浜本 万三(はまもと まんそう、1920年9月9日 - 20… 浜本 万三(はまもと まんそう、1920年9月9日 - 2008年1月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 参議院議員(3期)、日本社会党参議院議員会長、参議院社会労働委員長、労働大臣(第60代)などを歴任した。 広島県尾道市出身。向東高等小学校卒業。 広島電気(現:中国電力)に入社後、労働運動に参加した。日本電気産業労働組合広島県支部委員長や広島県労働組合会議議長などを歴任した。 1974年の第10回参議院議員通常選挙で日本社会党から立候補し、初当選を果たした。以来、通算18年(2回落選)の国政生活を送る。社会党右派の系譜に連なる政権構想研究会に所属した。在任中は社会党参議院議員会長や参議院社会労働委員長などを歴任。
井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 20… 井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 2008年11月28日)は日本の医学者。専門は病理学。第8代千葉大学学長。 長野県南佐久郡臼田町(現佐久市)生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制松本高等学校理科乙類を経て,、1944年旧制千葉医科大学卒業。母校助手を経て、1956年同助教授。1957年医学博士(千葉大学)。論文の題は「潰瘍性関節症の病理学的研究 」。1965年教授、1978年医学部長、1982年学長を歴任。1988年退官、名誉教授。1993年勲二等旭日重光章受勲。 1961年刊行の『中日英医学用語辞典』の編集委員長を務めた他、著書に『喫煙と肺癌』、『最新病理組織学』などがある。
堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 202… 堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 2021年10月11日)は、日本の詩人。 山梨県東八代郡御代咲村(現笛吹市)生まれ。本姓・千葉。大妻専門学校卒。 22歳で甲府在住の千葉幸男と結婚するが、姑とあわず、3ヶ月で婚家を出て、夫を誘い東京に出て二人で生活する。 神保光太郎、深尾須磨子らの知遇を得て『四季』などに詩を発表する。詩誌『葡萄』発行人。中田喜直、田中隆司の作曲により歌曲となった作品も多数ある。 現代詩人会会員。101歳で死去。 夫の千葉幸男は、上野精養軒に勤め、社長、会長、のち相談役。
三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、… 三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、1920年(大正9年)9月5日 ‐ 2012年(平成24年)2月13日)は、東京府北豊島郡西巣鴨町(現:東京都豊島区)出身の女優。東洋高等女学校卒業。夫は宮阪将嘉(1997年に死別)。 家業は青果問屋であった。 東洋高等女学校卒業後、白木屋(現在の東急百貨店)に入社。そこのコーラス部に入ったことがきっかけで、1939年に松竹演芸部に歌手として所属。 その後、ムーランルージュなどを経て、1954年に劇団民藝へ入団(新藤兼人監督の『どぶ』でスクリーンデビューも果たす)。 1967年に劇団を退団。 1969年から始まった『男はつらいよ』シリーズに車寅次郎のおばちゃん・車つね役として計49作で起用され、これが当たり役となる。
上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年9月5日 - 19… 上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年9月5日 - 1996年2月29日)は俳人、随筆家。熊本県人吉市生まれ。本名・武喜。東京美術学校卒。『ホトトギス』同人。松本たかしに師事。『みそさざい』主宰。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
