吉田 翔(よしだ しょう、Syoh Yoshida、1984… 吉田 翔(よしだ しょう、Syoh Yoshida、1984年1月24日 - )は、愛知県名古屋市生まれの日本画家、水墨画家、アーティスト。2008年に大阪成蹊大学芸術学部美術学科絵画表現領域日本画工房研究課程修了。 京都を拠点に大学在学時より日本画の代表的な素材である墨と胡粉のみを用いたモノクロームの絵画作品を展開させ、2004年に大阪成蹊大学芸術学部学内ギャラリー・スペースBで開催されたグループ展「B-port -余白の地 - 」より本格的に作家活動を開始する。 2006年、初個展「Beautiful Thing -美しいこと- 」(spaceB/京都)、個展「Dark Lake -黒い湖 - 」(CASPER’S Gallery/東京)を開催。
梅津 諭(うめづ さとし、男性、1981年(昭和56年)10… 梅津 諭(うめづ さとし、男性、1981年(昭和56年)10月15日 - )は、日本の画家、イラストレーター、美術家。 2000年、愛知県立起工業高等学校(現在の愛知県立一宮起工科高等学校)デザイン科卒業後、名古屋芸術大学美術学部絵画科に進学。在学中に似顔絵描きを経験し、以後の活動に影響を及ぼす。2004年、全国の商業施設へプロの似顔絵描きとして活動開始。同時期に並行してデザイナー、イラストレーター、文化センター講師など様々な職業経験を積む。2011年より国際コンペで受賞するなど、社会的評価が始まる。2014年より、妻とのアートユニット「カテイトエ」として活動。担当は主に線画。2015年、あいちトリエンナーレ関連の講演会を主催。
天白 松嵐(てんぱく しょうらん 1955年2月12日 - … 天白 松嵐(てんぱく しょうらん 1955年2月12日 - )は、愛知県碧海郡六ツ美村(現岡崎市)出身の染織家・画家。染織図案にヒエログリフを用いた作品を制作。
奥田 瑛二(おくだ えいじ、1950年〈昭和25年〉3月18… 奥田 瑛二(おくだ えいじ、1950年〈昭和25年〉3月18日 - )は、日本の俳優、映画監督、画家。ゼロ・ピクチュアズ所属。 愛知県東春日井郡高蔵寺町(現在の春日井市)出身。本名は安藤 豊明(あんどう とよあき)。妻は安藤和津、長女は安藤桃子、次女は安藤サクラ。 愛知県東春日井郡高蔵寺町(現在の春日井市)生まれ。小学5年生のときに大友柳太朗の『丹下左膳』を観て衝撃を受け、役者を志す。夜尿症で中学入学式の前日までおねしょをする子だった。役者になるには体格を良くするべきと考え、中学では野球部、高校ではラグビー部に入る。中学卒業時は152センチメートルしかなかったが、高校に入ってラグビーをしてからは身長が173センチメートルまで大きく伸びたという。
伊藤 秀男(いとう ひでお、1950年 - )は、日本のイラ… 伊藤 秀男(いとう ひでお、1950年 - )は、日本のイラストレーター、画家、児童文学作家。愛知県出身。名古屋造形芸術短期大学卒業。 愛知県津島市生まれ、名古屋市立工芸高校 デザイン科卒業、名古屋造形芸術短期大学 洋画科卒業。 1976年の初個展以来、全国各地で個展を開いている。ガラス絵や凧絵も描き、子供達に絵を教えていたこともある。挿絵として林真理子 作『素晴らしき家族旅行』、『幸福御礼』などの作品もある。 1982年に中川正文 作『じぞうぼん』のイラストで絵本作家デビュー、イラスト専門ではなく児童文学作家として絵本の著作もある。 1999年にはBIB(ブラティスラヴァ世界絵本原画展、スロバキア)に『北越雪譜より くまにたすけられた男』を出展、日本の絵本原画展(ボローニャ)、現代日本絵本原画中国展(上海・北京)などにも出展している。
大岡 立(おおおか たつ、1949年 - )は、日本の画家(… 大岡 立(おおおか たつ、1949年 - )は、日本の画家(似顔絵画家)。愛知県高浜市出身。1967年愛知県立刈谷高等学校卒業。1972年愛知大学法経学部卒業。現在、朝日カルチャーセンター講師、日本顔学会会員。
柄澤 照文(からさわ てるふみ、1949年 - )は、日本の… 柄澤 照文(からさわ てるふみ、1949年 - )は、日本のペン画家、イラストレーター。農山村や都市の路地、江戸期の日本の風景などを描く。新聞連載多数。細やかな線画と、ほのぼのした作風で知られる。1978年に『おかざきしんぶん』を創刊。同紙は地元岡崎市のミニコミ紙の先駆となった。 愛知県宝飯郡赤坂町(現・豊川市)に生まれる。赤坂町は、名古屋市で教員をしていた父親の疎開先だった。3歳のときに一家は岡崎市に転居。同市六供町で育つ。岡崎市立梅園小学校、岡崎市立葵中学校卒業。 絵の教室の手伝いをしているときに結婚。1978年(昭和52年)1月、妻と二人でミニコミ紙『おかざきしんぶん』を発刊。市民の聞き書きや町ルポを中心に、山中八幡宮のデンデンガッサリの概要、八丁界隈の家並み図、板屋町二十景、戦後の岡崎市の選挙記録などをペン画入りで作成した。
