有馬 信夫(ありま のぶお、1961年 - )は、東京都調布… 有馬 信夫(ありま のぶお、1961年 - )は、東京都調布市出身の日本の高校野球指導者。元高校保健体育科教諭。 都立調布北高校では、遊撃手としてプレーし、主将も務めた。日本体育大学を卒業後は、都立鮫洲工業高校定時制の軟式野球部を7年近く指導する。 都立城東高校では、1999年夏の甲子園大会に出場。都立高校野球部指導者では数少ない甲子園経験者となっている。 その後は、都立保谷高校、都立総合工科高校で指導を行う。総合工科高校時代の教え子には、創価大学を経て、福岡ソフトバンクホークスに入団する、石川柊太がいた。2018年4月からは、都立足立新田高校に赴任し、野球部監督に就任。現在は教員を定年退職し、監督に専念している。
本間 大輔(ほんま だいすけ 1961年?- )は北海道札幌… 本間 大輔(ほんま だいすけ 1961年?- )は北海道札幌市出身のバスケットボール指導者。
布 啓一郎(ぬの けいいちろう、1960年12月21日-)は… 布 啓一郎(ぬの けいいちろう、1960年12月21日-)は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 体育教師志望で日本体育大学に一般入試で受験し合格した。所属したサッカー部では三軍からレギュラーを勝ち取り全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)でも優勝している。 日体大卒業後、1984年に船橋市立船橋高等学校に赴任し、サッカー部監督に就任。これ以降、1987年、88年の高校総体連覇をはじめ、高校選手権4回の優勝などの成績を残した。2000年に日本サッカー協会公認のS級ライセンスを取得した。 2003年、船橋市立船橋高校を退職し、U-16日本代表監督に就任したが、日本で開催されたAFC U-17選手権2004は1次リーグで敗退し、2005 FIFA U-17世界選手権出場は成らなかった。
福元 寿夫(ふくもと としお、1960年11月11日 - )… 福元 寿夫(ふくもと としお、1960年11月11日 - )は、日本の元男子水球選手である。日本体育大学卒業。1984年ロサンゼルスオリンピックに日本代表として出場した。 引退後は横浜サクラスイミングスクール指導部長や母校日体大の非常勤講師を務め、成田真由美のコーチとして指導に当たった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
佐々木保重(ささき やすしげ、1960年10月12日 - )… 佐々木保重(ささき やすしげ、1960年10月12日 - )は山形県出身のウエイトリフティング選手である。オリンピックに2度出場。 1983年日本体育大学体育学部卒業。大学卒業後郷里の山形県で高校教師となり1992年現役引退。 日本体育協会公認スポーツ指導者 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
栫 裕保(かこい ひろやす、1960年9月17日 - )とは… 栫 裕保(かこい ひろやす、1960年9月17日 - )とは日本のサッカー指導者。 兵庫県神戸市出身。滝川高等学校卒業、日本体育大学卒業。 黒田和生の元で18年間滝川第二高等学校サッカー部のコーチを行う。2007年黒田和生の退職とともに同校の監督に就任。就任初年度は県の全てのタイトルを逃し、これはチームの12年ぶりの屈辱であった。だが第87回全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト8を果たす。2011年には第89回全国高等学校サッカー選手権大会で兵庫代表となった同校を初優勝に導く。2015年の第93回全国高等学校サッカー選手権大会を最後に同校監督を勇退。
大塚 正美(おおつか まさみ、1960年8月3日 - )は、… 大塚 正美(おおつか まさみ、1960年8月3日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。茨城県神栖市出身。日本体育大学体育学部卒業。現在は城西国際大学経営情報学部教授。 中学校は神栖市立神栖第一中学校、高校は茨城県立水戸工業高等学校出身。高校時代は全国高等学校総合体育大会陸上競技大会の1500mで優勝を果たしている。 大学は日本体育大学に入学すると、1年時に第56回箱根駅伝の8区に出走。前半は慎重に入ったが徐々にペースを上げ、1時間06分20秒の区間新記録をマークし、チームの総合優勝に貢献した。また、8区の区間記録は第71回箱根駅伝で中央大学の榎木和貴が更新するまで15年間破られなかった。約2週間後に行われた全日本大学駅伝では1区を走り区間新記録をマークした。
