スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
須田 立雄(すだ たつお、1935年 - )は、日本の医学者… 須田 立雄(すだ たつお、1935年 - )は、日本の医学者、歯学者。昭和大学名誉教授、東京科学大学栄誉教授、埼玉医科大学客員教授、日本学士院会員。博士(歯学)(東京医科歯科大学)。ビタミンD代謝やその骨代謝制御における役割等で多くの業績を挙げた。 東京都生まれ。東京都立立川高等学校を経て1960年東京医科歯科大学(現東京科学大学)卒業、1964年同大学院博士課程修了。1968年からウィスコンシン大学に留学し、1971年に帰国し、東京医科歯科大学助教授に就任。1977年より昭和大学歯学部教授。1998年紫綬褒章受章。2000年に昭和大学を退官し、埼玉医科大学に赴任。同年朝日賞、2001年日本学士院賞受賞。
高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ … 高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ えい)、本名:高見 嘉明(たかみ よしあき)、1934年〈昭和9年〉5月10日 - 2022年〈令和4年〉9月10日)は、日本の俳優、作家。京都府京都市右京区出身。 『なにしてあそぼう』(NHK教育テレビジョン、1966年 - 1970年)『できるかな』(NHK教育テレビジョン、1970年 - 1990年)にて、一切喋らないキャラクター「ノッポさん」を務め上げ、放送終了後も「ノッポさん」の愛称で親しまれた。 京都府京都市右京区太秦の役者長屋に生まれ、4歳から東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区)に育つ。6人兄弟の第4子。 父・嘉一(芸名は柳妻麗三郎(やなづま れいざぶろう)、松旭斎天秀(しょうきょくさい てんしゅう)、チャーリー高見など)は芸人、奇術師、俳優、工場長と様々な職業を経験し、太平洋戦争後、芸人に復帰した人物。
高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ … 高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ えい)、本名:高見 嘉明(たかみ よしあき) 1934年5月10日 - )は、日本の俳優、作家。京都府京都市右京区太秦出身。
山口 岳志(やまぐち たかし、1934年1月13日 - 19… 山口 岳志(やまぐち たかし、1934年1月13日 - 1993年4月5日)は、日本の地理学者、東京大学教養学部教授。都市地理学と北アメリカ地域研究を専攻し、地理学における計量革命の初期段階にあったアメリカ合衆国やカナダなどにおける研究動向を日本の学界に紹介するとともに、日本における応用研究にも取り組み、主成分分析を用いた都市機能分類などで先駆的業績を挙げた。 福岡県生まれ。1952年、東京都立立川高等学校卒業。1958年、東京大学理学部地学科地理学課程卒業。同年、第1回カナダ政府留学生としてトロント大学大学院に留学、修士(MA)取得後、1960年からペンシルベニア州立大学大学院博士課程に学ぶ。
黒澤 満(くろさわ みつる、1933年 - )は、日本の映画… 黒澤 満(くろさわ みつる、1933年 - )は、日本の映画プロデューサー。東映ビデオ株式会社代表取締役副社長を歴任。株式会社セントラル・アーツ代表取締役社長。
西村 潔(にしむら きよし、1932年9月7日 - 1993… 西村 潔(にしむら きよし、1932年9月7日 - 1993年11月17日)は、日本の映画監督。東京都立川市出身。一橋大学卒業。俳優としても数本の出演作品を持つ。 東京都立立川高等学校に通い、在日米軍の横田飛行場でアルバイトをしながら映画浸りの日々を送った後、一橋大学へ入学。同級生の石原慎太郎を誘い、同人誌『一橋文藝』を復刻する。 1956年、大学を卒業後、東宝へ入社。千葉泰樹・黒澤明・堀川弘通・成瀬巳喜男・本多猪四郎・川島雄三・須川栄三・古澤憲吾・恩地日出夫らの助監督を経て、1969年、密室の人間群像を緊迫したサスペンスとして描いた黒沢年男主演のアクションスリラー『死ぬにはまだ早い』で監督に昇進。
