松本 慎一(まつもと しんいち、1901年11月8日 - 1… 松本 慎一(まつもと しんいち、1901年11月8日 - 1947年11月26日)は、日本の著述家・社会運動家。岩波文庫版『フランクリン自伝』の翻訳、尾崎秀実の獄中書簡集『愛情はふる星のごとく』の編集で知られる。政治学者・松本礼二の父。 愛媛県出身。愛媛県宇和島中学校を卒業し、1919年に(旧制)第一高等学校に入学、寮で同室だった尾崎秀実や同期の古在由重らと親交を結ぶ。1922年に卒業し、東京帝国大学法学部に入学。 1926年に東京帝大法学部法律学科を卒業し、三省堂に勤務し英和辞典の編纂に従事。この時期にマルクス主義・共産主義への思想的傾斜を強め、1931年6月にコミンテルンの東アジア方面連絡員が上海で検挙されたヌーラン事件に関連して検挙されるも、嫌疑不十分としてほどなくして釈放された。
境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日… 境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大正・昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 北海道小樽区(現小樽市)で生まれる。1920年(大正9年)小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業。その後、早稲田大学政経科で学んだが中退した。割箸製造販売業を営む。その後、岸鉄工所庶務課長、小樽物産取締役、北海道配電小樽支店経営協議会委員などを務めた。 1926年(大正15年)日本労働組合評議会北海道地方評議会議長に就任。同年5月1日、北海道初のメーデー実行委員長を務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
塚越 賢爾(つかこし けんじ、1900年11月8日 - 19… 塚越 賢爾(つかこし けんじ、1900年11月8日 - 1943年7月7日以降)は日英ハーフの飛行家、航空機関士。1937年に朝日新聞社主催の神風号訪欧飛行により、同僚の飯沼正明操縦士とともに一躍日本の空の英雄となったが、太平洋戦争で軍務中に消息を絶った。 賢爾は群馬県碓氷郡烏淵村(後の高崎市)出身の弁護士・検事、塚越金次郎と英国人のエミリー・セイラ・ボールドウィンの長男。1900年(明治33年)11月3日、東京市麹町区で生まれた。父は倉渕村から上京し、明治法律学校卒業を経て弁護士資格を取得。1898年からイギリスに留学し、その最中に看護婦をしていたエミリーと知り合い結婚した。 2人は帰国後、賢爾が産まれる直前に婚姻届を提出。
藤林 敬三(ふじばやし けいぞう、1900年11月8日 - … 藤林 敬三(ふじばやし けいぞう、1900年11月8日 - 1962年9月15日)は、日本の経済学者。専門は労働経済論。 大阪市南区出身。1926年慶應義塾大学経済学部を卒業、経済学部助手に就任。1929年11月~32年2月の間に慶應義塾派遣留学生としてドイツ(ベルリン大学・ライプツィヒ大学)・フランス・イギリス・アメリカに留学し、心理学・産業心理学を学ぶ。1932年慶大経済学部助教授、1934年教授。1937年11月~39年8月の期間、看護兵として中支各地の病院に勤務した。1945年「労働者政策ト労働科学ニ就イテ」で慶大経済学博士を取得。その後も労働経済論・経済心理学を研究し、1959年には慶應義塾大学産業研究所初代所長に就任する。
亘 四郎(わたり しろう、1899年〈明治32年〉11月8日… 亘 四郎(わたり しろう、1899年〈明治32年〉11月8日 - 1977年〈昭和52年〉4月4日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(8期)、新潟県知事(公選第7・8代、在任1966年 - 1974年)、参議院議員(1期)。日魯漁業創業者の堤清六は実兄。 呉服商「近清」7代目の堤清七・千代の四男(第7子)として新潟県南蒲原郡三条町上町に出生。長兄の清六とは19歳も離れていた。幼くして寺泊の廻船問屋亘信治の養子となる。 寺泊町立尋常科寺泊小学校を経て旧制新潟県立三条中学校を卒業後、アメリカ合衆国ニュージャージー州のラトガーズ大学に留学。建築学や数学を学ぶ一方で、アメリカンフットボール部でも活躍した。
