平林 剛(ひらばやし たけし、1921年10月10日 - 1… 平林 剛(ひらばやし たけし、1921年10月10日 - 1983年2月9日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。参議院議員(2期)、衆議院議員(6期)を歴任した。 長野県上田市(旧小県郡丸子町)生まれ。小学校時に東京市板橋区に転居。旧制府立四中を経て、早稲田大学専門部法科入学後、1939年大蔵省専売局(後の日本専売公社)入局。全専売労働組合委員長を経て、1953年4月の第3回参議院議員通常選挙の全国区に左派社会党から立候補するが、次点で落選。この選挙の際、栃木県佐野市の投票所において、平林の所属政党名が日本共産党と誤って表示されていたことが明らかになり、1954年9月には下位当選者6名の当選が取り消された。
小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10… 小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10月10日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。 長野県下高井郡下木島村(現飯山市)で、小野沢広輔、ちよ の長男として生まれた。1939年(昭和14年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。戦後、木島連合青年団長から自民党長野県連青年部副部長として青年団運動に活躍し、飯山南高や飯山北高のPTA副会長、木島消防団長、飯山市農業委員会委員等を経て、1962年(昭和37年)12月、飯山市議会議員となり、同議長を務めた。 1978年(昭和53年)9月、飯山市長選挙に当選し、1890年(平成2年)9月まで3期務めた。
大内 淳義(おおうち あつよし、1919年10月10日 - … 大内 淳義(おおうち あつよし、1919年10月10日 - 1996年4月20日)は、元日本電気会長。
渡辺 康(わたなべ やすし、1919年(大正8年)10月10… 渡辺 康(わたなべ やすし、1919年(大正8年)10月10日 - 1985年(昭和60年)9月25日)は、日本の銀行家。東京銀行頭取を務めた。 千葉県出身。1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に東京銀行に入行した。 ブエノスアイレス支店長、営業部次長、国際投資部長を歴任。 1972年5月に取締役に選任、国際投資部長を委嘱。1973年10月取締役ニューヨーク支店長委嘱、常務、専務、副頭取を経て、1982年6月には頭取に昇格した。 1985年9月25日、肺炎のため、頭取在職中に死去。65歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月… 武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月10日 - 2012年(平成24年)4月1日)は、日本の歌人。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)生まれ。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1940年(昭和15年)、早稲田大学専門部に入学、1943年、早稲田大学文学部国文科に編入学。このころ作歌を始め、仲間とともに窪田章一郎を中心に早稲田大学短歌会を作り、窪田空穂の教えを受けた。 1946年、帰郷していた諏訪で「まひる野」創刊に参加、発刊の事務作業等は諏訪において行った。同年早稲田大学文学部文学科国文学専攻卒業。1947年上京、早稲田高等学院教諭などを経て、早稲田大学社会科学部教授となった。
櫻町 公子(さくらまち きみこ、1918年10月10日 - … 櫻町 公子(さくらまち きみこ、1918年10月10日 - 2005年4月14日)は、宝塚歌劇団雪組トップ娘役の元女優である。東京都芝区(現・港区)出身。本名は犬伏幸子、旧姓は千野。宝塚歌劇団時代の愛称は、ちんない(顎が無いことから。)、チフちゃん。 1932年に東洋英和女学校(現・東洋英和女学院中学部・高等部)を2年次で中退して、宝塚歌劇団22期生として、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学し、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団する。当時は入学=入団で学校と劇団は一体であった。同期生に美吉左久子、春江ふかみ、照国佐智子、山部志賀子、櫻野里子らがいる。入団時の成績は39人中の首席。芸名は詩人・北原白秋によって命名された。
