尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )… 尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )は、日本のアメリカ文学者、京都大学名誉教授。 東京出身。(旧制)東京高等学校卒、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、徴兵で従軍し中国大陸に転戦、復員ののち僧籍をもち1947年卒業、大学院在籍、1948年京大附属医学専門部教授、1951年大阪女子大学助教授、1965年京大教養部助教授、教授、1982年名誉教授、奈良女子大学教授、1984年佛教大学教授、92年退職。弟の尾形克彦 (1924 - ) は工学者、米国ミネソタ大学教授。長男・尾形充彦(あつひこ、1954 - )は宮内庁技官正倉院勤務。
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富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1… 富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1月)は、日本の国文学者。 三重県津市生まれ。京都帝国大学文学部国文科卒。高野山大学教授、皇學館大學教授、四天王寺女子大学教授、四天王寺国際仏教大学教授、副学長。1971年「伊賀蕉門の研究と資料」で大谷大学文学博士。71年同著で芭蕉祭文部大臣賞受賞。1989年中村元東方学術賞・東方文化賞受賞。近世俳諧、特に芭蕉が専門。
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林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月… 林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月25日 - 2010年(平成22年)2月28日)は、日本の物理学者(天体物理学)・天文学者。学位は理学博士(京都大学・論文博士・1954年)。京都大学名誉教授。位階は従三位。文化勲章受章者。 天文学と原子核物理学・素粒子物理学とをつなぐ学問である宇宙物理学の日本における先駆者の一人。京都大学理学部物理学科・天体核物理学研究室の教授を27年にわたって務め、研究の一方で数多の優秀な理論物理学者や宇宙物理学者、天文学者や惑星科学者を育てた。 京都府京都市上京区紫竹西南町(現・京都市北区紫竹西南町)に林誠次郎・ムメ夫妻の四男として生まれる。生誕翌年の1921年(大正10年)7月12日、大叔父・林寛次郎の養嗣子となる。
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前野 直彬(まえの なおあき、1920年5月18日 - 19… 前野 直彬(まえの なおあき、1920年5月18日 - 1998年2月5日)は、日本の中国文学者。東京大学文学部名誉教授。多くの漢詩研究・注解を出版した。 1920年、東京生まれ。東京帝国大学文学部中国文学科で学び、1947年に卒業。大学院は京都大学大学院中国文学専攻に移り、1952年に修了。 1976年、学位論文『中国小説史考』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1976年から1977年まで外務省特別研究員として中国に滞在。帰国後は、名古屋大学講師に就いた。東京教育大学助教授を経て、東京大学文学部中国文学科の教授をつとめた。1981年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。
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田中 裕(たなか ゆたか、1918年3月28日-2017年1… 田中 裕(たなか ゆたか、1918年3月28日-2017年1月19日)は、日本の国文学者。文学博士(大阪大学・論文博士・1962年)(学位論文「中世文学論的研究」)。大阪大学名誉教授。中世文学が専門。 福岡県甘木市(現朝倉市)出身。第三高等学校を経て1942年1月京都帝国大学文学部を繰上げ卒業。のち京都一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)教諭、甲南高等学校(旧制)教授、1950年大阪大学文学部助教授、1962年「中世文学論的研究」で大阪大学より文学博士の学位を取得。1964年教授。1981年定年退官、名誉教授、南山大学教授、梅花女子大学教授。1989年退職。
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佐野 利勝(さの としかつ、1918年 - 2006年)は、… 佐野 利勝(さの としかつ、1918年 - 2006年)は、ドイツ文学者。京都大学・滋賀医科大学名誉教授。 1918年、大阪府に生れる。1941年、京都帝国大学経済学部を卒業。同大学文学部独文科に進んで1946年に卒業。卒業後は、母校の京都大学教養部教授。1982年に定年退官し、名誉教授となる。その後は滋賀医科大学教授として教鞭をとった。
