下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 201… 下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 2015年11月15日)は、日本の実業家。鹿島アントラーズ・エフ・シー取締役。元住友金属工業代表取締役社長。 北海道旭川市出身。1960年東京大学文学部社会学科を卒業し、同年、住友金属工業(現・日本製鉄)に入社。主に営業畑を歴任し、1989年に取締役経営企画部長就任。その後常務・専務・副社長を経て、2000年、社長に就任した。鉄鋼不況で株価が額面割れするなど住金の経営危機を乗り切るべく、2002年に新日本製鐵(新日鉄)、神戸製鋼所と三社間資本提携を締結。海外戦略では同年にイギリス・オランダ系の鉄鋼メーカー、コーラスと技術提携を結んだ。 住金の業績悪化の要因となっていた和歌山製鉄所は上工程部門を住金鋼鉄和歌山とし分社。
田下 昌明(たしも まさあき、1937年 - 2022年7月… 田下 昌明(たしも まさあき、1937年 - 2022年7月10日)は、日本の医学者、小児科医。北海道旭川市出身。 1964年北海道大学医学部卒業(40期) 医療法人歓生会豊岡中央病院会長、日本家庭教育学会理事、旭川医科大学臨床指導教授、北海道病院協会常務理事、北海道小児科医会理事、社団法人日本小児科学会会員。 「新しい歴史教科書をつくる会」発足以来〜現在、全国評議員、北海道北支部長を務める。2006年6月、「新しい歴史教科書をつくる会」から八木秀次が袂を分って設立した「日本教育再生機構」にも参加。 映画『南京の真実』の賛同者[要出典]。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
十川 信介(とがわ しんすけ、1936年12月21日 - 2… 十川 信介(とがわ しんすけ、1936年12月21日 - 2018年11月18日)は、日本文学研究者。専門は日本近代文学。学習院大学名誉教授。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て、1960年京都大学文学部国文学科卒、1966年、同大学院文学研究科博士課程満期退学。1967年京都府立大学講師、1968年同助教授を経て、1978年学習院大学教授。2007年、定年退職、学習院大学名教授。2008年日本近代文学館副理事長。2010年より花園大学客員教授。 京大で中村光夫の教えを受け、二葉亭四迷研究を始める。1981年、『島崎藤村』で亀井勝一郎賞受賞。 2018年11月18日、虚血性心疾患のため、死去。
品川 徹(しながわ とおる、1935年12月14日 - )は… 品川 徹(しながわ とおる、1935年12月14日 - )は、日本の男性俳優、声優。北海道旭川市出身。ノックアウト所属。 幼少期は勉強が嫌いな子供で、学校から家に帰っても遊んでばかりだった。内気でシャイであったが、家の中では威張っていたことから内弁慶だった。 勉強が嫌いで高校に進学せず、家具屋に入り修業をしていた。1年間、カンナのかけ方や刃の研ぎ方やノコの使い方を教えてもらい、職業補導所で簡単なものを作らせてもらえた。その後、兄弟子が5人いる町の工場で2年半くらい働いていた。下駄箱を作ったり、北海道独特の木目模様を出す技法を使ったタンスを作ったりもしていたが、飽きて嫌になり辞めた。その後は「もう少し勉強しよう」と思い、定時制高校に進学して4年間通う。
新宮 正志(しんぐう まさし、1935年11月14日 - 2… 新宮 正志(しんぐう まさし、1935年11月14日 - 2020年10月17日)は、日本の政治家。北海道室蘭市長(4期)。 北海道旭川市出身。1958年、専修大学商経学部卒。同年、室蘭市役所に入り、環境衛生、市民福祉、財政、総務の各部長を経て、1990年に収入役となる。1995年、室蘭市長選挙に立候補して初当選、以来、連続4期務める。2011年に室蘭市長を退任。2020年に死去した。
霧生 和夫(きりう かずお、1935年1月1日- )は、日本… 霧生 和夫(きりう かずお、1935年1月1日- )は、日本のフランス文学者。埼玉大学名誉教授。専門は19世紀フランス文学、特にオノレ・ド・バルザック。 北海道旭川市出身。東京外国語大学フランス科卒業。東京大学大学院人文科学研究科仏文科博士課程満期退学。1967年埼玉大学教養学部専任講師、同助教授、同教授。2000年定年退官、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は… 佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は、日本の政治家、弁護士(登録番号:9171)。元衆議院議員(5期)。 北海道旭川市出身。父・佐々木秀世は自由民主党・宏池会所属の衆議院議員であり、第1次田中角栄内閣の運輸大臣を務めた。 旭川市立日章国民学校、旭川市立常盤中学校卒。旭川西高校3年時にサッカー部の主将を務め、旭川市・上川支庁地区大会で優勝し全道大会出場。1957年早稲田大学法学部を卒業。1961年に26歳で司法試験に合格し、翌1962年に早稲田大学大学院を修了する。司法修習16期(同期に日野市朗)経て1964年、弁護士登録。1969年、青年法律家協会(青法協)議長となり、社会派弁護士として活躍する傍ら、石田和外最高裁判所長官による青法協会員裁判官の排除に抵抗する。
