藤嶽 彰英(藤岳 彰英、ふじたけ しょうえい、1929年12… 藤嶽 彰英(藤岳 彰英、ふじたけ しょうえい、1929年12月3日 - 2016年10月7日)は、旅行記作家。本名は静(しずか)。 三重県出身。大谷大学文学部国文科卒。読売新聞記者を経て文筆家となる。読売新聞記者時代に旅行記を800回連載。その後、フリーランスの旅行作家として執筆のかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演。日本各地の旅行案内を執筆し、特に温泉について詳しかった。旅行ブーム、温泉ブームの火付け役となる。吹田市に居住した。 自著『藤岳彰英の全国温泉の旅味覚の旅』(1987年10月発行)では、塔ノ沢温泉(神奈川県足柄下郡箱根町)の混浴露天風呂で、若い女性が入浴しているところを望遠レンズで盗撮したことを堂々と明かすなど、時代の背景もあるが、性的におおらかな作風であった。
實吉 達郎(さねよし たつお、1929年11月29日 - 2… 實吉 達郎(さねよし たつお、1929年11月29日 - 2025年9月23日)は、日本の動物研究家、作家。未確認動物「UMA」の命名者として知られる。 シャーロック・ホームズの研究家でもあり、日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員である。 子爵實吉安純の孫として広島県(父の赴任地・呉市)に生まれる。学習院幼稚園から学習院初等科、学習院中等科を経て、東京農業大学卒業後、宮内庁下総御料牧場、野毛山動物園に勤務。 1955年から1962年までブラジルで動物を研究。帰国後、動物作家として活躍。また、数多くのテレビ番組に出演している。 娘はシンガーソングライターのさねよしいさ子、風水鑑定士の佐々木啓乃。
向田 邦子(むこうだ くにこ、1929年〈昭和4年〉11月2… 向田 邦子(むこうだ くにこ、1929年〈昭和4年〉11月28日 - 1981年〈昭和56年〉8月22日)は、日本のテレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。第83回直木賞を受賞。 週刊誌のトップ屋時代は幸田 邦子名義で執筆していた。共同ペンネーム「葉村彰子」の一員でもある。 父親の転勤で全国を転々とするが、本人は鹿児島時代が文学の原点と語った。実践女専国語科を卒業後、映画雑誌の記者を経て、ラジオ・テレビの台本・脚本を書く。『七人の孫』『寺内貫太郎一家』等、自分の実感をもとに庶民の生活を温かくかつその暗部をも描いて「ホームドラマの旗手」といわれた。 1980年短編連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』(後に作品集『思い出トランプ』に収録)で直木賞を受賞した。
林 青梧(はやし せいご、1929年11月19日 - 200… 林 青梧(はやし せいご、1929年11月19日 - 2007年3月30日)は、日本の小説家、作家。 平壌生まれ。本名・亀谷(かめがい)梧郎。1946年内地へ帰り、東京都立大学 (1949-2011)英文科卒。日本大学豊山高等学校教諭。 朝鮮での敗戦体験を小説にし、『円卓』『文学者』などに発表。のち南京大学客員教授。 1958年「第七車輛」で芥川賞候補、「ふりむくな奇蹟は」で同、59年「橋《九月十一日》」で同、1961年「仁王」で直木賞候補、64年『誰のための大地』で同、70年『南北朝の疑惑』で同。計六回、芥川・直木賞候補となった。 第1回社会党文芸賞、中国国家友誼奨を受けた。 なお、目黒寄生虫館を創設した亀谷了は実兄にあたる。
新井 清泉(あらい せいせん、本名:新井 昌奎(あらい しょ… 新井 清泉(あらい せいせん、本名:新井 昌奎(あらい しょうけい)、1929年11月19日 - 2009年9月7日)は、岐阜県土岐市出身の書道家、美術作家。 1929年(昭和4年)11月19日生まれ。 芝浦工業専門学校中退。 1961年に、岐青会として書道研究書芸会を創設。 書道研究書芸会会長、憲墨会会長、大書心会理事長、土岐市美術作家連盟会員など、多くの役員を務め、書家として多くの賞を受賞した。 2009年9月7日に死去。享年80歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
五島 勉(ごとう べん、1929年〈昭和4年〉11月17日 … 五島 勉(ごとう べん、1929年〈昭和4年〉11月17日 - 2020年〈令和2年〉6月16日)は、日本の作家・ルポライター。1973年に社会不安とメディアの作品への扱い方を背景として、1960年代生まれから以降の幼少世代を中心に「1999年7月に世界滅亡」を信じる者が続出し、日本国内に未来への悲観的影響を与えた『ノストラダムスの大予言』を書いたことで知られる。 北海道函館市出身。正教徒の家庭に生まれる。本名は後藤 力(ごとう つとむ)。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)から第二高等学校へ進み、後の弁護士・遠藤誠と知り合う。東北大学法学部卒業。大学在学中、小遣い稼ぎにポルノ小説を書いて雑誌に投稿し、文筆家の道に入る。
