兒玉 芽生(こだま めい、1999年6月8日 - )は、日本… 兒玉 芽生(こだま めい、1999年6月8日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。 メディアにより児玉芽生と表記されることもある。 大分県臼杵市出身。臼杵市立市浜小学校、臼杵市立西中学校卒業。 小学校1年生の頃から姉・彩希(のちに400mハードルで国体優勝)の影響で臼杵ジュニア陸上クラブに通うようになり、小学校3年生の時に入会して本格的に陸上競技を始めた。小学校5・6年生の時には第26・27回全国小学生陸上競技交流大会女子100mを連覇した。中学校時代は、1年生の時に第43回ジュニアオリンピック陸上競技大会にて女子C100mで優勝し、3年生の時に第41回全日本中学校陸上競技選手権大会にて女子200mで5位入賞を果たした。
安東 輝(あんどう あきら、1995年6月28日 - )は、… 安東 輝(あんどう あきら、1995年6月28日 - )は、大分県臼杵市出身の元サッカー選手。登録ポジションはミッドフィールダー。 小学校1年でサッカーを始めた。2008年、JFAアカデミー福島に3期生として入校。同期に金子翔太、平岡将豪、小池龍太ら。2011年3月、東京電力福島第一原子力発電所事故の対応拠点にJヴィレッジが使用される事となった為、静岡県御殿場市に環境を移した。 2014年、湘南ベルマーレに入団。加入後、そのまま福島ユナイテッドFCに期限付き移籍 となり、翌2015年までプレー。 2016年より、ツエーゲン金沢に期限付き移籍。翌2017年は湘南に復帰。加入4年目にして初めて湘南でのプレー機会を得たが、公式戦計3試合の出場に留まった。
吉良 俊則(きら としのり、1986年1月1日 - )は、大… 吉良 俊則(きら としのり、1986年1月1日 - )は、大分県臼杵市出身の元プロ野球選手(外野手)。
板井 麻衣子(いたい まいこ、1984年5月21日 - )は… 板井 麻衣子(いたい まいこ、1984年5月21日 - )は、日本の女性モデルである。BOSSA 2010年(平成22年)度 『ミス・ユニバース・ジャパン』 優勝者として知られる。 1984年(昭和59年)、大分県臼杵市出身。大分県立臼杵高等学校を経て、上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒業。 大学卒業後は公務員となり、大分市役所教育総務課に勤務していた。2009年(平成21年)12月5日、ミスコンテスト、2010年度 『ミス・ユニバース・ジャパン』の、11人のファイナリストに入選、さらに翌年3月9日に行われた日本最終選考会で、2010年度 ミス・ユニバース・ジャパンに選出された。大分市役所は、コンテスト途中の2009年12月を以って退職している。
デーブ八坂(デーブやさか、本名:八坂 英敏、1983年8月6… デーブ八坂(デーブやさか、本名:八坂 英敏、1983年8月6日 - )は、バラエティ番組を中心に活躍している放送作家。 吉本興業所属ライセンス(お笑いコンビ)の座付き作家でもある。株式会社アンダーパレス所属。 大分県臼杵市生まれ。大分県立大分東高等学校卒業、専門学校東京アナウンス学院出身。 ハガキ職人として田村淳のオールナイトニッポン、雨上がり決死隊のべしゃりブリンッ!などで活動し放送作家を目指す。 1年間週に7日間バイト生活でお金を貯め、2005年にTBS「プライス4」でリサーチとして業界デビュー。 以降、リサーチ作家として2007年フジテレビ「エチカの鏡~ココロにキクTV~」、2008年「シルシルミシル」、2011年「マツコ有吉の怒り心党」などに参加。
中野 滋樹(なかの しげき、1980年8月1日 - )は、大… 中野 滋樹(なかの しげき、1980年8月1日 - )は、大分県臼杵市出身の元社会人野球選手(捕手)、野球指導者。 柳ヶ浦高等学校では同学年の古卿大知とともに2年の夏からレギュラーとなり、3年次に夏の甲子園に出場。初戦で松坂大輔らを擁する横浜高校に敗れた。東洋大学では2年上に小川将俊、同級生の飯田庸資(大学卒業後東芝野球部)の存在があり控えだった。 大学卒業後はミキハウスに入社。1年目の2003年からレギュラー捕手となり、日本選手権では首位打者賞を獲得する活躍でベスト4進出に貢献するも、能見篤史を擁する大阪ガスに敗れた。2004年のシーズン終了後、ミキハウスが企業スポーツ活動の見直しで野球部の活動を大幅縮小したのに伴い、吉田博之監督の誘いを受けてJR九州に移籍。
