3日 - )は、日本の俳人。「群青」共同代表、俳人協会理事。 北海道余市郡出身。当初は短歌を学んだがのちに俳句に転向、転向後しばらくは、口語表現を生かしつつ、男女の性愛や、強さとエレガンスを持つ女性像を描き出した作品で知られる。近年では口語表現から、文語表現にシフト。代表句に「春は曙そろそろ帰つてくれないか」「佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり」「雪まみれにもなる笑つてくれるなら」「一瞬にしてみな遺品雲の峰」「地吹雪や蝦夷はからくれなゐの島」などがある。 北海道余市郡余市町に生まれる。北海道小樽潮陵高等学校時代より詩を作っては投稿をしていた。1980年、一浪ののち青山学院大学文学部日本文学科入学。
村井 康司(むらい こうじ、1958年- )は、日本のジャズ… 村井 康司(むらい こうじ、1958年- )は、日本のジャズ評論家、俳人、編集者。 北海道函館市生まれ。函館ラ・サール高等学校、上智大学文学部新聞学科卒。大学時代からジャズ・ビッグバンドでギターと編曲を担当。小学館に入社し、編集者として勤務のかたわら1987年より音楽雑誌にジャズ評論はじめ音楽についての文章を雑誌に書き始める。そのほか、俳人としても活動する。後藤雅洋、中山康樹と「熱血トリオ」と呼ばれ鼎談で仕事をしていた。俳句同人誌「恒信風」の初代編集長であり、同誌には長嶋有や川上弘美が俳人として依った。編集者としては、歌人の穂村弘をエッセイストとしてメジャーにした『世界音痴』の出版や、同郷の小説家・佐藤泰志の『海炭市叙景』復刊が知られる。
五十嵐 秀彦(いがらし ひでひこ、1956年3月12日 - … 五十嵐 秀彦(いがらし ひでひこ、1956年3月12日 - )は、俳人。北海道帯広市生まれ。札幌市在住。現代俳句協会、俳人協会会員。漫画家の田島ハルは次女。 札幌北高等学校、明治学院大学法学部法律学科卒。1994年より句作を開始。俳誌「藍生」にて黒田杏子、「雪華」にて深谷雄大に師事。
時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、… 時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、日本の歌人。十勝で農業を営みながら、文芸活動を行っている。 北海道帯広市生まれ。北海道帯広農業高等学校在学中から短歌を詠み始める。帯広畜産大学別科草地畜産専攻修了。 1964年、短歌結社「辛夷社」に入会。1980年、角川短歌賞受賞を皮切りに、1982年現代歌人協会賞、1987年北海道新聞短歌賞、1999年短歌研究賞、2009年読売文学賞および芸術選奨文部科学大臣賞など、数多くの受賞歴を持つ。 1992年、大塚陽子の後を引き継ぎ、『辛夷』編集発行人を務めたが、2011年に退会。2015年、同人誌『劇場』を創刊。北海道新聞「日曜文芸」選者。
松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 … 松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - 2017年11月23日)は、日本の画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。 北海道北見市に生まれた。本名読み・おさふみ。北海道札幌西高等学校時代の教諭に菱川善夫がいた。東京藝術大学美術学部卒業。その後、同大学院に学んだ。 美術史家としては、今村紫紅など近代の日本画家を研究した。1983年、青梅市立美術館の開設準備に携わり、副館長などを経て2009年の退職まで務めた。並行して、実作や評論を行った。 短歌を大野誠夫に学び、歌誌「作風」を編集。1984年、大野の死により「作風」を退会。その後は無所属だった。また、句集や詩集の著作もある。
小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 20… 小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 2001年11月21日)は、歌人。 海軍士官だった父の勤務地・京都府舞鶴市に生まれる。戦後は海上保安庁に勤めた父に従って小樽市、釧路市、江差町と移り住む。北海道江差高等学校卒業後、上京して文化学院文科に入学するも中退。1955年の春より、詩人・俳人の安東次男に師事。1961年、歌誌「短歌人」に入会。斎藤史を慕っての入会だったが、歌誌「原型」を創刊して脱会した動きには同調しなかった。 若くから結核などの病に苦しみ、死と背中合わせの日常の中で作歌を続けた。生前には二冊の歌集しか残さず、歌壇的な交流も少ない孤高の歌人であった。1997年から2000年まで、角川短歌賞選考委員を務めた。
