土谷 和夫(つちや かずお、1942年4月3日 - 没年不明… 土谷 和夫(つちや かずお、1942年4月3日 - 没年不明)は、日本の陸上競技(長距離走)選手。実業団を経て日本大学に入学し、1960年代にトラック競技やロードレースで活躍。のちにプロ野球のトレーニングコーチを務めた。 宮崎県出身。宮崎商業高校から八幡製鉄に所属し、1962年・1963年には全日本実業団駅伝に出場し区間賞を獲得している。日本大学に入学。 1964年4月に毎日マラソン(日本選手権大会・1964年東京オリンピック代表選考会を兼ね、オリンピックのマラソンコースで行われた)に出場、4位入賞。2位の円谷幸吉はマラソンを始めたばかりであり、4位の土谷がマラソン代表に選出される可能性もあったが、最終的には着順通り3人が代表選手に選ばれた。
稲崎 一郎(いなさき いちろう、1941年4月3日 - )は… 稲崎 一郎(いなさき いちろう、1941年4月3日 - )は、日本の工学者。工学博士。専門分野は生産工学・加工学。Society of Manufacturing Engineers(国際生産技術者協会)Fellow。2005年、同協会F.W.Taylor Research Medal受賞。 東京都出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学工学部機械工学科卒業(1964年)。同大学院工学研究科機械工学修了。工学博士(1969年)。慶應義塾大学理工学部教授(1984年)、日本機械学会生産加工・工作機械部門長(1988年)、慶應義塾大学理工学部長、大学院理工学研究科委員長、カリフォルニア大学バークレー校客員教授(1998年)、中部大学教授(2007年)、同理事を経て、現在慶應義塾大学並びに中部大学名誉教授。
梶田 叡一(かじた えいいち、1941年(昭和16年)4月3… 梶田 叡一(かじた えいいち、1941年(昭和16年)4月3日 - )は、日本の教育心理学者。兵庫教育大学名誉教授。 島根県松江市生まれ、鳥取県米子市育ち。1960年鳥取県立米子東高等学校卒業。1964年京都大学文学部哲学科心理学専攻卒業。1971年「自己意識の社会心理学的研究 特に対人認知および対人関係の規定因としての自己意識について」で文学博士の学位を取得。1966年国立教育研究所勤務、主任研究官、1977年日本女子大学文学部助教授、1981年大阪大学人間科学部助教授、教授、1994年京都大学高等教育教授システム開発センター教授、98年同センター長。同10月京都ノートルダム女子大学学長、2002年4月学校法人聖ウルスラ学院理事長兼務(現職)、2004年4月-2019年3月学校法人松徳学院理事長兼務、2006年兵庫教育大学学長、2010年-2012年環太平洋大学学長。
本橋 成一(もとはし せいいち、1940年4月3日 - 20… 本橋 成一(もとはし せいいち、1940年4月3日 - 2025年12月20日)は、日本の写真家、映画監督。東京都中野区生まれ。平和・協同ジャーナリスト基金の代表委員。 1960年代から写真家としての本格的な活動を始め、現在に至るまで炭鉱や魚河岸、上野駅、サーカス、屠場など市井の人々をテーマにした作品を数多く残している。 また1998年、チェルノブイリ原子力発電所事故の被災地で暮らす人々を撮影した『ナージャの村』を初監督、映画監督としてのキャリアをスタートさせる。 以降2002年『アレクセイと泉』、2006年『ナミイと唄えば』、2009年『バオバブの記憶』、2015年『アラヤシキの住人たち』と計5本の作品を監督。
真鍋 武紀(まなべ たけき、1940年〈昭和15年〉4月3日… 真鍋 武紀(まなべ たけき、1940年〈昭和15年〉4月3日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。香川県知事を務めた。 日本統治下の朝鮮の京畿道京城府(ソウル市)生まれ。香川県木田郡下高岡村(現三木町)出身。香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。1963年(昭和38年)4月農林省に入省。農林水産省大臣官房企画室長、水産庁漁政部長、環境庁水質保全局長、農林水産審議官などを務め、1996年(平成8年)7月退官。同年8月国際協力事業団副総裁に就任。1998年(平成10年)9月、香川県知事に就任。 県知事としては、大的場健康体育センター、津田病院、栗林公園動物園の閉鎖や公共事業の縮小、県職員の人件費カットなどによる行財政改革に取り組んだ。
和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本… 和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本の画家。
青山 哲也(あおやま てつや、1940年4月3日 - 200… 青山 哲也(あおやま てつや、1940年4月3日 - 2006年8月14日)は、日本の俳優。本名、工藤 幸隆(くどう ゆきたか)。東京出身。