大森 重宜(おおもり しげのり、1960年(昭和35年)7月… 大森 重宜(おおもり しげのり、1960年(昭和35年)7月9日 - )は、日本の神職、陸上競技選手である。早稲田大学教育学部、國學院大學文学部神道学科卒、日本体育大学大学院修士課程修了。
山本 洋祐(やまもと ようすけ、1960年6月22日 - )… 山本 洋祐(やまもと ようすけ、1960年6月22日 - )は、日本の柔道家。 1987年の第15回世界選手権大会金メダリスト、1988年のソウル五輪銅メダリストで、現在は日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科の教授を務める。 熊本県飽託郡天明町(現・熊本市南区)出身。小学校5年生の時に兄の影響で柔道を始め、町立天明中学校入学後に本格的に稽古に打ち込んだ。県立宇土高校へ進学し、3年生の時に開催された1978年12月の全日本新人体重別選手権大会に出場すると、得意技の左背負投を武器に日本体育大学の長尾文男に次ぐ準優勝という好成績を残した。 1979年の春に日本体育大学に入学すると直後の講道館杯で3位となり、同年11月の全日本新人体重別選手権大会では決勝戦で筑波大学の阿部雄二を降すなどして優勝を果たした。
白武 佳久(しらたけ よしひさ、1960年5月6日 - )は… 白武 佳久(しらたけ よしひさ、1960年5月6日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 4人兄弟の末っ子として生まれる。佐世保市相浦中在学中、当初は陸上部に所属していたが、同校軟式野球部監督から勧誘を受け転部。本格的に野球を始める。 中学卒業後は自衛隊入隊の進路希望だったが、佐世保工OBで野球経験者である8歳上の次兄の説得を受け、佐世保工機械科に進学。次兄の口利きもあり同校硬式野球部に入部。 佐世保工業高では、エースとして1978年夏の甲子園に出場。しかし2回戦(初戦)で栗岡英智のいた中京高校に敗れた。 高校卒業後は首都大学野球連盟の伝統校日本体育大学へ進学。当時の首都大学野球リーグは原辰徳、津末英明らの強打線とエース井辺康二を擁する東海大学が席巻していたが、これを圧倒し2年の秋季リーグから3季連続優勝。
谷口 浩美(たにぐち ひろみ、男性、1960年4月5日 - … 谷口 浩美(たにぐち ひろみ、男性、1960年4月5日 - )は、元男子マラソン選手、指導者。宮崎県南那珂郡南郷町(現日南市)出身。宮崎県立小林高等学校-日本体育大学体育学部体育学科卒。TOSS PLANNING所属。東京電力長距離・駅伝チーム監督、東京農業大学陸上競技部助監督を歴任し、現在は宮崎大学特別教授。 マラソンの自己最高記録は 2時間7分40秒(1988年・北京国際マラソン)で、日本男子歴代19位。 中学時代は駅伝部に所属しつつ、短距離など他の陸上種目にも勤しみ、走高跳や棒高跳などでも才能をみせていた。 小林高校に進学し、1976年-1978年の全国高等学校駅伝競走大会(全国高校駅伝)に3年連続出場、1年次は区間14位と不本意な走りに終わったが、2-3年次はいずれも区間2位の成績で同校の2連覇に貢献した。
小高 正宏(こたか まさひろ、1960年2月18日 - )は… 小高 正宏(こたか まさひろ、1960年2月18日 - )は、兵庫県津名郡淡路町岩屋(現淡路市岩屋)出身の元重量挙げ選手で現在は解説者兼兵庫県ウエイトリフティング協会理事長。1984年ロサンゼルスオリンピック重量挙げ男子56kg級銅メダリスト。日本体育大学卒業 現兵庫県高校教員。
三橋 栄三郎(みつはし えいざぶろう、1960年1月5日 -… 三橋 栄三郎(みつはし えいざぶろう、1960年1月5日 - )は日本の元バレーボール選手。元バレーボール全日本。 青森県出身。弘前工業高校、日本体育大学卒業。 1982年に富士フイルムに入社、日本リーグでは優勝5回、最高殊勲選手賞3回、スパイク賞2回と活躍。全日本では1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪に出場し超高速Bクイックを武器に全日本の中心選手として活躍した。 1987年の第1回ビーチバレージャパンでは、岩島章博と組んで出場。決勝で川合・熊田ペアと対戦し準優勝となった(ちなみに4人とも富士フイルムの選手だった)。 1992年3月29日、大阪城ホールで行われた日本リーグ最終順位決定リーグ・新日鉄戦の第四セットのプレー中、右足アキレス腱を部分断裂した。
