甲斐田 晴子(かいだ はるこ 1981年〈昭和56年〉 9月… 甲斐田 晴子(かいだ はるこ 1981年〈昭和56年〉 9月8日 - )は、日本の政治家、実業家、社会起業家、プロデューサー。いきいき唐津株式会社のCEO兼代表取締役、映画館「THEATER ENYA」の館長。早稲田大学政治経済学部卒。フランスグルノーブル政治学院留学。早稲田大学17代総長田中愛治ゼミ第7期生。代表取締役を務めるまちづくり会社・いきいき唐津株式会社は、総務省が主催する令和6年度「ふるさとづくり大賞」最優秀賞である内閣総理大臣賞を受賞。2025年1月より唐津市議会議員。 1981年(昭和56年)、佐賀県唐津市生まれ。福岡女学院中学校卒業、佐賀県立唐津東高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。
竹下 真由(たけした まゆ、1981年9月 - )は、日本の… 竹下 真由(たけした まゆ、1981年9月 - )は、日本の実業家。竹下製菓代表取締役社長、清水屋食品代表取締役社長。藍綬褒章受章。 佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立佐賀西高等学校を経て、2005年東京工業大学(現東京科学大学)工学部経営システム工学科卒業。2007年、同大学大学院理工学研究科経営工学専攻修士課程修了。大学ではIDCロボットコンテストへの出場を目標に活動し、制御工学科の科目も受講し、国際大会に出場した。 2007年アクセンチュアに入社。通信ハイテク事業部配属され、経営コンサルタント業務に従事した。2011年、結婚を機に家業の竹下製菓に入社。経営企画室で業務改善等に取り組み、2014年に取締役商品開発室長になる。
加藤 慶也(かとう よしや、1980年12月6日 - )は、… 加藤 慶也(かとう よしや、1980年12月6日 - )は、日本の実業家、オーナー、投資家。佐賀県唐津市出身。 FIBA公認 3x3国際プロバスケットボールリーグ 『3BL』 チェアマン 。株式会社カタリストキャピタル 代表取締役(経済産業省認定ベンチャーファンド無限責任組合員)。YKBK48 Entertainment Private Limited オーナー(インド、DEL48およびMUB48の運営会社)。その他、コンサルティングファーム/建設会社/IT企業/広告代理店等複数の法人を経営。
鵜川 秀樹(うがわ ひでき、1978年5月26日 - )は、… 鵜川 秀樹(うがわ ひでき、1978年5月26日 - )は、日本の実業家、プロ雀士(日本プロ麻雀協会所属)。 福岡県大川市に本社を置く建装・建材資材の老舗卸問屋「株式会社熊井産業」の代表取締役社長。日本プロ麻雀協会では25期前期・福岡支部1期生として活動している。 佐賀県佐賀市出身、福岡県久留米市在住。愛称は「うーぴん」。 1978年5月26日 佐賀県佐賀市で生まれる。 1994年4月 佐賀県立佐賀東高等学校入学 1997年4月 岡山理科大学総合情報学部入学 大学に進学後、大学生時代に友人の影響で麻雀を始める。 2001年 大学卒業後、新卒で化学・建装材のメーカーに就職し、営業職としてのキャリアを積むが、2007年に、父親が病気になったこともあり、1953年創業の家業である株式会社熊井産業に入社。
諸藤 周平(もろふじ しゅうへい、1977年12月14日 -… 諸藤 周平(もろふじ しゅうへい、1977年12月14日 - )は、日本の実業家。株式会社エス・エム・エス創業者、同社元代表取締役社長。一般財団法人活育教育財団代表理事。兄と弟がいる。 福岡県生まれ。弘学館高等学校を経て、九州大学経済学部経済工学科卒業。2000年株式会社キーエンス入社。2001年株式会社ゴールドクレスト入社。2002年合資会社エス・エム・エス設立。2003年株式会社エス・エム・エス設立、同社代表取締役就任。同社の東京証券取引所一部上場を果たし、退任後、2015年にシンガポールでREAPRA PTE.LTD.を創業。一般財団法人活育教育財団代表理事も務める。
孫 泰藏(そん たいぞう、韓国名:손태장、1972年9月29… 孫 泰藏(そん たいぞう、韓国名:손태장、1972年9月29日 - )は、日本の実業家、投資家。 2015年現在、A hub for startup ecosystemを標榜するMistletoe株式会社の代表取締役社長。その他、ガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社の創業者で取締役(元代表取締役会長)、実践型インターンシップ・社会起業・起業支援を行う特定非営利活動法人エティックの理事など。東京大学経済学部卒業。兄はソフトバンクグループの創業者である孫正義。 佐賀県鳥栖市出身。全教研久留米本部で学び久留米大学附設中学校・高等学校を卒業。東京大学経済学部在学中の1996年、Yahoo! JAPANの立ち上げに参画し、コンテンツ開発の統括者としてプロジェクトに大きく貢献した。
