木野 工(きの たくみ、1920年(大正9年)6月15日 -… 木野 工(きの たくみ、1920年(大正9年)6月15日 - 2008年(平成20年)8月3日)は、日本の小説家。 北海道旭川市生まれ。旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)、北海道帝国大学工学部卒業。1943年に海軍予備学生として横須賀海兵団に入団。占守島派遣や内地転属を経て終戦を迎える。北海日日新聞創刊に参加し、新聞合併を経て北海タイムスの記者として勤務。文化部長や論説委員を務めた。その傍ら1949年より旭川の文芸同人誌「冬濤」に参加。1952年より同誌編集責任者を務めた。旭川市の郷土史研究書である『旭川今昔ばなし』も著した。
武田弘道(たけだ・ひろみち、1919年9月 - 1984年6… 武田弘道(たけだ・ひろみち、1919年9月 - 1984年6月)は日本の哲学者、論理学者。北海道旭川市生まれ。 戦後の哲学界に分析哲学と記号論理学を紹介した第一世代の一人。カール・ポパーの主著で浩瀚なる『自由社会の哲学とその論敵』を翻訳出版して(1963年、1973年)令名を高める。海外の哲学者との交友も多く、学会では海外研究者の講演のときには、通訳をした。 三宅剛一の言葉「多く考え、少なく書け」を地でいった人であった。 武田ひろ子編『会議は踊る・ただひとたびの――武田弘道追悼集』ミネルヴァ書房、1985年
大宮 守人(おおみや もりと、1919年2月13日 - 20… 大宮 守人(おおみや もりと、1919年2月13日 - 2000年4月29日)は、日本の料理人。ラーメン店『味の三平』初代店主。 札幌の味噌ラーメンの発明者。 北海道旭川市出身。戦前 - 戦中は南満州鉄道に機関士として勤務し、戦後の1948年(昭和23年)より札幌でつぶ貝とうどんを出す屋台を始めた。隣には後に有名なラーメン店『龍鳳』を出す松田勘七が、ラーメンの屋台を出して繁盛していた。松田の薦めもあり、大宮も松田の店での修業を経て、1950年(昭和25年)には札幌市中央区南7条西3丁目のすすきのに『味の三平』を開店。同じ敷地に同じ頃、松田も『龍鳳』を始める。 その後大宮は、雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された、スイスの食品メーカー・マギー社の社長の文章を目にして衝撃を受ける。
八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 -… 八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 - 2004年6月21日)は、昭和・平成期の小説家。 北海道旭川市生まれ。本名は松尾一光。北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)、日本大学芸術学園卒。講師の伊藤整や東大生だった梅崎春生と知り合う。戦時中は召集により第7師団に入隊。戦後に再上京するが、過度の飲酒とヒロポン中毒のために深夜の路上で刑事事件を起こし、札幌刑務所で服役。そこで女性看守坂東知子と知り合う。仮出所後、上川町の義兄宅に寄宿。1954年、札幌で伝道師となっていた知子と結婚する。 名古屋の同人誌『作家』に「未決囚」を発表、1955年に直木賞候補となる。1958年、再上京し「地宴」で作家賞、1982年、『生命盡きる日』で平林たい子文学賞受賞。
富原 薫(とみはら かおる、1916年3月20日 - 201… 富原 薫(とみはら かおる、1916年3月20日 - 2015年5月15日)は、日本の経営者。北海道放送社長、会長を務めた。北海道旭川市出身。 1939年に早稲田大学専門部法科を中退し、同年に満蒙学校を卒業。1941年に小樽新聞社に入社後、全道の新聞社統合により1942年11月に北海道新聞社に移籍し、政経記者として活躍。1945年には内閣記者会詰めとして憲法審議を担当。1951年12月に北海道放送に転じ、1956年の日ソ和平交渉の際には民間放送代表特派員の一人として鳩山一郎首相の随行団に参加した。1967年に取締役、1970年に常務、1978年に専務、1979年に副社長を経て、1984年に社長に就任。
