奥村 和子(おくむら かずこ、1943年 - )は、日本の詩… 奥村 和子(おくむら かずこ、1943年 - )は、日本の詩人。大阪府富田林市在住。1965年、大阪女子大学国文科を卒業し、大阪府立の高校教員を2003年まで38年間務める。1980年頃から詩作を始め、福中都生子に師事。関西詩人協会会員、日本現代詩人会会員、詩人会議会友。
大阪府立大学:184人
奥村 和子(おくむら かずこ、1943年 - )は、日本の詩… 奥村 和子(おくむら かずこ、1943年 - )は、日本の詩人。大阪府富田林市在住。1965年、大阪女子大学国文科を卒業し、大阪府立の高校教員を2003年まで38年間務める。1980年頃から詩作を始め、福中都生子に師事。関西詩人協会会員、日本現代詩人会会員、詩人会議会友。
辻 裕(つじ ゆたか、1943年 - ) は、日本の機械工学… 辻 裕(つじ ゆたか、1943年 - ) は、日本の機械工学者。大阪大学名誉教授。元日本混相流学会会長。元日本機械学会副会長。
宇野 正美(うの まさみ、1942年〈昭和17年〉 - )は… 宇野 正美(うの まさみ、1942年〈昭和17年〉 - )は、国際時事問題と「ユダヤ問題」を専門にした講演者、著述家、陰謀論者。株式会社リバティ情報研究所及び中東問題研究センターの創設者。 大阪市生まれ。1964年、大阪府立大学経済学部卒業。19歳の時に聖書と出会う。大学時代は学生運動(50年分裂)の指導者であり、共産主義にかぶれていた時期がある。大学卒業後は大阪市立天王寺商業高等学校で日本史の教師として11年勤務。33歳で高校教師を退職し、1975年に「中東問題と聖書研究センター」を大阪で設立、イスラエルのメナヘム・ベギン首相とメッセージ交換(下記参照)、サダト大統領暗殺を予想するなど注目を浴びる(1980年)。
稲本 志良(いなもと しろう、1941年 - )は、日本の農… 稲本 志良(いなもと しろう、1941年 - )は、日本の農業経済学者。京都大学名誉教授。元地域農林経済学会会長。元日本農業経営学会会長。 鹿児島県生まれ。1964年大阪府立大学農学部卒業。1967年京都大学大学院農学研究科博士課程中退。京都大学大学院農学研究科教授、龍谷大学経済学部教授、地域農林経済学会会長、日本農業経営学会会長、農業会計研究会会長、日本農業普及学会会長などを歴任した。京都大学名誉教授。地域農林経済学会学会賞特別賞、日本農業経営学会学会賞学術賞受賞。
都田 徹(みやこだ とおる、1941年 - )は株式会社景観… 都田 徹(みやこだ とおる、1941年 - )は株式会社景観設計・東京代表。ランドスケープアーキテクト。日本大学生物資源科学部講師やルイジアナ州立大学アートデザイン学部ランドスケープアーキテクチュア学科客員教授、ランドスケープアーキテクト資格制度総合管理委員会委員を歴任し、2007年にアメリカ合衆国ASLAフェローに、ソウル生まれ。大阪府出身。 1967年に大阪府立大学大学院農学研究科緑地工学専攻緑地計画学講座修士課程を修了し、鹿島建設(株)入社、設計本部開発計画部に勤務し、この間の1971年にカリフォルニア州立大学大学院バークレー校およびハーバード大学デザイン大学院へ客員研究員として留学。在学中はEckbo Dean Austin & Williams(後EDAW→AECOM)、Sasaki Walker & Associates(現SWAグループ)、Sasaki Dawson Demey & Associates(現Sasaki Associates)、修了後はザイオン・アンド・ブリーンに勤務。
岩壷 卓三(いわつぼ たくぞう、1940年 - ) は、日本… 岩壷 卓三(いわつぼ たくぞう、1940年 - ) は、日本の機械工学者。神戸大学名誉教授。関西大学名誉教授。元日本機械学会機械力学部門長。 1966年大阪府立大学大学院工学研究科修士課程修了。工学博士。神戸大学工学部助手、神戸大学工学部助教授を経て、1986年神戸大学工学部教授。1990年日本機械学会機械力学部門長。2003年神戸大学名誉教授、関西大学工学部教授。2007年関西大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
村上 貢(むらかみ みつぐ、1940年 - 2025年 <令… 村上 貢(むらかみ みつぐ、1940年 - 2025年 <令和7年> 4月10日)は、日本の造園系地方公務員。 京都市に生まれる。大阪府立大学農学部園芸学科を卒業後、長崎県庁に入り、土木部都市計画家で勤務した。1972年に石川県庁に移り、土木部都市計画課や公園緑地課長を務めた後、県参事に就任した。 県庁を退いてからは、夕日寺健民自然園園長や金沢市文化財保護審議会委員などを歴任する。また金沢大学で非常勤講師も務めた。2019年時点では日本造園学会石川県連絡会顧問・石川県文化財保護指導員の役職に就いている。 2005年に、第27回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。2025年死去。死没日付をもって正六位に叙された。
