スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
神谷 敏(かみや さとし、1949年8月20日 - )は、日… 神谷 敏(かみや さとし、1949年8月20日 - )は、日本のトロンボーン奏者。 1949年、滋賀県大津市に生まれる。滋賀県立膳所高等学校卒業後、桐朋学園大学のオーケストラ研究生として学び、福田日出彦に師事。1971年より東京交響楽団の2番奏者、1974年より新日本フィルハーモニー交響楽団の首席奏者をつとめるが、1976年に渡独。 デトモルト音楽院に入学し、ヴィリ・ヴァルター教授と、当時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席トロンボーン奏者であったカール・ハインツ・ドゥーゼ・ウテッシュに師事する。1978年より、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の契約団員を3年間務める。当時ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮下にあったベルリンフィルにおいて、団員として加わった日本人奏者は数名いたが、管楽器奏者として籍をおいていたのは神谷敏のみである。
長戸 大幸(ながと だいこう、1948年〈昭和23年〉4月6… 長戸 大幸(ながと だいこう、1948年〈昭和23年〉4月6日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ギタリスト、ドラマー、不動産投資家、企業経営者。滋賀県大津市出身。音楽制作会社『B ZONE』(旧・ビーイング)グループの創業者で現相談役、エフエム滋賀取締役。株式会社ドリーマップス代表取締役。兵庫県在住。既婚。 両親は公務員。3歳から地元の大津少年管弦楽団に入れられヴァイオリンを習わされる。中学時代はジャズに凝り、マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンクなどを聞く。高校時代にビートルズを知り、滋賀県立膳所高等学校1年のとき、音楽サークルを立ち上げ、サッカー部の1年先輩とロックバンド「ザ・プラネッツ」を結成、ギターを担当した。
西山 豊(にしやま ゆたか、1948年 - )は、日本の数学… 西山 豊(にしやま ゆたか、1948年 - )は、日本の数学者、応用数学者。大阪経済大学名誉教授。ブーメランの研究と普及をライフワークのひとつにしている。滋賀県出身。 1967年 滋賀県立膳所高等学校を卒業、1971年 京都大学理学部数学科を卒業。1971年-1985年 日本アイ・ビー・エム にてシステムエンジニアとして勤務。1985年 大阪経済大学に情報処理概論の経営学部講師として転任、1995年同経営情報学部教授。2005年-2006年 ケンブリッジ大学客員研究員、ミレニアム数学プロジェクト(英語版)に参加する。2012年 大阪経済大学情報社会学部教授、2019年 大阪経済大学名誉教授。
小島 健司(こじま けんじ、1948年 - )は、日本の経営… 小島 健司(こじま けんじ、1948年 - )は、日本の経営学者。神戸大学経済経営研究所特命教授。 主な研究領域は企業ガバナンス。現在の研究課題は企業統治に関する理論的・実証的研究。 滋賀県出身。1966年(昭和41年)3月 - 滋賀県立膳所高等学校卒業。1970年(昭和45年)3月 - 神戸大学経営学部卒業。 1975年(昭和50年)6月 - ノースウェスタン大学経営大学院修士課程修了(M.M.取得)。1979年(昭和54年)3月 - 神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程単位修得退学。1970年(昭和45年)4月 - 松下電器産業株式会社。 1977年(昭和52年)4月 - 南山大学経営学部助手。
ポール岡田(又は岡田ポール、本名・長岡和彦、1947年8月1… ポール岡田(又は岡田ポール、本名・長岡和彦、1947年8月13日 - )は、日本のミュージシャン。 滋賀県大津市出身。1969年5月、グループ・サウンズバンド、ザ・カーナビーツの2代目ボーカリストとして加入するが5ヶ月でグループは解散する。解散後、1969年12月から翌1970年2月末まで渋谷東横劇場で上演された日本初のロック・ミュージカル「ヘアー」にウーフ役で出演。その後は再びボーカリストとしてソロ、男女デュオなどで数枚のレコードをリリースした。 1970年代末、偶然紹介された伊集院静の誘いで、音楽活動を諦め、本名の長岡和彦として広告業界へ転身。広告代理店・株式会社JMSクリエイティブセンターに入社、伊集院が小説家への転身で退社するまで約1年間は伊集院の下でスタッフを務め、その後本体の株式会社ジャパン・マーケティング・サービスに移る。
