スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
櫻井 孝頴(さくらい たかひで、1932年(昭和7年)10月… 櫻井 孝頴(さくらい たかひで、1932年(昭和7年)10月30日 - 2014年(平成26年)1月3日)は、日本の実業家、第一生命保険社長。 埼玉県出身。趣味は読書。埼玉県立浦和高等学校を経て、1955年(昭和30年)、東京大学経済学部卒業、第一生命保険入社。1981年(昭和56年)取締役財務第一部長、1983年(昭和58年)常務取締役財務企画部長、1986年(昭和61年)代表取締役副社長、1987年(昭和62年)代表取締役社長、1997年(平成9年)代表取締役会長、2004年(平成16年)相談役。 2013年(平成25年)旭日重光章受章。 2014年(平成26年)1月3日午後10時44分、肺癌のため東京都文京区の病院で死去、81歳没。
新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3… 新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3日 - 2020年〈令和2年〉12月19日)は、日本の政治家。元大宮市長(第16代 - 第18代〈最終〉)。中央大学商学部卒業。埼玉県北足立郡大宮町(現:さいたま市)出身。父は元埼玉県議会議長を務めた新藤元吉。 大宮市の助役、市長を務めていた1980年代から90年代にかけては、JR東日本、ルミネ等と協力し大宮駅の利便性向上に貢献した。また、大宮市長選挙に初の立候補をした時から、政令指定都市移行をいち早く打ち出した。まんが「大宮の歴史」 などの書籍を刊行し、大宮市のPRと活性化に尽力。また同市は財政の緊縮を進め、地方交付税不交付団体となった。
神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 199… 神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 1996年4月18日)は、日本の美術史家。上智大学名誉教授。専攻は16世紀のバロック期(スペイン黄金時代美術)からパブロ・ピカソに至るスペイン美術史。 山口県下関市長府町生まれ。浦和市(現さいたま市)に転居し、1948年(昭和23年)埼玉県立浦和高等学校を卒業、1956年上智大学経済学部を卒業。在学中に聖イグナチオ教会で受洗し、カトリック信者となる。同年から1959年までスペイン政府給費留学生としてマドリード・コンプルテンセ大学に留学、1965年に上智大学外国語学部助教授、1969年に教授。1970年にスペインの芸術文化勲章である「賢王アルフォンソ十世章」を受章。
飯島 光雄(いいじま みつお、1932年 - 2021年)は… 飯島 光雄(いいじま みつお、1932年 - 2021年)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局長等を経て、1990年(平成2年)から1994年(平成6年)までジンバブエ駐箚特命全権大使を務めた。 日本統治時代の朝鮮で生まれる。埼玉県立浦和高等学校を経て、1956年一橋大学法学部卒業、外務省入省。国際連合日本政府代表部一等書記官、国際連合日本政府代表部参事官、外務省経済協力局書記官を経て、1976年外務省経済協力局技術協力第二課長。1978年在パキスタン日本国大使館参事官。 1981年在ノルウェー日本国大使館公使。1983年内閣審議官(内閣官房内閣審議室)兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局局長。
小川游(おがわ ゆう、1932年 - )は、満洲国出身の洋画… 小川游(おがわ ゆう、1932年 - )は、満洲国出身の洋画家。浦和画家のひとり。一水会代表。さいたま市美術家協会会長。 満洲国四平街に生まれ、戦後引き揚げて浦和中学校に編入学、在学中に高田誠に師事してデッサンや油彩画を学んだ。東京芸術大学美術科卒業後、浦和市内の中学校の美術教師となった。2016年(平成28年)には北海道河西郡中札内村にある中札内美術村にて小川游作品館が開館。
九里 幾久雄(くのり いくお、1932年 - )は、日本の歴… 九里 幾久雄(くのり いくお、1932年 - )は、日本の歴史学者。専門は西洋史。浦和大学名誉教授、学校法人九里学園理事長、新しい歴史教科書をつくる会理事を務める。 埼玉県立浦和高等学校卒業。東京大学文学部西洋史学科卒業。林健太郎に師事。1974年から1978年まで埼玉県教育委員会の指導主事をつとめる。この間、文部省の委員会で学習指導要領や教科書検定基準の選定に参画する。1984年より、埼玉県立上尾高等学校、埼玉県立戸田高等学校校長を歴任。1990年より、浦和短期大学経営科教授・私立浦和実業学園高等学校校長に就任。