横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - … 横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - 1988年11月1日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正三位。 日本社会党所属の衆議院議員(11期)。 愛知県名古屋市生まれ。3歳のときに父親を亡くす。中京商業学校卒業後に鉄道員として鉄道省(当時)に就職。国鉄労働組合(国労)の結成に参加する。 1947年に日本共産党による国労の組合活動への介入に反発した国労組合員を中心に国鉄労組反共連盟(後に国鉄民主化同盟=国鉄民同)が結成されると、これに参加。1950年に民同の支持で国労本部企画部長となるが、団体として加盟していた日本労働組合総評議会(総評)が「平和四原則」を決定すると、これに則る形で「平和三原則」を盛り込んだ運動方針案を提出する。
柴田 タカ(しばた たか、1916年10月10日 - 199… 柴田 タカ(しばた たか、1916年10月10日 - 1991年)は、日本の短距離走選手。1932年ロサンゼルスオリンピックで女子100メートル競走に出場した。 山形県山形市において、菓子店の長女として生まれる。山形高等女学校(現在の山形県立山形西高等学校)在校中、1932年ロサンゼルスオリンピックで女子100メートル競走に出場した。山形県初の女子オリンピック選手である。オリンピックでは予選で落選しており、公式記録上は「記録なし」とされている。 同大会には渡辺すみ子(1916年11月28日生まれ)が満15歳で女子100m走に出場している。オリンピックに出場した日本の陸上選手としては渡辺が最年少記録(2022年現在も維持)とされ、柴田はこれに次いで年少の選手とされる。
吉田 弘重(よしだ ひろしげ、1916年(大正5年)10月1… 吉田 弘重(よしだ ひろしげ、1916年(大正5年)10月10日 - 2014年5月)は、日本のアメリカ文学者、広島大学名誉教授。広島県佐伯郡生まれ。広島文理科大学卒、1967年「シンクレア・ルイスの言語の構造と組織」で広島大学文学博士。広島大学文学部助教授、教授、1980年定年退官、名誉教授、広島修道大学教授、ノートルダム清心女子短期大学教授。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
伏見 信子(ふしみ のぶこ、1915年(大正4年)10月10… 伏見 信子(ふしみ のぶこ、1915年(大正4年)10月10日 - 生死不明)は、日本の女優、歌手。本名は伏見 延子。別名は伏見 延江(ふしみ のぶえ)。 東京市浅草区小島町出身。同志社女学校(現・同志社女子中学校・高等学校)高等女学部卒業。父伏見三郎が新派の俳優で、早くから姉の直江と共に舞台の子役などで新派の舞台に出演。1926年(大正15年)、姉と帝国キネマに入社。 1927年(昭和2年)、姉の伏見直子=伏見直江と阪東妻三郎プロへ移籍し、同年11月、日活大将軍現代劇部に入社。時代劇部へと移り、「大地に立つ」、「小市民」に主演。 1928年(昭和3年)、同志社女学校高等女学部に入学。4年通学の傍ら「春または丘へ」の主役を務める。
太田 寛一(おおた かんいち、1915年(大正4年)10月1… 太田 寛一(おおた かんいち、1915年(大正4年)10月10日 - 1984年(昭和59年)11月13日)は、よつ葉乳業創業者。 元・士幌町農業協同組合(JA士幌町)組合長、元・ホクレン農業協同組合連合会会長、元・全国農業協同組合連合会(JA全農)会長。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
桂 ゆき(かつら ゆき、1913年10月10日 – 1991… 桂 ゆき(かつら ゆき、1913年10月10日 – 1991年2月5日)は、日本の洋画家。 東京府東京市本郷区出身。本名は桂 雪子(かつら ゆきこ)。初めは「ユキ子」、1970年代頃から「ゆき」と称する。日本における前衛女性画家の先駆者であり、第一人者として前衛美術の基礎を築いた。戦前から逸早く先端的なコラージュの手法を、シュルレアリスムから距離をおきながら独自に展開し、生活用具や動物など実在と抽象的な形を混在させた独自の表現を探求した。フランス、アメリカ、アフリカなど世界各地へ滞在し、1962年には『女ひとり原始部落に入る アフリカ・アメリカ体験記』を上梓したほか、絵本の挿絵なども手掛け、動物をモチーフとした特徴的な作品を数多く制作した。