若林 盛亮(わかばやし もりあき、1947年2月26日 - … 若林 盛亮(わかばやし もりあき、1947年2月26日 - )は、よど号グループのメンバー。 滋賀県草津市生まれ。滋賀県立膳所高等学校を経て同志社大学経済学部に入学。在学中、1970年によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。 1976年に結婚し、妻である若林佐喜子と平壌に在住している。 現在も警察庁により指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際手配されている。
坂東 國男(ばんどう くにお、1947年1月10日 - )は… 坂東 國男(ばんどう くにお、1947年1月10日 - )は、日本のテロリスト、新左翼活動家。共産主義者同盟赤軍派兵士を経て連合赤軍に合流。あさま山荘事件で逮捕後、クアラルンプール事件によって日本赤軍に参加した。 滋賀県大津市生まれ。生家は東海道本線(琵琶湖線)石山駅前で旅館を営んでいた。滋賀県立膳所高等学校卒業。防衛大学校を志望したが色覚異常のため断念。 1966年に京都大学農学部林学科に入学するがのちに退学。1971年代に赤軍派の坂東隊として、植垣康博、山崎順らを率いてM作戦(金融機関強盗)を行った。赤軍派が京浜安保共闘と統一し連合赤軍となると、連合赤軍中央委員に就任。連合赤軍での序列は5位。
シュウゾウ・アヅチ・ガリバー(Shuzo Azuchi Gu… シュウゾウ・アヅチ・ガリバー(Shuzo Azuchi Gulliver, 1947年 - )は、日本の現代アート作家・芸術家。オブジェ、版画、写真、パフォーマンス、インスタレーションによる表現活動を主体とする。本名安土修三。 滋賀県大津市出身。滋賀県立膳所高等学校卒業。1967年立命館大学文学部哲学科中退。同年に作家集団「PLAY」に参加。彼のロジカルな作風は、国内よりも海外での評価の方が高く、作品の発表もオランダ、イタリア、ドイツなどヨーロッパで行われる場合が多い。 1990年代からは、ヨーロッパの大学を始め、国内でも慶應義塾大学、東京大学、立命館大学で講師を務めている。
三品 昌美(みしな まさよし、1944年7月24日 - )は… 三品 昌美(みしな まさよし、1944年7月24日 - )は、日本の医化学者、神経生理学者。 主な業績はシナプス分子と記憶・学習に関する研究で、グルタミン酸受容体の仕組みの発見など、脳の記憶や学習機能の解明に貢献した。 滋賀県守山市出身。工学博士(京都大学、1977年)。 滋賀県立膳所高等学校卒業。1971年、京都大学工学部工業化学科卒業。1976年、京都大学大学院工学研究科博士課程単位修得退学。 1978年、ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学生化学研究所 研究員。1980年、スイス・チューリッヒ大学分子生物学研究所 研究員。 1981年、京都大学医学部 助教授。1990年、新潟大学脳研究所 教授。
三條 正人(さんじょう まさと、1943年〈昭和18年〉1月… 三條 正人(さんじょう まさと、1943年〈昭和18年〉1月30日 - 2017年〈平成29年〉10月5日)は日本の歌手である。本名は渡辺正好(わたなべ まさよし)。滋賀県大津市出身。 鶴岡雅義と東京ロマンチカのメインボーカリスト。妻は女優の香山美子。 1943年(昭和18年)1月30日、滋賀県大津市に生まれる。滋賀県立膳所高等学校卒業。法政大学在学中にコーラスグループを結成し、ダンスホールでプロ歌手として活動を始める。山下洋治とムーディスターズに所属する。 1967年(昭和42年)、鶴岡雅義に請われ、男性歌謡コーラスグループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のリードボーカルとして迎え入れられた。『小樽のひとよ』でレコードデビューし、大ヒットとなる。
山田 誠浩(やまだ よしひろ、1940年9月5日 - )は、… 山田 誠浩(やまだ よしひろ、1940年9月5日 - )は、元NHKエグゼクティブアナウンサーで、現在はフリーランスアナウンサー(ムーブマン業務提携)。京都市出身。 滋賀県立膳所高等学校、法政大学卒。1963年NHKにアナウンサーとして入局。山口、長野、広島、仙台、東京の各局を歴任。「大河ドラマ・おんな太閤記」、数々の「NHKスペシャル」のナレーション、「私の本棚」「ラジオ文芸館」の朗読、「ラジオ深夜便」アンカーなどを務めた。 2000年からはフリーランスアナウンサーとして「こころの時代」「知るを楽しむ」など主にNHKの番組のインタビュアー、ナレーターとして活躍している。 NHKの朗読番組「ラジオ文芸館」の演出と語りは13年にわたって担当、数多くの作品を放送すると共に、ライブの朗読にも積極的に取り組んできた。
鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )… 鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )は、日本の慈善活動家。男性。 滋賀県甲賀市出身。甲賀忍者甲賀二十一家荘内三家の内の一家鵜飼党本家鵜飼孫六の直系16代目、勝山より7代目、玄達より11代目、鵜飼舎杖より12代目の直系の子孫。生家は代々医家(博天堂医院)を営む。15代鵜飼晃の3男としてに生まれる。滋賀県立膳所高等学校を卒業後、株式会社高島屋に就職。一般社団法人恵水会、株式会社恵水会等を運営し障がい者福祉に尽力している。 高校卒業後、髙島屋に勤務。定年後はユニマットライフ顧問、鵜飼行政法務事務所所長、有限会社ユーアイシー代表取締役、株式会社恵水会取締役社長、特定非営利活動法人あけぼの会理事長、一般社団法人恵水会理事長、特定非営利活動法人健康倶楽部緑の会理事長、株式会社恵水会社長を務める。
石田 博三(いしだ ひろぞう、1939年7月10日 - 20… 石田 博三(いしだ ひろぞう、1939年7月10日 - 2023年4月30日)は、日本のプロ野球選手。滋賀県草津市出身。 滋賀県立大津東高等学校(1956年4月に膳所高等学校に改称)では投手として活躍。2年生の時、1956年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で、この大会に優勝した中京商の安井勝(立大 - 丸善石油)と投げ合うが、延長10回裏にサヨナラ負けを喫する。同年夏は京滋大会決勝に進むが平安高に惜敗。翌1957年夏も京滋大会決勝で平安高に再度敗退し、甲子園出場を逸する。高校同期に三塁手の金村清がいた。 1958年に大阪タイガースに入団。高校時代に腰を痛めており、入団後すぐに投手から外野手に転向。
横山 プリン(よこやま プリン、本名:清水 健雄、1938年… 横山 プリン(よこやま プリン、本名:清水 健雄、1938年〈昭和13年〉5月20日 - )は、タレント、フリーライター、放送作家。AB型。滋賀県大津市出身。 滋賀県立膳所高等学校を経て、1961年に立命館大学経営学部卒業。大学時代はジャズのドラマー,、また千日劇場の楽屋に出入りもしていた、このころ漫画トリオの横山ノックに横山フックが辞めるのでメンバー入りしてほしいと懇願されたが就職が決まっていたので固辞。就職してサラリーマン生活をしていたが3か月で辞め、大阪の繁華街でバンドボーイとして修業した後、再び芸人志望が強くなり横山ノックの元を訪れると横山やすしを紹介されお前ら組めと言われコンビを組み、初代横山たかしの名前をもらう。
長尾 真(ながお まこと、1936年〈昭和11年〉10月4日… 長尾 真(ながお まこと、1936年〈昭和11年〉10月4日 - 2021年〈令和3年〉5月23日)は、日本の情報工学者。位階は正三位。 京都大学工学部電子工学科卒業。京都大学総長、京都大学名誉教授、国際高等研究所所長、独立行政法人情報通信研究機構理事長、国立国会図書館長を歴任。 専門は、自然言語処理・画像処理・パターン認識。パターン認識の分野では、手書き文字の認識方式を提案した。この手法は、初期の郵便番号読み取り装置へ応用された。以降、電子図書館システムの研究を主に手がけている。自動翻訳やAIにつながる技術の原理を開発した。 自伝に「情報を読む力、学問する心」(ミネルヴァ書房、2010年)がある。
種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 201… 種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 2014年11月6日)は、日本の作家、随筆家、評論家。滋賀県大津市出身。 もとは毎日新聞社の記者だったが、1973年に鉄道に関連する記事執筆を専業とするフリーのライターとなり、レイルウェイ・ライターと称して鉄道に関するルポルタージュ、時事評論、紀行文、推理小説などを数多く発表した。 滋賀県立大津東高等学校(現在の滋賀県立膳所高等学校)、京都大学法学部卒業。 毎日新聞社の国鉄担当記者であった1972年に、その豊富な鉄道知識と新聞記者としての取材、執筆能力から、当時の『鉄道ジャーナル』編集長の竹島紀元に抜擢され、「列車追跡」など同誌のメインとなる特集記事を執筆するようになったほか、連載コラムも持つようになる。
人見 武雄(ひとみ たけお、1935年1月5日 - )は、滋… 人見 武雄(ひとみ たけお、1935年1月5日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 大津東高(現膳所高校)では、1952年夏の甲子園県予選決勝で瀬田高に敗退、京津大会には進めなかった。日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中に5回優勝。1年生の春季リーグからレギュラーとなり三塁手、遊撃手として活躍。1954年秋季リーグでは穴吹義雄に次ぐ打率.345を記録。1955年春季リーグで優勝に貢献、最高殊勲選手賞を獲得した。直後の全日本大学野球選手権大会では、決勝で明大の秋山登に完封され準優勝。翌1956年の同大会でも、同じく決勝で関大の村山実に抑えられ準優勝に終わった。リーグ通算98試合出場、364打数101安打、打率.277、3本塁打。
