千種創一(ちぐさ そういち、1988年 - )は、日本の歌人… 千種創一(ちぐさ そういち、1988年 - )は、日本の歌人、詩人、作家、翻訳家。 愛知県名古屋市生まれ。2005年頃、作歌開始。 2009年、東京外国語大学アラビア語学科在学中に三井修の授業「短歌創作論」の受講生らと「外大短歌会」創立。2010年、短歌同人誌「dagger」参加。2011年、韻文と散文の同人誌「ami.me」創刊に参加。2012年、東京外国語大学アラビア語学科卒業。中東のヨルダンやレバノンに住む。 2013年、短歌同人誌「中東短歌」創刊。連作「keep right」で塔新人賞。2014年、評論同人誌「ネヲ」参加。2015年、連作「ザ・ナイト・ビフォア」で歌壇賞次席。第1歌集『砂丘律』上梓。
南 龍太(みなみ りゅうた、1983年 - )は、日本のジャ… 南 龍太(みなみ りゅうた、1983年 - )は、日本のジャーナリスト、著作家。 東京外国語大学外国語学部ペルシア語専攻卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井鯉 こま(いこい こま、1979年 - )は、日本の小説家… 井鯉 こま(いこい こま、1979年 - )は、日本の小説家。女性。 神奈川県横浜市出身。東京外国語大学外国語学部を卒業する。2014年、「コンとアンジ」で筑摩書房と東京都三鷹市が共催する第30回太宰治賞を受賞する(選考委員:加藤典洋、小川洋子、荒川洋治、三浦しをん)。小川洋子は、「コンとアンジ」について「余計なことを書かないことによって、性別や国境、言葉の違いといった境界線をやすやすと飛び越え、ある種神話的な世界を作り上げている」と評価している。井鯉は、応募のきっかけについて、「子どもの夜泣きがなくなって自分の時間が持てるようになったこと」と語っている。中学生のときに太宰治作品を愛読していたという。
成田 名璃子(なりた なりこ、1975年3月14日 - )は… 成田 名璃子(なりた なりこ、1975年3月14日 - )は、日本の小説家。 青森県生まれ、東京都在住。東京外国語大学仏語学科卒業。2011年2月、投稿作「逃げる雪男、追う鬼女」が第12回ボイルドエッグズ新人賞で最終候補に。同年10月、投稿作「やまびこのいる窓」が第18回電撃小説大賞〈メディアワークス文庫賞〉を受賞。翌年、受賞作を改稿・改題した『月だけが、私のしていることを見おろしていた。』(メディアワークス文庫)で作家デビューした。 デビュー後の2012年には、コピーライターとして勤めていた会社を退社し、専業作家となった。現在はフリーのコピーライターとしても活動している。 「」内が成田名璃子の作品 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
谷生 俊美(たにお としみ、1973年9月26日 - )は、… 谷生 俊美(たにお としみ、1973年9月26日 - )は、日本の映画プロデューサー、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。日本テレビ放送網株式会社コンテンツ戦略本部コンテンツビジネス局スタジオセンター所属。京都府生まれ、兵庫県神戸市育ち。トランスジェンダー女性であり、日本テレビ系『news zero』に日本初のトランスジェンダーのニュースコメンテーターとして出演したことで知られる。 1973年、京都府に生まれ、兵庫県神戸市で育つ。兵庫県立兵庫高等学校を経て、東京外国語大学および同大学大学院博士前期課程を修了した。在学中に映画に強い関心を抱き、映画制作に携わる仕事を志すようになったという。 2000年に日本テレビに男性・谷生俊治として入社し、報道局社会部遊軍、外報部、社会部警視庁担当など報道記者として活動する。
杉岡 幸徳(すぎおか こうとく、1969年 - )は、兵庫県… 杉岡 幸徳(すぎおか こうとく、1969年 - )は、兵庫県出身の著作家。 東京外国語大学大学院ドイツ語学科修了。東京のカフェで古典文学の名作を読む「東京読書会」を主宰している。 奇妙な祭を取り上げた著書が複数あり、世界で唯一の「奇祭評論家」(杉岡自身の造語)とされる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
島田 雅彦(しまだ まさひこ、1961年3月13日 - )は… 島田 雅彦(しまだ まさひこ、1961年3月13日 - )は、日本の小説家。法政大学国際文化学部教授。 東京都に生まれ、1965年に川崎市へ転居。神奈川県立川崎高等学校を経て、1984年に東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。デビュー前までのペンネームは埴谷雄高の小説『死霊』の登場人物である首猛夫にあやかり、首猛彦としていた。 大学在学中の1983年、『海燕』掲載の『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー、芥川龍之介賞の候補となる。左翼を「サヨク」と表記した最初の人間。1984年、『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞受賞。『僕は模造人間』(1986年4月)、『ドンナ・アンナ』(1986年9月)、『未確認尾行物体』(1987年)と、郊外の新興住宅を舞台にした若年層の生活を描く作風で、新世代の作家として注目を浴びたほか、戯曲活動も行った。
