世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 199… 世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 1998年9月25日)は、日本の政治家、医学者、学校法人理事長。位階は正三位。 日本大学第二高等学校卒業。1949年、日本大学医学部を卒業する。同大学に残り、同大医学部皮膚科学の教授に。1960年 日本大学 医学博士。論文の題は「紫斑性皮膚疾患の血液学的分布」。 1965年から父弘一のあとを継ぎ、2代目近畿大学総長・理事長を務める。 1967年に第31回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧和歌山2区から立候補し当選するが(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)、1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選。
桃井 久資(ももい きゅうじ、1923年〈大正12年〉1月6… 桃井 久資(ももい きゅうじ、1923年〈大正12年〉1月6日 - 2010年〈平成22年〉6月13日)は、新潟県佐渡郡小木町(現在の佐渡市)の元小木町議会議長、元町長。小木町出身。 小木小学校、旧制新潟県立佐渡中学校(現在の新潟県立佐渡高等学校)卒。合資会社久松屋商店代表社員、小木町教育委員、小木町商工会長、小木町議会議員・議長などを経て、1985年に小木町長に当選。2期8年務める。 2010年、耳下腺がんで死去。
重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年… 重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年6月19日)は、日本の日本近代文学研究者。
田中 太郎(たなか たろう、1923年 <大正12年> 1月… 田中 太郎(たなか たろう、1923年 <大正12年> 1月6日 - 没年不明)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1945年に東京帝国大学工学部機械学科を経て、1947年に東京大学工学部大学院を修了し、同年10月に民生ディーゼル工業に入社。1958年10月に日本電装に転じ、1971年2月に取締役に就任し、1978年5月に常務、1979年3月に専務を経て、1985年3月に副社長に就任し、1987年3月には社長に昇格。1991年3月から1995年3月までに会長を務めた。 1989年4月に藍綬褒章を受章。
高﨑 元尚(たかさき もとなお、1923年1月6日 - 20… 高﨑 元尚(たかさき もとなお、1923年1月6日 - 2017年6月22日)は、日本の美術家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
新章 文子(しんしょう ふみこ、1922年1月6日 -201… 新章 文子(しんしょう ふみこ、1922年1月6日 -2015年10月14日)は、日本の小説家。 京都府生まれ。本名・中島光子。京都府立第一高等女学校卒業。1939年、宝塚音楽舞踊学校(現・宝塚音楽学校)に入学して、1941年に「京千鈴」の芸名で宝塚歌劇団に入団して初舞台を踏む。宝塚歌劇団29期生。同期生に淡島千景、久慈あさみ、南悠子らがいる。 1944年に宝塚歌劇団を退団して京都市役所に勤務する。1948年、本名名義で童話集『子りすちゃんとあかいてぶくろ』を刊行する。1959年『危険な関係』で第5回江戸川乱歩賞を受賞し、第42回直木三十五賞候補に挙がる。なお同作は初めて直木賞候補となった江戸川乱歩賞受賞作である。
上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 20… 上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 2002年3月8日)は、日本の経営者、工学博士。山陽特殊製鋼社長を務めた。兵庫県姫路市仁豊野出身。父は上杉源蔵(元 福徳相互銀行)。 桃李小学校(現 姫路市立砥堀小学校)、旧制姫路中学(現:兵庫県立姫路西高校)卒業。1945年に東京帝国大学工学部冶金工学科を卒業し、1949年5月に山陽特殊製鋼に入社。1959年5月に取締役に就任し、1961年5月に常務、1974年12月に専務を経て、1981年2月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1989年6月に取締役相談役に就任し、1992年6月に相談役に就任。 常務時代に、山陽特殊製鋼倒産事件が起こる。