菊池 明(きくち あきら、1899年(明治32年)11月8日… 菊池 明(きくち あきら、1899年(明治32年)11月8日 - 1973年(昭和48年)8月29日)は、昭和時代の土木工学者、内務官僚、建設技監。 香川県に生まれる。1925年(大正14年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、内務省土木局に入り、下関土木出張所、興亜院勤務を経て、1945年(昭和20年)国土局道路課長となる。戦後は、近畿土木出張所、建設院地政局長、建設省道路局長を経て、1952年(昭和27年)建設技監に進む。1956年(昭和31年)退官し、日本道路公団理事となり1960年(昭和35年)まで務めた。ほか、地崎組副社長、地崎道路会長、橋梁コンサルタント社長、日本道路協会会長、道路緑化協会会長、第13回国際道路会議議長、土木学会会長などを歴任した。
伊藤 四男(いとう かずお、1898年11月8日 - 197… 伊藤 四男(いとう かずお、1898年11月8日 - 1974年3月20日)は日本の柔道家(講道館9段・国際武道院(英語版)名人10段)。 戦後、講道館の中で東京高師閥と共に興盛を誇った三船久蔵閥の主力人物であり、警視庁や日本体育大学、東洋大学等で柔道師範を務めた。その後北米や欧州各国で柔道指導を行い、柔道の国際的発展にも貢献している。 晩年は講道館の9段位に列せられたほか、国際武道院を主宰して師の三船に次ぐ名人10段位を名乗った。 山形県新庄市下金沢町の伊藤家に四男(よんなん)として出生し、警察官を退官後に町役場吏員を務める父・一から柔道の手解きを受けた。後の市立日新小学校を卒業後は1913年に旧制佐世保中学校(後の長崎県立佐世保北高校および同南高校)に入学して柔道を修行、その後は佐世保の海兵隊に進んで同隊在籍中の1920年4月に講道館へ入門した。
今田 敬一(こんだ けいいち、1896年11月8日 - 19… 今田 敬一(こんだ けいいち、1896年11月8日 - 1981年5月5日)は、日本の画家、童話作家、美術史家、林学者。北海道大学名誉教授。北海道大学では森林気象学関連の研究の他、新島善直の森林美学を継承したと評されている。 画家としては「道展」に創立当時から関わり、1974年には北海道美術協会会長もつとめ、北海道美術界の発展に寄与した。 秋田市で第二子(上に姉があり、長男)として生まれる。父の今田佐吉は養蚕指導者で、父の仕事の都合により1900年から札幌に定住した。北海道師範学校付属小学校(現・北海道教育大学附属札幌小学校)に入学し、水彩画好きな教員の影響を受けて、4-5年生の頃には父に買ってもらった画材により絵を描き始めた。
服部 譲次(はっとり じょうじ、1893年〈明治26年〉11… 服部 譲次(はっとり じょうじ、1893年〈明治26年〉11月8日 - 没年不詳)は、日本の航空技術者。三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所技術部部長、新三菱重工業専務取締役などを歴任した。 愛知県名古屋市にて育った。旧制愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)、旧制第八高等学校を経て、1918年、東京帝国大学工科大学を卒業する。大学卒業後は三菱造船に入社し、神戸造船所に配属される。 1920年に三菱造船の名古屋航空機製作所に入る。1921年にドイツに出張し、1924年に帰国。1923年より、名古屋航空機製作所にて設計課と研究課の課長に就任する。その後、三菱造船は三菱重工業に衣替えする。三菱重工業の名古屋航空機製作所にて技術部の部長などを歴任した。
加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日… 加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。空母「飛龍」艦長としてミッドウェー海戦で戦死し、一階級特進で最終階級は海軍少将。 1893年11月8日、熊本県八代郡松高村に生まれた。外交官・加来美知雄は兄。熊本県立八代中学校2年に在学中、有明海に練習艦隊が入港したのを見て感激したのが契機となり、中学校卒業後、1911年9月に海軍兵学校42期に入学する。同期生には加賀艦長として加来と共にミッドウェー海戦で戦死する岡田次作がいた。18歳での入学はやや遅く受験では苦労したようで入学席次も入校時120名中98番である。しかし、卒業時には席次も117名中43番まで上がった。
