スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
出野 勉(いでの つとむ、1952年10月23日 - )は、… 出野 勉(いでの つとむ、1952年10月23日 - )は、日本の元地方公務員、元会社役員。 静岡県職員、富士山静岡空港代表取締役社長、静岡県副知事を務めた。 静岡県・静岡市生まれ。福島県立福島高等学校を経て、1975年新潟大学人文学部法律学科卒業、静岡県入庁、民生部老人福祉課配属。静岡県企画部秘書室長、静岡県知事公室長、静岡県厚生部理事(ファルマバレー担当)、静岡県観光局長、静岡県文化・観光部長、静岡県知事戦略監兼企画広報部長等を経て、2013年退職。同年富士山静岡空港代表取締役社長。2018年富士山静岡空港参与(常勤)。2019年焼津市教育委員会教育委員。2020年任期満了に伴い退任した吉林章仁の後任として、静岡県副知事に就任。
熊坂 義裕(くまさか よしひろ、1952年〈昭和27年〉1月… 熊坂 義裕(くまさか よしひろ、1952年〈昭和27年〉1月10日 - )は、日本の内科医師、医学博士、元政治家。元岩手県宮古市長(旧市時代も含め、3期)。盛岡大学客員教授(元栄養科学部学部長、栄養科学科教授)、京都大学医学部非常勤講師。弘前大学医学部学部長講師。日本糖尿病学会専門医。 福島県福島市生まれ。福島市立野田小学校、福島市立野田中学校、福島県立福島高等学校を経て、東北大学工学部中退、弘前大学医学部卒業。 市長を経験した医師として、社会保障や災害復興、地方行政等について活発な提言を行っている。 1978年(昭和53年)に弘前大学医学部を卒業後、同大学医学部第三内科に入局し、同大学付属病院内科医師、同大学医学部助手となった。
風野 真知雄(かぜの まちお、1951年 - )は、日本の小… 風野 真知雄(かぜの まちお、1951年 - )は、日本の小説家。福島県須賀川市生まれ。本名は朝倉 秀雄。 福島県立福島高等学校を経て、立教大学法学部卒。 フリーライターとして活動したのち、1992年に「黒牛と妖怪」で歴史文学賞を受賞しデビュー。
遠藤 ミチロウ(えんどう みちろう、1950年11月15日 … 遠藤 ミチロウ(えんどう みちろう、1950年11月15日 - 2019年4月25日)は、日本のロックミュージシャン。本名は遠藤 道郎(読み同じ)。 福島県二本松市出身。1980年代から1990年代に活動していたパンク・ロックバンド、ザ・スターリンの結成者でありヴォーカリスト。スターリン解散以降はソロ、アコースティックバンドで活動し、還暦を越えても精力的にライブ活動を行っていた。
梅沢 富美男(うめざわ とみお、本名:池田 富美男、1950… 梅沢 富美男(うめざわ とみお、本名:池田 富美男、1950年11月9日 - )は、日本の俳優、歌手。大衆演劇「梅沢劇団」第3代座長、株式会社富美男企画代表取締役。妻の池田明子はフィトセラピスト(植物療法士)として活動中。身長169cm。体重72kg。血液型はB型。二女の父親。従甥(いとこ(梅沢の父の弟の長男)の息子)は2008年北京オリンピック男子バドミントン日本代表選手の池田信太郎。現在は東京都在住。
半沢 正利(はんざわ まさとし、1950年5月21日 - )… 半沢 正利(はんざわ まさとし、1950年5月21日 - )は、日本の原子力技術者、実業家、工学博士。三菱アルミニウム代表取締役社長や、日本アルミニウム協会副会長を務めた。 福島県福島市上鳥渡生まれ。福島県立福島高等学校を経て、東京工業大学工学部機械物理工学科卒業後、1979年東京工業大学大学院理工学研究科原子力核工学専攻博士課程修了、「低密度気体の超音速ディフューザーに関する研究」で工学博士。 1980年東京工業大学原子炉工学研究所助手。1983年三菱金属(現三菱マテリアル)入社。原子力関連の事業に携わり、六ヶ所再処理工場プロジェクトのプロジェクトマネージャなども務めた。2007年執行役員。2009年常務執行役員。
佐藤 B作(さとう ビーさく、1949年2月13日 - )は… 佐藤 B作(さとう ビーさく、1949年2月13日 - )は、日本の俳優。本名・佐藤俊夫(さとう としお)身長163cm。血液型AB型。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校卒業、早稲田大学商学部中退。妻は女優のあめくみちこ(2001年に結婚)、息子は佐藤銀平。劇団東京ヴォードヴィルショー主宰者。UAM株式会社所属(2023年2月より)。
菊池 一隆(きくち かずたか、1949年〈昭和24年〉 - … 菊池 一隆(きくち かずたか、1949年〈昭和24年〉 - )は、日本の歴史学者。専門は中国近現代政治経済史で、日中戦争史、台湾史、世界華僑史、中国協同組合史、歴史教科書問題など。愛知学院大学名誉教授。 ・『煙草ゲリラの反撃』(2022年、集広舎)
