広井 王子(ひろい おうじ、本名:廣井 照久〈ひろい てるひ… 広井 王子(ひろい おうじ、本名:廣井 照久〈ひろい てるひさ〉、1954年2月8日 - )は、日本の漫画・アニメ・テレビゲームなどの原作を手掛けるマルチクリエイター、舞台演出家。レッド・エンタテインメント顧問、ゲオネットワークス顧問、金沢工業大学客員教授、情報経営イノベーション専門職大学情報経営イノベーション学部超客員教授。元アミューズ所属。 著名な作品は、『サクラ大戦シリーズ』『天外魔境シリーズ』『魔神英雄伝ワタルシリーズ』。 東京都出身、立教中学校、立教高等学校卒業、立教大学法学部3年次中退。
宮下 あきら(みやした あきら、1953年10月8日 - )… 宮下 あきら(みやした あきら、1953年10月8日 - )は、日本の漫画家。男性。代表作に『魁!!男塾』など。 東京都生まれ、三鷹市中原出身。小学生の頃より横山光輝の『伊賀の影丸』に影響を受け漫画を描き始める。 都立神代高校在学中にジミ・ヘンドリクスの影響を受け音楽にのめりこみ、卒業後はバンドマンとしてキャバレーなどで演奏をしていたが、音楽ではいつまで経っても食っていけないだろうと思い、自分が幼い頃に漫画家に憧れていたことを思い出し、漫画家を目指す。出版社に持ち込みを続けていたところ、編集者から高橋よしひろを紹介され、そのアシスタントになる。 第21回(78年度下期)少年マガジン新人漫画賞で『少年勝負師ケン』が佳作となり、1978年末の『少年マガジン増刊号』(1979/01/25号)に掲載され、デビューとなる。
秋本 治(あきもと おさむ、1952年12月11日 - )は… 秋本 治(あきもと おさむ、1952年12月11日 - )は、日本の漫画家。東京都葛飾区亀有出身。本郷高校デザイン科卒業。代表作は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。旧ペンネームは「山止 たつひこ」(やまどめ たつひこ)。有限会社アトリエびーだまの社長でもある。血液型はA型。
粕谷 紀子(かすや のりこ、1952年〈昭和27年〉11月1… 粕谷 紀子(かすや のりこ、1952年〈昭和27年〉11月19日 - )は、日本の漫画家。東京都大田区出身。 1975年、『夜明け』が『週刊少女コミック』4月20日号(小学館)に掲載されデビュー。代表作にいずれもテレビドラマ化された『離婚予定日』(2004年放送)、『私はシャドウ』(2011年放送)など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ:漫画家)。
伊東 愛子(いとう あいこ、1952年〈昭和27年〉4月27… 伊東 愛子(いとう あいこ、1952年〈昭和27年〉4月27日 - )は、日本の漫画家。出生地:東京都新宿区四谷。明正高(現・東京都立芦花高等学校)卒業。1991年頃より『いとうあいこ』名義でも作品発表している。 1972年に週刊セブンティーン漫画賞(第2席)を受賞。デビュー作は『風にのったミオ』(『週刊セブンティーン』1973年3月27日号・第11号 / 集英社掲載)で「ポスト24年組」の一人。デビューまで1年半ほど竹宮惠子のアシスタントをしていた。主として、生活に密着した日常的な作品を描く。しばらくセブンティーン誌で活動するが、出版界の紙不足によりしばらく仕事のない状態が続いたという。 代表作に『良くんの春』に始まる「良くんシリーズ」、学園漫画『先生に異議あり!』、『タッチマイ♥ハート』、『ザ・ウームズ・アイズ(子宮の目)』、『ナーヴァスなあの娘(ベイビー)』など。
内山 亜紀(うちやま あき、1952年2月29日 - )は、… 内山 亜紀(うちやま あき、1952年2月29日 - )は、日本の漫画家。 東京都板橋区出身。本名の野口 正之名義で作品を発表していた時期もある。ロリコン漫画を描くことで知られる。 東京デザイナー学院卒業後、会社勤務を経て『まんぱコミック』1977年6月号に掲載された『怪人豊島区巣鴨にのくのにじゅうはち』(野口正之名義)で漫画家デビュー。最初期は吾妻ひでおタッチだったが、三流劇画誌で再デビュー以降は劇画タッチの標準的な成人漫画も描いていた。やがて内山亜紀名義でロリコン漫画を描き始めて人気を博したが、注文が来たので描いていただけで、当初はロリコンという言葉すら知らなかったという。意識して描くようになったのは、みのり書房の『月刊OUT』『月刊Peke』に作品を発表し始めた1979年頃からのことである。
中島 昌利(なかじま まさとし、1952年1月22日 - )… 中島 昌利(なかじま まさとし、1952年1月22日 - )は、日本の漫画家。東京都葛飾区出身。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
