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金澤 武(かなざわ たけし、1920年〈大正9年〉9月11日… 金澤 武(かなざわ たけし、1920年〈大正9年〉9月11日 - 2003年〈平成15年〉5月26日)は、日本の船舶工学者、溶接工学者、構造力学者、材料力学者、破壊力学者、材料強度学者。工学博士。東京大学名誉教授、日本造船学会名誉員。 福井県福井市清川上町80番地(現 福井市松本1丁目)の福井中学校の博物教師・金澤祿郞の次男として出生。1923年(大正12年)9月の父の新潟中学校への異動に伴って新潟県新潟市学校町通3番町(現 新潟市中央区)に転居。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学第一工学部船舶工学科を半年繰り上げ卒業、東京帝国大学第一工学部大学院に入学。
川上 喜八郎(かわかみ きはちろう、1920年(大正9年)5… 川上 喜八郎(かわかみ きはちろう、1920年(大正9年)5月22日 - 1983年(昭和58年)1月20日)は、日本の政治家。1975年から1982年まで新潟県新潟市長を務めた。 新潟市出身。1938年(昭和13年)新潟県立新潟中学校(現・県立新潟高等学校)卒業後、県局長、県職労委員長をへて、1975年(昭和50年)の新潟市長選に日本社会党、日本共産党の推薦を得て立候補。「人間都市新潟」をスローガンに初当選を果たし、新潟市では初、新潟県内では6番目の革新市政となる。1982年(昭和57年)12月14日、体調不良により2期目の任期を約4ヶ月残し辞任する。 1983年1月20日、食道癌により新潟市の新潟市民病院で死去。
斎藤 伸雄(さいとう のぶお、1919年〈大正8年〉12月1… 斎藤 伸雄(さいとう のぶお、1919年〈大正8年〉12月11日 - 2011年〈平成23年〉9月24日)は、日本の銀行家、実業家。和光証券(現 みずほ証券)第4代社長、元日本興業銀行常務取締役。柔道六段。 新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)出身。1937年(昭和12年)3月に新潟中学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に新潟高等学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 日本興業銀行に入行、1942年(昭和17年)9月30日に海軍経理学校(第9期)に二年現役補修学生として入校、1943年(昭和18年)1月15日に海軍主計中尉に任官、1月30日に卒業、横須賀海軍航空隊に配属、1カ月後に父島海軍航空隊に転属、硫黄島の飛行場使用規定を作成したり、地元農業に価格政策を導入し、作物の種類を豊富にしたりして、半年後に相模野海軍航空隊に転属、間もなく軍事参議官副官(塚原二四三海軍大将付)として海軍省に勤務、1944年(昭和19年)5月1日に海軍主計大尉に任官、1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争が終戦。
錦織 登美夫(にしきおり とみお、1919年〈大正8年〉11… 錦織 登美夫(にしきおり とみお、1919年〈大正8年〉11月3日 - 2008年〈平成20年〉1月22日)は、日本の出版人、実業家。東洋館出版社創業者・初代社長。 新潟県中蒲原郡新津町大字新津字三之町(現 新潟市秋葉区新津本町3丁目)の東洋館書店・東洋館印刷所の錦織豊松の長男として出生。 1937年(昭和12年)3月に新潟中学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に慶應義塾大学予科経済学部を修了、1942年(昭和17年)9月に慶應義塾大学経済学部を半年繰り上げ卒業。 第二次世界大戦で兵役に服し、1948年(昭和23年)にシベリア抑留から帰還、同年6月に東洋館出版社を設立して社長に就任、のちに会長に就任。
川村 明義(かわむら あきよし、1919年〈大正8年〉9月2… 川村 明義(かわむら あきよし、1919年〈大正8年〉9月2日 - 2006年〈平成18年〉6月9日)は、日本の免疫学者、医師。医学博士(東京大学・1957年)。東京大学名誉教授。 新潟県新潟市学校町通2番町(現 新潟市中央区学校町通2番町)の新潟医学専門学校病理学教室教授・川村麟也の三男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)3月に新潟高等学校を卒業、1945年(昭和20年)9月に千葉医科大学を卒業。 1945年(昭和20年)10月に東京帝国大学伝染病研究所第二研究部(部長:田宮猛雄教授)に嘱託として入所、1948年(昭和23年)に東京大学伝染病研究所第五研究部(部長:田宮猛雄教授)副手に就任、1949年(昭和24年)に助手に就任、1959年(昭和34年)7月に東京大学伝染病研究所第二細菌研究部(部長:山本郁夫教授)助教授に就任、1971年(昭和46年)4月に東京大学医科学研究所免疫学研究部長・教授に就任、1980年(昭和55年)4月に東京大学を定年退官、5月に東京大学名誉教授の称号を受称。
