十二代目 市川 團十郎(じゅうにだいめ いちかわ だんじゅう… 十二代目 市川 團十郎(じゅうにだいめ いちかわ だんじゅうろう、1946年(昭和21年)8月6日 - 2013年(平成25年)2月3日)は、日本の俳優、歌舞伎役者。本名は堀越 夏雄(ほりこし なつお)。屋号は成田屋、定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょようぼたん)。俳名に柏莚(はくえん)がある。左利き。
職業が歌舞伎:112人
十二代目 市川 團十郎(じゅうにだいめ いちかわ だんじゅう… 十二代目 市川 團十郎(じゅうにだいめ いちかわ だんじゅうろう、1946年(昭和21年)8月6日 - 2013年(平成25年)2月3日)は、日本の俳優、歌舞伎役者。本名は堀越 夏雄(ほりこし なつお)。屋号は成田屋、定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょようぼたん)。俳名に柏莚(はくえん)がある。左利き。
四代目 市川 段四郎(いちかわ だんしろう、1946年〈昭和… 四代目 市川 段四郎(いちかわ だんしろう、1946年〈昭和21年〉7月20日 - 2023年〈令和5年〉5月18日)は、歌舞伎役者。東京都出身。本名は喜熨斗 宏之(きのし ひろゆき)。屋号は澤瀉屋。定紋は三升に段の字、替紋は八重澤瀉。俳名は笑楽。日本舞踊の名取は琴吹 千草(ことぶき ちぐさ)。公称身長163cm、体重57kg、血液型O型。 兄の二代目市川猿翁(三代目市川猿之助)とともに一座を組み副将として猿之助の舞台を助ける一方、市川一門の高弟として市川宗家の舞台では要の役どころをつとめる機会も多い。骨太の芸で荒事や丸本物の敵役などを得意とした。 最後の舞台出演は奇しくも長男・四代目市川猿之助が座頭を勤め制作した、2015年(平成27年)11月新橋演舞場上演のスーパー歌舞伎セカンド『ワンピース』でのガープ中将役(Wキャスト)だった。
六代目 尾上 松助(ろくだいめ おのえ まつすけ、1946年… 六代目 尾上 松助(ろくだいめ おのえ まつすけ、1946年(昭和21年)7月13日 - 2005年(平成17年)12月26日)は、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は抱き若松。本名は井上 真一(いのうえ しんいち)。
二代目 中村吉右衛門(なかむら きちえもん、1944年〈昭和… 二代目 中村吉右衛門(なかむら きちえもん、1944年〈昭和19年〉5月22日 - 2021年〈令和3年〉11月28日)は、歌舞伎役者。屋号は播磨屋、定紋は揚羽蝶、替紋は村山片喰。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。位階は正四位。旭日重光章受章(没後追贈)。公称身長178 → 176cm・体重79kg・血液型B型。ふたご座。俳名:秀山。ペンネーム:松貫四。 東京都千代田区出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科中退。 3歳から松本流松本幸子、六代目藤間勘十郎に日舞、小学4年より和田喜太郎に和泉流狂言、杵屋栄二に長唄、藤舎呂船に鳴物、中学からは竹本小仙に義太夫、大学時には作曲家の半間厳一に声楽を習う。
十五代目 片岡 仁左衛門(じゅうごだいめ かたおか にざえも… 十五代目 片岡 仁左衛門(じゅうごだいめ かたおか にざえもん 1944年3月14日 - )は、歌舞伎役者、俳優。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。歌舞伎名跡「片岡仁左衛門」の当代。
七代目 尾上 菊五郎(しちだいめ おのえ きくごろう、194… 七代目 尾上 菊五郎(しちだいめ おのえ きくごろう、1942年10月2日 - )は、日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「尾上菊五郎」の当代。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。日本芸術院会員、重要無形文化財「歌舞伎立役」の各個認定の保持者(人間国宝)。 本名は寺嶋 秀幸(てらじま ひでゆき)。公称身長167cm・体重65kg・AB型。妻は富司純子、長女は寺島しのぶ、長男は八代目尾上菊五郎。 20代の菊之助時代に三之助の一人として人気を博した。またその端整な顔立ちから、NHK大河ドラマ『源義経』(1966/昭和41年)を当時最年少で主演した。静御前に扮した藤純子とはこの共演を縁に、後に結婚した。
