小嶋 菜温子(こじま なおこ、1952年7月7日 - )は、… 小嶋 菜温子(こじま なおこ、1952年7月7日 - )は、日本の日本文学者。専門は中古文学、主に『源氏物語』を中心に王朝文学・文化史を研究。学位は、博士(文学)。立教大学名誉教授。立正大学元教授。 兵庫県姫路市生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒、東京大学大学院博士後期課程修了。韓国・啓明大学校人文学部専任講師、恵泉女学園大学人文学部教授、立教大学文学部教授を経て現職にいたる。中古文学会・代表委員(平成21・22年度)。 王朝物語の研究を軸に、日本文化史をひろく見わたし、古典と現代の架橋をはかる。幻の「源氏物語絵巻」(仮称)をニューヨークで発見したことをきっかけに、その紹介に努め、さらなる断簡探しとその全容解明を目指してのプロジェクトを推進している。
木村 昇(きむら のぼる、1952年5月14日 - 2024… 木村 昇(きむら のぼる、1952年5月14日 - 2024年10月18日)は、日本の男性シンガーソングライター、作曲家。兵庫県姫路市出身、宮城県仙台市在住。通名:木村 泰章(きむら やすひろ)、本名:李 昇辰(り しょうしん) / イ スンジン 朝鮮語: 이 승진。 1969年に17歳で上京して「上野信一と東京ラティーノス」のオーディションに合格し、アルトサックスとしてバンドに参加。1979年、石川恵樹・発地伸男らと共にロックバンド「TALIZMAN」を結成し、リーダー兼メインボーカルとして海援隊らのバックバンドなどを務める。 前後してTBSブリタニカの英語教材用の楽曲をタケカワユキヒデのプロデュースで歌唱したのをきっかけに歌手としても活動した。
樋口 強(ひぐち つよし、1952年 - )は、日本の作家。… 樋口 強(ひぐち つよし、1952年 - )は、日本の作家。全日本社会人落語協会副会長。アマチュア落語家でもあり、高座名は一合庵 小風(いちごうあん こかぜ)(羽太楽家はじ鶴改め)。いのちの落語独演会主宰。 悪性の癌を乗り越えた体験をもとに執筆活動を行なうとともに、趣味であった落語を本業として全国でいのちの落語講演を行なっている。「笑いは最高の抗がん剤」「生きてるだけで金メダル」等をテーマに、癌患者たちに「いのちの落語独演会」(旧・いのちに感謝の独演会)を年に一度開催している。 兵庫県姫路市出身。落語好きの父の影響で、幼い頃から落語を聞いて育つ。新潟大学法学部在学中には落語研究会で活動。東レに就職後、1979年に第6回全日本社会人落語選手権大会に出場し、以来、大会常連出場者となる。
萩原 芳樹(はぎわら よしき、1952年 - )は、放送作家… 萩原 芳樹(はぎわら よしき、1952年 - )は、放送作家、漫才作家。萩原芳樹事務所を自ら主宰。日本放送作家協会会員。芦屋市在住。 兵庫県姫路市生まれ。幼い頃から演芸が好きで中学生の頃には吉本新喜劇の井上竜夫と文通をしていた。兵庫県立姫路東高等学校在学中に、親の反対を押し切り横山やすしに師事し、漫才台本の添削の指導を受ける(但し正式に師弟関係は結んでいない)。 大阪芸術大学在籍中に、桂三枝(現・六代桂文枝)が命名した「ダッシュとんぺー」の芸名でMBSラジオ『MBSヤングタウン』やMBSテレビ『ヤングおー!おー!』の前説を担当。1年程で辞め、島田洋七と漫才コンビ「B&B」を結成したが、まもなく失踪という形で脱退する(当時の芸名は団順一でボケを担当。
所 憲佐(ところ けんすけ、1951年7月11日 - )は、… 所 憲佐(ところ けんすけ、1951年7月11日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 市川高等学校では、高校の通算打率.350、通算本塁打3本、盗塁刺殺率9割という強肩の持ち主だった。 1969年のドラフト会議で読売ジャイアンツに13位で指名され入団したが、一軍公式戦には出場できず。1980年に引退。 引退後、ブルペン捕手、一軍サブマネージャーを務め、長嶋茂雄・藤田元司・王貞治の各監督をサポートした。 現在は終身名誉監督付球団職員として、長嶋終身名誉監督のマネージャー役を務めている。
杉本 和行(すぎもと かずゆき、1950年(昭和25年)9月… 杉本 和行(すぎもと かずゆき、1950年(昭和25年)9月13日 - )は、日本の財務官僚、弁護士。内閣総理大臣事務担当秘書官、財務省大臣官房総括審議官、大臣官房長、主計局長、財務事務次官、みずほ総合研究所理事長を経て、2013年3月から2020年9月まで公正取引委員会委員長を務めた。 兵庫県姫路市出身。東大紛争が激しさを増し、入試が取り止めになったため、京都大学に入学する。しかし、入学式の時からバリケードができており、1年間授業が開講されなかったため、再受験し、東京大学文科一類に入学し直す。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大在学中に司法試験と国家公務員上級甲種試験に合格。進路で多少の迷いがあったものの、「官界、とりわけ大蔵省(当時)は国内関係から国際関係まで幅広い分野の仕事ができる」と感じ、1974年4月 大蔵省(現・財務省)に入省する。
