スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
上野 和彦(うえの かずひこ、1945年 - )は、経済地理… 上野 和彦(うえの かずひこ、1945年 - )は、経済地理学を専門とする日本の地理学者、東京学芸大学名誉教授。主な研究テーマは、伝統的工芸品産業、地場産業、中国研究である。 茨城県生まれ。少年期にはボーイスカウト運動に参加していた。 1964年に宮城県仙台第二高等学校を卒業し、東京学芸大学学芸学部初等教育教員養成課程に入学、1968年に改組により教育学部となった同課程を卒業して大学院教育学研究科社会科教育専攻修士課程に進んだ。 大学入学当初は、地形学に傾倒していたが、その後、経済地理学へ関心を移していった。大学時代は、辻本芳郎らに師事した。 1970年に修士課程を修了して、東京都の公立高等学校教諭となって東京都立荒川商業高等学校に勤務し、さらに1978年に東京都立深川高等学校に移った。
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早坂 祥三(はやさか しょうぞう、1928年11月17日 -… 早坂 祥三(はやさか しょうぞう、1928年11月17日 - 2007年12月26日)は、日本の地質学者・古生物学者、鹿児島大学第8代学長・名誉教授。理学博士。鹿児島湾(錦江湾)をはじめとする地域地質研究のほか、航海調査による南海洋での生物総合調査、オウムガイ研究などに寄与した。 日本統治時代の台湾出身。父は古生物学者・地質学者で台北帝国大学理農学部教授の早坂一郎(後に島根大学学長、日本地質学会会長)。 1949年旧制第二高等学校理科卒業。東北大学理学部地質学古生物学科を卒業し、1952年に東北大学助手となる。論文「愛知県渥美半島の地質学的並びに古生物学的研究」により、1961年3月17日に東北大学から理学博士の学位を授与される。
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井ヶ田 良治(いげた りょうじ、1926年12月6日 - 2… 井ヶ田 良治(いげた りょうじ、1926年12月6日 - 2018年5月13日)は、日本の法制史学者。法学博士(大阪大学・論文博士・1985年)。同志社大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。1943年第二高等学校に入学し、1945年に文科乙類を卒業。京都大学で藤直幹・柴田實に学ぶ。権門体制論・顕密体制論で知られる黒田俊雄とは同期。1948年京都大学文学部史学科国史専攻を卒業し大学院文学専攻科に進んだが、1954年に退学。 1951年同志社大学法学部助手(日本法制史)、1953年同専任講師、1956年同助教授、1961年同教授、1997年同名誉教授。同志社大学法学部日本法制史ゼミの教え子で日本法制史研究者に、田中修實(中世)・村上一博(近代)・居石正和(近代)・田口昌樹(近代)等がいる。
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門馬 直美(もんま なおみ、男性、1924年10月6日 - … 門馬 直美(もんま なおみ、男性、1924年10月6日 - 2001年9月6日)は、日本の音楽評論家、洗足学園大学名誉教授。 音楽評論家・門馬直衛の次男として東京に生まれる。旧制東京府立第九中学校、旧制第二高等学校、東京帝国大学理学部数学科卒業。洗足学園大学音楽学部教授。1995年、定年、名誉教授。
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島崎 稔(しまざき みのる、1924年 - 1989年5月)… 島崎 稔(しまざき みのる、1924年 - 1989年5月)は、日本の社会学者。中央大学文学部教授。妻は経済学者の島崎美代子。 日本の村落社会学・地域社会学の重鎮。「日本のマルクス主義的農村社会学の理論的指導者」。社会調査論の専門家でもあった。 東京生まれ。実家の家業は指物師。1945年3月旧制第二高等学校文科卒業。西域=シルクロードの美学を学ぶため京都大学文学部哲学科(美学美術史講座)に入学。すぐに陸軍に徴兵され、千葉県で敗戦を迎えた。敗戦後も憲兵としてしばらく軍隊に所属した。1945年10月に復員、京都大学を退学。戦争直後で家を離れて生活できず、美学で生計を立てられる可能性が小さいという経済上の問題のため、また社会主義を学ぶため、1946年東京大学文学部哲学科社会学専修科に入学。
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伏見 和郎(ふしみ かずお、1924年 - )は日本の工学者… 伏見 和郎(ふしみ かずお、1924年 - )は日本の工学者。専門は電気工学。東京大学原子核研究所教授(現・高エネルギー加速器研究機構)、工学博士。 仙台市出身。第二高等学校を経て、1945年東京帝国大学第二工学部電気工学科卒業。逓信省電気試験所(現・NTT電気通信研究所)に入所。1962年東京大学より工学博士を授与される。 1964年NTT電気通信研究所を退所。 タケダ理研工業株式会社(現在の株式会社アドバンテスト)入社。取締役、開発部長。当時の部下には、玉地康雄など。 1964年から1966年北京大学。 1967年から1984年東京大学原子核研究所(現高エネルギー加速器研究機構)教授。当時の助手には渡邊伸一など。