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斎藤 襄治(さいとう じょうじ、1917年8月26日 - 2… 斎藤 襄治(さいとう じょうじ、1917年8月26日 - 2007年6月12日)は、日本のイギリス文学者、翻訳家、著作家。 東京高等商船学校助教授・茨城キリスト教大学教授・同学長・立正大学教授を歴任。 東京都生まれ。静岡県浜松市育ち。1943年京都帝国大学言語学科卒。東京高等商船学校助教授。 敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民間情報教育局顧問。その後外務省勤務。日本の小説を英訳するなど文化の国際交流に尽くす。 1969年茨城キリスト教大学教授、1975年から1978年学長。1980年立正大学教授、1988年定年退任。ダートマス大学客員教授。
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山川 鴻三(やまかわ こうぞう、1917年6月26日 - 2… 山川 鴻三(やまかわ こうぞう、1917年6月26日 - 2009年4月25日)は、日本の英文学者。大阪大学名誉教授。 三重県生まれ。京都帝国大学文学部英文科卒。京都工芸繊維大学助教授、1960年大阪大学文学部助教授、68年「近代英文学における批評の伝統」で大阪大学文学博士。74年教授、81年定年退官、名誉教授、佛教大学教授。
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阪倉 篤義(さかくら あつよし、1917年5月23日 - 1… 阪倉 篤義(さかくら あつよし、1917年5月23日 - 1994年10月22日)は、日本の国文学者・国語学者。文学博士(京都大学・論文博士・1962年)。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。父は漢学者の阪倉篤太郎。 1941年京都帝国大学文学部国文科卒業。1943年入隊、長沙市にて終戦を迎える。1946年6月に復員、11月に中村憲吉の三女始子と結婚。 1949年京都大学教養部助教授、1962年「語構成の研究」で京大より文学博士の学位を取得。1963年教授、1981年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 1991年秋、勲三等旭日中綬章受章。 1994年脳動脈瘤破裂、心機能低下により京都市西京区の病院で死去。
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御輿 員三(おごし かずぞう、1917年1月25日 - 20… 御輿 員三(おごし かずぞう、1917年1月25日 - 2002年1月30日)は、日本の英文学者。京都大学名誉教授。ジェフリー・チョーサーからジョン・ミルトンまでを研究した。 息子の御輿哲也(1951年 - )も英文学者、神戸市外国語大学教授。 広島県生まれ。1939年京都帝国大学文学部英文学科卒業。文学部副手、広島高等師範学校講師、広島高等学校教授、広島大学助教授、1951年京都大学文学部助教授、1962年教授。評議員、文学部長を務め、1980年定年退官、名誉教授、大谷女子大学教授。
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斎藤 数衛(さいとう かずえ、1916年9月27日 - )は… 斎藤 数衛(さいとう かずえ、1916年9月27日 - )は、日本のアメリカ文学者・翻訳家。 東京生まれ。1940年京都帝国大学文学部英文科卒。早稲田大学法学部教授を務めた。英米文学、推理小説など多数を翻訳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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松平 千秋(まつだいら ちあき、男性、1915年9月13日 … 松平 千秋(まつだいら ちあき、男性、1915年9月13日 - 2006年6月21日)は、日本の古代ギリシア文学者・西洋古典学者。多数のギリシア文学原典訳を行った。学位は、文学博士(京都大学・1962年)(学位論文「イーリアス第二歌の研究」)。京都大学名誉教授。 1915年、岐阜県生まれ。静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1938年、京都帝国大学文学部文学科言語学専攻卒業。1941年、同大学大学院を修了、同大講師。1947年から助教授。1958年、京都大学教授。1962年、「イーリアス第二歌の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。1979年、停年退官、名誉教授。その後も光華女子大学や京都産業大学で教鞭を執った。
