小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - … 小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - 2020年12月13日) は、日本の映画監督・演出家・脚本家。 父は鳥取県倉吉市2代目市長の小谷善高。 東京府東京市杉並区出身で、小学校2年生まで東京で育つ。公職追放になった父の故郷・鳥取県東伯郡西郷村の村長の後釜を引き受けたため、1944年3月末、当地に引っ越す。県立倉吉東高校卒業まで鳥取で過ごし、東京に戻りたくて、一浪後東京大学文学部フランス文学科入学を機に東京へ戻る。同時期に大江健三郎・久世光彦が在学していた。この2人は東大在学中から目立つ存在で、次第に落ちこぼれて映画に方向転換した。 大学卒業後、1960年に、暮しの手帖社と東宝の入社試験を受け、東宝に入社。
小林 守夫(こばやし もりお、1935年9月2日 ー )は日… 小林 守夫(こばやし もりお、1935年9月2日 ー )は日本の音響監督、演出家である。 東京向島生まれ。歌舞伎を見たことがきっかけで芝居に興味を持ち、日本大学芸術学部を卒業。 1960年4月に東北社(現在の東北新社)へ入社。入社当初は小林曰く「翻訳者の集団」だったが、しばらくして海外作品の吹替版の制作をすることになり、1961年に連続ドラマ『ハイウェイ・パトロール』の演出を担当。これが演出デビュー作となる。以後、数々の洋画吹替の演出を担当(アニメーションの音響監督も担当している。)。 吹替の創生期から活躍する大ベテランであり、同じ演出家で小林の助手を務めた経験のある小山悟は「大作をたくさん手掛けていた」と語っている。
円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 199… 円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 1995年6月11日)は、円谷プロダクション第3代社長で第2代会長、演出家、プロデューサー、歌手、作詞家。別名に谷のぼる。 円谷英二の次男として生まれる。円谷一(演出家・円谷プロダクション第2代社長)は兄、円谷粲(英語版)(円谷映像社長)は弟、円谷一夫(円谷プロダクション第4代社長・同社第3代会長)は息子にあたる。 玉川学園卒。同社で特撮スタッフとして長年活躍した高野宏一とは小学校で同級生だった。脚本家の金城哲夫はこの玉川学園の後輩である。 1954年(昭和29年)、成城大学文芸学部入学。大学では演劇に熱中。石井伊吉(現毒蝮三太夫)は劇団仲間だった。
柳井 満(やない みつる、1935年3月30日 - 2016… 柳井 満(やない みつる、1935年3月30日 - 2016年2月1日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。東京都出身。1958年、TBSに入社。1995年、TBSを定年退職後はドラマプロデューサーとしてTBSと専属契約を結んでいた。 東京都立大学附属高等学校、東京大学文学部社会学科を卒業後、1958年にラジオ東京入社。東大時代は日高六郎に師事していた。当時は民放テレビはまだ本放送を開始して間もないころであり、柳井も当初は新聞社入社を志していた。同じくドラマ演出家である鴨下信一、久世光彦は東大文学部・TBSの同期である。 入社当時は報道部への配属を希望していたが、ドラマ制作部に配属された。1980年代を代表するテレビプロデューサーであり、1980年代の世相を反映した「問題児」をテーマにした作品を多数制作した。
永野 靖忠(ながの やすただ、1935年3月29日 - 19… 永野 靖忠(ながの やすただ、1935年3月29日 - 1993年2月17日)は、日本の映画監督、テレビ演出家。北海道小樽市奥沢町出身。 1953年に東京都立江北高等学校、1959年に日本大学芸術学部映画学科を卒業。東映教育映画部を経て東映テレビ・プロダクションに所属し、助監督として関川秀雄に師事する。1963年にテレビ朝日系「特別機動捜査隊」第80話「帰らざる海」で監督としてデビュー。 プライベートでは、監督を務めたライオン奥様劇場「罪人形」に出演していた女優の松木路子と1972年頃に結婚。 1993年2月17日、肝臓がんで死去。 特記がない限り監督のみ担当。
世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年… 世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年11月18日)は、日本のソングライター(作詞家・作曲家)、俳優、コメディアン、演出家、音楽プロデューサー。本名は市橋健司(いちはし・けんじ)。東京都豊島区出身。芸名は、フランス語の「C'est si Bon.」(セシボン・「とってもいい」の意)から来ている。事実上の内縁関係にあった女優の浅香光代と35年間生活を共にしていた。浅草喜劇人協会会長。 18歳の時からアルバイトでバンドに加わって進駐軍のキャンプを回り、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして参加。渡邊プロに所属しバンドマンとしての活動他に同時期にコメディアンとして朝日放送の「てなもんや三度笠」などのテレビ番組、ハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画、東宝・松竹の喜劇映画、NHKの音楽番組等に出演する。