二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年… 二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年〈昭和17年〉8月19日 - )は、日本の歌舞伎役者、日本舞踊家、俳優。屋号は高麗屋。定紋は四つ花菱、替紋は浮線蝶。歌舞伎名跡「松本白鸚」の当代。前名の九代目 松本 幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう)としても知られる。俳名に錦升(きんしょう)がある。また舞台演出家としては九代 琴松(くだい きんしょう)の名を用いることがある。東京都出身。暁星中学校・高等学校卒業、早稲田大学第一文学部文学科演劇専修中退。本名は藤間 昭曉(ふじま てるあき)。 日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受賞者。 身長175cm、体重78kg、血液型B型。 歌舞伎では、お家の高麗屋の芸を継承するだけでなく、外祖父の播磨屋の重厚な演目も受け継いでおり、『勧進帳』の武蔵坊弁慶役は1200回という現役最多の出演記録を誇り、時代物の主人公役は高く評価される。
九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942… 九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942年8月19日 - )は、日本の俳優、歌舞伎役者、舞踊家。日本藝術院会員。本名、藤間 昭暁(ふじま てるあき)。
二代目 片岡 秀太郎(にだいめ かたおか ひでたろう、194… 二代目 片岡 秀太郎(にだいめ かたおか ひでたろう、1941年(昭和16年)9月13日 - 2021年(令和3年)5月23日)は、俳優、歌舞伎役者。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割り丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。重要無形文化財「歌舞伎脇役」の保持者として各個認定(いわゆる人間国宝)。本名は片岡 彦人(かたおか よしひと)。同志社香里高等学校卒業。 大阪府吹田市生まれ。十三代目片岡仁左衛門の次男。1946年(昭和21年)10月京都南座で『吉田屋』の禿役で本名の片岡彦人で初舞台。1956年(昭和31年)3月大阪歌舞伎座の『河内山』の浪路で二代目片岡秀太郎を襲名。上方色の濃い柔らか味の有る女形として活躍。
上村 以和於(かみむら いわお、1940年12月22日 - … 上村 以和於(かみむら いわお、1940年12月22日 - )は、日本の歌舞伎評論家。 本名・上村巌。東京生まれ。慶應義塾大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了。1977年より歌舞伎劇評・ 評論活動を『演劇界』などを中心に開始、94年より「日本経済新聞」の劇評を担当。山村女子短期大学教授。1994年関西文学賞受賞。ブロガーでもある。2005年より自サイトで随談を連載。公式サイト: http://iwaokamimura.jp
四代目 市川左團次(よだいめ いちかわ さだんじ 1940年… 四代目 市川左團次(よだいめ いちかわ さだんじ 1940年 (昭和15) 11月12日 - )は、歌舞伎役者、日本の俳優。本名は荒川 欣也(あらかわ きんや)。屋号は高島屋、定紋は三升に左(みますに ひだり)だが、通常は替紋の松皮菱に鬼蔦(まつかわびしに おにづた)を使用。歌舞伎名跡「市川左團次」の当代。
嵐 圭史(あらし けいし、1940年3月31日 - )は、日… 嵐 圭史(あらし けいし、1940年3月31日 - )は、日本の歌舞伎俳優。 東京都武蔵野市出身。屋号は豊嶋屋。本名、寺田勝之。 高祖父は二代目嵐璃珏、祖父は四代目嵐芳三郎、父は五代目嵐芳三郎、兄は六代目嵐芳三郎。弟は声優・舞台俳優の麦人。甥は六代目河原崎國太郎と七代目嵐芳三郎。妹は文学座の寺田路恵、シャンソン歌手の広瀬節子など芸能一家の出身。劇団前進座の座員たちが共に暮らす共同住宅で初めて生まれた赤ん坊であるという。 東京都立三鷹高等学校中退、俳優座養成所出身。 前進座の活動を中心としていたが、映画などの外部出演も多い。近年では、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』など。1985年に紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。
二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年… 二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年〈昭和14年〉12月9日 - 2023年〈令和5年〉9月13日)は、日本の歌舞伎役者、俳優、演出家。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三つ猿。俳名に華果(かか)がある。紫派藤間流二代目家元としては二代目 藤間 紫(にだいめ ふじま むらさき)を名乗る。本名は喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)。東京都出身。 「猿翁」は隠居名で、49年間にわたり名乗り続けた三代目 市川 猿之助(さんだいめ いちかわ えんのすけ)としても広く知られる。 文化功労者、従四位、旭日中綬章。子は九代目市川中車(香川照之)。 公称身長165cm・体重68kg・A型。千代田区立番町小学校、慶應義塾中等部・慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部国文学科を卒業。