いまい かおる(1951年9月22日 - )は、日本の漫画家… いまい かおる(1951年9月22日 - )は、日本の漫画家。東京都荒川区出身。出身校は第二瑞光小学校。女性。本名は今井薫。兄弟は、兄、弟。 もともと漫画を描くことが大好きな少女で、漫画好きの兄愛読書の「少年サンデー」「少年マガジン」などを見ているうちに漫画が好きになった。「物心ついたときから、女の子やお姫さまのいたずら描きをしていました。小学校入学時には、生活の一部になっていました。ノート、本の余白なんかに描きましたね」 中学生時代より、鈴木光明が主催し顧問をしていた漫画同人誌に参加をしていた。高校卒業後三越の紳士靴売り場に就職し、その在職中に新人発掘用単行本に採用掲載された「アニキの初恋」が漫画家としてのデビュー作となった。
村上 もとか(むらかみ もとか、本名:村上 紀香、1951年… 村上 もとか(むらかみ もとか、本名:村上 紀香、1951年6月3日 - )は、日本の漫画家。東京都世田谷区出身、練馬区在住。男性。息子は声優の村上紀生。 父親が映画会社の美術部に勤務していたこともあり、幼い頃から絵に親しみ、少年時代にはプラモデルの箱絵の戦車や飛行機を描く日々を送った。また近所の女の子の家にあった少女漫画雑誌で「フイチンさん」を読み、満州への憧れを持つなど後の作風に繋がる影響を受ける。当初は小説の挿絵画家を目指すも、1960年代の漫画の隆盛を機に漫画に興味が移り、高校時代に手塚治虫が創刊した漫画雑誌『COM』の影響を受け、本格的に漫画家を目指すようになった。 神奈川県立大和高等学校卒業後は建築製図の職業訓練校に進むも中退し、近くに住んでいた漫画家の望月あきらのもとに押しかけ無理やりアシスタントにしてもらったが、半年後事情があってアシスタントチームが解散になり、そこから雑誌に漫画を投稿する日々を過ごした[リンク切れ]。
小林 のり一(こばやし のりかず、本名:田沼 則一〈たぬま … 小林 のり一(こばやし のりかず、本名:田沼 則一〈たぬま のりかず〉、1951年5月9日 - 2022年7月6日)は、日本のコメディアン・漫画家。以前は、三木のり一と名乗っていたが、結婚後改名。舞台、TV、映画、漫画、お笑いとこなすマルチ活動している。 父親の三木のり平は、昭和を代表する喜劇役者。東京都中央区日本橋浜町出身。母方の祖父は新宿末廣亭の高座上の額「和気満堂」を書いた中山呑海。息子はものつくり株式会社の田沼遊歩。 父・三木のり平と仕事で何度も共演したが、私生活では三木は小林たちの育児に一切関わらなかったことから父子としての触れ合いはあまりなかった。本人によると「父と一緒に外出することや家族団欒で食事をした記憶も数えるほどしかなく、『おはよう』の挨拶のやり取りすらほとんどなかった。
夏目 房之介(なつめ ふさのすけ、1950年8月18日 - … 夏目 房之介(なつめ ふさのすけ、1950年8月18日 - )は、日本の漫画批評家、漫画家、エッセイストである。本人の自称は「漫画コラムニスト」。有限会社夏目房之介事務所代表取締役。
増山 法恵(ますやま のりえ、1950年1月29日 - 2… 増山 法恵(ますやま のりえ、1950年1月29日 - 2021年6月30日から7月1日にかけての未明)は、日本の漫画原作者、小説家、書評家、映画評論家、音楽評論家。東京都出身。血液型はB型。 漫画家・竹宮惠子のプロダクションのプロデューサー兼ディレクターを20歳のときから務め、『変奏曲』の原作なども担当する。15年間務めたのち独立、フリーライターとして活動する。のりす・はーぜの筆名で、『風と木の詩』のその後を書いた小説『神の子羊』や、イギリスのパブリックスクールを舞台にしたミステリー『永遠の少年』を執筆。他に、増山のりえの名前で『アリス・ブック』『少女風雅』の編纂など。 幼少時から指が人よりもよく動いたという理由で、両親のすすめでピアノを習い始め、小・中学校時代は桐朋学園大学の『子供のための音楽教室』に通い、将来はプロのピアニストを目指していた。
向後 つぐお(こうご つぐお、1949年11月19日 - )… 向後 つぐお(こうご つぐお、1949年11月19日 - )は、日本の漫画家。東京都江東区亀戸出身。現在のペンネームは向後次雄。デビュー時はこうご次男というペンネームを使用していた。 16歳の時、永島慎二の元に内弟子として入る。当時のアシスタント仲間に村岡栄一や三橋乙揶らがおり、永島の作品『若者たち』のモデルとなっている。デビュー作は18歳の時、『COM』1968年5月号付録「ぐら・こん」Vol.1に掲載された『埃』。永島慎二のアメリカ旅行(1968年)の間は辻なおきのアシスタントになり、永島慎二の帰国に伴い再び1年間アシスタントを務めたのち独立した。青年誌を中心に、女性を主人公にした作品が多い。