稲垣 瑞雄(いながき みずお、1932年2月3日 - 201… 稲垣 瑞雄(いながき みずお、1932年2月3日 - 2013年2月23日)は、日本の作家・詩人。 愛知県豊橋出身。東京大学文学部仏文科卒。高校教師となり、東京都立立川高等学校で英語とフランス語を担当。楢信子と職場結婚。1962年創刊の同人誌『ドン』に参加、73年に短編集『残り鮎』を自費出版。74年からは楢信子と二人雑誌『双鷲』を年二回刊行。1984年「曇る時」で作家賞受賞。
小沢和秋(おざわ かずあき、1931年〈昭和6年〉9月15日… 小沢和秋(おざわ かずあき、1931年〈昭和6年〉9月15日 - 2021年〈令和3年〉7月14日)は、日本の政治家。日本共産党所属。衆議院議員を4期務めた。 愛知県稲沢市出身。東京都立立川高校、東京大学法学部を卒業後、八幡製鐵(現・日本製鉄)に入社。1963年から福岡県議会議員を3期務めた後、1980年の衆院選で旧福岡2区から出馬し初当選。以後通算4期衆議院議員を務め2003年に引退を表明した。 2021年7月14日、福岡県北九州市内の高齢者施設で死去。89歳没。 1979年、第35回衆議院議員総選挙 福岡2区 落選。 1980年、第36回衆議院議員総選挙 福岡2区 当選。1983年、第37回衆議院議員総選挙 福岡2区 当選。
澤田 浩(さわだ ひろし、1931年1月1日 - 2021年… 澤田 浩(さわだ ひろし、1931年1月1日 - 2021年11月21日)は日本の実業家。ニップン代表取締役会長、製粉協会会長、日本・トルコ協会会長を歴任。 八王子空襲で被災し、東京都立第二中学校(現東京都立立川高等学校)を経て、1953年一橋大学経済学部卒業。大学では村松祐次ゼミナールに参加。大学卒業後、日本製粉入社。 1993年から日本製粉代表取締役社長。業績低迷が続く中、従業員の3分2を削減するなどリストラを進め、工場の閉鎖・集約化を進める一方、中食事業などで積極的なM&Aを展開。売上高を500億円増やした。また阪神・淡路大震災では、倒壊した工場の再建などにあたった。 2002年社長を退任し、会長に就任。
小澤 俊夫(おざわ としお、1930年4月16日 - )は、… 小澤 俊夫(おざわ としお、1930年4月16日 - )は、日本のドイツ文学者、昔話研究者。筑波大学名誉教授。有限会社小澤昔ばなし研究所・社長。 弟は世界的な指揮者小澤征爾で、息子は歌手の小沢健二。 日本から中国に宣撫官として赴任した父に母も帯同し、満洲で生まれた。小さい頃に火傷を負い、それが原因でいじめを受ける。 ドイツのメルヒェンと呼ばれる口承伝承による昔話の研究が特に専門で、文学研究から民俗学にまたがる分野で幅広い研究を行っている。1998年、川崎市の自宅に「小澤昔ばなし研究所」を設立、昔話、メルヒェンの選集を多数出版している。 「子どもの本・九条の会」代表団員を務め、「たま九条の会」の呼びかけ人でもある。
金子 史朗(かねこ しろう、1929年 - )は、日本のサイ… 金子 史朗(かねこ しろう、1929年 - )は、日本のサイエンスライター。 東京農業大学、日本大学など非常勤。The Planetary Society, AAAS(アメリカ科学振興協会)、ニューヨーク科学アカデミーなどの会員。 歴史学者の金子民雄は弟。 東京生まれ。東京文理大(現筑波大学)地学科卒、同大研究科4修。東京都立立川高等学校教員を経て、サイエンスライターへ転身。 発表年 テーマ 発表雑誌名 巻、号、頁
川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 20… 川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 2021年1月9日) は日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長、同会長、関西経済連合会会長、日本電線工業会会長等を歴任。位階は従三位。勲一等瑞宝章受章。 東京都吉祥寺出身。父は厚生省官僚。東京府立二中、海軍兵学校第77期を経て、1952年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。古川栄一ゼミ出身。 商社志望だったが、大学卒業後は、健康診断で落ちた内定者の代わりとして、ゼミの教授の勧めで住友電気工業に入社。1975年同社取締役、1978年常務取締役、1980年代表取締役専務、1982年代表取締役社長、1991年代表取締役会長、1999年相談役。2008年8月名誉顧問 財団法人関西情報センター会長などを経て、1994年から1997年まで関西経済連合会会長を務め、関西国際空港第二期事業の取りまとめ等や、阪神・淡路大震災への対応にあたり、総理府阪神・淡路復興委員会委員も務めた。