的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )… 的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )は、日本の大蔵・国土官僚。滋賀県出身。血液型はB型。第1次安倍内閣の内閣官房副長官(事務担当)を務めた。 大津市立皇子山中学校、滋賀県立大津東高等学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1957年 京都大学経済学部卒業後、大蔵省に入省(主計局総務課に配属)。同期に保田博(初代国際協力銀行総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、内海孚(財務官、国際金融局長、在米国大使館公使)、森田一、藤田恒郎ら。 1962年7月 大臣官房調査課調査第二係長。1964年7月 伊勢崎税務署長。1973年7月 熊本県企画開発部長。主計局主計企画官(調整担当)、主計局調査課長、主計局主計官(文部、科学技術、文化担当)、主計局主計官(農林水産担当)、主計局総務課長などを経て、1982年6月 東京税関長。
西出 昌弘(にしで まさひろ、1933年3月3日 - 201… 西出 昌弘(にしで まさひろ、1933年3月3日 - 2019年3月26日)は、日本のコントラバス奏者。滋賀県大津市出身。 関西交響楽団、ABC交響楽団を経て、1957年から京都市交響楽団首席。京都市立芸術大学、大阪音楽大学、同志社女子大学他講師。 1955年 東京芸術大学委託修、滋賀大学卒。今村清一、岡田二郎に師事。 趣味:オートバイ(ハーレー、BMW)、車(ミニクーパー)、ヨット(ヨーロッパ級J94。滋賀県立膳所高等学校ヨット部監督)
梅沢 節男(うめざわ せつお、1931年5月9日 - 201… 梅沢 節男(うめざわ せつお、1931年5月9日 - 2013年11月12日)は、日本の大蔵官僚。国税庁長官、公正取引委員会委員長などを歴任した。 旧制滋賀県立膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)を経て、京都大学法学部を卒業。同年、大蔵省に新制後期組で入省。同期に西垣昭(海外経済協力基金総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長、理財局長、経済企画庁長官官房長)、大竹宏繁(大和銀行総合研究所初代理事長、経済企画庁事務次官、経済企画審議官)ら。 1982年当時、次官だった高橋元は元主税局長で、田中角栄内閣において税制二課長だった際、自動車新税を企画立案するなど税のエキスパートとして知られていた。省内では第二臨調が打ち出した「増税なき財政再建」が建前にすぎず、いずれ大型増税に踏み切ることを予想し、従来の主計局長 - 大蔵事務次官という省内バランスを崩して主税出身の高橋を次官に据え、福田幸弘主税局長(のち国税庁長官)とのラインでその布陣を敷いた。
伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年… 伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年(昭和6年)3月14日 - )は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶(浄土門主・総本山知恩院第88世門跡)。佛教大学名誉教授。 1931年、滋賀県甲賀郡(現:湖南市)石部町に生まれた。1948年に旧制滋賀県立膳所中学校卒業し、佛教大学に入学。1953年に卒業し、同志社大学大学院文学研究科に進学。民俗学、文化史学を専攻した。1955年に修士課程を修了し、文学修士号を取得。同研究科博士課程に進み、1955年に単位取得後満期退学。 1961年、佛教大学講師に就いた。1966年に文学部史学科助教授、1974年に同教授に昇格。1981年、学位請求論文『日本聖仏教史の研究:浄土教への関与を中心として』を佛教大学に提出して文学博士号を取得。
川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日… 川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日 - 2019年(令和元年)7月12日)は、日本の法学者。専門は商法・アメリカ海事法。京都大学名誉教授。大隅健一郎門下。 京都大学百年史編集委員会『【部局史編 1】第4章: 大学院法学研究科・法学部』京都大学後援会、1997年。https://hdl.handle.net/2433/152980。
中村 鋭一(なかむら えいいち、1930年1月22日 - )… 中村 鋭一(なかむら えいいち、1930年1月22日 - )は、日本のタレント。男性。
塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月2… 塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月25日 - 1993年〈平成5年〉12月13日)は、日本の国語学者・国文学者。大阪市立大学名誉教授。
岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4… 岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長としてマダガスカル攻撃に参加し、戦死。二階級特進により最終階級は海軍大尉。 香川県綾歌郡山田村出身。税務署職員であった父が勤務していた愛媛県松山市に生まれる。四人兄弟妹の次男であった。岩瀬は父の転勤により、小中学校で三度の転校を経験した。入学した中学は滋賀県立膳所中学で、徳島県立池田中学に転入し、1938年(昭和13年)、中学4年で陸軍士官学校と海軍兵学校に合格した。海兵進学を選択し、1941年(昭和16年)3月に卒業した。岩瀬は海兵69期生で、このクラスは343名の同期生中223名が戦死している。
山田 耕三郎(やまだ こうざぶろう、1917年(大正6年)1… 山田 耕三郎(やまだ こうざぶろう、1917年(大正6年)1月15日 ‐ 2012年(平成24年)9月22日)は、日本の政治家。滋賀県下阪本村長、大津市議会議員、滋賀県議会議員を歴任。第20代大津市長(2期)となり、革新派の市長として福祉事業などを推進、「福祉の山耕」と呼ばれた。その後参議院議員を2期務め、一の会や連合参議院に加わった。大津市名誉市民。 1934年、滋賀県立膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)を卒業、1935年4月に島津製作所に入社。 1949年4月に下坂本村長となり、村長として大津市との合併に反対したが、在任中の1950年に合併した。1951年4月から1959年4月まで大津市議会議員を務め、在日米軍の大津キャンプ返還運動を主導した。
岡野 八郎(おかの はちろう、1916年12月8日 - 没年… 岡野 八郎(おかの はちろう、1916年12月8日 - 没年不明)は、滋賀県出身のプロ野球選手。 膳所中学校から関西大学を経て1938年に名古屋金鯱軍へ入団。
木辺 宣慈 (きべ せんじ、旧名:成麿(しげまろ)、1912… 木辺 宣慈 (きべ せんじ、旧名:成麿(しげまろ)、1912年4月1日 - 1990年5月2日)は、日本の浄土真宗の僧侶、真宗木辺派21代門主。光学技術者。レンズ磨きの名人として知られ、「レンズ和尚」と呼ばれた。父親は木辺孝慈、母親は醍醐忠敬の娘・静子。長姉の彰子は子爵藤谷為寛の二男・為隆の妻。次姉の弘子は、真宗誠照寺派の28世法主、二条秀淳に嫁いだ。妹の行子は、徳山毛利家の子爵毛利元靖の妻。 父方祖父は大谷光尊、父方伯父叔母に大谷光瑞、大谷尊由、九条武子ら、母方伯父に醍醐忠重がいる。
島 恭彦(しま やすひこ、1910年6月5日 - 1995年… 島 恭彦(しま やすひこ、1910年6月5日 - 1995年9月28日)は、日本の経済学者。専門は財政学。学位は、経済学博士。京都大学名誉教授。福井県敦賀市生まれ。
西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1… 西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1日 - 1981年(昭和56年)4月25日)は、日本の政治家・実業家。大津市長(2期)、滋賀県議会議員、大津市議会議員などを歴任。大津市長として総合開発計画、市庁舎の移転建設、町村合併、びわこ大博覧会などの大事業を行った。位階は従五位。 1908年8月1日に、大津市下堅田町(現・島の関)で、油屋「西利商店」の子に生まれる。旧制膳所中学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1929年3月に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)を卒業。学生時代は、「名ピッチャー」でならしたといい、当時バッテリーを組んでいたのは後に近江八幡市長となる井狩貞之だった。
中田 淳一(なかた じゅんいち、1908年(明治41年)1月… 中田 淳一(なかた じゅんいち、1908年(明治41年)1月25日 - 1970年(昭和45年)2月10日)は、日本の法学者。専門は民事手続法。学位は法学博士(京都大学・論文博士・1954年)。元日本民事訴訟法学会理事長。山田正三門下。弟子に鈴木正裕、谷口安平、中務俊昌、井上正三など。
北村 四郎(きたむら しろう、1906年9月22日 - 20… 北村 四郎(きたむら しろう、1906年9月22日 - 2002年3月21日)は、日本の植物学者。キク科植物研究の第一人者とされる。京都大学名誉教授。 昭和天皇の植物学研究の相談役としても活躍し、北村の葬儀の際には、天皇明仁・皇后から白いキクの花が下賜された。 1906年に生まれる。高等学校時代にはフランス文化に関心を深めた。京都帝国大学理学部の植物学教室に進学し、小泉源一助教授に師事した。卒業論文の題目は「アザミ属の研究」であった。次いでキク科植物の分類について研究した。1945年(昭和20年)に京都大学教授に就任してからも、キク科植物分類の整理を続け、第二次世界大戦による中断を挟みながらも20年がかりでまとめた。