渡邊 守章(わたなべ もりあき、1933年3月20日 - )… 渡邊 守章(わたなべ もりあき、1933年3月20日 - )は、日本の演出家、フランス文学研究者。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。
浅利 慶太(あさり けいた、1933年〈昭和8年〉3月16日… 浅利 慶太(あさり けいた、1933年〈昭和8年〉3月16日 - 2018年〈平成30年〉7月13日)は、日本の演出家、実業家である。東京都出身。永田町小学校(現麹町小学校)、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学文学部仏文学専攻中退。特選塾員。慶應義塾評議員。 劇団四季創設者の一人で、劇団の運営・管理に当たる「四季株式会社」の代表取締役社長・会長・芸術総監督をつとめた。劇団四季、四季株式会社を、商業主義ミュージカル劇団としても企業としても成長させた。 1933年、演劇プロデューサー浅利鶴雄の息子として東京に生まれる。8歳の時に太平洋戦争開戦、11歳の時に空襲が始まって長野県軽井沢の別荘に疎開し、そこで1945年の終戦を迎えた。
今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 201… 今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 2014年1月4日 )は、日本の現代音楽作曲家、舞台演出家、構成作家。別名にまんじ 敏幸(まんじ としゆき)、島 敏幸(しま としゆき)。 純音楽や歌曲の作曲活動だけでなく、映像音楽、劇音楽、舞踊音楽などにも多くの作品を残す一方、まんじ敏幸の別名で舞台・演劇の構成作家や演出を手がけ、劇団を創設した。さらに島敏幸のペンネームで歌曲の作詞をするなど、ジャンルを超えた幅広い芸術活動を精力的に展開してきた。その間、ヨネヤマ・ママコ、三条万里子、土方巽、小松原庸子らを指導し、世に送り出した。また、土方巽や“舞踏(BUTOH)”の命名者としても知られる。
仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakad… 仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakadai、本名︰仲代 元久(なかだい もとひさ、Motohisa Nakadai)、1932年〈昭和7年〉12月13日 - 2025年〈令和7年〉11月8日)は、日本の俳優、演出家、歌手、ナレーター、声優。位階は従三位、文化勲章受章者。劇団俳優座出身。無名塾主宰。仕事所属。東京都目黒区出身。愛称︰モヤ。 劇団俳優座出身で演劇・映画・テレビドラマで活動を続け、映画全盛期から斜陽時代以降までの映画界を支えてきた代表的俳優である。 東京府東京市目黒区(現:東京都目黒区)生まれ。4兄弟の長男。父親は茨城県稲敷郡長竿村(現:河内町長竿)の豪農の長男で、茨城県立江戸崎農学校を卒業しており、千葉交通(現:京成バス)のバス運転手をしていた。
飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 20… 飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 2021年10月17日)は、日本の演出家、テレビプロデューサー、脚本家。 東京市本郷区(現:東京都文京区)出身。TBS、株式会社ドリマックス・テレビジョン(旧:株式会社木下恵介プロダクション、株式会社木下プロダクション)を経て、フリーであった。 東京都立小石川高等学校を卒業後、一浪したのち劇作家・加藤道夫への関心から1952年に慶應義塾大学文学部に入学。当時加藤は同大学文学部国文学科で教鞭をとっていたが翌年自殺。国文学科に進む意義を失って英文学科を選択した。在学中は放送研究会に所属し放送劇の脚本を執筆。放送劇コンクールで受賞者常連となる。大伴昌司や藤川桂介と知り合ったのもこのころ。
井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013… 井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013年11月21日)は、日本の人形劇俳優、演出家である。東京都新宿区出身。血液型はO型。 『できるかな』(NHK教育、1970年 - 1990年)にて、操演するキャラクター「ゴン太くん」を務め上げた。
