宮入 庄太(みやいり しょうた、1917年 <大正6年> 4… 宮入 庄太(みやいり しょうた、1917年 <大正6年> 4月25日 - 1999年 <平成11年> 2月19日)は、日本の電気工学者。東京工業大学名誉教授。元東京電機大学総合研究所長。元電気学会会長。位階は正四位。 長野県埴科郡戸倉村(現千曲市)生まれ。旧制屋代中学(長野県屋代高等学校)を経て、1945年東京工業大学電気工学科卒業。1957年工学博士。信州大学助教授、東京工業大学助教授を経て、1960年東京工業大学教授。1966年電気学術振興賞著作賞受賞。1978年東京工業大学定年退官、東京工業大学名誉教授。1981年電気学会会長。1982年東京電機大学総合研究所長。1984年東京電機大学工学部長。
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牧本 利夫(まきもと としお、1916年8月30日 - 20… 牧本 利夫(まきもと としお、1916年8月30日 - 2004年1月29日)は、日本の工学者。大阪大学名誉教授、摂南大学名誉教授、元電子通信学会副会長。専門はマイクロ波工学。工学博士(東京工業大学)(1956年)。広島県出身。息子は元福山市長の牧本幹男。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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林 雄二郎(はやし ゆうじろう、1916年(大正5年)7月2… 林 雄二郎(はやし ゆうじろう、1916年(大正5年)7月27日 - 2011年(平成23年)11月29日)は、日本の官僚、未来学者、財団運営者。 東京生まれ。1940年に東京工業大学電気化学科卒。1942年に技術院に入職後、戦後は経済安定本部、経済企画庁で長期計画に関わる。同庁在籍時の1959-1960年にフランス留学。 帰国後の1965年に、同じ経済企画庁・当時総合開発局の下河辺淳(のち東京海上研究所理事長)、同じく当時総合計画局の宮崎勇(のち経済企画庁長官、大和総研特別顧問)らと共に「1985年の日本人のライフスタイルを検討する会議」を通じ、各界に大きな影響を与え、「林リポート」をまとめ提言し、日本社会を変化・発展させるためのガイドラインとなった。
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大河内 正陽(おおこうち まさはる、1916年3月30日 -… 大河内 正陽(おおこうち まさはる、1916年3月30日 - 2003年6月1日)は、日本の工学者(電気工学、計算機工学)。 神奈川大学教授、専修大学教授を歴任した。戦前から戦後にかけて、日本のアマチュア無線の振興に貢献した。日本アマチュア無線連盟(JARL)名誉会員。従五位。 理化学研究所第3代所長大河内正敏の甥。子爵大河内正倫の子。大河内正樹の父。元華族大河内松平宗家第13代。 兵庫県川辺郡伊丹町(現伊丹市)生まれ。 1940年、東京工業大学電気工学科卒業。1946年4月より東京工業大学講師、1958年4月より神奈川大学工学部教授、1972年4月より専修大学経営学部教授。 専修大学では1972年9月から1976年5月まで電子計算機室運営委員会委員長、1978年4月から1980年8月まで同大学経営学部長、1984年4月から1986年3月まで専修大学情報科学研究所所長を務めた。
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山崎 俊雄(やまざき としお、1916年1月29日 - 19… 山崎 俊雄(やまざき としお、1916年1月29日 - 1994年4月16日)は、日本の技術史学者、東京工業大学名誉教授。 石川県松任町出身。東京工業大学卒業。日本科学協会の『科学知識』編集者。1967年東京工業大教授。1976年広島大学教授。1979年阪南大学教授。1987年退任。1987年明治村賞受賞。1989年から1993年にかけ日本科学史学会の会長。産業考古学会を創立。
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岩倉 義男(いわくら よしお、1914年〈大正3年〉3月31… 岩倉 義男(いわくら よしお、1914年〈大正3年〉3月31日 - 2002年〈平成14年〉7月8日)は日本の高分子化学者。工学博士。 東京工業大学教授、東京大学教授などを歴任。ジイソシアナートとグリコールとの重付加反応によってポルランと名付けたポリウレタンの合成に成功。反応性高分子および耐熱性高分子などの分野で多くの業績を上げた。 群馬県北群馬郡榛東村出身。
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淺枝 敏夫(あさえだ としお、1914年 - 1990年)は… 淺枝 敏夫(あさえだ としお、1914年 - 1990年)は、日本の機械工学者、東京工業大学名誉教授。第3代職業訓練大学校校長。初代実践教育研究会会長。 1940年東京工業大学卒業。1943年東京工業大学精密機械研究所助教授。1951年東京工業大学工学博士。1959年東京工業大学精密工学研究所教授退任。ともにアメリカの工作機械の調査を行うなど本田宗一郎と親交があり、1980年から第3代職業訓練大学校校長を務めた。1981年日本機械学会名誉員。1986年初代実践教育研究会会長。東京工業大学名誉教授。