萩原 葉子(はぎわら ようこ、1920年〈大正9年〉9月4日… 萩原 葉子(はぎわら ようこ、1920年〈大正9年〉9月4日 - 2005年〈平成17年〉7月1日)は、日本の小説家、エッセイスト。 詩人萩原朔太郎と最初の妻、稲子(旧姓上田)との長女として東京本郷の東京帝大構内の前田侯爵邸に生まれ、大井町、田端、鎌倉材木座、馬込、前橋、下北沢などを転々として育つ。2歳下の妹・明子がいる。8歳の時両親が離婚し、前橋の祖母(朔太郎の母)宅に預けられた。権勢を振るう祖母の圧迫で、2番目の妻と離婚させられた朔太郎が1942年、55歳で死ぬという辛酸をなめ、このことがのち小説『蕁麻の家』に描かれることになる。 1938年、精華高等女学校(現・東海大学付属望洋高等学校)卒業、同年文化学院入学。
有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年… 有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年6月30日)は、俳人。
橡川 一朗(とちかわ いちろう、1920年9月3日 - 20… 橡川 一朗(とちかわ いちろう、1920年9月3日 - 2019年)は、日本の西洋中世史家。東京都立大学名誉教授。 中近世ヨーロッパにおける家父長的奴隷制説を提起して、通説と鋭く対立し、特に日本におけるドイツ史研究に大きな影響を及ぼした。また、家父長的奴隷制説を証明する史料として、ドイツのグリム編『ヴァイステューマー』を重視し、その本格的解読に取り組んだわが国の先駆的研究者でもある。日本史についても、安良城盛昭の家父長制的奴隷制論と連携し、『源氏物語』や親鸞などに関して独自の見解を示し、家父長的奴隷制を軸とする射程範囲の広い歴史観を展開していた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐藤 武敏(さとう たけとし、1920年9月3日- 2019… 佐藤 武敏(さとう たけとし、1920年9月3日- 2019年8月31日)は、日本の東洋史学者、大阪市立大学名誉教授。古代中国の交易・水利の研究などを行い、 1920年、山形県で生まれた。東北帝国大学法文学部を卒業し、同大学大学院中退。 卒業後は大阪市立大学助教授に就いた。のち教授昇格。1961年、学位論文『中国古代工業史の研究』を東北大学に提出して文学博士号を取得。1984年に大阪市立大学を定年退官し、同校の名誉教授となった。退任後も流通科学大学などで教鞭をとった。2019年に死去。
大野 百樹(おおの ももき、1920年〈大正9年〉9月3日 … 大野 百樹(おおの ももき、1920年〈大正9年〉9月3日 - 2019年〈平成31年〉3月1日)は、昭和から平成の日本画家。本名は大野慶蔵。 埼玉県秩父に生まれる。 小谷津任牛や奥村土牛に師事する。1948年(昭和23年)再興第33回院展にて初入選。ほか1986年(昭和61年)再興第71回院展にて日本美術院賞(大観賞)、2008年(平成20年)再興第93回院展にて文部科学大臣賞、2011年(平成23年)再興第96回院展にて内閣総理大臣賞などを受賞した。2001年(平成13年)10月17日、日本美術院同人に推挙された。2019年(平成31年)3月1日、肺炎のため死去。98歳。代表作に『谷川岳』など。
江尻 宏一郎(えじり こういちろう 1920年9月1日 - … 江尻 宏一郎(えじり こういちろう 1920年9月1日 - 2015年4月21日)は、日本の実業家。三井物産第6代社長。神奈川県横浜市生まれ。位階は従三位。 父は三井物産勤務の商社マンだった。東京府立一中卒業後、柔道の力量を見込まれ第六高等学校に入学した。六高を経て、東京帝国大学法学部入学。中学時代から柔道部に所属し、六高、東大と通じてキャプテンを務めた。六高柔道部先輩に永野重雄、同部同期に亀長友義(参議院議員、農林事務次官)らがいた。同じクラスの石井多加三(国際電電社長、郵政事務次官)とは親友だった。1943年(昭和18年)9月、戦時中の折、東京帝大法学部を繰り上げ卒業し、父と同様三井物産入社。
王馬 熙純(おう・ま・きじゅん、1920年9月1日 - 20… 王馬 熙純(おう・ま・きじゅん、1920年9月1日 - 2018年6月11日)は、中国出身の日本の料理研究家。日本に帰化、本名・王城純子〈おうき・じゅんこ〉。 中国・ハルビン出身。水運業、酒精工場、イースト工場、銀行業などを手がけた実業家である馬延喜の長女として生まれる。レオ・シロタに師事することを希望し、母を伴って三兄と妹とともに日本に留学した。1937年に東京音楽学校予科に入学。1938年から同校本科器楽部ピアノ専攻で学び1941年3月に卒業。同年4月に同校研究科器楽部ピアノ専攻に進学した。1942年に東京音楽学校の満州国建国十周年慶祝音楽使節団にピアニストとして参加し、満洲、朝鮮の各地を巡って演奏した。
