矢野 茂文(やの しげふみ、1930年〈昭和5年〉11月27… 矢野 茂文(やの しげふみ、1930年〈昭和5年〉11月27日 - 2021年〈令和3年〉1月22日)は、日本の政治家。位階は従四位。 鳴門市長。徳島県鳴門市出身。 1949年、徳島県立鳴門高等学校卒業。1958年、徳島県青年連合会会長に就任。1962年、日本青年館中央理事に就任。1965年、日本青年団協議会会長に就任。 1967年、鳴門市議会議員に初当選。1971年、徳島県議会議員に初当選。1987年、鳴門市長選に当選し1995年まで務める。 2021年1月22日、死去。90歳没。死没日をもって従四位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
三木 申三(みき しんぞう、1928年10月4日 - 201… 三木 申三(みき しんぞう、1928年10月4日 - 2010年10月26日)は、日本の医師、政治家。徳島県知事(3期)、徳島県議会議員(3期)を歴任した。 徳島県麻植郡山川町(現在の吉野川市山川町)出身。旧制徳島県立麻植中学校(現在の徳島県立川島高等学校)を経て、1954年に徳島医科大学(現在の徳島大学医学部)を卒業。三菱鉱業大夕張炭鉱病院で勤務医を務めた後、郷里の山川町で医院を開業した。 1967年徳島県議会議員に初当選し、以来連続3期当選した。1977年知事選に出馬するが惜敗。1981年知事選で雪辱を果たした。1981年10月9日から1993年10月4日まで3期12年間知事を務め、明石海峡大橋の工事計画や橘湾石炭火力発電所の稼働など多くの実績を残した。
渡辺 浩之(わたなべ ひろゆき、1925年(大正14年)7月… 渡辺 浩之(わたなべ ひろゆき、1925年(大正14年)7月17日 - 2003年(平成15年)10月14日)は、日本の政治家。阿南市長。徳島県阿南市見能林町出身。 那賀郡見能林村(現在の阿南市見能林町)出身。徳島県立徳島第二中学校卒業。 1951年、見能林村収入役、1953年、同村助役、1955年、富岡町土木課長、1958年、阿南市土木課長、1962年、阿南市助役に就任。1970年に阿南市長に就任し1975年まで2期に渡り務めた。 その後、阿南信用金庫理事長を務めた。
吉原 薫(よしはら かおる、1924年 <大正13年> 5月… 吉原 薫(よしはら かおる、1924年 <大正13年> 5月18日 - 1990年 <平成2年> 7月24日)は、日本の政治家。元阿南市長。自治大学校卒業。徳島県阿南市福井町出身。位階は正六位。 阿南市福井町出身。大阪市立東第二商業高等学校、自治大学校卒業。 1951年、旧見能林村役場に入り、1953年に同村収入役に就任。1955年、旧富岡町秘書室長に就任。1961年、合併により阿南市財政課長・総務課長に就任。1970年、同市助役、1974年、同市第一助役に就任。 1975年、阿南市長に初当選し1987年まで3期に渡り務めた。1990年死去。死没日付をもって正六位に叙された。
山本 潤造(やまもと じゅんぞう、1923年〈大正12年〉2… 山本 潤造(やまもと じゅんぞう、1923年〈大正12年〉2月13日 - 1994年〈平成6年〉7月29日)は、日本の政治家。徳島市長。京都帝国大学工学部卒業。徳島県徳島市出身。 1923年(大正12年)、名東郡八万村沖浜(現在の徳島市沖浜町)で生まれた。 1940年(昭和15年)、徳島県立徳島中学校を卒業。1944年(昭和19年)、第五高等学校を卒業し京都帝国大学工学部に進学、1947年(昭和22年)に卒業した。 1963年(昭和38年)4月に徳島県議会議員に当選、1971年(昭和46年)まで3期を務める。1973年(昭和48年)に徳島市長選に出馬し当選。3期に渡って市長を務める。1982年(昭和57年)、徳島県体操競技振興会の会長に就任。
湊 庄市(みなと しょういち、1922年11月1日 - 20… 湊 庄市(みなと しょういち、1922年11月1日 - 2004年1月3日)は、日本の柔道家(講道館9段)、政治家。旧姓小山。 柔道界においては全日本柔道連盟顧問や四国柔道連盟副会長、徳島県柔道連盟会長、徳島県警師範等を、また政界においては徳島県議会議員として県議会議長等を務めた。 徳島県阿波郡市場町(現・阿波市)にて、養蚕業と雑貨商を営む小山家に次男として生まれた。1935年4月に旧制阿波中学校(現・県立阿波高校)へ入学し、授業で柔道と剣道のどちらかが必修科目となっていたため、道具の安い柔道を選択したのが斯道に触れるきっかけとなった。師範の竹内秀夫より柔道を学び、ここで同級生の川添利雄(のち高知県柔道連盟会長)や西條晃正(のち徳島県議会議員)らと阿波中の黄金時代を築いたのち、1939年6月付で講道館へ入門。
森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2… 森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2014年3月11日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。
亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2… 亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2011年1月17日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(2期)、全国農業共済協会長。 徳島県三好市池田町生まれ。徳島県立池田中学校卒業。第六高等学校在学中は江尻宏一郎(元三井物産社長)と柔道部に所属した。 東京帝国大学法学部卒業後、1943年 農林省入省(馬政局嘱託)。食糧庁総務部企画課長、水産庁生産部長、林野庁林政部長、農林経済局長、大臣官房長、食糧庁長官を経て、1972年 農林事務次官に就任。退官後は大日本水産会長に就任。 1977年の第11回参議院議員通常選挙徳島県選挙区で自由民主党から出馬し、初当選。2期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で連合の乾晴美にやぶれ落選。
武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月1… 武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月17日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の政治家。徳島市長。徳島県徳島市出身。勲三等瑞宝章受章。位階は従五位。 旧制徳島県立徳島中学校、旧制第三高等学校卒業。1941年、東京帝国大学法学部卒業。大学卒業後、満州国総務庁高等官の試補となる。終戦後は徳島に戻り、徳島県庁の秘書課長や副知事などを歴任。 1967年に徳島市長に就任。2期に渡って市長を務める。就任中はポルトガルレイリアと姉妹都市の協定を結んだり、市内の下水道や排水場の整備に貢献する等の業績を残している。 また徳島県信用保証協会の会長や日本下水道協会の副会長などを歴任。
武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月1… 武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月17日 - 2005年(平成17年)7月28日)は、日本の政治家。貞光町長(3期)、衆議院議員(1期)、徳島県知事(4期)を歴任した。 1917年1月17日、徳島県美馬郡貞光町(現在の同郡つるぎ町)に生まれる。旧制池田中学校、姫路高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業。 1947年より貞光町長を三期務めた後、1963年に衆議院議員に当選、1965年には徳島県知事に当選した。1965年10月9日から1981年10月4日の16年間、徳島県知事を務めた。1981年9月27日の第10回徳島県知事選挙には現職として立候補したが新人に敗れて徳島県知事を退任した。
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2… 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2005年9月19日)は、日本の内務・警察・防衛・自治官僚、政治家。
澤田 紋(さわだ あや、1912年(明治45年)4月14日 … 澤田 紋(さわだ あや、1912年(明治45年)4月14日 - 1986年(昭和61年)7月24日)は、日本の政治家。初代阿南市長。早稲田大学法学部中退。徳島県阿南市日開野町出身。 早稲田大学法学部を中退後、旧富岡町収入役・町長を歴任。 1958年(昭和33年)5月に阿南市が発足し、初代市長に就任。1970年(昭和45年)まで12年間に渡り阿南市長を務めた。市長在任中は旧神崎製紙、阿南工業高等専門学校、徳島県立阿南工業高等学校等の誘致や各産業の振興に努めた。市長退任後は社会福祉協議会会長、四国治水期成同盟会会長、阿南信用金庫理事長等を歴任した。 1986年(昭和61年)の没日をもって阿南市名誉市民に選定される。
酒井 暊(さかい あきら、1911年(明治44年)9月29日… 酒井 暊(さかい あきら、1911年(明治44年)9月29日 - 1993年(平成5年)11月28日)は、日本の政治家。元小松島市長(4期)。徳島県小松島市出身。 1933年(昭和8年)、早稲田大学専門部商科卒業。同年に徳島県庁に就職。県庁では秘書課長・労政課長・福祉課長・建築課長・板野地方事務所長・農政課長を歴任。 1957年(昭和32年)に小松島市長に当選。1973年(昭和48年)まで4期を務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
