高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 20… 高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 2016年3月12日)は、日本の生態学者。京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授。専攻は東南アジア地域研究。 滋賀県守山市出身。京都大学理学部を経て、同大学院理学研究科修了。京都大学東南アジア研究センター助手・助教授を経て、1975年より同教授。1995年から2004年まで滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科教授。2005年より、聖泉大学総合研究所所長・教授。2013年に瑞宝中綬章受章。 2016年3月12日、滞在先のインド・チャンディーガルのホテルにて81歳で没した。
西村 惠信(にしむら えしん、1933年(昭和8年) - )… 西村 惠信(にしむら えしん、1933年(昭和8年) - )は、日本の仏教学者。臨済宗妙心寺派の僧。花園大学名誉教授。同大学元学長。文学博士。滋賀県出身。東近江市の興福寺前住職。 花園大学仏教学部卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程(宗教哲学専攻)修了。 1933年、滋賀県で生まれる。1956年に花園大学仏教学部(禅宗学)を卒業。1956年、南禅寺専門道場にて寒松軒紫山全慶老師に就いて参禅辨道 。 1960年、アメリカ・ペンシルヴェニア州ペンデルヒル宗教研究所に留学しキリスト教を研究した。1970年、京都大学大学院文学研究科博士課程(宗教哲学専攻)修了。 1970年、花園大学教授に就任、2002年に同大学の副学長を経て学長に就任。
伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年… 伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年(昭和6年)3月14日 - )は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶(浄土門主・総本山知恩院第88世門跡)。佛教大学名誉教授。 1931年、滋賀県甲賀郡(現:湖南市)石部町に生まれた。1948年に旧制滋賀県立膳所中学校卒業し、佛教大学に入学。1953年に卒業し、同志社大学大学院文学研究科に進学。民俗学、文化史学を専攻した。1955年に修士課程を修了し、文学修士号を取得。同研究科博士課程に進み、1955年に単位取得後満期退学。 1961年、佛教大学講師に就いた。1966年に文学部史学科助教授、1974年に同教授に昇格。1981年、学位請求論文『日本聖仏教史の研究:浄土教への関与を中心として』を佛教大学に提出して文学博士号を取得。
川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日… 川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日 - 2019年(令和元年)7月12日)は、日本の法学者。専門は商法・アメリカ海事法。京都大学名誉教授。大隅健一郎門下。 京都大学百年史編集委員会『【部局史編 1】第4章: 大学院法学研究科・法学部』京都大学後援会、1997年。https://hdl.handle.net/2433/152980。
井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 … 井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 - )は、日本の医学者、医学博士。京都大学名誉教授・元総長。第27代日本学士院院長。専門は内分泌代謝病学、糖尿病学。 1931年、滋賀県神崎郡八日市町(現:東近江市)生まれ。滋賀県立八日市高等学校卒業。1954年京都大学医学部医学科卒業、医学博士。米国カリフォルニア大学内科研究員、京都大学講師、神戸大学医学部教授、京都大学医学部教授、同大学医学部長を経て、1991年~1997年京都大学総長。同時に国立大学協会会長。京大総長選挙は当時、立候補も他者推薦も無しで各教官が適任と思う人物を紙に書く制度であったため予期せず突如選ばれ、研究を一時中断するほど多忙であったという。