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西巻 正郎(にしまき まさお、1914年 - 1996年) … 西巻 正郎(にしまき まさお、1914年 - 1996年) は、日本の電気工学者。東京工業大学名誉教授。元電子通信学会編集長。 1939年東京工業大学電気工学科卒業、東京工業大学助手。1945年東京工業大学助教授。1954年東京工業大学工学博士。1955年東京工業大学教授。1974年電子通信学会編集長、電子通信学会副会長。1975年千葉大学教授、東京工業大学名誉教授。1980年幾徳工業大学教授。指導学生に大見忠弘など。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日… 並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日 - 2003年〈平成15年〉)は、日本の経営学者。 群馬県甘楽郡下仁田町本宿出身。旧制高崎中学校、旧制第二高等学校を経て、1938年東京工業大学機械工学科卒。同年立川飛行機に入社。戦後、日本能率協会に入る。東京商工指導所工業診断課長、玉川大学工学部教授を務め、84年定年。1973年黄綬褒章受章。
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畑 敏雄(はた としお、1913年1月5日 - 2009年1… 畑 敏雄(はた としお、1913年1月5日 - 2009年12月31日)は、日本の化学者。東京工業大学名誉教授。元群馬大学学長。元日本接着協会会長。 大阪府出身。第一高等学校理科乙類を経て、1940年東京工業大学応用化学科卒業。太平洋戦争中は風船爆弾のこんにゃく糊研究に従事。1962年東京工業大学工学博士の学位を取得。1963年東京工業大学教授。1973年停年退官、群馬大学工学部教授。1975年群馬大学学長。元日本接着協会会長。1984年、勲二等旭日重光章を受章。2009年12月31日、東京都練馬区石神井町の自宅で急性心不全のため死去し、一行院で葬儀・告別式が執り行われた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
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神澤 康夫(かみざわ やすお、1913年 - 没年不明)は日… 神澤 康夫(かみざわ やすお、1913年 - 没年不明)は日本の歯学者(歯科理工学)。東京医科歯科大学名誉教授。
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鈴木 二郎(すずき じろう、1912年11月8日 - 没年不… 鈴木 二郎(すずき じろう、1912年11月8日 - 没年不明)は、日本の経営者、工学博士。古河電気工業社長を務めた。東京都出身。 1935年に東京工業大学電気工学科を卒業し、同年に古河電気工業に入社。1962年11月に取締役に就任し、1964年6月に常務を経て、1968年11月には社長に就任。1974年11月から1975年5月までに会長を務めた。 1974年9月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲二等瑞宝章を受章。
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武田 栄一(たけだ えいいち、1912年9月12日 - 20… 武田 栄一(たけだ えいいち、1912年9月12日 - 2003年1月29日) は、日本の原子力工学者。専門は原子炉物理学。東京工業大学(のちの東京科学大学)名誉教授。元日本原子力学会会長。 1936年東京工業大学(のちの東京科学大学)電気化学科卒業、大阪帝国大学理学部副手。1939年大阪帝国大学理学部助手。1943年東京工業大学講師。1944年東京工業大学附属工業専門部教授。1948年東京工業大学助教授。1952年日本学術会議原子核特別委員会委員。1954年東京工業大学教授。1955年原子力平和利用国際会議日本政府代表顧問。1956年日本学術会議原子力特別委員会委員。1958年原子力委員会専門委員。
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川上 正光(かわかみ まさみつ、1912年1月1日 - 19… 川上 正光(かわかみ まさみつ、1912年1月1日 - 1996年5月15日)は、日本の工学者。専門は電子回路学。第10代東京工業大学学長・初代長岡技術科学大学学長・第46代電子通信学会会長などを務めた。文化功労者。 栃木県大田原市生まれ。栃木県立大田原中学校(現在の栃木県立大田原高等学校)を経て、1935年に東京工業大学電気工学科を卒業して東京電気株式会社(現在の東芝)に入社し、無線機器の開発などを行なった。1948年、東京工業大学助教授に就任した。1949年に工学博士の学位(学位論文「振幅変調波の伝送に関する研究」)を取得した。1953年に教授、1969年に電子通信学会会長、1971年に工学部長。