小山田 満月(おやまだ まんげつ、1948年〈昭和23年〉3… 小山田 満月(おやまだ まんげつ、1948年〈昭和23年〉3月24日 - 2018年〈平成30年〉3月21日)は、日本の元放送作家。元脚本家。日本脚本家連盟所属。元NSC東京校講師。本名は小山田 富夫(おやまだ とみお)。血液型はAB型。妻子あり。長男は俳優で音楽家の小山田織音。次男はWEBライターの小山田滝音。NHKの放送作家時代、親交が深かった人物として作家の滝大作がいる。福島県福島市出身。
平間 正博(ひらま まさひろ、1948年1月2日 - ) は… 平間 正博(ひらま まさひろ、1948年1月2日 - ) は、日本の化学者。東北大学名誉教授。 東京都目黒区出身。1966年福島県立福島高等学校卒業。1970年東北大学理学部化学科卒業。伊東椒の指導を受け、1972年東北大学大学院理学研究科化学専攻博士前期課程修了、住友化学工業入社。1977年東北大学大学院理学研究科化学専攻博士後期課程修了、理学博士、ピッツバーグ大学博士研究員。1978年マサチューセッツ工科大学博士研究員。1980年中西香爾が所長を務めていたサントリー生物有機科学研究所研究員に就任。1983年東北大学理学部化学第二学科助手。1986年同助教授。1989年同教授。2006年東北大学大学院理学研究科附属巨大分子解析研究センター長。
梅津 和宏(うめつ かずひろ、1947年8月31日 - )は… 梅津 和宏(うめつ かずひろ、1947年8月31日 - )は、日本の裁判官、検察官、弁護士。法務省大阪法務局長や、札幌地方裁判所所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任した。 福島県立福島高等学校を経て、1971年東北大学法学部法律学科卒業。和歌山地方裁判所判事補、札幌地方裁判所判事補、東京地方裁判所判事補、津家庭裁判所松阪支部判事、大阪地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、浦和地方裁判所判事、仙台地方裁判所部総括判事、東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事、法務省名古屋法務局長(検事)、法務省大阪法務局長(検事)、大阪高等裁判所判事等を経て、2006年旭川地方裁判所所長、旭川家庭裁判所所長。
萩原 伸次郎(はぎわら しんじろう、1947年8月- )は、… 萩原 伸次郎(はぎわら しんじろう、1947年8月- )は、日本の経済学者、横浜国立大学名誉教授。 京都市太秦生まれ。福島県立福島高等学校卒、1970年福島大学経済学部卒、1976年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位修得退学。1976年北海学園大学経済学部講師、77年助教授、1978年横浜国立大学経済学部助教授、1989年教授、2000-02年同学部長、2013年定年退任、名誉教授。米国マサチューセッツ大学経済学部客員研究員を務めた。専門は現代アメリカ経済政策論。2025年に『トランプ大統領の政治経済政策』で第十二回岡倉天心国際賞受賞。
加藤 英幸(かとう ひでゆき、1947年6月30日 - )は… 加藤 英幸(かとう ひでゆき、1947年6月30日 - )は、日本のヤクザ。指定暴力団・住吉会代表代理。十三代目幸平一家総長。福島県福島市生まれ。 福島県立福島高等学校時代は水泳部のキャプテン、国士舘大学時代は武道会派に所属した。大学下級生時代から渋谷の住吉会幸平一家池田会の事務所に出入りし池田会若頭補佐に就任し組織の広域化に尽力。1970年代に池田会と極東会による池袋抗争(十年戦争)勃発。1983年、抗争の拡大が懸念される中、住吉連合会会長・堀政夫と極東関口三浦連合総長・松山眞一の話し合いで和解、抗争終結。関東博徒の親睦団体である関東二十日会は、「一般民間人又は警察官並びにその抗争とはなんら関係のない人等に向かって危害を加えた場合は破門又は絶縁処分とする」との規定から池田会会長・池田烈を赤字破門処分、池田会は解散となる。
瀬戸 孝則(せと たかのり、1947年(昭和22年)6月3日… 瀬戸 孝則(せと たかのり、1947年(昭和22年)6月3日 - )は、日本の政治家。元福島県福島市長(3期)、元福島県議会議員(4期)。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校を経て、1970年(昭和45年)3月、早稲田大学法学部卒業。1987年(昭和62年)4月に福島県議会議員に初当選。以後、2001年10月11日に辞職するまで4期務める。この間、1997年(平成9年)には自民党県連の総務会長に就任している。 2001年(平成13年)11月18日執行の福島市長選挙に無所属 ( 自由党 (日本 1998-2003)、日本共産党、社会民主党推薦 ) で出馬し、佐久間博(無所属で自由民主党と民主党が推薦)を敗り初当選。