石田 宏樹(いしだ あつき、1972年6月18日 - )は、… 石田 宏樹(いしだ あつき、1972年6月18日 - )は、日本のデジタルアーキテクト、実業家。フリービット創業者・同代表取締役会長。トーンモバイル社長。 佐賀県伊万里市生まれ、福岡県育ち。福岡教育大学附属福岡中学校、弘学館高等学校を経て、慶應義塾大学総合政策学部卒業。 高校時代にソニー創業者の盛田昭夫に手紙を送り、起業を勧められた事が契機となる。 大学在学中にコンテンツ制作などを手がける会社を立ち上げ、卒業後はドリーム・トレイン・インターネット設立に参画する。 2000年にフリービット・ドットコム(現;フリービット)を設立し、同社長に就任。2015年に会長に就任。 同年カルチュア・コンビニエンス・クラブとの合弁会社であるトーンモバイルを設立し、同社長に就任した。
樋渡 啓祐(ひわたし けいすけ、1969年〈昭和44年〉11… 樋渡 啓祐(ひわたし けいすけ、1969年〈昭和44年〉11月18日 - )は、日本の政治家、連続起業家(シリアル・アントレプレナー)、一般社団法人理事・理事長、経営者。樋渡社中株式会社代表取締役、宇多津町まちづくりアドバイザー、一般社団法人巨樹の会理事、株式会社地域経済活性化支援機構社外取締役、関西学院大学大学院客員教授、一般社団法人全国空き家バンク推進機構理事長。 前武雄市長(3期)、2015年にCCCが設立した子会社ふるさとスマホ株式会社(後に株式会社TSUTAYAに吸収合併され解散)の代表取締役社長に就任、2016年から会長だった。2017年1月18日にホワイトテクノロジー株式会社を設立し、2018年8月31日まで代表取締役だった。
森戸 裕一(もりと ゆういち 1967年6月13日 - )は… 森戸 裕一(もりと ゆういち 1967年6月13日 - )は、日本の起業家、実業家、大学教授、自治体専門職員。ナレッジネットワーク株式会社代表取締役社長。一般社団法人日本デジタルトランスフォーメーション推進協会代表理事。一般社団法人ノーコード推進協会副代表理事。一般社団法人シェアリングエコノミー協会 。シェアリングシティ推進協議会代表。一般財団法人ネットショップ能力認定機構理事。NPO法人学生ネットワークWAN理事長。サイバー大学教授、名古屋大学客員教授、熊本大学客員教授、情報経営イノベーション専門職大学客員教授。総務省地域情報化アドバイザー。デジタル庁シェアリングエコノミー伝道師。独立行政法人中小企業基盤整備機構よろず支援拠点全国本部サポーター。
岩本初恵(いわもと はつえ、1961年3月23日 - )は、… 岩本初恵(いわもと はつえ、1961年3月23日 - )は、日本の実業家。佐賀県東松浦郡肥前町(現在の同県唐津市)出身。株式会社愛しとーと(2014年10月10日に「株式会社HRK」から商号変更)の代表取締役。唐津大使、佐賀県みやき町の女性活躍推進大使、なかがわ大使。 学校法人杉森学園理事長。 1998年に愛しとーとの前身となる企業「株式会社エイチ・アール・ケイ・ハルカ」を立ち上げ、健康食品、特にコラーゲン補給食品を中心とした美容・健康商品を開発し、モンドセレクションの最高優秀品質賞を受賞、スタンダード&プアーズによる「AA」格付けの評価を得る。 愛しとーとの本拠地である福岡県・佐賀県を中心とした地域貢献活動に積極的に取り組み、自らの出生地である唐津市から親善大使の「唐津大使」に任命される。
井川 幸広(いかわ ゆきひろ、1960年1月2日 - )は、… 井川 幸広(いかわ ゆきひろ、1960年1月2日 - )は、佐賀県東松浦郡七山村(現:唐津市)出身の実業家。
香月 道生(かつき みちお、1960年 - )は、日本の実業… 香月 道生(かつき みちお、1960年 - )は、日本の実業家。北島代表取締役社長。元佐賀県公安委員会委員長。 北島の12代目として生まれる。1979年佐賀県立佐賀西高等学校卒業。同級生に中尾清一郎佐賀新聞社代表取締役社長がいた。1983年一橋大学商学部卒業。在学中は端艇部に所属。 卒業後は、都市銀行からも誘いを受けたが、西武百貨店に入社し、人事部に配属された。 1988年北島入社。2003年から北島代表取締役社長。2007年佐賀商工会議所副会頭。2009年非特定営利活動法人まちづくり機構ユマニテさが理事長。 2014年佐賀県公安委員会委員。2015年から佐賀県公安委員会委員長を1年間務め、2018年からも佐賀県公安委員会委員長を1年間務めた。