浅尾 哲朗(あさお てつろう、1940年(昭和15年)4月3… 浅尾 哲朗(あさお てつろう、1940年(昭和15年)4月3日 - )は、日本の生物学者、聖マリアンナ医科大学名誉教授。 宮城県生まれ。1970年東京大学大学院理学系研究科修了、「初期発生胚にみられるヒストンの挙動」で理学博士。 東京教育大学助手、聖マリアンナ医科大学講師、助教授、教授、2005年退職、名誉教授。 著書掲載の紹介文によると、退職後は自身の健康長寿のため健康食品メーカー有限会社ビタミンYを起業、人の周辺の難問(血液型と性格、日本人のメンタリティ、不老長寿など)の解明に挑戦。
益子義弘(ますこ よしひろ 1940年4月3日-)は日本の建… 益子義弘(ますこ よしひろ 1940年4月3日-)は日本の建築家。元東京藝術大学教授、現在東京藝術大学名誉教授。
大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023… 大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023年11月28日)は、静岡県清水市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 「剃刀」と喩えられたストレートとスライダーを武器に、「カープ史上最速のピッチャー」と評された。 清水商業高校では3年次の1958年に春季中部大会1回戦で岐阜商に逆転負けし、夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。卒業後は清水商野球部後援会と立教大学校友会静岡支部の推薦で立大進学が決まっていたが、家庭の事情でプロ入りが決まる。 1959年に広島カープへ入団し、同期には後に阪急でもコーチとして同僚となる上田利治らがいた。選手の給料もままならない弱小・広島において、1年目から39試合に登板して9勝を挙げ、若くして主戦投手となる。
湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 20… 湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 2003年11月26日)は、日本の自動車技術者、実業家。元豊田工機代表取締役社長。 山形県米沢市出身。山形県立米沢興譲館高等学校を経て、1962年東北大学工学部機械工学科卒業。トヨタ自動車で開発に携わり、トヨタ自動車工業労働組副執行委員長等を経て、1992年には石坂芳男、白水宏典らとともに取締役に昇格した。豊田工機常務取締役、豊田工機代表取締役副社長を経て、2000年からは豊田工機代表取締役社長を務めていたが、2003年に出張先の東京都内のホテルで死亡しているのが発見され、覚王山日泰寺で社葬が行われた。
東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 20… 東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 2016年5月)は、日本の洋画家、歌手。二科会絵画部会員。 1939年に画家・東郷青児の長女として生まれる。立教女学院に在学。 1956年には、画家として二科展に初入選する一方で、歌手としてもデビューを果たし、ソロでジャズを歌い、朝丘雪路、水谷良重とトリオ「七光り三人娘」を組んでステージに立つこともあった。1958年の第9回NHK紅白歌合戦では、水谷良重、沢たまきとのトリオで「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を歌っており、この時の音声が現存している。 1960年、勉学に専念するため、絵と歌を中断し、単身渡米しカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学する。
櫻井 武次郎(桜井 武次郎、さくらい たけじろう、1939年… 櫻井 武次郎(桜井 武次郎、さくらい たけじろう、1939年4月3日 - 2007年1月22日)は、日本の国文学者。神戸親和女子大学名誉教授。近世文学、特に俳諧が専門。 大阪府豊能郡(現豊中市)出身。高野山大学文学部卒業。園田学園女子大学助教授、親和女子大学助教授、神戸親和女子大学教授、名誉教授。 2002年「奥の細道の研究」で、早稲田大学より博士(文学)の学位を取得。 2007年1月22日、筋萎縮性側索硬化症のため死去。67歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4… いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4月3日 - 2024年12月19日)は、日本の絵本作家。代表作に『14ひきのひっこし』などの「14ひきのシリーズ」。 東京都足立区に生まれる。6人兄弟で育ち、5歳の時に兄と2人で秋田県の祖父母の家に疎開。戦後東京に戻り、杉並区の8畳一間の借家で8人暮らしをした。 1958年(昭和33年)に東京都立西高等学校、1964年(昭和39年)に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業。サラリーマン生活を経て1970年(昭和45年)『ぷくぷくの絵本』で絵本作家デビュー。1975年(昭和50年)、36歳のときに栃木県芳賀郡益子町に移住、畑を耕しながら創作活動を続ける。