谷口 桂子(たにぐち けいこ、1961年2月23日 - )は… 谷口 桂子(たにぐち けいこ、1961年2月23日 - )は日本の俳人、作家。三重県四日市市出身。茶道の表千家不審庵講師も務める(雅名・宗桂)。 三重県立四日市高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部イタリア語学科卒業。大学在学中に新聞社でアルバイトを始め、カタールの首都ドーハで初めて開かれた日本週間に茶道の講師として招かれる。 帰国後、フリーランスで雑誌等のインタビューを始め、元首相、ノーベル賞受賞者から山谷の日雇い労働者まで幅広くインタビューを手掛ける。週刊朝日連載「夫婦の階段」「夫婦の情景」では著名夫婦350組をインタビュー。著名人インタビューは1000人を超える。 20代で俳人・鈴木真砂女に出会ったのがきっかけで俳句を始め、加藤楸邨主宰の「寒雷」へ。
髙橋 秀実(たかはし ひでみね、1961年〈昭和36年〉- … 髙橋 秀実(たかはし ひでみね、1961年〈昭和36年〉- 2024年11月13日)は、日本のノンフィクション作家である。 神奈川県横浜市出身。中区上野町の幼稚園に通い、後に保土ケ谷区へ引っ越しした。 神奈川県立希望ヶ丘高等学校を卒業後、大学進学を機に東京に移り、東京外国語大学モンゴル語学科を卒業。テレビ番組制作会社のADを経て、フリーのライターとなる。 元ボクサーで、ボクシングのジムトレーナーを務めていた経験も持つ。 1992年8月、平凡社より『TOKYO外国人裁判』を出版。 1995年、アメリカから帰国した村上春樹のもと、地下鉄サリン事件被害者に対する取材のリサーチャーを押川節生と共につとめる。
大岡 玲(おおおか あきら、1958年10月16日 - )は… 大岡 玲(おおおか あきら、1958年10月16日 - )は、日本の日本の著作家、翻訳家、イタリア文学者。東京経済大学教授。妻は料理研究家の冬木れい。父は詩人の大岡信。母は劇作家の深瀬サキ。妹は画家の大岡亜紀。祖父は歌人の大岡博。 詩人・大岡信と劇作家・深瀬サキの長男として東京都三鷹市に生れる。 中学・高校時代は、文学少年であると同時に、小林信彦の影響を受けた映画少年でもあった。武蔵中学校・高等学校卒業。高校の同級生に有近真澄がいた。 2年の浪人の後、浪人時代に読んだイタロ・カルヴィーノの影響で、東京外国語大学外国語学部イタリア語学科へ入学。大学時代から小説を書き始める。卒業後、同大学大学院外国語学研究科ロマンス系言語専攻修士課程修了。
緒川 怜(おがわ さとし、1957年 -)は、日本の小説家、… 緒川 怜(おがわ さとし、1957年 -)は、日本の小説家、推理作家。 東京都生まれ。東京外国語大学卒業。 大学航空パニック小説『霧のソレア』(応募時のタイトルは「滑走路34」)で光文シエラザード文化財団主催の第11回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。2008年、同作でデビュー。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
領家 髙子(りょうけ たかこ、1956年3月15日 - )は… 領家 髙子(りょうけ たかこ、1956年3月15日 - )は、日本の小説家。本名、前田貴子。 東京都墨田区向島生まれ。東京都立両国高等学校卒業。東京外国語大学ドイツ語学科中退。アメリカ・ロサンゼルスで生活の後、帰国。1995年、『夜光盃』で小説家デビュー。同作は久世光彦らから賞賛される。舞踊劇の創作などにも携わる。2001年、『九郎判官』が泉鏡花文学賞候補となる。歴史・時代小説を主として書く。歌舞伎・遊廓・樋口一葉など近世情緒に関心が深い。
風樹 茂(かざき しげる、1956年 - )は作家(主にノン… 風樹 茂(かざき しげる、1956年 - )は作家(主にノンフィクション)。本名、黒田健司。 北海道旭川市生まれ。獅子座。幼少期は近所にアイヌ部落があり、曽祖父はアイヌの土地返還運動に関わっていた。北海道から本州に移り、一時期は東京都葛飾区青砥付近に住んだ。 千葉県立匝瑳高等学校を経て、東京外国語大学スペイン語学科卒業。在学中にメキシコ・ベラクルス大学に公費留学。 卒業後、中南米専門商社に勤務し、パイオニア製品を中南米に輸出していた。退社後、大成建設がODAとして手がけていたアマゾンでの鉄道復旧工事に従事。 その後、南米全域、欧州、アジアを放浪。帰国後、伊藤忠商事系の研究所で投資・援助のコンサルタントとして中南米、中東、インド、中国、東南アジア、南太平洋諸島で現地調査に従事。