小松崎 邦雄(こまつざき くにお、1931年9月2日 - 1… 小松崎 邦雄(こまつざき くにお、1931年9月2日 - 1992年12月28日)は、東京都出身の画家。浦和画家のひとり。 日暮里に生まれ、9歳の時、浦和で料亭を営んでいた叔母の縁で浦和市高砂町に転居。浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に入学し、2年生だった14歳の時に高田誠につきデッサン、油彩を学んだ。 東京芸術大学油画科に入学すると高田の師であった安井曾太郎の教室に入った。翌年に安井が退職したため林武の教室に入った。大学卒業後、同大学油絵専攻科に進み、一水会への出品が始まった。東京芸術大学講師も務めた。
窪田弘(くぼた ひろし、1931年7月4日 - 2013年1… 窪田弘(くぼた ひろし、1931年7月4日 - 2013年1月31日)は日本の大蔵官僚。経済企画庁長官官房長、理財局長、国税庁長官、国民金融公庫副総裁、北海道東北開発公庫総裁、日本債券信用銀行頭取、同行会長などを歴任した。 岡山県生まれ。祖父は行政裁判所長官の窪田静太郎。埼玉県立浦和高等学校から東京大学に入学。1953年10月 東京大学法学部第1類(私法コース)在学中に国家公務員試験(法律職)を合格。東大法学部第1類(私法コース)卒業。1954年 大蔵省入省(銀行局検査部審査課)。課長補佐時代は主計局総務課長補佐(歳入・企画)など、主計局を中心に勤務。1974年12月 内閣総理大臣秘書官(事務担当)。
大谷 羊太郎(おおたに ようたろう、1931年2月16日 -… 大谷 羊太郎(おおたに ようたろう、1931年2月16日 - 2022年2月28日)は、日本の小説家、推理作家。本名、大谷一夫。 大阪府東大阪市にて出生、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。埼玉県立浦和高等学校卒、慶應義塾大学国文科中退。 小説家に憧れていた母親によって、子供のころから新聞小説を読まされていたが、当初は小説家になる気は起きなかったという。大学時代は純文学に傾倒。終戦後、アメリカ音楽に心酔し、スチールギターを弾くようになる。父の破産後はバンドマンとなり、芸能界入り。大学在学中にプロミュージシャンとしてデビュー。後、「秀和プランニング」で克美しげるのマネージャーを務めた。 だが、「浮草稼業」から脱却するために小説を書き始めて江戸川乱歩賞に応募するようになる。
杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日… 杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日本の元俳優、華道家。東京市小石川区春日町(現:東京都文京区)出身。本名は杉田 康恕(すぎた やすのり)。 旧制浦和中学校(現:埼玉県立浦和高等学校)、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学卒業。 大学で演劇と出会い、卒業と同時に俳優として大映東京撮影所に入社し、15年間映画やテレビドラマで活躍した。1972年、華道家である父・先代六世香翠より七世を継承。俳優から華道家に転身、桂古流・桂流の家元となる。日本いけばな芸術協会参与、さいたま市いけばな芸術協会会長、埼玉県いけばな連合会理事長を務める。 ※『ブルークリスマス』、『THWAY 血の絆』以外大映作品。
杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017… 杉田 豊(すぎた ゆたか、1930年7月13日 - 2017年5月19日)は、グラフィック・デザイナー、絵本作家。筑波大学名誉教授(平成6年度付与)。
石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2… 石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2012年9月18日)は、日本の科学者、歴史情報研究者。専門は理論生物学など。統計遺伝学においての数少ない理論家。理系文系にまたがる幅広い研究領域を持つ研究者。理学博士・農学博士・工学博士。東京生まれ。1984年6月19日より母方の石原姓を名乗る。出生名は志方 守一(しかた もりかず)。 母方の祖父:石原正治(1873 - 1945)は、工科大学(現東京大学工学部)機械科卒。新橋起点の蒸気機関鉄道山陽鉄道等の発展に寄与し、鉄道高速化により日露戦争勝利にも貢献した。旅順工科学堂(旅順工科大学の前身)創設機械科科長教授。偉大な実践的学究といわれ、南満州鉄道超特急アジア号開発に注力し、世界初の冷房設備搭載客車を創設した。
菅野 昭正(かんの あきまさ、1930年1月7日 - )は、… 菅野 昭正(かんの あきまさ、1930年1月7日 - )は、日本の文芸評論家・フランス文学者。東京大学名誉教授・日本芸術院会員。
川村 親光(かわむら ちかみつ、1928年 - 2020年)… 川村 親光(かわむら ちかみつ、1928年 - 2020年)は、埼玉県出身の画家。第4代埼玉県美術家協会会長。一水会特別会員。 北足立郡浦和町(のち浦和市)に生まれ、埼玉県立浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)を卒業、叔父の洋画家関口隆嗣の紹介で寺内萬治郎の指導を受けた。日展初入選後は高田誠に師事し、一水会への出品を続けた。 作品の一部は埼玉県立近代美術館に収蔵されている。
