土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023… 土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023年8月20日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。1959年、東洋人初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員となり、40年以上にわたって在籍した。妻はピアニストの元井美幸。
東京芸術大学:94人
土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023… 土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023年8月20日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。1959年、東洋人初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員となり、40年以上にわたって在籍した。妻はピアニストの元井美幸。
遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1… 遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1999年4月10日)は、日本の指揮者。 東京都出身。1956年、東京藝術大学声楽科を卒業後、東京藝術大学大学院指揮研究科に進み、1960年大学院前期博士課程修了、1962年東京藝術大学専攻科修了。指揮法を山田一雄、渡辺暁雄に師事。また、1982年~1983年、文化庁派遣芸術家在外研修員としてミュンヘンに派遣され、セルジュ・チェリビダッケの下で研鑽を積んだ。 群馬交響楽団指揮者、札幌交響楽団副指揮者、東京音楽大学講師を経て、1963年東京藝術大学指揮科助教授、1997年東京藝術大学指揮科教授に就任、後進の育成にあたったが、1999年に死去。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は… 有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は、日本の音楽家、指揮者、音楽学者。都留文科大学名誉教授。専門はルネッサンス音楽と合唱で、日本古楽界の第一人者。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科を1958年に卒業。NHKの「歌のメリーゴーランド」のレギュラーや都留文科大学の講師を務めた。1972年、ノッティンガム大学大学院音楽学専攻修士課程修了。1983年~1984年、再度渡英してオクスフォード大学に留学。都留文科大学文学部教授を経て、上野学園大学国際文化学部教授。 日本合唱指揮者協会会員、日本古楽協会代表。東京プロ・ムジカ・アンティカ指揮者を務めた。
岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 200… 岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 2006年6月13日)は、日本の指揮者。位階は正五位。 指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事した。 東京府にて、専売局(後の日本専売公社)技師・岩城與一(1895年〈明治28年〉生、魚津中学校〈現:富山県立魚津高等学校〉・第四高等学校・東京帝国大学農学部農芸化学科 卒業、名古屋地方専売局長、1946年〈昭和21年〉に退官)の第5子(末子)として生まれた。小学校に入学して間もなく父の転任で京都に転居、9歳で木琴を始める。小学4年生の3学期で東京に戻る。当時は病弱で、小学5年生と6年生の2年間に10か月間病欠し、骨膜炎で片脚切断の寸前まで行ったことがある。
三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )… 三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )は、日本の指揮者。 東京出身。幼少よりピアノを学び、ピアニストをめざすが、手の故障で断念。下総皖一のもと作曲を学ぶ。但しコンサート・ピアニスト以外の伴奏などの活動は続けている。 1950年の東京藝術大学受験前に、金子登に指揮者の道を勧められ、同校指揮科の一期生として入学。ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、クルト・ヴェス、渡邉暁雄などに師事。 1955年卒業後、同大学院指揮科専攻科に進学。翌年修了し、芸大指揮科と同大学附属高校にて教鞭をとる。当初は主にピアニストとして、ヴァイオリンの諏訪根自子、声楽の藤原義江、大谷冽子、砂原美智子、アリゴ・ポーラ、ゲルハルト・ヒュッシュ、木琴の平岡養一らの伴奏者として活動する。
柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ … 柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ まさすけ)、1932年3月28日 - )は、日本の作曲家、合唱指揮者。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒。声楽を畑中良輔、畑中更予、作曲を松本民之助、指揮を渡辺暁雄に師事。1959年、第二次イタリアオペラ日本公演に出演、大歌手を間近に接し大きな示唆を受ける。東京室内歌劇場の副指揮者も務めた。1957年、自身が指揮者を務める合唱団の連合会を提唱し、当初は6団体で結成。クールスィスと命名し、26回の演奏会の後、解散。この間東京交響楽団他のオーケストラ、室内楽団、中澤桂・立川澄人ら著名ソリストで、ハイドンのオラトリオ四季、ブラームスの哀悼歌および運命の歌、モーツァルト、フォーレ、ケルビーニ等のレクイエムを指揮。
中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 … 中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。本名:中村 雄。 東京都出身。1958年(昭和33年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。畑中良輔に師事。 オペラデビューは1959年(昭和34年)ロッシーニ『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵。オペラでの出演歴はきわめて多数にのぼり、二期会、東京室内歌劇場を主に、昭和音楽大学オペラ情報センターに記録されているだけでも127回を数える。主演したオペラは70曲を超えているという。「オペラ界での長年の活躍と日本初演作上演への貢献も著しい往年の名テナー」である。
大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 … 大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 - 2022年2月18日)は、日本の指揮者。東京芸術大学名誉教授。 東京都生まれ。父は旭物産合資会社(後の旭光学工業)の社長を務めた大町弘蔵、祖父は陸軍主計少将 の大町豊五郎、曽祖父は医師の大町淳信で、典薬寮に仕えたこともある地下家の医師の家系であった。 少年時代、作曲家の呉泰次郎が開いていた音楽私塾で音楽理論、作曲法、指揮法の手ほどきを受ける。旧制成城高等学校を経て、東京芸術大学作曲科に入学するも、指揮への興味が募り、指揮法を渡邊暁雄、クルト・ヴェスに師事。その後、ウィーン国立音楽大学指揮科に入学し、指揮をハンス・スワロフスキー、フランコ・フェラーラに師事。
外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は… 外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は、日本の指揮者・作曲家。東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒。父は作曲家の外山國彦。弟は声楽家・合唱指揮者の外山浩爾。
土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年… 土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年11月14日)は、日本の作曲家、指揮者、ピアニスト、埼玉大学名誉教授。下總皖一、團伊玖磨に師事。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:クラシック音楽/PJ:クラシック音楽)。
田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 202… 田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 2024年9月12日)は、日本の合唱指揮者。東京混声合唱団の創立者。新潟県出身。東京藝術大学講師、桐朋学園大学客員教授、国立音楽大学招聘教授を歴任。 作曲家と協力して日本の合唱音楽の創造に尽くし、400曲以上に渡る合唱曲の初演の指揮を行った。 旧制大阪高校中退。合唱部の後輩に作曲家の多田武彦がいる。1951年、中学校教員を退職し、NHK大阪放送合唱団へ入団。指揮者であった森本芳雄の死去により急遽指揮者を務めたことが指揮者デビューとなる。1952年、東京藝術大学音楽学部声楽科に進学。声楽をネトケ=レーヴェ、指揮法をクルト・ヴェスの各氏に師事する。