中山 研一(なかやま けんいち、本名:乾 研一(いぬい けん… 中山 研一(なかやま けんいち、本名:乾 研一(いぬい けんいち)、1927年1月9日 - 2011年7月31日)は、日本の法学者。専門は刑法。京都大学名誉教授。 滋賀県出身。虎姫中学、旧制静岡高校を経て、1953年京都大学法学部卒業。1955年助手、助教授を経て、1968年同大教授。1982年、京都大学名誉教授、大阪市立大学法学部教授。1990年北陸大学法学部教授。1998年退職。退職後も、執筆意欲は衰えを見せなかった。滝川幸辰と佐伯千仭の弟子。 2011年7月31日、肺癌のため大津市の病院で死去。84歳没。 専門は刑法、ソビエト刑法だが、京都大学教授時代には、「暗黙の教授会申し合わせ」なるものにより、刑法学講座を担任できず、ソビエト法の講義を行っていた。
村田 昇(むらた のぼる、1926年5月5日 - 2017年… 村田 昇(むらた のぼる、1926年5月5日 - 2017年3月28日)は、日本の教育学者、滋賀大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1951年広島文理科大学教育学科卒。「シュプランガー政治教育思想の研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。滋賀大学学芸学部講師、助教授、教育学部教授。1990年定年退官、名誉教授、京都女子大学教授。滋賀オペラ協会会長、大津管弦楽団指揮者。
持田 栄一(もちだ えいいち、1925年〈大正14年〉1月5… 持田 栄一(もちだ えいいち、1925年〈大正14年〉1月5日 - 1978年〈昭和53年〉7月27日)は、日本の教育学者。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)に生まれる。滋賀県立八日市中学校を卒業後、1944年旧制大阪高等学校を卒業。海軍航空隊をへて、1948年東京大学文学部教育学科卒。宗像誠也に師事、教育行政学を専攻。国立教育研究所所員、東京大学教育学部助手、専任講師、助教授を経て1969年教授。『持田栄一著作集』全6巻がある。日教組に関係し、天皇制批判を行った[要出典]。 1978年7月27日、膵臓癌により東京国立第一病院で死去。
井門 富二夫(いかど ふじお、1924年10月2日 - 20… 井門 富二夫(いかど ふじお、1924年10月2日 - 2016年3月29日)は、日本の宗教学者。筑波大学名誉教授。桜美林大学名誉教授。元日本宗教学会会長。専攻は宗教社会学、比較文化論。 1924年、滋賀県大津市生まれ。東京大学文学部で学び、1949年に卒業論文「十八世紀における福音主義教団の展開―教団近代化の様相」を提出して卒業した。シカゴ大学大学院に留学(フルブライト奨学生)。 帰国後は文部省に勤務した。東京大学講師を経て、津田塾大学教授となる。筑波大学教授となり、哲学・思想学系地域研究科長をつとめた。筑波大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は桜美林大学初代国際学部長に就任。愛知学院大学でも客員教授をつとめた。
久木 幸男(ひさき ゆきお、1924年 - 2004年2月5… 久木 幸男(ひさき ゆきお、1924年 - 2004年2月5日)は、日本の教育学者。横浜国立大学名誉教授。北九州市立大学教授である久木尚志の父。 1924年(大正13年)、滋賀県愛知郡愛知川町(現在の愛荘町)に生まれる。旧制彦根中学校、第三高等学校を経て、1948年(昭和23年)に京都大学文学部哲学科を卒業、1950年(昭和25年)に同大学院前期課程修了。 同年、西山短期大学助教授となり、1964年(昭和39年)に教授、1966年(昭和41年)に大谷大学文学部教授、1967年(昭和42年)に横浜国立大学教育学部教授となり、1968年(昭和43年)には「古代儒教の歴史的展開」によって京都大学から教育学博士の学位を取得。
