小澤 武(こざわ たけし、1906年(明治39年)6月23日… 小澤 武(こざわ たけし、1906年(明治39年)6月23日 - 1985年(昭和60年)3月28日)は、日本の剣道家。段位は範士八段(全日本剣道連盟)。北辰一刀流剣術宗家(日本古武道協会認定)、新田宮流抜刀術継承者。 佐賀市生まれ。旧姓は中島。京都の大日本武徳会武道専門学校に入学し内藤高治に剣道を学ぶ。 1929年(昭和4年)、武道専門学校を卒業し、茨城県師範学校及び水戸商業高等学校の教諭に赴任。小澤家の婿養子となり[要出典]、水戸東武館第4代館長を務める。1932年(昭和7年)、武道専門学校研究科を卒業。 1953年(昭和28年)、太平洋戦争中の水戸空襲で焼失した水戸東武館を再建。1966年(昭和41年)、茨城県剣道連盟会長に就任。
乳井 義博(にゅうい よしひろ、1906年〈明治39年〉 -… 乳井 義博(にゅうい よしひろ、1906年〈明治39年〉 - 1975年〈昭和50年〉)は、日本の剣道家。高野佐三郎(修道学院)の高弟で、高野から剣道十段を授与された。 秋田県鹿角郡花輪村(現・鹿角市花輪)生まれ。1920年(大正9年)に上京し、14歳で高野佐三郎の道場修道学院に入門。中西派一刀流を学ぶ。 1922年(大正11年)頃、修道学院を抜け出し、単身武者修行の旅に出る。各地を渡り歩き、満州にまで上陸する。その後修道学院に戻る。修道学院三羽烏の一人に数えられ「白鬼」の異名をとる。 1929年(昭和4年)、高野の推薦により、22歳で宮城県仙台市の第二高等学校剣道師範に就任。育英中学校、小牛田農林高校、東北帝国大学などでも指導する。
大河内 一郎(おおこうち いちろう、1905年11月14日 … 大河内 一郎(おおこうち いちろう、1905年11月14日 - 1985年5月22日)日本の医師、医学博士、開業医、社会事業家。茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)出身。日本医科大学卒。 私財を投じ、福島県平市(現・いわき市)に、東北・北海道で最初の肢体不自由児施設・福島整肢療護園を開設。 医療と教育を通して、障害者の自立のためにつくした。 1905年茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)生まれ。 父・大河内友蔵は、鹿嶋市で剣道・柔道を教えていた。不二心流の大河内縫殿三郎・門人 藤城吉高、及び大河内正道に同流剣法を学ぶが、その後、正道の養子となり、不二心流五代目免状を受領し、大河内友蔵と名を改める。 鹿島神傳直心陰流・榊原健吉、一刀正傳無刀流・山岡鉄舟のもとでも修行して取立免状を受領する。
堀口 清(ほりぐち きよし、1903年(明治36年)7月12… 堀口 清(ほりぐち きよし、1903年(明治36年)7月12日 - 1991年(平成3年)4月16日)は、日本の剣道家。段位は全日本剣道連盟 剣道範士九段。居合道範士九段(英信流)。杖道範士。警視庁剣道名誉師範。 群馬県邑楽郡梅島村(現・明和町)新里に生まれる。 小学校入学前から、梅島尋常高等小学校で剣道を教えていた祖父・要吉および群馬師範出身の父・兼太郎から剣道の手ほどきを受ける。 1921年 専修商業学校(現:専修大学)の夜間部に通いながら、修道学院、小沢愛次郎の盈進塾興武館にて剣道に励む。 1924年 警視庁に奉職。神楽坂署へ配属となる。 1928年1月 神楽坂署担当師範だった堀田捨次郎から大刀を頂戴し居合を始める。
石田 和外(いしだ かずと、1903年5月20日 - 197… 石田 和外(いしだ かずと、1903年5月20日 - 1979年5月9日)は、日本の裁判官(第5代最高裁判所長官)、剣道家(第2代全日本剣道連盟会長、一刀正伝無刀流第5代宗家)、「英霊にこたえる会」初代会長、「元号法制化実現国民会議」初代議長。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。 福井県福井市生まれ。父は福井県庁職員。祖父の石田磊は福井商工会議所初代会頭、第九十二国立銀行頭取、福井市議会議長であった。 福井中学校在学中、父が46歳で他界し、一家で上京。錦城中学校を卒業し、1920年(大正9年)、旧制第一高等学校に進学。 東京帝国大学法学部を卒業する。 卒業後は司法省に入省。最高裁判所長官を務め、1973年5月定年退官。