原 求作(はら きゅうさく、1954年 - )は、ロシア文学… 原 求作(はら きゅうさく、1954年 - )は、ロシア文学・語学者、小説家、上智大学教授。鎌倉市生まれ。1983年東京外国語大学大学院修士課程修了。85年筑波大学技官、86年助手、90年愛知大学教養部助教授、上智大学教授。小説も書く。
タケカワ ユキヒデ(本名:武川 行秀〈読み同じ〉、1952年… タケカワ ユキヒデ(本名:武川 行秀〈読み同じ〉、1952年10月22日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター・作家。ゴダイゴのメインボーカルであり、ほとんどのシングル曲の作曲者。アメニティ所属。帝京大学客員教授。身長172cm、血液型B型。 「竹川行秀」と誤記されることが多いことから、カタカナで表記されている。 埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)生まれ。5歳からヴァイオリンを、10歳から作曲を始める。母方曽祖父が国産ヴァイオリンメーカー鈴木バイオリン製造創業者の鈴木政吉。母方大叔父に、ヴァイオリン教育のスズキ・メソードで名高い鈴木鎮一がいる。また、父方の祖父は判事の武川佳海である。父は、『「第九」のすべて』(芸術現代社)などの著作がありベートーヴェン研究家、音楽評論家として著名な武川寛海という音楽家の家系。
米原 万里(よねはら まり、女性、1950年4月29日 - … 米原 万里(よねはら まり、女性、1950年4月29日 - 2006年5月25日)は、日本の、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。
吉永 みち子(よしなが みちこ、1950年3月12日 - )… 吉永 みち子(よしなが みちこ、1950年3月12日 - )は、日本のノンフィクション作家。テレビコメンテーター。元競馬新聞記者。旧姓は鈴木。CNNj放送番組審議会委員。 埼玉県川口市出身。中学生の時、母子家庭の家計を助けるためアイドルタレントになろうと考え、渡辺プロダクションのオーディションを受けて合格(ただし芸能活動は行わず)。その後、埼玉県立浦和第一女子高等学校、1973年に東京外国語大学外国語学部インドネシア語学科卒業後、競馬専門紙「勝馬」を発行する立馬株式会社に入社。日本初の女性競馬新聞記者となる。 夕刊紙「日刊ゲンダイ」の記者を経て、1977年に騎手(当時)の吉永正人と結婚(後に離婚)。
松田 忠徳(まつだ ただのり、1949年〈昭和24年〉3月2… 松田 忠徳(まつだ ただのり、1949年〈昭和24年〉3月24日 - )は日本の温泉学者、モンゴル学者、旅行作家、ナチュラリスト。 札幌国際大学観光学部名誉教授(温泉学、観光学)。モンゴル国立医科大学教授(温泉医学)、北京徳稲教育機構(DeTao)教授(温泉学)、グローバル温泉医学研究所所長を兼任する。数々の温泉、モンゴル関連の本を執筆する。 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉出身。東京外国語大学大学院修了。モンゴル国立医科大学大学院博士課程修了。文学博士、医学博士。2014年3月まで、札幌国際大学観光学部で教授として教鞭をとっていた。 入浴したことがある温泉の数は4700湯を超えるという。1998年1月から1999年9月にかけて、キャンピングカーで移動しながら全国2500湯を制覇しているという。
秦 新二(はた しんじ、1948年 - )は、ノンフィクショ… 秦 新二(はた しんじ、1948年 - )は、ノンフィクション作家、翻訳家、日蘭交渉医学史、シーボルト、ティチングの研究者、美術展覧会プロデューサー。ヨハネス・フェルメールなど絵画アートセラピー、ミラー・ワールドなどの調査・研究にも従事。 財団ハタステフティング理事長、シーボルト財団理事。福島県立医科大学特任教授。 シーボルト事件を扱ったノンフィクション『文政十一年のスパイ合戦』にて、第46回(1993年)日本推理作家協会賞評論その他の部門を受賞。 広島県生まれ。東京外国語大学卒業。 シーボルト事件を扱ったノンフィクション『文政十一年のスパイ合戦』にて、第46回(1993年)日本推理作家協会賞評論その他の部門を受賞。
原 進一(はら しんいち、1948年 -)は、日本の小説家、… 原 進一(はら しんいち、1948年 -)は、日本の小説家、推理作家。 兵庫県神戸市生まれ。東京外国語大学フランス語学科を卒業する。全日本空輸株式会社に入社し、東京、大阪、福岡、鹿児島などで勤務を経る。1994年から1998年までは、オランダ・アムステルダムに駐在している。2008年に退職する。 2015年、「アムステルダムの詭計」で第8回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞する。選考委員の島田荘司は、同作について「文体が成熟しており、冷静な推理思考を軸に据えた大人の探偵文学と言える」と評価している。
