石橋 安孝(いしばし やすたか、1994年8月24日 - )… 石橋 安孝(いしばし やすたか、1994年8月24日 - )は、日本の陸上競技選手。福井県小浜市出身。東海大学体育学部競技スポーツ学科卒業。 小浜市立小浜第二中学校、福井県立美方高等学校、東海大学出身。 美方高の4学年先輩でもある早川翼と入れ替わる形で東海大に入学した。大学時代は2年生から3年連続で箱根駅伝に出場。2年時の第91回箱根駅伝では7区を担当し、区間7位で走った。 3年時の第92回箱根駅伝では最短区間(当時)の4区を走り、区間2位だった。 4年時の第93回箱根駅伝では7区を担当。6区までに1年生を5人起用したが、不振が続き襷を受け取ったのは15位だったが、区間賞の走りで4つ順位を上げ、東海大のシード権獲得に貢献した。
朝倉 康心(あさくら こうしん、1986年3月4日- )は、… 朝倉 康心(あさくら こうしん、1986年3月4日- )は、競技麻雀のプロ雀士。最高位戦日本プロ麻雀協会所属。Mリーグ2021-22シーズンまでU-NEXT Piratesに所属した。最高位戦リーグではA2リーグに所属。福井県小浜市出身。福井県立若狭高等学校、東京農工大学農学部卒業。ASAPINのハンドルネームでも知られる。初代・11代天鳳位。 兄は近代麻雀webで連載を持つ記者であり、『実戦でよく出る!読むだけで勝てる麻雀講義 (近代麻雀戦術シリーズ)』の著作を持つ元塾講師、麻雀YouTuberのゆうせー。 Mリーグでは「リアルとネットの架け橋」というキャッチフレーズで紹介されていた。麻雀最強戦などでは、自身のハンドルネームである「ASAPIN」が二つ名として使われる。
前田 まみ(まえだ まみ、1982年2月4日 - )は、日本… 前田 まみ(まえだ まみ、1982年2月4日 - )は、日本のお笑いタレント・女優である。大阪府大阪市出身。吉本興業所属。 1982年、前田五郎の次女として生まれる。 NSC大阪校の女性タレントコースの1期生。2006年に行われた「第2個目金の卵オーディション」に合格し吉本新喜劇に入団する。姉の前田真希も吉本新喜劇の座員(2005年入団)で、姉妹で共演することもある。2009年2月7日および2012年11月3日放送の回では姉妹で姉妹役を演じた。2016年2月からは、NGKや西梅田劇場の新喜劇開演前の出演者の名前の読み上げも担当している。 演歌が好きで特に前川清の大ファン。また藤あや子は高校時代の友人の母親であり、現在でも親交がある。
新谷 義人(しんたに よしひと、1981年12月7日 - )… 新谷 義人(しんたに よしひと、1981年12月7日 - )は、日本の重量挙げ選手である。日本代表として、2008年北京オリンピックで、男子軽量級(69kg)に出場した。シングルモーションで135kgを持ち上げスナッチした。2部では175kgを持ち上げ、この大会で10位に入賞した。 福井県小浜市出身。小浜市立小浜中学校、福井県立小浜水産高等学校を経て、大阪商業大学卒業。
きむ(本名:木村行伸、1980年9月27日 - )は、日本の… きむ(本名:木村行伸、1980年9月27日 - )は、日本の詩人・写真家・経営者。福井県小浜市出身。自作をまとめている「いろは出版株式会社」の代表取締役。また夢をテーマにした「日本ドリームプロジェクト」の代表を務めている。 きむ本人、または写真家yadaniの撮影した写真に、自身が制作した詩をのせたもの。
川畑 宏美(かわばた ひろみ、1979年3月23日 - )は… 川畑 宏美(かわばた ひろみ、1979年3月23日 - )は、福井県小浜市出身の女子バスケットボール選手である。ポジションはパワーフォワード。181cm。JOMOサンフラワーズ所属。ニックネームは「ラック」。「花の78年組」の一人。 小浜二中でバスケを始め、福井商業高校からジャパンエナジーに入社。主力選手としてJOMO黄金時代に貢献。 2004年にはアテネ五輪日本代表に選ばれる。 2005年よりJOMOの主将に就任。 2006-2007シーズンを最後に現役を引退。 引退に際し、Wリーグから功労賞が贈られた。
東 毅(あずま つよし、1976年3月31日 - )は、日本… 東 毅(あずま つよし、1976年3月31日 - )は、日本の政治家。日本共産党岡山市議会議員。 福井県小浜市生まれ。福井県立若狭高等学校を経て、岡山大学農学部卒業。日本共産党、日本民主青年同盟に所属する傍ら政治活動を開始し、2011年岡山市議会議員に初当選。現在3期目を務める。保健福祉、社会福祉、防災を専門として活動している。
