スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
福山 透(ふくやま とおる、昭和23年(1948年)8月9日… 福山 透(ふくやま とおる、昭和23年(1948年)8月9日 - )は日本の有機化学者。名古屋大学大学院創薬科学研究科特任教授、東京大学名誉教授、元評議員(2007年4月〜2009年3月)。研究分野は天然物全合成、有機合成化学、有機反応開発。愛知県安城市出身。 ライス大学時代より天然物全合成に取り組み、マイトマイシン、デュオカルマイシン、(–)-CP-263,114、ストリキニーネ、レイナマイシン、FR900482など数多くの複雑な化合物の合成を完成している、アルカロイド類合成の世界的第一人者である。特にマイトマイシンの大量合成法は医薬品合成化学に多くのインパクトを与えた[要出典]。 またその過程で2-ニトロベンゼンスルホニル基(アミノ基の保護基の一つ)、インドールの合成法(福山インドール合成と呼ばれ、第一世代と第二世代がある)、穏和な条件でアルデヒドをチオエステルより生成する福山還元、ヨウ化銅(I)を用いた穏和な芳香族アミノ化反応などの合成手法や反応を多数開発しており、いずれも広く使われる有用な合成手段となっている。
浅井 久仁臣(あさい くにおみ、1947年9月17日 - )… 浅井 久仁臣(あさい くにおみ、1947年9月17日 - )は、日本のジャーナリスト。中近東情勢、災害対策・防災などを専門とする。 愛知県岡崎市生まれ。1歳のとき、職業軍人だった父親を結核で亡くす。母親は西三河で最初の女性校長に就任した浅井千代子。岡崎市立男川小学校、岡崎市立美川中学校、愛知県立岡崎高等学校卒業。1浪後の1967年、獨協大学外国語学部英語学科に入学するが、半年で退学。 1970年に渡英。同年9月、皿洗いとして働いていたホテルのテレビでPFLP旅客機同時ハイジャック事件のニュースを見たことがきっかけで、パレスチナ問題に興味を抱く。1971年にヨルダンやシリアに入り、パレスチナ難民キャンプなどの取材を始めた。
佐々木 眞一(ささき しんいち、1946年12月18日 - … 佐々木 眞一(ささき しんいち、1946年12月18日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車代表取締役副社長や、トヨタ東京自動車大学校理事長、名古屋グランパスエイト代表取締役社長を経て、首都高速道路取締役会長、日本科学技術連盟理事長、道路新産業開発機構会長。 秋田県秋田市千秋中島町生まれ。秋田県立秋田工業高等学校ラグビー部出身の父眞平が、トヨタ自動車ラグビー部の選手となったため、小学校入学前に一家で愛知県豊田市に移住した。 1965年、愛知県立岡崎高等学校卒業。1970年に北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。長く品質管理を担当し、トヨタモーターマニュファクチャリングUK品質管理部長、堤工場品質管理部長等を経て、2001年に小野博信、金田新、白井芳夫、井川正治、高田坦史らとともに取締役昇格。
中尾 幸男(なかお ゆきお、1946年12月6日 - 202… 中尾 幸男(なかお ゆきお、1946年12月6日 - 2021年12月6日)は、日本のテレビプロデューサー、実業家。テレパック所属、元C.A.L代表取締役社長、社団法人全日本テレビ番組製作社連盟理事長。
早稲田 嘉夫(わせだ よしお、1945年10月22日 - )… 早稲田 嘉夫(わせだ よしお、1945年10月22日 - )は、日本の材料工学者。工学博士。東北大学名誉教授。国立大学法人東北大学理事・副総長、京都大学大学院教授、ペンシルベニア大学客員教授、日本金属学会会長などを歴任。紫綬褒章受章。公益財団法人電磁材料研究所の理事長。 愛知県出身。岡崎市の中学校を経て、1964年愛知県立岡崎高等学校卒業。1968年名古屋工業大学金属工学科卒業。名古屋工業大学で師事した矢島悦次郎の勧めで、1973年東北大学大学院工学研究科金属材料工学専攻博士課程修了、工学博士、東北大学選鉱製錬研究所助手。 1977年トロント大学冶金学科客員教授。1980年東北大学選鉱製錬研究所講師。
冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、… 冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、日本の自動車技術者。愛知県出身。愛知県立岡崎高等学校卒業、東北大学大学院工学研究科修了。 トヨタ・モータースポーツ(TMG、後のトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)会長、トヨタF1チーム代表、富士スピードウェイ代表取締役会長などを歴任した。
芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の… 芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の実業家。JCRファーマ株式会社創業者で、同社代表取締役会長兼社長兼CEO兼COOを経て、取締役ファウンダー。新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受け、日本初となるCOVID-19ワクチンの製造拠点整備を行った。 東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺生まれ。神戸市東灘区御影の旧乾邸の向いの洋館で育つ。神戸大学附属住吉小学校を経て、愛知県安城市に転居し、1958年愛知学芸大学附属岡崎中学校(現愛知教育大学附属岡崎中学校)卒業。1961年愛知県立岡崎高等学校卒業。 西宮市からYMCA予備校に通って浪人生活を送ったのち、1962年甲南大学文学部に進学。
天野 義裕(あまの よしひろ、1942年10月16日 - )… 天野 義裕(あまの よしひろ、1942年10月16日 - )は、日本の短距離走選手である。 愛知県岡崎市出身。父親は教員。母方の祖父は岡崎市長を務めた小瀧喜七郎。 岡崎市立南中学校、愛知県立岡崎高等学校を経て東京教育大学に進学。大学4年生のとき、1964年東京オリンピックで男子1600メートルリレー走に第三走者として出場した。のちに愛知教育大学教育学部教授となった。1968年第52回日本選手権400mにて記録48秒2で優勝。
渡辺 捷昭(わたなべ かつあき、1942年2月13日 - )… 渡辺 捷昭(わたなべ かつあき、1942年2月13日 - )は、日本の実業家。 首都高速道路株式会社取締役会長、一般財団法人道路新産業開発機構会長、一般財団法人道路システム高度化推進機構理事長、一般社団法人次世代放送推進フォーラム名誉会長、公益財団法人長寿科学振興財団会長、トヨタ自動車株式会社代表取締役社長(第5代、工販分離前から数えると第10代)、トヨタファイナンシャルサービス監査役、一般社団法人日本経済団体連合会副会長を歴任した。 三重県四日市市生まれ。愛知県立岡崎高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒業。 1964年4月にトヨタ自動車工業株式会社(現在のトヨタ自動車)に入社。1992年に取締役、1997年に常務、1999年に専務、2001年に副社長を経て、2005年に社長、2009年に副会長に昇格し、2011年に相談役に退いた。
浦野 烋興(うらの やすおき、1941年〈昭和16年〉11月… 浦野 烋興(うらの やすおき、1941年〈昭和16年〉11月3日 - 2021年〈令和3年〉1月25日)は、日本の政治家。位階は従三位。衆議院議員(6期)、科学技術庁長官(第53代)を歴任した。 自民党内では宮澤派に所属。労働大臣を務めた浦野幸男の女婿。結婚前の旧姓は伊藤。 愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市長興寺9丁目)に生まれる。父親の伊藤茂は教員で、のちに愛知県立豊田西高等学校の校長を務めた。1948年4月、知立町立知立小学校(現・知立市立知立小学校)に入学。1954年3月、挙母市立挙母南部小学校卒業。1957年3月、愛知学芸大学附属岡崎中学校(現・愛知教育大学附属岡崎中学校)卒業。1960年3月、愛知県立岡崎高等学校卒業。
戸松 秀典(とまつ ひでのり、1941年4月16日 - )は… 戸松 秀典(とまつ ひでのり、1941年4月16日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。学習院大学名誉教授。元旧司法試験第二次試験考査委員。元弁護士(渡部晃法律事務所)。法制審議会委員。法学博士(東京大学・課程博士・1976年)。憲法訴訟、アメリカ憲法を中心に研究する。瑞宝中綬章受章。芦部信喜門下。 愛知県出身。伊藤正己が『憲法』の執筆途中で最高裁判事に就任したため、残りのかなりの部分を戸松が執筆した。 2014年1月31日、憲法学研究に専念するため弁護士登録を取り消した。
黒田 直樹(くろだ なおき、1940年(昭和15年)12月1… 黒田 直樹(くろだ なおき、1940年(昭和15年)12月18日 - )は、日本の通産官僚。元資源エネルギー庁長官。元国際石油開発帝石株式会社会長・社長。 通産省入省同期(1963年度)には、牧野力(通産事務次官)、秋山收(内閣法制局長官)、高島章(特許庁長官)、麻生渡(特許庁長官、福岡県知事)、長田英機(中小企業庁長官)、川口融(福岡通産局長、川口順子の夫)、川原壮介(大臣官房審議官)、関野弘幹(三洋電機専務執行役員、経済企画庁物価局審議官)、西川禎一(日本航空機開発協会副理事長、中小企業庁次長)、小野榮一(三菱化学DRM社長、日本航空宇宙工業会専務理事)、山下弘文(日伯紙パルプ資源開発常勤監査役)、窪川功(ジェトロバンコック所長、東武百貨店専務)などがいる。