伊藤 正(いとう ただし、1922年1月6日 - 2004年… 伊藤 正(いとう ただし、1922年1月6日 - 2004年11月18日)は、日本の経営者。住友商事社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1949年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本建設産業(のちの住友商事)に入社した。1966年7月に鋼材貿易部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1983年6月に社長に昇格し、1990年6月に会長に就任した。1995年6月に相談役に就任し、1997年2月から名誉顧問を務めた。 1984年2月に藍綬褒章を受章した。 2004年11月18日、急性骨髄性白血病のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日… 青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日 - 1995年(平成7年)11月26日)は、日本の法学者。位階は正五位。 専門は法哲学、刑事法。元日本大学法学部教授。 高梨公之博士に師事し、法哲学、刑事法の分野においての業績で有名。 記念論文集に『青木清相教授古稀特別記念号』日本法学第57巻第4号平成4年(日本大学法学会)がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2… 久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2011年9月9日)は、日本の実業家。 阪神電気鉄道代表取締役社長・会長・取締役相談役、阪神タイガースオーナーを歴任した。 戸籍上の表記は久萬俊二郎。 兵庫県神戸市生まれ、高知県高知市出身。神戸一中、旧制高知高等学校を経て、戦時中の学徒出陣により東京帝国大学法学部を仮卒業後、戦争も熾烈になってきた1945年3月、一個中隊を率いて玉砕寸前まで戦った元海軍将校。 1946年に阪神電鉄入社。1978年取締役就任、1982年社長昇格。1992年から会長。1984年から阪神タイガースのオーナーを、明治大学・一場靖弘の、いわゆる「裏金問題」で辞任するまで20年間にわたり務めた。
黒木 曜子(くろき ようこ、1921年(大正10年)1月6日… 黒木 曜子(くろき ようこ、1921年(大正10年)1月6日 - 1959年(昭和34年)2月18日)は日本の歌手。本名は井関富沙子。
会津 伸(あいづ しん、1921年1月6日 - 2005年1… 会津 伸(あいづ しん、1921年1月6日 - 2005年12月31日)は、日本のドイツ文学者。 東京生まれ。1942年東京帝国大学文学部独文科卒、1949年東北大学文学部助教授、1961年から1963年スイスと西ドイツに学ぶ。1966年神戸大学文学部教授、1971年京都府立大学教授、1984年定年退官、名誉教授、愛知大学客員教授。1991年退職。
山崎 敬(やまざき たかし、1921年1月6日 - 2007… 山崎 敬(やまざき たかし、1921年1月6日 - 2007年2月2日)は日本の植物学者である。 小田原で生まれ、横浜で育つ。旧制新潟高校を経て、1944年に東京帝国大学を卒業した。植物分類学の本田正次の研究室で研究を続けた。1954年から東京大学講師、1972年から東京大学付属植物園助教授、1980年、教授。 1960年代にブータンでの現地調査や、小笠原諸島の学術調査に参加した。ゴマノハグサ科、ツツジ科などの分類群を研究し、早田文蔵の残したインドシナ採集標本の整理をすすめた。 1987年から1988年の間、日本植物分類学会の会長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997… 片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997年3月18日)は、日本の実業家、起業家。マルマングループ創業者。 岡山県出身。島根県立隠岐水産高等学校卒業。明治大学商学部卒業。 大学卒業後、日本水産入社。気性が強く、入社半年後に、経営方針を重役に手紙で送りつけたエピソードなどがある。工場長などを務めたのち、1950年に独立し、日本ゴールドメタル工業株式会社を設立(1962年に株式会社マルマンに商号変更)。1959年に国産第一号のガスライターを販売開始し、後にゴルフ用品の製造販売も始め、1971年にはゴルフ用品部門を独立させてマルマンゴルフ株式会社を設立。1977年からはゴルフトーナメントの開催を開始。