田中重久(たなか しげひさ、1905年7月17日 - 197… 田中重久(たなか しげひさ、1905年7月17日 - 1979年5月24日)は、日本の美術史家である。特に仏教美術に関して、多くの著作をのこしている。別名義としてたなか しげひさがある。 1905年(明治38年)7月17日、滋賀県甲賀郡水口町葛籠町に、父・豊吉郎、母・ゆりの五男として生まれる。豊吉郎は「小さい地方銀行家」であり、1928年(昭和3年)より栗太銀行の取締役をつとめた。京都市立中立小学校を経て滋賀県立膳所中学校に入学する。同校で日本史の教鞭をとっていた佐々木恒清に薫陶を受けるかたちで、14歳にして仏教美術を志すようになる。 大村西崖の東洋史の講義を受けるべく、1925年(大正14年)に東京美術学校に進学するも、彼の易簀を受けて翌年3月に中退、早稲田大学に転学する。
井狩 彌治郎(いかり やじろう、1905年(明治38年)3月… 井狩 彌治郎(いかり やじろう、1905年(明治38年)3月1日 - 1999年(平成11年)7月19日)は、昭和期の実業家。大丸社長を務めた。位階は従四位。 滋賀県出身。膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)時代は野球部に所属。慶應義塾大学経済学部を経て、同大学院修了後の1931年に大丸入社。 常務、専務、副社長を経て、1963年に社長に就任し21年間在任した。その間にはパリ、シンガポールなど海外出店を積極的に進め、1984年に相談役に退いた。 1974年から2年間にわたり日本百貨店協会会長、1970年から19年間にわたり社団法人大阪工芸協会会長を歴任。毎日放送取締役なども務めた。1999年死去。
初田 佐一郎(はつだ さいちろう、1905年2月18日 - … 初田 佐一郎(はつだ さいちろう、1905年2月18日 - 2001年3月18日)は、日本の実業家。滋賀県出身。 滋賀県立膳所中学校(現膳所高等学校)を経て、和歌山高等商業学校(現和歌山大学)卒業後、鉄道省に入省。太平洋戦争中は陸軍司政官としてフィリピンに派遣された。その後、京阪バス株式会社常務取締役、株式会社京阪交通社社長、株式会社日本レンタカー京阪社長等を務める。財団法人大阪陸運協会常任理事、財団法人大阪陸運協会会長を歴任後、財団法人大阪陸運協会顧問、京阪電鉄客員等を歴任した。著書には「生き残った者」洛陽社(1947年)等がある。
外村 繁(とのむら しげる、1902年〈明治35年〉12月2… 外村 繁(とのむら しげる、1902年〈明治35年〉12月23日 - 1961年〈昭和36年〉7月28日)は、日本の小説家。本名は外村 茂(とのむら しげる)。東京帝国大学経済学部卒。出自である近江商人の世界を客観的に描いた『草筏』で注目され、『筏』『花筏』と共に長編三部作を成して高く評価された。『落日の光景』『澪標』は私小説の極致と評される。 滋賀県神崎郡南五個荘村金堂(現・東近江市五個荘金堂町)出身。金堂は近世から近代にかけて近江商人発祥地として栄えた土地である。外村家も江戸時代から代々続く木綿問屋で、茂は外村吉太郎の三男として生まれ、保守的な環境で育つ。滋賀県立膳所中学校卒業。第三高等学校文科甲類卒業。
西村 関一(にしむら せきかづ、1900年6月4日-1979… 西村 関一(にしむら せきかづ、1900年6月4日-1979年8月15日)は、日本の牧師、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。アムネスティ・インターナショナル日本支部理事長。川北対合衆国事件の時には、減刑嘆願運動の中心的な人物として活動した。 新東京国際空港(現・成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
小牧 実繁(こまき さねしげ、1898年〈明治31年〉10月… 小牧 実繁(こまき さねしげ、1898年〈明治31年〉10月28日 - 1990年〈平成2年〉2月18日)は、日本の地理学者。京都帝国大学教授、滋賀大学学長等を歴任。滋賀県出身者として最初の文学博士。
塚本 善隆(つかもと ぜんりゅう、1898年2月8日 - 1… 塚本 善隆(つかもと ぜんりゅう、1898年2月8日 - 1980年1月30日)は、浄土宗僧侶・仏教史学者。中国仏教研究の世界的権威。京都大学名誉教授。元日本学士院会員。 1898年、愛知県海部郡七宝村(現・あま市)で生まれた。15歳の時に仏門に入った。佛教専門学校(現・佛教大学)で学び、1918年に卒業。その後は東京に出て宗教大学(現・大正大学)研究科に進み、1920年に卒業。博士課程は京都帝国大学文学部哲学科インド哲学専科で修め、仏教学を望月信亨、矢吹慶輝、椎尾弁匡に師事。1923年に修了し、その後は京都帝国大学文学部史学科東洋史専科で学んだ。東洋史学は桑原隲蔵、羽田亨に師事し、仏教学を望月信亨、矢吹慶輝、椎尾弁匡の下で学び、仏教学・史学を併修した独自の学風であった。