喜熨斗 勝(きのし まさる、1935年(昭和10年)10月3… 喜熨斗 勝(きのし まさる、1935年(昭和10年)10月3日 - 2022年(令和4年)6月)は、神奈川県鎌倉市出身の歌舞伎研究家、フリーアナウンサー。 父は二代目市川小太夫、伯父は初代市川猿翁という歌舞伎一家に育ち、幼少期は歌舞伎の舞台にも立ったことがある。 鎌倉学園中学校・高等学校時代は演劇部に参加。劇団民藝の演出家である松尾哲次の研究会で演出と演技を学んだ。 明治大学演劇学科卒業後、文化放送に入社。同局のアナウンサーとして活躍し、1963年(昭和38年)に退職後にフリーアナウンサーとなる。文化放送が出資するフジテレビを中心に活躍、人気番組『3時のあなた』の司会アシスタントとして知られるようになる。
五代目 片岡 我當(ごだいめ かたおか がとう、1935年1… 五代目 片岡 我當(ごだいめ かたおか がとう、1935年1月7日 - 2025年5月11日)は上方の歌舞伎役者。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割丸に二引、替紋は五枚銀杏。俳名に壽蘭。本名は片岡 秀公(かたおか ひできみ)。 十三代目片岡仁左衛門の長男として、東京に生まれる。同志社大学工学部卒業。 1940年10月、大阪歌舞伎座で片岡秀公の名で『堀川』のおつる役で初舞台。戦後は父、兄弟と共に関西に本拠地を移し、「七人の会」、「仁左衛門歌舞伎」に参加。 1971年、大阪新歌舞伎座で『桜時雨』の三郎兵衛、『二月堂』の良弁で、五代目片岡我當を襲名。その後、父、弟や三代目實川延若、三代目中村鴈治郎らとともに関西歌舞伎の復興に活躍、大阪府民劇場賞を受賞する。
七代目 嵐 徳三郎(しちだいめ あらし とくさぶろう、193… 七代目 嵐 徳三郎(しちだいめ あらし とくさぶろう、1933年(昭和8年)12月20日 - 2000年(平成12年)12月5日)は上方の歌舞伎役者。屋号は葉村屋。定紋は三つ橘、替紋は九枚笹。本名は横田 一郎(よこた いちろう)。 香川県高松市生まれ。会社員の父と結髪師の母との間に生まれる。日本大学芸術学部に在学中、国劇研究会の公演で歌舞伎を演じた事が松竹会長の大谷竹次郎に認められ、学士俳優の第一号の一人として大谷ひと江の名で昭和31年 (1956) 4月中座の『五十年忌歌念仏』(お夏清十郎)で初舞台。会長の苗字を芸名にするという破格の待遇だった。 この頃までに関西歌舞伎は凋落の一途をたどっていたが、その中にあっても有望な若手俳優として力をつけ、昭和39年 (1964) 9月の仁左衛門歌舞伎公演で片岡孝夫の相方をつとめた『女殺油地獄』のお吉で大阪府民劇場奨励賞を受賞。
藤田 洋(ふじた ひろし、1933年10月24日 - 201… 藤田 洋(ふじた ひろし、1933年10月24日 - 2018年9月28日)は、日本の歌舞伎・演劇評論家。 東京府生まれ。青山学院大学文学部卒。1962年から『演劇界』の編集に携わり、1980年より編集長、演劇出版社社長。 1970年:菊田賞受賞、1986年:独立。1993年:『演劇年表』で芸術選奨文部大臣賞を受賞する。 1993年から1996年まで第二国立劇場(現・新国立劇場)の初代演劇芸術監督を務める。 1999年:紫綬褒章受章。2005年:旭日小綬章受章。2018年:敗血症のため死去した。享年84。墓所は多磨霊園。 日本演劇協会専務理事、文化財保護審議会専門委員、隔月刊誌『新・能楽ジャーナル』編集委員などを務めた。
中村又蔵(なかむら またぞう、2代目、1933年6月4日 -… 中村又蔵(なかむら またぞう、2代目、1933年6月4日 - 2017年3月7日)は、歌舞伎俳優。 東京市出身。本名・伊藤進。俳名は伊藤公貴、ペンネームは田口大蔵。上智大学文学部独文科に学び、演劇部で活動、一学年下に井上ひさしがいた。在学中に坂東三津五郎 (8代目)の知遇を得て、義弟にあたる中村又五郎 (2代目)に入門する。1961年、又五郎について東宝入りし、本名の伊藤進で、62年「義経千本桜」で初舞台、64年東宝の「国性爺合戦」の虎の役で菊田一夫奨励賞を受賞、67年国立劇場『佐倉義民伝』で二代目中村又蔵を襲名、名題昇進する。国立劇場歌舞伎俳優養成課で研修生の指導に当たる。75年松竹に復帰。英語、ドイツ語が堪能で、1978年ハワイ大学演劇部の学生に稽古をつけ、82年には国際交流基金の依頼でミュンヘン大学で歌舞伎を教える。
六代目 澤村田之助(ろくだいめ さわむら たのすけ、新字体:… 六代目 澤村田之助(ろくだいめ さわむら たのすけ、新字体:沢村、1932年(昭和7年)8月4日 - )は歌舞伎役者。屋号は紀伊國屋、定紋は釻菊、替紋は波に千鳥。舞踊の名取名は藤間 勘之(ふじま かんじ)。本名は山中 宗雄(やまなか むねお)。人間国宝。
