栗本 尊子(くりもと たかこ、1920年(大正9年)5月9日… 栗本 尊子(くりもと たかこ、1920年(大正9年)5月9日 - 2019年(平成31年)1月22日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)・音楽教育者。二期会名誉会員(2017年時点)本名、栗本 尊(くりもと たか)。旧姓は、小鳥居。 福岡県筑紫郡大宰府町(現:太宰府市)にて、安楽寺五別当の小鳥居家の五女として生まれる。福岡女学校(現:福岡女学院中学校・高等学校)卒業。1941年(昭和16年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)卒業。リア・フォン・ヘッサートに師事。1946年(昭和21年)長門美保歌劇団プッチーニ『蝶々夫人』のスズキ役でデビュー以来、長門美保歌劇団で活躍。1952年(昭和27年)に旗揚げされた二期会に参加。
秋元 雅一朗(あきもと まさいちろう、1920年(大正9年)… 秋元 雅一朗(あきもと まさいちろう、1920年(大正9年)3月2日 - 1990年(平成2年)2月7日)は、日本の声楽家(バリトン、バス)・オペラ歌手・音楽教育者・翻訳家(訳詞家)。二期会の創設メンバーの一人。本名は秋元清一(あきもと せいいち)。旧字体秋元淸一。 作曲家の関口孝明は孫にあたる。 東京府(現: 東京都)出身。1945年(昭和20年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)研究科修了。本科では戸田敏子、畑中良輔らと同級。木下保に師事。 第二次大戦後まもなくの1946年(昭和21年)4月に藤原歌劇團 ビゼー『カルメン』エスカミリオでデビュー。その後オペラへの出演を続け、20年足らずの間に約90本ものプロダクションに出演している。
山田 浅蔵(やまだ あさぞう、1919年12月19日 - 2… 山田 浅蔵(やまだ あさぞう、1919年12月19日 - 2008年8月21日)は、日本の音楽教育者・学者。 滋賀県出身。東京音楽学校卒。東京都立白鴎高等学校音楽教諭、武蔵野音楽大学教授。90年定年退職。
川崎 静子(かわさき しずこ、1919年(大正8年)12月3… 川崎 静子(かわさき しずこ、1919年(大正8年)12月3日 - 1982年(昭和57年)10月4日)は、昭和期の声楽家(アルト)・歌手・オペラ歌手・音楽教育者。旧姓は千葉。旧字体表記は靜子。二期会の創設者の一人。 1919年(大正8年)、東京府(現: 東京都)に生まれる。 在学中から東京音楽学校(現: 東京藝術大学)による信時潔『海道東征』のアルトソロを務め、全国で演奏旅行を行なう。 1941年(昭和16年)に東京音楽学校を卒業。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒ、田中伸枝、リア・フォン・ヘッサートに師事。 同年に新交響楽団(現: NHK交響楽団)定期演奏会でモーツァルト『フィガロの結婚』のマルチェルリーナを歌い、東京音楽学校以外でのデビュー。
大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月2… 大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月20日 - 2012年(平成24年)6月15日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。桐朋学園大学音楽学部名誉教授。 台湾台北市において、動物学者の父・大島正満と、東京音楽学校卒の母・イマコの五男として生まれる。 1940年(昭和15年)東京音楽学校予科を経て本科器楽科卒業。1942年(昭和17年)同校研究科修了。田中規矩士、レオ・シロタ、井口基成に師事。 1947年(昭和22年)フェリス女学院(当時の校名は「横浜山手女学院」と変えられていたが、1950年(昭和25年)に「フェリス女学院」に戻される)専門学校音楽科創設と共にピアノ講師となる。
渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日… 渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日 - 1990年(平成2年)6月22日)は、日本の指揮者、教育者。鳩山一郎は義父にあたる。 1919年、巣鴨のルーテル教会の日本人牧師・渡邉忠雄を父とし、フィンランド人の声楽家・渡邉シーリを母として、東京府で生まれた。兄は共同通信社で重責を歴任したジャーナリストの渡邉忠恕。妻の信子は鳩山一郎の五女。長男の渡邉康雄(指揮者)、次男の渡邉規久雄(ピアニスト)とも芸術系の大学教授を務める音楽家。声楽家の母に幼少時から音楽の手ほどきを受けたほか、5歳でピアノを、10歳でヴァイオリンを始める。1940年、東京音楽学校(現東京芸術大学)本科器楽科(ヴァイオリンを専攻)卒業後、研究科に進みヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動。