野木村 忠邦(のぎむら ただくに、1945年9月6日 - 2… 野木村 忠邦(のぎむら ただくに、1945年9月6日 - 2018年4月4日)は、日本の法学者。専門は、経済法・独占禁止法。日本大学法学部・大学院法務研究科教授。 1964年福島県立福島高等学校、1968年慶應義塾大学法学部卒、同大学院法学研究科単位取得満期退学。日本経済法学会理事、日本国際経済法学会理事等を歴任。 気鋭の経済法学者として著名。また、経済紙等への多くの寄稿でも知られている。父は福島大学教授、野木村規矩二(のぎむら きくじ。専門は哲学、東洋哲学。秋田師範学校男子部長、埼玉県立浦和第二高等女学校第4代校長などを歴任)、長男は千葉商科大学准教授、野木村忠度(のぎむら ただのり。専門は、流通政策、マーケティング)。
平沢 勝栄(平澤 勝榮、ひらさわ かつえい、1945年〈昭和… 平沢 勝栄(平澤 勝榮、ひらさわ かつえい、1945年〈昭和20年〉9月4日 - )は、日本の政治家、警察・防衛官僚。自由民主党所属の衆議院議員(11期)。 復興大臣(第11代)、自由民主党広報本部長、内閣官房長官秘書官、ワールドスケートジャパン会長などを歴任。 岐阜県大野郡白川村生まれ。生家は国の重要文化財に指定されている「旧大戸家住宅」(現在は下呂市の下呂温泉合掌村に移築されている)。のちに父親の仕事の都合により福島県に転居。福島県立福島高等学校、東京大学法学部卒業。同級生に白川勝彦、早川忠孝がいる。なお、大学時代に安倍晋三の家庭教師を約2年間務めていた。 1968年、東大法学部を卒業し警察庁に入庁。
国分 秀男(こくぶん ひでお、1944年3月28日 - )は… 国分 秀男(こくぶん ひでお、1944年3月28日 - )は、日本の元高校バレーボール指導者、東北福祉大学特任教授。古川商業高等学校(現・古川学園高等学校)で、長年にわたり女子バレーボール部の監督を務めた。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。1973年、横浜市の京浜女子商業高等学校(現・白鵬女子高等学校)に商業科教員として着任。その後宮城県大崎市(旧古川市)にある古川商業高等学校へ移る。 春高バレー(全国高等学校選抜優勝大会)や、インターハイ・国体などの全国大会の優勝回数で史上最多記録を持つ監督である。古川商業(現・古川学園)は全国大会の優勝回数と準優勝回数の合計が史上最多。
佐藤 博(さとう ひろし、1943年11月5日 - )は、日… 佐藤 博(さとう ひろし、1943年11月5日 - )は、日本のフォークシンガー、俳優、放送作家。福島県福島市生まれ。福島高校卒。 愛称はガン(GUN、GWAN、ぐぁん)。愛称の由来は、鳩が豆鉄砲をくらったような目をしているので、鉄砲=ガンと林隆三によって名付けられた。同音の病気にならないように願をかけているとも言われる。 初期のころには俳優としても、フォークシンガーとしても佐藤博での表記であったが、同姓同名のミュージシャンがいたため、2000年よりアメリカ進出とアジアっぽい響きを取り入れ、GWANをミドルネームとして、『佐藤GWAN博』を正式名称としている。 仕事の内容によって名前を使い分けており、別に放送作家としての活動に雁田昇(かりたのぼる)の名前を使う。
阿部 孝夫(あべ たかお、1943年(昭和18年)9月18日… 阿部 孝夫(あべ たかお、1943年(昭和18年)9月18日 - )は、日本の政治家、自治官僚。神奈川県川崎市長(第15・16・17代)。元個人情報保護委員会委員(常勤、2014年1月1日~2019年1月1日)。 福島県信夫郡水保村(現福島市)生まれ。福島県立福島高等学校卒業。1967年(昭和42年)3月、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。同年4月、自治省に入省した。以後本省での勤務や外務省(本省、在サンフランシスコ日本国総領事館領事)、環境庁(環境管理課長)、埼玉県、茨城県(財政課長)、石川県(企画開発部長、商工労働部長、総務部長)への出向、自治大学校教授、市町村アカデミー教授・研修部長を経て、1992年(平成4年)に退官し北陸大学法学部教授。
阿部 泰隆(あべ やすたか、1942年3月30日 - )は、… 阿部 泰隆(あべ やすたか、1942年3月30日 - )は、日本の法学者、弁護士(兵庫県弁護士会所属)。専門は行政法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1972年)。神戸大学名誉教授。元中央大学教授。 福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校卒業。1964年3月、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東京大学法学部助手(学士助手)となる。 1967年、神戸大学法学部助教授に就任。1972年、学位論文「フランス行政訴訟論 越権訴訟の形成と行政行為の統制」で東京大学より法学博士の学位を取得。 1977年、神戸大学法学部教授に就任。1993年、ドイツ・トリア大学客員教授に就任。2000年、神戸大学大学院法学研究科教授に就任。
