観世 元信(かんぜ もとのぶ、1931年8月8日 - 201… 観世 元信(かんぜ もとのぶ、1931年8月8日 - 2019年11月10日)は、日本の能楽師。能楽観世流囃子方太鼓方十六世宗家。日本能楽会会員。 1931年 能楽囃子方観世流太鼓十五世宗家・観世元継の長男として東京府(現世田谷区)に生まれる。1946年 父の観世元継が死去し、宗家を継承。1947年 「岩舟」で初舞台。1950年 学習院大学文学部に入学。1952年 東京藝術大学非常勤講師となる。1954年 学習院大学文学部文学科国文学専攻卒業。同年初めての能楽使節団の一員としてイタリア・ビエンナーレ演劇祭に参加。 1959年 「石橋大獅子」を披見。「道成寺」・「乱」・「石橋」等の大曲・秘曲を含め数多くの舞台を勤める。
笠松 宏至(かさまつ ひろし、1931年8月8日 - 202… 笠松 宏至(かさまつ ひろし、1931年8月8日 - 2025年2月17日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。東京大学名誉教授。中世法の研究の権威である。 1956年3月東京大学文学部国史学科卒業。1959年3月東京大学大学院人文科学系国史学専攻修士課程修了。 1962年4月東京大学史料編纂所助手、1972年5月助教授、1979年10月教授を経て1992年3月に定年退職して5月に東京大学名誉教授になる。その後、神奈川大学歴史民俗資料学研究科教授を歴任。 東大時代は佐藤進一に師事、資料の厳密な解釈を学ぶ。 『中世の罪と罰』の共著者である網野善彦、石井進、勝俣鎭夫と共に日本中世史の「四人組」と呼ばれ、学界をリードした。
小甲 登枝恵(こかぶ としえ、1931年8月7日 - )は、… 小甲 登枝恵(こかぶ としえ、1931年8月7日 - )は、日本の元女優。東京都出身。東映東京撮影所に所属していた。桜蔭高等学校出身。 本名は飯田 登枝恵。別名は小甲 登志恵、小甲 登志枝、小田 登枝恵。 ※すべて東映配給作品
中川 和彦(なかがわ かずひこ、1931年8月7日 - 20… 中川 和彦(なかがわ かずひこ、1931年8月7日 - 2019年2月20日[要出典])は、日本の法学者。商法・経済法・比較法を専攻。成城大学名誉教授。上智大学イベロアメリカ研究所名誉所員、元日本ラテンアメリカ学会理事長。2010年瑞宝中綬章受章。
小島 義雄(こじま よしお、1931年8月7日 - 1993… 小島 義雄(こじま よしお、1931年8月7日 - 1993年3月3日)は、日本の陸上競技選手。沖田芳夫後の日本のエースとして活躍[要出典]。元ハンマー投日本記録保持者、砲丸投日本記録保持者。ヘルシンキオリンピック日本代表。
藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006… 藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006年2月9日)は、愛媛県新居浜市出身(越智郡宮窪村四阪島生まれ)の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
杉谷利昭(すぎたに としあき、1931年(昭和6年)8月7日… 杉谷利昭(すぎたに としあき、1931年(昭和6年)8月7日 - 2003年(平成15年)5月1日)は、日本の銀行家。元北日本銀行頭取、会長。 宮城県出身。東北大法学部卒業後、北日本銀行の前身である興産相互銀行に入行。1991年には頭取に昇格する。 トップ在任時においては、不良債権処理の加速化や本・支店間のスリム化に努めたほか、新人事制度の導入による経営体質の強化も図った。また、1994年9月末には、総預金1兆円を実現するなど業容の拡大にも尽力した。そして、平成銀行実現にむけ奔走するも同行従業員組合から、合併に対して猛反発が起こり構想は頓挫した。 2003年5月、会長在任のまま呼吸不全で逝去。享年71。
今井 賢一(いまい けんいち、1931年8月7日 - 202… 今井 賢一(いまい けんいち、1931年8月7日 - 2021年11月25日)は、日本の経営学者。スタンフォード大学名誉シニアフェロー、一橋大学名誉教授。 一橋大学商学部長等を経て、一橋大学学長選挙で落選し、スタンフォード大学教授に転身。東京大学エッジキャピタルシニアアドバイザー、京都府特別参与等を務めた。紫綬褒章受章。 宮川公男(一橋大学名誉教授)は、大学予科時代からの友人。指導学生に佐久間昭光(一橋大学名誉教授)、伊丹敬之(一橋大学名誉教授)、岸田民樹(名古屋大学名誉教授)など。 2021年11月25日、肺炎のため死去。90歳没。死没日をもって正四位に叙された。