佐々木 成子(ささき さだこ、1919年(大正8年)5月27… 佐々木 成子(ささき さだこ、1919年(大正8年)5月27日 - 2017年(平成29年)5月15日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、歌手、オペラ歌手、音楽教育者。二期会の結成メンバーの一人。本名: 内田 成(うちだ さだ)。 東京府(現: 東京都)出身。東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)卒業。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。卒業後まもなく大量のSPレコードの吹込みを行なう。 戦後は、マーラー交響曲第8番の日本初演のソロを務めるなど、第一線のクラシックの声楽家として活躍している。 1952年(昭和27年)2月15日に二期会結成披露・基金募集の「ヴォーカル・コンサート」が行われた。
渡邊 高之助(わたなべ たかのすけ、1919年(大正8年)3… 渡邊 高之助(わたなべ たかのすけ、1919年(大正8年)3月3日 - 2003年(平成15年)7月1日)は、日本の声楽家(テノール)・音楽教育者。新字体で、渡辺 高之助と表記されることがある。 東京府四谷区生まれ。1941年(昭和16年)東京音楽学校声楽科卒業。木下保に師事。東京放送合唱団などで活躍。1952年(昭和27年)の二期会創立以来のメンバー。オペラ歌手として、二期会、グルリット・オペラ協会、長門美保歌劇団等、数多くのオペラに出演し、昭和音楽大学オペラ研究所に記録されているだけでも出演回数は58回にのぼる。 音楽教育面においては1958年(昭和33年)東京芸術大学助教授となり、1960年(昭和35年)声楽科主任、1969年(昭和44年)教授。
岡部 多喜子(おかべ たきこ、1919年(大正8年)2月24… 岡部 多喜子(おかべ たきこ、1919年(大正8年)2月24日 - 2020年(令和2年)10月15日)は、日本の声楽家(ソプラノ、メゾソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。 東京府出身。東京音楽学校卒業。長坂好子に師事。 1942年(昭和17年)2月6日 第13回全日本新人紹介演奏会(夜 日比谷公会堂)でヴェルディ『ドン・カルロス』よりエボリ姫の詠唱、清水脩『春の寺』(記録は『メツォソプラノ』である)を歌う。また、レコードの吹込みも行うなど、戦時中も途切れず音楽活動を行う。 戦後、オペラにおいて、1950年(昭和25年)6月11日に長門美保歌劇團公演 日比谷公会堂 モーツァルト『フィガロの結婚』ケルビーノ(指揮:金子登)、1954年(昭和29年)12月24日、25日、26日、28日 俳優座劇場 二期会 メノッティ『アマールと夜の訪問者』アマールの母(指揮:伊藤栄一)を演じている。
三宅 春恵(みやけ はるえ、旧字体: 三宅 春惠、旧姓:豊田… 三宅 春恵(みやけ はるえ、旧字体: 三宅 春惠、旧姓:豊田、1918年〈大正7年〉3月13日 - 2005年〈平成17年〉12月9日)は、日本の声楽家(ソプラノ)・オペラ歌手・音楽教育者。二期会の創設者の一人。夫はピアニストでフェリス女学院短期大学教授兼学長の三宅洋一郎。 福岡市生まれ。父は英文学者・九州帝国大学教授の豊田実。1939年(昭和14年)東京音楽学校を卒業する。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 実質的なデビューは1939年(昭和14年)12月の新交響楽団(現: NHK交響楽団)定期演奏会のベートーヴェン『フィデリオ』マルツェリーネである。 戦時中の1945年(昭和20年)1月においても新交響楽団の演奏会に出演しているのが確認できる。
藤井 典明(ふじい のりあき、1915年(大正4年)11月2… 藤井 典明(ふじい のりあき、1915年(大正4年)11月26日 - 1994年(平成6年)11月17日)は、日本の声楽家(バリトン、一部にテノールとなっているものも存在する)、合唱指揮者、音楽教育者。名前の読みをテンメイとしている資料もある。 広島県出身。1940年(昭和15年)東京音楽学校卒、1942年(昭和17年)東京音楽学校研究科修了。 1940年(昭和15年)読売新人演奏会でデビュー。オペラでは、藤原歌劇団を中心に、バリトン歌手として出演するとともに、1947年(昭和22年) - 1955年(昭和30年)藤原歌劇団合唱部の指導にあたった。オペラの公演に関わった記録は66回に及ぶ。 音楽教育面では、1940年(昭和15年)東京音楽学校教師。
奥田 智重子(おくだ ちえこ、1915年(大正4年)6月23… 奥田 智重子(おくだ ちえこ、1915年(大正4年)6月23日 - 2006年(平成8年)3月6日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。本名:久本 智重子(ひさもと ちえこ)。 千葉県千葉市出身。1937年(昭和12年)東京音楽学校本科卒業。1939年(昭和14年)同校研究科修了。世代柄『此の決意』(テイチク1943年2月新譜、東海林太郎・奥田智重子)等の軍歌の録音もある。 1949年(昭和24年)東京でリサイタル・デビュー。1953年(昭和28年)渡独、フライブルク音楽大学で学ぶ。1955年(昭和30年)同大学卒業。1955年(昭和30年) - 1958年(昭和33年)同大学マイスターコース修了。