村田 満(むらた みつる、1939年1月10日 - 2025… 村田 満(むらた みつる、1939年1月10日 - 2025年1月4日)は兵庫県出身の「鮎釣り名人」として知られる人物。大阪市東成区で銭湯を営んでいた。愛称は「満 (まん)さん」。
安部大就(あべ だいしゅう、1938年(昭和13年)6月16… 安部大就(あべ だいしゅう、1938年(昭和13年)6月16日-1998年(平成10年)9月6日)は、日本の造園学者。大阪府立大学教授、関西大学工学部・大阪市立大学工学部等の非常勤講師、日本造園学会会長などを歴任。緑地計画の分野に関し学術上と実用上極めて優れた多くの研究を完成し大いに社会に貢献するとともに、多年に渡り大学教育・研究に邁進し多くの後進を育成する。[大言壮語的]農学博士(九州大学)。広島県生まれ。 1963年、大阪府立大学農学部園芸学科卒業。1965年、大阪府立大学大学院農学研究科園芸農学専攻修士課程修了。 1965年、大阪府立大学農学部緑地計画工学講座助手。1972年、大阪府立大学農学部講師。
花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、… 花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、日本の宗教哲学者、大阪府立大学名誉教授。 広島県生まれ。1957年広島国泰寺高等学校卒、1963年京都大学文学部哲学科卒、同大学院に学び、1965年より西独ハンブルク大学留学、1968年京大博士課程中退、1973年ハンブルク大学神学博士。1981年花園大学助教授、1986年教授、1992年大阪府立大学教授、1994年「心の宗教哲学 -心の自然な構造に即して」で京大文学博士。2002年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、2009年退任、名誉教授。別に亡夫の姓である川村永子名義の著作もある。西田幾多郎の影響が強い。
藤田好茂(ふじたよししげ、1938年- )特定非営利活動法人… 藤田好茂(ふじたよししげ、1938年- )特定非営利活動法人関西修景自由作家連合代表。株式会社景観設計研究所。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高木 浩志(たかぎ ひろゆき、1938年 - 2022年11… 高木 浩志(たかぎ ひろゆき、1938年 - 2022年11月17日)は、日本の文楽研究家、テレビプロデューサー。 鹿児島県生まれ。1961年大阪府立大学経済学部卒、NHKに入り、プロデューサーを2000年まで務める。2006年大阪市文化功労者。2014年文楽劇場30周年を期に功労に対し感謝状を授与される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平井 敏雄(ひらい としお、1937年10月7日 - 201… 平井 敏雄(ひらい としお、1937年10月7日 - 2017年9月8日)は、日本の材料科学者。東北大学名誉教授。元日本セラミックス協会会長。 大阪府大阪市港区石田呉服町生まれ。1960年大阪府立大学工学部金属工学科卒業。1962年大阪府立大学大学院工学研究科金属工学専攻修士課程修了、東北大学金属材料研究所助手。 1968年東北大学金属材料研究所講師、工学博士 (大阪大学)。1969年東北大学金属材料研究所助教授。1969年から1971年まで文部省在外研究員としてペンシルベニア州立大学に留学。1978年東北大学金属材料研究所特殊耐熱材料学研究部門教授。1990年全日本こけしコンクール審査委員。1998年東北大学金属材料研究所付属新素材設計開発施設長、東北大学評議員。
吉田 稔(よしだ みのる、1936年4月13日 - )は、日… 吉田 稔(よしだ みのる、1936年4月13日 - )は、日本の経営者。東京エレクトロン社長、イノテック社長を務めた。東京都出身。 1960年に大阪府立大学工業短期大学部電気学科を卒業し、同年にダイヘンに入社。 1967年に東京エレクトロンに転じ、1974年に取締役に就任し、1977年に常務、1980年に専務を経て、1984年12月から1986年10月までに社長を務めた。1987年にイノテックを設立し、社長に就任。2001年6月に会長を経て、2005年6月には相談役に退いた。