服部 幸雄(はっとり ゆきお、1932年7月28日 - 20… 服部 幸雄(はっとり ゆきお、1932年7月28日 - 2007年12月28日)は、歌舞伎研究家、芸能研究家、日本文化史家。千葉大学名誉教授。 愛知県海部郡弥富町(現・弥富市)に生まれる。1955年に名古屋大学大学文学部卒業。 高校教師を経て、1967年より国立劇場芸能調査室主任専門員。1969年芸術選奨新人賞受賞。1984年より千葉大学教授、1999年退職して千葉大学名誉教授となるとともに、日本女子大学教授となり、2001年まで務めた。視野の広い歌舞伎研究と日本文化史の研究で知られる。 国立劇場における復活狂言を監修し、『歌舞伎俳優名跡便覧』を編纂して歌舞伎の史料的保存に努めた。研究者としても、『歌舞伎成立の研究』において、阿国かぶきを歌舞伎の始まりとする俗説を排した。
四代目 坂田 藤十郎(さかた とうじゅうろう、1931年〈昭… 四代目 坂田 藤十郎(さかた とうじゅうろう、1931年〈昭和6年〉12月31日 - 2020年〈令和2年〉11月12日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は山城屋。定紋は五つ藤重ね星梅鉢、替紋は向い藤菱。位階は従三位、文化勲章受章者。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者。 前名の三代目 中村 鴈治郎(さんだいめ なかむら がんじろう)、また初名の二代目 中村 扇雀(にだいめ なかむら せんじゃく)としても知られる。日本舞踊雁音流の家元として雁音 歌扇(かりがね かせん)を名乗った。妻は女優で政治家の扇千景、妹は女優の中村玉緒。 現代歌舞伎の大看板のひとりでもあり、また上方歌舞伎の復興プロジェクトでも主導的な役目を務めたほか、近松門左衛門作品を原点から勉強し直すために劇団近松座を結成し、尽力した。
八代目 市川 雷蔵(はちだいめ いちかわ らいぞう、1931… 八代目 市川 雷蔵(はちだいめ いちかわ らいぞう、1931年(昭和6年)8月29日 - 1969年(昭和44年)7月17日)は、歌舞伎役者・日本の俳優。出生名は亀崎 章雄(かめざき あきお)。後に本名を竹内 嘉男(たけうち よしお)、さらに太田 吉哉(おおた よしや)に改名した。
二代目 市川寿猿(にだいめ いちかわ じゅえん、1930年(… 二代目 市川寿猿(にだいめ いちかわ じゅえん、1930年(昭和5年)5月20日 - )は、歌舞伎役者。東京都出身。屋号は澤瀉屋。定紋は三ツ沢瀉(喜猿時代の定紋は「桔梗鶴」)。澤瀉屋一門の長老格にして、歌舞伎界全体でも2024年(令和6年)現在、現役最高齢の役者。 東京(当時東京市)・浅草生まれ。3歳で女かぶきの坂東勝治一座に入門。女かぶきは女性の役者を中心に歌舞伎の演目を見せる芸能で、坂東勝治一座は全国を巡業する旅芸人の一座だった。舞台を志したのは役者になりたかったのになれなかった実母に託されたためと本人は語っている。戦後の1947年(昭和22年)八代目市川八百蔵(のちの八代目市川中車)に入門し、市川七百三郎を名乗り大歌舞伎の世界へ入る。
七代目 市川 門之助(しちだいめ いちかわ もんのすけ、昭和… 七代目 市川 門之助(しちだいめ いちかわ もんのすけ、昭和3年(1928年)9月7日 - 平成2年(1990年)10月13日)は歌舞伎役者。屋号は瀧乃屋。定紋は四ツ紅葉。俳名に白魚がある。また舞踊家として花柳 蔦壽郎(はなやぎ ちょうじゅろう)も名乗った。本名は相馬 孝至(そうま たかし)。 東京市渋谷区宇田川町の生まれ。生後まもなく二代目市川松蔦の養子となる。 昭和10年 (1935年) 4月に初代市川たか志を名乗り初舞台。昭和21年 (1946) 8月、三代目市川松蔦を襲名。この頃は二代目市川猿之助一座で活躍。昭和38年 (1963) 2月に七代目市川門之助を襲名、以後は尾上菊五郎劇団に属した。
十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2… 十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2年〉8月8日 - 2011年〈平成23年〉12月25日)は、俳優、歌舞伎役者、日本舞踊家。屋号は大和屋。定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字。俳名に杜若・紫若・扇蝶。本名は仁科 周芳(にしな ただよし)。所属事務所はミナァバ。明治大学文芸科卒業。 舞踊家花柳壽太郎の長男として東京に生まれる。1935年有楽座の『侠艶録』で仁科周芳で初舞台。1939年2月、二代目市川猿之助の門人となり二代目市川笑猿を襲名。同年5月有楽座『隅田川続俤』「法界坊」で里の子喜三松。1951年10月歌舞伎座『源氏物語』の若き光の君と『寿曽我対面』の化粧坂少将で十代目岩井半四郎を襲名。