市川 ジュン(いちかわ じゅん、1949年5月31日 - )… 市川 ジュン(いちかわ じゅん、1949年5月31日 - )は日本の漫画家。東京都新宿区出身。夫は漫画家の柴田昌弘。 公務員を経て、1972年『別冊マーガレット』掲載の「白い花の涙」でデビュー。少女漫画を経て、1980年代半ば頃から活躍の場を集英社『office YOU』に移し、〈女性の側から見た歴史〉にスポットを当て、平安から近代までと幅広い年代の歴史物を手がけている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
やまだ 紫(やまだ むらさき、1948年9月5日 - 200… やまだ 紫(やまだ むらさき、1948年9月5日 - 2009年5月5日)は、日本の漫画家・エッセイスト・詩人。京都精華大学マンガ学部専任教授。 本名:白取 三津子(しらとり みつこ)(旧姓:山田)。2人目の夫は、元『ガロ』副編集長の白取千夏雄で、年齢は17歳下である。[要出典] 東京都世田谷区出身。1966年、私立富士見丘高等学校卒業後に詩の同人会『しちにん』へ参加。翌年からデザイン事務所勤務の傍ら、虫プロ商事(手塚治虫主宰)の漫画雑誌『COM』へ漫画作品の投稿を始める。 1969年、『COM』5月号でデビュー。以降同誌に精力的に作品を発表する。『COM』廃刊後は『ガロ』(青林堂)に発表の場を移し、1971年2月号に『ああせけんさま』が入選。
土田 よしこ(つちだ よしこ、女性、1948年〈昭和23年〉… 土田 よしこ(つちだ よしこ、女性、1948年〈昭和23年〉2月26日 - 2023年〈令和5年〉9月15日)は、日本の女性漫画家。東京都武蔵野市出身。本名は土田芳子。従来の繊細な少女漫画の世界において破壊的なギャグ漫画の新風を吹き入れた。 「土田よし子」名義による作品もある。 子供の頃から漫画を描くのが好きで、城右女子高等学校在学中からフジオプロでアシスタントのアルバイトをしていた。そのきっかけは近所にスタジオゼロに勤めている人がいたことで、土田も本来はスタジオゼロで働くつもりだったが、同じビル(西新宿十二社の市川ビル)の4階にあるスタジオゼロと間違えて3階のフジオプロに足を踏み入れたことからフジオプロで採用され、1966年(昭和41年)に高校を卒業した後もフジオプロの誘いで赤塚不二夫のアシスタントを続けた。
木原 敏江(きはら としえ、1948年2月14日 - )は、… 木原 敏江(きはら としえ、1948年2月14日 - )は、日本の漫画家。女性。東京都目黒区出身。血液型はB型。愛称ドジさま。 3人きょうだいの長女。高校を卒業するころから漫画家を志し、銀行員を経て1969年(昭和24年)、『別冊マーガレット』(集英社)の3月号に掲載された『こっち向いてママ!』でデビュー。花の24年組の一人。初期は「木原としえ」のペンネームで活動していた。 1977年から1984年にかけて、大正時代の旧制高校を舞台にした『摩利と新吾』を『LaLa』(白泉社)で長期連載。登場人物のデータや作者インタビューなどが収録された関連本『木原敏江 しまりんごスペシャル』や、作中で歌われる寮歌などを収録したイメージアルバムレコードが発売されたほか、現在までにコミック、文庫、愛蔵版、新書で出版されている。
南 伸坊(みなみ しんぼう、本名: 南 伸宏、1947年6月… 南 伸坊(みなみ しんぼう、本名: 南 伸宏、1947年6月30日 - )は、日本の編集者、イラストレーター、エッセイスト、漫画家。本の装幀も多数手掛ける。 ペンネームは、宮武外骨の『滑稽新聞』に登場する絵師、「墨池亭黒坊」に因んで、本名の伸宏をもじったもの。エッセイに自らイラストをつける手法により、「イラストライター」と自称する。あたたかみのある描線の似顔絵や、シンプルながら洗練された装幀で知られる。第29回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。 『ハリガミ考現学』での貼紙の研究により、赤瀬川原平が提唱した路上観察学会にも参加。丸刈りでおむすび型の頭をトレードマークにしており、これを強調した自画像イラストでも知られる。
高橋 春男(たかはし はるお、1947年〈昭和22年〉3月3… 高橋 春男(たかはし はるお、1947年〈昭和22年〉3月30日 - 2024年〈令和6年〉1月12日)は、日本の漫画家である。 東京都八王子市出身。東京都立八王子工業高等学校卒業。25歳から28歳頃まで三鷹東映で映写技師として働き、『仁義の墓場』や『トラック野郎』などを掛けた。OH!プロダクションでアニメーターとして働き、『ルパン三世』(TV第1シリーズ)などに参加した後、1978年に漫画家デビュー。 『週刊文春』連載の4コマ漫画『いわゆるひとつのチョーさん主義』など、総合誌での連載が主であり、有名人の似顔絵による1コマあるいは数コマのカットと、社会風刺コラムを合わせた作風を確立している。『いわゆるひとつのチョーさん主義』では長嶋茂雄、松井秀喜、谷亮子が特にキャラクターとして登場。