杉本 正美(すぎもと まさみ、1936年 - )は、滋賀県出… 杉本 正美(すぎもと まさみ、1936年 - )は、滋賀県出身の日本の環境デザイナー・造園学者。農学博士。 専門は、ランドスケープデザイン・景観計画・緑地計画。 九州大学名誉教授。旧九州芸術工科大学名誉教授。神戸芸術工科大学名誉教授。同大学では環境デザイン学科主任/大学院を担当。宗像市史跡保存管理推進委員会委員、神戸市公園緑地審議会委員。 大阪府立大学農学部園芸学科卒業、同大学大学院修士課程を中退し、以降はカナダ・レスブリッジ市役所に勤務。 1972年(昭和47年)大阪府立大学農学部助教授。 1983年(昭和58年)九州芸術工科大学芸術工学部(現九州大学芸術工学部)/九州大学大学院芸術工学研究院教授。
鷲尾 金弥(わしお きんや、1936年 - )は、日本の園芸… 鷲尾 金弥(わしお きんや、1936年 - )は、日本の園芸プロデューサー。技術士建設部門(都市および地方計画)を保持している。 1959年、大阪府立大学農学部園芸学科を卒業し1960年から大阪府立大学助手となる。 1974年にアメリカ合衆国に渡り、現地でWashioアソシエイツ有限会社を設立する[要出典]。1980年に帰国し、荒木造園設計事務所取締役企画部長となる。 1990年に鷲尾アソシエイツを設立して独立する。同年の国際花と緑の博覧会ではプロデューサーを担当し、『国際花と緑の博覧会 花博植栽管理記録集成』の作成委員会代表を務めた。 以後、日本国外での園芸系博覧会(オランダ国際園芸博覧会フロリアート92、ドイツ国際庭園博覧会IGA93)で、日本国政府(農林水産省)の出展総合プロデューサーを担当した。
富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月… 富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月28日 - 2023年〈令和5年〉4月8日)は、日本の詩人・小説家・文芸評論家。日本芸術院会員。上方お笑い大賞選考委員。静岡県伊東市在住。本名は菅多 恵子、夫は現代美術家の菅木志雄。 1935年(昭和10年)大阪府大阪市出身。大阪府立桜塚高等学校、大阪女子大学文学部英文科卒業。 池田満寿夫と同棲していたことがあり、当初は詩人として出発。卒業後は高校教師を務めたが、上京して多くの詩集を出し、『物語の明くる日』(1961年)以降は小説に転じた。多数の詩・小説・評論・エッセイがある。また映画のシナリオも書いている。 1969年6月、菅木志雄と結婚。
堀田 満(ほった みつる、1935年7月23日 - 2015… 堀田 満(ほった みつる、1935年7月23日 - 2015年7月8日)は、日本の植物学者。植物分類学の分野の研究で知られる。理学博士、鹿児島大学名誉教授、鹿児島県立短期大学名誉教授。京都大学教養部助教授、鹿児島大学理学部教授、鹿児島県立短期大学学長を歴任した。 大阪府高槻市生まれ。1935年、芥川の門前橋近くの小作百姓の家に生まれ、そのままなら農民になっていたはずだが、農地改革があり小作も土地を持てたので、その土地を売って大学に行くことができた。中学生のころから週に1度高槻の山を歩き回っていた。高校生のころ、前川文夫の植物地理学の本に出会い、のちに植物地理学の総説『植物の分布と分化』出版に結びつく。
藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月… 藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月11日 - )は、日本のタレント、エッセイスト。作家・藤本義一の妻。義一との間に2女があり、次女はアーティストのフジモト芽子(まいこ)。 兵庫県神戸市須磨区生まれ。小学二年から商社マンだった父の赴任先、蒙古張家口で育つ。終戦後引き揚げ、父が故郷・広島県尾道市で事業を始めたため、中学一年から高校卒業まで尾道に住んだ。 広島県立尾道北高校を経て大阪女子大学(現・大阪公立大学)英文科に進学。高校、大学と演劇部に所属し、当時大阪府立大学の演劇部だった藤本義一と知り合う。 大学卒業後、スポーツニッポンの文化部記者として二年間勤務。藤本と結婚後退社。
楊井 立夫(やぎい たつお、1934年1月22日 - 201… 楊井 立夫(やぎい たつお、1934年1月22日 - 2019年4月1日)は、日本の経営者。岩谷産業社長を務めた。 大阪府出身。1955年に浪速大学工業短期大学部(現在の大阪府立大学工業短期大学部)を卒業し、同年に岩谷産業に入社した。普及に間もないLPガスをまず民生用に売り出し、続いて商業用に売り込んだ実績があり、1981年2月に取締役に就任し、1985年3月に常務、1990年6月に専務、1995年4月に副社長を経て、1998年6月に社長に就任し、2000年4月までに務めた。社長在任時には、量的な拡大から質的な充実への転換に舵を切り、収益力の拡大による企業体質の強化に務めた。 2019年4月1日直腸がんのために死去。