木原 信敏(きはら のぶとし 1926年(大正15年)10月… 木原 信敏(きはら のぶとし 1926年(大正15年)10月14日 - 2011年(平成23年)2月13日)は、日本の技術者、実業家。元ソニー専務。元ソニー木原研究所会長。創業者井深大に見出され、ソニー創成期の基礎技術を確立させる。東京通信工業時代からのソニー創成期メンバーの一人。 東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)生まれ。東京府立第二中(現東京都立立川高等学校)を経て早稲田大学専門部工科機械科を卒業後、1947年東京通信工業(現:ソニー)に新卒採用1期生として入社。 1950年に日本最初のテープレコーダー、1964年にビデオテープレコーダー国産第一号機やベータ方式のVTR「ベータマックス」を開発。
三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年〈大正15年〉1月1… 三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年〈大正15年〉1月12日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の作家。 日本大学芸術学部教授、文化庁長官(第7代)、社団法人日本文藝家協会理事長(第7代)、日本芸術院院長(第4代)などを歴任した。 東京府豊多摩郡(現:東京都中野区)東中野生まれ。父はイタリア文学者の三浦逸雄。野方第五尋常小学校(現:中野区立啓明小学校)、東京府立第二中学校(現:東京都立立川高等学校)から旧制高知高等学校を経る。同校在学中には禁じられている煙草を吸い、さらに厭戦的態度を示して無期停学になった。旧制高知高等学校3年生の時に勤労動員され、1945年7月21日、陸軍二等兵として千葉県我孫子で入隊、千葉県の仮兵舎で敗戦を迎える。
石坂 公成(いしざか きみしげ、1925年〈大正14年〉12… 石坂 公成(いしざか きみしげ、1925年〈大正14年〉12月3日 - 2018年〈平成30年〉7月6日)は、日本の免疫学者。医学博士。ラホイヤ・アレルギー免疫研究所名誉所長。位階は従三位勲一等瑞宝章。文化勲章受章者。IgE抗体の発見者として知られる。 東京府生まれ。父は陸軍少将の石坂弘毅。叔父は元経団連会長石坂泰三。府立二中、旧制成蹊高等学校を経て、1948年、東京大学医学部卒業。 国立予防衛生研究所免疫血清室長、小児喘息研究所(デンバー)免疫部長、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部教授(京都大学医学部教授兼任)、 ラホイヤ・アレルギー免疫研究所所長、カリフォルニア大学内科教授、米国免疫学会会長等歴任。
石川 要三(いしかわ ようぞう、1925年〈大正14年〉7月… 石川 要三(いしかわ ようぞう、1925年〈大正14年〉7月6日 - 2014年〈平成26年〉6月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 防衛庁長官(第49代)、衆議院議員(8期)、衆議院内閣委員長、東京都青梅市長(2期)、青梅市議会議員を務めた。 東京府西多摩郡(現東京都青梅市)生まれ。旧制府立第二中学校(現東京都立立川高等学校)を経て1951年早稲田大学政治経済学部卒業後、西東京バス株式会社取締役、青梅市議会議員などを経て、1967年に青梅市長選挙で初当選した。1975年まで市長を2期務め、1976年に第34回衆議院議員総選挙に旧東京11区から立候補し、当選した(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正らがいる)。