坂田 佳子(さかた けいこ、1972年12月26日 - )は… 坂田 佳子(さかた けいこ、1972年12月26日 - )は、日本のジャズシンガー、YouTuber。福井県小浜市出身。大阪市西成区のあいりん地区にある萩之茶屋南公園(通称、三角公園)および道頓堀を拠点に活動している。 福井県小浜市出身。小浜の名家に育つ。小浜市立小浜小学校、小浜市立小浜中学校、福井県立若狭東高等学校卒業。大阪・北新地のジャズバーで初めてジャズの生演奏を聴いてとりこになり、ほぼ独学で学んだ。若い頃は美人であり、本人も「可愛かった」と話しており、ジャズシンガーを始めてすぐに美貌でスポンサーがついた。歌が下手なことからホステスに水をかけられたりしていた。 北新地のキャバクラで長年No.1であった。
谷口 浩(たにぐち ひろし、1972年1月10日 - )はフ… 谷口 浩(たにぐち ひろし、1972年1月10日 - )はフィジーの教育者、実業家。フィジー共和国 学校法人『Free Bird Institute』理事長、『フリーバード』代表、『South Pacific Free Bird株式会社』代表取締役社長。福井県小浜市出身。2014年フィジー国籍を取得、日本人からフィジー人に帰化した。 南太平洋に浮かぶ島国フィジー共和国で現地の国立高校で理事長を務め、格安の語学留学・高校留学をサポートする会社を運営する。かつて底辺校と呼ばれた国立高校をラグビー全国大会で2連覇に導いた実績はフィジー版『スクール☆ウォーズ』としても知られる。著書『FREE BIRD 自由と孤独』を出版。
阿部 理(あべ おさむ、1970年8月24日 - )は、福井… 阿部 理(あべ おさむ、1970年8月24日 - )は、福井県小浜市生まれ、宮城県仙台市出身のバスケットボール選手である。 バスケットボールとの出会いは、1981年仙台市立桜丘小学校5年生の時。バスケットボールに熱心だった先生が作ったチームに誘われて、バスケットボールを始めた。当時、阿部は野球少年だったが、たちまちバスケットボールの虜となり、1日4時間は練習をするほどのめり込んだ。 1982年、6年生の時、チームは宮城県大会で優勝、福岡で開かれた第14回全国ミニバス教室交歓会に出場する。 1983年、桜丘中学に進むと、バスケットボール部でセンターとして活躍。第15回全国中学校大会でチームを準優勝に導く。
紅夜叉(くれないやしゃ、1970年4月23日 - )は、日本… 紅夜叉(くれないやしゃ、1970年4月23日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名:椿 留美(つばき るみ)、旧姓・旧リングネーム:安田 留美(やすだ るみ)。身長162cm、体重65kg、福井県小浜市出身。最終所属はLLPW。 幼少期はプロレスが大嫌いであったが、テリー・ファンクの試合をたまたま見てプロレスが好きになった。中学時代は毎日プロレスごっこをしており、授業中にノートに好きなプロレスラーの名前を1位から10位まで書いたり技の名前を書いたりして一日を過ごしていた。 高校を1年で中退し、上京してジャパン女子プロレスの練習生となり、蕎麦屋でアルバイトをしながら一人暮らしをした。 1989年12月1日、後楽園ホール大会での対北村真美戦で、本名の安田留美でリングにデビュー。
海津 富美代(かいづ ふみよ、1967年4月1日 - )は、… 海津 富美代(かいづ ふみよ、1967年4月1日 - )は、日本の元卓球選手。旧姓は山下。身長154cm、体重47kg[要出典]。福井県小浜市出身。最終所属は松下電工彦根。1992年バルセロナオリンピック・1996年アトランタオリンピック代表。 小浜市立田鳥小学校から小浜市立小浜中学校に進む。中学校のクラブ活動で卓球を始める[要出典]。福井県立若狭高等学校を経て、中京大学体育学部卒業後、松下電工彦根に入社。 オリンピックには2度出場したが、決勝トーナメント1回戦が最高であった。1993年11月に結婚。このため、バルセロナオリンピックは「山下」姓での出場だったが、アトランタオリンピックは「海津」姓での出場である。
高井 麻巳子(たかい まみこ、1966年12月28日 - )… 高井 麻巳子(たかい まみこ、1966年12月28日 - )は、日本の元アイドル。株式会社秋元康事務所前監査役。夫は作詞家の秋元康。福井県小浜市出身。 1985年(昭和60年)より女性アイドルグループ『おニャン子クラブ』のメンバーで、会員番号16番として芸能活動を行っていた。女子美術短期大学卒業。 1985年(昭和60年)、福井県立若狭高等学校を卒業。高校時代は、取り立てて目立つ言動はしない生徒であったが、明るく快活な性格で友人も多数おり、人気者であった。ミス若高(じゃっこう)と呼ばれていた。高校卒業後、美術大学への進学を目指して予備校に入学すべく上京。同年4月、『夕やけニャンニャン』内のコーナー「ザ・スカウトアイドルを探せ!」の出場者をスカウトする企画で、原宿を歩いている時に伊藤克信にスカウトされたと言う形になっている。
