橋本 吉郎(はしもと よしお、俗称きちろう、1896年 - … 橋本 吉郎(はしもと よしお、俗称きちろう、1896年 - 1985年8月29日)は、日本の化学者(無機化学)。生涯にわたって15冊の化学辞典を執筆した。 広島県豊田郡本郷村(現・三原市)に生まれる。国民中学(台湾総督府中学校第一部)から1914年に札幌の東北帝国大学予科(現・北海道大学)に進学する。その後、東北帝国大学理学部に進む。 1922年から松山高等学校 (旧制)教授。1933年から「タングステンの容量分析」を8年間行うが第二次世界大戦で中断を余儀なくされる。学制変更で愛媛大学教授(化学)となり、1949年、行政から委託され道後温泉など松山市内の温泉の化学分析を行った。1955年からは文理学部長。
児玉 作左衛門(こだま さくざえもん、1895年(明治28年… 児玉 作左衛門(こだま さくざえもん、1895年(明治28年)12月3日 - 1970年(昭和45年)12月26日)は、日本の解剖学者・人類学者。北海道大学名誉教授。アイヌ研究で知られる。秋田県鹿角郡生まれ。 1895年(明治28年)、秋田県鹿角郡柴平村(現鹿角市)に生まれる。1900年(明治33年)、父が眼科医院開業とクリスチャンとしての宗教教育を目的として、一家で函館に移住。函館中学校、第二高等学校を経て東北帝国大学医学部に進学。解剖学を専攻し、スイス留学後の1928年(昭和3年)に「中枢神経の解剖学的研究」で博士学位を取得。翌1929年(昭和4年)、北海道帝国大学医学部解剖学第二教室教授に任じられる。
富田 芳郎(とみた よしろう、1895年4月8日 - 198… 富田 芳郎(とみた よしろう、1895年4月8日 - 1982年1月8日)は、日本の地理学者。冨田 芳郎とも綴る。 1895年(明治28年)、北海道札幌市で名護屋家の子としてに生まれる。石狩川下流域の花川小学校尋常科六年を経て、公立白石尋常高等小学校の高等科を卒業する。さらに、札幌の北海道師範学校附属小学校高等科3年に入学し、一年間で修了する。その後は、小学校の準訓導の資格を取るため同校の講習所へ通いながら独学した。17歳の時北海道師範学校に入学した。1915年(大正4年)に東京高等師範学校理科3部に入学し、地理学と博物学を専攻した。東京高等師範では地形学を山崎直方・辻村太郎に、地質学を大関久五郎に、人文地理学を内田寛一に学んだ。
内山 泰(うちやま とおる、1895年(明治28年)1月27… 内山 泰(うちやま とおる、1895年(明治28年)1月27日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、病理学者、専門は組織化学。医学博士。正五位。学生時代から禅に打ち込み、盛岡において盛岡禅道会を創立した。二高時代には、黒川利雄と特に親しかった。 新潟県中魚沼郡芦ヶ崎村(現・津南町)に出生。 胃癌の肝転移のため逝去、享年49。
増本 量(ますもと はかる、1895年(明治28年)1月9日… 増本 量(ますもと はかる、1895年(明治28年)1月9日 - 1987年(昭和62年)8月12日)は、日本の金属物理学者。東北大学名誉教授。広島県安芸郡矢賀村(現広島市東区矢賀町)出身。
小竹 無二雄(こたけ むにお、1894年11月30日 - 1… 小竹 無二雄(こたけ むにお、1894年11月30日 - 1976年9月18日)は、日本の化学者。大阪大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授。元日本化学会会長。元日本学士院会員。帝国学士院賞受賞。 富山県出身。旧制・北海道廳立上川中學校(現・北海道旭川東高等学校)、旧制・第七高等学校造士館を経て、1920年東北帝国大学理学部化学科卒業、理化学研究所助手。1928年東北帝国大学理学博士。1932年大阪帝国大学理学部教授。1944年帝国学士院賞受賞。1946年食品化学研究所(現サントリー生命科学財団)理事長。1949年大阪市立大学理工学部教授、初代大阪市立大学理工学部長。1955年大阪大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授。