秋葉 英則(あきば ひでのり、1941年1月22日 - 20… 秋葉 英則(あきば ひでのり、1941年1月22日 - 2014年11月9日)は、日本の心理学者。教育心理学、人格形成心理学が専門。大阪健康福祉短期大学元学長・大阪教育大学名誉教授。 福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校を経て東北大学教育学部教育心理学科卒業、同大学大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程修了。教育学博士。 1968年に大阪教育大学に着任。同大学では、教育学部教授(学校教育講座心理学教室)、副学長、付属図書館長などを歴任。2006年3月に大阪教育大学を定年退官。同年4月から、大阪健康福祉短期大学学長を務めた。 2014年11月9日、肺炎のため死去。 研究活動の一方で、教育委員会や民間教育団体などが主催する、教育・子育て・保育関連の問題をテーマにしたセミナー・講演会等の講師活動も精力的に行った。
長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 201… 長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家、編集者。 大学在学中から詩を書き始め、第1詩集『われら新鮮な旅人』(1965年)で注目された。その後、『深呼吸の必要』(1984年)、『世界は一冊の本』(1994年)などで読者層を広げた。 1939年、福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校卒業。 1958年3月に福島より上京。1959年4月、早稲田大学第一文学部独文専修に入学。 早稲田大在学中の1960年秋、関根久男と詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1963年3月、早稲田大学卒業。
安在 邦夫(あんざい くにお、1939年9月12日 - )は… 安在 邦夫(あんざい くにお、1939年9月12日 - )は、日本の歴史学者。早稲田大学名誉教授。専門は日本近現代史(特に自由民権運動史)。 1939年、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれる。1944年福島県安達郡に転居する。1958年福島県立福島高等学校卒業。1962年早稲田大学教育学部卒業。1966年早稲田大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了、文学修士。1968年、同博士課程入学。1978年早稲田大学第一文学部・第二文学部専任講師、1981年同助教授、1986年同教授。1996年早稲田大学第二文学部長。2010年定年退職、早稲田大学名誉教授。神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科非常勤講師(-2012年)。
長尾 三郎(ながお さぶろう、1938年 - 2006年)は… 長尾 三郎(ながお さぶろう、1938年 - 2006年)は、日本のノンフィクション作家。 福島県生まれ。福島県立福島高等学校を経て[要出典]、早稲田大学第一文学部演劇科中退。 大学在学中より著述業に入る。講談社系の週刊誌『女性自身』『週刊現代』等で記者として活動。当時の経験については、後に『週刊誌血風録』(2004年)にまとめられている。 1985年、加藤保男の評伝『エベレストに死す』が第7回講談社ノンフィクション賞の候補作に挙げられる。1986年、植村直己の評伝『マッキンリーに死す』で第8回講談社ノンフィクション賞を受賞。 2006年、がんのために死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
高橋 文二(たかはし ぶんじ、1938年 - )は、日本の国… 高橋 文二(たかはし ぶんじ、1938年 - )は、日本の国文学者、博士。駒澤大学名誉教授。 東京都生まれ。福島県立福島高等学校、1962年に駒澤大学文学部国文学科卒業。京都大学大学院文学研究科国語国文学専攻修士課程修了。1970年、京都大学大学院博士課程満期退学。 1972年より駒澤大学文学部国文学科講師。助教授を経て、1982年教授に就任。 1986年、学位論文「王朝文学論 自然描写と情念の働きから見た王朝仮名文学の特質」で博士(文学、駒澤大学)の学位を取得。 駒澤大学図書館長、文学部長。歴史文化学会理事、日本文学協会委員、全国大学理事など歴任。2009年、定年退職し名誉教授。 「国立国会図書館」を参照