杉田 あきひろ(すぎた あきひろ、1965年〈昭和40年〉5… 杉田 あきひろ(すぎた あきひろ、1965年〈昭和40年〉5月4日 - )は、日本の歌手、舞台俳優。本名、杉田 光央(読み同じ)。福井県小浜市出身。福井県立若狭高等学校を経て慶應義塾大学文学部哲学科(美学美術史学専攻)を卒業。 市の教育委員長の父と教員の母という家庭に育つ。少年時代は勉学に加え歌や野球も得意という「優等生」だったと述べている。両親・兄が音楽好きという家庭の影響により、杉田自身も歌謡曲に親しみ、中学時代は吹奏楽を手がけ、大学時代は合唱とミュージカルに熱中したという。 1989年(平成元年)、慶應義塾大学在学中にミュージカル、『レ・ミゼラブル』のオーディションに合格し、舞台デビューを果たす。
辻 庄市(つじ しょういち、1963年9月14日 - )は、… 辻 庄市(つじ しょういち、1963年9月14日 - )は、日本の官僚。北陸財務局長を経て、信大教授。 1963年生まれ、福井県小浜市出身。1987年東京大学法学部卒業。1986年、東大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)に合格。1987年 大蔵省(現・財務省)入省(大臣官房文書課)。1989年4月 大臣官房調査企画課。1990年7月 主計局総務課調査主任。1991年7月 主計局総務課企画係長。1992年7月 桐生税務署長。1993年7月 横浜市財政局財政担当課長。1997年、ハーバード大学国際問題研究所研究員。1998年、大臣文書課企画調整室課長補佐。1999年、理財局国庫課課長補佐。2001年、関税局関税課企画調整室長。
川口 晴美(かわぐち はるみ、1962年1月10日 - )は… 川口 晴美(かわぐち はるみ、1962年1月10日 - )は、日本の詩人。「歴程」同人。本姓・榎。 福井県小浜市出身。福井県立若狭高等学校、早稲田大学第一文学部文芸専攻卒業。大学在学中に鈴木志郎康の講義を受けて詩を書き始め、1985年に第1詩集『水姫』を出版。商社の為替ディーリング室にOLとして7年3ヶ月勤めたあと、現在は詩集を上梓したり、現代美術と詩のコラボレーション展を開催している。いくつかのアンソロジーに詩が収録され、イタリア語や韓国語に翻訳された詩もある。東京造形大学非常勤教員。 2010年、『半島の地図』で第10回山本健吉文学賞受賞。2016年、『Tiger is here.』で第46回高見順賞受賞。
床弓(とこゆみ、1961年10月12日 - )は、大相撲の元… 床弓(とこゆみ、1961年10月12日 - )は、大相撲の元床山。本名は行方嘉朗。福井県小浜市出身。最終所属は高砂部屋。最高位は一等床山。
松崎 晃治(まつざき こうじ、1958年〈昭和33年〉1月2… 松崎 晃治(まつざき こうじ、1958年〈昭和33年〉1月22日 - )は、日本の政治家。福井県小浜市長(4期)、福井県議会議員(4期)を務めた。 福井県小浜市出身。1981年大谷大学文学部卒業後、小中学校の教員となる。その後、鳴門教育大学大学院学校教育研究科を修了。福井県教育研究所等に勤める。 1995年4月30日に福井県議会議員に就任。計4期務める。この間、副議長と議長を歴任。県議時代は自由民主党に所属した。2008年7月4日、辞職。 2008年、2012年、2016年、2020年と4連続無投票で小浜市長選挙に当選。 2024年7月21日投開票の市長選挙では元市議の杉本和範が立候補。小浜市長選挙では自身初の選挙戦となり、松崎は自民、公明両党の推薦を受け、5期目を目指したが、杉本に敗れ落選した。
田中 なおみ(たなか なおみ、本名・田中 尚美、1957年〈… 田中 なおみ(たなか なおみ、本名・田中 尚美、1957年〈昭和32年〉2月15日 - 2006年〈平成18年〉1月8日)は、日本の元タレントであり、女優。。1979年(昭和54年)度の 『クラリオンガール』として知られた。 1957年(昭和32年)、福井県小浜市出身。福井県立若狭高等学校卒業。東洋大学文学部日本文学科に在籍中だった1978年(昭和53年)、1979年度 『クラリオンガール』(5代目)に選出されて芸能界デビューした。その後は男性誌のグラビアページなどに多数登場したほか、女優として、テレビドラマ 『ザ・スーパーガール』(東京12チャンネル、並木悦子役)にもレギュラー出演していた。公表されていたサイズは身長162cm、B86cm、W60cm、H87cm(1979年当時)。