田坂 専一(たさか せんいち、1892年11月8日 - 19… 田坂 専一(たさか せんいち、1892年11月8日 - 1979年12月31日)は、日本の陸軍軍人。陸士27期・陸大38期。最終階級は陸軍中将。 輜重兵科出身の陸軍中将14名の一人(輜重兵科から陸軍大将は出ていない)。戦後に67歳で中央大学法学部を卒業している。 愛媛県出身。農業・田坂儀平の長男。西条中学校(現:愛媛県立西条高等学校)を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、輜重兵少尉に任官、輜重兵第2大隊付。1926年(大正15年)11月、陸軍大学校(38期)を卒業した。 陸大卒業後は、輜重兵第2大隊中隊長、教育総監部付勤務、陸士教官、留守第9師団参謀、第9師団参謀、陸大教官を経て、1937年(昭和12年)7月、支那駐屯軍参謀に発令されて日中戦争に出征、さらに第2軍参謀となった。
平林 初之輔(ひらばやし はつのすけ、1892年11月8日 … 平林 初之輔(ひらばやし はつのすけ、1892年11月8日 - 1931年6月15日)は、日本の文芸評論家・推理作家・翻訳家。プロレタリア文学運動の理論家として知られる。 京都府竹野郡深田村字黒部(後の竹野郡弥栄町黒部、現在の京丹後市弥栄町黒部)に生まれる。1917年9月、早稲田大学文学部英文科に入学、片上伸や吉江喬松らに親しんだ。また、アテネ・フランセでフランス語を学ぶ。早稲田大学卒業後、やまと新聞に入社、同紙の文芸時評欄を担当するとともに、ヴィクトル・ユゴーなどフランス文学の小説を翻訳して掲載する。1920年、労働争議を契機に同新聞を退社、この前後に、青野季吉、市川正一と知り合い交際が始まり、ともに国際通信社に就職する。
寺島 紫明(てらじま しめい、1892年〈明治25年〉11月… 寺島 紫明(てらじま しめい、1892年〈明治25年〉11月8日 ‐ 1975年〈昭和50年〉1月12日)とは、明治時代から昭和時代にかけての日本画家。 鏑木清方の門人。名は徳重、兵庫県明石郡明石町字樽屋町にて生れる。父は綿布問屋柿屋の当主寺島徳松、母は「とし」。上に二人の姉がいる三人兄弟の末っ子であった。幼少時は病弱で尋常小学校に通う頃から健康になったが、当時の男の子に似合わぬおとなしい気性で、姉たちとままごとなどしたりするのを母としは案じた。やがて徳重は九つになると読書に熱中するとともに、目に付くものをスケッチするようになり、十一になると『源氏物語』を原文で読破する。しかしこの徳重の様子に、親や姉また親類の者は将来を心配するばかりであったという。
神戸 眞(かんべ しん、1892年11月8日 - 1967年… 神戸 眞(かんべ しん、1892年11月8日 - 1967年7月13日)は、日本の政治家。愛知県小牧市長(3期)、衆議院議員(2期)、愛知県会議員(4期)、篠岡村長などを歴任した。 愛知県東春日井郡陶村(現小牧市)生まれ。1906年(明治39年)3月、小牧町小牧尋常高等小学校(現小牧市立小牧南小学校)卒業。 1929年(昭和4年)3月、篠岡村会議員に就任。その後、愛知県会議員、篠岡村長などを務め、1942年(昭和17年)10月8日から1945年(昭和20年)12月3日まで県会議長を務めた。 戦後、最初に行われた1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に大選挙区制の旧愛知1区から日本進歩党公認で立候補し初当選。
上野 基三(うえの きぞう、1890年(明治23年)11月8… 上野 基三(うえの きぞう、1890年(明治23年)11月8日 - 1953年(昭和28年)12月11日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。 栃木県芳賀郡中村(現在の真岡市)に栃木県会議員上野大太郎の三男として生まれた。真岡中学校、第一高等学校を経て、1916年(大正5年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。西沢金山株式会社社員、第一生命保険相互会社社員、下野電力株式会社支配人、野州電気株式会社専務取締役などを務めた。その後、弁護士を開業し、栃木県会議員に選出された。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し当選。第18回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。
横山 白虹(よこやま はっこう、1889年(明治22年)11… 横山 白虹(よこやま はっこう、1889年(明治22年)11月8日 - 1983年(昭和58年)11月18日)は、俳人、医師。本名は健夫(たけお)。 本籍地は山口県大津郡深川町(現・長門市)。