香田 雅隆(こうだ まさたか、1960年 - )は、日本の実… 香田 雅隆(こうだ まさたか、1960年 - )は、日本の実業家。北海道第三セクターCFO。佐賀県小城市出身。経営管理修士(MBA)。 佐賀県立小城高等学校を経て、小樽商科大学大学院商学研究科アントレプレナーシップ専攻修了(経営管理修士)MBA。 日本航空在勤中、株式会社ニトリへ出向し、社内出張旅費内製化を目的としたニトリツアーを開設した。 小樽観光協会事務局長を務めた。北海道労働局カウンセラーを経て北海道第三セクター入局。
宮島 治(みやじま おさむ、1959年(昭和34年)1月31… 宮島 治(みやじま おさむ、1959年(昭和34年)1月31日 - )は、日本の実業家。宮島醤油代表取締役。 佐賀県出身。佐賀県立唐津東高等学校卒業。1981年、西南学院大学商学部を卒業し、日本化薬に入社。
田島 穣(たじま ゆたか、1958年(昭和33年)1月24日… 田島 穣(たじま ゆたか、1958年(昭和33年)1月24日 - )は、日本の実業家。ロックフェラーグループ取締役副社長等を経て、三菱地所リアルエステートサービス代表取締役社長や、駐車場綜合研究所代表取締役会長、不動産流通経営協会副理事長などを務めた。 佐賀県出身。佐賀県立白石高等学校を経て、1980年一橋大学商学部卒業、三菱地所入社。メックユーケー経理部副長への出向を経て、2003年からロックフェラーグループ取締役副社長。2008年三菱地所経営企画部長。2010年三菱地所執行役員経営企画部長。2012年三菱地所執行役員ビルアセット開発部長。2013年三菱地所常務執行役員に昇格し、都市開発業務部、再開発事業部、物流施設事業部を担当。
孫 正義(そん まさよし、손정의, 1957年8月11日 -… 孫 正義(そん まさよし、손정의, 1957年8月11日 - )は、日本の実業家、資産家。ソフトバンクグループの創業者として知られ、ソフトバンクグループ株式会社代表取締役社長、ソフトバンク株式会社代表取締役会長、福岡ソフトバンクホークスのオーナーなどを務める。
橋本 康志(はしもと やすし、1956年〈昭和31年〉1月1… 橋本 康志(はしもと やすし、1956年〈昭和31年〉1月11日 - )は、日本の政治家、実業家。前佐賀県鳥栖市長(4期)。 佐賀県鳥栖市出身。鳥栖市立鳥栖中学校、佐賀県立鳥栖高等学校卒業。1979年(昭和54年)3月、早稲田大学商学部卒業。同年4月、富士通に就職。システムエンジニアとして、主に国立大学病院のシステム開発を担当する。1986年(昭和61年)3月、富士通を退職。同年4月、株式会社中央軒に入社。5月に同社の代表取締役に就任。2006年(平成18年)12月、同社を退職。 2007年(平成19年)2月18日執行。自民党・公明党の推薦を受けた現職の牟田秀敏を破り初当選。3月15日、市長就任。
江口 祥一郎(えぐち しょういちろう、1955年12月7日 … 江口 祥一郎(えぐち しょういちろう、1955年12月7日 - )は、日本の実業家。佐賀県出身。株式会社JVCケンウッド代表取締役社長執行役員(最高経営責任者・CEO)。 佐賀県杵島郡白石町生まれ。佐賀県立鹿島高等学校から早稲田大学商学部卒業。 1979年トリオ株式会社(現:株式会社JVCケンウッド)入社。 入社後、アメリカ、イタリア、オランダで通算18年間の海外事業に従事。 2008年のケンウッドと日本ビクターとの経営統合後、海外事業、車載分野の拡大に注力。 江口祥一郎 株式会社JVCケンウッド 代表取締役・社長執行役員 最高経営責任者(CEO) https://shikiho.jp/stocks/6632
古村 至朗(ふるむら じろう、1955年(昭和30年)1月1… 古村 至朗(ふるむら じろう、1955年(昭和30年)1月18日 - )は、日本の実業家、銀行家。勲等は旭日双光章。福岡中央銀行代表取締役会長。 佐賀県鳥栖市出身。長崎大学経済学部卒。 1977年に福岡銀行に入行。北九州営業部長、執行役員を歴任。2009年にふくおかフィナンシャルグループ取締役執行役員と同行取締役常務執行役員に就任する。 2012年に代表取締役副頭取となり、2014年に退任する。 2014年6月、福岡中央銀行の代表取締役専務に就任し、翌年、同じく福岡銀行出身である末松修の後任として頭取に就任し、2022年6月、会長に退く。 2025年秋の叙勲で旭日双光章を受章した。
宮園 雅敬(みやぞの まさたか、1953年〈昭和28年〉4月… 宮園 雅敬(みやぞの まさたか、1953年〈昭和28年〉4月19日 - )は、日本の実業家。 佐賀県鹿島市出身。ラ・サール中学校・高等学校を経て、1976年(昭和51年)3月、東京大学法学部を卒業。「金融を知れば世の中の仕組みが分かるのではないか」という考えと「農林水産業を支援したい」という願望から、同年4月、農林中央金庫に入庫。 入庫後、資金証券部資金課⻑、総務部総務課長、熊本支店長、総合企画部副部長、総務部副部長、秘書役、人事部長、総合企画部長などを歴任。宮園は自身の農林中央金庫職員時代について「47都道府県の生産現場を回り、生産者と膝をつき合わせた経験が金融マンとしての基礎をつくった。」とインタビューで語っている。