谷 光次(たに みつじ、1907年〈明治40年〉2月2日 -… 谷 光次(たに みつじ、1907年〈明治40年〉2月2日 - 2002年〈平成14年〉11月30日)は、日本の政治家。弁護士。鳴門市長。京都帝国大学法学部法科卒業。徳島県鳴門市出身。 板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。父は撫養町長を務めた谷伊七郎。旧制山口高等学校を経て、1931年(昭和6年)に京都帝国大学法学部法科卒業。 大学卒業後、京都市と徳島市で弁護士として務め、徳島市選管委員長、徳島県出納長、徳島県弁護士会会長を経て1959年(昭和34年)に鳴門市長に初当選。その後、28年間、7期に渡り鳴門市長を務めた。1978年(昭和53年)には、西ドイツ政府からドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章が贈られた。
生田 宏一(いくた こういち、1905年(明治38年)9月8… 生田 宏一(いくた こういち、1905年(明治38年)9月8日 - 1982年(昭和57年)9月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。 徳島県名西郡石井村石井で生田和平の息子として生まれる。徳島県立徳島中学校を卒業。 1935年(昭和10年)、徳島県会議員に当選。父の後継として1953年(昭和28年)、第26回衆議院議員総選挙に徳島県全県区から立候補し初当選。以来、1963年(昭和38年)まで4期を務める。 1958年(昭和33年)に第2次岸内閣で労働政務次官、1962年(昭和37年)に第2次池田第2次改造内閣で防衛政務次官を歴任した。 1975年(昭和50年)11月の秋の叙勲で勲八等から勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。
小笠 公韶(おがさ こうしょう、1904年12月16日 - … 小笠 公韶(おがさ こうしょう、1904年12月16日 - 1985年9月13日)は、参議院議員(1期)。衆議院議員(5期)。岸派。
阿部 五郎(あべ ごろう、1904年(明治37年)3月19日… 阿部 五郎(あべ ごろう、1904年(明治37年)3月19日 - 1963年(昭和38年)1月23日)は、日本の政治家。 初代公選徳島県知事。日本社会党の衆議院議員(5期)。徳島県立商業学校卒業。徳島県徳島市出身。 徳島市出身。徳島県立商業学校(現・徳島県立徳島商業高等学校)を卒業。久原鉱業に入社するも病気により退社、九州に転じ門司港の荷役事務員、労働共済会の主事などを経て労働農民党に入党。労働運動家となる。1930年徳島に帰郷、全国農民組合徳島支部連合会顧問となる。その後独学で司法科高等試験に合格し、徳島市内で弁護士を開業した。 終戦後の1945年、日本社会党に入党。同党徳島県連会長を務め、1947年4月5日に徳島県知事に当選。
森 三樹二(もり みきじ、1903年6月24日 - 1958… 森 三樹二(もり みきじ、1903年6月24日 - 1958年12月1日)は、日本社会党衆議院議員(6期)。弁護士。中央大学評議員。中央大学講師。父は徳島県議会副議長を務めた。
近藤 尚之(こんどう ひろゆき、1902年(明治35年)12… 近藤 尚之(こんどう ひろゆき、1902年(明治35年)12月18日 - 1970年(昭和45年))は、日本の政治家。初代鳴門市長。 旧板野郡撫養町出身。1920年(大正9年)、徳島県立撫養中学校(現在の徳島県立鳴門高等学校)卒業。1927年(昭和2年)、製塩業に従事し1939年(昭和14年)に徳島県塩業組合幹事に就任。 1942年(昭和17年)、旧撫養町議会議員に当選。1947年(昭和22年)に鳴門市が誕生し初代市長に就任する。1951年(昭和26年)に退任し、その後は徳島県人事委員会委員となる。1955年(昭和30年)に再び鳴門市長に就任し1959年(昭和34年)まで務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 198… 阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 1988年3月14日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。徳島県知事を務めた。 1899(明治32)年に麻植郡鴨島町牛島に生まれる。旧制徳島中学校を卒業後、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部卒業。 在学中に高等文官試験行政科に合格し、卒業後内務省に入省。戦前においては、石川県河北郡長、大阪府警察部調停課長、兵庫県都市計画課長・学務部学務課長、鹿児島県経済部長、内務省土木局道路課長、愛知県内務部長、三重県書記官・総務部長などをつとめ、戦後は 1951年、公選第二代目の徳島県知事に就任する(在任期間1951年 - 1955年)。高度経済成長期の産業構造を見通した県政運営を行った。