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富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年… 富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年6月23日)は、昭和期の北海道を代表する政治学者・行政学者。恩師は尾形典男。 千葉県安房郡北条町(現・館山市)出身。1943年旧制第二高等学校文科卒業。東北帝国大学法学部に入学するも、同じ年に召集令状によって大日本帝国陸軍戦車連隊に入隊。1945年復員。1947年東北帝国大学法学部卒業。 北海道帝国大学法文学部助手。1952年北海道学芸大学学芸学部札幌分校岩見沢分教場助教授に就任。1954年北海道学芸大学学芸学部札幌分校助教授。1957年北海道大学法学部助教授。1962年北海道大学法学部教授。1965年北海道大学評議員に就任。1976年北海道大学評議員に再度就任。
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近角 聰信或いは近角 聡信(ちかずみ そうしん、1922年4… 近角 聰信或いは近角 聡信(ちかずみ そうしん、1922年4月20日 - 2016年5月8日)は、日本の物理学者。専攻は磁性物理学・金属物理学。理学博士(1951年東京大学)。東京大学名誉教授、茅誠司の門下生、ロゲルギストのメンバー。浄土真宗大谷派の近角常観の四男。 下の名前に関して、学習院大学時代の論文を収録したJ-STAGEやCiNii Researchでは聴信と間違って表記されている。 大正11年(1922年)、東京府生まれ。第二高等学校を経て、昭和20年(1945年)、東京大学理学部物理学科を卒業後、同大学院(茅誠司研究室)を経て、1950年より学習院大学に助教授として勤務、53年に31歳で教授に就任。
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星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - … 星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - 2010年3月13日)は、日本の法学者。専門は、憲法学・教育法。東京学芸大学名誉教授、立正大学名誉教授。 1921年、栃木県日光市に生まれる。旧制第二高等学校を経て、1943年に東北帝国大学法文学部法学科入学。入学直後に入営することとなり、戦後復員後に復学。1947年に同校を卒業し、東北大学特設研究科に進学して1948年に修了。同年、東京第三師範学校長の田中保房に誘われて同校の講師に就任。学制改革に伴い、東京学芸大学講師、助教授、教授として研究・教育活動を継続。1975年に日本学術会議中央選挙管理委員長、1981年に定年まで1年残して退任。
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山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 200… 山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 2001年5月7日)は、日本の歴史学者、新潟大学名誉教授。専攻は日本古代史・国文学。 1920年、東京で生まれた。父・山田孝雄の東北帝国大学赴任に従って仙台で育った。第二高等学校を卒業し、東京帝国大学国史学科に進学。卒業後、1942年に召集。 戦後は三重県立宇治山田高等学校の歴史教師、1952年より新潟大学人文学部で専任講師を務めた。1954年より助教授、1965年に教授昇任。1972年には人文学部長、図書館長を務めた。1986年に定年退官し、同時に名誉教授となった。2001年に死去。
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筒浦 明(つつうら あきら、1917年5月14日 – 199… 筒浦 明(つつうら あきら、1917年5月14日 – 1993年1月28日)は、日本の地理学者・教育者。北海学園大学名誉教授。東京都赤坂出身 1942年明治大学大学専門部卒。東京帝国大学理学部地理学教室助手(指導教授:多田文男)(~1944年)。1947年北海道帝国大学理学部卒。北海道立札幌第二高等学校社会科教諭。1950年北海道札幌南高等学校社会科教諭。1953年北海道大学文学部助手。1958年北海学園大学経済学部専任講師。1963年同助教授。1965年同教養部教授。1969年北海学園大学開発研究所長。1972年同教養部長。1980年北海道開発協会会長。1990年北海学園大学定年退職。同名誉教授。
