綾部 健太郎(あやべ けんたろう、1890年〈明治23年〉9… 綾部 健太郎(あやべ けんたろう、1890年〈明治23年〉9月6日 - 1972年〈昭和47年〉3月24日)は日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。衆議院議員(7期)、衆議院議長(第53代)、運輸大臣(第29・30代)。香川県出身(出生地および選挙区は大分県)。杵築市名誉市民。 戦前は立憲政友会に所属。1939年の政友会分裂に際しては正統派(久原房之助総裁)に与した。大政翼賛会発足による政党解消後は翼賛議員同盟、翼賛政治会、大日本政治会に所属した。 終戦後の1945年11月、旧日政会系の日本進歩党結党に参加。日政会を母胎にしたとはいえ進歩党所属議員の大半は政党解消以前は立憲民政党・政友会革新派・政友会統一派に所属しており、政友会正統派に所属していた議員で進歩党結党に参加した者は綾部以外では猪野毛利栄、西川貞一、依光好秋、高畠亀太郎、中井一夫、三善信房の6名のみである。
黒瀬 琢郎(くろせ たくろう、1890年〈明治23年〉5月5… 黒瀬 琢郎(くろせ たくろう、1890年〈明治23年〉5月5日 - 1941年〈昭和16年〉1月17日)は、香川県多額納税者、地主。 香川県丸亀市出身。黒瀬與重郎の長男。1913年、第六高等学校卒業。1917年、東京帝国大学法科大学経済学科卒業。1926年、父退隠の後を承け、家督を相続する。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。宗教は浄土宗。住所は丸亀市通町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
22代 木村 庄之助(にじゅうじだい きむら しょうのすけ、… 22代 木村 庄之助(にじゅうじだい きむら しょうのすけ、1890年〈明治23年〉3月1日 - 1994年〈平成6年〉4月23日)は、大相撲の立行司の一人。1951年9月から1959年11月にかけて木村庄之助を襲名していた。本名は泉 林八、所属:竹縄(大阪)→出羽ノ海部屋、香川県三木郡牟禮村(現:高松市)出身。通称は泉の親方。 1898年秋、尋常小学校を二年で中退して大坂相撲の竹縄部屋に入門し、1899年6月に木村金八の名で初土俵。1907年6月に木村信之助で幕下格、1909年5月十両格、木村錦太夫の名で1912年1月に幕内格となったが、1922年5月に、当時の大坂相撲が暴力団の組長によって運営され、東京相撲と比較にならないデタラメがまかり通っているのに愛想をつかし1923年5月場所限りで廃業。
大西 虎之介(おおにし とらのすけ、1890年(明治23年)… 大西 虎之介(おおにし とらのすけ、1890年(明治23年)2月9日 - 1945年(昭和20年)2月9日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 大西行礼の長男として香川県三木郡氷上村長楽寺(現三木町長楽寺)に生まれる。高松中学校(現香川県立高松高等学校)、第一高等学校を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学法学部を卒業する。1930年(昭和5年)に家督を相続した。 1924年(大正13年)高松百十四銀行取締役に就任し、同年琴平電鉄を創立し社長となる。ついで四国水力電気取締役、屋島登山鉄道社長を経て、1943年(昭和18年)企業統合により高松琴平電気鉄道社長に就任した。
松浦 伊平(まつうら いへい、1890年(明治23年)1月1… 松浦 伊平(まつうら いへい、1890年(明治23年)1月17日 - 1971年(昭和46年)3月21日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。幼名・浜吉。 香川県阿野郡青海村(綾歌郡松山村を経て現坂出市大屋冨町)出身。林田高等小学校を卒業し、家業を手伝い、土木請負業「松浦組」を設立して社長に就任。松山村議、同村長、香川県議、同副議長などを経て、1937年の第20回衆議院議員総選挙において香川2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した。1939年の政友会分裂に際しては久原房之助や鳩山一郎とともに正統派に所属した。政友会正統派内は鳩山・三土忠造・安藤正純ら鳩山系の議員が多かったが松浦は岡田忠彦・津雲国利・肥田琢司・西村茂生・東条貞らとともに久原系の議員とみなされた。
南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日… 南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。東京帝国大学の総長を務めた。位階は従二位。 無教会主義の立場から国家主義とマルクス主義を批判。サンフランシスコ講和条約をめぐっては全面講和を主張して内閣総理大臣吉田茂から「曲学阿世の徒」と罵られた。