木村 耕三(きむら こうぞう、1913年10月10日 - 1… 木村 耕三(きむら こうぞう、1913年10月10日 - 1983年6月7日)は、日本の気象学者。理学博士。気象庁在職中、アメダスを完成させた業績で知られる。 1913年10月10日、東京都に生まれる。自宅は赤坂。父は銀座で医院を開業する医師。第八高等学校(名古屋市瑞穂区瑞穂町)を経て東京帝国大学理学部地震学科卒業。 新京市(現・吉林省長春市)の満州国中央観象台に就職。戦中は航空軍の気象将校として召集され、新京市で働く。階級は中尉。後輩にあたる将校たちが次々と結婚していったが、本人は平然とした様子で独身を貫いた。この頃熱心に読んでいたのはクローモフの『天気解析と予報入門』。戦後はソ連に1年8ヶ月抑留されたのち帰国。
佐伯 喜一(さえき きいち、1913年10月10日 - 19… 佐伯 喜一(さえき きいち、1913年10月10日 - 1998年1月14日)は、日本の国際政治評論家。 元野村総合研究所社長、元防衛庁防衛研修所所長。 台湾・台北市生まれ。広島県出身。1936年東京帝国大学法学部卒業。満鉄調査部に入り、エコノミストのキャリアを積む。戦後経済安定本部に入り、日本経済の復興計画作りを行なった。1953年保安庁(のち防衛庁)に移り、1961年防衛研修所所長。1965年野村総合研究所副社長となり、1971年社長、1979年会長を経て、1983年相談役、1988年顧問。同社を日本の代表的シンクタンクに育て上げた。またワイズメン・グループの大来佐武郎のあとを継いで、1979年ワイズメンに選ばれる。
吉田 宗雄(よしだ むねお、1912年〈大正元年〉10月10… 吉田 宗雄(よしだ むねお、1912年〈大正元年〉10月10日 - 1944年〈昭和19年〉12月30日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐(死後)。 佐賀県小城郡牛津町(のちの小城市)出身。海軍兵学校62期。1944年(昭和19年)12月30日、駆逐艦「呉竹」艦長としてバシー海峡において戦死。 禅林寺の長男として生まれる。旧制小城中学校(現佐賀県立小城高校)を経て、
本名 武(ほんな たけし、1911年10月10日 - 199… 本名 武(ほんな たけし、1911年10月10日 - 1994年4月12日)は、日本の政治家。位階は従三位。 沖縄開発庁長官(第2代)、総理府総務長官(第19代)。衆議院議員(通算当選10回)。三木武夫直系の政治家として知られている。 北海道現帯広市出身。旧制帯広中学校(現・北海道帯広柏葉高等学校)を経て1932年に武蔵高等工科学校(のちの新制武蔵工業大学、現東京都市大学)を卒業。本名木材社長を経て1942年帯広市議会議員に当選。1946年第22回衆議院議員総選挙に北海道政治同盟公認で立候補し初当選(当選同期に小坂善太郎・二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・川崎秀二・井出一太郎・早川崇など)。
新郷 英城(しんごう ひでき、1911年(明治44年)10月… 新郷 英城(しんごう ひでき、1911年(明治44年)10月10日 - 1982年(昭和57年)11月27日)は、日本の海軍軍人、警察官、航空自衛官。海兵59期。最終階級は海軍で中佐、警察で警部補、空自で空将。 1911年10月10日佐賀県に生まれる。佐賀中学校を経て、1928年4月、海軍兵学校に59期生として入校。1931年11月7日兵学校を卒業、少尉候補生として「磐手」乗組、練習航海に出発。1932年7月20日、巡洋艦「羽黒」乗組。1933年2月25日、巡洋艦「愛宕」乗組。4月1日、少尉任官。10月1日、第25期飛行学生拝命。1934年7月2日、館山空付。11月11日、中尉。1935年10月15日、空母「龍驤」乗組。
秦野 章(はたの あきら、1911年10月10日 - 200… 秦野 章(はたの あきら、1911年10月10日 - 2002年11月6日)は、日本の官僚・政治家。
本山 政雄(もとやま まさお、1910年(明治43年)10月… 本山 政雄(もとやま まさお、1910年(明治43年)10月10日 - 2009年(平成21年)5月11日)は、日本の教育学者、政治家。元名古屋市長(3期)。名古屋大学名誉教授。 東京都出身。東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)、府立高等学校(東京都立大学 (1949-2011)の前身)卒業。東京帝国大学文学部に入学。読書や勉学ではヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチやジャン=ジャック・ルソーに親しんだが、教育学を学ぼうという意思は特別なかったという。友人のすすめで教育学科を専攻することとなり、教育学者の阿部重孝から直接指導を受けた。1935年に大学を卒業し、大学院に進んだ。 1937年に召集。