黒川 明(くろかわ あきら、1952年9月5日 - )は、日… 黒川 明(くろかわ あきら、1952年9月5日 - )は、日本の実業家。参天製薬代表取締役会長兼CEO。佐賀県出身。 佐賀県立武雄高等学校を経て、1977年に早稲田大学政治経済学部を卒業。同年、参天製薬に入社。1997年4月に医薬事業部長室室長、同年6月に取締役、1998年6月に医薬事業部副事業部長、2001年5月に医薬事業部長、同年6月に執行役員、2004年7月に常務執行役員に、それぞれ就任。2006年6月、社長就任。2018年4月より現職。
金子 和斗志(かねこ かつし 、1952年3月26日 - )… 金子 和斗志(かねこ かつし 、1952年3月26日 - )は、日本の実業家。アイ・ケイ・ケイ株式会社創業者・代表取締役会長兼CEO。 佐賀県伊万里市生まれ。佐賀県立伊万里高等学校卒業。1974年家業金子興業株式会社(のちの株式会社アイ・エス)に入社。1974年取締役。1981年代表取締役。1995年九州積善社(現アイ・セレモニー株式会社)代表取締役社長。同年アイ・ケイ・ケイ設立、同社代表取締役社長。2000年九州初のハウスウェディング施設を鳥栖市で開業。2012年アイケア株式会社取締役。2015年経済産業省おもてなし経営企業選出。2017年PT INTERNATIONAL KANSHA KANDOU INDONESIA 取締役、株式会社力の源ホールディングス社外取締役。
勝丸 桂二郎(かつまる けいじろう、1946年 - )は日本… 勝丸 桂二郎(かつまる けいじろう、1946年 - )は日本の企業家・富士通テン(現・デンソーテン)の元社長である。佐賀県唐津市出身。兵庫県三木市在住。 1946年に佐賀県唐津市に生まれ、1968年に福井大学工学部卒業後にデンソーテンの前身となる神戸工業に入社。1979年33歳の時、ラジオ部門から独立した富士通テンに異動し、AVC本部長・専務・事業部門統括兼事業本部長を経て、2005年に新社長に昇進した。2005年代表取締役社長、2010年代表取締役会長、2013年常任顧問。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )… 白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長や、ダイハツ工業代表取締役会長を務めた。 佐賀県鳥栖市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1963年九州大学工学部造船科卒業。同年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。田原工場第2製造部長を経て、1992年湯野川孝夫らとともに取締役に昇格。1997年常務取締役。2000年専務取締役。2001年取締役副社長。 2005年からダイハツ工業代表取締役会長を務め、系列の解体や軽自動車専用ラインの整備などを進めて、軽自動車販売台数で30年以上トップの座にあったスズキを抜き業界トップとした。トヨタ自動車の意向でグループ定年の68歳を超えても続投していたが、2011年相談役技監に退いた。
古賀 常次郎(こが つねじろう、1939年〈昭和14年〉5月… 古賀 常次郎(こが つねじろう、1939年〈昭和14年〉5月18日 - 2026年〈令和8年〉3月4日)は佐賀県の実業家、篤志家、発明家。古賀商事代表取締役。更生保護活動への取り組み、旭日双光章など数々の受章・受賞で知られる。佐賀県佐賀市出身。
牛島 洋太郎(うしじま ようたろう、1936年7月30日- … 牛島 洋太郎(うしじま ようたろう、1936年7月30日- )は佐賀県佐賀市出身の実業家。サッカーJ2サガン鳥栖を運営するサガンドリームスの元代表取締役社長。
津村 準二(つむら じゅんじ、1936年2月5日 - )は、… 津村 準二(つむら じゅんじ、1936年2月5日 - )は、日本の経営者。佐賀県佐賀市川副町早津江出身。 佐賀郡早津江出身。中川副国民学校から龍谷中学校を経て佐賀県立佐賀高等学校に進む。プロ野球選手の田中久寿男が小学校時代の同級生に、小説家の岩橋邦枝が高校時代の1年先輩に居た。1958年に東京大学法学部を卒業し、所属していたボート部の先輩に勧められ同年に東洋紡績に入社。1980年9月に取締役に就任し、1997年6月には専務に就任した。1999年6月に社長に昇格した。2005年6月に会長に就任し、2010年6月から相談役を務めた。