若林 誠郎(わかばやし まさお、1923年1月1日 - )は… 若林 誠郎(わかばやし まさお、1923年1月1日 - )は、日本の実業家。京都市の百貨店「丸物」入社後、近鉄グループ入り・社名変更後の京都近鉄百貨店で社長を務めた。 東京府(現・東京都)出身で、旧制・東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)を卒業後、京都帝国大学へ進んだ。 学徒動員から復員後の京都帝大は混乱の中ではあるが、学問に対する熱気があふれているように感じたという。1947年(昭和22年)3月に大学を卒業した後、同年9月に京都市の百貨店「丸物」へ入社した。 設立以来、同社は創業者の中林仁一郎がずっと社長を務めていたが、1960年3月末に死去。長男の中林仁良が社長となって以降、1962年にはいったん伊藤忠商事の傘下を経て、1966年春には近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)の子会社となり、資本構成などが大きく変化したものの、若林は昇進を続けた。
村田 倉夫(むらた くらお、1921年(大正10年)1月1日… 村田 倉夫(むらた くらお、1921年(大正10年)1月1日 - 2015年(平成27年)3月21日)は、日本の実業家。京成電鉄第7代社長。 東京府豊多摩郡杉並村(現・東京都杉並区)高円寺に生まれる。 東京府立第二中学校(現東京都立立川高等学校)を経て、1940年東京商科大学(現一橋大学)予科へ。 1942年東京商科大学学部を卒業し、日本興業銀行に入行。翌年応召、東部軍経理部から南支方面へ主計将校として派遣される。 1947年に興銀復帰するが、最初の出向として1953年から1956年、旧中島飛行機グループなど5社が出資し、発足した直後の富士重工業へ。 2度目の出向は1964年、大商証券へ取締役として。
竹村 健一(たけむら けんいち、1920年〈大正9年〉10月… 竹村 健一(たけむら けんいち、1920年〈大正9年〉10月14日 - 1993年〈平成5年〉5月7日)は、日本の政治家。長野県駒ヶ根市長。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)で、竹村季一、いくゑ の長男として生まれた。東京市京橋区に移り、1938年(昭和13年)3月、旧制東京府立第二中学(現東京都立立川高等学校)卒業。同年9月、赤穂村役場に入り書記となり、その後、兵役についた。1954年(昭和29年)駒ヶ根市に合併後、総務課長、福祉事務所長、税務課長、昭和伊南総合病院事務長を経て、1970年(昭和45年)9月7日に収入役となる。 1975年(昭和50年)12月22日に収入役を退職した。1976年(昭和51年)1月、駒ヶ根市長選挙に保守系候補として立候補して、革新系の新人を破って初当選を果たした。
水野 祐(みずの ゆう、1918年7月25日 - 2000年… 水野 祐(みずの ゆう、1918年7月25日 - 2000年8月28日)は、日本の古代史学者。早稲田大学名誉教授。 1918年、東京生まれ。本名・水野正圀。石坂家の長男として生まれるが、母方の水野家の養子に入る。 東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)、第一早稲田高等学院を卒業。早稲田大学文学部史学科国史専攻で日本古代史と文化人類学を学び、1941年に卒業。1946年4月、復員。 1972年、文学博士。早稲田大学文学部教授を経て、1989年、定年、名誉教授となる。日本古代史について一般向け著書を多くなした。著作集全10巻がある。 門下生に金鉉球など。 『日本古代王朝史論序説』(1952年初版、1954年増訂版)において万世一系を否定し、日本の古代王朝は単一王朝ではなく、古王朝(先王朝と崇神王朝(崇神 - 仲哀))・中王朝(仁徳王朝(応神 - 雄略)と後仁徳王朝(飯豊))・新王朝(継体王朝)の三王朝が交替した、とする、いわゆる「三王朝交替論」を提唱した。
若原 雅夫(わかはら まさお、1917年1月1日 - )は、… 若原 雅夫(わかはら まさお、1917年1月1日 - )は、日本の俳優。 1940年代から1950年代前半にかけて、数多くの映画作品に出演し、そのルックスから「和製シャルル・ボワイエ」と称された。 出身地は東京市牛込区。1917年(大正6年)1月1日生まれ。児玉家の姉の次に長男として生まれ、父の「生命長く、男として立派なものになるように」との願いから「稔」と命名される。家業は映画館経営。東京、北海道小樽市、福島県郡山市などで経営。そのため、幼児の時から映画に興味を覚え、父が経営する映画館で、映画を観ることに親しんだ。小樽には4歳まで生活し、そのあと福島県郡山市を経て、7歳の時、学校へ入るため再び上京し、以後、学生時代を東京の学校で過ごした。