渡邉 渡(わたなべ わたる、1920年9月 - 2011年4… 渡邉 渡(わたなべ わたる、1920年9月 - 2011年4月21日)は、日本の経済史学者。特に明治維新の時期を中心とした日本経済史を専門とした。前身の大倉経済専門学校の時代を含め、東京経済大学に長く勤め、経済学部長、学長(1984年 - 1988年)を歴任した。 1920年東京に生まれる。大倉財閥が創設した大倉高等商業学校(東京経済大学の前身校)に学び、1943年に慶應義塾大学経済学部を卒業した。商工組合中央金庫勤務を経て、1946年に大倉経済専門学校と改称していた母校の講師となった。1949年、新制大学として東京経済大学が発足すると、専任講師となり、1951年に助教授、1958年に教授と昇進した。
安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月3… 安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月31日 - 1998年〈平成10年〉10月18日)は、昭和期の労働運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。全電通東北地方本部委員長、山形県労働組合評議会議長、日朝国交正常化国民会議事務局長を務めた。 現在の山形県村山市で生まれる。1936年(昭和11年)仙台逓信講習所普通科を卒業。山形楯岡郵便局、山形電気通信部で勤務した。 1952年(昭和27年)全電通東北地方本部委員長、1955年(昭和30年)山形県労働組合総評議会議長に就任する。 1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。以来、旧山形2区から日本社会党の公認を受け立候補し、連続6回当選する。
上田 毅八郎(うえだ きはちろう、1920年8月30日 - … 上田 毅八郎(うえだ きはちろう、1920年8月30日 - 2016年6月18日)は、日本の画家である。海洋船舶画家として、模型メーカー・タミヤの「ウォーターラインシリーズ」をはじめとするボックスアートで知られる。 静岡県藤枝市鬼岩寺に生まれ、静岡市千代田で育つ。上田は子供のころから「子供の科学」「航空少年」といった少年雑誌を見ながら、船舶や飛行機の絵を盛んに模写していた。 1941年(昭和16年)、徴兵の為帝国陸軍の高射砲連隊(浜松市)に入営。後に船舶部隊(暁部隊)の船舶砲兵に転科、陸軍徴用船である軍隊輸送船に乗船し備砲たる高射砲の操作要員(船砲隊員)となり(船舶砲兵第1連隊)、太平洋戦争における数々の輸送任務に従軍。
末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 … 末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 - 1991年12月5日)は、日本の天文学者。専門は、天体物理学、とりわけ太陽物理学。1967年日本学士院賞受賞、1991年勲二等瑞宝章受章。 兵庫県神戸市出身(出生地は富山県)。旧制神戸一中、第一高等学校を経て東京帝国大学理学部天文学科に進学し、東大では萩原雄祐に天体物理学を学んだ。
大槻 健(おおつき たけし、1920年8月28日 - 200… 大槻 健(おおつき たけし、1920年8月28日 - 2001年1月30日)は、日本の教育学者。早稲田大学名誉教授。大阪府出身。 大阪府出身。東京帝国大学文学部卒。神奈川師範学校、東京大学附属中学校(東京大学教育学部附属中等教育学校の前身)教師、早稲田大学助教授を経て、1953年に教授。1991年、定年退任、名誉教授。左翼的な立場から、小・中学校の社会科教科書の編集、執筆を行い、教育科学研究会や民間教育団体連絡協議会などの民間教育運動に参加。
谷上 幸男(たにうえ さちお、1920年8月28日 - )は… 谷上 幸男(たにうえ さちお、1920年8月28日 - )は、日本の政治家、漁師。坊津町長(4期)を務めた。 1920年8月28日、鹿児島県川辺郡西南方村大字坊(現南さつま市坊津町坊)生まれ。坊泊尋常小学校高等科卒業。その後、裁判所の書記を目指して鹿児島市の弁護士前之園喜一郎の元で書生として住み込む。その後、上京して日立航空機製作所に入社する。その後、1941年に召集され平壌飛行場に終戦まで勤務した。終戦後は帰郷して、原捨思が所有するカツオ漁船の漁労長となった。1973年、南方水産経理部長となる。1979年11月17日、坊津町助役に就任して11年務めた。1991年、坊津町長選挙に立候補して現職の原多計志と別の新人を破って初当選を果たした。