友成 由紀(ともなり ゆき、1979年7月28日 - )は、… 友成 由紀(ともなり ゆき、1979年7月28日 - )は、NBC長崎放送の報道局記者、アナウンサー。また薬剤師の資格をもつ。 2015年4月に別部署へ異動。2023年4月に報道制作部に異動(公式プロフィールでは記者兼アナウンサーとなっている)。 大分県中津市出身。大分東明高等学校、長崎大学薬学部卒業。千葉大学大学院薬学研究院に進学し修了後、2004年にNBCに入社。 大学院では薬学を修得し、薬剤師免許を持つ。防災士の資格も取得。TBSアナウンススクールで研修を積んだ。 現在「報道センターNBC」キャスターの早田紀子アナとは2004年入社の同期生。入社当初からしばらくはペアで看板娘的存在として扱われ、局イベントの告知CMやライブイベントで共演することが多かった。
廣瀬 純(ひろせ じゅん、1979年3月29日 - )は、大… 廣瀬 純(ひろせ じゅん、1979年3月29日 - )は、大分県臼杵市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。野球解説者。現役時代は広島東洋カープに所属した。
大澤 美樹(おおさわ みき、1976年7月8日- )は、大分… 大澤 美樹(おおさわ みき、1976年7月8日- )は、大分県臼杵市に生まれ静岡県で育ち。日本ボディスタイリスト協会理事長・タレント。所属事務所はヴィヴィアン。イベント主催2020年10月10日TENSAI天祭を発起。2022年3月9日から生まれ故郷にある無人島を舞台に映画制作をはじめる。映画TSUKIMI発起人。でありプロデューサー。 2025年7月25日に1000人で創る無人島映画祭を発起し、1000人がオンラインでつながり無人島と対岸を繋ぐイベントを開催。 このラストシーンを世界中から集めて入れた映画のエンドロール作成。 2025年10月10日に映画完成 スタイリングの学校を卒業後、スタイリストを経て、外からと内からのコーディネイトに興味を持ち、ボディスタイリストとしてリンパトリートメントを中心としたライフ作りを提案。
玉田 豊夢(たまだ とむ、1975年6月23日 - )は、日… 玉田 豊夢(たまだ とむ、1975年6月23日 - )は、日本のドラマー。本名同じ。大分県臼杵市出身。 膨大な数のレコーディング/ライヴをこなす日本のトップ・ドラマー。これまでに、aiko、あいみょん、絢香、家入レオ、小谷美紗子、角松敏生、斉藤和義、椎名林檎、柴咲コウ、Superfly(越智志帆)、つじあやの、浜崎あゆみ、miwa、吉井和哉、吉田美奈子、レキシ、いきものがかり、コブクロ、DEPAPEPE、ポルノグラフィティ、フジファブリック、山本彩、星野源、B'z、宮本浩次、などの数多くのアーティストの作品のレコーディングやライブなどに参加している。 幼少の頃から打楽器に興味を持つ。「臼杵祇園まつりというのがあって。
KEIKO(ケイコ、1972年8月18日 - )は、日本の歌… KEIKO(ケイコ、1972年8月18日 - )は、日本の歌手である。 音楽グループ globeのヴォーカリストとして活動、『K-C-O』名義でソロ活動も行っていた。病気療養のため2011年10月より活動停止していたが、2023年1月より地元大分のラジオ番組にて芸能活動を再開。しかし、2025年9月にラジオ番組が終了して以降メディア露出が再び無くなり、事実上芸能活動休止中である。血液型はA型。大分県臼杵市出身。 小室哲哉は「声が平山みきに似ている」「チャカ・カーン、美空ひばり、エンヤの間を揺れ動ける、凄くお得なポジションにいる良い声」「歌うと『シャーッ』という音色も一緒に出ている。そういう声は美空ひばり、松田聖子、KEIKOだけ」と評している。
鳥越 裕介(とりごえ ゆうすけ、1971年7月1日 - )は… 鳥越 裕介(とりごえ ゆうすけ、1971年7月1日 - )は、大分県臼杵市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 愛称は「トリさん」「ゴエ」。 現役引退後は福岡ソフトバンクホークス・千葉ロッテマリーンズでコーチ、二軍監督を務めた。その後は野球解説者として活動したのち、2025年シーズンからは埼玉西武ライオンズの一軍ヘッドコーチを務める。 大分県立臼杵高等学校を経て明治大学へ進学。大学時代は「3番・遊撃手」として活躍し、1991年の第20回日米大学野球選手権大会、1993年の第22回日米大学野球選手権大会おいては小久保裕紀や井口資仁らとともに全日本メンバーにも選ばれる。リーグ
中尾 美穂(なかお みほ、1971年2月25日 - )は日本… 中尾 美穂(なかお みほ、1971年2月25日 - )は日本のフリーアナウンサー・ラジオパーソナリティ。 大分県臼杵市生まれの千葉県育ち。1992年に千葉ロッテマリーンズのキャンペーンガールを務め、1993年からは千葉テレビの制作部に勤務し『カラオケトライアル』などを担当。その後タイムリーオフィスを経て現事務所に至る。 1990年代後期はラジオ日本での出演が多く、局アナでは無いものの同局の看板アナウンサー的存在であった。特にせんだみつおとの番組『せんだ光雄の世紀末伝説』(1997年 - 1998年)が好評であった。 2001年4月より内山久美子の後を継いで、文化放送『走れ!歌謡曲』のパーソナリティに就任。
