坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4… 坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の法学者。専門は商法。日本大学名誉教授。日本大学法科大学院教授、日本大学常任幹事などを歴任。弁護士(東京弁護士会)。前中央選挙管理会委員長(2004年3月 - 2010年3月)。 資産評価政策学会理事。
福島県:119人
坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4… 坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の法学者。専門は商法。日本大学名誉教授。日本大学法科大学院教授、日本大学常任幹事などを歴任。弁護士(東京弁護士会)。前中央選挙管理会委員長(2004年3月 - 2010年3月)。 資産評価政策学会理事。
全田 浩(ぜんだ ひろし、1938年 - 2009年6月7日… 全田 浩(ぜんだ ひろし、1938年 - 2009年6月7日)は、日本の薬学者、薬剤師、薬学博士。福島県出身。1999年 - 2006年まで日本病院薬剤師会会長を勤め、薬学教育6年制の実現や病院薬剤師の配置問題に尽力し、2006年には厚生労働大臣表彰を受けた。 病院薬剤師としての評価が高いが、薬剤師として活躍する前には実は天然有機科学研究者として将来を嘱望されていた。有機化学者としても頭角を現したのは東京大学大学院時代。当時、日本の有機化学会で最もレベルの高い研究をしていた東大薬学部の薬化学教室、ここは近藤平三郎、落合英二、岡本敏彦と当代超一級の有機化学者が歴代の教授を務め、窒素を含む天然有機化合物(アルカロイド)の研究で世界的な成果を次々と発表した。
鷺 只雄(さぎ ただお、1936年 - 2018年)は、日本… 鷺 只雄(さぎ ただお、1936年 - 2018年)は、日本近代文学の研究者、都留文科大学名誉教授。文学博士。 福島県いわき市生まれ。東京教育大学文学部国文科卒業。都留文科大学教授を務め、2002年定年退官。中島敦、芥川龍之介、壺井栄を研究。腎不全で闘病し、姉から腎臓移植を受けた経験を描いた『姉から贈られたいのち』がある。2012年日本児童文学学会特別賞受賞。2013年『評伝壺井栄』でやまなし文学賞受賞。2018年9月20日、82歳で逝去。[要出典]
本田 弘(ほんだ ひろし、1935年3月11日 - )は、日… 本田 弘(ほんだ ひろし、1935年3月11日 - )は、日本の行政学者、日本大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1964年明治大学大学院政治学専攻博士課程修了、1978年「現代都市行政論 都市化過程と行政変動」で政治学博士。 日本大学法学部助教授、教授。2005年定年となり、名誉教授。1974年日本都市学会奥井賞受賞。
古田 孝之(ふるた たかゆき、1935年1月8日 - 201… 古田 孝之(ふるた たかゆき、1935年1月8日 - 2016年6月27日)は、日本の数学者、理学博士。
江川 潤(えがわ じゅん、1934年11月3日 - 2012… 江川 潤(えがわ じゅん、1934年11月3日 - 2012年2月27日)は、日本の政治学者。専門は政治過程論。中央大学名誉教授。福島県須賀川市生まれ。 1957年、中央大学法学部卒業。1962年、同大学院法学研究科政治学専攻博士課程退学(指導教授:原田鋼)。同年、同法学部助手。1971年、東京都立商科短期大学商科専任講師。1973年、同商科助教授。1976年、中央大学法学部専任講師。1977年、同法学部教授。1994年、日本政治学会理事(~1996年)。2005年、中央大学定年退職。同名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
朝倉 利光(あさくら としみつ、1934年1月20日 - )… 朝倉 利光(あさくら としみつ、1934年1月20日 - )は、日本の工学者。元北海学園大学学長、北海道大学名誉教授。専門は、応用光学、量子光工学など光学分野。工学博士(東京大学、1965年)。福島県出身。
深谷松男(ふかや まつお、1933年5月19日- )は、日本… 深谷松男(ふかや まつお、1933年5月19日- )は、日本の法学者。民法学者。金沢大学名誉教授。専門は家族法。福島県出身