玉手 統(たまて おさむ、1920年1月6日 - 2010年… 玉手 統(たまて おさむ、1920年1月6日 - 2010年11月13日)は、日本の機械工学者。東北大学名誉教授。第二一代東北大学工学部長を経て、第三代八戸工業高等専門学校校長を務めた。従三位勲二等瑞宝章。 1942年東北帝国大学工学部機械工学科卒業。1954年東北大学工学博士。1977年第二一代東北大学工学部長。1980年第三代八戸工業高等専門学校校長。1990年勲二等瑞宝章受章。1995年初代東北大学機械系同窓会会長。2010年従三位。2010年11月13日、老衰のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6… 瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6日 - 1982年(昭和57年)6月1日)は、日本の小説家、随筆家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。 息子は瓜生中(うりゅう なか)で同じく作家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
野口 二郎(のぐち じろう、1919年1月6日 - 2007… 野口 二郎(のぐち じろう、1919年1月6日 - 2007年5月21日)は、日本のプロ野球選手。愛知県名古屋市生まれ。明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の次兄。中等学校野球で2度の優勝を飾り、プロ入り後は多投の中で好記録を残したことから「鉄腕」と称された。
六角 恒広(ろっかく つねひろ、1919年1月6日生まれ)は… 六角 恒広(ろっかく つねひろ、1919年1月6日生まれ)は、日本の中国語学者。故人。 東京生まれ。早稲田大学経済学部卒。同学商学部助教授・教授。1989年の定年後、名誉教授。倉石(武四郎)賞受賞。
比留間 豊(ひるま ゆたか、1918年1月6日 - 2002… 比留間 豊(ひるま ゆたか、1918年1月6日 - 2002年1月26日)は、日本の土木工学者。東京帝国大学(現在の東京大学)土木工学科卒。 技術開発、特に道路の機械化施工に取り組み、高速道路事業に大きな功績を残した。コンクリート製防護壁の発明者。土木学会名誉会員。建設省道路局道路公団監理官、株式会社間組常務取締役、東京道路エンジニア株式会社社長などを歴任。日韓トンネル研究会参与。1989年6月、勲三等瑞宝章受章。2002年1月26日、心不全のため死去、享年84。
横瀬 恭平(よこせ きょうへい、1918年 <大正7年> 1… 横瀬 恭平(よこせ きょうへい、1918年 <大正7年> 1月6日 - 2017年 <平成29年> 11月7日)は、日本の経営者。住友ゴム工業4代目社長を務めた。位階は従四位。 兵庫県出身。1941年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、1942年に住友電気工業に入社。1969年5月に取締役に就任し、1972年5月には常務に就任。1974年5月に住友ゴム工業専務に就任し、1977年9月に副社長を経て、1980年3月には社長に就任。1984年3月に副会長に就任し、1985年10月に会長、1991年3月に取締役相談役を経て、1992年3月から相談役を務めた。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1989年11月に勲三等旭日中綬章を受章。