川口 文夫(かわぐち ふみお、1940年9月8日 - )は、… 川口 文夫(かわぐち ふみお、1940年9月8日 - )は、日本の実業家。中部電力元代表取締役社長、会長(現・相談役)、中部経済連合会会長、名古屋ケーブルビジョン理事長、財団法人中部産業・地域活性化センター会長、名古屋「正論」懇話会代表幹事、NPO法人日本防災士機構評議員。Jリーグ・名古屋グランパス前会長。 愛知県額田郡幸田町出身。1959年、愛知県立岡崎高等学校を経て、1964年、早稲田大学第一商学部卒業。同年、中部電力に入社。同社取締役資材部長、取締役名古屋支店長、常務取締役等を経て、2001年6月より代表取締役社長を務め、2005年6月より同社会長。2010年6月25日には相談役に就任した。
外村 仁(とのむら ひとし 1938年3月 - 2018年1… 外村 仁(とのむら ひとし 1938年3月 - 2018年12月6日)は、日本の実業家。元野村アセットマネジメント社長。元野村證券副社長。愛知県出身。 1960年名古屋大学経済学部卒業後、野村證券入社。名古屋大学陸上競技部出身。1964年コロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクール(アメリカ)にてMBA取得。その後、海外業務畑を歩み、同社ビジネスの国際化を推し進めた。以後、ノムラ・インターナショナル・リミテッド社長、野村證券副社長等を歴任し、1997年野村證券投資信託委託(現野村アセットマネジメント)社長就任。2018年死去。
本田 威志(ほんだ たけし、1937年8月20日 - 201… 本田 威志(ほんだ たけし、1937年8月20日 - 2010年7月27日)は、日本の元プロ野球選手(内野手)。愛知県岡崎市出身。
小幡 鋹伸(おばた としのぶ、1937年5月 - )は、日本… 小幡 鋹伸(おばた としのぶ、1937年5月 - )は、日本の実業家。名古屋東部陸運代表取締役社長や、豊田スタジアム代表取締役社長、愛知県トラック協会会長、全日本トラック協会副会長などを歴任した。 愛知県豊田市出身。1956年愛知県立岡崎高等学校卒業。1962年明治大学商学部卒業。1966年オバタ産業代表取締役社長。1971年名古屋東部陸運代表取締役社長。1974年メイダイ代表取締役。1992年豊田市体育協会長。2000年名古屋東部陸運代表取締役会長、豊田スタジアム代表取締役社長。2002年豊田商工会議所副会頭。2011年全日本トラック協会副会長、愛知県トラック協会会長。 2018年に旭日中綬章を受章し、名古屋東急ホテルで祝賀会を開催。
各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2… 各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2025年8月27日)は、日本の海外ミステリ編集者、翻訳家、評論家、アンソロジスト。 本名は太田博(おおた ひろし)。日本推理作家協会会員。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業。早稲田大学商学部在学中は歌人として知られた。歌人としての名義は太田比呂史であり、結社「未来」に参加していた。 同大学卒業後、早川書房に入社し、『ミステリマガジン』の編集に携わる。常盤新平の後を受け、1969年8月号から編集長になり、1973年6月号まで務める。その後フリーとなり、海外ミステリの翻訳(ジュニア向け多数)、評論執筆、アンソロジー編纂に携わる。 1995年に編著『チャンドラー人物事典』で、第48回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞した。
杉浦 昌弘(すぎうら まさひろ、1936年9月25日 - )… 杉浦 昌弘(すぎうら まさひろ、1936年9月25日 - )は、日本の植物分子生物学者・植物分子遺伝学者。学位は、理学博士(名古屋大学・論文博士・1967年)(学位論文「無細胞系におけるバクテリオファージφ×174の遺伝情報の発現」)。名古屋大学特別教授。名古屋大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。小学校から高校卒業まで幸田町で過ごした。双子葉植物であるタバコを用いて、1986年に植物葉緑体ゲノムの全塩基配列を世界で初めて決定した業績で世界で広く知られる。その後、単子葉植物のイネ葉緑体ゲノム、裸子植物のクロマツ葉緑体ゲノム、藻類のクロレラ葉緑体ゲノムの全塩基配列を決定。また、試験管内(in vitro)で活性のある葉緑体DNAの転写・翻訳系を開発した事でも知られる。