岩井 護(いわい まもる、1929年11月7日 - 2013… 岩井 護(いわい まもる、1929年11月7日 - 2013年1月30日)は、日本の小説家。 福岡県生まれ。西南学院大学経済学部卒業。1968年、「雪の日のおりん」で第10回小説現代新人賞受賞。 小説「花隠密」(講談社刊)が松平健の主演で舞台作品となり、大阪の新歌舞伎座などで上演された。花を愛した徳川家斉にハナショウブを献上する肥後と宇和島の「花戦争」を背景とし、勝負に負けた宇和島から花作りの秘密をさぐりに肥後に潜入する「花隠密」の悲恋を描いた作品。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日 - 1997… 山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日 - 1997年3月8日)は、日本の脚本家、小説家である。 1929年(昭和4年)11月4日、神奈川県横浜市に生まれる。 第二次世界大戦終了後、明治大学専門部文科を卒業し、化粧品をセールスしたり、通訳を務めたり、 1950年(昭和25年)6月に勃発した朝鮮戦争で設立された特需会社、あるいは相互金融会社に勤務した。 1955年(昭和30年)、同年下村明が発表した小説『黒帯三国志』の映画化に参加、松浦健郎、谷口千吉とともに脚色した。同作は、谷口が監督、東宝が製作して、翌1956年(昭和31年)1月29日に公開され、映画脚本家としてデビューした。デビュー第2作は、同年、ひきつづき松浦とともに宮本幹也の小説『大学の石松』を脚色、伊賀山正徳が監督し、東映東京撮影所が製作、東映が配給して同年5月18日に公開された。
山内 一生(やまうち かずお、1929年10月4日 - 20… 山内 一生(やまうち かずお、1929年10月4日 - 2024年10月18日)は、愛知県西加茂郡小原村(現在の豊田市)出身の和紙工芸作家。戦後に小原村で和紙工芸を広めた藤井達吉に師事し、小原工芸紙(小原和紙)を代表する和紙工芸作家で小原和紙工芸の第一人者とされる。現・日工会名誉会長で、プロ野球選手の山内壮馬は親類。2004年には旧小原村(当時)の名誉村民となり、2017年12月に豊田市名誉市民に推挙された。名前の読みは「かずお」だが、作品を制作する際は一貫して「いっせい」を用いており、自身の工房も「山内いっせい(一生)工房」としている他、名誉市民推挙の際の豊田市の資料でも読みは「やまうち いっせい」となっている。
椎窓 猛(しいまど たけし、1929年9月28日 - 202… 椎窓 猛(しいまど たけし、1929年9月28日 - 2022年1月27日)は、日本の詩人・作家。 福岡県生まれ。父均の小学校教師勤務の都合、矢部村、日出小へ転校後、1942年県立八女中学へ。そのあと福岡第一師範学校本科卒業、小学校教師として勤務、この間、福岡教育センター歌はじめ、福岡県下幼稚園、小、中、高校あわせて15校の校歌も作詞。詩、童話、小説などの創作活動も行う。矢部村教育長時代、“ふるさと創生”の一部を基に「世界子ども愛樹祭コンクール」を創始、回を重ね、のち特別相談役。福岡県詩人会会員。「九州文学」同人。
花岡太郎(はなおか たろう、1929年9月17日- )は、日… 花岡太郎(はなおか たろう、1929年9月17日- )は、日本の作家、文筆家。 大連生まれ、本名は信衛。熊本県立済々黌高等学校卒業、1950年鎌倉アカデミア文学科卒業。1952年に『新潮』で「表通り」(花岡信衛)を発表して文筆生活に入る。 息子は春風亭小朝。父の静一郎は土建業者で、乃木坂に花岡アパートを建て、太郎が家主時代に永六輔、大竹省二らが居住した。
山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 -… 山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 - )は東京都江東区深川木場出身の旅行作家、劇作家。現在千葉県流山市在住。栃木県立足利高等学校、群馬大学卒。旅行をテーマにした作品の小説が多い。日本旅のペンクラブ代表。 2005年12月、社会教育功労者として文部科学大臣より表彰される。日本ペンクラブ、日本推理作家協会、旅行記者クラブ、日本旅のぺンクラブ、旅行作家の会会員。趣味はカメラ、郷土玩具収集、料理、水泳、ハーモニカ、スケッチ。いまも年間100日は国内外の旅を続けている。
北村 けんじ(きたむら けんじ、本名:北村憲司、1929年9… 北村 けんじ(きたむら けんじ、本名:北村憲司、1929年9月14日 - 2007年8月21日 )は、日本の児童文学作家。 1929年(昭和4年)9月14日、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)に生まれた。3歳の時に三重県桑名郡多度村(現・桑名市)に転居し、多度村立多度小学校、旧制三重県立桑名中学校を卒業した。18歳だった1947年(昭和22年)、恩師の勧めによって多度小学校の代用教員となった。その後、三重大学学芸学部養成科(現・教育学部)を卒業した。 三重県内の小学校で教員を務めるかたわら、数多くの児童文学を創作した。1970年(昭和45年)、『ハトと飛んだボク』で新美南吉文学賞を受賞した。
桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年… 桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年8月13日)、日本の脚本家、小説家、翻訳家、映画評論家。男性。岐阜県出身。別名義に宇治 英三、リチャード・ピータース。本名は島内 三秀である。 父は高知県出身の陸軍将校。読書家だった母の影響と病弱だったことから、読書に耽る少年時代を送った。1943年(昭和18年)、志願して名古屋陸軍幼年学校に入学し、ここで終戦を迎える。退校直前に幼年学校の映画会で古川緑波主演の喜劇を観て、映画の魅力に取り憑かれた。 1954年(昭和29年)、早稲田大学文学部卒業。1955年(昭和30年)にTBSに入社。編成局連絡課に配属されるが、激務のために高校時代に患った結核が悪化して6ヶ月で退社。
尾藤 三柳(びとう さんりゅう、1929年8月12日 - 2… 尾藤 三柳(びとう さんりゅう、1929年8月12日 - 2016年10月19日)は、川柳作家。父は川柳作家の尾藤三笠、子も川柳作家の尾藤一泉。 東京生まれ。本名・源一。学習院大学文学部卒業。前田雀郎に師事。丹雀会同人などを経て、1975年から「川柳公論」主宰。1988年から2009年までよみうり時事川柳(読売新聞東京本社・北海道支社・北陸支社・中部支社)の選者を務めたほか、サラリーマン川柳(第一生命主催)や新聞、雑誌、放送、公募川柳選者も務めた。その他、日本川柳ペンクラブ理事長、全日本川柳協会相談役、川柳学会名誉会長などを歴任した。 2016年10月19日、肺水腫のため死去。87歳没。
早坂 暁(はやさか あきら、1929年〈昭和4年〉8月11日… 早坂 暁(はやさか あきら、1929年〈昭和4年〉8月11日 - 2017年〈平成29年〉12月16日)は、日本の脚本家、小説家。 本名、富田 祥資(とみた よしすけ)。 愛媛県温泉郡北条町(現松山市)生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒業。 戦後の日本を代表する脚本家のひとりである。 愛媛県温泉郡北条町(後の愛媛県北条市、現在の松山市北条)で、遍路道の大商家に生まれ育ち、幼少の頃からお遍路さんに接した。 旧制松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)を経て、海軍兵学校在学中に終戦。海軍兵学校からの復員途中に広島で一夜を明かし、被爆直後の広島の惨状を目撃した。旧制松山高等学校(現在の愛媛大学文理学部の構成母体)卒業後、東京大学医学部に合格するも、医業に疑問を持ち入学せず[信頼性要検証]、日本大学芸術学部演劇学科に進学し同校卒業。
小山内 富子(おさない とみこ、1929年8月5日 - 20… 小山内 富子(おさない とみこ、1929年8月5日 - 2019年3月24日)は、日本の随筆家、児童文学作家。別筆名に小山内 繭。日本文藝家協会会員。 佐賀県生まれ。実践女子専門学校に進学、国文科を卒業。東京大学総合図書館の司書となり、小山内薫の次男・小山内宏と結婚。 1977年の夫の死後、随筆や児童文学を書く。代表作『ちょっとコーヒーのみにきて』は日本図書館協会の選定図書となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
神山 圭介(かみやま けいすけ、1929年8月3日 - 19… 神山 圭介(かみやま けいすけ、1929年8月3日 - 1985年1月16日)は、日本の作家・小説家。 神奈川県横浜市生まれ。本名・金子鉄磨(カネマロ)。東京大学文学部独文科卒。在学中より雑誌『現代文学』に参加。 卒業後、中央公論社に勤めるかたわら執筆活動を行う。 1976年「鴾色の武勲詩」で芥川賞候補。文化学院講師を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
福田 洋(ふくだ ひろし、1929年8月1日 -)は日本の推… 福田 洋(ふくだ ひろし、1929年8月1日 -)は日本の推理作家、ノンフィクション作家。別名義に桜田 忍(さくらだ しのぶ)。 推理小説のほか、実際の犯罪事件を題材としたノンフィクション・ノベルなどを多数執筆している。 1929年(昭和4年)8月1日、大分県に生まれる。1950年(昭和25年)、大分経済専門学校(現・大分大学)卒業。経済雑誌の出版、不動産会社、クラブなどの経営に従事したのち、40歳を過ぎてから小説の執筆を始める。 1971年(昭和46年)、福田洋名義の短編『空白のダイヤル』が第2回サンデー毎日新人賞推理小説部門佳作二席となり、『小説サンデー毎日』1971年6月増刊号に掲載され作家デビュー。
栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023… 栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023年5月5日)は、日本のフランス文学者、美術評論家、作家、翻訳家。駒沢女子大学日本文化研究所名誉所長。 フランス象徴主義の詩人・ロートレアモン伯爵の作品を日本で初めて全訳し、レフ・トロツキーの翻訳も行った。また詩人でもあり、戯曲も書いた。多彩な創作、評論活動を展開し、仏教、寺院建築、美術等に関する日本文化論の著書を多く発表した。 東京生まれ、満洲出身。父は栗田健男。 1947年、東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業。1953年、東京大学文学部仏文科卒業。1955年、同大学院修士課程修了。1960年より文筆活動に入る。 1962年、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校で、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一、森秀人らとともに、講師をつとめる。
森山 京(もりやま みやこ、1929年〈昭和4年〉7月10日… 森山 京(もりやま みやこ、1929年〈昭和4年〉7月10日 - 2018年〈平成30年〉1月7日)は、日本の童話作家、コピーライター。化粧品のCMコピー「25歳はお肌の曲がり角」の作者。 東京都大森生まれ。兵庫県立福崎高等女学校卒業、神戸女学院大学中退。大阪阪急百貨店宣伝部勤務を経てフリーのコピーライターとなり、日本デザインセンターで活動した。40歳から創作を始める。1968年「子りすが五ひき」で講談社児童文学新人賞佳作、翌年児童文学作家としてデビュー。1983年『ねこのしゃしんかん』(講談社)でボローニャ国際児童図書展エルバ賞特別賞受賞。1989年「きつねのこ」シリーズで路傍の石幼少年文学賞、1990年『あしたもよかった』で小学館文学賞、1996年『まねやのオイラ旅ねこ道中』で野間児童文芸賞、1999年『パンやのくまちゃん』でひろすけ童話賞、2009年『ハナと寺子屋のなかまたち』で赤い鳥文学賞を受賞。
乙骨 淑子(おつこつ よしこ、1929年(昭和4年)7月7日… 乙骨 淑子(おつこつ よしこ、1929年(昭和4年)7月7日 - 1980年(昭和55年)8月13日)は、日本の児童文学作家。 東京都出身。私立桜蔭高等女学校(現:桜蔭中学校・高等学校)卒業。1954年、柴田道子らと同人誌「こだま」を創刊して以来、創作活動に専念。1964年『ぴいちゃあしゃん』でデビュー。本作は、1965年に厚生省・児童福祉審議会推薦図書特別賞を受賞した。代表作の1つである『十三歳の夏』は、1977年に少年ドラマシリーズの1つとしてテレビドラマ化された。のちに、フジテレビでも森光子主演で再びドラマ化された。 1980年8月13日、癌のため、51歳で逝去。『ピラミッド帽子よ、さようなら』は未完の遺作となった。
都筑 道夫(つづき みちお、1929年7月6日 - 2003… 都筑 道夫(つづき みちお、1929年7月6日 - 2003年11月27日)は、日本の推理作家、SF作家。東京市出身。本名松岡 巖(まつおか いわお)。別名に小林 菖夫、淡路 瑛一、柴田 梅玉、伊藤 照夫など。実兄(松岡勤治)は、夭折した落語家の鶯春亭梅橋。関口台町小学校の同学年に越智通雄がいる。
関 榮次(せき えいじ、1929年7月 - 2020年7月2… 関 榮次(せき えいじ、1929年7月 - 2020年7月21日[要出典])は、日本の外交官、ノンフィクション作家。沖縄県北大東島出身。 沖縄県北大東島生まれ。旧制松山高等学校を経て、1953年に東京大学法学部卒業、外務省入省。 1954年オハイオ州アンティオーク大学留学、1955年在米国日本大使館外交官補 。 帰国後は、経済局、通商産業省出向、経済協力局を経て、インドネシア、連合王国(イギリス)、タイ、ユーゴスラビア、ブラジルに在勤 。本省では、国際連合局経済課長、法務省入国管理局総務課長、国際連合局担当審議官などを歴任。 1981年‐1983年駐ザンビア大使、駐連合王国特命全権公使、海外経済協力基金理事、1989年‐1992年駐ハンガリー大使を歴任した。
伊佐 千尋(いさ ちひろ、1929年6月27日 - 2018… 伊佐 千尋(いさ ちひろ、1929年6月27日 - 2018年2月3日)は、日本のノンフィクション作家。 実父はアメリカ合衆国で活動した画家・絵本作家の八島太郎。俳優マコ岩松は異母弟、女優八島桃(本名:岩松桃子)は異母妹。 現在の東京都に生まれる。母の伊佐正子(旧姓:仁科)は、山梨県甲府市の士族の家系に生まれ、実家は資産家だった。1928年夏頃に、当時「岩松淳」を名乗っていた八島太郎が東京から甲府を訪れた際に出会い、後を追う形で上京、父の持ち家に住みながら交際した。しかし、翌年4月の四・一六事件の際に、プロレタリア芸術運動にかかわっていた太郎の家が捜索を受けて正子も拘留される。そのあと正子は太郎と別れる。