長谷川 勝士(はせがわ かつし、1950年9月10日 - )… 長谷川 勝士(はせがわ かつし、1950年9月10日 - )は、日本の放送作家、テレビプロデューサー、作詞家。日本脚本家連盟会員、日本放送作家協会会員。 兵庫県姫路市出身。姫路市立姫路高等学校、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)芸術学部卒業。 大学時代、放送作家の大倉徹也に師事。22歳の頃『談志・円鏡の歌謡合戦』(ニッポン放送)でデビュー。 20代の頃はラジオ番組をメインに活動した。『GO!GO!キャンディーズ』(文化放送)を担当していた縁で、当時キャンディーズのマネージャーだった大里洋吉(現・アミューズ代表取締役会長)と出会い、キャンディーズのステージ構成を担当し、ステージ演出を学ぶ。 30代以降はテレビ番組の企画やプロデュースも手がけるようになった。
大角 修(おおかど おさむ、1949年 - )は、日本の仏教… 大角 修(おおかど おさむ、1949年 - )は、日本の仏教評論家。 兵庫県姫路市生まれ。筆名・菊池武夫。1968年白陵高等学校卒、1973年東北大学文学部宗教学科卒業。佼成出版社勤務をへて、有限会社「地人館」代表。仏教関連を中心に編集・執筆活動を展開している。
大西泰世(おおにし やすよ、1949年 - )は、日本の作家… 大西泰世(おおにし やすよ、1949年 - )は、日本の作家、川柳作家。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路工業高等学校デザイン科卒業。26歳より川柳を始める。1983年、第1句集『椿事』を発表する。1985年、姫路市でスナックを開業(のちに赤穂市に移転)。そのかたわらカルチャースクールや関西学院大学、兵庫県立大学などで講師を務める。 大西の川柳は詩的要素が強く、俳句でいう季語に相当する語を取り入れることも多い。『現代の俳句』(平井照敏編)や『現代俳句ニューウェイブ』など、俳人と同列の扱いで収められているアンソロジーもあり、現代俳句協会の現代俳句データベースにも収録されているなど、俳句と川柳のボーダーラインに立つ作家とみなされている。
黑田 義久(くろだ よしひさ、1948年〈昭和23年〉7月1… 黑田 義久(くろだ よしひさ、1948年〈昭和23年〉7月1日 - )は日本の外交官。EU公使等を経て、ウズベキスタン及びタジキスタン駐箚特命全権大使。 兵庫県姫路市出身。姫路市立砥堀小学校等を経て、1973年に京都大学法学部を卒業し外務省入省。1974年7月から1977年6月までロシア語研修。 ウラジオストク総領事、ユジノサハリンスク総領事、欧州連合政府代表部公使、レバノン駐箚特命全権大使を経て、2009年から独立行政法人航海訓練所監事。2010年からウズベキスタン駐箚特命全権大使。タジキスタン兼箚。 家族は妻と娘が1人いる。
位田 隆一(いだ りゅういち、1948年 <昭和23年> 2… 位田 隆一(いだ りゅういち、1948年 <昭和23年> 2月16日 - )は、日本の法学者。学位は、 D.E.A(droit international)。元滋賀大学学長。京都大学名誉教授、滋賀大学名誉教授。専門は、国際法・国際生命倫理法。兵庫県姫路市出身。2024年、瑞宝重光章受章。 監事を務めている滋賀大学の学長選において、学長選考会議の推薦により出馬。学内の意向投票で大差で最下位となるも学長選考会議の結果、学長に選出された。 指導教官は田畑茂二郎。
佐伯 とも子(さいき ともこ、1948年2月6日 -)は、日… 佐伯 とも子(さいき ともこ、1948年2月6日 -)は、日本の知的財産実務研究者。東京工業大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。医薬分野での長期間の特許審査経験、特許事務所、企業での知的財産マネジメント経験を有し、ライフサイエンス分野での知的財産実務についての情報発信を行っている。日本知財学会、研究・技術計画学会、日本MOT学会、情報知識学会、日本工学アカデミー会員。
黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )… 黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )は、兵庫県印南郡大塩町(現・姫路市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、野球解説者・評論家。 生家は黒田官兵衛の子孫と伝わる。黒田が生まれた頃、生家は薬局を経営しており、薬剤師をしていた母から整腸剤を毎日飲むように言われていたことが強い体の基礎となったと回想している。 中学生の時に本格的に野球を始め、姫路南高校では1年次の1963年からベンチ入り。その時の3年生主砲が切通猛で、凄い筋肉で打球をポンポン飛ばしていた。黒田は一流になるにはあのぐらいの筋力がないといけないのかと思い、足腰を徹底的に鍛えた。切通からは「何でもええから走っとけ」と言われ、野球人生で最初に影響を受けた人になった。
甲斐 仁志(かい ひとし、1946年2月 - )は狭山事件研… 甲斐 仁志(かい ひとし、1946年2月 - )は狭山事件研究者。本名、雛元 昌弘。日向 勤(ひな つとむ)名義による著作もある。株式会社都市構造研究所代表取締役。 岡山生まれ、兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て京都大学工学部建築学科卒業後、京都大学工学部大学院離籍。 もともと部落問題には無関心だったが、1970年頃、ある雑誌の創刊に関与し、部落解放同盟中央本部中央執行委員長(当時)の朝田善之助の元へ創刊誌を持参した折、当時控訴審の段階にあった狭山裁判のことを朝田から聞かされ、狭山事件と出会う。1971年、大阪浪速地区総合計画に参加。1973年、解放新聞社に入り、狭山弁護団事務局に参加。
黒田 武彦(くろだ たけひこ、1946年 - )は、日本の天… 黒田 武彦(くろだ たけひこ、1946年 - )は、日本の天文学者。専門は天体物理学。元兵庫県立西はりま天文台長・天文台公園長。 姫路市生まれ。香川大学教育学部卒、東北大学理学部天文科研究生課程修了。自動車販売会社を経て1972年、大阪市立電気科学館天文研究室。後に大阪市立科学館設立準備室に配属。 1989年、兵庫県立西はりま天文台長。2002年より西はりま天文台公園長を兼任。「教育・普及のためだからこそ、本物を見せたい」との持論を掲げ、世界最大の公開望遠鏡「なゆた」設置に尽力。初代公園長を務めた森本雅樹とともに強力な個性とリーダーシップで天文台・天文台公園の運営を行った。2012年退職。
河 信基(ハ・シンギ、하신기、1946年 - )は、作家、ジ… 河 信基(ハ・シンギ、하신기、1946年 - )は、作家、ジャーナリスト、評論家。兵庫県姫路市生まれ。 1971年、中央大学法学部卒業。朝鮮総連系新聞の朝鮮新報社記者、朝鮮大学校講座長(学科主任教授)を経て作家活動に入る。朴正煕を「開発独裁」と評価し、鄧小平の改革開放政策のモデルとなったと俯瞰し、北朝鮮経済再建の方向性を与えていると主張する。特にウクライナ戦争による地政学的な変化の中、金正恩の北朝鮮はロシア、中国との旧同盟関係復活で安保状況を安定させ、経済再建の環境を整え、戦後日本経済復興の契機となった旧朝鮮戦争特需のようなウクライナ戦争特需で高度経済成長軌道に乗るだろうと分析している。また、アジアからの米軍撤退が不可避の新情勢の下、過度の米軍依存の安保政策は中国、ロシアとの対立を激化させ、「日本有事」を招きかねないと警鐘を鳴らしている。
松田 武(まつだ たけし、1945年7月25日 - )は、日… 松田 武(まつだ たけし、1945年7月25日 - )は、日本の歴史学者。専門は、アメリカ外交史。大阪大学名誉教授 。 兵庫県姫路市生まれ。大阪外国語大学およびウィスコンシン大学マディソン校卒業。京都大学大学院文学研究科修士課程を経て、ウィスコンシン大学マディソン校で博士号取得。大阪外国語大学外国語学部教授、大阪大学大学院国際公共政策研究科教授(2007年10月~)を経て、京都外国語大学・京都外国語短期大学 学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
河野 勝彦(こうの かつひこ、1945年6月28日- )は、… 河野 勝彦(こうの かつひこ、1945年6月28日- )は、日本の哲学研究者、京都産業大学教授。デカルトなどフランス哲学が専門。 兵庫県姫路市生まれ。1969年京都大学文学部哲学科卒、75年同大学院博士課程満期退学、1976年京都産業大学教養部専任講師、80年助教授、81-82年パリ大学に学ぶ。87年教授、97年同外国語教育専門センター教授、2000年文化学部教授。2002-2010年副学長。2007-2010年京都産業大学附属中学校・高等学校長。