堀田 一雄(ほった かずお、1894年4月10日 - 197… 堀田 一雄(ほった かずお、1894年4月10日 - 1976年2月2日)は日本の生化学者、医学博士、大学教授。名古屋大学名誉教授、一宮女子短期大学名誉学長。 愛知県名古屋市出身。愛知県立医学専門学校(現・名古屋大学)、東北大学医科大学卒業。生化学を専攻し、愛知医科大学・名古屋医科大学・名古屋大学教授、和歌山県立医科大学教授を歴任した。1976年2月2日、脳血栓のため愛知県名古屋市中京病院で死去。81歳。告別式は愛知県医師会講堂で行われた。 名古屋日独協会の活動に尽力。1964年から1976年に亡くなるまで協会長として活動した。晩年にはドイツ連邦共和国功労勲章(大功労十字章)を受賞している。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
菊田 多利男(きくた たりお、1893年5月28日 - 19… 菊田 多利男(きくた たりお、1893年5月28日 - 1963年12月17日)は、日本の冶金学者。元日立製作所中央研究所所長。元日本金属学会会長。帝国学士院賞受賞。 宮城県仙台市出身。1920年東北帝国大学理学部物理学科卒業。1926年東北帝国大学理学博士。1933年戸畑鋳物(のちの日立金属)入社。1940年帝国学士院賞受賞。1948年日立製作所常務。1951年日立製作所中央研究所所長。1959年日本金属学会会長。日立化工社長、日本学術会議会員を歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山本 勇(やまもと いさむ、1893年(明治26年)3月6日… 山本 勇(やまもと いさむ、1893年(明治26年)3月6日 - 1964年(昭和39年)4月23日)は、日本の電気工学者。東京工業大学教授、明治大学教授、電気通信大学学長、千葉工業大学顧問などを歴任。
杉野目 晴貞(すぎのめ はるさだ、1892年10月27日 -… 杉野目 晴貞(すぎのめ はるさだ、1892年10月27日 - 1972年4月14日)は、日本の有機化学者。元北海道大学学長。アルカロイド研究の第一人者として知られた。1967年4月、勲一等瑞宝章。 宮城県大崎市出身。旧制古川中学校(現在の宮城県古川高等学校)。</ref>11期(三浦義男は1期後輩)。旧制二高を経て、東北帝国大学卒業。真島利行に師事。1926年、ロックフェラー財団の国際奨学生としてグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国に留学。その後スイスに移った。1929年秋に北海道帝国大学への転勤含みで北海道札幌市に転居。理学部が新設された1930年に北海道帝国大学教授となり、「花の色の科学」と題して開学記念学術講演を行った。
小池 正朝(こいけ まさとき、明治25年(1892年)1月2… 小池 正朝(こいけ まさとき、明治25年(1892年)1月25日 - 昭和47年(1972年)5月29日)は、日本の泌尿器科学者、医学博士(東北帝国大学)。順天堂大学教授、江東病院初代院長。男爵・小池正直の四男。東京市小石川(現・東京都文京区小石川)出身。
早坂 一郎(はやさか いちろう、1891年〈明治24年〉12… 早坂 一郎(はやさか いちろう、1891年〈明治24年〉12月6日 - 1977年〈昭和52年〉8月19日)は、日本の古生物学者・地質学者。島根大学学長、日本地質学会会長、日本学術会議会員。 宮城県仙台市に生まれる。東北帝国大学理科大学地質学教室の第一期生で、1915年に卒業、同大学講師となる。1918年に理学博士、助教授。1928年、新設の台北帝国大学理農学部教授に就任する。1940年、同大学理農学部部長に就任。戦後は金沢大学教授、北海道大学教授を経て、1958年島根大学学長に就任。 古生代の化石の研究で知られ、朝鮮、中国、台湾等の第3系化石を調査。1952年から1953年に日本地質学会会長を務めた。 1926年に『地学雑誌』444号に発表した論文「岩手県花巻町産化石胡桃について」には、「化石収集に便宜を与えて下さった」という謝辞の対象として「花巻の宮澤賢治氏」という記述がある。