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清浦 雷作(きようら らいさく、1911年12月5日 - 1… 清浦 雷作(きようら らいさく、1911年12月5日 - 1998年8月18日)は、日本の応用化学者、公害問題評論家。 1959年に水俣病の原因調査をした際に「有機アミン説」を唱え、マスコミ操作も積極的に行った。御用学者の一例として知られる。 1937年、東京工業大学応用化学科卒業。同大学副手、助教授、教授を歴任した。 1959年7月22日、熊本大学水俣病研究班は、武内忠男や徳臣晴比古らの研究に基づいて、「水俣病の原因は有機水銀であることがほぼ確定的になった」という発表を行った。新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場から排出された水銀による被害である疑いが濃くなると、清浦は8月24日に水俣を訪れ、5日間現地を調査した。
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加藤 六美(かとう むつみ、1911年3月20日 - 200… 加藤 六美(かとう むつみ、1911年3月20日 - 2000年7月8日)は日本の工学者、工学博士。愛知県出身。東京工業大学学長、国立大学協会会長、人事官を歴任した。正三位勲一等瑞宝章。 略歴は以下のとおり。
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井上 啓次郎(いのうえ けいじろう、1911年1月30日 -… 井上 啓次郎(いのうえ けいじろう、1911年1月30日 - 1989年4月16日)は、日本の科学技術官僚、工学博士。第4代科学技術事務次官。第6代日本科学技術連盟理事長。 三重県出身。1936年東京工業大学(のちの東京科学大学)電気化学科卒業。1954年「活性炭の製造並びに性状に関する研究」により東京工業大学工学博士の学位を取得。 技術院参技官、科学技術庁原子力局科学調査官、科学技術庁原子力局次長等を経て、1962年科学技術庁資源局長。1963年に日本原子力船開発事業団が設立されると、原子炉担当理事に就任し、むつの基本設計を行った。 1964年から1968年まで科学技術事務次官を務め、東海再処理施設の建設問題への対応を行うなどした。
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前田 弘邦(まえだ ひろくに、1910年8月17日 - 19… 前田 弘邦(まえだ ひろくに、1910年8月17日 - 1995年3月11日) は、日本の化学者。東京工業大学名誉教授。元繊維学会会長。 東京生まれ。陸軍少将前田吉平の子で、東京工業大学工学部電気化学科卒業後、「人造繊維製造ニ関スル研究」により1945年に東京工業大学より工学博士の学位を取得。東京工業大学繊維化学研究室教授を経て、東京工業大学名誉教授。1969年繊維学会副会長。1970年繊維学会会長。第1回(昭和54年度)繊維学会功績賞受賞。墓所は多磨霊園。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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三浦 新(みうら しん、1910年1月8日 - 1996年8… 三浦 新(みうら しん、1910年1月8日 - 1996年8月8日)は、日本の工学者。玉川大学教授。 1910年、東京生まれ。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、東京工業大学卒業。三井化学を経て、玉川大学工学部教授。長年に渡り品質管理の普及に尽力した。1952年、デミング賞受賞。1980年、藍綬褒章受章。 第2次世界大戦終戦直後、戦後復興を目指し、1945年に日本規格協会、1946年に日本科学技術連盟(Japanese Union of Scientists and Engineers、以下JUSE)がそれぞれ活動を開始した。1948年にJUSEに設立された統計的品質管理調査委員会メンバーとして、朝香鐵一、石川馨、河田龍夫、茅野健、西堀榮三郎、増山元三郎、水野滋らとともに活動を開始し、戦後復興を目指す日本産業界に品質管理の普及を行った。
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小林 清周(こばやし せいしゅう、1909年9月25日 - … 小林 清周(こばやし せいしゅう、1909年9月25日 - 1994年)は、日本の建設官僚、建築生産・建築計画学者。建設省営繕局計画課長・技官、大阪工業大学工学部建築学科元教授、建築学教室担当。日本建築学会建築経済委員会専門委員、鴻池組取締役を歴任した。 専門は、建築生産・建築物維持管理、建築計画。 新潟県高田市(現・上越市)出身。1934年に東京工業大学建築学科を卒業後、海軍技師に。小林の就職時の逸話として「清水建設を30秒で落ち、 海軍省を30秒で合格」して海軍省に入った、というのがある。これは清水建設の面接の際に途中で社長が入ってきたときだれだかわからず、挨拶をしなかったところ、専務から「君は請負に向かない」と断られ、その話を海軍省の面接でするとその場で合格となったということからきている。