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尾形 典男(おがた のりお、1915年9月9日 - 1990… 尾形 典男(おがた のりお、1915年9月9日 - 1990年1月18日)は、日本の政治学者。専攻は政治学・政治思想史。立教大学名誉教授。第10代・11代立教大学総長。 千葉県生まれ。1937年第二高等学校 (旧制)卒業。1941年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1941年同法学部助手。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、同年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業し愛宕に配属。経理学校指導官付、京城武官付、経理学校付学生隊指導官、同練習生隊分隊長を歴任。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進む。1944年(昭和19年)2月、京城武官付に転じ物資動員計画主務を務めた。
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今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1… 今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1996年10月13日)は、日本の法学者。専門は、行政法・経済法。 学位は、法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「国家補償法」)。北海道大学名誉教授、北海学園大学名誉教授。日本学士院会員。1985年勲一等瑞宝章受章。京城(後の韓国ソウル)生まれ。父は樺太庁長官の今村武志、柳宗悦は母方の伯父。 朝鮮京城生まれ。京城師範学校附属小学校・中学校卒業。1934年3月、 第二高等学校文科甲類卒業。1937年3月 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1937年4月、三菱商事株式会社入社(総務部文書課法規係勤務)。 1947年8月、公正取引委員会事務局事務嘱託。
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佐々木 慶市(ささき けいいち、1912年12月20日 – … 佐々木 慶市(ささき けいいち、1912年12月20日 – 2002年 8月21日)は、日本の歴史家。 宮城県大崎市生まれ、1930年に第二高等学校に入学。柔道部の選手でもあった。3年生のときに日本史の本を読むようになり、特に三浦周行『国史上の社会問題』を読んだことが室町期の社会に興味を持つきっかけとなった。また、在学中に 武内義範らと歴史同好会の活動をし、そこで伊東信雄と知り合い、東北帝国大学への進学を勧められた。1933年に二高を卒業する。同年、東北帝国大学法文学部に入学。古田良一に師事するとともに、中村吉治の指導も受けた。また、伊木寿一から古文書学を学び、実習で飯野八幡宮文書の調査を行ったことが、のちの好嶋荘や岩城氏の研究につながった。
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三輪 福松(みわ ふくまつ、1911年7月6日 - 1998… 三輪 福松(みわ ふくまつ、1911年7月6日 - 1998年10月10日)は、日本の西洋美術史学者。 静岡県生まれ。旧制静岡県立榛原中学校、旧制第二高等学校を経て、1938年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。同大学附属図書館、同大学医学部図書室を経て、1949年東京大学助教授となる。1953年からイタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学文学部に学ぶ。1959年多摩美術大学教授、1963年慶應義塾大学講師、1972年東京学芸大学教授、1975年弘前大学教授、1980年群馬県立女子大学教授。1985年から1989年まで清春白樺美術館館長を務めた。
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佐藤 重平(さとう じゅうへい、1911年(明治44年) -… 佐藤 重平(さとう じゅうへい、1911年(明治44年) - 1996年(平成8年)5月5日)は、日本の植物学・遺伝学者。 岩手県出身。第二高等学校卒、1934年東京帝国大学理学部植物学科卒、同大学院満期退学。理学博士。第四高等学校教授、東京高等学校教授、東京大学教養学部助教授、教授、1971年定年退官、名誉教授、順天堂大学教授、自治医科大学教授。没後正四位受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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北村 晴朗(きたむら せいろう、1908年4月21日 - 2… 北村 晴朗(きたむら せいろう、1908年4月21日 - 2005年7月16日)は、日本の心理学者。 宮城県加美郡(現仙台市)出身。1935年東北帝国大学法文学部心理学科卒。1962年「心理学における自我の諸問題」で東北大学文学博士。1947年第二高等学校教授、1950年東北大学文学部助教授、1960年教授となり、1972年定年退官、名誉教授、秋田大学教授、1974年から東北福祉大学教授を務めた。後年には仏教に基づく心理学を研究した。
