玉嵐 孝平(たまあらし こうへい、1941年8月1日 - 1… 玉嵐 孝平(たまあらし こうへい、1941年8月1日 - 1993年2月28日)は、北海道河西郡芽室町出身で片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は成田 幸平(なりた こうへい)。最高位は東前頭4枚目(1962年11月場所、1963年7月場所、1964年1月場所)。現役時代の体格は173cm、116kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ、押し。 15歳の時、玉乃海の内弟子として二所ノ関部屋へ入門し、1956年9月場所で初土俵を踏んだ。その直前の夏巡業で入門し、一行に帯同していたため、同じ北海道出身で同部屋に入門したばかりの納谷(後の横綱・大鵬)と一緒に行動していた。大鵬にとっても玉嵐(成田)は「相撲社会での最初の友人」であり、後年、入幕してからは既に横綱に昇進していた大鵬の横綱土俵入りの露払いや太刀持ちも務めている。
佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1… 佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1日 - 1995年(平成7年)11月19日)は、日本の法学者・政治家である。茨城県水戸市生まれ。 中央大学法学部卒業。早稲田大学大学院法学研究科修了。金属加工会社経営のかたわら、法学研究者として、早稲田大学、中央大学、茨城大学などで労働法を講義。1978年水戸市民の会を主宰し「市民からの出発」を発刊。1984年水戸市長に当選。1992年、水戸市長に3選されたが、1993年8月、竹内藤男の汚職事件による辞職に伴って執行された茨城県知事選挙に出馬するため水戸市長を退任。橋本昌に敗れた。1995年に入院、死去。2007年、水戸市名誉市民の称号が贈られた。
しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、し… しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、しめぎ・しがこ。1939年8月1日 - )は、日本の女優。東京府東京市神田区(現・東京都千代田区神田)出身。跡見学園高等学校卒業。 俳優座養成所を経て文学座に所属。1960年頃から日活や大映、東映製作の映画・テレビドラマを中心に活躍した。1970年代前半に芸能界を引退している。
八代目 杵屋彌吉(きねや やきち、1939年(昭和14年〉8… 八代目 杵屋彌吉(きねや やきち、1939年(昭和14年〉8月1日 - 2022年〈令和4年〉5月18日)は、日本の長唄三味線方家元。 本名は、鈴木 吉康(すずき よしやす)。別号として鈴木 勘容(すずき かんよう)。 小学4年生より三味線を習い始め、中学3年生より初代彌一郎(のちの七代目彌吉)に師事し、彌二郎を名乗った。東京芸術大学音楽部邦楽科では、山田抄太郎、菊岡裕晃に師事する。在学中の1978年から稀音家六多郎について、稀曲の習得に励んだ。1984年に東京芸術大学音楽学部邦楽科・邦楽専攻課程を修了した。 1986年に長唄唄方の稀音家義丸と長唄の古典稀曲の研究発表のための長唄双樹会を結成した。
佐藤 好夫(さとう よしお、1938年8月1日 - )は、宮… 佐藤 好夫(さとう よしお、1938年8月1日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 東北高校から1958年に西鉄ライオンズへ入団。58年は11試合出場するも全て偵察要員での出場だった。 1959年に1軍初登板するも同年に退団した。
吉原 健一郎(よしはら けんいちろう、1938年8月1日 -… 吉原 健一郎(よしはら けんいちろう、1938年8月1日 - 2012年3月22日)は、日本の歴史学者。成城大学名誉教授。専門は日本近世史、文化史。 1938年に東京府で出生する。1967年に東京教育大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程を修了。東京都公文書館主任調査員を経て、成城大学文芸学部文化史学科教授に就任する。江戸時代を中心に主に近世庶民文化を研究した。2009年に成城大学名誉教授となる。また、成城大学民俗学研究所所長、歴史学会会長を務めたほか、千代田区、港区、墨田区、江東区などの文化財保護審議会委員を歴任した。 2012年3月22日、肺がんのために死去。73歳没。