佐藤 裕幸(さとう ひろゆき、1971年1月4日 - )は、… 佐藤 裕幸(さとう ひろゆき、1971年1月4日 - )は、大分県臼杵市出身の元プロ野球選手(内野手)。
後藤 玄利(ごとう げんり、1967年2月4日 -)は、日本… 後藤 玄利(ごとう げんり、1967年2月4日 -)は、日本の実業家。ジャクール株式会社代表取締役、一般社団法人タグフィット代表理事、ケンコーコム株式会社創業者・元代表取締役社長。 大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家に生まれる。父の後藤國利は、うすき製薬の代表取締役のほか、1997年から2009年まで臼杵市長を務めた。1989年3月に東京大学教養学部基礎科学科を卒業した後、アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)勤務。 その後、1994年5月にうすき製薬に取締役として入社。当時、うすき製薬で取り扱っていた霊芝飲料「喜喜萬年」の通信販売のために、1994年11月に株式会社ヘルシーネット(後のケンコーコム→Rakuten Direct)を設立し、代表取締役に就任した。
高野 保彦(たかの やすひこ、1966年3月28日 - )は… 高野 保彦(たかの やすひこ、1966年3月28日 - )は男性の元お笑い芸人。大分県臼杵市出身。近畿大学卒。八木正幸と1989年にお笑いコンビ「チェリーズ」(1992年より「ちぇりぃず」と表記)を結成。1993年にコンビを解消し芸能界を引退した。ボケ担当。プライムワンに所属していた。
鷹野 志穂(たかの しほ、1964年6月20日 - )は、日… 鷹野 志穂(たかの しほ、1964年6月20日 - )は、日本の実業家。ロクシタン日本代表・日本法人社長、メルヴィータ日本法人社長を経て、カーライル・グループ日本法人シニア・アドバイザー、森永製菓取締役、藤田観光取締役、日本バスケットボール協会理事、AOI TYO Holdings取締役、ユナイテッドアローズ取締役等を歴任。 大分県臼杵市出身。臼杵市立下南小学校などを経て、1987年東京女子大学文理学部日本文学科卒業、明治乳業入社。1990年イヴ・サンローランパルファム入社。1996年日本コカ・コーラアクティベーションマネージャー。1998年ブーツMCバイイングアンドマーケティングマネージャー。
三浦 雅子(みうら まさこ、1959年11月29日 - )は… 三浦 雅子(みうら まさこ、1959年11月29日 - )は、日本の声優。大分県臼杵市出身。アーツビジョン所属。 大分県臼杵市生まれ。中学時代はテニス部に所属、高校時代は陸上部のマネージャーをしていた。大分県立臼杵高等学校卒業後、幼稚園の先生を目指して、神戸市の夙川学院短期大学幼児保育科へ入学。テレビアニメ『あらいぐまラスカル』を見たこと、子供向けオペレッタを卒業制作で自作自演したことから芝居を志すようになり、声優の勝田久による勝田話法研究所の声優講座を受講し、短大卒業後には上京して1980年に俳協付属養成所に入所した。入所10か月でオーディションで合格し、養成所在籍中だった1981年にテレビアニメ『タイムボカンシリーズ ヤットデタマン』の姫栗コヨミ役でデビュー。
吉田 敏浩(よしだ としひろ、1957年9月11日 - )は… 吉田 敏浩(よしだ としひろ、1957年9月11日 - )は、日本のジャーナリスト。 大分県臼杵市出身。大分県立臼杵高等学校、明治大学文学部卒業。在学中は明治大学探検部に所属。1985年3月から1988年10月まで、ビルマ(現ミャンマー)北部のカチン人などの少数民族を長期取材し、マラリアに感染して生死の境をさまよう。その長期取材の記録をNHK番組「回想のジャングル」で発表。記録をまとめた「森の回廊」を出版し、第27回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。「赤紙と徴兵」(彩流社)で第2回いける本大賞を受賞。『「日米合同委員会」の研究』で第60回JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞。戦争のできる国に変わるおそれのある日本の現状について主に取材している。
吉田 寛(よしだ かん、1957年 - 2021年4月19日… 吉田 寛(よしだ かん、1957年 - 2021年4月19日)は、日本のコピーライター・文筆家。 大分県臼杵市出身。東京の専門学校を卒業後、コピーライターとして活動を始めた。24歳の時に大分県に戻り、大分市の広告制作会社での勤務を経て、1992年に独立した。 2021年4月19日、大分市内の自宅で急逝した。63歳歿。 愛称「寛ちゃん」として大分県民に親しまれていた。焼酎愛好家としても知られた。