蛇雄(だお、1948年 - )は、愛知県刈谷市出身の画家。無… 蛇雄(だお、1948年 - )は、愛知県刈谷市出身の画家。無所属。 一貫して独特な世界観の幻想絵画を描き続ける芸術家である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
斎藤 吾朗(さいとう ごろう、1947年3月16日 - )は… 斎藤 吾朗(さいとう ごろう、1947年3月16日 - )は、愛知県幡豆郡寺津町(現・西尾市)出身の画家。独立美術協会会員。「赤絵」と呼ばれる作風で知られる。 大胆に赤色を用いる個性的な色遣いや、鑑賞者の意表を突く構成による絵画で知られている。故郷の愛知県三河地方を活動拠点としており、三河地方の人々・風景・祭礼などを題材とすることが多い。 第43回独立展で独立賞および海老原賞を受賞した1975年(昭和50年)頃から注目を集めるようになり、個性的な作品が「斎藤の赤絵」と呼ばれるようになった。1970年代には強烈な赤色の作品が多く、記念撮影を題材とする作品が多かった。1980年代には自身の子どもを描いた作品が加わり、1990年代には祭礼も題材となった。
土屋 慎吾(つちや しんご、1947年 - )は、日本の漫画… 土屋 慎吾(つちや しんご、1947年 - )は、日本の漫画家、官能劇画家、似顔絵師。 愛知県犬山市出身。1947年(昭和22年)生。 滝高等学校卒業後、東京デザインカレッジ在学中に水木しげるのアシスタントになる。 『ゲゲゲの女房』時代後期(1967年 - 1970年)つげ義春、鈴木翁二らと机を並べる。 少年サンデー第3回新人漫画賞受賞。 ぼくらマガジンコミックス『タイガーマスク(8)』に掲載された『海の鎖』でデビュー。 その後、青年誌、官能劇画誌、自販機雑誌等に執筆。特集本も多数発売されたが、『お検査して』第4集が発禁となる。 現在は、愛知県犬山市犬山城城下町にて、似顔絵を描きながら新作自伝『ゲゲゲのアシスタント』など描き下ろし作品を執筆中。
城 景都(じょう けいと、1946年12月13日 - )は、… 城 景都(じょう けいと、1946年12月13日 - )は、愛知県刈谷市出身の画家。 1946年インド系朝鮮人の父の三男として生まれる。小学校時代より音楽と絵に興味を持ち、学生時代を経てロックバンドを結成しライブ活動を行いつつ、絵を書き始める。 傷害事件で少年院に入ったこともあるが、恩師であり画家である近藤正治と出会いその芸術論に感銘し、その後本格的に絵を描きはじめる。植物の葉脈から導き出した、貫乳風のひび割れを使った作風は独自のスタイルといえる。从会会員。 画集等で公表されている生年月日は1948年12月13日であるが、現在では1946年12月13日に訂正されている。 弟に画家で絵本作家の木村昭平がいる。
田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は… 田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は、愛知県出身の洋画家、壁画家。
井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のラ… 井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のランドスケープアーキテクト・都市計画家。愛知県名古屋市生まれ。技術士、登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。建設省でインハウスランドスケープアーキテクトとして行政・研究に従事した後、CLA(ランドスケープコンサルタンツ協会)専務理事、株式会社創建取締役副社長を歴任。 蓑茂寿太郎らと1971年に「Design With Nature」を刊行したイアン・マクハーグらの取り組みを扱った同人誌を発行し、ランドスケープアーキテクチュアの一つであるエコロジカル・プランニングの理念を紹介した人物。 このほか、花と緑と健康のまちづくりフォーラム理事。
藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の… 藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の洋画家、日本藝術院会員、二紀会副理事長。早稲田大学栄誉フェロー、名誉教授、維持員。広島大学名誉博士。府中市美術館館長。