奥谷 彰男(おくたに あきお、1959年11月1日 - )は… 奥谷 彰男(おくたに あきお、1959年11月1日 - )は、大阪府高槻市出身のサッカー審判員(元・国際副審)。日本体育大学卒業。
古屋 勇紀(ふるや ゆうき、1959年10月11日 - )は… 古屋 勇紀(ふるや ゆうき、1959年10月11日 - )は、日本のラグビー指導者。現在山梨学院高校ラグビー部の監督を務めている。 日川高校、日本体育大学を経て、中学校の教師になる。 2020年、山梨学院高校ラグビー部の監督に就任。 2023年、監督として第103回全国高等学校ラグビーフットボール大会にて花園初出場に貢献。
前田 直樹(まえだ なおき、1959年7月23日 - )は、… 前田 直樹(まえだ なおき、1959年7月23日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。山梨県笛吹市出身。日本体育大学卒業。 笛吹市立浅川中学校、山梨県立山梨園芸高等学校、日本体育大学出身。 中学時代は野球部に所属し、外野とリリーフ投手として県大会優勝に貢献した。陸上競技は高校時代に始めた。 3年時の第57回箱根駅伝では7区で区間賞を獲得し、6km地点で順天堂大学を抜いてトップで襷を渡した。しかし、日本体育大学は8区で再び先頭を譲り、総合2位でのフィニッシュとなった。 4年時の第58回箱根駅伝では主将として9区を任される。2位とは1分53秒差の首位で襷を受け取ったが、18.3kmで順天堂大学に交わされると最終的には歩き出してしまい、逆に1分46秒の差をつけられた。
伊藤 伸一(いとう しんいち、1959年7月17日 - )は… 伊藤 伸一(いとう しんいち、1959年7月17日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。千葉県出身。実父はJRAの騎手、調教師だった伊藤竹男。 日本体育大学では相撲部に所属。卒業後は教員を目指す予定だったがJRA調教師だった父の仕事を手伝うと決めたタイミングと同時にJRA競馬学校が開校したため1982年に厩務員課程1期生として入学する。同年7月から見上恒芳厩舎で厩務員を務め、1983年7月から1985年2月まで矢倉玉男厩舎、1985年3月から1998年2月まで父竹男の厩舎で調教助手を務めた。 1998年にJRA調教師免許試験に合格し、同年竹男の厩舎を引き継ぐ形で美浦トレセンに厩舎を開業した。
岩下 由利子(いわした ゆりこ、1959年3月13日 - )… 岩下 由利子(いわした ゆりこ、1959年3月13日 - )は、日本のトランポリン選手・指導者。東京都大田区出身。二松學舍大学附属高等学校、日本体育大学卒業。阪南大学トランポリン部監督。大阪トランポリンクラブ代表。 1978年、日本選手権で初優勝。1980年、日本選手権で2回目の優勝。その後引退し、指導者に転身。大阪府の高速ガード下でトランポリン教室を主宰。門下には2004年アテネオリンピック日本代表の廣田遥・上山容弘などがいる。2004年のアテネオリンピックではトランポリン日本代表監督を務めた。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
蘇武 幸志(そぶ こうし、1959年1月27日 - )は、元… 蘇武 幸志(そぶ こうし、1959年1月27日 - )は、元男子バレーボール選手。ロサンゼルス五輪全日本男子代表。 宮城県鴬沢町(現栗原市)出身。鴬沢町立細倉中学校(現鴬沢中学校)、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校電気科、日本体育大学体育学部のバレーボール部で活躍。 日体大時代は、1980年に関東大学リーグ戦春秋優勝、全日本大学選手権準優勝を経験。1978年と1980年に日米対抗に出場。1981年にルーマニアで開かれたユニバーシアードにも出場し3位となった。 1981年4月、実業団富士フイルムへ加入。日本リーグは1982年、1984年、1985年で優勝を経験し、山田修司らと黄金時代を築いた(84~85年は富士フイルム5連覇の最初の2年間)。
山本 真史(やまもと しんじ 、1959年 - )は、日本の… 山本 真史(やまもと しんじ 、1959年 - )は、日本の高校野球指導者。 兵庫県明石市出身、滝川高等学校卒業、日本体育大学卒業。 大学在学中より春日部共栄高等学校のコーチとなる。後に同校の部長となり、1991年には部長として春日部共栄高等学校野球部を春夏連続で甲子園に導く。1992年には滝川第二高等学校のコーチに就任、1996年には同校の監督に就任する。1999年には滝川第二高等学校を春夏連続で甲子園に導く。同年の秋に監督を辞任。 2014年12月には再び滝川第二高等学校の監督に就任。監督就任中であった2015年4月18日、部員が賭けトランプをしていたことが発覚した。賭けていたのは現金ではなくジュースや菓子であったが、その年の春季大会への出場を辞退した。