但野 寛(ただの ひろし、1914年1月29日 - 1986… 但野 寛(ただの ひろし、1914年1月29日 - 1986年9月6日)は、北海道旭川市出身のクロスカントリースキー、アルペンスキー選手。 旧制旭川中学校 → 日本国有鉄道札幌鉄道管理局 1935年の第13回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人耐久(56km)で3位となり、翌1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックの代表に選出される。同オリンピックのクロスカントリースキー競技では、個人耐久(50km)で28位、個人長距離(18km)で59位、4x10kmリレーで12位の成績を残した。また、同オリンピックより採用されたアルペンスキー競技のアルペンスキー複合(滑降・回転)にも、同じ距離選手の関口勇・関戸力とともにエントリーしたが、後半の回転で全員失格した。
武田 範芳(たけだ のりよし、1913年4月28日 - 19… 武田 範芳(たけだ のりよし、1913年4月28日 - 1989年7月29日)は、北海道旭川市出身の洋画家。色の魔術師と呼ばれた国際的な画家である。エーゲ海をはじめて描いた作家でもあり、1960年代より国際展に出品し多くの国際賞を獲得した。フランス美術家連盟会員。ル・サロンフランス政府展 金 銀 銅 受賞。長男は俳優の武田光太郎。6親等に武田真治がいる。 1913年4月28日、北海道旭川生まれ。小学校のときに応募した水彩画公募展の審査員であった上野山清貢にほめられたことを契機に画家を志す。1932年、北海道庁立永山農業学校(現北海道旭川農業高等学校)林学科を卒業して上川支庁林務課に勤務し、大雪山自然林の保護に携わる。
亀田 得治(かめだ とくじ、1912年〈大正元年〉8月14日… 亀田 得治(かめだ とくじ、1912年〈大正元年〉8月14日 - 1994年〈平成6年〉3月14日)は、日本の弁護士、政治家。北海道旭川市生まれ。日本社会党の参議院議員、日本社会党大阪府連合書記長、全国革新懇代表世話人を務めた。 生まれてすぐ、家族が石川県に引っ越したため、少年時代を金沢市で過ごす。金沢の第四高等学校に進学。後に日本社会党委員長となる成田知巳と同じクラスで、成績は1、2位を競い合った。2人とも東京帝国大学法学部に合格。社会運動を行っていた賀川豊彦と出会い、キリスト教の洗礼を受けた。賀川牧師のもとで、当時、治安維持法違反で保釈中だった岩本りえと出会い、結婚する。戦時中は弁護士として小作争議などを担当した。
平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月1… 平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月18日 - 1986年(昭和61年)8月6日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 毎日新聞社社長(1976年2月 - 1980年12月)。 北海道旭川市出身(留萌市生まれ)。弘前高等学校では新聞部に所属し、一期下の太宰治とも親交があった。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、東京日日新聞社(後の毎日新聞東京本社)に入社。経済部記者、東京本社経済部長、論説委員、ロンドン支局長などを経て、1963年取締役。1966年西部本社代表、1968年常務。 1976年2月、巨額の負債を抱え、経営危機に瀕していた毎日新聞社の社長に就任。永野重雄に救済を仰ぎ、翌年「新旧分離方式」の経営再建の方針を固め、登記上の本社で発行部門を担当していた大阪本社を、負債の整理・清算に専念させ(「株式会社毎日(旧社)」)、東京本社(編集部門)と経営を一本化させる形で、新たに東京に新会社「毎日新聞株式会社(新社)」を設立した。