前田 伍健(まえだ ごけん、1889年1月5日 - 1960… 前田 伍健(まえだ ごけん、1889年1月5日 - 1960年2月11日)は香川県高松市出身の川柳作家である。本名は久太郎。 父は画家の前田北水。ペンネームの由来は五剣山から始まり、五剣、五健を経て、伍健となる。 地元の旧制高松中学校(現・香川県立高松高等学校)を卒業後、愛媛県松山市に出て、現在の伊予鉄道に入社した。在勤中は東京の窪田而笑子(1867年〜1928年)の弟子となり、「媛傘」「番傘」など津々浦々の川柳雑誌の客員として活躍した。 絵は父である北水から始まり、堂本印象、近藤浩一路の指導を受けた後、村上霽月(1869年〜1946年)と出会い、川柳作家として普及活動を行った。愛媛県川柳文化連盟の初代会長となる。
錦洋 慶祐(にしきなだ けいすけ、1888年9月19日 - … 錦洋 慶祐(にしきなだ けいすけ、1888年9月19日 - 1929年6月8日)は、現在の香川県坂出市出身で井筒部屋に所属した力士。本名は野口 慶祐。174cm、112kg。最高位は東前頭11枚目。 角界入門以前には上京して砂糖屋で働いていたが、主人の紹介で井筒部屋に入門。1916年1月幕下付出で初土俵、1918年1月十両昇進、5月に十両優勝し、1919年1月に新入幕を果たした。体格にも恵まれ、上突っ張りを得意として、出足も速く、腰も良いため、早くから将来の三役と期待されていた。しかし新入幕場所の直前に腸チフスに罹り、連続休場し十両に陥落。結局幕内では1日も出場できなかった。その後、2度目の十両優勝を果たすも再入幕はならず、1922年1月廃業した。
津島 壽一(つしま じゅいち、新字体:寿一、1888年〈明治… 津島 壽一(つしま じゅいち、新字体:寿一、1888年〈明治21年〉1月1日 - 1967年〈昭和42年〉2月7日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。 第二次世界大戦後の外債処理や賠償交渉に道筋をつけたことで知られる。 愛媛県阿野郡坂出村(現・香川県坂出市)生まれ。旧制丸亀中学、旧制一高、1912年に東京帝国大学法科大学政治学科卒業。大蔵省に入省。理財局属 昭和戦前期の代表的な国際金融官僚であり、金解禁から昭和恐慌を経て高橋財政に至るまでの期間、海外駐在財務官(英、仏、米駐在)などの職にあって、一貫して第一線で実務に関わった。理財局長、大蔵次官、日本銀行副総裁、北支那開発総裁などを経て、1945年(昭和20年)2月、内閣書記官長に転じた蔵相石渡荘太郎の後任として小磯内閣の大蔵大臣に就任。
加藤 藤太郎(かとう ふじたろう、1887年10月28日 -… 加藤 藤太郎(かとう ふじたろう、1887年10月28日 - 1987年10月5日)は、日本の実業家。神崎製紙創始者。元王子製紙副社長。 香川県三野郡桑山村(現 三豊市豊中町)出身。旧制香川県立三豊中学校、東京高等商業学校(現 一橋大学)卒業。 1910年(明治43年)東京高等商業学校卒業後、王子製紙に入社。藤原銀次郎社長等の知遇を受けて、1938年(昭和13年)常務就任の後、在職37年にして、1946年(昭和21年)2月、副社長に昇任。戦後、進駐軍の指示で財閥解体になり、同年12月、副社長を10ヶ月で退任。退職金も支払われなかった。 1948年(昭和23年)藤原銀次郎から同社神崎工場の再建を託され、神崎製紙を創設、初代社長に就任。
鈴木 祥枝 (すずき さかえ、1887年(明治20年)8月6… 鈴木 祥枝 (すずき さかえ、1887年(明治20年)8月6日- 1957年(昭和32年)2月11日)は、日本の実業家、商学博士。東京海上火災保険社長を務めた。 香川県出身。1903年(明治36年)香川県立商業学校(現香川県立高松商業高等学校)卒業。1907年(明治40年)神戸高等商業学校(現神戸大学)を第一期生として卒業。1907年(明治40年)、東京海上保険(1918年に東京海上火災保険に改称)に入社。ロンドン駐在時、鈴木商店ロンドン支店長高畑誠一、台湾銀行ロンドン支配人佐々木義彦などと親交を結ぶ。鈴木商店破綻後、日本商業(日商、現在の双日の前身企業の一つ)の創立に当たり高畑に大きな援助を与えた。
長尾 優(ながお まさる、1887年(明治20年)5月22日… 長尾 優(ながお まさる、1887年(明治20年)5月22日 - 1975年(昭和50年)10月21日)は、日本の大正・昭和期における歯科医大学教授・医学博士。位階は正三位。東京医科歯科大学初代学長。香川県出身。 1887年(明治20年)5月22日、長尾優は現在の香川県丸亀市に生まれる。丸亀中学校(現・香川県立丸亀高等学校)、第一高等学校を経て1913年(大正2年)12月東京帝国大学医科大学を卒業し、病理学教室を経験した後石原久が教授を務める東京帝国大学医科大学歯科学教室に入局した。1916年(大正5年)9月にはペンシルベニア大学歯学部へ自費留学し、歯科医療技術を学び、また歯科器材の重要性に注目し機材製造会社を積極的に見学し、1918年(大正7年)5月に帰国した。