松本 民之助(まつもと たみのすけ、1914年7月11日 -… 松本 民之助(まつもと たみのすけ、1914年7月11日 - 2004年3月15日)は、日本の作曲家、教育者。東京藝術大学名誉教授。 1936年(昭和11年)東京音楽学校甲種師範科卒業。下総皖一に作曲、伊藤武雄に声楽、福井直俊にピアノを師事する。1936年 (昭和12年) ベルリンオリンピックの芸術競技で佳作入選。1938年(昭和14年)交響曲『文覚』がワインガルトナー賞優等賞受賞。作曲家の松本日之春、松本清は息子。弟子に坂本龍一や嵐野英彦、赤石敏夫らがいる。東京芸術大学音楽学部附属高等学校で松本に師事した奥慶一によれば「非常に熱心かつ厳格」という人物評がある。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
小池 岩太郎(こいけ いわたろう、1913年(大正2年)2月… 小池 岩太郎(こいけ いわたろう、1913年(大正2年)2月22日 - 1992年(平成4年)7月21日)は、日本の美術教育者、インダストリアルデザイナーである。東京府(現・東京都)出身。 東京美術大学(現在の東京芸術大学)卒業後、地方公務員として福岡県庁に勤務する。その後東京に戻り商工省(現在の経済産業省)に入省し、工芸指導所にて技手として活動した。1947年(昭和22年)には古巣の東京芸術大学にて助教授として復帰し、1965年(昭和40年)に教授に昇格する。1980年(昭和55年)に退職後は、同大学の名誉教授に選出され、同時期に池を中心に複数のデザイナーと共にGKデザイングループを結成し、日本酒「大関」のボトルデザインやオートバイ、レコード、家庭用品等幅広いデザイン設計に携わった。
豊増 昇(とよます のぼる、1912年〈明治45年〉5月23… 豊増 昇(とよます のぼる、1912年〈明治45年〉5月23日 - 1975年〈昭和50年〉10月9日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。日本藝術院会員。佐賀県佐賀市出身。 1933年、東京音楽学校卒。高折宮次、レオ・シロタらに師事。1936年ドイツに留学、1943年東京音楽学校教授。その後、京都市立音楽短期大学教授を経て、1959年に武庫川女子大学音楽部長となった。 1940年にベートーヴェンのピアノソナタとピアノ協奏曲全作品の連続演奏会、1949年にバッハ死後200年記念ピアノ曲連続演奏会、さらに1950年にもバッハのピアノ曲全作品の連続演奏会をおこなった。1956年、日本人として初めてベルリンフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演した(指揮はヨーゼフ・カイルベルト)。
遠見 豊子(とおみ とよこ、1912年3月6日 - 1979… 遠見 豊子(とおみ とよこ、1912年3月6日 - 1979年8月3日)は日本のピアニスト、音楽教育者。京都府出身。1929年に東京音楽学校予科に入学。1933年3月に同校本科器楽部ピアノ専攻を卒業。同年より同校の聴講科と研究科に進学し、1935年3月に聴講科ピアノ専攻を、1936年3月に研究科作曲部を修了。レオ・シロタ、クラウス・プリングスハイム、レオニード・クロイツァーに師事した。1939年10月(2日または20日)にデビュー。上野楽星会員。東京女子高等師範学校、武蔵野音楽学校、上野児童音楽学園講師。お茶の水女子大学教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
市川 都志春(いちかわ としはる、1912年〈明治45年〉1… 市川 都志春(いちかわ としはる、1912年〈明治45年〉1月18日 - 1998年〈平成10年〉4月29日)は、日本の作曲家、音楽教育者。教育芸術社の創業者。静岡県浜松市出身。 音楽教育に力を入れ、多くの音楽教科書の著述、編集を務めたことで知られる。また、各地の学校で校歌の作曲を多く手がけている。 浜松市で生まれ、中学からは東京に移り住んだ。旧制市立ニ中(現・東京都立上野高等学校)では、福田恆存(英文学)、高橋義孝(独文学)と同期。作曲を志し、1935年に東京音楽学校の器楽部ヴァイオリン科に入り、安藤幸子、ウィリー・フライに師事した。また課外でクラウス・プリングスハイムに作曲を学び、1937年本科卒業後は研究科に進んで、信時潔に半年間作曲を学ぶ。
千葉 衛(ちば まもる、1911年 - 1973年)は、日本… 千葉 衛(ちば まもる、1911年 - 1973年)は、日本の画家、美術教育者。現在の宮城県大崎市出身。 宮城県大崎市に生まれる。幼少期から絵画に興味を持ち、地元の小学校・中学校で才能を発揮した。旧制古川中学校(現在の宮城県古川高等学校)を卒業後東京美術学校(現在の東京芸術大学)に進学し、洋画を学ぶ。在学中から光風会や東光会に作品を出品し、頭角を現した。1930年代には帝展(帝国美術展覧会)に初入選し、画家としての将来が期待されるようになる。しかし、当時の日本は戦争の時代に突入し、画家としての活動が制限される状況となる。 東京美術学校研究科に進学したものの、戦時下の影響もあり研究科を中退した。その後台湾に渡り、現地で美術教育に携わる。