矢島 武(やじま たけし、1909年(明治42年)2月23日… 矢島 武(やじま たけし、1909年(明治42年)2月23日 - 1992年(平成4年)3月17日)は、日本の農業経済学者。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授・元旭川大学学長。位階は正四位。北海道旭川市出身。北海道昭和期中頃における農業経済学の大家。渡邊侃門下。弟子には志賀永一や七戸長生、久保嘉治らがいる。 この他、農林省開拓営農振興審議会委員、文部省学術審議会専門委員、日本農業経済学会会長などを務めた。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1… 赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1979年1月24日)は、日本の歴史学者。北海道旭川市出身。 北海道鷹栖村(現旭川市)の真宗大谷派の寺院光岸寺に次男として生まれる。第三高等学校を経て京都帝国大学文学部史学科に進み、三浦周行・西田直二郎・中村直勝らに学ぶ。同期に清水三男がいる。卒業論文として「室町幕府の統制意識に関する一考察」をまとめ、1931年京都帝国大学文学部史学科卒。 京都府嘱託・主事として、府下の社寺宝物や史跡の調査に従事。1949年京都府教育委員会文化財保護課の初代課長。東寺百合文書のうち、東寺にて放置されたままであった文書群の存在を確認してその解読にあたり、その成果を「東寺百合文書」として発表する。
三橋 勲(みつはし いさお、1907年 - 1984年)は、… 三橋 勲(みつはし いさお、1907年 - 1984年)は、日本の実業家、学校経営者。元学校法人旭川大学理事長。北海道旭川市出身。 この他、公職として旭川経営者協会会長や、旭川ロータリークラブ会長、旭川信用金庫理事などを歴任。 髙木正雄『北海道建設人物事典』(北海道建設新聞、2008年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
河口 陽一(かわぐち よういち、1906年3月30日 - 1… 河口 陽一(かわぐち よういち、1906年3月30日 - 1978年9月16日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、衆議院議員(2期)。北海道上川郡永山村(現・旭川市永山)出身。 1926年に永山高等国民学校卒業。1947年の総選挙に北海道2区から日本農民党公認で出馬して初当選。その後農民新党→農民協同党→改進党と籍を移しながら衆院議員2期、農民協同党では書記長・改進党では組織委員長を務めた。 1952年の総選挙で落選。翌1953年の総選挙・右派社会党公認で出馬した1955年の総選挙でも落選に終わり、一時は政界を離れてホクレン農業協同組合連合会会長を務める。 1968年の参院選で北海道選挙区から自由民主党公認で出馬・当選して16年ぶりに政界復帰。
前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月3… 前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月31日 - 1983年(昭和58年)12月17日)は、日本の放送経営者、ジャーナリスト。 第10代NHK会長。ワンマン会長として組織の拡大充実に努め、『NHK中興の祖』と仰がれた。 北海道旭川市出身。庁立旭川中学校を経て東京外語学校(現東京外国語大学)イタリア語科卒業後、ヨーロッパに留学、ローマ大学法科に学ぶ。 1936年朝日新聞ローマ支局に現地入社、記者としてイタリアのエチオピア侵入(第二次エチオピア戦争)などをスクープ。1947年大阪本社外報部長を最後に退社。 出版社経営を経て1950年、NHKに解説委員として入局。その後報道局長・編成局長・専務理事・副会長などを経て1964年、阿部眞之助会長が在職中に死去した事に伴い会長就任、1973年まで務めた。