三宅 弘(みやけ ひろし、1953年 - )は、日本の弁護士… 三宅 弘(みやけ ひろし、1953年 - )は、日本の弁護士。日本テレビ番組審議会委員長。自由人権協会代表理事、第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長、関東弁護士会連合会理事長等を歴任した。 福井県小浜市生まれ。1978年東京大学法学部卒業。1983年弁護士登録。1993年筑波大学大学院経営・政策科学研究科修士課程修了、修士(法学)。1999年情報公開クリアリングハウス理事、内閣府高度情報通信社会推進本部個人情報保護検討部会委員。2004年獨協大学法科大学院特任教授。2008年自由人権協会代表理事。2015年第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2018年関東弁護士会連合会理事長。
中嶌 哲演(なかじま てつえん、1942年(昭和17年) -… 中嶌 哲演(なかじま てつえん、1942年(昭和17年) - )は、日本の僧。平和運動家、反原発活動家。熊取六人衆支援者。 福井県小浜市生まれ。東京芸術大学中退。高野山大学仏教学科卒業。 高野山大学在学中、友人に半ば強引に平和講習に連れて行かれ、1963年に広島原爆の男性被爆者と出会ったのを機に、小浜で被爆者を訪ね歩いて、広島から呼んだ専門医の診察を受けてもらうなど、被爆者支援の活動を始める。また、日本宗教者平和協議会にかかわった。 1968年に帰郷。1994年の被爆者援護法制定まで26年間、被爆者支援を目的に毎月6日と9日に明通寺周辺3集落(約80戸)で托鉢を続けた 。 1968年に小浜市に原発4基の建設・誘致の計画が持ち上がり、1969年に地元漁協による「内外海原発設置反対推進協議会」の活動が始まる中で、1971年暮れに同協議会の後継組織「原発設置反対小浜市民の会」を結成、事務局長を務める。
村田 修(むらた おさむ、1940年 – 2025年9月9日… 村田 修(むらた おさむ、1940年 – 2025年9月9日)は、日本の水産学者。近畿大学名誉教授。近畿大学水産研究所顧問。近大マグロ考案者。 福井県小浜市出身。福井県立小浜水産高等学校(現:福井県立若狭高等学校海洋科学科)を経て、近畿大学農学部水産学科卒業後、近畿大学水産研究所教授や水産養殖種苗センター長、水産研究所所長などを歴任。水面を網で区切って行う養殖方法、小割式網イケス養殖技術の開発やブリからの採卵など、海水魚養殖研究の黎明期に中心的な役割を果たした。その後、世界初のヒラメ種苗生産や、クロマグロやクエなどの新養殖魚種の開発などに精力的に取り組み、成果をあげた。 2025年9月9日、和歌山県田辺市内の病院で肺炎により死去。
笠原 靖(かさはら やすし、1938年 - )は、日本の絵本… 笠原 靖(かさはら やすし、1938年 - )は、日本の絵本作家、イラストレーター、小説家。男性。福井県ふるさと大使。 福井県小浜市出身。明治大学法学部卒業。福井放送アナウンサー、学習研究社を経て、イラストレーターとして独立。空手(日本空手協会所属 5段)。 1990年『夏の終り』で、第7回織田作之助賞受賞。雑誌に作品を多数発表。「中学生の時には犬の言語ノートを作っていましたね。」という程の動物好きで、犬を題材とした作品を多く執筆していた。元警視庁捜査第一課長とその愛犬・フーバーの名コンビが、様々な事件を解決していく動物推理小説『名犬フーバーの事件簿』は、2008年水曜ミステリー9にて、里見浩太朗主演でテレビドラマ化された。
寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 201… 寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 2019年9月12日)は、日本の環境衛生工学者。大阪産業大学教授。京都大学名誉教授。 福井県小浜市出身。1960年京都大学工学部土木工学科卒業。 1976年工学部教授に就任。専門分野は環境衛生工学。2001年、定年により退職。 2017年、瑞宝中綬章を受章。
井手 正敬(いで まさたか、1935年(昭和10年)4月3日… 井手 正敬(いで まさたか、1935年(昭和10年)4月3日 - )は、日本の実業家。西日本旅客鉄道(JR西日本)社長・会長を歴任。 内閣法制局第一部長や文部次官を務めた井手成三は父。兵庫県芦屋市在住[要出典]。 福井県小浜市生まれ。学習院初等科、学習院中等科を経て、1954年に東京都立戸山高等学校卒業。東京大学経済学部卒業後、日本国有鉄道(国鉄)入社。葛西敬之、松田昌士とともに「国鉄改革3人組」と称され、国鉄の分割民営化に尽力した。 1992年(平成4年)にJR西日本社長就任。ワンマン経営者として知られ、社長・会長を11年務め、JR西日本は「井手商会(商店)」と呼ばれるほどであった。また、そのワンマン振りから社内では「(井手)天皇」というあだ名でも恐れられていた。