辜 振甫(こ しんぽ、1917年1月6日 - 2005年1月… 辜 振甫(こ しんぽ、1917年1月6日 - 2005年1月3日)は、中華民国(台湾)の財界人。台湾工商協進会(中国語版)理事長、台湾証券取引所初代理事長、海峡交流基金会初代理事長などを歴任した。字は公亮。祖籍は福建省恵安県。台湾の五大家族といわれる名家出身。 日本統治時代の台湾で一代で財閥を築き上げた辜顕栄の五男として生まれる。1941年(昭和16年)、台北帝国大学法学部卒業後、東京帝国大学でビジネス管理などを学ぶ。日本降伏時に日本軍の中宮悟郎や牧沢義夫らと台湾独立を画策、台湾総督の安藤利吉に協力を持ちかけたが拒否され、1946年に逮捕、国土不法占拠共謀罪で2年2か月の禁固刑を受ける。 その後台湾に戻り、中国国民党政権による土地改革などに協力、土地の供出の見返りとして得た台湾セメントなどの事業で、父の辜顕栄から引き継いだ事業を発展させた。
菅井 栄一郎(榮一郎、すがい えいいちろう、1917年〈大正… 菅井 栄一郎(榮一郎、すがい えいいちろう、1917年〈大正6年〉1月6日 - 1989年〈平成元年〉8月1日)は、日本の地方公務員、経営者。神奈川県教育長。東京都出身。位階は正五位。 1950年に東京大学法学部政治学科を卒業。神奈川県で農政部長、教育長などを経て、1971年にテレビ神奈川副社長に就任し、同年12月から1982年6月までに社長を務めた。 1977年から1983年までに神奈川県公安委員を務め、1979年には鎌倉女学院理事長、同中学校・高校校長に就任。 1987年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1989年8月1日心不全のために横浜市の自宅で死去。72歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
加藤 東一(かとう とういち、1916年(大正5年)1月6日… 加藤 東一(かとう とういち、1916年(大正5年)1月6日 - 1996年(平成8年)12月31日 )は、日本画家、日展理事長。岐阜県岐阜市出身。
武田 豊(たけだ ゆたか、1914年1月6日 - 2004年… 武田 豊(たけだ ゆたか、1914年1月6日 - 2004年2月15日)は、日本の実業家。宮城県高清水町出身。新日本製鐵(新日鉄)代表取締役会長、経済団体連合会(経団連)副会長、日本鉄鋼連盟会長などを歴任した。東京帝国大学法学部政治学科卒業。 宮城県仙台第一中学校 (現: 宮城県仙台第一高等学校 )、山形高等学校(現:山形大学)を経て1939年に東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学法学部政治学科)卒業後、同年4月日本製鐵(日鉄)入社。1950年同社解体により富士製鐵に移り、社長室秘書課長、人事部長などを経て、1970年3月八幡製鐵と合併し新日鉄が発足するとともに専務となり、1977年には副社長、1981年社長に昇格。
谷藤 正三(たにふじ しょうぞう、1914年1月6日 - 2… 谷藤 正三(たにふじ しょうぞう、1914年1月6日 - 2004年6月3日)は、日本の建設官僚。元北海道開発事務次官。工学博士(京都大学、1949年)(学位論文「路盤に関する土質力学的研究」)。秋田県河辺郡浜田村(のちの秋田市)出身。
峯岸 甲(みねぎし まさる、1914年1月6日 - 1982… 峯岸 甲(みねぎし まさる、1914年1月6日 - 1982年7月31日)は、日本の経営者。安藤建設社長、会長を務めた。 東京都出身。1937年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に安藤組(のちの安藤建設)に入社。 1962年に取締役に就任し、1964年に常務、1970年に専務を経て、1972年に副社長に就任し、1976年6月には社長に昇格。1982年6月には会長に就任。 1982年7月31日急性腎不全のために死去。68歳没。
水戸部 正男(みとべ まさお、1912年〈明治45年〉1月6… 水戸部 正男(みとべ まさお、1912年〈明治45年〉1月6日 - 1996年〈平成8年〉10月27日)は、日本史学者。専門は日本の法制史。第6代横浜国立大学学長。 長野県上高井郡小布施村(現・小布施町)生まれ。旧制須坂中学(長野県須坂高等学校)、東京高等師範学校を経て、1935年(昭和10年)東京文理科大学国史学科卒業。同年奈良師範学校、1942年(昭和17年)神奈川師範学校教授を経て応召、1947年(昭和22年)復員。1949年(昭和24年)横浜国立大学助教授。1962年(昭和37年)教授、1967年(昭和42年)教育学部長、1973年(昭和48年)学長を歴任。 法学博士(1960年、慶應義塾大学)。