熊久保 勅夫(くまくぼ ときお、1931年8月7日 - 20… 熊久保 勅夫(くまくぼ ときお、1931年8月7日 - 2012年12月30日)は、日本の実業家、馬主。東北サファリパーク、那須サファリパーク、エビスサーキット、那須ワールドモンキーパーク、岩手サファリパーク創業者。息子は熊久保信重。 勅夫は、満州事変がはじまる前月の1931年8月7日、栃木県黒磯市(現在の那須塩原市)高林にて、酒造業や木材・木炭の取引業などを営む熊久保家の次男として生まれた。学校の勉強よりも自然から学ぶことを好んで山を駆け回り、「普通の悪ガキ」に育った少年時代を過ごした勅夫は、戦後の混乱期の中で高校を出ると同時に、東京都江東区深川の材木問屋へ丁稚奉公に行き、そこで3年間の修行を積んだ。
種田 弘(たねだ ひろむ、本名:浅田 弘《あさだ ひろむ》、… 種田 弘(たねだ ひろむ、本名:浅田 弘《あさだ ひろむ》、1931年8月6日 - 2018年2月12日)は、京都府出身のプロ野球選手(投手)。 鴨沂高校から1950年にこの年に創設された大洋ホエールズに入団。スピードはそれほどないが、大きなカーブとシンカー(沈むシュート)を武器に活躍する。1952年途中に退団して、西京観光に入社するが、1955年に阪急ブレーブスでプロに復帰。翌年には梶本隆夫に次ぐ17勝を挙げた。防御率も1.56とリーグ3位という成績を収めた。1961年に引退。 2018年2月12日、死去。85歳没。
岡上 泉(おかのうえ いずみ、1931年8月6日 - )は日… 岡上 泉(おかのうえ いずみ、1931年8月6日 - )は日本の大蔵官僚。岩手県副知事、印刷局長などを務めた。勲三等瑞宝章受章。 高知県出身。高知市立城東中学校、高知県立高知小津高等学校、京都大学法学部卒業。1955年 大蔵省入省(銀行局検査部管理課)。1962年7月 東山税務署長。 1973年7月18日 内閣法制局参事官(第三部)。1978年7月20日 大臣官房地方課長。1979年7月31日 大臣官房地方課長兼大臣官房財務考査管理官。1980年6月17日 東海財務局長。 1981年7月8日から岩手県副知事。1984年7月9日 印刷局長。1985年6月17日 退官。 同年7月 電源開発取締役。1986年10月 同社常務取締役(労務部、経理部担当)。
奈良 不二也(なら ふじや、1931年8月6日 - 1987… 奈良 不二也(なら ふじや、1931年8月6日 - 1987年)は、山梨県大月市出身のプロ野球選手。
木坂 順一郎(きさか じゅんいちろう、1931年8月5日 -… 木坂 順一郎(きさか じゅんいちろう、1931年8月5日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。龍谷大学名誉教授。 東京市日本橋区(東京都中央区)で生まれ育つ。久松国民学校在学中に、東京子供唱歌隊員としてNHKラジオに出演した。1944年、縁故疎開で祖父母の住む京都市の実家(西陣の帯問屋)に移る。 1951年、京都大学文学部へ進み、江口圭一や戸田芳実らと同期となる。翌年に京都大学法学部へ転学して1956年に卒業後、名古屋大学大学院法学研究科へ進んで信夫清三郎に師事し、1958年に同大助手となった。1965年、龍谷大学経済学部に講師として着任し、1968年には同大法学部の創設に参画し助教授、翌年には教授に昇任した。
寺田 ヒロオ(てらだ ヒロオ、本名:寺田 博雄、1931年(… 寺田 ヒロオ(てらだ ヒロオ、本名:寺田 博雄、1931年(昭和6年)8月4日 - 1992年(平成4年)9月24日)は、日本の漫画家。新潟県西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)生まれ、同県新発田市育ち。男性。新漫画党総裁。愛称は「テラ(寺)さん」。 伝説的な「トキワ荘」でのリーダー格で、特に藤子不二雄Ⓐの自伝的漫画『まんが道』で、頼もしくて理想的な先輩として描かれた。妻は作曲家・中村八大の実妹。 父親は軍人で、5人兄弟の3男だった。新潟県立新発田高等学校時代に野球部に所属する。同時期に少年漫画雑誌『漫画少年』と出会い、漫画投稿を始める。卒業後は知人の紹介で地元警察の事務職へ就職するが、電電公社(現:NTT)の電報電話局に転職。