内海 知秀(うつみ ともひで、1958年12月7日 - )は… 内海 知秀(うつみ ともひで、1958年12月7日 - )は青森県出身のバスケットボール元選手・指導者。アテネ・リオデジャネイロオリンピックでは日本女子代表チームヘッドコーチとして指揮を執った。
倉又 寿雄(くらまた ひさお、1958年12月1日 - )は… 倉又 寿雄(くらまた ひさお、1958年12月1日 - )は埼玉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック)。武南高校及び日本体育大学卒業。
高岡 利治(たかおか としはる、1958年〈昭和33年〉7月… 高岡 利治(たかおか としはる、1958年〈昭和33年〉7月1日 - )は、日本の政治家。熊本県水俣市長(3期)、元水俣市議会議員(3期)。 熊本県菊池市出身。鎮西高等学校卒業。 かつては水泳選手として活動。小学5年で水泳を始め、高校2年当時、1975年に三重国体で出場した200メートルリレーで当時の高校日本新記録をマーク。日本体育大学進学後の1977年に出場した日本選手権水泳競技大会で、200メートル個人メドレーで3位に入る。大学4年生当時の1980年4月、全日本室内選手権で上位入賞、同年6月に予定されていたモスクワオリンピック日本代表の最終選考レースへの出場権を得る。しかし、同年5月24日に日本オリンピック委員会は政府の方針通りにモスクワオリンピック不参加を決定、6月の最終選考レースも中止になり、五輪への道も絶たれた。
岩出 雅之(いわで まさゆき、Masayuki Iwade、… 岩出 雅之(いわで まさゆき、Masayuki Iwade、1958年2月21日 - )は、日本のラグビー指導者、元ラグビー選手。帝京大学ラグビー部前監督、帝京大学スポーツ医科学センター教授、帝京大学スポーツ局局長。元高校ラグビー日本代表監督。 1958年、和歌山県新宮市生まれ。新宮高校を経て1980年、日本体育大学体育学部卒業。日体大ラグビー部ではフランカーとしてレギュラーで活躍し、大学4年次には主将としてチームをまとめた。1978年全国大学ラグビー選手権大会では決勝で明治大学を破り同大学2度目の大学日本一に輝いた。 日本体育大学を卒業後、滋賀県の教員採用試験に合格、県内の公園管理勤務を経て中学校教員を歴任。
外村 康二(そとむら こうじ、1958年1月23日 - )は… 外村 康二(そとむら こうじ、1958年1月23日 - )は、大阪府池田市出身の元体操競技選手。現在は地元池田市のスポーツ施設管理をしている。 清風学園高等学校を経て日本体育大学体育学部卒業後、1980年4月紀陽銀行に入行。1980年モスクワオリンピック日本代表選手となるが日本政府によるボイコットにより不出場。1984年ロサンゼルスオリンピック体操男子団体、男子床銅メダリスト。 現役引退後は、紀陽銀行の体操部監督を経て、日本体操協会のナショナルコーチとして指導の道に進んだ。2020年8月、池田市スポーツ親善大使に任命された。 長男はトランポリン選手の外村哲也(北京オリンピック4位入賞)である。 この項目は、体操に関連した書きかけの項目です。
中村 孝生(なかむら たかお、1958年1月22日 - )は… 中村 孝生(なかむら たかお、1958年1月22日 - )は、日本の元陸上競技選手。群馬県出身。群馬県立前橋工業高等学校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。 1970年代から1980年代にかけて長距離種目で活躍した。モスクワオリンピック代表、アジア大会2冠などの実績を誇る。瀬古利彦らとしのぎを削った名ランナーである。1980年ヱスビー食品入社。モスクワオリンピック代表に選出されるも、ソ連のアフガニスタン侵攻の影響で日本選手団は不参加を決定。不運に泣いた。ヱスビー食品陸上競技部競技部長を務めた。立正大学陸上競技部駅伝部門の初代監督を経てアドバイザーとなる。 インターハイ(2年生時)では800m・1500m優勝の瀬古をおさえ5000m優勝した。