川和 孝(かわわ たかし、1932年2月5日 - 2021年… 川和 孝(かわわ たかし、1932年2月5日 - 2021年1月14日)は、日本の演劇演出家。 東京生まれ。旧制東京都立八王子工業学校(現:東京都立八王子工業高等学校)から東京学芸大学を経て、フルブライト留学生試験に合格し、イェール大学大学院演劇学修士課程修了。劇団俳優座、青年座に在籍したのち、フリーで新劇、オペラなど各種イベントの企画・構成・演出を手掛ける。筒井康隆戯曲の演出などで知られる。作劇舎を主宰した。晩年は日本の近・現代の一幕芝居を100本上演する企画、シアターX名作劇場をライフワークとしていた。 2021年1月14日 、新型コロナウィルス感染のため死去。88歳没。
砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、… 砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、日本のテレビプロデューサー、演出家、音楽プロデューサー。ラジオ東京→東京放送(TBS。後のTBSホールディングス・TBSテレビ・TBSラジオ)、渡辺プロダクションを経てフリーランス。東京都出身。 戦争中は疎開先の石川県で勤労動員され、帰京後、東京都立第二十一中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)で青島幸男やすぎやまこういちと同期になる。同校入学後1年を経て、臨時募集で慶應義塾中等部に転入し慶應義塾高等学校に進学。同高校の同級生に浅利慶太がいた。 1955年に慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業し、ラジオ東京へ入社。1956年、前年開局のテレビ局内テレビ製作部に配属。
吉田 直哉(よしだ なおや、1931年4月1日 - 2008… 吉田 直哉(よしだ なおや、1931年4月1日 - 2008年9月30日)は日本の演出家、テレビディレクターである。元NHK特別主幹(理事待遇)。
深町 幸男(ふかまち ゆきお、1930年10月26日 - 2… 深町 幸男(ふかまち ゆきお、1930年10月26日 - 2014年6月21日)は、日本のテレビドラマ演出家、舞台監督、映画監督。
横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日… 横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日 - 2009年〈平成21年〉10月13日)は、日本の演出家(レビュー)。元宝塚歌劇団理事。東京都出身。横沢 秀雄、横澤 秀雄名義で活動していた時期もある。 母:良子(芸名:花野春子)が宝塚歌劇団卒業生。また、父:横沢三郎の妹(芸名:尾上さくら)や、兄弟の妻たちもタカラジェンヌで、宝塚およびレビュー(少女歌劇)に縁の深い環境で育った。なお、妻:チエ子(芸名:虹乃千恵)は宝塚歌劇団44期生。 父の横沢三郎は東京セネターズや阪急ブレーブスで監督を務めた。東京都立西高等学校卒業。関西学院大学では硬式野球部マネージャー。第1回全日本大学野球選手権大会で慶応大学に敗れるも準優勝した。
高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16… 高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本の俳優、演出家。 『幸せの背くらべ』で1996年の読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。2004年の映画『透光の樹』の演技で第14回日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞。 東京府出身。東京都立第四中学校(東京都立戸山高等学校)卒業。俳優座養成所卒業(2期生)。1954年に劇団新人会設立に参加。 1956年に劇団四季に参加。 1961年から文学座へ入団するが、1963年に芥川比呂志、高木均、岸田今日子らと脱退し劇団雲結成に参加。 1975年、劇団の分裂により、演劇集団 円に参加。主に演出家として別役実作品を一手に手掛けた。
矢代 静一(やしろ せいいち、1927年〈昭和2年〉4月10… 矢代 静一(やしろ せいいち、1927年〈昭和2年〉4月10日 - 1998年〈平成10年〉1月11日)は、日本の劇作家、脚本家、演出家。日本文芸家協会、日本演劇協会の各会員。 東京市京橋区尾張町二丁目(現:中央区銀座六丁目)のヨシノヤ靴店(銀座ヨシノヤ)の2階で、父・矢代乙吉、母・園子の長男として誕生。祖父はヨシノヤ靴店の創業者であった。日比谷幼稚園・泰明小学校・東京府立第五中学校から第二早稲田高等学院を経て、1950年に早稲田大学文学部仏文科を卒業。 早稲田高等学院在学中の1944年(昭和19年)に診断書を偽造して大学を休学し、俳優座研究生となる。のち、戦時下の移動劇団に加わる。移動演劇隊の『父帰る』(菊池寛原作)などで主役を張ったが、東野英治郎の薦めで演出部に転向する。