石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) … 石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) は日本の教育評論家、政治運動家、右翼。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小林 恵(こばやし けい、1933年 - 2016年9月30… 小林 恵(こばやし けい、1933年 - 2016年9月30日)は、キルトを紹介した日本のジャーナリスト。 北海道旭川市出身。本名小林恵子。北海道旭川北高等学校卒、専門学校北海道ドレスメーカー学院で学び、上京して杉野学園デザイン科・製帽科卒。ベルモード、アンディンケンで帽子デザイナーとして勤務ののちケイシャポーアトリエを主宰。 1964年にニューヨークに渡り、装身具の販売店を起こす。1983年に店を撤収、フリーのライターとなり、アメリカの暮らしの文化を日本に紹介し、キルトなどを普及させた。
山田 定市(やまだ さだいち、1932年7月31日 - 20… 山田 定市(やまだ さだいち、1932年7月31日 - 2014年1月21日)は、日本の農業経済学者・教育学者だった人物。専門は農業経済学・生活協同組合論・農業協同組合経営論・農業教育論。コープさっぽろの理論的支柱の1人だった。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。旭川市出身 1955年北海道大学農学部卒業(高倉新一郎ゼミ所属)、1961年同大学院農学研究科博士課程修了(恩師:足羽進三郎)。論題は「農産物市場と協同組合」で農学博士。1961年北海道立農業研究所研究員。1962年北海道立総合経済研究所研究員。1963年北海道大学農学部助手。1971年北海道大学教育学部助教授。1982年同教授。
鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年… 鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年11月12日)は、日本の経営者。ドラッグストアチェーン、ツルハホールディングス初代社長。北海道上川郡東旭川村(現・旭川市)出身。 北海道上川郡東旭川村で鶴羽薬師堂(旭川市4条)経営者の平民鶴羽勝の次男として生まれる。旧制旭川中学を経て新制旭川東高校、京都大学医学部薬学科を卒業し、父親の強い要望が有り、厚生官僚の道を諦め、家業の鶴羽薬師堂に薬剤師として就職。 1956年父のツルハ薬局創業に伴いツルハ薬局に転籍、1959年より国鉄購買部が一般販売を始めたため家業のツルハ薬局が廃業の危機に陥る。1961年から経営危機の改善のために旭川市内で国鉄、国策パルプの購買以外では初の薬の廉売を始めた。
菊地 慶一(きくち けいいち、1932年 - 2025年1月… 菊地 慶一(きくち けいいち、1932年 - 2025年1月15日)は、北海道旭川市出身の著作家。 1945年、13歳のときに釧路空襲を体験する。網走管内で小学校、高等学校教師を務めた後、著作家に転身した。 網走に1969年から住み、流氷の観察を続ける流氷観測の第一人者であり、また1973年に、流氷出版物として最初とされた『白いオホーツク―流氷の海の記録』を刊行する。以来、流氷をテーマに書籍に著す。さらに、網走歴史の会代表として、網走刑務所、オホーツク文化、捕鯨など調査、研究に努め、著作にもなる。 また、空襲関係の著書に「紅の海ー網走空襲犠牲者の記録」「ハマナスのかげでー北海道空襲の記録」「網走空襲の記録」がある。
石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は… 石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。 旭川商業高校から旭川鉄道管理局を経て、1953年に名古屋ドラゴンズへ入団。同年退団。 1956年から1964年まで旭川協会に所属した。