中薗 英助(なかぞの えいすけ、男性、1920年8月27日 … 中薗 英助(なかぞの えいすけ、男性、1920年8月27日 - 2002年4月9日)は、日本の小説家・推理作家。本名は中園 英樹(なかぞの えいき)。 福岡県遠賀郡上津役村(現北九州市八幡西区)出身。旧制福岡県立八女中学校(現福岡県立八女高等学校)卒業。在学中、西洋史を教わった渡辺啓助の影響で『新青年』を愛読するようになる。卒業後は満州を経て北京へ遊学し、同仁会語学校などに学ぶ。 1940年、北京大学の文学院を聴講しながら東亜新報の学芸記者となる。かたわら同人誌『燕京文学』に加わり、創作活動を開始。1942年、「第一回公演」で北支那文化賞を受賞。 1946年、引き揚げ帰国し、新聞記者を経てフリーのジャーナリストとなる。
奧野 久之(おくの ひさゆき、1920年8月27日 - 19… 奧野 久之(おくの ひさゆき、1920年8月27日 - 1992年4月17日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 1987年9月5日に67歳で最高裁判所裁判官に就任。67歳での最高裁裁判官就任は三淵忠彦以来2人目。就任時の会見で「裁判や判決は法理の筋が通っているだけで値打ちが決まるものではない。この40年間、闘う手段を持たないで闘争している弱者の側にたって裁判所を下からみてきた。これからもこの立場で意見を」と述べた。 1986年衆院選の一票の格差訴訟と1986年参院選の一票の格差の最高裁判決において、合憲とする多数意見に対し、違憲とする反対意見を述べた。 1990年8月26日に定年退官した。
政野 岩夫(まさの いわお、1920年8月25日 - 194… 政野 岩夫(まさの いわお、1920年8月25日 - 1944年)は、鹿児島県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。1944年の登録名は中本 政夫。
穂坂 衛(ほさか まもる、1920年(大正9年)8月25日 … 穂坂 衛(ほさか まもる、1920年(大正9年)8月25日 - 2016年(平成28年)10月26日)は、日本の技師・学者。東京大学名誉教授。紫綬褒章。大野豊らと共に、世界初のオンライン座席予約システムと言われるMARS-1を開発。また日本のコンピューターグラフィクス・CAD分野のパイオニア。 技術士官として山名正夫の下で、艦上爆撃機の構造強度計算や、特攻機桜花の構造設計に携わる。「試験飛行時には設計者も同乗する必要があるため、ミスの許されない仕事を学んだ」と当人が語っている。 戦後、国鉄の鉄道技術研究所に移った穂坂はフルブライト・プログラムの第一期生としてMITに留学、ノーバート・ウィーナーとの出会いをきっかけにコンピューターを工学に応用することに関心を持つようになった。
古守 豊甫(こもり とよすけ、1920年8月25日 - 20… 古守 豊甫(こもり とよすけ、1920年8月25日 - 2008年1月8日)は、日本の医学者で長寿研究者。 山梨県北都留郡上野原町棡原(現・上野原市)で60年間の食生活と死因の変化を調査研究し、伝統的な食生活が長寿の要因であると結論づけた。 1920年、山梨県甲府市に生まれる。 1938年(昭和13年)、棡原小学校に代用教員として赴任した。 1943年に、東京医学専門学校(現・東京医科大学)を卒業し、軍医少尉に任官する。翌年、ラバウルに赴任した。 1946年に復員すると、母校の東京医科大学で肺結核の臨床研究を手がける。1947年より国立甲府病院内科勤務となる。 1954年に古守病院を創設した。1959年に東京医科大学より医学博士号を取得する。
三好 豊一郎(みよし とよいちろう、1920年8月25日-1… 三好 豊一郎(みよし とよいちろう、1920年8月25日-1992年12月12日)は、日本の詩人。 東京出身。早稲田大学専門部卒。鮎川信夫らと交遊、戦時下に詩誌「故園」を発行。1947年『荒地』創刊に参加。1949年第一詩集『囚人』を刊行。1975年『三好豊一郎詩集』で無限賞、1984年『夏の淵』で第14回高見順賞受賞。