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加藤美雄(かとう とみお、1915年9月2日 - 2000年… 加藤美雄(かとう とみお、1915年9月2日 - 2000年6月16日)は、日本のフランス文学者。 大阪府生まれ。京都帝国大学文学部仏文科卒。1962年「モーリス・セーヴ作品研究」で京都大学文学博士。大阪市立大学法文学部助教授、教授、1979年関西大学教授。86年退職。
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菅 泰男(すが やすお、1915年4月26日 - 2007年… 菅 泰男(すが やすお、1915年4月26日 - 2007年6月5日)は、日本の英米文学者。シェイクスピア文学等が専門。 京都市出身。1939年京都帝国大学文学部英文科を卒業し、同大学院に進学。京都女子大学講師、1949年8月京都大学吉田分校助教授を経て、1953年5月京都大学文学部助教授、1961年7月教授に昇任、1962年「シェイクスピアの劇場と舞台」で京都大学文学博士。1979年定年退官、名誉教授、甲南女子大学文学部教授、明星大学人文学部教授、大阪府立国際児童文学館館長・理事長を務めた。また、アメリカ学会会長、日本演劇学会副会長、日本英文学会理事等を歴任。それらの功績により、1991年勲三等旭日中綬章、1994年大阪文化賞を受賞、1998年には京都市文化功労者に選ばれた。
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玉上 琢弥(たまがみ たくや、1915年3月24日 - 19… 玉上 琢弥(たまがみ たくや、1915年3月24日 - 1996年8月30日)は、日本の国文学者。谷崎潤一郎の『源氏物語』現代語訳の監修者であり、自身も『源氏物語』の現代語訳を完成させた。学位は、文学博士(京都大学)。大阪女子大学名誉教授。 東京生まれ。旧制浪速高等学校卒業後、京都帝国大学国文科で、澤瀉久孝の教えを受ける。京都帝国大学国文科卒業。1939年、同大学院在学中、『源氏物語』現代語訳を完成した谷崎潤一郎が京大国文科の招きで話をした時に連なっていた。戦後、京大国文科助手を務めていた1951年から、谷崎の新訳の手伝いをし、事実上の監修者となった。その時期すでに「源氏物語音読論」を書いており、後の谷崎版の新々訳が「ですます」体になったのは、玉上の影響ではないかと言われている。
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安田 章一郎(やすだ しょういちろう、1914年2月6日 -… 安田 章一郎(やすだ しょういちろう、1914年2月6日 - 2019年11月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。名古屋大学名誉教授。 島根県生まれ。1937年京都帝国大学文学部英文科卒、浪速大学、奈良女子大学教授、1971年名古屋大学教授、1977年定年退官、甲南女子大学教授を務めた。 T・S・エリオット、W・H・オーデン、ジェラード・マンリ・ホプキンスなど英国モダニズム詩人を研究、翻訳した。深瀬基寛の一番弟子。 2019年11月13日、呼吸不全のため死去。105歳没。死没日をもって従四位に叙される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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堀部 正二(ほりべ しょうじ、1913年10月29日 - 1… 堀部 正二(ほりべ しょうじ、1913年10月29日 - 1944年9月7日)は、日本の国文学者、文献学者。中古文学専攻。旧姓・鹿嶋。 大阪府出身。京都帝国大学文学部卒業。大学院生時代、京都帝国大学図書館に寄託されていた近衛家文書の古筆証本「二十巻本類聚歌合」を調査研究。その後、設立された陽明文庫嘱託となる。 1944年(昭和19年)応召、同年9月7日、中国で戦病死。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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高安 国世(たかやす くによ、男性、1913年8月11日 -… 高安 国世(たかやす くによ、男性、1913年8月11日 - 1984年7月30日)は、日本の歌人、ドイツ文学者、翻訳家。専門はリルケで、多くの作品を翻訳している。短歌結社「塔」の創設者。 父高安道成は医師、母やす子はアララギの歌人。三男高安醇は画家。伯父に高安月郊。作曲家・弘田龍太郎はいとこの夫。 大阪府大阪市道修町出身。 母の影響を受けて短歌を志し、アララギに入会、土屋文明に師事。1954年に『塔』を創刊する。 リアリズムに基礎を置きながらも、現実には存在しないものを表現の対象に求めるなど、常に新しい表現を求め続けた。 京都大学短歌会の顧問もつとめ、永田和宏や栗木京子を育てた。