池田 實(いけだ みのる、1934年 - )は、日本の実業家… 池田 實(いけだ みのる、1934年 - )は、日本の実業家、馬主。酒類卸売を手がけるワイン&フードこにし代表、ワインバーや居酒屋を経営する有限会社海幸代表取締役。 大阪府大東市出身。大阪府立大学経済学部を卒業し、もともとは1877年に創業した米屋であった家業を継ぎ、のちに酒類卸売に業務転換。現在大東市で「ワイン&フードこにし」などを運営する。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は桃、紫襷、緑袖紫二本輪。冠名には当初は「ハジメ」を用いたものの、所有馬の故障が多く、「無事是名馬」の考え方から「安全」を意味する「セフティー(safety)」を、また「安全だけでは走らない」ということから「翼」を意味する「ウイング(wing)」の2種を主に用いた。
藤田 日出男(ふじた ひでお、1934年 - 2008年6月… 藤田 日出男(ふじた ひでお、1934年 - 2008年6月6日)は、日本の航空会社の元副操縦士、航空ジャーナリスト。京城(現・韓国ソウル特別市)生まれ。 2005年8月12日にTBSテレビが放映した「ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実」では、藤田自身が出演したほか、過去を再現したドラマパートでは藤田役を竹中直人 が演じた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
浅田 篤(あさだ あつし、1933年3月30日 - )は、日… 浅田 篤(あさだ あつし、1933年3月30日 - )は、日本の技術者、実業家、工学博士。シャープ代表取締役副社長や、任天堂代表取締役会長を務めた。発明協会発明賞、科学技術庁長官賞等受賞。 大阪府出身。1955年浪速大学(現大阪府立大学)工学部電気工学科卒業、早川電機工業(現シャープ)入社。計算機の開発に従事し、1971年発明協会発明賞受賞。1975年には工学博士の学位を取得。1982年科学技術庁長官賞受賞。1984年シャープ専務取締役IC事業本部本部長。1988年シャープ代表取締役副社長。 1993年藍綬褒章受章。1996年ビジネス機械・情報システム産業協会会長。1998年シャープ常任顧問。1999年任天堂常任顧問。
西岡 京治(にしおか けいじ、1933年〈昭和8年〉2月14… 西岡 京治(にしおか けいじ、1933年〈昭和8年〉2月14日 - 1992年〈平成4年〉3月21日)は、海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者、植物学者。 ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」といわれる。ブータン国王から「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を贈られ、現地ではダショー・ニシオカとも呼ばれる。
前田 泰男(まえだ やすお、1931年3月26日- 2004… 前田 泰男(まえだ やすお、1931年3月26日- 2004年7月29日 )は、プロ野球球団近鉄バファローズ球団社長である。 奈良県吉野郡吉野町出身。旧制五条中学を経て、1954年に大阪府立大学を卒業した後に近畿日本鉄道に入社した。上山善紀社長の要請により、球団の運営に携わることになる。 1986年に2月から球団代表に就任し、1990年から1995年までに代表兼務で球団社長に就任した。 94年のオフに契約更改が決裂していたエース野茂英雄に対し「契約に応じなければクビだ。」と迫り野茂はこれがきっけでメジャーリーグベースボールを目指すようになる。 1989年には西武の坂井保之に代わって、パ・リーグの理事長に就任した。
米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - … 米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - )は、日本出身の作家・画家。本名は富美子。ロサンゼルス近郊パシフィック・パリセイズに在住。 大阪市に生まれる。大阪府立夕陽丘高等女学校、大阪女子大学(現在の大阪府立大学)国文科卒業。1957年、油絵を二科展に出品して関西女流美術賞を受ける。1960年に奨学金を受けて渡米。抽象画家としてアメリカ合衆国ニューハンプシャー州の芸術家村マクダウェル・コロニー(MacDowell Colony)に移住したとき、ジョシュ・グリーンフェルドと出会う。 ニューヨークでジョシュと結婚し、夫との間に二人の息子を持つ(長男のカール・タロウは現在文筆家)。 自閉症の次男ノアの子育てと画家活動が両立困難になったことから文筆活動に転じた。