稗田 一穂(ひえだ かずほ、1920年8月23日 - 202… 稗田 一穂(ひえだ かずほ、1920年8月23日 - 2021年3月23日)は、日本画家、文化功労者。東京芸術大学名誉教授。女子美術大学大学院客員教授。創画会会員。 和歌山県西牟婁郡田辺町(現・田辺市)生まれ。父はデザイナーの稗田耕一(号・彩花)。その後大阪に転居、9歳から阿倍野橋洋画研究所に通う。1933年、大阪市立工芸学校工芸図案科に入学。卒業後上京、東京美術学校日本画科に入学。1943年、戦時体制のため繰上げ卒業。その後山本丘人に師事。 戦後1948年、丘人、上村松篁らが創造美術を結成し、第1回展より出品、奨励賞受賞。1951年、創造美術と新制作派協会が合併し新制作協会日本画部が発足、会員に推挙される。
別当 薫(べっとう かおる、1920年8月23日 - 199… 別当 薫(べっとう かおる、1920年8月23日 - 1999年4月16日)は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者。
宇土正彦(うど まさひこ、1920年 <大正9年> 8月23… 宇土正彦(うど まさひこ、1920年 <大正9年> 8月23日 - 1999年 <平成11年> 10月12日)は、日本の体育学者。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 長崎県出身。1944年東京文理科大学教育学科心理学専攻卒。文部省勤務、東京教育大学助教授、教授、1974年筑波大学体育学系教授・体育専門学群長を経て、1983年定年退官、名誉教授、日本女子体育大学学長。96年退任、名誉教授。日本体育・スポーツ経営学会会長、スポーツ産業学会理事長も務めた。 96年勲三等旭日中綬章受勲。99年死去。死没日付をもって正八位から従四位に進階した。
田中 伸(たなか しん、1920年8月23日 - 1991年… 田中 伸(たなか しん、1920年8月23日 - 1991年2月8日)は、日本の国文学者。近世文学専攻。 北海道生まれ。1942年二松学舎専門学校卒、1946年早稲田大学文学部国文科卒。49年同大学院修了。日本女子経済短期大学(のち嘉悦大学短期大学部)助教授、二松學舍大学文学部助教授、教授。定年直前に死去。
東 文彦(あずま ふみひこ、1920年(大正9年)8月23日… 東 文彦(あずま ふみひこ、1920年(大正9年)8月23日 - 1943年(昭和18年)10月8日)は、日本の小説家。本名は東徤(あずま・たかし=行人偏に建)。23歳で夭折した。学習院時代の三島由紀夫と親交を持った。 父・東季彦は奈良県十津川村出身の法学者で、九州帝国大学法文学部教授や日本大学学長などを歴任。母・菊枝は軍人・石光眞清の次女。 「文彦」という筆名は、季彦が息子の名前にと一時考えていたものである。本名の「徤」は、祖父の東武の命名による。「徤」の字は『易経』にあり、天の運行の壮んさを表す。 神奈川県鎌倉市生まれ。幼時を父の赴任先の福岡で過ごした。小学校を福岡県男子師範学校付属小学校で過ごしたことは、文彦にとって重要なものであった。
鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23… 鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23日 - 1986年〈昭和61年〉10月17日)は、日本の詩人・評論家・翻訳家。別名・二宮 佳景(にのみや よしかげ)。本名・上村 隆一(うえむら りゅういち)。 戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる。第1次、第2次『荒地』の創刊に関わる。「詩人の条件」「なぜ詩を書くか」などの詩論で、戦後詩を性格づける中心的役割を果たした。作品に詩「死んだ男」(1947年)、『鮎川信夫詩集』(1955年)など。 東京小石川の高田豊川町に生まれる。父・上村藤若(「帝国文化協会」主催の出版者・文筆家)は農本主義的なナショナリストで、世間的には温厚な人格者でありながら、家庭内ではすこぶる冷淡な人間であったため、鮎川にとってのモダニズムは〈父親イメージへの反逆から始まった〉と後に語っている。
福田 勇一(ふくだ ゆういち、1920年8月22日 - )は… 福田 勇一(ふくだ ゆういち、1920年8月22日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手。
平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月… 平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月21日 - 2010年〈平成22年〉10月24日)は、日本の政治家。元岐阜県各務原市長。岐阜県郡上市(旧・郡上郡大和町)出身。