石原 健太郎(いしはら けんたろう、1937年8月25日 -… 石原 健太郎(いしはら けんたろう、1937年8月25日 - 2020年7月5日)は、日本の元政治家。位階は従四位。 衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)、新自由クラブ国会対策委員長、通商産業政務次官(第1次海部内閣)、参議院選挙制度に関する特別委員会委員長、衆議院国会等の移転に関する特別委員会委員長などを歴任。 父石原幹市郎、母石原三起子の長男として生まれる。幼少期は内務官僚だった父とともに東京都、北海道、大阪府、福島県等で過ごした。福島時代には父親が福島県知事を務めている。 慶應義塾大学法学部卒業後は日本勧業銀行に入行するが、1年足らずで退職。北海道大学農学部研修生になり、福島県福島市荒井に入植して酪農業を営んだ。
舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )… 舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )は韓国京城府(現・ソウル特別市)出身の画家。新作家美術会、赤光社、福島青美会、会員 舘井は1981年の個展開催に際して、こう記している。「いつの頃からか ふと。一人で旅をするのが好きになりました。それは僕の内なるものが駆り立てる未知への憧憬でしょうか。太陽の下できらきらと光る海、そして山、湖 赤い屋根のある白壁の静かなたたずまい 知らず知らずに手が動くまま心に書き留めたのがこれらのスケッチです。」
朝倉 利光(あさくら としみつ、1934年1月20日 - )… 朝倉 利光(あさくら としみつ、1934年1月20日 - )は、日本の工学者。元北海学園大学学長、北海道大学名誉教授。専門は、応用光学、量子光工学など光学分野。工学博士(東京大学、1965年)。福島県出身。
千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日… 千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日本の映画監督、脚本家、教育者。市民グループ「地球家族の会」代表、日本映画学校校長、日本映画大学特任教授。キリスト教徒。川崎市のみやまえ映像コンクール審査委員長。 1933年2月12日、福島県福島市に9人兄妹の次男として生まれる[1]。福島県立福島高等学校卒業。高校時代は元総務官僚で川崎市長を務めた阿部孝夫と同窓。福島大学経済学部に入学し、役場で働きながらの学生生活を送る。仕事の合間に訪れた映画館で黒澤明監督の「生きる」を観た影響で映画監督を目指すことを決意。福島大学から日本大学へ編入をし、1956年に日本大学芸術学部映画学科を卒業。 大学卒業時に応募をした「新人シナリオコンクール」で入賞(千葉は最年少入賞、受賞者6人の中には既に助監督として働いていた深作欣二もいた。
後藤亘(ごとう わたる、1933年1月30日 - )は、日本… 後藤亘(ごとう わたる、1933年1月30日 - )は、日本の実業家。東京メトロポリタンテレビジョン株式会社名誉相談役、株式会社エフエム東京名誉相談役。 日本のエフエム放送の父。 福島県出身。福島県立福島高等学校、東北大学法学部卒業。東和映画(現:東宝東和)を経て、東北大学の先輩である松前重義の誘いにより東海大学超短波放送実用化試験局『エフエム東海』(エフエム東京の前身)に携わる。エフエム東海時代、現在も続く長寿番組『ジェット・ストリーム』を企画。 1970年3月17日、エフエム東海の改組により「株式会社エフエム東京(TFM)」が設立、初代営業部長に就任する。1977年に取締役総務部長就任。常務取締役、専務取締役営業本部長を経て、1989年6月、代表取締役社長に就任。
野崎 正剛(のざき せいごう、1931年5月3日 - 198… 野崎 正剛(のざき せいごう、1931年5月3日 - 1989年9月3日)は、大蔵官僚。世界銀行東京事務所長、大蔵省大臣官房審議官、大蔵省国際金融局次長、大蔵省印刷局長などを歴任。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校を経て、1956年一橋大学商学部卒業、大蔵省入省。大臣官房調査課(現在の総合政策課)配属。省内屈指の語学力を持ち国際畑を歩み、1973年大蔵省大臣官房財務官室長。1974年横浜税関総務部長、通関士試験試験委員。1975年大蔵省関税局国際第二課長。 1976年国際連合貿易開発会議日本政府代表代理。同年近畿財務局総務部長。1977年から大蔵省関税局国際第一課長を務め、東京ラウンドの取りまとめにあたった。
榊原 陽(さかきばら よう、1930年 - 2016年5月2… 榊原 陽(さかきばら よう、1930年 - 2016年5月25日(享年85歳))は、日本の実業家。 父は経済学者の榊原巌。母は衆議院議員の榊原千代。 福島県生まれ。福島高等学校を卒業。東京神学大学中退。 1962年、父母とテック(東京イングリッシュ・センター)を創業。1963年、東京言語研究所を創立(初代所長は服部四郎)。ロマーン・ヤーコブソンやノーム・チョムスキーら言語学者を招待し、講演、セミナーを行う。 1966年、谷川雁(山口健二を介して知合っていた)らと株式会社テックの一部門として、ラボ教育センター発足。のち、社長となる。1980年、谷川の退社とほぼ同じく、ラボ教育センターを退社。 1981年言語交流研究所創立に参加。