木村 充(きむら みつる 1939年(昭和14年)4月3日 … 木村 充(きむら みつる 1939年(昭和14年)4月3日 - 1998年(平成10年)5月1日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家である。 益子焼の陶芸家である木村一郎の長女である滋子と結婚し、木村家に婿養子として入り、義父である木村一郎に師事し、木村一郎の逝去後に「木村窯」を2代目として引き継いだ。 1939年(昭和14年昭和14年)4月3日、栃木県塩谷郡藤原町(現・日光市)に生まれる。 栃木県立今市高等学校を卒業後、鬼怒川温泉の元湯共同組合の専務を務めていたが、その一方でちゃんちゃんこを着て鬼怒川温泉街をふらついており「鬼怒川温泉の風来坊」と渾名されていた。 そんな時に、益子焼の陶芸家である木村一郎の長女・滋子との縁談が持ち込まれた。
野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月… 野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月3日 - )は、日本の実業家。1997年(平成9年)に廃業した山一證券の最後の社長として知られる。 長野県出身。長野県屋代東高等学校を経て、法政大学経済学部卒業後、山一證券に入社。 1997年(平成9年)7月に山一證券の社長に就任したが、その僅か4ヵ月後の同年11月に廃業に追い込まれた。その記者会見の席で「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」と号泣する野澤の姿は繰り返し報じられた。 山一證券の清算後には日産センチュリー証券社長およびユニコムグループホールディングス取締役副会長を歴任。その後は営業や経営の経験に基づき山一證券出身の企業家等の指導・教育をしているほか、ピーアールコンビナート株式会社が主催する「評判づくり研究会」の運営顧問およびブレーン(マーケティング分野担当)を務めている。
大石 悦子(おおいし えつこ、1938年(昭和13年)4月3… 大石 悦子(おおいし えつこ、1938年(昭和13年)4月3日 - 2023年(令和5年) 4月28日)は、日本の俳人。京都府出身。 舞鶴町(現舞鶴市)生まれ。1954年、府立西舞鶴高校に入学、「鶴」門の工藤雄仙が主宰する「飛翔」に誘われ句作を開始。1956年ごろ「鶴」に入会。石田波郷、石塚友二、星野麦丘人に師事する。1957年、和歌山大学に入学。学生サークルの俳句研究会に所属し、一時「天狼」にも投句した。子育てのために句作を一時中断後、1981年に鶴俳句賞を受賞、「鶴」同人。 1984年、「遊ぶ子の」50句により第30回角川俳句賞を受賞。1986年、句集『群萌』により第10回俳人協会新人賞を受賞。
中村 良夫(なかむら よしお、1938年4月3日 - )は、… 中村 良夫(なかむら よしお、1938年4月3日 - )は、日本の景観学者(景観工学、国土史)。東京工業大学名誉教授。 東京府東京市赤坂区青山南町(現在の東京都港区青山)生まれ。東京都立日比谷高等学校を経て、1963年東京大学工学部土木工学科卒、日本道路公団入社、1965年東京大学工学部助手、1968年講師。1973年、工学博士(東京大学)。論文の題は「A theoretical approach to perspective image of highway alignment (道路線形の透視形態に関する理論的研究)」。1975年助教授、1976年東京工業大学助教授、1982年教授、1998年同名誉教授、京都大学大学院工学研究科教授。
指田 豊(さしだ ゆたか、1938年(昭和13年)4月3日~… 指田 豊(さしだ ゆたか、1938年(昭和13年)4月3日~)は東京薬科大学名誉教授。薬学博士。 専門は薬用植物学、生薬学。薬用植物の成分の化学構造と生理活性を研究している。 また、一般市民向けの講演や執筆活動、植物観察会などで、身近な薬草の活用法などを指導している。 日本植物園協会名誉会員。東京都出身。 東京薬科大学卒業、東京薬科大学大学院修了。その後、出身大学の名誉教授となる。 1988年にイスクラ厚生事業財団漢方研究奨励賞を受賞。1993年、和漢医薬学会評議員。1997年から1999年まで日本生薬学会関東支部長、幹事に就任。 東京都八王子市南陽台在住。