山口明雄(やまぐち あきお、1945年6月30日 -)は、作… 山口明雄(やまぐち あきお、1945年6月30日 -)は、作家・広報コンサルタント。石川県加賀市出身。 東京外語大学卒業後、NHKに入局、帯広局、札幌局などでローカル番組を制作。外資系広報企業で広報業務に携わった後、1978年に「岑亜紀良」(みね あきら)のペンネームで執筆した『ハリウッドを旅するブルース』が第31回小説現代新人賞を受賞。その後も『俺のブルースを聞け』などの小説を執筆し、作品の一つ『BEST GUY』は織田裕二主演で映画化され、本人も原作家としてのみならず同映画のプロデューサーとして関わる。執筆業と平行して行っている広報業(PR)では、国内外の企業に広報サービスを行い、95年頃から行っているメディアトレーニング講師としても知られる。
長谷川 摂子(はせがわ せつこ、1944年2月8日 - 20… 長谷川 摂子(はせがわ せつこ、1944年2月8日 - 2011年10月18日)は、日本の児童文学者・作家。 島根県平田市(現出雲市)出身。東京外国語大学卒業。東京大学大学院哲学科中退。夫は哲学者の長谷川宏。 島根県平田市(現・出雲市)出身。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科哲学専門課程中退。保育士として働き、長谷川宏と結婚し学習塾を運営するようになる。それら経験を基に、絵本論や昔話(ももたろう等)の再検証を行う作家活動を行った。1999年、『きつねにょうぼう』(再話)で第4回日本絵本賞大賞、2004年、『人形の旅立ち』で第19回坪田譲治文学賞、第14回椋鳩十児童文学賞、第34回赤い鳥文学賞を受賞した。
香取 俊介(かとり しゅんすけ、1942年9月22日 - )… 香取 俊介(かとり しゅんすけ、1942年9月22日 - )は、日本の脚本家、ノンフィクション作家。「異文化摩擦」「異文化コミュニケーション」をメインテーマとして執筆している。 東京府(現東京都)八王子市出身。東京都立国立高等学校を経て東京外国語大学ロシア語科卒業後、NHKに入局。報道局外国放送受信部に所属し主にソ連(現ロシア)の国内放送やタス通信等の傍受にたずさわる。当時は共産圏に自由に記者を送ることが難しく、資本主義圏と共産圏の間には、鉄のカーテンがあるなどと言われた。従って共産圏の情報をとるには、国内のラジオ放送(モスクワ放送)や国営タス通信の傍受に頼ったりしていた。外国放送受信部には内閣調査室(当時)の資金が流れているとして国会でも問題となった。
森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の… 森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト。 日本文藝家協会理事(2012年より)。日本ペンクラブ会員。 代表作は架空戦記『燃える波濤』(徳間書店)。 東京府生まれ。栃木県立黒磯高等学校、東京外国語大学イタリア語学科を卒業後、「週刊読書人」の記者を経て、フリージャーナリストとして独立。 1971年、『黒い龍』で作家デビュー。以後、世界をまたにかけたスパイ小説、軍事情報小説で人気を博す。 1983年には、日本冒険作家クラブの創設を提唱して実現。1985年には『雨はいつまで降り続く』で第93回直木三十五賞候補となった。その後、警察小説、青春小説、架空戦記などジャンルの幅を広げて活躍。
望月 紀子(もちづき のりこ、1941年 - )は、日本のイ… 望月 紀子(もちづき のりこ、1941年 - )は、日本のイタリア文学の翻訳家、著作家。 青森県生まれ。東京外国語大学フランス科卒業。20世紀イタリアの女性作家の作品を中心に翻訳している。2025年に第6回須賀敦子翻訳賞を受賞した。
枝川 公一(えだかわ こういち、1940年11月12日 - … 枝川 公一(えだかわ こういち、1940年11月12日 - 2014年8月15日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、翻訳家。
中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月1… 中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月18日 - )は、日本の俳優、作家、脚本家、ニュースキャスター、政治家。 本名は中村 敦雄(読み同じ)。旧姓は遠藤()。身長179cm。株式会社中村企画(1976年 - 2014年)を経て、クロスポイント所属。 勲等は旭日中綬章。参議院議員(1期)、さきがけ代表、みどりの会議代表、同志社大学大学院総合政策科学研究科講師、日本ペンクラブ環境委員長などを歴任した。 東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)千早に遠藤家の長男として生まれる。父親は新聞記者。幼少期の1945年に東京大空襲をはじめとする連合国軍による空襲があり、福島県平市(現在のいわき市平地区)に疎開。