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岡見 正雄(おかみ まさお、1913年7月30日 - 199… 岡見 正雄(おかみ まさお、1913年7月30日 - 1990年2月6日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1962年)(学位論文「中世小説研究序説」)。京都女子大学教授・関西大学教授・中京大学教授を歴任。 東京生まれ(本籍は秋田県)。父は岡見宇一。1923年に大阪へ転居、浪速高等学校 (旧制)卒、1936年に京都帝国大学文学部国文科卒、大学院入学。 1939年に天理外国語学校 (旧制)(現:天理大学)教授、1943年に京都府立京都第一高等女学校(現:京都府立鴨沂高等学校)教諭、1948年に京都府立桃山高等学校教諭、1949年に京都市立日吉ヶ丘高等学校教諭、1954年に京都女子大学教授、1961年に関西大学教授、1962年「中世小説研究序説」で京都大学より文学博士の学位を取得。
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小島 憲之(こじま のりゆき、1913年2月15日 - 19… 小島 憲之(こじま のりゆき、1913年2月15日 - 1998年2月11日)は、日本の国文学者。大阪市立大学名誉教授。専門は上代文学、和漢比較文学。 1913年、鳥取県生まれ。旧制鳥取県立鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、旧制第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部に進んだ。1938年3月に同大学を卒業。 卒業後は、文学部副手に採用された。同年4月、同大学大学院に入学するも、1939年1月に応召して1942年5月まで入隊。1943年9月に京都帝国大学文学部教務嘱託となったが、翌1944年5月に再び応召して1945年11月まで従軍。 太平洋戦争終結後、1946年9月より京都大学大学院特別研究生となった。
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田中 謙二(たなか けんじ、1912年12月6日 - 200… 田中 謙二(たなか けんじ、1912年12月6日 - 2002年11月17日)は、日本の中国文学者。 1912年、滋賀県で生まれた。京都帝国大学文学部支那文学科で学び、1937年に卒業。1944年春、安田二郎と共に北京に留学した。 卒業後は、天理大学助教授に就いた。京都大学人文科学研究所助教授に転じ、後に教授昇格。1962年、学位論文『西廂記の研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。1977年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関西大学教授として教鞭を執った。 専門は中国の古典文学。特に戯曲を研究対象とし、文化と言葉について研究を進めた。
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吉田 新吾(よしだ しんご、1912年10月30日 - 19… 吉田 新吾(よしだ しんご、1912年10月30日 - 1966年10月28日)は、日本の英文学者。 広島高等師範学校卒。旅順の中学校で英語教師を務めたのち、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、46年卒業。64年「チョーサー研究」で京都大学文学博士。大阪市立大学文学部助教授、英文科主任教授。専門はチョーサー。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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増野 正衛(ますの まさえ、1912年10月1日 - 198… 増野 正衛(ますの まさえ、1912年10月1日 - 1985年〈昭和60年〉3月10日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1938年京都帝国大学文学部英文科卒、立命館大学助教授、京都工芸繊維大学教授、甲南大学教授、就実女子大学教授。ワイン研究家でもあった。 父親は、増野製作所創業者の増野清香。2代目社長の増野香次、3代目社長の増野鋼四郎は弟である。 東京府立第五中学校時代の同級生にNHKアナウンサーの田辺正晴がいる。
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大谷 篤蔵(おおたに とくぞう、1912年3月22日 - 1… 大谷 篤蔵(おおたに とくぞう、1912年3月22日 - 1996年8月4日)は、日本の国文学者。 大阪市生まれ。1935年京都帝国大学文学部国文科卒。大学院で潁原退蔵に師事し近世文学、俳諧を専攻。出征したのち抑留され、1948年7月復員。1949年天理図書館司書研究員。1953年佐賀大学助教授、1958年大阪女子大学教授。75年定年退官、名誉教授、松蔭女子学院大学教授。89年退任、名誉教授。俳文学会代表。