川内 通康(かわうち みちやす、1935年(昭和10年)12… 川内 通康(かわうち みちやす、1935年(昭和10年)12月2日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の実業家。ニッポン放送元社長。佐賀県佐賀市出身。 佐賀市水ケ江にあるロングサン薬局の長男として産まれる。 佐賀大附属中、佐賀高校を経て、1959年に東京大学教育学部を卒業し、同年にニッポン放送に入社。 1979年に取締役に就任し、1983年に常務、1985年に専務、1989年6月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任し、1999年6月会長に退いた。 1992年から1999年までに日本民間放送連盟の理事を務め、2001年と2002年に東京国際映画祭のゼネラルプロデューサーも務めた。
吉村 久夫(よしむら ひさお、1935年 - 2024年11… 吉村 久夫(よしむら ひさお、1935年 - 2024年11月19日)は実業家。日経BP社・特別参与。佐賀県小城市出身。佐賀県立小城高等学校、早稲田大学第一文学部史学科卒業。日本経済新聞社に入社し、日経産業新聞編集長を経て、日経BP社の取締役、常務・専務・副社長・社長・会長などを歴任し、現在は特別参与。そのほか大阪経済大学経営学部客員教授と清華大学(中国)客員教授を務めている。
新宮 威一(しんぐう いいち、1934年11月11日 - )… 新宮 威一(しんぐう いいち、1934年11月11日 - )は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。佐賀県藤津郡太良町出身。 1958年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1986年9月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1994年9月に顧問とダイハツ工業副社長に就任。1995年6月に社長に昇格。2000年6月から2004年6月までに会長を務めた。 2000年11月に藍綬褒章を受章。
山本 兵蔵(やまもと へいぞう、1929年8月19日 - )… 山本 兵蔵(やまもと へいぞう、1929年8月19日 - )は、日本の経営者。大成建設社長、会長を務めた。 佐賀県西松浦郡有田町出身。1952年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大成建設に入社。1985年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1993年6月には社長に昇格。1997年4月に会長に就任し、2001年4月に取締役相談役を経て、同年6月には相談役に就任。
愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 -… 愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 - 1998年3月20日)は、日本の実業家、政治家。祐徳自動車3代目社長・初代会長。衆議院議員(9期)、経済企画庁長官(第40代)。 父も実業家・政治家で、祐徳自動車創立者、衆議院議員の愛野時一郎。 1928年愛野時一郎、すみれ夫妻の長男として神奈川県横浜市に生まれる。1945年に旧制鹿島中学校を卒業。 1951年に中央大学法学部を卒業後、農協組合長、1968年佐賀県議会議員、父の時一郎が創立したバス会社の祐徳自動車副社長・社長(議員在任中も社長を務め、後述の経済企画庁長官就任時に辞任し、初代会長に就任)を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補し初当選。
秋山 英一(あきやま えいいち、1925年10月29日 - … 秋山 英一(あきやま えいいち、1925年10月29日 - )は、日本、韓国の実業家。ロッテ百貨店副社長。 日本タングステンの創業者である秋山英二と母トシの長男として、母の実家である佐賀市多布施に生まれる。父・英二の当時の勤務地であった門司で幼少期を過ごすが、1931年、英二の日本タングステン創業に伴い家族で福岡市に転居し、1938年、福岡県中学修猷館に入学。在学中、家庭教師の当時旧制福岡高校生であった楢崎弥之助から数学と英語を学んでいる。修猷館の同期の友人には、経営学者の林周二、医学者の緒方道彦らがいる。1943年、慶應義塾大学経済学部に進学するが、半年も経たず自主退学し、翌1944年、旧制第五高等学校に進学。