中田 邦造(なかた くにぞう、1897年6月1日 - 195… 中田 邦造(なかた くにぞう、1897年6月1日 - 1956年11月15日)は、昭和期の司書。石川県立図書館や東京都立日比谷図書館の館長を歴任し、近代日本の図書館発展に大きな影響を与えた。号は自邦居士あるいは空人生。 滋賀県甲賀郡柏木村(後水口町を経て、現在は甲賀市)宇田の出身。事情により学業が思うように任せず、膳所中学校を卒業したのは20歳になってからで、以後第八高等学校 を経て、1920年に京都帝国大学哲学科に入り、西田幾多郎の門下となる。また、高校時代より飯田攩隠と親交を持ち、彼の元で度々座禅を組んだという。その後、大学院に進んだが、1923年に一年志願兵に志願したのを機に中退、除隊後は28歳で石川県主事となった。
馬杉 復三(ますぎ またぞう、1896年(明治29年)5月1… 馬杉 復三(ますぎ またぞう、1896年(明治29年)5月18日 - 1947年(昭和17年)9月5日)は、日本の病理学者である。旧姓は望月。 滋賀県大津市に生まれ、滋賀県立膳所中学校、第三高等学校を卒業後、東京帝国大学医学部(現在の東京大学大学院医学系研究科・医学部)医学科に入学する。同大学の教授だった緒方知三郎から病原学を学び、1921年(大正10年)に卒業した。1925年(大正15年)に研究のためにヨーロッパに留学し、帰国後の1927年(昭和2年)に千葉医科大学(現在の千葉大学医学部)にて教鞭を執った。 その後は教授としての活動の傍ら腎臓炎を発症させるために、実験動物に抗腎血清を投与させその原因としてアレルギー反応と証明される研究を行う。
菅 健次郎(かん けんじろう、明治28年(1895年)5月6… 菅 健次郎(かん けんじろう、明治28年(1895年)5月6日 - 昭和21年(1946年)4月1日)は、日本の鉄道官僚、柔道家。国鉄バス創始者とも言われる。 滋賀県甲賀郡水口町(現在の甲賀市)出身。水口小学校卒業、旧制膳所中学校、第五高等学校を経て、1921年(大正10年)に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。講道館柔道七段を授けられている。 鉄道省に入省。在外研究員となり、1928年(昭和3年)にアメリカに渡り、自動車運輸の重要性に着眼し、2年半、欧米にて調査研究を行った。省営自動車(旧国鉄バスの前進)の創設に尽力した。当時は外国産のバスに押され、国産バスについても外国製部品の組み立てが多く、完全な国産はできていなかったところ、運輸局長久保田敬一の指示により、国産バスの開発を推進した。
上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年〈明治25年〉10月… 上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年〈明治25年〉10月8日 - 1974年〈昭和49年〉12月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。滋賀県大津市出身。 旧制滋賀県立膳所中学校より海軍兵学校第43期入校。当時の海軍兵学校は受験を3度までしか認めておらず、上阪は兵学校の受験に2度失敗し、最後の受験で入校が認められた。海軍砲術学校高等科卒業後は砲術畑を歩んだが、大佐進級後は航空に移った点で、戸塚道太郎海軍中将や同期生の有馬正文海軍中将と似た経歴をたどる。太平洋戦争中は一時的に航空戦隊司令官を務めた以外は、一貫して航空本部補職が続いた。 練習航海で同じ艦に乗組んだ同期生の高木惣吉海軍少将は、死去するまで大親友だった。
山内 正文(やまうち まさふみ、1891年(明治24年)10… 山内 正文(やまうち まさふみ、1891年(明治24年)10月8日 - 1944年(昭和19年)8月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。旧姓・秋山。 滋賀県出身。裁判官・秋山正義の息子として生まれる。膳所中学校を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同期に青木重誠、武藤章、富永恭次、佐藤幸徳、田中新一、山崎保代らがいる。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第60連隊付となる。 1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業。綾部橘樹、有末精三、斎藤義次、小畑信良らが同期。陸軍きっての逸材と評されたが、中学出身であるため傍流とみなされていた[要出典]。1925年(大正14年)3月、歩兵第39連隊中隊長に就任。
