柳田 英明(やなぎだ ひであき、男性、1947年1月1日 -… 柳田 英明(やなぎだ ひであき、男性、1947年1月1日 - )は、日本のレスリング選手。 1947年1月1日、秋田県南秋田郡八郎潟町出身。秋田商業高校、明治大学を経て大都リッチランドに就職。 フリースタイル57kg級では全日本レスリング選手権大会で1969年から1972年まで4年連続優勝を果たし、1970年アジア競技大会(タイ・バンコク)、レスリング世界選手権では1970年、1971年と2年連続優勝を果たすなど、1964年東京オリンピックフェザー級金メダリストの渡辺長武を彷彿とさせる圧倒的な強さから「アニマル二世」の異名を付けられた。 1972年、ミュンヘンオリンピックフリー57kg級に出場、ミュンヘンでは減量に苦しみ、試合前の3日間をジュースを飲むだけという状況で本番に臨み、7試合を全勝して金メダルを獲得した。
杉山 三郎(すぎやま さぶろう、1946年4月13日 - … 杉山 三郎(すぎやま さぶろう、1946年4月13日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手、指導者。至学館大学(当時は中京女子大学)にレスリング部を立ち上げ、全日本チームのコーチも務めた。 三重県に生まれる。高校時代は柔道の選手で、日本体育大学に進んでからレスリングを始め、大学在学中の1967年にグレコローマン52kg級で全日本レスリング選手権大会に優勝した。1969年にレスリング世界選手権に初出場し、このときは2回戦敗退だったが、1970年の大会で銀メダルを獲得した。しかし、1972年ミュンヘンオリンピック出場を逃し、1974年の第29回国民体育大会での優勝を飾った。これを最後に選手生活を引退した。
中田 茂男(なかた しげお、1945年10月16日 - )は… 中田 茂男(なかた しげお、1945年10月16日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手、元陸上自衛官。 メキシコオリンピックレスリングフリースタイル・フライ級金メダリスト。
タイガー服部(タイガーはっとり、1945年7月20日 - )… タイガー服部(タイガーはっとり、1945年7月20日 - )は、日本のプロレスの元レフェリー、マネージャー、元レスリング選手。本名は服部 正男(はっとり まさお)。東京都中央区出身。最終所属新日本プロレス。 明治大学在学時にレスリングで頭角を現し、1966年全日本レスリング選手権大会男子グレコローマン・バンタム級で優勝を果たした。 卒業後は松浪健四郎と渡米し、コーチ業をしながら選手活動を継続。全米選手権を制覇(詳細不明)したのをきっかけにプロレスラーにレスリングを教えるようになり、1970年代後半にフロリダにてヒロ・マツダの道場に入りハルク・ホーガンらを指導。また、同時期にフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)で活動していたマサ斎藤(明治大学の同僚)、高千穂明久、ミスター・ヒト、ミスター・サクラダ、キラー・カーンら日本人選手のマネージャーも務めた。
田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 20… 田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 2013年4月3日)は、福岡県出身のフリースタイルのレスリング選手である。階級は57kg級。 福岡県大牟田市出身。大牟田高校から法政大学に進んで、1966年の全日本選手権バンタム級(55kg級)で2位となった。アジア大会では優勝を飾った。卒業後に福岡大学の教員となると、1967年の世界選手権では4位だった。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では57kg級で優勝を飾った。しかし、1972年の全日本選手権では2位となり、ミュンヘンオリンピック出場はならなかった。その後は福岡大学レスリング部部長として、後進の指導に当たった。
