ハロラン芙美子(Halloran ふみこ、1944年1月11… ハロラン芙美子(Halloran ふみこ、1944年1月11日 - )は、日本のノンフィクション作家。旧本名・森史子。
1月11日生まれ:341人
ハロラン芙美子(Halloran ふみこ、1944年1月11… ハロラン芙美子(Halloran ふみこ、1944年1月11日 - )は、日本のノンフィクション作家。旧本名・森史子。
彦坂 正道(ひこさか まさみち、1944年1月11日 - )… 彦坂 正道(ひこさか まさみち、1944年1月11日 - )は、日本の物理学者。専門は高分子物理学。超高性能プラスチックの研究で知られる。広島大学名誉教授。 父は原子核物理学者で新潟大学名誉教授の彦坂忠義。兄は社会評論家、翻訳家、社会運動家の彦坂諦。母方の祖父は西洋史学者の阿刀田令造。 厚さ10分の数mm。透明で成形しやすく、自動車の車体やガラスの代用品などとして応用が見込める。通常のプラスチックとほぼ同じ値段ででき、不純物がないためリサイクルしやすい利点がある。従来のポリプロピレンより、引っ張り強度が7倍以上の230MPaに増していた。この強度は同じ重さの鉄鋼の2〜5倍という。自動車の車体を鉄鋼でなく今回の素材に置き換えると、コストが全体の3分の1から4分の1で済む。
渡邊 一正(わたなべ かずまさ、1943年1月11日 - )… 渡邊 一正(わたなべ かずまさ、1943年1月11日 - )は、日本の実業家。群馬銀行相談役、元同行会長。 群馬県出身。群馬県立太田高等学校を経て、1966年3月高崎経済大学経済学部卒業後、同年4月群馬銀行入行。1990年2月舘林支店長、1992年11月営業企画部長、1994年6月太田支店長。1995年6月取締役。1997年10月営業統括部長。1999年6月常務。2005年6月専務。2007年6月副頭取。2010年6月会長。2011年6月より相談役。
根木 昭(ねき あきら、1943年1月11日-2016年5月… 根木 昭(ねき あきら、1943年1月11日-2016年5月16日)は、日本の文化政策学者。 岡山県出身。大阪大学法学部卒業。文部省に入り、文化庁などをへて1992年長岡技術科学大学教授、名誉教授、東京藝術大学教授、2010年名誉教授、昭和音楽大学教授。99年「我が国の文化政策の構造」で大阪大学法学博士。
村田 浩(むらた ひろし、1943年(昭和18年)1月11日… 村田 浩(むらた ひろし、1943年(昭和18年)1月11日 - )は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家。 窯名は「村田浩窯」。 同じく益子焼の陶芸家である村田元の三男である。 1943年(昭和18年)1月11日、村田元と妻・留子の三男として東京で生まれる。 1944年(昭和19年)、太平洋戦争の最中にもかかわらず陶芸家を志し濱田庄司に入門した父・元と共に、わずか1歳で家族一同で栃木県芳賀郡益子町に転居し、益子で育つ。 父・元が窯を築いたのが小学生の時だったため、幼少の頃から父の見よう見まねで轆轤を回し、土をいじり始めた。当時は蹴り轆轤だったので足がようやく届く状態であり、粘土がうねうねと動いてしまい大変だった。
横田 捷宏(よこた かつひろ 1942年1月11日-)は、日… 横田 捷宏(よこた かつひろ 1942年1月11日-)は、日本の通産官僚。日本銀行政策委員、中小企業金融公庫副総裁を歴任。義父は佐橋滋。 大阪府立大手前高等学校を経て、
橋口 公一(はしぐち こういち、1942年(昭和17年)1月… 橋口 公一(はしぐち こういち、1942年(昭和17年)1月11日 - )は、日本の固体力学者。
高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月… 高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月11日 - 2007年〈平成19年〉11月8日)は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家・監督、キャラクターデザイナー。宮城県石巻市出身。 1959年3月に宮城県石巻高等学校卒業後、石巻市役所に就職。美術を学ぶため、日本デザインスクールに入学するも1963年に同校を中退。第一広告(現・I&S BBDO)、文珠デザインスタジオの商業デザイナーを経て、草月アニメフェスティバルでアニメに興味を持ち、1966年8月に新聞の社員募集広告に応募して竜の子プロダクション(タツノコプロ)へ入社。 同プロでは笹川ひろしや吉田竜夫らの下で『おらぁグズラだど』『昆虫物語 みなしごハッチ』などの原画・演出を担当した他、作画チーフも務めた。