西岡 喜平(にしおか きっぺい、1899年(明治32年)9月… 西岡 喜平(にしおか きっぺい、1899年(明治32年)9月8日 - 没年不明)は、日本の政治家。元小松島市長。旧制神戸育英高等学校卒業。徳島県小松島市出身。 小松島市出身。1916年(大正5年)、旧制神戸育英高等学校中退。 その後、小松島町役場に就職し、土木係技手・土木係主任・土木課長を経て1947年(昭和22年)に小松島町助役に就任。1949年(昭和24年)には小松島町長に就任。 1951年(昭和26年)に初代小松島市長に当選。1953年(昭和28年)まで2期を務めた。また小松島選挙管理委員長等を歴任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
妹尾 芳太郎(せのお よしたろう、1898年(明治31年)3… 妹尾 芳太郎(せのお よしたろう、1898年(明治31年)3月7日 - 1969年(昭和44年)1月19日)は、日本の政治家。徳島県吉野川市出身。 麻植郡山瀬町山崎(現在の吉野川市)生まれ。1917年(大正6年)、徳島県師範学校(現在の徳島大学)を卒業。 師範学校卒業後、麻植郡山崎尋常高等小学校訓導、師範学校付属小学校訓導、三好郡加茂尋常高等小学校長、徳島県視学、徳島県学務部学務課長、美馬高等女学校長を歴任。 1939年(昭和14年)に徳島市助役に就任。1947年(昭和22年)には公選により選ばれた初めての徳島市長に就任、1948年(昭和23年)まで務めた。 市長退任後は長崎県に行き、高田水産副社長などを務めた。
9代 森 六郎(もり ろくろう、1891年(明治24年)11… 9代 森 六郎(もり ろくろう、1891年(明治24年)11月29日 - 1974年(昭和49年)3月2日)は、日本の政治家。実業家。元徳島市長。徳島県小松島市出身。 勝浦郡芝生村(現在の小松島市芝生町)の仙石鹿太郎の次男として生まれる。幼名は茂之。 1913年(大正2年)に農商務省水産講習所製造科(現在の東京海洋大学)を卒業し、1914年(大正3年)に森家へ養子に入り、8代目森六郎の長女・純と結婚。1931年(昭和6年)に森六郎を襲名し家督を相続して9代目となった。 1932年(昭和7年)に日本人造藍販売株式会社の社長に就任。1942年(昭和17年)、第二次世界大戦中に徳島市長に就任。終戦直前の1945年(昭和20年)4月まで市長を務めた。
原 菊太郎(はら きくたろう、1889年(明治22年)11月… 原 菊太郎(はら きくたろう、1889年(明治22年)11月10日 - 1972年(昭和47年)5月7日)は政治家。徳島県知事、徳島市長。徳島県徳島市出身。 1889年、徳島市佐古普請町(現佐古一番町)に生まれる。旧制徳島中学校を経て盛岡高等農林学校中退、家業の木材商を営む。 1942年、徳島市会議員に当選後、1948年、徳島市長を経て、1955年、徳島県知事に就任する(三選、在任期間1955年 - 1965年)。1965年地方自治功労により勲二等瑞宝章を受章した。 知事以外にも徳島県地方木材株式会社社長、徳島市商工会議所会頭、徳島県体育協会長、徳島県美術家協会長、徳島日独会長を歴任した。1972年に没する。
伊藤 皆次郎(いとう みなじろう、1887年(明治20年)5… 伊藤 皆次郎(いとう みなじろう、1887年(明治20年)5月10日 - 1960年(昭和35年)9月24日)は、日本の政治家、実業家。徳島県鳴門市出身。 伊藤縫吉の長男として板野郡里浦村(現在の鳴門市里浦町里浦花面)で生まれる。1908年(明治41年)徳島県師範学校を卒業。長く教職に就いていたが、退職後は実業家となり、和布製造の里浦商事会社を起した。 1919年(大正8年)より里浦村長に就任し、以来、12年間務める。1927年(昭和2年)、徳島県会議員に当選。1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙で当選。 1960年(昭和35年)9月24日、74歳で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
岸野 牧夫(きしの まきお、1882年(明治15年)1月1日… 岸野 牧夫(きしの まきお、1882年(明治15年)1月1日 – 1962年(昭和37年)4月21日)は、大正から昭和期の政治家。参議院議員、徳島県会議長。 徳島県三好郡芝生村(三野村、三野町芝生を経て現三好市)で、岸野藤三郎の長男として生まれる。県立中学校を卒業した。一年志願兵として入隊し陸軍中尉に昇進し、のちに帝国在郷軍人会三好郡聯合分会長を務めた。 三好郡会議員を経て、1923年(大正12年)徳島県会議員に選出され24年間在任し、この間、参事会員、副議長を務め、1937年(昭和12年)県会議長に就任した。この間、大政翼賛会徳島県支部顧問などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に徳島県地方区から出馬して当選し(補欠、任期3年)緑風会に所属したが、公職追放となり任期途中の同年7月2日に辞職し、参議院議員に1期在任した。