古賀 義根(こが よしね、1925年1月1日 - 2014年… 古賀 義根(こが よしね、1925年1月1日 - 2014年9月23日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)社長や、日本セラミックス協会会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、北九州商工会議所会頭等を歴任した。正四位勲二等瑞宝章。藍綬褒章受章 佐賀県唐津市出身。1947年東京工業大学窯業学科卒業後、東陶機器(現TOTO)に入社し、衛生陶器の開発に従事。インドネシア進出担当役員等を経て、1987年からは社長を務め、アメリカ合衆国に子会社を設立するなど、国際化を進めた。1988年藍綬褒章受章。1992年に社長を退任し、同年から10年間北九州商工会議所会頭を務め、末吉興一市長とともに北九州都市圏の再興にあたった。
片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 -… 片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 - 1997年3月14日)は、日本の経営者。三菱電機社長、会長を務めた。佐賀県鳥栖市出身。 1935年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に三菱電機に入社した。1974年に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1980年から社長に就任し、1985年から会長に就任し、1991年から相談役に就任した。 日本電子工業振興会会長、新世代コンピュータ技術開発機構理事長なども歴任した。 1983年にマイクロ波放電光源装置の開発により、毎日工業技術賞に授賞し、1989年に勲一等瑞宝章を受章し、1993年にドイツ一等功労十字章を受章した。 1997年3月14日膀胱癌のために死去。
古川 進(ふるかわ すすむ、1913年8月19日 - 199… 古川 進(ふるかわ すすむ、1913年8月19日 - 1991年10月23日)は、日本の実業家。大和銀行元頭取、会長。佐賀県佐賀市出身。 1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に野村銀行(のちの大和銀行。統合により現在はりそな銀行となる。)に入行した。 1961年11月に取締役に就任し、1963年4月に常務、1966年11月に専務、1968年11月に副頭取を経て、1973年4月からは大和銀行頭取を務め、1977年4月からは会長、1987年6月からは相談役を歴任した。 その一方で、1981年12月から1985年12月までに大阪商工会議所会頭を務め、海外交流に力を入れた。日本商工会議所副会頭、大阪銀行協会会長、全国銀行協会連合会副会長、関西経済同友会代表幹事なども歴任した。
石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10… 石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10日 - 2001年(平成13年)1月12日)は、日本の造船技師(専門は舶用内燃機関、造船の生産技術・品質管理などの生産管理全般)、海軍軍人(予備将校)、実業家である。最終階級は海軍中尉。従七位。とくに、戦時急造された海防艦の専門家であり、戦時中、御蔵型など40隻の海防艦を竣工させた。戦後は、南極観測船の建造にも関わった。ブロック工法(ブロック建造方式)による艦船建造の先駆者の一人。 佐賀県神埼市出身。生家は佐賀藩主鍋島家の藩祖以来の外戚家門石井家。初代藩主鍋島勝茂の従兄石井茂成の8代目の子孫という。 神埼市立神埼小学校を経て、佐賀県立佐賀中学校(現・佐賀西高等学校)に進学。
弥富 武(いやとみ たけし、1910年4月19日 - 197… 弥富 武(いやとみ たけし、1910年4月19日 - 1975年5月28日)は、日本の経営者。東京建物社長を務めた。 佐賀県佐賀市出身。1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に安田銀行に入行。1955年に取締役に就任し、1959年10月に常務を経て、1963年2月に東京建物副社長に就任し、同年8月には社長に昇格した。 1975年5月28日、急性心不全のために在任中に死去。65歳没。
鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1… 鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1969年9月26日)は、日本の実業家。住友電気工業元社長。佐賀県鹿島市出身。 朝鮮総督府通信技手・鍋島鋼三の長男。1927年(昭和2年)に第五高等学校に入学、弓道部で主将を務めた。 1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友電気工業に入社した。翌年には、高校の後輩でのち住友ゴム工業社長となる下川常雄も入社し、下宿先を貸し出した。1939年4月1日、第2期経理部甲種幹部候補生として陸軍経理学校に入学し、同年9月23日卒業。歩兵第56連隊(55連隊とも)附主計少尉として太平洋戦争を迎える。淡路山丸よりコタバル上陸作戦に参加。翌年2月のジョホール水道上陸作戦では自ら戦線を志願し、背中に銃創を負う。