國東 照太(くにとう てるた、1887年(明治20年)1月1… 國東 照太(くにとう てるた、1887年(明治20年)1月1日 - 1972年(昭和47年)6月11日)は、日本の政治家、実業家。1938年に高松市会議員を経て、1946年から1967年までの官選1期公選5期の21年にわたり高松市長を務めた政治家であると同時に、グローバルに展開する零細企業集団「国東財閥グループ」の創始者たる実業家でもある。高松市名誉市民。 1887年(明治20年)1月1日、香川県香川郡中ノ村(後に栗林村大字中村、現・高松市中野町)に父長太郎、母ツネの長男として生まれる。両親は家の東側を流れる川で紙の手漉き製造を生業としていた。 栗林尋常小学校(現・高松市立栗林小学校)を卒業後、10歳で紫山高等小学校(高松市天神前、現・アイパル香川)へ進学。
國東照太(くにとう てるた、1887年1月1日 - 1972… 國東照太(くにとう てるた、1887年1月1日 - 1972年6月11日)は、日本の政治家、実業家。1938年に高松市市議会議員を経て、1946年から1967年までの官選1期公選5期の21年にわたり高松市長を務めた政治家であると同時に、高松市を中心とする企業集団「常磐グループ」の創始者たる実業家でもある。高松市名誉市民。
真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1… 真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1974年4月28日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。元東京理科大学学長。元日本学士院会員。元日本金属学会会長。元応用物理学会会長。文化功労者。日本学士院賞受賞。 香川県大川郡神前村(現さぬき市)生まれ。日本における応用物理学分野の権威であり、金属、木材、摩擦、衝撃、燃焼等、多方面に亘って物理現象を研究する。1965年文化功労者。主著に『応用物理学実験法』、『圧力測定法』等。
川崎舎 恒三(かわさきや つねぞう、1886年(明治19年)… 川崎舎 恒三(かわさきや つねぞう、1886年(明治19年)9月21日 - 1954年(昭和29年)9月)は、日本の実業家、技術者。 1886年(明治19年)9月21日、香川県高松市で男二人、女一人の3人兄姉の末っ子として生まれた。1899年(明治32年)4月、香川県立高松中学校(現:香川県立高松高等学校)へ入学。1904年(明治37年)、一高へ進学し、柔道部へ入って練習を積み、初段を得た。当時の一高柔道部の師範は講道館の横山作次郎であり、新井源水、山上岩次を擁して黄金時代を築いていた。一高時代には後々までの親友も得たが、中でも学生寮で同室であった勝沼精蔵(内科医、第3代名古屋大学学長)、橘本伝左衛門(京都大学農学部教授)ならびに森秀三(整形外科開業医)の3人とは終生にわたる親交が続いた。
松本 昇(まつもと のぼる、1886年(明治19年)5月27… 松本 昇(まつもと のぼる、1886年(明治19年)5月27日 – 1954年(昭和29年)6月9日)は、明治末から昭和前期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、資生堂社長。 香川県阿野郡、のちの端岡村(綾歌郡端岡村、国分寺町端岡、現高松市)で、松本彦三郎の二男として生まれた。生家は代々、香川郡、阿野郡、鵜足郡の三郡で地頭を務めた旧家。高松商業学校(現香川県立高松商業高等学校)を経て早稲田大学商科で学んだ。同大を中退して1905年(明治38年)アメリカに留学し、アスベリパーク・ハイスクールを経て、ニューヨーク市の百貨店シンプソン・クロフォード商会で昼に勤務し、夜はニューヨーク大学商科に通学して1909年(明治42年)に同大を卒業。
鈴木 清太郎(すずき せいたろう、1886年(明治19年)3… 鈴木 清太郎(すずき せいたろう、1886年(明治19年)3月10日 - 1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の物理学者。農業気象の研究者。 1886年(明治19年)3月10日、香川県生まれ。東京帝国大学を卒業し、欧米に留学。1925年(大正14年)に九州帝国大学の教授となる。1942年(昭和17年)から1957年(昭和32年)まで日本農業気象学会会長を務めた。 1961年(昭和36年)、日本気象学会岡田賞を受賞。 1962年(昭和37年)、日本農業気象学会 永年功労会員(フェロー)。 1977年(昭和52年)3月3日、死去。90歳没。
野生司 香雪(のーす こうせつ、明治18年(1885年)11… 野生司 香雪(のーす こうせつ、明治18年(1885年)11月5日 - 昭和48年(1973年)3月28日)は、日本の仏教画家、仏画家である。 「野生司」の読み方は「のーす」。香雪の残した資料等の紙の上にカタカナで「ノース」と書いてあり、本人もそれが正しいと言っていたとのこと。 香川県香川郡檀紙村(現・香川県高松市檀紙町)に僧侶の長男として生まれる。本名は述太(のぶた)。父・義問、母・シカ。その後、檀紙尋常小学校(現・高松市立檀紙小学校)、堂山高等小学校を経て、香川県工芸学校(現在の香川県立高松工芸高等学校)金属工芸科に入学。卒業後、東京美術学校(現在の東京藝術大学)予備課程の金属工芸科に入る。