ユミ・シャロー(Yumi Charraut、1938年8月1… ユミ・シャロー(Yumi Charraut、1938年8月1日 - )は、日本人ファッションデザイナー。出生名は高木弓。 1938年、東京都港区麻布の鳥居坂に生まれる。父は建築家の高木秀寛。祖父は医学者・貴族院議員の高木喜寛。曽祖父は東京慈恵会医科大学を創設した高木兼寛。祖母・シマは有島武郎と有島生馬の妹で、里見弴の姉。学習院幼稚園、田園調布雙葉小学校、田園調布雙葉中学校・高等学校を経て、女子美術大学油絵科に進学。大学在学中から既にセツ・モードセミナーで学び、当時より「装苑」のスタイル画の仕事をする。 1967年、パリに渡り、高田賢三らと活躍。フリーで「ELLE」「ジャルダン・デ・モード」のデザイン活動やファッション・ジャーナリストとして活躍後、デザイン会社レラシオン・テキスタイルに入社。
ジャッキー吉川(ジャッキー よしかわ、1938年8月1日 -… ジャッキー吉川(ジャッキー よしかわ、1938年8月1日 - 2020年4月20日)は、ジャッキー吉川とブルー・コメッツのメンバーでドラムを担当。東京都出身。 本名は板岡公一(いたおか こういち)。ジャッキーの由来はジャッキのように力強い腕が由来。 小中学校時代を八王子市で過ごした。その後、法政大学第一中・高等学校(現:法政大学中学高等学校)を経て、法政大学経済学部に入学。高校時代、ジーン・クルーパへの憧れから独学でドラムを始める。最初は歌手希望であったが、高校2年の時、法政の先輩でブルー・コメッツのリーダーだった大橋道二(後に大橋プロを設立)の紹介で同バンドのバンドボーイとなった。 高校3年の時に母が癌で亡くなり(父も7年後に亡くなる)、間もなくそれまでのアルバイトから本業としてバンドボーイ兼ドラマー扱いでメンバーの一員となるが程無くして一時的にバンドを離れ、新宿のキャバレー専属バンドへ参加、しかし相変わらずの貧乏生活に加え、バンドの女性歌手からドラミングを酷評されたことをきっかけにブルー・コメッツへ戻り、再びバンドボーイをこなしながらドラムの演奏技術を磨き続けた。
渡辺 豊和(わたなべ とよかず、1938年8月1日 - )は… 渡辺 豊和(わたなべ とよかず、1938年8月1日 - )は日本の建築家。渡辺豊和建築工房主宰。博士(工学)。
中島 順三(なかじま じゅんぞう、1938年8月1日 - 2… 中島 順三(なかじま じゅんぞう、1938年8月1日 - 2022年8月14日)は、日本のアニメーションプロデューサー。東京都墨田区出身。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。日本大学芸術学部写真学科卒業。 日本アニメーションには設立から加わり、プロデューサーとして、世界名作劇場を始めとする日本アニメーション作品の製作を行なった。 大学在学中からスチルカメラマンとして新東宝が制作したテレビ映画の宣伝用スチル写真を撮影するアルバイトを行っていた。テレビ映画はフィルムで撮影されたテレビドラマで、映画会社系の制作プロダクションの作品をこう呼んだ。大学を卒業すると、東映の子会社の東映テレビ映画株式会社に契約社員として就職。
鎌田 敏夫(かまた としお、1937年8月1日 - )は、日… 鎌田 敏夫(かまた としお、1937年8月1日 - )は、日本の脚本家・小説家。日本脚本家連盟理事長。日本統治時代の朝鮮の京城府生まれで、徳島県育ち。徳島県立城東高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。 大学卒業後、シナリオ作家協会の主催するシナリオ研究所(現在のシナリオ講座)で学び、井手俊郎に弟子入りする。1967年、『でっかい青春』にて脚本家デビュー。以降、『飛び出せ!青春』『俺たちの旅』など一連の“青春ドラマシリーズ”をメインライターとして支えた。『俺たちの旅』の中で、中谷隆夫(オメダ、演:田中健)とその妹の真弓(演:岡田奈々)が母子家庭育ちという設定は、鎌田自身が母子家庭育ち(両親が別居)であったことが反映しているということで、「両親がいる家庭に馴染みが無いので、普通の家族が描けなかったのではと思う」と語っている。
泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 … 泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 ‐ )は、日本の運輸官僚、政治家。勲章は旭日大綬章。 参議院議員(3期)、国家公安委員会委員長(第75・76代)、内閣府特命担当大臣(防災担当、食品安全担当)などを歴任した。息子は財務官僚の泉恒有。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。福岡県立明善高等学校、九州大学工学部土木工学科卒業。 運輸省に入省、本省港湾局開発課長、同建設課長、第四港湾建設局長などを歴任した。また、和歌山県庁に一時出向しており、土木部港湾課にて課長を務めた。1991年4月、大臣官房審議官を最後に退官。 なお、この間には、中国、フィリピン、ペルー、メキシコなどの発展途上国を訪問しており、技術協力等の活動を展開した。