高久 晃(たかく あきら、1933年 - 2015年)は、日… 高久 晃(たかく あきら、1933年 - 2015年)は、日本の医学者。専門は、脳神経外科学。学位は、医学博士。富山医科薬科大学医学部脳神経外科学教室教授(初代1980年-1997年)、富山医科薬科大学学長(1997年-2003年)。 脳神経外科顕微鏡手術に優れ脳神経外科手術の治療成績と安全性の向上、国内外の若手医師の指導など幅広く脳神経外科の発展に寄与する。2016年3月27日、富山市シティホールにて富山大学脳神経外科同門会・高久家合同お別れの会が開催された。
小室 直樹(こむろ なおき、1932年〈昭和7年〉9月9日 … 小室 直樹(こむろ なおき、1932年〈昭和7年〉9月9日 - 2010年〈平成22年〉9月4日)は、日本の社会学者、経済学者、批評家、社会・政治・国際問題評論家。 学位は法学博士(東京大学・1974年)。東京工業大学世界文明センター特任教授、現代政治研究所(東京都千代田区)所長などを歴任。 社会学、数学、経済学、心理学、政治学、宗教学、法学などの多分野を第一人者から直接学び、「社会科学の統合」に取り組んだ。東京大学の伝説の自主ゼミナール「小室ゼミ」主宰者。著書に『ソビエト帝国の崩壊』や『痛快!憲法学』などがある。 出生名爲田直樹として東京府荏原郡玉川村(現・東京都世田谷区奥沢)に生まれる。私生児であった。
福田 晃(ふくだ あきら、1932年1月26日 - 2022… 福田 晃(ふくだ あきら、1932年1月26日 - 2022年1月9日)は、日本の国文学者・民俗学者。専門は説話文学。学位は、文学博士(國學院大學・論文博士・1985年)(学位論文「神道集説話の成立」)。立命館大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1950年3月に福島県立会津工業高等学校を卒業後、5年間の社会人生活を経て、1955年4月に國學院大學文学部に入学する。入学当初は、国語の教員をしながら小説を書く生活を送りたい、と考えていたため近現代文学を志し、当時同大学英文科で教鞭を採っていた丸谷才一と親交を深める。ただし、丸谷は近現代文学を専攻することをよしとせず、同大学の中でも教学条件が整っている古典文学を専攻するように勧めたことで、その後の進路を決めた。
佐藤 和夫(さとう かずお、1932年 - 2014年8月2… 佐藤 和夫(さとう かずお、1932年 - 2014年8月29日)は、日本の郷土史家。主に水軍史を扱った。 福島県白河市生まれ。1958年早稲田大学文学部日本史学科卒業。1964年同大学院文学研究科修士課程修了。1958年から1993年まで私立中学・高校(青森県東奥義塾、東京都京北高校、横浜市捜真女学校)で教鞭を執る。 1991年第16回郷土史研究賞・特別優秀賞受賞(新人物往来社主催)。
梶山 純(かじやま じゅん、1930年(昭和5年)5月 - … 梶山 純(かじやま じゅん、1930年(昭和5年)5月 - )は、日本の法学者。専門は商法。八幡大学名誉教授。長崎県国見町出身。 長崎県立長崎中学校 (旧制)3年生の時に原爆を体験する。第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1953年九州大学法学部法律学科卒業。その後九州大学大学院助手を経て、1960年八幡大学法経学部講師に就任、以後助教授、教授を歴任。2003年九州国際大学より名誉教授の称号を受く。
柏木 繁男(かしわぎ しげお、1930年 - )は、日本の心… 柏木 繁男(かしわぎ しげお、1930年 - )は、日本の心理学者、千葉大学名誉教授。 福島県会津若松市生まれ。東京大学文学部心理学科卒、同大学院教育学研究科をへて1967年教育学博士。旧国鉄の鉄道労働科学研究所を経て、千葉大学教授・文学部長、1996年定年退官、名誉教授、城西国際大学教授、慶應義塾大学教授。 内田クレペリン精神検査など心理検査の研究など人格心理学に関する研究者として著名である。また計量行動学や心理学における多変量解析を用いた心理学研究法に関する著書や論文を国内外の学術誌で多数執筆している。特に因子分析に関する研究で国際学術誌に数多くの業績を残している。最近は主要5因子性格検査の研究を中心に行っている。
藤田 至孝(ふじた よしたか、1929年11月27日 - )… 藤田 至孝(ふじた よしたか、1929年11月27日 - )は、日本の経営学者、亜細亜大学名誉教授。 福島県東白川郡矢祭町出身。東京高等師範学校卒、教師を経て慶應義塾大学経済学部卒、1955年アメリカ銀行東京支店勤務、1960年日経連勤務、労務管理課長。1967年慶大大学院経済学博士課程満期退学。イリノイ大学大学院修士課程修了。1972年亜細亜大学経済学部助教授、1977年教授。経済学部長、1998年定年、名誉教授、平成国際大学教授。2005年退任。