塩屋 俊(しおや とし、1956年8月5日 - 2013年6… 塩屋 俊(しおや とし、1956年8月5日 - 2013年6月5日)は、日本の俳優・映画監督。 大分県大野郡野津町(現・臼杵市)出身。本名 塩屋 智章(しおや のりあき)。 息子は俳優の塩屋准。実兄は英語指導者の塩屋孔章(しおや よしあき)。 慶應義塾大学文学部教育学科卒業。大学在学中、「モデル・プロダクション」(東京学生英語劇連盟)に参加し奈良橋陽子に師事する。元々演出家志望だったが、1977年に英語ミュージカル『ヘアー』で主役を演じ、その後芸能界へ進出。ネイバーフッド・プレイハウスのメソッド演技のレッスンを受け、以後国内外を問わず、テレビ、映画作品などへの出演を重ねる。 1994年、「塩屋俊アクターズクリニック」を設立(現「アクターズクリニック」)。
浜名 敏幸(はまな としゆき、1956年6月17日 - )は… 浜名 敏幸(はまな としゆき、1956年6月17日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。投手、右投げ右打ち、180cm、75kg。 ドラフト指名時の名前は浜名 繁幸だったが、入団契約締結時に敏幸に改名した。 1972年に大分県立臼杵商業高等学校に入学。1974年、最後の夏は大分県予選準々決勝で、渡辺光弘の大分県立中津工業高等学校に1-2で敗退し、在学中の甲子園大会出場はなかった。 この秋のドラフト会議で、南海ホークスから3位指名を受け、1975年に入団。なお、前述の渡辺も翌年に南海に入団している。 入団時は本格派でカーブ、シュートが武器の速球派投手であったが、1977年下手投げにモデルチェンジ。
青野 浩志(あおの ひろし、1956年4月24日 - )は、… 青野 浩志(あおの ひろし、1956年4月24日 - )は、日本の公務員、経営者。株式会社大分フットボールクラブ(Jリーグ・大分トリニータ運営会社)前代表取締役。 大分県臼杵市出身。1973年、長崎県立国際経済大学経済学部を卒業。新日本証券(現・新光証券)を経て、津久見市立千怒小学校に事務職員として勤務。1982年に大分県庁に入り、文化スポーツ振興課長等を歴任。 2009年9月に大分県からJリーグに所属する大分トリニータの運営会社である株式会社大分フットボールクラブに、取締役経営企画部長として出向。同年12月12日に溝畑宏が代表取締役を辞任したことに伴い、代表取締役代行を務め、2010年1月から代表取締役となる。
板井 圭介(いたい けいすけ、本名は四股名と同じ、1956年… 板井 圭介(いたい けいすけ、本名は四股名と同じ、1956年3月21日- )は、大分県臼杵市出身で、かつて大鳴戸部屋(現存せず)に所属していた元大相撲力士。最高位は西小結(1989年5月場所)。現役時代の体格は178cm、139kg。得意技は突き、押し、叩き。
宗 茂(そう しげる、1953年1月9日 - )は、日本の元… 宗 茂(そう しげる、1953年1月9日 - )は、日本の元長距離走・マラソン選手、陸上競技指導者で、現在は宮崎県延岡市紺屋町で気功健康塾を経営している。大分県臼杵市出身。血液型はAB型。モントリオール、モスクワ、ロサンゼルスのオリンピック3大会で男子マラソン日本代表となる。一卵性双生児の弟の宗猛とともに、兄弟で多くの国際大会に出場し、入賞を果たした。 猛とともに中学時代より陸上競技を始める。中学2年で兄弟揃って大分県内一周駅伝に出場するなど、早くから地元では注目されていたが、同じ2年生からは学校の指導者が不在となり猛とともに自主的に考えてトレーニングをしたという。親の薦めで猛とともに大分県立佐伯豊南高等学校に進学、下宿生活を送る。
宗 猛(そう たけし、1953年1月9日 - )は、日本の元… 宗 猛(そう たけし、1953年1月9日 - )は、日本の元陸上競技選手・指導者である。現役時代の専門は長距離走・マラソンであった。一卵性双生児の兄宗茂、瀬古利彦とともに1980年代前半日本男子マラソンのビッグ3として、マラソン界をリードした。旭化成陸上部に所属し、引退後も指導者として2025年3月まで活動した(現在は顧問)。また、2012年11月から2016年10月まで公益財団法人日本陸上競技連盟中長距離・マラソン部長を務めた。 大分県臼杵市出身。茂とともに中学時代より陸上競技を始める。中学2年で兄弟揃って大分県内一周駅伝に出場するなど、早くから地元では注目されていたが、同じ2年生からは学校の指導者が不在となり、茂とともに自主的に考えてトレーニングをしたという。