高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 19… 高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 1999年7月16日)は、日本の政治学者。専門は国際政治学。元中央大学法学部教授。平和学研究で知られ、日本平和学会会長を務めた。 愛知県生まれ。1956年愛知県立時習館高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科卒業、1963年同大学院法学研究科修士課程修了。1966年同大学院法学研究科博士課程中退(指導教授:小松春雄)。中央大学法学部助手、1969年同法学部助教授、1976年同法学部教授。1979年同大学院法学研究科教授。1981年エクス=マルセイユ大学客員教授。1985年社会科学高等研究院客員教授。1987年フランス国立科学研究センター客員教授。
安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は… 安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は、静岡県伊豆の国市出身の元プロ野球選手(投手)。
岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日… 岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日 - )は、日本のピアニスト、教育者。桐朋学園大学大学院大学教授、尚美学園大学大学院客員教授、くらしき作陽大学、武庫川女子大学客員教授。第3回高松国際ピアノコンクールの音楽監督代行兼審査員長も務める。 岡山県倉敷市出身。設立当時まだ4年制になる前の桐朋学園を経て、アメリカハートフォード大学音楽学部、同ジュリアード音楽院、イタリアキジアーナ音楽院で学ぶ。井口秋子、井口基成、J.ラタイナ、B.ミケランジェリ、S.ロレンツィ、I.フロインドリッヒなどに師事。1967年ミュンヘン国際音楽コンクール、1968年ブダペスト国際コンクール、1970年チャイコフスキー国際コンクール(チェリストである弟の岩崎洸と共に受賞)をはじめ、世界の名だたる国際コンクールにて業績を残してきた。
御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - … 御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - 2003年4月24日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員を4期務めた。秋田県仙北郡田沢湖町(現・仙北市)出身。秋田県立大曲農業高等学校を経て明治大学政治経済学部卒業。衆議院議員・御法川信英は長男。 自由民主党職員を経て、1975年に仙北郡選挙区から秋田県議会議員に初当選。3期務めた後、衆議院議員選挙に立候補。2度目の立候補となる1990年の第39回衆議院議員総選挙で初当選。1996年の総選挙以降は、自民党の村岡兼造衆議院議員とコスタリカ方式で比例区と小選挙区から2回おきに交互に立候補することで合意し、中選挙区(旧秋田2区)時代2期、比例選出2期を含め連続4期当選。
佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 … 佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 - 1991年〈平成3年〉3月23日)は、日本の洋画家。千葉大学工学部工業意匠学科教授。 新潟県新潟市東大畑通(現 新潟市中央区東大畑通)出身。1955年(昭和30年)3月に新潟高等学校を卒業、1960年(昭和35年)3月に新潟大学教育学部芸能科絵画科を卒業、4月から千葉大学工業短期大学部工業意匠科で教務員として勤務。 1976年(昭和51年)10月に文化庁芸術家在外研修員としてアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校とマサチューセッツ工科大学で客員研究員として研修。 1985年(昭和60年)10月に文部省在外研究員として再びアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校芸術学部デザイン科で客員教授として勤務。
金谷 浩一郎(かなや こういちろう、1936年4月3日 - … 金谷 浩一郎(かなや こういちろう、1936年4月3日 - 2005年1月25日)は、日本の経営者。同和鉱業社長を務めた。 熊本県出身。1960年に東京大学工学部鉱山学科を卒業し、同年に同和鉱業に入社。1989年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年6月に副社長に就任し、1999年4月には社長に昇格。2002年4月に会長に就任。 2001年4月に藍綬褒章を受章。 2005年1月24日に心不全のために死去。68歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