山本 郁榮(やまもと いくえい、山本 郁栄、1945年2月1… 山本 郁榮(やまもと いくえい、山本 郁栄、1945年2月17日 - )は、日本の元レスリング選手、日本体育大学スポーツ医学研究室名誉教授、元トレーナー研究会顧問、NPO法人日本スポーツネットワーク(JSN)理事長。GENスポーツアカデミー総監督。日本体育大学卒業。 長女の山本美憂、長男の山本徳郁、次女の山本聖子、孫の山本アーセン(美憂の息子)らもレスリング・総合格闘技の実力者である。 1945年(昭和20年)2月17日、愛知県碧海郡高浜町(現・高浜市)に生まれた。1960年(昭和35年)に高浜市立高浜中学校を卒業し、その後愛知県立刈谷北高等学校を卒業した。日本体育大学(日体大)体育学部体育学科に進学し、4年時にはアメリカ合衆国の東ミシガン大学体育学部に留学している。
木口 宣昭(きぐち のりあき、1944年11月8日 - 20… 木口 宣昭(きぐち のりあき、1944年11月8日 - 2021年9月12日)は、日本の元レスリング選手で、レスリング・総合格闘技の指導者。 満洲生まれ。法政大学2年次、1962年に全日本学生選手権グレコローマンスタイル57kg級優勝。1969年には、レスリング世界選手権62kg級5位、全米選手権62kg級優勝及びフリースタイル62kg級3位の成績を残した。 現役を引退した1970年より「木口道場」を開きレスリング、総合格闘技を指導し普及に努めた。また1990年にはレスリングをベースにサブミッションを加えたコンバットレスリングを創始し大会を運営。 ほか多数の要職に就くなど、日本のレスリング・総合格闘技界に多大な貢献をした。
藤本 英男(ふじもと ひでお、1944年〈昭和19年〉6月2… 藤本 英男(ふじもと ひでお、1944年〈昭和19年〉6月24日 - )は、日本の元レスリング選手、日本体育大学名誉教授。徳島県美馬市美馬町出身。日本体育大学卒。1968年メキシコシティーオリンピック銀メダリスト。 徳島県立穴吹高等学校レスリング部で吉田廣一に師事する。 日本体育大学2年生の1964年に、東京オリンピックのレスリング会場となった駒沢体育館で得点板の掲示係を務める。 1967年、ルーマニアのブカレストで行われたレスリング世界選手権においてグレコローマン・フェザー級で3位となる。 1968年、メキシコオリンピックにレスリング日本代表として出場し、グレコローマン・フェザー級で銀メダルを獲得する。
宗村 宗二(むねむら むねじ、1943年(昭和18年)10月… 宗村 宗二(むねむら むねじ、1943年(昭和18年)10月1日 - )は、新潟県黒埼町(現在の新潟市西区)出身の元レスリング選手。 1968年(昭和43年)メキシコシティーオリンピック男子グレコローマンスタイルライト級金メダリスト。学歴は巻農業高校と明治大学を卒業した。
佐藤 博俊(さとう ひろとし、1943年(昭和18年)5月1… 佐藤 博俊(さとう ひろとし、1943年(昭和18年)5月12日 - )は、宮城県仙台市出身の実業家、レスリング選手。株式会社橋本店元代表取締役社長、元会長。宮城県建設業協会元会長。宮城県レスリング協会元会長。 宮城県仙台市出身。東北学院中学校・高等学校、中央大学商学部卒業。 高校時代にレスリングを始め、中央大学進学後もレスリング部に所属。1964年の全日本学生選手権を制覇し、東京オリンピックの代表候補として期待されたが、最終選考で敗れ出場を逃した。この時の「あと一歩で夢を逃した」悔しさが、その後の人生における「不撓不屈の精神」の原動力になったと語っている。 大学卒業後、東京の建設関連会社での勤務を経て、1971年(昭和46年)に株式会社橋本店に入社。