清水 安三(しみず やすぞう、1891年6月1日 - 198… 清水 安三(しみず やすぞう、1891年6月1日 - 1988年1月17日)は、日本の教育者・牧師。北京に崇貞学園を設立・経営。戦後に妻郁子とともに桜美林学園を創立。桜美林学園第3代理事長。 1891年、滋賀県高島郡新儀村北畑(現在の高島市)に豪農の子として生まれたが、5歳で父を亡くす。1905年、滋賀県立第二中学校(08年膳所中学校と改称)に入学。英語講師で宣教師のウィリアム・メレル・ヴォーリズからキリスト教の感化を受け、1908年に受洗。1910年、同志社神学校に進学。同志社在学中、宣教師ホラース・ピットキン(en:Horace Tracy Pitkin)の殉教の話(義和団事件で死去)に感銘を受けた。
菅 晴次(かん はるじ、1891年(明治24年)2月28日 … 菅 晴次(かん はるじ、1891年(明治24年)2月28日 - 1985年(昭和60年)4月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓は石塚。評論家の菅孝行は息子。 滋賀県の没落農家に生まれる。滋賀県立膳所中学校を経て、1913年(大正2年)5月26日、陸軍士官学校(25期)を卒業。士官学校の教官だった菅孝の養子となり石塚姓から改姓する。同年12月25日、陸軍砲兵少尉に任官。1916年(大正5年)11月30日、陸軍砲工学校高等科を首席で卒業し、東京帝国大学工学部造兵学科に派遣された。1920年代後半からフランスの軍需工場に5年派遣されてフランス語を習得する。 1936年(昭和11年)8月1日陸軍砲兵大佐に昇格すると共に陸軍造兵廠東京砲兵工廠精機製造所長に就任、同年12月1日陸軍省兵器局鉄砲課長となり、1939年(昭和14年)3月9日陸軍少将・陸軍省兵器局長兼大本営野戦兵器長官に就任した。
原田 宇一郎(はらだ ういちろう、1890年(明治23年)1… 原田 宇一郎(はらだ ういちろう、1890年(明治23年)10月16日 - 1973年(昭和48年)2月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 滋賀県出身。原田宇之助の長男として生れる。膳所中学校卒業後、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第66連隊付となる。1919年(大正8年)11月から翌年10月まで、シベリア出兵に出征。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を優等で卒業し歩兵第15連隊中隊長に就任した。 1926年(大正15年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員を経て、1928年(昭和3年)8月、歩兵少佐に昇進し歩兵第61連隊付となる。
中村 直勝(なかむら なおかつ、1890年6月7日 - 19… 中村 直勝(なかむら なおかつ、1890年6月7日 - 1976年2月23日)は、大正・昭和期の日本の歴史学者。 滋賀県滋賀郡大津町(現在の大津市)にある長等神社の社家の家に生まれる。膳所中学校・第三高等学校 を経て京都帝国大学に入る。三浦周行の門下で古文書学などを研究する。卒業論文「皇室制度」をまとめ、1915年7月に京都帝国大学文科大学卒業。さらに、古文書学の研究のため、大学院に進む。1919年9月より第三高等学校で歴史学を講じ、1920年に同校教授となる。1927年7月からは京都帝国大学助教授として古文書学を担当した他、南朝や荘園・皇室領・座・供御人などの研究を行った。1946年に「荘園の研究」を提出して京都大学から文学博士の学位を授与される。
速水 和彦(はやみ かずひこ、1889年(明治22年)12月… 速水 和彦(はやみ かずひこ、1889年(明治22年)12月19日 - 1949年(昭和24年)8月12日)は日本の機械工学者。日本統治時代の台湾で総督府の技師として、台北市七星郡松山庄(中国語版)(現:信義区)に新設された新台北鉄道工場(現:台北機廠)の設計を手がけた。台湾では「北廠之父」(台北機廠の父)と呼ばれている。位階は従三位。 北海道庁釧路郡(現:北海道釧路市)で出生。8歳時に台湾総督府民政部通信課の通信技師として赴任する父の経憲と共に台北に移住。 台湾総督府国語学校(現:国立台北教育大学)の付属初等部(現:台北市立士林国民小学(中国語版))を卒業、付属中等部(台北一中を経て現:台北市立建国高級中学)に在籍中、日本に戻り滋賀県立膳所中学校(現:滋賀県立膳所高等学校)へ転校し、旧制第三高等学校(京都大学の前身)へ進学。
山本 一清(やまもと いっせい、1889年(明治22年)5月… 山本 一清(やまもと いっせい、1889年(明治22年)5月27日 - 1959年(昭和34年)1月16日)は、滋賀県出身の天文学者。滋賀県出身者として最初の天文学者・理学博士(博士登録番号227番、天文学専攻としては国内8人目の理学博士)。 山本一清は1889年(明治22年)5月27日、滋賀県栗太郡上田上村桐生(現:大津市桐生1丁目)に生まれる。山本家は代々医療を生業とし名字帯刀を許されていた。父美清(祖父清之進の名を継ぐ。また、山本椋亭とも称した)は野洲郡津田家から養嗣子として山本家に入り、教師として児童教育に尽力した。山本一清の命名は祖父山本清之進が行い、橘良基治世之要の「難有百術、不如一清」より二字が用いられた。