池内 了(いけうち さとる、1944年12月14日 - )は… 池内 了(いけうち さとる、1944年12月14日 - )は、日本の天文学者、宇宙物理学者。総合研究大学院大学名誉教授、名古屋大学名誉教授。理学博士(京都大学)(1975年)。兵庫県姫路市出身。 世界平和アピール七人委員会の委員でもある。「九条科学者の会」呼びかけ人も務めている。講談社科学出版賞選考委員。Japan Skeptics運営委員。 宇宙の進化、銀河の形成などを研究。また、科学と現代社会の関わりについて広く考察し、科学技術の無秩序な発展に警鐘を鳴らす。『疑似科学入門』(2008年)などの著書がある。
喜安 幸夫(きやす ゆきお、1944年6月15日 - )は、… 喜安 幸夫(きやす ゆきお、1944年6月15日 - )は、日本の作家。時代小説を多く執筆している。 中華民国生まれ。兵庫県姫路市出身。埼玉県新座市在住。国士舘大学政経学部卒。台湾大学政治研究所修了。1998年『台湾の歴史』で第7回日本文芸家クラブノンフィクション賞受賞、2001年『はだしの小源太』『身代わり忠義』等で第30回池内祥三文学奨励賞受賞。主な代表作:『台湾の歴史』、『大江戸番太郎』シリーズ(※木戸番人・杢之助を主人公とした時代小説の捕物シリーズで、廣済堂出版 → 光文社と出版社を跨いで継続している長期作品)。日本文芸家クラブ、日本歴史時代作家協会会員、一般財団法人新鷹会理事。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
切通 猛(きりとおし たけし、1944年4月21日 - 20… 切通 猛(きりとおし たけし、1944年4月21日 - 2015年6月15日)は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ。 姫路南高では明治大学時代に杉下茂とバッテリーを組んだ安藤邦夫監督の指導を受け、3年次の1963年に4番・左翼手として夏の甲子園兵庫大会決勝に進出するが、市西宮高に5-6で惜敗し甲子園出場を逸する。2年後輩の黒田正宏は、切通が凄い筋肉で打球をポンポン飛ばしていたのを見て、一流になるにはあのぐらいの筋力がないといけないのかと思い、足腰を徹底的に鍛えた。切通は黒田に「何でもええから走っとけ」とアドバイスし、黒田が野球人生で最初に影響を受けた人になった。 高校卒業後は1964年に芝浦工業大学へ進学し、田部輝男監督の指導を受ける。
五島 壮(ごとう たけし、1943年5月16日 - 2017… 五島 壮(ごとう たけし、1943年5月16日 - 2017年12月24日)は、日本の政治家。兵庫県議会議員(7期)を勤めた。議員としての呼称は「五島たけし」。 兵庫県姫路市出身。姫路市大津区にある五島診療所の長男として生まれる。淳心学院中学校・高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。 1983年、兵庫県議会選挙に自由民主党公認で姫路市選挙区から立候補し初当選。以後3期連続当選し、自民党県議団政務調査会長などを歴任した。 1993年、自民党を離党し新生党結党に参加。兵庫県議会議員を辞職し、第40回衆議院議員総選挙に新生党公認で旧兵庫4区から立候補するも落選。1996年の第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で兵庫県第11区から立候補したが、自民党公認候補だった戸井田三郎が急逝したことに伴い補充立候補した息子戸井田徹に、弔い選挙の形で惜敗し落選。
堀川 和洋(ほりかわ かずひろ、1942年(昭和17年)7月… 堀川 和洋(ほりかわ かずひろ、1942年(昭和17年)7月8日 - 2004年(平成16年)8月4日)は、日本の警察官僚、政治家。内閣総理大臣秘書官。中国管区警察局長。姫路市長。正四位旭日中綬章。松本市名誉市民。 姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て京都大学法学部卒業。1965年(昭和40年)警察庁に入庁し各地で勤務。 1995年(平成7年)の姫路市長選挙で当選し、以後2期務める。姫路市長在任中は、全国初の中核市への移行や、警察関係を歴任した経験から暴走行為やそれを煽る行動を取り締まる期待族防止条例を制定している。また、JR山陽本線の高架化、レンタサイクルやループバスの開業、キャスティ21計画など駅周辺の整備にも力を入れた。
中村 祐造(なかむら ゆうぞう、1942年4月24日 - 2… 中村 祐造(なかむら ゆうぞう、1942年4月24日 - 2010年7月20日)は、日本の元男子バレーボール選手、元バレーボール日本男子代表監督。現役時代は、渾身のドライブサーブと熱血プレーでチームを引っ張った。 1942年4月24日、兵庫県姫路市出身。 兵庫県立姫路工業大学附属高等学校(現・兵庫県立姫路工業高等学校)から八幡製鐵に入社。同社所属のバレーボール選手としてプレーした。 オリンピックには第18回東京大会、第20回ミュンヘン大会の2回出場。特にミュンヘン大会では日本代表主将としてチームを支え、準決勝のブルガリア戦に途中出場してセットカウント0-2と追い込まれた状況から逆転勝ちを呼び込む立役者のひとりとなるなど、日本の金メダル獲得に力を尽くした。