大谷 昭宏(おおたに あきひろ、1945年〈昭和20年〉7月… 大谷 昭宏(おおたに あきひろ、1945年〈昭和20年〉7月8日 - )は、日本のジャーナリスト、元新聞記者、漫画原作者。実弟は元最高裁判所判事の大谷剛彦。 東京都目黒区出身。目黒区立第十中学校、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学卒業後の1968年4月、読売新聞社に入社、徳島支局勤務。1970年、大阪読売社会部(警察担当)へ異動。上司である黒田清と共に「黒田軍団」の一員として、数多くのスクープ記事を取材。1980年より、朝刊社会面コラム『窓』を7年間にわたって担当。 1987年、黒田が当時:取締役論説委員長で現在主筆である渡邉恒雄との社内政治対立から大阪読売を退社した際、行動を共にし、黒田と共に黒田ジャーナルを設立。
楠 勝平(くすのき しょうへい、1944年1月17日 - 1… 楠 勝平(くすのき しょうへい、1944年1月17日 - 1974年3月15日)は、日本の漫画家。東京都荒川区出身。本名:酒井 勝宏。 市井の人々の哀歓を描き、わずか30歳で夭折した劇画作家として知られる。代表作に『おせん』『彩雪に舞う…』がある。 東京都荒川区で、看板の書き文字職人の家に生まれた。中学生の頃から同級生の雨森豪、平野あきらと漫画を描き始める。1957年、近所の貸本屋で長井勝一を紹介され三洋社に出入りするようになる。渡辺美千太郎の元でアシスタントとして修行した後、1960年『剣豪画集』(三洋社)より「必殺奥義」で貸本漫画デビュー。『忍法秘話』(三洋社)や『群狼』(第一プロ)といった貸本短編誌に執筆し、辰巳ヨシヒロらと交友を持つ。
高須 れいじ(たかす れいじ、1944年 - )は、日本の漫… 高須 れいじ(たかす れいじ、1944年 - )は、日本の漫画家。別名:高須礼二。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。 1943年、東京都目黒区で、航空科学専門学校の教授であった出﨑晶の次男として誕生。明治時代に福島県相馬郡(現・福島県相馬市)で干拓事業を行った出﨑栄太郎の曾孫にあたる。終戦後に相馬に移り住んだが、小学1年生のときに父が結核で死去。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。
ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきや… ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきやま ゆうじ)、1943年〈昭和18年〉4月27日 - 2020年〈令和2年〉5月12日)は、日本の漫画家。 1943年、東京都の日暮里で出生。姉、兄、弟、妹それぞれ1人ずつの5人きょうだいの次男。父は腕のいい朝鮮人の造花職人だった。第二次世界大戦中は栃木県田沼町に疎開した。10歳のとき父親が事業に失敗し足利市へ転居。極貧生活を経験する。子供の頃から漫画を描き出し、中学2年生で漫画本を自作した。 高校への進学を勧められたが、親兄弟のことを考えて中学卒業後に上京し、神田の貸本漫画の取次店、芳明堂に就職。芳明堂に勤務しながら、取次として担当した若木書房に原稿を持ち込んだり、漫画家の前谷惟光邸へ日参して、漫画家を目指した。
ちば あきお(本名:千葉 亜喜生、1943年〈昭和18年〉1… ちば あきお(本名:千葉 亜喜生、1943年〈昭和18年〉1月29日 - 1984年〈昭和59年〉9月13日)は、日本の漫画家。満洲国の奉天(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)出身。4人兄弟の三男で、長兄は漫画家のちばてつや、次兄は千葉プロダクション社長の千葉研作(元漫画家)、弟は漫画原作者の七三太朗。 少年時代は手先が器用でラジオの修理なども出来たほど。高校は夜間学校で、昼間は玩具製造工場に勤めていたが、身体を壊し退社した。療養中にちばてつやのアシスタントとして漫画界に携わる。 ちばてつやのアシスタントをする中、1967年『なかよし』(講談社)掲載の『サブとチビ』でデビュー。代表作は『キャプテン』、『プレイボール』など。
湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は… 湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は、イラストレーター、デザイナー、漫画家、音楽評論家。ヘタウマなイラストと、スウィート・ソウルなどのR&Bや、Gラップのフリークとしても知られる日本グラフィック界のベテランである。東京都新宿区角筈(現在の西新宿)生まれ。ペンネームはTerry Johnson(テリー・ジョンスン)、ゴンゾ。また、かつては、「FLAMINGO TERRY」、「FRAMINA TERRENO GONZO」、「TERRINO FLAMINI' GONZAREZ」、「紅鶴照万太」などのペンネームも用いていた。愛称は「キング・テリー」(略して、「キンテリ」とも)。
奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015… 奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015年8月16日)は、日本の詩人、ジャズ評論家、著述家、漫画原作者、編集者、作詞家、トランペット奏者。 東京都品川区大井出身。東京都立城南高等学校卒業。雑誌記者、タウン誌編集長、青山学院大学文学部講師を歴任。 さまざまな種類の活動を通して、日本のサブカルチャー界に、広い人脈を築いた。タモリの「密室芸」の命名者である。 また、様々な別名を用いて執筆活動を行った。自身のペンネーム「異魔人」。また高橋肇との共同ペンネーム「影山勲」。弟の奥成繁(久保田呉春)との共同ペンネーム「山口泰」。妻はイラストレーターのながたはるみ。 2015年8月16日、腎盂癌のため死去した。
石井 いさみ(いしい いさみ、本名:石井 勇巳〈読み同じ〉、… 石井 いさみ(いしい いさみ、本名:石井 勇巳〈読み同じ〉、1941年12月8日 - 2022年9月17日)は、日本の男性漫画家。 生家は建築設計業。東京都立蔵前工業高等学校卒業。 高校在学時の1957年、『たけうま兄弟』(講談社『少年クラブ』)でデビュー。 代表作はサッカー漫画の『くたばれ!!涙くん』(小学館『週刊少年サンデー』1969年)と、ナナハンを中心とする各種バイクと青春を題材にした『750ライダー』(秋田書店『週刊少年チャンピオン』1975年)。デビュー当時からバイク好きのカミナリ族で、後にプロレーサーとなった酒井正も友人であったことから描かれた後者はヒット作となり、9年間にわたって連載された。
真樹 日佐夫(まき ひさお、1940年〈昭和15年〉6月16… 真樹 日佐夫(まき ひさお、1940年〈昭和15年〉6月16日 - 2012年〈平成24年〉1月2日)は、日本の漫画原作者・小説家・空手家。本名:高森 真土(たかもり まつち)。 世界空手道連盟真樹道場宗師 キックボクシング真樹ジム会長。株式会社真樹プロダクション代表取締役、元極真会館本部道場師範代、元マス大山カラテスクール責任者。元ビッグマウス・ラウド特別顧問。NPO・アジア地域戦没者慰霊協会名誉顧問。映画・Vシネマの企画プロデュースや、格闘技のイベント興行・マッチメイクも不定期に手がけていた。 ペンネームは、高森3兄弟の本名の構成漢字を組み合わせる案を梶原が出し、これに従ったという。すなわち、梶原の「朝樹」と「真土」から1字ずつとって姓を「真樹」とし、下の名は三男の名「日佐志」を基に「志」を語呂良く「夫」に置き換えたものである。
江波 譲二(えなみ じょうじ、1938年(昭和13年)5月1… 江波 譲二(えなみ じょうじ、1938年(昭和13年)5月13日 - )は、東京都江東区出身の漫画家。 小学生の頃からスポーツ万能で学力優秀な生徒であった。中学生の頃に手塚治虫の漫画に影響を受け漫画家を目指す。東京都立第三商業高等学校卒業後の1957年、日の丸(集英社)掲載「幕末珍騒動」で漫画家デビュー。貸本漫画「トップ屋ジョーシリーズ」(ひばり書房)で人気漫画家となる。南波健二と大仙プロを設立。その後は少年誌や青年誌の世界で活躍した。近年では代々木アニメーション学院で講師を務めた。 2014年、「都会派アクション劇画~江波じょうじの世界~展」が、8月7日から31日にかけて東京・江東区森下文化センターで開催された。
東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30… 東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30日 - 2026年4月5日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名は庄司 禎雄(読み同じ)。1974年6月16日から2014年12月31日にかけて毎日新聞朝刊に13,749回連載した4コマ漫画の『アサッテ君』で、一般全国紙の連載漫画の最多掲載記録を作った。他の漫画・エッセイの連載においても、ほとんどが40年超のロングランとなっている。 東海林は1937年10月30日、東京府東京市杉並区高円寺南で生まれた。父は小西六(現在のコニカミノルタ)の社員だった。小学生時代に戦火を避け、父以外の家族で山梨県大月市に疎開。終戦後も東京には戻らず、母方の実家のある栃木県那須郡武茂村(のちの馬頭町)に移り、中学2年時まで過ごす。