富本 壮吉(とみもと そうきち、1927年1月2日 - 19… 富本 壮吉(とみもと そうきち、1927年1月2日 - 1989年5月27日)は、日本の映画監督、テレビドラマ演出家。 東京市生まれ。陶芸家の富本憲吉と「青鞜」同人の尾竹紅吉(富本一枝)の間に生まれる。都立第十中学校、旧制成城高校を経て、1952年、東京大学文学部仏文学科を卒業後、大映東京撮影所に入社。当初は企画部に所属していたが、翌年には助監督部に転属。溝口健二、伊藤大輔、豊田四郎、成瀬巳喜男、島耕二らの作品の助監督につく。1960年、『暁の翼』で監督に昇格。しかし、折からの邦画の斜陽化のあおりを受け、1968年、大映を退職しフリーに。以降はテレビ映画の演出に専念した。特に1983年、テレビ朝日の『土曜ワイド劇場』の一篇『松本清張の熱い空気』(サブタイトル「家政婦は見た!夫婦の秘密 “焦げた”」)は高い反響を得たため、翌年から『家政婦は見た!』に改題してオリジナルのシリーズとなった。
若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2… 若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2013年10月22日)は日本の俳優、演出家、戯曲翻訳家。本名は若林忠昭(わかばやし ただあき)。上海出身(一族は水戸市)、血液型はO型、身長178cm、趣味は鳥類飼育、犬猫ブリード。長男は若林忠宏、長女は若林マリ子で共に音楽家。 1926(昭和元)年12月26日、上海に生まれる。当時父親は、日本水産から独立し上海で海鮮問屋を経営。一家は、上海と若林家の地元茨城県水戸と東京荻窪の別宅を行き来する。代々一族は、水戸藩の足軽頭(馬廻組頭)もしくは書院番を勤め、長男には「忠」の文字を入れることが家訓であった。昭和元年に生まれたため「忠昭」となり、水戸藩士からは十一代目。
塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 … 塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 - 2008年(平成20年)5月13日)は、日本の演出家、放送作家、構成作家、作詞家、タレント。東京府東京市(現・東京都特別区)豊島区池袋出身。血液型はB型。 東京府立商工学校(現・東京都立北豊島工科高等学校)卒。 太平洋戦争中の1945年2月に徴兵検査で第一種乙種合格、それを受けて翌3月に召集令状が来た。しかし、工科系学校に在籍する特権で2年の入営延期を認められ、日本無線に動員されるという形で勤務。その間に戦争は終結した。塚田は工科系の学生になったのは、特権が狙いだったとも話している。終戦後はしばらくの間、親類の時計店の居候となった。
栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月… 栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月18日 - 2023年(令和5年)6月23日)は、日本の演出家、オペラ演出家、教育者。国立音楽大学名誉教授。劇団青年座座友。妻は声楽家(メゾソプラノ)の松内和子。 東京出まれ。獨逸学協会学校中学部卒業。 1946年(昭和21年)千田是也、伊藤道郎主宰の舞台芸術アカデミーに入所、舞台芸術への道を歩み始める。舞台芸術アカデミー卒。1949年(昭和24年)劇団俳優座に入り、1950年(昭和25年) - 1965年(昭和40年)俳優座演劇研究所所員として近代リアリズム演劇の表現手法を研究。同時に附属俳優養成所発足に伴い、講師として演劇映画界の俳優養成にあたる。
三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 19… 三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 1999年1月25日)は、日本の俳優・演出家・コメディアン。日本喜劇人協会第5代会長。本名は田沼 則子()。長男は、コメディアンの小林のり一。 東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)生まれ。母は待合「芳柳」を営んでいた。 1942年、旧制日本大学第一中学校を卒業。日本大学法文学部芸術学科に入学し、同期生には映画科に小沢茂弘・沼田曜一がいた。大学には当初画家を目指して入学したが、その後舞台美術に興味を持ったことで演劇学科に転籍し、1947年に同学科を卒業。 その後慰問公演の俳優に欠員が出てその穴埋めとして出演を頼まれたのを機に、新劇の世界に入ることになった。