川瀬 輝夫(かわせ てるお、1929年(昭和4年)11月25… 川瀬 輝夫(かわせ てるお、1929年(昭和4年)11月25日 - 2016年(平成28年)3月2日)は、日本の政治家。元愛知県弥富市長。 大阪府立大学卒。高等学校教諭、印刷会社経営を経て、1975年と1979年の弥富町長選挙に立候補したが、いずれも現職に敗れた。1991年、三度目の挑戦で現職を破って初当選した。 弥富町長を4期務め、4期目途中の2006年に弥富町は隣接する十四山村を編入して「弥富市」となり、初代市長に就任した。翌2007年の市長選挙に立候補したが、リサイクル会社役員の服部彰文に敗れた。2015年旭日双光章を受章。 2016年3月2日死去。死去は報道されなかったが、葬儀は3月5日に行われた。
古川 麒一郎(ふるかわ きいちろう、1929年7月22日 -… 古川 麒一郎(ふるかわ きいちろう、1929年7月22日 -2016年6月29日)は、日本の天文学者。理学博士(1969年)。東京大学東京天文台助教授、国立天文台助教授を歴任。専門は、位置天文学・天体力学・測地学。 大阪府出身。大阪府立住吉中学校(現・大阪府立住吉高等学校)在学中からアマチュア天文家として活動。アマチュア天文家としては戦時中の1944年に福岡市を本拠地とする筑紫天文同交会に入会し、主に変光星の観測を行った。筑紫天文同交会が1947年3月に解散してからは変光星の観測結果をアメリカ変光星観測者協会や日本天文研究会に報告していた。 1953年浪速大学(現・大阪府立大学)工学部工業化学科を卒業したが、プロの天文学者を志し京都大学大学院理学研究科宇宙物理学専攻に進学、上田穣に師事した。
後藤 邦夫(ごとう くにお、1929年4月20日 - )は、… 後藤 邦夫(ごとう くにお、1929年4月20日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪府立大学)。元応用化学教室担当。 専門は、工業化学・材料化学、高分子化学。 1962年大阪府立大学(現:大阪公立大学)大学院工学研究科応用化学専攻にて、工学博士(大阪府立大学)。大阪工業大学工学部応用化学科助教授として着任し、応用化学教室を担当。1966年高分子化学専門の第4研究室(現:高分子材料化学研究室)を主催し、その後の高分子材料の研究・発展に貢献した。同学科教授を経て、1997年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部応用化学科にて35年以上の長きに渡り教鞭を執り、1958年の同学科開設後の初期の応用化学(特に、材料化学・高分子化学)研究・育成に貢献した。
橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 199… 橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 1999年)は、日本の電気技術者、文筆家。技術コンサルタント。 大阪府堺市出身。1948年大阪工業専門学校電気科(現大阪府立大学)卒、1961年近畿大学理工学部電気工学科卒。 長男の橋本岳(たけし、1961年生)は電気工学者、静岡大学教授[要出典]。次男の橋本均(ひとし)は薬学研究者、大阪大学教授 [要出典]。
伊藤 誠(いとう まこと、1929年 - 2012年12月7… 伊藤 誠(いとう まこと、1929年 - 2012年12月7日)は、日本の美術評論家。 兵庫県出身。大阪府立大学工学部卒。神戸新聞学芸部美術記者、学芸部次長、事業部長、文化事業局次長、姫路市立美術館副館長。 2012年12月7日、肺炎のため死去。83歳没。
末 和海(すえ かずみ、1929年 - 2024年6月3日[… 末 和海(すえ かずみ、1929年 - 2024年6月3日[要出典])は日本の時計技術者である。大阪府堺市出身。
かたおか しろう(片岡 司郎、1928年12月3日 - 20… かたおか しろう(片岡 司郎、1928年12月3日 - 2005年11月23日)は、日本の劇作家。 大阪府生まれ。大阪工業専門学校(現・大阪府立大学)卒業。中学校教諭(担当:数学)を経て、1970年より専門劇作家として活動。斎田喬賞、日本児童演劇協会賞、日本演劇教育賞、全児演賞特別賞など受賞。 2005年11月23日、心筋性肺炎のため死去。