松井 守男(まつい もりお、1942年7月25日 - 202… 松井 守男(まつい もりお、1942年7月25日 - 2022年5月30日)は、愛知県豊橋市出身の画家。フランスを拠点に活動した。 1942年、愛知県豊橋市生まれ。実家は魚屋だった。豊橋市立北部中学校卒業、愛知県立豊橋東高等学校卒業。高校では美術部に所属。二浪して、1963年に武蔵野美術大学造形学部油絵科に入学。1967年、同大を首席で卒業したことで、パリ行きの航空券を獲得した。同年、フランス政府奨学生として渡仏し、パリを拠点に制作活動を始めた。同地ではアカデミー・ジュリアンやパリ国立美術学校でデッサンを学び直した。 サロン・ド・メへの招待、印象派発祥の画廊ギャラリー・ベルネーム=ジュンネでの個展、エールフランスの機内装飾を担当するも、画家としての地位を確立できずに苦悩していた。
野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、… 野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、日本の画家。近縁の画風で知られる中山忠彦、森本草介とは同世代で旧知の間柄。 野田は、凡そ10年単位でその個人様式を大きく転換させるという特徴的な変遷を見せる。しかしその核心は一貫しており、モチーフを細密に写真で記録し徹底した描写でカンバスに再現する粘り強いリアリズム表現が際立つ。1992年以降は低彩度の明るい色(ライトグレーや白)などを中心としており、安定している。 1970年代から1997年頃まで、藤田吉香にも似た、シンプルな大面積の背景を特徴として画面を構成してきた所があるが、近年では、大面積でシンプルな背景は影を潜めている。 1970年から絵画制作に専念し先ず制作された絵画は、黒い背景によって特徴づけられる絵画である。
梶田 達二(かじた たつじ、1936年〈昭和11年〉5月24… 梶田 達二(かじた たつじ、1936年〈昭和11年〉5月24日 - 2011年〈平成23年〉10月8日)は、日本の画家、イラストレーター。ボックスアートを得意とした。愛知県名古屋市港区出身。理科美術協会、ミロの会会員。 愛知県立惟信高等学校を卒業。家業の楽器製造会社を手伝う傍ら、挿絵画家の小松崎茂の作品を摸写。1959年(昭和34年)、集英社より単行本の挿絵でデビュー。同年、上京。 秋田書店「冒険王」9月号で雑誌デビュー。また、小学館、講談社、光文社、少年画報社、徳間書店、学習研究社などの少年誌、学年誌に表紙、口絵、挿絵を発表する。また、プラモデルの箱に航空機や艦船を描くボックスアートの世界で活躍。
村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2… 村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2024年10月20日)は、日本の都市計画家。防災の専門家で、戦後の都市防災において、中心的役割を果たしてきた人物。防災都市計画研究所名誉所長及び会長。元代表取締役所長。そのほか、社団法人環境情報科学センター評議員。杉並区まちづくり博覧会会長。 神奈川県地震被害想定調査委員会委員長、地域安全学会会長、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)後の国土審議会特別委員、中央防災会議専門委員を歴任。 学位は工学博士。名古屋市生まれ。広島育ち。父は天文学者の村上忠敬(広島大学名誉教授)。
瀬川 康男(せがわ やすお、1932年4月5日 - 2010… 瀬川 康男(せがわ やすお、1932年4月5日 - 2010年2月18日)は、日本の画家、版画家、絵本作家。愛知県岡崎市出身。本姓は鈴木。 福音館書店のこどものともの仕事を皮切りに、新しい技法を次々と使いながら多彩なタブロー、版画、スケッチ、絵本の制作を続けた。彼の初期の絵本は松谷みよ子、松野正子などの文に挿絵をつける形で作成されたが、1975年以降は文・絵ともに自作の絵本も制作。その仕事は、童画の枠を超えた現代的な「児童出版美術」の域に達し、BIB(ブラチスラヴァ絵本原画展)グランプリや国内の出版文化賞を受賞するなど、国内外で高い評価を獲得している。 なお年・名前・仕事の協力関係とも似通っている瀬川拓男は親族ではなく、血縁・家系とも他人である。
宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月… 宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月1日 - )は愛知県出身の日本の日本画家。本名は豊。社団法人日展会員を経て日展理事、日春展顧問。 1929年(昭和4年)9月1日、愛知県に生まれる。愛知県立松蔭高等学校卒業。始め川合玉堂、後に奥田元宋に師事。 1962年(昭和37年)「凪」が新日展に入選。以後1993年(平成5年)第25回日展にて日展会員賞、1997年(平成9年)第29回日展にて文部大臣賞。 2004年(平成16年)、2003年(平成15年)第35回改組日展出品作「暮れゆく函館」が平成15年度(第60回)日本芸術院賞。