松島 肇(まつしま はじめ、1881年(明治14年)5月15… 松島 肇(まつしま はじめ、1881年(明治14年)5月15日 - 1969年(昭和44年)2月7日)は、日本の政治家、実業家。徳島県阿波市出身。明治大学法学部卒業。 松島素敬の息子として板野郡土成村土成(現在の阿波市土成町土成)で生まれる。京都の中学校を卒業後、1901年(明治34年)に上京して明治大学法科に入学し、卒業後は同大学の学生部長を務めた。 1906年(明治39年)に共同火災保険会社(現在のあいおいニッセイ同和損害保険の前身)に入社し、1910年(明治43年)には早稲田大学校友会に推薦された。 昌栄貯蓄銀行、日本資金信託、第一倉庫、安全印刷、摂津煉瓦、大阪計器製作所、中央インキ、東海市場、東亜フェルト各株式会社の社長、美馬郡是製糸、カルチウム鉱泉、東亜織布、常盤商工、黒崎電機製作所、市岡電気工業、東京絹綿紡績、大阪造船所(現ダイゾー)各株式会社の取締役、東京リベット製造、日東炭鉱、日本鋼管シャフト、城南土地各株式会社の監査役などに就いた。
藤岡 直平衛(ふじおか なおべえ、1881年(明治14年)1… 藤岡 直平衛(ふじおか なおべえ、1881年(明治14年)1月2日 - 1965年(昭和40年)4月25日)は、日本の政治家。元徳島市長。徳島県東みよし町出身。号は楽山。 旧三好郡三好町足代(現在の東みよし町)生まれ。後に徳島市福島に移り住む。徳島師範学校卒業。師範学校卒業後、小学校教員・郡視学・県視学・郡長を経て徳島県学務課長・社寺兵事課長・農林課長を歴任。 1927年(昭和2年)、徳島市助役に就任。1933年(昭和8年)に徳島市長に就任、1937年(昭和12年)まで務めた。第二次世界大戦後、一時的に徳島新聞社社長に就任、徳島県選挙管理委員長を歴任した。 1965年(昭和40年)4月25日、85歳で没する。
岡 順次(おか じゅんじ、1877年〈明治10年〉4月2日 … 岡 順次(おか じゅんじ、1877年〈明治10年〉4月2日 - 1964年〈昭和39年〉10月14日)は、日本の政治家、実業家。徳島県鳴門市出身。位階は従七位。勲等は勲四等瑞宝章。 板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。公友会派に属した。1911年(明治44年)10月1日から板野郡選出の徳島県会議員を務めた。また、1915年(大正4年)10月12日から1918年(大正7年)12月25日まで第24代同副議長を、同日から1919年(大正8年)9月30日までと、同年10月14日から1920年(大正9年)5月11日まで第22・23代同議長を務めた。その他、大津村長、徳島倉庫取締役、徳島民報社取締役会長、徳島毎夕新聞社長などを務めた。
橋本 菊太郎(はしもと きくたろう、1876年(明治9年)1… 橋本 菊太郎(はしもと きくたろう、1876年(明治9年)1月7日 - 1947年(昭和22年)2月21日)は、日本の政治家。薬剤師、徳島市長。徳島県徳島市出身。 1876年、徳島市東新町の薬舗「郡茂」の分家、橋本半太郎の長男として生まれる。 小学校を卒業後、大阪市内にある田辺製薬へ勤務し、その傍ら大阪薬学校(現在の大阪大学薬学部)に入学。1890年(明治23年)、14歳の若さで薬剤師試験に合格。後に東京薬学校(現在の東京薬科大学)に進学し1894年(明治27年)7月に同校を修了する。 1904年(明治37年)、徳島市会議員に当選。その後、徳島薬業組合長・徳島市商店研究会長・徳島県薬剤師会長を歴任。
12代 三木 与吉郎(みき よきちろう、1875年(明治8年… 12代 三木 与吉郎(みき よきちろう、1875年(明治8年)11月27日 - 1938年(昭和13年)6月23日)は、日本の政治家、実業家、漢詩人。衆議院議員、貴族院議員。徳島県松茂町出身。旧名は康治。号は天遊舎愛松。 先代・三木与吉郎順治の長男として板野郡松茂町中来喜で生まれる。後に与吉郎の名を襲名し、藍商・酒造業を営む三木家の12代目となる。後に、藍商を改組して、三木商店を創業し、初代社長に就任。また、阿波製紙も創業し、初代社長を兼ねた。若年、詩を前塚芳南、中村三蕉らに学び、詩・俳句を能くした。その後、二松學舎で学んだ。さらに、衆議院議員、貴族院議員を務める傍ら京都商業学校夜間部にも通い、同校を卒業した。
中 亥歳男(なか いさお、1875年〈明治8年〉3月24日 … 中 亥歳男(なか いさお、1875年〈明治8年〉3月24日 - 1944年〈昭和19年〉8月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 徳島県美馬郡、のちの脇町(現美馬市)で生まれた。神戸市会議員、同参事会員となる。神戸商工会議所議員、副会頭、神戸真田同業組合長、日本麦稈真田同業組合連合会会長、神戸麻真田輸出組合、神戸帽子輸出組合、日本東洋パナマ帽輸出組合連合会各理事長を務めた。 1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙において兵庫1区(当時)から立憲民政党公認で立候補したが落選した。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙で初当選。以来連続3期務める。1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙で落選した。