小出 源吉(こいで げんきち、旧姓:酒井、1888年〈明治2… 小出 源吉(こいで げんきち、旧姓:酒井、1888年〈明治21年〉11月8日 - 1977年〈昭和52年〉5月31日)は、日本の耳鼻咽喉科学者、耳鼻咽喉科医、実業家、政治家。医学博士。長崎医学専門学校耳鼻咽喉科学教室教授、新潟県医師会副会長、越後天然ガス取締役、新津市議会第5代議長。趣味は楽焼の制作。 新潟県中蒲原郡吉沢村(現 五泉市吉沢)の機業家・酒井準治郎の次男として出生。 1907年(明治40年)3月に新潟中学校を卒業、1910年(明治43年)7月に第四高等学校を卒業、1914年(大正3年)11月に京都帝国大学医科大学医学科を卒業。 1914年(大正3年)12月に京都帝国大学医科大学外科学教室助手に就任、1915年(大正4年)2月に退職、6月に京都帝国大学医科大学耳鼻咽喉科学教室副手に就任、8月に助手に就任、1916年(大正5年)6月に退職、同月に小倉記念病院耳鼻咽喉科部長に就任、1917年(大正6年)12月に退職、1918年(大正7年)1月から京都帝国大学医科大学耳鼻咽喉科学教室および解剖学教室で研究、9月に京都帝国大学医科大学耳鼻咽喉科学教室助手に就任、11月に助教授に就任、1919年(大正8年)6月から新潟医学専門学校耳鼻咽喉科学教室講師を兼任したが翌7月に辞任、12月に長崎医学専門学校耳鼻咽喉科学教室教授に就任、1922年(大正11年)4月に依願退官。
田波御白(たなみ みしろ、本名:庄蔵(しょうぞう)、明治18… 田波御白(たなみ みしろ、本名:庄蔵(しょうぞう)、明治18年(1885年)11月8日-大正2年(1913年)8月25日)は、栃木県小山市出身の歌人。初期の号は「水韻」。 1885年(明治18年)、栃木県下都賀郡南小林村(みなみおばやし:現・小山市南小林)に生まれる。栃木中学校(現・栃木高等学校)に入学、中学4年生のとき雑誌『帝国少年議会議事録』に投稿したのが最初の作品とみられている。10代のときに金子薫園の白菊会に参加し、土岐善麿、吉植庄亮、平井晩村らと知り合う。その後、第六高等学校、東京帝国大学英文科に進む。 26歳の時に和辻哲郎らとともに東京帝国大学の帝国文学会委員となる。『帝国文学』に短歌の他、翻訳、創作等も発表するなど歌人として活躍し始めるが、肺結核を患い平塚の杏雲堂病院での療養を経て、七里ヶ浜の療養所にて27歳で永眠。
山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11… 山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、位階勲等は従三位勲一等功三級。 高知県出身。陸士18期・陸大28期恩賜。太平洋戦争の劈頭、第25軍司令官としてイギリス領マレーとシンガポールを攻略した武功、「マレーの虎」の異名で知られる。 1885年(明治18年)11月8日、開業医である父・佐吉、豪農だった森田家の長女である母・由宇の次男として高知県香美郡暁霞村(現香美市)に生まれる。2歳の時、父親の故郷である長岡郡大杉村(現大豊町)に移る。兄・奉表は海軍の軍医となり最終階級は海軍軍医少将。弟・奉守、妹・照猪、妹・久寿猪の五人兄妹。
藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月… 藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月8日 - 1969年(昭和44年)2月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884… 守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884年)11月8日 - 昭和48年(1973年)2月1日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、歌人。衆議院議員、宮城県塩竈市長。宮城県平民。 元駐アフガニスタン公使守屋和郎の兄。元防衛事務次官守屋武昌の父。 明治17年(1884年)、宮城県遠田郡に生まれた。守屋徳郎の長男。宮城県古川高等学校卒業。二高を経て、 明治43年(1910年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業。文官高等試験に合格。 内務省に入省。千葉、愛知各県理事官、内務監察官、内務省参事官、朝鮮総督府秘書官、同秘書課長、同庶務部長、内務省社会局社会部長を歴任。1925年(大正14年)3月、社会局第二部長を務めていた際に、第7回国際労働会議政府代表に前田多門とともに選出。
