斎藤 元彦(さいとう もとひこ、1977年〈昭和52年〉11… 斎藤 元彦(さいとう もとひこ、1977年〈昭和52年〉11月15日 - )は、日本の政治家、元総務官僚。第53・54代兵庫県知事。本名は齋藤 元彦(読み同じ)。 元彦という名前は、元兵庫県知事で斎藤の親族の仲人を務めたこともある金井元彦にあやかり、祖父が命名した。 愛光中学校・高等学校を経て、2002年(平成14年)に東京大学経済学部卒業、総務省へ入る。同年10月、三重県に出向。2003年(平成15年)9月、同省に戻り大臣官房総務課、2005年(平成17年)4月、同自治財政局公営企業課地域企業経営企画室、2006年(平成18年)4月、内閣官房副長官補付(内政)。 2008年(平成20年)4月、新潟県佐渡市に出向し、企画財政部長。
新田 一郎(にった いちろう、1971年8月14日 - )は… 新田 一郎(にった いちろう、1971年8月14日 - )は日本の自治・総務官僚。総務省大臣官房審議官(地方行政、個人番号制度、地方公務員制度、選挙担当)を経て、2025年7月より、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付、内閣官房沖縄連絡室室員、内閣官房ギャンブル等依存症対策推進本部事務局審議官)。 愛媛県八幡浜市出身。桐蔭学園高校を経て、東京大学法学部卒業。1994年 自治省入省(行政局公務員部給与課)。 1999年7月 池田市政策推進部長。2001年4月 総務省大臣官房管理室公益法人行政推進室参事官補。2002年10月 総務省大臣官房秘書課秘書専門官(大臣政務官秘書官)。 2010年4月 総務省自治行政局行政課理事官。
長橋 和久(ながはし かずひさ、1966年〈昭和41年〉3月… 長橋 和久(ながはし かずひさ、1966年〈昭和41年〉3月23日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。 愛媛県出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、京都大学農学部農林経済学科を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(経済)に合格し、1989年4月に建設省入省。 2020年7月21日、国土交通省大臣官房総括審議官に就任。 2021年7月15日、国土交通省不動産・建設経済局長に就任。 2023年7月4日、国土交通省総合政策局長に就任。 2024年4月1日、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)兼復旧・復興支援総括官に就任。復旧・復興支援総括官は、同年1月の能登半島地震への対応で内閣官房に新設されたポストである。
桜内 文城(さくらうち ふみき、旧姓谷岡、1965年10月2… 桜内 文城(さくらうち ふみき、旧姓谷岡、1965年10月21日 - )は、日本の政治家、会計学者、元財務官僚。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、日本維新の会国会議員団政策調査会長、次世代の党政策調査会長などを歴任した。 愛媛県北宇和郡吉田町(現在の宇和島市)出身。本籍は愛媛県南宇和郡一本松町(現在の愛南町)。宇和島市立明倫小学校、宇和島市立城東中学校、愛媛県立宇和島東高校卒。 1988年3月、東京大学法学部卒業。同4月、大蔵省(現在の財務省)に入省。大学、大蔵省の同期に古川元久がいる。大臣官房秘書課に配属。 主税局係長、加治木税務署長、在マレーシア日本大使館一等書記官、国際金融局、理財局、大臣官房文書課企画調整室課長補佐(企画調整)等。
二宮 清治(にのみや せいじ、1965年〈昭和40年〉1月1… 二宮 清治(にのみや せいじ、1965年〈昭和40年〉1月11日 - )は、日本の郵政・総務・デジタル官僚。 愛媛県八幡浜市出身。愛媛県立八幡浜高等学校を経て、1988年(昭和63年)、東京大学経済学部を卒業。同年、郵政省に入省。 入省後、研修を経て郵政事業部門に配属され、簡易保険局資金運用第二課や同局企画課において、簡易保険の資金運用を担当し、簡保資金による外債の運用や資金運用制度の改善に携わった。その後、アメリカのイェール大学へ留学。国際開発経済学を学び、修士号を取得した。 帰国後、郵政省大臣官房国際部国際経済室北米経済係長、同室課長補佐、総合通信基盤局電気通信事業部事業政策課課長補佐、情報通信研究機構ワシントン事務所長、総合通信基盤局国際部国際経済室長、同局電気通信業部消費者行政課長、同部料金サービス課長、内閣官房副長官補室参事官、内閣官房情報通信技術総合戦略室次長、総務省大臣官房会計課長、同サイバーセキュリティ・情報化審議官、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣官房情報通信技術総合戦略室室長代理(副政府CIO)、総務省大臣官房審議官(国際技術、サイバーセ キュリティ担当)、内閣官房デジタル市場競争本部事務局次長などを歴任。