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星野 愷(ほしの やすし、1909年〈明治42年〉6月18日… 星野 愷(ほしの やすし、1909年〈明治42年〉6月18日 - 1986年〈昭和61年〉7月25日)は、日本の電気化学者。東京工業大学名誉教授。 群馬県勢多郡黒保根村(現・桐生市黒保根町)に、群馬県会議員・黒保根村長をつとめた星野元治の長男として生まれる。黒保根尋常高等小学校、旧制前橋中学校を経て、1934年(昭和9年)に東京工業大学電気化学科を卒業。 東京工業大学助手を経て、1940年(昭和15年)助教授、1953年(昭和28年)教授に就任。1945年(昭和20年)11月工学博士の学位を授与されている。 人造偏光板・磁気録音読書機の発明者。数々の特許を申請し、特許数は日本国内で58件、海外(アメリカ、イギリス、ドイツ各国)で59件。
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出川 雄二郎(でがわ ゆうじろう、1909年(明治42年)5… 出川 雄二郎(でがわ ゆうじろう、1909年(明治42年)5月31日 - 1997年(平成9年)4月24日)は、昭和から平成時代の日本の計算機科学者、通信技術者。 1933年(昭和8年)東京工業大学電気工学科を卒業後、同大学助手を経て、1934年(昭和9年)日本電気(NEC)に入社し、通信技術の研究開発に従事する。多重通信における非直線ひずみの研究や二重平衡変調器の発明などに尽力し、これら研究により1943年(昭和18年)東京工業大学より工学博士の学位を授与される。ほか、同軸ケーブルによる広帯域通信技術の研究なども行った。1957年(昭和32年)日本電気にてコンピュータの製品化・事業化を目指し新組織を編成。
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稲村 耕雄(いなむら やすお、1908年12月21日 - 1… 稲村 耕雄(いなむら やすお、1908年12月21日 - 1967年4月24日)は、日本の無機化学者、色彩学者。元東京工業大学教授。インターカラー共同設立者。 父は中型ゆかた本舗の染色会社社長で、経営者になるため当初は東京高等商業学校(現一橋大学)を志望していたが、戦後恐慌のため家業が倒産し、1930年に東京高等工業学校染料科を卒業。1933年東京工業大学染料化学科卒業。1938年から日仏交換留学生としてコレージュ・ド・フランス、モンペリエ大学科学研究所に留学。 東京工業大学講師、東京工業大学助教授を経て、東京工業大学教授。1949年大阪大学理学博士。 1953年日本流行色協会発起人。1963年インターカラー設立。
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川崎 京市(かわさき きょうし、1908年9月2日 - 19… 川崎 京市(かわさき きょうし、1908年9月2日 - 1987年12月)は、日本の化学技術者、実業家、工学博士。日本合成ゴム代表取締役社長や、化学工学協会会長、日本工学アカデミー副会長などを歴任した。 1932年東京工業大学染料化学科卒業、近藤製薬工場入社。1950年「人造麝香に関する研究」により東京工業大学工学博士。1957年日本合成ゴム常務取締役。1961年有機合成化学協会会長。1968年日本合成ゴム取締役副社長。1969年日本合成ゴム取締役社長。1971年藍綬褒章受章。1975年日本合成ゴム取締役会長。1979年日本合成ゴム相談役、勲二等瑞宝章受章。1980年石油学会名誉会員。1981年日本粉体工業技術協会会長、化学工学会名誉会員。
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藤岡 通夫(ふじおか みちお、1908年7月31日 - 19… 藤岡 通夫(ふじおか みちお、1908年7月31日 - 1988年11月19日)は、日本の建築史家。東南アジア諸国の王宮や日本の城郭などを研究した。東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)出身。父は藤岡作太郎、兄は藤岡由夫。 近世建築史(城郭・住宅建築)研究に業績を残すほか、東洋建築史研究では戦前にアンコールワットを調査し、近年はネパール王宮の建築研究と保存実施への道を拓いた。 関野克は本郷の誠之小学校で同級。太田博太郎は同小学校で4年後輩。1929年に松本高等学校理科甲類を卒業し、東京工業大学建築学科に入学。1932年卒業したのちは同大学助手、同講師を経て1939年助教授。 1938年「天守閣建築概説」を発表。