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田中順二(たなか じゅんじ、1912年2月14日 - 199… 田中順二(たなか じゅんじ、1912年2月14日 - 1997年1月16日)は、日本の歌人、国文学者。 東京深川区生まれ。京都帝国大学国文科に入学し、「短歌草原」「香蘭」(村野次郎主宰)を経て、1933年(昭和8年)より吉澤義則が立ち上げた歌誌『ハハキギ』同人の編集に参画。なお吉澤没後、1962年より『ハハキギ』を引き継いで主宰した。 1936年(昭和11年)京都帝国大学国文科卒。卒業後、不況のため就職難先の確保に苦労したが、滋賀県立膳所中学校で教員を4年間務めた後、京都府立第一中学校で教員を務めた。この際、『ハハキギ』で交流があった日本文学研究者、里井陸郎に借家を用意してもらっている。その後、同志社女子大学教授、1982年(昭和57年)定年、奈良大学教授。
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川田 周雄(かわた かねお、1911年6月13日 - 198… 川田 周雄(かわた かねお、1911年6月13日 - 1984年7月3日)は、日本の英文学者、翻訳家。 東京出身。漢学者で貴族院議員を歴任した川田甕江の孫。熱帯産業社長・川田鷹の四男で、叔父で歌人・住友総本社理事の川田順の養子となる。1937年京都帝国大学文学部英文科卒、京都大学医学専門学校教授、京都大学教養部助教授、教授、1974年定年退官、名誉教授、甲南大学教授。
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谷 友幸(たに ともゆき、1911年5月13日 - 1981… 谷 友幸(たに ともゆき、1911年5月13日 - 1981年7月24日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 東京市本郷区生まれ。1931年第六高等学校理科乙類卒業、1939年京都帝国大学文学部独文科卒業。戦後京大教養部助教授、1957年文学部助教授、1962年「ヘルダーリーン文学の基礎的研究」(未公刊)で文学博士、1967年教授、1975年定年退官、名誉教授。大谷大学文学部教授。初期にはライナー・マリア・リルケを主として研究、翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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小倉 多加志(おぐら たかし、1911年 - 1991年)は… 小倉 多加志(おぐら たかし、1911年 - 1991年)は、日本のイギリス文学者、翻訳家、実践女子大学名誉教授。本名・小倉皐(読みは同じ)。1934年京都帝国大学文学部英文科卒。戦後、定年退職まで実践女子大教授を務め、オスカー・ワイルドを専攻とする研究活動をする傍ら、対訳の英語教科書の執筆のほかに、推理小説などの数多くの文芸作品を翻訳した。日本バートランド・ラッセル協会設立発起人の一人。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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村上 至孝(むらかみ しこう、1910年10月31日 - 1… 村上 至孝(むらかみ しこう、1910年10月31日 - 1987年4月17日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1933年京都帝国大学文学部英文科卒、第三高等学校教授、1949年京都大学教養部教授、1959年大阪大学文学部英文科教授、1974年定年退官、名誉教授、龍谷大学教授、大手前女子大学教授。1983年勲二等瑞宝章受章。 17-19世紀英国文学を専攻し、サッカレーなどの長篇小説、ヘンリー・フィールディングの悪漢小説の翻訳を行い、ロマン主義詩人の研究を行った。
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小川 環樹(おがわ たまき、1910年(明治43年)10月3… 小川 環樹(おがわ たまき、1910年(明治43年)10月3日 - 1993年(平成5年)8月31日)は、日本の中国文学者。京都大学名誉教授。字は「士解」。主著に「唐詩概説」「蘇軾」など初学者向けの啓蒙書や訳書も多数著している。角川書店『新字源』編者の一人。 1910年、京都府京都市で地質学者・小川琢治の子として生まれた。 第三高等学校で学び、1928年に卒業。京都帝国大学文学部に入学し、1932年年に卒業。その後は同大学大学院に進学した。1934年から1936年にかけて中国に留学。魯迅と周作人兄弟、章太炎、劉半農、郁達夫、銭鍾書ら同時代の文学者らと面識を得た。1938年に大学院を退学した。 1938年、東北帝国大学文学部講師に就いた。