桑山 正一(くわやま しょういち、本名の読みは「まさかず」、… 桑山 正一(くわやま しょういち、本名の読みは「まさかず」、1922年8月16日 - 1983年9月4日)は、昭和期の俳優・演出家。元劇団民衆舞台所属。2男1女あり、長男は桑山正道(舞台監督・舞台プロデューサー)、次男は桑山和之(映画プロデューサー)。 東京市本所区(現在の東京都墨田区)出身。1943年に日本映画学校演技科を卒業し、戦争中は砲兵隊に所属して終戦時には仏領インドシナ(現ベトナム)で武装解除になり捕虜となる。戦後、帰国後しばらく自由労働者をした後、木下順二が主宰する劇団「ぶどうの会」に参加。劇団の創立メンバーとして、看板女優・山本安英の主演による『夕鶴』の与ひょう役をはじめ数々の舞台に出演した。
賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日… 賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日 - 1991年〈平成3年〉2月20日)は、日本の女優、演出家。本名は塚原 初子。 文学座に入座して多くの舞台に立ち、地味な老け役で活躍した。喜びの琴事件で文学座を脱退後は劇団NLTを結成してその主宰となり、フランス喜劇の上演に意欲を燃やした。舞台のほか映画、テレビドラマへの出演も多い。メイクアップ技術の研究家としても有名で、入門書を出版している。主な出演舞台に『二十六番館』『島』、映画に『流れる』『女の歴史』など。演出家として『ロマノフとジュリエット』なども発表している。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市牛込区余丁町(現在の東京都新宿区余丁町)に生まれる。
赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1… 赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1月3日 - 1994年6月26日)は、日本の脚本家、映画監督、テレビドラマ演出家、著述家、大学教官である。日本映像学会会員。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市神田区小川町(現在の東京都千代田区神田小川町)に、神保町の東京堂(現在の東京堂書店)支配人の子息として生まれる。 旧制・第一高等学校在学時の1940年(昭和15年)に、橋川文三と同級であり、橋川に保田與重郎の『後鳥羽院』等の著作を勧めている。自らも詩作を行い、『歴程』同人であった。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)、同校を卒業して東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に進学した。
芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - … 芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - 1981年10月28日)は、日本の俳優、演出家。 東京府東京市滝野川区(現・東京都北区)田端出身。作家・芥川龍之介の長男。母は海軍少佐の塚本善五郎の娘・文。妻は、龍之介の次姉・ヒサの長女で、従姉にあたる芥川瑠璃子。 3人兄弟で、長弟・多加志は第二次世界大戦中、22歳でビルマにて戦死、末弟・也寸志は作曲家。名の由来は龍之介の親友・菊池寛(表記同じで筆名ではカン、本名ではヒロシと読む)の名の読みを万葉仮名に当てたもの。ちなみに、多加志は小穴隆一の「隆」から、也寸志は恒藤恭の「恭」から取られている。 1926年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学。
木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 20… 木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 2004年11月7日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、映画美術家、劇作家、演出家、俳優、彫刻家。本名は木俣 三郎(きまた さぶろう)、舞台俳優・映画美術家としては衣 恭介(ころも きょうすけ)、時代劇俳優としては木南 兵介(きなみ へいすけ)、現代劇俳優として鬼塚 大吉(おにつか だいきち)等、多くの別名をもつ。プロダクション鷹・日東テレビ映画の創業者・元代表取締役、ムービーブラザースの共同代表を歴任した。高見順の短篇小説『大部屋の友』の主人公モデル、あるいは世田谷区・豪徳寺の「無名戦士慰霊記念碑」のレリーフ彫刻を手がけた彫塑作家としても知られる。