千谷 道雄(ちや みちお、1920年11月11日 - 200… 千谷 道雄(ちや みちお、1920年11月11日 - 2006年)は、日本の歌舞伎評論家。 愛知県名古屋市生まれ。1942年東京帝国大学国文科を繰り上げ卒業で兵役。同期に阿川弘之がいる。戦後ソ連に抑留され、1947年帰国し、東京で中学の国語教師、1949年守随憲治の世話で松竹に入り、中村吉右衛門劇団で制作担当となった。1961年、8代目松本幸四郎とともに東宝へ移籍。大部屋俳優の暮らしぶりの悲惨さなど、歌舞伎世界の裏面を描いた『秀十郎夜話』で、1959年読売文学賞を受賞した。 三島由紀夫が6代目中村歌右衛門を描いた『女方』の視点人物・増山について、千谷は「自分をモデルにしている」と述べている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
二代目 市村 吉五郎(にだいめ いちむら よしごろう、191… 二代目 市村 吉五郎(にだいめ いちむら よしごろう、1918年1月18日 - 2010年2月17日)は、歌舞伎役者。屋号は橘屋。定紋は根割り橘、替え紋は渦巻。公家役を得意とした。 1918年(大正7年)1月18日、十二代目片岡仁左衛門の次男として生まれる。 1922年(大正11年)12月天満八千代座『三日月次郎吉』の三太で本名の片岡義直の名で初舞台。 1940年(昭和15年)十五代目市村羽左衛門の養子となる。 1941年(昭和16年)1月歌舞伎座『鞍馬山だんまり』の牛若丸で二代目市村又三郎を襲名し名題昇進。 1946年(昭和21年)3月、父、十二代目片岡仁左衛門が下男に殺される(片岡仁左衛門一家殺害事件)。
戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 19… 戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 1993年1月23日)は、日本の演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。 東京市芝区三田四国町(現在の東京都港区芝)出身。旧姓山口。藤倉電線に勤める父・三郎、母ひさの長男として生まれる。父親の仕事の関係で中国に引っ越し、上海小学校に通い、帰国後愛宕小学校(東京都港区)に入学。山口家に男子が生まれたら母方の戸板家の養子になる約束があり、初めは「康夫」と名付けられたが、養子になった1923年7月9日、「康二」と改める。 幼時、母方の祖母で戸板裁縫女学校の創立者である戸板関子の養子となる。関東大震災のとき、鎌倉材木座の別荘にいた母親が幼い次男をかばって圧死するも、康二は東京の自宅にいたため難を逃れる。
林 敏夫(はやし としお、1915年5月14日 - 1945… 林 敏夫(はやし としお、1915年5月14日 - 1945年8月13日)は、日本の俳優、歌舞伎役者である。本名同じ。第二次世界大戦で戦死した。 1915年(大正4年)5月14日、大阪府大阪市南区玉屋町(現在の同府同市中央区東心斎橋付近)に生まれる。祖父が初代中村鴈治郎、父が二代目林又一郎、叔父が二代目中村鴈治郎という歌舞伎一家に生まれた。 1921年(大正10年)、数え年7歳にして大阪・中座で初舞台を踏む。作品は『菅原伝授手習鑑』四段目『寺小屋』、菅丞相の子「菅秀才」役であった。以来、鴈治郎一座で歌舞伎役者として活動する。役者としての活動の傍ら、旧制・浪速中学校(現在の浪速高等学校)に進学、同校を卒業したのち、満18歳を迎える1933年(昭和8年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社する。
相馬 皓(そうま あきら、1914年6月 - 1984年)は… 相馬 皓(そうま あきら、1914年6月 - 1984年)は、日本の歴史家、歌舞伎研究家。 詩人・相馬御風の三男として東京に生まれる。祖父は衆議院議員の藤田茂吉。妹は日本文学研究者の相馬文子。糸魚川中学校(現・新潟県立糸魚川高等学校)卒業後、安田靫彦に日本画を学ぶ。また河竹繁俊に師事して歌舞伎を学ぶ。 NHK大河ドラマ『新・平家物語』『国盗り物語』『元禄太平記』『花神』の時代考証を手掛けた。
郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 199… 郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 1998年4月15日)は、日本の歌舞伎研究家・演劇評論家・国文学者。早稲田大学名誉教授。 1913年、北海道札幌市生まれ。北海道庁立第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、1939年早稲田大学文学部国文科を卒業。大学では河竹繁俊に師事した。卒業後は、早稲田大学演劇博物館学芸員となり、同大学講師などを経て、1960年から84年まで教授を務めた。 その著作は、『郡司正勝柵定集』(全6巻)にまとめられている。故郷である札幌大学に、郡司の蔵書を納めた「郡司文庫」が設けられている。
五代目 上村 吉彌(ごだいめ かみむら きちや、新字体:吉弥… 五代目 上村 吉彌(ごだいめ かみむら きちや、新字体:吉弥、明治42年 (1909年) 12月13日 - 平成4年 (1992年) 1月1日)は、歌舞伎役者。屋号は美吉屋。定紋は折敷型世の字。本名は遠島 直(とおじま すなお)。 小芝居から大歌舞伎に入り、上方歌舞伎の伝統を受継いだ女形や花車形を得意とした。 明治42年(1909年)大分県杵築市生まれ。3歳のころから当地の歌舞伎に子役で出演し、大正8年(1919年)には中村桂車一座に入り中村桂之助を名乗って福岡大博劇場に出る。各地の小芝居を勤めたのち、昭和8年(1933年)に二代目市川右團次に入門、市川右升を名乗る。昭和19年(1944年)以降は松竹専属となり、美貌の女形として知られるようになる。