高橋 理喜男(たかはし りきお、1928年 - )は、造園学… 高橋 理喜男(たかはし りきお、1928年 - )は、造園学者。大阪府立大学名誉教授。日本大学教授を歴任。造園学のうち、公園史と都市林を研究。大阪自然環境保全協会会長、和歌山県自然環境保全審議会委員、都市緑化基金評議員会会長などを歴任。 農学博士。福島県三春町出身。
保住 昭一(ほずみ しょういち、1928年 - 2005年)… 保住 昭一(ほずみ しょういち、1928年 - 2005年)は、日本の法学者・弁護士。商法学者。明治大学名誉教授。福島県二本松市出身。 1953年司法試験合格。1954年明治大学法学部卒業。司法修習生。 1956年明治大学法学部助手。1958年明治大学法学部講師。1961年明治大学法学部助教授。1966年明治大学法学部教授。弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。1971年西ドイツ・ハンブルク大学に留学。1976年明治大学法学部法律学科長。1984年明治大学法学部長。1999年明治大学定年退職。同名誉教授。 この他、明治大学評議員(1976年、1980年-1984年、1988年-1992年)、藤沢市情報公開審査会(1986年-1998年)も務めた。
金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は… 金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は、日本の国文学者、宮城教育大学名誉教授。 福島市生まれ。本籍・仙台市。海軍兵学校在学。1950年東北大学文学部国文科卒業。同大学院博士課程中退、宮城県第二女子高等学校教諭、宮城県仙台第一高等学校教諭、東北大学講師、宮城教育大学助教授、教授、図書館長をへて92年定年退官、名誉教授、山形女子短期大学教授。近世俳諧、特に『奥の細道』が専門。
高松 和男(たかまつ かずお、1927年3月12日 - )は… 高松 和男(たかまつ かずお、1927年3月12日 - )は、日本の経営学者。 福島経済専門学校(1947年卒業、現・福島大学)を経て、1950年に東北大学経済学部(旧制)を卒業した。卒業後は、福島大学で講師を務めた後東北大学に移り、助教授を経て、教授に就任した。1962年「現代会計の原理 : 制度論的会計理論の展開」で東北大学から経済学博士の学位を取得した。1971年に初代創価大学学長となる。1984年に日本経営分析学会(現・日本経済会計学会)の初代会長に就任した。
古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8… 古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8日 - 2015年(平成27年)10月14日)は、日本の思想史学者・古代史研究家。専門は親鸞等の中世思想史だが、むしろ古代史研究において著名である。
岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8… 岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8月3日 - 2025年〈令和7年〉7月25日)は、日本の工学者。工学博士(東北大学・1959年)(学位論文「磁気録音に関する研究」)。東北大学名誉教授。東北工業大学名誉理事長。元電子情報通信学会副会長。文化勲章受章者。福島県福島市生まれ、同県郡山市出身。 専門は電気工学・磁気記録。記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。 1977年頃に、磁気記録の記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。同方式は基礎研究は進められたものの、いくつかの困難があり、物性的にそれに適した磁気テープなどは割と早くに実現したが、広く市販される商品となったものは光磁気ディスク等といった別方式との併用を除けば、主力機器では東芝による2005年のハードディスク商品化が初であった。