嘉納 愛子(かのう あいこ、1907年〈明治40年〉1月1日… 嘉納 愛子(かのう あいこ、1907年〈明治40年〉1月1日 - 2016年〈平成28年〉3月29日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)・音楽教育者。相愛大学名誉教授(2011年時点)。 大阪府大阪市出身。官吏の家に生まれた三人姉妹の末っ子。親和高等女学校卒。東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部声楽科)に入学。高木東六や四家文子と同級。卒業後、山田耕筰の数少ない弟子の一人となり、山田らが確立した「日本歌曲」の真髄を叩き込まれる。修業を終えて帰阪後も声楽家として活動し、大阪BK(NHK大阪放送局)のラジオ放送や公演に出演するが、1934年(昭和9年)に旧家として名高い(嘉納家は嘉納財閥として知られる)灘の酒造家の嘉納鉄夫と結婚して引退。
海鋒 義美(かいほこ よしみ、1905年11月4日 - 19… 海鋒 義美(かいほこ よしみ、1905年11月4日 - 1997年6月18日)は日本の作曲家、教育者である。宮城県において音楽教育に尽力した。また、東北地方の多くの学校の校歌や、戦後のラジオ番組において多数の童謡の作曲を手掛けた。三男の海鋒正毅はクラリネット奏者である。 海鋒は山形県北村山郡山口村(現在の天童市)で生まれた。東京音楽学校(後の東京芸術大学)臨時教員養成所を卒業し、熊本県立山鹿高等女学校勤務を経て、1933年(昭和8年)から宮城県仙台市の音楽指導員となった。この時、尋常小学校、高等小学校、計22校で月に最低一回は指導する決まりだった。この頃、児童唱歌コンクール(後のNHK全国学校音楽コンクール)において市内の東二番丁尋常小学校や南材木町尋常小学校が優勝しており、仙台で合唱の流行があった。
薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月… 薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月5日 - 1986年〈昭和61年〉8月3日)は、日本の声楽家(テノール)、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家、音楽学者、合唱指揮者。お茶の水女子大学名誉教授。 千葉県出身。1930年(昭和5年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)卒業。マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 卒業後、戦前からリサイタル、コンサートで活動し、特にドイツ歌曲を得意とした。 戦後まもなく演奏活動に復帰。門下生の柴田睦陸が結成し、二期会の母体となった東京藝術大学歌劇研究部 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』の主役ファウストを務めている。
伊藤 武雄(いとう たけお、1905年(明治38年)8月2日… 伊藤 武雄(いとう たけお、1905年(明治38年)8月2日 - 1987年(昭和62年)12月2日)は、日本の声楽家(バリトン)、教育者。広島県広島市出身。 1930年東京音楽学校(東京芸術大学)卒業。研究科に残りヘルマン・ヴーハーペニッヒ、ネトケ=レーヴェに師事。1935年デビューリサイタル。戦前から歌曲とオペラに活躍。1937年日中戦争に召集され従軍、上海の戦闘で右手を失うが、帰国後は母校の助教授として後進の育成に尽力した。またコロムビア・レコード専属となり、ドイツ歌曲の吹き込みを行う。1940年山田耕筰に請われオペラ『夜明け』で初舞台。しかし助教授がオペラに出るのは学校も文部省も当時許さず、学校は退職した。
橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashi… 橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashimoto、1904年9月14日 - 1949年5月6日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者、音楽教育者。 東京都本郷生まれ。ヴァイオリンを辻吉之助に師事。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)を経て、1923年(大正12年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)入学。安藤幸とヨゼフ・ケーニヒにヴァイオリンを、チャーレス・ラウトロプに指揮法を学ぶ。作曲は信時潔に指導を受けるもほとんど独学であったが、同校研究科で作曲を学ぶ。歌曲『お菓子と娘』『黴』などで作曲家としての名声を獲得。斬新な曲を作る一方ではポピュラーなCM曲や歌謡曲にも手を染めた。
森 桂一(もり けいいち、1904年8月10日 - 1988… 森 桂一(もり けいいち、1904年8月10日 - 1988年3月16日)は、洋画家、美術教育者。 岐阜県恵那市生まれ。号・林人子。1928年東京美術学校卒。同年帝展初入選。1952年千葉大学教育学部教授、1970年定年退官、名誉教授。1975年千葉明徳短期大学学長、81年退任、名誉学長。1974年勲三等旭日中綬章受勲。