廣川 治(ひろかわ おさむ、1917年〈大正6年〉6月9日 … 廣川 治(ひろかわ おさむ、1917年〈大正6年〉6月9日 - 2011年〈平成23年〉1月5日)は、日本の通商産業技官、地質学者。元通商産業省工業技術院地質調査所地質部主任研究官、元JICA(国際協力機構)特別顧問。 新潟県中蒲原郡大江山村大字直り山(現 新潟市江南区直り山)出身。1935年(昭和10年)3月に新潟中学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京帝国大学理学部地質学科を繰上卒業。 1942年(昭和17年)1月に商工省地質調査所に技手として入所、2月に太平洋戦争に応召、陸軍に入隊、1945年(昭和20年)8月に終戦、最終階級は陸軍中尉。
塩谷 正雄(しおたに まさお、1917年〈大正6年〉4月30… 塩谷 正雄(しおたに まさお、1917年〈大正6年〉4月30日 - 2005年〈平成17年〉9月15日)は、日本の運輸技官、気象学者。理学博士。元日本国有鉄道鉄道技術研究所防災研究室長、元日本大学生産工学部教授。日本風工学会名誉会員。 新潟県新潟市古町通12番町(現 新潟市中央区)出身。1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1937年(昭和12年)3月に新潟高等学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 逓信省中央航空研究所技手に就任、1944年(昭和19年)に応召、1945年(昭和20年)に復員、12月に運輸省鉄道技術研究所技師に就任、交通気象研究室に勤務、1949年(昭和24年)から日本国有鉄道鉄道技術研究所防災研究室に勤務、1950年(昭和25年)5月に東北大学から理学博士の学位を取得、1954年(昭和29年)10月からアメリカのテキサス農工大学海洋学部で微気象について研究、1955年(昭和30年)11月からアメリカ各地の研究機関を視察、12月に帰国、1958年(昭和33年)5月に日本国有鉄道鉄道技術研究所防災研究室長に就任。
中村 亦夫(なかむら またお、1917年〈大正6年〉1月16… 中村 亦夫(なかむら またお、1917年〈大正6年〉1月16日 - 1994年〈平成6年〉11月24日)は、日本の工業化学者、高分子化学者。工学博士(東京大学・1964年)。東京大学名誉教授。 新潟県新潟市(現 新潟市中央区)の新潟医学専門学校精神病学教室初代教授・中村隆治の三男として出生。 1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業。 1942年(昭和17年)1月に東京帝国大学工学部講師に就任、太平洋戦争で陸軍に入隊、最終階級は陸軍大尉、戦後、東京帝国大学第二工学部応用化学科主任教授・友田冝孝の指導下で研究。
井上 栄一(いのうえ えいいち、1917年〈大正6年〉1月1… 井上 栄一(いのうえ えいいち、1917年〈大正6年〉1月1日 - 1993年〈平成5年〉3月3日)は、日本の農林技官、気象学者、農業気象学者、微気象学者。理学博士。元農林省農業技術研究所物理統計部気象科長。日本農業気象学会名誉会員。 新潟県新潟市出身。新潟尋常小学校を経て、1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に第一高等学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に東京帝国大学工学部航空学科を卒業。 1941年(昭和16年)4月に陸軍航空技術学校に入校、軍曹に任官、6月に見習士官に任官、8月に陸軍技術中尉に任官、陸軍航空本部に配属。 航空技術将校として、太平洋戦争の戦地や大日本帝国軍の占領地に出向き、そこに残された戦闘機スーパーマリン スピットファイアや戦闘機P-40 キティホークなどの敵国の航空機や文書などを調査した。
上原 喜八郎(うえはら きはちろう、1916年〈大正5年〉5… 上原 喜八郎(うえはら きはちろう、1916年〈大正5年〉5月29日 - 2009年〈平成21年〉3月25日)は、日本の生化学者、薬学者(生物系薬学)。理学博士。大阪大学名誉教授、日本薬学会有功会員。 新潟県新潟市新島町通4ノ町(現 新潟市中央区新島町通4ノ町)の実業家・上原有三の八男として出生、1922年(大正11年)3月に新潟県新潟市旭町通2番町(現 新潟市中央区旭町通2番町)に転居。 1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に第四高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に大阪帝国大学理学部化学科を卒業。 1942年(昭和17年)に大阪帝国大学理学部化学教室助手に就任、赤堀四郎のもとで研究、1943年(昭和18年)に大阪帝国大学理学部大学院に特別研究生として入学、1947年(昭和22年)に大阪帝国大学理学部化学教室講師に就任、1951年(昭和26年)2月に大阪大学理学部化学教室助教授に就任、1952年(昭和27年)7月に大阪大学から理学博士号を取得、大阪大学医学部薬学科生化学教室助教授に就任、1955年(昭和30年)に大阪大学薬学部生化学教室助教授に就任、1958年(昭和33年)11月に大阪大学薬学部生物薬品化学講座初代教授に就任、1977年(昭和52年)6月に大阪大学薬学部第12代学部長に就任、1980年(昭和55年)4月に大阪大学を定年退官、大阪大学名誉教授の称号を受称、同月に摂南大学教養科教授に就任、1981年(昭和56年)9月に退職。