岩間 芳樹(いわま よしき、1929年(昭和4年)10月31… 岩間 芳樹(いわま よしき、1929年(昭和4年)10月31日 - 1999年(平成11年)6月13日 )は、日本の脚本家、作詞家。日本放送作家協会理事長。静岡県出身。 静岡県で生まれ、父の転勤で福島県に移る。福島県立福島高等学校を経て、早稲田大学第一文学部に入学するも、学生時代にNHKラジオドラマで脚本家としてデビュー。1952年に中退し脚本家に専念。民放ラジオやテレビ放送が始まるに合わせ脚本家として活躍する。 ドキュメンタリーを得意とし、社会派ドラマを次々と生み出し、『マリコ』(原作柳田邦男・NHK)で第32回芸術選奨放送部門大臣賞、1983年に日仏合作ドラマ『ビゴーを知っていますか』(NHK・アンテンヌ2)でエミー賞国際優秀賞、1993年11月22日放送の『定年、長い余白』(TBS)で第12回向田邦子賞受賞するなど数々の賞を受賞。
紺野昭(こんの あきら. 1928年1月3日 - 2013年… 紺野昭(こんの あきら. 1928年1月3日 - 2013年10月22日)は日本の都市研究家。豊橋技術科学大学名誉教授。 地域計画プランナーとして、日本の戦後の都市計画、地域開発を推進する担い手として活躍。研究業績は工業立地原単位に代表される明快な理論展開である一方で、地域計画の実践では理論化しきれない部分も多出するために計画のフィロソフィーという言葉で示した。フィロソフィー構築にあたって、2つの視点を強く求めた。第1は、地域の独自性から出発することであり全国分析から始めると研究も顕くことを指導した。第2は、出来ることと出来ないことを区分するということでこれは計画には不測の部分が必ず生じる。だからこそ出来る部分を明確にして、後は時間と共に修正せよということである。
宍戸 善次郎(ししど ぜんじろう、1925年1月10日 - … 宍戸 善次郎(ししど ぜんじろう、1925年1月10日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手。 旧制福島中学、全福島日東紡、法政大学を経て1950年に創設された近鉄パールスへ入団。同年9月17日に大阪球場で初めて開催されたプロ野球公式戦(対阪急戦)で球場第1号となるホームランを打っている。 1951年は開幕戦(対南海戦)に9番ショートで先発出場した。同年に退団し、日石カルテックスでプレー。その後は日本石油仙台支店で総務部長を務めていた。 現役時代はメガネがトレードマークの選手だった。
佐藤 庄市郎(さとう しょういちろう、1924年2月16日 … 佐藤 庄市郎(さとう しょういちろう、1924年2月16日 - 2024年5月20日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 福島中学校(現福島県立福島高等学校)、第一高等学校、東京大学法学部卒業。戦時中に海軍に取られ、戦後に復学して1950年に弁護士になる。翌1951年に外国人弁護士とともに事務所を開いた渉外弁護士の草分け。石油会社、商社の顧問弁護士などをし、日弁連事務総長、第一東京弁護士会長を務めた。1988年の日弁連会長選挙に立候補したが、敗れた。 1990年2月に最高裁判事に就任。 1994年2月に定年退官。TBSビデオ問題では当時の郵政省から特別調査員として招かれた。 1996年、勲一等瑞宝章受章。
大高 正人(おおたか まさと、1923年9月8日 - 201… 大高 正人(おおたか まさと、1923年9月8日 - 2010年8月20日)は日本の建築家、都市計画家。福島県三春町出身。 福島県三春町に生まれる。祖父が三春藩士で河野広中をリーダーに自由民権運動の激しい戦いに身を投じ、苦難の境涯に屈することはなかったが、運動はもはやこれまでと自ら命を絶ったとされ、大高の父は、これを隠して弾圧を逃れる生活を送り、大高の生後間もなく福島市近郊に移った。 1940年旧制福島県立福島中学校(現福島県立福島高等学校)卒業。在学中器械体操部のマネージャーと美術部部長をつとめる。このころや少年時代のもっとも楽しかった想い出は、風景を水彩で写生したことだという。 41年旧制浦和高等学校理科入学。
田中 善六(たなか ぜんろく、1922年5月15日 - 20… 田中 善六(たなか ぜんろく、1922年5月15日 - 2002年3月15日)は、日本の経営者。福島県出身。株式会社クラロンの創業者であり、元代表取締役。国際ロータリー第253区ガバナーなども歴任した。