友久久雄(ともひさ ひさお、1942年2月21日- )は、日… 友久久雄(ともひさ ひさお、1942年2月21日- )は、日本の浄土真宗僧侶・医師。京都教育大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。神戸医科大学(現神戸大学医学部医学科)卒業。神戸大学大学院医学研究科博士課程(精神神経科)修了、1972年に「ゲスタルト認知と心的態度との関連」で医学博士。兵庫県立こども病院、重症心身障害児施設枚方療育園医長を経て、1974年に京都教育大学助教授、教授、2002年に名誉教授、龍谷大学教授、2013年に退職。 浄土真宗本願寺派(西本願寺)の日曜学校や仏教青年会に属す。京都大学医学部附属病院医師、本願寺派布教師。
肥塚 隆(こえづか たかし、1941年8月21日 - 202… 肥塚 隆(こえづか たかし、1941年8月21日 - 2022年9月)は、日本の仏教美術史学者。大阪大学名誉教授。アジアの仏教美術を研究した。 兵庫県姫路市生まれ。1964年京都大学文学部哲学科卒、1973年同大学院博士課程宗教学満期退学。1974年大阪大学文学部助手、1976年講師、1979年助教授、1989年教授。1999年文学部長・文学研究科長。2005年定年退官、名誉教授、大阪人間科学大学学長。
池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 20… 池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 2019年8月30日)は、日本のドイツ文学者、エッセイスト、翻訳家。 カフカを中心にドイツ文学の評論・翻訳が専門。旅行記や人物伝、大衆芸能と幅広く文筆活動を行う。著書に『ウィーンの世紀末』(1981年)、『海山のあいだ』(1994年)、『カント先生の散歩』(2016年)など。 兵庫県姫路市出身。姫路市立城北小学校卒業。兵庫県立姫路西高等学校卒業、東京外国語大学外国語学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸大学講師、旧:東京都立大学助教授、1986年東京大学文学部助教授を経て、1990年に教授。定年前の1996年に早期退官。
植村 孝(うえむら たかし、1940年11月25日 - )は… 植村 孝(うえむら たかし、1940年11月25日 - )は、日本の詩人。兵庫県姫路市生まれ。
高田 賢三(たかだ けんぞう、1939年(昭和14年)2月2… 高田 賢三(たかだ けんぞう、1939年(昭和14年)2月27日 - 2020年(令和2年)10月4日)は、日本のファッションデザイナー。ケンゾー創業者で、パリを拠点に活動した。会場を借りてショーを開催した初めてのデザイナーで、今日のパリコレの原型となった。 兵庫県姫路市出身。姫路市立野里小学校、姫路市立広嶺中学校、兵庫県立姫路西高等学校卒業後、神戸市外国語大学2部英米学科中退。1958年に文化服装学院に入学、男子学生としては2期生。師範科で1年間、服飾造形の基礎を学んだあと、デザイン科に進む。同級のデザイン科9期生には、コシノジュンコ、松田光弘、金子功ら、後のファッション界をリードする人材が揃っており「花の9期生」と呼ばれた。
井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日… 井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(3期)。 兵庫県姫路市出身。1957年兵庫県立飾磨工業高等学校卒業後、マッチ製造業の八家化学工業に入社。1965年にヤカ東京工場が設立されると工場長となり、1968年に取締役に就任すると松戸青年会議所の活動に加わる。1977年にヤカ常務に就任すると共に松戸青年会議所理事長。1979年には麻生太郎の後任として日本青年会議所会頭となり、オーナー経営者や二世の多いJCにあって初の高卒・サラリーマン重役出身の会頭として話題を呼んだ。 1983年にヤカ社長となるとともに第13回参議院議員通常選挙に自民党公認(名簿29位)で比例区から立候補、1986年の第14回参議院議員通常選挙でも立候補する(名簿24位)がどちらも落選に終わる。