伊東 かおる(いとう かおる、1948年〈昭和23年〉9月3… 伊東 かおる(いとう かおる、1948年〈昭和23年〉9月3日 - 2007年〈平成19年〉7月8日)は、日本の男性漫談家。本名は伊東 薫(いとう かおる)。血液型はA型。九州出身の名古屋弁漫談家として名古屋・大須演芸場をホームグランドとして活動した。 1948年、大分県臼杵市で生まれる。貧しい家計を支えるため働きながら定時制高校に通った。1967年卒業後大阪、東京、さらに結婚のために転居していた姉を頼り名古屋へ移った。以降、終生名古屋で過ごした。NHKの小劇場の小道具係をしていた時、大須演芸場社長足立秀夫を知り、単身で大須演芸場の寄席を見に訪れた。当初の役者志望から舞台芸人に目標を移し、演芸場に押しかけ掃除や弁当配りをしながら舞台に上がれる日を待った。
河野 隆(かわの たかし、1948年3月23日 - 2017… 河野 隆(かわの たかし、1948年3月23日 - 2017年11月3日)は、日本の篆刻家・書家・教育者。大東文化大学文学部書道学科名誉教授。号・鷹之。室号は晨風廬。 大分県臼杵市生まれ。生井子華に師事。日展会員、読売書法会常任理事、全日本篆刻連盟会長、大東文化大学書道科教授、国立台湾芸術大学客員教授、西泠印社名誉社員、中国芸術研究院中国篆刻芸術院研究員を歴任。 2017年11月3日、肺癌のため死去。
池田 重喜(いけだ しげき、1946年5月1日 - )は、大… 池田 重喜(いけだ しげき、1946年5月1日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。
重野 安正(しげの やすまさ、1941年12月1日 - 20… 重野 安正(しげの やすまさ、1941年12月1日 - 2021年4月9日)は、日本の政治家。従四位。衆議院議員(3期)、大分県議会議員(7期)、社会民主党幹事長(第6代)、同国会対策委員長(第6代)を歴任。 1962年、農業改良普及員として大分県庁に入庁。その後、労働組合活動に没頭するようになり政治に目覚めた。自治労大分県職員連合労働組合の加盟労組である大分県職員労働組合(大分県職労)から大分県議会議員に転身。2000年、大分2区から衆議院議員に立候補し比例復活で初当選。 国政では、社会民主党の国会対策委員長を経て幹事長に就任した。民社国連立政権下でも引き続き幹事長を務め、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当)として入閣した党首の福島瑞穂に代わり党務全般を指揮した。
後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6… 後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6日 - )は、日本の実業家、政治家、林業家。うすき製薬株式会社代表取締役社長、臼杵市長、大分県議会議長、株式会社コアラ会長を歴任した。豊の国木造建築賞優秀賞入賞。 大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家の医師の子として生まれる。1964年に一橋大学社会学部を卒業し、三菱重工業神戸造船所で勤務した後、家業再建のため1966年からうすき製薬の代表取締役社長を務めた。 セメント工場建設反対の住民運動に関わったのをきっかけに、1975年から大分県議会議員を5期20年にわたって務め、1989年から約1年間は自由民主党大分県連の幹事長、1990年には県議会議長を務めた。
一代 のぼる(いちだい のぼる、1937年10月20日 - … 一代 のぼる(いちだい のぼる、1937年10月20日 - 2000年4月29日、本名:首藤正毅)は、大分県臼杵市佐志生出身の作曲家である。代表曲は、松村和子が歌った「帰ってこいよ」。 臼杵市立豊洋中学校を卒業後、津久見市の大分県柑橘試験場津久見分場で学び、家業のミカン栽培に携わった。24歳の時に上京し、流しのかたわら、作曲を独学した。 千昌夫、小林旭、水前寺清子、村田英雄らの楽曲を作曲。代表曲の「帰ってこいよ」は、1980年発売の松村和子のデビュー曲で、翌1981年の「第32回NHK紅白歌合戦」でも歌われた。「一代のぼる」の名付け親は作詞家の星野哲郎である。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)のプロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。 1955年から1956年までの登録名は和田 博美。 鹿児島で生まれたが、父親の転勤で幼少時に臼杵へ転居。小学校5年から捕手となり、臼杵高校でも野球部に入部するが、父が「息子を医者にさせたい」と考えており一旦退部。後に「血を見るのは苦手だった」という事情で野球部に復帰。捕手として2年次の1953年に秋季九州大会へ進むが、1回戦で長崎商に延長15回サヨナラ負け。3年次の1954年も夏の甲子園県予選を勝ち抜き東九州大会に進出するが、1回戦で黒木基康のいた高鍋高に完封を喫し、甲子園には届かなかった。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。
埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年… 埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年2月23日)は、日本の植物生態写真家。40年以上植物の生態を撮り続けた。特に人生の後半は、植物が芽を出す瞬間を取り続けた。持論は足元に小宇宙がある。 1949年に「シャボテン研究家」(原文のママ)の龍膽寺雄に師事。1951年に東京農業大学に砂漠植物研究室を設置したとしている。 また、1960年には静岡県伊東市大室山のシャボテン公園の企画設計を担当し、砂漠植物研究室のコレクションを移した。 なお、同地は2016年10月22日に名称変更して「伊豆シャボテン動物公園」となっている。公園完成後に東京農業大学を辞して、山口県屋代島(周防大島)に移住。
佐藤 文夫(さとう ふみお、1929年2月14日 - 202… 佐藤 文夫(さとう ふみお、1929年2月14日 - 2023年8月23日)は、日本の経営者。東芝社長を務めた。 大分県臼杵市出身。1953年、東京大学工学部機械工学科卒業。同年、東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。1982年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1988年6月に副社長に就任した。1992年6月に社長に昇格し、1996年6月に会長に就任し、1999年からは相談役を務めた。 日本ロジスティクスシステム協会会長、日本科学技術振興財団理事、日本機械学会会長なども歴任した。 2023年8月23日腎不全のために死去。94歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
高橋百代(たかはし ももよ、1923年 - 1998年)は、… 高橋百代(たかはし ももよ、1923年 - 1998年)は、大分県臼杵市出身の小説家。大分県立臼杵高等女学校卒業。本名に同じ。 文芸雑誌『海燕』1983年6月号に「盲女の手すさび」が掲載され、地方文学の担い手として注目される。主たる活動の場をあえて地元同人誌におき、「みずき」、「臼杵文学」、「環状集落」、「東九州文学」、「詩と眞実」、「日田文学」などの文芸同人誌に作品を発表。(このうち「臼杵文学」は自身が創刊。) 1998年4月12日、大分市明野の山中にて不慮の死を遂げる。75歳没。
木梨 鷹一(きなし たかかず、1902年(明治35年)3月7… 木梨 鷹一(きなし たかかず、1902年(明治35年)3月7日 - 1944年(昭和19年)7月26日)は、日本の海軍軍人。海兵51期。伊19潜水艦長として、アメリカ海軍の正規空母ワスプを撃沈した武勲で知られる。最終階級は海軍少将。 大分県出身。臼杵中学校(現・大分県立臼杵高等学校)を経て海軍兵学校(51期)に入校。海兵51期の同期生には、クラスヘッドの樋端久利雄・大井篤・実松譲・井浦祥二郎・稲葉通宗ら著名な者が多い。木梨の兵学校入校席次は150番であったが、1923年(大正12年)7月の卒業時の席次は255名中255番と最下位であった。1924年(大正13年)12月、海軍少尉に任官。 帝国海軍では、兵学校卒業席次を基礎とする「ハンモックナンバー」が進級・補職に大きく影響した。
江藤 純平(えとう じゅんぺい、1898年3月25日 - 1… 江藤 純平(えとう じゅんぺい、1898年3月25日 - 1987年11月16日)は、日本の洋画家。 大分県臼杵市出身。1918年に東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科に入学し、岡田三郎助や片多徳郎に師事した。1923年に東京美術学校を卒業した。 1923年の第5回帝展に出品した「アトリエにて」が初入選した。1928年の第9回帝展に出品した「S氏像」と1929年の第10回帝展に出品した「F君の像」は2年連続特選となった。1933年の第14回帝展に出品した「室内裸婦」も特選を受賞した。 1932年ロサンゼルスオリンピックの芸術競技に"The Rugger"(和題不明)を出品した。 1937年に光風会に会員として参加した。