日高 一輝(ひだか いっき、本名:鈴木 芳郎 すずきよしろう… 日高 一輝(ひだか いっき、本名:鈴木 芳郎 すずきよしろう、1912年(明治45年)1月6日 - 没年不明)は、日本の平和運動家、元世界連邦建設同盟理事長。元日本ラッセル協会常任理事。山形県鶴岡市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
分部 順治(わけべ じゅんじ 1911年 <明治44年> 1… 分部 順治(わけべ じゅんじ 1911年 <明治44年> 1月6日 - 1995年 <平成7年> 3月1日)は、日本の彫刻家。
黒川 久(くろかわ ひさし、1911年1月6日 - 1990… 黒川 久(くろかわ ひさし、1911年1月6日 - 1990年1月12日)は、日本の経営者。三菱油化(後の三菱ケミカル)社長、会長を務めた。東京府(現・東京都)出身。 1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に三菱銀行に入行した。ロンドン駐在などの国際銀行業務に携わった。終戦後にGHQとの渉外嘱託で大蔵省に入省。1949年に三菱銀行に復帰し、1967年に専務に就任した。 1970年に三菱油化の副社長に就任し、1972年に社長に昇格した。1981年に会長に就任し、1988年から相談役を務めた。 1981年に勲二等旭日重光章を受章した。 1990年1月12日膀胱癌のために死亡。79歳没。
石岡 実(いしおか みのる、1910年(明治43年)1月6日… 石岡 実(いしおか みのる、1910年(明治43年)1月6日 - 1996年(平成8年)11月23日)は、日本の内務・警察官僚。 東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、1935年東京帝国大学法学部法律学科卒業。 同年、内務省入省。警視庁警部補を振り出しに、一年間、陸軍に召集された。内閣興亜院政務部第2課、警視庁特別高等警察第二課長などを経て、戦後に一旦辞職。民間の商社で代表取締役に付いていたものの、1955年に警察庁刑事部警察参事官として復帰。群馬県警察本部長、福島県警察本部長、警視庁公安部長、九州管区警察局長等を歴任する。1962年、古屋亨の後任として2代目内閣官房内閣調査室長就任。 1964年、内閣官房副長官(事務担当)就任。
滝本 利一郎(たきもと りいちろう、1910年1月6日 - … 滝本 利一郎(たきもと りいちろう、1910年1月6日 - 1996年10月31日)は、日本の昭和時代後期に活動した作曲家。元大分放送編成部長。 1910年(明治43年)、大分県速見郡別府町(現在の別府市)に生まれる。京都高等工芸学校を卒業後、技師として朝鮮総督府に採用された。 戦後の引き揚げで大分に帰郷し、1950年(昭和25年)に大分県工業試験場技師となるが、この年に開催された第3回大分県民体育大会を記念して制定された「大分県民体育の歌」で作曲を手掛けている。1953年(昭和28年)、ラジオ大分(現在の大分放送)開局に伴い製作課長に就任。その後、東京支社勤務を経て本局編成部長に至り、大分県内を中心に校歌や社歌その他の団体歌、新民謡を数多く作曲した。
坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 200… 坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。一遍の生き方に共感し、「癒やしの詩人」と言われる。 熊本県玉名郡府本村(現 荒尾市)生まれ。熊本県立玉名中学校を経て、1931年に神宮皇學館を卒業。1934年朝鮮に教員として渡り、1945年に引き揚げ。1946年、愛媛県三瓶町の私立第二山下高等女学校教諭に着任。1950年、個人雑誌「ペルソナ」を創刊して、従来創作していた短歌から離れる。1953年、尼僧・杉村春苔に出会い、大きな影響を受ける。1962年、森信三の教示を受けて、自らの詩をつづった月刊詩誌「詩国」を創刊。1,200部を無料で配布した。