小坂 佐久馬(こさか さくま、1906年(明治39年)1月8… 小坂 佐久馬(こさか さくま、1906年(明治39年)1月8日 - 1988年(昭和63年)7月20日)は、昭和期の日本の出版事業家。 現在の北海道旭川市に生まれる。 1928年、旭川師範学校(現在の北海道教育大学旭川校)を卒業後、北海道内の小学校で教員として勤務した。 穂高書房社長などを経て、1948年、設立に参画した教育出版専務となる。以後、副社長(1963年)を経て、1967年に社長に就任した。1975年に社長を宍戸馨に禅譲、のち相談役に退く。他に教科書協会常務理事などを務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
富樫 凱一(とがし がいいち、1905年11月17日 - 1… 富樫 凱一(とがし がいいち、1905年11月17日 - 1993年4月21日)は、日本の土木工学者、建設官僚。東名高速道路の全線開通、本州四国連絡橋の完成などに尽力。文化功労者。 北海道旭川市生まれ。北海道帝国大学卒業。内務省に入り、関門国道改良事務所長、建設省道路局長、技監などを歴任し、1960年退任。1966年日本道路公団総裁、1967年土木学会会長、1970年本州四国連絡橋公団総裁。1978年海洋架橋調査会会長。 技術者として、関門トンネルの設計・建設や東名高速道路建設に一貫して尽力した他、本州四国連絡橋の児島・坂出ルート(瀬戸大橋)の建設に関しては、開発公団初代総裁として長大吊り橋を始めとする新技術の導入・開発に当たった。
旭川 幸之焏(あさひかわ ゆきのじょう、1905年8月18日… 旭川 幸之焏(あさひかわ ゆきのじょう、1905年8月18日 - 1978年1月31日)は、北海道上川郡旭川町(現:北海道旭川市、出生地は富山県下新川郡(現:富山県魚津市))出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は宮坂 幸吉(みやさか こうきち)。最高位は西関脇。 1905年8月18日、富山県下新川郡(現:富山県魚津市)で生まれる。2歳の時に家族で北海道上川郡旭川町(現:北海道旭川市)へ移住し、1921年の夏に友綱の一行が巡業で北海道へ来る際に、先乗りとして一足先に北海道へやって来た同郷の立浪親方(元小結・緑嶋)に見い出され、立浪部屋へ入門した。1922年1月場所で初土俵を踏み、1927年5月場所で新十両昇進を果たすが、ここから幕下との往復が5年以上繰り返されることとなる。
池田幸太郎(いけだ こうたろう、1904年3月4日 - 19… 池田幸太郎(いけだ こうたろう、1904年3月4日 - 1989年8月14日)は、日本の政治家・官僚・薬剤師。北海道旭川市出身。1925年東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)卒。北海道名寄市市長(1958年 - 1974年)。名寄市名誉市民。 1925年内務省東京衛生試験所に入所。1929年内務省退官。名寄町で家業である薬局を継ぐ。1951年北海道薬剤師会理事。1952年名寄町商工会議所副会頭に就任。同年、名寄町教育委員会委員にも就任(~1956年)。1955年名寄町議会議員に初当選。1958年名寄市が市制施行後、初となる市長選出馬し、名寄市長に初当選。連続3期を務め、1974年同市長を勇退。同年、名寄女子短期大学非常勤講師(薬局運営論)・旭川大学非常勤講師(地方自治論)。
今野 大力(こんの だいりき、1904年2月5日 - 193… 今野 大力(こんの だいりき、1904年2月5日 - 1935年6月19日)は、日本の詩人。 宮城県伊具郡丸森町生まれ。幼時に北海道旭川市に移る。小学校卒業後、新聞社給仕を経て、旭川郵便局に勤務。この頃から詩作を始め、1927年に小熊秀雄らと詩誌『円筒帽』を発刊。その後上京し、『婦人戦旗』などの編集にたずさわる。1931年日本プロレタリア文化連盟(コップ)の結成に参加し、『プロレタリア文学』などに反戦詩を発表。1932年3月、駒込署に検挙され、その時の拷問がもとで入院。人事不省に陥り、生死の境をさまよう。回復後の1933年、日本共産党に入党。病気に苦しみながら創作を続けるが、1935年結核で死去。