堀口 英雄(ほりぐち ひでお、1927年4月18日 - 20… 堀口 英雄(ほりぐち ひでお、1927年4月18日 - 2022年2月3日) は、埼玉県浦和市出身 のサッカー元日本代表選手。 麗和サッカークラブ元会長、岩宿遺跡石器づくり友の会元会員 浦和仲町の呉服商(油仙呉服店)堀口甚吉の長男。 浦和町立第二尋常小学校(現さいたま市立常盤小学校) 埼玉県立浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校) 土浦海軍航空隊甲種飛行予科練入隊後、三重航空隊奈良分遺隊、峯山海軍航空隊、福岡海軍航空隊小富士分遺隊、土浦海軍航空隊にて終戦(一等飛行兵曹)。 旧制早稲田大学商学部へ進学しア式蹴球部へ入部、4年時主将として第1回早慶サッカー定期戦 (戦後初のナイター試合)、松永碩とともに日本代表に選出され、第1回アジア大会(インド:ニューデリー)にて3位銅メダルを獲得。
原 昭二(はら しょうじ、昭和2年(1927年)1月 5日 … 原 昭二(はら しょうじ、昭和2年(1927年)1月 5日 - 令和5年(2023年)6月 8日)は薬学者。東京薬科大学名誉教授。世界に先駆けて、光学異性体(対掌体)を高速液体クロマトグラフィー (HPLC)で分割することに成功し、核磁気共鳴(NMR)によって、鏡像体過剰率(混合比率)の高精度な計測法を確立した。さらに二酸化炭素の超臨界流体を用いて、秒単位の光学分割技術を開発したことで知られる。 原 昭二は、昭和25年(1950年)、東京大学医学部薬学科を卒業し、東京大学大学院に進んで、薬化学を専攻した。初期の研究は、分析化学、合成化学の基礎を研鑽することに始まり、業績として液体クロマトグラフィーの技術革新、天然有機化合物の構造研究、合成研究(猛毒成分として知られるアコニット・アルカロイドの構造決定、サラマンダーアルカロイド の全合成 など)、広領域にわたって先導的な成果を得た。
井原 勇(いはら いさむ、1926年〈大正15年〉11月17… 井原 勇(いはら いさむ、1926年〈大正15年〉11月17日 - 2007年〈平成19年〉10月7日)は、日本の政治家。与野市長(第8代 - 第12代〈最終〉)。さいたま市長職務執行者。 埼玉県北足立郡与野町(現さいたま市中央区)出身。旧制浦和中、東京大学工学部を卒業後、新潟鐵工所に入社。新潟コンバータ取締役や大宮工場長を経て、1979年に与野市の収入役に就任した。1983年、白鳥三郎の事実上の後継指名を受け市長選挙に立候補し当選、第8代与野市長に就任した。その後5期18年、さいたま市として合併するまで市長を在任した。 篤実な人物で、2001年5月の合体合併によるさいたま市設置に際しても、浦和方と大宮方の仲介役として、さいたま市の誕生に大きな役割を果たした。
喜多 迅鷹(きた としたか、1926年1月11日 - 201… 喜多 迅鷹(きた としたか、1926年1月11日 - 2015年9月12日)は、日本の翻訳家、画家。 長崎市生まれ。埼玉県立浦和中学校、第一高等学校を経て、1948年東京大学法学部卒。埼玉県立浦和高等学校、東京都立大学附属高等学校教諭のほか、東京都立大学 、横浜市立大学講師を務めたが、1971年、学園紛争を機に画業に転向。 1992年「東京を描く市民の会」創立に参加。1994年「彩の国を描く会」を創立、主宰。2001年読売・日本テレビ文化センターで「ペン水彩」講座開講。2002年読売・日本テレビ文化センターで「模写による西洋美術史」講座開講。
竹内 敏晴(たけうち としはる、1925年(大正14年)3月… 竹内 敏晴(たけうち としはる、1925年(大正14年)3月31日 - 2009年(平成21年)9月7日)は、東京生まれの日本の演出家。「竹内レッスン」と呼ばれる演劇的レッスンを基にした独自の「からだとことば」のワークショップを主宰した。 生後すぐに難聴になり耳がまったく聞こえなくなった後、少年期から青年期にかけて薬による治療効果で徐々に片耳が聞こえるようになり、一般には自然に済んでしまう言語習得を意識的に自力で行わなければならなかった、という特殊な経験と、その間培われた鋭敏な感覚により、人と人とが声やことばを本当には交わし合ってはいないこと、つまりふれあっていないことに気づき、演出家への道を歩む上で演技とは何かを追求することと相まって、演技レッスンにより、人と人との真のふれあいとは何か、出会いとは何かを探り、一人一人の人間的可能性を開くことを目指すようになる。
新藤 貞文(しんどう さだふみ、1925年1月24日 - 没… 新藤 貞文(しんどう さだふみ、1925年1月24日 - 没年不明)は、埼玉県出身のプロ野球選手。 旧制浦和中学から中央大学を経て1950年に阪急ブレーブスへ入団。1951年に退団し、その後は鐘淵化学でプレーした。