野村 実(野村 實、のむら みのる、1922年〈大正11年〉… 野村 実(野村 實、のむら みのる、1922年〈大正11年〉4月16日 - 2001年〈平成13年〉5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史学者。滋賀県出身。 専門は日本海軍史。防衛大学校教授、名古屋工業大学教授、軍事史学会会長を歴任した。学位は文学博士(慶應義塾大学)。最終階級は海軍大尉。 滋賀県彦根市生。旧制彦根中学校を経て海軍兵学校入校(第71期)。1942年(昭和17年)卒業(次席)。 空母「瑞鶴」、戦艦「武蔵」乗組、軍令部第1部付(作戦記録係)で太平洋戦争を経験、海軍兵学校教官で終戦を迎える。 終戦後は復員庁で極東国際軍事裁判海軍被告人弁護事務を担当。海軍大尉の経歴のため公職追放となる。
溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 20… 溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 2014年10月16日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1987年)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。京都大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1942年、第三高等学校 (旧制)卒業。1946年、京都帝国大学法学部卒業。1946年、京都帝国大学法学部助手(指導教授:齋藤武夫)。1952年、京都大学法学部助教授。1961年、京都大学法学部教授。1966年、京都大学評議員。1987年、法学博士(京都大学)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。1985年、京都大学停年退官、同名誉教授。1985年龍谷大学法学部教授を歴任。
護 雅夫(もり まさお、1921年〈大正10年〉3月30日 … 護 雅夫(もり まさお、1921年〈大正10年〉3月30日 - 1996年〈平成8年〉12月23日)は、日本の東洋学者・歴史学者。専攻はトルコ民族史・内陸アジア史・トルコ学。東京大学名誉教授。勲二等瑞宝章受章。日本学士院会員。 滋賀県長浜町(現長浜市)真宗大谷派一心寺 11世住職 釋雅亮・春枝の長男として生誕 。旧制 県立虎姫中学校(現:滋賀県立虎姫高等学校)から1938年第三高等学校文科甲類へ入学、「自由寮」での寮生活を始める。 1941年東京帝国大学文学部東洋史学科入学、1943年9月卒業と同時に同大大学院入学即日休学、10月に三期兵科予備学生として広島県江田島の海軍兵学校に入校、同年末まで教育・訓練をうけ、1944年より海兵教官として国史を担当する。
中川 敬一郎(なかがわ けいいちろう、1920年11月18日… 中川 敬一郎(なかがわ けいいちろう、1920年11月18日 - 2007年3月25日)は、日本の経営史学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 滋賀県犬上郡多賀町出身。信三・ひさの長男。1948年東京帝国大学経済学部卒。1951年東京大学経済学部助教授、64年教授、81年定年退官、名誉教授となり、福島大学教授、東京国際大学教授、青山学院大学経営学部教授を務め、96年退職した。86年日本学士院会員。1964年経営史学会の創設に参加し、のち会長となる。イギリス経営史を研究。日本経営史研究所理事。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
橋本 鉄男(はしもと てつお、1917年6月2日 - 199… 橋本 鉄男(はしもと てつお、1917年6月2日 - 1996年10月11日)は、滋賀県の民俗学者、地方史研究者。 滋賀県高島郡今津町(現高島市)生まれ。のち安曇川町(同)在住。1939年、関東局立旅順師範学校卒業。満洲・滋賀県で公立小・中学校の教諭、教頭、校長。滋賀県文化財保護審議会委員・副会長。 旅順師範学校在学中に柳田國男の著作に接し民俗学に開眼。戦後教職の傍ら県内での民俗調査を開始、再興直後の民間伝承の会や近畿民俗学会の会員となり成果を投稿、高島郡内の大将軍信仰の報告で柳田の激励を受ける。1959年、滋賀県臨時文化財専門員として木地屋の生活伝承の記録作成のため、「木地屋の本貫地」と称された永源寺町(現東近江市)蛭谷・君ヶ畑をはじめとして県内の木地屋伝承地の調査を実施、君ヶ畑では新たに「氏子狩帳」多数を確認した。