福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25… 福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25日 - 1994年〈平成6年〉11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。現代演劇協会理事長、日本文化会議常任理事、日本芸術院会員などを務めた。名前については「こうそん」と音読みされることも多い。 保守派の文士であり、進歩的文化人を批判した『平和論にたいする疑問』(1955年)は、戦後思潮の転換点となる。討議倫理が戦後民主主義を軸とする進歩派にも影響を与えるなど、戦後日本を代表する思想家。 また、同時期には『ハムレット』(1955年)をはじめとするシェイクスピア戯曲の翻訳、演出を開始する。新劇を日本の近代化問題の象徴的な弱点と捉え、演劇の革新に取り組んだ。
小沢 栄太郎(おざわ えいたろう、1909年3月27日 - … 小沢 栄太郎(おざわ えいたろう、1909年3月27日 - 1988年4月23日)は、日本の俳優、演出家。
岸井良衞(きしい よしえ、1908年〈明治41年〉3月21日… 岸井良衞(きしい よしえ、1908年〈明治41年〉3月21日 - 1983年〈昭和58年〉11月15日)は、昭和時代の劇作家、演出家、プロデューサー、時代考証家。本名は良雄。弟に俳優岸井明がいる。 1908年(明治41年)3月21日、東京市日本橋区小網町三丁目上田回漕店(上田辰之助の実家)裏店に、弁護士の岸井辰雄とりうの長男として生まれる。 岸井家は江戸時代には裕福だったが、嘉永2年生まれの祖父弁吾の代で散財した。父辰雄は1880年(明治13年)4月2日に現在の埼玉県深谷市に生まれ、貧困の中苦学して青山学院中等部を経て明治法律学校(現在の明治大学)を1903年に首席で卒業。1904年に判事検事登用試験に合格し、浦和地方裁判所に勤務。
杉本 良吉(すぎもと りょうきち、1907年2月9日 - 1… 杉本 良吉(すぎもと りょうきち、1907年2月9日 - 1939年10月20日)は、日本の演出家。本名は吉田好正。女優の岡田嘉子とソ連に亡命し、スパイ容疑で銃殺刑に処せられた。
滝沢 修(たきざわ おさむ、1906年11月13日 - 20… 滝沢 修(たきざわ おさむ、1906年11月13日 - 2000年6月22日)は、日本の俳優、演出家。本名は滝沢 脩。
龍岡 晋(たつおか しん、1904年12月16日 - 198… 龍岡 晋(たつおか しん、1904年12月16日 - 1983年10月15日)は、日本の俳優、演出家、俳人、文学座代表取締役社長であった。別表記に竜岡 晋。本名は岩岡 龍治(いわおか たつじ、別表記に岩岡 竜治)。元日本新劇製作者協会会長。 1904年東京・日本橋生まれ、中央商業学校卒業。 1932年に劇団築地座に入団。『カールトアンナ』の兵士役が初舞台。1934年6月、築地座を脱退し劇団創作座の創設に参加。1937年、文学座の創設に参加し、1950年に文学座が株式会社化した際に社長となり、劇団の経営も行った。また、久保田万太郎作品を発掘して『蛍』『雨空』などの久保田の戯曲を演出したり、1978年に演劇集団「円」を中心とした久保田万太郎勉強会を結成するなど久保田作品の継承も行った。
村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月… 村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。
内海 一郎(うつみ いちろう、1898年(明治31年)5月7… 内海 一郎(うつみ いちろう、1898年(明治31年)5月7日 - 1972年(昭和47年))は、昭和初期に活躍した日本の歌手、舞台演出家。東京府(現:東京都)出身。 浅草オペラ時代には宇津美 清(うつみ きよし)の名で知られていた。妻は同じく歌手の松島詩子。 東京府吾嬬町(後に東京市向島区東)で履物商を営む内海喜太郎の長男として生まれる。1916年(大正5年)に東京音楽学校卒業後、浅草オペラで活躍した。1917年(大正6年)、河合澄子、天野喜久代、千賀美寿一らとともに佐々紅華の東京歌劇座に参加している。 レコードは宇津美清の時代からニッポノホンでお伽歌劇などを吹き込んでいるが、昭和期にはオリエントおよびニットーレコードでジャズソングを数多く録音した。
土方 与志(ひじかた よし、1898年(明治31年)4月16… 土方 与志(ひじかた よし、1898年(明治31年)4月16日 - 1959年(昭和34年)6月4日)は、日本の演出家。伯爵を継いだが剥奪された。築地小劇場を拠点に新劇運動を興した。東京生まれ。本名は久敬(ひさよし)。 東京市赤坂区表町(現・東京都港区赤坂)に生まれた。祖父久元は土佐藩出身で、維新後は宮内大臣・宮中顧問官・枢密顧問官・國學院大學学長などを務めて伯爵を授けられた。父久明は陸軍大尉だったが、何らかの事情で精神に異常をきたして療養中、与志が生まれて間もない1898年7月15日に拳銃で自殺している。母は加藤泰秋の三女・愛子。 土方は中学時代に友田恭助と子供芝居一座である南湖座を作り、演劇活動を始めている。