大西 証史(おおにし しょうじ、1964年〈昭和39年〉2月… 大西 証史(おおにし しょうじ、1964年〈昭和39年〉2月18日 - )は、日本の厚生・厚生労働官僚。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山東高等学校を経て、1988年(昭和63年)3月、東京大学法学部を卒業。同年4月、厚生省に入省し、厚生省大臣官房人事課に配属。 厚生労働省大臣官房総務課企画官、同人事課秘書官事務取扱、医薬食品局監視指導・麻薬対策課麻薬対策企画官、同監視指導室長、保険局総務課医療費適正化対策推進室長、厚生労働省大臣官房総務課広報室長、社会・援護局保護課長、健康局総務課長、厚生労働省大臣官房総務課長などを歴任。途中北見市や外務省などに出向し、北見市企画部主幹、環境庁企画調整局環境影響評価課課長補佐、在英国日本国大使館一等書記官、内閣官房内閣参事官を務めた。
田中 誠二(たなか せいじ、1964年〈昭和39年〉1月19… 田中 誠二(たなか せいじ、1964年〈昭和39年〉1月19日 - )は、日本の労働・厚生労働官僚。 愛媛県新居浜市出身。愛媛県立新居浜西高等学校を経て、1987年(昭和62年)3月、京都大学法学部を卒業。 1986年(昭和61年)10月に国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格。翌年4月、労働省に入省し、労働基準局監督課に配属。 職業安定局雇用政策課課長補佐、職業能力開発局総務課課長補佐、厚生労働省政策統括官付労政担当参事官室調査官、労働基準局総務課労働保険審査会事務室長、労働基準局労災補償部補償課長、労働基準局労働条件政策課長、職業安定局雇用保険課長、 厚生労働省大臣官房参事官(人事担当)、厚生労働省大臣官房人事課長などを歴任。
大西靖(おおにし やすし、1961年10月17日 - )は、… 大西靖(おおにし やすし、1961年10月17日 - )は、日本の財務官僚。中国財務局長、神戸税関長などを務めた。 愛媛県松前町出身、愛媛県立松山東高等学校を経て、1985年に東京大学経済学部を卒業。同年大蔵省入省(証券局総務課)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院留学。1991年7月10日 大牟田税務署長。1993年 世界銀行出向、2011年7月 東京税関総務部長。2012年8月1日 財務総合政策研究所研究部長兼財務総合政策研究所総務室。2013年6月 大臣官房付派遣職員(米州開発銀行)。2016年6月16日 株式会社日本政策金融公庫取締役。2018年6月22日 大臣官房付。同年7月27日:中国財務局長兼財務総合政策研究所中国研修支所長。
佐伯 修司(さいき しゅうじ、1961年〈昭和36年〉9月2… 佐伯 修司(さいき しゅうじ、1961年〈昭和36年〉9月22日 - )は、日本の総理府・総務官僚。独立行政法人統計センター理事長。 愛媛県周桑郡丹原町(現・西条市)出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、1986年(昭和61年)、東京大学法学部を卒業。同年4月、総理府に入庁。 入庁後、統計行政に携わり、内閣官房行政改革推進室参事官、公益認定等委員会事務局参事官、行政改革推進本部事務局参事官、同事務局総務課長、行政評価局政策評価官、内閣府地域主権戦略室参事官、統計局総務課長、総務省大臣官房秘書課長、同審議官(大臣官房調整部門、行政管理局担当)、同(大臣官房調整部門、行政管理局、統計局担当)、同(大臣官房調整部門、統計局、統計情報戦略推進担当)、統計局統計調査部長などを歴任。
岡本 薫明(おかもと しげあき、1961年2月20日 - )… 岡本 薫明(おかもと しげあき、1961年2月20日 - )は、日本の元財務官僚。第15代財務事務次官。日本たばこ産業(JT)取締役会長。トヨタ自動車取締役。 愛媛県新居浜市出身。1979年 愛光高等学校卒業。同級生に谷脇康彦総務審議官や安永竜夫三井物産社長がいる。1983年 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業、旧大蔵省(現財務省)入省。1991年 近藤内閣官房副長官秘書官。1993年、内閣不信任決議に伴う衆議院解散後、大蔵省に復帰し主計局農林水産係主査に就任。米政策を担当し、食糧管理法廃止や伴う主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律制定について、農林水産省の大村秀章らと検討を進めた。1995年には阪神・淡路大震災に対応。