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1884年(明治17年)1… 鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1884年(明治17年)11月8日 - 1958年(昭和33年)6月27日)は、日本の内務官僚。官選府県知事、錦鶏間祗候。 山形県南置賜郡米沢芳泉町(のち南原村大字芳泉町、現米沢市)出身。元米沢藩士・鈴木幸松の長男として生まれ、母方の祖父・鈴木伊和太の養子となる。第一高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1910年、内務省に入り、石川県警部に任官した。 1910年12月、愛媛県警視となる。以後、岩手県事務官、神奈川県理事官、島根県警察部長、台湾総督府警視兼参事官、内務書記官、地方局市町村課長などを歴任した。
海野 清(うんの きよし、1884年〈明治17年〉11月8日… 海野 清(うんの きよし、1884年〈明治17年〉11月8日 - 1956年〈昭和31年〉7月10日)は、工芸家(彫金)、日本芸術院会員、人間国宝。 全日本工芸美術家協会会長、日本彫金家会会長、日本美術刀剣会常任審査員などを兼任し、彫金界の長老として長年に渡り要職を務めた。 海野勝珉の三男として東京に生まれる。1911年(明治44年)、東京美術学校金工科卒。父および加納夏雄に師事。1919年(大正8年)母校東京美術学校助教授、1928年(昭和3年)、帝展特選、1929年(昭和4年)から帝展、新文展審査員を務める。 1932年(昭和7年)母校教授に就任、のち同校在外研究員としてフランス留学し1934年(昭和9年)、帰国。
安倍 邦太郎(あべ くにたろう、1883年〈明治16年〉11… 安倍 邦太郎(あべ くにたろう、1883年〈明治16年〉11月8日 - 1946年〈昭和21年〉4月26日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、新潟市会議員(6期)、第14・15代新潟市会議長。 新潟県中蒲原郡流作場新田(現 新潟市中央区三和町)の名家・安倍家の11世当主・安倍周平の長男として出生。 1902年(明治35年)3月に新潟中学校を卒業、4月に東京専門学校高等予科(現 早稲田大学高等学院)に入学、新潟中学校の2年先輩の会津八一とともに東京府東京市牛込区牛込原町(現 東京都新宿区原町)の玉川温徳方に下宿。 1903年(明治36年)7月に早稲田大学高等予科を修了、9月に早稲田大学大学部政治経済学科に入学、1906年(明治39年)7月に卒業、ウラジオストクと樺太を視察、鍵三銀行支配人、新潟保育院理事などに就任。
木村 正路(きむら まさみち、1883年11月8日 - 19… 木村 正路(きむら まさみち、1883年11月8日 - 1962年10月13日)は、日本の物理学者。京都帝国大学理学部名誉教授。日本物理学会名誉会員。帝国学士院元会員。学術研究会議元会員・海軍航空廠嘱。日本学術振興会元委員。元理化学研究所主任研究員。長岡半太郎・高嶺俊夫と共に、初期の分光学の権威の一人。位階は従三位、勲等は勲二等。 専門は、物理光学・分光学、輻射学・放射学・スペクトル。 1883年兵庫県神戸生まれ。1907年京都帝国大学理工科大学物理学科を卒業。同大学講師となり、1909年助教授。1915年米ジョンズ・ホプキンズ大学(JHU)留学(ロバート・ウィリアム・ウッドに師事)し、物理光学・分光学の研究に従事、1917年帰国し、京都帝国大学理科大学教授となり、1918年理学博士(京都帝国大学)。
板垣 政参(いたがき まさみつ、1882年〈明治15年〉11… 板垣 政参(いたがき まさみつ、1882年〈明治15年〉11月8日 - 1967年〈昭和42年〉10月28日)は、日本の医学者、教育者。医学博士。九州大学名誉教授。内分泌や黄体ホルモンの生理学的研究や、久留米大学附設中学校・高等学校を設立したことで知られる。 岩手県盛岡市出身。板垣征四郎の兄。旧制盛岡中学、旧制二高、京都帝国大学医学部を経て、1910年より京都帝国大学福岡医科大学助教授に就任。1913年陸軍2等軍医になる。1914年3月より3年間ヨーロッパに留学し、1918年九州帝国大学教授となる。その後1932年九州帝国大学医学部長、1933年温泉治療学研究所長を歴任。太平洋戦争中にはジャカルタ医科大学学長を務めた。