大原 光憲(おおはら みつのり、1926年5月1日 - 19… 大原 光憲(おおはら みつのり、1926年5月1日 - 1992年7月23日)は、日本の政治学者。中央大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1948年水戸高等学校 (旧制)卒業。1953年中央大学法学部卒業、1955年同大学院法学研究科政治学専攻修士課程。1956年明治大学大学院政治経済研究科政治学専攻博士課程中退。1956年中央大学法学部助手。1960年同法学部助教授。1967年同法学部教授。中央大学では「政治学原論」「政治過程論」「地域政治」の講義を担当していた。1982年中央大学学生部長。1983年中央大学にて法学博士受く。1991年東京都知事選挙に日本社会党推薦で出馬。横山桂次、篠原一、吉武輝子らの推薦を受けたが落選。
宮崎 十三八(みやざき とみはち、1925年(大正14年)7… 宮崎 十三八(みやざき とみはち、1925年(大正14年)7月8日 - 1996年(平成8年)5月11日)は、日本の郷土史家。福島県会津若松市生まれ。旧制新潟高等学校文科卒業。会津若松市商工観光部長。会津史学会会長、顧問。会津史談会相談役。 1993(平成5)年に出された「教育委員会表彰推せん調書」によれば次の通り。 福島県若松市融通寺町(現在の本町)に生れ、市立第四(城西)小学校・県立会津中学校を経て、旧制官立新潟高等学校文科卒業。県立安積高校教員の後、昭和二十六年若松市役所に奉職。三十三年間勤務。商工観光課長のとき、天守閣再建担当。社会教育課長、文化福祉センター初代所長、商工観光部長。五十九年三月定年退職。
手代木 渉 (てしろぎ わたる; 1925年(大正14… 手代木 渉 (てしろぎ わたる; 1925年(大正14年)5月6日 – 2007年(平成19年)3月7日) は、主に昭和時代の第二次世界大戦後に活躍した発生生物学者で、弘前大学理学部(現、理工学部)教授、学生部長、学部長、学長を歴任した。プラナリア(ウズムシ)の研究で理学博士(東北大学1962年)、後に斯学の国際学会(Turbellarian Biology 1990)を主催した。 1925年(大正14年)5月6日]、福島県耶麻郡豊川村沢部(現、喜多方市豊川町沢部長尾)に生まれる。父の名は藤一(とういち)母の名はマツヨ、四男だった。生家はかつて世襲の肝煎(きもいり)の家系。会津盆地北西部に位置する稲作を主とする農村で自然が豊かな地元の村立豊川小学校(現、喜多方市立豊川小学校)に通学した。
屋形 稔(やかた みのる、1925年2月21日 - 2015… 屋形 稔(やかた みのる、1925年2月21日 - 2015年11月24日)は、日本の医学者、医師。新潟大学名誉教授。専門は、検査診断学。
内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )… 内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )は、日本の社会政策学者。立教大学名誉教授。 福島県田村郡三春町生まれ。実家の家業は味噌醤油の醸造業。1941年福島県立田村中学校卒業。1943年立教大学経済学部予科入学。在学中に学徒出陣で海軍に入隊するが、病気のため半年ほどで除隊。1945年立教大学経済学部本科入学。立教でも教鞭を執っていた東京大学教授の大河内一男と出会い、東大の大河内ゼミに参加。1947年に大河内に代わって隅谷三喜男が立教で社会政策を担当するようになり、隅谷ゼミに参加し、引き続き東大の大河内ゼミにも参加。1948年立教大学経済学部卒業、同研究科入学。籍は立教にあったが、実際は東大で大河内・隅谷の指導を受けた。
大橋 薫(おおはし かおる、1922年(大正11年)4月29… 大橋 薫(おおはし かおる、1922年(大正11年)4月29日 – ) は、日本の社会学者。明治学院大学名誉教授。社会病理学、都市社会学を主たる専門とする。明治学院大学社会学部長、日本社会病理学会、家族問題研究会の各会長などを歴任。 社会病理学では社会解体論的、社会偏倚論的方針に立脚し、家族病理、社会病理の視点から研究を行う。また都市社会学においてはシカゴ学派の影響を受ける。 研究対象は家族、アルコール中毒、被差別部落、売春婦、やくざなど多岐にわたり、高知市や大阪市で行った調査活動への評価は高い。一方その社会病理学の方法については、学問領域としての社会病理学それ自体と併せて批判もある。 福島県田島町出身で、会津中学、浦和高校を経て1942年(昭和17年)に東京帝大へ進む。