瀧本 徹(たきもと とおる、1960年11月 - 2017年… 瀧本 徹(たきもと とおる、1960年11月 - 2017年11月7日)は、日本の経済産業官僚。茨城県商工労働部長や、経済産業省九州経済産業局長を経て、観光庁観光地域振興部長を務めた。 愛媛県松山市出身。愛光高等学校を経て、一橋大学経済学部卒業。1983年通商産業省入省、大臣官房企画室。1990年外務省在ポーランド日本国大使館一等書記官。1996年通商産業省通商政策局国際経済部公正貿易推進室長。 1998年通商産業省生活産業局繊維課通商室長。1999年資源エネルギー庁石油部液化石油ガス産業室長。2001年茨城県商工労働部次長。 2002年から茨城県商工労働部長や、茨城県労働者信用基金協会理事長を務め、つくば市内のスタートアップ支援などに携わっていたため、橋本昌知事の反対を押し切り、藤澤順一つくば市長が、県の部長より「格下」とされる、つくば市の副市長に任用する人事案をつくば市議会に提示したが否決された。
谷脇 康彦(たにわき やすひこ、1960年〈昭和35年〉9月… 谷脇 康彦(たにわき やすひこ、1960年〈昭和35年〉9月11日 - )は、日本の郵政・総務官僚。 内閣サイバーセキュリティセンター副センター長、総務省総合通信基盤局長、総務審議官(郵政・通信担当)を歴任した。慶應義塾大学特別招聘教授、東京大学客員教授、国立情報学研究所客員教授も兼任した。NTT及び東北新社役職員による総務省幹部接待問題を受け、2021年3月、依願退職。現在、インターネットイニシアティブ代表取締役社長。 愛媛県松山市生まれ。愛光高等学校を経て、1984年、一橋大学経済学部卒業。大学卒業後、郵政省入省。入省同期に元内閣広報官の山田真貴子、元内閣官房内閣審議官兼内閣官房郵政民営化推進室長の武田博之、慶應義塾大学教授の中村伊知哉、株式会社かんぽ生命保険代表執行役社長の千田哲也などがいる。
田和 宏(たわ ひろし、1959年〈昭和34年〉10月2日 … 田和 宏(たわ ひろし、1959年〈昭和34年〉10月2日 - )は、日本の経済企画・内閣府官僚。 愛媛県松山市出身。愛光高等学校を経て、1984年(昭和59年)、東京大学経済学部を卒業し、経済企画庁へ入庁。 内閣府政策統括官(経済財政 - 経済社会システム担当)付参事官、経済社会総合研究所上席主任研究官、内閣府政策統括官(経済財政 - 景気判断・政策分析担当)付参事官、内閣府政策統括官(経済社会システム担当)付参事官、内閣府大臣官房企画調整課長、内閣官房長官秘書官(事務担当)、内閣官房内閣参事官、内閣府大臣官房参事官、同人事課長、経済社会総合研究所総括政策研究官などを歴任し、経済財政諮問会議の運営等に携わった。
樋口 建史(ひぐち たてし、1953年(昭和28年)4月11… 樋口 建史(ひぐち たてし、1953年(昭和28年)4月11日 - )は、日本の警察官僚。第89代警視総監を経て、駐ミャンマー特命全権大使を務めた。
加藤 利男(かとう としお、1952年4月20日 - )は、… 加藤 利男(かとう としお、1952年4月20日 - )は、日本の官僚。内閣府政策統括官や、国土交通省都市局長、内閣官房地域活性化統合事務局長を経て退官後、住宅金融支援機構理事長、東京都都市計画審議会会長などを務めた。 愛媛県新居浜市出身。愛媛県立新居浜西高等学校を経て、1976年に一橋大学商学部を卒業し、建設省(のち国土交通省)入省。都市局、住宅局、建設経済局などで勤務し、都市計画に詳しい。2001年内閣府大臣官房会計課長に就任。外務省の松尾克俊室長が外務省報償費から5400万円余を横領し、競走馬の購入などにあてていたとして、警視庁捜査二課に被害届を出し、外務省機密費流用事件として立件された。
二宮 茂明(にのみや しげあき、1951年2月18日 - )… 二宮 茂明(にのみや しげあき、1951年2月18日 - ) は、日本の大蔵省・財務省に勤務した官僚。愛媛県出身。 愛光高等学校を経て、1973年に京都大学経済学部を卒業した。 卒業と同年4月に大蔵省に入り、1990年に東京国税局査察部長、1992年に国税庁課税部酒税課長など、税務関連の役職を歴任した。1995年6月から銀行局保険部保険第一課長、1997年には北陸財務局長を務めた後、1998年に日本たばこ産業に出向する。 2000年に大蔵省大臣官房参事官兼内閣審議官(内政審議室)として復帰。以後財務省への省庁再編後は2001年から関東財務局長を務めた。 2002年7月に国民生活金融公庫の理事に転じる。