斎藤 弥平太(さいとう やへいた、1885年(明治18年)9… 斎藤 弥平太(さいとう やへいた、1885年(明治18年)9月28日 - 没年不詳(1953年(昭和28年)9月28日、戦時死亡宣告))は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階および勲等は正三位・勲一等。 香川県三野郡上高野村(現 三豊市豊中町)出身。農業・斎藤浜太郎の次男として生れる。 旧制香川県立三豊中学校(第1回)を経て、1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第12連隊付となる。1914年(大正3年)11月、陸軍大学校(26期)を卒業した。 参謀本部付勤務、第18師団参謀、参謀本部員などを経て、1923年(大正12年)5月から12月まで欧州に出張した。
大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年〈明治18年〉… 大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年〈明治18年〉1月17日 - 1923年〈大正12年〉9月16日)は、日本の無政府主義者、思想家、作家、ジャーナリスト、翻訳家、社会運動家。エスペランティスト、自由恋愛主義者でもあった。 愛媛県那珂郡丸亀(現・香川県丸亀市)で生まれた。父親の大杉東(おおすぎ あずま)は愛知県海東郡越治村(現・愛知県津島市)出身の大日本帝国陸軍近衛師団の前身である常時陸軍の軍人で、代々庄屋の家系で親戚にも軍人が多数いる家庭環境だった。その後、東は東京に移って近衛少尉として勤務し、大隊長の仲介によって母・とよ(豊)と結婚した。栄は次男で、はる、きく、伸、まつゑ、勇、進、あき、あやめの兄弟姉妹がいる大家族だった。
今村 正美(いまむら まさみ / まさよし、1884年(明治… 今村 正美(いまむら まさみ / まさよし、1884年(明治17年)10月11日 - 1945年(昭和20年)2月22日)は、日本の検察官、内務・警察官僚、弁護士。官選滋賀県知事。 香川県丸亀市出身。今村信美の二男として出生。明治大学、日本大学の各法科を卒業。1905年11月、判事検事登用第1回試験に合格。1906年7月、司法官試補・和歌山区裁判所及同検事局事務修習となる。以後、大阪、岡山地方の各検事、山口県理事官、富山県警察部長、北海道庁警察部長、高知県書記官・内務部長、熊本県書記官・内務部長などを歴任。1927年5月、熊本県内務部長から滋賀県知事に就任(在任期間:昭和2年5月17日~昭和3年6月29日)。
三木 武吉(みき ぶきち、1884年(明治17年)8月15日… 三木 武吉(みき ぶきち、1884年(明治17年)8月15日 - 1956年(昭和31年)7月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。 鳩山一郎の盟友で、自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者。「ヤジ将軍」「策士」「政界の大狸」などの異名を取った。1917年に衆議院議員となり、一時疑獄事件で失脚するも復帰。1945年に鳩山一郎らと日本自由党を結成するが公職追放。1952年政界に復帰。1954年反吉田勢力をまとめて日本民主党を結成し、鳩山内閣を実現させる。さらに1955年の保守合同、自民党成立に尽力した。 寝業師型、調整型の代表的な政治家として知られる。 同姓で名前も似ている三木武夫とは縁戚関係にはない。
山下 紅畝(やました こうほ、1884年〈明治17年〉4月2… 山下 紅畝(やました こうほ、1884年〈明治17年〉4月20日 - 1977年〈昭和52年〉10月25日)は、女流日本画家。日本画会会員。多くの日本画を描き残すと共に、多くの弟子を育成することで、郷里の香川県の日本画壇に貢献した人物である。本名は山下くら、または山下久良子。旧姓は中田。 香川県那珂郡丸亀葭町(現・丸亀市葭町)で誕生した。高松高等女学校(現・香川県立高松高等学校)を卒業後、女子高等教育への進学率が0.1%という時代にあって、東京女子高等師範学校へ進学。1906年(明治39年)に同校を卒業後に、奈良女子高等師範学校で教員として勤めた。 1907年(明治40年)、東京女子高等師範学校の研究課程技芸科に入学した。
山川 章太郎(やまかわ しょうたろう、1884年(明治17年… 山川 章太郎(やまかわ しょうたろう、1884年(明治17年)2月25日 - 1941年(昭和16年)2月4日)は、内科学者。位階および勲等は正三位・勲二等瑞宝章。専門は糖質代謝、消化器。ぶどう糖、脂肪の非経口的栄養(静脈内投与)の創始者、特に脂肪乳剤ヤノールの臨床応用が重要。 長男は山川邦夫(順天堂大学医学部教授)。次男は山川民夫(東京大学名誉教授)。孫は大熊由紀子(科学ジャーナリスト)。 香川県高松市に、山川慎蔵(儒者、和算家)の長男として生まれる。祖父の山川孫水も大坂出身の儒者および和算家で、私塾を開いたのち高松藩の郷校の校長を務めている。 米国留学中、野口英世の協力を得て、血清プロテアーゼの研究を行った(追悼録)。