末岡 外美夫 (すえおか とみお、Tomio SUEOKA、… 末岡 外美夫 (すえおか とみお、Tomio SUEOKA、男性、1931年〈昭和6年〉 - 2002年〈平成14年〉)は、日本のアイヌの星の伝承の研究者、執筆者。アマチュア天文家。 著作に『アイヌの星』『人間達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』など。北海道旭川市生まれ。 北海道旭川市出身。アイヌの古老から伝承を採録し研究。野尻抱影に絶賛され、氏の改訂版『日本の星』に紹介されている。
鍵谷 幸信 (かぎや ゆきのぶ、 1930年7月26日 - … 鍵谷 幸信 (かぎや ゆきのぶ、 1930年7月26日 - 1989年1月16日)は、日本の英文学者・詩人・音楽評論家。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て慶應義塾大学文学部英文科卒。慶應義塾大学法学部助教授、教授。現代英米文学を専攻し、「エリオット詩集」「ウィリアムズ詩集」などの翻訳や研究書を発表。西脇順三郎門下の詩人で、西脇の全集編集にも携わる。 現代美術・現代音楽、ジャズにも造詣が深く、エッセイも多数執筆、「コーシンさん」の愛称で親しまれた[要出典]。
原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993… 原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993年12月5日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市出身。中学時代に伊福部昭の《交響譚詩》を聴いたことから作曲を志す。伊福部と同じ札幌第二中学校、札幌西高等学校を経て、1951年4月東京音楽学校作曲科(1952年に東京藝術大学音楽学部となる)に入学し、当時講師をつとめていた伊福部昭に師事するが、伊福部が辞任すると中退する。伊福部の映画音楽制作を手伝うようになり NHK電子音楽スタジオを利用していた 黛敏郎のアシスタントをつとめ、自身の記録映画音楽の作曲に携わり『海壁』『ぬれる』など多くの作品を手がける。 記録映画音楽、テレビドキュメンタリーの音楽などで活躍する一方、純音楽の分野では、《ギター・ソナタ》、《第一シンフォニー》などの作品があり、ギター曲は現在でも演奏されることが多い。
橋本 博治(はしもと ひろじ、1930年1月6日 - 201… 橋本 博治(はしもと ひろじ、1930年1月6日 - 2010年2月22日)は、日本の経営者、工学博士で、日立電線社長、会長を務めた。 北海道旭川市出身。海軍兵学校を経て、1952年に北海道大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月に日立製作所に入社した。 1956年に日立電線に転じ、1977年6月に取締役に就任、1981年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1985年6月には社長に昇格。1995年6月に会長を経て、1999年6月には相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2010年2月22日肺炎で死去。80歳没。
間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 202… 間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 2024年12月11日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市生まれ、青森県青森市育ち。東京音楽学校(現:東京芸術大学)作曲科にて池内友次郎に師事するが、同校入学までは作曲もピアノも独学であった。 1953年、外山雄三、林光と共に『山羊の会』を結成する。 1970年代、谷川雁が創設したラボ教育センターの物語テープに音楽を提供。1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。 2024年12月11日、肺炎のため死去。95歳没。 ()内の人物は台本作者、作詩者、または献呈者。
宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007… 宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007年2月3日)は、日本の作曲家、洗足学園大学名誉教授。姪に歌手の松尾和子がいる。 北海道旭川市出身。東京藝術大学で池内友次郎に師事。1954年からフランスのパリへ留学しパリ音楽院でジョリヴェやメシアンのクラスで勉強。1957年に卒業したが1961年まで現地に残る。1965年に「ピアノ協奏曲第1番」で芸術祭奨励賞を受賞した。フランスの書法を取っているが日本的な力強さもある作風で、代表作に1966年にのピアノのためのトッカータがある。 1956年、ピアニストの田中希代子と結婚(1959年に離婚)。 1981年から洗足学園大学音楽学部・同学園短期大学音楽科で教鞭をとり、1995年から1999年まで大学音楽学部長・短大音楽科長を務めた。
遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 20… 遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 2020年2月7日)は、日本の劇作家・演出家・舞台用の仮面作成者。横浜ボートシアター代表。本名は遠藤 琢郎。
小島 衛(こじま まもる、1928年8月26日 - 2001… 小島 衛(こじま まもる、1928年8月26日 - 2001年3月13日)は、日本のドイツ文学者。京都大学名誉教授。北海道旭川市出身。 1952年に京都大学文学部卒業。1963~65年ミュンヘン大学に留学。北海道大学助教授などを経て、1969年京大教養学部助教授、1976年教授。1992年定年退官、名誉教授。リルケの研究で知られる。訳書に『リルケ名詩選』、ノサック『幻の勝利者に』など。
林 雅子(はやし まさこ、1928年7月11日 - 2001… 林 雅子(はやし まさこ、1928年7月11日 - 2001年1月9日)は、北海道出身の日本の建築家。女性建築家の草分け的存在である。夫は建築家の林昌二。 日本女子大学家政学部住居学科では彼女を記念して「林雅子賞」を設けている。
松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 201… 松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 2012年2月21日)は、日本の官僚、政治家。第18代~23代千葉市長(在任期間 1977年 - 2001年(六期))。北海道旭川市生まれ、広島県広島市育ち。
坂東 義教(ばんどう よしのり、1927年10月21日 - … 坂東 義教(ばんどう よしのり、1927年10月21日 - 1978年11月15日)は、北海道旭川市出身の日本の元教育評論家。モーニングショーの子育て講座で知られている。 幼少時を函館市で過ごしたが、遊ぶ環境では津軽地方出身の人も多く、後述のように津軽弁も交えた独特の話し方のもとになっている。 東京文理大卒業。専攻は教育学。主に子どもを取り巻く教育や家庭環境などの記載がみられる。北海道教育大学や函館大谷短期大学で教鞭を執り、また地元・北海道を中心にした講演活動も増えていく。道内各地で講演した内容を太陽出版社から「愛情心理教室」として出版し、三松出版社の政経界月刊誌「ろんだん」にも1977年秋から家庭問題、子どもの非行、自殺などの問題に関する寄稿を連載していた。
黒田 勲(くろだ いさお、1927年8月31日 - 2009… 黒田 勲(くろだ いさお、1927年8月31日 - 2009年2月17日)は、日本の航空自衛官、医学者、医師。早稲田大学教授。最終階級は空将。専門は航空医学、宇宙医学。北海道旭川市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 20… 渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。 1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。父親の転勤により台湾、東京へ転居。 1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、44発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。のちに講演で一緒になった葉上照澄(千日回峰行大行満大阿闍梨)から「大きくなられた。
青木 日出雄(あおき ひでお、1927年〈昭和2年〉2月8日… 青木 日出雄(あおき ひでお、1927年〈昭和2年〉2月8日 - 1988年〈昭和63年〉6月8日)は、日本の航空自衛官、航空・軍事評論家。 航士59期。北海道旭川市出身。 陸軍航空士官学校59期生。戦後、札幌文科専門学院(現札幌学院大学)、札幌短期大学卒業。国家公務員6級職試験に合格し、電気通信省、日本電信電話公社を経て、1956年(昭和31年)に航空自衛隊入隊。第2航空団(千歳基地)防衛班長を最後に退職した。 以後は航空・防衛問題の専門家としてジャーナリズムの世界で活躍する。1984年の東宝映画『ゴジラ』では特別スタッフとして参加し、原子力潜水艦や核衛星の考証などを行った。 退官後当初は『航空情報』嘱託として航空記事を執筆していた。