長尾 巧(ながお たくみ、1891年3月9日 - 1943年… 長尾 巧(ながお たくみ、1891年3月9日 - 1943年8月28日)は、日本の地質学者・古生物学者。ニッポノサウルスの化石研究者として知られる。 現在の福岡県田川市出身。東京高等師範学校を卒業後、山口県岩国中学校や鹿児島師範学校で教員を務める。東京高等師範では博物学科に所属し、佐藤伝蔵の講義から地質学への興味を抱いたとされる。 その後東北帝国大学に入学し、理学部で矢部長克の指導を受ける。1921年に東北帝大理学部を卒業後、同大学講師となる。長尾が取り組んだのは、出身地でもある北九州地方の炭田の地質構造研究だった。 1927年から渡仏して2年間パリで研究に従事した。この留学は、教授候補者に対する当時の慣例だったとされる。
尾形 輝太郎(おがた てるたろう、1891年2月15日 - … 尾形 輝太郎(おがた てるたろう、1891年2月15日 - 1955年8月26日) は、日本の化学者。理化学研究所名誉研究員。帝国学士院賞受賞。 山形県上山町(現上山市)出身。1911年に山形師範学校を経て、1914年、広島高等師範学校卒業。1919年、東北帝国大学理学部物理学科入学。松生義勝と同時に同化学科に転じ、1922年に化学科を卒業し、理化学研究所へ入所。1927年理学博士。1941年帝国学士院賞受賞。1942年理化学研究所主任研究員。1955年定年退職、理化学研究所名誉研究員、星薬科大学教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
松生 義勝(まついけ よしかつ、1890年3月21日 - 1… 松生 義勝(まついけ よしかつ、1890年3月21日 - 1963年1月12日) は、日本の化学者。初代東京水産大学学長。 大阪府出身。1913年水産講習所(現東京海洋大学)製造科卒業。東北帝国大学理学部物理学科から転じ、1922年東北帝国大学理学部化学科卒業。東北帝国大学助手を経て、1927年助教授。1928年水産講習所教授、理学博士。1941年釜山高等水産学校教授。1946年水産講習所所長。1947年第二水産講習所(現水産大学校)所長事務取扱。1949年東京水産大学(現東京海洋大学)学長。1958年東京水産大学名誉教授、農林省水産講習所(現水産大学校)所長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
海野 三朗(うんの さぶろう、1889年(明治22年)9月2… 海野 三朗(うんの さぶろう、1889年(明治22年)9月21日 - 1961年(昭和36年)1月14日)は、大正・昭和期の冶金学者、僧侶、政治家。衆議院議員、参議院議員、理学博士。 山形県山形市で、浄土真宗本願寺派・明善寺住職、海野覚英の三男として生まれる。1916年(大正5年)東北帝国大学理科大学物理学科を卒業した。 山形県立米沢中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)教諭に就任。1919年(大正8年)農商務省に入省し、製鐵所技手、同技師を歴任。その後、八幡製鉄所研究所員、日本製鐵理事、同研究所調査部長、技術院事務嘱託などを務めた。1935年(昭和10年)鉄炭素の研究で日本学士院賞を受賞した。
石原 富松(いしはら とみまつ、1889年7月26日 - 没… 石原 富松(いしはら とみまつ、1889年7月26日 - 没年不詳)は、日本の化学者、鉱物工学者。東北大学名誉教授。鉱物の選鉱製錬研究において重要な業績を残した。特に、金属資源の有効利用に関する研究に従事し、戦前・戦中の日本の工業発展に貢献した。 1889年(明治22年)、宮城県に生まれる。旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)を経て、1915年(大正4年)東北帝国大学理科大学化学科を卒業。東北帝国大学附属興業専門部、理学部を経て、1923年同大学工学部に勤める。1924年、イギリス、フランス、ドイツへ留学。同年、東北大学工学博士の学位を取得、選鉱製錬研究所の第三代所長に就任。当時、日本は自国の鉱物資源に乏しく、戦争遂行のために鉄や銅などの金属資源確保が急務で、石原は鉱石の選鉱技術や製錬技術を発展させ、より効率的に金属を精錬する方法を研究した。