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津田 穣(つだ ゆたか、1910年〈明治43年〉8月4日 -… 津田 穣(つだ ゆたか、1910年〈明治43年〉8月4日 - 1955年〈昭和30年〉8月12日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 京都府出身。1935年京都帝国大学文学部仏文科卒。第三高等学校講師、大阪高等学校(旧制)教授。 ブレーズ・パスカル『パンセ』の翻訳で知られる。 息子は俳優、声優、ナレーターの津田喬。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
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谷山 茂(たにやま しげる、1910年6月17日 - 199… 谷山 茂(たにやま しげる、1910年6月17日 - 1994年11月2日)は、日本の国文学者。大阪市立大学名誉教授、京都女子大学名誉教授。1984年角川源義賞受賞。 岡山県出身。1934年京都帝国大学文学部国文科卒業。大阪市立大学助教授、教授、1972年定年退官、名誉教授、京都女子大学教授、1977年同学長。1984年『新古今集とその歌人』で角川源義賞受賞。中世和歌文学、藤原俊成・定家の研究をした。「新編国歌大観」の代表編集委員、日本学術会議会員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英… 内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英文学者。 京都府出身。第三高等学校卒、1935年京都帝国大学文学部英文科卒。陸軍中尉。1962年「Henry Fieldingの小説The life of Mr. Jonathan Wild, the great(1743)における諷刺の研究」で京都大学文学博士。第三高等学校教授、大阪市立大学助教授、教授、1966年東海大学文学部教授、文学部長、81年定年退任、名誉教授。十八世紀英文学研究会を組織した。
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山本 捨三(やまもと すてぞう、1910年〈明治43年〉- … 山本 捨三(やまもと すてぞう、1910年〈明治43年〉- 没年不明)は、国文学者。熊本女子大学名誉教授。 滋賀県生まれ。1935年(昭和10年)京都帝国大学文学部国文科卒。関西学院大学助教授、相愛女子短期大学教授、熊本女子大学教授、名誉教授、大谷女子大学教授。
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南波浩(なんば ひろし、1910年-2000年6月29日)は… 南波浩(なんば ひろし、1910年-2000年6月29日)は、国文学者、同志社大学名誉教授。 京都府生まれ。京都帝国大学大学院修了。同志社大学助教授、教授、1981年定年退任、名誉教授、梅花女子大学教授。
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本野 亨一(もとの こういち、1909年9月19日 - 19… 本野 亨一(もとの こういち、1909年9月19日 - 1993年5月28日)は、日本のドイツ文学者である 東京出身。1934年京都帝国大学文学部独文科卒。立命館大学教授を退職後は、1976年から1980年まで甲南女子大学教授。フランツ・カフカを専攻し、最初に作品を訳・刊行した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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祐田 善雄(ゆうだ よしお、1909年(明治42年)8月13… 祐田 善雄(ゆうだ よしお、1909年(明治42年)8月13日 - 1973年(昭和48年)8月23日)は、日本の国文学者、浄瑠璃・歌舞伎研究者。 1909年(明治42年)、大阪府大阪市東区北久宝寺町で生まれた。1928年(昭和3年)に大阪府立今宮中学校を卒業し、第三高等学校文科乙類へ入学。1932年、同校を卒業後、京都帝国大学文学部文学科国語学国文科専攻に進んだ。1936年に卒業し、同大学大学院に進学。 京都大学に在籍のまま、1938年に天理図書館嘱託となる。これに合わせて、この頃天理市に居を移した。翌1939年2月に天理図書館司書を退職。1941年3月に京都帝国大学大学院を修了し、1942年4月から天理中学校嘱託に就職した。