宇野 藤雄(うの ふじお、1927年3月15日 - )は、日… 宇野 藤雄(うの ふじお、1927年3月15日 - )は、日本の画家。日本画及び洋画を専門とする。 愛知県丹羽郡羽黒村(現・愛知県犬山市)出身。幼いころより絵が好きで小学校時代は得意な絵で訓導(教師)より成績表で褒め称えられていたという。青春期は時あたかも第二次世界大戦中とぶつかり、自身も徴兵により軍隊に取られたこともあり、絵筆を握ることもままならなかった。 戦争終了後、20歳になった時から画家としての活動を始め、1952年度の二科展で初入選し、以後23年連続入選を果たしている。自身は和歌・俳句、仏教などあらゆる日本文化を研究しつくし、研究から得た知識をキャンパスに表現する手法を長年執っている。
杉浦 正美(すぎうら まさみ、1926年 - )は、日本の画… 杉浦 正美(すぎうら まさみ、1926年 - )は、日本の画家。愛知県豊橋市出身。二科会所属、絵画部幹事。 豊橋市で生まれたが、5歳で母を亡くした後は1934年に福江町(現:田原市)に移り、祖母に育てられた。その後、名古屋市に転居。 1952年、北川民次 、安藤幹衛に師事。同年、「工場」で第37回二科展絵画部に初入選。以後は公告デザインを手掛けながら、描き続けた。 1961年、「火工」で第46回二科展絵画部で特選受賞。1963年、二科展絵画部会友に推挙された。その後も二科展を中心に様々な展覧会に出品を続けると同時に、個展を数多く開催した。1980年、二科展絵画部会員推挙。1987年、「島の月」で第72回二科展絵画部会員努力賞を受賞した。
中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018… 中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018年1月17日)は、日本の洋画家。繊細で清澄な点描が特徴である。東京芸術大学名誉教授。 愛知県額田郡豊富村夏山(現・岡崎市夏山町)に生まれた。額田郡本宿村(現・岡崎市本宿町)で少年時代を過ごす。1931年(昭和6年)4月、父親が校長を務めていた本宿尋常小学校(現・岡崎市立本宿小学校)に入学。高等科を経て、1937年(昭和12年)に愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。中学で東京美術学校(現・東京芸術大学)出身の図画教師の山本鍬太郎と出会い、山本から絵を描くことの楽しさを教えられる。 1939年(昭和14年)、愛知県岡崎師範学校(愛知教育大学の前身)に入学。
津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 20… 津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 2015年6月2日)は、日本の建築家、都市計画家、評論家。愛知県岡崎市出身。 1945年に海軍技術士官として厚木飛行場に赴任するが終戦を迎える。1947年に新制東京大学に再入学する。 1951年、東京大学第一工学部建築学科卒業。丹下健三の下で住宅問題の研究をテーマに卒業論文に取り組む。前川国男の建築設計事務所への入所を希望するが前川と太田博太郎の推薦でアントニン・レーモンドの事務所に所属する。その後坂倉準三の建築設計事務所を経て、1955年日本住宅公団発足と共に入社。 日本住宅公団勤務時、多摩平・高根台団地、阿佐ヶ谷住宅をはじめとする多くの団地を設計するなど、公団初期の全体計画を手がける。
平川 敏夫(ひらかわ としお、1924年10月16日 - 2… 平川 敏夫(ひらかわ としお、1924年10月16日 - 2006年5月14日)は、日本の日本画家。創画会会員。新制作協会展を中心に活躍し、代表作に「白樹」「樹濤」などがある。1980年「樹木をテーマにした日本画新様式の確立」に対して中日文化賞受賞。 宝飯郡小坂井町(現在の豊川市)出身。京都の稲石着尺図案塾で日本画の基礎的な技術を学ぶが、開戦のためまもなく帰郷。1947年、新日本画研究会に参加し、中村正義とともに本格的に日本画の制作を始める。1950年には正義の薦めで第3回創造美術展に出品し、以後、創造美術が新制作派協会と合併して新制作協会日本画部となった後も同展に出品を続ける。1974年創画会結成に参加。
芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年… 芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年〈大正13年〉5月24日 - 1966年〈昭和41年〉1月31日)は、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)出身の画家。 1950年代から急逝するまで、当時はほとんどいなかった前衛の女性画家の一人であり、また「染色」という全く独自の技法で道を切り開いた作家である。 「芥川」は芥川也寸志との最初の結婚時の、「間所」は間所幸雄との再婚後の姓で、旧姓は山田である。「芥川紗織」とも「間所紗織」とも呼ばれるが、2つの姓を併記して「芥川(間所)紗織」と書かれることも多い。 旧姓を山田といった。東京音楽学校(現・東京藝術大学)本科声楽部を卒業後、作曲家の芥川也寸志と結婚し、芥川麻実子ら2女をもうけた。
星野 眞吾(ほしの しんご、1923年〈大正12年〉8月15… 星野 眞吾(ほしの しんご、1923年〈大正12年〉8月15日 - 1997年〈平成9年〉12月29日)は、昭和期から平成期にかけて活動した日本の画家である。妻は、同じく画家の高畑郁子(創画会会員)。 愛知県豊橋市魚町に生まれ、同県豊川市牛久保町で育った。豊橋第二中学校(現・豊橋東高等学校)在学中から、水彩画・油彩画を描くようになった。また、この時期に中村正義と出会った。 1944年(昭和19年)に京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)図案科を、1948年(昭和23年)に京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)日本画科を卒業。同窓生11人と「グループ・パンリアル」(翌年、「パンリアル美術協会」に改称)の設立に参画した。
田中 実(たなか みのる、1923年 - 2016年)は、愛… 田中 実(たなか みのる、1923年 - 2016年)は、愛知県出身の洋画家。浦和画家のひとり。光風会名誉会員。 水彩画を主に描いた。父の死後6歳で浦和に転居。埼玉県師範学校本科を卒業し、小学校教師となる。復員後、23歳で水彩連盟研究所に通い、小堀進、春日部たすく、荒谷直之助に学んだ。25歳で寺内萬治郎に師事し光風会展、日展に出品。 寺内の没後は渡辺武夫に師事。小学校教員退職後は絵画制作に専念し、日展岡田賞や水彩連盟展の小堀進賞などを受賞。それまでの業績に対し、埼玉文化賞、浦和市文化栄誉賞を受賞した。作品の一部は埼玉県立近代美術館に収蔵されている。
齋藤 真成(さいとう しんじょう、1917年〈大正6年〉6月… 齋藤 真成(さいとう しんじょう、1917年〈大正6年〉6月5日 - 2019年〈令和元年〉11月19日)は、日本の僧、洋画家、元・真正極楽寺(真如堂)第53世貫主、元・京都教育大学教授、元・成安女子短期大学講師、愛知県名古屋市出身。
荻 太郎(おぎ たろう、1915年2月28日 - 2009年… 荻 太郎(おぎ たろう、1915年2月28日 - 2009年9月2日)は、日本の画家、絵本作家。 愛知県北設楽郡稲武町(現・豊田市)に生まれる。ほどなくして岡崎市に移り住む。旧制岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。東京美術学校油画科入学。在学中に南薫造、猪熊弦一郎から指導を受ける。1937年、第2回新制作派協会展に初入選、以後出品を重ねる(1947年に会員となる)。1939年、東京美術学校油画科を卒業する。 1939年、東京美術学校を卒業。第4回新制作派協会展に出品し、新作家賞を受賞。1941年、第6回新制作派協会展で新作家賞受賞。1951年、第2回選抜秀作美術展。以後同展の他、日本国際美術展、現代日本美術展などにも出品した。
杉本健吉(すぎもと けんきち、1905年9月20日 - 20… 杉本健吉(すぎもと けんきち、1905年9月20日 - 2004年2月10日)は、日本の洋画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー。
遠山 清(とおやま きよし、1903年〈明治36年〉11月1… 遠山 清(とおやま きよし、1903年〈明治36年〉11月15日 - 1963年〈昭和38年〉6月10日)は、日本の教育者、画家。 サンサシオン同人、広井尋常小学校教員、名古屋市立第一高等女学校教員、光風会会員、愛知県立愛知工業高等学校教員、社団法人光風美術会会員、社団法人日展会員、社団法人日展審査員などを歴任した。 愛知県名古屋市出身の洋画家である。広井尋常小学校、名古屋市立第一高等女学校、愛知県立愛知工業高等学校に教員として勤務する傍ら、光風会展、帝展、日展に出品を続け、光風賞や岡田賞を受賞している。光風会や日展の会員となり、のちに日展の審査員も務めた。 1903年(明治36年)11月15日、大日本帝国の愛知県名古屋市にて生まれた。