奥田 教朝(おくだ のりとも、1910年10月10日 - 1… 奥田 教朝(おくだ のりとも、1910年10月10日 - 1994年8月7日)は、日本の都市計画家。都市計画官僚、土木技師。日本都市計画学会会長(1973年-1974年)等を歴任。 父の奥田武二郎、母の愛子(男爵関義臣の庶子)の長男として東京で生まれる。弟は4人おり、二男教広はのち、奥田秀三郎の養子、教幸(1915年生)は東大医科卒の医師。教久(1919年生)は東大工科卒の技師、他に教望(1921年生)がいる。 父親の武二郎(1883年生)は農商務省の鉱山監督局技師、仙台鉱山監督局鉱業課長を歴任し、のち日鉄鉱業顧問。正四位勲四等。叔父広瀬孝六郎は、広瀬次郎の養子、東京帝大助教授兼厚生技師。祖父奥田教佶は、旧越後村松藩士で西蒲原郡立実科高等女学校初代校長、大分や兵庫、秋田師範学校校長を歴任し、伯父には旧村松藩主・奥田直賀(堀直賀)がいる。
金田 利雄(かねだ としお、1909年〈明治42年〉10月1… 金田 利雄(かねだ としお、1909年〈明治42年〉10月10日 - 1998年〈平成10年〉12月22日)は、日本の政治家、銀行家。新鶴村長、福島協和信用組合理事長。 1909年(明治42年)10月10日、旧新鶴村(現会津美里町)生まれる。 福島県立会津工業高等学校卒業後、福島県経済農業協同組合連合会に勤務する。 同校出身者として初めて旧新鶴村長に選出され、旧新鶴村長を務める。 村長在任中、「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」を参議院に提出し、それらが1963年(昭和38年)12月21日に受理され、広域簡易水道を完成させた。 新鶴村長退任後、同校出身者として初めて福島協和信用組合理事長に就任。
折田 泉(おりた いずみ、1909年10月10日 - 197… 折田 泉(おりた いずみ、1909年10月10日 - 1972年1月4日)は、日本のヴァイオリニスト、作曲家。 鹿児島県旧川辺郡知覧町(現・南九州市)出身。元衆議院議員の実業家折田兼至の五男。1927年に鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業後、東洋音楽専門学校を経て東京高等音楽学院(国立音楽学校)へ進学し、アレクサンドル・モギレフスキーと芝祐孟に師事、1932年に本科卒業。新交響楽団(現・NHK交響楽団)でもヴァイオリンを弾いたが、手首を痛めて鹿児島県に帰郷。失意の中にいたが石井漠舞踊団の後援をしていた兄に誘われ、再上京して入団し舞踊に伴奏するヴァイオリニストとなる。黎明期だった洋楽界の基礎がために尽くす。
太田 三郎(おおた さぶろう、1909年10月10日 - 1… 太田 三郎(おおた さぶろう、1909年10月10日 - 1976年10月11日)は、日本の英文学者・比較文学者。 1909年(明治42年)10月10日、朝鮮・釜山に生まれた。 1934年(昭和9年)に東北帝国大学法文学部英語英文科を卒業した。太平洋戦争後に東京工業大学助教授に就任し、その後教授に就任した。1948年(昭和23年)には中島健蔵、福田陸太郎とともに日本比較文学会を設立、幹事を務め、国際比較文学会に出席した。1966年(昭和41年)に千葉大学教授に就任し、1973年(昭和48年)に定年退官した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
八馬 眞治(八馬 真治、はちうま しんじ、1909年〈明治4… 八馬 眞治(八馬 真治、はちうま しんじ、1909年〈明治42年〉10月10日 - 1976年〈昭和51年〉1月9日)は、日本の実業家。多聞酒造社長。 兵庫県西宮市出身。海運業・八馬永蔵の六男。1932年、早稲田大学経済学科卒業。1942年、八馬汽船、1943年、西宮酒造各監査役。1949年、八馬汽船取締役。 灘五郷酒造組合理事長、日本酒造組合中央会評議員、西宮商工会議所常議員、西宮カントリークラブ理事をつとめる。また多聞有限社員である。 三代八馬兼介、八馬安二良、八馬駒雄の弟。 趣味は庭球。宗教は真宗。住所は兵庫県芦屋市平田町、西宮市大井手町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
愛知 揆一(あいち きいち、1907年〈明治40年〉10月1… 愛知 揆一(あいち きいち、1907年〈明治40年〉10月10日 - 1973年〈昭和48年〉11月23日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員から衆議院議員に転じ、内閣官房長官(第18・29代)や外務大臣(第92-93代)、大蔵大臣(第77代)などを歴任した。 東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に、愛知敬一・祥夫妻の長男として生まれた。父・敬一は物理学者で、1911年に東北帝国大学理科大学物理学科の教授に就任したため、一家は仙台市へ移った。母・祥の実家も代々漢学者の系統という家柄で、一家を挙げての学者家庭だったという。 愛知は旧制宮城県第二中学校(現在の仙台第二高等学校)、旧制第二高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学、1931年に卒業した。