永海 佐一郎(ながみ さいちろう、1889年3月10日 - … 永海 佐一郎(ながみ さいちろう、1889年3月10日 - 1978年1月13日) は、日本の化学者。東京工業大学名誉教授。隠岐の島町名誉町民。 島根県隠岐島中町出身。西郷町小学校を経て、松江市の旧制中学校を2年で中退後、東京高等工業学校(現東京工業大学)応用化学科見習職工として加藤与五郎の化学助手を務めた。新潟県長岡市立商業高校(現新潟県立長岡商業高等学校)教師を経て、1917年東北帝国大学理学部卒業、講師。1926年理学博士。東北帝国大学助教授、東京高等工業学校教授、東京工業大学教授を経て、1949年定年退職、東京工業大学名誉教授。西郷町に帰郷し研究に従事した。1968年勲三等旭日中綬章受章。
岡崎 文夫(おかざき ふみお、1888年(明治21年)2月2… 岡崎 文夫(おかざき ふみお、1888年(明治21年)2月23日 - 1950年(昭和25年)3月24日)は、富山県生まれの東洋史学者。字は煥卿、号は桜洲。東北大学文学部教授。 江戸時代から続く鵜坂村(現・富山市西本郷)の豪農で、代々富山藩の十村役を務めた名家・岡崎家の十六代として1888年に生まれた。1905年、旧制富山中学校(現:富山県立富山高等学校)を卒業し、第四高等学校に進んだ。京都帝国大学文科大学史学科に入学し、内藤湖南に師事。1912年に卒業した。同大学大学院に進学し、在学中の1919年から1921年まで上野育英会の資金補助を受けて中国に留学した。 帰国後、東北帝国大学における東洋史学専攻講座の開設にあたった。
田中 壽一(たなか じゅいち、1886年(明治19年)10月… 田中 壽一(たなか じゅいち、1886年(明治19年)10月5日 - 1960年(昭和35年)11月11日)は、日本の物理学者。学校法人名城大学創設者。福岡県山門郡柳河町(現・福岡県柳川市)出身。 柳河尋常小学校、柳河高等小学校、福岡県立中学伝習館(現・福岡県立伝習館高等学校)、東京高等工業学校(現東京工業大学)電気科電気機械分科を卒業(明治42年)。卒業後逓信省(現総務省)に入り、電気事業者届出落成電気工作物の検査・監査に当たった。その当時の部下が後に東海大学を創立した松前重義である。明治45年(1912年)4月、明治専門学校(現九州工業大学)助教授となったが、大正4年(1915年)8月東北帝国大学理科大学物理学科(現東北大学理学部)に入学して勉学に励んだ。
福井 利吉郎(ふくい りきちろう、1886年3月10日 - … 福井 利吉郎(ふくい りきちろう、1886年3月10日 - 1972年12月1日)は、日本の文学者、美術史家。東北大学名誉教授。 大学卒業後、50年以上にわたり文化財の調査、指定、保存に尽力。専門分野は仏教美術、尾形光琳、俵屋宗達、乾山、絵巻物、水墨画と多方面に及んだ。
黒田 チカ(くろだ チカ、1884年〈明治17年〉3月24日… 黒田 チカ(くろだ チカ、1884年〈明治17年〉3月24日 - 1968年〈昭和43年〉11月8日)は、日本の化学者。理学博士(1929年)(保井コノに続く女性理学博士第2号)。お茶の水女子大学名誉教授。1959年紫綬褒章、1965年勲三等宝冠章受章。位階は従三位。 佐賀県佐賀郡松原町(現・佐賀市松原)生まれ。植物色素の構造決定を行ったことで知られる。天然色素に関する黒田の研究は、2013年3月に日本化学会がその関連資料を化学遺産に認定。日本初の女子帝国大学生の1人としても知られる。 父平八、母トクの7人兄弟姉妹の三女として1884年(明治17年)に佐賀県に生まれる。 「これからは女子にも教育が必要」と考え子どもは大学へ上げようとした両親の方針もあり、黒田チカは1901年(明治34年)に佐賀県師範学校(現・佐賀大学文化教育学部)女子部を卒業、小学校教員として1年の義務奉職を経ると1902年(明治35年・18歳)、上京して女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身で、のち東京女子高等師範学校に改称)理科へ進む。