玉井 日出夫(たまい ひでお、1948年9月5日 - )は、… 玉井 日出夫(たまい ひでお、1948年9月5日 - )は、日本の文部官僚。文部科学審議官(文教担当)、文化庁長官を歴任。愛媛県美術館名誉館長、玉川大学客員教授。 愛媛県松山市出身。広島国泰寺高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業の後、同第1類(私法コース)に学士入学。1974年(昭和49年)に旧文部省に入省(初等中等教育局中学校教育課)。総括審議官や大臣官房長を歴任したのち、2007年(平成19年)から文部科学審議官(文教担当)。2009年(平成21年)7月より19代目の文化庁長官に在任し、2010年に退官。2011年に学校法人北海学園特任教授。2012年から玉川大学芸術学部客員教授(文化政策などを担当)。
稲川泰弘(いながわ やすひろ、1944年1月1日 - )は日… 稲川泰弘(いながわ やすひろ、1944年1月1日 - )は日本の通産官僚。資源エネルギー庁長官、IHI副会長、同社会長などを務めた。 愛媛県松山市生まれ。愛媛県立松山東高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。 1967年 通商産業省に入省。工業技術院総務部総務課に配属。 1990年6月29日 立地公害局総務課長。1991年6月14日 産業政策局総務課長。1992年6月23日 資源エネルギー庁石炭部長。1993年6月25日 大臣官房審議官(産業政策担当)。1994年7月1日 国土庁長官官房審議官(長官官房担当)。1995年1月20日 国土庁長官官房審議官(長官官房担当)兼防災局付。 同年6月21日 関東通商産業局長。
渡辺 修(わたなべ おさむ、1940年12月6日 - )は、… 渡辺 修(わたなべ おさむ、1940年12月6日 - )は、日本の官僚。元通商産業事務次官。元日本貿易振興機構理事長。2024年まで石油資源開発会長(2007年6月25日付で同社副社長、2008年6月25日付で社長。同時に棚橋祐治社長が会長に)。2016年から2020年まで石油鉱業連盟会長を務めた。ニックネームはナベシュウ。 愛媛県新居浜市出身。香川県立高松高等学校から東京大学法学部第2類(公法コース)を経て、1964年に通商産業省入省。同期には細川恒(通商産業審議官)、熊谷弘、中田哲雄、大角恒生(人事院公平局長)、横田捷宏、山口務(九州通産局長、地域振興整備公団副総裁)、高津義典(四国通産局長、香川大学工学部教授)などがいる。
服藤収(はらふじ おさむ、1939年8月8日 - )は日本の… 服藤収(はらふじ おさむ、1939年8月8日 - )は日本の大蔵官僚。総務庁人事局次長などを務めた。 愛媛県越智郡出身(両親も愛媛県)。愛媛県立今治西高等学校、京都大学経済学部経済学科卒業。1962年 大蔵省入省(主計局総務課)。この見習い時代に「日本経済の計量経済モデル」を作成した。1968年7月10日 高田税務署長。 東京国税局直税部次長、国税庁長官官房総務課長補佐、大臣官房企画官兼国税庁長官官房総務課、大臣官房企画官兼大臣官房調査企画課財政金融研究室総括主任研究官などを務めた後、1981年7月 北海道開発庁予算課長。1983年6月 経済企画庁調整局財政金融課長。1985年6月 経済企画庁総合計画局計画課長。
津野 修(つの おさむ、1938年〈昭和13年〉10月20日… 津野 修(つの おさむ、1938年〈昭和13年〉10月20日 - )は、日本の大蔵官僚、弁護士。勲等は旭日大綬章。第一東京弁護士会所属。 大蔵省主税局税制第三課課長、内閣法制局総務主幹、内閣法制局第三部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、最高裁判所判事などを歴任した。 愛媛県出身の大蔵官僚である。大蔵省においては、主税局の税制第三課長を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第三部や第一部にてそれぞれ部長を務めるなど、要職を歴任した。1996年には内閣法制次長に就任した。1999年には大森政輔の後任として内閣法制局長官に就任し、小渕第1次改造内閣から第1次小泉内閣にかけて同職を務めた。
塩崎 潤(しおざき じゅん、1917年5月31日 - 201… 塩崎 潤(しおざき じゅん、1917年5月31日 - 2011年5月27日)は、日本の政治家(衆議院議員)、大蔵官僚、翻訳家。位階は正三位。 長男は衆議院議員の塩崎恭久。長女は法学者の山根裕子。次女は外交官角崎利夫の妻でアジア防災センター主任研究員の角崎悦子。 愛媛県松山市出身。松山中学、旧制松山高校を経て、東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科を卒業。東京帝大法学部政治学科在学中の1940年10月に高等試験行政科を合格。1941年 大蔵省に入省する。主計局に配属。1942年10月、神田橋税務署長。1943年1月、宇都宮税務署長。同年8月、東京財務局経理部長。1952年8月1日、主税局調査課長。