周防 郁雄(すほう いくお、1941年1月11日 - )は、… 周防 郁雄(すほう いくお、1941年1月11日 - )は、千葉県市原市出身の日本の男性実業家・芸能プロモーター。
大出 俊(おおいで しゅん、1941年〈昭和16年〉1月11… 大出 俊(おおいで しゅん、1941年〈昭和16年〉1月11日 - )は、日本の俳優。本名:大出 俊隆(おおいで としたか)。東京市出身。日本大学卒業。文学座、山田栖峰事務所、オフィスPSC、Grueを経て、2025年よりグルックス・モメントがマネジメント業務を担っている。 妻は工藤明子。息子は大出真也(前妻との子)。身長170cm、体重60kg。血液型O型。 大学卒業後、一般企業へ入社するも半月程で辞めてしまい、その後は職を転々とするなど定職に就かない毎日を送っていた。 たまたま東京の六本木を歩いていた時に養成所の募集を見つけ、特に理由もなく応募したところ、無事に合格。1967年、第16期生として俳優座養成所に入所(同期生は古谷一行、峰岸徹、太地喜和子)。
河瀨 正利(かわせ まさとし、1941年(昭和16年)1月1… 河瀨 正利(かわせ まさとし、1941年(昭和16年)1月11日 - 2008年(平成20年)6月14日)は、日本の考古学者。広島大学名誉教授。書家の河瀬断魚は実兄。 1941年(昭和16年)島根県平田市(現:出雲市)に生まれ、1964年(昭和39年)に広島大学教育学部卒業。その後広島県教育委員会文化財保護主事、埋蔵文化財係長の職に就き1975年(昭和50年)より広島大学に勤務。文学部助手・助教授・教授、同大学院教授の職を歴任し2004年(平成16年)に退官。広島大学名誉教授。 2008年(平成20年)6月14日、頭頸部癌のため死去。享年67。
武田 一平(たけだ いっぺい、1941年1月11日 - )は… 武田 一平(たけだ いっぺい、1941年1月11日 - )は日本の経営者。ニチコン株式会社代表取締役会長兼CEO、京都経営者協会元会長。 1963年 3月早稲田大学商学部卒業 1963年 3月日本コンデンサ工業株式会社 (現 ニチコン株式会社)入社 1967年5月米国シカゴ赴任 1978年2月ニチコン(アメリカ)コーポレーション 代表取締役 1983年6月ニチコン株式会社 取締役 就任 同年12月ニチコン株式会社 取締役 国際部長 1990年2月ニチコン(ヨーロッパ)リミテッド 代表取締役 1995年7月ニチコン株式会社 取締役 大野工場長兼 海外営業担当 1997年6月ニチコン株式会社 常務取締役 営業本部長兼 大野工場長 1998年6月ニチコン株式会社 代表取締役社長 2007年 4月 藍綬褒章 授章 2007年6月ニチコン株式会社 代表取締役会長兼CEO 平成24年5月~平成26年5月 京都経営者協会会長 2018年06月 平成30年全国発明表彰 発明表彰功労賞
岸 輝男(きし てるお、1940年1月11日 - )は、埼玉… 岸 輝男(きし てるお、1940年1月11日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 大宮高校では1957年に夏の甲子園へ出場し、ベスト4まで進出。 1958年に近鉄パールスへ入団。1960年に引退。
五十嵐 久也(いがらし ひさや、1940年1月11日 - 2… 五十嵐 久也(いがらし ひさや、1940年1月11日 - 2019年12月10日 )は、日本の実業家。三井住友建設代表取締役社長を経て、芝浦工業大学理事長。 北海道出身。芝浦工業大学工学部建築学科卒業。 1964年4月 鹿島建設入社。1996年10月 関西支店副支店長を経て、1997年6月 取締役に昇格。2001年6月 常務取締役。2002年6月 常務取締役横浜支店長。2005年6月 顧問。 2006年2月より大和証券SMBCプリンシパル・インベストメンツの顧問に就任。 2006年6月から三井住友建設代表取締役社長兼執行役員社長を務め、経営再建にあたった。2010年4月 三井住友建設 取締役相談役。