瀧澤 美恵子(たきざわ みえこ、1939年3月1日 -202… 瀧澤 美恵子(たきざわ みえこ、1939年3月1日 -2020年8月9日)は、日本の小説家。 新潟県中蒲原郡村松町出身。旧本名・岡村美枝子。新潟県立村松高等学校卒業、1960年東京外国語大学外国語学部中国語学科中退。1961年日産汽船入社、1964年マーシュ・アンド・マクレナン勤務。1980年滝澤淳と結婚。81年退社し専業主婦となる。1987年朝日カルチャーセンターの駒田信二の小説教室に入る。1989年「ネコババのいる町で」で第69回文學界新人賞受賞。1990年「ネコババのいる町で」で第102回芥川龍之介賞受賞。
藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 20… 藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 2025年10月17日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト、ノンフィクション作家。時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総合計画研究所社長などを務めた。 宮城県仙台市生まれ。1942年、言語学者の父に従って朝鮮の清津へ移住する。1944年、満洲の興安街に転居するが、1945年ソ連軍による侵攻の9時間前に脱出。安東で生活した後、1946年11月に帰国。 宮城県仙台第一高等学校を経て、1962年東京外国語大学フランス語科卒、時事通信社に入社。経済部記者として大蔵省担当。1967年よりオタワ[要出典]、ワシントン特派員。以後、日本銀行、経団連、外務省などの担当を経て、編集委員[要出典]、解説委員、解説委員長を歴任。
伴野 朗(ともの ろう、1936年7月16日 - 2004年… 伴野 朗(ともの ろう、1936年7月16日 - 2004年2月27日)は、日本の小説家・推理作家・歴史作家。 愛媛県松山市生まれ。1954年、愛媛県立松山北高等学校卒業。1960年、東京外国語大学中国語学科卒業。 1962年、朝日新聞社入社。朝日新聞秋田支局を振り出しに、外報部、インドシナ特派員などを経て上海支局長を務めるかたわら、執筆活動を並行した。1976年、『五十万年の死角』で第22回江戸川乱歩賞を受賞。 1983年、日本冒険作家クラブの創設の発起人の一人となる。(同クラブの代表幹事をつとめたことがある ) 1984年、『傷ついた野獣』で第38回日本推理作家協会賞受賞。 1989年、朝日新聞社を退社。
岩城 雄次郎(いわき ゆうじろう、1935年9月9日 - 2… 岩城 雄次郎(いわき ゆうじろう、1935年9月9日 - 2023年3月3日)は、日本のタイ文学者、翻訳家、小説家、詩人。 東京生まれ。東京外国語大学タイ語科で松山納にタイ語を学び、1960年卒業後は高校の英語教師となり、1964年始めてタイを訪れる。1970年タイのチュラロンコーン大学客員講師を1977年まで、1978年東京外国語大学非常勤講師となり1985年まで、1987年産能短期大学教授、日本ペンクラブ会員(国際委員)、日本翻訳家協会理事、1995年短大を辞任し文筆に専念し、日・タイ文学者交流センター主宰、2003年より外務省研修所タイ語非常勤講師。 タイ文学の翻訳・紹介に努め、1994年タイ文化功労章受章、2007年タイのメーホンソーン県クンユワム中高等学校の生徒を対象に、岩城雄次郎文学賞を創設。
上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年… 上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年)3月31日 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家、エッセイスト。 岐阜県生まれ。1959年、東京外国語大学英米科を卒業後、朝日新聞社に入社。通信部、社会部記者を経て、1966年退社。以後、評論家として活動。 1976年に上梓した太平洋戦争中、ハワイの捕虜収容所で対日降伏勧告ビラ作製に協力した捕虜たちの足跡を追った『太平洋の生還者』で、日本ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『週刊文春』に1984年から2002年まで「読むクスリ」を長期連載。古荘多聞の名で小説を一作だけ書いている。2002年以降、著述は途絶えている。