日名子 実三(ひなご じつぞう、1892年10月24日 - … 日名子 実三(ひなご じつぞう、1892年10月24日 - 1945年4月25日)は、日本の彫刻家。大分県臼杵市出身。 八咫烏を意匠とする日本サッカー協会(当時・大日本蹴球協会)のシンボルマークをデザインしたことでも知られる。 5人兄弟の末子として誕生。臼杵中学校(現・大分県立臼杵高等学校)を卒業後、親の勧めで慶應義塾大学部理財科に進学したものの程なく中退。その翌年1913年(大正2年)、東京美術学校彫刻家塑造部へと入学し首席で卒業。 学生時代から朝倉文夫の弟子として学び、1919年(大正8年)には作品「晩春」が帝国美術院展覧会に入選する等、世間的にも認知されるようになったが、1925年(大正14年)に作品の方向性の違いから独立することを選び、斎藤素巌と共に構造社を結成。
丸毛 信勝(まるも のぶかつ、1892年(明治25年)- 1… 丸毛 信勝(まるも のぶかつ、1892年(明治25年)- 1977年(昭和52年))は、大分県臼杵市出身の昆虫学者、農学博士、ゴルフ場設計者。 丸毛信勝は、1892年(明治25年)、大分県臼杵市の臼杵藩士、町奉行の家柄に生まれ、旧制杵築中学校を卒業し、東京帝国大学農学部に入学、昆虫学の三宅恒方に学んだ。 丸毛は蝶の研究で権威といわれ、日本昆虫図鑑を作成し、1921年(大正10年)、29歳で農学博士になった。その後、ドイツに留学し、帰国後、1964年(昭和39年)、釧路女子短期大学の学長を務めた。 ある時、芝の害虫調査の依頼があった、旧制杵築中学校の海軍中尉・吉良俊一(後・海軍中将)からである。丸毛は芝調査をするため、イギリスやアメリカのゴルフ場を視察し調べた。
野上 弥生子(のがみ やえこ、本名:野上 ヤヱ〈のがみ やゑ… 野上 弥生子(のがみ やえこ、本名:野上 ヤヱ〈のがみ やゑ〉、旧姓:小手川、1885年〈明治18年〉5月6日 - 1985年〈昭和60年〉3月30日)は、日本の小説家。大分県臼杵市生まれ。夏目漱石の紹介で『縁』を発表して以来、写実主義に根差す作風と、理知的リアリズムとで市民的良識を描き続け、明治から昭和末期まで80年余の作家活動を行った。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 フンドーキン醤油の創業家に生まれた。14歳の時に上京し、明治女学校に入学する。1906年に夏目漱石門下の野上豊一郎と結婚した。漱石と直接会うことは少なかったが主に書簡を通じて指導を受け、1907年、漱石の推薦によって『ホトトギス』に『縁』を発表し、作家デビューを果たした。
野上 豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 -… 野上 豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。「臼川」(きゅうせん)と号した。法政大学総長を務め、能研究の発展にも多大な寄与をした。レジョンドヌール・オフィシェ勲章受章者。 1883年、大分県臼杵市生まれ。臼杵中学、第一高等学校を経て1908年に東京帝国大学文科大学英文科を卒業。同級生に安倍能成・藤村操・岩波茂雄がいて、共に夏目漱石に師事した。 東京帝大卒業後、国民新聞社の文芸記者となる。1909年に法政大学講師となり、1920年に同大学教授となる。予科長・学監・理事を歴任し、森田草平・内田百閒・井本健作など漱石門下の文学者を教授陣に招聘するが、1933年に学内紛争(法政騒動)で辞職(1941年復職)。
橘 樸(たちばな しらき、1881年10月14日 - 194… 橘 樸(たちばな しらき、1881年10月14日 - 1945年10月25日)は、日本のジャーナリスト、評論家で、清末から日中戦争期にかけての中国で、『遼東新報』や『京津日日新聞』などに拠って活動した。 1881年、大分県臼杵の下級士族の家に長男として生まれた。中学時代は各地を転々とした後、第五高等学校に学んだが、退校処分となった。その後早稲田大学に入学したが、中退。 1905年に北海道に渡り、『北海タイムス』の新聞記者となった。しかし翌年の1906年に清末の大連へ渡り、『遼東新報』の記者となった。以降、記者として『京津日日新聞』『済南日報』といった新聞や、『日華公論』、『支那研究資料』、『月刊支那研究』、『調査時報』、『満蒙』、『新天地』、『読書会雑誌』、『満州評論』などの雑誌類に関わった。
長野 綱良(ながの つなよし、1879年(明治12年)1月8… 長野 綱良(ながの つなよし、1879年(明治12年)1月8日 - 1950年(昭和25年)7月29日)は、昭和期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、大分県大野郡戸上村長。 大分県大野郡、のちの戸上村(犬飼町、野津町戸上を経て現臼杵市)で、長野音五郎の長男として生まれる。野津高等小学校、臼杵の久保塾で学んだ。農業を営む。 戸上村会議員、同村長を務める。1915年(大正4年)大分県会議員に選出され、政治活動を本格的に開始。憲政会大分県支部常任理事、同幹事長を務め、同党の解散後、立憲民政党に加わり同党大分県支部幹事長となる。 1930年(昭和5年)2月、第17回衆議院議員総選挙(大分県第1区、立憲民政党公認)で初当選。