塚田 雄二(つかだ ゆうじ、1957年12月28日 - )は… 塚田 雄二(つかだ ゆうじ、1957年12月28日 - )は、山梨県甲府市出身 の元サッカー選手、サッカー指導者。Uスポーツクラブ代表。 中学1年の途中からサッカーを始める。山梨県立韮崎高等学校時代にはインターハイに優勝し、体育教師を目指して日本体育大学に進学。卒業後は山梨に戻り高校の教員としてサッカー部を指導していたが、その後、高校を辞めて幼稚園で体育の指導および園児たちを対象としたサッカー教室を始める。またそれらと並行して日本サッカーリーグ2部(JSL2部)に在籍していた甲府サッカークラブ(現 ヴァンフォーレ甲府)で選手として1980年より9年間活動した。 ドイツのケルンで見た地域に根ざしたスポーツクラブのあり方に感化され、1989年に「Uスポーツクラブ」を設立する。
新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に… 新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に改名していたが、現在は雅也に復している)、1957年12月20日 - )は、広島県三原市出身の陸上競技、マラソン選手。広島県西条農業高校、日本体育大学卒業。1970年代後半から1980年代にかけて瀬古利彦、宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通らとともに日本陸上界をリードした名選手である。 広島県三原市立幸崎中学校で、陸上部に入り陸上をはじめた。中学時代は目立った選手ではなかったが、負けず嫌いで、練習は熱心で、一人で遅くまで走っていることも多かった。高校進学では、駅伝で有名な世羅高校を希望したが、学区が違うため、広島県立西条農業に進学し、約2時間かけて通学していた。
松木 安太郎(まつき やすたろう、1957年11月28日 -… 松木 安太郎(まつき やすたろう、1957年11月28日 - )は、東京都中央区出身の元サッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。日本体育大学体育学部体育学科卒業。 従弟には築地市場場内のマグロ仲卸の生田與克。祖父は大相撲力士の葵龍(最高位は十両)。 実家は東京都中央区日本橋にある明治2年創業の老舗のうなぎ屋「近三」。幼稚園時代から小学校2-3年の間、藤城清治主宰の人形劇団「木馬座」で、ケロヨンの相棒「もぐらのモグちゃん」の着ぐるみに入って演じていた。 暁星小学校時代からサッカーに打ち込み、小柄な体躯ながらゴールキーパーを務めていた。学校の代表チームである暁星アストラの選手に選ばれると小学6年生の時には全国サッカー少年団大会(全日本少年サッカー大会の前身)に出場した。
白井 三津雄(しらい みつお、1957年10月13日 - )… 白井 三津雄(しらい みつお、1957年10月13日 - )は、高校サッカーの監督。山口県出身。 漁師の家に生まれ、24歳の時に父親を遭難で失う。 多々良学園高等学校在学中はDFとしてインターハイ出場。山口県国体選抜キャプテンとしてプレー。卒業後日本体育大学体育学部体育学科へ進学、インカレで優勝する。 山口県教員団(現レノファ山口FC)に所属し選手として活躍。母校である山口県の曹洞宗学校多々良学園高等学校(現高川学園高等学校)においてサッカー部監督を25年務める。一方、国体選抜の監督を務めたりと山口県のサッカーレベルの向上に尽力。最優秀監督賞を15年連続受賞。防府市名誉市民賞受賞。 全国高等学校サッカー選手権大会において15年連続出場の記録を樹立。
柳川 益美(やながわ ますみ、1957年7月 - )は、日本… 柳川 益美(やながわ ますみ、1957年7月 - )は、日本の体育学者。現在群馬大学教育学部保健体育講座教授。専門領域は体育学。 現在に至る。元レスリング世界選手権代表。特技はレスリング。群馬県レスリング協会会長。温厚でとても人柄が良い。NPO法人群大クラブ代表。 体育学・スポーツ経営管理
森末 慎二(、1957年5月22日 - )は、日本の元体操競… 森末 慎二(、1957年5月22日 - )は、日本の元体操競技選手。タレント。体操選手としての現役時代、森末 真佐男()と改名していた時期がある。岡山県岡山市出身。関西高等学校、日本体育大学卒業。萩本企画所属。森末企画代表取締役。 日本体操協会の理事で、九州共立大学の特別客員教授。同大学で体操部を定期的に指導。2002年に体育学部のない地方大学としては全国初となる西日本学生選手権で団体・個人とも優勝に導いた。 小学3年生の頃に鉄棒に興味を持って毎日練習するほど夢中になり、その後中学3年生の頃から体操部に入部(子供時代について詳しくは後述)。岡山市の体操競技大会で優勝したことで声をかけられて関西高等学校、その後日本体育大学へと進学。