大窪 愿二(おおくぼ げんじ、1915年(大正4年)5月9日… 大窪 愿二(おおくぼ げんじ、1915年(大正4年)5月9日 - 1986年(昭和61年)5月18日)は、日本の政治学者、翻訳家。専門は日本政治、国際政治。在日カナダ大使館顧問、聖徳学園岐阜教育大学教授を務めた。 1915年、秋田県生まれ。1926年、新潟市に転居。1933年に新潟県立新潟中学校を卒業し、青山学院文学部に入学。英語師範科で学び、1937年に卒業。1938年、太平洋問題調査会(通称IPR)就職する。以後、2度の従軍経験をはさんで1949年までIPRや世界経済調査会などのシンクタンクに勤務する。 1938年に、日本生まれのカナダの歴史家E・H・ノーマンとIPRのオフィスで出会い、交際が始まる。
八田 亭二(はった こうじ、1915年3月17日 - 199… 八田 亭二(はった こうじ、1915年3月17日 - 1994年)は、日本の教育者。父は元旧制新潟高等学校初代校長の八田三喜。兄は演出家の八田元夫。 東京出身。東京帝国大学大学院理学部動物学科卒業。
猪 初男(いの はつお、1914年〈大正3年〉10月9日 -… 猪 初男(いの はつお、1914年〈大正3年〉10月9日 - 1999年〈平成11年〉9月11日)は、日本の耳鼻咽喉科学者、耳鼻咽喉科医。医学博士。第8代新潟大学学長。新潟大学名誉教授。 新潟県東蒲原郡上条村大字両郷(現 阿賀町両郷)出身。 新潟師範学校附属小学校を経て、1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1934年(昭和9年)3月に新潟高等学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学を卒業。 1939年(昭和14年)7月に海軍軍医中尉に任官、海軍軍医学校の教官として全国各地出身の軍医の養成に努め、海軍省に勤務していた時に太平洋戦争が終戦、最終階級は海軍軍医少佐、戦後、復員省に勤務。
阿部 助哉(あべ すけや、1914年9月14日 - 1995… 阿部 助哉(あべ すけや、1914年9月14日 - 1995年4月22日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。
澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月… 澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月28日 - 2007年〈平成19年〉7月20日)は、日本の解剖学者、医師、トンボ研究家。医学博士。広島大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員、日本蜻蛉学会名誉会員、広島虫の会名誉会長。 新潟県新潟市関屋松波町(現 新潟市中央区関屋松波町)出身。1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学を卒業。 1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学副手に就任、1942年(昭和17年)に新潟医科大学助手に就任、1944年(昭和19年)に新潟医科大学臨時附属医学専門部助教授に就任、新潟医科大学講師を兼任。
鎌田 正三(かまた しょうぞう、1913年9月 - 1997… 鎌田 正三(かまた しょうぞう、1913年9月 - 1997年)は、マルクス経済学者。北海道大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1936年小樽高等商業学校卒業。東北帝国大学法文学部経済学科に入学。経済学科の同年の入学者には内藤知周、一柳茂次、浅野正明、中野正、志賀金吾、大島清(新潟高校中退)、大島清(小樽高商卒業)らがいた。斎藤晴造、2人の大島清、一柳茂次、志賀金吾、大友福夫、内藤知周らは下宿に集まって資本論について議論をする仲間だった。宇野弘蔵、末永茂喜などから経済学を学ぶ。 1940年東北帝国大学法文学部経済学科卒業。同じく小樽高商出身の大島清とともに財団法人三菱経済研究所に入所。1941年大島とともに財団法人東亜研究所に移り、新設の欧米部門のイギリス班に所属。
君 健男(きみ たけお、1911年〈明治44年〉12月22日… 君 健男(きみ たけお、1911年〈明治44年〉12月22日 - 1989年〈平成元年〉4月20日)は日本の医師、官僚、政治家。参議院議員(1期)、新潟県知事(公選第9・10・11・12代)。医学博士。 1911年(明治44年)12月22日、君修一郎の長男として新潟市に出生。新潟県立新潟中学校を経て官立新潟高等学校を卒業。1936年(昭和11年)3月、官立新潟医科大学(現・新潟大学医学部)を卒業。同年11月、応召。 1940年(昭和15年)、栃尾町の栃尾郷立診療所組合(現・新潟県厚生農業協同組合連合会栃尾郷病院)内科部長に就任。東京の日本光学病院内科主任を経て、再度応召。 1947年(昭和22年)、新潟県庁に入庁し、1949年(昭和24年)に新潟県予防課長、1955年(昭和30年)に新潟県公衆衛生課長、1958年(昭和33年)に新潟県衛生部長を経て、1962年(昭和37年)に新潟県総務部長となる。
斎藤 英四郎(さいとう えいしろう、1911年11月22日 … 斎藤 英四郎(さいとう えいしろう、1911年11月22日 - 2002年4月22日)は、日本の実業家。新日本製鐵(新日鉄、現・日本製鉄)の元社長。経済団体連合会(経団連)第6代会長。 新潟県北蒲原郡安田町(現・阿賀野市)出身。新潟中学校、旧制新潟高等学校を卒業。東京帝国大学法学部(東京大学)の入試に失敗、神戸商業大学に入学するも、翌年、東京帝大経済学部に入学。 経済学部を卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)入社。のち、日本製鐵に移り、八幡製鐵専務、新日鉄専務、副社長などを経て社長。2002年4月22日、心不全のため死去。90歳没。 2002年の死去に伴う遺産相続において、長男(当時、新日本製鉄常務)が相続財産の一部である約16億3000万円を申告せず、相続税約9億8000万円を脱税したとして、2005年8月に相続税法違反の罪で在宅起訴された。