石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 200… 石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 2004年7月23日)は、和歌山県新宮市出身のプロ野球選手、コーチ、政治家。
葉貫 磨哉(はぬき まさい、1931年8月4日 - 2000… 葉貫 磨哉(はぬき まさい、1931年8月4日 - 2000年11月2日)は、日本の歴史学者、博士。駒澤大学教授、板橋区史編纂委員・調査会古代・中世部会長などを歴任。福島県出身。 安達郡本宮町(現:本宮市)坊屋敷の石雲寺で、葉貫勇山とタケの次男(男2人女2人の4人兄弟の3番目)として誕生。福島県立安達高等学校(ラグビー部に所属)、1955年に駒澤大学文学部地理歴史学科卒業。恩師に岩井大慧、丸山二郎、藤井秀雄。「駒澤大学史学会」設立に尽力。1956年9月、駒澤大学文学部助手。1957年4月、同講師兼助手。1958年、日本仏教史研究会発起人の一人として尽力。1960年4月、法政大学大学院日本史学専攻修士課程(夜学)に入学。
菅原 雅(すがわら まさし、1931年(昭和6年)8月3日 … 菅原 雅(すがわら まさし、1931年(昭和6年)8月3日 - 2021年(令和3年)9月9日)は、日本の政治家。宮城県気仙沼市長(5期)。 気仙沼市の蔵元、創業1912年の造り酒屋「男山本店」を営む家庭に生まれる。宮城県気仙沼高等学校、早稲田大学卒業。 最晩年まで同社の取締役であった。 1973年、気仙沼市長に当選。93年まで5期20年間つとめる。 1991年 石井亨仙台市長が全国市長会の会長選に出た際、川井貞一白石市長と共に尽力。 2001年、勲四等旭日小綬章受章。 市長退任後は、1994年6月、気仙沼市観光協会会長に就任。2007年3月末まで7期13年務めた。 2021年9月9日、肺塞栓症で死去。
宮島 達夫(みやじま たつお、1931年8月3日 - 201… 宮島 達夫(みやじま たつお、1931年8月3日 - 2015年12月5日)は、日本の言語学者、国語学者。 茨城県水海道町(現・常総市)生まれ。1953年東京大学文学部国文科卒業、同大学院修士課程修了。国立国語研究所勤務ののち、1991年より大阪大学文学部教授、1995年より京都橘女子大学教授、2005年校名変更により京都橘大学教授、2009年退任。国立国語研究所名誉所員。 心筋梗塞で死去。享年84歳。 言語学研究会の主要なメンバーの一人で、教育科学研究会・国語部会その他における言語教育(主に語彙教育)においても指導的役割を果たしている。宮島は語彙論を「言語の基本的単位で、単語の語彙的性質を研究する分野」としているが、これは言語学研究会の言語観を基盤としているもので、形態論や構文論とセットで考える伝統的な言語学の枠組みである。
金春 晃実(こんぱる てるちか、1931年(昭和6年)8月3… 金春 晃実(こんぱる てるちか、1931年(昭和6年)8月3日 - 2002年(平成14年)4月3日)は、日本の能楽師。金春流シテ方。父は金春流77世宗家の金春栄治郎。長男に金春穂高。 1931年、奈良県に生まれる。1956年、京都大学文学部を卒業。父は金春流77世宗家の金春栄治郎。幼いころから指導を受け、1938年に初舞台を踏む。大学在学中の1955年に幻の伝書といわれた世阿弥の「拾玉得花」を発見した。1972年日本能楽会会員となる。体全体を使って演じる鬼もの、修羅ものを得意とし、カナダやフランスなどで海外公演を精力的に行った。金春刊行会代表、日本能楽養成会講師、奈良大学講師を務め、後進の指導にも尽力した。
高林 隆(たかばやし たかし、1931年8月2日 - 200… 高林 隆(たかばやし たかし、1931年8月2日 - 2009年12月27日)は、埼玉県さいたま市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 埼玉県立春日部高校時代に頭角を現し3年次に高校選手権埼玉県予選優勝。1950年に立教大学へ進学し3年次の1953年に大学選手権優勝に貢献すると、4年次に日本代表に選出された。また関東大学選抜にも1年次から選出されている。 1953年に、日本学生選抜に選出され西ドイツのドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場。この選抜員には長沼健、岡野俊一郎らといった日本サッカーの中枢となる人物が多数参加していた。 卒業後の1954年に田辺製薬に加入、3度の全日本実業団選手権優勝(1954年、1955年、1957年)に貢献した。
朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 20… 朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 2014年9月14日)は、日本の脳神経外科医、医学者。 鹿児島県出身。1948年鹿児島県立鹿屋中学校4年修了、1955年鹿児島医科大学学士試験合格、1956年医師国家試験合格、国立東京第一病院外科研究員として勤務、1959年鹿児島大学医学部研究員(神経精神科)、1961年助教授、1969年東京女子医科大学講師、1971年助教授、1975年鹿児島大学医学部教授に戻り、1985-1989年附属病院長、1997年定年退官、名誉教授、医療法人猪鹿倉会パールランド病院名誉院長、和風会加世田病院顧問、脳神経疾患研究所付属てんかん研究所所長、2002年慈風会厚地記念放射線医学研究所所長、2005年和風会加世田病院理事長・院長、2012年慈風会厚地脳神経外科・放射線科クリニック院長。
原島 礼二(はらしま れいじ、1931年8月2日 - )は、… 原島 礼二(はらしま れいじ、1931年8月2日 - )は、日本の昭和期から平成期にかけての歴史学者である。埼玉大学名誉教授。専門は、日本古代史。 東京府に生まれる。1957年、埼玉大学文理学部文学科卒業。埼玉大学教養部教授を経て、1996年に定年退官。同大学名誉教授。
中村 栄子(なかむら えいこ、1931年(昭和6年)8月1日… 中村 栄子(なかむら えいこ、1931年(昭和6年)8月1日 - )は、日本のフランス文学者、西南学院大学名誉教授。佐賀県小城町(現小城市)生まれ。旧姓・永淵。1953年九州大学文学部卒、58年同大学院フランス文学専攻博士課程満期退学。1965年西南学院大学助教授、67年教授、1970年よりパリ第4大学博士課程、1972年同文学博士。2002年西南学院大学を定年、名誉教授。フランス政府より教育功労章シュヴァリエを受ける。
三好 迪(みよし みち、男性、1931年8月1日 - 201… 三好 迪(みよし みち、男性、1931年8月1日 - 2016年6月5日)は、日本の聖書学・神学者、弘前大学名誉教授。 満洲撫順生まれ。暁星学園で小・中・高校まで学び、南山大学文学部卒。多治見市の神言修道院に学び、1960年、司祭叙階(後に還俗)。同期生に後藤文雄らがいた。1963年上智大学大学院神学研究科修士課程修了。1963-1970年までローマ教皇庁立聖書学研究所に学び、聖書学博士。 南山大学文学部神学科教授。弘前大学人文学部教授、1995年定年退官、名誉教授、青森明の星短期大学教授。2002年退職。 2016年6月5日、心不全で死去、84歳没。[要出典]
小野塚 幾澄(おのづか きちょう、1931年〈昭和6年〉8月… 小野塚 幾澄(おのづか きちょう、1931年〈昭和6年〉8月1日 - 2021年〈令和3年〉8月19日)は東京都生まれの日本の仏教学者、真言宗豊山派の僧侶。専門は密教。大正大学名誉教授で長谷寺能化(真言宗豊山派管長)。日中友好宗教者懇話会会長、名誉会長。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木俊(すずき しゅん、1931年8月1日ー2019年8月1… 鈴木俊(すずき しゅん、1931年8月1日ー2019年8月15日)は、日本の詩人・ドイツ文学者・産婦人科医[要検証 – ノート]。 東京出身。本名・俊作。東京大学教育学部教育学科卒業。1954年大阪大学医学博士。大阪大学医学部講師、市立豊中病院などに勤務しながら詩、ドイツ詩の翻訳をものした[要検証 – ノート]。
増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年… 増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年5月21日)は日本の編集者・映画評論家。日本映画ペンクラブ会員。 千葉県船橋市生まれ。1956年、東京教育大学文学部独文科卒業。 光文社での月刊誌、週刊誌の編集者を経て、1964年からフリーに。 娯楽映画評価の先駆者であり。また、映画を作品論としてとらえるだけでなく、映画産業のメカニズムの中で論じるという、独自の評論スタイルを持った。主著に「映画のもうひとつの楽しみ方」「西部劇」「B級映画フィルムの裏まで」などがある。 西條の没後、2003年度の日本映画批評家大賞内に増淵健賞が創設されており、2004年度・2005年度は特別賞、2006年度から2011年度まで特別功労賞の副名称として授賞が行われていた。