阿部 征司(あべ せいじ、1937年〈昭和12年〉8月1日 … 阿部 征司(あべ せいじ、1937年〈昭和12年〉8月1日 - 2012年〈平成24年〉12月29日)は、日本のテレビプロデューサー・映画プロデューサー・作詞家。秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)出身。早稲田大学教育学部社会学科卒業。東映でテレビ番組制作や映画製作に携わった。 作詞家としてのペンネームは中瀬当一、田中守。脚本家としてのペンネームとしては、東映プロデューサーの平山亨との共同筆名「海堂肇」がある[要出典]。 1937年(昭和12年)8月1日、秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)において、阿部重吉とハツエの二男として生まれた。阿部家は映画館の花輪劇場の経営者だった。実家が映画館だったこともあり、幼い頃から映画業界を志した。
三ツ矢 歌子(みつや うたこ、1936年8月1日 − 200… 三ツ矢 歌子(みつや うたこ、1936年8月1日 − 2004年3月24日)は、日本の女優。 大阪府堺市東区出身。プール学院高等学校卒業。血液型A型。本名は小野田 宇汰子。夫は小野田嘉幹。平田昭彦は義弟(夫の実弟)、音羽美子は義妹(夫の妹)、久我美子は義妹(義弟の妻)、野平ゆきは義子(息子の妻)。 学生時代の同級生には坂本スミ子がいた。 1955年、学生時代の女友達が内緒で新東宝の新人募集に応募書類を送ったところ、合格。第4期スターレットとして入社(同期は北沢典子、原知佐子、万里昌代、朝倉彩子など)。 1956年の『君ひとすじに』で銀幕デビューを果たし、池内淳子、久保菜穂子と「新東宝現代劇の女優三羽烏」と呼ばれ、1961年の倒産まで出演を続けた。
同前 雅弘(どうぜん まさひろ、1936年8月1日 - 20… 同前 雅弘(どうぜん まさひろ、1936年8月1日 - 2024年12月14日)は、日本の経営者。大和証券社長を務めた。岡山県出身。 1959年に京都大学法学部を卒業し、同年に大和証券に入社。 1982年に株式部長に就任し、株式本部長、取締役、常務、専務などを経て、1989年6月に副社長に就任し、同年10月には社長に就任したが、1992年3月には大口顧客への損失補塡問題などの責任を取り、辞任。1994年6月に副会長に就任したが、1997年9月には総会屋への利益供与疑惑をめぐる責任で辞任し顧問に退いた。経済団体連合会理事も務めた。 2024年12月14日午前7時46分、心不全のため死去。88歳没。
二宮 洸三(にのみや こうぞう、1935年8月1日 - )は… 二宮 洸三(にのみや こうぞう、1935年8月1日 - )は、日本の気象学者。学位は、理学博士(1968年)。元気象庁長官。 新潟県柏崎市出身。1958年東京大学理学部物理学科卒。1968年理学博士。1958年気象庁に入り、1974年気象研究所予報研究部第一研究室長、1978年電子計算室予報官、1980年同数値予報班長、1983年仙台管区気象台技術部長、1985年気象庁予報部数値予報課長、札幌管区気象台長、気象庁海洋気象部長、予報部長。1993年気象庁長官。1997年東京大学気候システム研究センター客員教授。2000年海洋研究開発機構特任上席研究員。2012年同退職。2005年藤原賞受賞。
宮崎 逸人(みやざき いつひと、1935年8月1日 - )は… 宮崎 逸人(みやざき いつひと、1935年8月1日 - )は、兵庫県多可郡中町(現:多可町)出身の元プロ野球選手。 兵庫県立西脇高等学校卒業後、1954年に大阪タイガースに入団。1955年に1軍初登板し、プロ初勝利を記録した。1956年にはウエスタン・リーグの防御率・勝率1位を記録するなど、若手のホープとして期待されたが、1軍最多登板は同年の9試合と伸び悩み、1958年オフに退団した。
田島 好一(たじま こういち、1935年〈昭和10年〉8月1… 田島 好一(たじま こういち、1935年〈昭和10年〉8月1日 - 2018年〈平成30年〉11月22日)は、日本のバリトン歌手。元藤原歌劇団正団員。 国立音楽大学名誉教授。元昭和音楽大学音楽学部教授。元徳島文理大学音楽学部教授。 国立音楽大学音楽学部声楽科卒業。サンタ・チェチーリア音楽院卒業。東京都出身。 東京都出身。1958年(昭和33年)、国立音楽大学音楽学部声楽科を卒業し、1965年(昭和40年)にサンタ・チェチーリア音楽院を卒業した。これまでに声楽を井上貞一、ジョルジュ・ファヴァレット、ロメオ・アルドゥイーニに師事する。 1958年(昭和33年)のウィーンでの第7回世界平和友好祭音楽コンクールに日本代表として参加して入賞し、1965年(昭和40年)のジュネーヴ国際音楽コンクールで2位、バルセロナのフランシスコ・ビニャス国際コンクールで2位、ベニャミーノ・ジーリ国際コンクールで1位グランプリとなる。