川村 深雪(かわむら みゆき、1927年 - )はピアニスト… 川村 深雪(かわむら みゆき、1927年 - )はピアニスト、ハンドベル指揮者。東京芸術大学卒業、元創価大学教授。 川村はピアニストとして、日本の西洋音楽の初期の受容において、とりわけフランス近・現代の作品や、シェーンベルク等の現代音楽作品の演奏と紹介に貢献した人物である。また歌曲や合唱曲の伴奏者としても知られた。東京芸術大学に学び、この頃、山田耕筰より直接に指導も受けている。 1940年代から1950年代、福澤アクリヴィの来日の際に主たるピアノ伴奏者をつとめた。この時、福澤と川村は、1950年代の日本においてはほとんど知られていなかったフォーレ、ドビュッシー、フランクの歌曲などを演奏している。
村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2… 村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2014年12月14日)は、日本の指揮者。福岡県生まれ。日本指揮者協会の会員で、2014年の死没まで日本最年長の指揮者であった。村方指揮法教室を主催して後進指揮者育成に力を注いだ。ブラジルよりリオ・ブランコ勲章を受章している。また、第1回ヴィラ=ロボス国際指揮者コンクール特別賞を受賞している。日本ヴィラ=ロボス協会会長、日本演奏連盟会員。東京都中学校吹奏楽連盟初代理事長。 村方の音楽との出会いは、12歳で自由学園に入った時から始まる。 村方は最初、自由学園でフルートを学び、次にヴァイオリンを学んだ。3年後には、オーケストラの重要なメンバーの一人になっていた。
伊藤 栄一(いとう えいいち、1925年(大正14年)10月… 伊藤 栄一(いとう えいいち、1925年(大正14年)10月1日 - 2020年(令和2年)2月24日)は、日本の指揮者。音楽教育者。ピアニスト。東京学芸大学名誉教授、創価大学名誉教授、東京芸術大学講師。一部に名前の表記を榮一としているものがある。 東京市出身。1950年(昭和25年)東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)本科器楽科卒。 指揮法を渡辺暁雄、金子登、クルト・ヴェス、ピアノを水谷達夫、作曲を高田三郎に師事。 1951年(昭和26年)、金子登主催の東京オペラ協会によるプッチーニ『トゥランドット』、続くヨハン・シュトラウス2世『こうもり』(共に本邦初演)の公演の際に副指揮を担当。1952年(昭和27年)二期会設立と共に二期会合唱団初代常任指揮者としてモーツァルト『フィガロの結婚』、『魔笛』、ビゼー『カルメン』、ヴェルディ『椿姫』等数多くの演奏会やオペラを指揮。
芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Ak… 芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Akutagawa、1925年7月12日 - 1989年1月31日)は、日本の作曲家、指揮者。JASRAC元理事長。 作風は大きく分けて3つに分かれる。東京音楽学校を卒業後、快活な旋律とリズムで彩られた作風が魅力の第1期。それらの要素を削ぎ落とし、減衰、静的な要素を取り入れた前衛的作風に転換した第2期。そして第1期の快活明朗なるリズムを用いつつも、第2期以来の作風とクロスオーバーさせ、新たな世界への転換を図った第3期。この区分においても共通するものに、彼自身の生涯のテーマとなるオスティナートの使用がある。リズムを失った音楽は死ぬ、と述べているように、リズムこそ彼の音楽そのものであった。
岩井 直溥(いわい なおひろ、1923年10月2日 - 20… 岩井 直溥(いわい なおひろ、1923年10月2日 - 2014年5月10日)は、日本の作曲家、編曲家および指揮者。 陸軍中将で男爵の野崎貞澄の孫として東京牛込に生まれる。父の岩井貞麿(旧姓野崎)は音楽教室経営者で、柴田南雄のピアノの師。母は帝国劇場のリハーサルピアノプレーヤー。 1942年(昭和17年)、東京音楽学校(現東京藝術大学)器楽科(ホルン専攻)入学。作曲を橋本國彦に師事。1943年(昭和18年)に学徒出陣により旧大日本帝国陸軍に入隊。朝鮮半島へ出征。その後千葉県習志野市の東部軍教育隊へ異動。館山市の守備隊で見習士官(准尉)で終戦を迎える。ホルン専攻ではあるが、終戦後ジャズの世界にとびこみ、トランペットも演奏。
畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2… 畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2月12日 - 2012年(平成24年)5月24日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者、合唱指揮者、音楽評論家、作曲家、詩人、翻訳家(訳詞家)、エッセイスト。日本芸術院会員。日本の洋楽の発展に多大な功績を残した。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)に浅野セメントに勤める父・勝次郎と、琴および三絃の師匠をしていた母・筆の長男として生まれる。四人家族で、二つ上の姉がいる。旧制門司中学校に入学、ラッパ鼓隊に所属し小太鼓を担当する。進学先として受験科目に苦手の数学が無い東京音楽学校を選び、人前で歌ったことはなかったが消去法で「声楽科」と書いたという。
前田 幸市郎(まえだ こういちろう、1921年(大正10年)… 前田 幸市郎(まえだ こういちろう、1921年(大正10年)6月16日 - 1989年(平成元年)9月18日)は東京都出身の指揮者、大学教授。 東京都生まれ。加賀前田家の支藩である富山藩の前田家、男爵前田利功の三男。 1942年東京音楽学校(現東京藝術大学)声楽科卒業。同研究科にて指揮法を学ぶ。橋本國彦、尾高尚忠、クルト・ヴェスに師事。 NHK交響楽団、東京混声合唱団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団等を指揮。 また東京室内混声合唱団、東京大学音楽部コールアカデミーなどの指導に当たった。 教育者として、山形大学、横浜国立大学、東京音楽大学にて教鞭をとった。 息子にチェロ奏者・上野学園大学教授の前田幸康がいる。
中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 200… 中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 2001年4月9日)は、日本の作曲家、指揮者、ファゴット奏者。童謡や宗教曲(キリスト教)などの作曲で知られる。筆名は楫山つとむ。 東京府豊多摩郡(後の東京市、現在の東京都渋谷区)出身東京音楽学校卒業。山形大学音楽科教授を経て、昭和音楽大学短期大学部名誉教授も務めた。日本フィルハーモニー交響楽団、東京管楽器協会などでファゴットとコントラファゴットを演奏、晩年は日本ファゴット(バスーン)協会会長を務めた。バッハ等古典作品のダブルリード合奏のための編曲も多く、またNHKラジオ「音楽の泉」テーマ曲として昭和30年代から40年代に流れたシューベルト「楽興の時」の編曲者でもある(番組テーマは後にピアノ独奏のものに変更。
高田 信一(たかた しんいち 1920年1月24日または19… 高田 信一(たかた しんいち 1920年1月24日または1921年11月5日 - 1960年1月16日)は、日本の作曲家、指揮者である。元広島大学教授。日本交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)、東京フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務めた。 実業家の息子(4人兄弟の長男)として、1920年(大正9年)に東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区)で生まれた。1926年(大正15年)に成城小学校(現在の成城学園初等学校)に入学、8歳から上野耐之に音楽の初歩を学び、1932年(昭和7年)に成城高等学校(現在の成城学園中学校高等学校)尋常科に入学後は、12歳から藤田喜与子にピアノを、16歳から作曲を長谷川良夫に師事した。
渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日… 渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日 - 1990年(平成2年)6月22日)は、日本の指揮者、教育者。鳩山一郎は義父にあたる。 1919年、巣鴨のルーテル教会の日本人牧師・渡邉忠雄を父とし、フィンランド人の声楽家・渡邉シーリを母として、東京府で生まれた。兄は共同通信社で重責を歴任したジャーナリストの渡邉忠恕。妻の信子は鳩山一郎の五女。長男の渡邉康雄(指揮者)、次男の渡邉規久雄(ピアニスト)とも芸術系の大学教授を務める音楽家。声楽家の母に幼少時から音楽の手ほどきを受けたほか、5歳でピアノを、10歳でヴァイオリンを始める。1940年、東京音楽学校(現東京芸術大学)本科器楽科(ヴァイオリンを専攻)卒業後、研究科に進みヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動。
米倉 美枝(よねくら みえ、1916年(大正5年)5月15日… 米倉 美枝(よねくら みえ、1916年(大正5年)5月15日 - 1977年(昭和52年)8月3日)は、昭和時代の合唱指揮者。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。東京音楽学校師範科卒業後、福岡県に戻り高等女学校教師となる。 1948年(昭和23年)の第1回全日本合唱コンクール全国大会学生部門に旧制福岡高等女学校(現:福岡中央高校)を指揮して出場、優勝を果たす。教職を退いた後は石丸寛らとともに九州の合唱隆盛に尽力し、福岡合唱協会、RKB女声合唱団、八幡製鉄合唱団などを指揮・指導する。九州合唱連盟理事長、全日本合唱連盟常任理事、熊本音楽短期大学教授などを務めた。