大海原 重義(おおみはら しげよし、1882年(明治15年)… 大海原 重義(おおみはら しげよし、1882年(明治15年)11月8日 - 1940年(昭和15年)11月21日)は、日本の内務官僚。府県知事。位階および勲等は正四位・勲二等。 滋賀県犬上郡彦根町出身。旧彦根藩士・大海原尚義(近江鉄道、大日本製糖重役)の長男として生まれる。三重県第一中学校、学習院高等科を経て、1908年、東京帝国大学法科大学を卒業し大学院に進む。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1909年2月、内務省に入り香川県属となる。 以後、香川県事務官、熊本県事務官、埼玉県警察部長、千葉県警察部長、長崎県警察部長、内務省警保局事務官兼内務書記官、東京府内務部長などを歴任。 1922年10月、山梨県知事に就任。
安国 幸左衛門(安國 幸左衛門、やすくに こうざえもん、18… 安国 幸左衛門(安國 幸左衛門、やすくに こうざえもん、1881年〈明治14年〉11月8日 - 1949年〈昭和24年〉5月12日)は、日本の政治家、地主・家主。神戸市会議員。 兵庫県武庫郡西灘村(現・神戸市)出身。安国幸右衛門の長男。早稲田大学政治経済科卒業。一年志願兵として軍務に服し、三等主計に進む。除隊後父業に従事する。在郷軍人分会長に推される。 1929年、西灘村が神戸市に編入されるにあたって推されて市会議員に当選する。岩屋青年会会長、灘信用組合理事、神戸商業大学柔道師範、兵庫県柔道有段者会会長等の名誉職を兼ねる。1948年、公安委員に任命される。 趣味は柔道、銃猟、釣魚、乗馬。住所は兵庫県神戸市灘区岩屋町。
渡辺 幾治郎(わたなべ いくじろう、1877年〈明治10年〉… 渡辺 幾治郎(わたなべ いくじろう、1877年〈明治10年〉11月8日 - 1960年〈昭和35年〉1月30日)は、日本近代史を専門とする歴史家である。 1877年(明治10年)に新潟県魚沼郡小千谷町(現・小千谷市)に生まれ、早稲田大学文学部史学及英文科卒業、京都帝国大学文化大学史学科専科卒業、和歌山県誌編纂主任を経て、1915年(大正4年)、 明治天皇紀を編修する宮内省の臨時編修局(のち臨時帝室編修局)に入り、編修(のち編修官)に就任する。 1933年(昭和8年)、明治天皇紀の完成に伴い退官する。その後、春畝公追頌会において伊藤博文伝の編集に参加し、1937年(昭和12年)、憲政五十年史を編纂する衆議院憲政史編纂会の編纂主任となる。
安保 清種(あぼ きよかず、1870年11月8日〈明治3年1… 安保 清種(あぼ きよかず、1870年11月8日〈明治3年10月15日〉- 1948年〈昭和23年〉6月8日)は、明治・大正・昭和期の日本の海軍軍人。海軍大将正三位勲一等功四級男爵。濱口内閣海軍大臣。佐賀県出身。 東京都新宿区にある道路「安保坂」は、安保の邸があったことに由来する。 海軍草創期の中堅幹部・沢野種鉄大佐の三男として生まれる。前名は康三郎。佐賀中学、攻玉社を経て、海軍兵学校(18期)に入学し、1891年(明治24年)に61名中11位で卒業。同期生に加藤寛治がいる。在学中は父が兵学校次長であった。しかし在学中に父が病没する。規定局長林清康少将(のち海軍中将)が長女との縁談を進め、林家の養子となる。
相馬 愛蔵(そうま・あいぞう、明治3年10月15日(1870… 相馬 愛蔵(そうま・あいぞう、明治3年10月15日(1870年11月8日) - 昭和29年(1954年)2月14日)は、長野県出身の社会事業家、実業家。妻の相馬黒光とともに東京新宿中村屋を創業した。
細野 正文(ほその まさぶみ、1870年(明治3年)11月8… 細野 正文(ほその まさぶみ、1870年(明治3年)11月8日 - 1939年(昭和14年)3月14日)は、明治期の鉄道官僚。日本人唯一のタイタニック号の乗客として知られる。 1870年、新潟県中頸城郡保倉村(後の直江津市、現在の上越市直江津地区)にて豪農の四男として生まれた[出典無効]。1896年、東京高等商業学校(現在の一橋大学)本科卒業。三菱合資会社入社。1897年、同社を退社し逓信省に入省。鉄道作業局に配属され、新橋駅(後の汐留駅)貨物係に配属。1906年、東京外語学校(現在の東京外国語大学)ロシア語科修了。1907年、帝国鉄道庁経理部調査課主事に就任。1908年鉄道院主事に就任。鉄道院時代の部下には大川博がいる。