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中田 孝(なかだ たかし、1908年3月8日 - 2000年… 中田 孝(なかだ たかし、1908年3月8日 - 2000年8月15日)は、日本の機械工学者。東京工業大学名誉教授。元日本機械学会会長。元計測自動制御学会会長。元日本学士院会員。日本学士院賞受賞。 東京府東京市浅草区生まれ。京華中学校卒業後、数学が得意だったため、入試に国語がなかった東京高等工業学校に進学し、関口八重吉に師事した。1928年東京高等工業学校機械科卒業。1932年一期生として東京工業大学工学部機械工学科卒業、東京工業大学機械工学科実験室助手。 1939年東京工業大学精密機械研究所助教授。1944年東京工業大学精密機械研究所教授、工学博士。1953年「歯車に関する研究」により成瀬政男東北大学教授、和栗明九州大学教授とともに日本学士院賞を受賞。
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関 英男(せき ひでお、1905年(明治38年)10月13日… 関 英男(せき ひでお、1905年(明治38年)10月13日 - 2001年(平成13年)12月16日)は日本の電気工学者。 山形県出身。1932年(昭和7年)東京工業大学電気工学科卒業。逓信省小山送信所勤務、高電力短波送信機の運用保守に従事。1934年(昭和9年) 逓信省福岡受信所勤務、雑音の研究を行う。 1955年(昭和30年) 退官、岩崎通信機技師長に就任。シンクロスコープの開発に尽力。工学博士。東京工業大学・ハワイ大学・電気通信大学・千葉工業大学・東海大学の教授を歴任。電子情報通信学会名誉会員、IEEEフェロー。紫綬褒章、勲三等瑞宝章受章。電波工学の世界的権威として知られ、当時の最先端技術を牽引した。
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鈴木 松雄(すずき まつお、1903年(明治36年) - 1… 鈴木 松雄(すずき まつお、1903年(明治36年) - 1978年(昭和53年)9月6日)は、日本の実業家、工学者。東京工業大学電気工学科教授。工学博士(東京帝国大学)。昭和電線電䌫(現・昭和電線ホールディングス)社長・会長・相談役やCQ出版社長、多摩電気工業(現・KOA (企業))社長などを歴任した。
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小川 安朗(おがわ やすろう、1901年2月7日 - 199… 小川 安朗(おがわ やすろう、1901年2月7日 - 1991年3月20日)は、日本の服飾学者、文化女子大学名誉教授。 長野県諏訪郡永明村(現茅野市)出身。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、東京高等工業学校(現・東京工業大学)色染科卒業。陸軍被服本廠理化学部長、研究部長。戦後は繊維会社に勤務し繊維を研究、1962年文化女子短期大学教授、1964年文化女子大教授兼任。1972年定年退任、名誉教授。 世界各地の民族衣装を研究、1964年ヨーロッパ7か国を回り、57か国で研究、死去の直前まで中国雲南省で研究していた。
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蕗沢 紀志夫(ふきざわ きしお、1901年 - 1981年)… 蕗沢 紀志夫(ふきざわ きしお、1901年 - 1981年)は、日本の応用化学者、翻訳家。出生名は、蕗沢喜芳(ふきざわ のぶよし)。妻は同じく翻訳家の蕗沢忠枝。 長野県東筑摩郡芳川村野溝(現・松本市)出身。東京高等工業学校附設工業教員養成所・応用化学科を卒業した後、学校現場で理科・化学を教えるとともに、30代のころに高名な応用化学者たちとの共著書を著していることから、専門性に秀でた化学者であったとうかがえる。30代の終わりごろ、戦時中に『国策線上の理化教材』を著す中で「理化教育の国策化」を教育目標に掲げており、当時の皇国教育の立場に立っていた。敗戦後、民主教育の導入に伴う教師たちの思想的転向が一般的であった中で、蕗沢も例外でなかったと考えられる。
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古賀 逸策(こが いっさく、1899年〈明治32年〉12月5… 古賀 逸策(こが いっさく、1899年〈明治32年〉12月5日 - 1982年〈昭和57年〉9月2日)は、日本の電気通信工学者。東京工業大学および東京大学名誉教授。 佐賀県三養基郡田代村(現・鳥栖市)生まれ。熊本中学校、第五高等学校、東京帝国大学卒業。東京工業大学、東京大学の教授を歴任し、東京工業大学及び東京大学名誉教授。東京大学を退官してからは国際電信電話に移籍し研究職を続けた。 水晶結晶(クォーツ)を用いた圧電効果の研究が多くある。無線通信に用いる水晶振動子において温度変化の影響を受けない水晶振動子を開発し、さらに分周器(プリスケーラ)を発明し日本初のクォーツ時計を製作するなど現在の水晶振動子利用の基礎を築いた。