中山 健男(なかやま たけお、1910年(明治43年)1月7… 中山 健男(なかやま たけお、1910年(明治43年)1月7日 - 1977年(昭和52年)10月17日)は、日本の法学者(憲法学)。法学博士(京都大学・1966年)(学位論文「国家と宗教に関する研究」)。日本法政学会理事。滋賀県出身。
中田 淳一(なかた じゅんいち、1908年(明治41年)1月… 中田 淳一(なかた じゅんいち、1908年(明治41年)1月25日 - 1970年(昭和45年)2月10日)は、日本の法学者。専門は民事手続法。学位は法学博士(京都大学・論文博士・1954年)。元日本民事訴訟法学会理事長。山田正三門下。弟子に鈴木正裕、谷口安平、中務俊昌、井上正三など。
北村 四郎(きたむら しろう、1906年9月22日 - 20… 北村 四郎(きたむら しろう、1906年9月22日 - 2002年3月21日)は、日本の植物学者。キク科植物研究の第一人者とされる。京都大学名誉教授。 昭和天皇の植物学研究の相談役としても活躍し、北村の葬儀の際には、天皇明仁・皇后から白いキクの花が下賜された。 1906年に生まれる。高等学校時代にはフランス文化に関心を深めた。京都帝国大学理学部の植物学教室に進学し、小泉源一助教授に師事した。卒業論文の題目は「アザミ属の研究」であった。次いでキク科植物の分類について研究した。1945年(昭和20年)に京都大学教授に就任してからも、キク科植物分類の整理を続け、第二次世界大戦による中断を挟みながらも20年がかりでまとめた。
田中重久(たなか しげひさ、1905年7月17日 - 197… 田中重久(たなか しげひさ、1905年7月17日 - 1979年5月24日)は、日本の美術史家である。特に仏教美術に関して、多くの著作をのこしている。別名義としてたなか しげひさがある。 1905年(明治38年)7月17日、滋賀県甲賀郡水口町葛籠町に、父・豊吉郎、母・ゆりの五男として生まれる。豊吉郎は「小さい地方銀行家」であり、1928年(昭和3年)より栗太銀行の取締役をつとめた。京都市立中立小学校を経て滋賀県立膳所中学校に入学する。同校で日本史の教鞭をとっていた佐々木恒清に薫陶を受けるかたちで、14歳にして仏教美術を志すようになる。 大村西崖の東洋史の講義を受けるべく、1925年(大正14年)に東京美術学校に進学するも、彼の易簀を受けて翌年3月に中退、早稲田大学に転学する。
馬場 克三(ばば かつぞう、1905年 <明治38年> 3月… 馬場 克三(ばば かつぞう、1905年 <明治38年> 3月14日 - 1991年 <平成3年> 10月29日)は、日本の経営学者、会計学者。九州大学名誉教授。位階は従三位。 滋賀県彦根市出身。1926年彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)卒業。1931年九州帝国大学(現九州大学)法文学部経済科卒業。卒業後も同大学に残り、副手、講師、助教授を経て、1945年教授昇任。1968年に退官後は西南学院大学(1968年~1977年3月)、広島修道大学(1977年~1981年3月)等でも教鞭を執った。1966年藍綬褒章受章、1976年勲二等瑞宝章受章。1991年没。死没日付をもって従五位から従三位に進階した。
小泉 貞三(こいずみ ていぞう、1905年2月4日 - 19… 小泉 貞三(こいずみ ていぞう、1905年2月4日 - 1975年2月9日 )は、経済学者、経営学者、経済学博士。関西学院大学名誉教授・ 元関西学院大学商学部長。 交通経済学の研究において数多くの研究、業績を残し、その学問の発展に寄与された。滋賀県神崎郡生まれ。
荻田 庄五郎(おぎた しょうごろう、1903年(明治36年)… 荻田 庄五郎(おぎた しょうごろう、1903年(明治36年)5月9日 - 1983年11月2日)は、日本の英文学者、関西学院大学教授、旧制兵庫県立柏原中(現兵庫県立柏原高等学校)教諭。英国の詩人、パーシー・ビッシュ・シェリー研究の第一人者。 滋賀県彦根市生まれ。1928年、関西学院大学文学部英文学科卒業。青森県弘前市・東奥義塾を経て1930年、旧制兵庫県立柏原中(現兵庫県立柏原高等学校)の英語教諭となる。1946年、関西学院専門部教授、1969年、同商学部教授を退職し神戸海星女子学院大学英文学科教授となる。1981年同大を退職。 1928年に太田晃子と結婚後、1男5女をもうける。英国の詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーのほか、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)などの研究で知られる。