平田 禎(ひらた てい / ただし、1870年11月8日(明… 平田 禎(ひらた てい / ただし、1870年11月8日(明治3年10月15日)- 1945年(昭和20年)9月30日)は、明治から昭和初期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 大隅国肝属郡、のちの鹿児島県肝属郡鹿屋村(鹿屋町を経て現鹿屋市)で、大地主・平田五郎左衛門(のち五郎に改名)の息子として生まれる。普通学、和漢学を修め、1894年(明治27年)慶應義塾を卒業した。農業を営む。 父と和田井手の改築、和田新田の耕地整理事業の推進に尽力した。肝属郡会議員、同議長を務め、1911年(明治44年)鹿児島県会議員に選出された。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で鹿児島県郡部から立憲政友会所属で出馬して初当選。
木村 駿吉(きむら しゅんきち、1866年11月8日(慶応2… 木村 駿吉(きむら しゅんきち、1866年11月8日(慶応2年10月2日) - 1938年10月6日)は、明治から昭和期の物理学者、工学者、教育者。日本海軍の軍属(技師)、特許弁理士のほか、第一高等中学校(現・東京大学)教授、立教学校(現・立教大学)教頭、第二高等学校(現・東北大学)教授、海軍大学校教授を歴任。海軍技師として、日露戦争の勝利に貢献した三六式無線電信機を開発したことでも知られる。 幕臣・木村摂津守喜毅(木村芥舟)の三男として江戸(芝 新浅座、現在の港区浜松町1丁目あたり)で生まれた。父・芥舟は、江戸幕府の海軍伝習所取締として日本の海軍創設に関わり、日本への西洋の科学技術導入の黎明期で活躍し、軍艦奉行として咸臨丸を指揮し、日本人による初の太平洋往復の渡航を成功させた人物である。
栗本 東明(くりもと とうめい、嘉永6年10月8日(1853… 栗本 東明(くりもと とうめい、嘉永6年10月8日(1853年11月8日) - 大正10年(1921年)1月1日)は、医学博士。狂犬病の予防注射液を世界で初めて発見し、第五高等学校教授、旧制長崎医科大学の主事心得、長崎医学専門学校長崎病院内科医長兼眼科医長などを歴任した。従五位勲六等。また、ロシア皇帝ニコライ2世から神聖アンチ第三等勲章が授与されている。 出羽国田川郡大山(現・山形県鶴岡市大山)に庄内藩医・栗本良意の子として生まれる(長男は医学者の栗本節安)。幼名は亀五郎。慶応2年(1866年)江戸で医師をしていた兄の節安を頼りに江戸に出府し、蘭方医・伊東玄朴に医術と英語を学ぶ。明治維新と共にいったん帰郷し、明治3年(1870年)11月に慶應義塾に入り、地理書などを学び、明治5年(1872年)に慶應義塾に再入学した。
荘田 平五郎(しょうだ へいごろう、1847年11月8日(弘… 荘田 平五郎(しょうだ へいごろう、1847年11月8日(弘化4年10月1日) - 1922年(大正11年)4月30日)は、豊後国臼杵藩出身の明治・大正期の三菱財閥の実業家・教育者。 長崎造船所第2代所長、三菱造船所支配人等を経て、三菱合資会社理事長、日本郵船社長、会長、東京海上火災保険会社会長等三菱の要職を歴任して大番頭といわれた。海員掖済会や日本勧業銀行、満鉄等の創立にも携わり、三菱商業学校(明治義塾)校長、三菱工業予備学校所長として三菱社員の教育にあたった。勲四等旭日小綬章、賜・銀杯一組。 弘化4年(1847年)、豊後国臼杵(現・大分県臼杵市)に、百石の世禄を食む臼杵藩士の儒者・荘田雅太郎允命の長男として生まれる。
飯淵 七三郎(飯渕、いいぶち しちさぶろう、1846年11月… 飯淵 七三郎(飯渕、いいぶち しちさぶろう、1846年11月8日(弘化3年9月20日)- 1926年(大正15年)4月20日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 素封家・飯淵藤七の長男として陸奥仙台藩領柴田郡船岡村(船岡町を経て現柴田町)に生まれる。1874年(明治7年)11月、家督を相続した。1879年(明治12年)船岡村会議員に当選。翌年、宮城県会議員となる。1893年(明治26年)久保寺豊太郎から仙台の日進学舎を買収し、同校の改革に努めた。ほか、柴田郡会議員、同議長代理などを歴任した。また、農家の指導啓発に尽力するとともに、船岡村農会を設立して肥料購入、資金融資の便宜を図った。