橋本 正武(はしもと まさたけ、1903年〈明治36年〉1月… 橋本 正武(はしもと まさたけ、1903年〈明治36年〉1月13日 - 1983年〈昭和58年〉7月11日)は、日本の武道家(剣道、居合道)、林野技術官僚。 茨城県多賀郡十王町(現日立市)で生まれる。曾祖父、祖父は1864年(元治元年)、天狗党の乱に参加。父熊之介は私塾輔仁学舎で水戸学を学び、水戸東武館で剣道を修めた。その弟の統陽は東京美術学校で彫刻を学びながら有信館で剣道、居合を修行していた。 1920年(大正9年)、県立水戸農学校を優秀な成績で卒業し、進学するために叔父の統陽を頼って上京。統陽の口利きで有信館の二階の部屋を与えられ、予備校に通いながら中山博道に剣道、居合を学ぶ。 1921年(大正10年)、東京帝国大学農学部林学実科に入学。
閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう、1902年〈明治… 閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう、1902年〈明治35年〉8月3日 - 1988年〈昭和63年〉6月18日)は、日本の旧皇族、陸軍軍人、居合道家、剣道家。閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第2男子。閑院宮第7代当主にして最後の当主。軍人としての階級は陸軍少将。全日本居合道連盟第2代会長。栄典は大勲位・功四級。戦後は皇籍を離脱し、姓を閑院とし、「閑院 春仁(かんいん はるひと)」と名乗った。のちに「純仁(すみひと)」と改名した。 1902年(明治35年)8月3日 、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第2男子(第5子)として誕生。 学習院初等科を健康上の理由で長期休学し、その後神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、1924年(大正13年)7月陸軍士官学校(36期、兵科・騎兵)を卒業。
大野 操一郎(おおの そういちろう、1901年(明治34年)… 大野 操一郎(おおの そういちろう、1901年(明治34年)2月25日 - 1995年(平成7年)4月23日)は、日本の剣道家。段位は範士九段。雅号は雲外。国士舘大学の初代剣道部長。 島根県玉造村(現在の松江市)で代々村医をしている家の次男として生まれた。父は福間寛平、母はフサ。後年、大野藤吉・エイの養子となり大野姓となった。幼い頃から体格に恵まれ、運動神経は抜群であった。県立松江中学校で教師の芦田長一(俳優・芦田伸介の父)に剣道の手解きをうけ、持ち前の高い運動能力で頭角をあらわし、2年生で主将の腕前があると芦田にその素質を賞賛されたという。 1922年(大正11年)、東京高等師範学校(現在の筑波大学)体操科(剣道専攻)に入学。
高野 弘正(たかの ひろまさ、1900年〈明治33年〉10月… 高野 弘正(たかの ひろまさ、1900年〈明治33年〉10月31日 - 1987年〈昭和62年〉5月27日)は、日本の剣道家。称号は剣道範士、一刀流中西派(または小野派一刀流中西派)宗家。 小野派一刀流の剣道家高野佐三郎の次男として東京に生まれる。6歳より父の道場明信館で剣術を修行し、後に小野派一刀流を継承する。小野派一刀流の中西子定から数えて8代目にあたる。 1918年(大正7年)、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・日本大学第一高等学校)を卒業。1923年(大正12年)、東京高等師範学校体育科を卒業。1926年(大正15年)、大日本武徳会から精錬証を授与される。 昭和に入り、早稲田大学に奉職する一方、修道学院を運営、さらに劇団を作って主演もした。
矢野 一郎(やの いちろう、1899年2月7日 - 1995… 矢野 一郎(やの いちろう、1899年2月7日 - 1995年4月17日)は、日本の実業家(元第一生命会長)、剣道家(剣道範士)。