獅子 文六(しし ぶんろく、1893年7月1日 - 1969… 獅子 文六(しし ぶんろく、1893年7月1日 - 1969年12月13日)は、日本の小説家、演出家。本名:岩田 豊雄(いわた とよお)。演劇の分野では本名で活動し、久保田万太郎、岸田国士らと文学座を創立して顧問となった。小説家としては、『悦ちゃん』などのユーモアに富む健全な家庭小説を書いて流行作家となり、戦中は本名で『海軍』を発表。戦後も『てんやわんや』『自由学校』『娘と私』『大番』などで人気を博した。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。号は牡丹亭。愛媛県宇和島市津島町に句碑がある。 母方の祖父は実業家(花火師)の平山甚太。弟の岩田彦二郎は札幌グランドホテル社長。 日清戦争開戦の前年、1893年に、横浜市中区月岡町9番地(現:横浜市西区老松町の迎賓館付近)に誕生。
岸田 辰彌(きしだ たつや、1892年9月30日 - 194… 岸田 辰彌(きしだ たつや、1892年9月30日 - 1944年10月16日)は、宝塚歌劇団の演出家、オペラ歌手。東京市銀座生まれ。 宝塚歌劇団で日本初のレビュー『モン・パリ』を作った。父親はジャーナリストの岸田吟香、兄は洋画家の岸田劉生。妻は宝塚歌劇のスターだった浦野まつほ。 1892年(明治25年)、明治の先覚者、岸田吟香の五男として東京市銀座に生まれる。すぐ上の兄が「麗子像」で有名な洋画家の岸田劉生。7男5女の兄弟の中で、2人は特に仲が良かったため、交流が深く、劉生作の肖像画が残っている(岸田辰弥之像:1929年(昭和4年)作、劉生が日本で描いた最後の肖像画)。 岸田は、1919年(大正8年)小林一三が国民劇創設のため作った「男子養成会」の創設メンバー・男子専科生第2期生として宝塚入り(同期には後輩演出家の白井鐵造もいた)。
川渕 かおり(かわぶち かおり、7月7日 - )は、日本の女… 川渕 かおり(かわぶち かおり、7月7日 - )は、日本の女優、声優、モーションアクター、歌手、剣舞師、演出家・殺陣師・モデル・作詞家・演出家・アクション指導家。 立川市にて自衛官の父と一般人の母との間に出生。妹が1人いる。獨協大学外国語学部在学中に女優としての活動を始め、主に映画や舞台に出演。並行して米山流殺陣術の米山勇樹に師事する。ソードパフォーマンスチーム『偉伝或〜IDEAL〜』を立ち上げ、演出家としても才能を発揮。2009年からはCGキャラクターの動きの基となるモーションアクターとしての活動も開始し、ファイナルファンタジーシリーズなどのゲームやアニメ、『キャプテンハーロック』などのCG映画で重要な役を担当。
藤沢 文翁(ふじさわ ぶんおう、Bun-O FUJISAWA… 藤沢 文翁(ふじさわ ぶんおう、Bun-O FUJISAWA、4月19日 - )は、日本の劇作家、演出家、音響監督、作詞家 東京・六本木生まれ。祖父は藤沢武夫。 ロンドン大学(Goldsmiths)を卒業したバイリンガルの劇作家・舞台演出家である。 VOICARION、READING HIGHの設立者であり、「音楽朗読劇創作の第一人者」とされている。公益財団法人十四世六平太記念財団理事(能・喜多流の財団)である。 エージェントはソニー・ミュージックエンタテインメント傘下のroom NB。 東京都港区六本木生まれ。幼少期は祖父、藤沢武夫に預けられて育つ。母親の住むパリで演劇を学んだ後、イギリスへ渡り、ロイヤル・ホロウェイにてファンデーションコースを修了。
野沢 那智 は、日本の舞台演出家、俳優、声優、ラジオパーソナ… 野沢 那智 は、日本の舞台演出家、俳優、声優、ラジオパーソナリティ、実業家、馬主。
檀 ひとみ(だん ひとみ、10月4日 - )は、演出家(少女… 檀 ひとみ(だん ひとみ、10月4日 - )は、演出家(少女歌劇)、元宝塚歌劇団月組娘役スター、舞台俳優。 東京都大田区、香蘭女学校高校出身。宝塚時代の交渉身長161cm。愛称はだん、サッチン。 1981年、宝塚音楽学校に入学。 1983年、第69期生として宝塚歌劇団入団。入団時の成績は3番。『春の踊り』/『ムーンライト・ロマンス』で初舞台。その後、月組に配属。 同期には久世星佳(元月組トップスター)、高嶺ふぶき(元雪組トップスター)、麻路さき(元星組トップスター)、神奈美帆(元雪組トップ娘役)などがいる。 1986年、『哀愁』の新人公演で初ヒロイン、バウホール公演『ロータスの伝説』で初ヒロインに抜擢される。