檜垣 徳太郎(ひがき とくたろう、1916年〈大正5年〉10… 檜垣 徳太郎(ひがき とくたろう、1916年〈大正5年〉10月31日 - 2006年〈平成18年〉10月15日)は、日本の農林官僚・政治家。自由民主党参議院議員(3期)。 愛媛県松山市出身。旧制松山高校を経て、1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部卒業。農林省に入省(水産局嘱託)。入省成績は下から2番目。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年に解員(復員)。 農林経済局肥料課長、大臣官房予算課長、農地局管理部長、大臣官房長、畜産局長、大臣官房長(再任)、1968年(昭和43年)食糧庁長官を経て、1969年(昭和44年)農林事務次官。
菅 太郎(かん たろう、1904年(明治37年)5月30日 … 菅 太郎(かん たろう、1904年(明治37年)5月30日 - 1980年(昭和55年)1月11日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員(5期)。 愛媛県松山市出身、東京帝国大学法学部卒業。戦前は内務省の革新官僚の一人で、内務事務官や企画院調査官を務めた他、1936年12月より一時期は満洲国総務庁に配属されている。また1941年に発足した大日本翼賛壮年団の訓練部長や理事に就任した(1943年まで)。 戦後、公職追放となり、1952年に追放解除。同年の第25回衆議院議員総選挙で改進党から愛媛県第1区より初当選。1953年の第26回衆議院議員総選挙では落選した。その後も当選と落選を繰り返し、1955年の第27回衆議院議員総選挙で日本民主党から2度目の当選を果たし、同年の保守合同(自由民主党結党)に参加。
増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年〈明治36年〉1月… 増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年〈明治36年〉1月13日 - 1985年〈昭和60年〉10月11日)は、日本の内務及び防衛官僚、政治家。香川県知事(官選第37代、公選初代)、参議院議員(4期、自由民主党)、行政管理庁長官(第25-26代)、北海道開発庁長官(第23-24代)、防衛庁長官(第26・29-30代)。 愛媛県北宇和郡宇和島町(現宇和島市)で増原定蔵の次男として生まれる。 宇和島中学校、第一高等学校を経て1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等試験に合格して内務省に入省。京都属。 和歌山県保安課長、特高課長、北海道庁警視保安課長、兵庫県警務課長、山形県警務部長など警察畑を歩いたのち1946年(昭和21年)6月、香川県知事に就任した。
中村 純一(なかむら じゅんいち、1901年(明治34年)1… 中村 純一(なかむら じゅんいち、1901年(明治34年)10月28日 - 1985年(昭和60年)10月2日)は、昭和期の逓信官僚、政治家。衆議院議員、愛媛県宇和島市長。 愛媛県北宇和郡宇和島町(現宇和島市)で、中村惣八の長男として生まれる。宇和島中学校(現愛媛県立宇和島東高等学校)、第一高等学校を経て、1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格した。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。 1925年、逓信省に入省し電務局属に任官。以後、逓信局書記官、逓信省事務官、逓信書記官・郵務局規画課長、関東局監理部逓信課長、関東逓信局長、逓信省経理局主計課長、同管理部現業調査課長、同電務局業務課長、興亜院書記官・経済部第三課長、同調査官・華中連絡部在勤、逓信省電務局長、逓信院貯金保険局長などを歴任し、1945年(昭和20年)6月に退官した。
豊田 雅孝(とよた まさたか、1898年9月5日 - 199… 豊田 雅孝(とよた まさたか、1898年9月5日 - 1991年2月14日)は、日本の商工官僚、政治家。参議院議員(2期)。 1898年(明治31年)愛媛県生まれ。松山商業、北予中学、三高、東京帝国大学法学部政治学科を経て、1925年(大正14年)商工省入省、文書課長、企業局長を務めた。1945年(昭和20年)商工次官。1946年(昭和21年)退官。1947年(昭和22年)商工中金理事長。 1953年(昭和28年)第3回参議院議員通常選挙全国区当選(無所属)。1959年(昭和34年)第5回参議院議員通常選挙落選(緑風会)。1962年(昭和37年)第6回参議院議員通常選挙全国区当選(自由民主党)。