村中 孝次(むらなか たかじ[注釈 1]、1903年10月3… 村中 孝次(むらなか たかじ[注釈 1]、1903年10月3日 - 1937年8月19日)は、日本の陸軍軍人で皇道派、国家社会主義者。
加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28… 加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日 - 1942年(昭和17年)5月22日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等功二級。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)出身。旭川中学(現:北海道旭川東高等学校)、仙台陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校(専科)卒。 太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦時、戦隊長として「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊を率い、一式戦闘機「隼」をもって活躍した、帝国陸軍(陸軍航空部隊)のみならず日本軍を代表するエース・パイロットの一人。 1903年(明治36年)9月28日、北海道上川郡にて屯田兵として京都綴喜郡から北海道に入植した父・鉄蔵、母・キミとの間に加藤家の末子(兄・農夫也、姉・貞)として誕生する。
山口 正城(やまぐち まさき、1903年1月22日 - 19… 山口 正城(やまぐち まさき、1903年1月22日 - 1959年12月5日)とは、日本の画家、グラフィックデザイナー、デザイン・図案に関する教育者。 千葉大学工学部工業意匠学科教授を務めた。フォトグラムを含め、抽象的な作品が多い。
東 隆(あずま たかし、1902年(明治35年)3月8日 -… 東 隆(あずま たかし、1902年(明治35年)3月8日 - 1964年(昭和39年)7月18日)は、日本の農協運動家、政治家。衆議院議員、参議院議員。 北海道上川郡東旭川村下兵村(現旭川市)で大分県から入植した屯田兵・東晋吾の三男として生まれる。旭川中学校を卒業し農業を継いだが、その後、勉学の道に進み北海道帝国大学予科に入学。1926年、同大学農学部農業経済学科を卒業。北海道庁技手に任官し、以後、農林主事、経済更生主任官、金融主任官、産業組合主任官、北海道農会幹事、同農業会専務理事、日本輸出農産物会社理事、同札幌支店長、肥料配給公団札幌支部長、北海道農業復興会議副議長などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に北海道第一区から日本協同党所属で立候補して当選し衆議院議員を一期務め、国民協同党政策調査会副会長となった。
野又 貞夫(のまた さだお、1901年(明治34年)12月2… 野又 貞夫(のまた さだお、1901年(明治34年)12月23日 - 1976年(昭和51年)10月15日)は、日本の商学者・学校経営者・政治家だった人物。 学校法人野又学園初代理事長。数多くの学校長を務めた。北海道旭川市出身。子に野又肇がいる。
滝野 啓次郎(たきの けいじろう、1899年(明治32年)5… 滝野 啓次郎(たきの けいじろう、1899年(明治32年)5月10日 - 1973年(昭和48年)1月13日)は、日本の政治家・実業家。北海道旭川市出身。北海道北見市長(1963年 - 1967年、1期)。 北海道庁立上川中学校(現・北海道旭川東高等学校)卒業。1916年(大正5年)野付牛町(現・北見市)に移住、家業である菓子問屋を継いで1940年(昭和15年)北海道菓子卸売協同組合常務、1948年(昭和23年)同組合理事長。1950年(昭和25年)北宝食品代表取締役社長。1953年(昭和28年)北見信用金庫理事長。1955年(昭和30年)北見商工会議所会頭に就任。伊谷半次郎の後継候補として、1963年(昭和38年)北見市長選挙に出馬し対立候補の宇佐美福生を僅差で破って初当選するも1967年(昭和42年)に前回と同じ対立候補の宇佐美福生に敗れ落選した。
