吉岡 賢(よしおか まさる、1957年12月5日 - )は、… 吉岡 賢(よしおか まさる、1957年12月5日 - )は、日本の実業家。広島県尾道市出身。血液型はA型。なお吉岡の「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である。また、「賢」は「けん」ではなく「まさる」と読む。 北海道大学工学部卒業後、日本ビクターに入社。グループ公募によりビクター音楽産業(現在のビクターエンタテインメント)に音楽ディレクターとして移籍する。 1983年、ビクター音楽産業がインタラクティブ事業へ参入、ゲーム部門の発足と同時に転属となる。『女子大生交際図巻』や『ディレクター物語』など、独自の体験に基づくパソコンゲームを手がける。また、日本ファルコムの『イースI』、『イースII』をファミリーコンピュータへ移植しヒットさせている。
安部 王子(あべ おうじ、1957年10月31日 - )は日… 安部 王子(あべ おうじ、1957年10月31日 - )は日本のベーシスト、音楽プロデューサー、編曲家である。 広島県尾道市出身、東京都立青山高等学校卒業。うじきつよしらの子供ばんどに参加、全国ツアーを前にスタジオワークに専念するため脱退。ボーイズ・クラブを経て、いまみちともたからのBARBEE BOYSに参加、メジャー・デビューを前にプロデュースワークに専念するため脱退。 以後、ベーシスト、音楽プロデューサー、編曲家として上田浩恵、大澤誉志幸、川村カオリ、Saeko、ZELDA、ZABADAK、PSY・S、THE 東南西北、プリンセス プリンセス、細川ふみえ、宮村優子などの作品を手がけ特にPSY・Sのライブバンド、Live PSY・Sとしての活動が注目を集めた。
岩本 美砂子(いわもと みさこ、1957年 - )は、日本の… 岩本 美砂子(いわもと みさこ、1957年 - )は、日本の教育者、政治学者、女性学者、フェミニスト。三重大学名誉教授。全国フェミニスト議員連盟顧問。 American political science academy、日本女性学会、日本行政学会、日本政治学会各会員。 1957年 広島県尾道市出身。 1980年 京都大学法学部卒。1982年 名古屋大学大学院博士課程前期修了(法学修士)。1985年 名古屋大学大学院博士課程単位取得退学。 1985年から1986年、名古屋大学助手。1986年から1987年、三重大学人文学部常勤講師(政治学原論を担当)。1987年から1996年、三重大学助教授・准教授を経て、1996年から三重大学人文学部法律経済学科教授。
田窪 一世(たくぼ いっせい、1955年7月22日 - )は… 田窪 一世(たくぼ いっせい、1955年7月22日 - )は、広島県因島市(現尾道市因島)出身の俳優。所属事務所は大沢事務所、グッドラックカンパニー、ヘリンボーンを経て現在はテロワール所属。身長166cm。 1955年、映画館の経営者の息子として生まれる。1974年に劇団新人会養成所に入所。1976年に演劇集団円演技研究所に入所。舞台を中心に活動。1988年からは、現在に至るまで劇団「座・キューピーマジック」を主宰する。 1994年頃からはテレビドラマ、映画にも活動の幅を広げ活動している。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
新田 玲子(にった れいこ、1954年 - )は、日本の英文… 新田 玲子(にった れいこ、1954年 - )は、日本の英文学者・作家。広島県尾道市生まれ。広島大学名誉教授。専門は、アメリカ文学・文化。博士(文学)。
若林 辰雄(わかばやし たつお、1952年9月29日 - )… 若林 辰雄(わかばやし たつお、1952年9月29日 - )は日本の実業家。勲等は旭日重光章。三菱UFJ信託銀行代表取締役会長。三菱UFJフィナンシャル・グループ取締役。 広島県尾道市出身。広島県立福山誠之館高等学校を経て、1977年一橋大学法学部卒業。大学では誕生日が同じ高校の後輩枝廣直幹(のちに財務官僚を経て第13代福山市長)を可愛がったという。2年間の大学受験浪人生活をしていたため、大学卒業後は、最初に内定が出た三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)に入社。1984年から1990年までニューヨーク勤務。1997年三菱信託銀行ロンドン支店次長、1999年三菱トラストインターナショナル(現:三菱UFJトラストインターナショナル)社長、2003年に帰国して三菱信託銀行営業第三部長。