山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2… 山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2013年3月)は、日本の日本史学者・教育者。 1921年(大正10年)7月23日、福島県に生まれる。1940年(昭和15年)3月、福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)卒業。1942年(昭和17年)9月、新潟高等学校(現・新潟大学)文科甲類卒業、東京帝国大学に進学。1944年(昭和19年)3月、学徒出陣。1945年(昭和20年)9月、召集解除、復員。1947年(昭和22年)3月、東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業直後に腎臓摘出の手術を受け、さらに結核により半年あまり自宅療養する。1952年(昭和27年)3月、東京大学文学部大学院満期修了。
佐藤 俊夫(さとう としお、1921年 - )は、日本の倫理… 佐藤 俊夫(さとう としお、1921年 - )は、日本の倫理学者、東京大学名誉教授。 第一高等学校から1943年東京帝国大学文学部倫理学科卒。1950年東大教養学部講師、助教授、教授、1981年定年退官、名誉教授、信州大学教授。
小林 文次(こばやし ぶんじ、1918年 <大正7年> 4月… 小林 文次(こばやし ぶんじ、1918年 <大正7年> 4月19日 - 1983年 <昭和58年> 8月28日)は、日本の建築史家、工学博士。福島県伊達郡桑折町生まれ。兄に歴史学者・文学博士の角田文衞がいる。門下には望月照彦、近江榮、山本理顕、椎名英三などがいる。福島県のさざえ堂の実測調査を手がけた。位階は従五位。 1941年、東京帝国大学工学部建築学科卒業。同大学院に進学するも1944年に退学。同年慶應義塾大学予科教授。大学院生時代は平等院の研究を手がける。1949年日本大学助教授、1952年フルブライト制度でアメリカ合衆国のオレゴン大学へ留学。現地ではアメリカ合衆国近代建築史を研究した。1960年「古代メソポタミヤ建築論」により、東京大学工学博士を取得。
南部 松夫(なんぶ まつお、1917年11月19日 - 20… 南部 松夫(なんぶ まつお、1917年11月19日 - 2009年8月21日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・鉱物学。福島県相馬市生まれ。 1947年、東北帝国大学理学部岩石鉱物鉱床教室を卒業し、同大学選鉱精錬研究所(現、素材工学研究所)助手となる。1949年に講師、1953年に助教授、1955年 に東北大学理学博士 「Mineralogical study of limonite from Japan(日本産褐鉄鉱の鉱物学的研究) 」。 1962年に教授へと昇任し、1981年に停年退職。この間、1971年から1976年に同研究所所長。東北大学退職後は、東京理科大学の専任教授や監事にも就任した。
斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2… 斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2012年11月4日)は、日本の内科学者。専門は、糖尿病、癌化学療法。医学博士。 福島県福島市生まれ。 福島中学(現福島県立福島高等学校)を経て第二高等学校 (旧制)から、東北帝國大学医学部卒業。1938年、同医学部内科教室(教授・山川章太郎)に入局。1947年、青森医学専門学校教授。1952年、東北大学医学部内科助教授(教授・黒川利雄)。1959年から1年間、アメリカ国立がん研究所 (NCI) に留学。1963年、東北大学抗酸菌病研究所教授(癌化学療法部門、1969年臨床癌化学療法部門と改称)、1974年、同研究所所長・東北大学評議員。
金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 199… 金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 1996年7月5日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授。 福島県生まれ。会津中学校(現福島県立会津高等学校)卒、1939年東京文理科大学卒、46年同大学助手、1951年東京教育大学助教授、教授、1978年定年退官、名誉教授、文教大学教授。85年退職、インターカルト日本語学校校長。