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津村 利光(つむら としみつ、1898年8月9日 - 198… 津村 利光(つむら としみつ、1898年8月9日 - 1989年10月3日)は、昭和期の機械工学者である。専門は材料力学。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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篠崎 平馬(しのざき へいま、1898年 - 1981年)は… 篠崎 平馬(しのざき へいま、1898年 - 1981年)は、日本の化学工学者。元山形大学学長。 茨城県生まれ。東京高等工業学校(現東京工業大学)応用化学科を経て、1923年東北帝国大学工学部化学工学科卒業。同年助手。1927年商工省東京工業試験所入所。1928年理学博士。1933年保土谷曹達入社。保土谷曹達郡山工場長を経て、1952年山形大学工学部応用化学科教授。1955年山形大学工学部長。1963年山形大学学長。山形大学工学部に化学工学科を設立し、退官後は、山形大学名誉教授の称号を受け、日本大学工学部工業化学科教授となった。1981年郡山市内の病院で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
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常葉 隆興(ときわ たかおき、1897年 - 1977年9月… 常葉 隆興(ときわ たかおき、1897年 - 1977年9月20日)は、日本の牧師、神学者。日本キリスト改革派教会の創立者の一人。 山形県の新庄藩の士族の常葉作太郎とその妻常葉ノブの長男として生れる。父は上山小学校校長であった。1915年(大正4年)沖縄県立第一中学校を卒業。東京高等工業学校(現東京工業大学)に入学。 1918年(大正7年)に父が死去。叔父の常葉金太郎によってキリスト教信仰に導かれ、同年1918年、日本基督教会の指導者植村正久牧師より富士見町教会にて洗礼を受ける。 1920年(大正9年)、植村正久の創立した東京神学社に入学、1923年(大正12年)に卒業。同級生に熊野義孝。小野村林蔵牧師の司式で結婚する。
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山田 延男(やまだ のぶお、1896年〈明治29年〉6月4日… 山田 延男(やまだ のぶお、1896年〈明治29年〉6月4日 - 1927年〈昭和2年〉11月1日)は、日本の科学者。フランスのラジウム研究所(後のキュリー研究所)で物理学者であるマリ・キュリーに師事し、その長女の物理学者イレーヌ・ジョリオ=キュリーらと共に放射能の研究に貢献。研究に伴う放射線障害により死去した。ラジウム研究所に留学した最初の日本人であり、放射線化学研究の犠牲となって死去した最初の日本人とされる。 戦前の日本は放射能研究の範囲が狭かったため、日本国内ではマリ・キュリーの偉業とは対照的に、山田の留学や死についてほとんど知られていなかった。山田に関する資料の大部分が関東大震災や東京大空襲で焼失したことも、その一因である。
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沼畑 金四郎(ぬまはた きんしろう、1895年(明治28年)… 沼畑 金四郎(ぬまはた きんしろう、1895年(明治28年)5月22日 - 1970年(昭和45年)11月26日)は、日本の生活科学者である。旧姓は佐藤。 青森県に生まれ、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)附属の工業教員養成所に入学する。1918年(大正7年)に卒業後は、1926年(大正15年)に大妻高等女学校(現在の大妻中学校・高等学校)にて教師として活動した。その後は同学校付属の技芸学校で教鞭を執り、1933年(昭和8年)には東京女子経済専門学校(現在の新渡戸文化短期大学)の教授となり1970年(昭和45年)の定年退職および死去までその職にあたった。 またその傍らで文化女子大学(現在の文化学園大学)でも教鞭を執り、文部省家庭教科書検定調査委員や編集委員、工業技術庁日本工業標準規格調査委員等も兼任する。
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林 茂助(はやし もすけ、明治28年(1895年)4月29日… 林 茂助(はやし もすけ、明治28年(1895年)4月29日 - 平成2年(1990年)10月4日)は、日本の化学者、理学博士、東京工業大学名誉教授、鶴岡工業高等専門学校初代校長。