木曽 功(きそ いさお、1952年〈昭和27年〉2月11日 … 木曽 功(きそ いさお、1952年〈昭和27年〉2月11日 - )は、日本の文部官僚。学位はMaster of Business Administration(イェール大学・1979年)。2016年(平成28年)4月に千葉科学大学学長と学校法人加計学園理事に就任。 文部省初等中等教育局職業教育課課長、文部省高等教育局医学教育課課長、広島県教育委員会教育長、文部科学省大臣官房国際課課長、文化庁文化財部部長、独立行政法人日本学術振興会理事、文部科学省国際統括官、国際連合教育科学文化機関政府代表部特命全権大使、東日本旅客鉄道株式会社顧問、内閣官房参与などを歴任した。 文化庁文化財部の部長や文部科学省の国際統括官などの要職を歴任し、2010年より国際連合教育科学文化機関政府代表部に特命全権大使として赴任した。
大亀 徹(おおかめ とおる、1951年10月 - )は、日本… 大亀 徹(おおかめ とおる、1951年10月 - )は、日本の元警視庁警察官。 現在は、サンデー毎日の全国高校別大学合格ランキングを毎年購入し、大学受験雑誌、大学学部別偏差値ランキングを把握し、母校明治大学の教職員、大学関係者、在校生の不甲斐無さを叱咤激励している。 1951年(昭和26年)10月、広島県尾道市に生まれる。1969年(昭和44年)3月、広島県立尾道北高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、明治大学農学部農業経済学科卒業。同年3月、警視庁に入り巡査拝命 (麹町署・第八機動隊) 。 上級職等の官僚機構に関する知識がなく、警視庁入庁後に公務員の身分制の壁に強いショックを受け、気力、体力もない東京大学法学部卒のキャリア官僚に伍する方法として、1978年4月、明治大学二部法学部法律学科に学士入学する。
高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 -… 高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 - )は、日本の小説家、文学者、文芸評論家。明治学院大学教授。
田代 博(たしろ ひろし、1950年3月25日 - 2021… 田代 博(たしろ ひろし、1950年3月25日 - 2021年2月19日)は、日本の地理学者・地理教育者。元筑波大学附属高等学校教諭。日本地図センター相談役。日本において、地図学習の指導者として知られていた。富士山をこよなく愛した。 1950年、広島県尾道市生まれ。1972年に東京教育大学理学部地学科地理学教室を卒業後、神奈川県立高等学校教諭に着任した。同年、通勤中の交通事故で骨折。そのリハビリで山歩きをはじめ、山に興味を持つようになる。 1997年より筑波大学附属高等学校教諭。高校教員を42年間務め、2014年3月に退職した。2015年6月より日本地図センター常務理事・地図研究所長、2017年6月より同相談役。
大田垣 耕造(おおたがき こうぞう、1949年11月8日 -… 大田垣 耕造(おおたがき こうぞう、1949年11月8日 - )は、アマチュア野球指導者。元東芝硬式野球部監督。シドニーオリンピック野球日本代表監督。広島県尾道市出身。
御藤 良基(みとう りょうき、1948年7月27日 - )は… 御藤 良基(みとう りょうき、1948年7月27日 - )は、元・毎日放送プロデューサーで、現在は光明寺住職、光明寺會舘オーナー。 広島県尾道市出身。実家は清浄山光明寺こと浄土宗西山禅林寺派光明寺。広島大学附属福山高等学校を経て、早稲田大学卒業後の1971年に毎日放送へ入社。同期にはアナウンサーの野村啓司(元専任局長チーフパーソナリティ、フリーアナウンサー)、平松邦夫(元大阪市長)、大学の同期生でもある近藤光史(現在はフリーアナウンサー)、アナウンサー以外の局員では河内一友(現在はMBSメディアホールディングス相談役最高顧問で、毎日放送元代表取締役社長・会長)、山田厚史(元ディレクター、後に朝日新聞社を経て、現在はジャーナリスト)がいる。
清水 啓典(しみず よしのり、1948年 - )は、日本の経… 清水 啓典(しみず よしのり、1948年 - )は、日本の経済学者。専門分野は経済理論、財政学・金融論。商学博士(一橋大学)。 1948年、広島県尾道市生まれ。1970年、一橋大学商学部卒業。1974年、一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。宮澤健一に師事した。1977年、一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。在学中、シカゴ大学に留学し、ミルトン・フリードマンに師事した。 1977年、一橋大学商学部専任講師、1981年、同助教授。1986年、シカゴ大学 経済学部客員研究員。1989年、一橋大学商学部教授。1996年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員研究員。1996年、ハーバード大学経済学部客員研究員。