工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 -… 工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 - 2008年7月9日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。本名は、工藤 精一(くどう せいいち)。日本ロシア文学会会員。 福島県生まれ。福島中学(現福島県立福島高等学校)卒業。ハルピン学院卒業。日ソ文化交流機関講師、関西大学教授等を務めた。 数多くのロシア文学・ロシア語文献を翻訳した。
斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2… 斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2012年11月4日)は、日本の内科学者。専門は、糖尿病、癌化学療法。医学博士。 福島県福島市生まれ。 福島中学(現福島県立福島高等学校)を経て第二高等学校 (旧制)から、東北帝國大学医学部卒業。1938年、同医学部内科教室(教授・山川章太郎)に入局。1947年、青森医学専門学校教授。1952年、東北大学医学部内科助教授(教授・黒川利雄)。1959年から1年間、アメリカ国立がん研究所 (NCI) に留学。1963年、東北大学抗酸菌病研究所教授(癌化学療法部門、1969年臨床癌化学療法部門と改称)、1974年、同研究所所長・東北大学評議員。
吉井 忠(よしい ただし、1908年7月25日 - 1999… 吉井 忠(よしい ただし、1908年7月25日 - 1999年8月5日)は、日本の洋画家。 福島県出身。1928年帝展で「祠」が初入選。 1938年美術文化協会創立会員。1946年、日本美術会創立会員。1964年主体美術協会創立会員。 太平洋美術研究所に入り、靉光、麻生三郎、井上長三郎、鶴岡政男、寺田政明、松本俊介らを知る。 熊谷守一、峯孝、寺田政明、高山良策らと池袋モンパルナスと称される美術家の地域コミュニティを形成。 戦後、「アトリエ」などを中心に美術評論分野でも活躍。児童書などに挿絵を書く。「土民派」を自認した。 福島県立美術館、宮城県美術館などに作品が所蔵されている。 娘の吉井爽子も画家(女子美術大学洋画科出身)である。
岡本 敏明(おかもと としあき、明治40年(1907年)3月… 岡本 敏明(おかもと としあき、明治40年(1907年)3月19日 - 昭和52年(1977年)10月21日)は、昭和時代に活躍した日本の音楽家(作曲家)。 1929年(昭和4年)、玉川学園教師、1940年(昭和15年) 、日本放送合唱団で指揮を5年とった後、1942年(昭和17年)からは興亜工業大学(現・千葉工業大学)の音楽担当教員(正科目)などを務めた。戦後は国立音楽大学の設立に携わるとともに文部省図書編集委員として、音楽教科書、音楽学習の指導要領の作成に携わった。また日本基督教団讃美歌委員としても活躍。多くの讃美歌を残す。父は組合教会牧師岡本松籟。教会においてオルガンの音を聴きつつ育った。
村岡 勇(むらおか いさむ、1906年 - 1993年)は、… 村岡 勇(むらおか いさむ、1906年 - 1993年)は、英文学者。東北大学名誉教授。
八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 20… 八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 2004年4月23日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)。日本社会党副委員長を歴任。 福島県伊達郡飯野村(飯野町を経て現福島市)に生まれる。福島中学校(現福島県立福島高等学校)を経て、早稲田大学専門部法科卒業。旧制中学の恩師だった阪本勝(後の衆議院議員、兵庫県知事)を頼り、安部磯雄らの日本フェビアン協会に参加。河上丈太郎、賀川豊彦、櫛田民蔵の知遇を得る。日本労農党、社会大衆党などに参加して無産政党運動をする。1929年に郷里に帰って東北新人会を結成、伊達郡を中心に小作争議を指導し度々投獄される。1933年に全国農民組合(全農)中央委員に選出。
羽田 武嗣郎(はた ぶしろう、1903年〈明治36年〉4月2… 羽田 武嗣郎(はた ぶしろう、1903年〈明治36年〉4月28日 - 1979年〈昭和54年〉8月8日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。第80代内閣総理大臣を務めた羽田孜の父。 長野県小県郡和田村(現・長和町)に羽田貞義の三男として生まれる。福島中学(現・福島県立福島高等学校)、旧制新潟高等学校を経て、1929年に東北帝国大学法文学部卒業。東京朝日新聞社に入社し、政治部に勤務。 政治部記者から鉄道大臣秘書官となり、1937年に立憲政友会公認で第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選。「羽田書店」を創立する。社員には後に独立してみすず書房を創業する小尾俊人らがいた。 1939年の政友会分裂に際しては中島知久平が総裁を務める政友会革新同盟(革新派、中島派)に所属。