坂本 政五郎(さかもと まさごろう、1873年(明治6年)2… 坂本 政五郎(さかもと まさごろう、1873年(明治6年)2月22日 - 1942年(昭和17年)12月18日)は、日本の政治家。徳島市長。徳島県三好市出身。 旧三好郡池田町三縄中西(現在の三好市)生まれ。 1913年(大正2年)、三縄村長に選ばれ1920年(大正9年)まで2期を務めた。その後、三好郡会議員を経て1919年(大正8年)に徳島県会議員に当選、5期連続で県会議員に当選し徳島県会議長も務めた。 1931年(昭和6年)、立憲民政党所属で徳島市長に就任し、1933年(昭和8年)まで務めた。市長退任後は又美馬水力電気会社社長となった。 1942年(昭和17年)12月18日、70歳で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
井内 歓二(いうち かんじ、1871年7月25日(明治4年6… 井内 歓二(いうち かんじ、1871年7月25日(明治4年6月8日) - 1921年(大正10年)5月21日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 阿波国名東郡西新町(現徳島県徳島市西新町)で織物卸商・井内孝七の長男として生まれる。徳島県尋常中学校を卒業後、法律学を学んだが実業界に転身。1897年11月、北海道旭川に来住し織物煙草卸売業を開業。翌年6月、味噌醤油製造業を始め、後に酒類卸売業を兼ねた。また、旭川区会議員、旭川商業会議所会頭、上川倉庫社長、旭川商事取締役、北海道銀行(旧)取締役、旭川木工取締役、東洋酒精取締役、大北火災保険取締役などを務めた。 1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で北海道第四区から出馬し当選したが、在任中に病のため死去した。
上田 兵吉(うえだ へいきち、1869年3月22日(明治2年… 上田 兵吉(うえだ へいきち、1869年3月22日(明治2年2月10日) - 1931年(昭和6年)9月6日)は、明治から昭和初期の日本陸軍軍人、政治家、華族。旧姓は杉崎。 歩兵第24旅団長、第17師団参謀長を歴任し、最終階級は陸軍少将従三位勲二等功四級男爵。義父は朝鮮駐剳軍司令官・台湾守備軍司令官を務めた上田有沢陸軍大将。 名東郡加茂村で、杉崎組蔵の三男として生まれる。徳島中学校を卒業し、陸軍幼年学校を経て、1891年(明治24年)7月20日に第2期士官候補生として陸軍士官学校を卒業し、1892年(明治25年)3月21日、歩兵少尉に任官される。同期には菅野尚一大将・森岡守成大将・鈴木孝雄大将らがいる。
平野 鍋吉(ひらの なべきち、1868年7月13日(明治元年… 平野 鍋吉(ひらの なべきち、1868年7月13日(明治元年5月24日) - 1932年(昭和7年)12月31日)は、日本の政治家、実業家。徳島県吉野川市出身。徳島県立徳島中学校卒業。 麻植郡山川町瀬詰(現在の吉野川市)で生まれる。実家は代々酒造業、藍商を営んでいる。 後に鉱山業に転じ海部郡の浅川鉱山で成功し、後に三菱鉱業に譲渡した。 徳島県会議員を経て1930年(昭和5年)に第17回衆議院議員総選挙に当選。その後、貴族院議員に立候補をしたが、病のため辞退した。 1932年(昭和7年)、65歳で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
美馬 儀一郎(みま / みうま ぎいちろう、1867年4月7… 美馬 儀一郎(みま / みうま ぎいちろう、1867年4月7日(慶応3年3月3日)- 1939年(昭和14年)8月19日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・神原、旧名・亀吉。 阿波国那賀郡富岡町(現徳島県阿南市富岡町)で、酒造業・神原五郎右衛門の二男として生まれた。少年時代は叔母の三木与吉郎家で奉公し東京支店で働いた。1885年2月、徳島佐古町918番屋敷の大地主・先代美馬儀一郎の養子となった。養父の死去により、1898年3月に家督を相続し儀一郎を襲名した。 家業の綿織物商に加えて、染織工場の設置、石炭販売業を開業するなど多角経営を計った。また、阿波染織同業組合長、阿波商業銀行頭取、徳島商業会議所会頭などを務め、徳島県立工業学校の設立、徳島高等工業学校の設備充実に尽力した。
高島 兵吉(たかしま ひょうきち、1865年8月6日〈慶応元… 高島 兵吉(たかしま ひょうきち、1865年8月6日〈慶応元年6月15日〉 - 1946年〈昭和21年〉2月20日)は、日本の政治家。徳島県鳴門市出身。 板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。後に那賀郡答島で石灰製造業を営んだ。 その後、1903年(明治36年)10月1日から1918年(大正7年)4月8日まで徳島県会議員を務めた。同日、衆議院選挙のため県会議員を辞職し、同月15日の衆議院議員補欠選挙で当選した。1936年(昭和11年)まで通算5回当選した。当初は立憲改進党に所属し、犬養毅に私淑し、行動を共にした。その後、憲政本党、立憲国民党、革新倶楽部、立憲民政党に属した。1937年(昭和12年)の第20回総選挙に当時の徳島県第2区から立候補したが、中立候補で新人の三木武夫らに敗れ落選した。