岡田 義弘(おかだ よしひろ、1937年(昭和12年)10月… 岡田 義弘(おかだ よしひろ、1937年(昭和12年)10月16日 - 2023年(令和5年)7月10日)は、日本の政治家。元兵庫県三田市長(2期)。 兵庫県姫路市出身。中央大学工学部卒。三田市役所に入り、助役などを務める。1999年(平成11年)の市長選に立候補し、初当選。2003年(平成15年)の市長選に再選。2007年(平成19年)に退任した。2015年、旭日小綬章受章。 2023年(令和5年)7月10日、誤嚥性肺炎のため、兵庫県三田市の病院で死去した。85歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
今川 瑛一(いまがわ えいいち、1937年(昭和12年)6月… 今川 瑛一(いまがわ えいいち、1937年(昭和12年)6月16日 - 2009年(平成21年)1月8日)は日本の経済学者、政治学者。創価大学名誉教授。 1937年(昭和12年)6月16日、兵庫県姫路市に生まれる。1955年(昭和35年)に法政大学法学部を卒業し、アジア経済研究所に入る。1965年(昭和45年)からタイ・バンコクに派遣され(-1966年(昭和46年))、1973年(昭和48年)からブルッキングス研究所に派遣される(-1975年(昭和50年))。 1984年(昭和59年)に動向分析部長、1985年(昭和60年)に調査企画室長、1988年(昭和63年)に総務部長を務める。1989年(平成元年)に創価大学経済学部教授に就任し、1993年(平成5年)、同大アジア研究所長を務める。
二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月… 二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2022年〈令和4年〉8月10日)は、日本の実業家。従四位旭日重光章。 元ジャスコ社長、副会長、イオン名誉相談役、日本体操協会名誉会長、元日本チェーンストア協会会長。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業と同時に、父親である二木一一創業のフタギ株式会社に入社。常務取締役等を歴任後、1970年ジャスコと合併した後、取締役、取締役社長に就任。 その後、取締役副会長、相談役を歴任し、社名がイオンに変更された2001年には、日本体操協会会長に就任。 1995年(平成7年)5月15日 春の褒章で藍綬褒章を受章。
尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )… 尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の実業家。グローリー名誉会長。姫路商工会議所顧問。父はグローリー工業社長の尾上壽作。祖父は国栄機械製作所(現グローリー)創業者の尾上作兵衛。 兵庫県姫路市出身。物心ついたのは4、5歳ころの1940年前後で、当時尾上家の家業である会社は国鉄姫路駅の南西にあり、自宅はその隣だった。家は割合裕福だった。父の壽作は乗馬が好きで、馬を飼っていた。父が家庭では「うるさいおやじ」だったため、親元を離れたくて地元の高校を卒業すると東京へ出た。中央大学理工学部へ進んだ。よく遊んだので成績は中ぐらいだった。 大学を卒業した1959年は就職難で、職が決まらなかった。
内藤 道雄(ないとう みちお、1934年 - )は、日本のド… 内藤 道雄(ないとう みちお、1934年 - )は、日本のドイツ文学者。京都大学名誉教授。 姫路市生まれ。京都大学大学院修士課程独文専攻修了。名古屋大学教養部講師、助教授、74年京大教養部助教授、教授、98年定年退官、名誉教授、京都外国語大学教授、2009年退職。
森本 公誠(もりもと こうせい、1934年 - )は、華厳宗… 森本 公誠(もりもと こうせい、1934年 - )は、華厳宗の僧侶・イスラム学者。文学博士。2004年から2007年まで第218世東大寺別当・華厳宗管長を務める。現在は東大寺長老。長年にわたり仏教者の立場から国内外でイスラム教との交流を重ねてきた。 1934年、兵庫県姫路市生まれ。1941年、父が京城(現・韓国ソウル)の師団司令部附となり家族で移住。京城府の龍山国民学校に入学。父の異動のため帰国し、小学1年の二学期から小学四年まで広島市で過ごす。通った中島国民学校(現:広島市立中島小学校)は今の平和記念公園の南側にあり、原爆の爆心地のすぐ近くだった。退役していた父が再び臨時招集を受け、原爆投下4ヶ月前の1945年3月に奈良に転居。
三和 一博(みわ かずひろ、1932年〈昭和7年〉2月1日 … 三和 一博(みわ かずひろ、1932年〈昭和7年〉2月1日 - 2003年〈平成15年〉)は、日本の法学者・弁護士だった人物。専門は民法。兵庫県姫路市出身。指導教授は中島弘道。弟子に遠藤研一郎がいる。 1954年中央大学法学部卒業。1956年同大学院法学研究科修士課程修了後、東洋大学法学部助手に就く。1957年同法学部専任講師。1964年同法学部助教授。1973年同法学部教授となる。1982年同大学院法学研究科教授。1989年中央大学法学部教授。1990年同大学院法学研究科教授。1994年中央大学法職講座運営委員会委員長(~2002年)。2002年中央大学定年退職。同名誉教授。2003年弁護士登録。