栗田 国彦(くりた くにひこ、1904年3月25日 - 19… 栗田 国彦(くりた くにひこ、1904年3月25日 - 1981年)は昭和時代日本の作曲家、教育者。静岡大学教育学部教授。 1904年(明治37年)、静岡県磐田郡山香村(現在の浜松市天竜区)に生まれる。静岡師範学校を経て東京音楽学校第四臨時教員養成所で沢崎定之、下総皖一、貫名美名彦らの師事を仰ぐ。愛知県の知多郡立高等女学校教諭を経て愛媛師範学校教諭となり、1938年(昭和13年)11月に愛媛県庁が提唱した「国民精神作興週間」の一環として初代「愛媛県民歌」を作曲する。1944年(昭和19年)、静岡第一師範学校教諭兼教授。1949年(昭和24年)の新制静岡大学発足に伴い助教授となり、附属幼稚園長を経て1960年(昭和35年)より教授に至る。
浅野 千鶴子(あさの ちづこ、旧字体: 淺野 千鶴子 、19… 浅野 千鶴子(あさの ちづこ、旧字体: 淺野 千鶴子 、1904年(明治37年)3月22日 - 1991年(平成3年)3月3日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。民謡歌手で秋田県出身の浅野千鶴子は同姓同名の別人。 高知県高知市出身。1927年(昭和2年)東京音楽学校研究科修了。永井郁子に師事し、マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、長坂好子の指導も受けた。1920年代から文化学院の教壇に立つ。1929年(昭和4年)4月 京城で「山田耕筰作品発表会」に出演(ピアノ:山田耕筰、ヴァイオリン:黒柳守綱、ソプラノ:浅野千鶴子)。1930年(昭和5年)東京でリサイタル・デビュー。1935年(昭和10年)東京音楽学校第75回定期演奏会(於:日比谷公会堂)でバッハ『聖母讃歌』ソリスト(指揮:クラウス・プリングスハイム、ソプラノ:浅野千鶴子、メゾソプラノ:田中伸枝、アルト:齋藤英子、テノール:木下保、バス:伊藤武雄)。
遠山 清(とおやま きよし、1903年〈明治36年〉11月1… 遠山 清(とおやま きよし、1903年〈明治36年〉11月15日 - 1963年〈昭和38年〉6月10日)は、日本の教育者、画家。 サンサシオン同人、広井尋常小学校教員、名古屋市立第一高等女学校教員、光風会会員、愛知県立愛知工業高等学校教員、社団法人光風美術会会員、社団法人日展会員、社団法人日展審査員などを歴任した。 愛知県名古屋市出身の洋画家である。広井尋常小学校、名古屋市立第一高等女学校、愛知県立愛知工業高等学校に教員として勤務する傍ら、光風会展、帝展、日展に出品を続け、光風賞や岡田賞を受賞している。光風会や日展の会員となり、のちに日展の審査員も務めた。 1903年(明治36年)11月15日、大日本帝国の愛知県名古屋市にて生まれた。
藪下 泰司(やぶした たいじ、男性、1903年2月1日 - … 藪下 泰司(やぶした たいじ、男性、1903年2月1日 - 1986年7月15日)は、記録映画の撮影、日本のアニメーション映画監督・演出・企画、アニメーション制作の教育者。大阪府北河内郡四条村(現 大東市)生まれ。東京美術学校写真科卒業。略字の薮下、本名の藪下 泰次と表記することも多い。代表作に『白蛇伝』等がある。映画監督の高橋玄は孫。 東京美術学校写真科卒業後、1925年松竹株式会社撮影所現像部を経て、1927年文部省社会教育局で映画製作設備を創設。そこでツェッペリン号飛来時の無声記録短編映画等を代表とする、文化・記録映画製作を約40本ほど担当し、記録映画畑を歩む。 戦時体制が解けた後の1947年、山本善次郎が設立する日本動画株式会社(1948年1月創立)で、初めてアニメーション作品の制作に参加。
平井 美奈子(ひらい みなこ、1902年(明治35年)3月3… 平井 美奈子(ひらい みなこ、1902年(明治35年)3月31日 - 2004年(平成16年)3月3日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、歌手、童謡歌手、音楽教育者。 旧姓:早川(はやかわ) 実業家、早川鉄冶の子として東京に生まれる。6歳から山田流箏曲を山木派の須藤春賀に学ぶ。1919年(大正8年)青山女学院卒業。東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)でハンカ・シェルデルップ・ペツォルトとマルガレーテ・ネトケ=レーヴェに師事し、1923年(大正12年)同校本科声楽部卒業。1925年(大正14年)同校研究科声楽部修了。1925年8月函館市で本居長世・みどり・貴美子、吉田晴風、早川美奈子による演奏。
田口 寛(たぐち ゆたか、1900年8月29日 - 1979… 田口 寛(たぐち ゆたか、1900年8月29日 - 1979年)は、昭和時代後期の日本で活動した作曲家、教育者。 1900年(明治33年)、岡山県に生まれる。1928年(昭和3年)に東京音楽学校甲種師範科を卒業した後、1931年(昭和6年)から1949年(昭和24年)まで兵庫県の尼崎市立高等女学校(現在の尼崎市立尼崎高等学校)で音楽教諭を務める。学制改革に伴い兵庫県立尼崎高等学校へ転籍し、同校の校歌を作曲した。 1952年(昭和27年)11月、香川大学学芸学部(のち教育学部)教授に着任。在職中は1954年(昭和29年)1月に制定された「香川県民歌」並びに、岡山・香川両県内の小中学校の校歌を作曲する。