高田 誠三(たかだ せいぞう、1928年10月14日 - 2… 高田 誠三(たかだ せいぞう、1928年10月14日 - 2010年10月2日)は、日本の写真家。 大阪芸術大学写真学科教授、全日本写真連盟理事、日本写真家協会会員、朝日カルチャーセンター講師などを歴任した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、カメラに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:写真/PJ:カメラ)。
田中 正史(たなか まさぶみ、1928年7月1日 - 201… 田中 正史(たなか まさぶみ、1928年7月1日 - 2010年3月19日)は、日本の作曲家。尚美学園ディプロマコースならびにピアノ科講師、早稲田大学特別科学研究所研究員。 大阪で事務用品製造工場の経営者の家庭に生まれる。3歳からピアノに親しみ、5歳から永井幸次にピアノのレッスンと音感教育を受ける。10歳の時、朝比奈隆の指揮でモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏。戦時中は特攻隊志望で、少年航空隊に入隊し、高知の海軍航空隊で訓練を受けていたが敗戦後に復員する。 家業を継ぐことを父から期待されていたため大阪府立化学工業専門学校(現・大阪府立大学工学部)に進んだが志は音楽にあり、在学中はオーケストラのスコアを研究するとともにアルバイトでピアニストとして活動。
四ツ谷 光子(よつや みつこ、1927年5月5日 - 201… 四ツ谷 光子(よつや みつこ、1927年5月5日 - 2017年12月23日)は日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党所属、2期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員。日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(日本AALA)副理事長・代表理事。
佐々木 静子(ささき しずこ、1926年〈大正15年〉8月2… 佐々木 静子(ささき しずこ、1926年〈大正15年〉8月27日 - 2018年〈平成30年〉7月19日)は、日本の弁護士、政治家。関西地方初の女性弁護士である。参議院議員を1期務めた。伊藤俊介 (政治家)の孫。 大阪市小松原町生まれ。父は弁護士で松島遊郭事件を担当した田村堅三。1944年(昭和19年)、大阪府立大手前高等女学校卒業。同年、18歳で旧海軍省官僚と結婚した。夫は仕事のため東京、静子は夫の両親の住む和歌山市和歌浦で暮らした。 終戦後、京都大学工学部の研究者となった夫ともに京都で暮らし始めたが、夫が公職追放のため栗本鉄工所に転職し、大阪に転居し、1948年に長女を出産。司法試験の受験を志し、受験資格を得るために子育ての傍ら1950年に大阪女子大学に入学した。
河野 多惠子(こうの たえこ、1926年(大正15年)4月3… 河野 多惠子(こうの たえこ、1926年(大正15年)4月30日 - 2015年(平成27年)1月29日)は、日本の小説家。本名・市川多惠子(旧姓・河野)。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 心身の被虐をテーマにした『幼児狩り(英語版)』(1962年)で認められ、『蟹』(1963年)で芥川賞を受賞。以後、自身の性を客観視できる作家として、文壇的地歩を固めた。ほかに『不意の声』(1968年)、『回転扉』(1970年)など。 大阪府生まれ。西道頓堀の椎茸問屋の娘。1947年(昭和22年)旧制大阪府女子専門学校経済科(新制大阪女子大学の前身、現大阪府立大学)卒業。1950年(昭和25年)、丹羽文雄主宰の『文学者』同人となる。
小田 欽造(おだ きんぞう、1925年10月5日 - )は、… 小田 欽造(おだ きんぞう、1925年10月5日 - )は、日本の経営者。三ツ星ベルト社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1947年に大阪府立堺高等工業学校を卒業し、1950年2月に三ツ星調帯(のちの三ツ星ベルト)に入社した。1956年9月に取締役に就任し、1960年7月に常務、1968年11月に専務を経て、1973年11月に社長に就任した。1995年6月に会長を経て、1999年6月に特別顧問に就任。 1991年4月に藍綬褒章を受章。