鴨澤 巌(かもざわ いわお、1924年3月 - 2003年2… 鴨澤 巌(かもざわ いわお、1924年3月 - 2003年2月4日)は、日本の経済地理学者、トルコ研究者、法政大学名誉教授、特定非営利活動法人難民支援協会初代代表理事。 1924年3月、当時の東京市本郷区(現在の文京区の一部)に生まれ、後に埼玉県北足立郡浦和町(浦和市を経て、現在のさいたま市)へ移り、浦和町立浦和尋常高等小学校分校(現在のさいたま市立常盤小学校)、埼玉県女子師範学校付属小学校に学び、1936年に埼玉県立浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)、1942年に浦和高等学校 (旧制)(理科乙類)に入学した。浦和高等学校では気管支喘息の悪化のため留年を余儀なくされ、また、学徒勤労動員で理化学研究所の圧延工場での労働も経験した。
仁田 三夫(にった みつお、1924年 -)は、日本の写真家… 仁田 三夫(にった みつお、1924年 -)は、日本の写真家、考古学者。 埼玉県川口市生まれ。埼玉県立浦和高等学校卒業、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を卒業後、主として西欧の風景写真を主として撮影している。1970年頃より、その文化的根源であるエジプト文明とその文物と古代エジプトの遺跡と壁画を、エジプト政府(考古省)の了解を得て、ルクソールの女神の神殿の壁画、ルクソールのファラオの壁画、ツタンカーメン王の壁画を中心に、当時初の非熱源の照明装置と大型撮影装置を駆使し、困難を極めた古代壁画の撮影を行った。その後も70回以上、古代壁画を中心にエジプト考古学の文物の撮影と考古学的研究のため、エジプトを再三訪れ、エジプトの首脳陣との交流を深め、多数のエジプトの文物の写真画像を記録している。
井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈… 井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈大正11年〉8月29日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は、日本の政治家・実業家。埼玉県与野市議会議員・埼玉県議会議員・与野フードセンター初代社長を歴任した。元与野市長・さいたま市長職務執行者の井原勇は実弟、衆議院議員の井原隆は孫である。 埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身。貿易商に勤めていた井原和一(旧姓:網野)の長男として生まれる。井原家は与野でも有数の名家で、弥一郎の曾祖父である弥四郎・祖父である貞亮(ていすけ)はともに与野町長を務め、貞亮の娘婿となった和一ものちに与野町会議員・与野町長・埼玉県議会議員を務めることになる名望家であった。
平柳 育郎(ひらやなぎ いくろう、1922年(大正11年)5… 平柳 育郎(ひらやなぎ いくろう、1922年(大正11年)5月23日 - 1944年(昭和19年)1月4日)は、日本の海軍軍人。海兵70期首席。最終階級は海軍大尉。 歩兵第58聯隊大隊長(1920年〈大正9年〉8月10日 -1922年〈大正11年〉3月31日)から東京の陸軍兵器本廠廠員(1922年〈大正11年〉4月1日-1923年〈大正12年〉3月16日)に転属となった福井県士族・陸軍歩兵少佐の平柳竹志(陸士14期)の三男として生まれる。 父・竹志は育郎が生まれた翌年の1923年(大正12年)3月17日に陸軍歩兵中佐に昇進と同時に待命を命じられ、同年3月31日を以て陸軍軍備縮小の影響で予備役編入、退職。
正野 三郎(しょうの さぶろう 1922年(大正11年)3月… 正野 三郎(しょうの さぶろう 1922年(大正11年)3月10日 - )は埼玉県与野市(現さいたま市)出身の実業家・文筆家。 知己であった与野市議会議員(のちに埼玉県議会議員)の井原弥一郎(元与野市長・井原勇の実兄)と共に食品スーパーマーケット経営の(株)与野フードセンターを創業。 与野フードの専務や社長・会長等を歴任する一方で、日本全国の中小スーパーを組織化。ボランタリーチェーンである協同組合セルコチェーン(全国セルコグループ)を設立し20年近く代表を務めた他、全国スーパーマーケット協会の副理事長も務めた。 現役の経営トップだった時代だけではなく経営の一線から退いた後も文筆活動に精力的に取り組み、食品小売業の経営哲学や井原弥一郎初代社長・与野フード従業員らとのエピソード等を多く含んだ与野フード社史も兼ねた自伝・回顧録や、少年時代の円阿弥(えんなみ)地域での思い出を基に執筆した児童書など5冊の書籍を出版した。
小川 信(おがわ まこと、1920年12月31日 - 200… 小川 信(おがわ まこと、1920年12月31日 - 2004年11月15日)は、日本の日本史学者。日本学士院賞受賞者。國學院大學名誉教授。 専門は日本中世史。室町時代政治史をテーマとし、考証に重きをおいた。晩年、歴史地理的な研究にも取り組んだ。自身が中心となって『久我家文書』編纂・刊行に従事。 東京市に生まれる。1938年暁星中学校卒業。1940年國學院大學予科修了。1942年9月國學院大學史学科卒業。卒業論文は「荘園内に於ける番頭に就いて」。同年10月応召。後、陸軍少尉に至る。1945年8月シベリア抑留。1948年5月復員。10月埼玉県立浦和高等学校教諭。1949年暁星高等学校講師。1952年麻布高等学校講師。
宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 19… 宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 1980年11月27日)は、日本の医師。胃カメラの開発者の1人。 長野県上伊那郡小野村(現在の辰野町小野)出身。その後、埼玉県の大宮に移り、浦和中学、浦和高校、東京帝国大学医学部に進学し、1943年に卒業した。 卒業後、東京大学附属病院分院の外科に勤務が決まっていたが、軍医候補生として召集され中国に従軍した(第58師団司令部に所属した)。1946年に復員し、外科副手となった。1948年に林田健男助教授のもとで胃カメラの開発に着手し、オリンパス光学工業の技師であった杉浦睦夫と深海正治と共同で1950年に胃カメラを世界で初めて完成させた。1950年に医学博士を取得した。
大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年〈大正8年〉2月… 大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年〈大正8年〉2月5日 - 2018年〈平成30年〉3月29日)は、日本の外交官、外務省官僚。駐米大使、駐豪大使、世界平和研究所理事長などの重職を歴任した。位階は正三位。勲一等瑞宝章、紺綬褒章受章者。 群馬県安中市中宿に生まれる。埼玉県立浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)、台中州立台中第二中学校[要出典]、第一高等学校を経て、1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部卒業。 1942年(昭和17年)に外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。第8根拠地隊司令部付兼ラバウル民政部庶務主任となる。
松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 201… 松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 2015年10月30日)は、日本の俳人、俳句研究家、国文学者、作詞家。埼玉大学名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。従四位。 埼玉県大石村(現・上尾市)出身。本名の読みは「あきら」。東京文理科大学卒業後、埼玉県立浦和高等学校で教鞭を執った。埼玉大学教育学部助教授、教授、1972年から1975年まで埼玉大学教育学部附属小学校校長兼任。1983年定年退官、名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。 加藤楸邨、角川源義に師事して俳句を詠み、1978年俳誌『橘』を創刊、主宰。妻も俳人の松本翠。「村上鬼城研究」で俳人協会評論賞受賞。連歌・近代俳句の研究家でもあった。
須之部 量三(すのべ りょうぞう、1918年2月15日 - … 須之部 量三(すのべ りょうぞう、1918年2月15日 - 2006年2月14日)は、日本の外交官・外務事務次官・杏林大学名誉教授。東京府出身。 旧制浦和中学(浦和高校)、旧制静岡高校文科甲類(静岡大学)を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1941年12月、外務省に入省。1950年ガリオア基金にて米国留学。経済局第四課長(イギリス連邦担当)、1955年在連合王国大使館一等書記官、1958年大臣官房人事課長、1961年条約局外務参事官、1964年在ソ連大使館参事官、1966年駐米公使、1968年外務省アジア局長。駐オランダ大使、駐インドネシア大使、駐韓国大使を経て、1981年に外務事務次官に就任した。
西川 博夫(にしかわ ひろお、1918年 - 1944年7月… 西川 博夫(にしかわ ひろお、1918年 - 1944年7月3日)は、日本の元アマチュア野球選手。埼玉県出身。ポジションは外野手。 浦和中学(現・埼玉県立浦和高等学校)在学中は、甲子園に2回(春2回〈1935年、1937年〉)出場した。浦和中は1935年春には、初出場(埼玉県内では川越中学〈現・埼玉県立川越高等学校〉に次いで2番目の出場)ながらベスト8に入る活躍を見せたが、1937年春の大会では初戦(3月29日)の対・滝川中学〈現・滝川中学校・高等学校〉戦で0-27という大敗を喫した。 1938年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦にも出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年7月3日、中国北支・石門の陸軍病院にて戦病死した。
斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1… 斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1996年3月17日)は日本の洋画家。浦和画家。 23歳で太平洋戦争に応召し、生死のはざまで和紙に3000枚のスケッチを残した。生きて帰国できれば画家になると決意し、終戦後1945年に帰国。浦和市に居住した。
名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18… 名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18日 - 1991年(平成3年)5月6日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(2期)。父は内務官僚で、秋田県知事(官選)を務めた名尾良辰。 青森県青森市生まれ。名尾良辰の四男。1921年に浦和に移り、浦和中学を経て、1921年に中央大学法学部卒業。 戦後に弁護士を開業する。1959年、埼玉県議会議員に当選。以来連続6期在任する。在職中には埼玉県議会議長を務めた。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙に自民党公認で埼玉県地方区(1986年の参院選は埼玉県選挙区)から立候補し初当選。鈴木派→宮沢派に属した。法務政務次官、参議院内閣委員長、同商工委員長、自由民主党埼玉県支部連合会会長、埼玉菊花連盟顧問などを歴任した。
笹間 良彦(ささま よしひこ、本名: 笹間 恒雄(ささま つ… 笹間 良彦(ささま よしひこ、本名: 笹間 恒雄(ささま つねお)、1916年10月6日 - 2005年11月5日)は、日本の歴史家、武具研究家。文学博士。 専門の武具関係を中心に、歴史・民俗に関する著書多数。 1916年、東京府東京市下谷区(現在の台東区)にて生まれる。1935年、埼玉県立浦和中学校卒業。 30歳前後から、武具、風俗史、民俗学研究の為、長期間日本全国を行脚し資料を収集する。以来半世紀以上にわたって歴史学研究を続ける事となる。甲冑研究の第一人者で、日本甲冑武具歴史研究会会長に就任し、武具の歴史研究で成果を上げた。その後も江戸時代の制度や司法に関する著作を著し、『江戸幕府役職集成』では海音寺潮五郎から推薦の辞を寄せられる。
渡辺 武夫(わたなべ たけお、1916年7月2日 - 200… 渡辺 武夫(わたなべ たけお、1916年7月2日 - 2003年9月11日)は、埼玉県出身の洋画家。日本芸術院会員。浦和画家の一人。瑞宝章受章者。
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 201… 加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、昭和・平成期の歌人。 京都府綾部市生まれ。旧制埼玉県立浦和中学校在学中に短歌を作り始め、若山牧水系の歌誌「菁藻」(主宰:髙橋俊人)に入会。1933年、國學院大學予科入学、1935年、國學院大學国文科進学、折口信夫、武田祐吉らの薫陶を受ける。在学中に新芸術派短歌運動に加わり「短歌精神」を創刊。1936年、若手歌人の集まり「四月会」に参加。1937年、第一歌集『螺旋階段』を刊行。1938年、國學院大學卒業。 その後応召し、敗戦まで軍隊生活を経験する。戦後は浦和中学校の教諭に復帰。1946年、常見千香夫、大野誠夫らと「鶏苑」を創刊、近藤芳美、宮柊二らと「新歌人集団」を結成。
晝間 仲右衛門(ひるま なかうえもん、1915年(大正4年)… 晝間 仲右衛門(ひるま なかうえもん、1915年(大正4年)1月21日 - 1997年(平成9年)1月18日)は、日本の政治家。埼玉県鳩ヶ谷市(現・川口市)長(6期)。 埼玉県出身。1932年、埼玉県立浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)卒。1954年、鳩ヶ谷町議会議員となり、2期務める。1966年、鳩ヶ谷町長に当選。翌1967年、鳩ヶ谷町の市制施行により鳩ヶ谷市長となる。市長を6期務め、1990年に退任した。1997年に死去した。
金子 徳衛(かねこ とくえ、1914年 - 1998年)は、… 金子 徳衛(かねこ とくえ、1914年 - 1998年)は、埼玉県出身の洋画家。浦和画家の一人。 兄は元蕨市市長の金子吉衛。浦和中学校(現:埼玉県立浦和高等学校)卒業後、東京美術学校油画科に入学。同級生には藤本東一良、柳宗理、1年先輩に渡辺武夫がいた。1947年の第三回日展では、審査員であり師の寺内萬治郎(同じく浦和画家)の肖像画「T先生の像」を出品し、特選を受賞した。また、萬治郎も弟子の金子の肖像画「画家K君の像」を展示し、師弟が互いの肖像画を展示するというのは文展以来の歴史の中でも無く、話題となった。作品の一部は埼玉県立近代美術館に収蔵されている。