伊藤 誠哉(いとう せいや、1883年8月7日 - 1962… 伊藤 誠哉(いとう せいや、1883年8月7日 - 1962年3月28日)は、植物学者、菌類学者、植物病理学者、元北海道大学総長。農学博士。新潟県新潟市生まれ。 新潟県立新潟中学校を経て東北帝国大学農科大学(現北海道大学農学部)卒業。稲熱病の防除法を研究。その後も日本に点在する全菌類の調査研究をする等、日本の植物病理学の発展に尽力した。1950年(昭和25年)、日本学士院(当時の第二部自然科学部門)会員になる。新会員一同は、昭和天皇から皇居に招かれたが伊藤は欠席した。1959年(昭和34年)文化功労者。 主著に『日本菌類誌』等。
安孫子 孝次(あびこ こうじ / たかつぐ、1882年(明治… 安孫子 孝次(あびこ こうじ / たかつぐ、1882年(明治15年)12月16日 - 1973年(昭和48年)3月26日)は、日本の農学者、教育者、政治家。衆議院議員、北海道札幌郡琴似町長。 北海道札幌郡琴似村屯田兵村(現札幌市西区琴似)で旧会津藩士・屯田兵、安孫子倫彦の長男として生まれる。農作業の経験から、寒冷地農業の確立の志を持つようになる。北海道庁立札幌中学校を経て札幌農学校に入学。同校が改称した東北帝国大学農学部を1908年に卒業した。 卒業後、北海道庁地方農事試験場技手として採用され、北見分場長に就任。1910年、北海道庁技師・北海道農事試験場渡島支場長に就任。1927年、北海道農事試験場長となる。
鶴見 一之(つるみ かずゆき 1881年(明治14年)11月… 鶴見 一之(つるみ かずゆき 1881年(明治14年)11月 - 1959年(昭和34年)10月12日)は、日本の土木工学者。仙台高等工業学校(東北大学工学部の前身)と東北帝国大学で教授、仙台高等工業学校・仙台工業専門学校では校長を務めた。 東北土木学会の設立等に尽力し、仙台工専の後継となる東北大学工学部土木工学科の礎を築いた。 新潟県士族、鶴見保四郞の長男として生まれ、1900年(明治33年)3月古志郡立長岡中学校(現在の新潟県立長岡高等学校を卒業した。1906年(明治39年)東京帝国大学工科大学土木科を卒業し、仙台高等工業学校教授となる[要出典]。 長岡市の下水道整備事業や、仙台市の上下水道事業[要出典]に携わった。
熊谷 岱蔵(くまがい たいぞう、1880年(明治13年)7月… 熊谷 岱蔵(くまがい たいぞう、1880年(明治13年)7月19日 - 1962年(昭和37年)2月19日)は、内科学者、医学博士。東北帝国大学医科大学(後の東北大学医学部)教授、東北帝国大学総長。抗酸菌病研究所初代所長。興亜工業大学顧問を兼任した。 長野県東筑摩郡洗馬村(現:塩尻市)の代々医家の熊谷家に生まれる。熊谷陸蔵の長男。曾祖父には浅田宗伯に医学の薫陶を施した熊谷珪碩がいる。旧制松本中学時代の同級生には吉江喬松がいた。東京外国語学校ドイツ語科に一年間通った後、一高、東京帝国大学医学部卒業後、青山胤通の内科学教室に入局。 1911年(明治44年)から1913年(大正2年)までドイツのベルリン大学・ブレスラウ大学に留学し内科学、免疫学、実験治療、医化学等を学ぶ。
矢部 長克(やべ ひさかつ、1878年12月3日 - 196… 矢部 長克(やべ ひさかつ、1878年12月3日 - 1969年6月23日)は、日本の地球科学者。東京生まれ。東北大学名誉教授。東京大学卒業。
中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10… 中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10月28日 - 1920年(大正9年)8月9日)は、日本の文芸評論家、電気工学者。本名は重雄。 長野県伊那郡大草村(現・中川村)出身。生家である塩沢家は養命酒の製造元であり、地元の名家であった。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)に入学し、2年上の窪田空穂(後に歌人)、1年下の吉江喬松(後に作家)らの影響で文学に興味を持つようになる。中学卒業後、第二高等学校(現・東北大学)に入学。ここで次第に西洋文学に興味を持つようになり、特にヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』に熱中した。1899年(明治32年)、南安曇郡梓村の中沢良作の養嗣子に入ると同時に結婚し、中沢姓となる。