坂崎 利一(さかざき りいち、1920年8月21日 - 20… 坂崎 利一(さかざき りいち、1920年8月21日 - 2002年1月11日)は、日本の細菌学者。
田舛 彦介(たます ひこすけ、1920年8月20日 - 20… 田舛 彦介(たます ひこすけ、1920年8月20日 - 2004年7月22日)は、元卓球選手。卓球用品総合メーカー株式会社タマスの創業者。山口県柳井町(現・柳井市)出身。 旧制柳井商業学校 (現・山口県立柳井商工高等学校) 卒業。1946年、全日本卓球選手権大会では男子シングルス決勝で藤井則和に0-2で敗れ準優勝。1949年、田中良子と出場した全日本選手権混合ダブルス決勝で本庄俊彦 / 西村登美江組を2-0で下し、優勝。1950年、卓球用品総合メーカー株式会社タマスを創業した。1957年、『卓球レポート』を創刊した。1983年、バタフライ卓球道場を建設した。 株式会社タマスは、ブランド名であるBUTTERFLY(バタフライ)として知られている。
信元 安貞(のぶもと やすさだ、1920年8月19日 - 2… 信元 安貞(のぶもと やすさだ、1920年8月19日 - 2003年5月8日)は、日本の経営者。曙ブレーキ工業社長、会長を務めた。位階は従四位。前妻の満智子との子に信元久隆、信元真佐江、後妻トミ子との子にリップシャッツ信元夏代がいる。 東京都出身。1943年に東亜同文書院大学商学部を卒業し、1950年に曙産業(のちの曙ブレーキ工業)に入社。取締役、常務、専務を経て、1960年5月に副社長に就任し、1964年1月には社長に昇格。1990年6月に会長に就任し、信元久隆氏代表取締役社長を継いだ。1994年6月には名誉会長に就任。 1981年4月に藍綬褒章を受章し、1991年4月に勲二等瑞宝章を受章。「自動車部品産業の黎明期に多大な貢献」をしたとして、日本自動車殿堂者(Japan Automotive Hall of Fame)に認定されている。
皆川 洸(みながわ たけし、1920年8月18日 - 198… 皆川 洸(みながわ たけし、1920年8月18日 - 1984年3月3日)は、日本の国際法学者。法学博士。上智大学法学部教授を経て、指導教官大平善梧の招きで後継者として一橋大学法学部教授に着任するが、在任中死去し、後任には大平門下の桑原輝路が就いた。正四位・勲三等旭日中綬章。国際法学会名誉理事。世界法学会理事。 他にゼミ出身者に内閣府副大臣等を務めた末松義規衆議院議員などがいる。
阿部 喜夫(あべ よしお、1920年8月17日 - 没年不明… 阿部 喜夫(あべ よしお、1920年8月17日 - 没年不明)は、日本の経営者。群馬県出身。 1943年に東京帝国大学農学部農経科を卒業し、同年4月に日本勧業銀行に入行。1970年5月に取締役に就任し、1974年11月に第一勧業銀行常務、1979年6月に専務、1982年6月に副社長を経て、1983年6月にはオリエントファイナンス社長に就任した。1991年6月には会長も兼任し、1993年6月には会長に専任。
河野 一英(こうの かずひで/いちえい、1920年〈大正9年… 河野 一英(こうの かずひで/いちえい、1920年〈大正9年〉8月16日 - 2015年〈平成27年〉7月24日)は、日本の公認会計士(登録番号No.992)。正七位勲四等。元センチュリー監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)会長。大東文化大学名誉教授。商学博士。オーデリック特別顧問、日東工器・日本ライフライン・化学工業日報社・味の浜藤・シレン・各顧問、横浜化成監査役、大蔵省公認会計士試験委員、センチュリー監査法人会長を歴任した。 1920年、平田屋(のちの平田百貨店、現・高麗大然閣タワー)従業員の河野一三(広島県沼田郡緑井村出身)・房(旧姓・村井、三重県出身)夫妻の長男として朝鮮京畿道京城府にて出生した。
村山 美知子(むらやま みちこ、1920年8月16日 - 2… 村山 美知子(むらやま みちこ、1920年8月16日 - 2020年3月3日)は、日本の文化人。朝日新聞社の第3代社主。元朝日新聞社社長村山長挙の長女。兵庫県出身。甲南幼稚園、甲南小学校、甲南高等女学校を経て1939年に自由学園高等科1年修了。 朝日新聞社の発行済み株式総数のうち36.5%(116万6,641株)を保有する筆頭株主だった。1963年6月から株式会社朝日新聞社取締役社主付として就任。1977年8月から朝日新聞社社主に就任。 また朝日新聞と関係が深い朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)の発行済み株式総数の3.5%(14万5,500株)を保有し、1979年6月から2007年6月27日まで同社の社外取締役を務めていた。