久志 卓真(くし たくしん、1898年 - 1973年11月… 久志 卓真(くし たくしん、1898年 - 1973年11月1日)は、日本の音楽家・音楽評論家、書画骨董の研究者、鑑識家。 1898年(明治31年)、北海道旭川市の智山派寺院に生まれ、智山勧学院に入学、平田元吉や西田幾太郎の講義から影響を受けた。6歳から仏典・漢籍を父に仕込まれた為、12歳にして伝法灌頂を授かる。中学1年生からはヴァイオリンを習い、川島栄三郎より本格的に稽古を受けてヴァイオリニスト・作曲家としての知名度を上げ、京都基督教青年会音楽学校のヴァイオリン科主任教師となる。 1923年(大正12年)夏に過労から喀血して演奏・作曲の一線から身を引き、門下育成・執筆活動へと転向する。京都帝国大学内京都文学会発行の『芸文』へ「ベートーヴェンとスザンヌ」「未来派及び表現派の絵画の陥れる本質的誤謬を指摘して絵画の本質に及ぶ」の発表を契機に、『音楽新潮』へ音楽の批評・解説を執筆する。
川村 カ子ト(かわむら カネト、1893年〈明治26年〉5月… 川村 カ子ト(かわむら カネト、1893年〈明治26年〉5月5日 - 1977年〈昭和52年〉1月6日)は、上川アイヌの長で、日本国有鉄道の測量技手。アイヌ文化の啓発・普及にも寄与した。国鉄退職後は川村カ子トアイヌ記念館の館長、旭川アイヌ民族史跡保存会長、旭川アイヌ民族工芸会長などを務めた。弟に川村才登、妹・コヨの夫に貝澤藤蔵がいる。 なお、「カネト」の「ネ」を「子」と書いているのは、かつて使われた、カナの「ネ」の異体字である。「カネト」と書かれることもある。また、カネトアイヌの正確な発音は、長男の川村兼一によると、カネトゥカイヌである。 1893年(明治26年)、旭川永山町(現旭川市永山)キンクシベツに生まれる。
尾崎 義春(おざき よしはる、1890年〈明治23年〉4月2… 尾崎 義春(おざき よしはる、1890年〈明治23年〉4月20日 - 1973年〈昭和48年〉9月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。北海道旭川市出身。 農家の尾崎次郎の二男として生まれる。北海道庁立旭川中学校を卒業したのち、日本軍に入隊。 陸軍士官学校23期・ 陸軍大学校31期。関東軍に出仕。1928年の張作霖爆殺事件の際には河本大作大佐の部下として実行部隊を指揮する。その後、日中戦争(支那事変)では独立混成第13旅団長として出動し、淮南で新四軍と激戦を繰り広げた。 日米開戦後は第19師団長に親補され、北朝鮮からフィリピンへと転戦。リンガエン湾・プロム山の戦闘では圧倒的兵力を誇る米軍相手に善戦敢闘した。
河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年(明治22年)8… 河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年(明治22年)8月20日 - 1964年(昭和39年)2月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 北海道上川郡東旭川村(現旭川市東旭川町)出身。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。 1936年(昭和11年)5月、支那駐屯軍高級副官となり日中戦争に出征。1937年(昭和12年)8月、歩兵大佐に昇進し北支那方面軍高級副官に転じた。1938年(昭和13年)3月、歩兵第44連隊長に就任し満州に赴任。1940年(昭和15年)3月、陸軍少将に進級し独立混成第10旅団長となり、済南に駐屯し再び日中戦争に従軍した。
さおり(10月31日 - )は、主に北海道で活動しているロー… さおり(10月31日 - )は、主に北海道で活動しているローカルタレント。テレビ番組でのアシスタントや司会のほか、モデルとしても活動している。オフィスセブン所属。 趣味は料理とお菓子作り、特技はテニス・水泳・変な顔。 現在は北海道のテレビ・ラジオ番組、CMなどでのナレーションが活動の中心。 かつてはコミュニティ放送局で単独番組を担当していたこともあるほか、ドラマのエキストラなども多数[要出典]。