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織本 道三郎(おりもと みちさぶろう、1895年 - 197… 織本 道三郎(おりもと みちさぶろう、1895年 - 1974年)は、日本の構造家・構造設計技術者・発明家・全国建築士事務所連合会(現:日本建築士事務所協会連合会)初代会長・織本建築設計計算事務所創立者。織本匠は義子。 1895年、栃木県南河内町(現宇都宮市)に生まれる。 1916年に、東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科を卒業し、鉄道省に入省した。 1923年に織本建築設計計算事務所(現・織本総合建築設計)を下根岸に開設した。日本で最初の建築構造体の設計監理を業務とする建築事務所といわれる 1952年に鉄骨大張間の特殊組方・木造接手の改良およびその他の発表考案により藍綬褒章を受章。 1962年に全国建築士事務所連合会初代会長に就任した。
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森谷 延雄(もりや のぶお、1893年(明治26年)10月2… 森谷 延雄(もりや のぶお、1893年(明治26年)10月28日 - 1927年(昭和2年)4月5日)は、日本の家具デザイナー、インテリアデザイナー、東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)教授。 旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)工業図案科を卒業。清水組に入社し、1920~22年に海外派遣。ロンドン王立美術学校と中央美術工芸学校で家具デザインを学ぶ。「誠之堂」(東京都世田谷区から埼玉県深谷市に移築、1916年築、国の重要文化財)や「晩香廬」(東京都北区、1918年築、国の重要文化財)等の室内装飾を手掛けた。
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須田 皖次(すだ かんじ、1892年〈明治25年〉5月1日 … 須田 皖次(すだ かんじ、1892年〈明治25年〉5月1日 - 1976年〈昭和51年〉2月19日)は、日本の海洋学者(理学博士)。東海大学名誉教授、初代海上保安庁水路部長をつとめた。 群馬県勢多郡横野村樽(赤城村を経て現・渋川市)生まれ。1913年(大正2年)群馬県師範学校本科第一部卒業、1917年(大正6年)東京高等工業学校教員養成所卒業。同年逓信省技手となる。 1921年(大正10年)東北帝国大学理学部物理学科を卒業。同年神戸海洋気象台入所。イギリス・アメリカ・ノルウェーへの留学を経て、1932年(昭和7年)中央気象台福岡支台長となった。1938年(昭和13年)、“On the dissipations of energy in the density current” (密度流内のエネルギーの損失に就いて)により理学博士(東北帝国大学)。
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清家 正(せいけ ただし、1891年12月23日 - 197… 清家 正(せいけ ただし、1891年12月23日 - 1974年11月19日)は、日本の教育者および機械設計製図の研究で知られる機械工学者である。愛媛県出身。 建築家で東京工業大学教授兼東京藝術大学教授を務めた清家清の父。労働経済学者で慶應義塾塾長や日本私立大学連盟会長を歴任した清家篤は孫。 1914年 東京高等工業学校(現東京工業大学)機械科を卒業後、芝浦製作所(現東芝)に入社。その後、自ら起業したり、他の企業に勤めたりした後、1923年、神戸高等工業学校(現神戸大学工学部)教授となる。1935年、東京府立電機工業学校校長となり、後に府立工業専門学校校長を併任し、1951年まで歴任。1949年、東京都立大学工学部長。
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冨山 保(とみやま たもつ、1888年4月28日 - 197… 冨山 保(とみやま たもつ、1888年4月28日 - 1972年12月12日)は、日本の工学者。電気化学専攻。横浜高等工業学校校長を経て、初代横浜国立大学学長や、第9代電気化学協会会長を務めた。正三位勲二等瑞宝章。 茨城県水戸市出身。水戸市橦木町士族。1909年東京高等工業学校(のちの東京科学大学)電気科電気化学分科研究修了卒業。1913年東北帝国大学理科大学特待学生選定。1914年東北帝国大学理科大学化学科卒業。明治専門学校(のちの九州工業大学)教授、横浜舎密研究所主任等を経て、1926年東洋窒素工業取締役。1928年東北帝国大学理学博士。1929年松尾鉱業顧問。1935年横浜高等工業学校校長に就任。
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石川 等(いしかわ ひとし、1886年2月18日 - 195… 石川 等(いしかわ ひとし、1886年2月18日 - 1953年5月27日)は、日本の技術者、実業家、工学博士。日本カーボン創立者・初代代表取締役社長。電気化学協会第11代会長。炭素協会初代会長。 長野県生まれ。1910年東京高等工業学校(現東京工業大学)電気化学科卒業。学科の1年先輩に冨山保(のちに初代横浜国立大学学長)がいた。同年設立された東京カーボン工業所に技師長として入り、電極の国産化に成功。1915年には原富太郎ら横浜財界の支援を得て独立して日本カーボンを設立。日本における安定的炭素工業企業の先駆けとなった。同社初代代表取締役社長。1930年工学博士(京都帝国大学)。1933年の電気化学協会創立に参画し、同協会関東支部長も務めた。