北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 20… 北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 2021年5月4日)は、日本の俳優、声優。本名・武井 和雄。埼玉県出身。 法政大学中退。劇団十三人座、八田元夫演出研究所、銀座プロダクション、天知茂が設立したA&Aプロダクション(後にアマチプロゼに改称)などを経て北斗七星所属。山村聰に師事していた経験もある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 199… 川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 1999年2月18日)は、日本の市民活動家、政治家。水俣病の患者の運動体『チッソ水俣病患者連盟』の委員長、水俣市議会議員(3期)を務めた。 熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)出身。父・川本嘉藤太は、水俣市に工場がある新日本窒素肥料株式会社(1965年に「チッソ」と改名)に勤めていた。 川本は、家庭の事情により熊本県立水俣高等学校を2年で中退した。漁業作業員、建設作業員、チッソ臨時工員などの職業を経験した後に病院勤務する。寝たきりの父を介護しつつ、准看護士資格を取得した。 1955年、水俣病を発症。1961年より父が発病して寝たきりとなり、1965年4月に急性劇症でもだえ死ぬのを看取った。
石森 史郎(いしもり ふみお、1931年〈昭和6年〉7月31… 石森 史郎(いしもり ふみお、1931年〈昭和6年〉7月31日 - 2025年〈令和7年〉6月9日)は、日本の脚本家。エ・ネスト所属。北海道羽幌町出身。 別名義に松宮瑩子などがあるほか、資料によっては石森史朗とも表記されている。漫画家の石ノ森章太郎は母方の従兄弟。 北海道留萌高等学校を経て、日本大学芸術学部を卒業した。日大在学中に執筆した『晩鐘』がシナリオ作家協会新人シナリオコンクールに入賞する。大学卒業後の1955年に近畿広告へ入社したが、脚本家を目指すため1959年に退社した。同年、テレビ『ママちょっと来て』で脚本家デビューする。 1963年に日活へ入社し、映画『噂の風来坊』から始まり、『私は泣かない』、『あゝひめゆりの塔』などを執筆。
秦 早穂子(はた さほこ、1931年7月31日 - )は、日… 秦 早穂子(はた さほこ、1931年7月31日 - )は、日本の映画評論家、随筆家。 東京府豊多摩郡渋谷町(現・東京都渋谷区)生まれ。祖父はシンガーミシン極東支配人を務めた秦敏之。秦敏之は日本初の本格的な洋裁学校であるシンガーミシン裁縫女学院を設立し、妻の秦利舞子が初代院長を務めた。ファッションデザイナーの秦万紀子は早穂子の叔母に当たる。 女子学院高等学校卒業。1957年、雑誌社の特派員という名目でフランスに渡る。帰国後、映画輸入業の新外映に入社。1958年、新外映の買い付け担当としてフランスへ渡る。 1959年半ばに帰国。同年5月、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』がカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、7月にはクロード・シャブロル監督の『いとこ同志』がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。
加藤 隆勝(かとう たかかつ、1931年7月30日 - )は… 加藤 隆勝(かとう たかかつ、1931年7月30日 - )は、日本の教育心理学者。学位は、教育学博士(論文博士・1977年)(学位論文「青年期における自己意識の構造」)。筑波大学名誉教授。 秋田県出身。1954年東京教育大学心理学科卒、1960年同大学院博士課程中退、1977年「青年期における自己意識の構造」で教育学博士の学位を取得。岐阜大学講師、文部省初等中等教育局、東京教育大学助教授、筑波大学助教授、教授。1995年定年退官、名誉教授。