藤井 典明(ふじい のりあき、1915年(大正4年)11月2… 藤井 典明(ふじい のりあき、1915年(大正4年)11月26日 - 1994年(平成6年)11月17日)は、日本の声楽家(バリトン、一部にテノールとなっているものも存在する)、合唱指揮者、音楽教育者。名前の読みをテンメイとしている資料もある。 広島県出身。1940年(昭和15年)東京音楽学校卒、1942年(昭和17年)東京音楽学校研究科修了。 1940年(昭和15年)読売新人演奏会でデビュー。オペラでは、藤原歌劇団を中心に、バリトン歌手として出演するとともに、1947年(昭和22年) - 1955年(昭和30年)藤原歌劇団合唱部の指導にあたった。オペラの公演に関わった記録は66回に及ぶ。 音楽教育面では、1940年(昭和15年)東京音楽学校教師。
三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 -… 三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 - 1994年8月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト、合唱指揮者、フェリス女学院短期大学名誉教授。 長年にわたり日本女声合唱団の指導にあたるとともに、フェリス女学院短期大学学長などを務めた。 熊本県に生まれたが、間もなく神奈川県横浜市へ移った。東京音楽学校に学び、ケルン音楽大学へ留学した。1941年からフェリス女学院(戦時下では「横浜山手女学院」)で教鞭を執り、専門学校音楽科を開設する際には團伊玖磨とともに中心的な役割を果たし、戦後における短期大学音楽科への昇格でも中心となって、後の大学音楽学部への発展の基礎を築いた。 1969年には第18回横浜文化賞を受賞し、1978年には第27回神奈川文化賞を妻である三宅春恵とともに受賞した。
山田 一雄(やまだ かずお、1912年(大正元年)10月19… 山田 一雄(やまだ かずお、1912年(大正元年)10月19日 - 1991年(平成3年)8月13日)は、日本の指揮者、作曲家。本名は和雄。和男、夏精(かせい)を経て、1968年に一雄と改名した。「ヤマカズさん」の愛称で親しまれ、朝比奈隆らと並んで日本のクラシック音楽界を支えた指揮者であり作曲家。東京芸術大学名誉教授。 東京府生まれ。学習院中等科2年の頃にピアノを独学で学び、作曲にも熱中した。学習院高等科へ進学するも東京音楽学校への進学を志して休学。1931年に東京音楽学校(現東京芸術大学)ピアノ科首席卒業ののち研究課程に進み、卒業後は同校で教鞭を取るようになった。在学中からクラウス・プリングスハイムに師事し作曲を学び、作曲関連の各種の賞を獲得。
金子 登(かねこ のぼり、1911年11月23日 - 198… 金子 登(かねこ のぼり、1911年11月23日 - 1987年7月6日)は、日本の指揮者、東京芸術大学名誉教授。 1934年に東京音楽学校ピアノ科を卒業し、ヨゼフ・ローゼンシュトックに指揮を学び、1936年に東京音楽学校研究科を修了した。また副科でファゴットを学び、紀元二千六百年奉祝交響楽団にもファゴット奏者として参加している。 1936年に服部正が創設したコンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)にファゴット奏者として参加し、1942年には指揮者も務めた 。 1943年から1945年に東京交響楽団常任指揮者を務めた。1945年にはアーニーパイル交響楽団を組織している。 1952年から1956年にウィーンへ留学し、クレメンス・クラウス、カール・ベームらに師事する。
薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月… 薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月5日 - 1986年〈昭和61年〉8月3日)は、日本の声楽家(テノール)、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家、音楽学者、合唱指揮者。お茶の水女子大学名誉教授。 千葉県出身。1930年(昭和5年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)卒業。マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 卒業後、戦前からリサイタル、コンサートで活動し、特にドイツ歌曲を得意とした。 戦後まもなく演奏活動に復帰。門下生の柴田睦陸が結成し、二期会の母体となった東京藝術大学歌劇研究部 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』の主役ファウストを務めている。
橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashi… 橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashimoto、1904年9月14日 - 1949年5月6日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者、音楽教育者。 東京都本郷生まれ。ヴァイオリンを辻吉之助に師事。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)を経て、1923年(大正12年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)入学。安藤幸とヨゼフ・ケーニヒにヴァイオリンを、チャーレス・ラウトロプに指揮法を学ぶ。作曲は信時潔に指導を受けるもほとんど独学であったが、同校研究科で作曲を学ぶ。歌曲『お菓子と娘』『黴』などで作曲家としての名声を獲得。斬新な曲を作る一方ではポピュラーなCM曲や歌謡曲にも手を染めた。
沖 不可止(おき ふかし、1902年3月6日 - 1976年… 沖 不可止(おき ふかし、1902年3月6日 - 1976年3月15日または3月31日)は、日本の昭和期の作曲家、指揮者、チェロ奏者。東京府出身。ハインリヒ・ヴェルクマイスターと信時潔に師事し、1926年(大正15年)3月に東京音楽学校本科器楽部チェロ専攻を卒業。妻は日本舞踊家の藤蔭絃枝(2代目藤蔭静枝、本名:沖カツ子)。数多くの学校の校歌を作曲している。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
高階 哲夫(たかしな てつお、1896年〈明治29年〉3月5… 高階 哲夫(たかしな てつお、1896年〈明治29年〉3月5日 - 1945年〈昭和20年〉4月17日)は、日本のヴァイオリニスト、作曲家、指揮者。本名は高階哲応、出生名は瀬木三五郎、筆名は小田進吾。博報堂の創設者である瀬木博尚は伯父にあたる。 富山県中新川郡滑川町(後の滑川市山王町)で誕生した。生家の瀬木家は富山藩に仕えた家柄で、父は開達小学校(現在の滑川市立田中小学校)の校長、その三男として生まれる。伯父の瀬木博尚は博報堂の創設者。 1901年(明治34年)に天台宗の寺院・長泉寺を継承する高階家の養子となり、1906年(明治39年)に「哲応」に改名した。 富山師範学校在学中に、先輩である浄誓寺の福井直秋の後を追い、東京音楽学校(後の東京芸術大学)への進学を決意し卒業後は1年余の浜加積尋常高等小学校訓導を経た。
杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月… 杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月5日 - 1952年(昭和27年)8月25日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者、指揮者。本名は杉山 直樹(すぎやま なおき)。別名として杉山 長谷雄、杉山 はせをという表記も見られる。 愛知県名古屋市出身。1913年(大正2年)東京音楽学校器楽科卒業。安藤幸、アウグスト・ユンケル、ハインリヒ・ヴェルクマイスター、アレクサンドル・モギレフスキーらにヴァイオリンや作曲を師事した。東京音楽学校を卒業後はヴァイオリン奏者として活躍し、高階哲夫、多基永、高勇吉、芝盂泰、多忠亮らと室内楽運動を展開。暁星中学校、俳優学校、陸軍戸山学校などで音楽を教えた。
澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889… 澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889年(明治22年)5月17日 - 1949年(昭和24年)4月15日)は日本の声楽家、音楽教育者、合唱指揮者、作曲家。日本の洋楽界のパイオニアとして重要な役割を果たした。 和歌山県有田市出身。1912年(明治45年)東京音楽学校声楽科卒。アウグスト・ユンケル、ハンカ・ペツォルトに師事。同年の卒業生には、声楽:中島かね・梁田貞、ピアノ:中山晋平・服部駟郎次、ヴァイオリン:多基永などがいる。 テノール歌手として、日本で最初の四重唱団「澤崎クヮルテット」名義の演奏記録もある(ソプラノ:武岡鶴代、アルト:柳兼子、テノール:澤崎、バス:矢田部勁吉)。