山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月16日 - 1980年〈昭和55年〉10月16日)は、日本の俳優。愛称は山麟(ヤマリン)。北海道旭川市出身。 札幌市の北海中学出身。明治大学時代はラグビー部に所属し、1946年12月8日に神宮競技場で行われた明早戦にロック(4番)のポジションで出場。 卒業後の1953年、第1期東映ニューフェイスとして東映へ入社。翌年『学生五人男』に主演デビュー。以後『警視庁物語シリーズ』(全24作)の刑事役、『網走番外地シリーズ』の囚人役・看守役など、主にアクション映画の脇役・悪役として活躍。特に1960年代後半以降のヤクザ映画では悪役として活動し、『日本侠客伝シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』における強面のヤクザ役を演じた。
木村 多伎子(きむら たきこ、1927年 - 2025年8月… 木村 多伎子(きむら たきこ、1927年 - 2025年8月4日)は、日本の版画家。北海道旭川市生まれ、足寄町出身。国画会会員、北海道美術協会会員、北海道版画協会会員。 札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)時代、全道学生展で最優秀賞を受賞。女学校卒業後中国に渡り、敗戦後に帰国。結婚して岩見沢市に移り住み、1964年から版画制作を始める。1965年に道展初入選。1978年に道展会員、1996年国画会会員。作品は木版がメインである。初期は白黒の1色刷りだったが、後に多色刷りが中心となった。度々海外への取材旅行を行っており、題材もそれら外国を題材としたものが多い。1985年から1997年には北海道教育大学で講師として後進の指導にも当たった。
7代 式守 錦之助(ななだい しきもり きんのすけ、1926… 7代 式守 錦之助(ななだい しきもり きんのすけ、1926年12月7日 - 1995年6月18日)は、大相撲の元三役格行司である。本名は浦本守。 1926年北海道旭川市に生まれる。父は旭川市会議員。幼い頃から相撲好きで、声に自信があったので当初は呼出になろうと思い、1941年7月旭川市での巡業がきっかけで浦風部屋に入門。しかし、人の勧めで間もなく行司へと転向する。師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)。1943年1月式守守の名で初土俵、その後何度か改名している。1958年7月場所で十両格に昇格。1962年1月場所に7代式守錦之助を襲名。伊勢ヶ濱部屋に移籍し1974年1月場所で幕内格に昇格。1990年1月場所、63歳で三役格昇格。
斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 20… 斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 2015年10月30日)は、日本の元ラグビー選手及び同監督。 北海中学を経て明治大学へと進んだ。 第二次世界大戦後初めて行われた1946年を手始めに、明早戦に5シーズン連続で出場。1949年度シーズンには主将として、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦制覇など、11戦全勝の記録をもたらした。その後、大映に進み、ここでもプレーした。 また、1952年のオックスフォード大学戦(2試合)、1953年のケンブリッジ大学戦(2試合)に日本代表選手として出場し、キャップ4を獲得。 現役から退いた後は、長らく監督の北島忠治を補佐するヘッドコーチとして母校・明治大学の指導にあたる傍ら、1974年に日本代表監督に就任。
水野 忠彦(みずの ただひこ、1926年8月15日 - 19… 水野 忠彦(みずの ただひこ、1926年8月15日 - 1998年3月1日)は、長野県出身のプロ野球選手。
五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - … 五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - 2013年5月7日)は、日本の実業家、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 企業組合ほっかい民芸舎理事長、北海道民芸品株式会社代表取締役社長、北海道旭川市長、衆議院議員(5期)、建設大臣(第59代)、内閣官房長官(第58代)、株式会社ほくみん代表取締役会長などを歴任。 1926年生まれ。1943年に北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)を卒業後、愛別村立愛山国民学校の助教として勤務した。その後、陸軍第7師団に入営し訓練を受けていたが、1945年に太平洋戦争が終結した。その後、1953年に民芸品販売店を開き、ほっかい民芸舎の理事長、北海道民芸品の社長などを歴任した。