浅石 恵八(あさいし えはち、1864年3月17日(元治元年… 浅石 恵八(あさいし えはち、1864年3月17日(元治元年2月10日) - 1941年(昭和16年)2月5日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。 阿波国那賀郡坂野村(現在の徳島県小松島市)に、浅石卯太郎の長男として生まれる。坂野村会議員、坂野村長、那賀郡会議員、那賀郡参事会員、那賀郡会議長、徳島県会議員などを歴任した。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は3回を数えた。その他、阿波木炭株式会社社長を務めた。
石田 真二(いしだ しんじ、旧姓:椎野、1863年12月7日… 石田 真二(いしだ しんじ、旧姓:椎野、1863年12月7日(文久3年10月27日) - 1927年(昭和2年)9月10日)は、日本の政治家、新聞記者。徳島県徳島市出身。 椎野家の息子として名東郡上八万村(現在の徳島市上八万町)で生まれる。園坡漁夫、晴耕雨読楼主人、侃々子と号した。後に石田家を継いだ。 1881年(明治14年)、徳島県立徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)卒業。卒業後、普通新聞社(現在の徳島新聞社)の客員となった。後に名東郡会議員を経て徳島県会議員に当選した。 1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し当選したが、間もなく同年内に解散となり、第6回総選挙に再出馬したが落選した。
坂東 勘五郎(ばんどう かんごろう、1861年2月24日(万… 坂東 勘五郎(ばんどう かんごろう、1861年2月24日(万延2年1月15日) - 1918年(大正7年)3月23日)は、日本の政治家。実業家。徳島県東みよし町出身。 阿波国三好郡中庄村(現在の徳島県東みよし町)の郷士・坂東恒五郎の長男として生まれた。 徳島師範学校を卒業後、小学校教員、郡書記、県会議員、県会副議長を経て、1894年(明治27年)の第4回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し衆議院議員として初当選し、以来25年間に渡り国政に参与した。 在任中は、北海道縦貫自動車道の完成、全国の鉄道敷設に力を注いだ。また、地元である徳島県においても徳島鉄道を設立して社長に就任した。 1917年(大正7年)3月23日に急逝。
川真田 徳三郎(かわまた とくさぶろう、1860年3月5日(… 川真田 徳三郎(かわまた とくさぶろう、1860年3月5日(安政7年2月13日) - 1918年(大正7年)11月22日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。 阿波国麻植郡(ごおり)鴨島字上下島(現在の徳島県吉野川市鴨島町上下島)出身。初名は国三郎。 麻植郡会議員、徳島県会議員、所得税調査委員、徴兵参事員などを務める。阿波商業会議所会頭などを経て、1890年の第1回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以降、第2回、第7回から第13回総選挙で立憲政友会より9回当選を果たす。 また阿波国共同汽船専務、阿波藍社長、徳島鉄道社長、阿波藍同業組合組長などを歴任。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
新開 貢(しんがい みつき / しんかい みつぐ、1859年… 新開 貢(しんがい みつき / しんかい みつぐ、1859年8月27日(安政6年7月29日)- 1924年(大正13年)8月10日)は、日本の政治家。徳島県小松島市出身。 勝浦郡芝生村(現在の小松島市芝生町)で生まれる。徳島市佐古町の岡久塾で漢字を修めた。 1889年(明治22年)、勝浦郡選出の徳島県会議員となり、後に参事会員を兼ねた。1897年(明治30年)には徳島県会副議長に就任した。 1898年(明治31年)、憲政本党より衆議院議員総選挙に出馬し当選、2期を務めた。 1905年(明治38年)頃に満州に出向き、大連市で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
一坂 俊太郎(いちさか しゅんたろう、1856年8月6日(安… 一坂 俊太郎(いちさか しゅんたろう、1856年8月6日(安政3年7月6日) - 1922年(大正11年)2月4日)は、日本の政治家(衆議院議員)。徳島市長。 阿波国名東郡徳島(現徳島県徳島市)で、徳島藩士・一坂周作の長男として生まれた。新居水竹の塾で漢学を学ぶ。 1874年(明治7年)初代徳島市長である井上高格らと共に自由民権運動を訴える「自助社」を結成。しかし自助社が出版した「通諭書」は過激な言葉で日本政府を批判していた為、俊太郎らは政府に捕らわれてしまう。 この事件を裁いた玉乃世履は、公判廷での俊太郎の熱弁に魅了され、俊太郎を自分の養子にする話を持ち出したが、養子にはならなかった。 その後、京都府、内務省、逓信省で書記官などを務めた後、1907年に徳島市長に就任。