村松 祐次(むらまつ ゆうじ、1911年1月16日 - 19… 村松 祐次(むらまつ ゆうじ、1911年1月16日 - 1974年3月6日)は、日本の経済学者。専門は中国社会経済史。一橋大学学長事務取扱等を歴任。日本学士院賞、日経・経済図書文化賞特賞受賞。従三位勲二等瑞宝章。 東京府八王子市寺町出身。旧制府立二中(現東京都立立川高等学校)を経て、1933年東京商科大学(現一橋大学)を卒業。根岸佶門下。 1933年大学を卒業し近衛歩兵連隊入隊。1936年大日本帝国陸軍主計少尉、1938年同中尉、1939年東京商科大学助教授。 1951年一橋大学経済学部教授、1954年東京大学文学部講師併任、1963年一橋大学経済学部長、1969年一橋大学学長事務取扱を歴任するも、1974年北里大学病院にて肝硬変のため死去。
肥沼 信次(こえぬま のぶつぐ、1908年10月9日 - 1… 肥沼 信次(こえぬま のぶつぐ、1908年10月9日 - 1946年3月8日)は、日本の医学者。第二次世界大戦後のドイツで医療活動に尽力し、現地で病没した。ヴリーツェン市名誉市民、医学博士(ベルリン大学) 1908年、東京の八王子の外科医・肥沼梅三郎とハツの次男(長男とも)として生まれる。父・梅三郎は済生学舎に学んだ軍医で、八王子市中町で医院を開業していた。信次の妹の梅治はのちに、子爵で日本医科大学細菌学研究所員の花園公栄に嫁いだ。 東京府立二中(現立川高校)を卒業後医学を志し、日本医科大学から東京帝国大学放射線研究室へと進み、1937年、日本政府の国費留学生としてドイツに渡り、ロベルト・コッホ研究所を経てベルリン大学医学部放射線研究室の客員研究員となる。
関谷 源兵衛(せきや げんべい、1905年(明治38年)1月… 関谷 源兵衛(せきや げんべい、1905年(明治38年)1月22日 - 1945年(昭和20年)8月2日)は第7 - 9代八王子市長。
村野 四郎(むらの しろう、1901年〈明治34年〉10月7… 村野 四郎(むらの しろう、1901年〈明治34年〉10月7日 - 1975年〈昭和50年〉3月2日)は、日本の詩人。日本現代詩人会会長。理研コンツェルン役員。長男はセイコー株式会社代表取締役社長を務めた村野晃一。 東京北多摩郡多磨村に生まれた。父、兄たちが、それぞれ俳句や短歌を作るという文学的環境に育った。慶大理財科を卒業したが、詩への情熱は強く、1926年に第1詩集『罠』を刊行。ドイツ近代詩の影響を受け、モダニストの立場を鮮明にした。 頭で考えるのではなく、実際の物に即して考えるという新即物主義にもとづいた『体操詩集』は、人間存在と社会と宇宙の関係をとらえた画期的な詩集。戦後は独自の歩みをつづけ、「不在の神への近接」という実存的な詩境に達した。
中村 高一(なかむら たかいち、1897年〈明治30年〉7月… 中村 高一(なかむら たかいち、1897年〈明治30年〉7月31日 - 1981年〈昭和56年〉7月27日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(社会党、当選8回)。日本社会党顧問。衆議院副議長(第41代)を務めた。弁護士として社会運動や人権活動に取り組んだ。 東京府西多摩郡西秋留村(現在の東京都あきる野市)出身。中村作兵衛の六男。東京府立第二中学校出身。1922年、弁護士試験に合格。1923年、早稲田大学法学部英法科卒業。弁護士開業。1930年、労農党中央執行委員。1936年、社会大衆党中央執行委員。早くから自由法曹団に参加し、自由法曹団事件で検挙された。 東京市会議員を経て、1937年の第20回衆議院議員総選挙に東京7区から出馬し当選。
阪本 牙城(さかもと がじょう、1895年12月1日 - 1… 阪本 牙城(さかもと がじょう、1895年12月1日 - 1973年8月8日)は、日本の漫画家、水墨画家。本名・坂本雅城(さかもと まさき)。水墨画家としては阪本雅城を用いる。 東京府西多摩郡五日市町(現東京都あきる野市)に生まれる。五日市小学校五年生のとき、同校の校章をデザインしたことにより、これは現在でも使われている。東京府立第二中学校(現東京都立立川高等学校)卒業後日本画家を志すが、生活できず岡本一平のすすめで漫画を描き始める。勤務していた中外商業新報(現日本経済新聞)や夕刊大阪新聞(現産経新聞)の家庭面に4コマ漫画を連載したが、思い切り奇想天外な作品を試したいと思い立ち、鉄の玉の中に人が入っている作品を「幼年倶楽部」編集部へ持ち込んだ。