Uyu(ウユ、9月15日 - )は、北海道旭川市出身の作詞家… Uyu(ウユ、9月15日 - )は、北海道旭川市出身の作詞家、歌手。 2006年より『ACRYLICSTAB』のメンバーとして、主にボーカル、作曲を担当。 最近では自身の活動以外にも、ゲーム、女優や声優への作詞提供を行うなど活動の幅を広げている。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
小泉 知也(こいずみ ともや、8月28日 - )は、日本の男… 小泉 知也(こいずみ ともや、8月28日 - )は、日本の男性声優。 北海道旭川市出身。身長 183cm。以前は、ケッケコーポレーションに所属していた。
さくや 一歩(さくや いっぽ、5月2日 - )は、なかよしの… さくや 一歩(さくや いっぽ、5月2日 - )は、なかよしの漫画家。北海道旭川市出身。血液型O型。 2003年、『P.S. fromラブソング』でなかよし新人まんが賞準入選を受賞し、「なかよしラブリー」春の号でデビュー。同期はひのもとめぐ、姫宮ユイゴ。 2021年に放送されたテレビ番組『川島・山内のマンガ沼』では「リベンジ」をテーマとした回で「毎日たたかう」という作品が紹介された。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
小原 ヨシツグ(おはら よしつぐ、1月31日 – )は、日本… 小原 ヨシツグ(おはら よしつぐ、1月31日 – )は、日本の漫画家。2016年(平成28年)、『ガタガール』で連載デビュー。 1月31日生まれ。北海道旭川市出身。 宮崎県で干潟の生物調査を経験した後、同人活動と他の漫画家のアシスタントを経て、講談社のコンクールで大賞を受賞し漫画家としてデビューする。 特に好きな漫画はキン肉マン、ジョジョの奇妙な冒険シリーズ、グラップラー刃牙、HUNTER×HUNTER、みつどもえ、純情パインなど。ビデオゲームではロマンシング サ・ガのファンを公言している。自宅の水槽でカニ、ヨコエビ、オオウスバカゲロウなどを飼育している。シルバニアファミリーのフィギュアに自作の胴長を着せるなど、工作も趣味としている。
飯島 寛騎 は、日本の俳優。北海道旭川市生まれ札幌市育ち。血… 飯島 寛騎 は、日本の俳優。北海道旭川市生まれ札幌市育ち。血液型はB型。オスカープロモーション所属。
北口 榛花 は、日本の女子陸上競技選手。専門種目はやり投。J… 北口 榛花 は、日本の女子陸上競技選手。専門種目はやり投。JAL所属。パリオリンピック金メダリスト。
曽我 聡起(そが としおき)は、日本の研究者。千歳科学技術大… 曽我 聡起(そが としおき)は、日本の研究者。千歳科学技術大学の教授である。 旭川西高等学校を卒業後、岩手大学工学部金属工学科に進学。大学卒業後は日立コントロールシステムズ(現・日立産業制御ソリューションズ)株式会社に入社。その後、旭川大学情報ビジネス専門学校、北海道栄養短期大学、北海道文教大学外国語学部の教職員を経て、北海道大学大学院工学研究科情報工学専攻博士後期課程に入学。同大学院を単位満期取得退学し、その6年後には室蘭工業大学大学院工学研究科生産情報システム工学専攻博士後期課程を修了し、博士(工学)を取得した。現在は千歳科学技術大学理工学部情報システム工学科学科長を務める。 身近にあるさまざまな情報をもとに、メディアデザインやユーザーインターフェイス、情報の効果的な活用法を学ぶ「情報デザイン学」を担当。
冴木 杏奈(さえき あんな)は、日本のタレント・歌手。北海道… 冴木 杏奈(さえき あんな)は、日本のタレント・歌手。北海道旭川市生まれ。血液型A型。MOON MUSIC 所属。
安斉 英樹(あんざい ひでき)は、北海道旭川市出身の俳優。 … 安斉 英樹(あんざい ひでき)は、北海道旭川市出身の俳優。 主にドラマやバラエティ番組でのエキストラとして活躍し、『ビーファイターカブト』のビーファイターミン/李文役で知られる。苗字は安斎、安齋の表記もあり、表記ゆれがある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