上武 洋次郎(うえたけ ようじろう、1943年〈昭和18年〉… 上武 洋次郎(うえたけ ようじろう、1943年〈昭和18年〉1月12日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手。1964年東京五輪・1968年メキシコ五輪を制した選手のひとり。現在の姓は小幡。 群馬県邑楽郡邑楽町出身。長柄中学校を卒業。群馬県立館林高等学校時代にレスリングを始め、2年時に国体、3年時にインターハイを制覇。その後は早稲田大学に進学し、更に早大2年時に八田一朗の勧めでオクラホマ州立大学に留学して自らの技量向上を図った。 オクラホマ州立大学時代に、NCAAディビジョン1で3度優勝、最優秀選手にも2度選ばれ、通算57勝無敗の戦績を収めた。1964年に全日本レスリング選手権でフリースタイル・バンタム級で優勝。
森田 武雄(もりた たけお、1942年〈昭和17年〉12月1… 森田 武雄(もりた たけお、1942年〈昭和17年〉12月17日 - )は、群馬県出身のフリースタイルのレスリング選手、元館林市議会議員である。階級は62kg級。 群馬県館林市羽附出身。赤羽中学校を経て群馬県立館林高等学校に入学。レスリング部に入部し3年時には関東大会優勝、国体で3位に入賞した。明治大学入学後は4年時に全日本学生選手権で優勝を果たす。 明治大学を卒業して館林高校教員になると、1965年の世界選手権フェザー級(60kg級)で3位となった。1966年の全日本選手権では2位だったが、1967年には優勝を飾った。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では62kg級に出場して高校の教員でありながら優勝を成し遂げた。
吉田 嘉久(よしだ よしひさ、1942年12月7日 - )は… 吉田 嘉久(よしだ よしひさ、1942年12月7日 - )は、フリースタイルのレスリング選手である。階級はフライ級(52kg級)。 法政二高時代に柔道からレスリングに転向する。法政大学に進むと、1964年の全日本選手権フライ級では吉田義勝に敗れて2位にとどまり、東京オリンピックには出場できなかった。1965年には全日本選手権で優勝すると、世界選手権でも優勝を成し遂げた。現在は法政大学レスリング部のヘッドコーチを務めている。
吉田 義勝(よしだ よしかつ、1941年10月30日 - )… 吉田 義勝(よしだ よしかつ、1941年10月30日 - )は、日本の元アマチュアレスリング選手。実業家。1964年東京オリンピックレスリングフリースタイル・フライ級金メダリスト。 北海道旭川市出身。北海道旭川商業高等学校定時制課程でアマチュアレスリングを始め、日本大学に進学。1964年、大学4年の時に全日本選手権で優勝したことで八田一朗(当時の日本レスリング協会会長)の指名で東京オリンピック代表に選出される。代表選出後は当時世界最強と言われ、日本選手が勝てなかった強敵のアリ・アリエフ(ロシア語版)(ソ連)打倒のために、当時のフライ級第一人者だった今泉雄策と徹底的にスパーリングを行ったという。 本番のオリンピックではアリエフ(ソ連)と5回戦で戦い、素早い動きでアリエフを封じ、アリエフが対戦相手を引き寄せる際に踵に体重が乗る癖を見抜いて終了間際にアリエフのバックを取ってポイントを奪い、1-0で勝利。
渡辺 長武(わたなべ おさむ、1940年10月21日 - 2… 渡辺 長武(わたなべ おさむ、1940年10月21日 - 2022年10月1日)は、日本のレスリング選手。1964年東京オリンピックレスリングフリースタイルフェザー級金メダリスト。北海道上川郡和寒町出身。「アニマル」の異名を持つ。 日本レスリング史上最強と言われる選手のひとり。 石材商の家に生まれ育ち、幼少時には石の積み卸しの手伝いをしたという。父は草相撲の力士も務め、渡辺の名前を「武運長久」から命名したが、渡辺の幼少時に過労からリウマチを発症して病床に伏した。その後は母が豆腐店を始め、豆を石臼で挽くことが渡辺の日課となった。これで腕力が鍛えられたという。 力士に憧れがあったが体格が小さかったため、体重制のレスリングに着目して北海道士別高等学校時代に取り組み始める。