石本 省吾(いしもと せいご、1909年〈明治42年〉10月… 石本 省吾(いしもと せいご、1909年〈明治42年〉10月20日 - 1985年〈昭和60年〉6月24日)は、日本の酒造家。石本酒造2代目社長。幻の酒「越乃寒梅」を造り上げる。 新潟県中蒲原郡大江山村大字北山新田(現 新潟市江南区北山)の蔵元・石本酒造に生まれる。 1928年(昭和3年)3月に新潟中学校を卒業、4月に明治大学予科に入学、中学校の時に引き続き端艇部に入部、アムステルダムオリンピックのボート競技の国内予選で敗退、端艇部を退部、山岳部に入部。 1933年(昭和8年)3月に明治大学政治経済学部を卒業、石本酒造2代目社長に就任、1944年(昭和19年)から新潟中学校の先輩で新潟財務局技手の田中哲郎の指導を受け、太平洋戦争後、銘酒「越乃寒梅」の改良を開始。
永井 行蔵(ながい こうぞう、1908年〈明治41年〉12月… 永井 行蔵(ながい こうぞう、1908年〈明治41年〉12月22日 - 1988年〈昭和63年〉8月23日)は、日本の国文学者。新潟大学名誉教授。 新潟県南蒲原郡長沢村大字中野原新田(現 三条市中野原)の教育者・永井長祥の三男として出生。 1926年(大正15年)3月に新潟中学校を卒業、1929年(昭和4年)3月に新潟高等学校を卒業、1932年(昭和7年)3月に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。池田亀鑑のもとで『神皇正統記』の研究や『校異源氏物語』の作成に従事。 1933年(昭和8年)1月に岩波書店から出版の『岩波講座 日本文學』の付録の雑誌『文學』第19号に「神皇正統記阿刀氏本に就いて」という題名の論文を発表し、その中で『神皇正統記』の阿刀本を紹介して草稿もしくは初稿本と推定した。
神田 坤六(かんだ こんろく、1908年〈明治41年〉12月… 神田 坤六(かんだ こんろく、1908年〈明治41年〉12月10日 - 2005年〈平成17年〉5月20日)は、元群馬県知事。海軍司政官。 1908年(明治41年)12月10日、新潟県中蒲原郡横越村(現・新潟市)出身。新潟県立新潟中学校、官立新潟高等学校を経て東京帝国大学法学部に進み、在学中に高等試験行政科に合格。卒業後は静岡県庁勤務を皮切りに内務省官僚として地方行政に携わった。戦後は鹿児島県経済部長を勤めた後、群馬県教育民生部長に就いたことから群馬県との関わりを持つこととなった。その後総務部長等を経て竹腰俊蔵知事のもとで群馬県副知事就任。竹腰知事の後任として1960年(昭和35年)の群馬県知事選挙に出馬し当選。
小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年〈明治41年〉5… 小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年〈明治41年〉5月20日 - 1977年〈昭和52年〉12月7日)は、日本の通信技術者、通信工学者、電気工学者、電子工学者。工学博士。松下電器産業東京研究所所長、松下電器産業中央研究所所長、株式会社松下電器東京研究所取締役社長、松下技研株式会社取締役社長。東北大学名誉教授、テレビジョン学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡茨曽根村茨曽根(現 新潟市南区茨曽根)出身。1925年(大正14年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1928年(昭和3年)3月に新潟高等学校を卒業、1931年(昭和6年)3月に東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。 1931年(昭和6年)5月に日本放送協会に入局、日本放送協会仙台放送局に配属、日本放送協会本部技術局に異動、送信用の大出力真空管を開発、日本放送協会東京大電力放送所を設計、π型回路の簡易な設計法を発表した。
竹林 松二(たけばやし まつじ、1908年〈明治41年〉2月… 竹林 松二(たけばやし まつじ、1908年〈明治41年〉2月22日 - 1994年〈平成6年〉6月27日)は、日本の化学者、化学史家。理学博士。大阪大学名誉教授。専門は有機化学。 新潟県新潟市礎町通一ノ町(現 新潟市中央区礎町通一ノ町)の製材業・竹林松次郎の次男として出生。 1925年(大正14年)3月に新潟中学校を卒業、1929年(昭和4年)3月に新潟高等学校を卒業、1932年(昭和7年)3月に東京帝国大学理学部化学科を卒業、4月に資生堂研究部に入社。 1933年(昭和8年)2月に資生堂を退職、東京帝国大学理学部大学院に入学、有機化学を研究、1935年(昭和10年)3月に大学院を退学、4月に東京開成中学校講師に就任、教壇に立つ傍ら、東京帝国大学理学部化学教室で研究に従事。