古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年… 古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年6月20日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士、政治家。衆議院議員、自治大臣兼国家公安委員会委員長。正三位勲一等旭日大綬章。
藤原 与一(ふじわら よいち、1909年1月6日 - 200… 藤原 与一(ふじわら よいち、1909年1月6日 - 2007年10月23日)は、日本の言語学者・方言学者。広島大学名誉教授。愛媛県大三島(現・今治市)出身。 愛媛県越智郡大三島町肥海に生まれる。15歳で松山の愛媛県師範学校に入学、広島高等師範学校(広島文理科大学)に進学し、2年時に赴任してきた方言研究者の東条操に師事して方言学に進む。そのころより全国の方言調査を行った。東条を通して柳田国男とも交流を持った。在学中の1933年に、生家の隣にある金剛寺の梵鐘についての著作「梵鐘を鋳る」を発表、井伏鱒二はこれをなぞって連作エッセイ『釣鐘の音に関する研究』を執筆。 広島大学教授定年退官後は広島方言研究所を設立し、多数の著書を出版した。
十一代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1909年… 十一代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1909年(明治42年)1月6日 - 1965年(昭和40年)11月10日)は、日本の歌舞伎役者。本名は堀越 治雄(ほりこし はるお)。位階は従四位。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名は五粒。 海老蔵時代、「花の海老さま」として空前のブームを巻き起こした美貌で知られ、品格ある風姿、華のある芸風、高低問わずよく響く美声などを売り物とした、戦後歌舞伎を代表する花形役者の一人。 東京府東京市日本橋区(現中央区日本橋)に、七代目松本幸四郎の長男として生まれる。誕生時の本名は藤間治雄。次弟の順次郎は後に八代目松本幸四郎を、末弟の豊は後に二代目尾上松緑を襲名して、いずれも戦後昭和の東京大歌舞伎の屋台骨を支える名優に成長した。
織田 政雄(おだ まさお、1908年1月6日 - 1973年… 織田 政雄(おだ まさお、1908年1月6日 - 1973年8月30日)は、東京都出身の俳優。本名は斎木 政雄。後名は織田真佐男。 戦前は舞台俳優として活動し、戦後から多くの映画やテレビドラマに出演した。その地味な風貌から脇役ばかりを演じたが、名監督の一流作品に起用され、日本映画黄金期の中で約150作以上の映画に出演した。 1908年(明治41年)1月6日、東京市牛込区早稲田(現在の東京都新宿区)に生まれる。6歳で舞台に立ち、後に東京府立工芸学校(現在の東京都立工芸高等学校)を卒業。 1930年(昭和5年)、尾上菊五郎が創設した日本俳優学校に第一期生として入り、卒業後の1934年(昭和9年)に日本俳優学校劇団に参加した。
松井 明(まつい あきら 1908年(明治41年)1月6日 … 松井 明(まつい あきら 1908年(明治41年)1月6日 - 1994年(平成6年)4月29日)は日本の外交官。 外交官・男爵の松井慶四郎の長男として、慶四郎の赴任先パリで生まれる。暁星中学、旧制東京高校を経て、東京大学法学部卒業。 1931年(昭和6年)に外務省入省。内閣情報局情報官、調査局長などを歴任。1949年(昭和24年)7月 - 1953年(昭和28年)3月まで昭和天皇の通訳をつとめる。1951年(昭和26年)、吉田茂首相秘書官としてサンフランシスコ講和会議に随行。1952年(昭和27年)1月11日、昭和天皇に国際事情について進講を行う。 1955年(昭和30年)駐フランス公使、1957年(昭和32年)駐セイロン大使を経て、1959年(昭和34年)駐スウェーデン大使兼アイスランド公使。
清水 睦(しみず むつみ、1908年〈明治41年〉1月6日 … 清水 睦(しみず むつみ、1908年〈明治41年〉1月6日 - 1979年〈昭和54年〉6月23日)は、昭和時代の政治家。神奈川県高座郡相模原町長、相模原市長。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 相模原に生まれる。1932年(昭和7年)3月、早稲田大学法科を卒業し、翌8年に神奈川県信用組合連合会書記となる。以後、産業組合中央会事業部書記、神奈川県農業会主事、上溝農業協同組合長、上溝地区農地委員会委員、相模原市農業委員会委員などを務め、農業振興に尽力した。1951年(昭和26年)4月、相模原町長に当選。1954年(昭和29年)11月20日、市制施行に伴い、初代相模原市長に就任した。市長としての在任期間は5か月であったが、町長として市制施行の実現、都市行政と農村行政の協調融和を目指した新しい相模原市の建設に尽力した。