福山 桜子(ふくやま さくらこ、9月10日 - )は、日本の… 福山 桜子(ふくやま さくらこ、9月10日 - )は、日本の劇作家、演出家、映画監督。アクティング・コーチ。立教大学講師。 東京都生まれ。ニューヨーク・東京在住。 東京都世田谷区鷗友学園女子高等学校卒業。立教大学文学部日本文学科卒業。 小劇場で劇作家・演出家として活動。日生劇場、青山劇場などで上演されるミュージカル、デヴィッド・ルヴォー率いるT.P.T.(Theater Projecut Tokyo:シアタープロジェクト・トーキョー)などの演出スタッフとして舞台業界にて活動。 三谷幸喜のもと、フジテレビドラマ『子供、ほしいね』にてテレビ脚本デビュー。 1990年代に渡米。渡米後、ニューヨークにて舞台作品に携わり、『February』『Non-Fiction』『LINK』などのオフ・ブロードウェイ公演の劇作・演出を行う。
池田 建太(いけだ けんた、8月25日 - )は日本の演出家… 池田 建太(いけだ けんた、8月25日 - )は日本の演出家、劇作家、作詞家、俳優、殺陣道場宗家。 出生地は東京都葛飾区。 ・合同会社ケルスプロモーション代表および総合プロデューサー ・劇団SAKURA前戦の代表および演出、俳優、殺陣振り付け ・士剣流殺陣道場 宗家 ・不知火シリーズ「花てまり」「鳥かぐら」「仇討ち・しぐれ傘」 ・パンドラの乙女たち ・幕末疾風伝MIBURO~壬生狼~ おもに代表を務める「劇団SAKURA前戦」のアトリエ公演作品として執筆。 ・うっかりあきらのさわやか青春日記(1999年) ・ヒーロー列伝(1999年) ・ファンタスティック☆らんぷ(2000年) ・サイボーグあかり(2003年) ・ベースマン(2003年) ・THE 射的!!!(2004年) ・☆闘源郷☆(2007年) ・宝塚ドリーム(2008年) ・ハッピー同窓会(2013年) ・ヒーロー列伝改訂版(2015年) ・1999年9月 紫雲の涯て(NTT夢天神ホール)‐ 武蔵坊弁慶 ・2000年4月 Heart Land~あなたがいた風景~(NTT夢天神ホール)- 新三郎、立花(二役) ・2001年2月 紫雲の涯て2001(NTT夢天神ホール)‐ 武蔵坊弁慶 12月 ポセイドンの娘(NTT夢天神ホール)- シュウジ ・2002年5月 ポセイドンの娘(NTT夢天神ホール)- シュウジ 10月 サンセットシンドローム(スカラエスパシオ)- 土方歳三 11月 紫雲の涯て(福岡市立平尾中学校)- 武蔵坊弁慶 ・2003年5月 サンセットシンドローム(福岡市早良市民センター)- 土方歳三 11月 サンセットシンドローム|筑陽学園創立記念公演(福岡サンパレス)- 土方歳三 ・2004年6月 永遠 -えいえん-(福岡市中央市民センター)- 黒崎 9月 永遠 -えいえん-(NTT夢天神ホール)- 黒崎 ・2005年6月 紫雲の涯て2005(福岡市早良市民センター)- 武蔵坊弁慶
本間窓奈(ほんま まどな、3月28日 - )は、日本の振付師… 本間窓奈(ほんま まどな、3月28日 - )は、日本の振付師、演出家。 中央大学杉並高等学校卒。1988年の「タップ・チップス」解散後にニューヨークへ。翌年に帰国してTap Dancin'を設立。タップダンスの振付、演出や、ダンサーの育成に努めている。
光野 道夫(みつの みちお)は、日本のテレビドラマ演出家、映… 光野 道夫(みつの みちお)は、日本のテレビドラマ演出家、映画監督。共同テレビジョン(共テレ)所属。 フジテレビにて編成制作局ドラマ制作センターゼネラルディレクター、専任局次長を歴任した。 東京都立桜町高等学校、日本大学芸術学部卒業後フジテレビに入社。1994年、フジテレビが制作した映画『ヒーローインタビュー』では監督を務めた。 ドラマ制作センターゼネラルディレクターを経て、2012年6月28日付でフジテレビ編成制作局ドラマ制作センター専任局次長に就任。2014年8月の定年退職後は、共同テレビに籍を置いて活動を続けている。 影響を受けた作品は『市民ケーン』『スミス都へ行く』『或る夜の出来事』。
貞方 祥(さだかた しょう、 - )は、日本のプロデューサー… 貞方 祥(さだかた しょう、 - )は、日本のプロデューサー、演出家、 映画監督。 一般社団法人日本2.5次元ミュージカル協会の個人協会員。 2013年(平成25年)、映画『PRECIOUS STONE(プレシャス・ストーン)』で映画監督デビュー。 2.5次元舞台やガールズミュージカルの演出の高さが定評である。 ※バーチャル空間におけるVTuberなどのCGキャラクターによる演劇公演。VRゴーグルを着用してネット配信されたコンテンツを視聴。劇場に足を運ばなくても世界中どこからでも観覧可能。
砂川 幸子(すなかわ さちこ)は、日本の演出家、舞台監督。日… 砂川 幸子(すなかわ さちこ)は、日本の演出家、舞台監督。日本演出者協会会員。音響芸術専門学校非常勤講師。 慶應義塾(幼稚舎、中等部、女子高等学校、文学部国文学科)卒業。在学中に、STEPS Musical Companyを設立。初回の作・演出をつとめる。 1991年、東宝株式会社演劇部入社。2001年、文化庁在外派遣研修員としてアメリカ・ニューヨークへ留学。Roundabout Theatre Companyにて、プロダクション、キャスティング、ジェネラル・マネージメントを学ぶ。帰国後、東宝に復帰。