角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 201… 角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 2016年3月22日)は歌人。歌誌「はな」代表。旧姓は石塚。 北海道網走郡網走町(現在の網走市)生まれ。父は当時、網走中学校(現在の北海道網走南ヶ丘高等学校)の漢文教師であった。3歳で長野県松本市、5歳で茨城県水戸市に移住。8歳のときに父が村松陸軍通信兵学校の陸軍教官となったため新潟県中蒲原郡村松町(現在の五泉市)に移住する。終戦後は父の故郷である茨城県結城郡に住む。茨城県立水海道第一高等学校、大東文化大学日本文学部卒業。 父の影響により10代の頃から、短歌、俳句、詩を作り始める。1958年、歌誌「一路」に入会、山下陸奥に師事。東京都の豊南高等学校に勤務する。
菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 200… 菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 2007年12月15日)は、日本の歌人・文芸評論家・国文学者。北海学園大学名誉教授。戦後の前衛短歌運動を批評の立場から推し進めた。 北海道小樽市出身。旧制小樽中学(現北海道小樽潮陵高等学校)、1953年北海道大学文学部国文学科卒業、1958年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1957年北海道苫小牧西高等学校教諭。1959年北海道札幌西高等学校教諭、1962年旭川工業高等専門学校助教授、1969年北海道工業大学助教授。1972年同教授、1977年北海学園大学教養部教授。1993年同人文学部教授。北海学園大学教養部長や、同学生部長、同附属図書館長、同人文学部長・大学院文学研究科長を歴任。
森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007… 森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007年11月26日)は、日本の経済学者、俳人、詩人。 北海道岩内郡岩内町出身。俳号・句城子。日本大学卒、1959年同大学院金融論専攻博士課程満期退学、75年「庶民金融思想史」で経済学博士。日本大学商学部助教授、教授。1997年定年、名誉教授。俳人として、1943年原石鼎、原コウ子に入門、鹿火屋に所属。そのほか、叙事詩も書いた。
山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2… 山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2015年6月18日)は、昭和・平成期の歌人。北海道南富良野町生まれ。北海道歌人会設立に参画。第33回日本歌人クラブ賞、第61回北海道文化賞受賞。 父の山名薫人も短歌雑誌・結社の『潮音』に所属した歌人である。 1925年(大正14年)12月15日、北海道上川管内南富良野町に生まれる。1940年(昭和15年)、15歳で短歌結社(雑誌)『潮音』『新墾()』に入会。現在の札幌光星高等学校を卒業。明治大学に進学。大学在学中より特別幹部候補生として苫小牧市沼ノ端の独立旅団に入隊し、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦を迎える。 戦後は1948年(昭和23年)、北海道新聞社に入社。
宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10… 宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10日-1984年(昭和59年)6月2日)は、日本の政治家・俳人・市民運動家。北海道紋別郡生田原町出身。旧制北海道野付牛中学校(現、北海道北見北斗高等学校)を経て、早稲田大学政経学部卒業。北海道北見市長(1967年-1975年、2期)。 早稲田大学卒業後、市の職員として北見市立東陵中学校などの中学校教諭に就く。教師時代から、市民運動・住民運動に力を入れ、1956年(昭和31年)に北海道教職員組合北見市支部執行委員長に就き、その後、全北海道労働組合協議会副議長を歴任。1967年(昭和42年)北見市長選挙に出馬し現職の滝野啓次郎を破って革新系首長として初当選する。