田中 知一(たなか ともかず、1898年(明治31年)7月1… 田中 知一(たなか ともかず、1898年(明治31年)7月13日 - 1983年(昭和58年)12月19日)は、日本の剣道家。段位称号は範士九段。 大分県日田市生まれ。15歳の頃、福岡県の門司で剣道を始める。 1914年(大正3年)、京都の大日本武徳会青年大会で活躍。 中野宗助(後の剣道範士十段)の書生となり大日本武徳会本部講習科で学ぶ。 1919年(大正8年)、京都府警察部巡査に任官。 1930年(昭和5年)、京都府警察部武道教師に就任(後、主席師範に昇任)。 1940年(昭和20年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会指定選士の部に出場。 龍谷大学、京都第二中学校、聖峰中学校の剣道師範を務める。
河野 百錬(こうの ひゃくれん、1898年〈明治31年〉2月… 河野 百錬(こうの ひゃくれん、1898年〈明治31年〉2月19日 - 1974年〈昭和49年〉5月20日)は、日本の居合道家、剣道家、武道家。無双直伝英信流第20代宗家。段位称号は全日本居合道連盟範士、名人位。旧大日本武徳会剣道錬士。現大日本武徳会剣道九段。百錬は号で、本名は稔。 無双直伝英信流第18代宗家、穂岐山波雄ならびに第19代宗家、福井春政に師事し、その後第20代宗家を継いだ。居合に関する書籍を多数出版しており、中でも『大日本居合道図譜(1943年)』、『無雙直傳英信流居合兵法叢書(1955年)』、『居合道真諦(1962年)』などは名著であり、半世紀以上経った現在でもこれをバイブルとする居合道家は少なくない。
和田 晋(わだ しん、1898年〈明治31年〉 - 1982… 和田 晋(わだ しん、1898年〈明治31年〉 - 1982年〈昭和57年〉9月17日)は、日本の剣道家。段位は範士九段(全日本剣道連盟)。一刀流溝口派剣術の継承者。 旧会津藩士・和田又四郎の子として福島県会津若松市に生まれる。祖父・井深宅右衛門は戊辰戦争の際、切腹前の萱野長修から箸で一刀流溝口派を伝授された。明治維新後、井深から又四郎に、又四郎から晋に受け継がれた。 1919年(大正7年)、東京高等師範学校に入学し、高野佐三郎に師事。卒業後、石川県師範学校、金沢第四高校、府立第七中学校、攻玉社中学校、若松商業高校、会津短期大学などで剣道を指導した。 晋は他言他見無用の掟を守り、一刀流溝口派を秘密にしていたが、自分が死去すれば貴重な形が失われてしまうため公開した。
小野 十生(おの じゅっせい[要出典]、1896年(明治29… 小野 十生(おの じゅっせい[要出典]、1896年(明治29年) - 1974年(昭和49年))は、日本の剣道家。段位は範士九段。流派は小野派一刀流。 佐賀県生まれ。佐々木正宜、納富教雄らに剣道を学び、佐賀県立鹿島中学校を卒業。京都の大日本武徳会本部講習生を経て、大日本武徳会滋賀支部、滋賀県警察部、朝鮮慶尚北道大邱警察、国士舘専門学校、警視庁の剣道師範を歴任。笹森順造から小野派一刀流剣術を学ぶ。
今井 新造(いまい しんぞう、1894年〈明治27年〉1月4… 今井 新造(いまい しんぞう、1894年〈明治27年〉1月4日 - 1962年〈昭和37年〉8月23日)は、大正から昭和期の実業家、剣道家、政治家。衆議院議員、剣道七段・教士、範士。 山梨県甲府市魚町(現中央三丁目)で生まれる。1924年(大正13)に分家した。 魚問屋業を営み、山梨モータース商会専務取締役、山梨開発協会取締役、甲府魚市場 (株) 顧問などを務めた。 政界では、山梨県会議員に選出され3期在任し、同参事会員も務めた。1936年(昭和11年)2月、第19回衆議院議員総選挙に山梨県全県区から出馬して当選し、第20回総選挙でも再選。1942年(昭和17年)4月、第21回総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受けて出馬し再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