小沢 昭巳(おざわ あきみ、1929年6月24日 - 201… 小沢 昭巳(おざわ あきみ、1929年6月24日 - 2015年5月12日)は、日本の児童文学作家、教育者。本姓の読みは「こざわ」。 富山県下新川郡朝日町出身。生後一年で右目を失明。1949年高岡工業専門学校(現富山大学工学部)卒。1958年東京大学に内地留学。富山県伏木小学校、博労小学校、富山県教育研究所、富山県大島小学校校長。 小学校教師の1965年頃、いじめを目撃したことから、壁新聞に「とべないホタル」を書く。1988年『とべないホタル』を刊行しベストセラーになる。高岡市万葉歴史館研究員、国立高岡短期大学(現富山大学高岡キャンパス)講師を経て執筆に専念。 1990年高岡市民文化賞、1991年北日本新聞功労賞、1992年富山県功労賞を受賞。
三山進(みやま すすむ、1929年6月22日 - 2004年… 三山進(みやま すすむ、1929年6月22日 - 2004年5月11日)は、日本の美術史学者、推理作家。仏教美術史専攻。 筆名・久能啓二(くのけいじ)で推理作家。 兵庫県神戸市生まれ。1952年東京大学文学部美学美術史学科卒、同大学院修士課程修了、1952年から1965年まで鎌倉国宝館学芸員、1965年跡見学園女子大学助教授、1971年教授、1991年青山学院大学教授、1994年退任。 また、1959年、雑誌『宝石』『週刊朝日』の共同募集に応募した『玩具の果てに』で二等賞に入選。久能恵二名義で推理小説も発表していたが、1968年に『推理ストーリー』に掲載した『死者の旅路』を最後に執筆をやめている。
日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 200… 日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 2002年10月14日)は、日本の小説家、文芸評論家。東大社会学科卒。新聞社特派員としての韓国・ベトナム駐在経験が創作の基調。ベトナム戦争を題材にした作品や、現代都市における幻想を描く都市小説といわれる作品などで知られる。『あの夕陽』(1975年)で芥川賞受賞。日本芸術院会員。 東京府豊多摩郡生まれ。5歳の時に父親の仕事のため朝鮮に移り、小中学校時代を慶尚南道密陽で暮らした。1942年にソウルに移って、龍山中学に通う。敗戦後は父親の故郷広島県福山市に引き揚げ、広島県立府中中学校(現広島県立府中高等学校)を経て、1946年に旧制一高入学、この頃野間宏、椎名麟三などの戦後文学に関心を持ち、大岡信、丸山一郎(佐野洋)らと同人誌『二十代』、次いで同じメンバーで『現代文学』を作り、文芸評論を執筆した。
なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は… なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は、日本の精神科医・作家・評論家。日本テレビ放送番組審議会委員。 本名は堀内 秀(ほりうち しげる)。「なだいなだ」はペンネームで、スペイン語の "nada y nada"(何もなくて、何もない)に由来する。本名名義での翻訳書もある。 東京生まれ。両親は蒲田で小さな酒屋を営んでいたが、大震災で店が焼失してしまったので、酒屋稼業に見切りをつけて、御嶽山と呼ばれる田園地帯(現:東京都大田区)に移り、自宅を建てた。家の周りはじゃがいも畑だらけだったという。父は耕地整理組合に勤めた。 1942年旧制の私立麻布中学に入学。同級生に小沢昭一、フランキー堺、加藤武、仲谷昇、2年上に北杜夫、3年上に奥野健男、5年上に吉行淳之介がいた。
木下 順一(きのした じゅんいち、1929年〈昭和4年〉6月… 木下 順一(きのした じゅんいち、1929年〈昭和4年〉6月1日 - 2005年〈平成17年〉10月27日)は、日本の作家、雑誌編集長。北海道函館市真砂町(後の大手町)出身。東京都台東区上野の文部省図書館職員養成所(後の図書館情報大学)卒業。 図書館職員養成所時代から小説家を志し、学友たちと文芸雑誌を創刊し、小説を掲載するなどの活動を行なっていた。21歳のときに書いた小説『怪物』は、作家の埴谷雄高から評価を受けた。 1962年(昭和37年)、地元の函館で季刊誌『函館百点』(後に『はこだて』、さらに後に『街』と改題)の創刊メンバーに加わり、創刊後も編集と発行に携わった。1975年(昭和50年)からは函館文学学校の講師を務め、雑誌と学校で地元の人材育成と地域文化に貢献した。
高橋 治(たかはし おさむ、1929年5月23日 - 201… 高橋 治(たかはし おさむ、1929年5月23日 - 2015年6月13日)は、千葉県千葉市出身の小説家、劇作家、映画監督。 刑事ものである「神崎省吾シリーズ」は2時間ドラマの原作として度々映像化されている。 「さすらい波太郎」シリーズなどの釣りに関する小説も多く、また環境や釣り人のマナーについての辛口のコメントも発表し続けている。 また、好角家としても知られ、1990年から2012年まで本場所中には中日スポーツ・東京中日スポーツに観戦記「私は見た!」を連載していた。その中で高橋は近年の力士の大型化を憂い、技能に優れた力士の登場を願うような記述が多い。また、朝青龍の素行にも批判的な立場を取っている。