中山 周三(なかやま しゅうぞう、1916年(大正5年)8月… 中山 周三(なかやま しゅうぞう、1916年(大正5年)8月13日 - 1999年(平成11年)9月22日)は、日本の歌人、国文学者。北海道出身。 札幌一中を経て、國學院大學高等師範に入学後、北原白秋『桐の花』や、釈迢空の歌との出会いで作歌を始める。卒業後、1936年(昭和11年)に「歌と観照」に入会し、岡山巌に師事する。札幌商業学校に就職し結婚。12月に応召を受けて満州に渡るが、1941年(昭和16年)に帰国して、札幌商業学校に復職。その後、母校札幌一中や、札幌東高校で教職に就く。1946年(昭和21年)「原始林」創刊に参加し、後に山下秀之助に師事して共同で作歌を始めた。 1953年(昭和28年)からは田辺杜詩花没後の後継として同誌編集発行の代表となる。
太田 絢子(おおた あやこ、1916年3月17日 - 200… 太田 絢子(おおた あやこ、1916年3月17日 - 2009年10月31日)は、昭和・平成期の歌人。歌誌『潮音』主宰を務めた。歌人・漢文学者の太田青丘は夫。『潮音』現主宰の木村雅子は娘。旧姓・近藤。 北海道利尻町生まれ。実践女子専門学校(現実践女子大学)国文科卒。在学中は高崎正秀の指導を受ける。同校助手を経て、北海道岩見沢農業高等学校、北海道小樽潮陵高等学校などの教員を歴任。小樽市を第二の故郷として愛した。 1950年(昭和25年)、歌誌『新墾』及び『潮音』に入社。後に『新墾』選者も務める。1957年(昭和32年)、師の小田観螢の媒酌により、太田青丘の後妻に入り、北海道を離れ鎌倉市に住む。1996年(平成9年)に夫の太田青丘の没後、『潮音』主宰を継承。
斎藤 玄(さいとう げん、1914年8月22日 - 1980… 斎藤 玄(さいとう げん、1914年8月22日 - 1980年5月8日)は、北海道出身の俳人。本名・俊彦。 北海道函館市春日町(現青柳町)に生まれる。祖父斎藤又右衛門は末広町で呉服屋を営み、函館銀行初代頭取や函館商工会議所初代会長などを務めた地元財界の大物だった。父俊三は咀華と号した画家で、二科展に属し川端龍子や斎藤五百枝らと交流があったが、4歳のときに死別した。親類に上田敏がいる(祖父の妹の夫)。 函館中学校、早稲田大学商科卒。大学在学中、新興俳句に惹かれたことから従兄の杉村聖林子に誘われて「京大俳句」に参加し西東三鬼に師事。当初は三樹雄と号した。1938年、旧北海道銀行に入社。1940年、郷里で「壷」を創刊するが、4年後に休刊。
青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 19… 青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 1993年2月27日)は、日本の小説家、歌人。石川県鵜川村(石川県鳳至郡に所在。町制施行し鵜川町となる。現:能登町。)に生まれ、1914(大正3)年に北海道小樽市に来る。父母の生業である理美容業を継ぐ。大正末期に並木凡平を知り、以来口語短歌一筋に70年の歌歴を積む。1927(昭和2)年並木凡平が「新短歌時代」を創刊するや編集同人として参画。主著に歌集「せせらぎ」「青空に描く」「海峡」など。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
森竹 竹市(もりたけ たけいち、1902年2月23日 - 1… 森竹 竹市(もりたけ たけいち、1902年2月23日 - 1976年8月3日)は、昭和時代の歌人。違星北斗やバチェラー八重子とともにアイヌ三大歌人に数えられる。筑堂と号する。 北海道白老郡白老のコタンに父エヘチカン、母オテエの長男として生まれる。父の急逝により家は窮乏におちいり、9歳から漁場で働くようになる。1915年に白老第二尋常小学校を卒業後、石狩・厚田・臼谷(小平町)・留萌の鰊漁場に出稼ぎに行く。白老郵便局長・満岡伸一の好意により1917年から郵便局に勤める。1919年に白老駅夫を拝命し、正職員となるため勉学に励む。1923年に札幌鉄道局雇員採用試験に合格。1927年に札幌鉄道局雇員を拝命し、以後は追分・佐瑠太(富川)・苫小牧・静内に貨物掛として転勤する。
北見 恂吉(きたみ じゅんきち、1902年 - 1990年)… 北見 恂吉(きたみ じゅんきち、1902年 - 1990年)は、日本の神官、歌人。 本名・鈴木重道。北海道出身。余市の神社の息子に生まれる。小樽中学校で二年後輩の伊藤整に、通学列車の中で島崎藤村詩集を教え、影響を与えた。伊藤の自伝的小説『若い詩人の肖像』に、本名が実名で登場する。 伊勢の神宮皇學館本科を卒業して、神宮文庫に勤務。根岸短歌会系の五更会に入り、同誌の編集発行を担当、岡麓に師事して短歌も詠んだ。埼玉県立久喜高等女学校教諭を6年勤めたのち、1934年に帰郷して神官となる。1937年より朝鮮神宮主典として京城に赴任して朝鮮総督府祭務官となるが、本州勤務を希望し福島県の伊佐須美神社宮司となり、そこで敗戦を迎える。