河井 学(かわい まなぶ、1936年8月21日 - )は、愛… 河井 学(かわい まなぶ、1936年8月21日 - )は、愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手。 1955年、愛知県立岡崎高等学校卒業。同年、毎日オリオンズへ入団。1957年に退団。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
杉浦 正健(すぎうら せいけん、1934年〈昭和9年〉7月2… 杉浦 正健(すぎうら せいけん、1934年〈昭和9年〉7月26日 - )は、日本の政治家、弁護士。自由民主党所属の元衆議院議員(6期)。法務大臣(第76代)、内閣官房副長官(政務担当、第2次小泉内閣・第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)などを歴任した。 1990年2月の総選挙で大規模な買収を行い、岡崎市議会議員13人が逮捕され、同7人が書類送検された(杉浦事件)。17人もの市議を入れ替える補欠選挙を引き起こし、市政を混乱に陥れるが、自身の立件は免れ、2005年には法務大臣として初入閣した。2023年まで小池百合子都知事の政治団体「百乃会」の代表および会計責任者を務めた。 愛知県矢作町大字東本郷(現・岡崎市東本郷町字荒井前)に生まれる。
小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )… 小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
石川 克彦(いしかわ かつひこ、1933年10月13日 - … 石川 克彦(いしかわ かつひこ、1933年10月13日 - )は、愛知県丹羽郡扶桑町出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 … 冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 - 2016年〈平成28年〉5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー・アーティスト(シンセサイザー音楽作家、シンセサイザー奏者)。 1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放のラジオ番組、テレビ番組、映画、虫プロダクション関連のアニメーション等々、映像作品の音楽を数多く担当した。これらの作品は後年のシンセサイザー・サウンドとの連続性は少なく、むしろ親しみやすいオリジナルメロディ、時にジャズ調も交えた華麗なオーケストレーションなどで高く評価された。現在も多くの作品がCD等で愛聴されている。#主な作品を参照。
杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8… 杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8日 - 2011年〈平成23年〉9月21日)は、日本の俳優。フリーランス。血液型はB型 愛知県岡崎市に、杉浦仙次郎の次男として生まれる。兄に康雄、弟に俊也、2人の妹がいる。祖父は実業家の3代目杉浦銀蔵。従兄は数学者で東京大学名誉教授の杉浦光夫で、父の兄である英一の次男。戦争末期、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。1945年、学徒動員により日清紡績美合工場に送られ、終戦まで飛行機を作る毎日を送る。 1946年春、当時岡崎中学校で教鞭を執っていた画家の山本鍬太郎が演劇部を設立すると、すぐに入部。1948年4月の学制改革により愛知県立岡崎北高等学校に移る。
木村 克美(きむら かつみ、1931年8月31日 - )は、… 木村 克美(きむら かつみ、1931年8月31日 - )は、日本の化学者。分子科学の分野で著名。分子科学研究所名誉教授。レーザー光を利用して分子の電子状態やイオン化ポテンシャル等の精密測定を行った。実兄の木村資生(きむら もとお)も研究者で、世界的な集団遺伝学者である。理学博士(名古屋大学)。 ヘリウム共鳴線 (HeI) を光源とするHeI光電子分光法や、ナノ秒パルスレーザー光電子分光法などを用いて数々の業績を上げた。多数の基本的有機分子の光電子スペクトルを測定し、理論計算に基づくイオン化ポテンシャルの帰属を行った。レーザーを光源とした、新たな高分解能光電子分光法の開発を精力的に行い、パルスレーザーによる多光子励起光電子の飛行時間分析を組み合わせた「電子励起状態からの光電子分光法」を確立した。