川上 為治(かわかみ ためじ、1907年〈明治40年〉10月… 川上 為治(かわかみ ためじ、1907年〈明治40年〉10月10日 - 1984年〈昭和59年〉5月6日)は、昭和期の官僚、政治家。参議院議員、中小企業庁長官。 鹿児島県日置郡、のちの金峰町(現南さつま市)で生まれる。旧制の私立福山中学校(現鹿児島県立福山高等学校)を経て、第一高等学校を卒業。1933年(昭和8年)10月、高等試験行政科試験に合格し、1934年(昭和9年)東京帝国大学経済学部を卒業した。同年、商工省に入省し商務局属に任官。以後、同省事務官、北京興亜院商工課長、商工省石炭課長などを務めた。 戦後は物価庁第三部長、通商産業省(現経済産業省)鉱山局長、同公益事業局長、中小企業庁長官などを歴任した。
鈴木 才蔵(すずき さいぞう、1907年(明治40年)10月… 鈴木 才蔵(すずき さいぞう、1907年(明治40年)10月10日 - 1977年(昭和52年)11月)は、日本の弁護士、公証人(東京法務局所属)。元法務省人権擁護局局長。元静岡地方裁判所所長。義父は参議院議員や小野田市(現:山陽小野田市)市長を務めた姫井伊介。 山口県出身。神奈川県在籍。香川愷太郎の次男に生まれ、鈴木謹次郎の養子となる。第三高等学校時代では一年違いに第7代最高裁判所長官の藤林益三がいた。のちに藤林は鈴木の死去に際して弔辞を読んだ。 1933年(昭和8年)東京帝国大学法科卒業(病気のため2年遅れで卒業)。1937年(昭和12年)11月高等試験司法科に合格。1939年(昭和14年)6月弁護士登録し、第一東京弁護士会に所属。
有賀 美智子(ありが みちこ、1907年 <明治40年> 1… 有賀 美智子(ありが みちこ、1907年 <明治40年> 10月10日 - 1999年 <平成11年> 4月22日)は、昭和期の官僚・法学者。専門は独占禁止法・国際経済法・知的財産法。元・国民生活センター会長、元・公正取引委員会委員。位階は正四位。 東京出生後、間もなく北海道小樽市に移住。1928年日本女子大学校英文学部卒業後、1932年東北帝国大学法文学部法科卒業。東北帝国大学法文学部助手を務め、のち結婚するが夫は戦死。1946年疎開先の小樽から引き揚げ大蔵省理財局嘱託職員となる。1947年公正取引委員会事務局に移り、同事務局参事官を経て、1967年女性初の公正取引委員会委員となる。経済法の国際会議に数多く出席し、1972年に退官。
宮崎円遵(みやざき えんじゅん、1906年10月10日 - … 宮崎円遵(みやざき えんじゅん、1906年10月10日 - 1983年2月14日)は、日本の仏教史学者。浄土真宗本願寺派の僧。学位は、文学博士(龍谷大学・1952年)(学位論文「初期真宗の歴史的研究」)。 和歌山県有田郡箕島町(現・有田市)出身。1929年龍谷大学文学部史学科卒業。1930年真宗本願寺派本願寺で得度。1935年本願寺派宗学院卒業。1945年箕島町の光源寺住職。1944年龍谷大学文学部助教授、47年教授。1952年「初期真宗の歴史的研究」で龍谷大学から文学博士の学位を授与される。1972年龍谷大学退任、名誉教授。同年から1981年まで神戸女子大学教授。龍谷大学では、図書館長、文学部長・短期大学部長も務める。
武村 忠雄(たけむら ただお、1905年10月10日 - 1… 武村 忠雄(たけむら ただお、1905年10月10日 - 1987年12月14日)は、日本の経済学者。専門は景気予測や経済分析、マルクス理論。慶應義塾大学教授。旧姓氏名は奥田忠雄。 1905年に東京麹町に生まれる。1928年に慶應義塾大学経済学部を卒業、同大学助手となる。加田哲二のゼミナールに所属し、オーストリア派マルクス主義者マックス・アドラー (マルクス主義者)(英語版)をテーマに卒業論文を執筆した。 1929年から陸軍で10ヶ月の兵役を行い、1931年から予備役陸軍主計少尉に就任、予科講師を兼ねた。1933年から1935年までミュンヘン大学に留学し、アドルフ・ヴェーバー (経済学者)(英語版)とルートヴィヒ・フォン・ミーゼスのゼミナールで学び、オスカー・モルゲンシュテルンから個人指導を受ける。
田中 千禾夫(たなか ちかお、1905年〈明治38年〉10月… 田中 千禾夫(たなか ちかお、1905年〈明治38年〉10月10日 - 1995年〈平成7年〉11月29日)は、日本の劇作家、演出家、フランス文学者。日本芸術院会員。 長崎県長崎市生れ。旧制長崎県立長崎中学校を経て、1930年、慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。 在学中から獅子文六・岸田國士の「新劇研究所」に入る。卒論はフランスの劇作家、ポール・ジェラルディ。 1932年、岸田主宰の第1次『劇作』創刊に参加、実質的な編集長の任を務めた。1933年、処女戯曲『おふくろ』発表、築地座で上演されて注目される。1934年、やはり劇作家の田中澄江と結婚、神奈川県藤沢町鵠沼に新居を構える。同1934年から演出も始める。