末次 留蔵(すえつぐ とめぞう、1893年(明治26年)2月… 末次 留蔵(すえつぐ とめぞう、1893年(明治26年)2月27日 - 1975年(昭和50年)6月15日)は、日本の剣道家。段位は剣道範士七段、居合道範士八段、銃剣道範士八段。夢想神伝流居合を九州に広めた。 福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)の農家に生まれる。少年の頃より剣道、柔道を学んだ。水上尋常小学校を卒業。 1913年(大正2年)、志願して陸軍歩兵第48連隊に入隊。1914年(大正3年)、日独戦争青島の戦いに出征。1918年(大正7年)及び1919年(大正8年)、第18師団長主催の銃剣術大会を連覇。 1919年(大正8年)3月、陸軍戸山学校に入校。同時に剣道を学ぶため高野佐三郎の修道学院に入門し、その5日後には居合を学ぶため中山博道の有信館に入門した。
草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年〈明治25年〉… 草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年〈明治25年〉9月25日 - 1971年〈昭和46年〉11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校24期。最終階級は海軍中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。 1892年(明治25年)9月25日、住友本社理事・草鹿丁卯次郎の長男として東京で生まれる。本籍は石川県。草鹿家は加賀大聖寺藩に仕えた一族である。 石川県師範学校附属小学校を経て、大阪天王寺中学校を卒業。 草鹿龍之介著「一海軍士官の半生記」によると石川師範学校附属小学校時代には、陸軍中将青木重誠(陸士25期首席)と同級であり成績は草鹿が1番で青木が2番だったと回想している。
久保 義八郎(くぼ ぎはちろう、1889年〈明治22年〉12… 久保 義八郎(くぼ ぎはちろう、1889年〈明治22年〉12月6日 - 1949年〈昭和24年〉12月9日)は、徳島県出身の政治家、実業家、剣道家、柳生神影流第十世、久武館道場第二代館長、大日本忠孝館道場初代館長、東京帝国大学法学部卒。 1889年 (明治22年) 12月6日、名西郡国実村(現在の徳島県名西郡石井町浦庄字国実)の柳生神影流第9世久保源次郎利雄の長男として生まれた。小学校卒業後、村役場書記・小学校代用教員を務め、明治36年16歳で、第二琴平丸事務見習として乗船、日露戦争が勃発するや同船は軍の輸送船となり御用船として従軍、最年少であった。明治42年上京して、麻布獣医学校(現在の麻布大学獣医学部)に入学し、苦学して同45年3月首位で卒業した。
相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年〈明治22年〉9月… 相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年〈明治22年〉9月6日 - 1936年〈昭和11年〉7月3日)は、日本の陸軍軍人、剣道家。最終階級は陸軍歩兵中佐。皇道派将校として教育総監真崎甚三郎更迭に憤激し、統制派の軍務局長永田鉄山を殺害した相沢事件の犯人。 1889年(明治22年)9月6日、旧仙台藩士で裁判所書記、公証人となる相沢兵之助とまき子の長男として福島県西白河郡白河町(現白河市)に生まれる(本籍は宮城県仙台市東六番町1番地)。旧制一関中学校(現岩手県立一関第一高等学校)を経て、仙台陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を卒業する。陸軍士官学校に入り、1910年(明治43年)5月28日に卒業する(第22期)。
堀 正平(ほり しょうへい、1888年(明治21年)12月2… 堀 正平(ほり しょうへい、1888年(明治21年)12月2日 - 1963年(昭和38年)12月27日)は、日本の剣道家。段位は範士九段。 大日本武徳会武術教員養成所卒業。著書『大日本剣道史』は剣道史研究の名著として知られる。また、吉川英治の小説で宮本武蔵が注目される以前に『宮本吉岡決闘之地』の石碑を私費で建立した。 大分県別府に生まれる。父・堀政太郎は江戸時代には楊心流柔術の師範であったが、維新後は駄菓子屋を営んでいた。1894年(明治27年)、熊本県阿蘇郡小国村に移住し、12歳から父より剣術を学ぶ。1903年(明治36年)、旧中津藩士・丸山伝八より神一刀流剣術を学ぶ。 1905年(明治38年)、父と死別。