仁井谷 俊也(にいたに としや、1947年11月14日 - … 仁井谷 俊也(にいたに としや、1947年11月14日 - 2017年10月2日)は、広島県尾道市出身の作詞家。69歳没。 29歳で演歌に目覚め、歌謡同人誌『こけし人形』に10年間の投稿生活を送る。1985年、38歳のとき第18回日本作詩大賞で新人賞を受賞。これを機に広島に妻子を残して単身上京。営業職のサラリーマンから「脱サラ」で作詞家に転身した。 1998年には天童よしみの「人生しみじみ」が藤田まさと賞を受賞。2005年、氷川きよしが「面影の都」で第38回日本有線大賞を受賞。2014年、氷川きよしの「ちょいと気まぐれ渡り鳥」が第47回日本作詩大賞を受賞した。 生前は日本音楽著作権協会評議員・日本作詩家協会常務理事・日本音楽作家団体協議会理事を歴任。
今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は… 今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は、日本の外科医的建築家、日本を代表する構造家の一人、構造エンジニア、構造デザイナー、構造設計家、構造的建築家。 広島県尾道市生まれ。1962年に三原工業高等学校付属中学校、1965年に三原工業高等学校機械科を卒業し1969年日本大学理工学部建築学科を卒業。大学時代は坪井善勝研究室に所属。その後東京大学生産技術研究所川股研究室、渡辺邦夫擁する構造設計集団(S.D.G)を経て1978年に構造設計事務所T.I.S. & PARTNERSを設立。 職業能力開発大学校(現・職業能力開発総合大学校)、武蔵野美術大学、女子美術大学、明治大学、東海大学、近畿大学、京都工芸繊維大学非常勤講師を経て、2000年から東京電機大学工学部建築学科教授。
橋本朝生(はしもと あさお、1947年3月22日 - 201… 橋本朝生(はしもと あさお、1947年3月22日 - 2011年9月11日)は、日本の能・狂言研究者。 広島県尾道市生まれ。1970年東京大学文学部国文科卒、1980年同大学院博士課程満期退学。1975年日本古典文学会賞受賞。山形大学講師、助教授、山梨大学教育学部助教授、教授。1997年観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。在任中に死去、没後正四位瑞宝中綬章受勲。
寺西 正司(てらにし まさし、1947年2月6日 - )は、… 寺西 正司(てらにし まさし、1947年2月6日 - )は、日本の銀行家で、元UFJ銀行頭取。元全国銀行協会会長。広島県因島市出身。大阪府高槻市在住。 三和ドック創業者寺西儀正の次男として生まれる。寺西重郎(一橋大学名誉教授)は兄、三和ドック社長を継いだ寺西勇は弟。兄弟3人とも広島県立因島高等学校出身。1965年広島県立因島高等学校卒業。1969年大阪大学経済学部卒業後、三和銀行に入行。1973年ノースウェスタン大学でMBAを取得。1995年三和銀行取締役、1999年に専務に就任。2002年には金融持株会社・UFJホールディングスの傘下で三和銀行と東海銀行が合併して誕生したUFJ銀行の初代頭取に就任。
岡野 憲治(おかの けんじ、1946年10月 - )は、日本… 岡野 憲治(おかの けんじ、1946年10月 - )は、日本の会計学者。松山大学名誉教授。専門は原価計算論、管理会計、特に製品ライフサイクル・コスティング。 1946年、広島県尾道市因島生まれ。1965年、広島県立尾道商業高等学校卒業。1971年、広島商科大学(現:広島修道大学)商学部卒業。1975年、広島大学大学院経済学研究科修士課程修了。1977年、松山商科大学(現:松山大学)経営学部助手。1978年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程単位取得退学、松山商科大学専任講師。大学院時代は溝口一雄に師事した[要出典]。1980年同助教授、1987年同教授。2015年、松山大学を任期満了につき退職、名誉教授。
小野 盛司(おの せいじ、1946年 - 2023年11月2… 小野 盛司(おの せいじ、1946年 - 2023年11月23日)は、日本の物理学者、理学博士、進化生物学者、実業家、経済評論家、積極財政を求める運動家と様々な肩書きを持つ。日本ベーシックインカム学会理事。広島県尾道市出身。東京都文京区在住[要出典]。 東京大学大学院博士課程修了、理学博士(東京大学)。 1965年フロイトの『精神分析入門』を読み、彼の考えは間違いであり、人間の行動は性欲ではなく「種の保存」(群選択)で説明できるという説を提唱した。この説に関し心理学者の宮城音弥と議論し、天才的だと言われ自信を得た[要出典]。 専門は物理学であり、1974年東京大学大学院博士課程終了、理学博士(東大)。