荻須 高徳(おぎす たかのり、仏: Takanori Ogu… 荻須 高徳(おぎす たかのり、仏: Takanori Oguiss、1901年11月30日 - 1986年10月14日)は、大正・昭和期の洋画家。愛知県中島郡井長谷村(現在の稲沢市井堀高見町)出身。新制作協会会員。愛知県稲沢市には顕彰美術館として稲沢市荻須記念美術館がある。 1901年(明治34年)11月30日、愛知県中島郡千代田村井堀(現在の稲沢市井堀町)に生まれる。父福次郎、母こうも2男2女の次男。父は代々地主を継ぎ、書画骨董を好む。1908年(明治41年)4月、千代田尋常小学校(現・稲沢市立千代田小学校)に入学、生家に近い井堀分校に通う。すでに絵を描くことに熱中する。1912年(明治45年)、5年生になって本校に通うようになるが、2キロの通学距離は生来の病身に負担が大きく欠席して家で絵を描く日が多くなる。
北脇 昇(きたわき のぼる、1901年6月4日 - 1951… 北脇 昇(きたわき のぼる、1901年6月4日 - 1951年12月18日)は、日本のシュルレアリスムの画家。 愛知県名古屋市出身。父が単身朝鮮半島に渡ったことから、1910年、母親と京都に住む叔父の広瀬満正(元貴族院議員、実業家)の元へ移る。爾来、北脇は死亡するまで京都をほとんど離れなかった。1915年、京都市立銅駝尋常小学校卒業。同年、同志社中学校に入学。1917年、同校を中途退学。 1919年2月、鹿子木孟郎の画塾に入る。1930年4月、津田青楓の画塾に入る。1932年、第19回二科展に初入選。同年9月、京都洋画協会の結成に参加。1933年10月、独立美術京都研究所が開設され、その委員となる。
谷口 成之(たにぐち しげゆき、1900年11月25日 - … 谷口 成之(たにぐち しげゆき、1900年11月25日 - 1984年)は、東海大学工学部教授などを歴任した日本の都市計画家。 愛知県尾張旭市生まれ。旧制明倫中学校から第八高等学校をへて1925年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、都市計画地方委員会の愛知地方委員会に奉職。1931年には長崎地方委員会に転任。1939年北海道地方委員会に転任。1942年には東京地方委員会に転任するが、戦時中のため仕事は護国寺の大防空壕掘削だったという。そのまま東京都発足で職員となり、戦後は戦災復興都市計画の責任者である都建設局区画整理課長や、区画整理部長を歴任していく。1950年からは都市計画担当教員として中央大学で教鞭を執る。
宮田 重雄(みやた しげお、1900年10月31日 - 19… 宮田 重雄(みやた しげお、1900年10月31日 - 1971年4月28日)は、日本の画家、医師。 愛知県名古屋市出身。重陽の節句(9月9日)に生まれたので 重雄と名付けられた。愛知県立第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)に進学後、慶應義塾大学医学部入学。上京後は勉学と並行して学内に絵画部ジュヌ・パントル[仏語で若い画家の意]を創立、1923年には第1回春陽会に出品、見事入選を果たし、医師と画家、両立の道へと進んでいく。1925年同大学卒業。1928年 - 1930年パリ・パスツール研究所に留学し、医療に従事するかわたら洋画家梅原龍三郎に師事。春陽会、国画会に所属。1934年慶應義塾大学医学博士。
兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 19… 兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 1970年9月15日)は、日本の都市計画家、土木技術者、政治家。1935年に創刊された雑誌「区画整理」の表紙を飾った標語として知られる「土地区画整理は都市計画の母」の造語を生み出した。 1899年、愛知県丹羽郡布袋町(現・江南市)の中小製紙工場の家に生まれる。 岐阜市立岐阜商業、名古屋中学校、第八高等学校を経て、1925年東京帝国大学工学部土木工学科卒。内務省に入り復興局技師となる。その後、愛知県都市計画技師に転出。1936年、三重県に移り、都市計画課長となる。巨大コンビナートを生み出す四日市市などの都市計画を立案。 1942年には東京府道路課長に、1943年には埼玉県土木課長に就任する。
伊藤 廉(いとう れん、1898年(明治31年)10月7日 … 伊藤 廉(いとう れん、1898年(明治31年)10月7日 - 1983年(昭和58年)1月24日)は、日本の洋画家。 愛知県名古屋市出身。本名読みは「きよし」。愛知一中卒業、明治大学文学部中退、東京美術学校西洋画科卒業。1927年ヨーロッパに渡りジョルジュ・ルオーに師事。帰国後、二科展で二科賞を受賞。1930年里見勝蔵らと独立美術協会を興す。1943年国画会会員。1954年東京藝術大学教授。1962年定年退官、名誉教授、愛知県立芸術大学教授。