近藤 陽次(こんどう ようじ、1933年5月26日 -201… 近藤 陽次(こんどう ようじ、1933年5月26日 -2017年10月9日)は、天体物理学者・SF作家。 日立第一高等学校、東京外国語大学、ニューヨーク市立大学を経て、ペンシルベニア大学の大学院で天体物理学の博士号を取得。NASAの職員となり、ロケット、人工衛星などによる紫外線観測に従事。アポロ計画およびスカイラブ計画の時にはNASAのジョンソン宇宙センター(前:有人宇宙船センター)の天体物理学研究所を率いていた。 またエリック・コタニ(Eric Kotani)のペンネームでSF小説も執筆している。 小惑星の(8072) 近藤陽次は彼に因んで命名された。
櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は… 櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は日本の作家、編集者、YouTuber。 「ミニスカートブームの仕掛け人」「OLの名付け親」「西洋占星術を日本に紹介」として知られる。 『ウーマンウェーブ』代表取締役会長、『きずな出版』代表取締役社長、『KIZUNA CREATIVE』取締役、『早稲田運命学研究会』主宰。元女性自身編集長。著者『女がわからないでメシが食えるか』『男の運命は35歳で決まる』など200冊に及ぶ。古今東西の占い・運命学を研究活用している。 作家、きずな出版社長、5つのオンラインサロンのオーナー、YouTuberの顔を持ち、女学の神様・運命師・伝説の編集長などと呼ばれる。
佐野 洋(さの よう、1928年〈昭和3年〉5月22日 - … 佐野 洋(さの よう、1928年〈昭和3年〉5月22日 - 2013年〈平成25年〉4月27日)は、日本の推理作家、評論家。本名は丸山一郎。 東京市大森(現・東京都大田区大森)出身。東京中学卒業。 旧制一高に首席合格、東京大学文学部心理学科卒業。大学時代、日野啓三、大岡信らと同人誌『二十代』、『現代文学』を作る。彼ら文学仲間には「推理小説好き」であることはかくしていた。 1953年、読売新聞社に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けた。1959年に新聞社を退社。最も好きな推理作家として英国のアンドリュー・ガーヴの名を挙げている。黒岩重吾に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫いているが、一方で「同一の主人公のシリーズばかり書くと、作品のパターンが繰返しになり、マンネリズムに陥る」などの理由からシリーズ探偵には否定的な立場を取り、エキセントリックな犯罪、大掛かりなトリック、大邸宅大家族などのゴシックロマン的な背景も排除するなど、ほどのよいリアリズム、中庸さが持ち味でもある。
木村 裕主(きむら ひろし、1926年11月19日 - 20… 木村 裕主(きむら ひろし、1926年11月19日 - 2007年8月22日)は、ノンフィクション作家。 群馬県生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。毎日新聞記者を務め、ローマ特派員、編集委員を経て、東京外国語大学講師、外務省専門調査員・在イタリア日本大使館広報文化担当官などを歴任した。ノンフィクション作家の塚本哲也は実弟で、同じく毎日新聞記者出身。1990年に、63歳で、『ムッソリーニを逮捕せよ』で第12回講談社ノンフィクション賞を受賞、先に受賞していた塚本哲也に続く兄弟受賞となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
寺尾 善雄(てらお よしお、1923年 - 1987年)は、… 寺尾 善雄(てらお よしお、1923年 - 1987年)は、日本の中国文学者、作家。岡山県生まれ。 東京外国語学校支那語科卒。夕刊岡山新聞社、サンケイ新聞社、秋田書店に勤務。中国古典の翻訳や一般向けの書物を多く書いた。
前田純敬(まえだ すみのり、1922年3月9日-2004年2… 前田純敬(まえだ すみのり、1922年3月9日-2004年2月10日)は、日本の小説家。 鹿児島県平之町生まれ。東京外国語学校(現東京外国語大学)フランス語科卒業。在学中から『四季』などに詩を発表、太平洋戦争後、島尾敏雄のすすめで富士正晴らの同人誌『VIKING』に参加。1949年「夏草」で第22回芥川龍之介賞候補、『文藝春秋』に掲載される。その後筆を折り、『Cahier』に所属。ほか翻訳もした。息子は放送作家の松本尚久(和田尚久)。