中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本… 中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本の元俳優。兵庫県姫路市出身。日本大学芸術学部卒業。 1950年に演劇で活動していたところを千葉泰樹や藤本眞澄に認められ、千葉の監督作品『山のかなたに』(藤本プロ・新東宝)でデビューする。 1954年に東宝と専属契約し、千葉の監督作品に常連として出演するほか、岡本喜八、谷口千吉、本多猪四郎、須川栄三らの各監督にも多く起用され、特撮、時代劇、戦争映画などジャンルを問わずに出演する。コミカルな演技でバイブレイヤーとして活躍し、東宝の映画に数多く出演するなか、テレビドラマにも出演し、活動の幅を広げていった。 1970年代に入り、東宝俳優専属システムの崩壊を経て数多くの専属俳優が引退する中、中山もそれに伴って引退し、映画界から姿を消した。
茂理 佳弘(もり よしひろ、1931年3月8日 - 2025… 茂理 佳弘(もり よしひろ、1931年3月8日 - 2025年12月28日)は、日本の経営者。西松屋チェーン社長、会長を務めた。 兵庫県姫路市出身。1953年に神戸商科大学を卒業し、1956年に西松屋を設立し、社長に就任。2000年5月に会長に就任し、2003年5月には名誉会長に就任。 2025年12月28日、老衰のため姫路市の病院で死去。94歳没。
塙 陽子(はなわ ようこ、1930年10月2日 - )は、日… 塙 陽子(はなわ ようこ、1930年10月2日 - )は、日本の法学者。元摂南大学教授。博士(法学)(九州大学、1996年)。専門は民法。兵庫県姫路市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日… 藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日 - 2006年〈平成18年〉10月20日)は、日本の俳優、声優。 兵庫県姫路市出身。身長165cm、体重71kg。兵庫県立姫路西高等学校卒業、関西学院大学文学部中退。 1930年、姫路市にて会社員の父・憲一の第一子として誕生。当時としては裕福な家庭に育ち、成績は優秀だった。 旧制姫路中学校(現:兵庫県立姫路西高等学校)から広島陸軍幼年学校に進学するが、終戦により姫路中に復学後、関西学院高等部に編入。慶応義塾大学への進学を志望していたが、不合格となり明治大学商学部に進学するも父親の意向で関西学院大学に移り、翌年に結核を患い中退。 1953年、関西学院大学文学部社会学科に再入学。
蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996… 蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996年1月1日)は、アメリカ文学者、批評家、太陽社社長。本名・三宅二郎。 兵庫県姫路市出身。東京外国語大学英米科卒業、東京大学英文科大学院修了、群馬大学勤務。1961年、磯田光一、小野二郎、近藤耕人、柘植光彦、中井多津夫らと第16次『新思潮』(晶文社)を創刊、1964年まで続いた。1971年、明治大学専任講師を辞任。 1967年、出版社・太陽社を興し、大学の語学テキストのほか、アメリカ文学や、ヒッピー文化に関する翻訳、自らの著作を刊行する。1979年、神保町で古書店「ワンダーランド」を開いた。 雑誌『新批評』に、英文科教授平井正穂から不当な扱いを受けたとして告発文を発表した。
大桐 國光(おおぎり くにみつ、1927年(昭和2年)11月… 大桐 國光(おおぎり くにみつ、1927年(昭和2年)11月25日- 2008年(平成20年)4月28日)は、日本の芸術家である。代表彫刻「夏」が参議院議長公舎へ飾られている。兵庫県姫路市出身。 1927年(昭和2年)兵庫県姫路市に生れる。幼い頃、一家で岡山県新見市へ移住する。その後、第二次世界大戦中に徴兵され従軍する。終戦後、岡山県立高梁高等学校へ編入する。ここで高校の美術教師の影響から芸術に目覚める。1951年(昭和26年)高梁高校を卒業後、約2年間働きながら進級するための学費を貯めた。 そして1953年(昭和28年)大桐に転機が訪れる。この年新たに岡山大学教育学部特設美術科が創設され、地元の大学である岡山大学特設美術科1期生として入学する。