小林健吾(こばやし けんご、1930年5月29日- )は、日… 小林健吾(こばやし けんご、1930年5月29日- )は、日本の会計学者。滋賀大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業、1954年名古屋大学経済学部卒業。1956年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。1975年コロンビア大学卒、1980年「直接原価計算」で大阪市立大学より経営学博士の学位を取得。1957年名城大学法商学部講師、1961年専修大学商経学部助教授、1962年経営学部助教授、1968年滋賀大学経済学部助教授、1971年教授、1986年名誉教授、青山学院大学経営学部教授。2001年定年、名誉教授、青森公立大学経営経済学部教授、2005年LEC会計大学院教授、2010年特任教授。
内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016… 内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016年12月11日)は、日本の外科医、ジャズ愛好家。愛知県岡崎市出身。名古屋大学医学部卒業。数多くのジャズミュージシャンを支援したことから親しみをこめて「Dr.U(ドクター・ユー)」「Dr.Jazz(ドクター・ジャズ)」と呼ばれる。その膨大なコレクションは、愛知県岡崎市に寄付された。「ジャズの街岡崎名誉顧問」。 1929年10月5日、愛知県岡崎市に産婦人科医院の二男として生まれる。1945年7月、岡崎空襲により家を失い、一家で額田郡岩津町(現・岡崎市岩津町)に疎開する。1947年3月、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1950年、名古屋大学医学部に入学。
杉浦 光夫(すぎうら みつお、1928年9月10日- 200… 杉浦 光夫(すぎうら みつお、1928年9月10日- 2008年3月11日)は、日本の数学者。理学博士(1961年)。東京大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。1946年、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。1953年、東京大学理学部数学科卒業。1961年、理学博士。東京大学教養学部助教授、教授、1989年、定年退官、名誉教授。1989年、津田塾大学学芸部教授。2003年より津田塾大学理事。2008年3月11日に死去。79歳没。 俳優杉浦直樹は従兄弟である。
稲垣 実男(いながき じつお、旧字体: 稻垣 實男、1928… 稲垣 実男(いながき じつお、旧字体: 稻垣 實男、1928年〈昭和3年〉3月28日 - 2009年〈平成21年〉3月5日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、国務大臣北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官などを歴任。 愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市)の仕出し料理屋「新黒」に生まれる。愛知県立西尾実業学校(現・愛知県立鶴城丘高等学校)、愛知県岡崎中学校特設科(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に中垣国雄が旧愛知4区から立候補。このとき一色町出身の池田駒平県議から頼まれ、中垣の選挙を手伝う。「新生日本を築くのはこの人だ」と確信を深めた稲垣は1948年春に上京。
近藤 貞雄(こんどう さだお、1925年10月2日 - 20… 近藤 貞雄(こんどう さだお、1925年10月2日 - 2006年1月2日)は、プロ野球選手(投手)・指導者・監督、野球解説者。
中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018… 中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018年1月17日)は、日本の洋画家。繊細で清澄な点描が特徴である。東京芸術大学名誉教授。 愛知県額田郡豊富村夏山(現・岡崎市夏山町)に生まれた。額田郡本宿村(現・岡崎市本宿町)で少年時代を過ごす。1931年(昭和6年)4月、父親が校長を務めていた本宿尋常小学校(現・岡崎市立本宿小学校)に入学。高等科を経て、1937年(昭和12年)に愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。中学で東京美術学校(現・東京芸術大学)出身の図画教師の山本鍬太郎と出会い、山本から絵を描くことの楽しさを教えられる。 1939年(昭和14年)、愛知県岡崎師範学校(愛知教育大学の前身)に入学。