磯井 如真(いそい じょしん、1883年(明治16年)3月1… 磯井 如真(いそい じょしん、1883年(明治16年)3月19日 - 1964年(昭和39年)8月23日)は、日本の漆芸家。本名は雪衛(ゆきえ)、あらため雪枝。 香川県高松市出身。香川県立工芸学校(現、香川県立高松工芸高等学校)を卒業後、大阪山中商会で中国漆器の修理などに携わり、技術を習得した。1909年に高松に戻り、製法が絶えて久しかった香川漆器を独自研究を重ねて復興し、近代化を確立した。讃岐漆芸の中興の祖と称される。母校の工芸学校や工芸研究所で後進の育成にもあたっている。1936年(昭和11年)の文展(帝展の代わりに開催)に出品した「漆サボテンにホロホロ鳥飾棚」で選奨を受賞。1953年(昭和28年)には岡山大学教授に就任。
猪熊 信男(いのくま のぶお、1882年5月5日 - 196… 猪熊 信男(いのくま のぶお、1882年5月5日 - 1963年7月3日)は、明治時代から昭和時代にかけて活躍した日本の歴史学者、国文学者。 雅号は恩頼堂学人(おんらいどうがくじん)、電影子(でんえいし)、樟園(しょうえん)。 1882年(明治15年)5月5日、蜂須賀喜心(よしざね、蜂須賀重喜次男・喜翰の末裔)の三男として誕生する。 1895年(明治28年)、13歳で猪熊家の戸主・猪熊全昌の養子となる。旧制高松中学校を卒業する。 1905年(明治38年)、鹿児島県の第七高等学校を卒業し、京都帝国大学工科大学に進学して電気工学を学んだ。 1916年(大正5年)、自身が志した宸筆研究の集大成として『宸筆集』を刊行し、宸筆博士(しんぴつはかせ)の異名を得る。
太田 茂(おおた しげる、1881年(明治14年)8月5日-… 太田 茂(おおた しげる、1881年(明治14年)8月5日-1940年(昭和15年)2月26日)日本のスポーツジャーナリスト。筆名は太田四州、太田志蹴。 1881年(明治14年)8月5日に香川県に生まれる。高松中学校を卒業し、1902年(明治35年)に和仏法律学校(現在の法政大学)法律科を卒業する。 『二六新報』、『読売新聞』、『国民新聞』などに大学野球の記事を書き、1921年(大正10年)から雑誌『運動界』を主宰する。スポーツジャーナリストの草分け的人物であり、神宮球場の建設など、学生野球の発展に尽力した。1940年(昭和15年)2月26日に死去、享年60。 1972年(昭和47年)、野球の啓蒙に尽瘁し、生涯を野球批評のために貫き、文筆をもって学生スポーツの健全な発展に献身した功績により野球殿堂(特別表彰)入りする。
小倉 右一郎(おぐら ういちろう、1881年(明治14年)6… 小倉 右一郎(おぐら ういちろう、1881年(明治14年)6月9日 - 1962年(昭和37年)7月15日)は、日本の彫刻家。香川県出身。 香川県立工芸学校を経て東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科を1907年(明治40年)に卒業。 1908年(明治41年)に「指導」で文展初入選。 1913年(大正2年)に大正博覧会に「霹靂」を出品し、二等銀牌を獲得。以後、官展で次々入賞し、1916年(大正5年)の第10回文展で「闇路の人々」が特選となった。 1920年(大正9年)に渡仏。フランスにおける近代彫刻の巨匠ロダンに師事し、1921年(大正10年)に日本に帰国。その後は滝野川彫刻研究所を創立し、後進を指導した。
橋本 善吉(はしもと ぜんきち、1881年〈明治14年〉 -… 橋本 善吉(はしもと ぜんきち、1881年〈明治14年〉 - 1943年〈昭和18年〉)は、朝鮮九龍浦に居住した日本人実業家。橋本善吉商店店主。 香川県大川郡小田村(のち志度町、現・さぬき市)出身。九龍浦に移住し、妹婿植村倉太郎と共同で鮮魚運搬業を経営する。所有船は海興丸、鷹丸、千代丸、平安丸で、九龍浦を根拠地に朝鮮・関東州方面を活動舞台にする。その他大敷・巾着網漁業、イワシ加工など手広く経営する。 有志と協力して小学校創設に努力して、これを実現する。1938年7月に朝鮮慶尚北道九龍浦公立尋常高等小学校増築費金1322円を寄付したため、1939年12月に褒状を下賜される。学校組合管理者に挙げられる。
保井 コノ(やすい コノ、1880年2月16日 - 1971… 保井 コノ(やすい コノ、1880年2月16日 - 1971年3月24日)は、日本の植物学者・細胞学者。理学博士(東京帝国大学・論文博士・1927年)。日本初の女性博士号取得者。東京女子高等師範学校教授(39歳)、お茶の水女子大学教授などを経て、お茶の水女子大学名誉教授(72歳)。男女差別の著しい時代に、女性科学者として多くのことに、日本初のという形容詞が付く先駆者の道を歩み、女性科学者の道を拓いた。保井の学位取得をきっかけに、他の分野でも女性博士が出るようになる。 1880年香川県生まれ。香川県師範学校を経て女子高等師範学校を卒業、教師となる。34歳で渡米し、シカゴ大学で細胞学、ハーバード大学で石炭学を研究。
宮脇 長吉(みやわき ちょうきち、1880年2月5日 - 1… 宮脇 長吉(みやわき ちょうきち、1880年2月5日 - 1953年2月16日)は、日本の陸軍軍人、政治家、実業家。最終階級は陸軍航空兵大佐。衆議院議員。紀行作家宮脇俊三の父。軍人時代に教え子だった佐藤賢了に黙れ事件を起こされるなど戦前は自由主義者で、そして戦後は元軍人であるがゆえに政治家としては不遇な立場に置かれてしまった。 愛媛県大川郡誉水村(現・香川県東かがわ市西部の一部)の農業・宮脇清吉の四男。兄弟には田中義一内閣や幣原喜重郎内閣等で大臣を務めた政治家の三土忠造(漢学者の家柄であった三土家の養子となった)、内務官僚として埼玉県や千葉県等の知事を歴任した宮脇梅吉(埼玉県知事時代に、初めて大宮・浦和・与野の「埼玉市」を構想した)がおり、地元では優秀な兄弟として知られ、後に雑誌『少年倶楽部』の「兄弟出世クラブ」というグラビアで紹介されるほどだった。