長谷川 卓也(はせがわ たくや、1925年9月17日 - 2… 長谷川 卓也(はせがわ たくや、1925年9月17日 - 2021年7月27日)はフリーライター、出版史研究者。 日本推理作家協会会員。現代風俗研究会、雑学倶楽部、書皮友好協会各会員。 大阪市生まれ。旧制官立大阪工専(現大阪公立大学工学部)卒業。元東京新聞記者。元東京田辺製薬役員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日… 鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日 - 1991年3月18日)は、日本の下着デザイナー。 スキャンティーの命名者とされる。洋画家の鴨居玲は弟。 大阪府豊中市生まれ。父はジャーナリストの鴨居悠。 幼少期から子供時代の大半を石川県金沢市で過ごす。 豊中高等女学校(現・大阪府立桜塚高等学校)卒業。 旧制大阪府女子専門学校(大阪女子大学)国文科卒業。 新関西(夕刊紙)の校正係・家庭欄記者や、大阪読売新聞の学芸課記者を経て、独立。 3万円の退職金を元手に、下着デザイン・製造販売に着手。 1956年(昭和31年)1月、大阪市内に「チュニック制作室」という下着メーカーを設立(1958年に株式会社化)。
松田 昭美(まつだ あきよし、1925年(大正14年)- )… 松田 昭美(まつだ あきよし、1925年(大正14年)- )は、日本の農業気象学者。鳥取大学名誉教授。農学博士(九州大学)。 1925年、岡山県に生まれる。3歳から13歳までブラジル・サンパウロで育つ。旧制岡山県立新見農林学校(現・岡山県立新見高等学校)卒業、1955年大阪府立大学農学部卒業。九州大学大学院農学研究科修士課程修了。九州大学助手、農林水産省試験場勤務を経て、鳥取大学農学部助教授、同教授。 1983年から1989年まで、鳥取大学農学部附属砂丘利用研究施設(現・乾燥地研究センター)の施設長を務めた。 1990年、鳥取大学を停年退官。名誉教授となる。1994年、鳥取女子短期大学(現・鳥取短期大学)教授、1996年から2002年まで学長。
高木 聖鶴(たかぎ せいかく、1923年(大正12年)7月1… 高木 聖鶴(たかぎ せいかく、1923年(大正12年)7月12日 - 2017年(平成29年)2月24日)は、日本の書家。男性。位階は従三位。勲等は文化勲章。本名は高木 郁太(たかぎ いくた)。朝陽書道会会長、公益社団法人日本美術展覧会顧問、公益社団法人日本書芸院最高顧問、読売書法会最高顧問、文化功労者。 社団法人日本書芸院理事、読売書法会理事、読売書法会常任総務、社団法人日本美術展覧会常務理事、社団法人日本美術展覧会理事、社団法人日本美術展覧会参事などを歴任した。 1923年(大正12年)岡山県総社市出身にうまれる。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、環境化学の権威で大阪府立大学名誉教授となる宗森信がいた。
矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年3月27日 - 20… 矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年3月27日 - 2011年12月13日)は、日本の農学者。大阪府立大学名誉教授、元学長。専門は、農業気象学、生物環境調節工学、環境学。 矢吹万寿、矢吹萬寿、矢吹万壽 とも表記される。NHKプロデューサーの矢吹寿秀は次男。 『農業気象学』文永堂 1978年、『施設園芸学』朝倉書店 1983年、『農業環境調節学』朝倉書店 1985年、『植物の動的環境』朝倉書店 1985年、『風と光合成』農文協 1990年、『稲学大成(第2巻)』農文協 1990年、他 数十冊 日本農業気象学会長、日本生物環境調節学会長、農業施設学会評議員、大気汚染研究協会理事、環境科学会顧問、CELSS研究会顧問、日本農学会評議員、(社)海外農業教育研究開発協会副理事長、(社)堺都市政策研究会副理事長、(社)国際高等研究所評議員、公立大学協会副会長、大阪府公害対策審議会会長、堺市公害対策審議会会長、大阪府原子炉問題審議会会長、地球環境関西フォーラム(地球環境100人委員会)代表委員
難波 春水(なんば しゅんすい、1915年3月30日 - 1… 難波 春水(なんば しゅんすい、1915年3月30日 - 1947年10月)は、昭和時代前期日本の作詞家。別名義に芳賀 武(はが たけし)がある。 1915年(大正4年)、鹿児島県川辺郡知覧村(現在の南九州市)に生まれる。村立知覧小学校高等科を卒業後、県立薩南工業学校建築科を経て大阪高等工業学校を卒業した。 帰郷後の1940年(昭和15年)、華北交通が懸賞募集した社歌で一等入選。1942年(昭和17年)には鹿児島日報(南日本新聞の前身紙)が真珠湾攻撃で戦死した横山正治を顕彰する歌の選定を企画し、懸賞募集を行った「あゝ軍神横山少佐の歌」に「芳賀武」名義で入選した。戦後は広島県の「三原市々歌」に本名、大阪府の「高槻市歌」および鹿児島県の「川内市民歌」に「芳賀武」名義で相次いで入選したが、このうち「高槻市歌」の発表演奏が行われたのと同時期の1947年(昭和22年)10月に急逝した。