井上 直幸(いのうえ なおゆき、1940年(昭和15年)1月… 井上 直幸(いのうえ なおゆき、1940年(昭和15年)1月11日 - 2003年(平成15年)4月22日)は、日本のピアニスト。 1940年(昭和15年)、 福岡県福岡市生まれ。大島正泰に師事し、1960年に桐朋学園大学短期大学部音楽学科を卒業。1964年、シュトゥットガルト音楽大学に入学し、A.エアフルト、H.ロイターに師事。1年後フライブルク音楽大学に移り、エディット・ピヒト=アクセンフェルトのもとで研鑽を積む。1969年(昭和44年)同大学を首席で卒業した。ケルンでデビュー・リサイタルを開いた後、ミュンヘン国際音楽コンクール入賞。 1970年、フライブルク音楽大学講師に就任。以降ヨーロッパ各地で多くの演奏会を行い、数々の放送にも出演した。
ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月… ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月11日 - )は、日本の漫画家。男性。代表作に『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)、『ハリスの旋風』、『あした天気になあれ』、『のたり松太郎』、『みそっかす』など。 東京府(東京都の前身)出身。現在は練馬区在住。日本大学第一高等学校卒業。 2005年からは文星芸術大学教授を務める。2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から同協会会長。2019年4月1日より2022年3月31日まで文星芸術大学学長。 紫綬褒章受章者、旭日小綬章受章者、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院会員。 『キャプテン』『プレイボール』などが代表作の漫画家ちばあきお、ちばプロダクション社長千葉研作、漫画原作者七三太朗は実弟。
茨木 和生(いばらき かずお、1939年1月11日 - 20… 茨木 和生(いばらき かずお、1939年1月11日 - 2025年12月23日)は、奈良県出身の俳人。本名は和男。 奈良県生駒郡郡山町(現・大和郡山市)生まれ。奈良県立郡山高等学校、大阪市立大学文学部卒業後、高槻中学校・高等学校教諭(古文担当)を長く勤めた。 高校時代の1956年、創刊したばかりの「運河」に入会し右城暮石に師事。また暮石の紹介で「天狼」に入会し山口誓子にも師事、天狼青年句会で指導を受ける。1986年、「運河」の「運河集」選者。1991年、暮石から継承し「運河」主宰。1997年、『西の季語物語』により第11回俳人協会評論賞、2002年、句集『往馬』により第41回俳人協会賞、2014年、句集『薬喰』により第13回俳句四季大賞を受賞。
藤岡 康宏(ふじおか やすひろ、1939年1月11日 - )… 藤岡 康宏(ふじおか やすひろ、1939年1月11日 - )は、日本の法学者。専門は民法。北海道大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1975年)(学位論文『自動車交通事故による損害の補償―交通災害保険化構想への総論的展望(1)~(2完)』)。広島県出身。 1979年3月から1981年3月にいたる2年間
河原崎 長一郎(かわらさき ちょういちろう、本名;河原崎 統… 河原崎 長一郎(かわらさき ちょういちろう、本名;河原崎 統一<かわらざき とういち>、1939年1月11日 - 2003年9月19日)は、日本の俳優。四代目河原崎長十郎の長男。妻は伊藤榮子。弟は河原崎次郎、河原崎建三。岩下志麻はいとこ(母親が姉妹関係)。親族や友人、仕事仲間たちからは「長さん」と呼ばれ親しまれていた。
和光 信也(わこう しんや、1938年1月11日 - 201… 和光 信也(わこう しんや、1938年1月11日 - 2010年3月9日)は、日本の物理学者。専門は固体物理学で、バンド計算のパイオニア。開成中学校・高等学校を経て、東京大学卒業後、東京大学理学博士号、東京大学物性研究所勤務。図書館情報大学教授、筑波大学教授を経て、筑波大学名誉教授。従四位瑞宝中綬章。
江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ… 江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ)、1937年〈昭和12年〉1月11日 - 1982年〈昭和57年〉2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレント。 1937年(昭和12年)1月11日(月曜日)、東京市下谷区(現・東京都台東区入谷)に3男1女の末娘として生まれる。血液型はA型。 父・久保益雄は福岡県田川郡添田町の出身。独学でクラリネット奏者になったが、軍事徴用での工場の作業で指の先を痛め、以降再び独学でピアノ弾きに転向したりと、ともかく「音楽センス」の素晴らしい人だったと言われており、智恵美が生まれた頃は船のバンドマスター、吉本興業に所属していた。益雄はバンドマスターを経て吉本所属(東京吉本)の大スター、柳家三亀松(三味線漫談)の相三味線やピアノ伴奏を務める。