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三戸 寿(みと たもつ、1908年〈明治41年〉1月17日 … 三戸 寿(みと たもつ、1908年〈明治41年〉1月17日 - 1971年〈昭和46年〉8月27日)は、昭和期日本の法制史学者。学位は法学博士(京都大学)。「三戸壽」とも表記される。法制史学会発起人の1人。専門はローマ法。神戸史学会評議員、法制史学会理事を歴任。 宮城県仙台市出身。第二高等学校 (旧制)(1928年卒業)を経て、1931年に東北帝国大学法文学部を卒業した。同年に同学部副手となる。1937年に関西学院大学法文学部講師に転じ、助教授(1939年)を経て、1942年に教授に就任した。1947年に学部改編で法学部所属となり、1951年に法学部長・同大学院法学研究科委員長に就任した。1952年2月、京都大学より論題「ローマ法継受史の研究」で法学博士の学位を取得した。
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加藤 愛雄(かとう よしお、1905年11月30日 - 19… 加藤 愛雄(かとう よしお、1905年11月30日 - 1992年1月28日)は、日本の地球物理学者。東北大学名誉教授。理学博士。専門は地球電磁気学。 化学者の加藤多喜雄は兄。生物学者の加藤陸奥雄、地質学者の加藤磐雄は弟。大甥(甥の息子)に数学者の加藤文元。 千葉県夷隅郡大多喜町生まれ。旧制宮城県仙台第一中学校、旧制第二高等学校を経て、1930年東北帝国大学理学部物理学科卒業。同年より同大学副手、翌年助手、1938年助教授、1945年地球物理学教室を創設、教授となる。 短周期の地球磁場変動を観測するため、東北大学金属材料研究所で発見された高誘導磁率合金センダストを磁芯に用いた誘導型磁力計(フラックスゲート磁力計)を開発、地磁気3成分の微細変動を長期間広範囲にわたって観測し、正弦波形定常脈動を各周波数ごとにPc1からPc5までの5つに分類した。
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宇田 道隆(うだ みちたか、1905年1月13日 - 198… 宇田 道隆(うだ みちたか、1905年1月13日 - 1982年5月10日)は、昭和期の日本の海洋物理・水産海洋学者。 1905年、高知県土佐郡小高坂村で生まれた。1921年に高知県立第一中学校を卒業後、仙台の第二高等学校に進んだ。1924年、東京帝国大学物理学科に入学し、寺田寅彦や藤原咲平の指導を受けた。1927年に同大学を卒業。 卒業後の1927年(昭和2年)4月、農林省水産講習所(後の東京水産大学、現在は東京海洋大学)技師に採用された。1928年(昭和3年)2月から翌年11月まで、兵役のため、幹部候補生として浜松高射砲第一連隊に入隊。除隊後に復職するが、水産講習所の組織再編により、1929年10月より農林省水産試験場技師となり、海洋調査部に勤務。
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渡辺 光(わたなべ あきら、1904年9月2日 - 1984… 渡辺 光(わたなべ あきら、1904年9月2日 - 1984年4月29日)は、日本の地理学者。お茶の水女子大学名誉教授。地理調査所(現在の国土地理院)、お茶の水女子大学などで研究を行った。 東京市麹町区に生まれる。1917年麹町区立富士見尋常高等小学校を卒業。1922年旧制開成中学卒業。1925年旧制第二高等学校理科を卒業、東京帝国大学理学部地理学科に入学し、山崎直方・辻村太郎・多田文男等の指導を受ける。 1927年 第3回太平洋学術会議が東京で開催されたとき「日本の火山分類図」を辻村の指導の下に制作し、出品した。1928年3月 東京帝国大学を卒業。その後、同大学地理学教室副手となる。また、日本大学の講師も務めた。
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宮崎 吉夫(みやざき よしお、旧姓:伊藤〈いとう〉、1903… 宮崎 吉夫(みやざき よしお、旧姓:伊藤〈いとう〉、1903年〈明治36年〉12月23日 - 1956年〈昭和31年〉10月24日)は、日本の病理学者、医師。医学博士。東京高等歯科医学校病理学教室初代教授、東京大学伝染病研究所病理学研究部長。 新潟県中蒲原郡横越村大字沢海(現 新潟市江南区沢海)の豪農・六代目伊藤文吉の五男として出生。 