斎村 五郎(さいむら ごろう、1887年(明治20年)5月4… 斎村 五郎(さいむら ごろう、1887年(明治20年)5月4日 - 1969年(昭和44年)3月13日)は、日本の剣道家。段位は範士十段。昭和の剣聖の一人に挙げられ「剣聖十段」といわれた。また、その気性の激しさから、“雷五郎”、“ケンカ五郎”とも呼ばれた。
大麻 勇次(おおあさ ゆうじ、1887年(明治20年)1月1… 大麻 勇次(おおあさ ゆうじ、1887年(明治20年)1月16日 - 1974年(昭和49年)2月22日)は、日本の剣道家。段位は範士十段。熊本の新陰流(上野新陰流)の和田傳の弟子。 1887年(明治20年)、熊本県玉名市安楽寺に生まれる。弟は後に衆議院議員、国家公安委員会委員長を務める大麻唯男。 1909年(明治42年)から1910年(明治43年)まで、大日本武徳会本部講習生として剣道を修行する。 その後、熊本に帰り、大日本武徳会熊本支部、熊本陸軍幼年学校で剣道を指導する。 1915年(大正4年)、精錬証を授与される。 1921年(大正10年)12月から1945年(昭和20年)まで、大日本武徳会佐賀支部、佐賀県警察部、佐賀高校などの剣道師範を歴任。
笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年〈明治19年〉5… 笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年〈明治19年〉5月18日 - 1976年〈昭和51年〉2月13日)は、日本の政治家、教育者、剣道家。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は政治学士、剣道範士。東奥義塾塾長、青山学院院長、衆議院議員(4期)、参議院議員(3期)、復員庁総裁、賠償庁長官、全日本剣道連盟最高顧問などを歴任した。 青森県中津軽郡弘前町弘前若党町(現:弘前市若党町)に旧弘前藩藩士・笹森要蔵の六男として誕生。8歳で北辰堂道場に入門し、小野派一刀流剣術を学ぶ。14歳のときキリスト教の洗礼を受ける。 1910年、早稲田大学政治経済科を卒業後、雑誌『新公論』記者を経て1912年に渡米し、コロラド州デンバー大学大学院を修了。
木村 篤太郎(きむら とくたろう、1886年〈明治19年〉2… 木村 篤太郎(きむら とくたろう、1886年〈明治19年〉2月7日 - 1982年〈昭和57年〉8月8日)は、日本の政治家、検察官、弁護士、剣道家である。 検事総長(第19代)、第一東京弁護士会会長(第16代)、法務大臣(初代)、保安庁長官(初代)、防衛庁長官(初代)、全日本剣道連盟会長(初代)等を歴任した。 太平洋戦争での日本の敗戦直後に政官界へ転じ、幣原喜重郎首相によって検事総長に登用され、続く吉田茂内閣では司法大臣として初入閣。1946年(昭和21年)11月3日に公布された日本国憲法には、首相の吉田、無任所国務大臣の幣原に続き三番目に署名した。 その後、公職追放令により公職追放されるが、追放解除程無くして第3次吉田内閣の改造時に法務府初代総裁として再入閣。
小川 金之助(おがわ きんのすけ、1884年〈明治17年〉5… 小川 金之助(おがわ きんのすけ、1884年〈明治17年〉5月18日 - 1962年〈昭和37年〉3月30日)は、日本の剣道家。段位称号は範士十段。 愛知県丹羽郡岩倉村(現・岩倉市)に生まれる。名古屋へ出て北辰一刀流 加藤貫一(加藤七左衛門の養父)に入門。 愛知県警察部に勧誘されたが、小川は警察官になる気はなく、一旦断った。「制服は着なくてもよい、試験だけは形式的に受けろ」と説得され、1903年(明治36年)、愛知県警察部に奉職。京都の大日本武徳会出張修行を命じられ、3年半修行した。 愛知県巡査教習所剣道教師を経て、1914年(大正3年)に内藤高治の要請で武道専門学校助手に就任。 1919年(大正8年)、道場「弘道館」を開く。
加藤 完治(かとう かんじ、1884年(明治17年)1月22… 加藤 完治(かとう かんじ、1884年(明治17年)1月22日 - 1967年(昭和42年)3月30日)は、日本の教育者、農本主義者、剣道家。