永倉 三郎(ながくら さぶろう、1910年(明治43年)2月… 永倉 三郎(ながくら さぶろう、1910年(明治43年)2月15日 - 1993年(平成5年)10月20日 )は、日本の経営者。九州電力社長。九州旅客鉄道初代会長。九州・山口経済連合会会長。 佐賀県佐賀市出身。佐賀県立佐賀高等学校卒業。1934年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に東邦電力に入社。 1942年に九州配電(のちの九州電力)に転じる。戦時中は陸軍第49師団の主計中尉としてインパール作戦に従軍した。1963年5月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1974年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任し、1987年6月から取締役相談役を務めた。福岡放送取締役、九州旅客鉄道初代会長、九州・山口経済連合会会長なども歴任。
槇田 久生(まきた ひさお、1909年12月13日 - 19… 槇田 久生(まきた ひさお、1909年12月13日 - 1989年4月24日)は、日本の実業家。元日本鋼管社長・会長。
小林 勝馬(こばやし かつま、1906年(明治39年)11月… 小林 勝馬(こばやし かつま、1906年(明治39年)11月16日 - 1987年(昭和62年)12月23日)は、日本の政治家、実業家、鍼灸師。参議院議員(1期)。 佐賀県佐賀郡鍋島村(現佐賀市)で小林鹿三郎の四男として生まれた。1927年 (昭和2年)鍼灸術営業免許所得[要出典]。熊本逓信講習所を卒業し、さらに1928年(昭和3年)無線電信講習所を卒業した。 1922年(大正11年)通信事務員となり、以後、警視庁技手、国際汽船事務長、無線電信技士、山王工業社長、日本光学兵器社長、自家用自動車組合理事、官立無線同窓会会長などを務めた。 1946年(昭和21年)東京都鍼灸按マッサージ師会理事長及び日本鍼灸按マッサージ師会副会長、全国鍼灸按マッサージ医法制定実行委員会書記長に就任[要出典]。
小原 嘉登次(こはら かとじ、1906年 <明治39年> 1… 小原 嘉登次(こはら かとじ、1906年 <明治39年> 1月28日 - 1999年 <平成11年> 9月22日)は、日本の実業家、佐賀県議会議員(11期)。佐賀県議会議長。位階は従四位。 佐賀県藤津郡吉田村(のち嬉野町、現・嬉野市)の材木商の長男に生まれる。 吉田高小卒業。実業家を目指して大阪に出て、吉田村の焼き物の行商などをして修行を重ね、フィリピンに渡ってマニラ麻の栽培やホテル勤めをするなどして帰国。1937年に吉田村議に初当選した。 1943年に嬉野温泉の旅館を買収し、「和多屋別荘」を興した。宴会客の確保へ大広間整備、客室ごとの風呂場設置、花火大会の開催などアイデアを次々と打ち出して旅館業を発展させるとともに、佐賀県経済人としての地位を築く。
中冨 正義(なかとみ まさよし、1905年10月23日 - … 中冨 正義(なかとみ まさよし、1905年10月23日 - 2011年11月23日)は、日本の実業家。久光製薬の社長、会長を務めた。 佐賀県鳥栖市出身。中冨三郎(久光三郎)の子で、明治薬学専門学校(現・明治薬科大学)を卒業。1929年、家業である久光兄弟合名会社に入社。1951年、株式会社化と同時に父の跡を継ぎ社長に就任。 1965年に社名を現在の「久光製薬」に改称。社長として消炎鎮痛剤サロンパスを開発、販売を開始し、同社の看板商品に押し上げた。1981年から1997年まで会長を務めた。 2011年11月23日、心不全のため死去。満106歳没。 社業以外でも、ホノルルマラソンを77歳から91歳まで連続15回完走するなど、その健脚で知られた。
館林 三喜男(舘林 三喜男、たてばやし みきお、1904年1… 館林 三喜男(舘林 三喜男、たてばやし みきお、1904年1月25日 - 1976年10月22日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。 佐賀県副知事、衆議院議員(4期)、三愛石油株式会社社長(第2代)、株式会社リコー社長(第2代)などを歴任した。 内務省に入省し要職を歴任するも、太平洋戦争後は公職追放となる。第25回衆議院議員総選挙で当選を果たし、以降2回の落選を挟みながら4期務めた。第31回衆議院議員総選挙にて3度目の落選となる。以降はリコー三愛グループの事業に携わり、三愛石油の副社長を経て社長に就任し、のちにリコーの社長も務めた。 佐賀県西松浦郡有田町出身。第五高等学校を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科卒。