石山 健二郎(いしやま けんじろう、本名;石山 繁一、190… 石山 健二郎(いしやま けんじろう、本名;石山 繁一、1903年10月10日 - 1976年5月10日)は、日本の俳優。広島県広島市生まれ。息子は石山輝夫。旧制私立修道中学校卒業。
巌谷 英一(いわや えいいち 1903年10月10日 - 1… 巌谷 英一(いわや えいいち 1903年10月10日 - 1959年7月8日)は、日本の海軍軍人。 1939年5月、日本郵船照国丸にて欧州へ向かう。ドイツ・ベルリンの駐独日本海軍武官室に勤務、航空機製造技術担当。滞独中、海軍技術中佐に進級。1944年、遣独潜水艦作戦によりドイツからジェットエンジン等の技術を日本に持ち帰った。 東京府出身。1929年(昭和4年) 東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業。海軍造兵中尉任官、海軍航空本部の戦闘機担当官となる。局地戦闘機「雷電」の開発に関しては、海軍航空本部技術部に三菱重工業の堀越二郎を招き要請した。 遣独潜水艦作戦(第四次遣独艦。1943年12月にシンガポール出航)によりドイツから、ジェットエンジン・ロケットエンジン等の最新の軍事技術情報を日本に齎す。
坊田 かずま(坊田 寿眞、ぼうた かずま、1902年(明治3… 坊田 かずま(坊田 寿眞、ぼうた かずま、1902年(明治35年)10月10日 - 1942年(昭和17年)2月3日)は、日本の作曲家である。日本の教育の器楽合奏の先駆者でもある。 1902年(明治35年)広島県安芸郡本庄村川角(現在の安芸郡熊野町川角)に生まれる。 1920年(大正9年)18歳で尋常小学校の教員となり、翌1921年(大正10年)雑誌『赤い鳥』への童謡募集に応募、入選をきっかけに音楽の道に進む。作曲だけではなく、日本各地に伝わり、当時楽譜がなかったわらべ歌の採譜・編曲も行った。 1929年(昭和4年)東京の尋常小学校に赴任、日本では当時行われていなかった子供の器楽合奏を手がける。
鶴丸 睦彦(つるまる むつひこ、1901年10月10日 - … 鶴丸 睦彦(つるまる むつひこ、1901年10月10日 - 1989年7月5日)は、日本の俳優。本名は松井 睦彦。 1901年(明治34年)10月10日、鹿児島県鹿児島市に医師の父・文蔵の6人兄妹の長男として生まれる。早稲田高等学院卒業後の1923年(大正12年)に渡米し、その後エル・グレコの絵を見たさに旅費をためてスペインに渡る。1927年(昭和2年)に帰国。左翼系劇団の美術部員から俳優に転じ、同年に佐々木孝丸、村山知義らの前衛劇場に入り、1928年(昭和3年)には東京左翼劇場、1934年(昭和9年)には新協劇団に参加する。1938年(昭和13年)、木村荘十二監督の『牧場物語』で映画に初出演する。
篁 牛人(たかむら ぎゅうじん、明治34年(1901年)10… 篁 牛人(たかむら ぎゅうじん、明治34年(1901年)10月10日 - 昭和59年(1984年)2月25日)は、昭和時代の日本画家。幼名は光磨。本名は浄信。 1901年、富山県婦負郡桜谷村大字石坂村(現:富山県富山市石坂)に生まれる。1921年、富山県立工芸学校(現:富山県立高岡工芸高等学校)を卒業、同校卒業生で組織する富山工芸会に参加。工芸作品の図案を制作し商工省工芸展などで中島杢堂、安川慶一らと受賞を重ねるが、1934年頃からパブロ・ピカソ、藤田嗣治、小杉放庵などの感化を受け、1940年頃より絵画に専念し始める。太平洋戦争末期の1944年、応召して東南アジアに赴き転戦。復員後の1947年頃から、独自の渇筆技法で制作を行い、主題を東洋思想に求めた。
杉戸 清(すぎと きよし、1901年(明治34年)10月10… 杉戸 清(すぎと きよし、1901年(明治34年)10月10日 - 2002年(平成14年)4月24日)は、日本の政治家。元名古屋市長(3期)。 愛知郡則武村字香箱(現・名古屋市中村区)出身。名古屋中学校、第八高等学校を経て、東京帝国大学工学部土木工学科を卒業。1926年(大正15年)4月に名古屋市役所に入り、水道局長、名古屋市助役などを歴任する。 1961年(昭和36年)3月16日、名古屋市長の小林橘川が任期中に死去。職務代理者を務める。同年4月28日に行われた市長選に自民党の推薦を受けて立候補。元参議院議員の栗山良夫(社会党推薦)、元市議の横井亀吉(民社党推薦)らを破り初当選した。 名古屋市長として地下鉄の整備等に尽力した。