サンダー杉山(サンダーすぎやま / Thunder Sugi… サンダー杉山(サンダーすぎやま / Thunder Sugiyama、本名:杉山 恒治 / すぎやま つねはる、1940年7月23日 - 2002年11月22日)は、日本のプロレスラー、アマチュアレスリング選手。 新潟県糸魚川市出身。明治大学農学部農業経済学科卒業。第2代IWA世界ヘビー級王者、第3代第7代IWA世界タッグ王者。レスリングで1964年東京オリンピックに出場後、プロレスラーに転向。現役引退後はタレント活動の他、実業家としても成功した。一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構では、連絡先を求めている。 東海高校から同志社大学に入学して柔道部に所属していたが、1年の終わりに部を辞めている。
金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、… 金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、栃木県足利市出身の元レスリング選手、元陸上自衛官1968年メキシコシティーオリンピックレスリング競技男子63kg級金メダリスト。 足利工業大学附属高等学校でレスリングを始める。専修大学卒業後、自衛隊に入隊、陸上自衛官として自衛隊体育学校に在籍。バンタム級で第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)を目指すが、代表選考会の最終予選で上武洋次郎に敗れて出場を逃す。 東京大会の後に階級をフェザー級に上げ、1968年第19回夏季オリンピックメキシコシティ大会に挑むことを決意、その当時には普及されていなかったウェイトトレーニングで体を作る。またその当時の日本レスリングの主流だった八田一朗(日本アマチュアレスリング協会会長)が提唱した攻撃重視スタイルにあえて背を向け、防御と巧みな試合運びで後半に勝負するという自己流カウンター型スタイルを確立、世界選手権を2連覇し、メキシコシティ大会では男子フリースタイルフェザー級において金メダルを獲得した。
市口 政光(いちぐち まさみつ、1940年1月12日 - )… 市口 政光(いちぐち まさみつ、1940年1月12日 - )は、大阪府出身の日本のアマチュアレスリング選手、指導者。元東海大学体育学部教授。1964年東京オリンピックレスリンググレコローマンスタイル・バンタム級の金メダリストでもある。 関西大学時代に1960年ローマオリンピックに出場し、5回戦で敗れたものの7位に入賞。卒業後はサラリーマンをしながら競技を続け、1962年の全米オープン選手権・世界選手権で優勝した。金メダルを期待された東京オリンピックでは足首の捻挫に苦しみながらも予選を勝ち進み、決勝トーナメントに進出する。しかし、他の予選突破選手が当時の罰則制限をオーバーして失格したため、決勝トーナメントを戦わずして市口の優勝(金メダル)が決定、グレコローマンスタイルでは日本人初の快挙でもあった。
花原 勉(はなはら つとむ、1940年〈昭和15年〉1月3日… 花原 勉(はなはら つとむ、1940年〈昭和15年〉1月3日 - 2024年〈令和6年〉2月5日)は、アマチュアレスリング選手。日本体育大学名誉教授。1964年東京オリンピックレスリンググレコローマンスタイル・フライ級金メダリスト。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校に在籍中は柔道部で活躍した。 日本体育大学進学後にレスリングに転向し、1960年から1965年まで日本選手権6連覇。東京オリンピックでも、決勝でブルガリアのケレゾフ選手を撃破し金メダルを獲得。日本レスリング陣の士気を上げる価値ある金メダルであった。後年大学界のレスリング王国と呼ばれる日体大の礎を築いた。 2019年、瑞宝中綬章受章。