田中 哲郎(たなか てつろう、1908年〈明治41年〉 - … 田中 哲郎(たなか てつろう、1908年〈明治41年〉 - 1974年〈昭和49年〉2月19日)は、日本の大蔵技官、酒類鑑定官、酒造技術指導者。元関東信越国税局鑑定官。「新潟銘酒の父」と呼ばれる。 新潟県新潟市出身。1924年(大正13年)3月に新潟中学校を卒業、1928年(昭和3年)3月に長岡高等工業学校応用化学科を卒業、長岡市の加藤製油所に勤務したのち、新井町の田中酒造場(現 君の井酒造)で、2年間、酒造りを修行。 1930年(昭和5年)に新潟県商工技手に任官、新潟県醸造試験場に着任、1938年(昭和13年)に名古屋税務監督局技手に任官、1941年(昭和16年)に名古屋財務局技手に任官、1943年(昭和18年)に新潟財務局技手に任官。
笹岡 了一(ささおか りょういち、1907年8月23日 - … 笹岡 了一(ささおか りょういち、1907年8月23日 - 1987年6月8日)は、日本の洋画家。本名は秋元 了一(あきもと りょういち)で、結婚後も旧姓で活動していた。妻は画家・詩人の秋元松子、長女(養女)は画家の秋元由美子。
小池上 春芳(こいけがみ はるよし、1907年〈明治40年〉… 小池上 春芳(こいけがみ はるよし、1907年〈明治40年〉2月11日 - 1997年〈平成9年〉10月26日)は、日本の解剖学者、医師。医学博士。新潟医科大学解剖学第二教室第2代教授。新潟大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員。 新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)の富商・小池上春五郎の四男として出生。 1923年(大正12年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1926年(大正15年)3月に新潟高等学校を卒業、1930年(昭和5年)3月に新潟医科大学を卒業。 1930年(昭和5年)4月に新潟医科大学解剖学教室(担任:平澤興教授)助手に就任、1934年(昭和9年)3月に新潟医科大学解剖学教室助教授に就任、1935年(昭和10年)1月に新潟医科大学から医学博士の学位を取得。
星野 力(ほしの つとむ、1906年12月2日 - 1994… 星野 力(ほしの つとむ、1906年12月2日 - 1994年3月11日)は日本のジャーナリスト、政治家。元日本共産党参議院議員(1期)。同党中央委員会委員などを歴任。
松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1… 松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1日 - 2014年(平成26年)9月19日)は、日本の弁護士、裁判官、政治家。緑風会所属参議院議員。
池田 寿夫(いけだ ひさお、1906年〈明治39年〉8月15… 池田 寿夫(いけだ ひさお、1906年〈明治39年〉8月15日 - 1944年〈昭和19年〉11月9日)は、日本のプロレタリア文学評論家。本名は横山 敏男(よこやま としお)。 新潟県新潟市旭町通2番町出身。1913年(大正2年)4月に新潟尋常高等小学校に入学、坂口安吾は同級生、1920年(大正9年)4月に新潟中学校に入学、坂口安吾は同級生、1924年(大正13年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)。 1924年(大正13年)4月に新潟高等学校に入学、左傾化、1927年(昭和2年)3月に卒業、4月に東京帝国大学農学部農業経済学科に入学、駒場社会科学研究会に入会、帝大同人雑誌連盟を結成、1928年(昭和3年)7月に『大學左派』を創刊。
高橋 松蔵(たかはし まつぞう、1905年〈明治38年〉12… 高橋 松蔵(たかはし まつぞう、1905年〈明治38年〉12月14日 - 1981年〈昭和56年〉1月31日)は、日本の外科医、内科医、小児科医。紫野診療所元所長、京都民医連第2代会長、ミノファーゲン製薬本舗元顧問。 新潟県出身。新潟師範学校附属小学校を経て、1922年(大正11年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1925年(大正14年)3月に新潟高等学校を卒業、1929年(昭和4年)3月に京都帝国大学医学部医学科を卒業。 1929年(昭和4年)4月に京都帝国大学医学部外科学教室副手に就任、1930年(昭和5年)9月15日に京都府宇治市の花屋敷浮舟園で結婚。 1931年(昭和6年)に京都府京都市左京区田中馬場町の養正隣保館に診療所を開設。
福原 武(ふくはら たけし、1904年〈明治37年〉4月3日… 福原 武(ふくはら たけし、1904年〈明治37年〉4月3日 - 1996年〈平成8年〉1月21日)は、日本の生理学者、医師。医学博士。岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座初代教授。岡山大学名誉教授、日本生理学会特別会員。 新潟県新潟市寄居町(現 新潟市中央区寄居町)出身。1921年(大正10年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1924年(大正13年)3月に新潟高等学校を卒業、1928年(昭和3年)3月に新潟医科大学を卒業。 