渡辺 正(わたなべ まさし、1936年1月11日 - 199… 渡辺 正(わたなべ まさし、1936年1月11日 - 1995年12月7日)は、広島県広島市大手町(現・中区)出身の元サッカー選手(FW)・コーチ・監督。サッカー日本代表選手として出場したメキシコオリンピックでは、この大会から初めて怪我などの理由を伴わない選手交代が認められた為、スーパーサブ役を担い、銅メダル獲得に貢献。 実家は爆心地にあった日蓮宗本経寺で、原爆で寺に残った父を失うが、自身は集団疎開で難を逃れた。終戦後は原爆で焼け野原になった町で、壊れた墓石運びの手伝いをさせられ、これが足腰の鍛錬になった。広島市立千田小学校・広島市立国泰寺中学校を経て、崇徳高校へ進学したが、同校にサッカー部が無かったため、1年の2学期に編入試験を受けて基町高校へ転入学。
大石 正彦(おおいし まさひこ、1936年1月11日 - )… 大石 正彦(おおいし まさひこ、1936年1月11日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロ野球選手(投手)右投げ右打ち。1960年大洋V1戦士の一人。
若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没… 若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没年不明 )は、花籠部屋に所属した元力士。名は土井 三雄(つちい みつお)。北海道紋別郡丸瀬布町(現在の北海道紋別郡遠軽町)出身。身長173cm、体重86kg。最高位は東十両15枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1954年9月場所に初土俵。幕下までは順調に出世したが、幕下では長い間上位に進出できずに苦戦していた。しかし、1960年9月場所に7戦全勝で幕下優勝を果たし、翌11月場所に十両に昇進した。新十両の場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下に陥落した。十両を3場所務めたが勝ち越したのは1961年3月場所の1場所だけであった。十両から陥落した後も幕下上位で相撲を取っていたが、1962年1月場所限りで26歳で廃業した。
愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - … 愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - 2000年5月5日)は、愛媛県八幡浜市幸町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は大澤 慶吉(おおさわ よしきち)。最高位は西前頭3枚目(1959年11月場所)。身長177cm、体重117kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。 愛宕中学校を卒業後、前ノ山の口利きで高砂部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・起雲山らがいる。 初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 なお、当初の四股名は、本名でもある「大澤」。その後、1952年5月場所より、故郷・八幡浜市にある山に因んだ「愛宕山」へ改名した。
柴田 鋼造(しばた こうぞう、1935年(昭和10年)1月1… 柴田 鋼造(しばた こうぞう、1935年(昭和10年)1月11日 - )は、日本の彫刻家。愛知県出身。東京芸術大学卒。 1974年(昭和49年)第6回日展、1975年(昭和50年)第7回日展の2年連続で日展特選を受賞。 1977年(昭和52年)愛知県芸術文化選奨文化賞(個人)を受賞。 1989年(平成元年)第21回日展にて内閣総理大臣賞受賞。 1992年(平成4年)、前年第23回日展出品作「香雲」に対し平成3年度日本芸術院賞受賞。 1993年(平成5年)、「新領域を開く彫刻制作と後進の指導」の功績により第46回中日文化賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