吉丸 一昌(よしまる かずまさ、1873年(明治6年)9月1… 吉丸 一昌(よしまる かずまさ、1873年(明治6年)9月15日 - 1916年(大正5年)3月7日)は、日本の作詞家、文学者、教育者。代表作は「早春賦」など。東京府立第三中学校教諭、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。大分県北海部郡海添村(現・臼杵市海添)出身。 日本基督教団の牧師で讃美歌第二編の委員長の藤田昌直の実父。 大分県の旧臼杵藩下級武士・吉丸角内の長男として生まれる。小学校尋常科から小学校高等科卒業までの成績は非常に優秀で、県から度々表彰を受けるほどだった。1889年、大分県立大分中学校(のち大分県立大分上野丘高等学校)を経て1894年、熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)に進学する。
大塚 幸兵衛(幸兵衞、おおつか こうべえ、1857年(安政4… 大塚 幸兵衛(幸兵衞、おおつか こうべえ、1857年(安政4年 7月)- 1910年(明治43年)1月12日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 豊後国海部郡、のちの大分県北海部郡臼杵町平清水(現臼杵市福良平清水)で商家に生まれた。漢学、数学を修めた。家業を継承し、商才に恵まれ、たばこ製造、米相場で多額の財産を得た。 大分郡会議員、臼杵町会議員、大分県勧業諮問会委員などを務めた。1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙(大分県第2区、山下倶楽部)で豊州会から選挙活動を行う予定であったが、改進派との話し合いで活動を停止したが、改進派の違約により投票日前日一日だけの選挙活動で当選し、「大塚の一日選挙」と称された。
山本 達雄(やまもと たつお、1856年4月7日〈安政3年3… 山本 達雄(やまもと たつお、1856年4月7日〈安政3年3月3日〉- 1947年〈昭和22年〉11月12日)は、明治後期から戦前昭和期の日本の銀行家・政治家。43歳で第5代日本銀行総裁に就任後、政界に転じて貴族院議員、日本勧業銀行総裁、大蔵大臣・農商務大臣・内務大臣・立憲民政党の最高顧問を歴任した。政界の長老的存在。 位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。号は竹渓。 豊後国臼杵藩士・山本確の次男として現在の大分県臼杵市に生まれる。藩校学古館に学び文武に秀で13歳で宗家の養嗣子となるが、実家・養家ともに貧しく、内職で家計を支えた。更に廃藩置県が追い討ちをかけることとなる。17歳で大阪に出て3年間小学校教師をしながら学資を稼ぎ、東京に出て慶應義塾で福澤諭吉に学ぶが、月謝を払うことが出来なかったため慶應義塾で学んだ期間は短かった。
箕浦 勝人(みのうら かつんど、1854年3月13日〈嘉永7… 箕浦 勝人(みのうら かつんど、1854年3月13日〈嘉永7年2月15日〉- 1929年〈昭和4年〉8月30日)は、日本の新聞記者、実業家、政治家。 豊後国臼杵で、臼杵藩の武道師範の実相寺常之丞の次男として生まれる。15歳で藩士箕浦又生の養子となる。慶應義塾出身で福澤諭吉の弟子。福澤諭吉の子孫の家庭教師を担当した。1880年(明治13年)、神戸新報(慶応義塾―交詢社系の新聞)を主筆(兵神交詢社会員、神戸商法講習所所長)として、社主安倍清誠五郎、代表三木善八(のち『郵便報知新聞』社主)、主幹鹿島 秀麿(のち兵庫県会議員をへて改進党系代議士)等と共に、創刊に関わった。郵便報知新聞社に入社し、新聞記者の後、社長となる。
荘田 平五郎(しょうだ へいごろう、1847年11月8日(弘… 荘田 平五郎(しょうだ へいごろう、1847年11月8日(弘化4年10月1日) - 1922年(大正11年)4月30日)は、豊後国臼杵藩出身の明治・大正期の三菱財閥の実業家・教育者。 長崎造船所第2代所長、三菱造船所支配人等を経て、三菱合資会社理事長、日本郵船社長、会長、東京海上火災保険会社会長等三菱の要職を歴任して大番頭といわれた。海員掖済会や日本勧業銀行、満鉄等の創立にも携わり、三菱商業学校(明治義塾)校長、三菱工業予備学校所長として三菱社員の教育にあたった。勲四等旭日小綬章、賜・銀杯一組。 弘化4年(1847年)、豊後国臼杵(現・大分県臼杵市)に、百石の世禄を食む臼杵藩士の儒者・荘田雅太郎允命の長男として生まれる。