塩田 正太郎(しおた しょうたろう、1879年〈明治12年〉… 塩田 正太郎(しおた しょうたろう、1879年〈明治12年〉6月22日 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。香川県三豊郡仁尾町長(初代)。香川県会議員。仁尾塩田(現・仁尾興産)取締役。 香川県三野郡仁尾村(現・三豊市)生まれ。塩田廣太郎の長男。1899年、慶應義塾高等科卒業。1918年、父退隠により家督を相続した。1921年1月から1924年3月まで仁尾村長をつとめた。1924年4月から1925年2月まで仁尾町長をつとめた。 仁尾塩田会社の重役で、三豊紡績会社の重役を兼ねた。また香川県参事会員であった。 1923年頃の社会不安(農民党と地主との対立)について、塩田が出てその間の調停をうまくやり、その手腕は社会から認められた。
冨家 政市(ふけ まさいち、1877年(明治10年)8月14… 冨家 政市(ふけ まさいち、1877年(明治10年)8月14日 - 1945年(昭和20年)9月28日[要出典])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。高松市長。 香川県、現在の高松市出身。香川県尋常中学校卒を経て、1898年(明治31年)11月25日、陸軍士官学校(10期)を卒業。1899年(明治32年)6月27日、陸軍工兵少尉に任官し、1924年(大正13年)2月4日に陸軍少将に至った。その間、陸軍士官学校教官、第3軍兵站電信隊長、工兵第5大隊中隊長、陸軍砲工学校教官、教育総監部工兵監部員、陸軍大学校教官、鉄道連隊附工兵第19大隊長、同第13大隊長を歴任した。少将としては対馬要塞司令官、陸軍科学研究所第1部長を務めた。
植田 平太郎(うえた へいたろう、1877年〈明治10年〉8… 植田 平太郎(うえた へいたろう、1877年〈明治10年〉8月14日 - 1949年〈昭和24年〉7月25日)は、日本の剣道家。流派は天真正伝神道流剣術、無双神伝英信流抜刀術、無双神伝抜刀術兵法。称号は大日本武徳会剣道範士、居合術教士。 昭和天覧試合3回出場。大日本武徳会香川支部、香川県警察部、高松監獄署、高松高等商業学校、高松商業学校、高松第一中学校の剣道師範を務めた。 愛媛県香川郡池西村(現香川県高松市)生まれ。父与佐衛門は天真正伝神道流剣術に堪能で、農業のかたわら自宅に道場を開いていた。平太郎は14歳から与佐衛門に天真正伝神道流剣術を学び、30歳のとき皆伝を授かった。また、16歳から叔父の酒井親時に宅間当流柔術を学んだ。
笠井 健太郎(かさい けんたろう、1877年(明治10年)2… 笠井 健太郎(かさい けんたろう、1877年(明治10年)2月8日 - 1937年(昭和11年)11月2日)は、日本の検事。裁判官。 香川県高松市出身。1904年(明治37年)、京都帝国大学法科大学法律科を卒業し、司法官試補となった。福島地方裁判所判事、熊谷区裁判所判事、東京区裁判所判事、東京地方裁判所判事代理、東京控訴院判事代理、横浜地方裁判所判事、横浜地方裁判所検事・同区裁判所検事、土浦区裁判所検事を歴任し、1920年(大正9年)に朝鮮総督府検事に転じた。京城地方法院検事、法務局刑事課長、高等法院検事、京城地方法院検事正を経て、1932年(昭和7年)に法務局長に就任した。1934年(昭和9年)から高等法院検事長を務めた。
渡辺 栄(わたなべ さかえ、1877年〈明治10年〉 - 1… 渡辺 栄(わたなべ さかえ、1877年〈明治10年〉 - 1958年〈昭和33年〉)は、日本の剣道家(直清流)。大日本武徳会剣道範士。昭和天覧試合に2回出場した。 香川県丸亀市に生まれる。1906年(明治39年)から1909年(明治42年)まで大日本武徳会本部で剣道を修行する。 1929年(昭和4年)、御大礼記念天覧武道大会指定選士の部に出場。古賀恒吉、富田長太郎、島谷八十八とリーグを戦い、1勝2敗で敗退する。 1932年(昭和7年)、大日本武徳会から剣道範士号を授与される。 1940年(昭和15年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会特選試合(模範試合)に出場し、植田平太郎との試合を披露した。
棚次 辰吉(たなつぐ たつきち、明治7年(1874年)10月… 棚次 辰吉(たなつぐ たつきち、明治7年(1874年)10月15日 - 1958年5月19日)は、日本の発明家、実業家。 東かがわ市における手袋産業の育ての親とされる人物である。東かがわ市の白鳥神社の敷地内にある手袋神社に銅像がある。 讃岐国大内郡松原村(現在の香川県東かがわ市松原)出身。明治22年に教蓮寺に奉公に出る。明治24年に大阪に行き、メリヤス商店に入り、従兄弟の両児舜礼の下で手袋などの製造販売を修得する。明治27年に独立した。明治30年にメリヤス加工のミシンを考案した。明治32年に教蓮寺内に積善商会を起こし、手袋の製造を始める。大正5年に大阪手袋工場を創業した。 その後、第一次世界大戦の特需により、東かがわ市内に手袋会社や工場が多く作られ、現在まで続く東かがわ市における手袋産業発展のきっかけになった。