高田 誠(たかだ まこと、1913年9月24日 - 1992… 高田 誠(たかだ まこと、1913年9月24日 - 1992年10月24日)は、埼玉県出身の洋画家、文化功労者。瑞宝章受章者。浦和画家の代表格として知られる。 埼玉県浦和町(のち浦和市、現・さいたま市)常盤町の代々医者として知られていた旧家である高田家に生まれた。父は医師のほか民政党の県議会議員を務めた高田源八。兄に、医師であり浦和医師会会長、埼玉県産婦人科医会会長、浦和教育委員などを務めた高田進、弟に斎藤工業株式会社代表取締役社長、社団法人埼玉建設産業団体連合会初代会長、社団法人全国建設産業団体連合会会長などを務めた斎藤裕がいる。埼玉県立男子師範学校付属小学校の5、6年生のころに初めて油絵を制作している。
澤野 久雄(さわの ひさお、1912年12月30日 - 19… 澤野 久雄(さわの ひさお、1912年12月30日 - 1992年12月17日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の小説家。 埼玉県浦和町(現・さいたま市)生まれ。埼玉県立浦和高等学校を経て、早稲田大学国文科卒。都新聞(現東京新聞)に勤務した後、1940年、朝日新聞社に入社、49年に同人誌『文学雑誌』に発表した「挽歌」が芥川賞候補になり、川端康成の恩顧を受ける。1951年、「方舟追放」で再度芥川賞候補、52年に「夜の河」を発表、三度芥川賞候補となるが落選、しかし同作は1956年に山本富士子主演で映画化され、これが代表作となった。1955年、「未知の人」で四たび芥川賞候補、遂に受賞には至らなかった。
増田 三男(ますだ みつお、1909年(明治42年)4月24… 増田 三男(ますだ みつお、1909年(明治42年)4月24日 - 2009年(平成21年)9月7日)は、埼玉県出身の彫金家。人間国宝(重要無形文化財保持)。 埼玉県北足立郡大門村(のち美園村、浦和市、現さいたま市)に生まれる。文展などへの出品のほか、埼玉県立浦和高等学校でも美術講師として勤務した。浦和高校時代は美術部に入部し、2歳下の高田誠と親交が深く、卒業後も恩師である福宿光雄を囲って「連穂会」を開いていた。
常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月… 常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月31日 - 1988年(昭和63年)1月4日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の歌人。 旧制浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)、東京薬学専門学校(現東京薬科大学)卒業。 浦和中学校在学中、加藤克巳らとともに、「菁藻」にて同校教諭であった高橋俊人に学ぶ。1927年(昭和2年)、村野次郎主宰の「香蘭」入社。1933年、「短歌至上主義」創刊に参加。 1940年、伝説的な合同歌集『新風十人』(八雲書林)に参加。参加者は、常見のほかに五島美代子、筏井嘉一、加藤将之、佐藤佐太郎、斎藤史、館山一子、坪野哲久、福田栄一、前川佐美雄であった。 戦後1946年、加藤克巳、大野誠夫と「鶏苑」を創刊するが、1953年廃刊、以後作歌生活を断った。
岡田 章雄(おかだ あきお、1908年〈明治41年〉10月2… 岡田 章雄(おかだ あきお、1908年〈明治41年〉10月2日 - 1982年〈昭和57年〉3月18日)は、日本の歴史学者。中世後期から近世初頭にかけての日本と西洋の交流史が専門。東京大学史料編纂所教授、青山学院大学教授を歴任。 1908年(明治41年)群馬県前橋市に生まれる。群馬県師範学校附属小学校を経て、群馬県立前橋中学校に入学し埼玉県立浦和中学校へ転校。旧制浦和高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝国大学文学部国史科を卒業。 大学卒業とともに大倉精神文化研究所副本作成部国書校正係嘱託となる。1933年(昭和8年)東京大学史料編纂所嘱託として入所。この頃から歴史地理学会の委員として『歴史地理』の編集に携わる。
高師 康(たかもろ こう、1907年11月9日 ‐ 1995… 高師 康(たかもろ こう、1907年11月9日 ‐ 1995年3月26日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、新聞記者。埼玉県北足立郡浦和町(後のさいたま市浦和区)出身。選手時代のポジションはフォワード、ハーフバック。高師康夫とも表記される。 1914年、埼玉師範学校附属小学校に入学し、6年時の1919年に同校で初めて開催された校内試合に出場し優勝した。高師は自著の中で「埼玉県の小学生でサッカーらしいサッカーをやったのは、私たちが最初であろう」と記している。 1920年に旧制埼玉県立浦和中学(現、埼玉県立浦和高等学校)へ進学し、4年時の1923年にア式蹴球部を創部。5年時の1924年に東京高等師範学校主催の全国中等学校蹴球大会に出場した。