竹内 平吉(たけうち へいきち、1887年(明治20年)9月… 竹内 平吉(たけうち へいきち、1887年(明治20年)9月6日 - 1972年(昭和47年)4月14日)は、日本の作曲家、指揮者、チェロ奏者。帝国劇場附属洋楽部の初代楽長、宝塚少女歌劇作曲家、指揮者。 静岡県出身。1906年(明治39年)、静岡県立静岡中学校卒業。東京音楽学校卒業。チェロをハインリヒ・ヴェルクマイスターに、音楽理論をアウグスト・ユンケルに学ぶ。1911年(明治44年)に新設された帝国劇場附属洋楽部の初代楽長として迎えられ、チェリスト、専任指揮者としてジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーとともに創成期のオペラ指導に尽力。1923年(大正12年)に起きた関東大震災を機に宝塚少女歌劇に移り、指揮者を務める。
大塚 淳(おおつか すなお、1885年(明治19年)1月19… 大塚 淳(おおつか すなお、1885年(明治19年)1月19日 - 1945年)は日本の指揮者。 代々医師の家系の一人息子として生まれる。父は医師大塚長寿郎正心。 東京音楽学校(後の芸大)入学バイオリン専攻。卒業後、同校教授となる。明治39年東京音楽学校の生徒時、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラの初代指揮者となり、以後、渡満するまで指揮者を務めた(石坂洋次郎「日本はカルーソーを失ったという話」内に慶應ワグネル・ソサエティ入部の下りがある)。 1938年(昭和13年)、満州国新京市からの招聘により満州国国立音楽学校創設のため渡満する。渡満前に慶應ワグネル・ソサエティ第60回定期公演「ベートーヴェンの夕」に指揮棒を揮う。
佐川 聖二(さがわ せいじ)は、日本のクラリネット奏者、指揮… 佐川 聖二(さがわ せいじ)は、日本のクラリネット奏者、指揮者、吹奏楽指導者。 秋田市立山王中学校吹奏楽部にて、クラリネットと出会う。秋田県立秋田高等学校を経て、1975年に、東京芸術大学器楽科を卒業し、同大学院へ入学。在学中の1976年に、東京交響楽団に入団。1977年、同大学院を修了。1980年に、文化庁派遣海外研修員としてウィーンに1年間留学。これまで、クラリネットを北爪利世、千葉国夫、三島勝輔、アルフレート・プリンツらに師事。指揮を金子登、遠藤雅古らに師事。 2001年6月、25年間 首席クラリネット奏者を務めた東京交響楽団を退団した。 尚美学園大学にて講師を務めたほか、1979年に結成された「東京クラリネット・アンサンブル」として、またフリーランスとして室内楽、ソロ奏者としても活動。
高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指… 高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指揮者、音楽教育者。 東京都立上野高等学校卒業。東京藝術大学卒業・同大学院修了。ドイツ・イタリア留学。 オペラのデビューは、1966年(昭和41年)二期会・都民劇場ワーグナー『タンホイザー』(原語初演)ラインマル。二期会、東京室内歌劇場、日生劇場等で活躍し、歌手としての出演は1996年(平成8年)日生劇場オネゲル『火刑台上のジャンヌ・ダルク』ドミニクまで約100作品にのぼる。一方、1980年代以降はスタッフ側につくことが多くなり、歌唱指導、制作、公演監督などを務め、そして1990年代からはオペラ指揮者として活動を開始し、2000年代以降は専らオペラ指揮者として活躍している。
佐藤 洋人(さとう ひろと)は、日本の合唱指揮者。 東京藝術… 佐藤 洋人(さとう ひろと)は、日本の合唱指揮者。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。これまでに指揮法を森垣桂一、今村能、声楽を青木美稚子に師事。大学在学時より栗山文昭のもとで合唱音楽について研鑽を積む。World Youth Choir 2009日本代表メンバーに選出され、欧州各国でのセッション及びコンサートに出演。Tokyo Cantat 2012「第3回若い指揮者のための合唱指揮コンクール」第1位及びノルウェー奨学賞を受賞。2013年オーストリア・ノルウェーに短期留学し、各地の指揮講習会やノルウェー王立音楽院合唱指揮科で研鑽を積むとともに、Arnold Shönberg Chorのメンバーとしてザルツブルク音楽祭などに出演。
永富 啓子(ながとみ けいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ、メ… 永富 啓子(ながとみ けいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ、メゾソプラノ)、合唱指揮者、音楽教育者。 佐賀県唐津市出身。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1971年(昭和46年)ウィーンに渡り、ウィーン国立音楽大学発声科、リート・オラトリウム科、オペラ科の各科を卒業。 畑中良輔、W.シュタインブリック、エリック・ヴェルバ、A.コローに師事。 1974年(昭和49年)のウィーン・カンマーオペラ劇場出演を皮切りに、オーストリアと日本で積極的な演奏活動を行う。特にドイツ歌曲の分野には研鑽を重ね、その演奏は常に好評を受けている。永年にわたってウィーン日本人会婦人部女声コーラス“シュパッツェンコーア”の指揮を務める。