小島 烏水(こじま うすい、1873年12月29日-1948… 小島 烏水(こじま うすい、1873年12月29日-1948年12月13日)は、日本の登山家、随筆家、文芸批評家、浮世絵や西洋版画の収集家・研究家。本名は小島 久太。 1873年(明治6年)香川県高松生まれ。横浜商業学校卒業。横浜正金銀行に入行。銀行は定年まで勤め、シアトル支店長などを歴任。 横浜商業学校時代に友人と雑誌『学燈』を編集するなど、早くから文筆に興味を持つ。銀行に入ってから、1896年に出した『一葉女史』により評論家として世に注目される。 また、登山家としても知られ、1897年立川から甲府の昇仙峡まで徒歩で青梅街道を歩く、1899年休暇に浅間山 - 木曽へ山旅するなど、旅を趣味とした。
小西 和(こにし かなう、1873年〈明治6年〉4月26日 … 小西 和(こにし かなう、1873年〈明治6年〉4月26日 - 1947年〈昭和22年〉11月30日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→中正会→憲政会→立憲民政党)、実業家。 名東県寒川郡長尾名村(現在の香川県さぬき市長尾名)出身。札幌農学校で植物学を専攻した。東京朝日新聞に入社して、博物方面の記事を担当し、『日本の高山植物』(二松堂、1906年)を著した。また日本海洋会の理事となり、『瀬戸内海論』(文会堂、1911年)を著した。 実業方面では、南満州製糖株式会社・亜細亜煙草株式会社・中国葉煙草株式会社・東亜拓殖興業株式会社の取締役を歴任した。 1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
日満(にちまん、1873年3月5日 - 1951年1月7日)… 日満(にちまん、1873年3月5日 - 1951年1月7日)は、大石寺第63世法主。讃岐阿闍梨。自照院。道号は慈円。秋山姓。
原岡 永江(はらおか ながえ、1873年〈明治6年〉2月18… 原岡 永江(はらおか ながえ、1873年〈明治6年〉2月18日 - 1945年〈昭和20年〉4月11日)は、日本の実業家、政治家、香川県の大地主。衆議院議員(当選1回)。族籍は香川県平民。 香川県綾歌郡富熊村(現・丸亀市綾歌町富熊)出身。素封家・原岡勇次郎の長男。農業を営む。香川県会議員、同参事会員、富熊村農業会長、宇多津塩田社長となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において香川県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員は1期務め、1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1934年に私財を投じて富熊小学校に大講堂を建築して寄贈した。1945年4月11日に死去した。
上原 平太郎(うえはら へいたろう、1872年12月20日(… 上原 平太郎(うえはら へいたろう、1872年12月20日(明治5年11月20日)- 1950年(昭和25年)10月8日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。衆議院議員。 香川県香川郡一宮村(現高松市)で上原秀次郎の長男として生まれる。1896年5月27日、陸軍士官学校(7期)を卒業し、1897年1月25日、陸軍歩兵少尉に任官。義和団の乱、日露戦争に出征。陸軍大学校(17期)で学び、1903年11月28日に卒業した。 以後、参謀本部部員、陸軍大学校教官、第4師団参謀、歩兵第62連隊長、第11師団参謀長、陸軍航空部附、航空部員などを歴任。1921年7月20日、陸軍少将に進み近衛歩兵第1旅団長に就任。
浪越 鷹太郎(なみこし たかたろう、1872年〈明治5年〉3… 浪越 鷹太郎(なみこし たかたろう、1872年〈明治5年〉3月5日 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家、香川県多額納税者。香川県三豊郡仁尾村長。南海舎密工業社長。仁尾塩田専務取締役。讃岐米肥料取締役。 香川県三野郡仁尾村(現・三豊市)、浪越家の長男。1896年、村会議員に当選する。1898年、家督を相続する。農会長としてその創設当初より多年に及び郡農会代議員、評議員等を歴任する。1907年、仁尾村長に就任する。 農業を営み、傍ら会社の重役であった。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。住所は香川県三豊郡仁尾町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