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土橋 寛(つちはし ゆたか、1909年2月27日 - 199… 土橋 寛(つちはし ゆたか、1909年2月27日 - 1998年6月11日)は、日本の国文学者、万葉学者、同志社大学名誉教授。『万葉集』や記紀歌謡など、古代和歌を専門とした。 長崎県生まれ。京都帝国大学文学部文学科国文学専攻卒業、立命館大学予科教授、立命館短期大学教授、奈良学芸大学教授を経て、1962年に同志社大学教授。1978年に『万葉開眼』で毎日出版文化賞受賞。1979年に定年退職、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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井上 宗次(いのうえ そうじ、1909年2月11日 - 19… 井上 宗次(いのうえ そうじ、1909年2月11日 - 1997年10月9日)は、日本の英文学者、翻訳家。大阪府立大学名誉教授。 京都帝国大学文学部英文学科卒業、京都帝国大学大学院文学研究科英文学専攻博士課程修了。和歌山大学教授を経て大阪府立大学教授、定年により名誉教授、神戸学院大学教授。ユージン・オニールなどを訳した。 1997年、急性心筋梗塞のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
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濱 一衛(はま かずえ、1909年 – 1984年)は、日本… 濱 一衛(はま かずえ、1909年 – 1984年)は、日本の中国文学者。専門は中国演劇。 1909年、大阪府に生まれる。1930年、旧制浪速高等学校(現在の大阪大学)卒業、1933年、京都帝国大学卒業(中国文学専攻)。1934年、外務省文化事業部第三種補給生として北京に留学し、周作人宅に寄宿する。以来、周作人と親交を続けた。帰国後、松山高等商業学校(現在の松山大学)を経て、1949年、九州大学教養部に着任。1973年、定年退官。1984年、逝去。 死後、中国戯劇関係の和古書やパンフレットは濱文庫として、九州大学図書館に収められた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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多田 英次(ただ えいじ、1908年9月13日 - 1996… 多田 英次(ただ えいじ、1908年9月13日 - 1996年1月19日)は、日本の英文学者、神戸大学・京都橘女子大学名誉教授。 奈良県出身。1933年、京都帝国大学英文科卒。神戸大学教授、1972年、定年退官、名誉教授。橘女子大学教授。 阪神・淡路大震災で自宅が損壊し宝塚市に避難、翌年大動脈瘤破裂で死去。
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前川 俊一(まえかわ しゅんいち、1908年6月5日 - 1… 前川 俊一(まえかわ しゅんいち、1908年6月5日 - 1993年1月11日)は、日本の英文学者、九州大学名誉教授。 三重県南牟婁郡(現熊野市)生まれ。第三高等学校 (旧制)卒。1931年、京都帝国大学経済学部卒。1934年東京帝国大学文学部英文科卒。東京府女子師範学校教諭。1937年第二高等学校 (旧制)教授。1943年第三高等学校 (旧制)教授。1948年九州大学法文学部助教授。1953年 - 1955年英国出張。1957年教授。1961年 - 1967年評議員。1964年 - 1966年文学部長。1972年定年退官、名誉教授、金城学院大学教授。
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伊東 勉(いとう つとむ、1908年6月 - 1992年8月… 伊東 勉(いとう つとむ、1908年6月 - 1992年8月24日)は、ドイツ文学者、名古屋工業大学名誉教授。 岐阜県岐阜市出身。1935年京都帝国大学文学部卒。同年名古屋高等工業学校教授、1949年合併により名古屋工業大学助教授、のち教授、1972年定年退官し中日本自動車短期大学教授を1978年まで務めた。 中世狐物語の研究のほかドイツ社会主義、ルカーチの文学論などを研究、翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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石田 英二(いしだ えいじ、1908年 - 1980年)は、… 石田 英二(いしだ えいじ、1908年 - 1980年)は、日本の英文学者、翻訳家。 1932年京都帝国大学文学部卒業。西京大学教授、1960年頃京都府立大学教授、1970年頃ノートルダム女子大学教授。英米文学の翻訳を多く行った。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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村上 忠敬(むらかみ ただよし、1907年7月23日 - 1… 村上 忠敬(むらかみ ただよし、1907年7月23日 - 1985年2月11日)は、日本の天文学者。広島大学名誉教授、広島女学院大学学長。 鹿児島県鹿児島市加治屋町生まれ。天文学者・物理学者である村上春太郎の三男。天体の地図である星座図を作る天文学者になってほしいという春太郎の想いから、日本の測量地図作りで有名な伊能忠敬(ただたか)にあやかり、読みを「ただよし」と変えて名付けられた。 1928年旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)理科卒業。1931年京都帝国大学理学部宇宙物理学科卒業。金城女子専門学校教授、名古屋高等工業学校教授を経て、1941年夏より広島高等師範学校教授。後に、広島大学教養部教授。