森田 沙伊(もりた さい、1898年〈明治31年〉8月20日… 森田 沙伊(もりた さい、1898年〈明治31年〉8月20日 - 1993年〈平成5年〉10月12日)は、日本画家、日本芸術院会員。 北海道出身。本名・才一。旧制東海中学校卒。1923年東京美術学校日本画科卒、帝展、文展に出品、1939年文展特選、1940年より法隆寺壁画模写に従事。戦後は日展に出品、1958年同評議員、1959年日本芸術院賞受賞、1969年日展理事、1975年日本芸術院会員。1976年勲三等瑞宝章受章。
杉山 新樹(すぎやま しんじゅ、1898年4月23日 - 1… 杉山 新樹(すぎやま しんじゅ、1898年4月23日 - 1974年2月16日)は、日本の画家、愛知学芸大学(現・愛知教育大学)教授。教育者として西三河美術界に功績を残した。 愛知県額田郡矢作町(現・岡崎市矢作町字西河原)に生まれる。愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)在学中、留年した尾崎士郎と同級になった。1916年(大正5年)、同校卒業。 1923年(大正12年)、東京美術学校卒業。岡崎に戻り、1925年(大正14年)に近藤孝太郎、山本鍬太郎らとともに「我々の会」を作り、洋画の展覧会を開き新人の育成に努める。1944年(昭和19年)まで春台会に所属した。同年、旺元会に出品。また、岡崎市立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)や愛知県岡崎師範学校で教鞭をとった。
櫻井 清香(さくらい きよか、男性、1895年(明治28年)… 櫻井 清香(さくらい きよか、男性、1895年(明治28年)8月7日 - 1969年(昭和44年))は、日本の芸術家(画家)。愛知県名古屋市出身。源氏物語絵巻の昭和復元模写を作成したことで有名。父櫻井武愷宮之亟、母三保の二男。兄は桜井馨、弟は桜井鐐三。桜井 清香と表記する場合もある。 他多数の作品が徳川美術館に所蔵されている。 櫻井家は元々は氏を橘(橘氏の流れを汲む氏族である)と名乗っていたが、いつの頃からか櫻井に改めたとされる。氏を改めたのは櫻井作之右衛門佐武の時であると考えられる(理由は不明)。
白井 烟嵓(しらい えんがん、1894年2月8日 - 197… 白井 烟嵓(しらい えんがん、1894年2月8日 - 1976年1月19日)は、愛知県豊橋市出身の画家。 1894年(明治27年)2月8日、愛知県渥美郡花田村(現豊橋市)に白井徳平の二男として生まれた。本名は龍、字名は瀧司。従兄弟の白井永川から絵の手解きを受け、静古と号した。他に烟巌とも。1917年(大正6年)、南宗画家の松林桂月に師事し、烟嵓と号する。1920年(大正9年)第2回帝展に「幽栖」が初入選した。 1896年(明治29年)の日本南画院創設に参加し、日本南画院では理事も務めた。大正・昭和を通じて帝展、新文展、日展を中心に日本南画院展など団体展を舞台に活躍した。 1918年から1933年まで外海家と養子縁組していた時期があり、この期間は外海烟巖名義。
服部 有恒(はっとり ありつね、1890年(明治23年)10… 服部 有恒(はっとり ありつね、1890年(明治23年)10月9日 - 1957年(昭和32年)11月24日)は、大正・昭和期の日本画家。愛知県名古屋市出身。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。帝国美術学校(現武蔵野美術大学)教授。主に歴史人物画を得意とした。日展審査員。本名は謙一。
早川 孝太郎(はやかわ こうたろう、1889年(明治22年)… 早川 孝太郎(はやかわ こうたろう、1889年(明治22年)12月20日 - 1956年(昭和31年)12月23日)は、日本の民俗学者・画家。 愛知県南設楽郡長篠村(現・新城市)出身。画家を志して松岡映丘に師事、映丘の兄柳田國男を知り、民俗学者となる。愛知県奥三河の花祭と呼ばれる神楽を調査し、1930年『花祭』を刊行。農山村民俗の実地調査を行った。
河目 悌二(かわめ ていじ、1889年8月6日 - 1958… 河目 悌二(かわめ ていじ、1889年8月6日 - 1958年4月23日)は、大正・昭和期の日本の画家(童画・商業美術)。愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)出身。初山滋、岡本帰一、川上四郎、武井武雄らとともに「童画の第一世代」のひとりである。父は教育者の河目正平。 1889年(明治22年)8月6日、愛知県碧海郡刈谷町大字熊字本屋敷(旧・碧海郡熊村、現・刈谷市八幡町)に生まれた。父親の河目正平は碧海郡熊村出身であり、刈谷藩の藩校である文礼館の教員を務めていた。母親の徳丸あやは刈谷藩江戸屋敷に生まれ、10歳の時に刈谷に移住していた。悌二は次男であり、兄1人と姉2人がいる。兄の河目揆一は小高原尋常小学校(現・刈谷市立小高原小学校)などで校長を務めた教育者である。