谷口 香(たにぐち かおり 、1934年1月11日 - 20… 谷口 香(たにぐち かおり 、1934年1月11日 - 2007年1月20日)は、日本の女優。旧姓・旧名は芸名と同じ:谷口香。本名は:丸山香、もしくは結婚後の本名は:関堂香 という典拠もあり、本名が丸山か関堂かは不明。 東京市(現東京都)出身。共立女子高等学校卒業。劇団昴に所属していた。 1953年に文学座研究生となる。 1963年に劇団雲創設に加わる。 1976年に福田恆存、小池朝雄らと共に劇団昴の結成に参加。 劇団の中心女優として活動する傍ら、映画・テレビドラマにも数多く出演した。 2006年12月、舞台の代表作である劇団昴『八月の鯨』公演前に体調を崩して降板し、2007年1月20日、直腸癌のため東京都内の病院で死去した。
井上 信也(いのうえ しんや、1934年〈昭和9年〉1月11… 井上 信也(いのうえ しんや、1934年〈昭和9年〉1月11日 - 2010年〈平成22年〉3月1日 )は、日本の政治家。位階は正五位。 サラリーマン新党代表、大阪府摂津市長(3期)など務めた。兄は前任の摂津市長で郵政大臣なども務めた井上一成で、兄弟で20年間革新市政を続けた。 大阪府三島郡鳥飼村(現・摂津市鳥飼野々)生まれ。関西大学在籍。大阪府議会議員に日本社会党から立候補し初当選。1976年(昭和51年)10月の摂津市長選挙で、第2代市長の兄・井上一成の後継として立候補し、無投票で初当選。10月12日に就任し、1988年10月11日まで3期務めた。 1989年(平成元年)7月23日の第15回参議院議員通常選挙にサラリーマン新党から出馬も落選。
高久 進(たかく すすむ、1933年1月11日 - 2009… 高久 進(たかく すすむ、1933年1月11日 - 2009年7月22日)は、日本の脚本家。福島県河沼郡会津坂下町出身。福島県立会津高等学校卒業、早稲田大学教育学部卒業。池田和雄や井口真吾などの別名義を用いていた場合もあった。 大映東京撮影所にシナリオ研究生として入るが、デビュー作は、新東宝の『九十九本目の生娘』(監督・曲谷守平 主演・菅原文太、1959年)である。高岩肇に師事した。 1960年代後半からメインの執筆活動を劇映画からテレビ作品に移し、アクションドラマ・時代劇・特撮・アニメと幅広いジャンルの作品にシナリオを数多く残した。『Gメン'75』のメインライターでもある。また、刑事ドラマや特撮では「戦争の傷痕」をテーマにしたエピソードを多く執筆している。
岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は… 岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は、日本の女優・映画プロデューサー。本名:吉田 鞠子(旧姓・田中)。父は戦前の無声映画で活躍した二枚目俳優・岡田時彦。母は宝塚歌劇団卒業生で男役を務めた田鶴園子。夫は映画監督の吉田喜重。 1933年、東京市渋谷区代々木に生まれたが、生後間もなく京都に移住。翌1934年、父が結核で死去し、以後母は女手一つで茉莉子を育てることとなる。東京市大森区北千束に住む母の妹で、宝塚スターだった御幸市子のもとで暮らし、青葉幼稚園・赤松小学校に通う。少女時代は病弱なこともあって内向的な性格であった。 1938年、母の田鶴はダンス教師の資格をとり、上海で教えることになった。
小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は… 小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属。創立メンバーの一人でもある。主な出演作は『妖怪人間ベム』(1968年)のベム、『ルパン三世』シリーズの次元大介など。また、『SASUKE』、『中居正広の金曜日のスマたちへ』、『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』等のナレーションも多く担当。洋画ではジェームズ・コバーン、リー・マーヴィンの専属吹き替えをしている。
逸見 武志(へんみ たけし、1933年1月11日 - )は、… 逸見 武志(へんみ たけし、1933年1月11日 - )は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。東京都出身。 1955年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。1964年にシェル石油(のちの昭和シェル石油)に転じ、1976年に取締役に就任し、1983年に常務、1984年に副社長を経て、1989年3月には社長に就任。1993年9月から1995年3月までに取締役相談役を務めた。