金澤 庸治(かなざわ ようじ、1900年(明治33年)3月1… 金澤 庸治(かなざわ ようじ、1900年(明治33年)3月15日-1982年(昭和58年))は、日本の建築家、建築教育者。金沢庸治とも表記される。 東京出身。1917年(大正6年)3月に京北実業学校中学校を卒業。1919年4月、東京美術学校図案科第二部予備科に入学(1923年5月に図案科第二部は建築科となる)、1924年3月、建築科の第1回生として卒業。同年、一年志願兵として近衛輜重兵大隊に入隊。1927年4月に東京美術学校の講師となり、1936年1月、助教授に就任、1946年3月に退職 建築設計も平行して手がけ、恩師である岡田信一郎の建築事務所のスタッフを務める。一説には、岡田が設計した黒田記念館(1928年)、明治生命館(1934年)の装飾を担当したとも言われる。
関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 -… 関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 - 1973年(昭和48年)5月2日)は、日本の声楽家、音楽教育者、音楽評論家。プロレタリア音楽同盟の委員長に選ばれ、「アカイ歌手」と騒がれた。 第二次世界大戦後、日本共産党員として同党の文化政策に基づく実践活動を行い、国内外において、日本のうたごえ運動の創始者と見なされるようになった。 父 関厳(美術評論家。雅号 "関如来")、母 トヨの長女として、東京都本郷区龍岡町(当時)に生まれる。弟に関忠亮。関家は代々郡山藩の江戸詰め御典医の家系で、読売新聞の美術担当だった父親は美術評論の草分けであり、鑑子が生まれた時はパリ万国博覧会 (1900年)へ出品する美術品の鑑定官をしていたことから、娘の名に「鑑」の字をつけ、秋生まれであったことから「アキ」と読ませた。
廣岡 淑生 (ひろおか よしお、1898年(明治31年)9月… 廣岡 淑生 (ひろおか よしお、1898年(明治31年)9月1日 - 1988年(昭和63年)7月8日、本名 : 廣岡 九一)は、昭和期の音楽教育者であり、全日本吹奏楽連盟会長、日本吹奏楽指導者協会会長を務めた。名字が 広岡 と表記されることもある。 明治31年(1898年)、三重県上野市(現伊賀市)に生まれる。大正14年(1925年)東京音楽学校(現東京芸術大学)第四臨時教員養成所オルガン科卒業。和歌山県立新宮高等女学校(現和歌山県立新宮高等学校)教諭、昭和3年(1928年)東京府立第一商業高等学校(現東京都立第一商業高等学校)講師、東京府立大泉師範学校(現東京学芸大学教育学部)、お茶の水女子大学講師、川村学園講師を歴任。
下總 皖一(しもおさ/しもふさ かんいち、本名:下總 覺三、… 下總 皖一(しもおさ/しもふさ かんいち、本名:下總 覺三、1898年3月31日 - 1962年7月8日)は作曲家・音楽教育者。埼玉県北埼玉郡原道村砂原(現:加須市)生まれ。 地元の原道尋常小学校(現:加須市立原道小学校)を卒業後は、父親が校長を務める栗橋尋常高等小学校(旧:栗橋町立栗橋東第一小学校、現:久喜市立栗橋小学校)に通い、1912年に卒業。その後は埼玉師範学校(現:埼玉大学教育学部)に入学、1920年東京音楽学校(現:東京芸術大学)で作曲を信時潔に師事し首席で卒業。後ドイツのベルリン芸術大学でパウル・ヒンデミットにも師事し、日本におけるブラームス=ヒンデミット流のドイツ系対位法理論の先駆者となった。
豊田 勝秋(とよだ かつあき 1897年9月24日 - 19… 豊田 勝秋(とよだ かつあき 1897年9月24日 - 1972年4月22日)は日本の工芸家、陶芸家、教育者。鋳造、金工の分野で足跡を残した。 1897年(明治30年)9月、福岡県久留米市に生まれる。1915年(大正4年)、福岡県立明善中学校を卒業し、東京美術学校鋳造科入学。1920年(大正9年)に卒業後、研究科に進む。研究科を修了後は、東京高等工芸学校金属工芸科の嘱託となり、1924年(大正13年)、同校助教授となる。 1927年(昭和2年)、帝展に出品して入選。1933年(昭和8年)、帝展に出品した「鋳銅広間用四方花さし」が特選となる。1938年(昭和13年)、東京高等工芸学校教授に就任。1942年(昭和17年)、活動拠点を故郷である久留米市に移す。
水野 康孝(みずの やすたか、1896年 <明治29年> 3… 水野 康孝(みずの やすたか、1896年 <明治29年> 3月3日 - 1987年 <昭和62年> 3月11日)は、日本の大正から昭和時代に活動した作曲家、声楽家、音楽教育者。元岡山大学教育学部長。位階は正四位。 現在の岡山市北区出身。医事評論家の水野肇は長男。 1896年(明治29年)、岡山市(現在の北区)中山下に生まれる。1916年(大正5年)に東京音楽学校本科声楽部を卒業し、同校の研究科に所属したが中退ののち大阪市立中大江東尋常小学校(大阪市立中大江小学校の前身校)に音楽専科教員として採用される。同年内に大阪音楽学校講師となり、1922年(大正11年)に楽劇「百合姫」へ出演。1923年(大正12年)に日東蓄音機(ニットーレコード)へ入社し、東京へ拠点を移すが関東大震災で被災し大阪へ戻る。