片岡 美智(かたおか みち、1907年1月6日 - 2012… 片岡 美智(かたおか みち、1907年1月6日 - 2012年10月30日)は、日本のフランス文学者。京都外国語大学名誉教授。 福井県生まれ。法政大学仏文科卒、1939年 - 1952年フランスに留学、1950年日本女性として初めてフランスで文学博士号取得、1955年南山大学教授、のち京都外国語大学教授を務め、定年後名誉教授。夫は片岡がその著作を邦訳しているロジェ・ヴァン・エック。2010年から日本最高齢の文学研究者であったが、2012年10月30日満105歳にて死去。 谷崎潤一郎の『細雪』の仏訳者に決まったこともあったが、実現しなかった(『中央公論社の80年』)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
門田 ゆたか(かどた ゆたか、1907年(明治40年)1月6… 門田 ゆたか(かどた ゆたか、1907年(明治40年)1月6日-1975年(昭和50年)6月25日)は昭和期の作詞家。本名門田 穣。 福島県信夫郡福島町(現・福島市)出身。早稲田大学文学部仏蘭西文学科中退。 西條八十に師事、後に作詞家となり、1933年(昭和8年)、ビクターレコードより「東京祭」でデビュー。1936年(昭和11年)、藤山一郎の「東京ラプソディ」が大ヒット。その他の代表作には、灰田勝彦・大谷冽子「ジャバのマンゴ売り」、岡晴夫「東京の花売娘」(佐々詩生名義)、藤山一郎「ニコライの鐘」、美空ひばり「私のボーイフレンド」、「ひばりが唄えば」、コロムビア・ローズ「プリンセス・ワルツ」、「ロマンスガイド」などを作詞。
杉 靖三郎(すぎ やすさぶろう、1906年1月6日 - 20… 杉 靖三郎(すぎ やすさぶろう、1906年1月6日 - 2002年5月29日)は、日本の生理学者、性評論家、翻訳家、医師。医学博士(東京帝国大学・1940年)。文部省国民精神文化研究所文化部主任、東京教育大学・専修大学教授を歴任。旧姓は渡辺。 大阪府堺市生まれ。第二高等学校卒業。1928年、東京帝国大学医学部卒業。橋田邦彦の下で電気生理学を専攻。1940年、「筋負傷電位の電源の座に関する研究」にて東京帝国大学医学博士。 日本的科学に賛同し1941年国民精神文化研究所文化部主任。1947年3月 - 1951年8月 公職追放。1946年 - 1951年『医学書院』編集長、1952年 - 1969年東京教育大学教授、1956年『人間の科学』で毎日出版文化賞受賞。
杉村 春子(すぎむら はるこ、1906年〈明治39年〉1月6… 杉村 春子(すぎむら はるこ、1906年〈明治39年〉1月6日 - 1997年〈平成9年〉4月4日)は、広島県広島市出身の新劇の女優。本名:石山 春子。旧姓:中野。 築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の屋台骨を支え続け、演劇史・文化史に大きな足跡を残した、日本を代表する女優。称号は東京都名誉都民。 1906年、当時の軍都、広島県広島市西地方町(現在の広島市中区土橋町、河原町付近)生まれ。芸者の母、軍人だったとされる父が春子の幼時に死んだため、花柳界の中にある建築資材商と置屋経営者の養女となる。養父は近所の寿座という西日本一の芝居小屋の株主だった関係で、幼少期から歌舞伎や新派、歌劇、文楽などに親しむ。
浅井 真男(浅井眞男、あさい まさお、1905年1月6日 -… 浅井 真男(浅井眞男、あさい まさお、1905年1月6日 - 1987年3月9日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。東京府生まれ。早稲田大学名誉教授。 早稲田大学独文科卒、同助教授、教授を務めた。 リルケ、ニーチェ、キェルケゴールなど、19世紀から20世紀前半のドイツ文学やドイツ哲学、哲学書を多く翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