石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月2… 石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月26日 - 1948年〈昭和23年〉3月25日)は、大正から昭和前期の剣道家、政治家、雑誌編集者。衆議院議員。 茨城県久慈郡、のちの久米村(金砂郷村、金砂郷町を経て現常陸太田市)で生まれる。1911(明治44年)に分家した。 中央大学で学び、銀行業に従事。大蔵省嘱託となり、狩猟調査委員を務めた。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に茨城県第4区から出馬して初当選。以後、第15回、第16回、第18回、第19回総選挙で再選され、衆議院議員に通算5期在任した。この間、齋藤内閣と岡田内閣の陸軍参与官などを務めた。1935年(昭和10年)には、昭和会の結党にも参加した。
野間 清治(のま せいじ、1878年〈明治11年〉12月17… 野間 清治(のま せいじ、1878年〈明治11年〉12月17日 - 1938年〈昭和13年〉10月16日)は、明治から昭和時代前期の日本の実業家、剣道家。講談社創業者、元報知新聞社社長。「雑誌王」と呼ばれ、昭和時代前期の出版界を牽引した。 父の野間好雄は北辰一刀流の剣豪森要蔵の高弟で、母の文は森要蔵の長女である。清治も剣道に励んだが、1912年(明治45年)、東京帝国大学での稽古中にアキレス腱を断裂し、修行を断念。その後は剣道家のパトロンとして活動する。屋敷内に野間道場を開設し、持田盛二や中山博道など有名な剣道家を歓待するとともに、講談社の全社員に剣道を奨励するなど全人教育として剣道の普及に努め、「剣道社長」と呼ばれた。
植田 平太郎(うえた へいたろう、1877年〈明治10年〉8… 植田 平太郎(うえた へいたろう、1877年〈明治10年〉8月14日 - 1949年〈昭和24年〉7月25日)は、日本の剣道家。流派は天真正伝神道流剣術、無双神伝英信流抜刀術、無双神伝抜刀術兵法。称号は大日本武徳会剣道範士、居合術教士。 昭和天覧試合3回出場。大日本武徳会香川支部、香川県警察部、高松監獄署、高松高等商業学校、高松商業学校、高松第一中学校の剣道師範を務めた。 愛媛県香川郡池西村(現香川県高松市)生まれ。父与佐衛門は天真正伝神道流剣術に堪能で、農業のかたわら自宅に道場を開いていた。平太郎は14歳から与佐衛門に天真正伝神道流剣術を学び、30歳のとき皆伝を授かった。また、16歳から叔父の酒井親時に宅間当流柔術を学んだ。
高野 茂義(たかの しげよし、1877年〈明治10年〉1月2… 高野 茂義(たかの しげよし、1877年〈明治10年〉1月2日 - 1957年〈昭和32年〉3月31日)は、日本の剣道家。流派は中西派一刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。旧姓は千種。 旧水戸藩の北辰一刀流指南役・千種甲午郎茂春の次男として茨城県水戸に生まれる。小学校の仲間に、内藤高治の甥で後に横綱力士となる常陸山谷右エ門がいた。茂義は力が強く、相撲部屋への入門を勧められたこともあったという。 14歳で父を亡くし、旧弘道館剣術方教授小澤寅吉の道場・東武館で剣術を学ぶ。1895年(明治28年)、高野佐三郎(中西派一刀流)の道場・浦和明信館に入門。1900年(明治33年)、高野佐三郎の養子となる。 1914年(大正3年)、南満州鉄道株式会社の招聘を受け、終戦まで同社の剣道師範を務める。
渡辺 栄(わたなべ さかえ、1877年〈明治10年〉 - 1… 渡辺 栄(わたなべ さかえ、1877年〈明治10年〉 - 1958年〈昭和33年〉)は、日本の剣道家(直清流)。大日本武徳会剣道範士。昭和天覧試合に2回出場した。 香川県丸亀市に生まれる。1906年(明治39年)から1909年(明治42年)まで大日本武徳会本部で剣道を修行する。 1929年(昭和4年)、御大礼記念天覧武道大会指定選士の部に出場。古賀恒吉、富田長太郎、島谷八十八とリーグを戦い、1勝2敗で敗退する。 1932年(昭和7年)、大日本武徳会から剣道範士号を授与される。 1940年(昭和15年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会特選試合(模範試合)に出場し、植田平太郎との試合を披露した。