別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 20… 別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 2010年12月25日)は、北海道旭川市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは内野手。 旧制明治中学校では内野手としてプレーし、明治大学に進学。大学3年生の時にマネージャーをする傍らに、島岡吉郎監督の後を受けて母校の明治中学の野球部監督を務めた。大学卒業後は大和証券に入社し、同社の軟式野球部の監督も務め、硬式への切り替えに取り組んだ。 1988年から1995年までに島岡吉郎の後任として、明治大学の監督を務めた。監督在任時には、東京六大学野球リーグでは、4回優勝を果たし、1995年の明治神宮野球大会では、エースの川上憲伸を擁して、日本一を果たした。
福田 勝一(ふくだ かついち、1926年(大正15年)2月6… 福田 勝一(ふくだ かついち、1926年(大正15年)2月6日 - 2003年(平成15年)8月14日)は、日本の警察官僚。第74代警視総監。 北海道旭川市出身。旧制北大予科を経て1950年に東京大学法学部を卒業し、自治省に入省。警視庁公安部公安第一課長・同公安部長・兵庫県警本部長・内閣官房内閣調査室長などを経て、1984年10月に警視総監に就任。在任中はロス疑惑の捜査の指揮に当たり、1985年9月に当時起訴が困難と見られていた三浦和義の逮捕を断行し、世間を驚かせた。同年10月に退任し、以後は自治省中央選挙管理会委員、武富士非常勤顧問などを務めた。 武富士非常勤顧問時代の1992年12月に、同社の顧客情報が漏洩した問題で刑事告訴をするため、藤川忠政・武富士渉外部長とともに、警視庁刑事部長だった佐藤英彦元警察庁長官に面会した際、額面50万円の仕立券を渡したとして、2004年4月26日の参議院決算委員会で追及された。
門脇 佳吉(かどわき かきち、1926年1月6日 - 201… 門脇 佳吉(かどわき かきち、1926年1月6日 - 2017年7月27日)は、日本の神学者、宗教学者、イエズス会司祭。上智大学名誉教授。別名大基。 北海道旭川市出身。 旧制見付中学校(現在の静岡県立磐田南高等学校) 、1948年東京帝国大学工学部応用化学科卒業。上智大学大学院で文学修士・神学修士。1964年ローマ・グレゴリアン大学にてPh.D.取得。フォーダム大学で心理学を、レーゲンスブルク大学でマイスター・エックハルトを研究。上智大学教授、1996年定年、名誉教授。 大森曹玄老師(花園大学元学長)から嗣法。「道の共同体」師家。禅とキリスト教を比較研究。 2006年11月瑞宝小綬章受章。
荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2… 荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2002年11月10日、76歳没)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。中山伊知郎門下で専門はマクロ経済学。1974年から1975年まで日本経済学会会長。 今上天皇の学生時代の個人教授としても知られる。 荒ゼミナール出身者としては、時子山和彦(元一橋大学教授)、鈴村興太郎(一橋大学名誉教授・文化功労者・日本学士院会員・元日本経済学会会長・紫綬褒章受章者・日本学士院賞受賞者)、美濃口武雄(一橋大学名誉教授)、伊藤隆敏(一橋大学名誉教授、東京大学名誉教授、元日本経済学会会長、紫綬褒章受章者、コロンビア大学教授)、矢吹雄平(元岡山大学教授)、高橋はるみ(参議院議員)(元北海道知事)、新田八朗(富山県知事)、金田勝年(元法務大臣、外務副大臣)、枝廣直幹(福山市長)、田中正昭(元東京国税局長)、吹野博志(元デルコンピュータ会長)、西條辰義(元一橋大学教授)、山﨑和之(国連大使、元外務審議官)、浅田統一郎(中央大学教授)、戸田学(早稲田大学教授)、鴇田忠彦(東京都立大学名誉教授)、田村紀之(東京都立大学名誉教授)、楠本捷一朗(筑波大学名誉教授)、篠塚友一(筑波大学教授)、皆川正(名古屋大学名誉教授)、武隈慎一(一橋大学名誉教授)、山崎昭(一橋大学名誉教授)、丸山雅祥(神戸大学名誉教授)、小栗誠治(滋賀大学名誉教授)、杉田定大(元経済産業省大臣官房審議官、元東京工業大学特任教授)、矢野康治(元財務事務次官)、瀧本徹(元観光庁観光地域振興部長)などがいる。
阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 -… 阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 - 没年不明)は、日本のプロレスラー、レフェリー、俳優、大相撲力士。 北海道旭川市出身。角界入りし、高砂部屋から大成山(おおなりやま)の四股名で1941年1月場所初土俵。1946年11月場所を最後に廃業。プロレスに転身して力道山率いる日本プロレスの初期メンバーとしてキャリアをスタートさせる。身長175cm、体重103kgという当時としては恵まれた体格を活かし、パワー溢れるレスラーとして活躍。その後、東京プロレスを経て国際プロレスへ移籍した。 プロレスラー引退後は国際プロレスのレフェリーに転向する。髭を蓄えており、ホイッスルを吹く独特で特徴のあるスタイルから「髭のレフェリー」「髭の阿部」の愛称で親しまれた。
長谷川 晶(はせがわ あきら、1925年(大正14年)3月3… 長谷川 晶(はせがわ あきら、1925年(大正14年)3月3日 - 2005年(平成17年)6月11日)は、日本の洋画家・抽象画家である。 1925年3月3日北海道旭川にて、国鉄の車掌区に勤務していた父馨と母キヨとの次男として生まれる。稚内の小学校を卒業し、北海道庁立旭川中学校(5年制)を卒業後、北海道大学理学部臨教数学課へ進学。子供の頃から絵や漫画を描くのが得意であった。油絵を始めたのは大学に入ってからで、当時札幌在住の菊地精二に師事した。太平洋戦争末期、徴兵で旭川師団に入隊したが、まもなく終戦。卒業後、1946年21歳で函館高等女学校の数学教師として就職した。そこで田辺三重松と出会い師事した。
田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 20… 田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 2011年7月20日)は、日本のベンガル語翻訳家、著作家。女性。「田中かん玉」とも表記。 1925年(大正14年)、北海道旭川市生まれ。北海道庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)、日本女子大学家政科に進学。1945年(昭和20年)に戦争が終わると、中退して帰郷し、結婚して男の子2人を育てる。1954年(昭和29年)に東京都新宿区に引っ越した。1959年(昭和34年)、目白ロゴス英語学校を卒業。1969年(昭和44年)に仏教学者の渡辺照宏、東京外国語大学教授の奈良毅もとでベンガル語のラーマクリシュナの言行録『不滅の言葉』の翻訳を始め、5年後の1974年(昭和49年)に抄訳本を奈良毅と共訳で自費出版。
坂東 徹(ばんどう とおる、1925年(大正14年)2月13… 坂東 徹(ばんどう とおる、1925年(大正14年)2月13日 - 2010年(平成22年)9月2日)は、日本の政治家。旭川市長、旭川市名誉市民。 北海道旭川市出身。坂東幸太郎の四男として生まれる。1945年(昭和20年)東京獣医畜産専門学校卒業。1948年(昭和23年)旭川市役所に奉職し3年間勤務後、旭川隣保会第三保育所長、敬生会老人ホーム敬生園長などを務め、1959年(昭和34年)に旭川市議会議員に当選。市議4期の間に、市議会副議長も務めた。 1978年(昭和53年)に旭川市長選挙に立候補し、現職の松本勇を破って、初当選。五十嵐広三、松本と続いた革新市政から保守市政を奪還した。以降4期、市長を務めた。
島村 靖三(しまむら せいぞう、1924年10月6日 - 2… 島村 靖三(しまむら せいぞう、1924年10月6日 - 2019年7月18日)は、日本の経営者。明治乳業社長を務めた。北海道旭川市出身。 1947年に北海道大学農学部を卒業し、同年に明治乳業に入社。1973年11月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1981年9月に社長に就任。1989年6月から会長を務めた。 1994年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2019年7月18日心不全のために死去。94歳没。墓所は多磨霊園(18-1-12)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小林 清治(こばやし せいじ、1924年8月13日 - 20… 小林 清治(こばやし せいじ、1924年8月13日 - 2007年4月4日)は、日本の歴史学者。福島大学名誉教授。専門は日本近世史。 北海道旭川市出身。東北大学文学部史学科卒、同大学院博士課程満期退学。1972年「奥羽における戦国大名の成立と展開」により東北大学から文学博士の学位を授与される。福島大学学芸学部助教授、教育学部教授。86年定年退官、名誉教授、東北学院大学教授。