吹田 尚一(すいた しょういち、1933年 - )は、日本… 吹田 尚一(すいた しょういち、1933年 - )は、日本の経済学者。 福井県小浜市生まれ。福井からは関西で就職するものが多い土地であったが、吹田は東京から疎開してきた同級生に影響され、それが後の進路に影響することになった。中学一年のときに終戦、若狭高卒業後、1955年に早稲田大学第一政治経済学部経済学科を卒業し、同年三菱経済研究所に入所。
浜本 雄幸(はまもと ゆうこう、1928年 - 2022年4… 浜本 雄幸(はまもと ゆうこう、1928年 - 2022年4月28日)は、日本の漁師。北朝鮮による拉致被害者である浜本富貴恵の兄。 福井県小浜市生まれ。妹の富貴恵が1978年、当時婚約中だった夫の地村保志とともに北朝鮮工作員の辛光洙により小浜海浜公園で拉致されたアベック失踪事件以降、地村保と2人を捜し続けた。 1997年、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」翌98年には「救う会福井」が発足。外務省や警察庁にも足を運び、被害者全員の救出を訴え続けた。 2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認め、同年10月に地村夫妻を含む拉致被害者5人が帰国を果たすことに尽力した。以降、拉致被害者全員の救出活動を願い、日本政府に事件究明を要望していた。
地村 保(ちむら たもつ、1927年 - 2020年7月10… 地村 保(ちむら たもつ、1927年 - 2020年7月10日)は、日本の大工。北朝鮮による拉致被害者である地村保志の父。 福井県大飯郡加斗村(現・小浜市)生まれ。大飯郡加斗村立加斗尋常小学校を経て、1939年、大飯郡本郷村立本郷尋常高等小学校卒業と同時に、京都で大工修業に入る。農繁期には小浜に戻り、農業に従事。戦時中は敦賀で農業要員として働く一方、東洋紡績に籍を置きながら、軍需品の生産に励む。戦後は特定の会社に属することなく、大工として身を立てる。1986年、「地村建築」を設立。1997年、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」結成を機に、会社を閉鎖。 2020年7月10日、誤嚥性肺炎により杉田玄白記念公立小浜病院で死去。
田辺昇一(たなべ しょういち、1922年3月15日 - 20… 田辺昇一(たなべ しょういち、1922年3月15日 - 2015年12月22日)は、日本の経営コンサルタント。タナベ経営(現:タナベコンサルティンググループ)の創業者・名誉会長。 福井県小浜市出身。1945年東北帝国大学工学部航空力学科卒。成瀬政男に師事。岡田金属工業勤務、京都能率協会理事を経て、田辺経営相談所を設立、のちタナベ経営とし、社長。経営コンサルタント。
熊田 誠(くまだ まこと、1920年1月17日 - 2007… 熊田 誠(くまだ まこと、1920年1月17日 - 2007年6月28日)は、日本の化学者。専門は、有機ケイ素化学・有機金属化学・有機合成化学など。京都大学名誉教授。1993年勲三等旭日中綬章受章。1994年恩賜賞・日本学士院賞受賞。2007年正四位。福井県小浜市出身。 有機金属化学、特に有機ケイ素化学、遷移金属触媒反応の分野において先駆的な研究をしこの分野の発展に指導的役割を果たした。また多くの門下生を輩出した。 専門は有機ケイ素化学、有機合成化学、有機金属化学を中心とする有機化学。 特に有機ケイ素化合物その他有機金属を用いる有機合成、構造有機化学で先駆的研究成果を多数。現在、シリコーン接着剤や化粧品などの原材料として幅広く使われる有機ケイ素化合物の新しい合成法や物性の研究開発を行った。
石田 佐久馬(いしだ さくま、1919年〈大正8年〉12月5… 石田 佐久馬(いしだ さくま、1919年〈大正8年〉12月5日 - 2006年〈平成18年〉)は、日本の国語教育者。 福井県小浜市出身。福井県師範学校本科・専攻科卒業後、福井県での小学校訓導を経て、お茶の水女子大学附属小学校教諭、十文字学園女子短期大学教授。日本国語教師の会代表。 、『新しい学力観に立つ説明文の授業はいま』東洋館出版社、1993 国語授業を変える
梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 19… 梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 1986年12月25日)は、日本の医学者、細菌学者、文化勲章受章者。 福井県小浜市生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学医学部卒業。卒業後、当時の東京帝国大学医学部細菌学教室、東京帝国大学付属伝染病研究所に勤務。1947年国立予防衛生研究所設立とともに初代抗生物質部長に就任。1954年以降は、東京大学応用微生物研究所教授(兼務)となる。 ペニシリンの国産化に尽力し、1956年、国産初の抗生物質カナマイシンを発見、精製。カナマイシンは、ストレプトマイシンの効きにくい耐性菌にも効果のある抗生物質として世界的に用いられた。当時の厚生大臣橋本龍伍の計らいにより、このカナマイシンの特許料を基金として、1959年財団法人微生物化学研究会を設立、理事長に就任。
松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - … 松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - 1997年11月6日 )は、日本の厚生労働官僚。日経連専務理事。 福井県小浜市出身。東京帝国大学卒業。昭和13年厚生省入省。のち労働省、中央労働委員会事務局長など経て、36年退官。厚労省在職中は、児童福祉法を起草した。その後、富士製鉄(現・新日本製鉄)に入社。40年子会社の東海製鉄常務。45年桜田武に雇われて、日経連専務理事に就任。第1次石油危機の際に賃上げガイドラインをまとめるなど、労使交渉の調整にあたった。84歳没。
中道 益平 (なかみち ますへい、1907年5月29日 - … 中道 益平 (なかみち ますへい、1907年5月29日 - 1978年5月18日)は、日本の障害者福祉活動家。光道園創設者。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
山本 和夫(やまもと かずお、1907年〈明治40年〉4月2… 山本 和夫(やまもと かずお、1907年〈明治40年〉4月25日 - 1996年〈平成8年〉5月25日)は、日本の児童文学作家、詩人。妻は、児童文学作家で翻訳家の山本藤枝。ロシア児童文学の翻訳・研究家の松谷さやかはその子にあたる。 福井県遠敷郡松永村門前(現小浜市)で、山本文雄の長男として生まれる。旧制小浜中学校卒業。中学時代より詩作を始め、1926年(大正15年)東洋大学専門学部倫理学東洋文学科に入学、1929年(昭和4年)に卒業した。在学中に乾直恵、白井一二らと『白山詩人』同人となり赤松月船、勝承夫、大村主計と詩を発表し、処女詩集『仙人と人間との間』を創刊し活躍した。 1932年(昭和7年)三省堂編集部に勤めながら文学活動を続け、1935年(昭和10年)には同人誌『星座』に参加、同誌に連載した『国木田独歩ノート』で全国同人誌クラブ賞受賞。
村田 禎介(むらた ていすけ、1905年3月31日 – 19… 村田 禎介(むらた ていすけ、1905年3月31日 – 1969年12月22日)は、日本の実業家。村田機械創業者。旧姓:岩城。 明治38年(1905年)小浜市湯岡、岩城喜左衛門の3男として出生。大正8年 – 今富尋常高等小学校高等科卒業、嶋長商店入店。 大正9年 – 京都市 村田直商店入店。昭和8年 – 村田家入籍、同社専務。昭和10年 – 西陣ジャカード機製作所設立。 昭和14年 – 東亜機械製造株式会社設立。昭和20年 – 村田繊維機械株式会社、村田産業株式会社設立。 昭和37年 – 村田機械株式会社設立、京都商工会議所副会頭、会頭代行。 昭和42年 – 藍綬褒章受章、機械振興協会賞受賞。昭和44年(1969)- 12月22日死去、勲三等瑞宝章受章、京都南禅寺に葬る。
田村 平治(たむら へいじ、1905年3月3日 - 1996… 田村 平治(たむら へいじ、1905年3月3日 - 1996年2月18日)は、日本の料理人。日本料理研究会名誉師範。 福井県小浜市出身。生家は魚問屋で、14歳で京都の料亭に入門した。複数の店舗で経験を積んだのち、1932年に東京・築地の藍亭で料理長となる。1946年、築地に懐石料理店「つきぢ田村」を開店した。 料理番組や女子栄養大学の講師も務めた。 子は「つきぢ田村」二代目の田村暉昭、孫は同三代目の田村隆。
須田 孝太郎 (すだ こうたろう、1888年1月16日 – … 須田 孝太郎 (すだ こうたろう、1888年1月16日 – 1936年6月28日 )は、日本の実業家。 小林多喜二の小説でもある「蟹工船」の創業者。露領水産組合評議員、雲城会幹事、小浜港湾修築期成同盟会評議員。 明治21年(1888年)1月16日、小浜市太興寺に生まれる。小浜市立松永小学校をへて明治36年 – 旧制小浜中学校中退。旧制成城中学校卒業。 大正5年 – カムチャッカで紅サケ缶詰工場経営。昭和2年 – 大同漁業を設立、専務取締役、社長を歴任。 昭和7年 – 日魯漁業と合同、重役となる。昭和10年 – 日露漁業協会理事長。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