那智ノ山 公晴(なちのやま きみはる、1920年8月15日 … 那智ノ山 公晴(なちのやま きみはる、1920年8月15日 - 1994年12月22日)は、和歌山県日高郡日高川町(現役時代は、同郡矢田村)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は柏木 佐平(かしわぎ さひら)。最高位は西前頭19枚目(1950年9月場所・1951年1月場所)。現役時代の体格は182cm、99kg。得意手は右四つ、三所攻め、大股、小股掬い。 1937年5月、横綱・武蔵山の一行が巡業で和歌山市内を訪れた際に出羽海親方(元小結・両國)の熱心なスカウトを受け、それに応じて出羽海部屋へと入門。同年5月場所で初土俵を踏み、翌年5月、本名でもある「柏木」の四股名で序ノ口に付いた(その後、「那智ノ海」を経て「那智ノ山」へ改名している)。
三富 恒雄(みとみ つねお、1920年8月14日 - 200… 三富 恒雄(みとみ つねお、1920年8月14日 - 2005年2月9日)は、栃木県下都賀郡栃木町(現・栃木市)出身のプロ野球選手(投手)。 栃木商業から社会人野球の太田雄飛に入社(法政大学中退との情報もあるが、間違いである)。1939年の都市対抗にも出場し、明治神宮大会で優勝も果たしている。1940年翼軍に入団。1942年暮れに応召される。1947年に金星スターズでプロ野球に復帰。1949年には中日ドラゴンズへ移籍し、1951年に12勝をマークし、この年はオールスターゲームに出場した。1954年に現役引退。引退後は、中部日本放送で野球解説者を務めた。当時としては珍しい左のサイドスローからシンカー、カーブやシュートを武器としていた。
梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 198… 梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 1980年12月21日)は、日本のフランス文学者、劇作家、小説家、随筆家。本名は梅田晃(あきら)。慶應義塾大学大学院修了。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。パイプや万年筆などの収集家としても知られる。梅田望夫、梅田みかは子。 1920年(大正9年)、東京府東京市四谷区(現東京都新宿区)愛住町の暗闇坂で、ロシア貿易会社を営んでいた父・梅田潔と文学者の母・玲子の間に、6人兄弟の末子として生まれる。当時の梅田家の家風であった、ヨーロッパ的な生活習慣の中で育ち、1926年(大正15年)、慶應義塾幼稚舎入舎。以後18年間大学院まで慶應の一貫教育を受ける。
山原 健二郎(やまはら けんじろう、1920年〈大正9年〉8… 山原 健二郎(やまはら けんじろう、1920年〈大正9年〉8月11日 - 2004年〈平成16年〉3月8日)は、日本の政治家。 高知県議会議員(2期)、衆議院議員(10期)、日本共産党衆議院議員団長、党議員団総会副会長を歴任。 高知県長岡郡本山町出身。 二松學舍専門学校卒。 出征、高知新聞記者を経て中学・高校の国語教師に。 1948年、高知県教育委員に全国最年少で当選(27歳)。 1953年、共産党入党。 1956年からは県教組副委員長、県総評副議長を務め、勤評反対闘争の際に懲戒免職となった。 1963年高知県議当選。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で衆院議員に初当選。党衆議院議員団長、党議員団総会副会長を務める。
鵜川 昇(うかわ のぼる、1920年8月10日 - 2007… 鵜川 昇(うかわ のぼる、1920年8月10日 - 2007年11月27日)は、日本の教育関係者。茗渓会会長、学校法人茗溪学園理事長、学校法人桐蔭学園理事長、桐蔭横浜大学学長、自民党かながわ政治大学校初代校長などを務めた。