羅門 光三郎(らもん みつさぶろう、1901年10月10日 … 羅門 光三郎(らもん みつさぶろう、1901年10月10日 - 1976年5月6日)は、日本の俳優[4]。本名は岩井 憲次(いわい けんじ)[4]。旧芸名は岩井 健夫(いわい たけお)、芳澤 一郎(よしざわ いちろう)[4]。剣戟映画を得意とする映画会社を渡り歩いた剣戟スターである。
金 相舜(キム・サンスン、朝鮮語: 김상순、1901年10月… 金 相舜(キム・サンスン、朝鮮語: 김상순、1901年10月10日 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。 全羅南道長城郡北二面出身。中東学校高等科、中央大学専門部・経済学科卒。中央大学在学中に在日湖南留学生会代表を務めた。帰国後は合資会社三養社に入社し、大韓独立促成国民会宣伝部、韓国民主党、大同青年団、民族青年団で活動したほか、長城中学校理事長、制憲国会議員を務めた。 1979年5月29日付の東亜日報に掲載されたコラムによれば、すでに故人とされている。
豊島 至(とよしま いたる、1900年10月10日-1947… 豊島 至(とよしま いたる、1900年10月10日-1947年9月20日)は、アメリカ統治下の奄美群島の首長。臨時北部南西諸島政庁知事。元は鹿児島県大島郡の教育者。 現在の鹿児島県大島郡瀬戸内町出身(奄美群島加計呂麻島芝地域生まれ)。1921年、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)卒業。管鈍尋常小学校(後の瀬戸内町立管鈍小学校)の代用教員となったのを皮切りに教育者としての道を歩み、諸鈍や小野津の校長を務める。大島郡教育会主事を経て、鹿児島県大島支庁総務課振興係主任となる。 1946年2月、奄美群島が日本と行政分離されアメリカ合衆国の統治下に入ったことに対応するため全大島連絡委員会が発足し、豊島は大島支庁振興主事として同会幹事に就任する。
竹田 直平(たけだ なおひら、1900年10月10日 - 1… 竹田 直平(たけだ なおひら、1900年10月10日 - 1998年3月16日)は、日本の法学者。富山県出身。専門は刑法。立命館大学教授、近畿大学教授、甲南大学教授を歴任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
千島 喜久男(ちしま きくお、1899年10月10日 - 1… 千島 喜久男(ちしま きくお、1899年10月10日 - 1978年10月23日)は、日本の生物学者。医学博士。 岐阜県吉城郡上宝村(現・高山市)出身。盛岡高等農林学校獣医科卒。岐阜大学農学部教授(1953年就任、1963年退官)。正五位勲三等瑞宝章。 1963年から自らが「革新的医学・生物学理論」と称する「千島学説」を提唱して、「新生命医学会」を設立、普及活動を行った。 千島の発表論文は、例えば慶應義塾大学解剖学教室のOkajimas Folia Anatomica Japonicaなどに査読を経て掲載されている。 しかし千島学説の検証については、査読のある論文で千島学説を支持するものはない。
佐藤 善一郎(さとう ぜんいちろう、1898年10月10日 … 佐藤 善一郎(さとう ぜんいちろう、1898年10月10日 - 1964年3月23日)は、日本の政治家。衆議院議員、福島県知事などを務めた。 1898年(明治21年)、福島市出身。信夫農学校(現・福島県立福島明成高等学校)卒業。1937年(昭和12年)に旧・清水町の町長に就任。福島県議を経て、第二次世界大戦後は公職追放される。1952年(昭和27年)、福島県経済連の初代会長に就任し、財政を立て直した。また、同年から衆議院議員に2期連続で当選。1957年(昭和32年)、自由民主党を離党し、農協・日本社会党の地盤を獲得して福島県知事選挙に立候補し当選。福島県知事在任中に、福島第一原子力発電所の大熊町への建設を決定した。
君島 興一(きみじま こういち、1898年10月10日 - … 君島 興一(きみじま こういち、1898年10月10日 - 1971年1月3日)は、日本の経営者。茨城県出身。 1922年に小樽高等商業学校を卒業し、同年に川崎汽船に入社。1946年11月に取締役に就任し、専務を経て、同年12月に社長に就任。1950年8月に川崎重工業専務に就任し、1963年6月から1965年2月まで副社長を務めた。 1964年11月に藍綬褒章を受章し、1967年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1971年1月3日心筋梗塞のために死去。72歳没。