西村 昭夫(にしむら あきお、1936年4月3日 - 199… 西村 昭夫(にしむら あきお、1936年4月3日 - 1992年9月22日)は、日本のサクソフォーン(テナー・サックス)奏者。 高知県土佐清水市三崎平の段出身。4人きょうだい(男2・女2)の末っ子(次男)として生まれる。両親は音楽を愛好し、宴の席では母が三味線、父が歌をよく歌ったという。幼少期はアコーディオンを演奏していた。 早稲田大学に進学。在学中は相撲部に所属し、全国学生選手権で2位となった経験を持つ。1959年、東京でプロの音楽活動を開始。同年7月に発売された水原弘の「黒い花びら」(第1回日本レコード大賞受賞)にはテナー・サックスで伴奏に参加。当時は原信夫率いる「シャープスアンドフラッツ」に所属していた。
田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017… 田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017年7月8日)は、福井県出身の日本の編集者。 福井県武生市に生まれる。1955年(昭和30年)、武蔵野美術大学に入学するが学校の方針に反発し中退。その後日本文学学校で文章の基礎を学び、平凡社の雑誌『太陽』など多くの編集の仕事に携わる。 1968年(昭和43年)、自身の他にデザイナー、カメラマンらと編集プロダクション「ル・マルス」を設立し、富士ゼロックスの発行するPR誌『グラフィケーション』の編集を始める。以降、48年にわたり同誌の編集責任者を務めた。 2017年(平成29年)7月8日、大腸癌により死去。享年81歳。 美術評論家の藤枝晃雄、直木賞作家の有明夏夫とは勝山精華高等学校(現福井県立勝山南高等学校)時代の同窓。
井手 正敬(いで まさたか、1935年(昭和10年)4月3日… 井手 正敬(いで まさたか、1935年(昭和10年)4月3日 - )は、日本の実業家。西日本旅客鉄道(JR西日本)社長・会長を歴任。 内閣法制局第一部長や文部次官を務めた井手成三は父。兵庫県芦屋市在住[要出典]。 福井県小浜市生まれ。学習院初等科、学習院中等科を経て、1954年に東京都立戸山高等学校卒業。東京大学経済学部卒業後、日本国有鉄道(国鉄)入社。葛西敬之、松田昌士とともに「国鉄改革3人組」と称され、国鉄の分割民営化に尽力した。 1992年(平成4年)にJR西日本社長就任。ワンマン経営者として知られ、社長・会長を11年務め、JR西日本は「井手商会(商店)」と呼ばれるほどであった。また、そのワンマン振りから社内では「(井手)天皇」というあだ名でも恐れられていた。
芳村 真理(よしむら まり、1935年4月3日 - )は、日… 芳村 真理(よしむら まり、1935年4月3日 - )は、日本の女優、モデル、タレント、司会者。 個人事務所・フリーでの活動が長いが、かつてはHIRAKU(東京都港区元赤坂)、生島企画室(現在のFIRST AGENT)に所属していたこともある。 芳村は「夜ヒット」を初め「FNS歌謡祭'77〜'86グランプリ」「新春かくし芸大会」というフジテレビの年末年始の一大イベントといえる大型番組を長年担当した。「小川宏ショー」「3時のあなた」といったフジテレビワイドショー番組の源流である2番組のホステス役も務める。
秋山 和平(あきやま かずへい、1935年4月3日 - )は… 秋山 和平(あきやま かずへい、1935年4月3日 - )は、NHK放送研修センター日本語センター専門委員、NHKアナウンサー。 三重県立津高等学校、早稲田大学第一文学部国文学科卒業。同大学卒業後の1958年4月に、NHKにアナウンサーとして入局。『暮らしの経済』『話し言葉講座』などを担当。アナウンス室チーフアナウンサー、中央研修所放送研修部教授、アナウンス室次長、1990年5月、編成局アナウンス室長。1992年2月、NHK放送研修センター日本語センターエグゼクティブアナウンサーとなり、1996年8月、日本語センター音声表現研究開発室長。のち日本語センター専門委員となる。日本音声学会会員。 ※ 秋山の入局と同年に日本教育テレビアナウンサーになった押坂忍も、ともにNHKで教育を受けている。
伊東 敬祐(いとう けいすけ、1935年(昭和10年)4月3… 伊東 敬祐(いとう けいすけ、1935年(昭和10年)4月3日 - )は、日本の物理学者。理学博士(東京大学)。専門は地球物理学。神戸大学名誉教授・はこだて未来大学初代学長。東京都出身。 1954年(昭和29年)芝高等学校卒業。1958年(昭和33年)東京大学工学部卒、同大学院数物系研究科地質学専攻博士課程修了。1963年、「Thermodynamics of nonhydrostatically stressed solids with geologic applications(非静水圧をうけている固体の熱力学とその地質学への応用)」で東京大学(理学博士)。1964年(昭和39年)東京大学理学部助手、1968年(昭和43年)カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員助教授、アメリカ航空宇宙局ヒューストン有人飛行センター研究員を経て、1974年(昭和49年)神戸大学理学部助教授。