1928年(昭和3年)4月に新潟医科大学生理学教室(担任:横田武三教授)助手に就任、1930年(昭和5年)4月に講師に就任、1932年(昭和7年)2月に新潟医科大学から医学博士号を取得、1933年(昭和8年)4月に新潟医科大学生理学教室助教授に就任、1938年(昭和13年)11月に永井潜の推薦で北京大学医学院生理学教室初代教授に就任、太平洋戦争後、1945年(昭和20年)12月に日本に帰国、1946年(昭和21年)6月に新潟医科大学薬理学教室(担任:木原玉汝教授)助教授に就任、1948年(昭和23年)7月に米子医科大学生理学教室初代教授に就任、1949年(昭和24年)5月に鳥取大学医学部生理学教室初代教授に就任、1954年(昭和29年)7月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座初代教授に就任、1956年(昭和31年)5月に岡山で第33回日本生理学会総会を主催、1966年(昭和41年)7月に岡山で第8回日本平滑筋学会総会を主催、1970年(昭和45年)3月に岡山大学を定年退官、6月に川崎医科大学生理学教室初代教授に就任、1976年(昭和51年)3月に同大学を退任、同大学客員教授に就任。
渡辺 浩太郎(わたなべ こうたろう、1904年(明治37年)… 渡辺 浩太郎(わたなべ こうたろう、1904年(明治37年)2月17日 - 1994年(平成6年)11月28日)は、日本の政治家。新潟市長、全国市長会会長。
市村 三男三(いちむら みおぞう、1904年〈明治37年〉1… 市村 三男三(いちむら みおぞう、1904年〈明治37年〉1月29日 - 1990年〈平成2年〉2月16日)は、日本の洋画家、プロレタリア画家。 新潟県中蒲原郡横越村大字横越(現 新潟市江南区横越中央)の素封家・市村俊蔵の三男として出生。 1922年(大正11年)3月に新潟中学校を卒業、1925年(大正14年)3月に横浜高等工業学校応用化学科を卒業、画家を志して川端画学校で学ぶ。 兄・彦馬の友人で新潟新聞社東京支局長の坂口献吉(坂口安吾の兄)に洋画家の矢部友衛を紹介され、1928年(昭和3年)9月に造型美術家協会に入会、1929年(昭和4年)4月に日本プロレタリア美術家同盟の結成に参加。 1930年(昭和5年)3月に日本プロレタリア美術家同盟中央委員・組織部長・青年婦人部長に就任、1932年(昭和7年)2月に京都で結婚、東京に戻って日本プロレタリア美術家同盟本部組織部長に就任。
早山 洪二郎(はやま こうじろう、1903年〈明治36年〉5… 早山 洪二郎(はやま こうじろう、1903年〈明治36年〉5月14日 - 1990年〈平成2年〉6月16日)は、日本の実業家。昭和石油第3代社長。 新潟県新潟市寄居町(現 新潟市中央区寄居町)の石油精製業・早山与三郎の長男として出生、新潟県新潟市白山浦2丁目(現 新潟市中央区白山浦2丁目)に転居。 1920年(大正9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1923年(大正12年)3月に新潟高等学校を卒業、1926年(大正15年)3月に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。 父の早山与三郎が新潟市関屋大川前で営む早山製油所で石油精製業に従事、日米礦油新潟製油工場や早山製油所川崎工場を経て、1932年(昭和7年)6月に日米礦油取締役に就任、1933年(昭和8年)2月から不二商事監査役を兼任。
安宅 乕雄(あたか とらお、1902年〈明治35年〉3月31… 安宅 乕雄(あたか とらお、1902年〈明治35年〉3月31日 - 1989年〈平成元年〉11月12日)は、日本の洋画家。 新潟県新潟市東堀通9番町(現 新潟市中央区東堀通9番町)の資産家・安宅安太郎の次男として出生。 1920年(大正9年)3月に新潟中学校を卒業、1922年(大正11年)に独学で画家を志す。 1926年(大正15年)の第7回帝展で『風景』が初入選、1928年(昭和3年)に義兄(姉の夫)の大久保賢治郎の支援によりヨーロッパに渡って各国の美術を研究、1931年(昭和6年)に帰国。 1936年(昭和11年)に二科会会友になるが、1939年(昭和14年)に二科会を退会、1940年(昭和15年)に一水会会員になり、1946年(昭和21年)に一水会委員に就任、1949年(昭和24年)に一水会運営委員に就任。
西枝 一江(にしえだ いちえ、1901年〈明治34年〉12月… 西枝 一江(にしえだ いちえ、1901年〈明治34年〉12月20日 - 1973年〈昭和48年〉3月15日)は、日本の弁理士、実業家。宮木電機製作所第2代社長、元京セラ取締役。 新潟県西蒲原郡味方村大字西白根(現 新潟市南区西白根)の浄土真宗大谷派・願信寺の西枝正観の四男として出生。 1920年(大正9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1923年(大正12年)3月に新潟高等学校を卒業、1927年(昭和2年)3月に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。 1927年(昭和2年)に京都府京都市下京区福稲岸ノ上町(現 京都市東山区)の碍子製造会社・松風工業に入社したが、社長と何度も衝突し、昭和恐慌の影響で人員整理の対象となり、1930年(昭和5年)に退社。