今松 治郎(いままつ じろう、1898年7月25日 - 19… 今松 治郎(いままつ じろう、1898年7月25日 - 1967年10月14日)は、日本の内務官僚、政治家。総理府総務長官(初代)、衆議院議員(5期、自由民主党)。 愛媛県北宇和郡二名村(現宇和島市)出身。1922年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業後、内務省に入省。主に警察畑を歩み、1940年、和歌山県知事、1943年、静岡県知事となる。戦後は公職追放(1946年 - 1951年)を経て、1952年の第25回衆議院議員総選挙で旧愛媛3区から当選する。1957年第1次岸改造内閣で初代の総理府総務長官に就任した。 岸信介につき、1962年の岸派分裂後も最後まで岸派に残った。 1967年10月14日、死去した。
宇都宮 孝平(うつのみや こうへい、1897年(明治30年)… 宇都宮 孝平(うつのみや こうへい、1897年(明治30年)5月6日 - 1988年(昭和63年)5月18日)は、日本の内務官僚、政治家。青森県知事、松山市長を歴任した。 1897年5月6日、愛媛県喜多郡内子町に生まれる。1917年、旧制松山中学(のち愛媛県立松山東高等学校)を卒業。1920年に旧制第七高等学校を卒業後、東京帝国大学法学部に入学する。 1923年に東京帝国大学を卒業すると内務省へ就職し、内閣東北局長などとして東北地方の地域開発に尽力した。第二次世界大戦(太平洋戦争)下の1943年には 官選で青森県知事に着任するが、翌1944年8月1日に依願免本官となり退官。戦後、公職追放を受けたため松山に戻り、井関農機株式会社顧問となった。
高木 秀雄(たかぎ ひでお、1895年(明治28年)3月23… 高木 秀雄(たかぎ ひでお、1895年(明治28年)3月23日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。屏東市尹。 高木行正の長男として愛媛県北宇和郡宇和島町野川(現・宇和島市野川)に生まれる。1914年(大正3年)愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を卒業。翌年、台北庁に出仕。 1917年(大正6年)南投庁属、1922年(大正11年)台湾総督府財務局、1925年(大正14年)同府税務課を経て、1927年(昭和2年)1月、再び同府財務局勤務となり、1931年(昭和6年)5月、秘書課勤務に転じ、東京出張所勤務を発令される。翌年の1932年(昭和7年)3月、同府中央研究所会計課長および秘書課長を経て、文書課長となり、同年7月に同府総務長専属となった。
高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11… 高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11月3日 - 昭和54年(1979年)8月26日)は、内務官僚、実業家、ジャーナリスト。香川県知事。 愛媛県西条市出身。高橋岩吉の長男として生まれる。明治40年(1907年)3月、北予中学(現松山北高校)卒業。明治42年(1909年)11月、警視庁巡査となる。 1909年12月、神田警察署勤務となり、深川警察署、三ノ橋警察署、本所相生警察署、早稲田警察署で勤務。大正4年(1915年)2月、警察官練習所を卒業。同年3月、内務省に転じ、内務属として警保局保安課に配属され、さらに同局図書課に異動。同年10月、文官高等試験行政科試験に首席で合格。
菊池 慎三(きくち しんぞう、1887年(明治20年)11月… 菊池 慎三(きくち しんぞう、1887年(明治20年)11月30日 - 1943年(昭和18年)4月11日)は、日本の内務官僚、陸軍司政長官。官選秋田県知事、地方行政の専門家。 愛媛県西宇和郡二木生村(現・西予市)出身。同村長・菊池俊逸の長男として生まれた。小学校卒業後、独学で普通試験に合格。さらに1911年11月、文官高等試験行政科試験、同年12月、弁護士試験に合格。1912年4月、内務省に入省し内務属・大臣官房秘書課勤務となる。 以後、佐賀県理事官、静岡県理事官、軍需局書記官、国勢院書記官、拓殖局書記官・第二課長、内務省参事官、福井県警察部長、帝都復興院調査課長などを歴任。1921年5月から1922年4月まで欧米に出張した。