加藤 民男(かとう たみお、1933年1月11日 - 201… 加藤 民男(かとう たみお、1933年1月11日 - 2012年4月4日)は、日本のフランス文学者。 神奈川県出身。1957年早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業、1962年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学後、早稲田大学文学部専任講師、助教授、1972年教授。1986年から1988年まで早稲田大学第二文学部長を務め、2003年定年退任、名誉教授の称号を得る。 専門は、スタンダール研究。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
川路 紳治(かわじ しんじ、1932年1月11日 - 202… 川路 紳治(かわじ しんじ、1932年1月11日 - 2023年3月27日) は、日本の物性物理学者。学習院大学名誉教授。量子ホール効果を発見し、日本学士院賞等を受賞した。川路聖謨の曾孫。 北海道出身。旧帯広中学校(現北海道帯広柏葉高等学校)卒業後、旧制北海道大学予科を経て、1953年北海道大学理学部卒業。漕艇部出身。1958年北海道大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士。指導教官は古市二郎だが、北海道大学触媒研究所で半導体を学んだ。 1959年学習院大学理学部物理学科講師。1960年助教授。1963年マサチューセッツ工科大学研究員。1968年学習院大学理学部物理学科教授。1985年学習院大学学生部長。
藤田 耕三(ふじた こうぞう、1932年1月11日 - 20… 藤田 耕三(ふじた こうぞう、1932年1月11日 - 2023年12月31日)は、日本の法律家。 神奈川県出身。1950年に神奈川県立湘南高等学校を卒業後、1955年に東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業する。在学中に司法試験に合格後、司法修習生となった後に、1957年に裁判官に任官する。1971年に東京地方検察庁検事および1947年から総理府中央公害審査委員会事務局審査官を務める。1981年に検察官特別考査会臨時委員などに任命され、1989年には千葉地方裁判所所長、1991年に東京地方裁判所所長、1993年に仙台高等裁判所長官、1995年に広島高等裁判所長官を歴任後、1997年に退官し弁護士登録をする。
岡本 忠成(おかもと ただなり、1932年1月11日 - 1… 岡本 忠成(おかもと ただなり、1932年1月11日 - 1990年2月16日)は、日本のアニメーション作家。 持永只仁や川本喜八郎とともに日本のアニメーション黎明期の礎を築き、多大な功績と発展を遺した「アニメーションの神様」の一人として知られる。 妻は人形作家の森田さと子、長男はブックデザイナーの岡本洋平。義弟にイタリア美術研究で著名な森田義之がいる。 大阪府豊中市生まれ。大阪大学法学部卒業、一般会社に就職した後にチェコのアニメ作家イジー・トルンカを始めとしたチェコのアニメーションの作品に魅せられて退社し、日本大学芸術学部映画学科に編入学。 1961年に持永只仁のMOMプロダクションに入社し、アニメーション撮影の腕を磨く。
岡地嶺(おかじ みね、1931年1月11日- )は、日本の英… 岡地嶺(おかじ みね、1931年1月11日- )は、日本の英文学者、中央大学名誉教授。 埼玉県出身。青山学院大学文学部英文科卒、同大学院博士課程中退。中央大学商学部助教授、教授、2001年定年、名誉教授。英国ロマン派が専門。
田口 富久治(たぐち ふくじ、1931年(昭和6年)1月11… 田口 富久治(たぐち ふくじ、1931年(昭和6年)1月11日 - 2022年5月23日)は、日本の政治学者。名古屋大学名誉教授。マルクス主義の立場から、資本主義国家論、政党論、政策論、民族問題を論じた。 秋田県出身。1953年、東京大学法学部卒業。明治大学政経学部教授を経て、1975年から名古屋大学法学部教授。1994年-2001年、立命館大学政策科学部教授。 田口は、丸山真男に代表される近代主義的政治理論のマルクス主義による内在的な批判を意図。日本共産党の党員であったが、ユーロコミュニズムの立場に近づき、『先進国革命と多元的社会主義』をめぐって不破哲三との間に論争を繰り広げた。論争の結果、田口は日本共産党中央委員会付属社会科学研究所での自己批判に追い込まれた。