蓮井 藤吉(はすい とうきち、1872年2月26日(明治5年… 蓮井 藤吉(はすい とうきち、1872年2月26日(明治5年1月18日)- 1941年(昭和16年)7月9日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家、実業家。衆議院議員。 香川県寒川郡神前村(大川郡寒川村、寒川町を経て現さぬき市寒川町神前)で、蓮井吉平の長男として生まれた。 大川郡会議員、同郡参事会員となる。1898年(明治31年)香川県会議員に選出され、以後6期在任し県会議長、参事会員も務めた。1902年(明治35年)神前村会議員となり、6期務めた。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に香川県第四区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。 また、香川地方森林会議員、香川県水産組合長、屋島登山鉄道常務取締役、日本殖産監査役などを務めた。
山下 芳太郎(やました よしたろう、1871年12月24日(… 山下 芳太郎(やました よしたろう、1871年12月24日(明治4年11月13日) - 1923年4月7日)は、日本の実業家、言語政策研究家、外交官である。 漢字は非能率的であると考え、改良カナ文字とカナ文字タイプライターの普及をめざした。遺書も墓もカタカナで書かれている。 山下興作の長男として愛媛県に生まれた。旧制高松中学校(後の香川県立高松高等学校)、旧制松山中学校(後の愛媛県立松山東高等学校)を経て、1892年7月に東京高等商業学校(後の一橋大学)を卒業した。1917年(大正6年)2月に家督を相続している。 1893年(明治26年)12月から外務省につとめ、領事館書記生および領事事務代理としてボンベイで、副領事としてリヨンおよびロンドンで働いた。
児玉 謙次(こだま けんじ、1871年12月18日(明治4年… 児玉 謙次(こだま けんじ、1871年12月18日(明治4年11月7日) - 1954年(昭和29年)2月13日)は、日本の実業家。 香川県高松市生まれ。高等商業学校附属外国語学校(のちの東京外国語学校)を経て、1892年高等商業学校(一橋大学の前身)卒。 会計検査院に勤務し、1893年横浜正金銀行(のちの東京銀行)入行。1922年同頭取。大蔵省顧問、中支那振興株式会社総裁、貴族院議員(1939年8月28日任命)などを歴任。1945年終戦連絡事務局総裁。1946年5月14日、貴族院議員を辞職した。 1954年2月13日歿。行年84歳。墓所は染井霊園1-イ-4-7。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
三土 忠造(みつち ちゅうぞう、1871年8月11日〈明治4… 三土 忠造(みつち ちゅうぞう、1871年8月11日〈明治4年6月25日〉- 1948年〈昭和23年〉4月1日)は、明治から昭和にかけての日本の政治家。 讃岐国大内郡水主村(現在の東かがわ市)出身。 長年立憲政友会の衆議院議員として党内にて重きをなし、内閣書記官長を振り出しに文部大臣・大蔵大臣・逓信大臣・鉄道大臣・枢密顧問官・内務大臣(一時運輸大臣も兼務)を歴任した戦前政界の重鎮である。 讃岐国に中農階層の宮脇清吉の二男として生まれ、三土幸太郎(雅号は梅堂)の婿養子となる。三土家は地主階層に属し、経済的に余裕があったため、代々学問に励み、在郷の漢学者として知られる家柄であった。香川県尋常師範学校卒業後、一旦は小学校教員となるが、上京して東京高等師範学校に入り1897年(明治30年)に首席卒業を果たす。
松家 徳二(まつか とくじ、1871年4月20日(明治4年3… 松家 徳二(まつか とくじ、1871年4月20日(明治4年3月1日)- 1929年(昭和4年)11月14日)は、明治から大正期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 讃岐国寒川郡、後の香川県大川郡富田村(大川村、大川町を経て現さぬき市)で、農業・大庄屋、松家茂太郎の二男として生まれる。郷校で学んだ後、山川塾で漢学を修め、大阪に遊学した。1894年(明治27年)家督を相続した。 1898年(明治31年)香川県会議員に選出された。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙に香川県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選。以後、第11回総選挙まで当選し、衆議院議員を連続5期務めた。
小林 萬吾(こばやし まんご、1870年5月31日(明治3年… 小林 萬吾(こばやし まんご、1870年5月31日(明治3年5月2日) - 1947年(昭和22年)12月6日)は、日本の洋画家。アナウンサーの小林完吾(南日本放送→日本テレビ→フリー)は孫。 作品は、外光表現を取り入れた明るい色彩で、穏健な画風の日本洋画の正統派といえる。主題は日本的情趣のある風俗や風景が中心となっている。 庄屋の長男として讃岐国三野郡詫間村(現・香川県三豊市)に生まれる。漢学を修めた後、松山の官立中学に入学、はじめは安藤仲太郎、原田直次郎に師事し。1889年(明治22年)に内国勧業博覧会に「芝東照宮図」が入選。1895年(明治28年)、黒田清輝主宰の天真道場に入門する。1898年(明治31年)、東京美術学校西洋画科選科修了。