長谷川 正治(はせがわ まさはる、1935年8月1日 - )… 長谷川 正治(はせがわ まさはる、1935年8月1日 - )は、日本の経営者。大京社長を務めた。 兵庫県出身。1958年に東京大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1975年6月に取締役に就任し、1987年12月に常務、1990年6月に専務を経て、1993年6月に副頭取に就任し、1997年6月には大京社長に就任。2004年6月に顧問に就任。
前畑 安宏(まえはた やすひろ、1934年8月1日 - )は… 前畑 安宏(まえはた やすひろ、1934年8月1日 - )は、日本の文部官僚。元文部省体育局長、高等教育局長、生涯教育局長。放送大学学園法の法案作成に携わった。長崎県出身。 1934年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1960年九州大学法学部を卒業後、文部省に入省。入省同期に坂元弘直(元文部事務次官)、内田弘保(元文化庁長官)らがいる。大学局高等教育計画課企画官時代の1978年には放送大学学園法の法案作成チームリーダーを務めた。その後文化庁文化部長などを経て、文部省官房審議官、体育局長、高等教育局長、生涯教育局長を歴任し、1993年に退官。退職後は放送大学学園監事、日本一輪車協会会長などを務めた。
小川 京子(おがわ きょうこ、1934年8月1日 - )は、… 小川 京子(おがわ きょうこ、1934年8月1日 - )は、日本のピアニスト。桐朋学園大学名誉教授。夫は音楽学者の海老沢敏。 北海道小樽市に生まれ、札幌市で育つ。東京藝術大学に進んで、井口秋子やハンス・カンの下で学び、1952年の第21回毎日音楽コンクール(後の日本音楽コンクール)のピアノ部門で入選し、以降、第25回、第26回にも入選した。東京藝術大学卒業後、ウィーン国立音楽アカデミー(後のウィーン国立音楽大学)へ留学し、ブルーノ・ザイドルホーファー (Bruno Seidlhofer) などに師事し、1960年に卒業した。 帰国後の演奏活動では、モーツァルトの演奏で知られるが、そのほかにもルートヴィヒ・シュッテのピアノ協奏曲の世界初録音、フランツ・クサーヴァー・モーツァルトのピアノ協奏曲の日本初演など、演奏機会の少ないピアノ曲に対する取り組みでも高く評価されている。
鈴木 秀幸(すずき ひでゆき、1933年〈昭和8年〉8月1日… 鈴木 秀幸(すずき ひでゆき、1933年〈昭和8年〉8月1日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。1956年と1957年の登録名は鈴木 正。 矢板高校から神奈川大学へ進学、エースとして活躍する。横浜四大学野球リーグでは在学中5回優勝。1955年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進むが明大に敗退。リーグ最優秀選手3回。 1956年に毎日オリオンズへ入団、外野手に転向する。同年は開幕から中堅手、五番打者として起用され、71試合に先発出場。しかし打撃面で結果を残せず、翌1957年からは衆樹資宏の入団もあって定位置を失う。その後は一時低迷するが、1960年は準レギュラーとして起用され同年のリーグ優勝に貢献。
岩井 健作(いわい けんさく、1933年(昭和8年)8月1日… 岩井 健作(いわい けんさく、1933年(昭和8年)8月1日 -2025年(令和7年)3月31日 )は、日本の牧師。56年間で6つの教会(広島流川教会2年、呉山手教会5年、岩国教会13年、神戸教会24年、川和教会2年、明治学院教会10年)で牧師を務め、42年間4つの教会付属幼稚園(呉山手2年、岩国13年、神戸教会で2つの付属幼稚園24年)で園長職を務めた。岐阜県加茂郡加茂野村出身、日本基督教団隠退教師、日本基督教団安中教会教会員。 『日本キリスト教歴史大事典』(教文館 1988)に健作自身が「岩井文男」の項の執筆をしている。また「岩井文男と賀川豊彦の農民福音学校」(岩井健作、賀川豊彦学会論叢20号、2012)において賀川豊彦との接点が語られている。
金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、… 金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督、解説者・評論家、実業家・タレント。愛称は「カネやん」「カネさん」。