紫月 杏朱彩(しづき あずさ、11月8日 - )は、日本の女… 紫月 杏朱彩(しづき あずさ、11月8日 - )は、日本の女性声優。神奈川県出身。東京俳優生活協同組合所属。 2020年より東京俳優生活協同組合に所属。 2021年に『アイドルマスター シャイニーカラーズ』の七草にちか役でデビュー。 2023年5月にマリン・エンタテインメントによって結成された声優ユニット「Alice Eyez」(アリス アイズ)のメンバー。 特技として歌を覚えることを挙げている。趣味として歌唱、ミュージカル鑑賞、写真、つまみ細工作り、菓子作り、ドラム演奏、和装をそれぞれ挙げている。 「アイドルマスターシリーズ」については、周りで遊んでいる友人が多く、「この子がいいんだよ」といった話を多く聞いていたことから自身にとっては憧れの存在だったという。
伊勢 賢治(いせ けんじ、11月8日(生年は非公開) - )… 伊勢 賢治(いせ けんじ、11月8日(生年は非公開) - )は、東京都出身のサクソフォーン奏者であり、全ての楽器を演奏できるマルチプレイヤー。 音楽プロデューサー、演出家、作詞家、作曲家、編曲家で、自身はシンガーソングライターとしても活動している。 血液型はO型。慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学文学部図書館情報学科を卒業。 公式ウェブサイト http://isekenji.com/ Twitter,Facebook,Ustream番組などYumingファンクラブ会報、Y-MODEインタビューなど
椎名 まこ(しいな まこ、年齢非公開11月8日 - )は、日… 椎名 まこ(しいな まこ、年齢非公開11月8日 - )は、日本の女優・タレント・MC・歌手・コラムニスト。旧芸名は椎名真子。 福岡生まれ、大阪育ち。日本大学芸術学部演劇学科演技コース入学・放送学科卒業。 幼少期は京都で時代劇を中心に子役として出演。映像の美しさ、人間洞察の面白さに目覚め、新旧問わずドラマや映画が好きになる。エンターテイメントの世界で仕事をしようと大学受験し上京。本格的な芸能活動を開始。ドラマや映画を中心に活動しながら、その他バラエティやラジオパーソナリティ、声優、MC と幅広く表現の場を広げた。 韓流ブームの初期の 2002 年より韓国の音楽や映画、ドラマに触れ、日韓を行き来し、文化人として韓国エンターテイメントの仕事に携わる。
安蒜 真里子(あんびる まりこ、11月8日 - )は、日本の… 安蒜 真里子(あんびる まりこ、11月8日 - )は、日本の女性J-POP歌手。宮城県仙台市生まれ、東京育ち。血液型A型。 以降、都内を中心としたライブ活動をマイペースに行っている。 玩具のピノチオ(株式会社アガツマ) アンパンマンシリーズ 匿名や別名義での録音も多数ある。(コンピレーション・アルバムやパチスロ機のサウンドトラックでのボーカル社歌など) この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
蒼舞 咲歩(そうぶ さきほ、11月8日- )は、元宝塚歌劇団… 蒼舞 咲歩(そうぶ さきほ、11月8日- )は、元宝塚歌劇団星組男役。 佐賀県佐賀市、市立大和中学校出身。身長171cm。愛称は「サキッポ」。 2011年4月、宝塚音楽学校入学。同期には小桜ほのか、美園さくら、野々花ひまり、彩みちる、笘篠ひとみ、舞雛かのんらがいる。 2013年3月、宝塚歌劇団に99期生として入団。入団時の成績は24番。雪組公演「ベルサイユのばら-フェルゼン編-」で初舞台。 2014年2月、組回りを経て星組に配属。 2023年7月から2025年6月まで、TAKARAZUKA SKY STAGEの第7期スカイ・ナビゲーターズを務めた。 2026年4月12日の「恋する天動説/DYNAMIC NOVA」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。
相原 愛(あいはら あい、11月8日 - )は日本の女優・歌… 相原 愛(あいはら あい、11月8日 - )は日本の女優・歌手・ダンサー・振付師である。神奈川県横浜市金沢区出身。 旧芸名は、秋野涼子、秋野玲美(あきの れみ、1983年)改名後、羽生愛(はにゅう あい、1984〜1991年)身長164cm。血液型B型。靴のサイズ24.5cm 3歳よりクラシックバレエ・タップを始める。13歳でスカウトされミュージカル劇団「サムシング」入団、13年間ヒロインを務める。同時にNHK教育TV「おーい!はに丸」の歌のお姉さんすみれちゃんで6年間レギュラーとなる。 その後「ダンシングゼネレーション」のミュージカルで主演に抜擢されポリドールよりレコードデビュー(現パパイヤ鈴木とUnitで全国Tour)、続いて「シルバーFOX伝説」でのヒロインが話題をよび、CD化(2nd)、渋谷公会堂でコンサートも果たす。