祐田 善雄(ゆうだ よしお、1909年(明治42年)8月13… 祐田 善雄(ゆうだ よしお、1909年(明治42年)8月13日 - 1973年(昭和48年)8月23日)は、日本の国文学者、浄瑠璃・歌舞伎研究者。 1909年(明治42年)、大阪府大阪市東区北久宝寺町で生まれた。1928年(昭和3年)に大阪府立今宮中学校を卒業し、第三高等学校文科乙類へ入学。1932年、同校を卒業後、京都帝国大学文学部文学科国語学国文科専攻に進んだ。1936年に卒業し、同大学大学院に進学。 京都大学に在籍のまま、1938年に天理図書館嘱託となる。これに合わせて、この頃天理市に居を移した。翌1939年2月に天理図書館司書を退職。1941年3月に京都帝国大学大学院を修了し、1942年4月から天理中学校嘱託に就職した。
加賀山 直三(かがやま なおぞう、1909年7月1日 - 1… 加賀山 直三(かがやま なおぞう、1909年7月1日 - 1978年1月26日)は、日本の歌舞伎評論家。 山口県生まれ、慶應義塾大学文学部国文科卒。在学中から岡鬼太郎に師事し、松竹、NHK勤務のかたわら戦時中より演劇評論を始める。1966年新設の国立劇場に勤務、芸能制作室長、芸能調査室長、1976年退任。 1978年1月、三原橋の街角で倒れ、死去。68歳没。『演劇界』に「家須満」の名で執筆していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
十一代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1909年… 十一代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1909年(明治42年)1月6日 - 1965年(昭和40年)11月10日)は、日本の歌舞伎役者。本名は堀越 治雄(ほりこし はるお)。位階は従四位。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名は五粒。 海老蔵時代、「花の海老さま」として空前のブームを巻き起こした美貌で知られ、品格ある風姿、華のある芸風、高低問わずよく響く美声などを売り物とした、戦後歌舞伎を代表する花形役者の一人。 東京府東京市日本橋区(現中央区日本橋)に、七代目松本幸四郎の長男として生まれる。誕生時の本名は藤間治雄。次弟の順次郎は後に八代目松本幸四郎を、末弟の豊は後に二代目尾上松緑を襲名して、いずれも戦後昭和の東京大歌舞伎の屋台骨を支える名優に成長した。
三代目 市川 段四郎(いちかわ だんしろう、1908年(明治… 三代目 市川 段四郎(いちかわ だんしろう、1908年(明治41年)10月5日 - 1963年(昭和38年)11月18日)は大正から昭和期の歌舞伎役者。本名は喜熨斗 政則(きのし まさのり)。屋号は澤瀉屋。定紋は三升の中に段の字、替紋は八重澤瀉。東京市浅草区生まれ。 猿之助一座で幹部として活躍したが病に倒れ、長男が三代目市川猿之助を襲名するのを見届けると、父の初代市川猿翁の後を追うようにして死去した。 趣味は音楽。住所は東京市京橋区(現・東京都中央区)明石町。 夫人は女優の高杉早苗で、その間に2男1女。長男が二代目市川猿翁、次男が四代目市川段四郎。長女は市川靖子、その元夫は俳優の川合伸旺。
五代目嵐芳三郎(ごだいめ あらし よしさぶろう、1907年(… 五代目嵐芳三郎(ごだいめ あらし よしさぶろう、1907年(明治40年)4月17日 - 1977年(昭和52年)11月14日)は、歌舞伎役者・俳優。俳名は橘丈。屋号は豊島屋。本名は寺田勝次。 曾祖父は二代目嵐璃珏。四代目嵐芳三郎の子。 東京の上野の生まれ、本郷元町尋常小学校卒業。1914年に三代目嵐市太郎の名で本郷座で初舞台。五代目市川鬼丸(後の三代目尾上多賀之丞)の部屋子になり、1921年に市村座に参加。1927年6月に五代目嵐芳三郎を襲名。1944年に前進座に参加。女形、二枚目を得意とし晩年は老け役に徹した。 1954年に文部省芸術祭奨励賞受賞。 墓所は台東区一乗寺にある。戒名は「前勝院技能日芳居士」。
市川 百々之助(いちかわ もものすけ、1906年(明治39年… 市川 百々之助(いちかわ もものすけ、1906年(明治39年)5月8日 - 1978年(昭和53年)1月15日)は、歌舞伎役者、映画俳優、映画監督。サイレント映画の時代に「ももちゃん」の愛称で親しまれ、全盛期には阪東妻三郎と人気を二分する剣劇俳優であった。戦後は芸名を百々木 直(ももき なお)と名乗った。本名は上田 直正(うえだ なおまさ)。 広島県広島市に生まれる。 1911年(明治45年)、『近江源氏戦陣館』の小四郎で初舞台を踏む。12歳のとき、市川中車の門下となりちんこ芝居(小青年歌舞伎)の一座を組織して各地を巡業、葉村屋一派、中村扇雀一座などにも加入出演した。 1922年(大正11年)9月、17歳のときに、帝国キネマ演芸(帝キネ)小坂撮影所へ入社、同年、中川紫郎監督の『異端者の恋』や『大江戸の武士』に出演し、映画俳優としてデビュー。