馬場 一雄(ばば かずお、1920年(大正9年)8月8日 -… 馬場 一雄(ばば かずお、1920年(大正9年)8月8日 - 2009年(平成21年)8月24日)は、日本の小児科医学者。 東京生まれ。1944年、東京帝国大学医学部卒。1945年、同医学部小児科医局に入り、東京大学医学部助教授。1951年「新生児並に乳児に於ける諸反射」で東京大学より医学博士の学位を取得。東京都立築地産院。1963年、日本大学医学部小児科学教室教授。日本大学医学部附属板橋病院長、日本大学総合科学研究所教授。1994年、日本学術会議会員、勲三等瑞宝章受章。山下家の五つ子の研究にかかわる。 2009年8月24日、老衰のため死去。
内田 るり子(うちだ るりこ、1920年8月8日 - 199… 内田 るり子(うちだ るりこ、1920年8月8日 - 1992年5月1日)は、日本の声楽家、民俗音楽研究者。 東京生まれ。1942年東京音楽学校声楽科卒。1952年山形大学助教授、1954年日本女子体育短期大学助教授、1956年国立音楽大学助教授、教授。1962年ウィーン大学哲学科中退。83年『奄美民謡とその周辺』で第1回志田延義賞受賞。91年国立音大名誉教授。91年「奄美民謡とその周辺」で國學院大學文学博士。門下にペギー葉山がいる。
梁 粛戎(りょう しゅくじゅう、1920年〈民国9年〉8月8… 梁 粛戎(りょう しゅくじゅう、1920年〈民国9年〉8月8日 - 2004年〈民国93年〉8月27日)は、中華民国(台湾)の政治家。立法院長を務めた。 1920年、奉天省昌図県で出生する。 1941年、満洲国長春法政大学(長春大学)卒業。大学在学中の1939年に中国国民党の秘密党員となり、地下工作員として抗日活動に従事した。満州国の官吏養成機関であった大同学院、司法官訓練所で学ぶ。立法委員となってから、日本の明治大学で修士号を取得した後、1976年に博士号を取得(法学)。 満州国の検察官となるが、工作員であることが発覚して1944年3月に逮捕され、1945年(康徳12年)5月に満洲国法院で懲役12年の実刑判決を受けて服役する。
塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 200… 塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人・詩人・評論家・小説家。 朝日歌壇の選者の前川佐美雄に師事。第一歌集『水葬物語』(1951年)は、斬新なあまり歌壇から黙殺されたが、三島由紀夫に注目された。 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。若い頃の別名に碧川瞬、火原翔(この二つは、日本現代詩歌文学館にて確認 )、菱川紳士( 士 は省かれる場合もある )等があり、晩年の教授時代の学生たちとの歌会では鴻池黙示を好んで使った。それでも、著書目録にある単行本や文庫では、これらの著者名で出版されたものはない。
佐野 進(さの すすむ、1920年(大正9年)8月7日 - … 佐野 進(さの すすむ、1920年(大正9年)8月7日 - 2009年(平成21年)1月20日)は、昭和期の地方公務員、労働運動家、政治家。衆議院議員。 新潟県出身。召集され兵役に就いた。東京都交通局に入局。1955年(昭和30年)専修大学商経学部経済学科を卒業した。東京交通労働組合青年部長や、東京都労働組合連合会、日本都市交通労働組合(現全日本自治団体労働組合都市公共交通評議会)、港区労協の各役員を務めた。 東京都港区議会議員を経て、東京都議会議員に選出され3期在任した。この間、同都議会公営企業委員長、同中小企業対策審議会委員、東京オリンピック大会組織委員などを務めた。 1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙で東京都第6区から日本社会党公認で出馬し初当選。
越智 信義(おち のぶよし、1920年8月6日 - 2014… 越智 信義(おち のぶよし、1920年8月6日 - 2014年1月10日)は、日本の将棋史研究者。古川柳研究会会員。「将棋博士」と呼ばれた。 東京都中央区築地生まれ。1938年、東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)卒業。住友金属工業に勤務。戦中、陸軍に応召して満洲へ。戦後は住金物産に勤務して、総務部長から「氷川会館支配人」を経て退職。 日本将棋連盟嘱託として、棋譜や対戦成績のデータベース整備を担当。『将棋昭和史』『将棋名人戦全集』『将棋年鑑』等の刊行に協力。 また、長年に渡り、将棋史の調査、将棋文献の収集を行ってきた。収集した文献は生前に、大阪商業大学・アミューズメント産業研究所に寄贈された。