松尾 靜磨(まつお しずま、1903年2月17日 - 197… 松尾 靜磨(まつお しずま、1903年2月17日 - 1972年12月31日)は運輸省航空庁長官および日本航空社長・会長を務めた人物。 佐賀県杵島郡若木村(後の武雄市)出身。 連合国軍最高司令官総司令部によって航空事業が壊滅的な打撃を受けた中、民間航空の再建に取り組み、フラッグ・キャリアの日本航空の設立に実現したことから戦後日本航空業界の父と言われる。 杵島郡若木村(後の武雄市若木町)に4人兄弟の次男として生まれた。松尾家は代々庄屋を務める旧家であり、靜麿の祖父・安兵衛は土木建築業・松尾組(現、松尾建設)を創業、更に佐賀県内の各種企業の経営に参画するなど地元財界にて重きを成した。 旧制佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、旧制佐賀高等学校(現・佐賀大学)を経て、九州帝国大学工学部機械工学科卒業。
福田 薫(ふくだ かおる、1903年(明治36年〉1月14日… 福田 薫(ふくだ かおる、1903年(明治36年〉1月14日 - 1968年(昭和43年)12月19日)は、日本の実業家。日本経済新聞社元常務取締役。日本教育テレビ(現:テレビ朝日)元代表取締役副社長。日経映画社(現:日経映像)元取締役。 佐賀県佐賀市出身。東京都新宿区在籍。福田国作の長男に生まれる。1928年(昭和3年)早稲田大学商学部を卒業後、中外商業新報社(現:日本経済新聞社)に入社。相撲部の記事からキャリアをスタートさせた。 社会・通信各部長、編集局長次長を経て、総務局長に昇進。1947年(昭和22年)取締役に就任。1949年(昭和24年)辞任し、夕刊中外新聞社長に就任。 1952年(昭和27年)日本経済新聞社との合併により、同社取締役工務局長に転じ、1954年(昭和29年)3月常務大阪支社長となる。
松尾 國三(まつお くにぞう、明治32年(1899年)6月8… 松尾 國三(まつお くにぞう、明治32年(1899年)6月8日 - 昭和59年(1984年)1月1日)は、日本の歌舞伎役者・実業家・芸能プロモーター。旅役者から立身出世して興行界やレジャー産業で幅広く活躍、「昭和の興行師」や「芸能界の黒い太陽」の異名をもつ。佐賀県伊万里市出身。 松尾の没後、松尾一族が日本ドリーム観光から手を引くことになった事情については日本ドリーム観光の項を参照。現在は松尾の娘・昌出子(ひでこ)と孫・國之(くにゆき)が株式会社富士プロジェクト(富士興業の後身)・松尾育英会・松尾芸能振興財団の3事業を継承。富士プロジェクトは現在、賃貸不動産業をメインにサッカースクールの経営を行うクーバー・コーチング・ジャパンを子会社で行っており、松尾芸能振興財団は松尾芸能賞の主催および松尾の原点である子供歌舞伎・松尾塾の運営、松尾育英会は共同生活による大学修学支援事業を行っている。
宮田 又三郎(みやた またさぶろう、1898年2月25日 -… 宮田 又三郎(みやた またさぶろう、1898年2月25日 - 1985年8月9日)は、日本の実業家で、西日本鉄道社長を務めた。 佐賀県佐賀市出身。1920年に長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)を卒業し、東邦電力(現・九州電力)での勤務を経て、西日本鉄道の前身である福博電車に入社した。 旧帝国大学出身者が学閥を組んで経営の中心となっていた西鉄の中で、高商卒の宮田はまさに「叩き上げ」で出世していく。常任監査役、常務、専務を経て、1960年から1963年11月までに社長を務めた。在任中に西鉄ライオンズのオーナーも務めた。 西鉄不動産、筑豊電気鉄道、大分交通、テレビ西日本、福岡スポーツセンターなどの各取締役を歴任した。
藤田 俊訓(ふじた しゅんくん、1898年2月8日 - 19… 藤田 俊訓(ふじた しゅんくん、1898年2月8日 - 1975年2月25日)は、日本の僧侶(曹洞宗)、大学経営者。佐賀県杵島郡大町町出身。 賢崇寺第29代住職、駒沢女子学園学監、駒澤大学学監などを歴任。「駒大中興の祖」と呼ばれる。 佐賀県神埼郡城田村の光円寺住職の父・亮雄と母センの長男として生まれる。1925年、曹洞宗大学(今の駒澤大学)卒業。大学在学中、学内誌「第一義」の編集に携わる(1922年から卒業迄)。1923年、夏休みを早めに切り上げて上京したため、関東大震災に遇う。広川弘禅や安藤文雄らと共に曹洞宗大学の単科大学昇格運動に積極的に関わった。 苦学して大学卒業後、曹洞宗総務院に務めるが程なく帰郷し宗侶として活動。