藤野 義雄(ふじの よしお、1904年9月18日 - 199… 藤野 義雄(ふじの よしお、1904年9月18日 - 1998年11月2日)は、歌舞伎研究者。 岐阜県恵那郡上村(現・恵那市)出身。東洋大学文学部卒。1961年「近松の世話悲劇の研究」で東洋大学文学博士。金城学院大学教授、中京大学教授、御園座図書館長を務めた。
十三代目 片岡 仁左衛門(かたおか にざえもん、1903年(… 十三代目 片岡 仁左衛門(かたおか にざえもん、1903年(明治36年)12月15日 - 1994年(平成6年)3月26日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は松嶋屋、定紋は七ツ割丸に二引。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は片岡 千代之助(かたおか ちよのすけ)。 昭和後期の歌舞伎界を支えた立役の名優。最晩年は完全に盲目だったにもかかわらず、立役として舞台活動を続けた。 子に五代目片岡我當、日本舞踊家花柳寿々、二代目片岡秀太郎、十五代目片岡仁左衛門、新劇女優片岡静香らがいる。 温厚篤実な性格で屈折したところがなく、高貴な役どころがぴたりとはまった。由良助役者としても知られたが、七段目では、豪遊ぶりがいかにも自然で、卑屈な部分を見せることがなかった。
四代目 河原崎 長十郎(かわらさき ちょうじゅうろう、190… 四代目 河原崎 長十郎(かわらさき ちょうじゅうろう、1902年12月13日 - 1981年9月22日)は、東京の歌舞伎役者。本名、河原崎虎之助(かわらさき とらのすけ)。屋号は山崎屋。定紋は角違いに二つ巴、家紋は河原崎座櫓紋。 劇団前進座(1931年創設)の創設メンバーの一人で、後に幹事長(座頭)となる。“長十郎”とは元来、河原崎座の座元(劇場経営者)の跡継ぎである若太夫の名跡で、九代目市川團十郎(“劇聖”と称された明治の名優)も名乗ったことがある。 「演劇のデパート」の異名をとる前進座にあって、さまざまなジャンルの演劇作品に出演した。歌舞伎では『勧進帳』の弁慶、『鳴神』の鳴神上人、『元禄忠臣蔵・御浜御殿』の徳川綱豊卿、『め組の喧嘩』の四つ車大八などが当たり役であった。
七代目 市川 壽美藏(いちかわ すみぞう、新字体:寿美蔵、1… 七代目 市川 壽美藏(いちかわ すみぞう、新字体:寿美蔵、1902年(明治35年)4月1日 - 1985年(昭和60年)3月7日)は上方の歌舞伎役者。屋号は升田屋、定紋は藤巴の中に桔梗紋、替紋は寿の字巴紋。本名は太田 光之助(おおた みつのすけ)。 東京本郷生まれ。二代目市川團九郎の子、祖父は五代目市川壽美蔵。六代目市川壽美蔵(三代目市川壽海)は叔父にあたる。初舞台は明治45年(1912年)5月東京座の『大和橋』で市川登美三郎を名乗って馬子。大正8年(1919年)二代目市川團次郎を襲名。大正13年(1924年)名題昇進。のち六代目壽美蔵とともに二代目市川左團次主催の自由劇場に参加する。 戦後昭和23年(1948年)関西歌舞伎に移籍。
松尾 國三(まつお くにぞう、明治32年(1899年)6月8… 松尾 國三(まつお くにぞう、明治32年(1899年)6月8日 - 昭和59年(1984年)1月1日)は、日本の歌舞伎役者・実業家・芸能プロモーター。旅役者から立身出世して興行界やレジャー産業で幅広く活躍、「昭和の興行師」や「芸能界の黒い太陽」の異名をもつ。佐賀県伊万里市出身。 松尾の没後、松尾一族が日本ドリーム観光から手を引くことになった事情については日本ドリーム観光の項を参照。現在は松尾の娘・昌出子(ひでこ)と孫・國之(くにゆき)が株式会社富士プロジェクト(富士興業の後身)・松尾育英会・松尾芸能振興財団の3事業を継承。富士プロジェクトは現在、賃貸不動産業をメインにサッカースクールの経営を行うクーバー・コーチング・ジャパンを子会社で行っており、松尾芸能振興財団は松尾芸能賞の主催および松尾の原点である子供歌舞伎・松尾塾の運営、松尾育英会は共同生活による大学修学支援事業を行っている。
三代目 市川 左團次(さんだいめ いちかわ さだんじ、189… 三代目 市川 左團次(さんだいめ いちかわ さだんじ、1898年(明治31年)8月26日 - 1969年(昭和44年)10月3日)は、大正から昭和中期の歌舞伎役者。屋号は高島屋、定紋は三升に左、替紋は松皮菱に鬼蔦だが、通常は替紋の方を使用した。俳号に新車。本名は荒川 清(あらかわ きよし)。東京府出身。 初代市川左團次から二代目市川左團次と相伝された男性的な力強い芸風とは大きく異なり、江戸っ子で門弟から芸一筋で出世し門閥の養子として大名跡を襲名した三代目は、様々な役割を器用にこなしながらあくまでも脇に徹する手堅さを持ち、苦労に裏打ちされた存在感のある独特の風があった。戦後歌舞伎を盛りたてた名優の一人である。