中川 正之(なかがわ まさゆき、1945年 - )は、日本の… 中川 正之(なかがわ まさゆき、1945年 - )は、日本の中国語学者。神戸大学名誉教授、立命館大学特別招聘教授。 広島県尾道市生まれ。1973年、大阪外国語大学大学院修士課程修了。広島大学総合科学部助教授、神戸大学教養部助教授から国際文化学部教授に進み、2009年に定年退任して名誉教授となる。神戸大学退官後は立命館大学特別招聘教授、立命館孔子学院院長を務める。2008年「日中漢字語の記述的研究 とくに日中同形語をめぐって」で神戸大学学術博士。
大越 俊夫(おおごし としお、1943年 - )は元株式会社… 大越 俊夫(おおごし としお、1943年 - )は元株式会社オーアイシー代表取締役。現ダルボイ・アカデミー塾長、パピリオ・イングリッシュアカデミー学院長。 広島県尾道市生まれ。1973年、関西学院大学大学院米文学研究科博士課程修了。同大学院在籍中に帝塚山短期大学専任講師を務める。ブリティッシュコロンビア大学留学を経て、1975年、神戸市御影に、不登校・高校中退生のための私塾リバースアカデミー師友塾を設立。塾長として「命に火をつける教育」を理念として掲げ、師友塾創設以降45年以上もの間、7000人を超える若者と向き合う。2015年からは、教え子たちがその意志を受け継ぎ設立した「Dull Boi Academy」の塾長に就任。
田島 治子(たじま はるこ、1941年10月29日 - 20… 田島 治子(たじま はるこ、1941年10月29日 - 2013年10月17日)は、日本の実業家。サカイ引越センター創業者、元社長(前取締役副会長)。アートコーポレーションの寺田千代乃と並ぶ引っ越し専業者の二大女性社長といわれた。広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市)出身。 広島県立因島高等学校卒業。幼稚園の保母をしていたが、小さな運送会社「新海商運」の長男であった田島憲一郎と見合いをして、1962年、22歳で結婚。大阪に出る。1971年、夫・憲一郎が父親と意見が合わず飛び出し、独立。大阪市を本拠にしていた実家と揉めないようにトラック2台で堺市に「新海商運」堺営業所を夫婦で設立した。当初は運送業に徹していたが、一般運送は古くからある業界で新規参入が難しく、また規制でがんじがらめで、やがて経営難となる。
塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - 201… 塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - 2017年11月14日)は、日本の新左翼活動家、元赤軍派議長、最高指導者、テロリスト。「日本のレーニン」と呼ばれた。「一向健」の組織名やペンネームでも知られた。 1941年、大阪府大阪市の十三で医師の家庭に生まれ、生後1年で岡山県和気郡神根村(現・備前市)に移り、戦後は母の郷里の広島県尾道市で育つ。尾道市立長江小学校から広島大学附属福山中学校・高等学校を経て、1962年に京都大学文学部へ入学。 京大在学中から「共産主義者同盟(ブント)」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長と幹部に就任。京大は2年で中退。1969年、それまでのブントの活動に飽きたらず、「これまでの闘争方針では70年闘争を闘いきれない。
三浦 紘朗(みうら ひろあき、1941年 - )は、関西を中… 三浦 紘朗(みうら ひろあき、1941年 - )は、関西を中心に活動するフリーアナウンサー、音楽評論家。広島県・尾道市出身。 1965年ラジオ関西局アナウンサーとして入社(同期入社に小山乃里子)。主に洋楽系の音楽番組と報道を中心として出演し、親しみのある語り口とわかりやすい解説でラジオ関西の名パーソナリティーとして親しまれた。 2002年に定年退職、フリーアナウンサーになってからも、ラジオ関西を中心とした関西の放送局で番組を担当している。 80歳を迎え、2022年3月をもって「名曲ラジオ 三浦紘朗です」が終了することになり、長年続けたラジオ関西の番組からすべて降板となる(エフエム宝塚での番組は継続する)。
森岡 久元(もりおか ひさもと、本名同じ(旧姓 井上)、19… 森岡 久元(もりおか ひさもと、本名同じ(旧姓 井上)、1940年11月8日 - )は、日本の作家。『姫路文学』『別冊関学文芸』『酩酊船』各同人。 大阪市生まれ。1944年に広島県尾道市へ転住。尾道市立土堂小学校、尾道市立長江中学校、広島県立尾道商業高等学校を経て、関西学院大学文学部英文学科卒業。高校2年の時、文芸部誌『ゲミュート』掲載の小説「風と話す人」が旺文社発行『高校時代』主催の第三回高校文芸誌コンクール小説の部で二席に入選(選者木村毅)。大学時代に同人誌『姫路文学』に参加。卒業後は文学活動から離れて、会社を創業して事業活動をする。1995年、休刊していた『姫路文学』の復刊を機に創作活動を再開。