林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉1… 林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉10月19日 - )は、日本の落語家、漫画家、画家、実業家。所属事務所のトヨタアートの代表取締役社長である。 血液型はA型、出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。前名の初代林家木久蔵としても知られる。 1937年10月19日、東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれる。比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼、自身は青森県への疎開など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。
長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 201… 長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 2018年11月25日)は、日本の漫画家、漫画評論家、小説家、エッセイスト、詩人、作詞家、元大垣女子短期大学・椙山女学園大学・中京大学・宇都宮アート&スポーツ専門学校等の講師。元日本マンガ学会理事。赤塚不二夫の長年のブレーン役。パロディ漫画におけるパイオニアとして知られる。日本の教育における漫画学科の草創期から関わっている人物でもある。 石森章太郎主宰の東日本漫画研究会の同人として、赤塚不二夫とデビュー前から交流していた。彼らがトキワ荘に入居すると通い組として参加。もともと現代詩を書く文学青年でもあり、江戸川邦生名義で小説も発表した。また、SF同人誌『宇宙塵』の初期からの会員でもあった。
梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 198… 梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は高森 朝樹(たかもり あさき)。高森 朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。身長180cm、体重85kg。空手五段、柔道二段(1983年7月28日の自己申告)。 1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、いわゆる「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。
つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭… つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭和11年〉7月3日 - )は、日本の漫画家・心霊研究家。東京府東京市下谷区豊住町(現:東京都台東区下谷1丁目)出身。血液型O型。八人兄弟の次男であり、次弟のつのだたかしはリュート奏者、末弟のつのだ☆ひろはミュージシャン。漫画原作者・ゲームクリエイターのビトウゴウは息子である。 当時の下谷区豊住町で床屋を営む家に生まれ育つ。小学2年生のころ空襲を避けるため一家で福島県に疎開、戦争が終わった中学2年生の時に東京に戻る。新宿区立淀橋中学校(現:新宿区立西新宿中学校)、東京都立青山高等学校卒業。 高校在学中に自宅近くのグラウンドで草野球を観戦していたところ、一方のチームの監督が漫画家の島田啓三であることに気づく。
一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2… 一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2020年11月27日)は、日本の漫画家。本名:寺田 国治(てらだ くにはる)。 東京都荒川区出身。敗戦を疎開先の福島県石川町で迎える。絵物語作家、岡友彦(歌川大雅)の弟子を経て、1956年に『なぞのからくり屋敷』(「てらだくにじ」名義)でデビュー。 1960年代から1970年代にかけて、多くの特撮ヒーロー作品のコミカライズを手がけており、特にピー・プロダクションの作品の大半を漫画化している。中でも『スペクトルマン』への思い入れは強く、1999年に角川書店から復刻された単行本に加筆を施したり、2006年には後日談を発表したりしている。 