北小路 健(きたこうじ けん、1913年1月25日 - 19… 北小路 健(きたこうじ けん、1913年1月25日 - 1991年10月22日)は、国文学者、古文書学者。本名は渡部 栄(わたなべ さかえ)。 1913年、福島県会津若松市生まれ。両親ともに教師。父親の転勤に従い渡満し、大連春日小学校、 大連一中を経て1931年に東京高等師範学校文科第二部国漢科(1934年東京文理科大学国文科に転入)に入学。能勢朝次、山岸徳平らに師事して「源氏物語」研究を志す。父の死後、父に世話になったという人から家宝だという古書の『源氏物語』54冊を贈呈され、それが従一位麗子本源氏物語であることを発見し、これを論文にした。 1937年、東京文理科大学国文科を卒業。召集されたものの、病のため除隊となり、満州で中学教師として勤める傍ら研究を続けた。
伊藤 和衛(いとう かずえ、1911年4月28日 - 198… 伊藤 和衛(いとう かずえ、1911年4月28日 - 1989年6月4日)は、日本の教育学者、東京教育大学名誉教授。 福島県いわき市生まれ。1941年、東京文理科大学卒業。東京都教育研究所を経て、1964年から東京教育大学教育学部(教育行財政講座)教授。1961年、「教育の機会均等」により、東京文理科大学文学博士。1975年、定年退官、名誉教授、山梨英和短期大学教授。1989年6月4日、急性腎不全のため死去。 日本教育行政学会の創設に携わり、1974年から3年間会長を務めた。
木野 二郎(きの じろう、1910年10月17日 - 197… 木野 二郎(きの じろう、1910年10月17日 - 1976年12月19日)は、日本の経営者、工学博士。藤倉電線(現在のフジクラ)社長を務めた。 福島県会津若松市出身。1933年に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線に入社。 1957年11月に取締役に就任し、1962年に常務、1965年11月に副社長を経て、1973年11月に社長に就任。 1976年12月19日、くも膜下出血のために死去。66歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
本多 修郎(ほんだ しゅうろう、1909年6月8日 ‐ 19… 本多 修郎(ほんだ しゅうろう、1909年6月8日 ‐ 1990年12月11日)は、日本の哲学者・科学史家。東北大学名誉教授。科学史・技術史を研究。 福島県耶麻郡長瀬村(現猪苗代町)出身。喜多方中学、二高理科を経て東北帝国大学哲学科卒。次いで東京帝国大学大学院に学ぶ。高橋里美、三宅剛一に師事。東北大学助教授、1950年教授。1962年「ヘーゲル弁証法と数学・自然科学」で文学博士の学位を取得。1973年定年退官、名誉教授。東北福祉大学教授。父寅多、母クラ、次男。
星 冬四郎(ほし とうしろう、1907年(明治40年)12月… 星 冬四郎(ほし とうしろう、1907年(明治40年)12月23日 – 1989年(平成元年)8月7日 ) は、日本の農学者。家畜生理学を専門とした東京大学農学部教授、同名誉教授である。「馬の不妊症に関する内分泌学的研究」で東京帝大農学博士、「哺乳期における卵巣機能に関する研究」で日本農学賞を受賞。家畜繁殖研究会会長。 「ラットの卵巣静脈血中の黄体ホルモンの化学的測定法の確立に関する研究」は世界で最初の取り組みで、のちに体外受精、胚移植へと発展した。昭和38年度の日本農学賞を受賞した「ラットの哺乳期における内分泌機能に関する研究」(「哺乳期における卵巣機能に関する研究」)は低受胎症の改善に、「家畜不妊症に対する性腺刺激ホルモンの応用に関する研究」は家畜繁殖障害のホルモン療法に貢献した。
星 光一(ほし こういち、1907年(明治40年)9月11日… 星 光一(ほし こういち、1907年(明治40年)9月11日 - 1991年(平成3年)4月13日)は、日本の工学者。切削工学を専門とした北海道大学教授、同名誉教授である。旭川工業高等専門学校校長、精密工学会名誉会員。「金属切削における構成刃先の研究」で東京大学工学博士。 福島県会津若松市出身。会津中学などを経て1933年(昭和8年)に北海道帝国大学を卒業。基隆炭鉱、栗本鉄工所、新潟鐵工所に勤務する。北大に精密工学科が設置された1958年(昭和33年)に教授となり、1972年(昭和47年)には名誉教授の称号を授与される。この間の1970年(昭和45年)に旭川工業高等専門学校校長に就任。1979年(昭和54年)の退官までに、同校では設備の充実が図られた。