小笠原 幸(おがさわら みゆき、1931年(昭和6年)7月3… 小笠原 幸(おがさわら みゆき、1931年(昭和6年)7月30日 - 2011年(平成23年)10月21日)は、日本の政治家。位階は正五位。初代阿波市長(1期)。 徳島県出身。徳島県立阿波高等学校卒業。旧市場町議員を6年務め、助役を経て、1999年(平成11年)に市場町長に初当選し2期務めた。 その後、市場町が合併により阿波市となり、2005年(平成17年)に市長選に出馬に当選。初代阿波市長として2009年(平成21年)まで務めた。2010年(平成22年)、旭日小綬章を受章。 2011年(平成23年)10月21日、クモ膜下出血のため吉野川市の病院で死去、80歳。死没日をもって正五位に叙される。
向井 純一郎(むかい じゅんいちろう、1931年(昭和6年7… 向井 純一郎(むかい じゅんいちろう、1931年(昭和6年7月30日) - 1998年(平成10年)1月5日)は、日本の生化学者。九州大学名誉教授。学位は農学博士。専門は農芸化学。 1967年(昭和42年)「家蚕幼虫の核酸消化酵素に関する研究」 で農芸化学賞 を受賞する。 フリッツ・アルベルト・リップマンとの共同研究による共著論文 がある。 応用化学者の向井參之充と英文学者の母の間に生まれる。 熊本県立済々黌高等学校を卒業したのち、九州大学に入学。同大学を卒業し、大学院を修了。九州大学助教授、教授を経て、同大学名誉教授。九州大学を定年退官したのち、尚絅短期大学教授に就任するも、在職中に熊本市内で急死。
三宅 一郎(みやけ いちろう、1931年7月30日 - )は… 三宅 一郎(みやけ いちろう、1931年7月30日 - )は、日本の政治学者(政治行動論)。勲等は勲二等。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1986年)。神戸大学名誉教授。日本学士院会員。 京都大学人文科学研究所講師、同志社大学法学部教授、神戸大学法学部教授、大阪国際大学政経学部教授、関西大学総合情報学部教授などを歴任した。 兵庫県生まれの政治学者。政治過程論を専攻し、とりわけ投票行動についての研究に従事。日本における投票行動分析の第一人者として知られる。元々は猪木正道の下で日本政治史を研究していたが、アメリカのミシガン大学留学後は投票行動研究に転じた。京都大学より法学博士の学位を取得。神戸大学より名誉教授の称号を授与され、日本学士院会員にも選任された。
森 隆夫(もり たかお、1931年(昭和6年)7月30日 -… 森 隆夫(もり たかお、1931年(昭和6年)7月30日 -2014年7月6日)は、日本の教育学者、お茶の水女子大学名誉教授。専門は教育行政学。 富山県富山市生まれ。東京大学教育学部卒、56-61年フランクフルト大学留学(DAAD、フンボルト財団)、国立教育研究所、ドイツ国際教育研究所客員研究員、1967年お茶の水女子大学助教授、74年教授、77-81年同大附属小学校長、文教育学部長、大学院人間文化研究科長、97年定年退官、名誉教授。中央教育審議会委員、日本教育文化研究所長[要出典]。2010年、瑞宝中綬章受章。 2014年7月6日午後6時20分、呼吸不全のため東京都内の病院で82歳で死去[要出典]。
龍居 竹之介(たつい たけのすけ、1931年7月29日 - … 龍居 竹之介(たつい たけのすけ、1931年7月29日 - )は、日本の造園家。龍居庭園研究所所長。姓は「瀧居」の表記も使用している 。 建築資料研究社から雑誌『庭』や『庭 GARDEN VIEWS』シリーズ、『作法』シリーズ、『ガーデンライブラリー』シリーズなどを編集発行し、主に古庭園の修復整備とともに、庭園の啓蒙活動をおこなっている。 東京都に生まれる。新宿区の出身。父は龍居松之助。 早稲田高等学院から早稲田大学第一文学部史学科国史専修に進学し、1954年の卒業後は日刊スポーツ新聞社の文化部記者となる。1972年から1978年までは嘱託となり、映画と放送、演劇を主に担当した。 記者活動の傍ら、1956年から1年間東京農業大学第一高等学校で、社会科の非常勤講師を務めた。
横井 順子(よこい じゅんこ、1931年(昭和6年)7月28… 横井 順子(よこい じゅんこ、1931年(昭和6年)7月28日 - 2019年(令和元年))は、日本のソプラノ歌手。徳島文理大学名誉教授。元徳島文理大学音楽学部学部長。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。香川県出身。夫はバリトン歌手で大阪音楽大学名誉教授の横井輝男。 香川県出身。1955年(昭和30年)、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業。大学を卒業後は四国を中心に活動を行い、1968年(昭和43年)に夫である横井輝男と共にジョイントコンサートを開催。また同年に香川県芸術祭賞を受賞する。 1973年(昭和48年)と1976年(昭和56年)には自身のソプラノリサイタルを開催し、シューベルト、シューマン、レーヴェ、ブラームスなどの歌曲を演奏。