1920年(大正9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1923年(大正12年)3月に第二高等学校を卒業、1927年(昭和2年)3月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1927年(昭和2年)4月に東京帝国大学医学部病理学教室(担任:緒方知三郎教授)副手に就任、1932年(昭和7年)12月に東京高等歯科医学校病理学教室講師に就任、1933年(昭和8年)3月に東京高等歯科医学校病理学教室初代教授に就任、1935年(昭和10年)7月に東京帝国大学から医学博士号を取得、1944年(昭和19年)4月に東京医学歯学専門学校病理学教室教授に就任、1948年(昭和23年)7月に東京大学伝染病研究所病理学研究部部長・教授に就任、東京医科歯科大学歯学部病理学教室講師を兼任、1951年(昭和26年)2月に東京医科歯科大学歯学部病理学教室教授に就任、東京大学伝染病研究所病理学研究部部長・教授を兼任、1956年(昭和31年)6月に東京大学伝染病研究所所長事務代理に就任、東京大学伝染病研究所病理学研究部部長・教授と東京医科歯科大学歯学部病理学教室教授を兼任。
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金田 平一郎(かねだ へいいちろう、1900年(明治33年)… 金田 平一郎(かねだ へいいちろう、1900年(明治33年)7月10日 - 1949年(昭和24年)10月7日)は、日本の法学者。日本法制史。近代債権法。商法。九州帝国大学教授。法学博士(学位論文「近世民事責任法の研究」)。茨城県出身。 茨城県行方郡玉造町出生。第二高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学法学部法律学科(独逸法)卒業。同大学院を経て1929年(昭和4年)九州帝国大学法文学部講師に就任。1940年(昭和15年)法学部教授。1949年(昭和24年)同第13代図書館長に就任。多くの歴史資料文献を蒐集し大学の蔵書形成に貢献した。同年急逝。 日本法制史研究の第一人者として知られる。
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下村 彦一(しもむら ひこいち、1900年 <明治33年> … 下村 彦一(しもむら ひこいち、1900年 <明治33年> 5月17日 - 1995年 <平成7年> 4月18日)は、日本の地理学者。広島大学名誉教授。理学博士(東京大学)。勲三等旭日中綬章(1971年)。位階は従三位。 地形・地形区・気候・地図・地理教育などを幅広く研究した。 1900年、兵庫県に長男として生まれる。父の下村三四吉は東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の東洋史の教授であった。第二高等学校(現・東北大学)を経て東京帝国大学理学部地理学科に入学。山崎直方・辻村太郎らの指導を受け、1925年に大学を卒業する。卒業と同時に、日本人にはほとんど知られていなかったジュンガル地方の地誌を『地理学評論』創刊号に発表した。
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冨倉 徳次郎(とみくら とくじろう、1900年3月8日 - … 冨倉 徳次郎(とみくら とくじろう、1900年3月8日 - 1986年5月26日)は、日本の国文学者、博士。駒澤大学名誉教授。専門は中世文学。 東京生まれ。第二高等学校理科から東京帝国大学理学部を経て、1926年(大正15年)3月に京都帝国大学文学部国文科を卒業。京都女子専門学校教授を命ぜられるが、軍隊に服する。 京大時代は講師として立命館中学に赴任。生徒の一人に中原中也がいた。あるとき、中也が答案の代わりに詩を書いて提出したことがきっかけで彼との交友が始まった。友人富永太郎を中也に引き合わせたことでも知られる。 1952年、駒澤大学に着任し教授。のち国文学科主任、大学院国文専攻主任をつとめる。
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佐々木 理(ささき ただし、1900年1月1日 - 1991… 佐々木 理(ささき ただし、1900年1月1日 - 1991年8月30日)は、日本の西洋古典学者。神話学者。 長野県生まれ。1924年東京帝国大学文学部英文科卒。宮城県女子専門学校教授、第二高等学校教授、1950年、名古屋大学文学部教授となり、1964年定年退官し名誉教授、その後、帝塚山大学教授を務め、1968年椙山短期大学教授となる。
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落合 英二(おちあい えいじ、1898年6月26日 - 19… 落合 英二(おちあい えいじ、1898年6月26日 - 1974年11月4日)は、日本の薬学者、薬化学者。東京大学名誉教授。 埼玉県浦和市生まれ。千葉師範学校附属小学校、千葉県立千葉中学校を卒業後、仙台の第二高等学校に入学する。東京帝国大学医学部薬学科卒業。東京帝国大学医学部薬学科薬化学教室第三代教授。アルカロイド、塩素化含窒素複素芳香環化合物について研究、その結果として、多数の新化合物を登場させた。1969年(昭和44年)文化勲章受章。 1928年(昭和3年) 東京大学 薬学博士 学位論文の題は「シノメニンの構造論」。 1898年(明治31年)6月26日 教育家落合初太郎の三男として埼玉県浦和で生誕、母はノブ。