山﨑 慶一(やまさき けいいち、1957年5月3日 - )は… 山﨑 慶一(やまさき けいいち、1957年5月3日 - )は、岡山県瀬戸内市牛窓町出身の高校野球指導者。 邑久高校、日本体育大学でプレー。 大学卒業後の1984年に倉敷市立工業高校に赴任。軟式野球部の指導にあたり、翌1985年には全国高等学校定時制通信制軟式野球大会の東中国代表に導いている。 1987年に開校した、岡山城東高校に赴任。開校時から野球部の監督に就任し、2期生が3年生になった1990年夏には開校から僅か4年で岡山県大会を制し、第72回全国高等学校野球選手権大会に初出場。1996年春開催の第68回選抜高等学校野球大会に初出場し、ベスト4に進出。その後も1998年夏、2003年春、2004年春にそれぞれ甲子園大会に出場。
中田 宗男(なかだ むねお、1957年1月8日 - )は、大… 中田 宗男(なかだ むねお、1957年1月8日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。
具志堅 幸司(ぐしけん こうじ、1956年〈昭和31年〉11… 具志堅 幸司(ぐしけん こうじ、1956年〈昭和31年〉11月12日 - )は、大阪府出身の元体操競技選手、日本体育大学名誉教授。ロサンゼルスオリンピック体操金メダリスト、財団法人日本体操協会北京オリンピック元男子強化本部長。
久保木 博之(くぼき ひろゆき、1956年9月10日 - )… 久保木 博之(くぼき ひろゆき、1956年9月10日 - )は、ミュージシャン、ラッツ&スターのメンバー。トップテナーボーカル担当。 東京都大田区立大森第八中学校を経て1975年、日体荏原高等学校(現・日本体育大学荏原高等学校)卒業。メンバーのうち、鈴木雅之と佐藤善雄は中学時代の同級生、桑野信義は中学時代の1年後輩である。 卒業後、ガソリンスタンドに就職する。 1980年2月25日、鈴木雅之や田代まさしらと共にシャネルズのメンバーとしてデビュー。 1983年4月1日、グループ名をラッツ&スターに改名。 1986年頃、ラッツ&スター活動休止。 1996年4月22日、ラッツ&スター再集結。この年のNHK紅白歌合戦に「夢で逢えたら」で初出場する。
白石 宏(しらいし ひろし、1956年5月20日 - )は、… 白石 宏(しらいし ひろし、1956年5月20日 - )は、多くのトップアスリートのサポートで知られるアスレティックトレーナーのパイオニア、鍼灸師。山口県生まれ、広島県広島市育ち。元ゴールドウイン・ナイキトレナー。日本体育大学卒業。 日本体育大学時代は、棒高跳びの選手であった。オリンピックを目指し1974年、日本体育大学に進学。先輩のマッサージをするうち、当時日本に入ってきたばかりのテーピング技術に興味を持ち勉強を始める。在学中何度か渡米しUCLAほか、アメリカのトレーナーの仕事に魅了され競技生活を終え帰国後、大学陸上部内にスチューデント・トレーナー制度を創設し本格的にトレーナー業に取り組む。卒業後はゴールドウイン、その後ナイキジャパンの企業トレーナーとして雇われ、昼間働きながら夜カイロプラクティック、あん摩、マッサージ・鍼灸の学校に通い資格を取得。
佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、19… 佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、1956年2月8日 - 2009年6月27日)は、1980年代に活躍した女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)選手、指導者。1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。 岩手県大船渡市出身。岩手県立住田高等学校、日本体育大学卒業。大卒後は教育職を経て、瀬古利彦らがいたヱスビー食品に所属。増田明美らとともに、初期の日本女子マラソン界を代表する選手の1人だった。 5男2女の7人兄弟の末娘として生まれたことから七恵と命名される。日頃市中時代はバレーボール部に所属し、[要出典]住田高時代から兄の影響で陸上競技を始める。日体大時代までは中距離の選手としてインカレ等で活躍し、大学卒業後マラソンに進む。