2005年、『画業半世紀一峰大二大全集』で第34回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は… 今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は、日本の漫画家。現東京都千代田区(当時は東京市)出身。東京都練馬区在住。日本の女性少女漫画家の草分け的存在。 子供の日常生活をほのぼのとして快活なタッチで描き、1950年代後半から1970年代中半にかけて多くの作品を発表していた。 父親は貸本漫画家の今村つとむ。弟も同じく漫画家の今村ゆたか。 10代の頃から貸本漫画家である父、今村つとむのアシスタントをしており、1952年、単行本『子豚のラッパ』でデビュー。 昭和34年、『少女』誌上に『チャコちゃんの日記』を連載し一躍人気漫画家となる。その後、ハッスルゆうちゃんなど多くの作品を発表し、人気を不動のものとした。
斉藤 あきら(さいとう あきら、1934年 - )は、日本の… 斉藤 あきら(さいとう あきら、1934年 - )は、日本の漫画家。東京都江東区亀戸出身。本名の「斉藤明」や、「さいとうあきら」名義で活動したこともある。 1954年に杉浦茂のアシスタントとして漫画業界に入る。鈴木光明、高野よしてる、手塚治虫、横山光輝のアシスタントを渡り歩き漫画の修行をする。その後はスタッフ3人を抱え「ジャガープロ」を設立して仕事をしていた。 1969年、手塚治虫アシスタントとして同門の古谷三敏の誘いで、赤塚不二夫の「フジオ・プロ」に所属。アシスタント業務をこなしながら、フジオプロの他の所属漫画家と同じく、独立した漫画家としても活動した。フジオプロには十数年間所属しており、80年代には離脱していたとみられる。
永美 ハルオ(ながみ はるお、1933年11月26日 - 2… 永美 ハルオ(ながみ はるお、1933年11月26日 - 2024年9月30日)は日本の漫画家、イラストレーター。永見 ハルオ、永美 はるお名義の作品もある。本名は堀ノ内史旺(ほりのうち・ふみお)。 東京生まれ。東京都立第一商業高等学校を経て、1957年、中央大学経済学部卒業。1966年に漫画家デビュー。日本漫画家協会会員。 講談社ブルーバックスなどのイラストで知られる。 2024年9月30日、死去。90歳没。
白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は… 白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は、日本の漫画家。東京府出身。男性。本名は岡本 登(おかもと のぼる)。A型。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など忍者を扱った劇画作品で人気を博した。
柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 -… 柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 - 2015年8月17日)は、日本のイラストレーター、漫画家、アニメーション作家、エッセイスト。東京都出身。神奈川県横浜市中区在住。「アンクルトリス」の産みの親として、また無類の船好きとしても知られる。過去には「帆船日本丸記念財団」の理事も務めていた。西村捨三のひ孫。
長 新太(ちょう しんた、本名: 鈴木 揫治、1927年9月… 長 新太(ちょう しんた、本名: 鈴木 揫治、1927年9月24日 - 2005年6月25日)は、日本の漫画家、絵本作家、エッセイスト。 漫画作品のほか、「ユーモラスな展開と不条理な筋立て」による「絵本」と称される数多くの絵本や児童文学の挿絵を描き、「ナンセンスの神様」の異名をとった。エッセイなどの分野でも活動した。 東京府荏原郡羽田町(のちの東京都大田区)に生まれる。蒲田育ち。戦時中は陸軍少年飛行兵学校を受験したが体重が足りなかったために不合格となる。東京市立蒲田工業学校(現在の東京都立一橋高等学校)卒。蒲田が空襲の被害を受けたため横浜市に移り、ここで敗戦を迎える。映画が好きだったため映画館の看板屋で3年ほど働いた。
境田 昭造(さかいだ しょうぞう、1927年4月6日 - 1… 境田 昭造(さかいだ しょうぞう、1927年4月6日 - 1991年9月9日)は、日本の漫画家である。日本漫画家協会会員。 東京市本郷区(現在の東京都文京区)本郷生まれ。駒込学園高等学校を経て、1950年、拓殖大学政経科卒業。 在学中から近藤日出造に師事して大人漫画家となり、1950年に漫画集団の同人となる。昭和30年代から40年代にかけて、独特のデフォルメのキャラクターを描いて一世を風靡。 「若手落語会」「東横落語会」などを主宰した湯浅喜久治と知人だったことから、若手落語家たちと友達同様に交流することになる。談志・円楽・志ん朝らとは若手時代からつきあいで、1969年からの柳朝・志ん朝の「二朝会」はプロデューサー的に関わった。