青木 廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日 - 20… 青木 廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日 - 2008年7月10日)は、東京都出身の実業家、冒険家、元レスリング選手、バックギャモンプレーヤー。通称、ロッキー青木。全米各地で鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」を展開した経営者(創業は父の郷宏之こと青木湯之助)。息子のスティーヴ・アオキはディスクジョッキー(DJ)、娘のデヴォン青木はモデル・女優として知られる。 青木湯之助、かつの長男として中野で生まれる。青木家は江戸時代は紀州徳川直参の旗本だった和歌山県士族の旧家である[要出典]。父の湯之助はかつて郷宏之の芸名で活躍していた俳優・タップダンサーで、後にレストランチェーン紅花 (BENIHANA) 共同創業者となった。
池田 三男(いけだ みつお、1935年(昭和10年)10月1… 池田 三男(いけだ みつお、1935年(昭和10年)10月14日 - 2002年(平成14年)9月12日)は、日本の北海道留萌支庁増毛郡増毛町出身のレスリング選手。メルボルンオリンピック金メダリスト。 北海道増毛高等学校-中央大学を通じてプロ野球に進んだ桂本和夫とともに全国優勝を経験、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 2002年9月12日、67歳で死去した。 中央大学4年の時にメルボルンオリンピックで優勝、エースの桂本は5位入賞となった。中大卒業後の世界選手権でも入賞、桂本は銅メダルを取った。二人は幼なじみで良きライバルとして互いに強く意識していた。
桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月… 桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月5日 - 没年不明)は、北海道増毛町出身のアマチュアレスリング選手およびプロ野球選手。メルボルンオリンピック5位入賞。 北海道留萌支庁増毛郡増毛町に生まれる。 北海道増毛高等学校ではレスリングで活躍しながら、野球部でもエースを務める二足の草鞋を履いた。中央大学へ進学するとレスリング専念し、選手として力を付けた。増毛高-中央大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大レスリング部黄金時代の屋台骨となり、メルボルンオリンピック金メダリストの池田三男やメルボルン・ローマ両オリンピック4位入賞の浅井正、そして佐藤義らとともに高校時代に全国優勝を経験した。
笠原 茂(かさはら しげる、1933年(昭和8年)6月11日… 笠原 茂(かさはら しげる、1933年(昭和8年)6月11日 - 1990年(平成2年)11月13日 )は、新潟県新潟市出身のアマチュアレスリング選手でのちに明治大学農学部教授。1956年メルボルンオリンピックレスリング男子フリースタイルライト級銀メダリスト。
兼子 隆(かねこ ゆたか、1933年4月21日 - )は、日… 兼子 隆(かねこ ゆたか、1933年4月21日 - )は、日本の元レスリング選手。 東京都出身で、中央大学を卒業した。中央大学では笹原正三の後輩で、1955年度にはレスリング部主将を務めている。アジア競技大会では大学在学中の1954年大会から1962年大会まで同一階級で3連覇を果たし、これは日本のアマチュアレスリング選手としては初めてだった。 1960年ローマオリンピックに出場し、4位に入賞した。
北野 祐秀(きたの ゆうしゅう、1930年(昭和5年)4月1… 北野 祐秀(きたの ゆうしゅう、1930年(昭和5年)4月14日 - 2016年(平成28年)2月27日)は、大阪府出身のレスリング選手・レスリング指導者。 旧制大阪市立中学校(現・大阪府立いちりつ高等学校)から慶應義塾大学へ進学し、1952年ヘルシンキオリンピックレスリング男子フリースタイルフライ級で出場して銀メダルを獲得した。その後、レスリング世界選手権(1954年・東京)、1954年アジア競技大会(フィリピン・マニラ)に出場していずれも銀メダルを獲得。 1960年ローマオリンピックではレスリング日本代表監督を務めた。また実業家として相撲茶屋初富を経営していた。 2016年2月27日、心筋梗塞により死去。