山際 素男(やまぎわ もとお、1929年5月21日 - 20… 山際 素男(やまぎわ もとお、1929年5月21日 - 2009年3月19日)は、日本のノンフィクション作家、インド文化研究家、翻訳家。専門はインド文学。 三重県大王町出身。中学、高校でそれぞれ中退を経験し、法政大学文学部日本文学科卒。朝日新聞東京本社、世界労連東京事務所勤務を経て、インドに留学。インド国立パトナ大学(英語版)、ビスババラティ大学(英語版)で学ぶ。帰国後、文筆活動に入る。 代表作として、インドにおけるカースト制度の実態を告発した『不可触民 もうひとつのインド』がある。1998年には、古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の翻訳で第34回日本翻訳出版文化賞を受賞した。 チベット問題にも関わり、『ダライ・ラマ自伝』他、チベット関連書を翻訳。
平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 20… 平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 2005年5月18日)は、日本の仏文学者・文芸評論家・作家。早稲田大学名誉教授。 1929年(昭和4年)大阪市生まれ。1952年(昭和27年)早稲田大学文学部仏文科卒業。1961年(昭和36年)大学院文学研究科仏文学専攻博士課程満期退学。1957年から1960年パリ大学に学び、1962年(昭和37年)早稲田大学文学部講師、1965年(昭和40年)助教授、1970年(昭和45年)教授、2000年(平成12年)定年、名誉教授。 アラン・ロブ=グリエ、クロード・シモン、マルグリット・デュラス等、ヌーヴォー・ロマンの翻訳で知られているが、バルザックやメリメ等も翻訳し、小説も書くなど、幅広い活動をおこなった。
塚本 哲也(つかもと てつや、1929年〈昭和4年〉4月29… 塚本 哲也(つかもと てつや、1929年〈昭和4年〉4月29日 - 2016年〈平成28年〉10月22日)は、日本の新聞記者、作家、大学教授。 群馬県館林市生まれ。旧姓・木村。木村裕主は実兄。1954年東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。政治部記者として岸信介を担当する。ヨーロッパ留学を検討し、オーストリア大使館を訪れ、ウィーン留学を決意。ウィーン留学経験のある人に話を聞きたいといって紹介されたのがオーストリア政府給費留学生だったピアニストの塚本ルリ子だった。1962年6月、留学生試験に合格後、哲也はルリ子と結婚し塚本姓となる。ルリ子の父(塚本憲甫)は国立がんセンター総長などを務めた医師だった。
加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日… 加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日 - 2023年〈令和5年〉1月12日)は、日本の小説家、医学者(犯罪心理学)、精神科医。勲等は旭日中綬章。学位は医学博士(東京大学・1960年)。日本芸術院会員、文化功労者。本名は小木 貞孝(こぎ さだたか)で、本名でも著作がある。 東京大学医学部助手、東京大学医学部脳研究所助手、東京拘置所医務部技官、フランスのパリ大学サンタンヌ病院とサンヴナン病院の医師、東京大学医学部附属病院精神科助手、東京医科歯科大学医学部助教授、上智大学文学部教授などを歴任した。 東大を卒業してフランスに留学した後、『帰らざる夏』(1973年)で谷崎潤一郎賞を受賞。
郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年… 郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年9月30日)は、日本の小説家。
太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 20… 太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 2012年10月22日)は、三重県鈴鹿市出身の小説家。山岳推理小説の第一人者として知られる[要出典]。本名・太田 等(おおた ひとし)、別筆名に太田 瓢一郎。 三重県立津高等学校を経て中央大学法学部卒[要出典]。 同人誌「新表現」を経て1956年に太田瓢一郎の筆名で時代小説でデビュー。1958年から1963年まで時代ものの単行本の刊行を続けたが、以後単行本の刊行は止まる。その後、長年続けてきた登山と釣りの経験を生かし、釣り雑誌にエッセイや小説を連載していたが、1978年に新しい筆名太田 蘭三で『殺意の三面峡谷』を刊行して再デビュー、山岳推理の新境地を開拓した。