堀内 次雄(ほりうち つぎお/つぐお、1873年〈明治6年〉… 堀内 次雄(ほりうち つぎお/つぐお、1873年〈明治6年〉5月25日 - 1955年〈昭和30年〉5月12日)は、明治から昭和時代の医学者、大日本帝国陸軍軍医。 堀内直学の長男として丹波国多紀郡篠山北新町(現・兵庫県丹波篠山市北新町)に生まれ、1888年(明治21年)7月、家督を相続する。 1894年(明治27年)第二高等学校医学部(現・東北大学医学部)を卒業し、陸軍に入り、三等軍医となる。1896年(明治29年)台北病院医務嘱託、台北県医院医員、台湾総督府医院医員、台湾総督府医学校助教授、同校舍監、同校教授、同医院医長を歴任する。1912年(大正元年)多紀郡出身者として初めて医学博士の学位を授かる。
丹下 梅子(たんげ うめこ、1873年3月17日 - 195… 丹下 梅子(たんげ うめこ、1873年3月17日 - 1955年1月29日)は、日本の栄養学者、食品化学者。東京帝国大学農学博士。辻村みちよに次いで日本人女性として2人目の女性農学博士である。女性初の帝国大学(東北帝国大学理科大学)に入学・卒業した3名のうちの一人。丹下ウメ子、丹下ウメの表記を採る資料もある。 1873年(明治6年)に鹿児島県鹿児島府下金生町ほか十四町(現在の山形屋鹿児島本店付近)の商家、戸高丹下伊左衛門と丹下エダの三女として生まれる。幼年時にままごとの竹箸を持ちながら走っていたときに転倒して竹箸が右眼に刺さり、失明する。 鹿児島県立女子師範学校(現在の鹿児島大学教育学部)を卒業後、当時の女子師範附属尋常小学校(現在の鹿児島市立名山小学校)の教師になる。
遠藤 航(えんどう わたる)は、日本の医学者、気仙沼市立病院… 遠藤 航(えんどう わたる)は、日本の医学者、気仙沼市立病院院長。地域医療従事者。
荒木 信幸 は、日本の機械工学者。熱工学専攻。静岡大学名誉教… 荒木 信幸 は、日本の機械工学者。熱工学専攻。静岡大学名誉教授。静岡理工科大学名誉学長。スズキ監査役。元日本熱物性学会会長。元日本伝熱学会会長。
岩本 武明(いわもと たけあき)は、日本の化学者。 東北大学… 岩本 武明(いわもと たけあき)は、日本の化学者。 東北大学大学院理学研究科 化学専攻 教授。専門は無機分子化学、有機分子化学、構造有機化学。
サミラ・アバー(Sameera Abar)は、人工知能、マル… サミラ・アバー(Sameera Abar)は、人工知能、マルチエージェントコンピューティング、知識ベースシステムなどを専門とする情報科学者。京都情報大学院大学教授である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤井 正明(ふじい まさあき)は、日本の化学者。 中央大学 … 藤井 正明(ふじい まさあき)は、日本の化学者。 中央大学 研究開発機構 機構教授。専門は基礎物理化学。
劉震(りゅう しん、LIU Zhen)は、日本の工学者(情報… 劉震(りゅう しん、LIU Zhen)は、日本の工学者(情報科学)、博士(工学)。東北大学卒。長崎総合科学大学教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小野寺 一浩(おのでら かずひろ)は、日本の法学者。専門は刑… 小野寺 一浩(おのでら かずひろ)は、日本の法学者。専門は刑法。福岡大学法学部教授。 刑法の犯罪総論と各論が交錯する問題を、具体的事例分析を通じて検討している。また共犯理論の発展過程を検証し、その実体解明に取り組んでいる。 主な研究キーワードは「共犯」。
伊藤 邦彦(いとう くにひこ)は、日本の薬学者(薬理遺伝学・… 伊藤 邦彦(いとう くにひこ)は、日本の薬学者(薬理遺伝学・抗体工学・免疫学・分子生物学・臨床薬理学・医療薬学)。学位は薬学博士(東北大学・1989年)。静岡県立大学薬学部教授・大学院薬学研究院教授。 東北大学医学部附属病院助手、スクリプス研究所博士研究員、秋田大学医学部助教授などを歴任した。 宮城県仙台第一高等学校を卒業し、東北大学の薬学部にて薬学を学ぶ。同大学を卒業後は、そのまま大学院の薬学研究科に進み、博士後期課程を修了した。1989年、薬学博士を取得した。学位論文の題は 「抗修飾核酸塩基モノクローナル抗体の癌診断及びモニタリングへの応用を目的とした基礎研究」。 東北大学医学部附属病院に採用され、薬剤部の助手として勤務した。