笹原 正三(ささはら しょうぞう、1929年(昭和4年)7月… 笹原 正三(ささはら しょうぞう、1929年(昭和4年)7月28日 - 2023年(令和5年)3月5日)は、日本の元アマチュアレスリング選手。山形県山形市出身。 中央大学でレスリングを始め、1956年メルボルンオリンピックで日本選手団の旗手を務め、レスリング競技(フリースタイル・フェザー級)で金メダルを獲得、得意技は「またさき」であった。東京オリンピックではフリースタイルのコーチを務めた。 国際レスリング連盟副会長、JOC副会長、1995年夏季ユニバーシアード団長、シドニーオリンピック日本選手団副団長などを歴任し、1989年から2003年まで日本レスリング協会会長に就いた。2006年には国際レスリング連盟殿堂に表彰された。
石井 庄八(いしい しょうはち、1926年9月20日 - 1… 石井 庄八(いしい しょうはち、1926年9月20日 - 1980年1月4日)は、千葉県市川市出身の元レスリング選手。
渡辺 晶一郎(わたなべ しょういちろう、1918年6月3日 … 渡辺 晶一郎(わたなべ しょういちろう、1918年6月3日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手、指導者。拓殖大学レスリング部創設者。 広島県高田郡向原町(現安芸高田市)出身。拓殖大学在学中の1938年、レスリング部を同好会として創部。1940年、同レスリング部は正式に部に昇格した。戦後は郷里・向原中学教諭に奉職。自ら現役選手として毎年国体の広島県チームの一員として活躍。また向原中学を始め、教え子たちが創部した広島県立向原高校や広島県立白木高校などを指導した。特に向原高校レスリング部は戦後の広島高校レスリングをリード、他校にレスリング部創設を促した。グレコローマン・ライトヘビー級で1964年東京オリンピックに出場した中浦章らが教え子。
風間 栄一(かざま えいいち、1916年2月19日 - 20… 風間 栄一(かざま えいいち、1916年2月19日 - 2001年5月8日)は、新潟県出身のアマチュアレスリング選手。日本レスリング界の第一人者として知られる。 1933年、新潟商業学校(現在の新潟県立新潟商業高等学校)から早稲田大学に進み、第1回全日本選手権でライト級を制覇した。 1936年ベルリンオリンピックにも出場してフリースタイル・ライト級で5位入賞を果たす。1938年には全日本学生選抜チームを率いてアメリカに遠征し、12戦全勝の記録を残した。 日本国内でも、2階級(66キロ級、72キロ級)に渡り全日本選手権で10度の優勝を達成し、1950年までの間不敗を維持するなど、日本のアマチュアレスリング創成期をけん引した選手であった。
島谷 一美(しまや かずみ、1915年10月12日 - 20… 島谷 一美(しまや かずみ、1915年10月12日 - 2005年2月13日)は、日本の柔道家(講道館9段)、レスリング選手。 北海道歌棄郡種前村(現・寿都町)出身で、小学生であった13歳の時に函館市の本間武勝3段の元で柔道を始めた。以来、三田国衛8段や松代林太郎6段らに師事し、函館商業学校では主将として活躍して北海道中等学校柔道大会の個人戦で優勝を果たす傍ら、同時に商業学校卒業までの7年間は新聞配達を経験して、厳冬下セーターと法被1枚で1日10kmを走り込むなど足腰を中心に身体を鍛えた。 卒業後は強豪で知られた日魯漁業(現・マルハニチロ)ラグビー部に引き抜かれ、センターやスリークォーターバックとし活躍。
八田 一朗(はった いちろう、1906年6月3日 - 198… 八田 一朗(はった いちろう、1906年6月3日 - 1983年4月15日)は、日本のレスリング選手・指導者、政治家である。日本レスリング界の父であり、参議院議員も務めた。また、1964年東京オリンピック招致にも尽力した。広島県安芸郡江田島町(現・江田島市)出身。