竹村 英輔(たけむら えいすけ、1931年7月27日 - 1… 竹村 英輔(たけむら えいすけ、1931年7月27日 - 1997年)は、グラムシ研究者。専攻はイタリア現代政治史・社会思想史。日本共産党員。 東京生まれ。東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を経て、1953年東京大学教養学部教養学科卒業。合成化学産業労働組合連合(合化労連)書記、東京大学社会科学研究所非常勤講師(1973年4月1日~1975年3月31日)を経て、1975年日本福祉大学助教授。のち同大学社会科学研究所長、教授。在職中に急逝。 性教育評論家の高柳美知子は、小学校の同期生だった竹村が初恋の人だと著書『高齢恋愛』(茉莉花社、2004年)で告白している。
吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27… 吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27日 - 2012年(平成24年)4月17日)は、日本の作家・評論家。反戦平和、男女平等を主なテーマとしていた。長女は看護師で随筆家の宮子あずさ。 兵庫県芦屋市生まれ。終戦翌年の14歳の時、進駐軍兵士5人に襲われる性被害を受け、2度にわたる自殺未遂を経験する。東洋英和女学院高等部卒業。1954年3月、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。同年、東映に入社。監督志望だったが広報部に配属され、宣伝部で活躍し、1961年に日本で初めての女性宣伝プロデューサーとなる。長女出産で、意に反する庶務に配置転換させられたのを機に退職。 フリーとなった以後は、旧社会党系の政治・市民運動に取り組む。
渡辺 礼次郎(わたなべ れいじろう、1931年7月27日 -… 渡辺 礼次郎(わたなべ れいじろう、1931年7月27日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 府中高校から明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは1952年秋季リーグで打率.333の記録を残し、同じ明大の岩崎亘利と首位打者を分け合う。1953年秋季リーグでは、秋山登らの好投もあって戦後初優勝を飾った。リーグ通算71試合出場、227打数57安打、打率.251、0本塁打、26打点。 1954年に国鉄スワローズへ入団。1年目から一軍に上がり、9月から遊撃手として36試合に先発出場。一番打者としても20試合に起用される。その後も中村栄、大久保英男と定位置を争い、5年目となる1958年にはレギュラーを獲得した。
島 隆(しま たかし)(1931年7月27日-2020年6月… 島 隆(しま たかし)(1931年7月27日-2020年6月22日)は、日本の鉄道技術者。 東京都生まれ。同じく鉄道技術者である島秀雄の次男。東京大学工学部機械工学科卒。1955年日本国有鉄道(国鉄)に入社。父・秀雄とともに東海道新幹線0系の台車設計にあたる。後に東北・上越新幹線の200系の車両設計責任者となる。 その後、世界銀行に出向。1990年代から計画されていた台湾新幹線計画ではフランスのTGV車両が受注していたが、1999年の台湾大地震で耐震性に優れた日本の車両に発注が変更され、フランスと台湾間で裁判となったが、結果、仏・独・日の合同プロジェクトに決まり、2002年に台湾高速鐵路から技術顧問の依頼を受け、2007年の開通まで3国間の調整を行った。
中島 資皓(なかじま もとひろ、1931年7月27日 - 2… 中島 資皓(なかじま もとひろ、1931年7月27日 - 2011年8月23日)は、日本の経営者。東洋経済新報社社長を務めた。 千葉県市川市出身。1954年に早稲田大学第一政治経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋経済新報社に入社。1970年2月に「会社四季報」編集長、同年4月に「週刊東洋経済」編集長を経て、1982年12月に取締役に就任し、1986年12月に専務を経て、1988年12月から1992年11月までに社長を務めた。 2011年8月23日、老衰のために死去。80歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は… 石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。 旭川商業高校から旭川鉄道管理局を経て、1953年に名古屋ドラゴンズへ入団。同年退団。 1956年から1964年まで旭川協会に所属した。