内藤 春治(ないとう はるじ、1895年4月1日 - 197… 内藤 春治(ないとう はるじ、1895年4月1日 - 1979年5月23日)は、日本の鋳金家、工芸家、教育者。東京美術学校教授、東京藝術大学名誉教授。帝展・新文展・日展で活動し、日本芸術院賞を受賞した。 岩手県盛岡市に生まれる。少年期に釜師有坂安太郎に入門し、のち南部鋳金研究所で松橋宗明に学んだ。その後上京し、香取秀真に師事した。 1920年に東京美術学校に入学し、1925年に鋳造科を卒業した。研究科修了後の1928年、同校助手となった。1926年には高村周豊らと「旡型」を結成し、昭和初期の新工芸運動に参加した。 1927年、第8回帝展に美術工芸部が新設されると「壁画への時計」を出品して入選した。
成田 為三(なりた ためぞう、1893年(明治26年)12月… 成田 為三(なりた ためぞう、1893年(明治26年)12月15日 - 1945年(昭和20年)10月29日)は、秋田県出身の日本の作曲家 、教育者。東京高等音楽学院(現在の国立音楽大学)教授。 秋田県北秋田郡米内沢町(現在の北秋田市米内沢)にて、役場職員の息子として生まれる。1909年(明治42年)、鷹巣准(準の古字)教員準備場を卒業、秋田県師範学校に入学。1913年(大正2年)に同校を卒業後、鹿角郡毛馬内町(現、鹿角市十和田)の毛馬内小学校で教鞭を一年間執る。1914年(大正3年)、上野にある東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に入学。在学中、ドイツから帰国したばかりだった在野の山田耕筰に教えを受けた。
松田 義之(まつだ よしゆき、1891年11月9日 - 19… 松田 義之(まつだ よしゆき、1891年11月9日 - 1981年9月9日)は、版画家、教育者。 愛知県北設楽郡出身。号は芳雪。1917年東京美術学校図画師範科卒。青森高等女学校(現青森県立青森高等学校)教員、三重県で公立学校教師となり三重県立神戸中学校(現三重県立神戸高等学校)教員、1920年東京美術学校助教授、40年教授。51年東京藝術大学教授、59年定年退官、名誉教授。文部省教科書編集委員など。銅版画では、1932年から帝展、日本版画協会展などに出品した。
長坂 好子(ながさか よしこ、1891年(明治24年)5月2… 長坂 好子(ながさか よしこ、1891年(明治24年)5月29日 - 1970年(昭和45年)9月30日)は、日本の声楽家(ソプラノ)・音楽教育者。日本の洋楽の黎明期に優れた門下生を数多く育てた。 愛知県名古屋市出身。1914年(大正3年)東京音楽学校(現:東京藝術大学)卒業。三浦環に師事。 1915年(大正4年)下半期だけでも5回の演奏記録があり、同年10月29日に神田青年会館にて「二十世紀社主催 音楽会」に出演。1916年(大正5年)11月16日には「皇后行啓演奏会」にて御前演奏をする。1920年(大正9年)12月3、4日 東京音楽学校第39回定期演奏会、11日 南葵樂堂「ベートーヴェン[生誕]百五十年紀念 音樂會」に出演(指揮:グスタフ・クローン ソプラノ:長坂好子 ピアノ:小倉末子)。
柴田 知常(しばた ともつね、1891年(明治24年)3月2… 柴田 知常(しばた ともつね、1891年(明治24年)3月22日 - 1980年(昭和55年)1月20日)は、日本の音楽教育者、作曲家。東京市出身。東洋音楽短期大学初代学長、前東京音楽大学理事長。 1891年(明治24年)東京市生まれ。麹町小学校、東京府立第四中学校を経て、1916年(大正5年)東京音楽学校 (旧制)卒業。1927年(昭和2年)、東京市の視学制度により視学官としてアメリカ合衆国の教育事情を視察するために渡米。1951年(昭和26年)から東洋音楽学校校長を務めた。その後、東洋音楽短期大学発足に伴い、同大学の初代学長に就任。東京音楽大学に改組されてからは理事長を務めた。この間、日本音楽文化協会理事や上野学園大学教授、早稲田大学講師、東京芸術大学同声会会長などを歴任。
霜田 静志(しもだ せいし、1890年7月9日 - 1973… 霜田 静志(しもだ せいし、1890年7月9日 - 1973年1月28日)は、日本の物理学者・教育者・教育学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員の霜田光一は息子。 埼玉県出身。本名・利平。1912年東京美術学校卒。小・中学校教師を経て、1920年東京帝国大学で美学・心理学の研究をする。1928年英国へ留学、教育家A・S・ニイルに師事。帰国後、主婦之友社で児童相談を担当。のち、井荻児童研究所を設立し所長となる。多摩美術大学教授、長野女子短期大学教授も務めた。1968年『ニイル著作集』で第5回日本翻訳文化賞受賞。堀真一郎、國分康孝が門下にいる。
松島 彜(まつしま つね、1890年2月14日 - 1985… 松島 彜(まつしま つね、1890年2月14日 - 1985年10月9日)は、日本の作曲家、教育者。女子学習院教授、宝仙学園短期大学教授。 旧水戸藩士で裁判官を務めていた松島茂徳と米子の長女として、父の任地である山形県山形市に生まれる。1902年に福島県立福島高等女学校に入学。学業は優秀で音楽の成績が特に優れていたために、教師の大立目元子に音楽学校への進学を勧められる。1906年に女学校を卒業すると音楽学校受験のために上京し、東京市小石川区高田老松町の伯母(母の姉)の家に寄宿した。1907年に東京音楽学校予科に入学し、1908年に進学した同校本科器楽部ピアノ専攻で戸倉やまにピアノを、ヘルマン・ハイドリヒとルドルフ・ロイテルにピアノと作曲を師事して1911年に卒業。