宮田 親平(みやた しんぺい、1931年1月11日 - 20… 宮田 親平(みやた しんぺい、1931年1月11日 - 2018年12月18日)は、日本の医学・科学ジャーナリスト。 東京府北豊島郡(現・東京都北区)生まれ。1954年東京大学医学部薬学科卒業。薬剤師を経て、文藝春秋社入社。『週刊文春』編集長、『文藝春秋』編集委員を経てフリー。2008年『毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者』で科学ジャーナリスト賞大賞受賞。 2018年12月18日に肺炎のため死去。87歳没。
蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - … 蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - 2021年8月8日)は、日本の歌人。本名・浜高家さくら子。東京都豊島区目白生まれ。 東京府立第三高等女学校(現在の東京都立駒場高等学校)卒業。 1946年(昭和21年) 「をだまき」に入社。高瀬一誌らと中河幹子(小説家・中河与一の妻)に師事。その後、「短歌人」に入会し小宮良太郎に師事した。 1953年(昭和28年)、「短歌人」が編集委員制度移行の際、編集委員に就任。以後55年間に渡って編集に携わる。 1982年(昭和57年)歌集『紺紙金泥』で第9回日本歌人クラブ賞。 1994年(平成6年)、歌集『鱗翅目』で第15回ミューズ女流文学賞。 1983年(昭和58年)より1987年(昭和62年)まで現代歌人協会理事。
青砥 順(あおと じゅん、昭和4年(1929年)1月11日 … 青砥 順(あおと じゅん、昭和4年(1929年)1月11日 - 平成20年(2008年)3月31日)は、日本の実業家。元米子信用金庫会長。位階は正六位。旭日双光章。 父は元米子信用金庫会長青砥喜三郎、兄は元山陰放送社長青砥昇。 鳥取県米子市出身。米子中学校を経て、昭和27年(1952年)関西大学経済学部卒業。昭和32年(1957年)米子信用金庫入庫。昭和43年(1968年)同審査部長、常勤理事。昭和45年(1970年)常務理事。昭和49年(1974年)専務理事。昭和58年(1983年)理事長。 平成20年(2008年)3月31日、79歳で死去。死没日付をもって正六位に叙され、旭日双光章を追贈された。
村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017… 村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017年1月17日)は、日本の美術評論家、小説家。 岐阜県出身。1951年に旧制名古屋外国語専門学校(南山大学の前身)フランス語科卒業、1954年に早稲田大学政経学部卒業。また、中央大学文学部仏文科も卒業。紀伊國屋書店洋書部勤務などを経て、日本美術評論家連盟会員、国際美術評論家連盟会員になる。1971年頃から1974年まで読売新聞に美術批評、美術関係の記事を寄稿をする。美術雑誌『みづゑ』に「海外短信」の題名で日本国外の美術情報を連載、他誌でも展覧会評を寄稿した。 美術館や東京都内デパートの展覧会の監修も行い、カタログに寄稿した。1979年の第1回日本秀作美術展(読売新聞社主催)の審査、監修をし、2003年の第25回まで務めた。
前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日… 前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日 - 2020年(令和2年)3月9日)は、日本の地理学者・気候学者。旧・東京都立大学名誉教授。社団法人東京地学協会名誉会員、公益社団法人日本地理学会名誉会員。 長野県小諸市で出生。青森県青森市出身。旧制弘前高等学校理科甲類を経て、1951年に旧制東京大学理学部地理学科を卒業、1956年に東京大学理学部大学院修了。その後1966年に"Natural Seasons and Weather Singularities in Japan" 「日本の自然季節と天候特異日」により理学博士の学位を取得。 1956年より早稲田大学教育学部助手となり、1958年より講師、1962年より助教授。