中嶋 舜司(なかじま しゅんじ 1895年〈明治28年〉3月… 中嶋 舜司(なかじま しゅんじ 1895年〈明治28年〉3月7日 - 1981年〈昭和56年〉3月11日) は、東京都立川市長(2期)。位階は正六位。 東京府北多摩郡立川村(立川町を経て、現在の東京都立川市)生まれ。東京府立第二中学校(現在の東京都立立川高等学校)卒業。立川村会議員、同町会議員、同市会議員を務める。その後、同議長、農業委員会委員長などを務める。 戦後の1947年、立川市長に就任。1期目は市公民館の建設に着手、自治体警察の発足、市営火葬場の建設、児童相談所の開設、上下水道も計画された。 1951年に板谷信一郎に市長を譲るも、1955年に再び市長に就任。立川基地拡張を巡り、反対闘争が起こる。
村野 次郎(むらの じろう、1894年3月19日 - 197… 村野 次郎(むらの じろう、1894年3月19日 - 1979年7月16日)は、歌人、実業家。 東京府北多摩郡多磨村(府中市)に生まれる。家業は江戸時代より続く酒問屋。詩人の村野四郎は弟。 多摩尋常小学校卒業後、府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)に入学。文学熱を憂慮した父の助言で早稲田実業学校へ転校、1913年、同校卒業。1919年、早稲田大学商学部卒業。 北原白秋に師事し、「朱欒」「地上巡礼」に参加。1918年、白秋のもとを離れ、「秦皮(とねりこ)」を創刊。1923年、「香蘭」を創刊し、白秋を顧問に迎える。 1924年、白秋、前田夕暮、古泉千樫、土岐善麿が創刊した「日光」に参加。1932年、日本歌人協会を設立、評議員となる。
津雲 国利(津雲 國利、つくも くにとし、1893年〈明治2… 津雲 国利(津雲 國利、つくも くにとし、1893年〈明治26年〉10月18日 - 1972年〈昭和47年〉1月4日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(当選8回)。拓務政務次官、政友会幹事、翼賛政治会常任総務などを歴任。 東京府西多摩郡青梅町上町(現・東京都青梅市)出身。津雲仙太郎の二男。津雲孝の弟。 旧制東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)卒業。安田銀行員養成所修業。安田銀行、古河銀行に勤務した。古河銀行宇都宮支店長をつとめた。 宇都宮市に於いて新聞経営に従事した。下野銀行相談役、下野新聞社顧問、下野日日新聞社顧問などを歴任した。1922年(大正11年)に分家し、一家を創立する。
好本 恵(よしもと めぐみ、旧姓:安藤)は、日本のフリーアナ… 好本 恵(よしもと めぐみ、旧姓:安藤)は、日本のフリーアナウンサーで、元NHK所属。
有賀 貞一(あるが ていいち)は、日本の情報技術者、実業家。… 有賀 貞一(あるが ていいち)は、日本の情報技術者、実業家。CSKホールディングス代表取締役、ミスミグループ本社代表取締役副社長、リアルワールド取締役会長、情報サービス産業協会副会長、情報処理技術者試験委員長等を歴任した。経済産業大臣表彰受賞。 1966年東京都立立川高等学校理数科進学コース卒業。1970年一橋大学経済学部卒業。大学では杉田元宜ゼミや磯野修ゼミで計量経済学、数理統計学を専攻し、大学院生だった刈屋武昭の指導も受けた。また1965年に創設されたコンピュータ・クラブ(一橋電子計算機研究会)に参加し、コンピュータの利活用に関する研究等を行った。。 大学卒業後、野村証券の子会社として1966年1月に設立された野村電子計算センターに入社し、システムエンジニアとなる。
植田 守昭(うえだ もりあき)は、日本の通産官僚。通商産業省… 植田 守昭(うえだ もりあき)は、日本の通産官僚。通商産業省基礎産業局長を経て、日本鉄鋼連盟副会長や、日本アルコール販売代表取締役社長を務めた。 東京都出身。東京都立第二中学校(現東京都立立川高等学校)、海軍兵学校第76期を経て、1951年に東京商科大学(現一橋大学)卒業後、大学の杉本栄一研究室に残り指導を受けて学者を目指したが、杉本が急逝したため、1954年通商産業省入省。 通商産業省企業局企業第一課長補佐を経て、1968年通商産業省企業局商務第二課長。1969年通商産業大臣官房審議官。1971年中小企業庁計画部下請企業課長。1972年通商産業省企業局工業用水課長。 1973年佐賀県経済部長。