木村 資生(きむら もとお、1924年〈大正13年〉11月1… 木村 資生(きむら もとお、1924年〈大正13年〉11月13日 - 1994年〈平成6年〉11月13日)は、日本の集団遺伝学者。中立進化説を提唱した。日本人で唯一ダーウィン・メダルを受賞。また、パフィオペディラムの育種家としても知られる。学位は、理学博士(大阪大学・1956年)。国立遺伝学研究所名誉教授。日本学士院会員。文化功労者。文化勲章受章。岡崎市名誉市民。 中立進化説とは、分子レベルの進化はダーウィン的な「サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト(fittest)」(適者生存)だけではなく、生存に有利でも不利でもない中立的な変化で「サバイバル・オブ・ザ・ラッキエスト(luckiest)」、すなわち、たまたま幸運に恵まれたものも残っていくという学説である。
植田 隼美(うえだ はやみ、1923年9月20日 - )は、… 植田 隼美(うえだ はやみ、1923年9月20日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
服部 受弘(はっとり つぐひろ、1920年2月23日 - 1… 服部 受弘(はっとり つぐひろ、1920年2月23日 - 1991年12月6日)は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手、投手、内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。
清水 孝之(しみず たかゆき、1918年11月5日 - 19… 清水 孝之(しみず たかゆき、1918年11月5日 - 1994年3月1日)は、日本の国文学者。愛知県三河地方の小中高校の校歌を数多く作詞した。 1918年、愛知県岡崎市で生まれた。1936年、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)を卒業。東京帝国大学文学部国文科に進み、1941年に卒業。 卒業後は、愛知第二師範学校講師に就いた。その後、安城女子専門学校(現・愛知学泉短期大学)講師。1951年、広島女子短期大学助教授となった。次いで高知女子大学助教授。1962年、学位論文『蕪村は画家か俳人か:その俳諧史的研究』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。愛知県立芸術大学教授となり、在任中は同附属図書館長も務めた。
稲葉 誠治(いなば せいじ、1917年4月13日 - 200… 稲葉 誠治(いなば せいじ、1917年4月13日 - 2001年11月20日)は、静岡県出身の元野球選手(投手)・監督。 静岡の少年野球の強豪・掛川第一尋常高等小学校時代は全国大会に出場し、小学校の一学年上には享栄商業~巨人軍の名捕手・中山武がいた。 旧制岡崎中学校では捕手の佐藤武夫とのバッテリーで黄金期を作り上げ、1935年の夏の甲子園愛知大会では決勝で愛知商業に2-0で敗退。 慶應義塾大学に進学後は、1939年秋季と1940年春季のリーグ優勝に貢献し、1941年には東大戦でノーヒットノーランを達成するなど戦前の東京六大学リーグで活躍。 戦時中はニューギニアで陸軍伍長として兵役に就き、終戦後に帰国。
荻 太郎(おぎ たろう、1915年2月28日 - 2009年… 荻 太郎(おぎ たろう、1915年2月28日 - 2009年9月2日)は、日本の画家、絵本作家。 愛知県北設楽郡稲武町(現・豊田市)に生まれる。ほどなくして岡崎市に移り住む。旧制岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。東京美術学校油画科入学。在学中に南薫造、猪熊弦一郎から指導を受ける。1937年、第2回新制作派協会展に初入選、以後出品を重ねる(1947年に会員となる)。1939年、東京美術学校油画科を卒業する。 1939年、東京美術学校を卒業。第4回新制作派協会展に出品し、新作家賞を受賞。1941年、第6回新制作派協会展で新作家賞受賞。1951年、第2回選抜秀作美術展。以後同展の他、日本国際美術展、現代日本美術展などにも出品した。