福嶋 正信(ふくしま まさのぶ、1955年11月24日 - … 福嶋 正信(ふくしま まさのぶ、1955年11月24日 - )は、熊本県出身の日本の高校野球指導者。通称″おやじ″ 八代東高校、日本体育大学を経て、1979年に都立足立工業高校に着任。 その後は、都立葛飾野高校、都立江戸川高校を経て、2005年からは都立小山台高校野球部監督に就任。2014年春には現在福岡ソフトバンクホークスに所属する伊藤優輔を擁し、21世紀枠で都立高校初めての選抜大会出場を果たした。その後も2018年、2019年夏には東東京大会で準優勝の成績を修めるなど都立の進学校でありながらも、都内有数の強豪校に成長させている。
上條 隆(かみじょう たかし、1955年10月 - )は、日… 上條 隆(かみじょう たかし、1955年10月 - )は、日本の体育学者。 現在群馬大学教育学部保健体育講座教授・教育学部附属小学校長。専門領域はスポーツ医学・健康科学・野球。 1978年4月 - 1981年3月 日本体育大学大学院体育学研究科。1981年4月 - 1986年3月 日本体育大学助手。 1986年4月 - 1990年3月 群馬大学教養部保健体育研究室講師。1990年4月 - 2007年3月 群馬大学教育学部学校教育講座保健体育専攻助教授。2007年4月 - 2009年3月 群馬大学教育学部学校教育講座保健体育専攻准教授。 2003年4月 - 2008年9月 群馬大学大学院医学系研究科(医学博士)。
池ノ上 孝司(いけのうえ たかし、1955年9月29日 - … 池ノ上 孝司(いけのうえ たかし、1955年9月29日 - )は、鹿児島県出身のハンドボール選手、指導者。1984年ロサンゼルスオリンピックハンドボール全日本男子代表。幻の1980年モスクワオリンピック代表でもあった。 鹿児島県立加治木工業高等学校、日本体育大学出身。 卒業後、湧永製薬に入社。同社ハンドボール部に所属。 全日本では、1978年デンマークで行われた世界選手権代表、1980年のモスクワ五輪、1982年西ドイツで行われた世界選手権代表、1984年のロサンゼルス五輪代表に選ばれている。 また、引退後は指導者としても活躍。ソニーセミコンダクタ九州監督、女子学生代表コーチなどを務めた。
梶谷 信之(かじたに のぶゆき、1955年5月3日 - )は… 梶谷 信之(かじたに のぶゆき、1955年5月3日 - )は、日本の元体操選手、スポーツ科学者。岡山大学教授。 宮崎県西都市出身。日本体育大学体育学部卒業。1980年、モスクワオリンピック体操代表選手(ボイコットで出場せず)。1984年、ロサンゼルスオリンピック体操男子平行棒で銀メダルを、男子団体で銅メダルをそれぞれ獲得した。 現在は、岡山大学教育学部附属幼稚園園長。
原田 康弘(はらだ やすひろ、1955年4月17日 - )は… 原田 康弘(はらだ やすひろ、1955年4月17日 - )は、宮城県石巻市出身の日本陸上競技・短距離走元選手、指導者、教育者。 1977年に200mと400mで日本記録を打ち出した。 日本体育大学体育学部を卒業。 日本学生陸上競技対抗選手権で200m4連覇。日本陸上競技選手権では100m、200m、400mで優勝した。300mの日本最高記録を樹立したこともある。 日本陸上競技連盟で理事や強化委員長を歴任した。 日本オリンピック委員会で理事、アンチ・ドーピング委員長、ナショナルトレーニングセンター委員会の副委員長を務めた。
鈴木 政一(すずき まさかず、1955年1月1日 - )は、… 鈴木 政一(すずき まさかず、1955年1月1日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手・サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 サッカーを始めたのは中学3年の時と遅かったが、山梨県立石和高等学校、日本体育大学ではそれぞれ主将を務めた。大学時代は全日本大学サッカー選手権大会で法政大学を破り優勝も経験している。その後1977年にヤマハ発動機サッカー部(Jリーグ所属のジュビロ磐田の前身)に入団。以来、2010年まで選手・指導者時代を通して30年以上ヤマハ・磐田に在籍した(ちなみにプロ契約はしていない「サラリーマン」であった)。選手としては1982年の天皇杯に優勝している。 1984年にヤマハのコーチに就任後、1995年までヤマハでコーチ・総監督、磐田でサテライト監督を務め、その後はフロント入りしていたが、2000年6月にトップチームのコーチとして現場に復帰。
中村 信彦(なかむら のぶひこ、1954年12月16日 - … 中村 信彦(なかむら のぶひこ、1954年12月16日 - )は、広島県東広島市出身の学生野球指導者。保健体育科教諭。 学生時代は、広島県立尾道商業高等学校、日本体育大学でプレー。 大学卒業後の1978年に母校の尾道商業高校に指導者として着任し、監督在任中には1981年(2回戦)、1982年(ベスト8)、1986年(ベスト8)にそれぞれ選抜大会に出場。監督在任中には、後にプロ入りする山内泰幸らを育てる。 その後は東広島市の広島県立賀茂高等学校でも指導を行ない、海田智行を育てる。 2007年からは、創部間もなく部員も少なかった呉市の呉市立呉高等学校硬式野球部監督に就任。2017年には、創部10年の短期間で第89回選抜高等学校野球大会に出場。