松村 喜雄(まつむら よしお、1918年9月16日 - 19… 松村 喜雄(まつむら よしお、1918年9月16日 - 1992年1月10日)は、日本の外交官、推理小説評論家、推理作家、翻訳家。三谷 幸夫、花屋 治の筆名もあり。東京府出身。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)新小川町生まれ。実母は江戸川乱歩・平井蒼太兄弟の従妹。親戚として幼時から乱歩と交際して育つ。 小学校卒業後、花崎清太郎および石川一郎の両人と知り合い、彼らの影響で読書の世界に熱中。早稲田実業学校を経て東京株式取引所に勤務。このときの同僚に劇作家の小野田勇がいた。勤務の傍ら、フランス語を独習。のち編入試験を受けて東京外国語学校(現在の東京外国語大学)仏語科に入学。卒業後は外務省に勤務。
岡本 隆三(おかもと りゅうぞう、1916年3月31日 - … 岡本 隆三(おかもと りゅうぞう、1916年3月31日 - 1994年4月14日)は、日本の作家・中国文学者。 静岡県生まれ。1937年東京外国語学校支那語科卒業。戦後横浜国立大学助教授を務めるが辞職して文筆に専念する。近現代文学が専門。中華人民共和国と文化大革命、毛沢東の支持者であった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
五味川 純平(ごみかわ じゅんぺい、1916年(大正5年)3… 五味川 純平(ごみかわ じゅんぺい、1916年(大正5年)3月15日 - 1995年(平成7年)3月8日)は、日本の小説家。本名︰栗田 茂(くりた しげる)。 関東州・大連生まれ。東京商科大学(現一橋大学)に入学するも1年で中退し、東京外国語学校(現東京外国語大学)英文科入学。同校在学中に、治安維持法違反の疑いで検挙されるが、その後卒業し、満州鞍山の昭和製鋼所に入社する。ここで隅谷三喜男と知り合う。1943年召集を受け、満州東部国境各地を転々とした。1945年8月のソ連軍の満州侵攻時には、所属部隊はソ連軍部隊の攻撃を受けて全滅に近く、生存者は五味川以下数名で、捕虜となる。 1948年の復員後、自らの従軍体験を基にして1956年に発表した『人間の條件』が1,300万部を超える大ベストセラーとなり、一躍人気作家となる。
新美 南吉(にいみ なんきち、1913年〈大正2年〉7月30… 新美 南吉(にいみ なんきち、1913年〈大正2年〉7月30日 - 1943年〈昭和18年〉3月22日)は、日本の児童文学作家。本名は新美 正八(旧姓:渡邊)。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳で亡くなったため、作品数こそ多くないがごん狐が小学校の国語教科書に継続的に採用されており、近年でもアニメーション制作が実施されたり学芸会の演目になることも多いので現在でも一定の国民からの知名度を持つ。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽聖歌は、南吉の死後もその作品を広める努力をした。
秘田 余四郎(ひめだ よしろう、1908年10月15日 - … 秘田 余四郎(ひめだ よしろう、1908年10月15日 - 1967年9月18日)は、字幕翻訳家、翻訳家、小説家。本名・姫田 嘉男(ひめだ よしお)。 徳島県板野郡一条村(現・阿波市)生まれ。幼時一家で上京。東京府立第四中学校中退、成城中学校卒業、1931年東京外国語学校フランス語卒業。1936年東和商事映画部に入社し、フランス映画を始めとする字幕作成に活躍。1938年に解雇され、「香具師もの」小説を書く。1940年陸軍通訳。仏印へ渡り、字幕翻訳を中華電影で続け、上海で高見順と知り合い生涯の友となる。敗戦で鎌倉へ引き揚げ。また、海外小説の翻訳(一部、姫田嘉男名義)もおこなった。 RKOの作品を中心に外国映画をテレビ局に配給する企業、日本テレピックスを設立したが、同社は秘田の死後に倒産し、秘田の弟によって東京放映として再興されたが、彼が山田かつらの一人娘と結婚したことがきっかけで鬘の卸売業を始めたことで東京放映の事業は縮小されてしまったと同社で働いていた諸橋健一は述べている。
森 荘已池(もり そういち、1907年〈明治40年〉5月3日… 森 荘已池(もり そういち、1907年〈明治40年〉5月3日 - 1999年〈平成11年〉3月13日)は、日本の作家。 岩手県盛岡市出身。本名:森 佐一(もり さいち)。旧制盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)、東京外国語学校(現東京外国語大学)ロシア語科中退。岩手日報記者をへて、文筆業へ。岩手県在住で最初の直木賞作家。宮沢賢治と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。 妹の夫である大村次信(写真家大村次郷、考古学者大村幸弘の父)は、盛岡藩で火業師(砲術師)をつとめ、エトロフ島事件に遭遇しロシア人の捕虜となった大村治五平の子孫にあたる。その縁から、大村家で門外不出の書として伝えられていた治五平の手記『私残記』を託され、1943年6月に現代語訳と解説をつけて大和書店より翻刻出版した。