いすたえこは、北海道旭川市生まれのグラフィックデザイナー、ア… いすたえこは、北海道旭川市生まれのグラフィックデザイナー、アートディレクター。 いくつかのデザイン事務所を経て、デザインユニット NNNNY(えぬえぬえぬえぬわい)を結成。他のメンバーは伊藤ガビン、萩原慶、林洋介、マット・ファーゴなど。期間限定ショップ「PHYSICAL TEMPO」店長。□□□(クチロロ)の「CD」という作品のアートディレクションでTDC RGB賞受賞。
木内 綾 は、日本の染織工芸家。北海道の動植物や流氷などの風… 木内 綾 は、日本の染織工芸家。北海道の動植物や流氷などの風土を羊毛で表現した創作織物「優佳良織(ゆうからおり)」の織元。北海道地方の染織工芸として親しまれる優佳良織の創作により、美術工芸品として日本国内外で高い評価を受けると共に、出身地である北海道旭川市の芸術文化の振興に大きく貢献した。「北海道のバルトーク」「東洋のバルトーク」ともいわれる。代表作は『流氷』『ハマナス』『ミズバショウ』など。
坂田 加奈子(さかた かなこ、10月23日 - )は、北海道… 坂田 加奈子(さかた かなこ、10月23日 - )は、北海道旭川市出身の劇団四季の女優である。 4歳からダンスを始め、高校を卒業と同時に劇団四季に入所。ドリーミングSAPPOROで初舞台を踏み、入所1年後の1996年にキャッツに出演。その後ダンスを中心に活動。以後、劇団四季に欠かせない女優として「コーラスライン」のキャシーなどを演じる。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
青野 武 は、日本の俳優、声優、ナレーター。旧芸名、青野 武… 青野 武 は、日本の俳優、声優、ナレーター。旧芸名、青野 武士。
折坂 章子 は、NHK初の女性気象キャスターを務めた気象予報… 折坂 章子 は、NHK初の女性気象キャスターを務めた気象予報士である。
西川 将人 は、日本の政治家。
古屋 浩明(ふるや ひろあき)は、日本の人事院官僚。人事院事… 古屋 浩明(ふるや ひろあき)は、日本の人事院官僚。人事院事務総長を経て、人事官。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1980年東北大学法学部卒業、人事院入庁。給与局給与第一課長、人事課長を経て、2009年職員福祉局次長。2012年から給与局長を務め、国家公務員の給与引き下げ関連法案の整備などにあたった。2017年事務総長。2020年吉田耕三の後任の人事官に就任。2024年人事官を退任。
山本 むつみ(やまもと むつみ)は、日本の脚本家。北海道旭川… 山本 むつみ(やまもと むつみ)は、日本の脚本家。北海道旭川市出身。 北海道旭川北高等学校から北海道大学教育学部に進学し、卒業後は、東京のアスキーなどで編集者をしながら、シナリオ・センター「シナリオ作家養成講座」を受けた。2001年、『川留め騒動始末』の脚本がBKラジオドラマ脚本賞佳作に選ばれ、翌2002年、四国放送公募の入選作『阿波藍の唄が聴こえる』が開局50周年記念ラジオドラマとして放送された。 2003年、第31回NHK創作ラジオドラマ脚本懸賞に『唐木屋一件のこと』で応募し、最優秀賞を受賞。その受賞をきっかけに翌2004年、『御宿かわせみ』でテレビドラマの脚本家デビュー。その後も編集者と脚本家を兼業したが、2006年の『結婚式へ行こう!』より脚本家専業に。
竹内 智香 は、スノーボードアルペン選手。所属は、小嶋アカデ… 竹内 智香 は、スノーボードアルペン選手。所属は、小嶋アカデミー→ロイズ→広島ホームテレビを経て、現在は広島ガス。身長165cm、体重62kg。血液型A型。
成田 郁久美 は、日本の元女子バレーボール選手、バレーボール… 成田 郁久美 は、日本の元女子バレーボール選手、バレーボール指導者。旧姓大懸(おおがけ)。
山賀 琴子 は、日本のインフルエンサー。元女優、元ブランドプ… 山賀 琴子 は、日本のインフルエンサー。元女優、元ブランドプロデューサー。北海道旭川市出身。