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月… 嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 本籍は大分県。鉄道局技師・澤重元の三男として奈良市で生れ、嶋崎家の養子となる。上野中学校(現・三重県立上野高等学校)、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)を経て、1929年(昭和4年)3月、海軍兵学校(第57期)を卒業。1930年(昭和5年)12月、海軍少尉任官。高橋赫一の薦めにより、高橋の妻の妹と結婚する。 1932年(昭和7年)12月から翌年7月まで、第23期飛行学生として訓練を受けた。
木村 三郎(きむら さぶろう、1907年(明治40年)3月2… 木村 三郎(きむら さぶろう、1907年(明治40年)3月27日 - 1996年(平成8年)6月21日)は、日本の内務官僚、造園家。 官庁技師として造園と都市計画行政の実務に携わる一方で東京大学農学部旧農学科のほか、千葉大学園芸学部、東京農業大学旧農学部造園学科で講師を務めている。国土開発調査会常任幹事、財団法人国土計画協会理事長を歴任。晩年は日本庭園研究に関する著述を多く残す。
足立 一平(あだち いっぺい、1906年6月26日 - 19… 足立 一平(あだち いっぺい、1906年6月26日 - 1957年11月27日)は、日本の教育者、政治活動家。岩津農商学校(現・愛知県立岩津高等学校)の創立者として知られる。 愛知県額田郡広幡町(現・岡崎市)に生まれる。岡崎市立広幡尋常高等小学校、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)、大阪外国語学校ドイツ語科を卒業。文部省在外研究員としてドイツに留学。ベルリン大学卒業後、ソビエト連邦、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、スウェーデン、中華民国などを視察した。また、フランスのニースで開かれた国際新教育会議に日本代表として出席した。 1933年(昭和8年)に帰国し、神戸高等商船学校教授に就任。
大隅 健一郎(おおすみ けんいちろう、1904年10月2日 … 大隅 健一郎(おおすみ けんいちろう、1904年10月2日 - 1998年3月19日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1953年)(学位論文「株式会社法変遷論」)。京都大学名誉教授。最高裁判所裁判官。1973年勲一等瑞宝章受章、1977年日本学士院会員、1985年文化功労者、1993年文化勲章受章。愛知県蒲郡市出身。竹田省門下。弟子に上柳克郎、河本一郎、龍田節、川又良也など。 旧制岡崎中学校(現愛知県立岡崎高等学校)卒業。旧制第八高等学校(現名古屋大学)卒業。大学在学中に高等文官試験の行政科と司法科に合格。1928年に京都帝国大学法学部卒業。山田正三学部長の勧められて、京都帝国大学法学部助手となる。
坂田 稔(さかた みのる、1902年 - 1974年)は、日… 坂田 稔(さかた みのる、1902年 - 1974年)は、日本の写真家。元石巻専修大学学長。坂田隆の父。
天野 末治(あまの すえじ、1901年1月21日 - 197… 天野 末治(あまの すえじ、1901年1月21日 - 1976年3月1日)は、日本の弁護士、社会運動家。扱った事件の多くは、小作争議、労働争議、思想弾圧事件などであり、自由法曹団東海支部結成においては指導的役割を果たした。愛知大学事件、大須事件の弁護団長として知られる。旧姓は柴田。 愛知県美合村大字岡村(現:岡崎市岡町字西側25番地)に、父柴田喜十、母たまの末っ子として生まれた。生家は農業で、当時その地方では養蚕が盛んであったことから、養蚕家が集まって蚕種製造組合を創った。父の柴田喜十は推されてその組合長となり、村会、信用組合などの役員などもした。 1914年(大正3年)、男川尋常高等小学校高等科を修了。
今泉 忠義(いまいずみ ただよし、1900年7月17日 - … 今泉 忠義(いまいずみ ただよし、1900年7月17日 - 1976年11月5日)は、日本の国語学者。國學院大學名誉教授、立教大学文学部教授。 三矢重松、折口信夫に師事し、折口信夫の五博士のうちの一人。日葡辞書の研究や、源氏物語の現代語訳・語法の研究で知られる。主著は『国語発達史大要』、『国語学史概説』、『現代語の性格』、『日葡辞書の研究』、『源氏物語全現代語訳』など。 (以上はすべて関根賢司「今泉忠義の現代語訳」『解釈と鑑賞』2007年1月号 より)