細谷 四方洋(ほそや しほみ、1938年3月8日 - 202… 細谷 四方洋(ほそや しほみ、1938年3月8日 - 2024年1月22日)は、日本の元レーシングドライバー。 トヨタ純血ワークスチームであった「チーム・トヨタ」のキャプテンを務めた。 広島県尾道市で生まれ育つ。父親は警察官だったが広島市で原爆に遭い殉職したという。 広島県立尾道商業高校卒業。1963年に開催された第1回日本グランプリのC-IIクラス(400〜700cc)に、完全ノーマルのトヨタ・パブリカ700でプライベーター(個人)として出場し3位。 その技術を見込まれ1964年、トヨタのワークスドライバーになる。当時のトヨタは、開発を行うトヨタ自工と販売を行うトヨタ自販が別々だったが(後に合併)、細谷はプロとしてトヨタ自工と契約し技術部に所属。
橋本 宗利(はしもと むねとし、1936年12月9日 - )… 橋本 宗利(はしもと むねとし、1936年12月9日 - )は、日本の経営者。広島ホームテレビ社長、会長を務めた。 広島県尾道市出身。1959年に一橋大学経済学部を卒業し、日本興業銀行に入行し、本店営業部で勤務していた。1965年5月に広島銀行監査役に就任し、取締役、常務、総務部長、専務、副頭取を歴任した。1989年6月から2008年6月までに広島ホームテレビの社長を務め、2008年6月から会長に就任した。。日本青年会議所副頭取、広島県選挙管理委員会委員長、朝日放送監査役も務めた。 1998年から2000年までに日本民間放送連盟副会長を務めた。
瀧 光夫(たき みつお、1936年11月19日 - 2016… 瀧 光夫(たき みつお、1936年11月19日 - 2016年12月8日 )は日本の建築家。広島県尾道市出身。1961年に京都大学大学院修士課程修了、1963年にコロンビア大学大学院を修了。国際万国博覧会・EXPO’70のワーキングスタッフを経て、1972年に東京にて瀧光夫建築・都市設計事務所を設立。1993年から2009年までは福山大学工学部建築学科教授を務めた。1998年に千里山第1噴水再整備計画に携わり、2005年からは阪急千里山駅周辺再開発計画に吹田市のアドバイザーとして携わった。 植物園や園芸建築など自然と人工物の造形を活かした建築設計で知られ、建築業協会賞や日本建築学会賞、公共建築賞などを受賞した。
寺岡 政美(てらおか まさみ、1936年(昭和11年)- )… 寺岡 政美(てらおか まさみ、1936年(昭和11年)- )は、日系アメリカ人の画家である。広島県尾道市出身で米国ハワイ州ホノルル郡ワイマナロ(英語版)に在住し、エイズ問題を浮世絵で描いたエイズシリーズなどの作品がある。 以降現在までほぼ毎年、大半を米国で若干を欧州やアジア諸国で、現在まで75回ほど開催している。 以降ほぼ毎年、大半を米国で若干を欧州やアジア各国で、現在まで多数開催している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1936年 - )は、日本の洋… 福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1936年 - )は、日本の洋画家。独立美術協会会員、女流画家協会委員、21美術協会代表、女子美術大学大学院客員教授。 広島県尾道市生まれ。広島県立尾道東高等学校、女子美術大学芸術学部洋画科卒業。 1986年「タナトス」が安井賞佳作となった。他に受賞多数。
博田 東平(はかた とうへい、1935年〈昭和10年〉8月2… 博田 東平(はかた とうへい、1935年〈昭和10年〉8月28日 - 2014年〈平成26年〉5月29日)は、日本の弁護士。検察官。政治家。広島県尾道市長(4期)。位階は正五位。旭日小綬章受章。 広島県尾道市生まれ。1959年、中央大学法学部卒。同年、司法試験に合格。神戸、高知の両地検検事を経て、1965年、弁護士登録する。尾道市公平委員会委員長、同教育委員を務めた。 1979年4月22日に実施された尾道市長選挙に社会党、共産党推薦の無所属で立候補して、前広島県議と前尾道市議会議長の新人2人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 4月22日に市長に就任した。
多田 修人(ただ なおと、1934年2月1日 - )は、日本… 多田 修人(ただ なおと、1934年2月1日 - )は、日本の実業家。日本システムウエア株式会社創業者・名誉会長。同社元代表取締役会長兼社長。元東京商工会議所渋谷支部会長。 広島県尾道市出身。広島県立尾道北高等学校入学 1964年東京経済大学経済学部卒業、東洋計算センター入社。1966年事務計算センター(現日本システムウエア)設立、同社代表取締役社長就任。1976年ナカヤ代表取締役社長。1991年システムウエアリンケージ株式会社(現NSWテクノサービス)代表取締役社長就任。2004年タダ・インベストメント取締役社長就任。2005年日本システムウエア代表取締役会長就任。2007年日本システムウエア代表取締役会長兼社長就任。