玉川 一郎(たまがわ いちろう、1905年11月5日 - 1… 玉川 一郎(たまがわ いちろう、1905年11月5日 - 1978年10月15日)は、日本の作家。 東京府生まれ。父親が警察官だった関係上、朝鮮と東京を数年ごとに行き来して育つ。東京外国語学校仏語部卒。 フランス語の能力を買われ、翻訳補助者として白水社に入社するも昭和恐慌のあおりを受け、人員整理の対象となり半年で解雇され、博文館へ転職。『新青年』などの編集に携わる。さらに、文具販売の伊東屋および、コロムビア・レコードの宣伝部員も兼務。コラムや広告コピーの執筆を手掛けながら、ユーモア小説の執筆やフランスの小噺、コントの編訳を行う作家として活動し、1940年発表の『人情サキソフォン』、1950年『川田二等少尉』で2回直木賞候補となった。
南沢 十七(みなみざわ じゅうしち、一部文献にある「なんざわ… 南沢 十七(みなみざわ じゅうしち、一部文献にある「なんざわ としち」は誤り、1905年3月10日 - 1982年9月26日)は日本の探偵小説・科学小説家、翻訳家。ペンネームの「十七」は17歳のときに父親を亡くしたことによる。代表作に『緑人の魔都』などがある。 本名である川端 男勇(かわばた まさお)名義では科学者の伝記の翻訳や、ノンフィクションの執筆を行った。別名義に本名をもじった川端 勇男(いさお)や、巳貴 千尋、米田 華舡 がある。雑誌『科学画報』の編集長を務めた。 中国研究家の米田祐太郎は叔父。 宮城県仙台市出身。三田中学(現・三田学園高校)を卒業(一説によれば幼児の頃に満州に渡って成人まで滞在していたという)。
神西 清(じんざい きよし、1903年11月15日 - 19… 神西 清(じんざい きよし、1903年11月15日 - 1957年3月11日)は、日本のロシア文学者、翻訳家、小説家、文芸評論家。 1903年、内務省の官吏の息子として東京市に生まれる。1910年、麹町の番町小学校に入学。父の転勤に伴って日本国内各地を転々とした末、父は台湾へ赴任。清も台湾の日本人学校に学ぶ。内向的で孤独な少年だった。1912年、父をマラリアで失う。 1916年、東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)に入学。このころ、母方の伯母を頼って北村家に同居。従兄の北村寿夫の影響で文学に親しむ。中学で、終生の友人竹山道雄と知り合う。 1920年、旧制第一高等学校に入学。堀辰雄と知り合う、親交は終生続き、堀の没後には全集の編集を担当した。
小田 嶽夫(おだ たけお、1900年7月5日 - 1979年… 小田 嶽夫(おだ たけお、1900年7月5日 - 1979年6月2日) は、日本の小説家。本名は、小田武夫。 新潟県高田町字(現・上越市)竪春日町出身。実家は呉服商。呉服商を営む父熊吉と母登美の間に生まれる。高田中学(現新潟県立高田高等学校)時代は短歌と野球に熱中。東京外国語学校(現東京外国語大学)支那語学科を卒業後、外務省亜細亜局入省。当時の局長は芳澤謙吉(後の外務大臣)。外務書記として中国・杭州の領事館などに勤務。 1926年に蔵原伸二郎の紹介で同人誌『葡萄園』に参加。のちに『文藝都市』にも寄稿する。 1930年7月に外務省を退職して文筆で身を立てることを決め、1931年に寺崎浩、田畑修一郎らと同人誌「雄鶏」(後に「麒麟」と改題)を創刊。
石川 淳(いしかわ じゅん、1899年(明治32年)3月7日… 石川 淳(いしかわ じゅん、1899年(明治32年)3月7日 - 1987年(昭和62年)12月29日)は、日本の小説家・文芸評論家・翻訳家。東京府浅草区生まれ。無頼派、独自孤高の作家とも呼ばれ、エッセイでは夷斎と号し親しまれた。本名:淳(きよし)。日本芸術院会員。 祖父から論語の素読を受け、森鷗外に熱中して文学を志す。東京外国語学校仏語科卒。『普賢』(1936年)で芥川賞受賞。『マルスの歌』(1938年)は反軍国調の廉で発禁処分を受けた。 寓意的作品が多く、戦後は『焼跡のイエス』(1946年)を書き、太宰治・坂口安吾とともに新戯作派・無頼派として人気を集めたが、次第に東洋的境地で健筆を振るった。
竹尾 弌(たけお はじめ、1896年(明治29年)12月11… 竹尾 弌(たけお はじめ、1896年(明治29年)12月11日 - 1958年(昭和33年)2月8日)は、日本の著作家、政治家。衆議院議員。 千葉県下埴生郡八生村大竹(印旛郡八生村を経て現成田市)で生まれる。1918年、東京外国語学校露語科を卒業。朝鮮銀行浦塩支店に勤務。その後、報知新聞記者、東京毎夕新聞記者、国士舘高等拓殖学校講師、朝鮮林業協会附属北方産業研究所主事などを務め、著述家としても活動した。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で千葉県第二区から立候補して当選。以後、27回総選挙まで連続5回当選した。この間、衆議院文部委員長、第3次鳩山一郎内閣の文部政務次官、自由党政調会文教部長、同文化部長、同憲法調査会副会長などを歴任した。