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桐淵 勘蔵(きりぶち かんぞう、1885年〈明治18年〉11… 桐淵 勘蔵(きりぶち かんぞう、1885年〈明治18年〉11月21日 - 1973年〈昭和48年〉6月30日)は、日本の経営工学者。 群馬県藤岡市出身。1914年(大正3年)東京高等工業学校教員養成所機械科卒業。福岡県立福岡工業学校教諭を経て、1916年(大正5年)東京高等工業学校助教授となる。1923年(大正12年)、東京高等工芸学校教授に就任。1926年(大正15年)から工業経営教育のためイギリス・ドイツ・アメリカへ2年間留学。その後、長岡高等工業学校教授、今宮職工学校(大阪府立今宮工科高等学校)校長、中島飛行機株式会社青年学校、千葉工業大学教授、武蔵工業大学教授、亜細亜大学教授を務めた。1964-1966年日本経営工学会会長。
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関口 八重吉(せきぐち やえきち、1875年8月29日 - … 関口 八重吉(せきぐち やえきち、1875年8月29日 - 1949年12月24日)は、日本の機械工学者。東京工業大学機械工学科教授や、衛生工業協会会長、日本機械学会会長を務めた。 東京府出身。1896年東京高等工業学校(現東京工業大学)機械科卒業。1898年同校助教授。1902年からイギリス、アメリカ合衆国に留学し機械製作を研究し、コーネル大学大学院修了、修士。1905年に帰国し、教授に昇格。1921年工学博士。1929年東京工業大学機械工学科教授。1933年衛生工業協会会長。1935年日本機械学会会長。1943年蔵前工業会理事長、蔵前工業会館代表取締役会長。1949年勲二等旭日重光章受章。門下に中田孝東京工業大学名誉教授など。
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齋藤 俊吉(さいとう しゅんきち、1873年(明治6年)12… 齋藤 俊吉(さいとう しゅんきち、1873年(明治6年)12月 - 1945年(昭和20年))は、日本の工学者。専門は繊維工業。元東京工業大学紡織学科主任教授。 1894年東京工業学校(現東京工業大学)化学工芸部染織工科卒業。1896年東京工業学校助教授着任。1902年から1906年まで文部省外国留学生としてイギリス及びドイツ帝国へ留学し、毛紡織研究を行った。 1906年東京高等工業学校教授に昇格。1929年東京高等工業学校の大学昇格に伴い東京工業大学附属工学専門部教授に就任し、のち東京工業大学紡織学科主任教授となった。1930年臨時産業合理局国産品愛用委員会委員。1939年蔵前工業会理事長。長女年子は陸軍中将北島熊男の妻。
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上野 裕明(うえの ひろあき)は、日本の実業家、技術者、理学… 上野 裕明(うえの ひろあき)は、日本の実業家、技術者、理学博士。 田辺三菱製薬代表取締役社長を経て、日本製薬工業協会会長、日本製薬団体連合会副会長。
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生駒 大洋(いこま まさひろ)は、日本の惑星科学者・天文学者… 生駒 大洋(いこま まさひろ)は、日本の惑星科学者・天文学者。専門は、理論惑星科学、系外惑星科学。国立天文台教授。博士(理学)。大阪府出身。
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今村 裕志(いまむら ひろし)は、産業技術総合研究所、ナノス… 今村 裕志(いまむら ひろし)は、産業技術総合研究所、ナノスピントロニクス研究センターに所属する、日本の物理学者である。
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勝地 弘(かつち ひろし)は、日本の工学者。国立大学法人横浜… 勝地 弘(かつち ひろし)は、日本の工学者。国立大学法人横浜国立大学大学院工学研究院教授。博士(工学)、技術士(建設部門)、土木学会認定上級土木技術者(鋼・コンクリート)。専門は、橋梁工学、構造工学、振動力学、耐風工学。兵庫県出身。 土木学会、米国土木学会、日本風工学会、日本道路協会、国際構造工学会(英語版)に所属。 東京工業大学工学部卒業後、本州四国連絡橋公団(現・本州四国連絡高速道路(株))にて、吊橋や斜張橋の耐風設計を担当。その後、ジョンズ・ホプキンズ大学に留学し、Robert H. Scanlan教授、Nicholas P. Jones教授(現同大工学部長)に指導を仰ぐ。その後、横浜国立大学に異動し、現在に至る。
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