鎌倉 悦子(かまくら えつこ、1914年(大正3年) - )… 鎌倉 悦子(かまくら えつこ、1914年(大正3年) - )とは、日本の飛込競技選手。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した。 1914年、大阪府に生まれる。大阪府立清水谷高等女学校(現在の大阪府立清水谷高等学校)在学中の1932年、全日本水上選手権の女子飛板飛込・高飛込で優勝し、ロサンゼルスオリンピックの飛込競技の日本代表となり、女子飛板飛込・女子高飛込に出場した。日本人の女子がオリンピックの飛込競技に出場するのは初めてのことであった。予選を通過した後の決勝では、前飛込・後飛込で好成績を残した一方、前半捻りや選択飛込の得点が伸び悩んだため、入賞を逃した。結果は飛板飛込が60.78点で7位、高飛込が31.36点で6位であった。
松澤 知恵(まつざわ ちえ、1909年(明治42年) - 2… 松澤 知恵(まつざわ ちえ、1909年(明治42年) - 2006年(平成18年))は、昭和初期の社団法人日本放送協会東京中央放送局の女性アナウンサー。 群馬県桐生市出身。7人姉弟の2番目として生まれる。桐生で生まれた後、すぐ京都へ移り、小学校入学の時に東京へ転居。女学校時代は再び桐生へ戻り、その後大阪へ移る。大阪府女子専門学校(後の大阪女子大学 → 現・大阪府立大学)国文科卒業。学生時代の1930年2月に大阪放送局にて童話の放送への出演を経験している。最初、学校を卒業した後は国語の教員になろうと思っていた。学校を卒業した後、父の転勤により東京へ移り住む。長姉が嫁いだ後に、当人については「良い働き口があれば、働きに出したい」と方針が変わり、1932年に東京中央放送局がアナウンサーを募集した際、親がたまたまラジオを聴いていてそのアナウンサー募集を知り、アナウンサー受験を勧めて叔母の家へ手伝いに行っていた先の桐生から東京へ戻る。
佐中 壮(さなか そう、1903年(明治36年)6月11日 … 佐中 壮(さなか そう、1903年(明治36年)6月11日 - 1992年(平成4年)4月13日)は、日本の東洋史学者。大阪府立大学名誉教授。 鳥取県西伯郡余子村大字福定(現・境港市福定町)に生まれる。父の佐中廉は、弓浜高等小学校長、余子小学校長、境小学校長、余子村長などを務めた教育者で、壮はその次男であった。 米子中学校、松江高等学校を経て、東京帝国大学文学部東洋史学科において藤田豊八や池内宏らに学ぶ。1928年(昭和3年)に卒業し、山口高等学校講師、ついで同教授となり、1931年(昭和6年)より広島高等学校教授に転じる。1944年(昭和19年)、松山高等学校教授となるが、終戦によりただちに辞表を提出、同校の再開整備にあたった後に退官し、帰農。
橋本 八重三(はしもと やえぞう、1895年 - ?)は、大… 橋本 八重三(はしもと やえぞう、1895年 - ?)は、大正期に活躍した日本の園芸家、造園家で、日本最初の民間の洋風庭園デザイナー。大阪府出身。近代的な造園業をめざし、従来の造園業と差別化を図った。 京阪神地域を中心に活動。営業にあたり広告戦略を展開、その初期には趣味の乗馬の腕を生かして高級住宅街に出没しチラシを配布、「馬乗り植木屋」と呼ばれる。また友人と植物病院事業という今日の樹木医的な事業、さらにコニファーなどの今日でいうガーデニング用品、橋本式自然木(いわゆる擬木)を開発し販売するなどを実施した。 植木の生産地摂津細河村(現・池田市)の生まれ。大阪府立農学校(現大阪府立大学農学部)園芸科に進学し、大正3年(1914年)卒業と同時に、当時3大公園を建設中の大阪府に奉職。
岩田 千虎(いわた かずとら、1893年10月28日 - 1… 岩田 千虎(いわた かずとら、1893年10月28日 - 1966年10月6日)は、日本の彫刻家、獣医師。獣医師となったのちに37歳から彫刻の修得を始め、牛をはじめとする動物の彫刻で知られる。 1893年(明治26年)、熊本県飽託郡芳野村中河内(現・熊本市西区)に六人兄弟の末子として生まれた。千虎(かずとら)は父のつけた本名で、加藤清正から連想したものだろうと本人が語っている。子どもの頃から絵が好きで、河内小学校のときにかいた絵馬が地元の大明神に残るという。小学校卒業後、熊本農学校養蚕別科を経て、大阪府立農学校(現在の大阪府立大学)畜産学科に進み、1912年(大正元年)、獣医師免許を取得した。 1915年(大正4年)に大阪府立農学校を卒業。