喜安 健次郎(きやす けんじろう、1885年(明治18年)1… 喜安 健次郎(きやす けんじろう、1885年(明治18年)11月4日 – 1947年(昭和22年)8月29日)は、日本の鉄道官僚。帝都高速度交通営団総裁。 愛媛県伊予郡岡田村(現在の松前町)出身。1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。鉄道院副参事、同総裁秘書、同参事、鉄道省参事官、大臣官房文書課長、鉄道書記官、鉄道監察官、大臣官房法規課長、監督局長を歴任した。1934年(昭和9年)、鉄道次官に就任し、1940年(昭和15年)まで在任した。 退官後の1941年(昭和16年)に帝都高速度交通営団副総裁に就任し、1944年(昭和19年)に総裁に昇格した。
十河 信二(そごう しんじ、1884年(明治17年)4月14… 十河 信二(そごう しんじ、1884年(明治17年)4月14日 - 1981年(昭和56年)10月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。愛媛県西条市長(在任1945年(昭和20年) - 1946年(昭和21年))、第4代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1955年(昭和30年) - 1963年(昭和38年))を務めた。「新幹線の父」と呼ばれた。西条市名誉市民第1号。 1884年(明治17年)愛媛県新居郡中村(中萩村、中萩町を経て、現在の新居浜市)に十河鍋作・ソウの二男として生まれる。1897年(明治30年)愛媛県尋常中学校東予分校(現在の愛媛県立西条高等学校)に入学した。卒業後、上京し受験準備のために正則英語学校(現在の正則学園高等学校)に入学した。
桑山 鉄男(くわやま てつお、1881年(明治14年)11月… 桑山 鉄男(くわやま てつお、1881年(明治14年)11月1日 - 1936年(昭和11年)2月20日)は、日本の逓信官僚。貴族院勅選議員。従三位、勲二等。 愛媛県出身。桑山吉輝(大津事件の犯人津田三蔵巡査の上司(大津警察署長))の長男として生まれる。旧制第三高等学校を経て、1906年に東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、高等文官試験に合格。逓信省に入省し、通信事務官、京都郵便局管理課長、長野逓信管理局長、逓信省参事官、逓信官吏練習所教官、逓信監察官、逓信大臣秘書官などを歴任した。1920年、初代簡易保険局長に就任。1924年6月、逓信次官に就任し、1929年7月まで在任した。次官在任中、新設の逓信省航空局長を兼任し、大礼使参与官を務めた。
皆川 治廣(みながわ はるひろ、1875年(明治8年)3月7… 皆川 治廣(みながわ はるひろ、1875年(明治8年)3月7日 - 1958年(昭和33年)3月7日)は、司法官僚、検事、判事。 愛媛県松山市出身。旧制第一高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補として大阪地方裁判所に勤務した。翌年、日露戦争が勃発すると第四軍司令部附国際法顧問として従軍した。 1906年(明治39年)、大阪地方裁判所予備検事となり、小倉区裁判所検事、東京地方裁判所検事を歴任した。1910年(明治43年)、ブリュッセルで開催された万国刑法会議に出席した後、フランス・ドイツ・スイスに留学した。1913年(大正2年)に帰国後、司法書記官・大臣官房職員課長に任命され、法律取調委員会幹事も務めた。
松木 幹一郎(まつき かんいちろう、1872年3月10日(明… 松木 幹一郎(まつき かんいちろう、1872年3月10日(明治5年2月2日) - 1939年(昭和14年)6月14日)は、明治から昭和初期にかけて活動した官僚、実業家。台湾電力社長。族籍は愛媛県平民。動物学者の青木淳一は孫。 愛媛県周桑郡楠河村大字河原津(現在の愛媛県西条市河原津)出身。松木操平の長男。松木家は予州の豪族河野通有の後裔である。旧制愛媛一中、旧制三高を経て1896年、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。法学士の称号を得る。 逓信省書記官、広島郵便局長、帝国鉄道庁参事、鉄道院理事、東京市参与同電気局長を歴任。1918年、山下合名会社総理事となり、山下汽船、福島炭鉱各会社代表取締役、山下鉱業、浦賀船渠会社取締役に挙げられた。