荒川 秀俊(あらかわ ひでとし、1907年8月4日 - 19… 荒川 秀俊(あらかわ ひでとし、1907年8月4日 - 1984年12月23日)は、日本の昭和期の気象学者。理学博士(東京大学・論文博士・1939年)。 福島県白河市に生まれる。県立安積中学校から第二高等学校を経て、1931年東京帝国大学理学部物理学科卒業後、中央気象台に入る。1939年、理学博士(東京大学)の学位を取得1941年東京大学講師を兼任。1943年軍の依頼により偏西風を利用した風船爆弾の気象調査を行う。1964年福岡管区気象台台長、1966年気象研究所所長、1968年東海大学教授を歴任。1972年藤原賞受賞。勲二等瑞宝章を受章。1984年の年末心不全のため死去。 予報技術の発展に貢献したほか、古文書により気象・災害と歴史的事件の関係を研究し、理論気象、気候学、災害史、気象学史などの分野で業績を残した。
大平 善梧(おおひら ぜんご、1905年9月19日 - 19… 大平 善梧(おおひら ぜんご、1905年9月19日 - 1989年3月10日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(慶應義塾大学・論文博士・1960年)。一橋大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。キリスト教徒であり青山学院大学学長も務めた。従三位勲二等瑞宝章。妻は宮城県会議長・南條秀夫の長女。 1905年、福島県会津若松市で生まれた。1923年3月、 会津中学校を卒業して小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学。1926年3月に小樽高等商業学校を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。1929年3月に同校を卒業。 卒業後は、1929年7月より母校である東京商科大学の補手に着任。1930年11月、高等試験司法科試験に合格。
鈴木 安蔵(すずき やすぞう、1904年3月3日 - 198… 鈴木 安蔵(すずき やすぞう、1904年3月3日 - 1983年8月7日)は、日本の法学者(憲法学者)・法制史家。静岡大学名誉教授。 1904年、福島県相馬郡小高町(現・南相馬市)生まれ。相馬中学、二高を経て、京都帝国大学哲学科に入学。文学部哲学科に入学したものの、河上肇の影響を受けて経済学部に転じる。1926年(大正15年)京都学連事件で検挙され、この事件が治安維持法違反第1号となり、大学を自主退学、豊多摩刑務所で2年間服役した。出獄後は吉野作造(明治文化研究会を結成し『明治文化全集』を編集)の影響を受け、マルクス主義の立場から大日本帝国憲法の制定史を研究、1933年(昭和8年)、著書『憲法の歴史的研究』として刊行したが「唯物史観的」として発禁処分を受け学界からは完全にパージされてしまった。
鈴木 勝(すずき まさる、1903年〈明治36年〉 - 19… 鈴木 勝(すずき まさる、1903年〈明治36年〉 - 1987年〈昭和62年〉)は、日本の歯学者(医学博士)。第六代日本大学総長、第四代、第五代日本歯科医学会会長。 会津路の峰、博士山の登山口である福島県河沼郡柳津町大成沢に生まれる。 1921年(大正11年)に旧制福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)を卒業し、日本大学専門部歯科へ進む。在学中に馬術部の創設に関わり、選手として京都若草大会(学生の部)で3位となる。卒業後、専門部歯科助教授となり、放射線学教室を担当。教授に1943年(昭和18年)4月就任したが、より高度の知識と医学学位の取得を求め、1948年(昭和23年)には東京医学歯学専門学校(現・東京医科歯科大学)医学科を卒業した その後、日大に戻り、歯学部教授兼学監、歯学部長、理事、総長を歴任。
富山 小太郎(とみやま こたろう、1902年(明治35年)1… 富山 小太郎(とみやま こたろう、1902年(明治35年)12月28日 - 1972年(昭和47年)8月23日)は、日本の物理学者。理論物理学を専門とした東京物理学校、早稲田大学の各教授である。その著作や『科学』編集主任としての活動を通じ「現代物理学の紹介者、解説者」であった。 福島県喜多方町に生まれる。幼時に父が日露戦争で戦死し、母の養育を受けた。母方の祖父は喜多方事件の中心人物の一人で、のち県会副議長を務めた中島友八である。会津中学4年修了、二高理科甲類を経て、1925年(大正14年)3月に東京帝国大学を卒業。堀内寿郎は二高、中谷宇吉郎、三石巌、和達清夫は理学部物理学科の同級生であった。 同年4月から翌々年3月まで松本高校の講師、教授を務め、物理学を担当した。