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片桐 英郎(かたぎり ひでお、1897年9月21日 - 19… 片桐 英郎(かたぎり ひでお、1897年9月21日 - 1987年9月18日)は日本の農芸化学者。農学博士(東京帝国大学、1938年)。専門は発酵化学。 長野県下伊那郡根羽村生まれ。1919年旧制第二高等学校卒業、1922年東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。東京帝大の助手から、1924年京都帝国大学農学部助教授、欧米留学から1927年に帰国後、1929年同教授、1960年退官、名誉教授。1963年から1965年まで日本農芸化学会会長を務める。1982年日本学士院会員選出。著作に「酵素化学工業」などがある。 乳酸菌の生化学、ラセミアーゼの発見、醱酵菌類によるビタミンB2関連物質の生産、有機発酵酸及び微生物の代謝に関する研究、繊維原料の発酵精錬に関する研究などで業績を上げた。
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古澤 平作(こさわ へいさく、1897年7月16日 - 19… 古澤 平作(こさわ へいさく、1897年7月16日 - 1968年10月5日)は、日本の医学者、精神科医。東北帝国大学助教授。 日本に精神分析の技法を導入し日本独自の精神分析学を開拓し、力動的な臨床精神医学の基礎をつくることに貢献した。アカデミズムの世界に精神分析学をはじめて導入したのは東北帝大教授であった丸井清泰(1886‐1953)であったとされるが、正統的精神分析療法を習得しこれを広めたのは,丸井の門下であった古沢平作であった。 神奈川県厚木生まれ。旧制第二高等学校、東北帝国大学医学部を卒業。この頃、白内障で二年間の闘病生活を強いられ、右目を失明する。同精神科の丸井清泰の下で助教授を務めたが、丸井と衝突し、1932年-33年にかけてウィーン精神分析研究所に留学、ジークムント・フロイトに学ぶとともに、ステルバ(R.Sterba)の教育分析とフェダーンの指導を受けた。
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安騎 東野(あき とうや、1896年12月2日 - 1973… 安騎 東野(あき とうや、1896年12月2日 - 1973年7月20日)は、医学者、随筆家。 本名・宮本璋(しょう)。東京神田に小児科医の子として生まれる。第二高等学校、1922年東京帝国大学医学部卒。1927年東京帝国大学助教授。1936-1938年ドイツのカイザー・ヴィルヘルム研究所に学ぶ。戦時中はジャワに派遣。1947年東京医学歯学専門学校教授、1949年東京医科歯科大学教授、1956-1959年医学部長。1962年定年退官、名誉教授。1971年正四位勲三等旭日中綬章受勲。安騎東野の筆名で随筆を書いた。
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鈴木 醇(すずき じゅん、1896年10月1日 - 1970… 鈴木 醇(すずき じゅん、1896年10月1日 - 1970年3月12日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学・岩石学。理学博士(東京大学・1930年)(学位論文「Petrological study of the crystalline schist system of Shikoku, Japan(四國に於ける結晶片岩系の岩石學的研究)」)。北海道帝国大学教授を歴任。栃木県宇都宮市生まれ。 1914年、旧制宇都宮中学校を卒業。1918年、第二高等学校を経て東京帝国大学理学部地質学科へ入学。1921年卒業後助手となり、加藤武夫教授の下で鉱床学の研究を始める。1924年第一高等学校教授となり、1928 - 30年、スイスのチューリヒ大学に留学する。
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鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 196… 鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 1963年8月25日)は、日本の政治家、法学者、弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)、司法大臣・法務総裁を歴任。日本国憲法における生存権の制定・平和主義の誕生に寄与した。 1894年(明治27年)1月17日に福島県西白河郡白河町で生まれる。その後、東北学院普通科に進学し、同学校の第2代院長のD.B.シュネーダーら宣教師たちからキリスト教に基づく教育を受けた。同校卒業後は、仙台の第二高等学校(旧制二高)に進学した。そして1915年に東京帝国大学法科大学法律学科に進学し、美濃部達吉・吉野作造・牧野英一らのもとで学んだ。卒業後は同大の助手を務め、任期満了後の1921年(大正10)年から2年8ヶ月にわたり、欧米留学に向かった。