長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29… 長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29日 - 1967年(昭和42年)4月17日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第2代海上幕僚長。海兵49期、海大甲種30期。 福島県福島市出身。福島県立福島中学校(現・福島県立福島高等学校)を経て、海軍兵学校に進む。海軍時代は主に人事畑を歩む。 戦後、公職追放を経て、山本善雄元少将、保科善四郎元中将、野村吉三郎元大将のラインで海軍再建計画を進める。これが後にY委員会に発展、同委員会において渉外及び制度、機構、定員等の立案する部門を担当する。海上幕僚長に就任後は掃海隊、練習隊群、需給統制隊、海上訓練指導隊、術科学校、遠洋航海など今日の海上自衛隊の骨格となる部門を次々に発足させ、海上自衛隊の実質的な開祖とされる。
安岡 正光(やすおか まさみつ、1896年(明治29年)2月… 安岡 正光(やすおか まさみつ、1896年(明治29年)2月15日 - 1962年(昭和37年)4月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選山梨県知事。 福島県伊達郡梁川町(現伊達市梁川町)元陣内で、眼科医・安岡正熈(せいき)の二男として生まれる。梁川小学校、福島中学校(現福島県立福島高等学校)を経て第一高等学校を卒業。1918年10月、高等試験に合格。1919年(大正8年)、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年7月に 内務省に入省し内務属・会計課勤務となるが休職となり、同年12月に一年志願兵として善通寺歩兵第43連隊に入隊し現役満期後に再び内務属となった。 以後、1921年(大正10年)4月に長崎県警視、同年12月神奈川県警視、1923年(大正12年)4月に愛媛県理事官となり、1925年(大正14年)5月に兵庫県に転じ、1929年(昭和4年)7月岡山県書記官・学務部長、1931年(昭和6年)1月長崎県書記官・学務部長、同年12月千葉県書記官・警察部長、1932年(昭和7年)8月京都府書記官・警察部長、1935年(昭和10年)1月広島県書記官・総務部長、1937年(昭和12年)7月兵庫県書記官・総務部長、1939年(昭和14年)4月神奈川県書記官・総務部長などを歴任。
毛利 基(もうり もとい、1891年2月11日 - 1961… 毛利 基(もうり もとい、1891年2月11日 - 1961年12月17日)は、日本の内務官僚。特別高等警察で活動、佐賀県・埼玉県などの警察部長を歴任した。 1891年、福島県伊達郡大木戸村に生まれる。大木戸小学校から旧制福島県立福島中学校(現・福島県立福島高等学校)に進学するが、父親の死により2年で中退する。その後上京して警視庁の試験を受け、1915年に警視庁巡査になる。 巣鴨署に配属された毛利は高等課労働係に所属した。ここから毛利と共産党との関係が始まる。また猛勉強を重ね巡査部長、警部補と、とんとん拍子に出世した。警視庁特別高等課労働係として、1928年の日本共産党などの一斉検挙三・一五事件の内偵に従事。
宍戸 左行(ししど さこう、1888年11月5日 - 196… 宍戸 左行(ししど さこう、1888年11月5日 - 1969年2月3日)は日本の漫画家。本名は宍戸 嘉兵衛。 1888年、福島県に生まれる。旧制福島中学校(のちの福島県立福島高等学校)卒業。 1907年、絵の勉強のためアメリカ合衆国のシアトルに渡り、キャノン画塾で洋画を、通信教育で漫画の技術を学んだ。9年間のアメリカ滞在中、毎日のように映画を見たと回想しており、これがのちの漫画制作に活かされたとされる。 1923年に帰国。東京毎夕新聞社に入社し政治漫画を手掛けた。その後、東京日日新聞、やまと新聞にも寄稿。左行というペンネームは、アメリカからの帰国後に見た「左側通行」の立て札から。1926年、村山知義、柳瀬正夢らとともに「日本漫画家連盟」の結成に参画する。
石射 猪太郎(いしい いたろう、1887年2月6日 - 19… 石射 猪太郎(いしい いたろう、1887年2月6日 - 1954年2月8日)は、日本の外交官。 日中戦争初期に外務省東亜局長を務めた。戦争拡大に走る軍部に抵抗し、日中和平を試みたことで知られる。外務省東亜局長(海外の外務省では、次官補クラス、のち大東亜省)、駐タイ特命全権大使、駐ブラジル特命全権大使、駐ビルマ特命全権大使を歴任。 1887年、福島県西白河郡川崎村に石射文五郎の長男として生まれた。福島中学(現:福島県立福島高等学校)を経て、1908年、東亜同文書院を卒業し満鉄に入社。その後父の仕事を手伝うべく退社したが、父が事業に失敗し失業。岳父(福島県山白石村の農家で多額納税者)から生活援助を受けながら外交官及領事官試験の勉強に励み、2回目の挑戦で合格した。