趙 瓊奎(チョ・ギョンギュ、朝鮮語: 조경규、1904年1月… 趙 瓊奎(チョ・ギョンギュ、朝鮮語: 조경규、1904年1月6日 - 1983年1月13日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の産婦人科医、実業家、政治家。第2・3・4代韓国国会議員、第3代前・後期民議院副議長。 本貫は咸安趙氏。ジャーナリストの趙鏞寿(朝鮮語版)の叔父である。 慶南咸安出身。培材高普、セブランス医学専門学校(現・延世大学校)卒、京都帝大大学院修了。産婦人科医、大邱民報社長、大邱時事新報社長、慶北国民訓練院長、国民会大邱市副委員長・大邱支部組織部長・慶尚北道支部長・中央本部副会長、大韓労総最高委員を歴任した。1948年の初代総選挙に出馬したが落選し、1950年の第2代総選挙で大邱市から初当選し、自由党院内議員部政策委員長・中央委員、国会懲戒資格委員長・内務治安委員長・全院委員長・内務委員長、第3代国会民議院副議長を務めた。
松尾 吾策(まつお ごさく、1903年(明治36年)1月6日… 松尾 吾策(まつお ごさく、1903年(明治36年)1月6日 - 1988年(昭和63年)6月16日)は、日本の政治家。元岐阜市長。父は元岐阜市長で貴族院議員であった松尾国松。
権 煥(クォン・ファン、朝鮮語: 권환/權煥、1903年1月… 権 煥(クォン・ファン、朝鮮語: 권환/權煥、1903年1月6日 - 1954年7月30日)は、日本統治時代の朝鮮及び大韓民国の詩人。本貫は安東権氏。 本名は権 景完(クォン・ギョンワン、권경완)、または権 允煥(クォン・ユヌァン、권윤환)。 大韓帝国慶尚南道昌原郡鎮田面に生まれ、渡日し山形高校を経て京都帝国大学(現・京都大学)独文科卒業。1925年に雑誌『学潮』に作品を発表し、それに関連して拘束された。同時期に留学中であった金孝植や安漠、林和らと親交を結び、朝鮮プロレタリア芸術家同盟東京支部などで活躍した。1930年に林和らとともに帰国し朝鮮プロレタリア芸術家同盟を主導し、『行くなら行こう』(朝鮮之光1930年3月)、『頭を地まで下げるまで』(音楽と詩1930年8月)や、そのほか『無産芸術運動の別故と将来の展開策』、『朝鮮芸術運動の当面の具体的過程』などの文学批評を発表している。
志賀 夘助(しが うすけ、1903年1月6日 - 2007年… 志賀 夘助(しが うすけ、1903年1月6日 - 2007年4月15日)は、日本の昆虫調査機器商、昆虫商。 新潟県東頸城郡松之山村(現十日町市)生まれ。1931年に志賀昆虫普及社を設立し、日本の昆虫学普及に力を注ぐ。1974年、黄綬褒章受章。十日町市名誉市民。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
林 雲渓(林 雲谿、はやし うんけい、本名:林 勇、1903… 林 雲渓(林 雲谿、はやし うんけい、本名:林 勇、1903年(明治36年)1月6日 - 1990年(平成2年)9月11日)は、日本画家。徳島県麻植郡鴨島町(現吉野川市)出身。 1984年(昭和59年)に南画に優れた功績を挙げた第一人者として徳島県文化賞を受賞。 四国八十八箇所11番札所である藤井寺本堂の天井絵には雲渓の描いた雲龍が描かれている。30畳ほどの大きさがあり、繊細な線と睨みをきかせた迫力のある顔が薬師如来を守つているかのように見える。 現在、鴨島町の吉野川市立森山小学校に雲渓の記念碑が建てられている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
今西 錦司(いまにし きんじ、1902年(明治35年)1月6… 今西 錦司(いまにし きんじ、1902年(明治35年)1月6日 - 1992年(平成4年)6月15日)は、日本の生態学者、文化人類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。位階は従三位。日本の霊長類研究の創始者として知られる。理学博士(京都帝国大学・1939年)。京都府出身。 今西の活動は登山家、探検隊としてのものと、生態学者としてのものがあり、彼の中では両者が不可分に結びついている。探検家としては国内で多くの初登頂をなし、京都大学白頭山遠征隊の隊長などを務めた。生態学者としては初期のものとしては日本アルプスにおける森林帯の垂直分布、渓流の水生昆虫の生態の研究が有名である。後者は住み分け理論の直接の基礎となった。