唐澤 祥人(からさわ よしひと、旧姓臼井)は医師(内科・小児… 唐澤 祥人(からさわ よしひと、旧姓臼井)は医師(内科・小児科・消化器科)、医学博士(日本大学、1977年)、日本医師会会長(第17代)、NPO法人日本防災士機構評議員、元日本会議代表委員。唐澤医院オーナー。
河野 昭三(こうの しょうぞう)は、日本の経営学者。東北大学… 河野 昭三(こうの しょうぞう)は、日本の経営学者。東北大学名誉教授、甲南大学名誉教授。 神奈川県中郡伊勢原町(現伊勢原市)生まれ。1966年に東京都立立川高等学校卒業後、1973年に一橋大学商学部を卒業。同年に同大学院商学研究科修士課程に進学。1977年に博士後期課程を中退し、山形大学人文学部経済学科講師に就任。1979年から1980年までフルブライト研究員としてメリーランド大学経済学部にて制度学派の研究に従事。 帰国後、1981年に山形大学人文学部経済学科助教授、1985年に東北大学経済学部経営学科助教授に転じた。1990年に同教授。1995年から日本経営学会理事・東北部会代表。1999年の大学院重点化に伴い東北大学大学院経済学研究科経営学専攻教授となった。
小森 正幹は、日本の造園家で、元地方公務員、小説家。 東京都… 小森 正幹は、日本の造園家で、元地方公務員、小説家。 東京都に生まれる。東京都立立川高等学校を経て1967年、京都大学農学部林学科(造園学・環境デザイン専攻)を卒業した。神戸市役所に入庁し、1992年当時は土木局公園緑地部大規模公園建設事務所長、建設局公園砂防部長を務めた後に退職した。その後は神戸市公園緑化協会相楽園園長などを務め、神戸市で公園緑地の事業に関与した。 2005年に、第27回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 携わった代表作に神戸市しあわせの村や布引ハーブ園など(全体プラン、設計、施工監理から管理運営までを担当)、神戸市花と彫刻の道やフラワーロードなどがある。また、神戸市内の案内小冊子『花を巡る文学散歩』を12年かけて上梓した。
名雪雅夫(なゆき まさお、1949年(昭和24年)9月25日… 名雪雅夫(なゆき まさお、1949年(昭和24年)9月25日 - 2014年(平成26年)2月16日は、日本の新聞記者、ジャーナリスト、実業家。産業経済新聞社取締役副社長などを歴任した。東京都港区生まれ。 1989年12月、ワルシャワ支局長だった名雪はクーデターによって独裁体制の崩れたルーマニアに入り、銃撃に遭った。一発はこめかみをかすめ、もう一発は背中に命中した。幸い、ハンガリー側に脱出して町医者に背中から銃弾を摘出してもらい、事なきを得た。そして無事を編集局に伝えると、返ってきたのは住田良能外信部長(のち社長)の「おまえは毛がないから怪我(けが)なくてよかったな」という駄洒落だった。名雪は怒りのあまり、受話器をたたきつけそうになったという。
波多野 伝四郎(傳四郎)(はたの でんしろう、1866年7月… 波多野 伝四郎(傳四郎)(はたの でんしろう、1866年7月26日(慶応2年6月15日) - 1926年(大正15年)9月23日)は日本メソジスト教会の指導的な牧師である。 上田、金沢、甲府、静岡、東京(鳥居坂教会)のメソジスト教会を巡回した。 1907年(明治40年)の日本メソジスト教会の成立後は、日本メソジスト教会の各個教会自給と大成運動を推進して、指導的な立場にあった。
森住 衛(もりずみ まもる)は、日本の教育学者。大阪大学名誉… 森住 衛(もりずみ まもる)は、日本の教育学者。大阪大学名誉教授、桜美林大学名誉教授。大学英語教育学会会長、日本言語政策学会会長、日英言語文化学会会長などを歴任した。 東京府生まれ。1968年東京学芸大学教育学部卒業。1969年東京都立立川高等学校非常勤講師。1970年東京学芸大学大学院言語教育研究科修士課程修了。1971年東京工業高等専門学校講師。1974年シドニー大学大学院TEFL留学。1978年大妻女子大学文学部英文科講師。1982年大妻女子大学文学部英文科助教授。1989年大妻女子大学文学部英文科教授。 1996年大阪大学言語文化部英語教育講座教授。2001年桜美林大学大学院国際学研究科言語教育専攻教授、大阪大学名誉教授。