小牧 実繁(こまき さねしげ、1898年〈明治31年〉10月… 小牧 実繁(こまき さねしげ、1898年〈明治31年〉10月28日 - 1990年〈平成2年〉2月18日)は、日本の地理学者。京都帝国大学教授、滋賀大学学長等を歴任。滋賀県出身者として最初の文学博士。
馬杉 復三(ますぎ またぞう、1896年(明治29年)5月1… 馬杉 復三(ますぎ またぞう、1896年(明治29年)5月18日 - 1947年(昭和17年)9月5日)は、日本の病理学者である。旧姓は望月。 滋賀県大津市に生まれ、滋賀県立膳所中学校、第三高等学校を卒業後、東京帝国大学医学部(現在の東京大学大学院医学系研究科・医学部)医学科に入学する。同大学の教授だった緒方知三郎から病原学を学び、1921年(大正10年)に卒業した。1925年(大正15年)に研究のためにヨーロッパに留学し、帰国後の1927年(昭和2年)に千葉医科大学(現在の千葉大学医学部)にて教鞭を執った。 その後は教授としての活動の傍ら腎臓炎を発症させるために、実験動物に抗腎血清を投与させその原因としてアレルギー反応と証明される研究を行う。
野津 龍三郎(のづ りゅうざぶろう、1892年(明治25年)… 野津 龍三郎(のづ りゅうざぶろう、1892年(明治25年)2月5日 - 1957年(昭和32年)10月27日は、日本の大正から昭和期の化学者、京都帝国大学教授・甲南大学理学部長。滋賀県出身者として2人目の理学博士(博士登録番号234番)。 1892年(明治25年)2月5日、滋賀県彦根市近郊の士族野津家に生まれる。彦根第一中学校、1913年(大正2年)7月第三高等学校第二部乙類を卒業し、1916年(大正5年)京都帝国大学理科大学を卒業する。卒業後神戸の鈴木商店(現双日のルーツの一つ)に入社し化学研究所に勤務、1921年(大正10年)1月大日本木管(紡績用木管類を生産)に転職した後、同年12月京都帝国大学理学部小松茂教授の下で講師になる。
速水 和彦(はやみ かずひこ、1889年(明治22年)12月… 速水 和彦(はやみ かずひこ、1889年(明治22年)12月19日 - 1949年(昭和24年)8月12日)は日本の機械工学者。日本統治時代の台湾で総督府の技師として、台北市七星郡松山庄(中国語版)(現:信義区)に新設された新台北鉄道工場(現:台北機廠)の設計を手がけた。台湾では「北廠之父」(台北機廠の父)と呼ばれている。位階は従三位。 北海道庁釧路郡(現:北海道釧路市)で出生。8歳時に台湾総督府民政部通信課の通信技師として赴任する父の経憲と共に台北に移住。 台湾総督府国語学校(現:国立台北教育大学)の付属初等部(現:台北市立士林国民小学(中国語版))を卒業、付属中等部(台北一中を経て現:台北市立建国高級中学)に在籍中、日本に戻り滋賀県立膳所中学校(現:滋賀県立膳所高等学校)へ転校し、旧制第三高等学校(京都大学の前身)へ進学。
藪田 貞治郎(やぶた ていじろう、1888年(明治21年)1… 藪田 貞治郎(やぶた ていじろう、1888年(明治21年)12月16日 - 1977年(昭和52年)7月20日)は、日本の農芸化学者。東京帝国大学農学部教授、理化学研究所会長等を歴任する。1926年に黒沢英一が発見した植物ホルモン「ジベレリン」の構造化、単離結晶化の成功者。命名者。滋賀県出身者として最初の農学博士(博士登録番号42番)。 1888年(明治21年)12月16日、大津市に生まれる。1905年(明治38年)、滋賀県立第二中学校(現在の膳所高等学校)を卒業した。 第三高等学校を経て東京帝国大学農科大学農芸化学科に入学する。1911年(明治44年)7月同大学を卒業し、直ちに大学院に入る。農芸化学の研究に従事し、コウジ酸の化学構造を決定し1917年(大正6年)7月コウジ酸発見に係わる論文「麹菌ニヨリ生産セラルル一新有機酸(麹酸)ニ就イテ」提出により農学博士学位を授与され、直後に東京帝国大学講師となる。