金子 吉衛(かねこ きちえ、1904年(明治37年)7月4日… 金子 吉衛(かねこ きちえ、1904年(明治37年)7月4日 - 1990年(平成2年)12月19日)は、埼玉県蕨市の第四代目市長(1967年~1975年)。 1904年、北足立郡蕨町に生まれる。1930年、蕨第一小学校(現:北小学校)、旧制浦和中学、旧制松本高校を経て東京帝国大学経済学部卒[要出典]。1931年、東京市に奉職し、麻布区長(現在の港区)、文京区助役、東京都立養育院院長、監査事務局長を歴任。1961年、東京都住宅公団理事を務め、1966年退職。1967年、蕨市長に就任し、2期8年務める。1971年から郷土史研究会会長として活動した。多数の郷土資料を収集しており、東京市の戦前戦後の文献資料は東京都公文書館に、蕨の郷土史に関する資料・著作は蕨市立図書館・歴史民俗資料館別館に保管されている。
武井 武(たけい たけし、1899年〈明治32年〉7月15日… 武井 武(たけい たけし、1899年〈明治32年〉7月15日 - 1992年〈平成4年〉3月12日)は、電気化学者。東京工業大学名誉教授、慶應義塾大学名誉教授。元電気化学協会会長。理学博士(東北帝国大学、1932年)。埼玉県北足立郡与野町(現・さいたま市中央区)生まれ。 妻の万寿は大幸勇吉の娘。
田中 重之(たなか しげゆき、1898年(明治31年)12月… 田中 重之(たなか しげゆき、1898年(明治31年)12月15日 - 1985年(昭和60年)4月9日)は、日本の内務官僚。官選県知事。 埼玉県北足立郡安行村(現在の川口市・草加市)出身。衆議院議員・田中左司馬の長男として生まれる。埼玉県立浦和中学校、第一高等学校を卒業。1922年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年6月、北海道庁属となり拓殖部に配属。同年11月、高等試験行政科試験に合格した。 1923年4月、北海道庁警視・警察部勤務となる。以後、道庁事務官、地方事務官・静岡県勤務、福岡県警察部特別高等警察課長、内務事務官・警保局勤務、ドイツ駐在(1931年7月~1934年12月)、兼内務書記官・大臣官房文書課長、内閣調査局調査官、内務書記官・地方局庶務課長、警保局警務課長を歴任し、文部省社会教育局長に就任。
蓮見 三郎(はすみ さぶろう、1896年1月23日 - 没年… 蓮見 三郎(はすみ さぶろう、1896年1月23日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手(中距離走)・指導者、歯科医師。1920年アントワープオリンピックに出場。名はのちに宏。 埼玉県北足立郡大砂土村(現在のさいたま市北区本郷町)出身。生家は素封家。明治39年に大砂土小学校を卒業、旧制浦和中学校(埼玉県立浦和高等学校の前身)を経て、日本歯科医学専門学校(日本歯科大学の前身)に進学した。 少年時代よりスポーツを愛好し、中距離走に秀でた成績を残した。日本歯科医専在学中に、1920年アントワープオリンピックに参加し、男子800メートル競走および1500メートル競走に出場した。日本国内のオリンピック予選会では800m走(2分05秒0)・1500m走(4分25秒0)の日本記録を残している。
小島 洋々(こじま ようよう、1891年12月16日 - 没… 小島 洋々(こじま ようよう、1891年12月16日 - 没年不詳)は、日本の元俳優、元男性声優、元オペラ歌手である。本名は小島 正次(こじま まさじ)。浅草オペラ、新派を経て映画俳優に転向、戦前・戦中の新興キネマ、東宝映画東京撮影所、戦後の新東宝、東映東京撮影所で長く活躍したバイプレーヤーとして知られ、映画出演数は200本を超える。 1891年(明治24年)12月16日、東京府東京市下谷区御徒町(現在の東京都台東区)に生まれる。『日本歌劇俳優写真名鑑』(歌舞雑誌社)では、出生地は上記の通りだが、生年は「明治廿一年十二月十六日」(1888年12月16日)である旨が記されている。旧制埼玉県浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)を経て旧制東京音楽学校(1952年廃止)に進学する。
岩田 三史(いわた さんし、1890年(明治23年)12月3… 岩田 三史(いわた さんし、1890年(明治23年)12月3日 - 1973年(昭和48年)9月3日)は、大正から昭和期の医師、政治家。貴族院多額納税者議員、埼玉県川口市長、川口市名誉市民。 埼玉県北足立郡川口町(現在川口市)で、川口屈指の大地主・岩田武三郎、いよ の長男として生まれた。浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)、第四高等学校第三部を経て、1919年(大正8年)九州帝国大学医学部を卒業。同医学部副手、東京帝国大学医学部細菌学教室研究生となり、医学博士号を取得した。その後、帝国女子医学薬学専門学校(現在の東邦大学)教授、額田内科病院副院長を務めた。 1931年(昭和6年)6月4日、補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され、1932年(昭和7年)9月28日まで在任。