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玉林 憲義(たまばやし のりよし、1907年3月10日 - … 玉林 憲義(たまばやし のりよし、1907年3月10日 - 1996年7月4日)は、日本のドイツ文学者、教育功労者。 山口県生まれ。1930年京都帝国大学文学部独逸文学科卒、1933年関西学院大学予科教授として就任後、文学部部長・キリスト教主義教育研究室長・院長事務取扱・理事・評議員などを歴任。関西学院大学における独文学科設立の尽力者でもある。1967年には兵庫県教育功労者として表彰を受け、1974年関西学院大学を定年退職後は兵庫医科大学教授に就任した。 日独文化協会の会員、ドイツ・テュービンゲン大学への留学歴もあり、同じ京都帝国大卒で関西学院院長だった久山康、玉林とともに関西学院大学独文学科発足に尽力した村井勇吾らと独文学の翻訳や教本出版にも積極的に取り組んだ。
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神保 光太郎(じんぼ こうたろう、1905年〈明治38年〉1… 神保 光太郎(じんぼ こうたろう、1905年〈明治38年〉11月29日 - 1990年〈平成2年〉10月24日)は、昭和期の日本の詩人・ドイツ文学者。本名は光太郎(みつたろう)(姓の読みを「じんぼう」とする文献もある)。 山形県山形市生まれ。山形県立山形中学校から山形高校を経て、京都帝国大学文学部独文科を卒業。在学中から同人誌に詩や短歌を発表して新散文詩運動の一翼を担った。 1934年、埼玉県浦和市(現:さいたま市)の別所沼のほとりに家を新築し、生涯にわたって活動拠点とした。この別所沼の家に、神保を兄と慕う立原道造の来訪をしばしば受けている。1935年、保田與重郎や亀井勝一郎らと『日本浪曼派』に参加し、詩誌『四季』などに作品を発表した。
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薗田 香勲(そのだ こうくん、1905年〈明治38年〉3月2… 薗田 香勲(そのだ こうくん、1905年〈明治38年〉3月25日 - 1969年〈昭和44年〉4月9日)は、日本のドイツ文学者・仏教学者、浄土真宗本願寺派の僧。大阪府立大学教授。ゲーテ、親鸞を研究した。 1905年、和歌山県和歌山市で浄土真宗本願寺派の妙慶寺に生まれた。1916年に得度。京都帝国大学文学部独文科で学び、1927年に卒業。 卒業後は、同1927年より龍谷大学講師。1931年、大阪商科大学(現:大阪市立大学)教授となった。1951年からは浪速大学教授、校名変更で大阪府立大学教授。 宗門においては、1926年より妙慶寺住職(1969年まで)。1947年から1951年まで、浄土真宗本願寺派和歌山教区長兼鷺森別院輪番をつとめた。
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中田 勇次郎(なかだ ゆうじろう、1905年(明治38年)1… 中田 勇次郎(なかだ ゆうじろう、1905年(明治38年)1月7日 - 1998年(平成10年)10月23日)は、日本の文学者。大谷大学教授・京都市立美術大学など歴任。専門は書道史、中国文学。号は有廬(ゆうろ)、書斎を心花室(しんげしつ)と称した。 主な研究対象は王羲之・米芾・黄庭堅・空海・貫名菘翁など。 浩瀚な著述を残しているが、その研究分野は次の6つに分類できる。 以上の中で中国文学の詩余(漢詩)の研究と書道史の研究に重きが置かれ殊に書道史の研究においては質・量ともに日本の第一人者であり、その著作は翻訳され中国や欧米諸国でも高い評価を受けている[要出典]。
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横山 英(よこやま ひで、1905年 - 1994年)は、日… 横山 英(よこやま ひで、1905年 - 1994年)は、日本の文学者(国文学)。静岡女子大学名誉教授、静岡県立大学名誉教授。 静岡女子短期大学助教授、静岡女子大学文学部教授などを歴任した。 静岡県小笠郡(のち菊川市)生まれ。1930年京都帝国大学卒業。戦後、静岡女子短期大学助教授、静岡女子大学文学部教授、1976年定年退任、名誉教授。静岡市にて死去した。 良寛の歌の分類をおこなった。良寛はその人柄やエピソードから多くの民衆に慕われ、その結果、半ば伝説化した部分もあるため、良寛の作と伝えられる歌の中には真偽が不明確なものも多い。良寛の作といわれてきた短歌、長歌、旋頭歌をまず収集し、それらを良寛の作品や、良寛の作として断言できない作品、良寛以外の人物の作と断言できる作品に分類して採録した。
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