桝川 譲治(ますかわ じょうじ、1954年[[9月29日[]… 桝川 譲治(ますかわ じょうじ、1954年[[9月29日[]] - ) は日本の俳優、演出家。東京都出身。(有)ジョーズカンパニーを主宰している。日本体育大学荏原高等学校卒業。 高校在学中、スター誕生!に出場。第3回決勝大会に進むも、スカウトには至らなかった。同回出場には、鷲と鷹、最上由紀子がいた。 1973年、高校3年生の時にNHKのヤング101の第四期生となりNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』にレギュラー出演した。 1980年にオーデイションに合格してロック・ミュージカル『ヘアー』にて主演バーガー役でデビューする。その後は舞台と歌番組を中心に活動。 1983年に劇団四季に入団。
石井 隆士(いしい たかし、1954年8月27日 - )は、… 石井 隆士(いしい たかし、1954年8月27日 - )は、スポーツ科学者。日本体育大学教授。元陸上競技選手。 神奈川県秦野市出身。 神奈川県立秦野高等学校から日本体育大学へ進学。専門は中・長距離種目。 1500mの元日本記録保持者。この記録は当時のアジア記録と日本記録。(3分38秒24) 日本選手権の800mでは5連覇。1500mでは4度の優勝。 1976年-2022年までの46年間1500mの日本人学生記録保持していた。 また、大学4年時には日本選手権で800m、1500mで優勝、同年の全日本インカレでは800m、1500m(4連覇)、4×400mリレーのトラック種目で三冠を達成。年が明けた第53回箱根駅伝では、1区に出走し、スタート直後の読売新聞社曲り角から抜け出し独走体勢に入ると、2位に1分22秒の差をつけ、そのまま区間新記録(当時)で中継所へ襷を繋いだ。
数野 篤人(かずの あつひと、1954年 - )は、山梨県甲… 数野 篤人(かずの あつひと、1954年 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。山梨県立機山高等学校、日本体育大学卒業。 山梨県立機山工業高等学校を経て、1973年に日本体育大学に進学。日体大時代は2年次からレギュラーとなり、1974年度の春季対抗戦(関東大学サッカーリーグ戦一部)優勝、1975年度の全日本大学選手権大会優勝に貢献した。卒業後は郷里の山梨県で教師を務める傍ら日本サッカーリーグ(JSL)2部の甲府サッカークラブ(日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のヴァンフォーレ甲府の前身)に在籍。1978年シーズンにJSL2部で12得点を挙げ得点王に輝き、リーグ戦3位の原動力となった。 教職としては山梨県北杜市立小淵沢中学校校長、甲府市立甲運小学校校長、甲府市立上条中学校校長などを歴任後2014年3月に退職[要出典]。
山田 恵子(やまだ けいこ、1953年6月23日 - )は日… 山田 恵子(やまだ けいこ、1953年6月23日 - )は日本の女子陸上競技(短距離走)選手。 香川県綾歌郡端岡村(現:高松市国分寺町)出身。国分寺中学校、香川県立丸亀高等学校、日本体育大学卒。その後は教員となる。 高校1年生時の1969年インターハイで100メートルと200メートルの2冠を達成。3年生時の1971年にも再び100メートルと200メートルの2冠を達成し、この大会で丸亀高校は学校対抗(女子)で総合優勝した。 日本陸上競技選手権大会では1970年、高校2年生のときに100メートルと200メートルの2冠を達成。翌1971年にも2年連続で100メートルと200メートルの2冠を達成。その後、100メートルは1973年まで優勝して4連覇を達成。
長島 偉之(ながしま ひでゆき、1953年5月27日 - )… 長島 偉之(ながしま ひでゆき、1953年5月27日 - )は、日本のレスリング選手(フリースタイル)。1984年ロサンゼルスオリンピック銀メダリスト。栃木県足利市出身。栃木県レスリング協会理事長。 次男は2013年世界柔道選手権81㎏級日本代表の長島啓太。 ロス五輪当時、機械科2組の担任であった。が、試合のテレビ中継が無く、生徒はがっかりした為、凱旋時、知らん顔された。