古河 力作(ふるかわ りきさく、1884年6月14日 - 1… 古河 力作(ふるかわ りきさく、1884年6月14日 - 1911年1月24日)は、明治時代の無政府主義者。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人。冤罪として名誉回復の運動がある。
上田 三平 (うえだ さんぺい、1881年3月15日 - 1… 上田 三平 (うえだ さんぺい、1881年3月15日 - 1950年12月19日 )は、日本の考古学者。 次男、上田明(愛媛、千葉、埼玉県警察本部長等を経て、中国管区警察局長)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山川登美子(やまかわ とみこ、1879年(明治12年)7月1… 山川登美子(やまかわ とみこ、1879年(明治12年)7月19日 - 1909年(明治42年)4月15日)は、滋賀県遠敷郡竹原村(現福井県小浜市)出身の歌人。本名・とみ。弟は小説家の山川亮。 1879年(明治12年)7月19日、滋賀県遠敷郡竹原村(現福井県小浜市)に山川貞蔵、ゑいの4女として生まれる。生家は小浜藩の上級藩士の旧家筋であった。1895年(明治28年)、大阪のミッションスクール梅花女学校に入学、1897年(明治30年)同校を卒業。同年12月、『新声』に短歌を初めて投稿し入選する。 1900年(明治33年)4月、母校の研究生となり英語を専修。同年6月、与謝野鉄幹が創った東京新詩社『明星』の社友となり、8月には鉄幹と与謝野晶子(旧姓・鳳)に出会う。
西田 当百 (にしだ とうひゃく、1871年4月10日(明治… 西田 当百 (にしだ とうひゃく、1871年4月10日(明治4年2月21日) - 1944年6月30日)は、日本の俳人、川柳作家。本名、嘉吉。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
平井 政遒(ひらい まさかつ / まさる、1865年5月31… 平井 政遒(ひらい まさかつ / まさる、1865年5月31日(慶応元年5月7日) - 1950年(昭和25年)9月25日)は、明治期から昭和期にかけての内科医。日本陸軍軍医、最終階級は陸軍軍医総監(中将相当)。日本赤十字社病院院長、宮内省御用掛。若狭国小浜藩出身。 1865年5月31日((旧暦)慶応元年5月7日)、小浜藩典医平井三琢の長男として福井の雲浜村に誕生する。1876年に東京外国語学校入学。1889年(明治22年)度東京帝国大学医科大学を首席で卒業、同期には山極勝三郎・田代義徳・入沢達吉等がいる。卒業後陸軍軍医となり、日清戦争に従軍した後、1896年(明治29年)12月『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』編纂委員、陸軍薬局方(第二版)編纂委員、陸軍衛生会議委員等を歴任した。
横井 藤四郎(よこい とうしろう、1864年3月12日(元治… 横井 藤四郎(よこい とうしろう、1864年3月12日(元治元年2月5日)- 1933年(昭和8年)6月11日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・清水。 若狭国遠敷郡国分村(福井県遠敷郡遠敷村を経て現小浜市国分)で、清水幸助の二男として生まれる。1892年(明治25年)9月、遠敷郡三宅村(上中町を経て現三方上中郡若狭町)の仮屋、横井惣右衛門の婿養子となる。漢学、数学、英学などを学び、日清戦争、日露戦争に従軍した。 共立物産 (株) 支配人となり、同社取締役、沖台拓殖製糖取締役、中立砂糖 (株) 監査役、ユニオン硝子専務取締役、江若鉄道取締役などを務めた。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で福井県郡部から無所属で立候補したが落選。
小畑 岩次郎(おばた いわじろう、1858年3月22日(安政… 小畑 岩次郎(おばた いわじろう、1858年3月22日(安政5年2月8日) - 1936年(昭和11年)2月14日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員、福井県遠敷郡松永村長。 若狭国遠敷郡平野村(福井県遠敷郡平野村、松永村を経て現小浜市平野)で、小畑多四郎の長男として生まれた。1894年(明治27年)家督を相続した。漢学、算術を修めた。 1876年(明治9年)敦賀県属となり地租改正を担当し、滋賀県でも担って1881年(明治14年)に退官。若狭国敦賀郡人民総代となり復県の誓願を行う。福井県属となり勧業事務を担当し、養蚕、製糸、羽二重製造を奨励した。1890年(明治23年)農商務省に転じて大日本蚕糸会の設立に尽力し、同会幹事を務め、1894年(明治27年)に退官した。