違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) … 違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) - 1929年(昭和4年)1月26日)はアイヌの歌人・社会運動家。 アイヌ民族の地位向上のための運動に一生を捧げ、その思想を新聞や雑誌に短歌の形で発表して、同時代のアイヌの青年たちに影響を与えた。また道内のアイヌコタンを廻って、まずアイヌ自身が自覚し、団結することが必要であると説いた。 バチェラー八重子、森竹竹市と並ぶ、「アイヌ三大歌人」の一人。「アイヌの啄木」と称されることもある。著作に『違星北斗遺稿 コタン』(昭和5年・希望社出版部、現在は草風館より復刊)、『違星北斗歌集 アイヌと云ふ新しくよい概念を』(角川ソフィア文庫)がある。 違星北斗は1901年(明治34年)、北海道後志支庁余市町大川町1丁目に、父甚作と母ハルの間の三男として生まれる。
湊 楊一郎(みなと よういちろう、1900年(明治33年)1… 湊 楊一郎(みなと よういちろう、1900年(明治33年)1月1日 - 2002年(平成14年)1月2日)は、俳人。新興俳句運動の理論的支柱として知られる。本名は久々湊 与一郎(くくみなと よいちろう)。 北海道小樽市生まれ。中央大学法学部卒業。大学在学中は山岳部に所属していた。 1929年(昭和4年)、司法試験に合格。弁護士のかたわら、1931年(昭和6年)、松原地蔵尊らと俳誌「句と評論」を創刊。戦後は、「俳句評論」「羊歯」などを経て、「再会」を創刊。 1946年(昭和21年)、栗林一石路、石橋辰之助、東京三(秋元不死男)、富澤赤黄男らとともに、民主主義日本文化の確立発展をめざし、新俳句人連盟を設立。
小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - … 小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - 1966年4月24日)は、日本の洋画家、随筆家、俳人。俳号は一游亭。
金児 杜鵑花(かねこ とけんか、1894年3月14日 - 1… 金児 杜鵑花(かねこ とけんか、1894年3月14日 - 1938年2月21日)は大正-昭和時代前期の俳人。本名は農夫雄(のぶお)。新興俳句の命名者とされているが、その言葉は、彼が私淑した河東碧梧桐が先に著書『新興俳句への道』(昭和4年)の題名で使っていたものを、山口誓子、水原秋櫻子らの運動に当てたものである。 1894年(明治27年)3月14日、北海道余市郡(現余市町)生まれ。札幌師範を卒業後、堺小学校教諭となったが、1918年上京して新潮社に入社。1920年、素人社を設立。山口誓子の処女句集『凍港』を出版。雑誌「現代文芸」「俳句月刊」「俳句世界」などを発行、主宰。俳句は河東碧梧桐に私淑し新傾向風の俳句をつくるが、晩年は定型句に転じた。
阿部 みどり女(あべ みどりじょ、1886年10月26日 -… 阿部 みどり女(あべ みどりじょ、1886年10月26日 - 1980年9月10日)は、日本の俳人。本名はミツ。北海道札幌区(現・札幌市)生まれ。父は第2代北海道庁長官・永山武四郎。 北星女学校(現北星学園女子中学高等学校)修了。 1910年、阿部卓爾と結婚して東京に住むが、結核のため鎌倉で療養。この頃から俳句を始める。1915年、高浜虚子に師事、以後「ホトトギス」を中心に作品を発表。始めは主情的な俳風だったが、後に虚子が客観写生を説くと彼女もそれに従い、更に写生を極めるために洋画家森田恒友に素描を学んだ。長谷川かな女・杉田久女とともに、女流俳句草創期を代表する一人。金子兜太はかな女・久女を感情型、みどり女を想念型と指摘している。
内藤鳴雪(ないとう めいせつ、1847年5月29日(弘化4年… 内藤鳴雪(ないとう めいせつ、1847年5月29日(弘化4年4月15日) - 1926年(大正15年)2月20日)は、幕末の伊予松山藩の武士、明治期の官吏、明治・大正期の俳人。幼名は助之進、元服して師克(もろかつ)、のち素行(もとゆき)。俳号の「鳴雪」は、「何事も成行きに任す」の当て字という。鳴雪の号のほか、南塘・破蕉・老梅居も用いた。 伊予松山藩の上級武士内藤房之進と八十(やそ)の長男として、藩の江戸中屋敷に生まれた。嘉永2年(1849年)に実母が死去すると、曾祖母と祖母のもとで育てられた。安政元年(1854年)頃から父に漢籍を教わり、軍記物や草双紙、寄席や義太夫に親しんだ。なお、同時期に小使として出仕していた原田左之助(後の新撰組幹部で十番隊隊長。
中城 ふみ子 は、日本の歌人。北海道河西郡帯広町(現・帯広市… 中城 ふみ子 は、日本の歌人。北海道河西郡帯広町(現・帯広市)出身。旧姓は野江富美子、妹の野江敦子も歌人である。中城は婚姻後の姓で、離婚後も中城を名乗った。戦後活躍した代表的な女性歌人の一人で、寺山修司とともに現代短歌の出発点であると言われている。