勝田 主計(しょうだ かずえ、1869年10月19日〈明治2… 勝田 主計(しょうだ かずえ、1869年10月19日〈明治2年9月15日〉- 1948年〈昭和23年〉10月10日)は、日本の大蔵官僚、政治家。理財局長、大蔵次官、蔵相、文相、内閣参議を歴任。同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人・秋山真之の友人だった。勝田宰州、勝田明庵は俳号。 1869年(明治2年)、伊予国松山一番町(現在の愛媛県松山市)に生まれた。松山藩士・勝田久廉の五男。 勝山学校、伊予尋常中学、一高を経て、1895年(明治28年)に東京帝国大学法科大学を卒業、大蔵省に入省。主税局属。1901年(明治34年)6月の函館税務管理局長兼税関長時代に関税法などの調査のために2年間ヨーロッパに派遣される。
西村 保吉(にしむら やすよし / やすきち、1865年8月… 西村 保吉(にしむら やすよし / やすきち、1865年8月12日(慶応元年6月21日) - 1942年(昭和17年)1月15日)は、日本の内務・朝鮮総督府官僚。官選県知事。 伊予国宇和島で宇和島藩士西村景信の長男として生まれる。愛媛県宇和島区裁判所雇及び県庁雇となる。1890年、普通試験に合格。以後、同県宇摩郡書記、同県属・内務局勤務などを歴任。1901年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、宮崎県参事官、山口県参事官、長野県事務官・第二部長、北海道庁事務官・第六部長、同土木部長、同拓殖部長、広島県内務部長、愛知県内務部長などを歴任。 1917年1月、島根県知事に就任。産業十年計画の策定を行った。
告森 良(こつもり りょう / こつもり はじめ / つげも… 告森 良(こつもり りょう / こつもり はじめ / つげもり りょう、1853年12月21日(嘉永6年11月21日) - 1919年(大正8年)11月27日)は、明治から大正期の内務官僚。官選県知事。 伊予国宇和島城下御殿町(現愛媛県宇和島市)出身。宇和島藩士・告森桑圃の長男として生まれる。1873年、神山県に出仕。以後、兵庫県、広島県、長崎県、愛媛県、京都府で勤務。 1887年5月、愛媛県東宇和郡長に就任。以後、兼西宇和郡長、京都府参事官、岐阜県参事官、埼玉県書記官、岡山県書記官、徳島県書記官などを歴任。 1908年3月、鳥取県知事に就任。倉吉中学校・県立商業学校の新設、農事試験場拡張、耕地整理事業、因伯牛の改良などを推進。
西園寺 公成(さいおんじ きんなる、天保6年12月7日(18… 西園寺 公成(さいおんじ きんなる、天保6年12月7日(1836年1月24日) - 明治37年(1904年)11月7日)は、伊予国宇和島藩出身の武士・官僚・実業家。通称は雪江、勇喜衛。幕末期に活躍、後に第一国立銀行をはじめ、近代日本の金融・産業界にも関与した。 天保6年(1835年)、宇和島藩士・松田覚之助公博の次男として生まれる。母は中井九郎右衛門の娘である。幼名は雪江。のち実兄・松田源八郎に養育された。 藩校明倫館で学び、嘉永6年(1853年)には文学出精を賞せられている。同年4月7日、儒学に秀でたため官費留学生として小松藩の儒者・近藤南海(近藤篤山の子)の塾に入門した。 安政3年(1856年)1月12日、明倫館塾長に就任。
嶋田 裕光(しまだ ひろみつ)は、日本の内閣府官僚。内閣府大… 嶋田 裕光(しまだ ひろみつ)は、日本の内閣府官僚。内閣府大臣官房総括審議官や、内閣府政策統括官、子ども・子育て本部統括官を務めた。 熊本県出身。愛媛県新居浜市で育ち、愛媛県立新居浜西高等学校を経て、1986年一橋大学大学院経済学研究科修了、経済企画庁入庁。2008年内閣府経済社会総合研究所景気統計部長。2014年内閣府大臣官房人事課長。2015年内閣府大臣官房審議官兼大臣官房人事課長。 2016年内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官。2018年内閣府大臣官房総括審議官。2019年から内閣府政策統括官(共生社会政策担当)兼子ども・子育て本部統括官を務め、2020年には赤坂御所で渡辺由美子キッズドア理事長らと、天皇及び皇后に子どもの貧困問題などの進講を行った。
徳増 有治(とくます ゆうじ)は、日本の経産官僚。経済産業省… 徳増 有治(とくます ゆうじ)は、日本の経産官僚。経済産業省大臣官房審議官や、中小企業庁経営支援部長、大阪大学医学部附属病院特任教授、大阪大学大学院医学系研究科特任教授などを経て、大阪大学大学院工学研究科招へい教授。 愛媛県新居浜市出身。新居浜市立角野小学校、新居浜市立角野中学校を経て、1976年愛媛県立新居浜西高等学校卒業。1981年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部化学工学科卒業、通商産業省入省。1995年文部省生涯学習局企画官兼社会教育課地域活動学習推進室長。1997年金属鉱業事業団キャンベラオフィス事務所長。2001年経済産業省大臣官房企画官(産業技術・医療福祉機器技術開発担当)。