島田 卓二(しまだ たくじ、1886年3月6日 - 1946… 島田 卓二(しまだ たくじ、1886年3月6日 - 1946年8月24日)は、日本の洋画家。黒田清輝に師事し、第6回文展入選。 宝飯郡大木村(現在の豊川市)出身。1905年、愛知県第四中学校(現在の愛知県立時習館高等学校)を卒業。その後、上京して白馬会の葵橋洋画研究所に入り、黒田清輝の書生となる。 1910年、第13回白馬会展。1912年、第6回文展に入選。1914年、第3回光風会(第5.6回も)出品。1920年、光蘭(本来は氵に蘭)社を文展・帝展入選者の岡常次、櫻井知足、川名博、宮島熊三、瀬野覚蔵、川上五郎らと7名で結成し、白木屋で第1回展を開催、数回の展覧会を経て1930年に解散。1921年、東海七州美術会第1回展覧会展を京橋の高島屋呉服店で開催。
太田 三郎(おおた さぶろう、1884年(明治17年)12月… 太田 三郎(おおた さぶろう、1884年(明治17年)12月24日 - 1969年(昭和44年)5月1日)は、愛知県出身の洋画家・挿絵画家。挿絵画家としては君島柳三の名を用いた。日本画の号は本名をもじった沙夢楼である。光風会所属。 1884年(明治17年)12月24日、愛知県西春日井郡下小田井村(現・清須市西枇杷島町)に生まれた。父の太田仙草は青物問屋を営む傍らで、日本画の土佐派を学んだ文人でもあった。 17歳の時に上京し、まずは日本画を、その後洋画を学んでいる。日本画は寺崎広業に師事した。洋画は黒田清輝に学び、さらに白馬会洋画研究所にも通っている。 1913年(大正2年)の第7回文展で「カッフェの女」が受賞した。
村瀬 義徳(むらせ ぎとく/むらせ よしのり、明治10年(1… 村瀬 義徳(むらせ ぎとく/むらせ よしのり、明治10年(1877年)3月 - 昭和13年(1938年)8月15日)は、愛知県出身の日本画家である。村瀬宜得とも記される。はじめ黒田清輝に師事して西洋画を学び、後に日本画に転じて寺崎広業に師事した。現存する作品は大正と昭和のものが多い。通称は義徳であるが、宜得を号とした。 明治10年3月、愛知県丹羽郡布袋町 に生まれた。幼い頃から絵を得意とし、東京美術学校に入学。西洋画の黒田清輝教授のもとで学ぶ。明治31年(1898年)に退学。 また、このころ日本画の寺崎広業に師事。狩野派を研究する。文部省第十一回美術展覧会にて台湾旅行した際の写生から描き起こした南画的な屏風絵『緑蔭』が入選。
川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉11月… 川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉11月24日 - 1957年〈昭和32年〉6月30日)は、明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家。本名は 川合 芳三郎(かわい よしさぶろう)。画号は当初「玉舟(ぎょくしゅう)」、間もなく「玉堂」に改め、晩年は終の棲家と同名の「偶庵(ぐあん)」を別号として用いた。長男の真一は化学者で東京教育大学名誉教授。 愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町外割田)にて、1873年(明治6年)11月24日、筆墨紙商の長男として生まれる。1881年(明治14年)、一家は岐阜市に移住する。絵には12歳頃から親しむようになったという。1886年(明治19年)、京都の画家・青木泉橋が岐阜に来住すると、夫人も翠蘋と号する美人画家で、芳三郎少年は青木夫妻の知遇を得て大いに刺激を受けたという。
牧野 義雄(まきの よしお、1870年1月26日(明治2年1… 牧野 義雄(まきの よしお、1870年1月26日(明治2年12月25日) - 1956年(昭和31年)10月18日)は、主にイギリスで活動した画家、随筆家である。ジャポニズムブームに乗り、1910年代にロンドン社交界の寵児となった。挙母藩(現:愛知県豊田市)出身。「霧の画家」と評される。 挙母藩士・牧野利幹と葛(西尾藩士・遠山内記の娘)の次男として誕生する。宣教師が設立した名古屋英和学校に学び、1890年に東京職工学校機械科を卒業した。幼い頃から水墨画を学んだ牧野は23歳の時、単身渡航でアメリカを訪れた。渡米した当初は画家か文筆家かで迷っていたが、アメリカ総領事の珍田捨巳の助言でサンフランシスコの美術学校に通った。