太田 敏郎(おおた としろう、1927年5月20日 - 20… 太田 敏郎(おおた としろう、1927年5月20日 - 2020年1月15日)は、日本の実業家。ノーリツ創業者で、同社代表取締役社長や、神戸商工会議所副会頭などを務めた。 兵庫県姫路市出身。1945年海軍兵学校卒業。同期に平松一朗(元京浜急行電鉄社長)、小林公平(元阪急電鉄社長)、志村文一郎(元電気化学工業社長)等。 タイル職人植松清次の風呂を事業化するため、1950年に神戸市で能率風呂商会を設立したが連鎖倒産の憂き目に合う。 1951年能率風呂工業(現ノーリツ)設立、同社取締役就任。ガス給湯器の開発で成功し、プロパンガスの普及もあり家庭への浴室普及が促進されるという大きな社会的影響を与えた。 1964年に取締役会で代表取締役社長を解任される。
初代 京山幸枝若(きょうやま こうしわか、1926年(大正1… 初代 京山幸枝若(きょうやま こうしわか、1926年(大正15年)8月10日 - 1991年(平成3年)6月24日)は浪曲師。本名は小椋 喬。 岡山県出生。兵庫県姫路市出身。 父は浪曲師の加茂川燕楽で母は加茂川蘭子で妹には浪曲漫才のフラワーショウの華ゆりがいる。 そのため、幼い頃から厳しい修行を受け全国を巡業、学歴は小学校1年1学期だけである。本人曰く、漢字の読みは駅のホームの駅名標の文字の下に書かれた読みがなでおぼえたという。 5歳(6歳とも)で初舞台を踏む。 当初は2代目京山幸玉の門下で13歳の時に初代京山幸枝門下となり、幸太郎と名乗り、1941年には京山幸枝若と名乗った。 戦後は、山県隆の名で地方巡業をしている時に幸枝に知られ、再び幸枝若を名乗り、1953年に姫路に戻る。
3代目 桂 米朝(かつら べいちょう、1925年〈大正14年… 3代目 桂 米朝(かつら べいちょう、1925年〈大正14年〉11月6日 - 2015年〈平成27年〉3月19日)は、落語家。本名∶中川 清。出囃子∶『三下り鞨鼓』→『都囃子』。俳号は「八十八」。所属は米朝事務所。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興に大きく貢献した。その功績から、1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。位階は従三位。 旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身。1979年(昭和54年)に帝塚山学院大学の非常勤講師を務めた。
岩田 弘志(いわた ひろし、1925年4月29日 - 200… 岩田 弘志(いわた ひろし、1925年4月29日 - 2008年7月29日)は、日本の政治家。位階は正五位。勲等は勲三等。 北海道庁商工観光部部長、北海道室蘭市長(第19・20・21・22代)などを歴任した。 兵庫県姫路市出身。官立浜松工業専門学校(現・静岡大学工学部)を卒業する。北海道庁にて胆振支庁の支庁長や商工観光部の部長を経て、1979年に室蘭市長に当選した。 初当選以降、1995年まで4期16年を務め、白鳥大橋着工という実績を残している。当選当時、60億円を超える不良債務を抱えていた市政の財政赤字を解消するため、初めて外部に財政診断を依頼し、財政再建団体への転落を回避し自主再建の道を選択することで行財政改革を行った。
赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28… 赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日)は、日本の俳人。本名は赤尾俊郎。 兵庫県揖保郡網干町新在家(現:兵庫県姫路市網干区)で材木問屋を営む父・常治と母・とよの8人兄弟の二男として生まれた。網干尋常小学校、兵庫県立龍野中学校(現:兵庫県立龍野高等学校)を経て、1942年(昭和16年)旧制大阪外語専門学校中国語科へ入学する。この頃より俳誌『馬酔木』や『火星』に投句を始める。なお、同級生には蒙古語科の司馬遼太郎、一年上の印度語科に陳舜臣がいた。1944年(昭和19年)太平洋戦争激化のため、この年の9月に繰り上げ卒業し姫路に帰郷した。 1946年(昭和22年)京都大学文学部中国文学科入学、在学中の1948年(昭和23年)に水谷砕壺により俳誌『太陽系』の同人に推挙された。
尾上 久雄(おのえ ひさお、1923年3月20日 - 201… 尾上 久雄(おのえ ひさお、1923年3月20日 - 2014年10月23日)は日本の経済学者。兵庫県姫路市出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 … 和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 - 1983年(昭和58年)2月18日)は、兵庫県姫路市出身の脚本家。映画監督・市川崑の妻。本名は市川 由美子(いちかわ ゆみこ)、旧姓は茂木(もぎ)。