住木 諭介(すみき ゆすけ、1901年〈明治34年〉2月10… 住木 諭介(すみき ゆすけ、1901年〈明治34年〉2月10日 - 1974年〈昭和49年〉9月11日)は、日本の農芸化学者。農学博士。東京大学名誉教授、日本農芸化学会名誉会員。元東京大学農学部学部長、元理化学研究所副理事長。 新潟県新潟市東堀前通9番町(現 新潟市中央区)の新潟県庁職員・住木正次郎の長男として出生。 1919年(大正8年)3月に新潟中学校を卒業、1922年(大正11年)3月に新潟高等学校を卒業、1925年(大正14年)3月に東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業、1929年(昭和4年)3月に東京帝国大学農学部大学院を修了。 1929年(昭和4年)4月に東京帝国大学農学部農芸化学科(主任:鈴木梅太郎)副手に就任、1932年(昭和7年)9月に東京帝国大学農学部農芸化学科助手に就任、1936年(昭和11年)8月に東京帝国大学農学部農芸化学科助教授に就任。
山田 正平(やまだ しょうへい、明治32年(1899年)2月… 山田 正平(やまだ しょうへい、明治32年(1899年)2月1日 - 昭和37年(1962年)8月16日)は、新潟県出身の篆刻家。「昭和の代表的篆刻家」。
佐々木 八郎(ささき はちろう、1898年9月10日 - 1… 佐々木 八郎(ささき はちろう、1898年9月10日 - 1980年9月8日)は、日本の国文学者。中世文学、特に『平家物語』の研究によって知られた。
堺 時雄(さかい ときお、旧姓:金井〈かない〉、1898年〈… 堺 時雄(さかい ときお、旧姓:金井〈かない〉、1898年〈明治31年〉8月16日 - 1991年〈平成3年〉)は、日本の写真家。 新潟県新潟市南浜通2番町(現 新潟市中央区中大畑町)の金井写真館を経営する写真師・金井弥一の三男として出生。 1919年(大正8年)3月に新潟中学校を卒業、1922年(大正11年)3月に東京美術学校臨時写真科を卒業、帰郷して父の金井写真館を手伝う。 1922年(大正11年)12月に一年志願兵として岐阜県の各務原陸軍飛行場の飛行第2大隊偵察隊に入隊、1923年(大正12年)11月に陸軍航空兵軍曹に任官、12月に予備役に編入、1924年(大正13年)5月に飛行第2大隊に入隊、9月に召集解除、陸軍航空兵曹長に任官。
薄田 七郎(うすだ しちろう、1898年〈明治31年〉1月1… 薄田 七郎(うすだ しちろう、1898年〈明治31年〉1月12日 - 1983年〈昭和58年〉10月22日)は、日本の病理学者、厚生技官、医師。医学博士。台北帝国大学医学部病理学教室病理学第一講座第2代教授。 新潟県中蒲原郡木戸村大字鴉俣(現 新潟市東区山木戸)の医師・薄田敬勝の長男として出生。 1915年(大正4年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第二高等学校を卒業、1923年(大正12年)4月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 東京帝国大学医学部病理学教室に入室、1925年(大正14年)1月に泉橋慈善病院内科医員に就任、1926年(大正15年)4月に同病院病理解剖科医員に就任、1932年(昭和7年)11月に東京帝国大学から医学博士の学位を取得。
佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8… 佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。
笹川 久吾(ささがわ きゅうご、1894年〈明治27年〉9月… 笹川 久吾(ささがわ きゅうご、1894年〈明治27年〉9月5日 - 1968年〈昭和43年〉5月16日)は、日本の生理学者、医師。医学博士。京都大学名誉教授、日本生理学会特別会員、日本体力医学会名誉会員。日本鍼灸学会初代会長。 新潟県西蒲原郡金巻村大字大野町(現 新潟市西区大野町)出身。1914年(大正3年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第四高等学校を卒業、1923年(大正12年)6月に京都帝国大学医学部医学科を卒業。 1925年(大正14年)6月に京都帝国大学医学部生理学第二講座(担任:石川日出鶴丸教授)助手に就任、1928年(昭和3年)11月に大阪高等医学専門学校教授に就任、1929年(昭和4年)6月に京都帝国大学から医学博士号を取得。
金子 義晁(かねこ よしとも、1894年〈明治27年〉7月1… 金子 義晁(かねこ よしとも、1894年〈明治27年〉7月1日 - 1966年〈昭和41年〉11月27日)は、日本の内科学者、内科医。医学博士。同和病院初代理事長・院長、元外務省診療所所長、元老人病研究所副所長、元東京医科大学教授。 新潟県中蒲原郡村松町(現 五泉市村松)の士族出身。1914年(大正3年)3月に新潟中学校を卒業、1918年(大正7年)7月に第八高等学校を卒業、1922年(大正11年)3月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1922年(大正11年)4月に東京帝国大学医学部病理学第一講座(教授:緒方知三郎)に入室、1927年(昭和2年)に東京帝国大学医学部附属医院第二内科(教授:呉建)に入局、1929年(昭和4年)3月に東京帝国大学から医学博士号を取得。
今川 一策(いまがわ いっさく、1894年(明治27年)5月… 今川 一策(いまがわ いっさく、1894年(明治27年)5月15日 - 1977年(昭和52年)12月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 新潟県出身。新潟中学校(現新潟県立新潟高等学校)を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第21連隊付となる。1920年(大正9年)4月、騎兵中尉に昇進した。 1922年(大正11年)2月から10月まで陸軍航空学校操縦学生となる。同年11月、飛行第1大隊付に発令され、1924年(大正13年)11月、下志津陸軍飛行学校教官に異動し、1925年(大正14年)5月、兵科を航空兵に転じ航空兵中尉となる。