横田 嘉右衛門(よこた かえもん、1897年(明治30年) … 横田 嘉右衛門(よこた かえもん、1897年(明治30年) - 1981年(昭和56年)9月24日)は、日本の薬学者。製薬学(有機製造化学)を専門とした富山薬学専門学校校長、富山大学学長を歴任。学位は、薬学博士(東京帝国大学)、日本薬学会名誉会員。 福島県出身で、生家は薬屋、造り酒屋を営んでいた。会津中学、四高第二部薬学科を経て、1923年(大正12年)に東京帝国大学医学部薬学科を卒業。同年1年志願兵として入営(陸軍三等薬剤官)。1925年(大正14年)、東大医学部助手に任ぜられる。 慶松勝左衛門教授(薬品製造学教室)の助手として勤務し、慶松との共同論文を発表した。横田は制癌剤合成研究の先駆者の一人である。
河原 万吉(かわはら まんきち、1896年 - 1981年)… 河原 万吉(かわはら まんきち、1896年 - 1981年)は、日本の翻訳家、書誌学者、評論家。 福島県耶麻郡喜多方町(現喜多方市)に五十嵐六七八の次男として生まれる。会津中学校中退。1918年より二年間軍役に服したのち、栃木県の河原仁三郎の養子となる。 1923年上京し、新光社を経て万有文庫刊行会に勤め、翻訳を手がける。その一方、江戸時代の書誌研究・出版を行う。1930年東洋思想学者宇多尚に師事し、日華文化交渉史、日本精神史の研究を行う。 1938年4月陸軍省嘱託として北京師範大学助教授、7月教授となるが病気のため10月辞職、帰国後は著述に専念し、戦後はオリオン社の通信添削国語科担当。
本名 文任(ほんな ふみのり、1891年(明治24年)8月2… 本名 文任(ほんな ふみのり、1891年(明治24年)8月29日 - 1968年(昭和43年)4月20日)は、日本の医学者、防衛官僚である。京城帝国大学教授、警察予備隊本部医務局長、防衛庁衛生監を歴任。「Ueber die Noma」で東京帝大医学博士、日本大腸肛門病学会会長。日本の膿胸手術における先駆者である。 福島県南会津郡大宮村(現・南会津町)出身。会津中学、一高を経て、東京帝国大学を卒業。医学部首席の井深健次は一高、大学とも同級生であった。東大第二外科局員、東京女子医専講師を経て台湾入りし、台湾総督府医院外科医長兼台北医学専門学校教授、日本大学専門部医学科教授を歴任。この間フランス留学を経験している。
移川 子之蔵(うつしかわ ねのぞう、1884年11月16日 … 移川 子之蔵(うつしかわ ねのぞう、1884年11月16日 - 1947年2月9日)は、日本の民族学者、人類学者。 福島県二本松市出身。アメリカに留学して、1914年にシカゴ大学を卒業し、1917年にはハーバード大学の哲学博士の学位を獲得した。1919年に慶應義塾大学文学科講師となり、1921年には東京商科大学(現・一橋大学)付属商学専門部教授兼予科教授となった。その後台北高等学校教授に転任し、在外研究員の身分で欧米各国に赴き、1年10カ月のあいだ研究に従事した。1928年、台北帝国大学が設立されると、文政学部教授兼評議員として招聘され、土俗学と人種学の講座を設け、研究室と標本室を建設し、台湾原住民の研究と太平洋南島民族の文物の収集にあたった。
金沢 春友(かなざわ はるとも、1884年11月10日 - … 金沢 春友(かなざわ はるとも、1884年11月10日 - 1974年11月21日)は、日本の地方政治家、郷土史家。戦前に旧常豊村町長を1期務め、戦後には塙町町長を2期務めた。また、郷土史家としても、地元である福島県南部の古文書の掘り起こしや、水戸天狗党の研究などに業績を残した。 当時の福島県東白川郡石井村に生まれた。生家は、かつては名主の家柄であった。福島県立安積中学校(後の福島県立安積高等学校の前身)に学んだが、父の死によって1902年に学校を中退し、農業に従事した。その後、常豊村(後の塙町)に移り、酒造業を興し、さらに発電所建設などに携わった。1925年に常豊村村会議員となり、助役を経て、1937年11月14日から1941年6月30日まで常豊村長を務めた。
松本 信一(まつもと しんいち、1884年11月7日 - 1… 松本 信一(まつもと しんいち、1884年11月7日 - 1984年8月1日)は、日本の医学者、皮膚科医。京都帝国大学名誉教授、元大阪医科大学学長。福島県会津若松市生まれ。 再感染免疫をスピロヘータを使用した実験等、病理組織学や細胞免疫学の各方面から梅毒の研究を行う。1917年5月14日、医学博士の学位を受けた。1966年文化功労者、1976年勲一等瑞宝章。主著に『皮膚病学』等。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。