小谷 澄之(こたに すみゆき、1903年8月3日 - 199… 小谷 澄之(こたに すみゆき、1903年8月3日 - 1991年10月9日)は、日本の柔道家(講道館10段)、レスリング選手。 身長162cm・体重69kgという小柄な体格ながら現役時代は柔道選手として明治神宮競技大会で優勝したほか、昭和天覧試合や熊本・福岡対抗試合、満州・福岡対抗試合等にも出場して活躍した。レスリング選手としてもロサンゼルス五輪に出場している。 現役を退いてからは欧州やアメリカ等を歴訪して柔道の普及と振興に尽力する傍ら、講道館や全日本柔道連盟で要職を歴任して永く柔道界の運営に携わり、晩年には講道館10段位に列せられた。 小谷は兵庫県但馬、朝来郡中川村(現・朝来市)の農村の家に4人兄弟の末っ子として生まれる。
内藤 克俊(ないとう かつとし、1895年〈明治28年〉2月… 内藤 克俊(ないとう かつとし、1895年〈明治28年〉2月25日 - 1969年〈昭和44年〉9月27日)は、広島県広島市本川町(後の中区本川町)出身のレスリング選手。柔道家で最終位は七段。1924年パリオリンピックで、日本唯一のメダルを獲得(銅メダル)し、日本レスリングの始祖となる。これが、日本がその後レスリングが「お家芸」と称されるようになる歴史の第一歩となった。 生後半年で陸軍将校の父を亡くす。陸軍関係の子女が通う広島済美小学校(広島偕行社付属済美学校)入学後に母も急逝、台湾に嫁いだ長姉を頼って海を渡る。寂しがり屋の内藤に、姉は柔道を習わせた。台北一中(のちの建国中学)に進み、柔道に精を出し在台湾中に初段を獲る。
新免 純武(しんめん すみたけ、1889年10月23日 - … 新免 純武(しんめん すみたけ、1889年10月23日 - 1967年9月8日)は日本の柔道家(講道館9段)、レスリング選手。文献によっては新免 伊助とも。 古流柔術を経て講道館に学び鹿児島県や島根県を中心に後進の柔道指導を行ったほか、自身も戦前の全日本選士権等で活躍。アムステルダム五輪にはレスリングの日本代表として出場した。 福岡県福岡市出身。双水執流の家元である福岡市の隻流館で古流柔術を学び、中学生時代に17歳で上京して1907年5月付で講道館に入門。講道館の名物男で神田の錦城中学校(現・錦城学園高校)に通う徳三宝2段の推薦で1908年に同校の4年生に編入学し、1910年4月に2段位を取得した。
山本 美憂 は、日本出身の女子レスリング選手、総合格闘家、プ… 山本 美憂 は、日本出身の女子レスリング選手、総合格闘家、プロボクサー。神奈川県出身(2015年にカナダ国籍取得)。トキワ松学園高校、サンタモニカ大学などに通学。KRAZY BEE所属。レスリング世界選手権 3度優勝(2階級制覇)、レスリング全日本選手権 8度優勝。異名ミュウキャット。
北村 克哉 は、日本の元アマチュアレスリング選手、元プロレス… 北村 克哉 は、日本の元アマチュアレスリング選手、元プロレスラーで、アマチュアボディビルダー、総合格闘家、YouTuber、スポーツインストラクター。東京都杉並区出身。
浜口 京子 は、日本の女子レスリング選手。武蔵野学院大学日本… 浜口 京子 は、日本の女子レスリング選手。武蔵野学院大学日本総合研究所客員教授。ジャパンビバレッジホールディングス所属。日本オリンピック委員会選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度適用選手。身長170 cm。血液型A型。独身。
伊調 馨 は、日本の女子レスリング選手、スポーツ科学者。学位… 伊調 馨 は、日本の女子レスリング選手、スポーツ科学者。学位は健康スポーツ科学学士(中京女子大学・2007年)、健康スポーツ科学名誉修士(中京女子大学大学院・2008年)。
吉田 沙保里 は、日本のレスリング指導者、日本の元レスリング… 吉田 沙保里 は、日本のレスリング指導者、日本の元レスリング選手、スポーツ科学者、大府市レスリング協会副会長。学位は健康スポーツ科学学士(中京女子大学・2005年)、健康スポーツ科学名誉修士(中京女子大学大学院・2008年)。