杉山 新樹(すぎやま しんじゅ、1898年4月23日 - 1… 杉山 新樹(すぎやま しんじゅ、1898年4月23日 - 1974年2月16日)は、日本の画家、愛知学芸大学(現・愛知教育大学)教授。教育者として西三河美術界に功績を残した。 愛知県額田郡矢作町(現・岡崎市矢作町字西河原)に生まれる。愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)在学中、留年した尾崎士郎と同級になった。1916年(大正5年)、同校卒業。 1923年(大正12年)、東京美術学校卒業。岡崎に戻り、1925年(大正14年)に近藤孝太郎、山本鍬太郎らとともに「我々の会」を作り、洋画の展覧会を開き新人の育成に努める。1944年(昭和19年)まで春台会に所属した。同年、旺元会に出品。また、岡崎市立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)や愛知県岡崎師範学校で教鞭をとった。
尾崎 士郎(おざき しろう、1898年(明治31年)2月5日… 尾崎 士郎(おざき しろう、1898年(明治31年)2月5日 - 1964年(昭和39年)2月19日)は、日本の小説家。新聞連載小説『人生劇場』がヒットし、流行作家になった。 愛知県幡豆郡横須賀村宮前(現・西尾市吉良町上横須賀宮前)に生まれる。尾崎が生まれた年に父の嘉三郎は自宅で三等郵便局を開業した。1904年(明治37年)8月、神奈川県横浜市野毛町(現・中区野毛町)で耳鼻咽喉科医院を営む田島藤一郎(母の兄)の養子となる。1905年(明治38年)、心臓疾患とホームシックを理由に離籍、生家に戻った。 1910年(明治43年)、横須賀尋常高等小学校(現・西尾市立横須賀小学校)卒業。同年、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に進学した。
近藤 孝太郎(こんどう こうたろう、1897年3月24日 -… 近藤 孝太郎(こんどう こうたろう、1897年3月24日 - 1949年11月6日)は、日本の社会運動家、著述家、芸術家。大正期から昭和20年代前半にかけて、郷里岡崎市の社会主義運動および文化活動を牽引した。 愛知県額田郡常磐村大字米河内(現・岡崎市米河内町)の代々続く清酒醸造を業とする家に近藤伍三郎の長男として生まれ、祖母に育てられる。1914年(大正3年)、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。芸術家になることを夢み、東京美術学校進学を希望するが父の反対にあい、やむなく東京高等商業学校(現・一橋大学)に進む。在学中から若山牧水に師事し「創作社」同人となった。この頃、府立一中の蔵原惟人、浅野晃らと同人誌『りらの花』(後『リラ』)発行。
久野 源蔵(くの げんぞう、1897年(明治30年) - 1… 久野 源蔵(くの げんぞう、1897年(明治30年) - 1965年(昭和40年)4月16日)は、日本の政治家。愛知県三好村長、三好町長などを歴任。 愛知用水を引く運動に加わり、三好池の造成に尽力した。銅像がみよし市役所前に設置されている。 愛知県西加茂郡三好村(現・みよし市)に庄屋の子として生まれる。1917年3月、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1931年、三好村長(第11代)に就任。以後1945年まで就任。1952年、愛知用水土地改良区の理事に就任。1956年、三好村長(第16代)に就任。 1958年4月1日の三好村の町制施行により初代町長に就任。1960年、町長選挙で再選。
小野 渉(おの わたる、1896年 - 1989年)は、愛知… 小野 渉(おの わたる、1896年 - 1989年)は、愛知県出身の郷土史家。 愛知県額田郡坂崎村(現在の額田郡幸田町久保田)出身。愛知県立第二中学校(現在の愛知県立岡崎高等学校)卒業後、1915年(大正4年)から1946年(昭和21年)まで地元で小学校の教師を務め、教務の傍らで郷土史の研究にいそしむ。退職後には幸田町文化財保護委員などを務め、また古文書クラブなどでも活動し、青年期から75年にもわたって社会教育活動や文化財保護活動に取り組む。1989年(平成元年)死去。孫の小野伸之は2017年(平成29年)から幸田町の教育長を務める。
竹中 七郎(たけなか しちろう、1895年(明治28年)4月… 竹中 七郎(たけなか しちろう、1895年(明治28年)4月25日 - 1959年(昭和34年)7月23日)は、大正から昭和期の医師、政治家。参議院議員(1期)、愛知県碧海郡刈谷町長、刈谷市長。刈谷市名誉市民。 愛知県碧海郡刈谷町肴町(現刈谷市)で、紺屋業・竹中石松の長男として生まれる。1913年(大正2年)、愛知県立第二中学校(現愛知県立岡崎高等学校)卒業。1918年(大正7年)愛知県立医学専門学校(現名古屋大学医学部)を卒業した。同年、愛知県立愛知病院(現名古屋大学医学部附属病院)に勤務し、1921年(大正10年)耳鼻咽喉科病院を開業した。 1932年(昭和7年)刈谷町会議員に選出され、以後、刈谷町長、愛知県町村長会長、愛知県会議員などを務めた。