木村 晃彦(きむら あきひこ)は、日本・中国の材料工学者。京… 木村 晃彦(きむら あきひこ)は、日本・中国の材料工学者。京都大学名誉教授。元京都大学エネルギー理工学研究所副所長。 1972年宮城県仙台第一高等学校卒業。1976年東北大学工学部卒業。1982年東北大学大学院工学研究科金属材料工学専攻博士課程修了、工学博士。室蘭工業大学工学部助教授を経て、1993年東北大学金属材料研究所助教授。1997年京都大学大学院エネルギー理工学研究科教授。1998年京都大学エネルギー理工学研究所教授。京都大学エネルギー理工学研究所副所長を経て、2019年定年退職、京都大学名誉教授、重慶大学材料科学与工程学院材料加工工程系着任。
月浦 崇(つきうら たかし、1972 -)は、日本の認知神経… 月浦 崇(つきうら たかし、1972 -)は、日本の認知神経科学者。京都大学大学院人間・環境学研究科認知・行動科学講座教授。 宮城県出身。宮城県仙台第一高等学校を経て、1996年東北大学教育学部教育心理学科卒業。1998年東北大学大学院医学系研究科博士課程前期障害科学専攻修了、修士(障害科学)。2000年日本学術振興会特別研究員。2001年東北大学大学院医学系研究科博士課程後期障害科学専攻修了、博士(障害科学)。同年産業技術総合研究所脳神経情報研究部門研究員。2006年デューク大学認知神経科学センター客員研究員。2008年東北大学加齢医学研究所脳機能開発研究分野准教授。2011年京都大学大学院人間・環境学研究科認知・行動科学講座准教授。
栗原 操寿(くりはら そうじゅ)は、日本の医学者、慶應義塾大… 栗原 操寿(くりはら そうじゅ)は、日本の医学者、慶應義塾大学医学部教授。慶應義塾大学病院病院長 宮城県に生まれる。宮城県築館高等学校卒業。東北大学医学部卒業。
伊藤 貞嘉(いとう さだよし)は、日本の医学者。東北大学名誉… 伊藤 貞嘉(いとう さだよし)は、日本の医学者。東北大学名誉教授。専門は腎臓、高血圧、内分泌学。学位は、医学博士(東北大学)。 食塩の摂取によってレニンの分泌や腎血行動態が変わるメカニズムを実証したことで知られる。 宮城県登米市出身。登米市立米山中学校、宮城県古川高等学校卒業。1979年3月、東北大学医学部卒業。同年5月から古川市立病院に初期研修医として勤めた。1981年、東北大学医学部第二内科へ入局。1982年からアメリカ合衆国ミシガン州ヘンリーフォード病院内科高血圧研究部門へ留学。1986年、「単離輸入細動脈よりのレニン遊出 : 特に密集斑の役割に関して」で医学博士の学位を取得。 1987年、ヘンリーフォード病院内科高血圧研究部門招聘主任研究員。
及川 真一(おいかわ しんいち)は、日本の医学者。「高脂血症… 及川 真一(おいかわ しんいち)は、日本の医学者。「高脂血症・糖尿病治療の第一人者」。[要出典] 宮城県に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。東北大学医学部卒業。医学博士(東北大学)。公益財団法人結核予防会複十字病院糖尿病・生活習慣病センター長、日本医科大学名誉教授。1990年より、文部省長期在外研究員として米国ワシントン大学代謝・内分泌・栄養学講座で学ぶ。東北大学医学部附属病院講師などを経て、2000年より日本医科大学付属病院内分泌代謝内科・教授。2014年より公益財団法人結核予防会複十字病院糖尿病・生活習慣病センター長。専門は糖尿病、高脂血症、肥満。日本糖尿病学会専門医、日本糖尿病学会指導医。
大久保 孝義(おおくぼ たかよし)は、日本の医学者。専門は公… 大久保 孝義(おおくぼ たかよし)は、日本の医学者。専門は公衆衛生学、疫学、高血圧学。帝京大学医学部衛生学公衆衛生学講座主任教授、大学院医学研究科教授。家庭血圧測定の国際的な重要性を確立し、日本および世界の高血圧診療ガイドラインに影響を与えた研究者として知られる。Hypertension(AHA)誌のGuest Editor、Hypertension Research誌のAssociate Editor、日本循環器病予防学会誌編集長を歴任。 「家庭で測る血圧」の医学的意義を日本において先駆的に確立した研究者の一人である。岩手県大迫町で1980年代から実施されている「大迫研究(OHASAMA STUDY)」に長年関わり、住民を対象にした長期コホート研究を通して以下の知見を明らかにした。