備前 喜夫(びぜん よしお、1933年10月9日 - 201… 備前 喜夫(びぜん よしお、1933年10月9日 - 2015年9月7日)は、広島県尾道市出身のプロ野球選手(投手)。引退後は広島東洋カープコーチ、二軍監督、スカウトを務めた。旧名は「大田垣 喜夫」(おおたがき よしお)。
藤原 宰太郎(ふじわら さいたろう、1932年 - 2019… 藤原 宰太郎(ふじわら さいたろう、1932年 - 2019年5月21日)は、日本の小説家、推理作家・研究者。広島県尾道市出身。本名は宰(おさむ)。広島県立尾道北高等学校を経て早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。推理研究家として多くの著作を刊行、他にも様々な活躍を続けた。 1968年3月にKKベストセラーズから刊行した『探偵ゲーム』を始め同様の推理クイズ本を量産し、推理クイズブームを創りだした。内容は、いわゆる殺人のトリック、密室なのにどうやって殺せたか、凶器はどこに隠したか、というものだった。これを見て該当する作品を読むという、ガイドブックのようなものとしても使用できるものであったが、一方でトリックがあらかじめ分かってしまうことも事実であった。
信岡 資生(のぶおか よりお、1929年7月21日 - 20… 信岡 資生(のぶおか よりお、1929年7月21日 - 2018年12月21日 )は、日本のドイツ語学者。成城大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。旧制広島高等学校卒、1952年東京大学独文科卒、愛媛大学助教授、大阪学芸大学助教授、中央大学教授を経て、1979年成城大学経済学部教授、2000年定年退任、名誉教授。ドイツ語学院ハイデルベルク講師。1979年 - 1989年、月刊『基礎ドイツ語』(三修社)編集長。2009年秋瑞宝中綬章受勲。
小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12… 小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12日 - 2011年<平成23年>3月13日)は日本画家である。師は森谷南人子。広島県尾道市出身で現在は岐阜県在住。 白峰会会長。等迦会特別会員。弟子は星月ノ友(旧雅号・小尻紗弘) 1927年(昭和2年)に広島県尾道市で生まれる。幼い頃にリウマチ熱にかかり、心臓弁膜症という重い障害が残る。6歳まで尾道市で過ごすが、父親の転勤のため大阪府島屋町へ転居する。室戸台風の被害に遭い、家が廃屋となった為、一時吹田町に転居する。その後、再び島屋町に戻り、島屋小学校へ転校後、卒業。 西野田工業高校に進学するが、1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争が勃発し、在学中に志願兵として、広島の呉海兵団に入隊。
亀田 良一(かめだ りょういち、1927年(昭和2年)2月1… 亀田 良一(かめだ りょういち、1927年(昭和2年)2月1日 - 2018年(平成30年)12月28日)は、日本の実業家。政治家。広島県尾道市長(4期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 広島県尾道市出身。1951年、早稲田大学政治経済学部卒。1956年、亀田海運を会社組織にして独立する。尾道青年会議所理事長、尾道商工会議所副会頭などを経て、1995年、尾道市長に立候補し、現職の博田東平を破って当選する。1999年と2003年は無投票当選。尾道市長を3期務め、2007年に退任した。2008年春の叙勲で旭日小綬章を受章。2018年に死去。死没日付をもって従五位に叙された。
力石 定一(ちからいし さだかず、1926年10月6日 - … 力石 定一(ちからいし さだかず、1926年10月6日 - 2016年1月22日)は、日本の経済学者、社会工学者。法政大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。旧制三高から旧制東京大学経済学部に進み、学生運動に身を投じる。東大共産党細胞において渡邉恒雄らとの路線闘争を繰り広げ勝利。1948年には武井昭夫、沖浦和光らと全学連(全日本学生自治会総連合)を結成。全学連の理論面での指導者とされた。翌年6月3日に東大で学生大量処分に抗議する公聴会が開かれたとき、処分理由を説明する矢内原忠雄経済学部長に「キミはファシストだ」と難詰した(キミ、ボク論争)。 東大卒業後、国民経済研究所研究員を経て、法政大学工学部経営工学科教授(社会工学)。