古岡 滉(ふるおか ひろし、1933年8月1日 - 2017… 古岡 滉(ふるおか ひろし、1933年8月1日 - 2017年6月12日)は、日本の経営者。学習研究社(現在の学研ホールディングス)社長を務めた。創業者である古岡秀人の長男でもある。 東京都出身。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に学習研究社に入社。 1958年6月に常務に就任し、1962年3月に専務、1973年3月に副社長を経て、1982年11月には社長に就任。1993年4月に会長に就任し、1994年2月に取締役相談役を経て、1998年6月から相談役を務めた。 2017年6月12日心不全のために死去。83歳没。
武下 和平(たけした かずひら、1933年8月1日 - 20… 武下 和平(たけした かずひら、1933年8月1日 - 2021年1月25日)は、昭和30年代から活躍した、戦後における島唄の先駆者。 奄美群島の加計呂麻島、瀬戸内町諸数出身。 島唄のレコードが普及し、武下の流暢な三線の音色と、独特の裏声にて唄われるヒギャ唄が人気を博し「百年に一人の唄者」と評された。 本土における島唄の知名度上昇にも貢献し、兵庫県尼崎市に移住後「奄美民謡武下流」を設立。関東、関西、地元において島唄の普及に尽力した。 なお、複数の発表会でも披露されているように、詩吟の名手でもあった。 2021年、食道がんのため87歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8… 田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8月1日 - )は日本の社会評論家、司会者、三重県総合文化センター総長、元NHK解説委員。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1955年にNHKに入局。 情報番組『600 こちら情報部』で時事解説を務めた(大事件の発生で「600」が急遽中止になった時は、そのままスケジュールを流用して臨時ニュースのキャスターをつとめたりしていた)ほか、クイズ番組『クイズ百点満点』では、クイズの解説を務めた。 1994年3月、『クイズ百点満点』終了とともにNHKを退職。その後、社会評論家、コラムニストとして講演や執筆活動を中心に活動している。
弘原海 清(わだつみ きよし、1932年8月1日 - 201… 弘原海 清(わだつみ きよし、1932年8月1日 - 2011年1月3日)は、日本の地球科学者。専門は情報地質学。NPO法人「大気イオン地震予測研究会e-PISCO」を設立し、理事長を務めた。 兵庫県出石町(現・豊岡市)出身。大阪市立大学大学院理学研究科卒。1966年 大阪市立大学 理学博士 「地史学における火山岩体の取扱について」。 姫路工業大学助教授、大阪市立大学理学部教授などを経て、1993年、大阪市立大学理学部長。 理学部長在職中の1995年1月17日、兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災が発生、大阪市立大学阪神大震災学術調査団の団長として、宏観異常現象の収集に取り組む。また、1990年には日本情報地質学会を設立し、初代会長に就任する。
加藤 有次(かとう ゆうじ、1932年8月1日 - 2003… 加藤 有次(かとう ゆうじ、1932年8月1日 - 2003年11月11日)は、日本の博物館学者、うどん研究家。國學院大學名誉教授。 東京出身。國學院大學文学部卒。國學院大學助教授、教授、95年「博物館学及び博物館の歴史的研究」で國學院大博士 (歴史学)。2002年定年、名誉教授。川崎市市民ミュージアム館長。うどんに造詣が深くうどん博士として知られた。
辻 志郎(つじ しろう、1932年(昭和7年)8月1日 – … 辻 志郎(つじ しろう、1932年(昭和7年)8月1日 – 2003年(平成15年)3月13日)は、昭和時代から平成時代にかけての日本の彫刻家。本名は四郎。日展評議員、日彫会運営委員を歴任。 富山県庄川町金屋(現在の砺波市)に生まれる。井波木彫刻師の市山玉香に弟子入、1956年第12回日展に「山羊」」で初入選。1964年加藤顕清に師事し、翌年の第8回新日展に「人間」で特選。1968年澤田政廣に師事し、1969年改組第1回日展に「男」で特選。1980年第一回高村光太郎大賞展に特別優秀賞受賞。 1983年「富山県置県100年記念 新世紀博」会場のシンボルタワー「新世紀の旅立ち」制作。1984年県営総合体育センター「限りなき生命」制作。