不動 茂弥(ふどう しげや、1928年1月11日 - 201… 不動 茂弥(ふどう しげや、1928年1月11日 - 2016年12月15日)は、戦後活躍した日本画家である。 1928年1月11日兵庫県三原郡賀集福井(現・南あわじ市)に生まれ、京都市で育つ。1944年京都市立絵画専門学校(45年に京都市立美術専門学校と改称。現・京都市立芸術大学)入学。戦中、東京近辺の陸軍の諸学校へ教材用掛図の作成に学生の勤労動員として派遣される。戦後1947年学内で行なわれた作品展への出品をきっかけに、同校の三上誠や山崎隆、星野眞吾らと親交を深める。1948年同校日本画科を卒業。 同1948年3月同校卒業生の日本画家・洋画家・陶芸家によってパンリアルを結成。翌1949年陶芸家たちの脱退に伴い、日本画家たちによってパンリアル美術協会を結成。
若松 正司(わかまつ まさし、1928年〈昭和3年〉1月11… 若松 正司(わかまつ まさし、1928年〈昭和3年〉1月11日 - 2009年〈平成21年〉10月18日)は、日本の作曲家、編曲家。東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。作曲家の若松歓は息子にあたる。ヤマハ音楽振興会理事や日本作曲家協議会監事、日本童謡協会常任理事などを歴任した。 1953年(昭和28年)に放送用の音楽を手始めに作曲家を志向。作曲を服部正、指揮を高階正光に師事。1955年(昭和30年)のNHKのオーケストラ番組の編曲担当をきっかけに恒常的にレギュラー番組を担当。以後、NHKみんなのうたなどNHKの番組を中心に幅広く活動。1993年(平成5年)に第23回日本童謡賞受賞。また、日本大学習志野高校の応援歌(作詞:山上路夫)を作曲したりしたこともあった。
小西 和人(こにし かずひと、1927年1月11日 - 20… 小西 和人(こにし かずひと、1927年1月11日 - 2009年1月7日)は日本の新聞記者、編集者。週刊釣りサンデーを創刊して会長。全日本サーフキャスティング連盟第2代会長。
森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007… 森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007年11月26日)は、日本の経済学者、俳人、詩人。 北海道岩内郡岩内町出身。俳号・句城子。日本大学卒、1959年同大学院金融論専攻博士課程満期退学、75年「庶民金融思想史」で経済学博士。日本大学商学部助教授、教授。1997年定年、名誉教授。俳人として、1943年原石鼎、原コウ子に入門、鹿火屋に所属。そのほか、叙事詩も書いた。
喜多 迅鷹(きた としたか、1926年1月11日 - 201… 喜多 迅鷹(きた としたか、1926年1月11日 - 2015年9月12日)は、日本の翻訳家、画家。 長崎市生まれ。埼玉県立浦和中学校、第一高等学校を経て、1948年東京大学法学部卒。埼玉県立浦和高等学校、東京都立大学附属高等学校教諭のほか、東京都立大学 、横浜市立大学講師を務めたが、1971年、学園紛争を機に画業に転向。 1992年「東京を描く市民の会」創立に参加。1994年「彩の国を描く会」を創立、主宰。2001年読売・日本テレビ文化センターで「ペン水彩」講座開講。2002年読売・日本テレビ文化センターで「模写による西洋美術史」講座開講。
鈴木 喜一(すずき よしかず、1926年1月11日- )は、… 鈴木 喜一(すずき よしかず、1926年1月11日- )は、中国哲学者、信州大学名誉教授。 京都市出身。1948年九州帝国大学文学部支那哲学科卒。信州大学教養部助教授、教授。1990年「東洋における自然の思想」で九州大学文学博士。91年信州大学を定年退官、名誉教授。2006年瑞宝中綬章受勲。
稲川 誠一(いながわ せいいち、1926年1月11日 - 1… 稲川 誠一(いながわ せいいち、1926年1月11日 - 1985年3月20日)は、日本の歴史学者である。元聖徳学園岐阜教育大学教授。 愛知県名古屋市出身。第七高等学校造士館を経て、1948年に東京帝国大学文学部国史学科卒業、同大学院に進学。健康診断の結果、公立高校に就職できず、はじめ鶯谷女子高等学校に赴任し、後に健康が回復してから岐阜県立大垣北高等学校の教諭などをつとめる。その後、1980年に高山短期大学助教授、1982年に聖徳学園岐阜教育大学講師。1984年に助教授、1985年に教授に昇進。 七高で久保田収、東大で平泉澄に師事。日本中世史を専門とし、『新修大垣市史』の中世の部分を担当し、また岐阜県内の東大寺領荘園の研究に従事。