船橋 榮吉(ふなばし えいきち、本名船橋正二郎、1889年(… 船橋 榮吉(ふなばし えいきち、本名船橋正二郎、1889年(明治22年)12月15日 - 1932年(昭和7年)12月22日)は、日本の声楽家(バリトン)、作曲家、音楽教育者。東京音楽学校声楽科主任教授。新字体で船橋栄吉と表記されることが多い。舟橋栄吉という表記もみられる。姓の読みを「ふなはし」としているものもある。 兵庫県明石市出身。2歳で父を失う。小学校卒業後、家業の旅館を手伝いながら独学し、小学校教員及び中等学校教員免許を取得。また母が長唄をよくしたことから、自身も音楽に関心を持つようになり、特に瀧廉太郎の『荒城の月』『箱根八里』などの唱歌を好んだ。やがて音楽を志して上京、東京帝国大学事務局で給仕として働く傍ら、外山國彦に師事。
杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月… 杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月5日 - 1952年(昭和27年)8月25日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者、指揮者。本名は杉山 直樹(すぎやま なおき)。別名として杉山 長谷雄、杉山 はせをという表記も見られる。 愛知県名古屋市出身。1913年(大正2年)東京音楽学校器楽科卒業。安藤幸、アウグスト・ユンケル、ハインリヒ・ヴェルクマイスター、アレクサンドル・モギレフスキーらにヴァイオリンや作曲を師事した。東京音楽学校を卒業後はヴァイオリン奏者として活躍し、高階哲夫、多基永、高勇吉、芝盂泰、多忠亮らと室内楽運動を展開。暁星中学校、俳優学校、陸軍戸山学校などで音楽を教えた。
澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889… 澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889年(明治22年)5月17日 - 1949年(昭和24年)4月15日)は日本の声楽家、音楽教育者、合唱指揮者、作曲家。日本の洋楽界のパイオニアとして重要な役割を果たした。 和歌山県有田市出身。1912年(明治45年)東京音楽学校声楽科卒。アウグスト・ユンケル、ハンカ・ペツォルトに師事。同年の卒業生には、声楽:中島かね・梁田貞、ピアノ:中山晋平・服部駟郎次、ヴァイオリン:多基永などがいる。 テノール歌手として、日本で最初の四重唱団「澤崎クヮルテット」名義の演奏記録もある(ソプラノ:武岡鶴代、アルト:柳兼子、テノール:澤崎、バス:矢田部勁吉)。
中田 章(なかだ あきら、1886年(明治19年)7月8日 … 中田 章(なかだ あきら、1886年(明治19年)7月8日 - 1931年(昭和6年)11月27日)は日本の作曲家、オルガニスト 、教育者。代表曲は「早春賦」であり、「日本の歌百選」に選ばれている。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。 東京都出身で高嶺秀夫の奨めによって東京音楽学校に進み、甲種師範科および研究科卒業。東京音楽学校教授として音楽理論、オルガンを教えた。 また、大韓帝国皇太子に唱歌を教授する。1929年、大礼記念章を受章。父は旧会津藩士。妻は奥村土牛の従姉で、作曲家の中田一次は次男、中田喜直は三男。会津会会員。
赤羽 一雄(あかはね かずお、1886年4月17日 - 19… 赤羽 一雄(あかはね かずお、1886年4月17日 - 1981年5月21日)は、日本の教育者。号は王郎。 王郎の正確な来歴については、正否の判定が難しい部分が多い。履歴書が流浪先で適当に書かれたものであり、来歴に関する具体的な口述が少ないこと、晩年は事実と本人の願望が錯綜したことを述べていたためである。 長野県上伊那郡東春近村(現伊那市)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、東京美術学校学校図案課を卒業後、長野県学務課に勤務。1910年に自殺未遂を起こし、翌年、更級郡中津尋常高等小学校の代用教員となり、諏訪郡玉川小学校に転任。この頃、来県した武者小路実篤に出会い、白樺派同人と交流を深め、以後長野県における白樺派教育の先導者となり、人道主義の思潮と芸術運動を盛り上げた。
梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - … 梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - 1959年5月9日)は教育者、作曲家。北海道札幌市出身。
南 能衛(みなみ よしえ、1881年(明治14年) - 19… 南 能衛(みなみ よしえ、1881年(明治14年) - 1952年(昭和27年)5月17日)は、日本の音楽教育者・作曲家。『横浜市歌』などの作曲者として知られる。専門・担当はオルガン、楽理、和声論、音楽教授法、音楽通論。当時でいう唱歌編纂掛、楽語調査掛も務めた。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。