緒方 武(おがた たけし、1873年〈明治6年〉1月12日 … 緒方 武(おがた たけし、1873年〈明治6年〉1月12日 - 1940年〈昭和15年〉6月4日)は、熊本県出身の日本の剣道家(教士)、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は、陸軍歩兵中尉(従七位勲六等)、元熊本県議会議員。 明治6年(1873年)1月12日、父清彦、母千伊の長男として熊本県西合志村梅屋敷(現合志市)に生まれる。 心通学舎(現・合志小学校)から済々黌で学び、東京師範学校に入る。剣道は新陰流(戸波派)宮川末五郎の相伝を受け、第十九代当主となる。 明治30年(1897年)から明治33年まで第五高等学校に奉職。同僚に夏目漱石がいる。 明治33年(1900年)三宅多留次と武徳祭にて柔道試合。 明治36年(1903年)より紫溟会から熊本県議会議員選挙に出馬、当選。
星野 仙蔵(ほしの せんぞう、1870年2月15日〈明治3年… 星野 仙蔵(ほしの せんぞう、1870年2月15日〈明治3年1月15日〉 - 1917年〈大正6年〉8月26日)は、日本の実業家、政治家、剣道家。 星野家の当主は代々星野仙蔵を名乗っており、10代目に当たる。別名は星野安大郎。家業は回漕問屋「福田屋」。埼玉県会議員、衆議院議員を務め、東上鉄道(現、東武東上線)建設に尽力した。また、大日本武徳会の剣道家としても有名で、中等学校への剣道採用請願運動を推進し、大日本帝国剣道形制定委員も務めた。 武蔵国入間郡福岡村(現埼玉県ふじみ野市)生まれ。新河岸川の舟運で栄える福岡河岸で回漕問屋「福田屋」を営み、米穀取引所監査や川越商業銀行頭取、黒須銀行を経て、1899年(明治32年)に埼玉県会議員になる。
中山 伝蔵(なかやま でんぞう、1864年10月2日〈元治元… 中山 伝蔵(なかやま でんぞう、1864年10月2日〈元治元年9月2日〉 - 1932年〈昭和7年〉5月2日)は、日本の剣道家である。 武蔵の坂浜(現在の東京都稲城市)生まれ。四谷の真貝忠篤の道場で田宮流の奥伝をうける。その後稲城で道場伝喜館を開き、1932年(昭和7年)に死去するまで剣道術を伝授した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
小沢 愛次郎(おざわ あいじろう、1864年1月28日(文久… 小沢 愛次郎(おざわ あいじろう、1864年1月28日(文久3年12月20日) - 1950年(昭和25年)6月19日)は、日本の政治家、剣道家。 埼玉県会議員(4期)、衆議院議員(5期)を務め、剣道の中学校正科編入への請願運動に尽力した。流派は小野派一刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。 武蔵国埼玉郡小針村(埼玉県北埼玉郡小針村、太田村を経て現行田市)で、小鹿原安次郎の弟、地主・田島竹之助の従兄弟として生まれ、桑崎村(岩瀬村を経て現羽生市)の素封家・小沢丈右衛門の養子となる。佐倉藩士・倉田幽谷から盈進義塾で漢学を学んだ。 1877年(明治10年)4月、14歳から忍町佐間(現行田市)の講武場道場で旧忍藩剣術指南役松田十五郎に小野派一刀流を学ぶ。
西久保 弘道(にしくぼ ひろみち、1863年6月30日〈文久… 西久保 弘道(にしくぼ ひろみち、1863年6月30日〈文久3年5月15日〉- 1930年〈昭和5年〉7月8日)は、日本の内務官僚、政治家、剣道家。 福島県知事(第19代)、北海道庁長官(第13代)、警視総監(第23代)、貴族院議員(勅選)、大日本武徳会武道専門学校校長(第5代)、東京市長(第11代)を歴任した。流派は一刀正伝無刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。 三重県警部長従七位の西久保紀林の子、肥前国佐賀郡鍋島村八戸(現:佐賀市)に生まれる。司法省法学校予科を経て、東京帝国大学法科大学卒。 内務省に出仕し官吏として累進した弘道は福島県知事、北海道長官、警視総監を歴任する。その後大礼使参与を務め、その功により勲二等瑞宝章を受章。