小野 喬(おの たかし、1931年(昭和6年)7月26日 -… 小野 喬(おの たかし、1931年(昭和6年)7月26日 - )は、体操競技の元オリンピック選手、元鹿屋体育大学教授。秋田県能代市出身。旧制秋田県立能代中学校(現在の秋田県立能代高等学校)、東京教育大学体育学部、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。現役時代は「鬼に金棒、小野に鉄棒」と呼ばれたことで知られる。全日本体操競技選手権の個人総合で7回の優勝を誇り、オリンピックでも4大会連続で出場し、金メダル5つ、銀メダル4つ、銅メダル4つを獲得した。 東京教育大学では久保田正躬と学生寮で相部屋だった。同大学1年の時に高校教師だった父親を亡くす。同大学3年の時に1952年ヘルシンキオリンピックに出場し跳馬で体操競技では日本初となる銅メダルを獲得。
窪川 英水(くぼかわ ひでお、1931年7月26日 - )は… 窪川 英水(くぼかわ ひでお、1931年7月26日 - )は、日本のフランス語学者、東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。 東京生まれ。1956年東京外国語大学フランス語科卒、1964年東京都立大学大学院博士課程満期退学。駒澤大学文学部助教授、東京都立大学 (1949-2011)助教授、教授。95年定年退官、名誉教授。
左近允 洋(さこんじょう ひろし、1931年7月26日 - … 左近允 洋(さこんじょう ひろし、1931年7月26日 - 2008年3月10日)は、日本の音響監督である。妻は声優の麻生美代子。グロービジョンに所属していた。 鹿児島県出身。山口県立山口高等学校(56期)、早稲田大学芸術科卒業。 高校時代は弁論部に所属していたが、風刺劇に出演したことがきっかけで演劇部の設立に参加し客員部員となる。 1955年、新演劇研究所に入所。1959年、劇団新演の創立に参加。劇団と並行して東京俳優生活協同組合に所属。 1964年1月、新演の活動状況に反対して退団。舞台演出の道を志したが仕事に恵まれず、その後音響演出に携わるようになり、アニメや数多くの外国TVドラマ吹替を演出。
富澤 宏哉(とみざわ ひろや、1931年7月25日 - )は… 富澤 宏哉(とみざわ ひろや、1931年7月25日 - )は、プロ野球審判員。現在は野球解説者、全日本軟式野球連盟顧問(審判技術担当)。東京都出身。東京都立小金井工業高等学校卒業。 社会人野球の審判を経て、1955年にセ・リーグ審判部へ入局。1980年から1989年まで審判部長、1990年1月引退。セ・リーグ審判袖番号は10(1988年採用から1990年キャンプイン直前引退まで、10は1998年以降名幸一明がつけている)。引退するまでの通算出場試合数は3775試合。オールスターゲーム出場9回、日本シリーズ出場9回。引退後は日本野球機構規則委員や、米国のジム・エバンス審判学校講師を務めた。同年齢の岡田功審判が1991年に3776試合出場を達成するまで、通算試合出場数の日本記録保持者であった。
鎌田 弘子(かまだ ひろこ、1931年7月24日-2017年… 鎌田 弘子(かまだ ひろこ、1931年7月24日-2017年1月22日)は、歌人、鎌倉彫作家。 東京生まれ。慶應義塾大学卒。短歌のほか、鎌倉彫作家としても活動した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
新保 満(しんぽ みつる、1931年7月24日 - 2015… 新保 満(しんぽ みつる、1931年7月24日 - 2015年5月24日)は、日本の社会学者、カナダ研究者。 東京市(現港区)出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1957年国際基督教大学社会学科卒、1959年東京教育大学大学院修士課程修了。1962年からカナダ・ブリティッシュコロンビア大学に学び、1970年博士号取得。オンタリオ州ウォータールー大学教授、1991年日本女子大学教授。2002年定年退任。1989年『カナダ社会の展開と構造』でカナダ首相出版賞受賞。キリスト教徒。