中村 栄子(なかむら えいこ、1931年(昭和6年)8月1日… 中村 栄子(なかむら えいこ、1931年(昭和6年)8月1日 - )は、日本のフランス文学者、西南学院大学名誉教授。佐賀県小城町(現小城市)生まれ。旧姓・永淵。1953年九州大学文学部卒、58年同大学院フランス文学専攻博士課程満期退学。1965年西南学院大学助教授、67年教授、1970年よりパリ第4大学博士課程、1972年同文学博士。2002年西南学院大学を定年、名誉教授。フランス政府より教育功労章シュヴァリエを受ける。
三好 迪(みよし みち、男性、1931年8月1日 - 201… 三好 迪(みよし みち、男性、1931年8月1日 - 2016年6月5日)は、日本の聖書学・神学者、弘前大学名誉教授。 満洲撫順生まれ。暁星学園で小・中・高校まで学び、南山大学文学部卒。多治見市の神言修道院に学び、1960年、司祭叙階(後に還俗)。同期生に後藤文雄らがいた。1963年上智大学大学院神学研究科修士課程修了。1963-1970年までローマ教皇庁立聖書学研究所に学び、聖書学博士。 南山大学文学部神学科教授。弘前大学人文学部教授、1995年定年退官、名誉教授、青森明の星短期大学教授。2002年退職。 2016年6月5日、心不全で死去、84歳没。[要出典]
小野塚 幾澄(おのづか きちょう、1931年〈昭和6年〉8月… 小野塚 幾澄(おのづか きちょう、1931年〈昭和6年〉8月1日 - 2021年〈令和3年〉8月19日)は東京都生まれの日本の仏教学者、真言宗豊山派の僧侶。専門は密教。大正大学名誉教授で長谷寺能化(真言宗豊山派管長)。日中友好宗教者懇話会会長、名誉会長。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木俊(すずき しゅん、1931年8月1日ー2019年8月1… 鈴木俊(すずき しゅん、1931年8月1日ー2019年8月15日)は、日本の詩人・ドイツ文学者・産婦人科医[要検証 – ノート]。 東京出身。本名・俊作。東京大学教育学部教育学科卒業。1954年大阪大学医学博士。大阪大学医学部講師、市立豊中病院などに勤務しながら詩、ドイツ詩の翻訳をものした[要検証 – ノート]。
増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年… 増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年5月21日)は日本の編集者・映画評論家。日本映画ペンクラブ会員。 千葉県船橋市生まれ。1956年、東京教育大学文学部独文科卒業。 光文社での月刊誌、週刊誌の編集者を経て、1964年からフリーに。 娯楽映画評価の先駆者であり。また、映画を作品論としてとらえるだけでなく、映画産業のメカニズムの中で論じるという、独自の評論スタイルを持った。主著に「映画のもうひとつの楽しみ方」「西部劇」「B級映画フィルムの裏まで」などがある。 西條の没後、2003年度の日本映画批評家大賞内に増淵健賞が創設されており、2004年度・2005年度は特別賞、2006年度から2011年度まで特別功労賞の副名称として授賞が行われていた。
北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 20… 北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 2021年5月4日)は、日本の俳優、声優。本名・武井 和雄。埼玉県出身。 法政大学中退。劇団十三人座、八田元夫演出研究所、銀座プロダクション、天知茂が設立したA&Aプロダクション(後にアマチプロゼに改称)などを経て北斗七星所属。山村聰に師事していた経験もある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 199… 川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 1999年2月18日)は、日本の市民活動家、政治家。水俣病の患者の運動体『チッソ水俣病患者連盟』の委員長、水俣市議会議員(3期)を務めた。 熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)出身。父・川本嘉藤太は、水俣市に工場がある新日本窒素肥料株式会社(1965年に「チッソ」と改名)に勤めていた。 川本は、家庭の事情により熊本県立水俣高等学校を2年で中退した。漁業作業員、建設作業員、チッソ臨時工員などの職業を経験した後に病院勤務する。寝たきりの父を介護しつつ、准看護士資格を取得した。 1955年、水俣病を発症。1961年より父が発病して寝たきりとなり、1965年4月に急性劇症でもだえ死ぬのを看取った。