坂部 広織(さかべ ひろおり、1852年(嘉永5年8月) -… 坂部 広織(さかべ ひろおり、1852年(嘉永5年8月) - 1917年(大正6年)7月16日)は、日本の政治家。徳島市長。 徳島藩の中老である坂部功崇の息子として名東郡助任町(現在の徳島市助任本町)で生まれる。 後に名東勝浦郡役所書記を経て徳島市助役となり、初代徳島市長である井上高格の右腕として、徳島市創設当時の市政に妥配を振るった。 1890年(明治23年)に2代目となる徳島市長に就任、1896年(明治29年)まで6年間務めた。 1917年(大正6年)7月16日、66歳で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
桑村 猪平(くわむら いへい、1851年5月(嘉永4年4月)… 桑村 猪平(くわむら いへい、1851年5月(嘉永4年4月)- 1925年(大正14年)7月6日)は、日本の政治家。元徳島市長。徳島県徳島市佐古出身。 1851年(嘉永4年)、阿波国・佐古台所町(現在の徳島市佐古)に生まれた。 1876年(明治9年)、第一大区(後の名東郡)二等副戸長に就任。1878年(明治11年)に佐古村戸長兼学区取締に就任。1889年(明治22年)、徳島市収入役に就任。1890年(明治23年)、同市助役となる。1902年(明治35年)に徳島市長に就任し1906年(明治39年)まで務めた。 1925年(大正14年)7月6日、没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
湯浅 貞太郎(湯淺、ゆあさ さだたろう、1850年3月30日… 湯浅 貞太郎(湯淺、ゆあさ さだたろう、1850年3月30日(嘉永3年2月17日)- 1911年(明治44年)8月16日)は、日本の政治家。衆議院議員、徳島県勝浦郡小松島町長。 阿波国勝浦郡田野村(現徳島県小松島市田野町)で、庄屋湯浅家・4代佐平次の長男として生まれる。私塾で学び、漢学、剣術、馬術を修めた。 徳島藩主蜂須賀家の家債整理について尽力した。1870年4月(明治3年3月)勝浦郡四番里長に就任し、以後、同郡第二小区用係、学校世話係、地租改正委員総代を歴任。徳島県が高知県に属していた1879年(明治12年)1月から名東郡、勝浦郡各書記を務めた。 1882年(明治15年)に結成された立憲改進党に参加。
椎野 伝治郎(しいの でんじろう、1849年3月19日(嘉永… 椎野 伝治郎(しいの でんじろう、1849年3月19日(嘉永2年2月25日) - 1909年(明治42年)8月3日)は、日本の政治家。徳島県徳島市出身。 椎野庄左衛門の四男として名東郡八万村(現在の徳島市八万町)で生まれる。岡本塾に入り、晤室に漢学を学んだ。 その後、名東県・徳島県の役人となり、1882年(明治15年)に徳島県会議員となり、後に徳島県会議長を長く務めた。1889年(明治22年)、憲法発布に際し、徳島県民を代表して式典に参列した。 1892年(明治25年)には第2回衆議院議員総選挙に出馬し当選した。 1909年(明治42年)8月3日、61歳で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
近藤 廉平(こんどう れんぺい、1848年12月20日(嘉永… 近藤 廉平(こんどう れんぺい、1848年12月20日(嘉永元年11月25日)- 1921年(大正10年)2月9日)は、幕末から大正期の武士(徳島藩士)、実業家、政治家、華族。男爵、日清汽船社長、日本郵船会社第3代社長、貴族院男爵議員。 阿波国麻植郡(のちの鴨島町西麻植江川、現・徳島県吉野川市)の医者の家に生まれる。 1862年(文久2年)に徳島藩中老である仁尾内膳の書生となる。同年、新居水竹の小心塾にて益田永武と共に学ぶ。その後、柴秋邨の思斉塾に転学。当時出会った阿部興人とは終生の親友となる。師であった水竹が庚午事変に関係して切腹を命じられた際は、徳島市の潮見寺に遺髪を葬った。 慶應義塾、大学南校に学び、1872年(明治5年)淡路出身の星合常恕に勧められ岩崎弥太郎が経営する三菱商会に入る。
須見 千次郎(すみ せんじろう、1847年1月26日(弘化3… 須見 千次郎(すみ せんじろう、1847年1月26日(弘化3年12月10日) - 1927年(昭和2年)4月12日)は、日本の政治家。実業家。徳島県美馬市出身。 住友恵市の次男として美馬郡穴吹町舞中島(現在の美馬市穴吹町三島)で生まれる。後に麻植郡鴨島町敷地(現在の吉野川市鴨島町敷地)の素封家・須見徳平の養子となった。 その後、徳島県会議員を経て1902年(明治35年)に第7回衆議院議員総選挙に当選、1917年(大正6年)まで4回の当選を果たす。1926年(大正15年)、憲政会徳島県支部長に就任。他にも阿波紡績、徳島毎日新聞社監査役、第八十九銀行取締役会長を歴任。 1927年(昭和2年)4月12日、82歳で没する。