高野 佐三郎(たかの ささぶろう、文久2年6月13日〈186… 高野 佐三郎(たかの ささぶろう、文久2年6月13日〈1862年7月9日〉 - 昭和25年〈1950年〉12月30日)は、日本の剣道家。流派は中西派一刀流剣術。称号は大日本武徳会剣道範士。諱は豊正。号は靖斎。 警視庁撃剣世話掛、東京高等師範学校教授などを歴任した、昭和初期剣道界の第一人者。 武蔵国秩父郡(現埼玉県秩父市)に生まれる。幼少時から祖父で忍藩剣術指南役の高野佐吉郎に中西派一刀流剣術を学ぶ。5歳のとき忍藩主松平忠誠の御前で中西派一刀流の組太刀56本を演武し、褒賞を賜る。 その後、上京して山岡鉄舟に師事し、明治19年(1886年)警視庁巡査に任官。本所元町署撃剣世話掛を務め、「警視庁の三郎三傑」の一人に数えられる。
川崎 善三郎(かわさき ぜんざぶろう、万延元年4月(1860… 川崎 善三郎(かわさき ぜんざぶろう、万延元年4月(1860年) - 昭和19年(1944年)4月29日)は、日本の剣道家。流派は無外流剣術。称号は大日本武徳会剣道範士。職業は警察官。諱は重徳。 万延元年(1860年)、土佐藩剣術指南役・川崎専輔の子として、高知城下の北新町田淵(現在の高知市桜井町)に生まれる。川崎家は代々無外流剣術で藩に仕えた。無外流は土佐藩の有力な剣術流儀で、藩主山内容堂も学んでいる。善三郎は7歳から父に剣術を学び、鏡新明智流の馬詰栄馬、馬渕桃太郎、小野派一刀流の石山孫六などの指南も受け、上達した。 明治16年(1883年)、馬渕桃太郎率いる撃剣興行一座の一員として大阪に遠征し、高橋赳太郎(無外流高橋派)と対戦する。
浅野 一摩(あさの かずま、1852年5月26日〈嘉永5年4… 浅野 一摩(あさの かずま、1852年5月26日〈嘉永5年4月8日〉 - 1934年〈昭和9年〉10月30日)は、日本の剣道家。流派は津田一伝流。称号は大日本武徳会剣道範士。 一伝流浅野庄太夫重賢の二男として、現在の福岡県久留米市荘島町に生まれる。重賢が若くして病没後、一門とともに津田一左衛門正之に合流、津田一伝流の極意印可巻を授かる。 1883年(明治16年)、福岡県警察本部教習所の剣道教授となる。 1894年(明治27年)、日清戦争中の広島大本営で開かれた天覧試合に出場する。 1896年(明治29年)、第2回武徳祭大演武会に出場。高野佐三郎に敗れる。 1897年(明治30年)、大日本武徳会から精錬証を授与される。
香川 善治郎(かがわ ぜんじろう、1848年6月14日(嘉永… 香川 善治郎(かがわ ぜんじろう、1848年6月14日(嘉永元年5月14日)- 1921年(大正10年)3月7日)は、日本の剣道家。流派は一刀正伝無刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。一刀正伝無刀流山岡鉄舟の高弟。 讃岐国豊田郡古川村(現香川県観音寺市)の中農の二男として生まれる。幼少時に母が他界し、父も病弱であったため祖父母に養育される。祖父磯五郎は武術を好み、自宅に道場を備えていた。 15歳で丸亀藩剣術師範の直清流矢野市之進に入門。3年後の1865年(慶応元年)江戸に出て、田宮流島村勇雄の道場に1年間留学。1866年(慶応2年)に帰郷し矢野から直清流目録を授けられる。その年祖父磯五郎が死去。 1870年(明治3年)、赤心報国党に参加し挙兵を企て捕縛される。
植田 史生(うえだ ふみお)は、日本のスポーツ科学者、剣道家… 植田 史生(うえだ ふみお)は、日本のスポーツ科学者、剣道家。慶應義塾大学体育研究所教授。 長崎県小浜町(現:雲仙市)出身。長崎県立長崎東高等学校を卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科に進学。剣道部で活動し、1976年の早慶戦では優秀選手に選出された(同年の優秀選手には早稲田大学の谷藤裕明・元盛岡市長がいる)。大学卒業後、1977年慶應義塾大学体育研究所助手、1987年専任講師、1994年助教授を経て、2004年に教授就任。2005年から2013年まで体育研究所長を務めた。剣道の動作分析に関する研究や、スポーツ選手のレーザー治療に関する研究に従事している。剣道の指導にも取り組んでおり、2001年から2003年まで慶應義塾大学剣道部監督を務めたほか、2002年からハーバード大学剣道部コーチを務めている。