山口 定省(やまくち さだみ、やまぐち ていせい、1858年… 山口 定省(やまくち さだみ、やまぐち ていせい、1858年3月18日(安政5年2月4日) - 1926年(大正15年)1月20日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 若狭国遠敷郡和久里村(のち福井県遠敷郡今富村、現・小浜市)に小浜藩士山口甚太夫の子に生まれる。農業を営み、学務委員、和久里村戸長、今富村長、福井県会議員、同参事会員、遠敷郡会議員、同参事会員、福井農工銀行取締役、若越新聞社長となる。また、朝鮮で貿易業に従事する。 1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において福井4区から憲政党公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1926年に死去した。
山口 嘉七(やまぐち かしち、1857年9月13日(安政4年… 山口 嘉七(やまぐち かしち、1857年9月13日(安政4年7月25日)- 1932年(昭和7年)12月17日)は、明治から昭和初期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 若狭国遠敷郡小浜酒井町(福井県遠敷郡小浜町を経て現小浜市酒井)で、小浜藩士・山口甚太夫の三男として生れる。 1886年(明治19年)代言人試験に合格し、1893年(明治26年)弁護士登録を行い、大津、京都で開業。その後、帰郷して1895年(明治28年)4月、小浜町会議員となる。遠敷郡会議員、同参事会員にも在任。1897年(明治30年)8月、福井県会議員に初当選し、1908年(明治41年)3月まで通算5期、10年6ヵ月在任した。
和田 維四郎(わだ つなしろう、安政3年3月17日(1856… 和田 維四郎(わだ つなしろう、安政3年3月17日(1856年4月21日) - 大正9年(1920年)12月20日)は、日本の鉱物学者、書誌学者、貴族院議員。号は雲村。 若狭国(現在の福井県)で小浜藩士和田耘甫の三男として生まれる。幼名は猪三太、または三吉。 明治3年(1870年)旧暦10月に小浜藩の貢進生として満14歳で上京し、大学南校に入学。明治5年(1872年)に大学南校が廃止されると和田は第一大学区第一番中学に入学し、ドイツ語コースを選択する。明治6年(1873年)に第一大学区第一番中学は開成学校と改称し、ドイツ語コースは鉱山学科となり、和田はカール・アウグスト・シェンクに鉱物学を学ぶ。
谷沢 竜蔵(たにざわ りゅうぞう、嘉永5年6月10日(185… 谷沢 竜蔵(たにざわ りゅうぞう、嘉永5年6月10日(1852年7月26日) - 大正7年(1918年)4月1日)は、衆議院議員(立憲革新党→山下倶楽部→帝国党→大同倶楽部)、弁護士。 若狭国遠敷郡西津村(現在の福井県小浜市)に小浜藩士渡辺瀬平の二男として生まれ、谷沢氏の養子となった。小浜藩校で学んでいたが、1868年(明治元年)に貢進生に選ばれ、東京に遊学して法学・経済学を学んだ。1871年(明治4年)、廃藩置県により小浜藩が廃止され、敦賀県が設置されると郷里に帰った。1876年(明治9年)に代言人規則が制定されると、免許を受けて事務所を開いた。同年、敦賀県が廃止され滋賀県に編入されると大津に事務所を移し、1880年(明治13年)より大津代言人組合会長を務めた。
時岡 又左衛門(ときおか またざえもん、1848年(嘉永元年… 時岡 又左衛門(ときおか またざえもん、1848年(嘉永元年8月) - 1904年(明治37年)9月23日)は、明治時代の政治家、医師。衆議院議員(4期)。旧姓・樽木、幼名・嘉市。 若狭国遠敷郡大谷村(福井県遠敷郡宮川村を経て現小浜市)で樽木四郎左衛門の二男として生まれた。1876年(明治9年)福井県大飯郡、のちの本郷村(大飯郡大飯町を経て、現おおい町)の先代・時岡又左衛門の養子となり、又左衛門を襲名した。医師を務める傍ら、1879年(明治12年)滋賀県会議員に当選。1881年(明治14年)福井県会議員に転じ、同議長を務めた。 1894年(明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙では福井県郡部から自由党所属で出馬し当選。