熊野 剛雄(くまの よしお、1926年5月3日 - 2020… 熊野 剛雄(くまの よしお、1926年5月3日 - 2020年11月24日)は、日本の経済学者。専修大学名誉教授。 広島県尾道市出身。1951年東京大学経済学部卒業。同年大学院中退。角丸証券(現・みずほ証券)入社。1965年同社調査部長。日本証券経済研究所主任研究員(のち理事)、1968年専修大学経営学部講師。1977年教授、同経営研究所長。97年定年、名誉教授。証券経済学会代表理事、日本学術会議会員も務めた。1998年から20余年にわたり、大槻久志のペンネームで金融と経済の啓蒙書を刊行した。
平田 嘉三(ひらた かぞう、1925年5月28日 - 200… 平田 嘉三(ひらた かぞう、1925年5月28日 - 2008年12月23日)は、日本の西洋史学者・教育学者。広島大学名誉教授。歴史教育学を提唱した。 広島県尾道市生まれ。1949年広島文理科大学西洋史学科卒。1953年京都大学大学院博士課程満期退学、広島大学助手、広島女学院大学講師、文部省初等中等教育局教科書調査官。1971年広島大学教育学部助教授、教授。広島大学附属小学校校長。1986-89年全国社会科教育学会会長。89年広島大を定年退官、名誉教授、広島工業大学教授、広島女学院理事、広島女子商短期大学長、同理事長。93年広島県教育委員会委員長。 2004年4月瑞宝中綬章受章。
小山 智士(こやま ともじ、1925年 - )は、日本の農業… 小山 智士(こやま ともじ、1925年 - )は、日本の農業官僚、農業経済学者。 広島県尾道市生まれ。1947年東京農業大学卒。1948年農林省入省、1972年農政調査委員会国内調査部長、85年理事。1987年「現代農業・農村の高齢化問題に関する政策的研究」で東京農業大学農学博士。
瀬戸錦 年光(せとにしき としみつ、1924年2月2日 - … 瀬戸錦 年光(せとにしき としみつ、1924年2月2日 - 没年不明)は、広島県尾道市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 年覚(たかはし としかく)。190cm、104kg。最高位は西十両9枚目。得意技は突っ張り、右四つ、寄り。 1941年1月場所に初土俵。三段目の頃に戦争で召集されたが、サイズの合う軍靴がなかったので、即日で帰郷を命じられた。1947年11月場所に十両昇進するも2勝9敗と大きく負け越して1場所で幕下に陥落。十両に在位したのはこの1場所のみであった。1951年1月場所限りで26歳の若さで廃業。幕下で相撲を取っていた1950年1月場所から、廃業する1951年1月場所まで弓取りを務めたことがある。
八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 200… 八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 2008年4月6日)は、日本の法学者・弁護士。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。市川秀雄門下。なお、「八木国之」とも表記される 1942年に中央大学専門部法学科を卒業し、同年中央大学法学部入学。1943年臨時召集。大日本帝国陸軍主計少尉を経て1945年に復員・復学。1946年中央大学法学部卒業。1953年同大学院法学研究科修了。中央大学法学部助教授。1962年同法学部教授。1965年同大学院法学研究科教授。中央大学協議員。1966年中央大学評議員。1977年中央大学通信教育部長。1985年同大学院法学研究科委員長。
村上 弘(むらかみ ひろむ、1921年〈大正10年〉9月24… 村上 弘(むらかみ ひろむ、1921年〈大正10年〉9月24日 - 2007年〈平成19年〉3月22日)は、日本の政治家。第3代日本共産党委員長(中央委員会幹部会委員長)。名誉役員。元全逓信従業員組合大阪地方協会会長。 1972年の総選挙で大阪3区(分区前)から初当選、分区後も大阪3区から衆議院議員を通算4期務めた。 広島県因島市(現:尾道市)に、10人兄弟の5番目の子として生まれる。 逓信省逓信官吏練習所行政科を卒業。戦時中は兵士として広島にいた。1947年日本共産党入党。1948年に阪神教育事件で首謀者とされ、占領政策違反で大阪刑務所に服役、1年8ヶ月投獄される。党の50年分裂では所感派に属する。