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小町谷 操三(こまちや そうぞう、1893年1月1日 - 1… 小町谷 操三(こまちや そうぞう、1893年1月1日 - 1979年1月5日)は、日本の商法学者。専門は海商法。学位は法学博士(東京帝国大学)。東北大学名誉教授。 長野県出身。旧制第二高等学校を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学法科卒業。東京地方裁判所判事を経て欧米各国に留学し帰国。1924年(大正13年)東北帝国大学教授。1929年(昭和4年)法学博士(東京帝国大学)。第二次世界大戦後は東北大学教授、1956年まで務め名誉教授。退官後は法政大学、次いで愛知学院大学で教授を務める。戦前に旧法制審議会幹事、戦後に法制審議会商法部会委員を務めた。 二高時代には阿波研造の下で弓道を嗜み、東北帝大教授時代には、『弓と禅』で知られるオイゲン・ヘリゲルと阿波の通訳を務めた。
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丹羽 鼎三(にわ ていぞう、1891年9月18日 - 196… 丹羽 鼎三(にわ ていぞう、1891年9月18日 - 1967年2月23日)は、日本の造園学者。造園学の教育者。 横浜市生まれ。第二高等学校を経て、1917年東京帝国大学農学部農学科を卒業。ただちに宮内技手として内匠寮に入り、新宿御苑において桜と菊の研究に従事した。1922年ヨーロッパ留学を経て、1924年三重高等農林学校教授、1929年東京大学助教授となり園芸学を担当した[要出典]。同年2月、東京帝国大学農学博士。論文の題は「日本菊花ニ関スル研究」。1932年同大学教授に就任。原煕の後継者として、東京大学農学部農学科園芸第二講座として花井及び庭園学を担当。この講座を大成させた。1952年定年退官、東京大学名誉教授。
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阿部 余四男(あべ よしお、1891年〈明治24年〉1月3日… 阿部 余四男(あべ よしお、1891年〈明治24年〉1月3日 - 1960年〈昭和35年〉4月22日)は、日本の動物学者。広島大学名誉教授。 哲学者・美学者の阿部次郎、陸軍軍人・実業家の堀三也は兄。歴史学者の竹岡勝也は弟。動物生態学者の阿部襄は甥。 1891年(明治24年)山形県飽海郡上郷村(現・酒田市)大字山寺で、教師をしていた父・阿部富太郎と医師の娘であった母・ゆきの四男として生まれる。 旧制・山形県立山形中学校、旧制・第二高等学校を経て、東京帝国大学理科大学で渡瀬庄三郎教授のもとで学び、1916年(大正5年)同動物学科を卒業し、同理学部嘱託、ヨーロッパ留学をへて、第二高等学校および広島高等師範学校教授を歴任し、1929年(昭和4年)広島文理科大学(現・広島大学)教授となる。
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白井 成允(しらい しげのぶ、1888年〈明治21年〉2月6… 白井 成允(しらい しげのぶ、1888年〈明治21年〉2月6日 - 1973年〈昭和48年〉8月25日)は、日本の倫理学者。 岩手県盛岡市出身、盛岡中学卒業。1913年東京帝国大学文学部哲学科卒業。愛知県立医学専門学校(現・名古屋大学医学部)教授、(旧制)第二高等学校教授、京城帝国大学教授を経て広島文理科大学教授。1957年「三経義疏の倫理学的管窺」で広島文理科大学文学博士。1952年龍谷大学教授。睦学園短期大学長、武庫川女子大学教授。 次男は白井成道(哲学者、大阪府立大学名誉教授)、三男は小田嶋成和(病理学者)、四男は白井成雄(フランス文学者、名古屋大学名誉教授)。
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増井 清(ますい きよし、1887年〈明治20年〉9月14日… 増井 清(ますい きよし、1887年〈明治20年〉9月14日 - 1981年〈昭和56年〉8月6日)は、日本の獣医学者、畜産学者。世界で初めてひよこの雄雌の鑑別法を発見した。獣医学博士。東京大学名誉教授。名古屋大学名誉教授。位階は従三位。 静岡県立静岡中学校卒業。第二高等学校 (旧制)を経て、1915年、東京帝国大学農科大学獣医医学科を卒業。1921年、獣医学博士、1922年、助教授(解剖学)。1924年に『雄鶏ニ於ケル退化交尾器官並ニ初生雛ノ雌雄鑑別ニツイテ』(農林省畜産試験場橋本重郎、大野勇両技官と共著)発表。1927年ドイツに留学、カイザー・ウィルヘルム生物学研究所(現、マックス・プランク研究所)においてリチャード・ゴールドシュミットのもとで「性の決定」に関する研究を行った。
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杉村 七太郎(すぎむら しちたろう、1879年(明治12年)… 杉村 七太郎(すぎむら しちたろう、1879年(明治12年)12月19日 - 1960年(昭和35年)11月25日)は、日本の医学者。専門は、外科学・泌尿器科学。東北帝国大学第一外科初代教授。東北帝国大学名誉教授。 1879年(明治12年)、静岡県磐田郡池田村に生まれる。同村尋常小学校、見附町高等小学校、静岡県立静岡中学校、第二高等学校第3部を経て、東京帝国大学医科大学、さらに同大学院に進学。佐藤三吉の下で外科学を専攻。当時新設予定の新潟医学専門学校の外科教授として外科総論及び泌尿器外科を担当することが内定したため、1908年(明治41年)、皮膚科泌尿器科、土肥慶蔵の指導も受けた。ドイツに留学し外科学を研鑽。