松井 正夫(まつい まさお、1898年〈明治31年〉10月1… 松井 正夫(まつい まさお、1898年〈明治31年〉10月10日 - 1956年〈昭和31年〉11月17日)は、日本の有機化学者、文部官僚。元文部省学校教育局大学教育課長、新潟高等学校の最後の校長、新潟大学理学部初代学部長。位階は正三位。 新潟県新潟市学校町通2番町(現 新潟市中央区学校町通2番町)の判事・松井郡治の長男として出生。 1916年(大正5年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第二高等学校を卒業、1922年(大正11年)3月に東京帝国大学理学部化学科を卒業。 1922年(大正11年)6月に山口高等学校教授に就任、11月から1924年(大正13年)3月まで陸軍に入隊のため山口高等学校を休職、1931年(昭和6年)12月から1933年(昭和8年)9月まで化学の研究のためドイツやアメリカに留学。
三橋 八次郎(みつはし はちじろう、1898年〈明治31年〉… 三橋 八次郎(みつはし はちじろう、1898年〈明治31年〉10月10日 - 1984年〈昭和59年〉12月27日) は、大正から昭和期の農業技術者、政治家。参議院議員(1期)。 青森県北津軽郡飯詰村(現五所川原市)の農家に生まれた。農村生活の向上を目指して、1921年(大正10年)東京農業大学高等科を卒業。さらに、1924年(大正13年)東京帝国大学農学部農学科第1部全科目選科を修了した。 1924年、愛媛県産業技手となり県立農事試験場(現:愛媛県農業試験場)に配属された。以後、農業技師、農事試験場長、県経済部農業改良課長兼農事試験場長、農事講習所長などを務めた。30年間、愛媛県下の農家の指導に従事し、県農業祭を考案し、農作物の品種改良などに尽力した。
矢島 恭介(やじま きょうすけ、1898年10月10日 - … 矢島 恭介(やじま きょうすけ、1898年10月10日 - 1979年11月11日)は、 帝室博物館調査官、歴史学者。 1898年に長野県に生まれる。1925年、早稲田大学文学部を卒業。同年 帝室博物館勤務。1938年、帝室博物館鑑査官。1954年、東京国立博館考古課長。1961年、同館退職。 1979年から東京芸術大学、明治大学、国学院大学、立教大学講師、文化庁文化財保護審議会専門委員をつとめた。 1972年、勲四等瑞宝章。
日淳(にちじゅん、1898年(明治31年)10月10日 - … 日淳(にちじゅん、1898年(明治31年)10月10日 - 1959年(昭和34年)11月17日)は、日蓮正宗の僧侶。大石寺第65世法主。姓は堀米。竜谷阿闍梨。院号は信乗院。道号は泰栄。 1898年(明治31年)、長野県伊那市坂下町、堀米暦太郎の次男として誕生。幼名は寿万男(すまお)。10歳で父と死別。1911年(明治44年)、伊那市信盛寺の当時の住職、岡田道篤のもとへ得度し、諦栄と名乗ったが、のちに大石寺第57世日正に師僧変更し道号を泰栄(たいえい)と改名。 1922年(大正11年)6月には神奈川教会所担任教師に、同年12月に大石寺百貫坊住職となり、その後、京都・住本寺住職取り扱い、東京中野教会(後の昭倫寺)主管(信盛寺住職兼任)、東京・常泉寺住職を歴任。
岩畔 豪雄(いわくろ ひでお、1897年10月10日 - 1… 岩畔 豪雄(いわくろ ひでお、1897年10月10日 - 1970年11月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 陸軍中野学校(設立時の名称は防諜研究所)の設立他、多くの諜報機関の設立に関わり、「謀略の岩畔」の異名をとった。また日米開戦回避に奔走した他、戦中はインド国民軍(INA)及び自由インド仮政府の樹立に中心的に関わった。戦後は京都産業大学設立者として理事を務めた。 広島県安芸郡倉橋島(現・呉市)出身。倉橋島は海軍兵学校があった江田島の隣の島である。島育ちながら「なんとはなしに船に乗ることはあまり好きではない」という理由で、陸軍を志願し、広島中学校(現広島県立国泰寺高校)から名古屋陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校本科を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業。
松原 地蔵尊(まつばら じぞうそん、 本名:重造、 明治30… 松原 地蔵尊(まつばら じぞうそん、 本名:重造、 明治30年(1897年)10月10日 - 昭和48年(1973年)10月7日)は、日本の俳人。 富山県氷見郡阿尾村(現・氷見市)阿尾生まれ。学生時代からホトトギスに投句し、1917年樺太庁中学校卒業。1920年小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業。1923年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。 新興俳句運動の俳人として活動した。また、小池銀行営業部長、小池証券取締役、山一証券大阪支店長、山一証券取締役、山一証券監査役幹事長、小柳証券参与等を歴任した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。