深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) … 深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) は、山梨県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 甲府一高を卒業し、国鉄スワローズの入団テストを受け、合格し入団した。背番号は43。1955年に背番号が21に変更。 1956年に現役を引退し、1957年に先輩の中村栄に引き連れられ小林勝己とともに富士重工太田に入団。同年夏には都市対抗野球に出場した。
小畑 正治(こばた まさはる、1934年4月3日 - 202… 小畑 正治(こばた まさはる、1934年4月3日 - 2025年1月22日)は、広島県呉市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 呉三津田高校では、1951年の春の甲子園に出場。1回戦で明治高校と対戦するが、11回延長の末1-4で敗れた。高校の先輩に広岡達朗、1学年下には実業家の碓井優がいる。 1951年に呉市出身で南海ホークスの監督であった鶴岡一人が視察に訪れ、スカウトされるが、もともと大学進学を志望しており、プロ野球界へ進むつもりがなかった。しかし、大日本帝国海軍であった父親が退役し、健康状態も悪く働くことが困難な状態で、経済的に大学進学を断念、両親や兄姉を金銭面で支えるため、悩んだ末に、卒業後の予定を繰り上げ、高校を中退し、南海ホークスに入団することにした。
野間 赳(のま たけし、1934年4月3日 - 2023年3… 野間 赳(のま たけし、1934年4月3日 - 2023年3月11日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。第1次小泉内閣において、農林水産副大臣を歴任。 愛媛県今治市出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、1957年明治大学政経学部政治学科を卒業。 1972年に愛媛県議会議員に初当選(連続6期)。 1990年に愛媛県議会議長に就いた後、1992年に第16回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区より立候補し当選。1998年第18回参議院議員通常選挙においても連続当選を果たす。2004年、政界から引退した。 2005年、旭日重光章受章。 2023年3月11日、老衰のため、死去した。88歳没。
大串 啓二(おおぐし けいじ、1934年4月3日 - 202… 大串 啓二(おおぐし けいじ、1934年4月3日 - 2020年3月17日)は、日本の元陸上競技選手、陸上競技指導者。専門は短距離、ハードル。 佐賀県杵島郡六角村東郷(現在の白石町東郷)出身。 佐賀県立佐賀農業高等学校を卒業後、佐賀県立白石高等学校の定時制に1年通学して東京教育大学へ進学。 東京教育大学時代は第10回国民体育大会(1955年、神奈川県)で男子400mハードルで優勝したのを始め、400m走とハードルの二刀流で活躍、大学時代には1956年メルボルンオリンピックに出場。そのメルボルンオリンピックでは男子400mハードルに出場、53秒22【電気計時】の日本学生記録(当時)を樹立した。 1957年の世界大学スポーツ選手権(フランス・パリ)陸上競技の男子400mハードルで銅メダル(3位)を獲得している。
小林 幹司(こばやし かんじ、1934年4月3日 - 201… 小林 幹司(こばやし かんじ、1934年4月3日 - 2016年1月29日)は、日本の実業家。日本生命保険元副会長・顧問。 京都大学法学部卒業後、1958年に日本生命保険へ入社。1988年に常務取締役、1993年に専務取締役、1997年に副会長をそれぞれ歴任。 朝日放送取締役(弘世現の死去後)、三和銀行監査役(後のUFJホールディングス監査役)、アステラス製薬監査役などの社外取締役・監査役を務めるほか、関西経済同友会代表幹事(1998年度)、2001年7月から2005年3月まで大阪商工会議所副会頭、ニッセイ財団理事長もそれぞれ務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩瀬 博(いわせ ひろし、1934年4月3日 - 2014年… 岩瀬 博(いわせ ひろし、1934年4月3日 - 2014年 )は、日本の国文学者。大谷女子大学(現大阪大谷大学)名誉教授。 広島県呉市出身。1959年國學院大學文学部国文科卒、1966年同大学院博士課程中退、大谷女子大学助教授、教授。2005年定年、名誉教授。