橋本 忠太郎(はしもと ちゅうたろう、明治19年(1886年… 橋本 忠太郎(はしもと ちゅうたろう、明治19年(1886年)7月3日 - 昭和35年(1960年)2月5日)は、明治から昭和にかけての植物学者、教師。滋賀県女子師範学校等で教鞭をとりつつ滋賀県下の植物調査を行った。 明治19年(1886年)7月3日に滋賀県蒲生郡北比都佐村大字十禅師(現滋賀県蒲生郡日野町十禅師)にて誕生。 明治39年(1906年)滋賀県立彦根中学(現滋賀県立彦根東高等学校)、明治44年(1910年)滋賀県師範学校(現滋賀大学教育学部)二部を卒業した。その後、郷里の北比都佐小学校(現日野町立必佐小学校)の教員となり、大正10年(1921年)中学校教員試験検定に合格し翌11年(1922年)より滋賀県女子師範学校、県立大津高等女学校の教諭となった。
前田 鼎(まえだ かなえ、1886年(明治19年)4月16日… 前田 鼎(まえだ かなえ、1886年(明治19年)4月16日 - 1961年(昭和36年)7月2日)は、医学者、京都帝国大学医学部長・名誉教授。第三高等学校長も務めた。 前田鼎は、1886年(明治19年)4月16日に滋賀県高島郡大溝村(現滋賀県高島市)の前田文良の三男として生まれた。前田家は代々大溝藩殿医を務めた。滋賀県立第2中学校(滋賀県立膳所高等学校)から1907年(明治40年)第三高等学校第三部を、また1911年(明治44年)京都帝国大学医科大学を卒業した。 卒業後荒木寅三郎教授に師事し医化学教室へ入室、同年12月には助手に任ぜられ、1915年(大正4年)6月荒木教授の京都帝国大学総長就任に伴い助教授に昇任した。
中川 泉三(なかがわ せんぞう、1869年5月25日(明治2… 中川 泉三(なかがわ せんぞう、1869年5月25日(明治2年4月14日) - 1939年(昭和14年)12月27日)は、日本の歴史家。 独学で地史研究・文筆力を養い滋賀県内各郡志の編纂に携わる。 中川泉三は、1869年(明治2年)4月14日に近江国坂田郡大野木村(現滋賀県米原市大野木)で宮川藩士中川洸平次の長男として生まれた。12歳の時に父が死去し、母の手一つで育てられ、母からは常に「友に劣るな、寡婦の子とそしりを受けるな。」と叱咤激励された。小学高等科卒業後、家業の農業に従事する傍ら、独学で学問を修め母校の代用教員まで務めた。 特に漢詩文に興味を持ち小野湖山・土屋鳳州らから添削指導を受けた。
西川 貞二郎(にしかわ ていじろう、1858年5月31日(安… 西川 貞二郎(にしかわ ていじろう、1858年5月31日(安政5年4月19日)-1924年(大正15年)3月9日)は、明治期の起業家・近江商人。西川傳右衛門家の10代目、諱は昌一。カニ缶を初めて商品化、八幡銀行(後の滋賀銀行の一部)・帝国水産等を創業した。 1858年5月31日((旧暦)安政5年4月19日)、近江国野洲郡江頭村(現近江八幡市江頭町)の井狩只七の次男定次郎として誕生した。母は蒲生郡中野村(現東近江市)小泉弥右衛門の娘。1864年(元治元年)、定次郎は第9代西川傳右衛門昌武(1862年(文久9年)死去)の後継となるため西川家に入る。定次郎の祖母は第5代傳右衛門昌康の娘に当たり、定次郎の叔母は西川家分家善六家に嫁ぎ、西川家と井狩家は姻戚関係にあった。
巌谷 立太郎(いわや りゅうたろう、1857年10月2日(安… 巌谷 立太郎(いわや りゅうたろう、1857年10月2日(安政4年8月15日) - 1891年(明治24年)1月24日)は、明治期の鉱山学者、日本新聞社創立発起人。東京大学理学部教授・農商務省鉱山局技師として採鉱冶金術の改良に貢献した。滋賀県出身者で初の工学博士(博士登録番号10番)。 旧暦安政4年8月15日(1857年10月2日)、近江国水口で生まれる。巌谷家は代々水口藩典医を務め、祖父は巌谷玄通、父は明治維新後太政官一等書記・貴族院議員を務めた漢学者の巖谷一六(本名は修、明治の三筆の一人)。立太郎は長男として誕生した。 6歳より水口にて藩儒中村栗園に学び神童と称され、明治元年(1868年)京都で神山鳳陽に師事して漢学を学んだ。
相馬 永胤(そうま ながたね、1850年12月25日(嘉永3… 相馬 永胤(そうま ながたね、1850年12月25日(嘉永3年11月22日) - 1924年(大正13年)1月26日)は日本の政治家、法学者、経済学者、代言人、横浜正金銀行頭取、専修学校創立者の一人・校長、専修大学創立者・初代学長。