福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 202… 福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 2025年2月8日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。富山弁護士会所属。自衛隊違憲判決を初めて下した判事である。海軍兵学校、京都大学法学部出身。 富山市出身。旧制富山中学を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校入学(78期)、306分隊に所属。終戦後、1953年(昭和28年)京都大学法学部卒業。裁判所書記官を務めながら司法試験に合格。 1959年(昭和34年)、第11期司法修習修了。1969年(昭和44年)、判事。1969年(昭和44年)9月14日、札幌地方裁判所で長沼ナイキ訴訟を裁判長として担当していた福島に対し、当時札幌地裁所長であった平賀健太が、原告の申立を却下するよう示唆した書簡を渡す(平賀書簡問題)。
影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年… 影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年6月16日)は、日本の体育学者、市民活動家。愛知教育大学名誉教授。 管理教育に反対し、様々な市民運動を牽引したことで知られる。学究生活のかたわら、名古屋オリンピック招致反対運動や愛知万博反対運動などにも深く関わった。 静岡県静岡市生まれ。師範学校の教師だった父親の異動に伴い、3歳で静岡市を離れ、福島県、長野県などを転々とした。福島県少年スキー大会で滑降3位を記録した。 6度目の引っ越しとなる16歳のときに愛知県に移住。豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)に入学。1951年(昭和26年)、岡崎高等師範学校卒業。1953年(昭和28年)3月、東京教育大学体育学部卒業。
渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 20… 渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』が著名。 日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。誕生日は8月1日となっているが、これは出生届の提出時に父が間違えたもので、実際の誕生は9月1日という。 1938年(昭和13年)、当時大陸で映画館の支配人をしていた父を追って中華民国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本に引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。
野島 秀勝(のじま ひでかつ、1930年8月1日 - 200… 野島 秀勝(のじま ひでかつ、1930年8月1日 - 2009年2月21日)は、日本の文芸評論家、英米文学者。 東京市新宿生まれ。東京外国語大学卒業、1958年東京大学大学院英文科博士課程満期退学。同年、お茶の水女子大専任講師、1963年助教授、1964年から一年間、フルブライト研究員としてコロンビア大学に留学、1975年教授。94年定年退官、名誉教授。 1955年頃より評論活動を開始、佐伯彰一らの『批評』同人となる。1981年『迷宮の女たち』で亀井勝一郎賞受賞。ロマン主義の誠実概念を核とした近代思想の矛盾を突く歯切れのよい文章で知られる。英米双方の文学を専門とする一方、日本文学の評論も手掛けた。
村田 薫(むらた かおる、1930年8月1日- 2018年2… 村田 薫(むらた かおる、1930年8月1日- 2018年2月18日 )は、日本の経営者。昭和電線電纜社長、会長を務めた。 静岡県出身。1954年に一橋大学商学部を卒業し、同年に昭和電線電纜に入社した。1988年6月に常務に就任し、1992年6月には社長に昇格した。1996年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に退いた。 1999年4月に藍綬褒章を受章した。 2004年4月に旭日中綬章を受章した。 2018年2月18日、肺炎のために死去。87歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
人見 きよし(ひとみ きよし、1930年8月1日 - 198… 人見 きよし(ひとみ きよし、1930年8月1日 - 1985年5月22日)は、秋田県出身の俳優、コメディアン。本名は五十嵐 孝治。 1948年、森川信一座に入り、関西中心に喜劇で活躍。その後、朝日放送のドラマ『びっくり捕物帖』でテレビ初出演。1961年放送の『スチャラカ社員』では「ほんと、ちい〜とも知らなかったわァ」が流行語になった。『てなもんや三度笠』などに出演。その後テレビ、映画、吉本新喜劇などの舞台に数多く出演。時代劇や刑事ドラマでは、コミカルな役や普段のイメージとは違う悪役を多く演じた。家庭での素顔は子煩悩で優しい父親だったという。 1985年5月20日朝6時頃、自宅トイレで吐血して倒れているところを家族に発見される。