安原 正(やすはら ただし、1934年(昭和9年)4月3日 … 安原 正(やすはら ただし、1934年(昭和9年)4月3日 - 2015年(平成27年)10月14日)は、日本の大蔵官僚。元環境事務次官。 大蔵省入省後、大臣官房審議官、銀行局検査部長、理財局次長を経て環境庁に転じ、長官官房長、企画調整局長を経て1990年(平成2年)環境事務次官。 退官後は農林漁業金融公庫副総裁や山種証券会長等を務めた。 2015年10月14日に心不全のため死去。81歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
雲村 俊慥(くもむら しゅんぞう、1934年4月3日 - 2… 雲村 俊慥(くもむら しゅんぞう、1934年4月3日 - 2021年6月5日)は、日本の作家。別名・沢村健。 新潟県五泉市村松生まれ。日本大学法学部新聞学科卒。 1957年光文社に入社し、週刊「女性自身」、月刊「宝石」、文芸図書、各種の文庫編集部を歴任。 定年後、初めて執筆した『小説・仙壽院裕子―越後村松藩の維新』で第6回日本文芸家クラブ長編小説部門大賞を受賞。 江戸を歩く会会長。NHK文化センター歴史探訪の講師を担当する。
8代目 橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1934年〈昭和9… 8代目 橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1934年〈昭和9年〉4月3日 - 2015年〈平成27年〉10月7日)は、日本の落語家。本名:大山 武雄(おおやま たけお)。生前は落語協会所属。出囃子は『虎退治』。 前名の5代目 月の家圓鏡としても広く知られていた。 東京府東京市(現在の東京都江戸川区)平井に生まれる。生涯を通して平井に在住していたため、「平井の師匠」という通り名があった。 家業の紙芝居屋を経て、1952年12月14日、4代目月の家圓鏡(のちの7代目橘家圓蔵)に入門。橘家竹蔵との前座名を与えられる。 1955年3月に金原亭馬太郎とともに二ツ目に昇進し、橘家舛蔵と改名。1965年3月に真打に昇進し、5代目 月の家圓鏡を襲名。
藤田 スミ(ふじた すみ、1933年4月3日 - 2011年… 藤田 スミ(ふじた すみ、1933年4月3日 - 2011年3月31日)は日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、7期)。「おスミさん」の愛称で親しまれた。母親運動に従事。 大阪府堺市出身。大阪府立三国丘高等学校卒。 1973年から3期にわたり大阪府議を務め、黒田革新府政の与党議員として府議会を支えた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙に、病気療養で引退を表明した荒木宏から地盤を受け継ぎ、大阪府第5区から日本共産党公認で立候補し、初当選を果たす(定数5のうち2位。なお、この選挙で共産党は府内7選挙区全てで、公認候補者が当選)。 「母と子の願いをまっすぐ国会に届ける母親政治家」をキャッチフレーズに衆議院議員を7期21年務め、2000年に引退、地盤を眞鍋穰に譲り、以後は党の中央委員などを歴任する。
野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月… 野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月3日 - )は、日本の俳優・タレント・ローカルタレント・陶芸家。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。 俳優を志して上京し、1958年に『踏みはずした春』(日活)でデビュー以後、脇役として日活のスクリーンで活躍した。 邦画産業が斜陽化した1969年以降、僚友の宍戸錠と共に、テレビ番組『元祖どっきりカメラ』(NTV系)に転出。長髪にGパン、デニムベストのヒッピー風スタイルで赤ヘルを被り、ストーリーの最後に「どっきりカメラ NTV」と書かれたプラカードを掲げて現れては、だまされた相手が怒って逆襲し殴られる役(赤ヘルはこの目的)で、19年間にわたって人気を博す。
木織 武美(きおり たけよし、1933年4月3日 - )は、… 木織 武美(きおり たけよし、1933年4月3日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