正田 昭(しょうだ あきら、1929年4月19日 - 196… 正田 昭(しょうだ あきら、1929年4月19日 - 1969年12月9日)は、日本の元死刑囚、小説家である。バー・メッカ殺人事件の主犯。 正田は裕福な中流家庭で兄3人と姉2人の末っ子として大阪府に生まれる。弁護士だった父親は石川県から横浜英語学校に学び、21歳で渡米、ハウスボーイから身を立てカリフォルニア州立大学を経て、サクラメントで法律事務所を経営する人物だったが、昭が生後5ヶ月のときに54歳で他界し、昭は高校の体育教師だった母親によって育てられる。母親は4人の息子たちを早稲田大、フィレンツェ大、東大、慶応大に進学させ、娘2人も女子大に進ませた。賢母だったが印鑑と銀行の貸金庫の鍵を肌身離さず持つなど金に対する執着が強く、そのような母に耐えられなかった長兄が家庭内暴力をするようになる。
能島 廉(のしま れん 1929年4月19日 - 1964年… 能島 廉(のしま れん 1929年4月19日 - 1964年12月16日)は、作家、編集者。本名は野島 良治(のしま よしはる)。 宮崎市出身だが、子供の頃に親の故郷である高知市へ移ることになり、高知県立海南中学校に入学した後名古屋陸軍幼年学校へ入学したが、終戦となり海星中学に復学したのち旧制高知高等学校に進学する。 1949年に東京大学文学部ドイツ文学科へ入学すると、在学中に旧制高知高校の先輩から誘われる形で同人誌『第15次新思潮』に加わり、1952年に大学を卒業して小学館に入社した後も児童向け雑誌の編集に関わりながら短編数話を発表した。その後小学館の学習雑誌で学年別の編集長を務め、作家として梶山季之や瀬戸内寂聴らを起用している。
小坂井 澄(こさかい すみ、1929年4月19日 - )は、… 小坂井 澄(こさかい すみ、1929年4月19日 - )は、ノンフィクション作家。 東京生まれ。立教大学文学部中退。集英社勤務の後、1967年よりフリーライターになる。1975年から著作の上梓を始め、1983年、『これはあなたの母』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。一貫してキリスト教精神に貫かれており、当初は不幸な女性たちの評伝、近年はキリスト教関係の書物が多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
竹西 寛子(たけにし ひろこ、1929年4月11日 - )は… 竹西 寛子(たけにし ひろこ、1929年4月11日 - )は、日本の小説家、日本芸術院会員、文化功労者。
長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4… 長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4月4日 ‐ 2007年8月31日)は広島県呉市出身の作家、海上自衛官、暗号研究者。日本暗号協会会長(1986年8月~)。 呉第一中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を卒業後、1945年に海軍兵学校予科(第78期、昭和20年4月入校)に入校するが、終戦により閉校となる。1954年広島大学文学部哲学科を卒業。1955年防衛庁暗号専門機関に入り、暗号理論の研究及び解読に従事。1965年海上自衛隊暗号専門部隊に転じ、通信保全業務隊司令となり1983年1等海佐で退職した。 1986年8月日本暗号協会を設立し初代会長。暗号に造詣が深く、暗号関係の著作は1964年から刊行しており多数。
若林 真(わかばやし しん、1929年4月3日 - 2000… 若林 真(わかばやし しん、1929年4月3日 - 2000年3月14日)は、日本のフランス文学者・作家・翻訳家・批評家。慶應義塾大学名誉教授。 新潟県佐渡郡生まれ。1948年、慶應義塾大学文学部予科に入学。1949年、新制の慶應義塾大学文学部に入学。翌年、仏文学専攻に進学。同窓に山川方夫、田久保英夫がおり、親しく交流した。在学中は小説を執筆したり、『三田文学』で批評を行ったりした。1953年、慶應義塾大学文学部仏文学専攻を卒業。1956年、慶應義塾大学文学研究科仏文学専攻修士課程修了。1959年、同大学院博士課程満期退学、慶應義塾大学文学部助手。1961年同専任講師、1965年同助教授、1970年同教授。
三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 20… 三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 2003年4月24日)は、日本の小説家。 旧姓四本。夫は文芸評論家の森川達也。『葬送の朝』で注目されて以来、反リアリズム的手法を用いた実験的作品を書き続けた。日本ペンクラブ女性作家委員会初代委員長。 兵庫県神戸市出身。1948年兵庫師範学校女子部(明石分校)卒、旧制関西学院大学文学部哲学科に入学、1950年卒業、同大学院文学研究科修士課程に進学、武市健人にヘーゲルを学ぶ。1951年中退、森川(本名三枝)と結婚。中学校教師をしながら、森川らと同人雑誌『文藝人』を創刊。1963年、森川が兵庫県の実家の寺を継いだため、東京に仕事場をもち、東西往復生活が始まる。