力山 敏樹(りきやま としき)は、日本の外科医、医学者。自治… 力山 敏樹(りきやま としき)は、日本の外科医、医学者。自治医科大学医学部教授、副センター長。高度な肝臓・胆嚢・膵臓の外科手術(肝胆膵外科)を専門とし、日本トップクラスの手術技術(日本で数名しか出来ない肝胆膵臓の高難度手術を施す)を持つ名医として知られる。
佐藤 佳(さとう けい、Kei SATO)は、日本のウイルス… 佐藤 佳(さとう けい、Kei SATO)は、日本のウイルス学者。学位は博士(医学)(京都大学・2010年)。東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野・教授(分野長)、東京大学新世代感染症センター・主任研究員。
田中 真美(たなか まみ)は、日本の医療福祉工学者。東北大学… 田中 真美(たなか まみ)は、日本の医療福祉工学者。東北大学大学院医工学研究科教授、日本学術会議会員。日本学術振興会賞受賞。 山形県山形市出身。山形市立第十中学校、山形県立山形東高等学校を経て、1993年東北大学工学部機械工学科卒業。1995年東北大学大学院工学研究科博士課程前期課程修了。1999年博士(工学)。 2001年東北大学大学院工学研究科助教授。2002年東京工業大学精密工学研究所助教授併任。2003年文部科学省在外研究員(フランス国立工芸院)。2008年東北大学大学院医工学研究科教授。2014年東北大学男女共同参画推進センター副センター長。 2018年東北大学総長特別補佐(共同参画担当)、日本機械学会理事。
高橋 応明(たかはし まさはる)は、日本の工学者、千葉大学准… 高橋 応明(たかはし まさはる)は、日本の工学者、千葉大学准教授、工学博士。専門分野は、アンテナ、環境電磁工学、人体と電磁波、RFID、無線通信。 千葉県立船橋高等学校卒、東北大学工学部電気工学科卒(1989)、 東京工業大学大学院博士課程修了(1994)、日本学術振興会特別研究員(1993)、武蔵工業大学工学部電子通信工学科助手(1994)、同大講師(1996)、東京農工大学工学部電気電子工学科助教授(1996)、千葉大学フロンティアメディカル工学研究開発センター助教授(2004)を経て千葉大学フロンティアメディカル工学研究開発センター准教授。
古瀬 祐気(ふるせ ゆうき、Yuki Furuse)は、日本… 古瀬 祐気(ふるせ ゆうき、Yuki Furuse)は、日本の医師、医学者。東京大学新世代感染症センター 感染系微生物学分野 教授。学位は博士(医学)(東北大学・2010年)。専門はウイルス学、感染症学、疫学など。 東邦大学付属東邦中学校・高等学校卒業。2010年、東北大学大学院医学系研究科において大学卒業より先に博士号を授与され、その翌年に同大学医学部医学科を卒業。医師免許を取得し、成田赤十字病院小児科などで初期臨床研修医を務めた。 基礎医学研究を行うためデューク大学に博士研究員として渡米。帰国後は、東北大学学際科学フロンティア研究所、京都大学ウイルス・再生医科学研究所(現 京都大学医生物学研究所)で助教や准教授として研究・教育活動に従事した。
河野 昭三(こうの しょうぞう)は、日本の経営学者。東北大学… 河野 昭三(こうの しょうぞう)は、日本の経営学者。東北大学名誉教授、甲南大学名誉教授。 神奈川県中郡伊勢原町(現伊勢原市)生まれ。1966年に東京都立立川高等学校卒業後、1973年に一橋大学商学部を卒業。同年に同大学院商学研究科修士課程に進学。1977年に博士後期課程を中退し、山形大学人文学部経済学科講師に就任。1979年から1980年までフルブライト研究員としてメリーランド大学経済学部にて制度学派の研究に従事。 帰国後、1981年に山形大学人文学部経済学科助教授、1985年に東北大学経済学部経営学科助教授に転じた。1990年に同教授。1995年から日本経営学会理事・東北部会代表。1999年の大学院重点化に伴い東北大学大学院経済学研究科経営学専攻教授となった。