有馬 稲子(ありま いねこ、1932年4月3日 - )は、日… 有馬 稲子(ありま いねこ、1932年4月3日 - )は、日本の女優。大阪府豊能郡池田町(現:池田市)出身。血液型はA型。愛称は「ネコちゃん」「おイネ」。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。本名:中西 盛子(なかにし みつこ)。 後の大阪府池田市で生まれ盛子(みつこ)と命名されたが、両親は西尾末広に加わり労働運動を行い「潜行の日々」を続けていたため、見かねた祖母が4歳の盛子を、釜山にいる父の姉の中西かねの下に連れて行き、子供がいなかったかね夫婦は盛子を養女にした。養父は家庭用品問屋で商工会議所議長(釜山商工会議所会頭とも)なども務めていた。養母(伯母)の中西かねは1916年から1926年にかけて「有馬稻子」の芸名で宝塚歌劇団4期生として在団していた経歴があり、退団後は藤間流の名取りで日本舞踊を教えていて、盛子も養母から踊りを習う。
江口 週(えぐち しゅう、1932年(昭和7年)4月3日 -… 江口 週(えぐち しゅう、1932年(昭和7年)4月3日 - )は、日本の彫刻家である。 京都市の生まれ。東京芸術大学で彫刻科を専攻する。スケール感が強い技術を用いた斬新な技法を使った木彫を基本とした。卒業後の1963年(昭和38年)に東京国立近代美術館で開催された展示会において初めて彼の作品が出品された。この業績により、1965年(昭和40年)に山口県宇部市で開催された記念すべき第一回現代日本彫刻展にて受賞した。 また1974年(昭和49年)に平櫛田中賞、1977年(昭和52年)には中原悌二郎賞をそれぞれ受賞し、一躍有名な彫刻家となった。 海外にも進出しており、1965年にニューヨーク近代美術館で出品され、以後アントワープ、インドのトリエンナーレでのそれぞれの展示会でも出品された。
徳川 陽子(とくがわ ようこ、1932年4月3日 - )は、… 徳川 陽子(とくがわ ようこ、1932年4月3日 - )は、日本の物理学者。学位は理学博士(東京工業大学)。称号は東京工芸大学名誉教授。旧姓は浅尾。父の浅尾荘一郎は電子工学者。 東京工業大学理工学部物理学科卒業(理学士)、東京工業大学大学院理工学研究科物理学専攻修士課程修了(理学修士)、同博士課程修了(理学博士)。1978年理学博士の学位論文は「NaNO2の分極反転の研究 」。 夫は言語学者で元学習院大学文学部教授・博士(文学)の徳川宗賢。長女は歴史学者で東京大学史料編纂所准教授の松方冬子で、他に2女がいる。娘婿の松方純(1957年 - 2007年)は公爵松方正義の玄孫で情報工学者、国立情報学研究所准教授。
依田 憙家(よだ よしいえ、1931年4月3日 - )は、日… 依田 憙家(よだ よしいえ、1931年4月3日 - )は、日本の東洋史学者。早稲田大学名誉教授。 東京牛込生まれ。本籍長野県。長野県野沢北高等学校を経て、1957年早稲田大学日本史卒。1961年、同大学院商学研究科修士課程修了。1966年、早稲田大学社会科学研究所助手。1967年に専任講師、1970年に助教授を経て、1975年に教授。1992年、「日本帝国主義と中国」で中華人民共和国南開大学歴史学博士。1998年、移行により早稲田大学アジア太平洋研究センター教授。2002年定年退任、名誉教授。この間、北京大学客員教授、復旦大学研究員など。
加藤 晋平(かとう しんぺい、1931年4月3日- )は、日… 加藤 晋平(かとう しんぺい、1931年4月3日- )は、日本の考古学者。モンゴル国考古研究所名誉教授。ユーラシア考古学。 東京出身。1954年千葉大学理学部卒、1961年東京大学大学院博士課程満期退学、立教大学博物館学研究室助教授、千葉大学教養部教授、1983年筑波大学教授、95年定年退官、國學院大學教授、札幌学院大学教授を務めた。
柳澤 嘉一郎(やなぎさわ かいちろう、1931年4月3日- … 柳澤 嘉一郎(やなぎさわ かいちろう、1931年4月3日- )は、日本の生命科学者、筑波大学名誉教授。妻は柳澤桂子。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1954年東北大学理学部生物学科卒業、1963年コロンビア大学大学院修了、1970年東北大学理学博士。ブランダイス大学、スローン・ケタリング癌研究所、東京都立アイソトープ研究所遺伝研究室、1975年東京教育大学教授、1976年筑波大学教授、1995年定年退官、名誉教授。柳澤研究室出身者に相賀裕美子国立遺伝学研究所名誉教授など。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
松原 達哉(まつばら たつや、1930年4月3日 - 202… 松原 達哉(まつばら たつや、1930年4月3日 - 2020年8月9日)は、日本の臨床心理学者。岐阜県羽島郡上羽栗村伏屋(現・岐南町伏屋)出身。 専門は臨床心理学・カウンセリング心理学。臨床心理士・日本カウンセリング学会認定カウンセラー・上級産業カウンセラー。生活分析的カウンセリング法(LAC法)創案者。就学レディネスの研究。東京福祉大学名誉学長。立正大学心理学部名誉教授。故郷の岐南町図書館には松原から寄贈された図書による松原文庫があり、松原の著書、心理学・カウンセリング・幼児教育・家庭教育などに関する書籍がある。