三代目 市川 莚升(いちかわ えんしょう、1894年(明治2… 三代目 市川 莚升(いちかわ えんしょう、1894年(明治27年)9月29日 - 1947年(昭和22年)5月10日)は、明治・大正・昭和時代の歌舞伎役者。屋号は高島屋。本名は高橋 道之助(たかはし みちのすけ)。 東京新富町生まれ。初代市川左團次の次男。長男の二代目市川左團次の異母弟。1898年(明治31年)二代目市川ぼたんとして初舞台をふみ、1915年(大正4年)に三代目市川莚升を襲名した。実兄二代目市川左團次につき、脇役を務め、女形の義兄二代目市川松蔦と共に、二代目左團次の演劇革新運動を援けた。当たり役は「太功記」十段目の十次郎、「吃又」の修理之助など。 近年、書籍、インターネットなどで、二代目市川左團次を初代市川左團次の一人息子とし、三代目市川莚升を初代左團次の養子とする記録が多々散見されるが、高橋家の戸籍原簿に拠れば、これは全くの誤謬である。
八代目 淺尾奥山(あさお おくやま、明治27年〈1894年〉… 八代目 淺尾奥山(あさお おくやま、明治27年〈1894年〉1月4日 - 昭和49年〈1974年〉11月29日)とは、上方の歌舞伎役者。屋号は錢屋。定紋は木槌、替え紋は裏牡丹。本名は尾田木駒造。 京都生まれ。三代目淺尾大吉(浅尾関十郎)の門人となり、浅尾関三郎を名乗って初舞台を踏む。昭和5年(1930年)1月、淺尾奧山の名跡を襲名。以後関西歌舞伎で世話物の老け役、脇役として活躍する。昭和30年(1955年)から長谷川一夫の誘いで映画に転じ大映京都に所属し、映画や東宝歌舞伎に約10年間出演した。その後歌舞伎に復帰し東宝系で活躍。 堅実で老巧な芸で「名優奧山」と賞され、『治郎吉懺悔』の伝吉、『仮名手本忠臣蔵』の「六段目」のおかやなどが印象に残る舞台だったが、特に最晩年の昭和48年(1973年)7月、歌舞伎座で十七代目中村勘三郎と舞台を共にした『夏祭浪花鑑』の義平次は絶賛された。
三代目 尾上 多賀之丞(さんだいめ おのえ たがのじょう、1… 三代目 尾上 多賀之丞(さんだいめ おのえ たがのじょう、1889年(明治22年)9月21日 - 1978年(昭和53年)6月20日)は、歌舞伎役者。位階は正五位。 戦前戦後にかけて活躍した。本名は樋口 鬼三郎。俳名は梅華。屋号は音羽屋。 東京市日本橋区(現・東京都中央区)出身。叔父は歌舞伎役者四代目淺尾工左衛門。役者としての初舞台は明治25年(1892年)8月、市川鬼三郎の名前で東京赤坂福禄座『恋初緑鈴木主水』。明治32年(1899年)頃、一時、木挽町にいた鏑木清方に入門、日本画を習得している。明治44年(1911年)9月、明治座での『四千両小判梅葉』の子分助六他で五代目市川鬼丸(いちかわ きがん)を襲名し名題昇進を果たす。
片岡 長正(かたおか ちょうせい、1887年4月28日 - … 片岡 長正(かたおか ちょうせい、1887年4月28日 - 没年不詳)は、日本の俳優、元歌舞伎役者、元女形である。芸名の読みは「かたおか ちょうしょう」と表記されることもある。芸名を片岡 長生とするのは誤りである。本名は桑島 莊一郎(くわじま そういちろう)とされるが、桑島 長生(くわじま ちょうせい、くわじま ちょうしょう)、桑島 長正(読み同じ)、桑島 藏一郎(くわじま ぞういちろう)、幸島 喜一郎(こうじま きいちろう)の説もある。幼名は澤村 鶴松(さわむら つるまつ)。旧芸名は桑島 壯一郎(くわじま そういちろう)、久和島 壯一(くわじま そういち)、久和島 莊一(読み同じ)。旧劇を経て横田商会、日活京都撮影所に所属し、尾上松之助の相手役として活躍した名女形として知られる。
二代目 市川 松蔦(いちかわ しょうちょう、1886年(明治… 二代目 市川 松蔦(いちかわ しょうちょう、1886年(明治19年)9月23日 - 1940年(昭和15年)8月19日)は歌舞伎役者。本名は鈴木 鐵彌(すずき てつや)。屋号は若松屋。 東京市四谷区(現在の東京都新宿区)出身。初代市川左團次の門人となり、1896年(明治29年) 9月東京歌舞伎座『鬼一法眼三略巻』で市川左喜松を名乗って初舞台。師の死後は子息の二代目市川左團次一座に加わり、若女形として腕を上げる。 1906年(明治39年)9月明治座の初代左團次追善興行『世響太鼓功』でお静実ハ梅が枝と巴御前の二役を勤め市川莚若と改名。1911年(明治44年) 正月明治座で二代目市川松蔦を襲名した。1913年(大正2年) には二代目左團次の妹で日本舞踊の高橋幸子と結婚。
十二代目 片岡 仁左衛門(かたおか にざえもん、1882年(… 十二代目 片岡 仁左衛門(かたおか にざえもん、1882年(明治15年)9月9日 - 1946年(昭和21年)3月16日)は、日本の歌舞伎役者。八代目片岡仁左衛門の娘の子で、十代目片岡仁左衛門の養子。本名は片岡 東吉(かたおか とうきち)。東京・今戸出身。 1885年(明治18年)東京・千歳座(現在の明治座)で本名の片岡東吉で初舞台を踏み、その後二代目片岡土之助を経て1901年(明治34年)四代目片岡我童を襲名。 1936年(昭和11年)1月、東京・歌舞伎座『馬切』の織田信孝で十二代目片岡仁左衛門を襲名。この当時、東京歌舞伎では女形が不足していたため、関西歌舞伎の仁左衛門も招きを受け昭和9年(1934年)頃から拠点を東京に移し、六代目尾上梅幸を失った十五代目市村羽左衛門の相方を多く務めた。