鮎沢 まこと(あゆざわ まこと、1925年 - 2018年2… 鮎沢 まこと(あゆざわ まこと、1925年 - 2018年2月9日)は、日本の漫画家。東京都出身。池上育ち。血液型はO型。長女は、フリーライターの相沢いく(相沢育子)。 一コマ漫画を中心とする、カートゥーンのエキスパート。ナンセンスな笑いを得意とし、毒の効いた諷刺の中にも飄逸な味わいがある。 "漫画には国籍も国境もナシ"がモットー。自費出版多数。また囲碁を趣味とし、長年にわたり「週刊碁」に「ウロ烏鷺戯評」を連載。 2018年2月9日、心不全のため死去。 一コマ漫画家集団JAPUNCHの一員としての一連の著作 "JAPUNCH"の一員として この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
高野 よしてる(たかの よしてる、本名:高野義輝、1923年… 高野 よしてる(たかの よしてる、本名:高野義輝、1923年8月22日 - 2008年11月15日)は、日本の雑誌編集者・漫画家である。九州生まれ。関東商業学校(現・関東第一高等学校)、法政大学出身。漫画家としては1950 - 1970年(昭和25 - 45年)頃まで月刊・週刊の漫画雑誌で活躍した。代表作は『赤ん坊帝国』『黒帯くん』『13号発進せよ』など。 1923年(大正12年)、九州に生まれる。4歳の頃に家族ともども東京に移り、以後東京で育つ。 中学の頃から漫画家を目指し、志を同じくする友人たちと共に「新世紀漫画集団」という名のグループを結成。日曜日になっては漫画について討論や研究、デッサンをしていた。
太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 198… 太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 1982年3月29日)は、日本の漫画家、絵本作家。本名、太田二郎。東京市京橋区八丁堀出身。 東京市京橋区八丁堀にて製本職人の家庭に生まれる。早稲田実業学校卒業後、新潮社や東宝美術部に勤務。日本画を学び、野口昂明たちの勧めで『日の出』誌にカットを寄稿、1941年、『イソップまんが』で漫画家としてデビューした。 1943年に徴兵され、大刀洗飛行場で従軍にあたった。1945年に復員した後、帷子進や芳谷勝に師事する。1950年、『少年クラブ』に『お山のクロちゃん』を連載。1952年、島田啓三の長女と結婚した。1960年、『こりすのぽっこちゃん』で第5回小学館漫画賞を受賞する。
岡部 冬彦(おかべ ふゆひこ、1922年12月27日 - 2… 岡部 冬彦(おかべ ふゆひこ、1922年12月27日 - 2005年5月16日)は、東京出身の漫画家、科学ジャーナリスト。埼玉県さいたま市に在住していた。 東京生まれ。東京美術学校(現東京芸術大学)卒。卒業後、ライオン歯磨宣伝部を経て、漫画家となった。漫画集団同人。名取洋之助が編集していた『岩波写真文庫』の現場で、三木淳、稲村隆正らともに学ぶ。またスタッフだった女性デザイナーと結婚した。 1956年から13年間『週刊朝日』に『アッちゃん』を連載し、サラリーマン家庭の暮らしぶりを子どもの視点からユーモラスに描いた作風で人気を博す。せりふのない4コマ漫画『ベビーギャング』、外国漫画の影響を受けた『アツカマ氏』『オヤカマ氏』などの作品で人気を博した。
荻原 賢次(おぎはら けんじ、1921年10月30日 - 1… 荻原 賢次(おぎはら けんじ、1921年10月30日 - 1990年1月7日)は、日本の漫画家。 祖先は松本藩士であったという。神奈川県横浜市で生まれ、東京府東京市浅草区(現:東京都台東区)の「職人の多い下町」で育つ。少年時代に、湯島聖堂の斯文会で『日本外史』などを通じ、漢文に親しみ、歴史の素養を身につける。小島尋常小学校卒業後、商業補習学校、研数学館などを転々とする。この間、川端画学校を中退したほか、クロッキー研究所に在籍している。クロッキー研究所ではのちにともに漫画家になる根本進、塩田英二郎、上田トシコ、永井保らと知り合う。 自作漫画を雑誌に投稿して頭角を現すと、1939年には永井に、その永井が所属する若手漫画家のグループ「漫画突撃隊」へ勧誘される。
石田 英助(いしだ えいすけ、1914年8月30日 - 20… 石田 英助(いしだ えいすけ、1914年8月30日 - 2010年12月5日[要出典])は、日本の漫画家、イラストレーター。男性。東京都板橋区出身。ABO式血液型はA型。熊岡美彦画塾卒業。1932年にデビュー。出版美術家連盟理事。[要出典] 1957年、『おやまのかばちゃん』と『こぞうのぼんちゃん』の2作品が第2回小学館漫画賞を受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。