浜本 万三(はまもと まんそう、1920年9月9日 - 20… 浜本 万三(はまもと まんそう、1920年9月9日 - 2008年1月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 参議院議員(3期)、日本社会党参議院議員会長、参議院社会労働委員長、労働大臣(第60代)などを歴任した。 広島県尾道市出身。向東高等小学校卒業。 広島電気(現:中国電力)に入社後、労働運動に参加した。日本電気産業労働組合広島県支部委員長や広島県労働組合会議議長などを歴任した。 1974年の第10回参議院議員通常選挙で日本社会党から立候補し、初当選を果たした。以来、通算18年(2回落選)の国政生活を送る。社会党右派の系譜に連なる政権構想研究会に所属した。在任中は社会党参議院議員会長や参議院社会労働委員長などを歴任。
伊予本 桃市(いよもと ももいち、1919年(大正8年) -… 伊予本 桃市(いよもと ももいち、1919年(大正8年) - 1974年(昭和49年)9月)は、日本の囲碁棋士。広島県出身、瀬越憲作門下、日本棋院所属、名誉八段。日本棋院中央会館の経営に携わり、国際囲碁協会を設立。会館の運営を巡って訴訟となり、日本棋院から退隠した。 広島県生口島に生まれる。1933年(昭和8年)瀬越憲作に入門。1935年初段。大手合で1941年前期、1943年前期第二部優勝。1952年五段。1954年六段。 1954年丸の内に日本棋院中央会館(館長岩本薫)が設立され、棋院と独立した中央会館運営委員会が運営に当たることとなると、運営委員となって運営に専念し、同年11月に開館となる。
半田 道玄(はんだ どうげん、大正4年(1915年)10月2… 半田 道玄(はんだ どうげん、大正4年(1915年)10月25日 - 昭和49年(1974年)4月13日)は、囲碁の棋士。広島県出身、鈴木為次郎名誉九段門下、日本棋院から関西棋院所属、九段。旧名は早巳。十段戦優勝、本因坊挑戦など。求道的な姿勢と、殿様碁とも言われた独特のゆったりした棋風で知られる。 広島県向島津部田生まれ、4歳で因島に移る。小学校入学頃に囲碁を覚え、1924年9歳で鈴木為次郎に入門するが、1か月で帰郷。1930年に大阪に移り、久保松勝喜代の研究会に参加するようになる。1934年入段し東京の大手合に参加。この頃、兄弟子の関山利一や、その弟子の梶原武雄らと研鑽する。1942年五段。1946年の第4期本因坊戦では予選を勝ち抜いて最終トーナメントに進出、初戦で藤沢庫之助八段に勝つが、2回戦で林有太郎七段に敗れる。
橋本 達吉(はしもと たつきち、1911年〈大正元年〉10月… 橋本 達吉(はしもと たつきち、1911年〈大正元年〉10月4日 - 没年不明)は、日本の実業家。 大阪電気軌道入社後、近鉄百貨店(近畿日本鉄道百貨店部)勤務を経て、京都近鉄百貨店(旧・丸物、現在の近鉄百貨店)で社長を務めた。 広島県尾道市出身。日本画家の橋本関雪と姻戚関係にあり、子供時代は画家になりたいと思っていた。しかし、関雪の一門であった叔父から「画家で飯は食えない」と言われたことから、グラフィックデザイナーに志望変更し、京都工業専門学校(現在の京都工芸繊維大学)図案課へ進学した。 尾道へ帰省の時は丸物本店で土産を買って帰っており、創業時の建物の北側に鉄筋コンクリート造の新館ができているのを目にしていた。
吉原 貞敏(よしはら さだとし、1909年5月3日 - 19… 吉原 貞敏(よしはら さだとし、1909年5月3日 - 1995年9月17日)は、日本の実業家、馬主。広島県向島(現・尾道市)出身。東京鐵鋼創業者である。東京鐵鋼現社長で、馬主の吉原毎文は長男。 祖父は広島県向島の八幡神社の神官で、祖父まで137代を数える家系。父・吉原敏(1885-1962)が明治大学在学中から清浦奎吾に私淑し卒業後、清浦の秘書として仕えたあと、日本兵器製造の東京支社長などを経て、長男にあたる貞敏とともに1940年に大和製鉄を買収して同社を名称変更したものが東京鐵鋼の創業となる。貞敏は明治大学商学部を1932年に中退し、飛島組に入社。1937年に有明鉄工所、1938年に高級鋳鉄研究所を設立した後、高級鋳鉄の生産を目指して父とともに東京鐵鋼を創業。
小川 清四郎(おがわ せいしろう、1907年8月3日 - 1… 小川 清四郎(おがわ せいしろう、1907年8月3日 - 1981年8月3日)は、日本の外交官。公正取引委員会事務局長、法務省入国管理局長、駐ビルマ特命全権大使などを歴任した。 広島県尾道市出身。第一高等学校文科丙類を経て、1931年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1932年外務省入省。外務省条約局事務官、情報局総裁秘書官、戦争調査会事務局事務官、横須賀捕獲審検所評定官等を経て、1952年調達庁総務部調停官。1953年公正取引委員会事務局長。1957年在ヴィエトナム日本国大使館参事官。 1959年外務大臣官房審議官。1960年駐ハンガリー特命全権公使。1962年法務省入国管理局長。1964年駐ヴァチカン特命全権大使。