干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 201… 干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 2013年11月12日)は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。 旧制北海道庁立旭川中学校(現:北海道旭川東高等学校)、日本製鐵輪西、旭川鉄道局を経て、1950年に大阪タイガースに入団。初年度である同年に10勝を挙げる活躍をする。オーソドックスなアンダースローの投手であった。1951年も先発陣の一角として期待されたが4勝に終わり、1952年に肩を故障して退団。わずか3年のプロ野球生活であった。 2013年11月12日、89歳で死去した。 予告先発制度の導入前によく行われていた投手による偵察メンバーであるが、干場はその第1号である。1950年4月22日、熊本市水前寺野球場での対中日ドラゴンズ戦で、中日の先発投手が左の清水秀雄か右の服部受弘で迷った松木謙治郎選手兼任監督は、前日の対広島カープ戦で完投勝利を挙げた干場を1番・レフトとして出場させる。
旭國 強(あさひくに つよし、1924年 - 没年不明)は、… 旭國 強(あさひくに つよし、1924年 - 没年不明)は、北海道旭川市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は山田 強(やまだ つよし)。174cm、83kg。最高位は西十両12枚目。得意技は右四つ、下手投げ。 1940年5月場所に初土俵。1948年5月場所に十両昇進したが、在位はこの1場所のみ。1949年1月場所限りで廃業した。
北村 文雄(きたむら ふみお、1923年〈大正12年〉4月1… 北村 文雄(きたむら ふみお、1923年〈大正12年〉4月18日 - 2017年〈平成29年〉3月1日)は、日本の造園学者・造園教育者。 専門は造園植物である芝、花蓮。北海道旭川市生まれ。父親の故郷新潟県のほか熊本県と福岡県などに転居し、以降栃木県から東京に移る。
川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 19… 川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 1986年12月30日)は日本の政治家、元衆議院議員(3期)。
廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5… 廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5日 - 2008年(平成20年)5月27日)は、元日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍主計大尉。戦後は印刷会社を経営。 北海道旭川市出身。父の転勤の関係で旭川市で出生するが、その後地元栃木県宇都宮市で育つ。士族。祖父は宇都宮藩士。父と二代ともに帝国陸軍士官。 旧制栃木県立宇都宮中学(現宇都宮高校)を経て1939年(昭和14年)12月に陸軍経理学校に進学(第5期、陸士56期相当)。ラバウル、フィリピン、インドシナ各地を転々とし、ボルネオ島にて終戦。終戦時階級は陸軍主計大尉。 終戦直後、オーストラリア軍に投降、同軍収容所にて捕虜生活を送り、翌年1946年(昭和21年)に復員後、鉄道教科書会社に就職。
三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 199… 三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、日本の女性作家。
河原 敏明(かわはら としあき、1921年 - )は、日本の… 河原 敏明(かわはら としあき、1921年 - )は、日本の皇室ジャーナリスト。元拓殖大学客員教授。 北海道旭川市生まれ。1935年(昭和10年)、東京府東京市(現在の東京都)に移住。明治大学専門部経営学科と東京教育大学文学部史学聴講課程に学ぶ。『婦人倶楽部』(講談社)増刊のグラフ誌『皇族画報』や『華族画報』に親しんだことが皇室に興味を抱くきっかけとなる。 1955年(昭和30年)、伊馬春部とともに執筆した原案をもとに脚本家の金貝省三がストーリーを執筆、長谷川公之が脚本化した『皇太子の花嫁』を、新東宝が小森白を監督に製作、同年4月5日に公開した。1952年(昭和27年)ごろから皇室ジャーナリストを自称するようになり、「皇室秘話」とされるエピソードの類を数多く発表する。