田部 密(たなべ ひそか、1838年2月16日(天保9年1月… 田部 密(たなべ ひそか、1838年2月16日(天保9年1月22日) - 1910年(明治43年)10月5日)は、幕末彦根藩士、明治期代の地方官僚・実業家・漢学者。 1838年2月16日((旧暦)天保9年1月22日)近江犬上郡彦根城下上藪下町の同藩足軽谷口他三郎の次男として誕生し、同じ足軽の田部全次の養子となる。両家とも8石取りと伝えられている。通称は全蔵又は先蔵と称した。藩校弘道館で学び、特に漢学を修めた。 文久・元治より慶応・明治維新の間、藩の外交掛りに属し、諸藩の志士と交わり、大東義徹・川上吉太郎・外村省吾・西村捨三・西川吉輔・大音竜太郎等と共に活動した。特に1866年(慶応2年)第二次長州征討に際して、岩国藩用人であり漢学者であった塩谷鼎助を介し秘密裏の交渉を取り持った(『吉川経幹周旋記』)。
川嶋 四郎(かわしま しろう)は、日本の法学者。専門は、民事… 川嶋 四郎(かわしま しろう)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・民事救済法。学位は、博士(法学)(九州大学・論文博士・2007年)。九州大学法学部教授等を経て、同志社大学法学部教授。日本民事訴訟法学会理事。第25・26期日本学術会議会員。 滋賀県甲賀市生まれ。膳所高等学校を経て、1982年早稲田大学法学部卒業。1984年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。1987年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学、2007年九州大学より博士(法学)の学位を取得。 1987年一橋大学法学部助手。1988年4月小樽商科大学商学部専任講師、1988年10月同助教授を経て、1991年熊本大学法学部助教授。
松井 謙二(まつい けんじ)は、日本の情報工学者・デザイン思… 松井 謙二(まつい けんじ)は、日本の情報工学者・デザイン思考工学者。大阪工業大学ロボティクス&デザイン工学部システムデザイン工学科教授。博士(工学)(大阪市立大学)。国立台北科技大学The Honorary International Chair Professor。都心型オープンイノベーション拠点Xport(クロスポート)副会長。International Conference on Distributed Computing and Artificial Intelligence(DCAI 2021)アドバイザリーボード。 主な専門は、デザイン思考工学、IoT、ディープラーニング、マルチモーダル・知能情報学など。
天羽 優子(あもう ゆうこ)は、日本の物理学者。山形大学理学… 天羽 優子(あもう ゆうこ)は、日本の物理学者。山形大学理学部准教授。医学博士、理学博士。専門は、科学物理・溶液物性、液体の動的構造を分光学的手法で調べること。ラマン散乱の研究者。疑似科学・疑似科学ビジネス批判でも知られる。Japan Skeptics会員。と学会会員。 滋賀県長浜市出身。1985年3月、滋賀県立虎姫高等学校卒業。1989年3月、千葉大学理学部物理学科卒業。1991年3月、お茶の水女子大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程修了。1995年3月、東京大学大学院医学系研究科第一基礎医学専攻博士課程修了、博士(医学)の学位を取得、学位論文「Molecular dynamics of liquids by light scattering spectroscopy(光散乱でみる液体のダイナミクス) 」。
上原 結子(うえはら ゆいこ)は、日本の画家、イラストレータ… 上原 結子(うえはら ゆいこ)は、日本の画家、イラストレーター、成安造形大学准教授。 滋賀県生まれ。成安造形大学在学中に井上直久に師事。絵本雑誌の金子みすゞ特集号の巻頭特集の挿絵を担当。
横谷哲也(よこたに てつや)は日本の理学博士。金沢工業大学教… 横谷哲也(よこたに てつや)は日本の理学博士。金沢工業大学教授。滋賀県出身。 滋賀県生まれ。近江兄弟社高等学校卒業。東京理科大学理工学部情報科学科、同大学大学院理工学研究科修士課程を経て三菱電機に入社。東京理科大学大学院理工学研究科にて理学博士を取得した。北陸先端科学技術大学院大学非常勤講師を経て 2015年に金沢工業大学教授就任。 電子情報通信学会通信ソサエティ活動功労賞(2006年・2014年)、関東地方発明表彰神奈川県知事賞(2009年)、全国発明表彰(2012年)、情報通信技術賞(2013年)、日本ITU協会功績賞他学会(2014年)など。