色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1… 色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1989年4月10日)は、日本の小説家、エッセイスト、雀士。筆名として色川 武大(いろかわ ぶだい)、阿佐田 哲也(あさだ てつや)、井上 志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子を名乗った。阿佐田哲也名義では麻雀小説作家として知られる。
鈴木 昭典(すずき あきのり、1929年3月25日 - 20… 鈴木 昭典(すずき あきのり、1929年3月25日 - 2019年1月31日)は、日本のドキュメンタリー作家。ジャーナリスト。元朝日放送報道局次長プロデューサー。 摂南工業専門学校(現 大阪工業大学)卒業。ラヂオプレス通信社を経て大阪テレビ放送(現 朝日放送テレビ)に入社、報道部に配属。報道局次長プロデューサーとして退社するまで、一貫してテレビ・ドキュメンタリー制作に携わる。「憲法シリーズ」の『日本国憲法を生んだ密室の九日間』で「放送文化基金賞・奨励賞」を受賞。その他「放送史シリーズ」の『検証 民放誕生』などの制作を続け、芸術祭賞、民間放送連盟賞、ギャラクシー賞、ABU賞、科学放送賞の多数を受賞。
津本 陽(つもと よう、1929年〈昭和4年〉3月23日 -… 津本 陽(つもと よう、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2018年〈平成30年〉5月26日)は、日本の小説家。本名、寅吉(とらよし)。 和歌山県和歌山市出身。旧制和歌山中学校から旧制大阪専門学校(現・近畿大学) を経て、1951年東北大学法学部卒。明間輝行は同期。同人誌『VIKING』で活動し、掲載作『丘の家』が第56回直木賞候補。1978年(昭和53年)、故郷和歌山を舞台にした『深重の海』で第79回直木賞を受賞。膨大な資料をたどり、小説の中で逐次資料の内容の提示と解説をしながら話を展開してゆく形式が多い。文体は情緒性を排した重厚で簡潔な表現が主体。 題材は主に剣豪や戦国大名、幕末英傑を主題にした歴史小説が多い。
小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日… 小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日 - 2010年(平成22年)9月27日)は、日本の精神科医、作家、翻訳家。 日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰。 青森県弘前市出身。1953年(昭和28年)、新潟大学医学部卒業。1959年(昭和34年)、東京大学大学院修了、医学博士。大宅壮一東京マスコミ塾第7期生。上智大学カウンセリング研究所教授を経てメンタル・ヘルス国際情報センター所長。 洋子夫人は東山あかねという筆名で、「二人で一人」と公言している位である。「シャーロック・ホームズ」関連の共著・訳を中心に数十冊刊行している。 小林は極めて闊達なエスペランティストとしても知られ、日本エスペラント学会の顧問でもあった。
横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973… 横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973年8月14日)は、日本の児童文学作家、評論家。本名・輝雄。 兵庫県美嚢郡三木町大塚(現・三木市)生まれ。1946年湊川中学校夜間部卒業、小学校教師となり、生活綴方運動に加わる。1954年「文学と教育研究はくぼくの会」に参加、日本児童文学者協会に入り評論活動を行う。1958年教師を辞して上京、協会事務局長となる。児童向け再話なども行い、1970年日本子どもの本研究会会長を務めるが、1973年胃がんのため44歳で死去した。 1975年日本児童文学者協会賞特別賞。
桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005… 桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005年2月1日)は、日本の小説家・民俗学者・北里大学名誉教授。昭和後期から平成時代にかけて活躍した。 広島県高田郡吉田町(現:安芸高田市)の生まれ。 旧制広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)の4年生のとき、広島市への原子爆弾投下に遭遇する。このとき学校は全滅したものの、勤労動員で郊外に滞在していたため生き残ることができた。少年期のこの経験は桂の心に深く残り、後々まで作品世界に何度も描かれることになった。 1950年に慶應義塾大学に入学する。 同年、劇作家の加藤道夫の紹介により三島由紀夫に認められ、1953年、三島の推薦で「群像」7月号に「棘草の蔭に」を載せ、文壇に登場。