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堀内 次雄(ほりうち つぎお/つぐお、1873年〈明治6年〉… 堀内 次雄(ほりうち つぎお/つぐお、1873年〈明治6年〉5月25日 - 1955年〈昭和30年〉5月12日)は、明治から昭和時代の医学者、大日本帝国陸軍軍医。 堀内直学の長男として丹波国多紀郡篠山北新町(現・兵庫県丹波篠山市北新町)に生まれ、1888年(明治21年)7月、家督を相続する。 1894年(明治27年)第二高等学校医学部(現・東北大学医学部)を卒業し、陸軍に入り、三等軍医となる。1896年(明治29年)台北病院医務嘱託、台北県医院医員、台湾総督府医院医員、台湾総督府医学校助教授、同校舍監、同校教授、同医院医長を歴任する。1912年(大正元年)多紀郡出身者として初めて医学博士の学位を授かる。
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中村 幸之助(なかむら こうのすけ、明治5年6月16日(18… 中村 幸之助(なかむら こうのすけ、明治5年6月16日(1872年7月21日) - 昭和20年(1945年)1月11日)は、日本の電気工学者。 宮城県仙台市出身。第二高等学校を経て、1898年(明治31年)に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、大学院に進んだ。1899年(明治32年)、東京工業学校教授となり、翌年から欧米諸国に留学した。1902年(明治35年)に帰国後は、東京高等工業学校教授に特許局審査官、東京高等工業学校附設工業教員養成所主事、特許局技師などを兼ねた。1919年(大正8年)、工学博士の学位を得た。1926年(大正15年)、東京高等工業学校校長に就任し、翌年には財団法人協調会東京工業専修学校校長も兼ねた。
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木村 駿吉(きむら しゅんきち、1866年11月8日(慶応2… 木村 駿吉(きむら しゅんきち、1866年11月8日(慶応2年10月2日) - 1938年10月6日)は、明治から昭和期の物理学者、工学者、教育者。日本海軍の軍属(技師)、特許弁理士のほか、第一高等中学校(現・東京大学)教授、立教学校(現・立教大学)教頭、第二高等学校(現・東北大学)教授、海軍大学校教授を歴任。海軍技師として、日露戦争の勝利に貢献した三六式無線電信機を開発したことでも知られる。 幕臣・木村摂津守喜毅(木村芥舟)の三男として江戸(芝 新浅座、現在の港区浜松町1丁目あたり)で生まれた。父・芥舟は、江戸幕府の海軍伝習所取締として日本の海軍創設に関わり、日本への西洋の科学技術導入の黎明期で活躍し、軍艦奉行として咸臨丸を指揮し、日本人による初の太平洋往復の渡航を成功させた人物である。
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瀧川 資言(たきがわ すけのぶ、慶応元年11月12日(186… 瀧川 資言(たきがわ すけのぶ、慶応元年11月12日(1865年12月29日) - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の漢学者。戸籍名は龜太郎(かめたろう)、字は資言、号は君山。『史記会注考証』(『史記』の注釈書)を編纂したことで知られる。 1865年(慶応元年)11月12日に出雲国島根郡(現・松江市中原町)にて士族であった杢之丞の長男として生を受けた。1882年(明治15年)旧制松江中学を中退し上京。島田篁村の双桂精舎で学んだ後、1887年(明治20年)、東京帝国大学古典講習科漢書課卒業。 1897年(明治30年)に第二高等学校教授、1926年(大正15年)に大東文化学院教授となる。
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吉武 栄之進(よしたけ えいのしん、1864年7月22日〈元… 吉武 栄之進(よしたけ えいのしん、1864年7月22日〈元治元年6月19日〉 - 1927年〈昭和2年〉1月3日)は日本の応用化学者。 信濃国松本城下(現長野県松本市)に松本藩士・吉武樗の長男として生まれる。開智学校を経て東京大学予備門に入学。1884年東京大学卒業後、1887年から翌年にかけ東京府第一中学校教諭、さらに東京師範学校教諭を経て、第二高等学校教授、東京高等工業学校教授などに就任、理化学を講じていた。1932年、文部省から毛染及び毛織物捺染法、仕上法の研究を命じられ、イギリス、ドイツに3年間留学。帰国後、再び前職を務める傍ら、文部省視学官に任じられる。1920年東京高等工業学校校長、1923年東京高等工芸学校校長を兼任となる。
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