石黒 芳雄(いしぐろ よしお、1893年〈明治26年〉8月2… 石黒 芳雄(いしぐろ よしお、1893年〈明治26年〉8月26日 - 1969年〈昭和44年〉8月5日)は、日本の生理学者、内科学者、内科医。医学博士。海軍軍医。最終階級は海軍軍医中将。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)出身。1912年(明治45年)3月新潟中学校卒業、同年(大正元年)9月新潟医学専門学校入学、1913年(大正2年)12月海軍軍医学生受命、1916年(大正5年)5月新潟医学専門学校卒業。 1916年(大正5年)7月海軍少軍医、1917年(大正6年)12月海軍中軍医、1919年(大正8年)9月海軍軍医中尉、1920年(大正9年)12月海軍軍医大尉、給油艦「知床」軍医長、1923年(大正12年)2月装甲巡洋艦「出雲」軍医長心得・分隊長心得、同年4月霞ヶ浦海軍航空隊分隊長、1925年(大正14年)12月海軍軍医少佐、1928年(昭和3年)4月新潟医科大学研究科学生(内科学・生理学)、1929年(昭和4年)11月海軍軍医中佐、1930年(昭和5年)12月横須賀海軍航空隊軍医長・分隊長、1931年(昭和6年)4月医学博士(新潟医科大学)、1933年(昭和8年)10月海軍航空廠医務部長、1934年(昭和9年)11月海軍軍医大佐、1938年(昭和13年)11月海軍軍医学校教官、1939年(昭和14年)4月海軍航空技術廠医務部長、1940年(昭和15年)11月海軍軍医少将、1943年(昭和18年)4月海軍航空技術廠航空医学部長、1944年(昭和19年)5月海軍軍医中将、同年11月佐世保鎮守府軍医長・佐世保海軍病院長、1945年(昭和20年)10月予備役。
近藤 正二(こんどう しょうじ、1893年〈明治26年〉2月… 近藤 正二(こんどう しょうじ、1893年〈明治26年〉2月5日 - 1977年〈昭和52年〉1月22日)は、日本の衛生学者、医師。医学博士。東北大学名誉教授。 生涯を通して食生活改善の啓蒙・普及に尽力し、欧米人と比較して著しく劣っていた日本人の体格、体力、寿命の向上に貢献した。 新潟県新潟市本町通10番町(現 新潟市中央区本町通10番町)の薬種商・近藤市蔵の次男として出生。 1910年(明治43年)3月に新潟中学校を卒業、1913年(大正2年)7月に第一高等学校を卒業、1917年(大正6年)12月に東京帝国大学医科大学医学科を卒業。 1918年(大正7年)1月に東北帝国大学医科大学細菌学教室細菌学講座(担任:青木薫教授)助手に就任、1920年(大正9年)11月に東北帝国大学医学部細菌学教室細菌学講座講師に就任、1921年(大正10年)3月に助教授に就任。
高田 蒔(たかた まき、1892年〈明治25年〉12月30日… 高田 蒔(たかた まき、1892年〈明治25年〉12月30日 - 1978年〈昭和53年〉3月4日)は、日本の生化学者、内科学者、内科医。医学博士。東邦大学名誉教授、アメリカ国際アカデミー名誉会員。雅号は日庵主人。 新潟県新潟市学校町通(現 新潟市中央区学校町通)の新潟県直税署職員・高田善一郎の四男として出生。 1910年(明治43年)3月に新潟中学校を卒業、1911年(明治44年)9月に仙台医学専門学校医学科に入学、1913年(大正2年)8月に東京府北豊島郡巣鴨町巣鴨(現 東京都豊島区巣鴨)の溝口伯爵家家扶・高田政敏の養子になった。 1915年(大正4年)9月に東北帝国大学医学専門部医学科を優等で卒業、恩賜の銀時計を下賜された。
田代 正治(たしろ しょうじ、1892年(明治25年)9月1… 田代 正治(たしろ しょうじ、1892年(明治25年)9月11日 - 1983年(昭和58年)11月11日)は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員。 新潟県中蒲原郡村松町(現五泉市)で素封家・田代兼次の三男として生まれる。新潟県立新潟中学校を経て、1915年、農林省水産講習所(現東京海洋大学)漁撈科を卒業した。 その後、佐渡島で漁業に従事。1916年、青森県技手に就任。1919年、日魯漁業の平塚常次郎に見いだされ同社に入社。函館製網船具 (株) に転じて新川工場長に就任し漁網の改良に従事。1931年に独立して漁網漁具製造販売業を営んだ。また、函館産業社長、函館青果卸売市場社長、北海道方面委員、函館地方裁判所調停委員、函館調停協会理事などを務めた。
小川 蕃(おがわ しげし、1891年〈明治24年〉10月14… 小川 蕃(おがわ しげし、1891年〈明治24年〉10月14日 - 1939年〈昭和14年〉9月1日)は、日本の外科学者、外科医。医学博士。京城帝国大学医学部外科学教室外科学第二講座初代教授。朝鮮医学界に大きな貢献をした。 新潟県中蒲原郡津島村大字古津(現 新潟市秋葉区古津)において津島村村長・小川重綽の五男として出生。 1909年(明治42年)3月に新潟中学校を卒業、1913年(大正2年)7月に第二高等学校を卒業、1917年(大正6年)12月に東京帝国大学医科大学医学科を卒業。 東京帝国大学医科大学外科学教室外科学第二講座(担任:近藤次繁教授)副手に就任、1919年(大正8年)12月から神戸三菱造船所病院に勤務、1921年(大正10年)3月に朝鮮総督府医院医官に就任、6月から京城医学専門学校教授を兼任。