中村 義春(なかむら よしはる)は、日本の声楽家(バリトン)… 中村 義春(なかむら よしはる)は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者、作曲家。東京学芸大学名誉教授、洗足学園音楽大学名誉教授。 1956年(昭和31年)東京藝術大学声楽科卒業。畑中良輔、小池寿郷に師事。 公式デビューは1957年(昭和32年)二期会 ビゼー『カルメン』モラレスとなっている(それ以前の記録もある。後述)。以後、ブリテン『夏の夜の夢』ディミトリアス、プッチーニ『蝶々夫人』シャープレス、ロッシーニ『セヴィリアの理髪師』フィガロ、ヨハン・シュトラウス2世『こうもり』フランク、レオンカヴァッロ『道化師』シルヴィオ等に出演。 特に室内歌劇や日本の創作オペラに意欲的に取り組んでおり、石桁眞禮生『駈込』、佐藤眞『芥子の天人』、オムニバス・オペラ『小判狂言』、浦田健次郎『トントコトン物語』、飯田隆『真説カチカチ山』、石桁眞禮生『卒塔婆小町』等に出演。
堀野 浩史(ほりの ひろし)は、日本の声楽家(バス)、合唱指… 堀野 浩史(ほりの ひろし)は、日本の声楽家(バス)、合唱指揮者、演奏会プロデューサー。 福島大学教育学部、東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。松田芳子、高橋修一、伊藤亘行、大熊文子、K.リヒター、U.クッターに師事。 国際ロータリー財団奨学生として、1982年(昭和57年) - 1986年(昭和61年)にドイツに留学し、N.スターノ、C.D.ブロイン、F.B.ベッカーのもとで、発声法、ドイツ語発音、ドイツ歌曲解釈を学ぶ。 帰国後、2019年(令和元年)現在に至るまで、ドイツ歌曲演奏会に出演する傍ら、日本歌曲にも意欲的に取り組んでいる。2008年(平成20年)5月にはウィーン、ザルツブルクでコンサートを開催。
松村 努(まつむら つとむ)は、日本の合唱指揮者。 神奈川県… 松村 努(まつむら つとむ)は、日本の合唱指揮者。 神奈川県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。声楽を三林輝夫、河瀬柳史に、指揮を黒岩英臣、ヘルムート・リリングに師事。宗教曲のソリストとして活動後、東京・神奈川において合唱団の指揮・指導に携わり、現在13の合唱団を擁する「Diamond Family」として組織されている。 2005年(平成17年)、Combinir di Corista(コンビーニ・ディ・コリスタ。通称「コンビニ」)の設立に寄与し、同団を指揮し、全日本合唱コンクール全国大会において2008年~2022年の15年間で通算13回(13年は不参加、20年は大会中止)の金賞、最高賞の文部科学大臣賞を通算8回(2009~12、18、19、21、22)受賞。
松本 紀久雄(まつもと きくお)は、日本の指揮者。 東京芸術… 松本 紀久雄(まつもと きくお)は、日本の指揮者。 東京芸術大学作曲科を修了した後、指揮科で金子登に師事し卒業する。指揮者小林研一郎の同窓生。尚美学園や東京音楽大学指揮科で後進の指導の傍ら、オーケストラやミュージカル・アニー他、合唱団の指揮者、音楽監督等を務めた。活躍している指揮者の中で、彼の指導を受けた者は数多い。 2003年、命日である8月31日に合わせて、かつしかシンフォニーヒルズにて「松本紀久雄メモリアルコンサート」を開催。プロアマ問わず、松本紀久雄先生に懇意の有志メンバーにて集められたオーケストラにて演奏会を開催。妻であり、書家でもある、松本たみ子氏(松本山兎)の個展も同時開催。音楽と書道、という異色のコラボレーションによる、新しい芸術を創出する場となった。
吉岡 弘行(よしおか ひろゆき)は、日本の音楽家、作曲家、編… 吉岡 弘行(よしおか ひろゆき)は、日本の音楽家、作曲家、編曲家、指揮者。岡山県岡山市中区出身。 岡山県立岡山芳泉高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。同大学院音楽研究科修了。 作曲を河田文忠、北村昭、小林秀雄、佐藤眞、指揮法を坂本和彦、ヘルムート=リリンク、ヴァイオリンを井崎郁子、澤和樹、ピアノを野村真理の各氏に師事。 1982年度第9回笹川賞創作曲コンクール合唱部門2位及び1983年第52回日本音楽コンクール作曲部門(室内楽)第2位(1位なし)受賞。 これまでに日本ニューフィルハーモニー管弦楽団、岡山交響楽団、西日本医科学生オーケストラ、葛飾フィルハーモニー管弦楽団、北浦室内管弦楽団、原宿バロックアンサンブル、東京混声合唱団、武蔵野市民合唱団、同志社混声合唱団こまくさ、東京クローバークラブ、葛飾区民合唱団、ジョリーラジャース、松戸市民コンサート、葛飾区民ミュージカル等を指揮。