菅原 勝伴(すがわら かつとも、1929年(昭和4年)8月1… 菅原 勝伴(すがわら かつとも、1929年(昭和4年)8月1日 - 2021年12月26日)は、日本の法学者。専門は民法、特に道路交通法・農地法。北海学園大学名誉教授。北海学園大学法学部の草創期を支え、大和哲夫・松浦栄らと共に教員確保に尽力した一人。小林巳智次の弟子。ゼミ生に佐藤のりゆきなど。 このほか、北海道大学法学部、同農学部、小樽商科大学の非常勤講師も務めた。
福田 洋(ふくだ ひろし、1929年8月1日 -)は日本の推… 福田 洋(ふくだ ひろし、1929年8月1日 -)は日本の推理作家、ノンフィクション作家。別名義に桜田 忍(さくらだ しのぶ)。 推理小説のほか、実際の犯罪事件を題材としたノンフィクション・ノベルなどを多数執筆している。 1929年(昭和4年)8月1日、大分県に生まれる。1950年(昭和25年)、大分経済専門学校(現・大分大学)卒業。経済雑誌の出版、不動産会社、クラブなどの経営に従事したのち、40歳を過ぎてから小説の執筆を始める。 1971年(昭和46年)、福田洋名義の短編『空白のダイヤル』が第2回サンデー毎日新人賞推理小説部門佳作二席となり、『小説サンデー毎日』1971年6月増刊号に掲載され作家デビュー。
穐山 貞登(あきやま たかのり、1929年8月1日 - 20… 穐山 貞登(あきやま たかのり、1929年8月1日 - 2001年9月20日)は、日本の教育心理学者。東京工業大学名誉教授。 東京府生まれ。1954年東京教育大学教育学部心理学科卒業、1960年同大学院教育研究科博士課程満期退学、東京工業大学助手、1965年助教授、1974年教授、1976年「モーダル・パーソナリティーの社会心理学的研究」で東京教育大学より教育学博士の学位を取得。1990年東京工業大学退官、名誉教授、芝浦工業大学教授、2000年退職。財団法人たばこ総合研究センターの研究審議員、評議員、理事。 2001年9月20日、肝臓癌のため死去。
青木 貞伸(あおき さだのぶ、1929年8月1日 - 200… 青木 貞伸(あおき さだのぶ、1929年8月1日 - 2000年8月22日)は、日本の放送評論家。 東京生まれ。東北大学理学部卒。東北大学助手を経て、産経新聞社に入社後、東京大学新聞研究所講師、『放送批評』編集長などを務めた。
室橋 昭(むろはし あきら、1929年〈昭和4年〉8月1日 … 室橋 昭(むろはし あきら、1929年〈昭和4年〉8月1日 - 2011年〈平成23年〉3月27日)は、日本の政治家。東京都江東区長(4期)。 現在の東京都江東区出身。早稲田大学政経学部卒。江東区議会議員を2期、東京都議会議員(自由民主党)を4期務める。1991年〈平成3年〉江東区長に初当選する。区長を4期務め、2007年〈平成19年〉に退任した。同年旭日中綬章を受章した。2011年〈平成23年〉死去。
稲沢 秀夫(いなざわ ひでお、1928年8月1日 - )は、… 稲沢 秀夫(いなざわ ひでお、1928年8月1日 - )は、日本の英文学者、学習院大学名誉教授。 千葉県生まれ。1952年東京大学文学部英文科卒。青山学院女子短期大学助教授、学習院大学英文科教授。1999年、定年退任、名誉教授。 アメリカ文学専攻だが、後年谷崎潤一郎に関心を抱き、谷崎松子に話を聞いて『聞書谷崎潤一郎』を刊行するが、松子によって多くが削除されたため、残りの秘話を『秘本谷崎潤一郎』としてワープロ打ちの私家版として刊行した。
三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 … 三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 - 2004年〈平成16年〉4月25日)は、日本の政治家、獣医師。 衆議院議員(10期)、運輸大臣(第57代)、通商産業大臣(第48代)、外務大臣(第111代)、大蔵大臣(第102代)、衆議院議院運営委員長(第44代)、自由民主党政務調査会長(第35代・38代)、自由民主党幹事長(第31代)、自由民主党税制調査会長(第22代)を歴任。正三位旭日大綬章。血液型O型。 宮城県遠田郡北浦村(小牛田町を経て美里町)で、男6人、女8人の14人兄弟の7番目として誕生。宮城県立小牛田農林学校(現宮城県小牛田農林高等学校)、東京高等獣医学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学し、1951年に卒業。